前回のあらすじ
第一村人発見なるも、どうも様子がおかしい。
聞けば危険なモンスターが出たとか。
ごめんなさい、やっつけちゃいました。
「ごめんなさい、多分それ全部やっつけちゃいました」
その瞬間の村人たちの「こいつ何言ってんの?」といった表情は、二人の胸に微妙に刺さった。素朴な村人たちの準備を無駄にしたこと、そして絶対に信じてねえなこいつらという理解が、二人の胸をちくちく刺した。
「ほ、ほっほっほ、小鬼の群れを全部やっつけたか、また勇ましいことを言いなさる」
冒険屋を名乗る男は笑って見せたが、それでもそこにはいくらか苛立たしげな様子があった。
それはそうだろう。冒険屋というのが響きの通り荒事の専門家だとすれば、この男はプロとして小鬼とやらの駆除を引き受け、それなりの覚悟のもとにここにいるはずなのだ。
それをあっさりやっつけちゃいましたなどと言われれば腹にも据えかねるだろう。
「まあ、そっちのでかい鎧の方……護衛の人かね、その人なら多少の、」
「あ、ぼくは何もしてないです」
鎧の中からの声に、再びのざわめき。その声の甲高さと、発言の内容に、二重に困惑しているようだった。
「じゃあ一体何かね、そっちのお嬢さんが一人で片付けたというのかね!? え!?」
「えー、まあ、そうなりますね」
「ふざけてるのか!?」
ごめんなさい、気持ちはよくわかります、などと言えば火に油を注ぐことになるだろうことは目に見えていた。とはいえどう説明したものかと紙月は悩み、それから、まあどうにでもなれと開き直った。一人ならばそんな開き直りはできなかっただろうが、なにしろ大概のことではどうにもならない、頼りの相棒がすぐ隣にいるのだから。
「大真面目ですとも」
「紙月ちょっとふざけてない?」
「ちょっとだけ」
「お前みたいな細腕に何ができるってんだ!」
「ちょっと魔法が使えまして」
紙月は左手を持ち上げて、指を動かす。傍から見れば幻惑的なその動きは、何ということはない、ショートカットキーを押す動きだ。
途端に《火球》の魔法が発動し、適当に空に向けてはなってやれば、中空ではじけて消えた。
そういえば、燃焼物がないのにこの炎はどうやって燃えているのだろうか。
紙月としては何となく、それこそぼんやりと火球を見上げたつもりなのだが、村人たちにはそれが大いなる余裕ある態度に見て取れたらしい。
「あ、あんた魔術師なのか」
「一応そうなる」
「しかし、いくら何でも一人じゃ小鬼の群れなんざ、」
どうやら魔法を使えることはそこまで不自然ではないらしい、と前向きな検討材料を一つ。
しかし男はそれでも納得がいかないようだった。
となると、普通の魔術師とやらは、小鬼が二十匹も出れば対処できないらしい。
ここで紙月は考えた。
一つは未来と協力して奮戦した、という形。これは物々しい甲冑姿の未来の姿から想像できる武力を考えても妥当な線だろうと思われた。一人一人では無理かもしれないが、二人がかりならやれるかもしれない。こうすれば、彼らの想像する普通の範囲内か、少し外れる程度の強さと認識してもらえる。
そうなれば極端に怪しまれることなく、また常識の範囲内の強さということで敬意も得られる。
もう一つは、紙月が一人で片付けたという、本来の形。これは男の反応からするとかなり常識を逸脱しているらしい。そうなるといらぬ警戒を招くかもしれない。信用されないだけならまだしも、信じられた上で、こっちの方が脅威度が上だと認定されて魔女狩りなんてルートも見えないではない。
安全度でいえば断然前者だが、しかし、小学生の未来を矢面に持ってくるようなのは話の上だけでも気に食わない。
だから後者を、と思ったところで、紙月の肩に不器用な手がのせられた。
「大丈夫、紙月?」
「……ああ、大丈夫さ」
未来からすればただ単に緊張しているのだろうとでも思って声をかけたのだろうが、紙月はそれで少し落ち着いた。将来的な安全を考えた方が二人の為に、つまり未来のためにもなるわけだし、第一、彼を相棒と呼んだのは紙月なのだ。相棒を一方的に守るなんて言うのは、信頼がないみたいじゃないか。
「こっちの鎧が見えません? こう見えて彼は立派な騎士様でね。彼が守って、俺が焼いた。全部じゃないかもしれないが、数えて二十五匹、仕留めたぜ」
そうして未来から勇気を得た紙月の言葉は、不思議と説得力を持って村人たちに受け入れられた。
冒険屋の男も、やや渋い顔ながらもそれならばと頷く他ないようだった。
「うーむ。いや、そういうことならば、あるのだろうな。証は取ってきたかね?」
「証?」
「うむ。小鬼ならば耳を切り取ってくれば、討伐の証明として安いが報酬が出る」
「なんだって? ああ、いや、でも」
「どうしたね」
「全部黒焦げで」
「ああ……いや、まあ安いものだからな」
聞けば一体分の報酬として得られるのは三角貨なる銅貨が相場で十枚で、これは安宿の一番安い飯くらいにしかならないという。逆に言えば、小鬼を一体でも倒せば、その日の一食分にはなるのだった。
確かに安いと言えば安い。
が。
「そう言えば俺達……」
「この世界のお金は持ってないね」
ゲーム内通貨はうなるほどあるのだが、見た目こそ金貨ではあるものの実態は知れたものではないし、本物の金貨であったらそれこそ両替が大変だ。何しろ銅貨十枚で安い飯が一食とかいうレベルだから、迂闊に金貨など出そうものなら追いはぎ天国もいいところだ。
ファンタジー世界に説明なしでゲームの体で放り出されましたに続いて、無一文というニューカマーである。そうとわかっていれば安かろうと焦げていようと多少グロかろうと頑張ったのに。まあ頑張ったところで安飯二十五食分。二人で分けて一日三食食べれば四日と少ししか持たないが。
「うん? どうかしたかね」
「ああ、いえ」
紙月は少し考えて設定を練った。
「いえね、彼と二人で旅してたんですが、やっぱり旅慣れないもんで、気づけば森に迷い込むわ、小鬼の群れに襲われるわで散々な上、もう路銀もなくてすっからかん、どうしたもんかと困っていたところでして」
一応、嘘は吐いていない。
短い間だが二人で森の中を旅してきたし、旅慣れていないし、気づけば森の中だったし、小鬼の群れに襲われたし、路銀がないのも本当だ。ただ言い回しに問題があるだけだ。
「なんとまあ。荷物は《自在蔵》かなんかに持っているのだとしても、そりゃ大変だったろう」
幸いにも冒険屋の男は信じてくれたようで、何度か頷いて、それから親切にもこう提案してくれた。
「どうだろう。わしは小鬼の群れの討伐を依頼されとる。そんで村の若い衆の力も借りて山狩りする予定だったんだが、あんたが倒しちまったってんなら話は早い。わしとあんたらで確認しに行って、討伐証明を切り取って帰ってくるのさ。わしはもともと人助けのつもりだったから、報酬はあんたらで分けるといい」
「え、いいんですか!?」
「なに、わしとしちゃ寝酒がすこし上等になる程度の話だったし、報酬もほとんど、集まってもらった村の若い衆で分けてもらう予定だったからな。お前さん方も、この可哀そうな二人に報酬を渡したんでいいじゃろ?」
若い衆は少し顔を見合わせたようだったが、それでもこの素朴な若者たちは、困った旅人に機会を分け与えることをまったく惜しまなかった。もともとが、自分たちの村を守ることで、そのついでに晩のつまみが一品増えればいいという具合だったのだ。
自分たちの代わりに仕事を片付けてくれた旅人に報酬を寄越すのは、彼らにしてみれば当然だった。
よし、よし、と頷き合って、冒険屋と二人の旅人は早速森に潜った。
道中簡単な会話を繰り返し、二人は冒険屋という男から細々とした知識を得た。そしてまた男もこの二人の恐ろしい世間知らずを思い知り、積極的に様々を教えてやった。
そのようにして小一時間ほどの道のりはすぐにも過ぎ、確認は早々と済んだ。
「いや、驚いたな」
「いやあ、照れるなあ」
「お前さん方のような世間知らずの箱入りがよくもまあ」
「あ、それ褒められてないのはわかる」
手早く小鬼の耳を切り取った冒険屋の男は、コメンツォと名乗った。道中での会話ですっかりと馴染んだこの男は、冒険屋を始めてもう四十年になるという。
冒険屋というものは、今回のように小鬼を退治したり、人々の細々と困ったことや、大掛かりに人足が必要な時などに数となったり、つまりは荒事が多めの何でも屋であるという。
コメンツォはそろそろ引退を考えているが、今回は生まれた村の依頼であったし、依頼主は友人でもあったことから、格安で引き受けたのだという。
「小鬼は危険は危険だが、数体くらいなら、大の大人ならのしてしまえるような相手だからな。報酬も安い。群れになる前に片付けてしまうのが一番なんだが、少しくらいと甘く見ているうちに、今度のように大事になってしまうんだ」
今回は発見が早かったこと、またコメンツォのような冒険屋が手早く支度を整えたことで、二人がいなくても被害は少なく済んだと思われたが、もし手遅れになっていたら、小さな村程度は壊滅していたかもしれないという。
「なにしろ小鬼は増えるのも早いし、増えりゃあ食うもんも足りなくなる。そうすると家畜に手を出すし、そうやって村人とも争う。たまに住み分けの出来ている群れも見かけるが、あれも塩梅よな。どちらかに傾けば、どちらかが崩れる」
残酷なようだが、人間が生きていく上では、やはり駆逐していくほかないのだという。
「今回は、あんたらのおかげで助かったよ。思ったより育った群れだった。わしじゃそろそろ、相手するのも骨だっただろう」
「いやいや、たまたまですって」
「偶然でも、助かった。少し見て回ったが、逃がした奴もいないようだ」
「わかるんですか?」
「奴らは足跡の消し方を知らん。逃げる時には特にな」
「はー、そんなもんですか」
「そんなもん、さ」
四十年選手の冒険屋は笹穂耳にちょいと口を寄せて笑った。
「実は何となくわかる程度なんだがね」
「えっ」
「村の連中の前じゃ、格好つけんと心配させちまうからな」
幸い、この日を境にしばらくの間、小鬼は出なかったという。
用語解説
・三角貨(trian)
この世界で一番額の小さな貨幣のようだ。
銅製で、丸みがかった三角形をしている、ギターでも弾けそうだ。
・《自在蔵》(po-staplo)
空間操作魔術による魔術具。外見以上の空間を内部に作り上げ、収容能力を高められた品物。
紙月たちのアイテムを収めているインベントリとは全く別のシステムによるもので、本来の《自在蔵》は単に見た目のサイズが小さいだけで、重いものを入れればその分重くなるし、容量も普通はそこまではない。
ネーミングはあの有名な漫画家小雨大豆先生の名作「九十九の満月」に登場する同様の効果を持つアイテム「自在倉」より。
・コメンツォ(Komenco)
引退間際の親切な冒険屋。
前回のあらすじ
無事小鬼討伐の証明を手に入れた一行であった。
見事小鬼たちの耳を切り取って帰ってきた三人に、村の若い衆は大いにその無事を喜んだ。また小鬼たちはすっかり退治されていて、しばらくの間は平和だろうことを伝えられて、もう一度沸いた。
「小鬼ってのは、まあ村人にとっちゃ天敵もいいところだからな」
連れだって村に辿り着いたころには日も暮れ始めていたが、若い衆が小鬼討伐の方を持って駆け巡ると、小さな村にこんなにもと思わせるほどの人々が顔を出し、盛大にこの一行を出迎えた。
「おお、コメンツォ、無事にやってくれたようだな!」
「いや、なんとこちらの旅の方々が手伝ってくれてな」
「なんと、それはかたじけねえ! ほらみんな、村の救い主様たちだぞ!」
コメンツォを出迎えたひときわ大柄な男は、村の村長であり、依頼を出したコメンツォの友人であるという。
この村長が大袈裟に声を張り上げると、村の一同がまるで拝むかのように集まってくるものだから、紙月も未来も思わず顔を見合わせた。
「いや、いや、すまんな。何しろ田舎者だから、素直というか、純朴というか」
「いえいえ、わかります」
「それに娯楽がないもんだから、お前さん方はいいカモだ」
「えっ」
「えっ」
「はっはっはっ」
