翌朝、スケジュールの一部が変更になったと制作の子が教えてくれた。
「テーマが昨日決まったから、次は具体的になにを作っていくか今日から決めていく予定になったよ」
「なにがテーマになったの?」
「海!」
クラスカラーが青なので、それで連想したらしい。海なら小物のイメージがつくので作りやすそうだ。
「少し予定が早まる感じだね。書き直しておくよ」
「ありがと〜、楓ちゃん」
黒板の横に貼っているカレンダーの前まで行き、内容の一部を修正する。
着々と展示の準備が進み出している。私もタイムスケジュールの件、早く考えないと。当日は何人ずつにするべきか、どのくらいの時間で交代か。そこを考えてからじゃないと、みんなにアンケートがとれない。
「楓? なにしてんの?」
背後から抱きつかれて、身体がよろけた。この声は美来だ。
「スケジュールの修正してて」
「ああ……」
美来の声のトーンが落ちる。話を変えたほうがいい気がして、口角を上げると、藤田くんに退屈そうだと言われたことを思い出す。退屈なわけじゃない。けれど顔色ばかりをうかがっているから、窮屈に見えているのかもしれない。
「私のことなんか言ってた?」
「え?」
「めぐみ」
美来の口から、彼女の名前がでてきたのは夏以来だった。最近では〝あの子〟と呼んでいて、嫌悪感を露わにしていたのに、今は叱られた子どものような弱々しさを感じる。
「ううん、特には」
「……そっか」
美来の表情からはなにを思っているのかわからなかった。だけど今の美来からは嫌悪は感じない。元々美来はめぐみのことが大好きだったのは、一緒にいた私はよく知っている。感情的になって好意が一時的に裏返っただけで、本心ではどう思っているのだろう。そしてめぐみも、美来を嫌ってはないと言っていた。
だけど——
『私、時々息が詰まりそうだった』
めぐみにとって、なにが一番苦しかったのか。答えが出かかっている気がするのに、それを表す言葉が浮かんでこない。
私は三人でいるとき、なにを思っていた? 今、苦しい原因はなに?
『楓は私たちと一緒にいて、本当に楽しい? 不満はないの?』
黙り込んでいた私を不思議に思ったのか、美来が顔を覗き込んできた。
「楓、なんか元気なくない?」
——〝手伝って〟って言えばいいじゃん。
今がそのタイミングだ。けれど口を開いて、出たのは「そんなことないよ」という誤魔化しの言葉だった。
「そっか。ならいいけど」
簡単なように思えて、私にとっては難しい。
「ね、楓これ見て! 昨日見つけたんだけどさー」
スマホの画面を見せてきた美来が、SNSの投稿を見せてくる。美来の好きなアイドルの動画だった。
「めちゃくちゃかっこよくない⁉︎」
上機嫌な美来に私は相槌を打つ。けれど上手く口角が上がらない。このままだとなにも変わらない。
「あのさ」
口の中が乾き、喉が痛んだ。声が微かに震えてしまう。
「展示の当日のタイムスケジュールなんだけど」
「あー、決めないといけないんだっけ?」
手のひらに汗がにじむ。緊張を押し込めるように、ぎゅっと握りしめた。美来から笑みが消えていく。
「できれば美来にも、考えるの手伝ってほしくて」
美来があまりやりたがっていないのは知っている。嫌がられるかもしれない。けれど、これはクラス行事でできれば協力してほしい。すると「わかった」とあっさりと返されて、私は目を大きく見開く。
「……いいの?」
「だってやらないといけないことなんでしょ? てかなんでそんな泣きそうな顔してんの」
乗り気ではない美来に手伝いを頼んだら不満を抱かれないかとか、他のクラスの友達に愚痴を言いに行くかもとか、不安なことがいくつも頭の中に浮かんでいた。
「もしかして、結構気にさせてた?」
