始業式が終わった昼過ぎの教室には僕しかいない。
小説のキリが悪くて、窓際の席で小説を読み続けていたら、いつの間にか僕一人になっていた。
「この間はありがとな」
そんな没頭する僕の脳にしっかり声が入る。
黒板の方を見ると、いつ来たのか、教卓に米村先生がいた。
「いや、先生が電話してくれたおかげですよ」
先生は教卓にパソコンを広げた。
「新、ちょっとこっち来い」
本にしおりを挟んで、先生の横に立った。
「文化祭と体育祭の準備はどうだ?」
「え?」
僕は一瞬だけ見えた写真に詰まった頓狂な声を出してしまう。
「文化祭と体育祭の進み具合だよ」
確かにそれも聞いていないから、え? って感じなんだけど、さっき見えた写真。パソコンの画面に映った写真は僕の遠い記憶を呼び起こした。
「先生、さっき見えたケバい人は?」
「⋯⋯ケバいって、あれは昔流行ったギャルのあれだよ」
「昔って言っても先生まだ二十代でしょ?」
先生は開きかけていた新しいタブを閉じて、さっきまで開いていた写真フォルダに画面を切り替えた。
「これのことか?」
「そうです」
やっぱりそうだ。
覗き込んで見えたこの人は――やっぱり新一の元カノだ。元カノというか、新一が死ぬあの時まで付き合っていた相手。
「この人、誰ですか?」
「誰って、⋯⋯大学時代の友達だけど?」
先生は少し顎をしゃくらせて答えた。
「先生の出身大学ってどこですか?」
僕は掘り下げるようにまた質問をした。
「日本大学だが?」
新一の通っていた大学と一緒。やっぱりこの人は名前すら知らないけど、新一の元カノだ。数回しか見たことなかったから、存在すら忘れていた。
「なんだ? 知り合いなのか?」
「あ、いや、何でも、ないです」
隠した。これ以上言っても何も収穫がない気がするし、余計に話を拗らせる必要もないし。
「まあ、いいや。生徒会室に唄がいるはずだから、暇なら手伝ってやってくれ」
「⋯⋯わかりました」
机に戻って、小説を再び開いた。
何となく集中できなくて、校庭に視線をずらす。
別に今さら知ったところでどうってことはないけど、先生があの人と知り合いだったことに頭の片隅で何かが詰まる。違和感を感じた。あの人は今どこにいて、何をしているんだろう。考えてみると、生前、新一と仲良くしていた人たちは今笑って楽しく過ごしているのか。八割くらいは新一のことなんて忘れていると思う。
なんか悲しく感じた。死んだ人はやがて忘れられる。それは性だ。しょうがないとは思うけれど、忘れられた側の気持ちを考えるとやるせなくなる。もし僕が新一にとって心配いらない人間になったら、新一は僕から離れて、僕は新一を忘れるのだろうか。そんなはずはないとわかっていても、やっぱり――。
それは、いやだ。
「いたのか」
僕はあたかも唄がいることを知らなかったように、生徒会室に入った。唄は眼鏡をかけて、またいつものようにボールペンをカリカリさせている。僕の声を聞いて、唄の視線がゆっくり僕に向いた。
「新くん、あれ以来だね」
「電話はしてたよ?」
僕はブレザーを脱いで、ソファに腰を下ろした。
「でも、なんか久しぶりな気がする」
唄は前髪の位置を整えるように、軽く頭を振った。
「そういえば体育祭と、文化祭のやつ聞いてないけど⋯⋯」
僕は会話の流れなんて関係なしに、バッグから小説を取り出す片手間で呟いた。
我ながらこれは捻くれすぎだ。
「あーごめん、忘れてた! 一応できたから、どっちも目を通して欲しいな」
「⋯⋯わかった」
唄はまた一人で全てを終わらせていた。夏休みの間にUSとしての活動もしっかりこなしていて、生徒会長としても申し分ない働きで、さすがと言える仕事ぶり。やっぱり僕は頼って欲しいと思ってしまった。僕が僕とは思えないこの感情。
歌の練習を手伝ってと、頼んでくれたみたいに。でも、頼られないのは僕自身の問題で彼女には非がない。だからそれは言えなかった。
あの部活動の改革案より、どちらも遥かに分厚かった。二つともほとんどの生徒が楽しみにしているビックイベント。だからか、唄の仕事も、あの時以上に手が凝っているのを感じた。
資料を読んでみると誤字や脱字が多い。疲れのせいか、ボロが出ていた。でも唄の努力がプリントから滲み出ていて、それを注意する気にはなれなくて、
「まあいいんじゃないか?」