わっと群がった村人たちは、次々に小鬼退治の話をせがんだ。頼りのコメンツォと言えばこちらも大いに盛りに盛った武勇伝で村の連中を楽しませているし、ついて行っただけの村の若集もそれにのっかるものだから、気づけば小鬼たちは総勢百体を超す軍隊となり、紙月の魔法も森を焼くような神話の世界の魔法のように語られた。
勿論、いくら純朴な村人たちと言えど、これが出鱈目で、精々が十か二十くらいのを囲んで退治したのだということは察しがついている。だが盛り上がれるときに盛り上がれなければ、こう言った村には本当に娯楽というものがないのだった。
静かな農村はすぐにも祭の様相を示し、あちらこちらで出鱈目に楽器の音がし始めるや、誰が決めたでもなくそこらで輪ができて、歌うもの、踊るもの、はやし立てるものがそれに続いた。そしてやがてそれらは一つの大きな輪になって、人々はかがり火を中心に踊りだした。
「わーお」
「すごく……その、ノリのいい人たちなんだね」
「暇な農村なんてこんなものさ。忙しいときは忙しいが、暇なときは本当に暇だから、持て余した時間で磨いた芸達者が多いしな」
少しして落ち着いて、楽器を弾いていた男たちが、彼らなりに精いっぱい都会風にこじゃれた礼をして見せた。
「やあ、やあ、あたしら暇人楽団の腕が錆びつく前に、朗報を持ってきてくださってありがとうよ」
「なにしろ村の祭以外じゃうるさいって追い払われちまうもんだから」
「今日は普段静かにやってる分、盛大にやらせてもらうよ」
太鼓のようなもの、マンドリンのようなもの、ヴァイオリンのようなもの、笛のようなもの、それぞれに楽器を携えた暇人楽団とやらたちは、素人楽団にしては実にいい音色を響かせて、紙月たち旅人に挨拶して見せた。
「歓迎されてるぜ」
「なんだか恥ずかしいかも」
「よーし、お返しに俺達も楽しませてやろう」
「え、なに?」
「祭と言ったら、決まってる。踊るのさ」
「ええ!?」
紙月が面白がって、ステータス画面から装備を変えた。動きやすい靴にしたのだ。
「安心しろ、ダンスはちょっとやったことがある。リードしてやるよ」
そう言って輪に飛び込んでしまうから、未来もおっかなびっくり続くしかない。
田舎の村に似合わない洒落たドレスの魔女と、見上げるような大甲冑に人々は最初どよめいたが、面白がった暇人楽団が盛大に一曲やり始めると、場はすぐに盛り上がった。
「さあほら、手を引いて、右、左、お次はターンだ」
「わ、わわ、わあ!」
「よしよしいい感じだ」
紙月がリードし、未来がそれになんとかついて行き、くるりくるりと出鱈目に踊り出すと、人々もまたそれを真似て踊り出した。
誰がか酒を開けたらしく、場は一層盛り上がる。
コメンツォが後で説明してくれたところによれば、こう言う祭は、吟遊詩人を連れた見世物の一行がやってくるときや、年に一度の祭の時くらいしかないらしく、娯楽に飢えた人々にとって今回の小鬼退治は、それに匹敵するくらいの朗報であったらしい。
また、彼らが気兼ねなく酒を開け騒げるのは、二人のおかげで誰も怪我をすることなく帰ってこれたからだという。いくら小鬼相手とはいえ、場合によっては大怪我を出してもおかしくなかったところを、貴重な働き手がみな無事で帰ってきたのだ。これ以上の朗報はない。
地に足を生やして生きるような農村の人々にとって、これがどれだけ生きる活力につながるかと、感謝されてかえって気恥ずかしくなったほどだった。
踊りがひと段落すると、今度は御馳走の出番だった。祭の合間合間で飯の支度を拵えてくれた女たちが、次々にテーブルを持ってきては並べて、その上に祭の御馳走を並べていった。
ご馳走と言えど何しろ何の準備もなかったことであるし、貧しい農村であるから、そんなに大したものが出るわけではない。それでも主役の二人の前には農村としては実に豪勢に盛りつけられた料理が並んだ。
「おお、すごいな! こいつはなんです?」
「うん、うん、お前さん大嘴鶏は見たことあるかね、ほら、小屋につないであった鶏がいるだろう」
「ああ! あの乗れるくらい大きな!」
「実際乗れるんだが、あれの肉と卵を使ったオーヴォ・クン・ラルドだ。ものは簡単だが、何しろ見た目が豪勢だろう」
「確かに、こんなに頂いていいんですか?」
「なに、お前さん方が主役だ!」
大皿にどんと盛られたのは、山盛りのふかし芋に、分厚いベーコン、それにダチョウの卵かと思う位に大きな目玉焼きだ。さらりとした黒いソースがかかっている。
卵は半分に切られていたが、それでも普通の鶏の卵が十かそこらはいるだろう大きさだ。
「普段は卵はスープに割り入れたり、村で分けたりするんだが、祭りのときはこうして主役に食ってもらうのさ。都会じゃまずこんなのは見れないだろう」
ふかし芋はどこかねっとりとして山芋のようだったが、素朴な塩味が利いていて、なかなかに飽きがこない。それに腹にたまる。
ベーコンは、これは変わった感じだった。豚ではなく、大嘴鶏という巨大な鶏のベーコンなのだ。少し肉質が固いようにも感じられるが、皮の部分の脂身と足してちょうどよい具合だった。それにしてもこんなに巨大な鶏の肉というのは、驚きだった。
卵の方は、これが最も驚いた。
卵自体の味は、いつも食べている鶏の卵と同じか、少し味が濃く感じる程度だったが、これにかけられているソースの塩気と言ったら、まるで醤油のそれなのだ。動物質のこってりとした味わいではあるのだが、同時にさっぱりと力強いうまみのある塩気だった。
「んー! これ美味しいです!」
「お、猪醤が気に入ったかね!」
「アプロ・サウツォって言うんですか! 地元の味に似てます!」
「そうかそうか! 角猪が取れ過ぎた時にしか作らんのだがね、今年は随分獲れたから、多めに作ったんだよ。良かったら一瓶持っていくかね」
「喜んで!」
酒が入っているからか、祭の勢いなのか、実に太っ腹な話だ。
一升瓶ほどの土瓶に入った猪醤をインベントリにしまい込んで、紙月はほくほく顔だ。
今後、日本の味が恋しくなった時に、まあ魚醤と醤油くらい違うは違うが、懐かしむ程度には楽しめそうだ。
「あのさ、紙月」
「ん、どうした未来。食わないのか」
「ぼく、鎧脱がないと食べられないじゃん」
「あ、そっか」
紙月は少し考えて、それから、大きく手を打ち鳴らせると、かえって人の目を呼んだ。
「さあさお立ち合い! 小鬼退治を頑張ってくれた俺の仲間を紹介しよう!」
「ちょっと紙月!?」
「見るも勇猛、見上げるような巨体だが、何しろこいつは魔法の鎧! さあさ中身を御覧じろ!」
ほら未来、と急かされて、仕方なしに鎧をインベントリに放り込むと、以前と同じように鎧は端から外れて虚空へと消えていく。その光景に一同は大いにざわめいたが、その中身、つまり未来の子供の姿が現れると大いに沸いた。
「なんとあんた、そんな子供だったのかね!」
「そのなりでえらいねえ!」
「よし、よし、一杯食べるといい!」
特に女たちからの人気が大きかった。
小さな子供に守られたと村の若集はちょっと気不味い顔だったが、それでも誉めそやされて調子に乗った未来が、御馳走の乗ったテーブルを片手で持ち上げる段にはかえって大いに盛り上がった。
未来は姿こそ子供だし、実際も小学生だが、一年間紙月がみっちりとパワーレベリングを施した、レベル九十九の《楯騎士》だ。防御に特化しているとはいえ前衛職、その腕力は並の男たちでは敵うまい。
若衆たちが酔いに任せて次々に腕相撲を挑んでは、ころりころりと紙相撲のように転がされて行く様はいっそ面妖だ。
一方で、最初から近接戦闘を積極的に捨てている紙月などは、御覧の通りの腕力しかないが。
(というより、下手すると前の体より落ちてるかもしんねえな)
何しろ装備の中には、力強さと引き換えに魔法的能力を上げるものもある。そうでなくても非力なハイエルフなのだから、何かあった時の為に軽くトレーニングくらいしてかないとまずいかもしれない。体力資本の世界のようだし、必要ないということはあるまい。
などとぼんやり考えていたら、不意に体が宙に持ち上がり、ぎょっとさせられる。
「お、わっ、なんだ!?」
「どう紙月? ぼく、こんなに力持ちだよ?」
見れば未来の小さな体が、平然と紙月の体を抱き上げていた。
腕相撲でひとしきり若衆を転がして、次の力自慢ということらしい。あたりを見れば中年たちが無理をして、嫁さんたちを抱きかかえては腰を痛めていた。
「わ、わかったわかった、怖いからおろしてくれよ」
「紙月は怖がりだなあ」
などと言いながら未来は一向におろしてくれない。祭の空気にあてられたかと思えば、ずいぶん顔が赤い。
「ひっく」
「お前、もしかして、飲んでんのか?」
「飲んでない、っく」
「飲んでんだな?」
「飲んでないもん」
明らかに酔っ払いの言動である。
叱りつけてもいいが、小学生の酔っぱらいなど相手にしたことがない。どうしたものかと紙月が頭を抱えていると、不意にずるずると未来の体から力が抜けて、紙月も自然と解放される。酔いつぶれたらしい。
「まったく、まるで子供だ、というべきか」
そりゃあ、子供なのだ。
ここまで気を張ってくれたことの方を、むしろ褒めてやるべきだろう。
「すまないが連れが潰れちまった。どこか屋根を貸してもらえるかい」
紙月の小さな体を抱き上げてコメンツォに告げると、村の客だからと村長の家の客間を貸してもらえた。
ベッドは一つだったが、細身の紙月と小さな未来には、ちょうどよいサイズだった。
用語解説
・大嘴鶏(Koko-ĉevalo)
極端な話、巨大な鶏。
草食よりの雑食で、大きなくちばしは時に肉食獣相手にも勇猛に振るわれる。主に蹴りの方が強烈だが。
肉を食用とするのは勿論、騎獣として広く使われているほか、日に一度卵を産み、また子のために乳も出す。農村でよく飼われているほか、遊牧民にとってなくてはならない家畜である。
一応騎乗用と食畜用とで品種が異なるのだが、初見の異邦人にはいまいちわかりづらい。
・オーヴォ・クン・ラルド(ovo kun lardo)
要するにベーコンエッグ。
・猪醤(aprosaŭco)
肉醤(viandsaŭco)の一種で、ここでは角猪を用いた調味料。
肉、肝臓、心臓をすりおろしたものを塩漬けにして、発酵・熟成をさせたもの。酵素によってたんぱく質がアミノ酸に分解され、力強い旨味を醸し出す。
・角猪(Korn-apro)
森林地帯に広く生息する毛獣。額から金属質を含む角が生えており、年を経るごとに長く太く、そして強く育つ。森の傍では民家まで下りてきて畑を荒らしたりする害獣。食性は草食に近い雑食だが、縄張り内に踏み入ったものには獰猛に襲い掛かる。
・《楯騎士》
ゲーム内《職業》のひとつ。
武器を装備できない代わりに、極限まで防御性能を高めることのできる浪漫職。
遅い、重い、硬いの三拍子そろって、扱いづらい。PvP、つまり対人戦では、並のボスより硬いとして敬遠されるが、攻撃手段がほとんどないため、味方との連携が試される。
前回のあらすじ
未成年の飲酒、ダメ、ゼッタイ。
翌朝目を覚ますと、未来はすでに目を覚ましていた。
「あ、お、おはよう紙月」
「ん……おはよう、未来」
寝起きの悪い紙月とは異なり、未来はすっかりパッチリ目を覚まして、歯など磨いているくらいだった。
「……歯?」
「どうしたの?」
「歯ブラシなんてよくあったな」
時代設定どうなってんだと首を傾げた紙月に、未来はおかしそうに笑った。
「インベントリあさってみなよ。これゲームのアイテムだよ」
「アイテム……あー、《妖精の歯ブラシ》か!」
それはMMORPG、《エンズビル・オンライン》内において手に入れることのできたアイテムだった。
象牙でできた実に立派な歯ブラシなのだが、実は装備品で、これを装備した状態で敵を倒すと、《牙》や《歯》といったドロップ・アイテムが、店売りするより高額なゲーム内通貨として手に入るという特殊な効果があった。
何かのイベントの際に活躍するときがあって、持っていたままだったのだ。
桶に汲んだ水で顔を洗い、歯を磨き、いくらかさっぱりした紙月は、ふと思いついて着たまま寝てしまった装備を改めてみた。
「……皴にもなってないな」
「口紅も落ちてないね」
「え、あ、そういえばそうか。顔洗ったのにな」
しかしこの口紅は装備品だ。恐らくステータスメニューで操作することで解除できるのだろう。
