前回のあらすじ
崩落する坑道。
果たして一行の命運やいかに。
全身がばらばらになってそれでもまだ生きていたのならばこのような心地がしただろうか。
冒険屋ピオーチョは、土蜘蛛の目でも見通せぬ、土で覆われた闇の中で、ようやく息を吐いた。体中が出鱈目に痛みを叫んでいて、少しでも動けばその叫びは割れんばかりとなった。
その体中からの悲鳴を聞いて、ピオーチョは唇の端をひん曲げた。なんだい。すっかり枯れ果てたと思っていたけれど、まだまだ痛みを叫ぶくらいには元気じゃないかと。
土蜘蛛は山の神に愛されている。そう言われる通り、土蜘蛛は少なくとも山の中では息が詰まるということがない。生き埋めにされても、それが原因で死ぬことはない。もっともこれがありがたいことなのかそうでない事なのかは意見が分かれるところだった。
普通に穴に潜る分には大層ありがたいことは確かなのだが、生き埋めになって、それから息が詰まるのではなく餓えで死ぬことになるというのは余りありがたくない話なのだ。まして、身動きできない恐怖で気が狂って死ぬなど、たまったものではない。
あたしの場合はどうだろうね。
ピオーチョは身じろいだが、どうにも、手のひら分一枚分も動かしようにない程隙間というものがなく、かなりしっかりと生き埋めになってしまったようだった。幸いにも傷はないようで、激しい出血の感覚はないが、しかしとにかく打ち身であちこち痛かった。
果たして飢えで死ぬのが早いか、気が狂って死ぬのが早いが、それとも年を食って老衰で死ぬのが早いか。笑い飛ばしてみようにも、あまりにも笑えない未来だった。
未来。
思えばあの若者たちの未来に対しては酷いことをしてしまった。
シヅキとミライと言っただろうか。
自分の我を通すためにこんなことをして、自分の我に巻き込んでこんな目に遭わせてしまった。
ミライが掲げたとてつもない盾があっても、ピオーチョはこうして生き埋めの目に遭ってしまっている。落盤を真正面から受けたあの二人はどうなっただろうか。《金糸雀の息吹》は渡しているから、良くて同じように生き埋めか。悪ければ落石の直撃を受けて、潰れて死んでしまっているかもしれなかった。
自分が死ぬことに関してはとうに覚悟ができているつもりだった。
若者たちを巻き込んだことに対する後悔だけがあるように思っていた。
しかしいまこうして身動きも取れず、ただただ死を待つことしかできない身となってみると、何故だか不思議と途端に死ぬのが恐ろしくなってきた。
いままで漠然と、ただ唐突に訪れて唐突に終わるのだろうと考えていた死というものは、ある朝突然に人生が終わるだろうという想像の形とは違って、恐ろしくゆっくりとこの身に迫っているようだった。
或いはそれは土蜘蛛の信奉する山の神ウヌオクルロとよく似た形をしていた。不定形の泥でできた巨人が、決して開かれぬ一つ目でじっとこちらを見据えながら、のっそりと、しかし着実に距離を縮めようとしているのだった。
神を信じれば技は磨かれる。
しかし、神を思えば狂気に晒される。
いまの自分はどちらなのだろうか。ピオーチョはかちかちと奥歯のなる音を聞きながらそう思った。
かちかち、かちかち、奥歯のなる音ばかりが聞こえる。かみ合わせは悪いわけじゃあなかったのに、不思議と止めようと思えば思うほどに、がちがちと、がちがちと、歯の根は合わなくなってくる。
何にも聞こえない土の中で、心臓の音も、呼吸の音も、だんだんと聞こえなくなってきて、その代わりに、がちがちと、がちがちと、歯の根の合わぬ音ばかりが聞こえてくる。
がちがち、がちがち。
がちがち、がちがち。
がちがち、がちがち。
がちがち、がちがち。
がちがち、がちがち。
がちがち、がちがち。
がちがち、がちがち。
がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち、がちがち。
助けてくれ!
叫び声があふれだしたのは唐突だった。
張り詰めた空気袋が破けるように、悲鳴は途端にあふれ出した。
助けてくれ!
ここから出しておくれ!
死にたくない!
あたしゃまだ死にたくないよ!
いやだ!
いやだ!
まだ!
まだ!
何がしたいとか、やり残したことがとか、そんなことは思い浮かばなかった。
ただただひたすらに、いま、死にたくなかった。
もし来年死ぬのだとしても、来月死ぬのだとしても、来週死ぬのだとしても、明日死ぬのだとしても。
いま、この瞬間、ピオーチョは死にたくなかった。死が恐ろしかった。
ぐしゃぐしゃとみっともなく泣き崩れながら、死にたくない死にたくないと叫ぶ老婆が、それが、老練の冒険屋ピオーチョの姿だった。
そしてその願いは呆気なくも次の瞬間にかなえられた。
『その調子だったらまだまだ死にそうにないでありますな』
声と共にごそりと頭上の岩が取り除けられ、覗き込んだのはつるんとした卵型、囀石の赤い目だった。
「あ……ああ……?」
『全く、崩落させた後は掘り返してくれだなんて囀石扱いが荒いでありますよ。計画がずさんであります』
ミノと呼ばれるようになった囀石は、太く力仕事に向いた腕に取り替えて、せっせと石や岩をどけては、すっかり脱力したピオーチョの体を、風の流れる坑道にまで引きずり上げた。
『こんなに泣きはらして、いくつになってもピオーチョ殿は泣き虫でありますなあ』
「だ、誰が泣き虫だい!」
『説得力ないでありますよ。昔から、嬉しくても泣いて、悲しくても泣いて、怒っても泣いて、囀石には泣くという機能がないのでもうちょっと分かりやすい感情表現が好ましいのであります』
「昔からって、あんた、なにを」
ピオーチョはそうして、土に汚れた囀石の、その赤い目を改めて覗き込んだ。握りこぶしほどもあるだろうその大きな紅玉は、綺麗に研磨されたレンズは、しかし、確かにかつての面影を残していた。
「そりゃあ、あたしがやった……」
『囀石は鉱石を貰うと、無くさないように自分の体の一部にするのであります。そう言う習性があるのでありますよ』
「あ、あんた、あんときの囀石かい!?」
『ピオーチョという名前の土蜘蛛に紅玉を貰ったのは確かにこの自分でありますな』
「な、なんで言わなかったんだい!?」
『それは習性についての話でありますか? 再会した時の話でありますか?』
「どっちもだよ!」
囀石は肩をすくめるようにした。それはピオーチョの仕草とよく似ているように見えた。
『自分達、割と空気が読めないのでそう言う失敗多いのでありまして、ぎゃんぎゃん泣かれて出て行けと言われると仕方ないかなあと』
「女の出て行けは構ってほしいってぇのに決まってるだろ!」
『そんな滅茶苦茶な。それで再会の時でありますけれど、なにしろもう何十年もたって個体の変化が激しいので、ちょっと区別がつきかねたと申しますか』
「なんだい、老けたってかい」
『ありていに言えば』
「女が老けたかって言ったら変わりませんよっていうのが甲斐性だろうが!」
『ええー滅茶苦茶でありますよ』
すっかり打ち付けられて身動きも取れないピオーチョを、ミノは器用に卵形の体に載せて歩き始めた。それはうまく人が載るようにできていた。
『でも、そうでありますね。泣き虫で、声が大きくて、寂しがり屋で。そう言うところは変わっていないでありますよ』
「そういうのは……馬鹿だねえ、全く」
坑道に、光が差し込んでいた。
用語解説
・ないんだなこれが。
前回のあらすじ
無事救出されたピオーチョ。