つい庇ってしまった。一歩踏み出して、頑張りすぎじゃないか? とか聞くべきなんだろうけど、その一言が出ない。
「ほんと? 良かったぁ」
唄は僕の言葉を聞いて、安堵の表情を浮かべた。
「前見せた時、こっ酷く言われたから、今度こそって思ったんだよね」
あの何気ない一言が彼女にそこまで響いていたのかと思うと、何だか申し訳なくなってくる。
急にAdoの『レディメイド』が流れた。
「ちょっとごめんね」
あの時の記憶が蘇る。マネージャーのような人からの電話。またペコペコと頭を下げるのか。僕は小説に目を落としながら、聞き耳を立てた。
「桐谷さん。ご無沙汰してます――」
やっぱり事務所からの電話のようだ。前の電話も、この桐谷って人からだったのか。また唄は、わかりました。迷惑かけてごめんなさい。もっと頑張ります。と、言い続けていた。どんな言葉を言われているんだろう。唄は頑張っている。きっと僕が知っているのは彼女の努力のほんの一端に過ぎない。それでも唄にそこまで言う桐谷という人を殴って、一言言ってやりたい気持ちになった。
「新くん、ごめんね」
数分の電話を終えて、唄は作り笑いでこっちを見てきて、とても不快だった。心底やめてほしい。
「その人事務所の人でしょ?」
「よく分かったね。桐谷さんって言って、マネージャーみたいな人だよ。もうそろそろ四曲目の完成品が聞きたいって」
「この間、出したばっかじゃないか」
「ファンを定着させたいなら今が踏ん張りどきだって。だからここ最近ずっと急かしの電話が来るんだ⋯⋯」
そして、短いスパンでまた無理に作り笑いを見せてくる。
「⋯⋯そんなの関係ないだろ」
「関係あるよ。仕事ってそういうもんでしょ?」
前とは立場が逆転しているような言い草。プロ意識が欠けていると思っていたあの時とは逆で、唄はどこかよくない成長をしているように見えた。
それはまるで昔の方が良かったとか言われているYouTuberのように見えた。確かに見る側に合わせて、提供するものは変えるべきだけど、素の自分を見失っては元も子もないだろ。
「じゃあ、そんな仕事やめちゃえよ」
口が滑った。ダルダルに緩み切った口の紐は一切その言葉を止めようとしなかった。
言った後に気づいた。⋯⋯これは悪手だ。事は過ぎてからでは全てが遅い。
「新くん⋯⋯」
「ごめ――」
謝ろうとしたけど、次は言葉が詰まって出ない。僕の使えない口紐はとことん僕の素顔を唄に晒そうとする。
その隙に唄が首を横に振った。
「うんうん、いいの。でも辞めるわけにはいかないんだ。約束だから」
涙が出るのを必死に抑えているように見えた。僕は頑張っている彼女に、最低なことを言った。それでも彼女は僕に怒らない。耐えられなかった。やってしまった。僕のかけるべき言葉は絶対にそれじゃないのに。
「新くんが私のこと気にかけてくれてるの分かってるから、そんな顔しないで?」
唄はそんなことを僕に言った。今、僕はどんな顔をしているんだ。泣きそうな唄にそれを言わせるのは違う。
僕は何一つ言葉が喉を通って出てこない。なんて言えばいいんだろう。どう切り返せばこの状況を抜けられるんだろう。僕は唄にこんな思いをさせたかったわけじゃない。ついこの間、唄のことをもっと知りたいって思った。でもやり方がわからない。
今までサボってきた分が僕の足を引っ張ってきた。やっぱり人と話すのは下手くそだ。決めてから数日でこんなにも苦しくなるものなのか。今まで通り閉ざして、楽な方へ逃げてしまいたい。
僕の弱い部分がどんどん大きくなっている。唄の目を見れない⋯⋯。
「新くん、今日は帰るね。やらなくちゃいけないこともたくさんあるし」
唄は机上のノートやら筆箱やらを乱雑にバッグに押し入れ、生徒会室を足早に出て行ってしまった――。
唄がいない生徒会室は静かで、心地いいというよりかは空っぽに近い虚無感があった。また思い出しそうになる。
今までならこういう空間にいながら外を眺めたりして、気持ちよく黄昏ていたはずなのに、今は虚しさでいっぱいになっていて、そばに誰かいてほしい。
サッカー部の掛け声が中まで響いてきた。前なら五月蝿いとしか思わなかったのに、楽しそうに聞こえた。一生懸命部活に、取り組むその声が羨ましく聞こえた。僕には何もない。性格も見た目も運動も勉強も何もかもがない。それに何も本気で取り組んだことすらいない。
