●プラハの女、あらわる
「プラハの嵐とブラバの嵐はどう違うのだろう」
風速40mの超大型台風が吹き荒れる夏の夕方。ざぁざぁと窓ガラスが津波のような雨に洗われている。
強風波浪警報、大雨警報、暴風警報が出され公共交通機関も止まっている。
普段なら定時帰りの会社員で賑わうこの店も死んだように静まり返っている。
帰宅難民となった当店のマスターこと只野咲花《ただのさっか》は暇を持て余していた。
そしてあまりに退屈なあまり上記のようなしょうもない疑問を呟いたのだ。
迎えに来てくれる家族も彼氏もいない。常連客とはプライベートで交流しない主義の咲花だ。
一人さみしく景色を眺めている。
「何でこんなバカな事いってるんだろう、わたし」
ブラバとはブラウザーバックの略だ。常連客達が良く話題にしている。
小説の投稿サイトであまりにつまらない作品に遭遇した時の動作をブラウザバックというそうだ。
文字通りウェブブラウザーのバックボタンをクリックして前画面に戻る。
つまり、閲覧を中断し、その作品を読まなかったことにする。
常連客達は投稿サイトの常連でもあるらしかった。
只野咲花は小説やコミックの類に興味がない。むしろK-POPやジャニタレの追っかけで忙しい。
音の出ない小説を読むぐらいだったら推しメンバーのMVを観てニヨニヨしていたい。
その時、どこかから声がした。「私はプラハの嵐だ」
いきなり女の声。咲花はお客さんだろうか、と玄関ドアを見やった。誰もいない。
気のせいかしら、と店内を見回すとカウンターに黒いスマホが置いてあった。お客さんの忘れ物だろうか。
それが「私はプラハの嵐だ」と言っている。「もしもし?」
咲花は通話ボタンを押した。

「はい、もしもし私、只野咲花です」
「今、どこ」
抜けるように透き通った女の声。歯切れよい。テレビ業界の人間だろうか。
「こちら神保町の喫茶ふらわぁです。お客様はスマホをお忘れではありませんか?」
咲花は発見した経緯と預かっている旨と相手の現在位置をたずねた。
「ここ。プラハの嵐でございます。私は…折り返しお電話いだけますか?」
「ちょっと待った、私に電話かけて来い、とおっしゃるのですか」
ずうずうしい落とし主だ。
「それもそうですね。じゃあ、はい」
「ご都合がよろしい時にご来店ください」
大雨警報が出ている。車で乗り付けるにしても危険だ。どのみち受け渡しは明後日になるだろう。
「ああ、はいはい、ごめんなさい、じゃあ、今からそっちに向かうので」
通話ボタンを押すより早く咲花は扉に隠れた。外に居る誰かに見つかる前に逃げ出したい。
生きた心地がしない。この日は玄関口に植木鉢を並べカウンターの裏で息をひそめるように過ごした。冷蔵庫の中身を空っぽにして身体はおしぼりで拭いた。

翌日は台風一過の後片付けという口実で臨時休業した。地デジが被害状況を伝えている。山手線は架線が切れたり土砂崩れで終日運休。アパートに帰る気がしない。
ボックス席で寝ているとカウンターのスマホが鳴った。
プラハの嵐とは最近の流行りの曲で、歌っているのは若い女性だ。
テレビで「私はプラハの嵐です♪」と笑うと、咲花の心臓がバクンと大きく跳ねる。
この女性こそが世界の救世主と言われている、咲花は感じた。
彼女はプラハの嵐。その名前を知らない者はもちろん、いない。あの曲が好きじゃない人もあまり聞いたことがない。
「あなた、そういえば…ああら、いやだ。あたしとしたことが」
咲花は昨日の非礼をわびた。赤丸急上昇中の女性シンガーがいつの間にかお忍びで常連客になっていたのだ。台風上陸でテンパってたせいですっかり失念していた。
プラハの嵐とブラバの嵐うんぬんは彼女の持ちネタだ。
「私は貴女の店を応援しますよ」
超有名人がカラコロ♪とカウベルを鳴らしに来た。


女性の笑顔が咲花の耳から離れていく。咲花と女性はつないだ手をぎゅっと握りまくる。
「ありがとう」
「いいえ」
咲花は顔が赤くなりつつも、心の中では笑っていた。
「今度はわたしがあなたをおもてなしする番ね」
プラハの嵐は咲花を事務所に招待してくれた。