主人公組? 多分無事だろ。
崩落から掘り返されてしばらくの間、屋根のあるところが落ち着かなくなってしまったという後遺症はあったものの、紙月と未来は無事救出され、自然の猛威というものを前に自分たちができることなどたかが知れていると反省を新たにしたのだった。
「崩落を支えるまではできても、支え続けるには《SP》が足りなかったな」
「もうちょっと判断が遅かったらまずかったね」
「おう。あんときは助かった」
崩落を支えた《タワー・シールド・オブ・エント》は一同の命を救ったものの、囀石たちの救助が来るまでの間を支え続けることはできず、このままでは落盤の直撃を受けるというその直前になって、未来が思いついたのである。
「紙月、一瞬だけ装備解くから僕に抱き着いて!」
「へえ!? あっ、ちょ、まっ」
「よし、もう一回!」
《技能》が解除される直前、未来は一瞬だけ装備の鎧を解除し、小学生の体をさらした。そして紙月がそれに抱き着くや否や、再度装備を着直したのである。
何かが密着した状態で試したことはなかったのであるが、試してみればやはり予想通り、鎧は紙月の体ももろともに未来に纏われ、無事簡易シェルターの役割を果たしてくれたのだった。
救助されるまでの間、非常に窮屈な状況で我慢する羽目になったとはいえ、何しろ紙月一人であれば崩落に間違いなく簡単に押しつぶされていただろうから感謝の言葉しかなく、未来の方も何やら自然の猛威に思うところでもあったのか、救助されたときには子供ながらにいくらか男らしい顔立ちになっていた。
未来たちの陰になるように護っていたピオーチョはやや心配ではあったが、年の割にはやはり頑丈で、打ち身はしたものの数日しない内に自力で歩けるようになっていたというのだから大したものである。
囀石のミノなどは崩落の中を早々に掘りぬいて離脱し、揺れが収まったのちは早速三十二体がかりで救出作業に精を出してくれるという如才なさである。
これで無事依頼は完遂、と言いたいところであったが、問題はあった。
というのも、目的の鉱石も、石食いの素材も、もろともに崩落の下敷きになってしまったせいで、回収に時間がかかっているのだった。
「まあ、崩しちまったらそりゃあそうなるわなあ」
一応ピオーチョとミノたちが掘り返して、ある程度まとまったら帝都に送りつけてくれる手はずになっているのだが、何しろ大掛かりな崩落であったから、土掘りに慣れた土蜘蛛と言えど、またそれ以上に手慣れた囀石たちと言えど、一朝一夕で片付く仕事ではないようだった。
囀石たちからすれば、石食いたちを退治してくれた上、その後廃鉱山を好きにしていいという許可も町から得られたので万々歳であるようだったが、ピオーチョにしてみれば街のお歴々からも怒られるし、事務所の所長からも叱られるし、虎の子の発破も使い切ったし、その上しばらくは坑道掘りで忙しく、赤字もいい所であるらしい。
それでも仕事は仕事であるから、帝都から報酬が届いたあかつきにはきちんと折半してくれるとのことらしいが。
「しかしまあ、仕方がないとか面倒くさいとか散々に手紙には書いてきてるけど」
「いい笑顔だよねえ」
紙月たちが後を任せて去っていった、その後の事情を手紙にしたためて送ってくれたのだが、これに同封されていた、囀石の特産であるという光画――つまり写真には、実に清々しい笑顔を浮かべてミノと肩を組むピオーチョの姿があったのだった。
「まあ、何十年来って友達ってことになるんだもんね」
「間は空いちまったけど、その分話すことは多そうだよな」
「ぼくらもそう言う長い付き合いになるかな?」
「お前が俺を捨てない限りは大丈夫じゃないかな」
「ぼくも、紙月が僕のこと育児放棄しなければ大丈夫だよ」
けらけらと笑って、二人は、それから同時にテーブルに突っ伏した。
がさがさと荒い紙質の新聞を、未来はくしゃくしゃと畳んだ。
「で、今度は何だって?」
「地竜殺しの次は、山殺しだって」
「ぐへえ」
地竜殺しという二つ名があまりにも高名すぎて仕事が入らなかったところに、今度はどう話が伝わったのか、魔法で山を砕いた山殺しなどというとんでもない二つ名がついたものである。
山を砕いたのは発破であるし、砕いたといっても一部分だけであるし、そもそも二人の仕事ではないのだが、はやし立てる方は面白ければそれでいいらしく、気にした風もない。
これがミノの町だけの下らないうわさ話であるならばよかったのだが、どこの世でも人の口に戸は立たないというか、むしろ人の口空を飛ぶというか、こうして新聞の形になってスプロの町にまで届いてしまっているのである。
おかげで真っ先に新聞を読むことになったおかみのアドゾは大いに笑って、それから真顔で、あんたたち自分が何をしたかわかってるかい、とまた例のお説教であった。
二人の平和な冒険屋稼業は、遠そうだった。
用語解説
・光画
囀石たちの特産。いわゆる写真。帝都大学など、一部の学者が技術提供を受けて再現もしているようだが、囀石ほどきれいな写真はまだ難しいようである。
なお、記録物としては評価を受けているようだが、美術品としての評価はまだこの世界にはないようである。
・新聞
この世界では、印刷技術こそ未発達なものの、魔法による転写技術は発達しているようで、それなりに多くの刊行物が見られる。
新聞もその一つで、大きめの町には一社か二社新聞社があるものだし、中には近隣の町まで配達している新聞社もあるようだ。
帝都新聞などはいくらか遅れるものの、帝国各地へと配達されて読まれているほどだとか。
前回のあらすじ
無事山殺しの異名を頂いてしまいますます仕事が入らなくなった二人だった。
どこかの山が爆破されて見晴しがよくなったらしい、などという無責任な噂が流れはしたけれど、ミノ鉱山はその後も特に盛り上がることもなく、廃鉱山は廃鉱山らしく、落ち着いたものであるらしい。
発破で崩落させた坑道の整備も順調のようで、とりあえず十分だと思われる量の鉱石と石食いの素材を帝都に送りつけたそうだ。なにしろ重いし量もあるし、実際に帝都に届いて、検分を済ませて、支払いがなされて、紙月たちの手元に届くまでは、まだまだかかりそうだった。
「というか、支払いってどうするんだ? 銀貨とか袋に詰めて送ってくるのって危険じゃないか?」
「まあ、あんまり多額だと保険かけてることが多いですけど、冒険屋の支払いは手形が多いですな」
紙月の疑問に答えたのはムスコロであった。
最初はむさくるしいばかりで汚らしかったこの男も、あまりに不潔だからと紙月が《浄化》をかけて以来、身だしなみに気を遣うようにはなったようだ。ワイルドななりこそ変わりはしなかったが、少なくとも風呂には入るようで、臭かったり汚かったりということは、ない。鬱陶しくはあるが。
「保険あるんだな。それに、手形?」
「へえ。俺も詳しくはないんですが、そいつを銀行とか、組合とか、書いてある場所に持っていくと現金と換えてもらえるんでさ」
「引き換え期限はあるのか?」
「物によりやす。期限のないものは持ち運びに便利なんで、不精もんは現金化せずに、そのまんま金の代わりに使うこともありやす」
成程、ムスコロの説明を聞く限り為替手形のようなものであるらしい。
それに話の中に出てきたように、保険屋や銀行といった組織も存在するようである。
「ムスコロ、お前は銀行とか使ってるのか?」