「美来、あんまり展示の作業したくないのかなって思ってて……」
美来が壁に貼られたカレンダーに視線を流す。そして気まずそうに歯切れ悪く、「ごめんね」と口にした。
「正直展示ってつまんなそうって思ってやる気なかったんだよね。しかも、楓にリーダー押し付けちゃったし……本当は嫌だってでしょ?」
「え……と」
普段ながらここで〝気にしないで、大丈夫〟と答えていた。だけどほんの少しだけ勇気を出して、美来に自分の言葉を告げる。
「リーダー任されたとき、ちょっと困った」
本音の中に弱音も混ざり、溜め込んでいた不安が溢れ出していく。
「それに私リーダーとか今までやったことがないから、今もちゃんとできているかわからなくって」
自分でも気つかないうちに、ひとりで空回って、いっぱいいっぱいになりかけていた。
「ごめん、楓」
困惑した様子で美来が私の手を握ってくる。その眼差しには焦りが見えた。
「そんなに悩ませてるって思ってなくて……」
本音を話したら、美来を怒らせるかもしれない。そればかり考えていた。けれど、伝え方や状況次第で、相手に届くことだってある。
美来の喜怒哀楽がわかりやすいところに惹かれて仲良くなって、体育祭では積極的にみんなをまとめている姿にも憧れた。同時に美来の発言力が大きいことや、気分屋なところを知っていく。そうして顔色をうかがうようになって、私は美来の空気を読むようになってしまったのだ。嫌われたくない。離れていかないでほしい。そういう感情に私は縛られていた。
「さっき言ってたタイムスケジュール、昼休みに一緒に考えよ」
「うん、ありがとう」
「あ、先生にさ、毎年のタイムスケジュールどんな感じなのか聞いてみない? そしたら考えやすそう!」
美来のやる気が出たわけではないけれど、声をかけたことによって、抱えていたものが軽くなっていく。言えてよかった。あのままいつもみたいに飲み込んでいたら、いずれ私には限界がきていた。
不意に視線を下げると、手のひらに滲んでいる灰色が少し薄くなっているように感じた。
なんで……?
目を凝らしてもう一度見ても、やっぱり薄くなっている。もしかして、私に変化があったから?
そうだとしたら、私のオーラは人に合わせて自分の本音を飲み込んでしまったから、色が混ざった灰色になってしまったのかもしれない。
***
昼休みに担任の先生に、昨年先輩たちが作ったタイムスケジュールの紙をもらいにいった。微調整は必要だけど、だいたいはこの通りでいけそうだった。
教室でご飯を食べながら、昨日藤田くんに教えてもらったことを美来に話す。
「アンケートアプリ? そんなのあるんだ」
「藤田くんが提案してくれて。私もその方法がいいかなって思うんだけど、どうかな」
美来はコンビニのおにぎりを食べながら、空いている右の指で丸を作る。
「全員に聞いて回るより絶対楽でいい! てか、藤田くんって案外協力してくれるんだ。行事とか嫌がるタイプかと思ってた」
五月にあった体育祭では競技には出場していたものの、あまり積極的に参加している感じではなかった。打ち上げにも不参加だったのは藤田くんだけだ。そのためそういうイメージがついている。
「アンケートの集計も一緒にしてくれるって」
「へー、意外。あ、藤田くん」
ちょうど藤田くんが教室に戻って来た。美来の声が聞こえたらしく、一度立ち止まってからこちらへやってくる。
「なに」
藤田くんが机の上に視線を落とす。過去のタイムスケジュールが書いてある紙を見て、「展示の件?」と問われた。
「美来の提案で、去年先輩たちが使ったタイムスケジュールもらってきたんだ」
「じゃあ、組みやすいな」
近くの椅子を引っ張ってきて私たちの横に座った。藤田くんは紙を手に取り、目を通していく。
