『ほうほう、それで? それから、どうしたのじゃ』
「お、お母さんにするとは思えないことを、され、ました」
『なんじゃ、それは。恥ずかしがっとらんで、素直に全部吐け! 母にしないこととは、どんな事なのじゃ!』
「そ、それ以上は、私の口からは、とても……」
菊花は石榴のように顔を真っ赤にして、手で顔を覆った。
見れば、耳や首、鎖骨のあたりも真っ赤になっている。
『愛いのぉ』
ニヤニヤとからかうような蛇晶帝の声に、菊花の肩がビクンと揺れる。
「ひっ! それ、その言葉! 使わないで下さい! 思い出しちゃいますから!」
愛い。
その言葉を、菊花は寝台の上で何度も聞かされた。
母親に対して、愛いなんて言葉は使わない。
さすがの菊花も香樹がどういうつもりで言っていたのか理解したらしく、恥ずかしさを爆発させたように奇声を上げた。
「そ、そそそそれよりも。リリーベル様から文が来たのですよね? 結果は、どうだったのですか?」
わかりやすく話題を転換してくる菊花に、しかしそれ以上揶揄うつもりもなかった蛇晶帝は、『そうじゃの』と話に乗った。
『結論から言うと。菊花の実家にあった白い紅梅草は、似て非なるものだったそうじゃ』
崔英の田舎にある名もない町の外れ、訳あり皇族の墓がある山の前に、菊花の実家はある。
菊花が後宮へ行ってから、畑を世話する者など誰もいない。当然のことながら、菊花の小さな畑は荒れ放題だった。
食べようと思って育てていた菜っ葉や蕪はもちろん、全てを食い尽くそうとするように白い紅梅草は繁殖していたらしい。
リリーベルは半数を刈り取ってその場で検査し、念のためにともう半分を持ち帰ってくる予定のようだ。
結果として、菊花の畑は主人が労せず雑草の駆逐に成功したと言えよう。
(そういうつもりはなかったけれど……リリーベル様が戻ってきたら、お礼を言わなくちゃいけないわね)
お礼の品はなにが良いかしらと思案する菊花の向かいで、蛇晶帝は当てが外れたと不満げに尻尾を振っている。
リリーベルから文が来たのは昨日のことで、彼女の帰還は数日後になるだろうと蛇晶帝は言った。
「似ているけど、別のものってことですか?」
『ああ、そうじゃ。かなり似ているらしいが、少しだけ違うとリリーベルの文には書いてあった。もしかすると、菊花と同じように紅梅草を繁殖させようとした者が、たまたま作り出してしまったのかもしれぬ』
「そう、ですか」
リリーベルは言っていた。
紅梅草の栽培方法はまだ確立されていない、と。
菊花と同じ理由とはいかないまでも、紅梅草の栽培に情熱を注ぐ人が存在してもおかしくはない。
(だけど、失敗した白い紅梅草の効能を調べて、それで皇帝陛下を毒殺する人というのは、なかなかいないわよね)
その時、菊花の脳裏に天啓とも思える言葉が思い出された。
そうだ。柚安は言っていたじゃないか。「黄家は、黒いうわさが絶えないのです。歯向かった人が毒殺されたという話をよく耳にしますし。けれど、証拠がないので捕まえようがないのだとか」と。
(この感覚……なんか、覚えがあるような?)
