ひぐらしの鳴き声が響く真夏の午後。

「おかえり、義経(よしつね)
「ただいま。香澄(かすみ)

 東北地方の田舎町に住む緋色(ひいろ)香澄の実家を、従兄の瓦木(かわらぎ)義経が訪れた。
 義経は香澄の二歳年上の従兄で現在高校二年生。普段は都内に住んでいるのだが、毎年夏休みの時期になると母方の実家である緋色家に遊びに来ており、今年も数日間滞在する予定だ。

「お土産買って来たよ。定番のやつ」
「やったー。いっぱい食べよ」

 家へ上がる際、義経は東京土産の菓子を香澄へと手渡した。甘い物が大好きな香澄はとても嬉しそうだ。

「おじさんとおばさんは仕事?」
「義経が来るし、早目に帰れるようにするって言ってたけど、たぶん七時過ぎになるんじゃないかな」
(なつめ)さんは?」
「今は夕飯の買い出しに行ってるよ。もうすぐ帰って来ると思う」

 棗さんというのは住み込みで緋色家の家事を担っている女性型のアンドロイドのことだ。外見年齢は20代前半。流れるような黒髪と切れ長の目が印象的なクールな外見だが、実際にはユーモアのセンスもある面白いお姉さんである。
 棗さんが緋色家へとやってきて早三年。今ではお手伝いさんの域を超え、大切な家族の一員となっている。

「お嬢様。ただいま戻りました」
「噂をすれば棗さんのお帰りだよ」
「何度聞いても嬢様ってところが違和感なんだが」
「うるさい!」
「あだっ!」

 香澄は義彦の足をわざと踏みつけてから、棗さんを出迎えに玄関へと駈けていった。

「いらっしゃいませ。義経さん」
「お邪魔しています棗さん。相変わらずお綺麗ですね」
「褒めても何も出ませんよ」

 頬に手を当てながらそう言うと、棗さんは買い物袋から鯛焼きが三つ入った包みを取り出した。

「褒めたら出てきたじゃないですか」
「褒められなくても出しましたよ。今からみんなでおやつにしましょう」

 棗さんの買ってきた鯛焼きと義経の持参したお土産のお菓子をテーブルへと広げ、愉快なおやつタイムが始まった。

 ※※※

「香澄ってばぐっすりですね」
「義経さんが来るのが楽しみで、昨夜はなかなか寝付けなかったようですよ」
「子供みたいですね」

 ソファーの上で眠ってしまった香澄の寝顔を眺め、義経と棗さんが微笑ましそうに語り合う。

「最近、香澄の調子はどうですか?」

 香澄が起きないように、義経はそっと小声で切り出した。

「毎日楽しそうに過ごしておられますよ。あの頃が嘘のようです」
「それは良かった」

 当時の香澄のことを思えば、それはとても喜ばしいことだった。香澄にはやはり笑顔が一番に似合っている。

「棗さん。この子のことを支えてくれてありがとう」
「それを言うのなら、あなたこそが香澄さんの心の支えではありませんか」
「俺はただ、毎年夏休みに遊びに来ているだけですから」
「香澄さんにとっては、それが一番大事なことですよ」
「そうですね」

 棗の言葉に義経は大きく頷いた。

 ――いつまでも、甘えてばかりじゃいられないよね。

 今のやり取りが、狸寝入りしていた香澄の耳に届いていたことに、義経と棗さんは気づいていなかった。

 ※※※

 楽しい夏休みは、あっという間に過ぎていく。

 二日目には、緋色家に隣人や香澄の友人を招いて庭でバーベキューをした。火力が強くて肉を焼く際、頻繁に脂が撥ねて大人も苦戦する中、一切動じずに肉を焼き続ける棗さんの姿が勇ましい。

「棗さん。かっこいいですね」
「アンドロイドですから、この程度の熱さは気になりませ――」
「棗さん?」
 
 言いかけて、棗さんの動きが微かに鈍くなった。何事かと思い義経が心配そうに顔を覗き込むと。

「熱気で本体温度が上昇しました。一時的に一部の機能を制限します」
「棗さーん! 棗さーん!」

 義経が慌てて熱源から棗さんを引き離す。しばらく縁側に座らせていたら棗さんは無事に機能を回復した。アンドロイド版の熱中症のようなものだ。

 一波乱ありながらも、バーベキューは終始賑やかであった。

 ※※※

 三日目には香澄、義経、棗さんの三人で外出し、電車で二駅越えた大型ショッピングモールへと遊びに行った。公開中だったアクション映画を三人で鑑賞し、その後は気の向くままにウインドウショッピング。ファッション好きの香澄がセール品の服をたくさんゲットしてきたので、義経は荷物持ちとして大活躍だった。

