前回パルメザンに来たのはラングレさんのブドウ園の仕事のときだったので、約一週間ぶりになる。
前に来たときは街の様子に変化はなかった。
「栄華を極めた宝石都市」なんて言われていた頃のパルメザンを知る人間からすると寂れた印象を持つのかもしれないけれど、その時もいつも通りに人が行き交い、適度な賑わいを見せていた。
だから、激変してしまった街の様子に言葉を失ってしまった。
まず目につくのは、半壊した建造物の数々。
街を守る巨大な門は崩れ落ち、馬車や人が行き交っていた舗装された道には瓦礫が積み上がっている。
街の中心を通る大通りに並ぶ建物の被害はさらにひどく、倒壊した家屋からは今も煙が登っている。
「……モンスターですか?」
荷台からサクネさんに尋ねた。
彼は無言でうなずく。
「丁度街を離れていたので実際に見たわけではありませんが、瘴気が降りると同時に十匹ほどのモンスターが現れたそうです。すぐに冒険者さんたちが対処にあたったらしいのですが、突然すぎて被害が拡大してしまったようで」
冒険者というのは王宮魔導院・護国院の下部組織、「冒険者協会」に登録している傭兵たちのことだ。
世界中の街には「冒険者ギルド」という出張所があって、冒険者はそこでモンスター討伐や素材採取などの依頼を受けている。
街にモンスターが現れて、領主パルメ様が討伐依頼を発注したのだけれど、手続きをしている間に被害が拡大してしまったらしい。
「……クソっ、歯がゆいな」
荷台で街の様子を見ていたブリジットが顔をしかめる。
「こんな惨劇が近場で起きていたなんて。私が街にいれば被害を抑えることもできたはずなのに」
「悔しいけど仕方ないよ。近場って言っても馬車で二日はかかる距離なんだし。それに、サクネさんが農園に来たときはもう襲われた後だった」
サクネさんから話を聞いた僕たちは、一刻も早くパルメザンに行きたかったけれど、しっかりと準備をしてから向かうことにした。
プッチさんは「街に来ないで欲しい」じゃなく、「農作物を持って街に来て欲しい」と頼んできたのだ。
彼女が僕の作物を必要としている可能性は高い。
だとしたら農作物を多めに用意して万全の準備で街に向かうべき。
そう思って、ブリジットやララノにも同行をお願いしたのだけれど──。
「…………」
鎮痛の面持ちで街の様子を見ているララノの姿が目に映った。
やっぱり彼女は農園に残しておくべきだったかもしれない。
なにせララノは故郷を瘴気によって壊滅させられてしまったのだ。
瘴気やモンスターによって破壊された街を見たら、辛い記憶が蘇ってしまうかもしれない。
「……大丈夫?」
声をかけると、ララノはハッとして笑顔を覗かせた。
「は、はい、平気です」
しかし、その声はいつもよりも弱々しい。
何か彼女を元気づけられる方法はないかと考えたけれど、そんな気の利いた言葉は浮かばなかった。
ガラガラと馬車の音だけが僕たちの間に流れる。
馬車がゆっくりと止まったのは、見覚えのある建物の前だった。
麦と硬貨の紋章が入った旗が掲げられた、お城のような立派な建物。
以前に一度だけ来た、リンギス商会の商館だ。
「ここにプッチさんがいます」
御者台からサクネさんが声をかけてきた。
「荷はプッチさん名義で商会の荷揚げ夫に預けておきますので、後で職員に声をかけてください」
「わかりました。助かります」
「私もしばらく街に居ます。広場にある宿屋に部屋を取っているので、何かありましたらいらっしゃってください」
「ありがとうございます」
わざわざ農園まで来てくれたサクネさんに重ねて礼を伝えて、僕たちは馬車を降りた。
前にここに来たときは武装した衛兵が入り口を守っていた。
だけれど、彼らの姿はどこにもない。
守り人が不在になった商館の扉をゆっくりと開く。