「だっさ」
口から溢れた。自然と笑いも込み上げてきた――。
「何してんだ」
ドアの前に先生が立っていた。高笑いする僕を見て、引いただろうか。
「先生はリア充好きですか?」
「今は大嫌いだ」
「入らないんですか?」
「入ろうと思ったら、一人で大笑いしている新がいて、寒気がしたんだよ」
「⋯⋯それはすみません」
先生は隣に座ってきた。
「何で横に座るんですか」
「寂しそうに見えたからな」
「いい女アピールですか?」
「生憎だけど、そんなことをする相手はもういない」
何だよ、もうって。
「リア充はできる時にしておかないと後悔するぞ?」
「僕は別にいいですよ」
「新、変わったよ。何で私が新に話しかけてたかわかるか?」
「揶揄ってるんですか?」
「大真面目だよ」
少し考えて、初めて話しかけられた時のことを思い出してみたけど、わからない。
「僕みたいな気が弱そうで逆らわなさそうな人を手駒にとれば、色々楽だからですか?」
「捻くれてるなぁ。⋯⋯本音を言うと、寂しそうだったからだよ。ずっと独りで寂しそうで、構って欲しそうなオーラ出してたから」
「石川もいるし、そんなわけないじゃないですか」
「何となくそう思ったんだ。石川と話してても独りだったよ新は。なのに人を惹きつけないオーラも放ってて、意味わからないしな」
何言ってるのか僕もさっぱりわからない。
「要するに私は教師として、新のことを気にかけてたってこと」
「先生がそれっぽいこと言ってるの、なんか面白いですね」
「ひどいな。高校教師になった動機は不純だけど、私だってそれなりに考えて教師やってるんだ」
「何で高校教師になったんですか?」
「知りたいか?」
「いや、別に」
「ま、教えないけどね」
「どうでもいいですよ」
その日の夜、唄からのコールは来なかった。僕はLINEで、 新〉大丈夫? と送信した。
返信が来たのは数時間後だった。
唄〉今日電話できない。なんかそっけない対応しちゃったよね⋯⋯。大丈夫だから心配しないで!
新〉分かった
僕はこのLINEに既読が着くのを待った。朝まで既読がつかなくて、既読がついたと思ったらもう朝で、唄からの返信はなかった。
小説のキリが悪くて、窓際の席で小説を読み続けていたら、いつの間にか僕一人になっていた。
「この間はありがとな」
そんな没頭する僕の脳にしっかり声が入る。
黒板の方を見ると、いつ来たのか、教卓に米村先生がいた。
「いや、先生が電話してくれたおかげですよ」
先生は教卓にパソコンを広げた。
「新、ちょっとこっち来い」
本にしおりを挟んで、先生の横に立った。
「文化祭と体育祭の準備はどうだ?」
「え?」
僕は一瞬だけ見えた写真に詰まった頓狂な声を出してしまう。
「文化祭と体育祭の進み具合だよ」
確かにそれも聞いていないから、え? って感じなんだけど、さっき見えた写真。パソコンの画面に映った写真は僕の遠い記憶を呼び起こした。
「先生、さっき見えたケバい人は?」
「⋯⋯ケバいって、あれは昔流行ったギャルのあれだよ」
「昔って言っても先生まだ二十代でしょ?」
先生は開きかけていた新しいタブを閉じて、さっきまで開いていた写真フォルダに画面を切り替えた。
「これのことか?」
「そうです」
やっぱりそうだ。
覗き込んで見えたこの人は――やっぱり新一の元カノだ。元カノというか、新一が死ぬあの時まで付き合っていた相手。
「この人、誰ですか?」
「誰って、⋯⋯大学時代の友達だけど?」
先生は少し顎をしゃくらせて答えた。
「先生の出身大学ってどこですか?」
僕は掘り下げるようにまた質問をした。
「日本大学だが?」
新一の通っていた大学と一緒。やっぱりこの人は名前すら知らないけど、新一の元カノだ。数回しか見たことなかったから、存在すら忘れていた。
「なんだ? 知り合いなのか?」
「あ、いや、何でも、ないです」
隠した。これ以上言っても何も収穫がない気がするし、余計に話を拗らせる必要もないし。
「まあ、いいや。生徒会室に唄がいるはずだから、暇なら手伝ってやってくれ」
「⋯⋯わかりました」
机に戻って、小説を再び開いた。
何となく集中できなくて、校庭に視線をずらす。