「俺らのクラス、これよりふたり少ないから、人数の調節した方がよさそうだな」
「朝は人があまりこなさそうだから、そこを減らすのがいいかな」
私の案に藤田くんが頷いてくれる。
「笹原。昨日話したアンケートのアプリ、どれかわかった?」
「あ、うん。これだよね?」
昨夜スマホでダウンロードしておいたアプリを開く。試しに使ってみたけれど、アンケートの項目もたくさん作れるので使いやすい。
「それ。とりあえず何時の担当がいいか希望を第三まで取るのと、無理な時間帯も聞いた方がいいよな」
「そうだよね。待って、今メモ取る」
「メモ取んの好きだな」
バイトでもメモを取っていたことを思い出したのか、藤田くんに笑われてしまう。
「だって後で抜けがあったら嫌だから……」
「悪い意味じゃねぇって。真面目なのはいいと思うし」
私たちのやりとりを見ていた美来は目を瞬かせた。
「なんかふたり仲良くない?」
藤田くんと視線が交わる。けれどすぐに逸らされ、藤田くんは「別に」と濁してくれた。私に気を遣ってくれたみたいだ。
なんとも言えない気持ちになる。でも少し前の私だったら、美来にどう思われるのかを気にして話せなかった。私たちに関わりがあるからといって悪いことなんて、なにひとつないのに。
「バイト先が一緒なんだ」
美来だけじゃなくて藤田くんまでもが驚いたように私を見た。
「マジ? すごい偶然じゃん!」
予想外なことに美来は食い気味で、本気で吃驚しているようだった。
バイト先がファミレスだということや最寄駅が同じことなど、一通り美来に打ち明ける。私たちに関わりがあることを知っても美来の態度は変わらない。
身構えていたけれど、話してみればたいしたことはなかった。ただの想像に私がずっと怯えていただけだった。
それから私たちは昼休みが終わるまでタイムスケジュールについての話し合いをして、アプリをつかってアンケートを作成した。他のグループの子にURLを送り、グループ内で拡散してもらう。あっというまに作業が進んでいった。それは私ひとりではできなかったことで、ふたりが手伝ってくれたおかげ。
私は相談をしたり手伝ってもらうまでに、何度もうじうじと悩んでいた。けれど、自分の気持ちを伝えることで、いい変化をもたらしてくれることだってたくさんある。
『楓は、なに考えてんの?』
もしもあのとき、めぐみに私の本当の気持ちを伝えることができていたら、私たちの関係は今と変わっていたのだろうか。
***
展示のスケジュールのアンケートもちらほらと集まり始め、新店舗でのバイトも九月が下旬に差し掛かった頃には慣れてきた。
「笹原」
「はい! 唐揚げ、今揚がったよ」
バイト先でも藤田くんと息があってきているように思う。指示を受けなくても、よく注文がくるメニューの動きは読めてくる。
「唐揚げと、フライドポテトです!」
受け渡し台に完成した料理を置く。スピーディーにこなすことばかりを考えていたせいで、丁寧さが欠けて唐揚げの盛り付けが崩れてしまった。まずい。このまま出すわけにはいかない。
「すみません、すぐやり直してきます!」
「私が直すから、大丈夫だよ」
岡辺さんが近くにあったお箸をとって、唐揚げを整えて盛り付け直してくれた。
「ごめんなさい!」
「あとちょっと忙しい時間続くけどがんばろ!」
励ますように、にっこりと微笑んでくれる。岡辺さんだって混んでいて大変なはずなのに疲れを一切見せない。どんなに忙しくても周りのフォローをしたり、気を配ってくれている。料理を運んでいく彼女の姿を眺めながら、私は気を引き締めた。
それから一時間くらいして、ようやくピークが過ぎた。
調理台を片付けていると新しい注文が入る。藤田くんはタブレットをいじり、レシピを画面に表示させた。