「お迎えに上がりました。プラハの嵐は事務所で待機しております」
人形のように色白で無表情な黒髪美人がインプレッサで迎えに来た。
インドア系に見えてブリーチアウトのデニムミニスカート。健康なのかメンヘラなのかわからない。車は靖国通りをまっすぐ進み両国橋を渡って京葉道路に入る。
そして、ももんじやの裏で止まった。

咲花は女性の後をついて行く。いつもいつも人気のない道を選ぶ。
女性は咲花の後を見ながら黙ってついて来る。
人気のない雑居ビルの中腹、入口の鍵を閉める。
二階、三階の芸能事務所と四階の住居を合わせて四階建てのビル。この一階にはお店が一つしかなく、一階の受付を行っている女性は咲花の姿を見た後にその場を去った。
地下にお酒を出すラウンジがあるようで女性は階段を降りて行った。
お店の一階、事務所の一階に通された咲花はテーブルから顔を上げた。白く滑らかな指先。
「今日、お仕事ですか?」
いつもの女性。空気のように喫茶ふらわぁに咲いている。芸人でなく常連の顔だ。
咲花はそう思いつつ訪ねた。
「はい。仕事中ですけど、お話がしたいの」
彼女は脚本を閉じた。
「お話って」
急に振られて困る。呼び出したのはそっちのほうだろう。
「私は貴方の事が好きです」
お店の中、女性はカウンターに向かって椅子から立ち上がる。
咲花は席を離れ、後を追う。相手はすたすたと受付に行く。
「すいません」
咲花は背後から声をかけた。
「ん? 何かしら?」
ガサガサと女性は引き出しをまさぐっている。
「わたしはお話をしにきたのでは?」
呼び出しておきながら放置する。咲花は芸人という生き物がわからなくなった。
「咲花さんのこと、好きですよ」
「ええ、そうなの」
「うん……」
プラハの嵐は子供のように頬を紅潮させた。
「え、本当ですか?」
「本当よ」
「本当に、ですか」
「はい、本当です」
「本当?」
「はい、本当です」
「本当なら嬉しいわ。でも、なんで今なの?」
咲花はそろそろ帰りたくなった。お人形のように弄ばれるのは嫌だ。
「はい、私はそろそろ次の仕事が決まる予定なので、ちょっと遅くなってしまいました」
「え……あ、そう……」
近況を報告するために呼んだのか。
「はい。でも少しでも時間ができたので早めに来て下さっただけでも感謝です」
わけがわからない。芸能プロダクションなんて一般女性に縁のない場所に入れてくれただけでも良しとするか。
「ありがとうございます……」
そろそろ辞去しよう、と咲花は真剣に考える。
「まあ、もう時間だわね。それに仕事が忙しいのにわざわざ来てくれたのに、こんな事をして少し驚かせたようね」
「そ、そんな事はないですよ、プラハの嵐さん。それを言えば……」
スマホの礼をまだしてもらってない。
「私、誰かにお願いされたことないのよ」
「ああ、そうでしたね」
「ええ。だからあまり詳しく知らないの」
「そんな、どうしてですか?」
「私は人の好意に甘えるのが好きなの。私にはこれから私の為に頑張ってる彼女さん達がいるのよ。彼らにとっても私の為にこういう事をするのは当たり前じゃないわ」
「そんな……」
咲花は絶望した。デニムミニの女はコレクションの一人だったのか。

「私はそれが良いと思ってる。だからきっともっと上手くやれるよ」
「そう……ですか……」
「ええ。だから、これでも頑張りたいんだけど」
「あの……プラハの嵐さん、わたしそろそろ」
玄関に向かおうとして懇願する目線に咲花は絡めとられた。
「お話がある時って時間がないんだよね」
「はい……」
だから、さっさと要件を言え。
「そうよ。だからせめて貴女にはちゃんとお仕事を頑張ってほしいわ」
「す、すみません、あたし、本当に……」
「だから……うん」
プラハの嵐の白魚のような指が署名欄をツンツン叩いている。
芸能プロダクションの契約書、案内書、注意事項、そして番組の台本らしき書物。
咲花にとって青天の霹靂だった。
「はい……」
「ありがとう!」
「いえ……」
「ふふっ、でも、そう言う意味じゃないからね?」
「……」
どういう意味だろう。
「そういえば、貴女は何処に住んでるの?」
「え……」