まさかね、と菊花は思った。
だけれど、二度あることは三度あるとも言う。
タイミング良く以前リリーベルから言われた「少しの可能性でもあるのなら、聞く価値はある」という言葉を思い出して、菊花は思い切ることにした。
「あのぅ……ちょっと、よろしいでしょうか?」
『なんじゃ、菊花』
「おじさまは、黄家と問題なくお付き合いできていましたか?」
『なんじゃ、藪から棒に。だがまぁ、そうだな……良好とは言えんかった』
黄家の当主である蘭瑛は、若い頃、華香を嫁にすると息巻いていた時期がある。
黄家の分家に生まれた華香は、美しく聡明な女性だと、素晴らしい評判だった。
黄家本家の嫁にふさわしいと、当時の黄家当主が無理やり縁談を持ってきたらしい。
『そんな中、わしは華香と出会い、婚約した』
皇太子殿下の正妃ともなれば、黄家に否やは言えない。
結果、華香は蛇晶帝の正妃となり、蘭瑛は別の女性と結婚した。
しかし、本当は自分のものになるはずだったという思いが捨てきれない蘭瑛は、しばらく荒れていたのだと聞く。
『だが、華香が死ぬと、憑き物が落ちたように落ち着いたそうじゃ』
それからしばらく蘭瑛は大人しかったが、また荒れた。
すると今度は、皇子が死んだ。
華香と、皇子二人。
不幸がある度に蘭瑛が落ち着いたものだから、口さがない者は蘭瑛が皇子を殺したのではないか、などとうわさした。
『だが、そんなものは根も葉もないうわさじゃ。息子の死は、他殺ではない。病気や寒さによるものだったのだからな』
蛇晶帝言う通り、因果関係は証明できない。
だが、話を聞いた菊花は、嫌な予感が拭えなかった。
むしろ、聞く前よりも増したくらいである。
自分なんかが言うことではない。
そう思ったが、言わないで後悔するより言って後悔した方がマシだ。
汗がにじむ手で裳を手繰るように握りながら、菊花は口を開いた。
「もしも、もしもですよ? 蛇晶帝の家族が死ぬことで留飲を下げていたのだとしたら? それまではたまたま、誰かが不幸になっていたけれど、待っても待っても誰も不幸にならなかったら……我慢できなくなって殺そうとするのではないでしょうか」
『まさか。そんなことがあるわけ……なかろう』
「本当に、ほんの少しも、思わないのですか?」
畳み掛けるような菊花の問いかけに、蛇晶帝が「ぐ」と押し黙った。
菊花だって、確証があるわけではない。
あるのはただ、嫌な予感だけなのだ。
『わしが毒殺されたのも、皇太子が殺されたのも、蘭瑛の仕業だと言うのか?』
「分かりません。でも、本当に蘭瑛様が主犯なのだとしたら……おじさまが毒殺されてから、香樹のお兄様が殺されるまでの間隔が、短くなっています」
長く我慢していたからなのか、見境がなくなっているのか、それとも別の理由があるのか。
分からないけれど、もしも、見境がなくなっている場合、香樹を毒殺するのも時間の問題である。
菊花の言葉に、蛇晶帝は「ううむ」とうなり、それきり何も話さなかった。
「お、お母さんにするとは思えないことを、され、ました」
『なんじゃ、それは。恥ずかしがっとらんで、素直に全部吐け! 母にしないこととは、どんな事なのじゃ!』
「そ、それ以上は、私の口からは、とても……」
菊花は石榴のように顔を真っ赤にして、手で顔を覆った。
見れば、耳や首、鎖骨のあたりも真っ赤になっている。
『愛いのぉ』
ニヤニヤとからかうような蛇晶帝の声に、菊花の肩がビクンと揺れる。
「ひっ! それ、その言葉! 使わないで下さい! 思い出しちゃいますから!」
愛い。
その言葉を、菊花は寝台の上で何度も聞かされた。
母親に対して、愛いなんて言葉は使わない。
さすがの菊花も香樹がどういうつもりで言っていたのか理解したらしく、恥ずかしさを爆発させたように奇声を上げた。
「そ、そそそそれよりも。リリーベル様から文が来たのですよね? 結果は、どうだったのですか?」
わかりやすく話題を転換してくる菊花に、しかしそれ以上揶揄うつもりもなかった蛇晶帝は、『そうじゃの』と話に乗った。
『結論から言うと。菊花の実家にあった白い紅梅草は、似て非なるものだったそうじゃ』
崔英の田舎にある名もない町の外れ、訳あり皇族の墓がある山の前に、菊花の実家はある。
菊花が後宮へ行ってから、畑を世話する者など誰もいない。当然のことながら、菊花の小さな畑は荒れ放題だった。
食べようと思って育てていた菜っ葉や蕪はもちろん、全てを食い尽くそうとするように白い紅梅草は繁殖していたらしい。
リリーベルは半数を刈り取ってその場で検査し、念のためにともう半分を持ち帰ってくる予定のようだ。
結果として、菊花の畑は主人が労せず雑草の駆逐に成功したと言えよう。
(そういうつもりはなかったけれど……リリーベル様が戻ってきたら、お礼を言わなくちゃいけないわね)
お礼の品はなにが良いかしらと思案する菊花の向かいで、蛇晶帝は当てが外れたと不満げに尻尾を振っている。
リリーベルから文が来たのは昨日のことで、彼女の帰還は数日後になるだろうと蛇晶帝は言った。
「似ているけど、別のものってことですか?」
『ああ、そうじゃ。かなり似ているらしいが、少しだけ違うとリリーベルの文には書いてあった。もしかすると、菊花と同じように紅梅草を繁殖させようとした者が、たまたま作り出してしまったのかもしれぬ』
「そう、ですか」
リリーベルは言っていた。
紅梅草の栽培方法はまだ確立されていない、と。
菊花と同じ理由とはいかないまでも、紅梅草の栽培に情熱を注ぐ人が存在してもおかしくはない。
(だけど、失敗した白い紅梅草の効能を調べて、それで皇帝陛下を毒殺する人というのは、なかなかいないわよね)
その時、菊花の脳裏に天啓とも思える言葉が思い出された。
そうだ。柚安は言っていたじゃないか。「黄家は、黒いうわさが絶えないのです。歯向かった人が毒殺されたという話をよく耳にしますし。けれど、証拠がないので捕まえようがないのだとか」と。
(この感覚……なんか、覚えがあるような?)