他にも一通り見てみたが、寝ている間にしわが寄ったり、ほつれてしまったりというところは見られない。ゲーム内アイテム様さま、と言ったところか。
「にしても……」
気になってわきのあたりなどに鼻を寄せてみたが、体臭もしない。
先程身だしなみを確かめてみた時に気付いたが、髪も脂っぽくなったりしていない。顔を洗った時や歯を磨いた時も、そこまで汚れを感じなかった。
気になりだすと確かめずにはいられなくなって、紙月は未来を呼び寄せた。
「おーい未来」
「なにしづ、きっ!?」
「ちょっとごめん」
紙月は未来の頭に鼻先を突っ込み、それからひょいと抱き上げてわきのあたりにも鼻を突っ込んだ。
暴れることもせず、というよりは突然の暴挙に完全に硬直してしまった未来をそのままおろし、紙月は満足したようにうなずいた。
というのも、未来の体からはきちんと匂いがしたからであった。
髪の毛は少し脂が回っているし、体臭も、まだ一晩だから大したものではないが、子供っぽい匂いが確かにした。自分の体の体臭がごくごくわずかなことに比べるとこれは大きな違いだ。
「どうやらこの体はきちんと種族を再現してるみたいだな」
「うえ!? え!? なに!? いまのなに!?」
ようやく再起動して後ずさる未来を気にすることもなく、紙月は自論を展開していく。
「つまりさ、俺の体はハイエルフなんだけど、もともとエルフは新陳代謝が低いらしいんだよな。ハイエルフとなると半分精霊に片足突っ込んでるから、多分新陳代謝が全然ないんだ。だから垢もないし、匂いもしない」
これは便利だった。恐らくデメリットの再現も享受しなければならないだろうが、非力さなどは相方がいればどうとでもなる。
「で、獣人の場合は新陳代謝は普通みたいだな。特に獣臭いってこともない。でも普通に匂いはするし、多分しばらくすれば垢も目立ってくるだろ」
「あー……あー、そういうこと、ね。うん。そっか」
未来は何度か頷いて、それから気になるのか何度か自分の匂いを嗅いでいた。
「気になるなら洗ってやろうか?」
「えっ、あらっ!?」
「《浄化》かけりゃ多分綺麗になるだろ」
「え、あ、あー、うん、そう、そうかもね」
《浄化》というのは魔法《技能》のひとつで、汚泥や汚損といったステータス異常を回復するものだ。
試しに実際にやってみたところ、未来の足元から頭まで水の柱のようなものが速やかに撫で上げていき、そして消えていった。
「結構あっさりしてんな……どうだ?」
「匂いが薄くなってる。それにお肌もつるつるだ」
「美肌効果もあるんじゃないだろうな」
ともあれ、これで旅の心配は一つ減った。
他にも使えるものがないか、インベントリをあさってみると、なかなか頼れそうなものがいくつか見つかった。例えば回復系アイテムは食料品の形を取っていることが多く、素材の多くも食べられそうなものばかりだ。またアイテムには野営に役立ちそうなものも多かった。
「ただ、換金できなさそうなのがつらいな」
「多分これ一個でもオーパーツだもんね」
昨日見た限りでは、少なくとも農村レベルではそこまで非常識なものの類はない。街や都市などに行けばもう少しはっきりしてくるのだろうけれど、現状では気安く経済を破壊してしまってよいとも思えない。
二人が整理もそこそこに起き出すと、とっくに起きて仕事についていた村長は畑で、奥さんが屑野菜のスープと硬いパンの朝食をふるまってくれた。昨夜とは大違いだが、恐らくこれが標準なのだろう。
紙月がもそもそと食欲もわかないまま食べている間に未来はペロリと平らげてしまったので、残りも譲った。
「いいの?」
「ハイエルフってあんまり食べないみたいなんだよ。昨日食べたせいか、全然食欲がない」
これは便利であると同時に、かなり悔しい話でもある。せっかくの異世界の料理が楽しめない可能性も出てきたのだ。まあ幸いにも獣人の相方はずいぶん食べそうだから、二人で分ければちょうどよいかもしれない。
簡単な朝食を済ませ、二人は村長とその奥方に礼を言って家を出た。
何をするでもなくぼんやりと村を見て回っていると、同じように暇そうなコメンツォと顔を合わせた。
「よう。昨日は随分と楽しい夜だったな」
「やあ、お陰様で」
「なに、なに、お陰様はこっちの言葉さ。随分盛り上げてもらった」
コメンツォはあぜ道に腰を下ろし、二人もまたそれに続いた。
「ここは俺の故郷でね。若い頃は二度と帰るもんかと思っていたが、年を食ってくると、どうしても足を運んじまうもんだ」
「そろそろ引退を考えてるんでしたっけ」
「そうだ。最後の一仕事のつもりだった。実際、気が抜けちまうと、もう一度冒険屋ってのは、ちと、つらい」
「村の仕事に?」
「まあ、そうだな。狩人でもいいし、用心棒みたいな形でもいい。幸い、村長とも仲がいい。小さな畑でも持って、な。まあ耕し終えるまでに、俺の腰も曲がっちまうかもしれんが」
この言葉を聞いて、紙月はふと思いついた。ずいぶんよくしてもらったし、礼をしたいと思っていたのである。
「家は決まってるんですか?」
「空き家が一軒ある。畑跡は随分土が固くなってるから、掘り起こすのが少し骨だがな」
それで決めた。
「俺の魔法の練習に付き合ってもらえませんか」
「なに?」
「畑を耕す魔法があるんですよ。礼と思って」
「頼めるなら、こちらから頼みたいが、いいのかね」
「もちろん」
素直に礼をしたいといっても、受け取ってもらえそうになかったからである。これはコメンツォも察したようで、ばつの悪そうににやっと笑って、それからこっちだと案内してくれた。
村はずれの空き家の傍には、確かにすっかり雑草にまみれて、荒れ地になった畑の跡がある。
「草を抜いて、耕して、呼吸させてやらにゃならん。草を焼き払ってもらうだけでも、助かるが」
「やってみましょう」
紙月はまず、小鬼たちを仕留めた時と同じように、《火球》で草を焼き払った。あとに残らず、燃え広がず、瞬間的に焼き払ってくれる魔法の火は、雑草だけを綺麗に焼いてくれた。
「おお、すごいな。こりゃあ確かに小鬼どもも敵うまい」
「それからもういっちょ」
ショートカットリストを、土属性魔法のものに切り替える。
「《土槍》」
《土槍》は、土属性の最初級の魔法《技能》である。
効果は簡単で、地面から土の槍を突き出して、相手を足元から攻撃する。これだけだ。空を飛んでいる相手には届かないし、水場などでも使えない。低確率で敵を転倒させられるが、そのくらいのメリットなら、普通はもっと上等な魔法を覚える。
それを三十六連。
「お、おおっ!?」
するとどうなるかというと、焼き払われた畑跡の土が、おのずから一斉に地面をかき回しながら地中から突き出し、そして崩れていく。
「いまのじゃ浅いかもしんないから、もう一回」
もう三十六連。
同じように土がかき乱されるが、先程よりも柔らかくなっているからか、より深いところから土が掘り出され、立派な槍となって虚空を貫き、そして崩れる。
あとに残るのはすっかり柔らかく耕された畑である。
「あんた……すごい魔法使いなのかもしれんな」
「特別サービスってことで」
《SP》を使用する感覚なのか、すうっと体から何かが抜けるような奇妙な心地がしたが、それもすぐに回復してしまう程度のものでしかない。
「参ったな。これじゃあしっかり畑仕事して、村に根付くしかないな」
「しっかり根付いてくれよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
自分は助かったが、あんたたちはこれからどうするのかと尋ねられて、二人は顔を見合わせた。
目的という目的もなく、目標という目標もないのである。
強いて言うならば元の世界に帰ることだが、そのヒントが簡単にそこら辺に転がっているとも思えない。
なので素直にとくにあてもないと伝えると、コメンツォは少し待っていてくれと小屋に入り、少したってから封筒を手に戻ってきた。
「当てがないなら、あんたらの腕だ、冒険屋で食っていくのはどうだ」
「冒険屋?」
「何をしてもいいし、何をしなくてもいい。何か目的があるなら、それを探しながら冒険屋で食っていくってのはありだと思うぞ」
コメンツォが渡してくれた封筒は、推薦状だという。
「少し行った先にある町の冒険屋事務所に宛てたものだ。俺が抜けたばかりだから、雇ってくれると思うよ」
「なにからなにまですみません」
「なに、なかなか面白いものを随分見せてもらったからな」
「ありがとうございます」
「町までは少し、歩く。明日はうちから市へ向かうものがあるから、明日の朝、一緒に行くといい」
そうさせてもらうことになった。
用語解説
・《妖精の歯ブラシ》
ゲームアイテム。装備した状態で敵を倒すと、ドロップアイテムのうち《歯》や《牙》に該当するアイテムが店舗での販売額よりも高額のお金に変換されて手に入る。
『おや、歯が抜けたのかい。それなら枕の下に敷いてみるといい。翌朝には妖精がコインに換えてくれるから……おや、だからって抜いちゃダメだったら!』
・《浄化》
魔法《技能》の一つ。汚泥、汚損、毒、呪いといったステータス異常を回復させる。
『《浄化》の術で気を付けにゃならんのは、カビの生えたパンにかけても、腹を下すか下さんかは運しだいちゅうことじゃな』
・《土槍》
《魔術師》やその系列の《職業》覚える最初等の土属性魔法《技能》。
地面から土の槍を繰り出す魔法であって、地面を耕すのが目的ではない。
ただし、レベル九十九まで鍛えられた《魔術師》が使えば、いくら最初等の《技能》とはいえ、どんなかたい地面でも耕すことができるだろう。。
『足元からの攻撃というものは、どんな戦士にもある程度利くもんじゃ。褒めてやるからわしに悪戯を仕掛けた奴は名乗り出なさい。怒らんから』
前回のあらすじ
冒険屋コメンツォの推薦で、当座の目的として冒険屋を目指すことにする二人だった。
その日は一日、村の中を何となく歩いて、気が付いた時にちょっとした手伝いをしてみた。力仕事であれば小さくとも未来が役に立ったし、作物の育ち具合がいまいちよろしくないとなれば、紙月が《回復》をかけてやれば解決した。
そのようにして一日を潰し、村長の家で再び休ませてもらい、翌朝、出立となった。
農村の朝は早く、特に市に出るからには、日の出る頃には出立だという。
未来はともかく紙月は起きる自信がなかったので、《ウェストミンスターの目覚し時計》というアイテムをセットした。
これは本来ステータス異常である睡眠状態を回復させるアイテムなのだが、時刻を定めてアラームを鳴らすこともできる文字通りの目覚し時計だった。
日の出より恐らく少し早めだろうという時刻に設定してみれば、リンゴンリンゴンという鐘の音とともに、恐ろしくすっきり目覚められた。まどろみすらない。疲れた感じもない。完璧な目覚めというものがあるのならば、あるいはこのようなものなのかもしれない。
未来は目を覚まして目の前に紙月がいるという状況に最初慌てたが、すぐに現状を思い出したのか、気恥しそうに朝の身だしなみを整えた。ベッドが一つしかないから、一緒に使っていたのである。
二人が身だしなみを整えて村長の家を出ると、気の利いたことで、巨大な鳥の引く荷車が家の前に停まっていた。
「やあ、すまない。待たせたかな」
「いんや、早めに来とったんでさ。森の魔女様を待たせたら申し訳ねえんで」
昨日一日、村のあちこちで人助けした二人は、すっかり森の魔女とその騎士として敬われるようになっていた。
否定してもきりがないしそのままにしているが、何とも、気恥しい。
乗ってくれという言葉に甘えて二人は早速荷車に腰を下ろしたが、実に揺れる。
サスペンションも何もないような簡単な作りであるし、道も、舗装されているとはいいがたい、踏み固められた土の道だから、これは仕方がない。
揺れに慣れている紙月は尻が痛いなと思う程度だったが、未来は落ち着かないようで、何度も座り方を変えてはいるようだった。
「その町って言うのには、どれくらいで着くんだい」
「そうですなあ、一里ほどですから、まあ半刻も見てもらえれば」
「どのくらいって?」
「一時間くらいらしい」