「いんや。冒険屋で銀行を使うやつは少ないですな。というのも、事務所や、その上の組合が口座を作って金の管理もしてくれるんでさ。別の組合の縄張りまで遠出した時も、ちょいと手間賃は取られやすが、しっかり引き下ろせやす」
となると、帝国内であればどこでも組合を通して金が引き落とせるわけである。勿論、証明などに手間取ってすぐにというわけにはいかないだろうが。
「そうなると銀行と競合するんじゃないか?」
「既得権益ってやつですかね。そこは縄張りがきちんと引いてあって、組合の口座が使えるのは冒険屋だけなんでさ。で、組合が融資できるのも、冒険屋関連の事業だけって寸法でやす」
「成程。冒険屋ってのは手広いけど、線引きはきちんとしてるんだな」
実際のところそれがきちんと作用しているのか、諍いが起きていないかなどと言ったことは、紙月たちには判断のつくことではないが。
「それで、保険はどうなんだ?」
「保険がねえ、保険がまた、面倒臭いんでさ」
面倒臭いことを語れるというのは、この筋肉ダルマが見た目とは違ってなかなかのインテリだという証拠である。
「保険てなあ、もとは船乗りたちのもんなんでさ」
「海上保険ってやつだな」
「そいつです。海路はどうしても危険が多いもんですから、自然に保険てえ仕組みが出来上がったんですな。最初の保険が海路を主に扱ってる商業組合のもんでした」
その仕組みに興味を示した商人たちが、他の商売でも同じような保険制度を始めて、巷には山のように保険業が溢れかえった。そのあまりの煩雑さに帝国政府がお触れを出して、いまの保険業組合を制定したのだそうである。
その結果、帝国内であればどこであれ、保険というものは一律決まった額が定められ、保険内容も一字一句同じという決まりになったそうである。実際にはある程度その土地柄や情勢に応じて調整しているようであったが、それでもこれはわかりやすくて、よい。
では何が面倒くさいかと言うと、冒険屋がこれに絡んだ場合であるという。
「例えば馬車が盗賊に襲われた。荷の二割が奪われた。保険に入ってりゃ、補填が利きやす。人死にや怪我人が出りゃそう言う保険もある」
これは道理である。
「ところが冒険屋がこの馬車に乗っていて、親切で戦った結果、御者が死んだが荷物は守られた、という場合」
「フムン」
「不要な危険を招いた冒険屋が悪いとして、死んだ御者が入っていた死亡保険は支払われなかったんでさ」
「ええ?」
なんでもこの世界、盗賊というものは出るものだし、出れば出たで盗賊も道理で動くのだという。荷を全て奪って乗員もすべて殺してということを繰り返しては、やがて人通りはなくなるし、討伐に騎士団も乗り出す。
なので盗賊もわかっていて、普通は荷は全体の二割までを限度とするし、乗員も犯しはしても殺しはしないのが良いとされる。勿論反抗された場合、殺すことは大いにあり得る。だが無差別に殺したりは、普通、しない。なので商人たちも被害は覚悟したうえで、往来するし、保険屋も、しかたがないことだとして金を出す。
ところが冒険屋が絡んで、戦ったとなると、これは仕方がなかったでは済まない。積極的に危険に手を出したのだから、これは自分で家に火をつけて火災保険を出してくれというようなもので道理に合わないとして、保険屋は金を出さないのである。
「うーん。なるほど、そういう理屈か」
「こいつが一度裁判沙汰になって、保険屋が勝っちまってからは、なおさらで」
これは相手が盗賊ではなく魔獣だった場合も同じである。魔獣は何しろ人間の都合など知ったことがない正しく天災であるから、これは保険が利く。利くが、では今度も冒険屋が絡んだ場合はどうなるか。やはり盗賊の時と同じである。
では、冒険屋自身が保険に入った上で、同じ被害に遭った場合はどうなるだろうか。
実は冒険屋保険として、危険を織り込み済みの保険がある。
「おお、じゃあ冒険屋にも支払われるんだな」
「ところが」
冒険屋が魔獣に襲われ、無事魔獣を撃退できれば、勿論保険料は支払われない。
冒険屋が魔獣を倒せず倒れてしまったとすれば、まあ、一般人より低い配当にはなるが、保険金は支払われる。
問題は、倒せたが被害が出た場合、である。
「どういうことだ?」
「仮に、豚鬼と戦って、腕を怪我したとしやす」
冒険屋は医者に行き、治療してもらい、その請求書を保険屋に提示する。これに対して保険金がすぐに支払われるということはなく、何と、実際にそのような被害を負う様な状況だったのかという調査が始まるのである。
保険屋には引退した冒険屋や、専門の術師などが多く雇われており、傷の様子や、現場の状況から、本当に怪我を負う様な大事だったのかということを調査して、その上でようやく保険金が支払われるか否かということが話し合われるのだそうだ。
「そりゃまた面倒だなあ」
「大仕事を前に保険に入る連中もいやすがね、保険屋も冒険屋の仕事が危険だってわかってるから、随分出し渋るんでさ」
「そりゃ、ほとんど怪我するのわかってるようなもんだからなあ」
「コト大きな依頼となりゃあ、保険屋も鼻を利かせて、子飼いの冒険屋を送り込んでくるんでさ」
「保険屋が冒険屋を? なんでさ」
「間近で検分して調査するってのと、もう一つ」
「もう一つ?」
「保険金を支払わなくていいように、他の冒険屋を守る護衛役なんでさ」
「そりゃあまた、本末転倒というか、何というか」
「保険金払うより、護衛ひとりつけた方が安上りってえこともよくあるみたいなんでさあ」
不思議な話ではある。
しかし、この世界では凄腕の冒険屋が一般冒険屋何人分もの働きをするということも珍しくはないようで、そう考えるとどこかで報酬と損失とがひっくり返るのかもしれなかった。
「じゃあまあ、冒険屋が保険に入るのってちょいと面倒なんだな」
「自分がかかわらない、それこそ荷物の輸送とかのときに入るくらいですかね」
なんにせよ、全ての金銭も荷物もインベントリに突っ込んでそれでおしまいの二人にとっては、あまり関係のない話である。
「お、なんだ経済のお勉強か?」
世の中ままならないものだととどこかアンニュイな空気の中、いつもの調子でやってきたのは、やはり、ハキロだった。
用語解説
・ないときは平和ってことですな。
前回のあらすじ
思わせぶりに経済の勉強をしておきながらきっと本編に出てこないんだろうなあ。
「お、なんだ経済のお勉強か?」
「世の中ままならねーよなーって話ですよ」
「違いない」
ハキロはちらりとムスコロを見た。ムスコロは一つ頷いた。
この二人に紙月と未来がかかわると、関係は途端に面倒になる。
紙月と未来は、ハキロには下手に出る。世話になったし、先輩冒険屋だからだ。一方でムスコロには対等か上からの目線となる。第一印象が最悪であったし、マウントの取り合いの結果、ムスコロが敗北したからだ。
ところがハキロにとってはムスコロが先輩冒険屋に当たる。極端にへりくだることはないが、それでも一目置いているし、ムスコロもハキロをやや下の後輩冒険屋として見る。
ものの見事に三つ巴の三角関係が発生してしまうのである。
なのでこういう時は、大抵の場合先輩にあたるムスコロが席を外して調整を取ることが多い。粗野なようで何かと機微のわかる男なのだ。今日もそのように、じゃあ俺はここらでとムスコロが席を外し、ハキロは頭をかいた。詫びを入れるのもおかしいし、礼を言うのもなおさらおかしいから、何というにも何も言えないのである。
「邪魔したかな」
「いえ、ちょうど話の切れ目でした」
「保険かなんかだったか。ちょうどそれにも関係する話でな」