「待て待て! お客様の俺がなぜ荷物持ちなんだ?」
「頑張れ。男の子でしょう」

 背中で語り、香澄は次のお店へと足早に向かった。

「棗さん。少し手伝ってくださいよ」
「頑張ってください。男の子でしょう」
「ええ……棗さんまで……」

 などと言いながらも最終的には香澄も棗も荷物を分担してくれたので、一人あたりの負担はそれ程でも無かった。

 ※※※

 四日目は外出はせずに家でのんびりと過ごした。午前中はサブスクで映画をまったりと試聴し、昼食は棗さんの用意してくれた素麺とスイカで夏の味覚を堪能した。

 午後は寝そべりながら昔話に花を咲かせ。いつの間にか日が暮れて。家で過ごす夏休みも、これはこれで悪くない。

「義経。明日は夏祭りだよ」
「香澄は浴衣を着ていくの」
「もちろん。私の浴衣姿に見惚れるなよ?」
「大丈夫。都会住みで目は肥えてるから」
「なにそれ酷い」

 大袈裟にへたり込むような仕草を見せる香澄。

「明日は私も浴衣で参戦します」

 唐突にリビングへと現れた棗さんがそう宣言すると。

「めちゃくちゃ楽しみです!」
「あたしの時と反応がちがーう!」
「ごめんごめん」

 両腕をぶんぶんと振り回し、香澄がむくれ顔で抗議する。そんな香澄の姿を義経は感慨深げに見つめていた。

 ※※※

 五日目がやって来た。義経は明日の朝には東京に帰ってしまうので、今日が事実上の最終日である。今日のメインイベントは近所の神社で行われる夏祭り。義経も緋色家に遊びにくる度に参加しているお馴染みの行事だ。

「どう、可愛いでしょう?」

 自宅の玄関先で、浴衣姿の香澄が一回転してみせた。紺色の生地に鮮やかな紫陽花がデザインされた浴衣は、あどけなさの残る少女に少しだけ大人な表情をさせている。

「似合ってるよ」

 義経は茶化さずに素直な感想を述べる。香澄の浴衣姿は本当によく似合っていた。

「それでは行きましょうか」

 紫色の生地に小紋柄をあしらった大人っぽい浴衣を着こなした棗さんが先導し、三人は夏祭りの会場へと徒歩で向かった。

「縁日ってワクワクするよね」
「この光景だけは、どんなに科学が発展しても変わらないんだろうな」

 人口の少ない小さな町ではあるが、縁日はそれなりの賑わいを見せていた。いつの時代も人はお祭りが好きだ。それは、アンドロイドの存在が当たり前となった現代でも変わらない。

「義経。林檎飴食べよう」
「お祭りに来るといつもそれだよな」
「だって好きなんだもん」

 縁日会場に到着するなり、香澄は林檎飴の店へと直行し、林檎飴を一本購入した。

「花火が上がるまでまだ時間があるし、色々見て回ろうよ」
「だそうですよ。棗さん」
「私はどこまでも香澄お嬢様にお供いたします」
「いざ出発!」

 香澄の右腕を突き上げると同時に、本格的な縁日巡りがスタートした。

「義経凄い!」
「射撃において俺の右に出る者はいない」

 射的では、香澄が三度挑戦しても駄目だった景品を義経が一撃で仕留め、周囲から喝采を浴びた。

「あちちちちち。でも美味しい」
「お嬢様は猫舌なのですから、気を付けてくださいね」

 出来立てのたこ焼きが熱すぎて、香澄は口にした瞬間に涙目になってしまったが、味は文句なしだったようで直ぐに笑顔の花が咲いた。

「義経ってば下手」
「……的は動かないに限るな」

 射的は上手な義経も、金魚すくいはあまり上手では無かった。
 
 楽しい楽しい祭の夜が過ぎていく。

「もうすぐで花火が始まるな」
「……その前に、二人きりで話したいことがあるんだけどいい?」
「どうした藪から棒に」
「大事な話しなの」

 香澄の眼差しはいつになく真剣なものだった。真摯に向き合わなくてはいけない。

「人気の無い所に行こう」
「分かった」
「棗さん。少し二人で話してくるね」
「頑張ってください。香澄お嬢様」

 棗さんだけは香澄がこれから義経に切り出そうとしている話の内容と、その覚悟について理解しているようだった。

「それで、話って?」

 香澄に連れられ、義経は神社の裏手の方までやってきた。周囲に人気はなく、祭の喧騒よりも鈴虫の音色の方が勝っている。

「先に深呼吸させて」

 香澄はかなり緊張しているようで、体が目に見えて強張っていた。目を伏せ大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

「義経。来年からはもう来なくても大丈夫だよ」
「……どういう意味だ?」

 言葉の意味を飲み込むまでには、数秒のラグがあった。

「もう一度言うね。来年の夏休みからはもう来なくても大丈夫だから」
「俺が受験だから気を遣っているのか? 大丈夫だって、遊びに来る余裕くらいあるよ」
「そういうことじゃないの!」
「香澄……」

 強く言い切った香澄の姿を見て、義経も全てを悟った。

 ――そうか、彼女は全て分かっているんだ。

「いつから、私が本物の義経ではないと気づいていましたか?」

 その口調はそれまでの義経とは異なる、落ち着いた大人の男性を感じさせるものだった。

「本当は最初から気づいてた。だけど、本物の義経が会いに来てくれたみたいで嬉しくて、ずっと気づかないふりをしていた」
「最初からでしたか」
「あなたの本当の名前は何というの?」
(そら)と呼ばれています」

