前回のあらすじ
未来は語る。
自分は生と死とを選ばされた。
そして選んだのがこの世界なのだと。





「どうして……?」
「どうしてって?」
「どうして、普通に生き返ることを望まなかったんだ……! お前にはそれができたんだろう……!」
「僕をかばってくれた紙月を見殺しにして?」

 さっと青ざめる紙月に、未来は苦笑いした。そんな顔をさせたいわけじゃない。けれど言葉を選ぶのは難しかった。

「紙月のこともあったよ。でも、それだけじゃない。紙月のことがなくても、僕はきっとこの道を選んでた」

 何故ならば。

「僕には、僕の身の置き所っていうものが、他になかったからね」

 未来は父子家庭だった。
 母は未来がまだ幼いころに、交通事故で亡くなってしまった。
 つくづく交通事故に縁があると思う。残された父親には申し訳のない死に方だ。

 けれど、死にゆく三十二秒間で、未来はふと思ったのだった。
 これでもう、邪魔はなくなるな、と。

 ずっと父の背中を見て育ってきた。それは確かに頼りがいのある背中だったかもしれない。しかし、同時に寂しく、孤独な背中だった。もうずいぶんと、父の顔を見ていないような気さえした。

 父はいつも朝早くに出勤し、夜遅くに帰宅した。帰れば必ず未来にただいまを言い、そしてそれを終えると力尽きたようにベッドに倒れた。
 未来をよい小学校に通わせるために、未来の生活を支える家政婦を雇うために、未来の将来の積み立てのために、父は一人孤独に働き続けていたのだった。

 愛されていたと思う。
 それは父なりの愛し方で、未来はその愛情をこれ以上なくはっきりと自覚し、受け止めていた。
 だがそんな愛情を受ければ受けるほどに、未来は感じるのだった。

 自分がいなければ、父はもっと楽ができるのではないか。
 再婚相手を探すこともできただろう。仕事も、もっと緩やかなものにできただろう。

 早く大人になりたかった。大人になって父を楽にさせたかった。
 けれど遅々として背は伸びず、時は進まず、本当のところ逃げ場を求めて始めたのが《エンズビル・オンライン》だった。

 誕生日に父が買ってくれた、小学生の身の丈に合わない立派なパソコンで、始めたのがゲームだったというのは、子供らしいと喜ばせたのか、子供っぽいと悲しませたのか、それはわからない。
 ただ確かな事として、《エンズビル・オンライン》は未来が安心して呼吸できる場所となった。
 だってそこには、紙月がいたのだから。

「ペイパームーン。紙月には本当に助けられたと思ってるよ」

 ただ広告につられるままに始めたゲームの世界で、何をどうしたらよいかわからず右往左往していた未来に声をかけてくれたのは紙月だった。まとめサイトのことも、クエストのささやかなコツも、ゲームを長く楽しむやり方も、みんなみんな、教えてくれたのは紙月だった。

 紙月自身が、自分のサポートとなるプレイヤーを探していたことはすぐに分かった。未来の意思を尊重しながらも、紙月自身のプレイスタイルに合うように誘導されていることもすぐに分かった。でもそれでよかった。それがよかった。
 だって未来には目的なんてなかった。ただ必要とされるのが心地よかった。自分がここにいてもいいのだと、そう言ってくれる人の存在が何よりも大事だった。

 そうだ。
 未来は誰かに必要とされたかった。
 誰かの助けになりたかった。

 父に愛されていることは知っていた。
 父に愛されていることはわかっていた。
 父に愛されていることを、本当は願っていた。

 きっと父は未来を愛してくれていたことだろう。まごうことなくそれは愛だっただろう。この世で何よりも尊い思いだっただろう。
 だがだからこそ、未来はそれが疲れに倦み、摩耗して元の形を失っていくことがつらかった。
 父の笑顔を最後に見た思い出が、どんどんと薄れていくことがつらかった。

 父はきっと未来を愛してくれていた。
 父はきっと未来を愛してくれていると思っていた。
 父はきっと未来を愛してくれていると、そう願っていた。

 でも現実的な話として、愛は絶対でも不変でもなかった。永久のものはこの世にはなかった。
 父が未来を愛することに努力を感じ始めるようになったことを、未来は中途半端に敏感に悟ってしまった。

 最初は純粋な慈しみであったものが作業になり果て、はじまりは確かな愛おしみであったものが惰性になり果て、求められることに疲れ果てて枯れ落ちそうな背中が父の姿だった。
 もはや顔さえもおぼろげにしか思い出せない、父の姿は枯れ木に似ていた。

 《エンズビル・オンライン》で紙月に求められ、未来はようやく気付いた。
 ああ、これが求められるということで、そして今自分はそれに依存しているのだと。
 父が失いつつある愛情を、この人に求めているのだと。

 それでも。

 それでも、それでもよかった。

 未来は誰かに愛されたかった。
 誰かに必要とされ、誰かに求められ、手を差し伸ばされてともに歩みたかった。

 だって、未来自身がそうしたかったから。
 誰かを愛し、誰かを必要とし、誰かを求め、手を握り締めて答えたかった。

 一人の人間に、なりたかった。

 だから未来は選んだのだった。
 愛することに疲れ果てた父を解放し、そしてまた、愛を求めることに疲れ果てた自分を解放するために。

「新しい世界を。そう望んだんだ」





用語解説

・愛
 それは人の数だけ存在するものなのかもしれません。