「ベリーパフェ、作ってみる?」
「作りたい!」
食いつく私に、藤田くんがおかしそうに笑う。眉間にシワを寄せることが多い彼が、こういう表情をするのは珍しい。段々と打ち解けてきているような気がする。
「じゃあ、頼んだ」
パフェを作るのはほとんど藤田くんが担当していたので、私が作るのはあの日以来だ。ソースの色の見分けは心配ではあるけれど、ストロベリーソースはつぶつぶとした果肉が少し入っているので見分けがつく。
パフェグラスの中に、角切りのミルクスポンジケーキやシリアル、小さめのマシュマロなどをレシピ通りの順番で入れていく。アイスをディッシャーでくり抜いて盛り付けてから、ホイップクリームを絞る。結構上手くできた。
あとはソースをかけるだけだ。調理台の上にあるソースの容器を手に取ろうとして、動きが止まる。
「笹原?」
つぶつぶとしたものが入っているソースの容器がふたつ並んでいた。ブルーペリーソースの存在をすっかり忘れていた。どちらがストロベリーなのかがわからない。
「仕上げは、ストロベリーソース」
「あ、うん……」
ストロベリーソースの方がよく使うので減りが早いはず。そう考えて、手を伸ばそうとすると手前の容器を藤田くんが掴んだ。
「早くしねぇと、アイスが溶ける」
「ご、ごめんなさい!」
危なかった。間違えてブルーベリーの方の容器を手に取ってしまうところだった。
無彩色の視界でも問題なくやれていたけれど、ソースのことは避けられない。毎回味見をしてからかけるわけにもいかないし、なにかいい方法を考えなくては。焦りを覚えながらも最後にミントを乗せて、パフェのオーダーを完了した。
あと三十分ほどで上がる時間になった頃、藤田くんが私の目の前に飲み物が入ったグラスを置いた。
「笹原、イチゴミルク飲める?」
「うん、飲めるよ」
グラスに注がれたジュースをまじまじと見つめる。視界がモノクロとはいえ、二層になっているのはわかる。
「フルーツ系のソースとミルクが賞味期限の問題で今日で廃棄だから、店長が使っていいって。飲む?」
「そうなんだ。じゃあ、もらうね。ありがとう」
長いスプーンで、かき混ぜてからひと口飲む。校内に広がった味に、違和感を覚えて眉を顰める。
「あの、これ……」
——イチゴミルクじゃない。
甘いけれど、イチゴソースの味ではなくて、酸味も控えめだ。
「なに?」
もう一度飲んでみる。けれどやっぱりイチゴの味ではない。それにこの味には覚えがある。わかりそうでわからないのがもどかしい。
「これ……本当にイチゴミルク?」
藤田くんは目を伏せて、「ごめん」と口にする。
「気になることがあって、試すようなことした」
「試すようなことって……」
「それ、ブルーベリーソース」
答えを言われて、かかっていたモヤが晴れていく。けれど、それと同時に試すようなことをしたという発言に動揺が走る。
「笹原、色が見えてないよな」
首に手をかけられたような息苦しさを覚えて、喉が痙攣するように震えた。
「パフェのときに違和感があって、今確信した」
知られてしまった。いずれは自分から言うべきことだったのに、こういった形で知られてしまい、不信感を抱かれたかもしれない。
「もしかして、自販機のときも色が見えてなくて間違えて押した?」
「ぁ、あの……っ、ごめんなさい!」
藤田くんは理解できないといった表情だった。
「色が見えないのに働いてるなんてダメだよね……本当は私からちゃんと申告しないといけないことなのに」
「謝ることではなくね?」
「え……」
「色が見えないことって、いけないことなわけ」