 義経の姿をしたアンドロイド【空】。
 彼が義経の姿で香澄の前へと現れたのは今から二年前のことになる。
 本物の義経はその前年にこの町で死亡している。
 断歩道を渡っている最中に、運転手の体調不良によって暴走したダンプカーに跳ねられて義経は死亡した。当時、香澄も一緒に歩いていたが、咄嗟に義経が突き飛ばしたため、直撃を免れて軽傷で済んだ。

 だけど、心の傷は大きかった。
 無理もない。香澄は自分を庇った義経が死ぬ瞬間を目撃してしまったのだから。
 ショックのあまり、家族とさえもまともに口をきくことが出来なかった。

 事故から三週間が経とうとした頃。
 香澄が事故後初めて言葉を発した。誰もがそのことを喜んだ。

 だけど香澄が発した第一声は。

『来年も、義経遊びに来てくれるかな』

 香澄は、義経の死という現実を受け入れることが出来ていなかったのだ。

 香澄の両親や義経の両親は何とか香澄を勇気づけたいと思った。香澄の心が壊れてしまっては、義経も浮かばれない。
 まず始めに、共働きで当時から家を空けがちだった香澄の両親は、家事担当という名目で棗という名のアンドロイドを迎え入れることにした。常に家に誰かがいてくれる安心感が、少しずつ香澄の心に雪解けをもたらしていった。口数が徐々に増えていき、学校生活にも復帰を果たした。
 
 そして二年前の夏休み。例年のように義経は香澄の家へと遊びに来た。
 彼の正体は義経を姿をした【空】という名のアンドロイドだ。義経が幼い頃から瓦木家の一員として共に生活し、会社経営者である義経の父の秘書として長年活躍していた。
 空は義経のことを幼少期から知る兄のような存在であり、声や仕草を再現し、誰よりも義経らしく振る舞うことが出来る。容姿は、アンドロイドの体表に超高精細に人物像を表示する最先端のホログラム技術を活用。これによって空は義経の代役として高いクオリティを発揮した。

 義経の両親はすでに義経の死を受け入れており、姪である香澄の心のケアになるのならと、毎年夏休みに空を遣わせてくれた。

 今年は空が遣わされてから二年目の夏。
 いつか終わりがやってくると思っていたが、それは想像よりもずっと早くやってきた。
 だがそれで良い。終わりの訪れは、悲しみを乗り越えた香澄の未来への門出なのだから。

「……去年はまだ指摘する勇気が無かった。言葉にしてしまったら、本当に義経を失ってしまうような気がしたから。だけどいつまでも立ち止まってはいられない。今年こそは自分の足で前へ進もうと思った。じゃないと、義経に心配かけさせちゃうから」

 香澄の声は震えていた。覚悟を決めたとしても、自分の言葉で義経がもういないことを認めるのは苦しい。それでも香澄はその苦しさから逃げなかった。
 
「私はもう大丈夫。しっかりと、自分の足で歩いていけます」

 その言葉は、目の前にいる空へ向けられたものであり、思い出の中の義経に向けられたものであった。もう迷わない。義経は死んだという現実を受け止めて、自分の人生を歩んでいく。

「空さん。この二年間ありがとう。凄く、楽しかったよ」

 香澄の目には涙が浮かんでいた。けれどもそれはネガティブな涙ではない。未来へと進もうとする少女の前向きな感情だ。

「私も楽しかったです。あなたが立ち直れて本当に良かった」

 義経を演じていたとはいえ、この町で過ごした二度の夏休みを空にとっても掛け替えのない日々だった。香澄やその両親、棗さんと過ごした夏の思い出は、メモリの中に大切に記録されている。

「空さん。来年もまた遊びに来てよ」
「ですが、来年からはもう来なくてもいいと」
「義経としてやってくる必要は無いって意味だよ。今度来る時は義経としてではなく、空さんとしてここに遊びに来て。私も家族も棗さんも、みんなで歓迎するよ」
「ありがとうございます」

 笑顔でそう言ってくれた香澄の顔を見て、空の表情にも笑顔が宿った。

「お二人とも、そろそろ花火が始まりますよ!」

 頃合いを見計らっていたようなタイミングで棗さんが姿を現した。
 ほぼ同時に花火を打ち上げる音が聞こえ、美しい大輪の花が夏の夜空を照らし出す。

「綺麗な花火」
「夏を感じますね」

 香澄と棗さんが花火を見上げて感嘆の声を漏らす。
 今いる場所は、花火を見上げるには最高の場所だった。

「本当に綺麗だ」

 夜空を彩る鮮やかな花火を、空はその両目にしっかりと焼き付けた。また一つ、かけがえのない夏の思い出が増える。

 アンドロイドの夏は、素晴らしい思い出の数々に彩られていた。



 了