中の様子を見て驚いてしまった。
前回ここに来たときは、さながら戦場のような慌ただしさがあった。
大海瘴の影響で農園が大打撃を受け、商人たちが周辺地域から作物をかき集めていたからだ。
なので、今回も同じような雰囲気なのだろうと思ったのだけれど──中はガラガラだった。
カウンターには職員すらおらず、周りのテーブルにはポツポツと商人風の男がいるだけ。活気に満ちた声もなく、しんと静まり返っている。
「……あっ! サタさん! それにララノさんにブリジットさんも!」
と、商館に聞き覚えのある声があがった。
プッチさんだ。
モンスターの襲撃を受けて怪我でもしているのではと心配したけれど、いつもと変わらない元気な姿だった。
それを見て、まずはほっと胸をなでおろす。
「いやぁ、救世主が到着するのを、首を長くして待ってましたよっ!」
「……っ!?」
しかし、続けてプッチさんの口から放たれた言葉に顔をしかめてしまった。
ざわつく商人たちからの視線を背中に感じながら、急ぎ足でプッチさんの元へ向かう。
「ちょ、ちょっといきなり何ですか、救世主って」
「本っ当にサタさんたちの到着を待ってたんですから。農園の作物、持ってきてくれましたよね?」
「は、はい。とりあえず商館の荷揚げ夫さんに預けていますけど……」
そう伝えると、商館にいる商人たちから「おおっ」と歓声があがった。
どういうこと? と首を傾げていると、プッチさんはニコニコ顔で「ひとまず座って下さい」と椅子を勧めてきた。
「えと、街の状況はなんとなくご存知ですよね?」
僕たちが席につくと、おもむろにプッチさんが口を開く。
「ええ、道中にサクネさんから伺いました」
「でしたら話は早い。実はモンスターの襲撃によって街の貯蔵庫が燃えてしまったんです」
「貯蔵庫?」
尋ねたのはララノだ。
プッチさんはコクリと頷いてから続ける。
「パルメザンにある商会の貯蔵庫です。そこが燃えてしまって、街は深刻な食料不足に陥っているんです」
プッチさん曰く、貿易の要所と言われるパルメザンに運ばれてきた物資は、まず商会が持つ貯蔵庫に保管されるらしい。
そこを経由して王国各地に運ばれていくのだけれど、その中には住民の生活を支える食料や物資、それに領主パルメ様に治める物も含まれているという。
そして、今回のモンスター襲撃でその貯蔵庫のほとんどが燃え落ちてしまった。
「なので、先日の大海瘴のときのように周辺地域から食料をかき集めているところなのですが……ちょっと成果が芳しくないんですよ。まぁ、大海瘴からあまり時間が経っていないので仕方ないんですけどね」
「それでサタ先輩の農作物が頼りだったということか」
「ご明察ですブリジットさん」
僕が持ってきた農作物の量は、失った分を補填できるようなものではないけれど、周辺地域からの援助が見込まれない以上、頼らざるを得なかったんだろう。
「というわけですみません。今回はサタさんの農園に回せる物資が無いんです」
「……え?」
キョトンとしてしまった。
何を言ってるんだと思ったけれど、あれか。いつもプッチさんが僕の農園に持って来てくれている物資のことか。
こんな状況なんだし、外部に回す余裕なんてないよね。
「次回はなんとか確保しますので、なにとぞお許しくださいっ!」
「何を言っているんですか。僕たちのことは気にしないでください。お渡しする農作物も今回はお代はいりませんよ。微力ですが、街の復興に使ってください」
「ふ、ふわぁああぁ……ありがとうございますサタさんっ!」
みるみる涙目になっていくプッチさん。
そんな彼女を見て、ララノが切り出した。
「あの、私たちに出来ることは何かありませんか? 周辺地域から食料を集めることはできませんが、お手伝いならなんでもやりますよ」
「ラ、ララノさん……」