首を横に振る。色が見えないこと自体は、不可抗力で悪いことなわけではない。だけど、私自身が黙っていたことに問題があるのだから、責められてもおかしくない。
「生まれつき見えねぇの?」
「……夏休み前から」
「は? 夏休み? それって最近じゃん」
あるときから周囲が無彩色に見えるようになったこと。そしてネットで見た灰色異常という都市伝説のような症状に似ていて、人が纏っている色だけは唯一見えるということを打ち明ける。
「聞いたことねぇな」
「あんまり有名な症状じゃないみたい。それにいくら調べても医学的な病名が出てこないんだ」
「とりあえず事情はわかったけど……早く治るといいな」
藤田くんは怒ることなく、むしろ心配をしてくれるように気遣う口調だった。いつ治るのかもわからない。もしかしたら一生のこのままなのではないかという漠然とした不安に駆られる。
「親に話した方がいいのかな」
「言ってねぇの?」
「うちの親、心配性っていうか……多分話したら大騒ぎしそうで言えなくって」
バイトだってさせてくれるし、特に門限もなく、過保護なわけではない。けれど姉が高校のときに病気になったことがあり、それ以来体調面に関しては過敏に反応するようになったのだ。
私が原因不明の灰色異常というものを発症したと聞けば、おそらくは病院に連れて行かれる。それに突然人のオーラが見えるなんて言ったら、おかしくなったと思われてしまいそうで怖い。
「話すかは笹原の自由だとは思うけど。日常生活で困ることとかねぇの?」
「最初は食べ物とか、変な感じがしたかな。でも見なければ味はちゃんとするから気にならなくなった。あとは私服が困るかも」
以前から持っている服なら色がわかるけれど、新しい服は色がわからないので買えない。組み合わせだってイメージがつかない。そのため去年も着ていた無難な服を選んでいる。
「なんか困ったことあれば、できる限り協力する」
「……いいの?」
「バイトで困ることがあれば、その都度聞いて」
藤田くんは私が灰色異常を黙っていたことを叱ることはなかった。むしろ優しい言葉をかけてくれる。自分の中で決めつけて完結せずに、早く話していたらよかった。
「ありがとう、藤田くん」
「礼言われるほどのことしてねぇけど」
苦手なはずの赤色。だけど彼を知るにつれて、苦手意識が薄れていく。隠れていた緑色は、接してみないとわからない彼の一面なのかもしれない。
***
バイトが終わって裏口から外に出ると、突如肩に重みが降りかかってくる。前のめりになりながら、体勢を立て直すと、明るい声が頭上に響いた。
「楓ちゃん、おつかれ〜!」
肩を組んできた岡辺さんは、なにかを企んだように口角を上げる。
「これからさ、ちょっと時間ある?」
「え、うん」
「やった〜!」
派手な雰囲気の彼女からの誘いに戸惑いながらも、了承してしまった。断りにくいというものあったけれど、ちょっとした好奇心も混ざっている。でも岡辺さんの用事に見当がつかない。後ろをついていくと、お店の駐車場までたどり着いた。そしてその近くにはひとりの男の子が立っている。
「藤田〜! お待たせ!」
「おー」
気怠げに返事をする藤田くんと何故か合流し、私たちは夜道を歩き始めた。この三人で話すのは初めてで、なんだか落ち着かない。行き先を知らぬまま、私は岡辺さんと藤田くんに挟まれて歩いている。
「これからどこ行くの?」
「聞いてねぇの?」
藤田くんが呆れたように岡辺さんを見た。
「岡辺、なんて言って誘ったわけ?」
「ちょっと時間ある?って聞いたよ」
「もう少しまともな誘い方しろよな」
「あー、ごめんごめん。言葉足らずだったね〜」
ふたりの会話から、仲の良さがうかがえる。ホールとキッチンであまり関わることはないだろうけれど、岡辺さんが人懐っこい性格だからか、藤田くんとも打ち解けているのかもしれない。