「いや、それは流石に私のプライベートに踏み込むわけにはいかないから……」

と、その時。壁越しに怒鳴り声が聞こえてきた。
ものすごい剣幕で何やら言い争ってる。

「うるせぇよ」
「俺のプラバはブラバの嵐だ」
「お前のブラバはどうだ」
「俺のブラバはこうだ!」
「うるせぇよ、そのテンションはどうしたんだ?」
「うるせぇ!!プラハでテンション高いのもプラスじゃない!!」
「うるさいったら!」
「うるせぇんだよ!!」
「うるせぇっていってるだろ!」
「そう思われているの?」
「うるせぇっていってるだろ?!」
「今でもそう思ってる方」
「そのテンションもプラセボなんだろ!?」
「うるせぇわ!!」
「だから、うるせぇっていっってるから気をつけなさい」
「お前のプラバは悪いテンションだったのかよ!?」
「うるせぇっていってるだろが!!」
「だから、そんなんじゃなかったっていってるだろ!」
「うるせぇっていってるだろ!?」
「うるせぇっていってるだろ…………」
「うるさいったらあ!!」
「そう、うるせぇっていってるだろ!?」
「うるせぇっていってるだろ、プラバのテンションだったろ!」
「うるせぇっていってんだろ!?プラセボだろ!」
「そんなもん俺に気にすることねぇ!!」
「うるせぇっていってるだろが!!」
「あー、もううるせぇって!!!!」
「うるせぇっていってんだろ!!!わかったから!!わかったから!!!」
「うるせぇっていってんだろ!?プラセボだろ!?うるさいっていってるから言ってんだろうが!?」
「えー、うるさい、うるせぇっていっただろ!?うるせぇっていったからってうるせぇとは言えないだろ!?」
「うるせぇっていうならちゃんとうるせぇって言えよ!!」
「うるせぇっていってんだろうが!!」
「そんなにうるさかったら言えよ、言えって!!」
「うるせぇって言いたいけど、言えないだよ!!!!!!」
「お前のせいで言えないだろうが!!!!!!!」
「うるせぇっていったんだろうが!!!言いたいから口出ししてんだろ!!!!!」
「お前のせいじゃねぇ!!!!!俺のせいだ!!!!!!お前のせいだよ!!!!!」
「言いたいことがあるならもっとちゃんと言えばっ、言えばっ!!!!!」
「お前が余計なことも言うから余計なことが言う、もういい?」

咲花はじっとやりとりに聞きほれていた。
「あの人たちは何なんですか?」
プラハの嵐はポツンと一言。「人じゃないわ」
「えっ…」
咲花は首を傾げ少しばかり考え込む。そして思い出した。「ああ、物まねをする動物ですか? 鳥とか」
「ペットでもないわ。機械よ」
プラハの嵐は素っ気ない。「隣は機械室よ」
それはどういうことなのか、と言うまでもなく案内された。
扉を開けると真っ暗な応接室は誰もおらずLEDがほんのり2つ灯っていた。
「あ…KONOZAMA HELLO…」
咲花は拍子抜けした。常時接続型スピーカーがのべつ幕無しに喋っている。
対するはGyaaOHoo Kennel。ライバルの検索エンジン企業が売り出し中のスマートスピーカーだ。互いが罵りあっているのだ。
「電気代がもったいなくありません?」
咲花はプラハの嵐が理解できない。
「ああ、あれはね。ああやって相方を養殖してるの」
「よ、養殖?」
その言葉にプラハの嵐は目尻をきらめかせた。
「…そう。わたしね…末吉興業の第8世代なの。粗製乱造とか劣化コピーとか散々いわれた世代よ。わたしはピンで難波の舞台に立たなきゃいけなかった。同期はみんな辞めていった。わたしが干されずに済んだのはあの子たちのおかげよ」

彼女は耐え切れずシクシクとスカートを濡らしはじめた。

聞けば涙抜きには語れない世代だ。個人事務所を設立してやると甘い誘いに乗って架空債務を含め莫大な借金をこさえられた。彼女は懸命に営業して利子を払い続けたがそれも何度目かの不況で立ち行かなくなる。夜の商売を考えたこともあった。
しかし、彼女は芸で身を立てようと病死した母に誓った手前、爪に火を点すような暮らしをしてようやく売れないながらも仕事が軌道に乗り分割払いで完済に近づいている。それもこれも有形無形の支援があってこそだ。昔取った杵柄がある。末吉養成所時代に愛嬌をふりまいていたおかげだ。