「そうだな。私も農園からいくつか薬草を持ってきているから、精錬できる錬金台を貸してくれればすぐにでもポーションを作れるぞ」
「ブリジットさんも……っ! うわぁん!」
プッチさんはついに滝のように涙を流し始めた。
「皆さんのそのお言葉……はいっ! プライスレスッ!」
ペシッとテーブルを叩くプッチさん。
「……冗談言えるくらい余裕があるなら、援助はいらないですか?」
「あややっ!? 違いますよサタさん! これはただの空元気ですからっ! 職員さんたちに被害が出てるせいで、やったこともない各所の調整役をやらされて、もういっぱいいっぱいなんですっ!」
なるほど。だからプッチさんは街から出られなかったわけか。
周辺地域からの援助が滞っているのは、そういう「人的被害」が出ていることも大きいかもしれないな。
食料を確保する商人、それに街を守る衛兵や職人。
もしかすると、住民にも多くの被害が出ているのかも。
「怪我をした方たちは、今どこに?」
「負傷者は教会に集められて治療を受けています。でも、瘴気を吸い込んだ人たちの治療ができる医者がいなくて」
「なるほど……」
多分、気休め程度の施術しかできないのだろう。
とすると、患者の体内から瘴気を浄化してあげれば、街の復興の助けになるかもしれないな。
「すみませんが、プッチさんに納品する作物の一部をいただいてもいいですか?」
「え? あ、ええっと」
「もちろん僕たちが食べるわけじゃありませんよ。教会に搬送されている瘴気を吸い込んだ方たちに食べてもらおうかと」
「それなら問題ありませんが……でも、どうしてそんなことを?」
「実は先日、瘴気の浄化方法が判明しまして」
「……はい?」
プッチさんは折れてしまうんじゃないかと思うくらいに首をかしげた。
まぁ、突然そんなことを言われても困惑しちゃうよね。
一から説明しようとしたけれど、実際に効果を見てもらったほうが早いと考えた僕は、プッチさんと一緒に作物を持って教会へと向かうことにした。
馬車に野菜を載せ、向かった街の教会にはたくさんの人が集まっていた。
怪我人だけが運ばれていると思っていたけれど、家を失った人たちもここに避難しているようだ。
教会は人々に教えを説いたり医療行為が行われる場所だけではなく、「砦」としての役割も持っている。
献金や高価な寄付品が集まる教会は、外敵の侵入を拒むためにお城並に堅牢な作りをしていることが多いのだ。
「……え? 料理を振る舞わせて欲しい?」
そんな彼らに温かいものを振る舞おうと、炊き出しをしている司祭さんたちに声をかけた。
「はい、火と調理器具を貸していただけないかなと」
「ありがたい申し出なのですが、料理に使える食材が残っていなくて」
「あ、大丈夫です。食材は僕たちが持ってきましたから」
丁度ブリジットが馬車から野菜が満載になっている樽を降ろしてきた。
それを見て、司祭さんが目を丸く見開く。
「す、凄い! こんなにたくさんの作物をどこで!?」
「僕の農園で作った野菜ですよ」
「……つ、作った?」
司祭さんは二重の困惑といった感じだった。
「とりあえず、焚き火と鍋をお借りしてもいいですか?」
「あ、え……と、もちろん大丈夫ですけど、あの、私たちも野菜の運搬をお手伝いしましょうか?」
「ありがとうございます、助かります」
結構な量を持ってきたので、手伝ってもらえるのは素直に助かる。
荷降ろしはブリジットと司祭さんたちに任せて、僕とララノ、それと一緒に来てくれたプッチさんで料理の準備をすることにした。
焚き火にかけられた鍋にはスープが入っていた。
具があまり無いのは食料不足のせいだろう。
栄養を取ってもらうためにも、野菜は多めに使ったほうがいいかもしれないな。
「それで、何を作る予定なの?」
樽から野菜を出しながら、まな板とナイフを準備しているララノに尋ねた。