「コンビニに行こうと思って!」
「コンビニ⁉︎」
行き先がコンビニだとは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「アイス買って、それで公園で食べようよ〜! 楓ちゃんと話してみたかったんだよね〜!」
無邪気な笑みが眩しくて、つられるように私は頬が緩んだ。
「笹原、嫌だったら断っていい。こいつ面倒くさいし」
「え、楓ちゃん嫌?」
子犬のような潤んだ眼差しの岡辺さんに、私は首を横に振る。
「アイス食べたい!」
「やったー‼︎」
「……声、うるせ」
バイト帰りの夜の街に、まだ知り合って間もない同級生のふたりとアイスを外で食べる。私はそのことにわくわくしていた。
近くのコンビニでそれぞれアイスを選んでから、夜の公園へ向かった。木製でできた大きなアスレチックを登り、コンビニ袋からアイスを取り出す。岡辺さんは棒つきのアイスを掲げた。
「では、楓ちゃんの歓迎会ってことで!」
「私の歓迎会だったの?」
「せっかく同い年だし、親睦深めたいなーって」
藤田くんがここにいる理由がようやくわかった。乗り気には見えないので、内心帰りたがっているかもしれない。
「嫌々来たわけじゃねぇからな」
「えっ」
「気にしてそうだったから」
見抜かれてしまっていたようだ。けれど、その言葉を聞いて安心した。心に芽生えた感情はくすぐったくて、頬がほんのりと熱くなる。
「ありがとう。私、こういうの初めてで……嬉しい」
岡辺さんはにっこりと微笑んでくれた。藤田くんはわかりにくいけれど、口角が先ほどよりも上がっている気がする。
「じゃあ、食べよっか!」
「いただきます」
私は小さな箱に入ったお餅の形をしたアイスを取り出す。
中に入っていたピックでさして、口に運ぶと柔らかい求肥の食感とバニラアイスの甘い味に口内が満たされていく。岡辺さんが食べているのはソーダ味の棒つきアイスで、藤田くんはチョコレートでコーティングされているバニラアイスだ。
「これ、やる」
藤田くんが私の前に差し出したのは、ペットボトルだった。サイダーと書かれていて、小さな気泡が立ち昇って消えていくのが見える。
「貰っていいの?」
「笹原の歓迎会だし」
サイダーと藤田くんを交互に見ながら、目を瞬かせる。
「いらねぇなら俺が飲むけど」
「い、いる! ありがとう!」
ペットボトルの表面に手のひらが触れると、冷たい水滴が付着する。割れ物を扱うように大事に受け取って、そばに置いた。藤田くんが私のために買ってくれたのだと思うと口元が緩む。
「そんなの売ってたんだ! 色きれ〜!」
「水色、珍しかったから」
藤田くんと視線が交わる。きっとあえて色を口にしてくれた。そのおかげで、水色をしているのだとわかり、頭の中で淡い水色を想像する。実際に色を見ることができないのが少し残念だった。
「てか、私にも言ってよ! そしたら楓ちゃんに私もなにか買ったのに〜!」
「岡辺に言ったら声がでかいから笹原に筒抜けになる」
「秘密にしたかったんだ?」
からかうようににやりとする岡辺さんに、藤田くんは不服そうに「うるさい」と返した。
サイダーのキャップを捻る。爽快な音がして、甘い香りが漂う。口に含むと、しゅわと弾けて舌が刺激された。かき氷のシロップを炭酸に混ぜたような懐かしい味がして美味しい。炭酸が抜けないようにキャップをきつく閉めていると、岡辺さんが「そうだ!」と大きな声をあげる。
「岡辺さんじゃなくて〝知夏(ちか)〟って呼んで! 私も楓ちゃんって呼んでるしさ!」
ね?と懇願されて、戸惑いつつも頷く。呼び方が変わるのはいつも少し慣れない。
「……知夏ちゃん」
