────壱成さんは、黙って私の話を聞いていた。時々恐ろしいほどの怖い顔を見せたりしたけど、私に触れる手は優しかった。


「…図書館の医学書で調べました。子供に薬物等を飲ませたり、子供に実際の身体不調や症状を作り出して、病気の症状として訴えることを、〝代理ミュンヒハウゼン症候群〟というらしく」

「……」

「父怖さに、その病気を作り出してしまったようで」

「……」

「この痣は、多分、高血圧の薬なんです。血がサラサラになる薬で……、血が止まらなくなったり、貧血だったり、──内出血ができやすくなったり」

「……分かった」

「壱成さんと電話しているのに気づかれてしまい…。今回は少し量が多いようです」

「分かった」

「お父さん、凄いんですよ」

「……」

「私に会っている男の人が居るって分かった途端、壱成さんのことを調べて……、壱成さんの……、壱成さんがどういう人か調べて私に見せるんです」

「……」

「毎晩……、それが嫌で、家に帰りたくないんです……」

「……」

「壱成さん、の、個人情報を、お父さんは知ってます」

「……」

「そんな複雑な環境でも、嫌いにならないでいてくれるんですか?」


私の説明が下手だったかもしれない。
上手く、言えなかったかもしれない。
それでも壱成さんに、私の家の家庭環境が複雑で、どうしようも無いことは伝えられたはず。

壱成さんの服を掴む、
その手は震えていた。
もう体は温かくなっているのに。


「嫌わない、嫌うことは絶対ない」


はっきりとした口調の壱成さんが、また、抱き寄せる。


「……私だけだったら、いいんです……、でも壱成さんを巻き込むのは、我慢できなくて……。壱成さんと会えないってお兄ちゃんに伝言をしたのは、それで……」

「うん」

「ごめんなさい、嘘をついてごめんなさい……」

「泣かなくていい、あんたは何も悪くない」

「で、でも、」

「個人情報ぐらい、どうって事ない」

「もう、壱成さんが、小学生の頃はどんな性格だったか、お父さん調べあげているんですよ……?」

「別に調べていい」


調べて……?


「調べられても、自分のしてきたことに後悔はない」


してきたことには……。


「調べられても、何の問題もない」


問題は……。


「薬は、いつ飲んだ?」


薬を……。


「朝……」

「うん」

「壱成さん、」

「ん?」

「本当に、嫌になっていませんか?」

「なってない」

「……どうして」

「さっきも言ったけど、俺はあんたが好きなんだ」


さっきも?
壱成さんか、お兄ちゃんのどちらか好きか、分からない台詞を思い出す。


「あんたが望むなら」


私が望むなら……。
言うのをやめた壱成さんは、「俺だって嘘をついてた」と、少し腕の力を緩め、私の顔の方を見た。


「……うそ……?」

「友達なりたいからじゃなくて、好きだったから親しくなりたかった」

「………」

「話してくれてありがとう」


まるで噛み締めるように呟き、また、壱成さんは私を抱きしめてきた。今度は両手で、力強く。
壱成さんが持ってた冊子は下に落ちていて、壱成さんの優しさにまた涙が込み上げるのが分かった。
壱成さんは、いつから私の事を好きだったのだろうか。


「あんたが望むなら、何でもしてやる。なんでも」

「っ……」

「あんたが望むなら」


望む。
望むことなら。
私の望むことなら……。

私が望むこと、そんなの……。


お父さんからの暴力をやめてほしい……。

お母さんからの薬の混入をやめてほしい……。


「……私が、父と母から背けば、──兄…、の、せいにされてしまうんです。父と母は壱成さんを悪者にするんです…」

「うん」

「それでも、わたしは、」

「うん」

「……それでも……わたしは、」


両手を、壱成さんの背中に回した。壱成さんの背中は、私よりも遥かに広い。


「壱成さんの、そばに……いていいのでしょうか?」

「そばにいてほしい」

「……好きになっても、いいんですか?」


また、壱成さんの腕が強くなった。


「望んでも……?」

「何でもする」


優しい壱成さんは、私の為なら何でもしてくれるらしい。


「……朝までこうしていてください、それだけで十分です……」