「そうですね……できるだけ多くの人に食べてもらえるように、シンプルに野菜スープを作りましょうか」
「野菜スープか」
確かにそれが良いかもしれない。
野菜スープなら入れる野菜を選ばないし、旨味が出ているスープを飲むだけで瘴気の浄化作用が現れるかもしれない。
というわけで司祭さんから鍋を借りて、手分けして野菜を切り始める。
「サタ先輩、最後の野菜を持ってきたぞ」
ブリジットが焚き火のそばにひときわ大きい樽を降ろした。
一緒に樽を運んでくれていた司祭さんたちはヘロヘロになっているのに、彼女の表情には全く疲れが見えていない。
流石は最強剣士だな。
「次は何をすればいい?」
「街の井戸で水を汲んで来て欲しい。飲料水が心もとなくなってるみたいだから」
「承知した」
「もしかすると瘴気の影響で井戸が使えなくなってるかもしれないから、そのときは居酒屋に行って飲料水を確保してくれると助かる」
「わかった。まかせてくれ!」
と、意気揚々と出発しようとしたブリジットだったけれど、全く検討違いの方向に走り出したので、慌てて引き止めて司祭さんに案内をお願いすることにした。
僕とプッチさんは引き続き野菜を切っていく。
ララノは僕たちがカットした野菜を鍋に入れ、オリーブオイルと一緒に炒める作業だ。
「プッチさんの野菜、使っちゃってすみません」
隣で黙々と野菜を切っているプッチさんに、何気なく話しかけた。
彼女はしばらくキョトンとしていたが、すぐに笑顔を覗かせる。
「何を言ってるんですか。こういうときに役立ててこそですよ」
「でも、商会に卸せなくなるのは結構痛いですよね? 付与魔法を使えばすぐに野菜は出来るので、また同じ量をプッチさんに──」
「そこはお気になさらず。調整役のお仕事でお金はリンギス商会からたんまりと貰ってますから」
ニッシッシと、少しだけ邪な笑みを浮かべるプッチさん。
その周到さというか強かさに感心してしまった。
流石は商人だ。非常事態とはいえしっかりしている。
などと話していると、鍋の野菜に油が周ったのかいい香りがしてきた。
ララノが司祭さんが作ったスープの出汁を投入する。肉を煮たスープでそのまま出汁に流用できそうなので使うことにしたらしい。
塩コショウを適量入れてから蓋をして、グツグツと煮込む。
十分ほど待って、僕の「免疫力強化」の付与魔法で味付けをして完成だ。
ちょっと味見をしてみたけれど、野菜のコクがアクセントになって凄く美味い。
こんな環境でも美味しい野菜スープが作れるなんて、流石はララノだ。
「お待たせしました。野菜スープの完成です」
近くで怪我人の治療に当たっていた司祭さんに声をかけた。
「おお、ありがとうございます。早速皆さんに振る舞って──」
「あ、このスープは瘴気浄化の効力がありますので、瘴気を吸い込んでしまった方たちから食べさせてあげてください」
「……え? 瘴気、浄化?」
「あ〜、ええっと……とにかく、瘴気で苦しんでいる人たちからお願いします。説明は後ほどしますので」
「は、はい、わかりました」
困惑する司祭さんだったが、言われたとおりに教会の座席をベッド代わりにしている瘴気にやられた人たちにスープを運んでいく。
僕たちも他の司祭さんと一緒に、スープを持って別の患者さんの所へ。
「できれば重傷者から食べさせてくださいね」
「わ、わかりました」
司祭さんが意識を失っている患者の口に恐る恐るスープを運ぶ。
しっかりと飲み込んだのを確認して、しばし様子を見る。
すぐに死人のようだった患者さんの顔に血色が戻った。
さらに、浅かった呼吸もゆっくりとした寝息のようなものに変わる。
「すっ、凄い! 一体この料理は何なんですか!? どうしてこんなことが!?」