「わたし、ね。絶対に後ろ暗い事だけはやるなって母に言われたの」
プラハの嵐の母親は人格者だった。まず元夫を責めなかった。養育費を滞らせたまま新しい女と心中した。それでも彼女は恨み節ひとつ言わなかった。
「母は言いました。貧すれば鈍する。それだけは絶対にするな。どんなに困っても正しい行いをして笑顔でいれば世間が救いの手を差し伸べてくれる。後ろ暗い事をすれば顔が曇る。そして怯えて暮らすようになるの。そうなったら疑心暗鬼に陥って誰も信じられなくなる。救世主すらね。それに最後はお天道様が見てるから」
その言いつけをしっかり守り、身体や仲間を売るような真似をせず、モヤシを啜って生きて来た。
「反社勢力の闇営業をしたり薬を売った子もいるわ。どうなったかニュースでご存じ?」
「ええ…少し…は」
余りに重たい話で咲花も覚えていない。興味すらわかなかった。闇の深い話は嫌いだ。
「それであの子たちを相方にしてしゃべくりを磨いてきたの。今はお歌の仕事が増えちゃって」
プラハの嵐は洗いざらいぶちまけたらしく仏のような顔に戻った。
●「えっ、そうなんですか」
「私たちはお客様よ、私たちがお客様を案内し、お客様が私たちをお客様と、そういう認識でいたら?」
「えっ、そっか」
「お客様は私が隣に座るわ」
「うん、ありがとう」
プラハの嵐は咲花の反応を楽しんだろうか。
やがてプラハの嵐は席を置き、その隣にある部屋へ行く。
広さのない空間には大きな機械がひとつ。
「私がここに座るわ、一緒に歩くわ。だからゆっくり行きましょう」
「は、はい…」
プラハの嵐は咲花を誘導する。自分が咲花を誘わなければ彼女が断ると考えたからだ、と彼は言った。
「これが私の案内役、ここが私のお客様窓口、ほら、さっさと行くわよ」
プラハは咲花を誘導すると、そのまま機械を操作し連れ立って歩いた。
「お気をつけてください、これから私たちのプラハが案内する機械が、あなたのものですよ」
「あっ…」
プラハの嵐は咲花に案内させているわけではない、と彼のプラハが知っている。「これから私たちが案内します」そういわれても咲花は彼に連れられ機械に近づいていった。
その後をプラハの嵐はついてきて、歩き出した咲花について行った。
「あのー…」
「何?」
「あのー、私はこれからプラハさんと一緒に、ここでお仕事が」
「ああ、知ってるわ」
「なんとなくそんな気はしましたっ」
プラハの嵐はただその言葉を引き合いに出しただけだ。
そのまま機械の前に案内される。彼が「ほら、こっち」と咲花をおどして行く。咲花が少しだけ戸惑うと、プラハの嵐は今度は早歩きでついていく。
そこには大きな機械に、その前には広々とした大きな部屋が。「ここが私のお客様窓口、ここから出て行くから気をつけてね」
と言われればそのまま、その後ろに咲花を誘導する。
「あーあ、お客さんが入れないよ」
プラハの嵐は咲花を引き剥がすこともせず、その大きな機械を前に止まると、その前の席についた。これまた手慣れた動作。彼女の両手が機械に触れる。
「プラハおじさん、私を案内して」
「はいはい」
咲花が座ると、プラハの嵐はこちら側に来るように促した。咲花はおとなしくその場を後にする。プラハの嵐の機械は、咲花の指示とは違って、小さなものだった。それを少し見やると言い付けた。咲花はその指示に従って歩き始める。
やがてその場所が広々とした部屋──プラハの嵐が、咲花を案内してくれたところだった。
咲花はプラハの嵐に連れられつつ部屋の中を見学する。そこは、その大きな機械と、その前にある大きな椅子。そして目の前には、黒い丸の付いた、プラハの嵐の顔だ。
「お待たせ」
「お、おう…大丈夫だが……」
プラハの嵐は咲花に聞こえないように言った。咲花はプラハの嵐を見上げると、その黒に照らされたプラハの嵐の目を見つめる。
「ありがとう」
「いいえ、こちらこそなんでも」
プラハの嵐は照れながらも、咲花に目で見せてくれる。そう言われた時に、彼女はその黒い丸に気付いた。これは──!