退屈してると思って、とハキロが持ってきたのは、やはり依頼の話であった。
「俺達がいるこの辺りは、帝国でも西部という」
帝国は大雑把に言えば、帝都のある中央部、紙月たちのいる平野の多い西部、温暖だが特別なこともない東部、広く海に面し香辛料や交易品も多い南部、険しい寒さに包まれるが魔獣の素材が豊富な北部、そして竜たちのやってくる臥竜山脈を護るもののふたちの住まう辺境の六つに分かれる。
この西部の、さらに西方には、遊牧民たちが住まう平野地帯が広がっており、彼らは帝国民ともいえるし、そうでないともいえる、グレーな存在だ。そのさらに西方には広大な草原が広がる大叢海が横たわっており、そこには帝国とはまた別の勢力である国家が存在する。
遊牧国家アクチピトロである。
西部は長らくこの遊牧民たちに手を焼かされ、大統一時代にようやく和議を結んだとされる。
「その国と諍いでもあったんですか?」
「そう言う血の気の多い話じゃないんだ」
なんでも西部の遊牧民たちとその遊牧国家で、近く大きな部族会議が行われるらしいのだが、そんなおりに平原地帯に家畜を狙う魔獣が跋扈するようになってしまい、準備がなかなか進まないのだという。
「最初は保険が利いたらしいんだが、何度も繰り返されるうちに保険屋が出し渋るようになってきたらしくてな。それに金は帰ってきても、家畜は帰ってこない」
「成程、それで冒険屋の出番ってわけだ」
「そういうことだ」
シンプルな魔獣退治だと思えば、話は早い。しかしシンプルだからこそ疑問でもある。
「言っちゃあなんですけど、俺達ついには山まで殺したことになってるんですけど、そんなやつらを送り込んでいいんですか、この依頼」
「大層な看板だよ、全く。いやな、何しろ平原は広いんで、人手が欲しいんだが、何しろ相手は足の速い大嘴鶏を狙う足の速い魔獣だ。弓や魔法と言った遠距離攻撃の出来る連中が必要なんだが……」
成程、それで分かった。
「うちの事務所、偏ってますからねえ」
「そうなんだよ。俺も人のことは、言えないが」
なにしろ、《巨人の斧冒険屋事務所》である。おかみのアドゾからして斧遣いであり、ハキロもムスコロも、また所属する冒険屋は老いも若きもみな熟練の斧遣いなのである。
「一応少しはいるんだが、数が足りなくてな。シヅキならそのあたりどうとでもなるだろ」
「本音を言えば動きの速いのは得意じゃないんだけど……まあ斧遣いよりは、よほど」
「行ってくれるか」
「勿論。前の仕事の報酬は、暫く入りそうにないし」
「助かる」
それで、どんな魔獣が出るのかと言えば、大嘴鶏ばかりを狙う大嘴鶏食いであるという。人間も襲うは襲うらしいのだが、大きくて、足の速い大嘴鶏に釣られるらしく、積極的に追いかけては捕食してしまう、大型の鱗獣、つまり爬虫類の類であるらしい。
「なんとか食いっての、ついこの間も相手したばっかりだな」
「まあどんな物にでも天敵ってのはいらあな」
石食いの場合、天敵とかそういう問題ではないが。
「それで、難度は?」
「単体なら、まあ、丙種ってとこだな。ただ必ず二頭から三頭で組んでいる賢い連中で、足が速くて追いつきづらいもんだから、まず乙種は見ておいていいだろうな」
「どんな奴なんです」
「狗蜥蜴に似てるな。二足歩行の鱗獣で、もう少し細身だ」
「懐かないんですか?」
「懐かん。完全に肉食で気性が荒いし、群れ以外には気を許さないんだ」
「卵から育てるとか」
「狗蜥蜴と一緒で、卵胎生だ」
「成程」
さっくりとまとめれば、映画で見るような恐竜の相手をして来いと言うことらしい。大型恐竜でないだけましか。だがこの世界の人たち、特に冒険屋というものは結構頻繁にこのようなモンスターをハントしては生計を立てているようだから、決して無理難題ではない訳だ。
「どのくらいかかります?」
「何しろ遊牧してるから多少のずれはあるが、まあ馬車で五日くらいだろう」
早速、出ることになった。
用語解説
・遊牧国家アクチピトロ
大叢海を住処とする天狗たちの遊牧国家。王を頂点に、いくつかの大部族からなる。
その構成人数は帝国とは比べ物にならないほど小さいが、人族が生息不可能な大叢海を住処とすること、またその機動力をもってかなりの広範囲を攻撃範囲内に置けることなど、決して油断できない大勢力である。
・大嘴鶏食い
名前の通り、大嘴鶏をメインとして狙う、平原の狩猟者。
二足歩行の小型~中型の爬虫類で、いうなれば肉食恐竜のようなスタイル。
肉食獣であるし、本来はそこまで増えることはないはずである。
前回のあらすじ
引き続き〇〇食いの相手をさせられる二人。食い食われる非常な世界である。
ミノの町へ向かった時よりも、平原へ向かう道のりは平凡なものだった。平坦な平野で、平和な道のりだった。
「平らだなホント」
「だね」
五日間の馬車旅は、いつも世話になる狗蜥蜴が牽いてくれた。何しろ賢いから、紙月のいい加減な御者ぶりでもしっかり走ってくれるし、道も覚えているから、妙な所で迷子にならない。紙月がことあるごとに《回復》をかけてやるので、疲れも知らない。
「ぼく、遊牧民って初めて見るな。どんなのだろう」
「まあ、遊牧してる以外は、そこまで変わりはしないだろうさ」
「その遊牧がよくわかんないんだって」
「まあ、俺もだ」
ハキロのいい加減な知識に教わったところによれば、遊牧民というのは常に移動しているようなイメージだが一年に何度か移動するという程度のようなもので、そこまで頻繁な移動はしていないようである。そして何もかも自給自足というわけでは無く、穀類や野菜など、どうしても自分達では賄えるものではないから、遊牧の最中に得た岩塩や、また家畜などの売買を定住民と行うことで生計を立てているようだった。
ハキロ曰く、旅商人というものを一つの生き物にしたらあのようにふるまうのではないかということであった。
これから向かう遊牧民の一団は数家族から成る規模のもので、人族と土蜘蛛の混交であるという。彼らは別の部族ではあるが、随分長い間協力し合う内にほとんど一つの家族のようにふるまうようになっているのだという。
依頼の名義はチャスィスト家の何がしとある。チャスィストとは狩人という意味である。代々弓の名手が多く、野の獣を狩らせればこれに勝るものはないという触れ込みであったが、自分達が狩られる側となると勝手が違うようで、ずるがしこい大嘴鶏食いには全く手を焼いているとのことだった。
それでも随分数多くの大嘴鶏食いを平らげてはいるようだったが、どこかに巣でもあるのか一向に数が減らず、ほとほと参っているのだという。
「でも、大変そうだし、無理に請けなくても良かったんじゃない?」
「退屈してただろ?」
「まあそれはそうなんだけど、紙月って細いから、あんまり長旅させると不安というか」
「うぐ」
紙月もこの心配には素直にうなだれた。何しろハイエルフというものは華奢なのだ。これでもレベル九十九に至ったプレイヤーであるから相当頑丈ではあるはずなのだが、あまり日光を受けすぎると赤くはれたり、食べ過ぎて戻しそうになったり、未来と同じ調子で歩いていたらすぐにばてたり、実際のところはあまりにも貧弱なのだ。
「でもまあ、隣の国があるって聞いたらなあ」
「気になるの?」
「他所だったら、俺達みたいな異世界から来た奴の話も聞かないかなと思ってな」
「ああ……」