「特殊な魔法を使って育てているので、瘴気浄化の効力があるんですよ」
「…………」
司祭さんは理解不能と言った感じで黙り込んでしまった。
だけど、理由はわからなくても、このスープを食べさせれば瘴気にやられた人たちを救えるということは理解できたのだろう。
司祭さんたちは率先して患者さんたちにスープを配って周った。
僕たちも、水汲みから戻ってきたブリジットと一緒にスープを振る舞っていく。
次第に教会の中がざわめきはじめ、やがて大きな騒ぎになっていった。
元気になった人たちが助かったことを喜びあい、中には僕に握手を求めてくる人もいた。
「……本当に瘴気を浄化しちゃったんですね」
そんな人たちを見て、プッチさんがしみじみと言う。
「呪われた地で野菜を育てられるだけじゃなく、瘴気まで浄化してしまうなんてこれは相当なお金になる……じゃなくて、本当の救世主じゃないですか」
「今、お金になるって言いました?」
「いえ、言ってません」
プッチさんの目が金貨になっているような気がするけど、見間違いかな。
「……失礼します」
などと他愛のないことを話していると、背後から誰かが声をかけてきた。
振り向いた僕の目に映ったのは、ひとりの男性だった。
司祭さんたちに囲まれているその弾性は、ひときわ目立つ白いポンチョのような祭服を身にまとっていて、いかにも責任者っぽい雰囲気がある。
「この度は私どものためにご尽力下さり、誠にありがとうございます。私はこの教区を任されておりますフォーデンと申します」
フォーデンと名乗った男性がやうやしく頭を下げた。
教区を任されているということは、この方が教会の長である司祭様か。
流石に恐縮してしまった。
司教様は年に数回ある催事のときにしかお目にかかれない存在なのだ。
隣を見ると、ブリジットやララノ、プッチさんまで目をまん丸くしている。
「あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
フォーデン様が尋ねてくる。
「僕はサタと言います。こっちはララノとブリジット。それにプッチです」
「お会いできて光栄です、フォーデン司教様」
即座にペコリと頭を垂れたのは、プッチさんだ。
流石はフリーで世界を渡り歩いている商人だ。こういう場面には慣れているのかもしれない。
「サタさんにララノさん、ブリジットさんにプッチさんですね。重ね重ねありがとうございます」
フォーデン様は頭を下げたあと、優しい微笑みを携えながら続ける。
「ときにサタさん、あなたがお持ちになった野菜を食べた者の体から瘴気が消えた……という話を伺ったのですが?」
「そうですね。僕が作った野菜を食べて瘴気が浄化されたんだと思います」
「たまたまあなたが育てた野菜にそういう効果が?」
「いえ、浄化の効果が出るように魔法をかけてあります」
「魔法」
「ええっと……付与魔法という魔法の効果です。その魔法を使えば呪われた地で作物を育てられたり、瘴気浄化の効果がある野菜を作ったりできるんです」
「…………」
じっと僕の顔を見るフォーデン様。
疑われている感じがする。
まぁ、付与魔法なんて聞いたこともないだろうし、疑われて当然か。
感謝されるために彼らを助けたわけじゃないし、妙な勘違いをされる前にお暇したほうが良いかもしれない。
などと考えていると、フォーデン様がおもむろに口を開いた。
「ご無礼を承知で、サタさんにお願いがあります」
「は、はい、なんでしょう?」
「ホエール地方の民を救うために協力しては頂けませんでしょうか?」
「……へ?」
ホエール地方の民を救う?
いきなりデカイ話を振られて、戸惑ってしまった。
相手は司教様だし、嘘偽りなく付与魔法のことをお伝えしたほうが良いかなと思ったけど……これって、ちょっと面倒な話になってきた感じじゃない?