別に今さら知ったところでどうってことはないけど、先生があの人と知り合いだったことに頭の片隅で何かが詰まる。違和感を感じた。あの人は今どこにいて、何をしているんだろう。考えてみると、生前、新一と仲良くしていた人たちは今笑って楽しく過ごしているのか。八割くらいは新一のことなんて忘れていると思う。
なんか悲しく感じた。死んだ人はやがて忘れられる。それは性だ。しょうがないとは思うけれど、忘れられた側の気持ちを考えるとやるせなくなる。もし僕が新一にとって心配いらない人間になったら、新一は僕から離れて、僕は新一を忘れるのだろうか。そんなはずはないとわかっていても、やっぱり――。
それは、いやだ。
「いたのか」
僕はあたかも唄がいることを知らなかったように、生徒会室に入った。唄は眼鏡をかけて、またいつものようにボールペンをカリカリさせている。僕の声を聞いて、唄の視線がゆっくり僕に向いた。
「新くん、あれ以来だね」
「電話はしてたよ?」
僕はブレザーを脱いで、ソファに腰を下ろした。
「でも、なんか久しぶりな気がする」
唄は前髪の位置を整えるように、軽く頭を振った。
「そういえば体育祭と、文化祭のやつ聞いてないけど⋯⋯」
僕は会話の流れなんて関係なしに、バッグから小説を取り出す片手間で呟いた。
我ながらこれは捻くれすぎだ。
「あーごめん、忘れてた! 一応できたから、どっちも目を通して欲しいな」
「⋯⋯わかった」
唄はまた一人で全てを終わらせていた。夏休みの間にUSとしての活動もしっかりこなしていて、生徒会長としても申し分ない働きで、さすがと言える仕事ぶり。やっぱり僕は頼って欲しいと思ってしまった。僕が僕とは思えないこの感情。
歌の練習を手伝ってと、頼んでくれたみたいに。でも、頼られないのは僕自身の問題で彼女には非がない。だからそれは言えなかった。
あの部活動の改革案より、どちらも遥かに分厚かった。二つともほとんどの生徒が楽しみにしているビックイベント。だからか、唄の仕事も、あの時以上に手が凝っているのを感じた。
資料を読んでみると誤字や脱字が多い。疲れのせいか、ボロが出ていた。でも唄の努力がプリントから滲み出ていて、それを注意する気にはなれなくて、
「まあいいんじゃないか?」
つい庇ってしまった。一歩踏み出して、頑張りすぎじゃないか? とか聞くべきなんだろうけど、その一言が出ない。
「ほんと? 良かったぁ」
唄は僕の言葉を聞いて、安堵の表情を浮かべた。
「前見せた時、こっ酷く言われたから、今度こそって思ったんだよね」
あの何気ない一言が彼女にそこまで響いていたのかと思うと、何だか申し訳なくなってくる。
急にAdoの『レディメイド』が流れた。
「ちょっとごめんね」
あの時の記憶が蘇る。マネージャーのような人からの電話。またペコペコと頭を下げるのか。僕は小説に目を落としながら、聞き耳を立てた。
「桐谷さん。ご無沙汰してます――」
やっぱり事務所からの電話のようだ。前の電話も、この桐谷って人からだったのか。また唄は、わかりました。迷惑かけてごめんなさい。もっと頑張ります。と、言い続けていた。どんな言葉を言われているんだろう。唄は頑張っている。きっと僕が知っているのは彼女の努力のほんの一端に過ぎない。それでも唄にそこまで言う桐谷という人を殴って、一言言ってやりたい気持ちになった。
「新くん、ごめんね」
数分の電話を終えて、唄は作り笑いでこっちを見てきて、とても不快だった。心底やめてほしい。
「その人事務所の人でしょ?」
「よく分かったね。桐谷さんって言って、マネージャーみたいな人だよ。もうそろそろ四曲目の完成品が聞きたいって」
「この間、出したばっかじゃないか」
「ファンを定着させたいなら今が踏ん張りどきだって。だからここ最近ずっと急かしの電話が来るんだ⋯⋯」
そして、短いスパンでまた無理に作り笑いを見せてくる。
「⋯⋯そんなの関係ないだろ」
「関係あるよ。仕事ってそういうもんでしょ?」
前とは立場が逆転しているような言い草。プロ意識が欠けていると思っていたあの時とは逆で、唄はどこかよくない成長をしているように見えた。
それはまるで昔の方が良かったとか言われているYouTuberのように見えた。確かに見る側に合わせて、提供するものは変えるべきだけど、素の自分を見失っては元も子もないだろ。
「じゃあ、そんな仕事やめちゃえよ」
口が滑った。ダルダルに緩み切った口の紐は一切その言葉を止めようとしなかった。