コメンツォから聞いたところによれば、時間は日の出から日の入りまでを六つに分けて、一刻二刻と数えるらしい。不定時法なのではっきりと定まっているわけではないが、仮に十二時間を六つに分けていると考えれば、一刻で二時間、半刻で一時間ということになるだろう。
最初のうちは物珍しくあたりを見る余裕もあったが、なにしろなにもない。すぐに飽きてしまって、今度は今後の方針や現状といったものを話し合ってみたが、なにしろお軽い当世の大学生と、まじめだが経験の乏しい小学生である。すぐに話は行き詰った。
仕方なしにしりとりでもしてみるが、これはなかなかに面白い収穫を得られた。
「りんご」
「ゴマ」
「孫の手」
「手袋」
「六波羅探題」
「なにそれ」
「そのうち歴史で習う」
「ふーん……い、い、イルカ」
「かもめ」
「めだか」
と本人たちは順調にやっていたのだが、これがふしぎと御者席の村人にはさっぱりルールがわからないらしい。
「そりゃ、魔女様の禅問答か何かですかい?」
「いや、これは、あ。あー、いや、そんなものさ。気にしないでくれ」
「どうしたの?」
「しりとりは俺達の間でしかできないようだ」
何故かと言えば、言葉が通じているように見えるのは謎の自動翻訳によるものであって、実際には全然違う言葉をしゃべっているのだ。だから単語も全く別の発音をしているはずで、それらの頭をとっても尻をとっても、彼らの言葉と日本語とでは全く違うのだから、成立しようがない。
「はー……じゃあまず言葉を覚えないとしりとりもできないね」
「なまじ通じちまってるから、覚えるの大変そうだな」
そのようにして妙に間延びした一時間を経て、一行は町へたどり着いた。
町は簡単な柵で覆われてはいたが、精々が建物を立派にして、道も舗装してあるかという程度で、村を大きくしたようなものと言った規模であった。聞けばもっと大きな街などは外壁があるようだが、ここにはそのようなものはない。
一応の門があって、村人はそこで手形を出して、通過した。彼とはここでお別れである。
二人の番が来て、身分証明か通行手形を出すように言われたので、コメンツォに言われたように推薦状を出すと、コメンツォの名前が利いた。
「なんだ、コメンツォさんの知り合いか。事務所は大通りをまっすぐ突き抜けて、左手の方に看板が見えてくるよ」
「看板?」
「大きな斧の形をしてる。すぐわかるよ」
「ありがとう」
二人は町に入り、未来は早速事務所に向かおうとしたが、紙月がそれを止めた。
「先に鎧を着ちまえ」
「どうして?」
「街中ではぐれても困るし、それに、冒険屋ってのはきっとやくざな連中だろう。俺と、小学生のお前じゃ、舐められるかもしれん」
「成程。鎧ならそんなことないもんね」
「そういうことだ」
物陰で着替えて、ふたりは早速大通りを進んでいった。
大通りには方々の村から集まった人たちによって市が形成されていて、作物や、卵、肉や種、苗、中には石や木材、薪といったものまで、さまざまなものが売りに出されていた。
気にはなるが、それはこの一風変わった二人組に向けられる視線も同じようで、足を止めたらそのまま捕まりそうだと、二人は颯爽と通り抜けようとして、紙月がピンヒールに慣れず転び、結局抱き上げられて進むこととなった。
「すまん」
「靴替えたら?」
「せめてお前と目線合わせようとすると、ヒールでもないとなあ」
「ああ、うん、そう、それならしかたないかな」
余計に目立つようになったので速足で進むと、やがて市が途切れ、きちんとした店舗を持つ店が並ぶ通りに出た。
左手を見て歩くと、確かに大きな斧の形をした看板が見える。
「というより」
「大きな斧になんか書いてあるって感じだよね」
実物の大斧にしか見えない。それも、未来が両手で持ち上げてどうにか様になるといった巨大な斧である。勿論、張りぼてではあるのだろうが、確かに目を引くし、威圧感もある。
実態はよく知らないが、冒険屋という響きには実に似合っていた。
建物は二階建てで、外から見た感じ、ちょっとした下宿かアパートといった感じだ。
ドアを開けて中に入ってみると、中身も実際そんな感じで、すぐ横に受付のような、カウンターがあるばかりである。
成程これが冒険屋の事務所なのか。と思って見回してみる。
のだが。
「……あれ?」
「誰もいないね」
「朝早すぎたか?」
市にやってくる荷車に乗せてもらったんだから、確かに朝は早い。早すぎるほど早いのかもしれない。街の人間の生活リズムは知らないが、夜明けから一時間後というのはまだ寝ている時間帯なのかもしれない。
「というか、俺なら寝てる」
「ぼくも起きたばっかりとかかな」
「出直すか?」
「うーん、暇をつぶせるところがあるといいんだけど」
「あれ、お客さん? 早いね」
二人がドアを開けたところで問答していると、後ろから声がかかる。
「ごめんだけどちょっと詰めてね。荷物が多いもんだからさ」
「あ、ごめんなさい」
二人が道を開けると、両手にたっぷりの袋を抱えた女性がよっこらせと入ってきて、カウンターにそれを積み上げる。中身は食料品の類のようだ。
女性はがっしりとした体躯ながらも柔らかい顔立ちで、いかにも下宿のおかみさんといった風貌だった。
「こっちこそごめんなさい。ちょっと買い出し出てたから。えーと、お客さん?」
「あ、いえ、紹介があって」
「紹介?」
紙月が推薦状を渡すと、女性は中を改めて、ふむんと頷いた。
「なんだ、冒険屋の推薦か。コメンツォの推薦ってことは凄腕だね?」
「いやあ、比べたことが」
「やだねえ、冒険屋やろうってんなら、そこは胸を張らなきゃ。見栄があたしらの名刺じゃないか」
からからと笑うおかみさんは、よし、よしと頷いて、二人を頭のてっぺんから足元まで眺めた。
そしてまたよし、よし、と頷いて、カウンターの奥に引っ込んだ。
「なんにしろ、若手が来てくれるのはありがたいよ。コメンツォが抜けてちょっと困ってたんだ」
「じゃあ雇ってもらえます?」
「推薦状もあるし、断るほど人出がないんだよ」
改めて受付のカウンターに腰を下ろして、おかみさんはにっかり笑った。
「なにはともあれ、ようこそ《巨人の斧冒険屋事務所》へ。あたしは所長のアドゾ」
「あー。紙月です。よろしく」
「未来です」
こうして、冒険屋事務所へとたどり着いたのだった。
用語解説
・《回復》
最初等の回復魔法《技能》。《HP》を少量回復する。より上位の回復魔法も存在するが、ボスなどと戦う場合には、専門の回復職でもなければ回復薬に頼った方が効率は良い。
『《回復》は覚えておいて損はないぞ。大概の傷には効くし、重ね掛けもできる。問題は、なんで治るのかはいまだにわからんちうことじゃな』
・《ウェストミンスターの目覚し時計》
睡眠状態を解除するアイテム。効果範囲内の全員に効果があり、また時刻を設定してアラーム代わりにも使用できた。
『リンゴンリンゴン、鐘が鳴る。寝ぼけ眼をこじ開けて、まどろむ空気を一払い、死体さえも目覚めだす』
・《巨人の斧冒険屋事務所》(Toporo de altulo)
スプロの町(Spuro)に存在する冒険屋事務所のひとつ。
荒くれ者が多く、看板に斧を飾るように、所属する冒険屋も斧遣いが多い。
・アドゾ(Adzo)
《巨人の斧冒険屋事務所》の所長。
四十がらみの人族女性。
怪力を誇り、看板の斧を持ち上げることができるのは彼女の他数名しかいないという。
前回のあらすじ
冒険屋事務所に辿り着いた二人を出迎えたのは、いかにもなおかみさんであった。
無事冒険屋事務所に辿り着き、早速冒険屋になる、というわけにはいかなかった。
というのも、じゃあさっそくこれに名前を、と言われて取り出された契約書が読めず、書けなかったからである。
「なんだい、あんたら文字ができないのかい」
「いやあ、森から出てきたもんで」
「なんだそりゃ。でも文字が読めなきゃ困るね。書けない分には適当な文字でいいんだけど、読めないと、後で揉めるからって組合で止められてるのさ」
もっともな話である。
とはいえ急に文字を覚えるというとも難しいなと顔を見合わせていると、アドゾはパンと手を叩いた。
「よし、よし、じゃあ紹介状書いたげるから先に神殿に行っといで」
「神殿?」
「このまま大通りを左に歩いて行って、突き当りに神殿があるから、そっちで覚えてくるといい」
そう言って放り出されてしまったが、さすがに途方に暮れる二人である。
「神殿、ねえ。教会とか神殿とかが読み書き教えてくれるってのはそれっぽいけど」
「どれくらいかかるかなあ」
「一年で済むと思うか?」
それまで路銀をどうしようと思いながら取り敢えず向かってみると、なるほど立派な建物の並ぶ通りに出る。
道行く人に聞けば、このあたりの建物はみな神殿で、それぞれに神様を祀っているという。
二人が行くように言われたのは言葉の神エスペラントの神殿である。
道行く人はみな神殿に足を運ぶだけあって人が良く、聞けばこれこれこう行ってと親切に道を教えてもらえた。
「はいはい、迷える人よ、今日はどうしました」
顔を出してみれば受付のようなものがあり、声をかければなんだか神父なんだか牧師なんだか医者なんだかよくわからないことを言われる。
「読み書きを覚えて来いと言われまして」
「はいはい。どなたかの紹介?」
「あ、はい。これ紹介状です」
「あー、アドゾのところの。お金はあります?」
「いや、全く」
結局小鬼の分の報酬は事務所で換金してもらおうと思っていたのだが、そのまえに放り出されたのである。
「いいですいいですよ。組合に通しておきますので。それでどうしましょうか。読みだけなら二十分くらい。読み書きなら三十分くらいですかね」
「えっ」
「えっ」
「そんなに早いんですか」
「朝早いからまだ空いてますしね」
どういう理屈なのか。
しかし三十分で読み書きができるようになるならばと申し込んでみれば、早速奥の小部屋へと連れていかれる。
椅子に座らされて、じゃあこれをと渡されたのは、いくらか厚めの冊子である。だいぶくたびれていて、ありがたい聖書という感じでもない。見れば棚には在庫がたっぷりあるし、何なら値札も見えた。
「ここでじっくり読んでいってくださいな。終わったら棚に戻して、声かけてお帰りください」
「はあ」
「じゃあごゆっくり」
「えっ」
本当にそのまま、受付の人は去っていった。
説法などもない。
冊子の表紙を見てみたが、何やら見覚えのない言葉が書いてあるらしいのだけれど、まるで読めない。かろうじてアルファベットかなとは思うのだが、癖の強い筆記体で読めやしない。
なんなのかと思いながら冊子を開いてみたが、そこにはさらさらと筆記体で何か書かれていて、内容はと言えばまるで読めない。読めるわけがない。読めるわけがないのだが、何となく目が吸い寄せられて、気づけばぱらりぱらりとページをめくっている。
読めないままぱらぱらとめくっていくと、読めないのだが何となくわかったような気がしてくる。ときどき何かにつまずいた時はページを戻るのだが、そのページを読み直して戻ってみると、やっぱり何だか分かったような気がする。
ドレスと甲冑が並んで本にのめりこんでいる様はなんだか異様であるが、二人はまるで気にした様子もなく没頭しているし、時折通りがかる人も、その格好には小首をかしげるが、やっていること自体には何も疑問を抱かないらしく、自然に通り過ぎていってしまう。
十分かそこらして一度頭から最後まで読んでしまい、もう一度頭から開くと、今度は先程よりもわかったような気がする。先程までは名詞なんだか動詞なんだかそれすらもわからなかったのだが、今度はそのあたりの関係というものが読めてくる。いや、相変わらず読めているわけではないのだが、それでも何となく全体の輪郭というか雰囲気のようなものがわかってくるような気がする。
普段読書など全然しないというのに、不思議と集中力が途切れない。そして読むということにもう疑問が起きない。
また十分ほどしてもう一度頭から読み始めると、今度はきちんと文として読めてくる。文という文に輪郭が感じられ、その構成がすんなりと頭に入ってくる。つっかかることがなくなり、するりするりと文の内容が読み解けてくる。わかったような気がするのではない。読めるのである。ぐいぐい読める。