未来はもうあまり気にしてはいないようだったが、紙月はいまだに元の世界に帰る術を探していた。正確には、未来をもとの世界に帰してやる術である。未来はこの世界で暮らしていくことに何の躊躇もないようだし、何なら元の世界に対して未練のあるようなそぶりの一つも見せないが、しかし紙月はそれは良くないと考えるのだった。
全く他に何の手段もないのであれば諦めるのも手かもしれないが、少なくとも紙月たちはひょんなことでこの異世界にやってきたのである。ひょんなことで帰れてもおかしくはない。そうなれば、こちらの世界で生きることばかり考えるのではなく、元の世界に帰るという選択肢だってあってしかるべきなのだ。
少なくとも未来は、将来ある子供なのである。この世界に将来がないなどとは言わないが、それでも元の世界で生まれ育った少年なのである。そちらの可能性をすっぱり諦めて、選択肢を放り投げるというのは、紙月の気に入るやり方ではなかった。
(…………そう言うのは嫌いではないけど)
しかしそれも、未来から言わせれば紙月の方こそどうなのだというところであった。
紙月は未来のことはあれこれ言うが、では自分はと言うと驚くほど何も言わない。紙月もまだ大学生であったという。では十分に将来があったはずなのだ。その選択肢やら可能性やらを棚に上げて、ただ年が若いというだけで未来のことをあれやこれや言うのはなんだかもやもやするのだった。
けれどでは腹を割って話そうかというにはやはり躊躇があった。紙月には紙月の事情があるように、未来には未来の事情がある。これはお互いにとって大事な部分であるから、それを真正面から見据えて話し合おうというのはちょっとやそっとの覚悟でできる話ではない。
いくら相棒とはいえ、紙月と未来はこの世界に来て初めて顔を合わせた仲なのだ。それなりの付き合いがあるとはいえ、それはすべてゲームを介したものであって、真実向き合って、あるいは隣り合って何かを分け合ったことがあるとは言い切れないと未来は思っていた。
そのことがなんだか唐突に鼻のあたりにツンと来て、未来はぼんやりと平原の風にあたるのだった。
用語解説
・解説がない回は平和な回。
前回のあらすじ
なんにもない、いいたびじだった。
遊牧民であるチャスィスト家と他数家族が居留する牧地に辿り着いたのは、予定より少し早く、四日目の昼であった。若い男たちは放牧に出ており、女たちが煮炊きや、刺繍、道具の手入れなど家の事をしていた。
紙月たち二人を迎えたのはマルユヌロと名乗る、チャスィスト家の家長だった。大体においてこの数家族のことを取り仕切るのはこの背の曲がった老人だった。
ちょうど昼食時であったようで、二人は客人として御呼ばれして、大嘴鶏の肉を刻んで詰めたパンのようなものと、砂糖と鶏乳で煮込んだ甘茶を頂戴した。
パンは塩気には乏しかったが、平原の草を食んで育った大嘴鶏の肉は非常にジューシーで、また固有のハーブの類を練りこんでいるらしく、味に飽きというものが来なかった。パンの表面には綺麗に飾り模様が描かれており、目にも楽しい。
甘茶は、もとより甘いので甘茶というが、たっぷりの砂糖と鶏乳とで煮込んだこの甘茶は、とにかく甘かった。甘く、そして美味かった。大嘴鶏の乳というものを二人は初めて飲んだが、これは牛乳と比べて濃厚で滋味深く、ややナッツのような香りがして、こってりとしていた。
食事を終えると、早速仕事の話に入った。
いま集められた冒険屋は、紙月たちを含めて全部で四組だという。どれも二人か、三人の組である。二組が放牧に護衛として付き、もう二組はその間休む。放牧が戻ってきたら、交代してもう二組が見回りをする。夜間に被害が出たこともあるので、交代でどこか一組が夜間の見回りをする。追加の冒険屋が来たときは、またローテーションを組みかえる。
そういうことだった。
紙月たちが確認したところによれば、冒険屋たちがローテーションを組んで見張りをするようになってからは、劇的に被害は減っているようだった。しかし被害が減ったということは連中も飢えてきているということで、油断はならないと釘を刺された。道理である。
紙月たちはまず、同じ時間を担当することになる冒険屋の一組に挨拶に行った。
二人組の人族で、弓を得意とするという。彼らはエベノの町から来たという。聞かぬ名ではあったが、エベノの《サーゴ冒険屋事務所》と言えば、西部一の弓の名手ばかりが集まった、弓自慢達の事務所であるという。もちろんこれは冒険屋の自己紹介なので話半分に聞いてよいが、それでも弓を得手として、それが半端な技量でないのは確かなようだった。
「おたくらが来て助かった。最初はろくに交代も回せなくてな。パーティを分割して、どうにか見回りしていたくらいだ」
「これからは俺たちも見回りに加わるから、頼ってくれ」
「助かる」
彼らが素直な事には、紙月たちも助かった。中にはプライドの高い冒険屋もいて、ことあるごとに他の冒険屋と張り合うような者たちもいるのだ。そういったものはあまり長続きしないか、無駄に長生きするかの二択だが。
大嘴鶏食いに警戒しているとはいえ、人々があまりにも牧歌的に過ごしているので、紙月たちは首を傾げた。
「ところで、部族会議の準備がどうのとか言っていなかったか」
「ああ、クリルタイか。あれは随分先だ。しかし今のうちから大嘴鶏の数を調整しないと間に合わないので、大嘴鶏食いを追い払いたいのさ」
「成程」
これを聞いて、少しがっかりしたのは紙月である。
部族会議などと言うのだからきっと方々からたくさんの人々が集まることだろう。そうなれば自分達に役立つ情報が手に入る確率が上がるのではないかと考えていたのだが、そううまくはいかないようである。
「第一、クリルタイは部族の会議だからな、部族以外のものは入れんさ」
「なんだって?」
「俺たちもお祭り騒ぎかと思っていたんだが、身内向けのものらしくてな。まあ大人しく土産物でも買って帰るよ」
そうなれば、もう直接大叢海とやらに乗り込んで、遊牧国家の見物にでも行こうかと紙月がぼやくと、エベノの二人は笑った。
「お前さん、大叢海を知らないんだな」
「草原じゃないのか?」
「ただの草原を平原と区別するものかよ。大叢海というのはな、名前の通り一つの海なのさ」
「海?」
「ああ、何しろ身の丈ほどもある草むらが、見渡す限りにみっしりと続いているのさ。まともに歩いて行こうと思ったら、鉈を何本犠牲にしたって何歩分も進めんだろうね」
「なんとまあ。それでどうやって人が暮らしていけるんだ?」
「だから、住めるのは空を飛べる天狗たちだけなのさ」
天狗というのは隣人種の一種で、土蜘蛛が人と蜘蛛の合いの子なら、人と鳥の合いの子のような種族であるらしい。繁殖力に優れた人族もさすがに諦めた大叢海を棲み処にするのが、遊牧国家の王である天狗たちなのだという。
「空……空はさすがに飛べねえなあ」
「当たり前だ」
「焼き払ったらだめか?」
「大叢海を焼こうという試みは何度かあったらしい」
「おお、それで?」
「それでもいまだに天狗どもが君臨してるんだ」
「成程」
焼け石に水というか、大海に火をつけようと頑張るもののようだ。
ではその天狗たちに協力を仰げないかと、ふと思いついて言ってみると、大いに笑われた。
「お前さん方、天狗と本当に付き合いがないんだな」
「連中は実に高慢でな。特に大叢海の天狗どもときたら自分たちが神か何かかと思っている」
「何しろ連中、同じ遊牧の民であっても、人族や土蜘蛛達のことは地を這う虫と言ってはばからず、一段下に見ているからな」