「……ここってもしかして」
「はい、ホエール地方を治める領主パルメ子爵様の居城です」
教会を離れて十分ほど。
フォーデン様に案内されたのは、街の北にある大きなお城だった。
「サタさんのことをパルメ様にお伝えしたところ、直接お話を聞きたいと」
「……え? 領主様が?」
「はい」
唖然としてしまった。
ホエール地方の民を救うなんて言っていたので、てっきり「教会から施しを受けている貧しい人たちを助けたい」みたいなものかと想像していた。
だけどまさか、パルメ様の名前が出てくるなんて。
要するにこれって、今から領主様に謁見するってことだよね。
子供の頃に両親と一緒に王都に住む貴族に会いに行ったことはある。魔導院時代には貴族の護衛の仕事もした。
だけれど、面と向かって会話なんてしたことはない。
考えただけで足が震えてきた。
ララノとブリジットには宿に戻ってもらったけれど、こんなことなら一緒に来てもらったほうがよかったかもしれない。
「……今更そんなことを言っても遅いか」
心を落ち着けさせるために深呼吸をしてから、フォーデン様とお付きの司祭さんたちの後を追ってお城の中に入っていく。
モンスターの事件があったからか、城内は物々しかった。
商人っぽい服装の人たちが行き交い、そこかしこに立っている甲冑を着た衛兵が彼らににらみを利かせている。
入り口で所持品の検査をされてから広間を抜けて二階へと向かう。
物々しい雰囲気からか、自分がどこにいるのか忘れてしまいそうになる。
だけれど、天井にあるブロンズのシャンデリアや煌びやかな装飾が、ここが領主様の居城だということを思い出させる。
厳戒態勢のせいか、フロアをまたぐたびに身体チェックをされながら、ようやく目的地らしき部屋に到着した。
ようやく謁見の間に到着かな……と思ったけど、違っていた。
ここは客間か。
部屋の壁面には演劇か何かのワンシーンが描かれていて、天井からは広間と同じようなシャンデリアが下がっている。
部屋の中央には巨大な円形のテーブルが置いてあって、いかにも貴族然とした方たちがぐるっとテーブルを囲んでいた。
さらに、壁際には甲冑を身にまとった兵士がずらり。
僕たちが部屋に入った瞬間、恐ろしい形相で彼らに睨まれた。くしゃみでもしたらすぐに取り押さえられそうな雰囲気だ。
なんだろう、この物々しい雰囲気は。
フォーデン様たちが一緒にいてくれて本当によかった。
「フォーデン司教」
と、円卓を囲んでいたひとりが手を上げた。
年齢は四十代半ばといったところだろうか。ざっと見る限り、テーブルを囲んでいる人たちの中で一番若い気がする。
短髪の黒髪で、ラングレさんと同じカイゼル髭を蓄えた紳士っぽい男性。
一番若く見えるけれど、この場所で一番威厳があるように思える。
「子爵様、先刻ご報告させて頂きました、例の男性をお連れいたしました」
フォーデン様が頭を垂れた。
子爵。ということは、あの人がパルメザンとホエール地方を統治している領主パルメ子爵様か。
「その者が話にあった男か」
「左様でございます」
「そうか。よくぞ参った。近くに来るがいい」
パルメ様が手招きする。
フォーデン様を先頭に、司祭さんたちとパルメ様の近くへと向かう。
近くで見るパルメ様の威圧感は凄かった。返答を間違うと即座に首を斬られてしまうんじゃないかという怖さがある。
フォーデン様と司祭さんたちが膝を折ったので、僕も習って床に膝をつく。
「……ふむ」
パルメ様はそんな僕を値踏みするように見ていた。
「意外と若いな。名は何という?」
「……あ、えと」
「良いぞ、発言を許可する」
「サ、サタ、と申します」
緊張のあまりちょっと声が裏返ってしまった。
「サタ、か。お前が街に持ち込んだ農作物を口にした者の体から瘴気が消えたという話を耳にしたが、|真(まこと)か?」
「は、はい。その通りでございます」
「瘴気の毒はあらゆる薬を跳ね除け、治療することができない呪いだと聞いている。なぜお前が持ち込んだ農作物でそのようなことができるのだ?」
「私の魔法によるものでございます」
そうして僕はここに至るまでのことをパルメ様に説明した。
僕が持っている付与魔法の加護のこと。
元々は王宮魔導院で付与魔法や植物、瘴気の研究をしていたこと。
院をやめてホエール地方で農園を開いたこと。
そして、その中で「瘴気浄化」の合わせ付与の効果を発見したこと。
周囲の貴族っぽい人たちから「そんなことがあり得るのか?」という疑問の声が上がっていたが、パルメ様は静かに僕の言葉に耳を傾けていた。
「……というわけでございます」
「…………」
一通り説明を終えたけど、パルメ様は口を閉ざしたままだった。
しばし張り詰めたような沈黙が部屋に流れる。
コソコソと何やら耳打ちをしあっている貴族たちの視線が痛い。
「ひとつ尋ねたいことがある」
重苦しい空気の中、パルメ様が口を開く。
「瘴気浄化の効果があるという農作物は、量産可能なものなのか?」
「はい。瘴気浄化の仕組みは解明しておりますし、呪われた地での農作物を育てる方法も確立しております」
「そうか」
あっさりとした返事。
これは信じてもらえていない感じか?