そしてまた十分ほどしてすっかり読み終えると、ようやく顔を上げることができた。
そうして目をぱちくりさせていると、瞼の裏に文字がちらつくような気さえする。
先に読み終えた未来が自分の読んでいた本の表紙を向けてくるので、紙月は咄嗟にそれを読み上げた。
「馬鹿でもわかる算術基礎」
そのようにして、二人は文字を読めるようになっていた。
ことこうなると、書けるということには全くの疑念もわかなくなってきた。
試し書き用にとインクとペン、紙を持ってきてくれたのだが、使い方の慣れないこれらの道具にもあっさりと手は馴染み、自然と簡単な文章を書けるようになっていた。
「はい、大丈夫みたいですね」
「すごいな、これは」
「子どもなんかにやらせると、手が覚えないんで字が汚くなるんですけど、大人だとまあ、時間もないですし仕方ないですからね。綺麗な字を維持したかったら毎日練習でもしてください」
「これ、忘れたりはしないんですか?」
「使わない言葉なんかは忘れてきますよ。それは誰でも一緒。試験の一夜漬けには向きませんよ」
ともあれ、これで一応言葉は覚えたわけである。
「異世界すごいね」
「異世界というか、神様がいるんだな」
「あ、そう言えば」
言葉の神エスペラントと言ったか。
何となく聞き覚えがあるようなないような響きだが、ともあれこれで言葉を覚えられた。
「これでしりとりができるな」
「違うでしょ」
「そうだったそうだった。早速事務所に戻るか」
事務所に戻ってみると、受付では年の若い男が待ち構えていた。
「お、あんたらが新入りだね。おかみさん、奥で待ってるよ」
言われて奥の応接室とやらに顔を出すと、ソファとローテーブルの応接セットに契約書を並べてアドゾが待ち構えていた。
「や、おかえり。さっさと書いてもらおうか」
なるほど、神殿の効果というものは全く疑われることのないものであるらしかった。
二人は早速席に着き、未来がペンを手に取りかけたが、紙月がそれを止めた。
「契約書はきちんと読まないとな」
とはいえ簡単なもので、冒険屋はその進退を自由に決められる、つまり辞めるのは自由ということや、依頼料からは組合費や仲介料といったものが天引きされること、寮を使用する場合の取り決めなどが書いてあるもので、裏をかくような文章はない。
「ん、わかった。寮は使わせてもらいたい。二人で一部屋、空いてますか?」
「空いてるよ。規約はまたもうちょっと細かくなるけど、簡単に言や、物を壊すな、汚すな、売るな、くらいさ。門限はない。飯もない。ただ設備は使っていい。基本自己責任」
「便所は?」
「一階に共用がある」
「風呂は?」
「神殿通りに風呂の神殿がある。なんなら割引券が受付にあるよ」
「わかった」
「サインしていい?」
「よさそうだ」
二人がサインをすると、アドゾはにっかりと笑って。二人の肩を叩いた。
「よし、よし、今日からよろしく頼むよ。とはいえ、まだ見習いだからね。ちょいと実力を見せてもらおう」
「実力?」
「コメンツォの推薦状には二人で小鬼二十五体を倒したとあったね」
「あ、これ、証明です」
「ふん……焼けてるが、確かに二十五だ」
アドゾは手金庫から銅貨の入った袋を取り出して、几帳面に数えてから寄越した。
「二百……五十、枚。ちょうどだね」
「確かに」
「まあ数は揃えてきたけど、所詮小鬼だからね。もうちょっと実力のわかると相手で試験したい」
「試験次第で昇給?」
「そこまでじゃないよ。でもいい依頼はやれるかもしれないね」
まだ日も高いので、早速その日のうちに出かけることとなった。
用語解説
・言葉の神エスペラント
かつて隣人たちがみな言葉も通じず相争っていた時代に現れ、交易共通語なるひとつなぎの言語を授けて、争うだけでなく分かり合う道を与えたとされる。
・風呂の神殿
風呂の神マルメドゥーゾ(Mal-Meduzo)を崇拝する神殿。
入浴することが祈祷の形であるという一風変わった神殿で、非常に洗練された浴場を公衆に有料で開いている。
衛生目的で帝国政府が補助金を出しているので、今一番伸びている神殿ともいわれる。
前回のあらすじ
言葉の神エスペラントの加護でこの世界の文字の読み書きを習得した二人。
お勉強の後は、体育の時間。
「んじゃま、今日はよろしくたのむよ」
「よろしくお願いします」
見届け人兼、慣れない見習い二人の補助としてつけられたのが、少し先輩にあたるハキロという男だった。三十少し前と言ったところで、貫禄を見せようとしてかひげなど生やしているが、若々しい顔立ちのせいでかえって浮いて見えていた。
「えーっと、シヅキとミライだったな。いままで魔獣の相手は?」
「この前の、小鬼というやつだけです」
「小鬼はまあ、数の内にはなあ。いや、二十五匹だったか。数ではあるよな、うん」
「今日は何という奴を?」
「まあ小鬼よりは手ごわい。豚鬼っていう」
「おるこ」
「小鬼のでかいやつみたいなんだけどな、未来よりは小さいけど、大の大人よりはちとでかい」
「じゃあ大分強いんですか?」
「普通のおっさんよりは強い。だが冒険屋は普通のおっさんより強くなきゃやってられないだろ」
「確かに」
ハキロという男は噛み砕いたものの言い方ができるようだった。
「ちなみに俺は普通のおっさんより強いが、普通のおっさん相手でもさすがに集団が相手だと敵わん」
「成程」
ハキロという男が冒険屋の一番低いところだと仮定すると、豚鬼とやらに勝てるのが冒険屋としての最低限のあたりであるらしい。
その冒険屋の試金石ともいえる魔獣が、近くの森で見られたらしい。
「豚鬼も群れをつくる。でも気性が荒いから、普通はリーダー格がいないと群れにならない。今回のも恐らく一頭か、いてもつがいの二頭だってことだ」
「それ以上だったら?」
「逃げる」
「逃げていいんですか?」
「逃げなきゃ誰が豚鬼の群れを報告するんだよ」
「それもそうか」
「まあでも、一頭でも危ないからな。急いで倒す。早めの対処だな」
ハキロとの話では、一頭であれば、どちらか一人か、二人がかりでやってもらう。二頭なら二人がかりで。それ以上なら逃げる、ということになった。
豚鬼の実力がわからない以上、また自分たちがどれくらい戦えるのかわからない以上、二人もこれに同意した。
豚鬼が出たというのは、少し離れた森であった。つまり、村のあった近くの森である。歩いていくのかと思ったら、馬車を使うという。
「冒険屋は何かと足が入用だからな。今回はお前さんたちの試験ってことで、特別に事務所のを一台使っていいことになった。普段は有料だから、気をつけろよ」
馬車を引くのは二足歩行の恐竜のような動物だった。
巨大な鶏も見たのだからそこまで驚きは大きくなかったが、さすがに爬虫類は迫力が違う。
「お、狗蜥蜴を見るのは初めてかい」
「ええ、フンド、ラツェルトって言うんですか?」
「こう見えて雑食で、大人しいやつだよ。馬にも使うし、荷牽きもできる。よくしつけた奴なら子供の面倒だって見るさ」
ハキロがなでるとハフハフと舌を出すあたりは、なるほど犬のようでさえある。首元にはたてがみもあるし、触ってみれば温血動物であるようだ。
鎧という安全圏の中にいるからか、それとも彼の中の男の子が年齢相応に騒ぐのか、未来はこの狗蜥蜴がすっかり気に入ったようだった。
幌のついた車に乗り込み、いざ駆けだすと道のりはすぐだった。
なにしろ、この狗蜥蜴という生き物は足が速かった。そしてまた車もただの荷車とが違って簡単なサスペンションが組み込まれているらしく、揺れも少ない。
風を頬にうけながらきゃいきゃいと楽しんでいれば、森につくまではすぐだった。
森の入り口で車を止め、三人は森に踏みこんだ。
御者が離れても心配がないというのが、この力強い馬の良いところでもあった。
「豚鬼を見つけるのにはちょっとしたコツさえ覚えればすぐだ」
「コツ」
「やつら、独特のにおいがするんだ。悪臭ってわけじゃないけど、豚鬼臭さっていうのかね。掘り返したばかりの土のような感じがする」
「成程」
それなら昨日、畑を耕して嗅いだばかりである。
ハイエルフはそこまで嗅覚が強くないようでいまいちわからないが、獣人の未来は早速顔をあちらこちらに向けて匂いを嗅いでいる。
「わかるのか?」
「なんとなくは。でも、多分普通の人よりは嗅ぎ分けられていると思う」
「未来は獣人だったか。熊か何かか?」
「なんだろ。犬?」
「きっと狼だよ」
「なんにせよ鼻は利きそうだな」
しかし、異常は匂いよりも先に音として現れた。
「ハキロさん」
「なんだ」
「豚鬼って物凄く暴れるの?」
「何にもないのに大暴れしてたらおかしいだろう」
「おかしいですよね」
「おかしいな」
まるで大男が何人も暴れるような音である。
叫び声のような声も聞こえるし、木が圧し折れるようなめしめしといった音も聞こえる。
すでに一行は脚を止めて、各々に身構えていた。
血の匂いだ、と未来が鋭く言ったが、言わずともすでに二人にも惨劇の匂いが感じ取れていた。
じりじりと足を進めていくと、木々の向こうに豚鬼の姿が見えた。一頭、二頭、……五頭はいる。群れだ。
もっともその群れの殆どはすでに死んでいて、残る一頭も今しがたバリバリと頭から食われているところだったが。
「一頭もいなくなりましたけど、どうします?」
「逃げたい」
「俺もです」
「しかし腰が抜けて無理だ」
「勘弁してくださいよ」
目の前の惨劇に、つまりは食い散らかされた豚鬼に、薙ぎ払われた森の木々、そしてその中心で絶賛お昼御飯中である巨大な怪物の姿に、胃の中身を吐き戻さなかったのは単にそれどころではなかったからに過ぎない。
すっかり腰を抜かしたハキロも大概だが、紙月も足が震えてピンヒールで走るなんてことはできそうにない。頼りの未来は鎧の上からなのでよくわからないが、完全に硬直しているように見えた。
昼飯に夢中になっている隙にいくらか後ずさりながら、紙月はハキロに尋ねた。
「ハキロさん、あれは?」
「お、俺も話にしか聞いたことがないが、多分地竜だ。そんなに大きくないから、まだ幼獣だと思うが」
「あれで小さいのかよ……」
なにしろ豚鬼を頭からバリバリとやってのける怪物である。
巨大な亀のような姿なのだが、頭から尾まで五メートルはありそうだし、高さも紙月とどっこいくらいだろう。苔むしたような全身は非常に攻撃的な棘に覆われており、特にその大きな口と言ったら、未来のような大甲冑でも平気でバリバリとやってしまいそうである。
「どういうやつなんです」
「迂闊に手を出さなきゃ大人しいやつらしい。ただ、どこまでもまっすぐ歩いて、進路上のものを何でも壊して食べちまうから、見つけたらすぐに避難警報を出さにゃならん」
「倒し方は?」
「倒し方!? 竜種だぞ! 勝てるかよ!」
成程、と紙月は振り返った。振り返った先、つまり地竜の進む先には、村がある。小さい村は、きっとこの巨大な怪物が通り過ぎた後は何にも残るまい。それを見て見ぬふりするというのは、没義道にもほどがあるだろう。
コメンツォに折角用意してやった畑も、台無しになる。
「未来」
「うん、わかった」
「ハキロさん、俺達はちょっとあいつを止めることにする」
「ば、馬鹿言うんじゃねえ! 早く逃げねえとお前たちまで!」
「なに……無理無駄無謀はいつものことだ」
「そうそう。何しろぼくら、無駄の塊でできてるもん」
「何故ならそこに、」
「浪漫があるから!」
「お、お前ら一体……?」
紙月はとんがり帽子の下で不敵に笑った。
「《選りすぐりの浪漫狂》。世界の果てを見てきた二人さ」
用語解説
・ハキロ(Hakilo)
二十代後半の人族男性。斧遣い。
冒険屋としては一般的な強度と、《巨人の斧》冒険屋事務所の中では比較的良心的な人柄を誇る。
レベルに換算すると二十弱程度か。
・豚鬼(Orko)
緑色の肌をした蛮族。動くものは基本的に襲って食べるし、動かないものも齧って試してから食べる非文明人。
人族以上の体力、腕力と、コツメカワウソ以上の優れた知能を誇る。
角猪を家畜として利用することが知られている他、略奪した金属器を使用する事例が報告されている。
・狗蜥蜴(Hundo-lacerto)