それは、なるほど、無理そうだった。
用語解説
・エベノの町(La Ebeno)
平地の町。これと言って特産はないが、かといって特別寂れているわけでもない、まあスプロの町と大差ない程度の町である。
・《サーゴ冒険屋事務所》
西部一の弓自慢達と自称するが、結局のところ弓遣いばかりの偏った冒険屋事務所である。
しかし実際のところ腕前は確かなもので、遊牧民出身の冒険屋も迎え入れており、弓に関してだけ言えば実際西部一と言っても過言ではない。
・クリルタイ
遊牧民たちの部族会議。
草原の民、平原の民が一堂に会する非常に大会議。何年、十何年に一度程度のものである。
・大叢海
広い大陸のうち、帝国と西方国家を分断する巨大な草原。
人の身の丈ほどもある草ぐさが生い茂る草むらの海。空を飛べる天狗でもないとまともに往来すらできないおかの海である。
このとにかく広い草むらを迂回するためだけに、南部では海運業が発展しているといってもいい。
・天狗(Ulka)
隣人種の一つ。風の神エテルナユーロの従属種。
翼は名残が腕に残るだけだが、風精との親和性が非常に高く、その力を借りて空を飛ぶことができる。
人間によく似ているが、鳥のような特徴を持つ。卵生。
氏族によって形態や生態は異なる。
共通して高慢である。
前回のあらすじ
期待が外れてしまった紙月。だが大事なのは依頼の完遂である。
「まあ、世の中ままならないもんだよね」
「小学生に言われるのもなあ」
まあそこまで期待していたわけではなかったが、目的が一つおじゃんになったのは確かだった。
とはいえ、それは小目的に過ぎない。ついでがあればよかったなあという程度の話だ。いまの紙月は冒険屋であり、冒険屋としてここに立つ理由は、大嘴鶏食いの駆除と大嘴鶏の保護だ。
紙月たちはここで何日か、あるいは何週間か、次の交代要員が来るか大嘴鶏食いの駆除が確認されるかまでのあいだ、遊牧民たちの天幕を借りることになった。
彼ら遊牧民は毎日どこかへ移動し続けるというわけでは無かったけれど、それでも石造りの立派な建築物は持たなかった。その代わり、見事な刺繍のなされた天幕などが彼らの住まいとして建てられ、下手な建物よりもそれらは見ものだった。
数家族はみな一つの大きな家族のようにふるまい、パン焼きや煮炊きなどはみな一つの煮炊き場を共有していた。火を起こすときは必ず無駄がないように常に誰かしらが何かしらの作業をしていた。
燃料として燃やされるのは、市場で買った薪を用いることもあったが、もっぱら大嘴鶏の糞を乾燥させたものだった。これは臭うこともなく、長く、よく燃えた。
大嘴鶏の糞を集め、平たい岩に打ち付けて成形し、燃料として加工することは家族の、特に子供たちの仕事だった。
若い男たちが放牧に行っている間、天幕の内側では女たちが刺繍や道具の手入れにいそしんでいた。彼女らの刺繍は全く見事なもので、非常に大きな布に、何年もかけて刺される刺繍は、それ一枚で金貨にもなるような高値が付いた。しかしそれらが売りに出されることはあまりなく、もっぱらは花嫁たちの嫁入り道具となった。
この刺繍のモチーフは、何のための刺繍であるのか、またどの家のものなのか、誰が刺したものであるのか、そう言ったこまごまとしたころで細かく分類され、一つとして同じ刺繍はなかった。彼女らが何気なく刺した刺繍でさえ、貴族たちが大枚をはたいて買おうとすることもあるのだという。もちろんそれらは必要故に刺されるものであって、売りに出されることはまずなかったが。
刺繍と聞いてただ布に針を刺す姿を思い浮かべていた紙月は、ここで思い違いをしていることに気付いた。彼女らの刺繍が見事なことは確かだったが、ここはれっきとした異世界なのだった。彼女らの針にはしっとりと魔力が馴染み、刺される糸の一筋一筋にも繊細に魔力が込められていた。針を刺す手つきが呪文の詠唱であり、描かれる模様は魔法陣であり、仕上がった刺繍は一つの魔法だった。
ハイエルフの体であるからだろうか、紙月にはそれがよくよくわかった。
「おや、あんたわかるのかい」
「これ、もしかして燃えない魔法ですか」
「火除けの刺繍だね」
「こっちは、なんだろう、風のまじないが込められている」
「矢避けの加護さ」
彼女ら自身はそれを魔法と思ってやっているわけではなかった。ただ連綿と受け継がれていたそれを続けているに過ぎなかった。彼女らにとってそれは当たり前の代物に過ぎないのだった。しかし紙月の目からすればここは立派な魔法王国だった。成程貴族が欲しがるわけである。
放牧から帰ってきた若集を見て、紙月たちはそこに二種類の種族がいることに気付いた。一つは大嘴鶏にまたがった人族で、もう一つは自分の足でそれについて行っている細身の土蜘蛛である。
地潜とはずいぶん違う体格に戸惑っていると、彼らは親切にも教えてくれた。
「俺らは足高言うてな、穴潜りはようせんのやけど、走るのは得意やさかいこうして平野に住んどるんや」
足高という氏族は、地潜と比べてすらりとした細身の体付きだった。しかしそれは弱々しいとか華奢であるということではなく、引き絞った針金で編んだような体躯である。
彼らは、人族が馬に乗ってようやくたどり着ける速さを、自前の足の速さで平然と達成できる、非常に足の速い氏族だった。四本の足で滑らかに走り、四本の腕で弓を射る姿は美しくさえある。
最近では、帝国が宿場制度を広めるにつれて連絡伝達手段の一つ出る飛脚として、他所に出稼ぎに行く若者も多いらしい。
「まあ走るのばっか得意で、狩り以外できひんから人族の世話んなることの方が多いかも知らんけどな」
「言うたら僕達かてあんげにようけ走られへんから、御相子や」
冒険屋たちを呼ぶ前はもっぱら足高たちが大嘴鶏食いの相手をしていたようだったが、それもさすがに厳しくなってきたらしい。
本当であれば大嘴鶏食いというものは、被害を出しても一季に二度か三度ある程度で、保険屋に保険金を出してもらっておしまいというのが常であったらしい。
しかしどうにもここ最近では大きな巣か群れができたらしく、無視できないほどの被害が出るようになっているようだった。
「普通は、大嘴鶏食い言うんはそこまで増えへんのやけどな。餌の野良大嘴鶏が十頭おったら、大嘴鶏食いが一頭おるかおらんかや。草食なら草食えば増えるかも知らんけど、肉食やからな、あいつら」
だから突然変異か、たまたま餌の多い時期に増えたものが、いま餌が足りずに遊牧民たちを狙っているのかもしれないと彼らは語ってくれた。
用語解説
・足高
土蜘蛛の氏族の一つ。遊牧民。足の速い家畜たちとともに平原を移動する氏族。
非常に足が速く、弓を得意とする狩猟民族でもある。
主に中南部の平原地帯に住んでいるが、帝国の宿場制度と飛脚制度が広まるにつれてその足の速さを徴用され安定した公務員として就職するものも多い。
前回のあらすじ
足高なる新しい種族との遭遇。そして。
大嘴鶏食いが狙う大嘴鶏というものを、紙月たちはあまりよくしらなかった。
この世界に来て最初に世話になった村でも家畜として飼育していたが、そのときはただただ大きさに圧倒されるばかりで、詳しくは聞く由もなかったのである。
大嘴鶏というのは、現地人曰く「でかい鶏みたいなもの」である。その言葉の通り、人が載れるほどに大きいし、産む卵も、ダチョウの卵程はある。大嘴と名のつくように嘴は大きく、あまり顔立ちは鶏には似ておらず、どちらかというと恐竜か何かのようでさえある。