『これは?』
「えっと……」
今のプラハの嵐はプラハの嵐というよりも、咲花を案内するときには黒い丸に変わっている。
『今、何て?』
「だから…え、えっと……」
咲花はプラハの嵐が何を言っているのか、よく分からなかった。
ただ、こんなに黒い丸があると、プラハの嵐が何を言っているのか分からなくなる。
『…えっと…何か、困ったことか?』
「あ、いえ、その……」
咲花はプラハを不安そうに見た。プラハは咲花の言葉に首を振ると、そのまま白い雲の方へ歩いて行ってしまった。
『それじゃあ私はこれで──』
その後ろ姿を見ているうちに、プラハの嵐は消えていき、今は真っ白な雲だけが浮かんでいた。
「……」
咲花は呆然と立ち尽くしていた。一体何が起きているのだろうか。
「どうしたの?」
「あ、いや、何でも……」
咲花は我に返ると、自分の仕事に戻ることにした。しかし、咲花はふと、こう思った。
この機械は何だろう? 咲花は仕事を終えると、いつものように帰宅した。
玄関を開けると、真っ暗な部屋に灯りを点ける。
今日は誰もいない。
咲花は風呂場に直行するとシャワーを浴びた。湯船につかりながら、ぼんやりと今日の出来事を振り返る。
咲花はスマホを取り出すと、動画サイトにアクセスした。
咲花は投稿されたばかりの新着動画を見た。
再生数は1000以下。
咲花のチャンネル登録者数は1万5千人だ。動画は3分弱の短いもので、タイトルは《あなたも出来る、簡単な自己紹介》とある。
そのサムネイルはどこかで見たことがある。
咲花はじっくりと眺めた。
それは自分が作ったものだ。
しかし、中身は全く違う。画面には自分と全く同じ姿の女性が映っている。声もそっくりだ。
服装まで一緒だ。
「あれ、ちょっと待って」
咲花は思わず口に出すと、慌てて浴室から出た。
「何でここに居るの」
彼女は咲花に尋ねる。しかし返事はない。代わりにスマホから女性の声が響く。
「……だってぇ、ここが一番安全だから」
「安全なの?」
「そうよぉ、もう何も心配ないわぁ」
「でも……」
咲花には心当たりがあった。「あなたは誰?」
「私はあなたの味方よぉ」
「どうしてここにいるの?」
「だってぇ、ここは私の家だもの」
「えっ、そうなの?」
「そうよぉ」
「そうなんだ……」
咲花はすっかり納得してしまった。彼女は自分の姿をしているけれど、どうにも胡散臭いと思ったが、そんなことを言って彼女を悲しませたくなかった。そもそも自分はそんなに器用じゃない、彼女は自分に嘘をつけないだろうかと考えた。
それに彼女はとても優しいし、自分を大事にしてくれるような気がしたからだ。
それからというモノ、咲花の仕事は順調だった。
彼女から教えてもらった通りにやると面白いほど稼げるのだ。
その方法は単純明快だった。まず、その日最初に投稿する内容を考える。その次に、そのネタでどんな話をするかを、その日に思いついた事として文章にする。そしてそのあと、動画を撮って編集する。それだけだった。
例えば今日なら、昨晩、家族で夕食を取った時の出来事だ。
その時に食べたのは、野菜を炒めたもので、それが美味しかったと咲花は話した。
しかし、それだけでは味気ないので、彼女はもっと詳しく料理について語った。
それを文字にしてまとめる。最後に、映像も交えて紹介する。その作業をすればする程、動画の再生回数が増えていく。もちろん、ただ紹介しただけで増え続ける訳ではない。しかし、どんなに時間がかかっても、毎日少しずつ増え続けた。
咲花は一心不乱に作業に取り組んだ。
咲花はその動画で生計を立てられるようになった。仕事の依頼が殺到している。しかも咲花が仕事をするのは決まって夜だ。つまり、その時間に多くのユーザーが見てくれる。咲花はそれを理解した上で、動画を投稿した。