名前を呼んでみると、知夏ちゃんは顔を綻ばせた。
「友達、久々にできて嬉しいなぁ。てか、私も普通科にすればよかった!」
「商業科って授業とか大変なの?」
「授業より、先生がすんごい怖くて! こーんな目つきで〝スカートが短い!〟〝その耳についてる輪っかはなんだ!〟って叱ってくるの!」
先生の話し方の真似をしながら話す知夏ちゃんがおかしくって、噴き出してしまう。日頃から、いろんな注意を受けているらしい。知人に囲まれていそうな明るい性格なので友達は多そうだ。
「中学の頃も似たような注意受けてたよな」
ため息混じりに藤田くんが指摘すると、知夏ちゃんは眉を下げて笑う。
「確かに。なんで先生ってスカートの長さとか気にするんだろうね〜」
「もしかして、ふたりは同じ中学なの?」
「うん。中三のとき同じクラスだったんだよね」
あまり人を寄せつけない藤田くんが、知夏ちゃんとは気さくに話していた理由がようやくわかった。
アイスを食べ終わった知夏ちゃんが立ち上がり、アスレチックで遊び始める。軽快な足取りで滑り台の前まで行くと、なにかを拾い上げて顔を顰めた。
「うわぁ……こういう子どもが遊ぶ場所で、吸うのも捨てるのもやめてほしい」
白くて細長いものを指先で摘むようにして、こちらに見せてくる。どうやらタバコの吸殻のようだ。
「この中、捨てれば」
アイスが入っていた袋に、吸殻を入れるように藤田くんが促すと、知夏ちゃんは首を横に振った。
「いいって。なんかあったら嫌じゃん」
タバコから連想するのは、藤田くんの停学の件だ。吸殻を持って帰るのは、万が一のことを考えると避けた方がいいという知夏ちゃんの気持ちもわかる。
「別に家で捨てれば大丈夫だし、気にすることねぇだろ」
立ち上がり、私は片手を挙げる。
「私が持って帰る!」
「え?」
ふたりの声が重なり、不安げな表情をされた。
「お父さんタバコ吸う人だから、それに紛れ込んで捨てるよ! だから、これは私が持って帰るね!」
知夏ちゃんから吸殻を受け取って、コンビニ袋の中に捨てる。
「でも、楓ちゃん……親に見つかったらなにか言われちゃわない?」
私に持って帰らせることを躊躇っているみたいだ。けれどどのみち誰かが持って帰るのなら、私は抵抗なく家に持って帰って捨てられるので適任だと思う。
「大丈夫! 公園で拾ったこと親に説明するよ」
「悪い、気にさせて」
藤田くんが謝る必要なんてないのに、申し訳なさそうだった。
「てかさ、藤田。このままでいいの? 過ごしづらくない?」
知夏ちゃんが指しているのは、今回の吸殻の件ではなくておそらく藤田くんの停学のことだ。
「噂なんて、いつかみんな興味なくすだろ。それにひとりでいるのは楽だし」
「タバコのことも、暴力のことも、藤田はやってないんじゃないの?」
私も藤田くんと接していて、暴力を振るうような人には思えなかった。言葉はきついけれど、乱暴な人ではない。
「真実なんてみんなどうだっていいんだよ。ただ面白おかしく人のことを話のネタにしてるだけで、噂に俺の意思なんて求められてない」
「噂、嘘なの?」
藤田くんは、なにか言いたげな眼差しで私を見た。自分がやったことは正直に認めそうなのに、彼の言い方では噂は事実ではないように思える。
「……なんかどうでもよく思えなくて。私だったら、そのままにするの嫌だなって」
もしも自分の悪い噂が立って、嘘が混じっていたらもどかしくなる。綺麗さっぱりなかったことにするのは難しくても、できるだけ誤解を解きたい。それに藤田くんは否定することを諦めているようにも感じる。
「……タバコは俺のじゃない」
藤田くんは食べ終わったアイスの袋を片手で握り潰しながら、苦い表情を浮かべた。