二足歩行の雑食性の鱗獣。首元にたてがみがある。群れをつくる性質があり、人間をそのリーダーとして認めた場合、とても頼りになるパートナーとなってくれるだろう。
・地竜
空を飛ぶことはできないが、飛竜以上に体表が頑丈過ぎてまともに攻撃が通らない非常にタフな竜種。
硬い、重い、遅いと三拍子そろっており、さらに外界に対してかなり鈍いので、下手をすると攻撃しても気づかれないでスルーされることさえある。
問題は、一度進路を決めるとどこまでもまっすぐ進むため、進路上の障害物は城壁だろうと街だろうと何もかも破壊して進むことで、歩く災害と言っていい。
・《選りすぐりの浪漫狂》
《エンズビル・オンライン》において、極振りをはじめとした尖り過ぎた性能を鍛え上げた廃人諸君を畏敬と畏怖とドン引きを持って呼び習わすあだ名。キャラも狂っているしプレイヤーも狂っているともっぱらの噂。一度酔狂でギルドを組んで大規模PvPに参戦した際に敵味方問わず盛大な犠牲者を出しているはた迷惑な面子。
紙月は多重詠唱《マルチキャスト》で魔法を連発し過ぎてサーバーを落としたことがある。
未来は砦の入り口で紙月と組んで通せんぼして、「無敵要塞」「詰んだ」「不具合」などと呼ばれた。
前回のあらすじ
怪物退治に出向いたら怪物がいた。
「さて、どうしよっか紙月」
「見た感じ土属性のボスって感じだな」
「じゃあ木属性だ」
「セット覚えてるか?」
「大丈夫」
未来はすぐにステータスメニューを開き、装備を切り替えた。
いままで装備していた《白亜の雪鎧》は高い防御力を誇るが、属性防御では対炎熱系であり、対土属性に特化したものではない。
素早く着替えた鎧は、見た目がいささか特殊な鎧である。まるで大樹に体を包み込まれたような、あるいは人の形をした大樹そのものと言った木製の鎧である。これは《ドライアドの破魔鎧》といい、非常に高い防御力と土属性への耐性を持つものだ。
また、いままでは邪魔だったので持っていなかった楯も、揃いの《ドライアドの破魔楯》である。
武器は、ない。
《楯騎士》というものは、攻撃力を高める武器の一切を装備できない代わりに、防御力を極限まで高めた、一つの浪漫職なのである。そしてそれを担う未来自身、キャラクターの成長性を全て生命力を始めとした防御のみに注いできた防御狂い。サーバーで最も防御力の高い、逆に言えばそれ以外なんの取り柄もない、一つの地平に辿り着いたものなのである。
それこそが、盾の《選りすぐりの浪漫狂》、《楯騎士》METOだったのだ。
「二人ともぼくの後ろに!」
未来は盾を構え、どっしりと腰をおろす。
《ドライアドの破魔鎧》は強大な防御力を誇るが、移動速度を引き換えにする。つまり、いつものことだ。未来は動く必要などない。ここで盾を構えるだけでいい。
「《タワーシールド・オブ・エント》!!」
未来の構えた盾を中心に、植物の精霊たちの加護を受けた緑色の障壁が張り巡らされ、それに追従するように足もとの地面からは逆茂木のように木々が生えそろう。
異常に気付いたらしい地竜が咆哮を上げて突進するが、どっしりと構えた盾、いや、もはや木々の壁はこゆるぎもしない。
「ち、地竜の突進を受け止めた!?」
「まだまだこれから」
ひらり、とハイエルフの体が身軽に鎧の上によじ登る。
「さって、美味しく狩らせてもらうぜ!」
紙月が両手を持ち上げる。それは想像上のショートカットキーを叩く仕草だ。遠慮はいらない。右手は地竜を指さしロックし、左手は流れるようにショートカットキーを叩き続ける。
「《寄生木》! の! 三十六連!」
ふわりふわりと淡い緑色をしたふわふわが地竜の体に降り注ぐ。淡雪のように降り注ぐ。けれどそれは淡雪のように優しくなどない。地竜の体に降り注ぐや、それはふわふわの内側から鋭い種を突き出して、次々に地竜の体をうがち始める。
大した痛みなどではないのだろう。精々がつつかれた程度にしか感じないのだろう。しかしそれは種を深々と肉のうちにうずめていき、そして次々と若芽を茂らせていく。
地竜が寒気を覚えた時にはもう遅い。成長した寄生木たちは、つぎつぎに地竜の《HP》を吸収しては紙月へと流しているのだ。
《寄生木》。
それは植物系の魔法の中でもかなり低レベルのものだ。相手に命中してからしばらく、少しずつ《HP》を吸収し、使用者の《HP》を回復させる。その程度のものだ。
しかしその程度が、三十六重なればどうなるか。そして《待機時間》がすめば、さらに三十六連がお見舞いされる。それがすめば、更に三十六連。
時間がたてばたつほどに、吸収される命は莫大なものとなっていく。
このままでは吸い殺される。
そう気づいた地竜は死に物狂いで壁に挑むが、強固な木属性の壁は、地竜の攻撃を受け止めてなおびくともしない。それでも、それでも攻撃し続ければいつかは崩れる。どんなものでも必ず壊れる。それが地竜の哲学だった。
実際、未来は自分の支える盾に相当の負荷がかかっているのを感じていた。背筋から何かが少しずつ失われていく感覚がある。致命的な何かが。それはかつてゲーム内で《SP》と呼ばれた何かであり、この世界で魔力と呼ばれる何かであり、そして生命力に似た何かだった。
「紙月! 結構きつい!」
「オーケイ! ちょいと持久戦になりそうだ! パスつないで耐久戦だ!」
「わかった!」
まず紙月が唱えたのは、《ディストリビュート・オブ・マナ》の呪文だった。これは他のプレイヤーとの間にある種の経路を作り、そこをとおして《SP》を分けあたえる《技能》である。
莫大な《SP》と回復速度を誇る紙月からすれば、未来が《技能》を維持するだけの《SP》を分け与えることは造作もない。とはいえ、それも長続きすればじり貧である。
「いい感じに《HP》が溢れてきたな……《マナ・コンヴァージョン》!」
だから次に紙月が唱えるのは、《HP》を《SP》に変換する魔法《技能》。
寄生木が回収してくる有り余るほどの《HP》を《SP》に変換すればどうなるか。答えは決まっている。
有り余る《SP》は《ディストリビュート・オブ・マナ》の経路を通じて未来の壁を維持する《SP》となる。
未来が壁を維持すれば、その時間分、地竜は体力を吸われる。吸われた《HP》は《SP》に変換され、そして未来に渡され、そしてまた壁を維持する力になり、そうしてサイクルが完成する。
地竜がどの段階で己の死を覚悟したのかは不明だったが、それでも、地竜は最後まで地竜の矜持にかけて、大きく口を開いた。音を立てて大気が吸い込まれ、体内で強力に圧縮され、莫大な魔力が精製され、そして。
「未来! こらえろ! でかいの来るぞ!」
「オーケイ! 《金城鉄壁》!!」
未来が構えた盾に、強力な防御力増大のスキルがかけられる。盾は深々と地面に突き立ち、《ドライアドの破魔鎧》からはずるずると樹根が伸びて地面に錨のように突き刺さった。
そして、破滅が来た。
幼体とはいえ、衰弱しているとはいえ、それは地竜だった。それは竜だった。
周囲の魔力をむさぼりにむさぼり、圧縮生成されたそれが盾に向けて吐き出された瞬間、視界は真っ白に染め上げられ、耳はあまりの音にただ耳鳴りのような響きだけを伝え、そして肌だけが確かなその衝撃を感じ取っていた。
「お、おおおおおおおおおおおッ!!」
スキルによって強化された樹木の盾は、それでも端から焼け焦げ、焼き払われ、吹き飛ばされていく。それを支える未来の巨体さえもが上下に激しくがくがくと揺さぶられ、しがみついている紙月はと言えばもはや吹き飛ばされる寸前だった。
しかしその衝撃も、やってきた時と同じく、あっけなさを伴うほどに唐突に途切れて、静まる。
遅れてやってきた爆音が空へと駆け抜け、盾にさえぎられ横へと抜けていった余波が木々を圧し折り、そして、壊滅的な破壊が去った後、その場に訪れたのはしんと静まり返った静寂だった。
爆心地に残ったのは、ただただおびただしい数の寄生木に身をむしばまれ、枯れ果てて枯死した、巨木のようなそのむくろだけであった。
「んっ………死んだかな。《HP》が流れてこなくなった」
「大丈夫そう?」
「これで生きてたらちょっと自信なくなるな」
ものの十分かそこら。幼体とはいえ地竜を屠った二人の会話がこれである。
「ハキロさーん、ちょっと生死確かめてきてくれる?」
「ばっ、ばばばば馬鹿言え! そんなおっとろしいことできるか!」
「だよねえ」
正直な所を言えば紙月だっていやだった。
「まあ、一応ぼくが確認するよ。最悪ぼくなら一撃で死ぬことはないだろうし」
「すまん、じゃあ、頼む」
魔法を解いて紙月がひらりと鎧の上から飛び降りる。
未来はゆっくりと《タワーシールド・オブ・エント》と結界を解き、鎧を動きやすいいつもの《白亜の雪鎧》に切り替えると、じわじわと地竜のむくろに近づいた。
「……まるでミイラだ」
「触れるか?」
「やってみる」
「おいおい……」
未来が恐る恐るその頭部に触れてみると、まだほんのり温かいような気はしたが、ぴくりとも動かない。強めに押せば、ぐらりとかしぐ。試しに頭をがっしりと掴んで引いてみると、ミシミシと音を立てて首が伸びるので、慌ててやめた。
「ハキロさん、地竜ってここまでやっても生きてるもん?」
「知るもんか……でも、こりゃ、死んでるだろ。死んでなきゃ、おかしいな」
ひとまずの安全がわかり、まず紙月が試しに地竜の体に触れてみて、ハキロもおっかなびっくりそれに続いた。それでわかったのは、この地竜が極度に衰弱して死んでしまったっということだった。青々と茂る寄生木に、そして心なしつやつやとした紙月に、すっかりと養分を吸いつくされてしまったのだった。
「…………試験、どうしましょっか」
「転がってる死体から左耳きりとりゃ、それが証だよ」
呆然とそう言うハキロは試験どころではないようだった。まあ、豚鬼退治にきてその何十倍も強いらしい魔獣を退治してしまったのだ。実際、試験も何もあったものではない。
とはいえ。
「俺達……勝ったんだな」
「ゲーム内と同じように、できるもんだね」
やっている間はゲーム感覚だったが、いざ終わらせてみると、その行為が一つの命を絶ったのである。勿論それは必要な行為だったと確信しているが、それでも、これが決してゲームなどではなく、地に足のついた現実なのだと、どうしようもなく理解させられるのだった。
そして。
「うええ……グロ」
「紙月、代わろっか?」
「お前大丈夫なの?」
「魚さばいてるみたいなもんだって呪文唱えてる」
「成程。成程……? というかお前魚さばけるのか」
「いまどき魚くらいさばけないと」
「うう、小学生強いな」
人型の生き物の耳を切り取るというのは、精神的に言えば余程の苦行だった。
用語解説
・属性
《エンズビル・オンライン》では、五行思想、つまり木火土金水を中心にした属性が存在した。光や闇、無属性なども存在するが、基本的にこの五属性で回っていたと言っていいい。
・《ドライアドの破魔鎧》
いくつかの高難度イベントをクリアすることで得られる素材をもとに作られる。
土属性の攻撃に対して完全な耐性を持つほか、純粋な防御力自体もかなりの高水準にある。
他の高レベル属性鎧と比べて比較的使用されることが少ない理由は、「見た目が格好悪い」からである。
『お前が善き心を持つ限り、ドライアドはお前に力を貸すだろう。ただし忘れるな、お前は常にドライアドに包まれているということの意味を』
・《ドライアドの破魔楯》
《ドライアドの破魔鎧》とセットの盾。木属性の《技能》の効果を底上げする。
見た目は地味だが性能はよく、古参プレイヤーからは「最上級の鍋の蓋」の異名で呼ばれる。
『お前が悪しき心を持って臨んだ時、ドライアドはお前を絞め殺す。尤も、ドライアドにとっての悪しき心を、我らが見定める術はないが』
・《タワーシールド・オブ・エント》
《楯騎士》の覚える木属性防御《技能》の中で最上位に当たる《技能》。
範囲内の味方全体に効果は及ぶが、使用中は身動きが取れず、また常に《SP》を消費する。
『エントたちは激怒するまでに十分な時間をかける。そして気の遠くなるほどの時の果てに、エントたちの激怒は十分な時間をもって振るわれる』
・《寄生木》