「みなさんこんにちは。今夜は、最近話題になっているあの食べ物について解説したいと思います」
画面が切り替わると、そこには咲花が居た。
「まずはこちらの商品です」

「こちらはですね、コンビニのおにぎりなんですけど、具にチーズが入っているんですね」
「それで食べてみると、これがびっくりするほど美味しいんですよ」
「えー、信じられませんよね」
「本当ですよ」
「それじゃあ、試してみましょう」
そう言うと、咲花はラップを外して海苔を巻いたまま食べると、そのままカメラに向かって喋り始めた。
その時の彼女の顔は幸せそうに見える。
咲花はしばらく話すとそのまま食事を続けた。そこで一旦休憩する。その間に視聴者たちはコメント欄に感想を書き込む。●凄い! どうやって作ってるの? ●確かに、めっちゃうまそう。
●これは買うしかない! などとコメントが続く。やがて咲花は食事を終え、また話しはじめる。今度は食レポではなく、動画についてだ。彼女はそれを視聴者たちに伝えると、
「いかがだったでしょうか。この商品、皆さんが知らないところでひっそりと販売されています。ぜひお近くのコンビニを探してみて下さい」
と言うと締め括った。
その動画が終わる頃には、たくさんの人が見てくれていた。中には★を付けてくれた人もいて嬉しい。
「ふぅ……」
咲花は大きく息を吐きながら伸びをした。ずっと同じ姿勢だったので、少し疲れてしまった。身体を動かすと少し気持ちが良い。それからシャワーを浴びると、すぐに寝床に入った。明日は朝早くから撮影がある。しっかり睡眠を取っておかないと、
「……ううん」
目が覚めると、咲花は自分のベッドの上で目を擦っていた。
いつの間に帰ってきたのだろうか。
咲花がゆっくりと起き上がると、隣に誰かが横たわっている。
「え……?」
咲花が驚くと、
「あ、おはよう」
その人は挨拶をする。その声は聞き覚えのある声で、咲花は思わず振り返った。そこには、
「あ、えっと……」
「どうしたの? もしかしてまだ眠いの?」
咲花は混乱した。
「えっと……私……どうして……」
「えっと……私……どうして……」
咲花は動揺した。何故ならば、そこに居たのは自分だったからだ。
「あ、えっと……私……どうして……」
「えっと……私……どうして……」
咲花は戸惑った。目の前に自分がいる。鏡でもないのに、自分と同じ顔をした人間が目の前にいる。
一体どういうことなのか。
目の前の自分は微笑むと、咲花に話しかけてきた。
その声は咲花自身と全く同じ声をしていた。
「ねぇ、あなたは私のことが好きかしら?」
突然聞かれて驚いた。何でいきなりそんな事を? ともかく咲花は正直に答えた。
すると、目の前の咲花は「良かったぁ!」
と言って飛び跳ねるように喜んでいる。そして「私もあなたが大好き」と言った。その言葉を聞いた途端、咲花は全身が熱くなった。嬉しくて恥ずかしくて照れくさかった。こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。
咲花は照れ隠しに頭を掻いた。その時ピシャっと頬を叩かれた。
「貴女ねぇ!」
いつの間にかプラハがいた。「痛い、何をするの?!」
咲花が怒ると却って叱られた。「あんたこそ自分のドッペルゲンガーと戯れて何やってるのよ? こんなの自己満足だわ。わたしはね、あんたがだんだん腐っていくのを我慢できないの」
そういうともう一人の咲花に塩を振りかけた。
「あっ、何をするの?!」
あわてて制止する間もなくドッペルゲンガーがナメクジの様に溶けてしまった。
「どう? これで現実と向き合う気になれたでしょ?」
プラハは冷たく言った。しかし、咲花は納得いかない様子で反論した。「でも、彼女は悪いことはしていないじゃない?」
「でもねぇ……」