「一緒のグループにいたやつらので、俺のだって嘘つかれた。けど、そのあと揉めて喧嘩になったのは本当。先に殴ってきたのは向こうだけど、それも俺が殴ってきたからだって言って、俺が元凶って扱いになった」
友達に罪をなすりつけられて、そのまま藤田くんだけが停学になったなんてあんまりだ。真相は一切学校で広まっていないようで、藤田くんだけが悪者にされている。
「藤田くんは噂を学校で否定しないの?」
「俺を知らないやつが、タバコ吸って友達と揉めて停学って聞いたら、そういうやつなんだって思うのが当たり前だし、誤解を解く証拠なんてねぇじゃん」
表面だけを見て、多くの人が判断してしまう。私はこうして藤田くんと関わることがあって彼を知れたけれど、以前は噂を鵜呑みにしていた。
「話しかけてくるやつなんてほとんどいねぇし。それに否定したところで俺の方が嘘だって思われて終わりだろ」
真実を明らかにするための行いが、必ずしもいい方向へ進むとは限らない。人によっては言い訳だとられてしまう。
「だったらひとりでいた方がマシ」
「でも、これで真実を知る人が私と楓ちゃんのふたり増えたってことだね」
「別になにかが変わるわけでもねぇけど」
彼は強く見えるだけで、実際は強くいなければならない状況だったのかもしれない。ふとめぐみのことを思いだす。
私たちから離れても、平気そうにしているめぐみは強いと思っていた。だけど彼女も同じで、強くいようとしているのだろうか。
「可愛くないなー。感動する場面じゃん!」
知夏ちゃんは滑り台を使って砂利の上に降りると、今度はブランコを漕ぎ始めた。
「……なんで嘘をついたり、誰かを悪者にしたりするんだろう」
ぼそりと呟いた言葉はどうやら届いてしまったらしい。知夏ちゃんが「きっとさ」と口を開く。
「みんな必死なんだよ」
勢いよくブランコが前後すると、ブランコの金具が錆びた音を立てる。
「学校の中で自分を守って生きるために必死で、手段を選ばない人も中に入るから。だって、誰も守ってくれないじゃん。自分のことは自分で守らないと」
知夏ちゃんの言う通り、藤田くんを悪者にした人も、自分がタバコを吸ったことをバレないためになすりつけたのだろう。
「自分を守るための手段だったとしても、そのせいで誰かが犠牲になるなんて……」
「窮地に立たされたら、守る方を選択するやつなんてたくさんいるだろ」
吐き捨てるように藤田くんが言った。停学の件で彼はそれを目の当たりにしたのだ。自分を守る選択。私もそうだ。めぐみと美来が揉めたとき、間に割って入るべきだったのに、私は本音を隠した。
「さ、そろそろ帰ろっか!」
ブランコを降りた知夏ちゃんが、再びアスレチックに登ってくる。
「楓ちゃん、藤田、今日はありがと〜!」
「こちらこそ、ありがとう。楽しかった」
それぞれゴミの片付けを終えて、三人で公園を出る。解散するのが名残惜しい。そんなことを考えながら歩いていると、知夏ちゃんが立ち止まった。
「どうしたの?」
「お願いがあるんだ」
「……お願い?」
笑みを浮かべているように見えるけれど、表情が硬いように見える。
「うん。藤田にも、楓ちゃんにも」
夜を纏った空の下で、知夏ちゃんの周りだけが街灯に照らされていて、スポットライトを浴びているようだった。寂しげな表情に視線が奪われる。
「学校で私を見かけても、絶対に話しかけないで」
拒絶するような言葉に耳を疑う。
「なにがあっても。お願い」
先ほどまで楽しく談笑していたはずなのに、親しいことを知られるのを嫌がっているように聞こえた。
「わかった」
何故か藤田くんはなにも聞かない。私だけが戸惑っていて、置いてきぼりを食らっている。
「ごめんね」
困惑を察したのか、なにも聞かないでというように知夏ちゃんが微笑んだ。