植物系の最初等魔法《技能》。命中した相手から十秒間の間、一秒間隔で十回、《HP》を少量吸収して、使用者の《HP》をその半分程度回復させる。スキルレベルを上げると吸収時間も増え、《HP》回復率も増えるが、性能的にそこまで重視されるスキルではない。
紙月の場合は、多重詠唱と、その他《待機時間》を短縮させる廃人装備などの組み合わせによって凶悪な破壊力を持たせている。
ただし最初等だけあって、PvPでは簡単に対策される。
『《寄生木》の恐ろしい所は、気づいた時にはすでに遅いという点じゃな。学長のジジイを学園に寄生する《寄生木》といった奴、後で部屋に来なさい。飴ちゃん上げよう』
・《ディストリビュート・オブ・マナ》
自身の《SP》を他者に付与する特殊な《技能》。ややレベルの高いスキルではあるが、使用する状況が限られているため、積極的に覚えるプレイヤーは少ない。
『《ディストリビュート・オブ・マナ》は魔力を融通する便利な魔法じゃ。何が便利と言って、あー、まあ使い方は各自考えるとよい。若い頭でこねくり回せ』
・《マナ・コンヴァージョン》
《HP》を《SP》に変換する特殊なスキル。ややレベルの高いスキルではあるが、使用する状況が限られているため、積極的に覚えるプレイヤーは少ない。
『体力を魔力に変換するっちゅうのは、もともと魔力の方が多い《魔術師》にとっちゃじり貧の状況を指す……わけでもないんじゃな、これが』
・《金城鉄壁》
《楯騎士》の覚える、自身の防御力を増大させるスキル。他の《技能》とも重複する使い勝手のいい《技能》である。
特に未来の場合は《技能》レベルを最大まで上げており、集団戦を前提としているレイド・ボスの攻撃を真正面から受け止めて無傷で済むほどである。
勿論、使用中は動けない。
『《金城鉄壁》! これぞ《楯騎士》の最大の見ものよな! ………うむ、地味だな!』
前回のあらすじ
無事地竜を倒した一行。
問題はこれをどうするかだが。
「さて。とりあえず試験は済んだけど、これどうしましょうかね」
「俺が聞きてえよ……」
無事豚鬼の討伐証明は得られたが、問題は地竜の方である。
「見なかったことにするってのは?」
「そうしてえのはやまやまなんだけどよ、地竜速報ってのがあるんだ」
「速報」
ハキロの語るところによれば、地竜というものは魔獣というよりもはや天災として数えられているらしく、それを発見した場合は速やかに情報を共有することで、現在地竜がどのあたりにいるか、どの程度の速度なのかをもとに避難警報を作り、どうしようもなく避難が不可能な要所であるとかの場合を除いて、逃げの一手であるらしい。
またこうして地竜の情報を共有することで、今後地竜の通るルートの予想や、地竜の発生ポイントなどを予想するらしい。
「幼体とはいえ、こんなに人里に近づいているってのはマジでヤベえんだ。むしろ幼体ってのがヤベえ。なにしろどっか近いところで孵化したってことだからほんとヤベえんだ」
動揺のあまり語彙力が死亡しているハキロに詳しく聞いたところ、つまりこういうことであるらしい。
幼体を発見したということは、卵が孵化した地点が近いということである。地竜が一度に卵をいくつ産み、そのうちいくつが孵化するのか、孵化するとしてそれまでにどれくらいかかるのか、また卵は地竜自身が暖めるのか、それとも放置しているのか、そのあたりはあまりにも危険な生き物なので研究が進んでいないようだが、最悪を想定すればいくつかの卵がすでに孵化して、近隣へと幼体が足を伸ばしている可能性があるのだ。
「だから急いで報告しなきゃなんねえんだけど、こんなもんどう報告しろってんだよ……」
「素直に報告するほかないんじゃ……」
「新人二人が地竜の幼体を見つけて倒しちまいましたってか? 頭がおかしくなったと思われるぜ」
二人は顔を見合わせた。
地竜というものの脅威がいまいちわかっていないのだが、今のちょっとしたボスクラスの敵がただのひななのだとすれば、大人の地竜がどれくらい危険なのかは想像がつく。
いわばこれは、冒険に出たばかりのひのきの棒装備で四天王の一角を崩したくらいの衝撃なのだろう。たとえが正しいのかどうかを確認できる相手はこの世界には存在しないのだが。
三人はしばしうなり、そして紙月がふと思いついた。慣れようと思って豚鬼の耳を革袋越しに触っていた時のことである。
「討伐証明はどこなんです?」
「はァ?」
「地竜の討伐証明」
「そんなもん知るわけねえだろ、討伐したなんて話聞かねえぞ」
「じゃあどこでもいいから、それっぽい部分持っていけば証拠になるんじゃ?」
「…………なると思うか、あれ?」
「……見る人が見てくれれば」
「だよなあ」
なにしろ、丸々一体ほぼ無傷で残っているとはいえ、普通の戦闘とは思えぬ衰弱死した状態である。
これは、戦闘の末に倒したと説明するより、つまみ食いした豚鬼が悪性の寄生虫でも腹に飼っていて、それに感染した結果腹を下して衰弱死したと言われた方がまだ納得できるだろう。
「うー、でも、それしかねえもんな。よし、俺も精いっぱい説明するから、お前らも頼む」
「わかりました。信じてもらえねえと、地竜の被害が拡大するかもしれねえんでしょ?」
「そうだ。最悪、もうすでに被害が出てるかもしれねえから、急がねえとな」
三人はしばし地竜の体を検分して、やはり一番わかりやすかろうということで首を持っていくことにした。牙や爪だけでは信用されないかもしれないが、首となればさすがに一個体がいたということは説明できるだろう。
切り落とすにあたっては未来が首を掴んでいっぱいに伸ばした状態で、ハキロが斧を振り下ろしたのだが、衰弱死してもなお地竜と言ったところか、所詮最下級冒険屋と言ったところか、斧の方が、欠けた。
仕方がなく今度は紙月が強化魔法をかけて試してみたところ、今度は欠けなかったものの、弾かれる。いよいよもって三十六連強化魔法という大人げなさを発揮して何度となく切りつけて、ようやく首を切り落とすことに成功したものの、これには一同、安堵するよりも恐怖した。
「物理攻撃ほぼ効かねえんじゃねえのかこいつ」
「普通は軽い魔法も弾くらしい。お前の特殊な奴だからどうにかなったんだろうな」
「子供でこれってことは、大人は手に負えないんじゃないの?」
顔を見合わせたが、いい色は見当たらなかった。
一行はとにかく急げと首を抱えて、抱えようとして、なんとか未来が抱え上げたもののまともに歩けたものではなく、難儀した。
「一旦インベントリ入れねえか?」
「そうだね」
ゲーム脳の二人が獲得アイテムとしてインベントリに放り込むと、ハキロは目を丸くした。
「《自在蔵》か? それにしたってすげえ容量だな。それにどこに……?」
「あー、企業秘密ってことで」
ともかく嵩張らなくて済んだが、ハキロはしばらく、重さは変わらないはずなのだがと首を傾げながら、それでも無理に納得しながら、馬車に辿り着くや走らせ始めた。それどころではないのである。
そして困惑していたのは二人もであった。
「紙月、良く歩けるよね。いつも重量ぎりぎりなのに」
「それが、どうもこの首、重量値が設定されてないっぽいんだよな」
「どういうこと?」
「そもそものゲーム内アイテムはほら、重量値とか、説明とか出るだろ」
「うん」
「でもこの首は何にも書いてねえんだよ。この世界のものは設定がついてないのかもしれん」
「……誰の?」
「誰のっていうか、何の、設定なんだろうなあ」
《エンズビル・オンライン》においては、全てのアイテムに重量値が設定されていた。そしてそれは、プレイヤーキャラクターの力強さや生命力から算出される所持限界量までしか持ち運べなかった。限界に近付けば移動速度に制限が付き、限界以上には持つこともできない。そういう制限があった。
この世界ではそれに類する制限がない、もしくは忘れられているのか。或いは面倒臭かったのか。
誰が? 或いは何が?
紙月たちをこの世界に連れてきた何者かなのだとすれば、それは本当に、何者だというのだろうか。
「……丸々持ち運べたんじゃ」
「えっ」
「地竜の体さ、丸々持ち運べたんじゃないか?」
「あっ」
「かといって今から戻ってくれとも言えねえし、それにさっきのでも大分驚かれたから、今後は自重しねえとな」
「《自在蔵》っていったっけ。アイテムボックスみたいなものかな。今度どんなものか確認しないとね」
そんなことよりもプレイヤーにとっては目下の現実の方が大事なわけだが。
「おい、二人とも! ちょっと近くの村に寄ってくぞ!」
「急ぎじゃないんですか?」
「急ぎは急ぎだが、こっちも急ぎだ!」
馬を駆るハキロが説明するところによれば、近くで地竜の幼体が見られたからには、近隣の村にもすぐに出るかもしれない。だからここで説明して、村同士で連絡を回してもらおうということだった。
「それも速報ですか?」
「んにゃ、だが少しでも被害は減らさにゃならんだろ!」
「よしきた!」
その返事を紙月は気に入った。
「馬よ急いでくれ、疲れは気にしなくていいぞ!」
「おう、なんだ!?」
「《《回復》》! 《回復》! おまけに《回復》!」
馬車を引く狗蜥蜴たちは、全身を包む光の温もりに見る間に元気を取り戻し、疲れなどないように駆け続ける。
「お前回復魔法まで使えるのか!?」
「一番簡単なのだけね!」
そう、一番簡単な物だけ。ただし、それを全ての魔法に渡って覚えている。《エンズビル・オンライン》において《魔術師》が覚えられるすべての魔法の最下級《技能》を余さず覚えている。
千知千能。
それこそが紙月の強みにして、イカレているとたたえられた《選りすぐりの浪漫狂》としての本質。
「よし、この調子ならどこまでも飛ばせるぜ!」
ハキロの駆る馬は瞬く間に村に辿り着いたが、村の反応は芳しくなかった。
というのも、農村の人間というのは大地にすがって生きているものだからだった。見えもしない、来るかどうかもわからない脅威に備えてくれと言われても、ましてやそれが余所者の冒険屋からとなれば、とても聞けた話ではない。
これが地竜の被害に遭ったことのあるものが一人でもいれば話は違ったかもしれないが、地竜などというものは、本当に滅多にないから天災なのだ。
「コメンツォさんはいるか!」
しかしここで顔なじみがいるのが助かった。
村人は早々に二人の顔、正確には一人の顔と一人の鎧姿を忘れるほど薄情ではなかったし、二人から受けた恩をしっかり覚えていた。
「森の魔女様だ!」
「お連れの騎士様もおるぞ!」
「どうした、どうした」
「おお、コメンツォさん!」
「やあ、どうした、もう帰ってきたのか!?」
コメンツォに訳を話すと、最初はいくら何でもと肩をすくめたが、証拠の地竜の首を見せると、すぐに顔色を変えた。
「小さいが、確かに地竜だ」
「わかるのかい?」
「以前一度、避難誘導で近くまで行ったことがある。これは恐らく幼体だろうが、よくもまあ」
コメンツォはすぐに村長にこれを話し、村長はすぐに村全体に注意を促した。また足の速いものを集めて、近隣の村にすぐにも伝えてくれた。
地竜はこちらから手を出さなければ追いかけてはこないが、腹が減れば足も速くなるし、進路上にあるものは何でもお構いなしだ。畑であろうと、家畜であろうと、人であろうと、建物であろうと、容赦はない。迂闊に手を出していいものではないし、隠れるよりも、逃げる方が賢明だ。
もし怒らせれば、あのブレスがあちこちを焼き尽くすだろう。
迅速な対応に助かったとはいえ、
「いいか! 森の魔女様のお達しだ! 必ず伝えろ!」
「魔女様に誓って!」
この呼び名には、参った。
用語解説
・強化魔法
正式名称《強化》。使用した対象の攻撃力をシンプルに底上げする魔法《技能》。《魔術師》は自身に使っても大したことがないので、仲間の支援に使うのが普通。重ねがけが効くが、持続時間と《待機時間》を考えると、素直に上位のスキルを使った方が効率は良い。
『《強化》は使い過ぎると感覚を狂わせる。強化された強さを自分の本当の強さと勘違いしてはならん。特に年取ってからはな。おー、いてて』
・千知千能
すべての魔法の一番最初等のものを網羅しているという無駄の極み。ただしこれに三十六重詠唱がつくと「不具合」「公式の敗北」呼ばわりされる破壊力を誇る。