プラハの説教は長々と続いた。咲花は何度も首を縦に振ったが、どうしてもプラハの怒りは収まらなかった。「とにかく! もう二度とあんな事はしないでちょうだい」「はい……」
咲花はすっかり落ち込んだ。もうプラハに嫌われたくない。咲花は泣きそうになりながら返事をすると、部屋に戻って布団を被った。
「ううっ……」
咲花は泣きじゃくった。そして、ふと窓を見ると、いつの間にか朝日が差し込んでいた。
翌朝になると、咲花はいつものように動画の撮影を始めた。
内容は昨日とほぼ同じだ。ただし、今回は編集も手を加えてある。それもあってか再生回数はいつもより多かった。
「はい、みなさんこんにちは」
画面に映るのはいつもの自分だ。しかしその笑顔には陰りが見える。咲花は自分の変化を自覚していた。きっとプラハの言う通りなのだ。自分勝手で自己満足な行いに過ぎなくて、だからこんな事になったのだと思った。しかし、同時に思うことがあった。それは自分自身への疑問だ。自分は果たして今のままで良いのだろうか。
「えー、最近ですね、私のところに動画サイトから連絡が来まして、新しい企画に参加しないかと言われました」
「その話をもらった時、私は正直言って困りました」
「というのも、私はこの仕事で生活出来ているので、もしその話を断れば動画を作ることが出来なくなります」
「でも、私は断りませんでした」
「何故かというと、その話を頂いたのは私の力ではないのです」
「私がこれまで積み重ねて来たものが、評価された結果なんです」
「だから私はその期待に応えたいと思います」
咲花は動画の内容を説明すると、その話を締め括った。
その後には視聴者たちからの反応があった。●頑張ってください! ●応援してます! ●これからもよろしくお願いします!●面白かったです!等々のコメントが次々と流れる。
咲花はそれを見てホッとした。やっぱり自分のやっている事が間違っていなかったのだと思えたからだ。そう思った瞬間、咲花の目から涙がこぼれた。
咲花はすぐに拭いたが、それでも溢れてくる。咲花はそのまま泣いてしまった。しばらくして咲花が落ち着くと、画面の前で頭を下げた。「皆さん、本当にありがとうございます。これからもこのチャンネルをよろしくおねがいします」
咲花は動画を撮り終えるとすぐに編集に取り掛かった。動画の編集が終わったのは、それから二日後のことだ。咲花は早速アップロードしたが、再生数は伸びない。やはりあの方法しかないのだろうか。咲花は不安になったが、とりあえず待つ事にした。それからしばらく経つと、ようやく再生数が伸び始めた。どうやら自分の動画の伸びは鈍いようだ。
それからも毎日動画を撮影し続けた。しかしどれもいまいちで、再生回数は少ないままだ。このままでは生活が出来ないかもしれない。咲花は悩み続けたが、なかなか答えが出なかった。そんなある日の事だ。咲花は買い物を終えて家に帰る途中だった。その時だ。後ろから声をかけられたのは。
「こんにちは」
咲花は振り返った。するとそこには、見覚えのある女性が立っていた。その人は咲花の元恋人だ。彼女は少しだけ痩せていて顔色も良いように見えた。
二人は近くの公園に移動した。そこでベンチに座って話しはじめる。彼女の話は相変わらず重たかったが咲花はそれを全て受け止めることにした。そうしないと彼女を救えないからだ。
「ごめんなさい」咲花が謝ると、「どうしてあなたが謝るの? 悪いのは全部わたしなのに」
咲花は首を振るとこう言った。「あなたを一人にして寂しい思いをさせてしまった」
すると彼女は大きく目を見開いた。「え……?」
