前回のあらすじ

帝都までの道のりは速いものだった。





 帝都近くまでたどり着いて絨毯を降り、さて、見上げた門は実に立派なものだった。外壁自体がまず他の町々よりもはるかに立派で、比べ物にならない。高く、分厚く、そして土蜘蛛(ロンガクルルロ)のものとみられる装飾が壁面に緻密に彫り込まれているのである。

「こりゃあ、壁面見物してるだけで日が暮れそうだなあ」
「以前来た時に聞いたんですがね。ありゃあ全部ただの彫刻じゃあなくて、魔術彫刻だそうで」

 西部で見かけた刺繍で魔術を織り込むのと同様に、彫刻の形一つ一つが魔術の式となり陣となっているのだそうである。

「そりゃあ、調べてたら日が暮れるだけじゃすまなそうだな」
「何しろ古代からのものもあるんで、大学にゃあ壁面の研究している連中もいるそうでさ」

 主には魔獣除けや、単純な強度の底上げと言ったもののほか、外部からの攻撃に対して自動で反撃するシステムや、悪意ある魔術の侵入を防ぐ機能があるそうである。

「姐さんが使えるかどうかは知りやせんが、転移呪文も帝都の中には侵入できないそうでさあ」
「……それ、試したら怒られるかな」
「あっしのいねえところでやってくだせえ」

 《魔術師(キャスター)》の魔法を、初等のものならすべて揃えている千知千能(マジック・マスター)の紙月である。いくらか高等な呪文とはいえ、転移呪文も心得ている。とはいえ、警告されたうえで使うほど軽率ではなかったが。

 門までの列は長かったが、いざ辿り着いて衛兵に冒険屋章と招待状を見せると、検査もほどほどにさっさと通されてしまった。

「帝都大学より通達が来ております。随分お早いおつきですね」
「魔女のたしなみでね」
「フムン。迎えの馬車を用立てますので、しばしお待ちを」

 慌てた様子で衛兵たちは準備を進めてくれた。
 ムスコロは少し気まずげに、耳打ちした。

「普通は少し前の宿場や町から、飛脚(クリエーロ)なんかでそろそろつきますってえ手紙を出しておくんでさ」
「そういうもんか」
「あっしもこういうきちんとした出迎えは慣れねえんで、すいやせん」
「いや、俺たちも気が付かなかった」

 なにしろ電子メールも電話もない世界である。連絡というものはもう少し気にかけなければならないなと紙月たちは反省した。相手があることなのだから、魔女の流儀だからと何もかも自分の都合で動いていては、いずれどこかで問題が生じていただろう。

 ムスコロのような現地人の案内がこれほどありがたいと思うことはない。
 しかしそのムスコロも、招待されているわけではないし、用事がすむまで観光でもしていやすとさっさと姿を消してしまった。
 なにしろ酒さえ入っていなければ妙に察しのいい男であるから、面倒ごとの匂いを嗅ぎつけたのだろう。山火事を察する野ネズミのごとしである。

 少し待って用意された馬車は、貴族が使いそうな立派な馬車であった。帝都大学の馬車であるという。そして珍しいことに、馬車を引いているのは馬であった。

「いや、馬車なんだから馬なんだけどよ」
()()()()()って、見るのも久しぶりだよね」

 この馬は、いわゆる四つ足で、蹄があって、鬣のある、元の世界と同様の馬であった。帝都では馬と言えばこの馬のことというくらい、蹄ある馬が多く用いられている。これはかつて聖王国、つまり人族の勢力を追い返した時に大量に取り残された馬たちの子孫であるという。

 さて、この用意された馬車に乗って帝都を進むのだが、対聖王国の防衛陣地と聞かされていた二人の目には、帝都はかなり洗練された町並みに見えた。石造りの町並みは、それこそ現代に残るヨーロッパの町並みにも似た市街である。
 馬車の通る車道があり、人の通る歩道があり、上下水道が敷設され、街灯らしきものも等間隔でたてられている。建物は多く三階以上あり、計画的に碁盤目状のブロックが形成されていた。

「これはまた、想像以上の町並みだなあ」
「帝都は聖王国時代の町をそのまま拡張して使っていますからね、遺跡レベルの高度な技術がふんだんに使われています」

 遺跡というと古びたイメージがあるが、この場合、古代の非常に高度な技術が、その知識だけが失われて再研究されているような意味合いである。
 御者によれば特に上下水道などは非常に洗練されており、蛇口をひねれば水が出るというのは、帝都を含め大きな町にしか見られない特徴であるそうだった。

 確かにスプロでも、そう言った施設は見かけたことがない。

 馬車はしばらくアスファルト敷きらしい非常に滑らかな車道を揺れも少なく進み、そしてどこまで進むのかと思ったあたりで、別の門から外に出てしまった。

「おっと?」
「帝都大学は非常に敷地が広大でして、帝都郊外に建てられているんですよ」

 御者によればそのような事であった。

 そうして馬車でしばらく進み、これまた普通の町程度に立派な門をくぐって、それでもまだ大学らしき建物というものは見えない。

「本棟はこれよりさらに先に進みます。我々の目的地である魔術科の実験用仮設施設ははずれの方ですね」

 馬車は進みながら、あちらが魔術科の棟、あちらが農業科の棟、あちらが政治学の棟、と説明していってくれるのだが、成程、帝都大学というのはもう、それ自体が一つの町と思った方がよさそうである。立ち並ぶ棟はそれぞれに馬車で移動するのが普通のようで、かなり贅沢な土地の使い方である。

「もっぱら魔術科のせいです」

 これも御者の言である。

「何しろ学問というものは様々な分野がかかわってくるものですから、昔はそれぞれの棟も近かったのですけれど、魔術科棟から火災やら爆破やら変な煙やら新種の魔獣やらと湧き出てきたので、仕方なくそれぞれの棟を離して安全を図っております」

 それでなくとも学者というものは近づけておいてもいいことはないというのが御者の言で、喧嘩しないように遠ざけておいた方が本人たちのためであるという。なかなかずけずけ言う御者である。

 そのような与太話を繰り広げながら辿り着いたのが、仮設であるという割には立派な木造の建物だった。装飾は少ないが、規模だけなら屋敷と言っていい。

「では、私はこれで」

 そういってさっさと去っていってしまう御者の姿は、あれは逃げ出しているのではと思わせるほどの拙速ぶりである。余程魔術科とやらと関わりたくないらしい。

 そして取り残された二人はというと、ノッカーを鳴らす前に、よくよく脱出経路を相談するのであった。





用語解説

・魔術彫刻
 その掘方や形状そのものが魔法となっている彫刻。
 特定の状況、または呪文などに反応して効果を現す。