もっとも、最初等魔法のみで多重詠唱を三十六個揃え、レベルを最大まで上げ、有効活用できる装備を揃え、という苦行を考えると、最初から普通に育てたほうが普通に強いが。
前回のあらすじ
森の魔女とその騎士の威光をもって、地竜速報は成った。
後はこれを本物と認めてもらうだけだが。
冒険屋事務所では、これほどうまくはいかなかった。
「地竜ゥ? 馬鹿言ってんじゃないよ」
「おかみさん、嘘じゃねえんで」
「地竜なんざ一生に一度遭うかどうかの災害じゃあないか」
「その一度が今なんですって!」
所長のアドゾはまだ、これでもよいほうだった。広間にどんと晒された首を検分して、よくはわからないが、わかるものがいるかもしれないと組合に伝書鷹を飛ばしてくれた。
これは生き物を使った連絡方法としては一等速いもので、どこにでも置いてあるものではない魔法の連絡道具を除けば、まずこれ以上速いものはない。飼育にかかる費用から賃料も高いが、これを迷うことなく即座に飛ばしたことは、アドゾの冒険屋としての高い判断能力にあると言ってよい。
一方で、事務所に所属する荒くれ者たちはみな半信半疑だった。というよりも疑いの目の方が強く、信じると言ってもそれは地竜災害を信じる目ではなく、ハキロが嘘を吐くものではないという目である。
「一から、いいから一からお話し、ハキロ」
「へえ、まず朝起きましたら新人が入ったとかで」
「もっと後からでいい」
「へえ、それが、俺達ゃ、揃って森に入ったんでさ」
ハキロは拙いながらも、順を追って事情を話した。
ところどころ紙月と未来が補足を入れようとしたが、それはおかみのアドゾに目で止められた。
緊急時とはいえ、報告というものはこれは冒険屋として必要な技能を育てることでもある。まともに報告の出来ない冒険屋は誰にも信用されることがないし、また自分でも自分の見たものをうまくまとめることができないから、危険に対応する能力が育たず、早死にする。
アドゾから何度か質問はされたが、ハキロは何とかそれらに丁寧に答え、説明し終えた。
「ふーむ」
報告の体裁自体は、いたって問題がなかった。基本を押さえているし、わからないことは素直にわからないというし、いくらか言葉が足りないところはあったが、言葉を多く足すということもなかった。
問題はその中身である。
「幼体とはいえ、地竜と戦ったって?」
「へ、へえ、俺は何にもできなかったんですが」
「何にもしなくて良かったんだよ馬鹿もん!」
アドゾの雷が落ちた。
「地竜と戦うなとは、ハキロは言わなかったかい」
「言われました」
「ならどうして戦った」
「世話になった村がありました。だから」
「馬鹿もん!」
再び、雷が落ちた。
「御立派な事だがね、それでお前さん方がやられちまったら、誰が村に危険を伝えたんだい!」
「は、ハキロさんが」
「ハキロがそう言ったのかい」
「いえ」
「人が言いもしないことをてめえで受け持つんじゃないよ!」
「はい」
「まあともあれ、だ。地竜であるにせよ、ないにせよ、お疲れさん」
雷が落ち着くと、場は少し、弛緩した。
冒険屋の荒くれどもはみなおっかなびっくり、あるいははなから偽物と決めつけるように地竜の首を改めていったが、何しろ誰も本物を見たことがないものだから、そうだともそうでないとも、断言できる者はいなかった。
しかし場はどうにも疑いの目が強かった。
というのも、首の状態があまりにも悪かったからである。
「なんだいこりゃ、まるでミイラじゃないか」
「かさかさに乾いちまってらあ。血も出やしねえ」
「仮に地竜だとしても、もう死んでたのを持ってきただけじゃあねえのか?」
口々に言うのは、特に体の大きな若い連中である。見せつけるように腕も太い連中で、血の気の荒さが肌に透けて見えるようである。
一方で口数も少なく、物思うような目をしているのはある程度歳のいった冒険屋たちで、彼らはすっかり信じるというようなこともなかったが、偽物と決めつけることもなく、むしろどうやったらこうなるのかということを思いあぐねているようだった。
「おい嬢ちゃん」
「紙月です」
「まあいい、嬢ちゃんよ、ハキロの胡散くせえはなしによりゃ、あんたが一人でやっつけたそうじゃないか」
「俺一人じゃないですよ。未来が盾になってくれて」
「盾は盾だろ。実際にとどめ刺したのはあんたなんだろ」
「……まあ、そうです」
「まあ、そうですだとよ」
若い冒険屋たちの間でどっと笑いが起きた。
何がおかしいのかといぶかしむ紙月に、男は酒臭い息を吹きかけた。飲んでいるのだ、昼前から。
「おう、本当のことを言えよ」
「本当のことって何です」
「地竜なんざホラなんだろ」
男にとって、それは自明のことであるようだった。男よりもずっと細身の、それこそ半分もないような細っこい女が、地竜だか、大亀だか知れない魔獣を倒してしまうなどというのは、夢物語どころか悪質なかたりなのだ。
紙月は面倒になってそうだ、嘘だよ、だからもう放っておいてくれと言いたくなったが、それはできなかった。それは現状で唯一信頼できる冒険屋であるコメンツォと、ハキロの二人が重ねて言ったからである。どれだけ信じられなくても、自分のやった功績に嘘をついてはいけないと。一度でも嘘だったと言えばもう誰も信じてくれなくなるし、何より自分でも信じられなくなる。そしてそうなればもう功績の方から冒険屋に背を向けるのである。
紙月はからまれているうちに冒険屋としてやっていく気がだんだんなくなってきていたが、それでも名誉ある二人の男のためにも、少なくとも地竜退治の功に関して何ら後ろめたいところなどないのだという顔をしなければならなかった。
「全部ハキロさんの言ったとおりですよ」
「ハキロにそう言えって言われたのかい」
「なんですって?」
「ハキロの野郎に、すり合わせろ、そう言えって言われたのかって聞いてるのさ」
紙月はまじまじとこの男の顔を見つめてしまった。酒に酔った鼻は真っ赤で、錆色の目は色だけでなく芯まで錆びついているように思われた。ひげはワイルドでも気取っているのかぼうぼうと生え散らかしているが、ハキロのそれが若い顔に浮きながらもしっかりと手入れされたものであるのとは大違いだった。
その筋肉の太さを見せつけるようにこれ見よがしに腕を組んでいて、それは確かに、紙月の細いウエストよりも立派かもしれなかったが、風呂にも入っていないらしい薄汚い脂に汚れたそれは太さばかりのものにしか見えなかったし、第一すぐそばの未来の見上げるような甲冑を前にしてみれば、ネズミが尾を立ててふんぞり返っているようでさえある。
「生憎とハキロさんはあんたみたいに薄汚いことは言わないよ」
「なに!? もういっぺん言ってみろ!」
「地竜みてえにされたくなけりゃその薄汚え口を」
最後まで言わなかったのは、それよりさきに男の平手が紙月の頬に見舞われたからである。
「――紙月にッ!」
それまで黙っていた未来がいきり立ったが、紙月はこれを制した。大したダメージではない。唇の端を切ったがその程度で、いきり立ってもハイエルフのひ弱な体にその程度のダメージしか与えられない相手だ。そんな相手を《楯騎士》とはいえレベル九十九の未来が殴りつけでもしたら、一発で昇天しかねない。
なんにせよ、頭の中身も、体の方も、大した相手ではないのだ。そんな相手に騒ぎを起こしても損しかない。ハキロの名誉を思って口は出したが、それ以上はよろしくない。
しかし相手はそんな紙月の態度を愚かにも怯えと受け取ったようだ。
「へっ、お高くとまりやがって。怖いのか? 震えてるんじゃねえか?」
「酒が回ってるんだろ」
「はん、そっちのでけえのも大したことねえな。そんななりして、こんな細っこい女の一言でしゅんとしおらしくしちまってよ。去勢された狗蜥蜴だってそこまで玉無しじゃあないぜ」
「おい、あんた、それ以上未来に下品な事を言ってみろ」
「おう、どうするってんだ、え? なんだ、言ってみろよ! 犬っころの騎士様もどうした! 玉まで縮こまっちまったか? ベッドで嬢ちゃんに股開いてもらって優しく面倒見てもらわねえと」
「言ったはずだぜ」
ぼん、と爆ぜるような音に、浮足立ったような事務所の中がしんと静まり返った。
先程まで調子に乗って長広舌を披露していた男も、一瞬で酔いがさめたように目を白黒とさせていた。それもそうだ。誰だって自分の頭髪が一瞬にして焼け焦げていれば、そうなる。
「言ったはずだぜ。それ以上未来に下品な事を言ってみろ」
「て、てめえ、なにを、」
「紙月、それ以上は駄目だ!」
「子供に下らねえこと言ってんじゃねえぞこのドサンピンがッ!!」
「ししし紙月っ!?」
「――《燬光》!」
咄嗟に男が腰の斧を引き抜いた瞬間、紙月の指先が光った。光ったと思えば、その瞬間には男の斧に閃光が突き刺さっていた。
「おあっちっ!?」
がん、と音を立てて斧の刃だけが床に突き立った。閃光のあまりの熱に、斧頭がすっかり溶け落ちてしまったのだった。
「俺のことを何と言おうが構わねえがなあ、人様の相棒にケチつけるんだったらそれ相応は覚悟しろよ、この筋肉ダルマが!!」
「紙月、紙月ダメだってそれ以上は死んじゃう!」
「死なす! こいつは死なす!」
「駄目だってば!」
騒ぎは結局、それから都合三度の《燬光》が事務所内を切り刻み、それでもびくともしないことで地竜の首の頑丈さが証明されたあたりでおかみのアドゾが出張って落ち着いた。
「母猫みたいな気性の荒さだね、全く」
「フシャーッ!」
「ほら、あんたが押さえつけときな」
「は、はい」
冒険屋事務所は、さすがに荒くれの集いだった。若い集団は目に見えて狼狽していたが、中堅どころはむしろいい余興と楽しんでいる節さえあり、流れ弾を避け損ねて火傷したのも、若い連中ばかりだった。ハキロなどは即座に地竜の首を盾にするほど、紙月の恐ろしさを身にしみてわかっていた。
その荒くれをまとめるアドゾは《燬光》を気軽に避けて近づき、しなやかに紙月の首根っこを掴むや未来に放り投げてしまった。
《燬光》の流れ弾でやけどしたものは何人かいたが、これは紙月が落ち着いたあと、《回復》をかけて謝罪して回り、良しとした。
罵詈雑言を吐いて斧を焼き切られた男、ムスコロと言ったが、この男は若いものの中では手が早い方であったが、同時に頭の良い方でもあった。つまり即座に土下座して媚び諂い、許しを乞うことに何らの気兼ねも持たなかった。
「……あんた、矜持とかないの?」
「命あっての物種だあ!」
「清々しいほどの屑だな……」
この男にも、別段、今回の件以外で含むところもないし、髪の毛も焼き切り、斧も破壊してしまったこともあり、これで手打ちとした。さしもの紙月も、土下座までして謝罪してきたものに追い打ちをかける気はない。
ムスコロはその後、中堅どころから馬鹿め馬鹿めと大いに叩かれていたが、これは阿呆な犬ほどかわいいといった可愛がり方のようである。よくよくしつけてくれと頼むと、快諾の声と悲鳴が上がった。
残りの若い連中は、先程まではやはり侮るような視線があったのだが、この盛大なデビューにはむしろドン引きしたらしく、新入りであるにもかかわらず姐さん兄さんと呼ばわれる羽目になるのだが、それはまた後の話。
組合の冒険屋をのせた早馬が事務所に着いたのは、その日の夜更けのことである。
用語解説
・伝書鷹
ある程度の大きさの街や宿場町には必ず存在する飛脚屋が所有する、生物としては最速の郵便配達手段。使用される鷹は餌代もかかるので配達費用はかなりのものだが、空ではまず敵なしの鷹を飛ばすため、速度・安全性共に抜群である。
・《燬光》
光属性の最初等魔法スキル。閃光を飛ばしてその熱で相手を攻撃する。
光属性の特性として、「発動した瞬間に当たっている」という描写のためか、極めて命中率が高い。
『《燬光》というのは気軽に使っていい呪文ではない。見えた瞬間には当たっている、この恐ろしさがわかるじゃろう。もっともわしにはいくら撃ってもきかんぞ。言い訳を聞いてやるのは今のうちじゃからな』
・ムスコロ(muskolo)
《巨人の斧冒険屋事務所》に所属する若手の冒険屋。三十がらみの人族男性。
実力はハキロの一・五倍程度。おっさんを数人相手にしても勝てるが、やはりおっさんの群れには敵わない程度。レベルにして二十五くらい。若手集の中では平均レベル。