気性は温厚だが、これは人が飼いならしているからであり、ひとたび危害が迫ると非常に猛々しく勇猛であるという。
紙月たちには大して違いがあるようにも思われなかったが、大嘴鶏には大きく分けて三種類あった。
一つは野生のもので、これは気性が荒く、一人で捕まえて乗りこなすことが成人の儀であるというが、たまに重症者が出るというほどだから、ほとんど害獣と言って差支えない。警戒心が強く、人が寄ると襲うよりまず逃げるので、まだ害獣でないというだけで、立派な獣である。
もう一つは騎乗種である。これは乗って走らせることを目的として飼育しているもので、気性は荒く、勇猛で、とにかく力強く、速い。野生種と頻繁に交雑させるのでほとんど野生に近いが、人間の言うことをよく聞き、群れをつくる、遊牧民のよき友である。遊牧民はみなこの騎乗種を手足のように扱えるようになって初めて一人前と見なされる。
また一つは食用の家畜で、これは肉付きよく、立派な卵を産むように品種改良を重ねてきたもので、気性は臆病で温厚。走らせると遅いが、肉はうまく、乳もよく出て、卵を日に一つか二つは産む。紙月たちが観察してみれば、成程確かに騎乗種と比べるとふっくらしているし、騎乗種にまたがった牧人に追い立てられる姿はなんだかおっとりとしている。
そしてなにより、
「旨そうだな……」
「だよね」
なのである。
騎乗種や野生種が猛々しく、まず争いを覚悟させられるのに比べて、食用種は嘴も丸いし、いかにも食われるために育てられているといった丸々しさで、成程、大嘴鶏食いも狙って食うわけである。
またこの羽毛のきめ細やかで柔らかな事と言ったらたまらないもので、試しにと抱き着いてみた紙月はあれよあれよという間に沈み込んでしまって、他の冒険屋からそうだろうそうだろうと妙な頷きをもって迎え入れられたのである。誰もが試す道であるらしい。
なお、鎧を脱いで身軽になった未来などは、上に寝そべったまま平気で大嘴鶏が移動するので、まるで雲に寝そべったようだと実に満足げであった。
この食用種を護るために冒険屋が雇われたのであって、紙月たちもあくまでも休憩中にこのような戯れをしているだけであって、仕事を放り出して遊んでいるわけではない。
しかし、そこのあたりでいうと先任者たちは立派なものであった。
足高の牧人のことではない。彼らの飼い慣らす牧羊犬のことである。
最初に大嘴鶏を追い立てるこの牧羊犬を見た時、紙月たちはこれこそ大嘴鶏食いなのかと警戒もあらわだったが、牧人たちはこの旅人たちの勘違いに大いに笑った。
「安心せい。あれは俺らの牧羊犬や」
「ぼ、牧羊犬!?」
羊相手ではないので牧鶏犬とでも言うべきなのだろうが、交易共通語では、馬の類と同じように、区別しないようであった。
彼らは全部で五頭の牧羊犬を飼っていたが、みな立派な体格をしており、ふさふさの長い毛をした長毛種であった。この長毛は見た目に立派なだけでなく、敵に噛み付かれたときに防具の役割もこなすというのだから、自然の妙である。
筋骨隆々たる冒険屋たちは無理であったが、小さな未来を背に載せて走り回るなど造作もないことのようであったし、細身で華奢で他の冒険屋の半分くらいしかない紙月をのせて歩き回るくらいのことはやってのけた。
未来は最初、牧人たちにからかわれてこの牧羊犬に載せられるや、死を覚悟したような泣くのをこらえるような壮絶な表情をしたものだったが、今では年齢相応にこの変わった乗り物を楽しんで牧地を走り回っていた。牧羊犬の方でも子供の面倒を見るのは楽しいらしく、勝手気ままに歩き回って草を食む大嘴鶏たちを囲いながら、つまり仕事の片手間に未来の面倒も見ていた。
一方でなかなか慣れないのが紙月である。
相方が頑張っているんだぞと囃し立てられ、勇気を振り絞って背中に乗ったはいいものの、牧羊犬の方でもこの細っこいのが大いに恐れているということを感じ取って、すっかり警戒してしまっていた。動物というものは、相手が警戒しているのを鋭く感じ取ってしまう生き物なのである。
「なんかこういう銅像ありそうだな」
「妙な趣味の奴な」
好き勝手に言われるまま、かちんこちんに固まった紙月と牧羊犬を解きほぐしたのは、一等年若い一頭であった。
なにしてるのー、とばかりにこの一人と一頭にとびかかった牧羊犬は、華奢なハイエルフを押し倒して声にもならない悲鳴を上げさせるや、もふもふの毛並みで上下から挟み込んでしまったのである。
「おい、あれ大丈夫か」
「いや、もう駄目だな」
「マジか」
「実家に帰省した時アレを喰らったが、アレはまずい。死ねる」
「マジか」
マジであった。
上下から豊かな毛並みに挟み込まれた紙月は、とてつもない恐怖と嫌悪感に体をこわばらせ、そして次の瞬間にはその毛並みのあまりのふわっふわに巻き込まれて解脱した。ような気がするほどの得も言われぬ心地よさに、思わずあられもない声を漏らしてしまい、事前に性別を聞いて驚いたはずの冒険屋たちも思わずそっと屈んで目を逸らしてしまうほどだった。
何しろこの毛並みの心地よさと言ったら、下手な羊のそれよりも余程に柔らかくしなやかなのである。ところが残念なことに、この毛並みは本来外敵に対しての防御のために生まれたものであって、切り離してしまうと途端にとげとげしくがさついた毛並みへと劣化してしまうのである。
売り物になれば、どんな貴族でも買うだろうというのに、とは世の牧人の言うところである。
ことほど左様に人を魅了する生き物であるところの牧羊犬をどうして紙月たちがあれほどに恐れたかと言うと、その外見であった。
「お嬢ちゃんら、よほど都会人なんやな。牧羊犬見たことないて」
「犬ってみんなこんなのなんですか?」
「うん? まあせやろ。商人なんか愛玩犬飼ったりするけど、よう逃げられたりしとるな」
そういえば迷子の犬探しなどの依頼もあったが、最初の犬がこのようなやんわりした接触でよかったと紙月は思った。心底思った。
何しろこの世界で一般的に犬と言ったら、それは土蜘蛛達の連れてきたという種族らしいのだ。
つまり、その見た目は巨大な蜘蛛そのものなのである。
たっぷりの毛におおわれて、目もきょろりと丸っこく愛らしく、などと字面でどれだけ飾ろうにも、蜘蛛なのである。
聞けば、一応四つ足で哺乳類のいわゆる犬もちゃんといるらしいが、八つ足の犬と比べると少ないらしい。この言い方は紙月をはなはだ混乱させたが、荷を引いたり背に乗ったりする類の動物を軒並み馬呼ばわりするのと一緒で、こういう役割をする家畜を犬と呼ぶらしい。
では猫はどうなのかと聞いたら、ちゃんと猫もいるという。しかしこちらは四つ足の猫しかいないという。
「八つ足の猫はいないんですか?」
「猫が八足やったらキショイやろ」
「そういうもんですか」
「そらそうやろ」
そういうものであるらしい。
「猫はただでさえ意味わからんからな、これ以上意味わからんくなっても困る」
「はあ。ここらにもいるんですか」
「遊牧民はまず飼わへんけど、村やら町やらにはまずおるやろな。猫はウルタールを通ってどこにでもおるもんや」
「ウルタール?」
「猫の来るところや」
意味は分からなかったが、そういうものであるらしい。
用語解説
・牧羊犬
牧場などで羊を誘導したり、外敵から守ったりするために飼われている。主に八足で、卵生。
・猫
ねこはいます。
・ウルタール