言った後に気づいた。⋯⋯これは悪手だ。事は過ぎてからでは全てが遅い。
「新くん⋯⋯」
「ごめ――」
謝ろうとしたけど、次は言葉が詰まって出ない。僕の使えない口紐はとことん僕の素顔を唄に晒そうとする。
その隙に唄が首を横に振った。
「うんうん、いいの。でも辞めるわけにはいかないんだ。約束だから」
涙が出るのを必死に抑えているように見えた。僕は頑張っている彼女に、最低なことを言った。それでも彼女は僕に怒らない。耐えられなかった。やってしまった。僕のかけるべき言葉は絶対にそれじゃないのに。
「新くんが私のこと気にかけてくれてるの分かってるから、そんな顔しないで?」
唄はそんなことを僕に言った。今、僕はどんな顔をしているんだ。泣きそうな唄にそれを言わせるのは違う。
僕は何一つ言葉が喉を通って出てこない。なんて言えばいいんだろう。どう切り返せばこの状況を抜けられるんだろう。僕は唄にこんな思いをさせたかったわけじゃない。ついこの間、唄のことをもっと知りたいって思った。でもやり方がわからない。
今までサボってきた分が僕の足を引っ張ってきた。やっぱり人と話すのは下手くそだ。決めてから数日でこんなにも苦しくなるものなのか。今まで通り閉ざして、楽な方へ逃げてしまいたい。
僕の弱い部分がどんどん大きくなっている。唄の目を見れない⋯⋯。
「新くん、今日は帰るね。やらなくちゃいけないこともたくさんあるし」
唄は机上のノートやら筆箱やらを乱雑にバッグに押し入れ、生徒会室を足早に出て行ってしまった――。
唄がいない生徒会室は静かで、心地いいというよりかは空っぽに近い虚無感があった。また思い出しそうになる。
今までならこういう空間にいながら外を眺めたりして、気持ちよく黄昏ていたはずなのに、今は虚しさでいっぱいになっていて、そばに誰かいてほしい。
サッカー部の掛け声が中まで響いてきた。前なら五月蝿いとしか思わなかったのに、楽しそうに聞こえた。一生懸命部活に、取り組むその声が羨ましく聞こえた。僕には何もない。性格も見た目も運動も勉強も何もかもがない。それに何も本気で取り組んだことすらいない。
「だっさ」
口から溢れた。自然と笑いも込み上げてきた――。
「何してんだ」
ドアの前に先生が立っていた。高笑いする僕を見て、引いただろうか。
「先生はリア充好きですか?」
「今は大嫌いだ」
「入らないんですか?」
「入ろうと思ったら、一人で大笑いしている新がいて、寒気がしたんだよ」
「⋯⋯それはすみません」
先生は隣に座ってきた。
「何で横に座るんですか」
「寂しそうに見えたからな」
「いい女アピールですか?」
「生憎だけど、そんなことをする相手はもういない」
何だよ、もうって。
「リア充はできる時にしておかないと後悔するぞ?」
「僕は別にいいですよ」
「新、変わったよ。何で私が新に話しかけてたかわかるか?」
「揶揄ってるんですか?」
「大真面目だよ」
少し考えて、初めて話しかけられた時のことを思い出してみたけど、わからない。
「僕みたいな気が弱そうで逆らわなさそうな人を手駒にとれば、色々楽だからですか?」
「捻くれてるなぁ。⋯⋯本音を言うと、寂しそうだったからだよ。ずっと独りで寂しそうで、構って欲しそうなオーラ出してたから」
「石川もいるし、そんなわけないじゃないですか」
「何となくそう思ったんだ。石川と話してても独りだったよ新は。なのに人を惹きつけないオーラも放ってて、意味わからないしな」
何言ってるのか僕もさっぱりわからない。
「要するに私は教師として、新のことを気にかけてたってこと」
「先生がそれっぽいこと言ってるの、なんか面白いですね」
「ひどいな。高校教師になった動機は不純だけど、私だってそれなりに考えて教師やってるんだ」
「何で高校教師になったんですか?」
「知りたいか?」
「いや、別に」
「ま、教えないけどね」
「どうでもいいですよ」
その日の夜、唄からのコールは来なかった。僕はLINEで、 新〉大丈夫? と送信した。
返信が来たのは数時間後だった。
唄〉今日電話できない。なんかそっけない対応しちゃったよね⋯⋯。大丈夫だから心配しないで!
新〉分かった
僕はこのLINEに既読が着くのを待った。朝まで既読がつかなくて、既読がついたと思ったらもう朝で、唄からの返信はなかった。