まさかね、と菊花は思った。
だけれど、二度あることは三度あるとも言う。
タイミング良く以前リリーベルから言われた「少しの可能性でもあるのなら、聞く価値はある」という言葉を思い出して、菊花は思い切ることにした。
「あのぅ……ちょっと、よろしいでしょうか?」
『なんじゃ、菊花』
「おじさまは、黄家と問題なくお付き合いできていましたか?」
『なんじゃ、藪から棒に。だがまぁ、そうだな……良好とは言えんかった』
黄家の当主である蘭瑛は、若い頃、華香を嫁にすると息巻いていた時期がある。
黄家の分家に生まれた華香は、美しく聡明な女性だと、素晴らしい評判だった。
黄家本家の嫁にふさわしいと、当時の黄家当主が無理やり縁談を持ってきたらしい。
『そんな中、わしは華香と出会い、婚約した』
皇太子殿下の正妃ともなれば、黄家に否やは言えない。
結果、華香は蛇晶帝の正妃となり、蘭瑛は別の女性と結婚した。
しかし、本当は自分のものになるはずだったという思いが捨てきれない蘭瑛は、しばらく荒れていたのだと聞く。
『だが、華香が死ぬと、憑き物が落ちたように落ち着いたそうじゃ』
それからしばらく蘭瑛は大人しかったが、また荒れた。
すると今度は、皇子が死んだ。
華香と、皇子二人。
不幸がある度に蘭瑛が落ち着いたものだから、口さがない者は蘭瑛が皇子を殺したのではないか、などとうわさした。
『だが、そんなものは根も葉もないうわさじゃ。息子の死は、他殺ではない。病気や寒さによるものだったのだからな』
蛇晶帝言う通り、因果関係は証明できない。
だが、話を聞いた菊花は、嫌な予感が拭えなかった。
むしろ、聞く前よりも増したくらいである。
自分なんかが言うことではない。
そう思ったが、言わないで後悔するより言って後悔した方がマシだ。
汗がにじむ手で裳を手繰るように握りながら、菊花は口を開いた。
「もしも、もしもですよ? 蛇晶帝の家族が死ぬことで留飲を下げていたのだとしたら? それまではたまたま、誰かが不幸になっていたけれど、待っても待っても誰も不幸にならなかったら……我慢できなくなって殺そうとするのではないでしょうか」
『まさか。そんなことがあるわけ……なかろう』
「本当に、ほんの少しも、思わないのですか?」
畳み掛けるような菊花の問いかけに、蛇晶帝が「ぐ」と押し黙った。
菊花だって、確証があるわけではない。
あるのはただ、嫌な予感だけなのだ。
『わしが毒殺されたのも、皇太子が殺されたのも、蘭瑛の仕業だと言うのか?』
「分かりません。でも、本当に蘭瑛様が主犯なのだとしたら……おじさまが毒殺されてから、香樹のお兄様が殺されるまでの間隔が、短くなっています」
長く我慢していたからなのか、見境がなくなっているのか、それとも別の理由があるのか。
分からないけれど、もしも、見境がなくなっている場合、香樹を毒殺するのも時間の問題である。
菊花の言葉に、蛇晶帝は「ううむ」とうなり、それきり何も話さなかった。