ウルサール、ウルサーなどとも。遠い地。歩いて渡れぬ隣。夢野の川の向こう。猫たちのやってくるところ。
前回のあらすじ
紙月、死す。
ほとんど遊んでいるようにしか見えない冒険屋たちだったが、ひとたび敵が出ると動きは素早かった。
「出たぞ!」
最初に声を上げたのは、紙月たちと同じ休憩組であるエベノの冒険屋たちだった。そして声を上げると同時にもう矢をつがえて、ひゅうと鋭く射っている。そしてこの咄嗟の射が外すことなく獲物の脳天を射抜くものだから、遊んでいるようでさすがは冒険屋である。
次いで紙月が跳ね起きると同時に、仕事組であった冒険屋がものすごい勢いで手斧を投げつけ、もう一頭の胸にしたたかな一撃を加えた。そしてわずかに間をおいて、紙月の《火球》が逃げ去ろうとした一頭の頭を焼き払い、ごろりと地に転がした。
仕事組の冒険屋がじろりと見やってくるので、紙月は少し考えて、そうか、とすぐに頭を下げた。
「すまない」
「いや、いい、間が悪かった。あんたの魔法は、思いのほかに早いな」
失敗は冒険屋にとってつきものであるし、これは致命的な誤りでもなかったから、すぐに謝罪したことで、こじれることはなかった。
未来が瞬時に着込んだ鎧を、やはり同じように解除しながら不思議そうに首をかしげるので、紙月は教えてやった。
「大嘴鶏食いは大体三頭で行動するだろ」
「うん」
「一頭残しておけば、巣の場所が分かったかもしれない」
「あっ」
「でも、いまのは俺の魔法があんなに早いとは思わなかったし、向こうにも非があるといって許してくれたんだ」
「成程」
未来は賢い。賢いが、まだ経験が浅く、気の回らないことも多い。そこを補ってやるのも紙月の仕事だった。
「それに、まだ挽回できる」
「え?」
「仕事はまだ終わってないぞ」
紙月が鋭く言うと、未来も鼻を引くつかせて、瞬時に鎧を着こむ。そして今度はためらうことなく、その手元の盾が翻った。
ガツンと激しい音と共に、紙月たちの警戒していたその逆方向からひっそりとやってきたもう一群の鼻先を、未来の投げた盾が一撃お見舞いした。
ついで、牧人の足高の弓がもう一頭を仕留めた。
あと一頭。
即席の冒険屋たちが一瞬強張る中で、先の経験で反省した紙月が新たな魔法を繰り出した。
「《土鎖》!」
さかしくも早々に逃げ出そうとした最後の一頭の足元から土が盛り上がり、素早くその足を縛り付ける。
土でできているから決して頑丈な戒めではないが、走り出したその足元をすくって転倒させることには成功した。
「未来!」
「よしきた!」
そこに鎧姿の未来がのしかかれば、細身の大嘴鶏食いはひとたまりもなく昏倒した。
捕まえたのである。
「火の魔法に土の魔法、多芸だな、あんたは」
「伊達に森の魔女と呼ばれちゃいないよ」
「なに、するとあんたが地竜を昼飯にしているという」
「待って」
「俺も聞いたぞ、腹いせに山を吹き飛ばすとか」
「待って待って」
勿論冒険屋たちもそれが盛りに盛った冗談の類だということはわかっていて大いに笑った。
大嘴鶏食いはすっかり昏倒していて、しばらく目覚めそうになかったので、紙月が《土槍》を工夫して即席の土の檻を作って囲った。崩れぬように念じるとそのようになったし、形も、あまり細かくは無理だったが、大雑把には念じた通りになったので、これは大きな発見だった。
目覚めるまでの間、冒険屋たちは各々矢や手斧を回収し、大嘴鶏食いのむくろを集めて、さてどうしたものかと頭を集めた。
そんな中でふと食べ盛りの未来が腹の根を鳴らし、思い出したように牧人が言った。
「割りにうまいで」
「なに?」
「ちいと筋張っとるけど、なかなか乙なもんや」
「焼くか」
「うむ、焼くか」
焼いて弔うことになった。
冒険屋たちはそのような建前でさっさと竈を組み、手慣れた様子で血抜きし、この恐竜のようなオオトカゲをさばき、水精晶の水筒で洗い、適当な大きさで串に刺して、あぶった。
食ったことがあるのかと聞けば、ないという。ないが、獣というものはその種類ごとに大体同じような骨付きをしているから、鶏が捌ければ鳥や蜥蜴の類はさばけるし、毛獣もさほどの違いはないという。
やったことがないというのでは冒険屋をやっていくのは大変だろうからと一頭任せてもらった。最初こそ気持ちが悪くなりかけた紙月はすぐに調子を掴んでてきぱきと解体し、包丁仕事はそれなりに慣れているという未来も、小さな手ながらすんなりとやってのける。
「毛獣は、例えば熊や猪の類は、脂がもっと分厚いから、刃がすぐに鈍る。近くで湯を沸かしておくといい」
「羽獣や大トカゲの類は骨が細いものが多いから、折ってしまわないように気をつけろ」
「今日はお前たち冒険屋の流儀だから焼くが、遊牧民は基本的に煮る。その方が火も節約できるし、肉もすっかり骨からとれる」
一見旅慣れない女である紙月と、子供の未来が素直に指示に従うのが健気でよいらしく、冒険屋たちは、また牧人たちも様々な事を教えてくれた。
五頭の大嘴鶏食いはさすがに多いので、二頭を冒険屋たちがおやつ代わりに平らげることにし、残りの三頭分はいくらかを牧人たちの夕餉にすることにし、残りを市でさばくことになった。
さて、肝心の大嘴鶏食いの串焼きはというと、これは成程なかなかの美味だった。
肉自体は、そのごつごつとした鱗からは想像できないほど白く透き通っており、焼くと白っぽく濁る。これにしたたかな牧人たちが売りつけてきたべらぼうに高い岩塩を振りかけて食べるのだが、これが、美味い。岩塩に高い金を払うのも仕方がないと思う位には、美味い。
「見た目より臭みがないな」
「よりっていうか、全然ない。鶏肉だよね」
「ジューシーな鶏肉」
「ささみっぽいというか、脂身はあんまりないんだけどね」
「いかんな。無限に食える」
「あれ欲しい」
「あれ」
「ポン酢」
「わかる。それに、わさび」
「ぼくさび抜きでいいや」
「お子様め」
試しに、以前村で頂戴した猪醤につけてみると、これがたまらなく美味かった。ワサビはなかったが、牧人たちが猪醤と引き換えにと差し出してきた生姜、つまりショウガを摩り下ろして加えると、これはもう犯罪的だった。
冒険屋たちはそれぞれにスダチのように香りのよい柑橘や、このあたりでは値の張る胡椒、また南部で仕入れたという唐辛子のペーストを交換条件に出し、それぞれが満足のいく取引となった。
冒険屋が集まっていいことの一つは、食道楽が多いということである。決まって何か一つは、決まり手と言っていいような食材を、懐に忍ばせているものである。
そうこうしているうちに、肉の焼ける香ばしい匂いに誘われてか、大嘴鶏食いが目を覚ました。そして解体されてあぶられている仲間の姿にギャアギャアと鳴きながら暴れ始めるではないか。
いくら害獣とはいえ、これは悪いことをした、配慮が足りなかったなとは思いながらも、冒険屋たちは檻の強度を確かめるだけで、満足するまで肉を食い、酒を飲んだ。
そしてしっかり火の始末まで終えてから、冒険屋たちはそれぞれに大嘴鶏を借り、息を吹き返した大嘴鶏食いを放して、早速追いかけたのだった。
用語解説
・《土鎖》
ゲーム内《技能》。《魔術師》系列が覚える土属性の低級魔法。
土属性の行動阻害系《技能》で、相手の移動を封じたり、場合によっては転倒させて行動を封じたりする。勿論空を飛んでいる相手には効かないし、水場でも使えない。
『《土鎖》! 今日ほどこの魔法を忌々しく思った日はないわ! 言わんでもわかるじゃろ! 出て来い!』