そして彼女は涙を流した。その涙を見たとき、咲花は彼女のことを心の底から愛おしいと感じると同時に、絶対に守ってみせるという思いが生まれた。それが咲花の出した答えだ。彼女の為に何が出来るのか。彼女の苦しみを和らげる為にはどうすればいいのか。そう考えた時、咲花は彼女を支えていこうと思うに至った。咲花はそっと抱きしめると、静かに唇を重ねた。「大丈夫、あなたは何も悪くないの。だってこれは運命なんだもの。私たちは出会うべくして出会ったのよ」
咲花は彼女に語りかけると、彼女は小さく微笑んだ。「わたしね、最近とても幸せな夢を見るの」
彼女は続ける。「そこにはね、わたしのことを待っている人がいるの。みんな待っていてくれて、中には泣いたり笑ったりしている人もいるの。でも誰も嫌そうな顔をしていないし迷惑そうな顔をしてもいないのよ」「それで?」「うん、ただそれだけの夢よ。でもね? 起きた時に思い出すのはその夢の事ばかりだし不思議なのよね」
彼女は笑うと、「ねぇ? これってもしかしたら予知夢なのかしら?」
咲花は「さぁ、どうかしら?」
と返すと、二人で笑い合った。
咲花が目を覚ますと、目の前にプラハがいた。
「うわぁ!」
咲花が驚いて飛び起きると、プラハは呆れたようにため息をついた。「何でそんなに驚くの?」
「だ、だって……」
咲花が口をパクパクさせていると、プラハは肩をすくめた。「もうすぐ朝ごはん出来るわよ」
「あ、うん……」
咲花はベッドから抜け出すと、着替えてからリビングに向かった。そこにはパンとサラダと目玉焼きが用意されていた。「いただきまーす!」
咲花は元気よく食べはじめた。その様子を見てプラハは苦笑する。「あ、そうだ」
咲花が何かを思い出したかのように呟いた。「今日はちょっと用事があるから、夕方まで帰ってこられないかも」
「あら、そうなの? じゃあ晩御飯はどうするの? まだ作ってないけど」
「あ、えっと……」
咲花は言葉を詰まらせた。まだプラハに自分の正体を明かす覚悟が出来ていないからだ。しかし、黙ったままというわけにもいかないだろう。
「実はね……」
結局咲花はプラハに全てを話した。プラハは最初こそ驚いた様子だったが、途中からは平然と聞いていた。「ふぅん、そんな事がねぇ……」
プラハは納得すると「別に構わないんじゃないかしら?」と言った。「え?」
「あんたの人生だもの。好きにしなさいよ」
プラハの言葉を聞いて、咲花はホッとした。そして、その日一日をプラハと過ごした後、事務所へと向かった。
「はい、こんにちは!」
動画の撮影を始めると、いつも通りに撮影を終わらせ、編集をして投稿した。そして、プラハに報告をする。「よし、これで終わりっと!」
咲花が一息つくと、プラハが話しかけてきた。「ねぇ、あなたって本当にわたしの事好きなのね」
「へ? どういうこと?」
咲花がキョトンとしていると、プラハはくすっと笑ってから説明してくれた。「だってほら、動画の再生数が前よりずっと増えてるじゃない」
咲花はハッとした。そういえばそうだった。最近は忙しくて忘れていたが、自分の動画は伸びていたのだ。
「私、これからも頑張るね!」
そういうと咲花はガッツポーズをした。しかし次の瞬間には落ち込んだ表情になる。それは昨日の事が原因だった。自分は一体何をすべきなのだろうか? 自分なりに考えてみたのだが、いまいちわからないのだ。そんな様子に気付いたのか、プラハが心配そうに声をかけた。「ねぇ?どうしたのよ、急に落ち込んだりして」
「え、いや……」
咲花は答えようとしたが、言葉にならなかった。そんな様子を見かねたのか、プラハは言った。「はっきり言いなさいよ。怒らないから」「う、うん……」
「あのね、私……、これから何をしたら良いかわからないの」
咲花は悩みを打ち明けたが、それを聞いたプラハは首を傾げた。「何言ってるのよ。決まってるでしょ」
「え?」
「あんたはいつも通り、動画の撮影をしてくれればいいの」
「で、でも、それだと今までと同じだよ」
「だから何なのよ」
「だから、その……」