そう思ったのだが──。
「サタ。お前も知っているとは思うが、先日、パルメザンが瘴気とモンスターに襲われた」
パルメ様がそう切り出す。
「だが、瘴気の被害を受けたのはパルメザンだけではない。北のキロット、西のアインクラッド、オリドールも同時に瘴気の被害を受けたと報告が上がっている」
まさか、と思った。
今、領主様の口から出たのはホエール地方にある街の名前だ。そのどれもが数ヶ月前の大海瘴の被害を免れた場所でもある。
そこに同時にモンスターが現れて瘴気が発生したということは、つまり──。
「大海瘴の前触れではないか、というのが識者たちの見解だ」
背筋に寒いものが走った。
数ヶ月前にホエール地方を襲った大海瘴。
その影響で多くの街や村、農園が壊滅的被害を受け、多くの命が失われた。
その大海瘴が、またやってくるというのだろうか。
「……何か言いたいことがあるようだな?」
パルメ様がジッと僕を見つめる。
喉奥から小さな悲鳴が出そうになった。
僕はそれをぐっと飲み込んでから口を開く。
「あ、あの、魔導院に援助の打診はしたのでしょうか?」
「魔導院? ああ、王宮魔導院のことか。とっくに報告はしたし、返答も貰っている。『ただ過ぎ去るのを待つべし』とな」
「……え?」
「別に驚くような内容でもあるまい。魔導院は自分たちにメリットがないことには絶対に首を突っ込まない。お前もあの場所に居たのなら、良くわかっているはずだろう?」
「あ、いえ……も、も、申し訳ありません」
パルメ様の口調に怨色を感じてしまい、謝ってしまった。
もしかするとパルメ様も無意識で口に出てしまったのかもしれない。
彼は自戒するようにため息を漏らす。
「……すまない。失言だ。お前に当たっても仕方がないことだな」
「い、いえ、そんなことは……」
「どうやら向こうも色々ゴタついているようだ。地方領主の面倒まで見る余裕はないのだろう」
ゴタついているってなんだろう。
僕が追放されたこと……じゃないのは解るけど、まさかブリジットの件じゃないよね?
「しかし、過ぎ去るのを待てというのはあながち間違いでもない。我々としてもトリトンが来れば大海瘴の危機は去ると見ている」
トリトン。ホエール地方に毎年訪れる巨大な嵐の名前だ。
毎年トリトンによって各所に被害が出るらしいけれど、大地に降りた瘴気も吹き飛ばしてくれるというわけだろう。
なるほど。確かに理にかなっている。
となれば、トリトンが来るまで如何にして被害を抑えられるかが焦点になる。
「トリトンが来るまでなんとしても耐えねばならん。そのために、前回の大海瘴同様に、大規模なモンスターの討伐依頼を冒険者ギルドに発注した」
大規模なモンスターの討伐。
その言葉に引っかかりを覚えてしまった。
瘴気被害の一端を担っているのは間違いなくモンスターだ。
モンスターのせいでパルメザンも大きな被害を受けたわけだし、被害を軽減させるためにモンスターを狩ろうというのは間違いじゃない。
だけど、広範囲で大規模なモンスター狩りをするとなると話は変わってくる。
先日のオルトロス事件。
あのとき、オルトロスは死ぬと同時に高濃度の瘴気を放出した。
もし、体内に高濃度の瘴気を抱えている瘴気の苗床のようなモンスターが他にもいたら、各地で高濃度の瘴気を発生させてしまう可能性がある。
それこそ、モンスター狩りがきっかけに大海瘴クラスの災害に──。
「……大海瘴クラス?」
ぞわっと背中に冷たいものが降りた。
大規模なモンスター狩りは、下手をすると広範囲に瘴気を発生させる。
だとしたら──その大規模なモンスター狩りが大海瘴の引き金になるんじゃないだろうか。
パルメ様は「前回同様にモンスターの討伐依頼を発注した」と言っていた。
つまり、前回も大規模なモンスター討伐作戦を実行したということ。
討伐作戦で瘴気の苗床になっている個体を各地で倒し、高濃度の瘴気を発生させてしまった結果、大海瘴に発展した。
とするならば、大海瘴を防ぐ手段はひとつ。
モンスターの体内にある瘴気を浄化してやることだ。
パルメ様は静かに続ける。
「お前の瘴気浄化の力があれば、前回よりも効率的にモンスター討伐を進めることができる。故にサタ。私たちに協力してくれ」
「状況は理解できました。そういうことであれば是非協力させていただきたい……のですが……」
言葉を濁してしまった。
流石に領主様に「あなたがやろうとしているのは逆効果です」なんて言えない。
モンスターが瘴気の発生源になっている証拠は無いし、パルメ様の意見を批判なんてしたら、周囲の兵士たちが押し寄せて来そうだ。
「何だ? 何か不安要素があるのか?」
「あ、いや……ええと」
「忌憚なく言ってくれ。些細なことでも障害になるものは払拭しておきたい」
ちょっと驚いてしまった。
この世界は現代以上に立場や身分が集団構成の原理になっている、閉鎖的な社会なのだ。
統べる人間が「カラスは白い」と言えば、それが正解になる。
なのにパルメ様は、どこの馬の骨とも知れない僕なんかに忌憚のない意見を求めてきた。
この人は本気でホエール地方を大海瘴から救いたいと考えているんだろう。
だとしたら、ここではっきりと言ってやるのがパルメ様のためになるのかもしれない。
「……パルメ様」
意を決して口を開く。
「お言葉なのですが、モンスター討伐はお辞めになったほうが良いかと存じます。大海瘴を防ぐどころか、呼び水になってしまう恐れがあります」
「……っ!?」
悲鳴のような声をあげたのは、青い顔をしたフォーデン様だった。
ざわついていた円卓に、凍りついたような沈黙が降りる。
「……なぜそう思う?」
しばしの沈黙ののち、パルメ様が切り出す。
その声には、体の芯に響くような重さがあった。
はっきり言ってめちゃくちゃ怖い。
できれば今すぐここから逃げ出したい。
──でも、ここまで来たら最後まで言うしかない。
僕は小さく深呼吸して、続ける。
「モンスターが瘴気の発生源になっている可能性があるからでございます。先日、私の農園に現れたモンスターを討伐した際に、死体から高濃度の瘴気が発生しました。そのような『瘴気の苗床になっている個体』がいた場合、それをきっかけに大海瘴に発展する可能性があります」
パルメ様が何かを言おうと口を開いた。
だが、すぐに苦虫を噛み潰したような表情をして、言葉をグッと飲み込む。
隣に座っている貴族がパルメ様に何やら耳打ちをしたが、邪魔だと言わんばかりに払い除けられた。
「……お前の話は解った。が、どうやってモンスターを無力化させるつもりだ? まさか指を咥えて街が破壊されるのを眺めていろとは言うまいな?」
「浄化です」
僕は即答する。
「モンスターに私が作った瘴気浄化作用がある作物を食べさせて、彼らの体内にある瘴気を浄化するんです。そうすれば、危険なモンスターは無害なただの動物に戻るはずです」
「な、何だとっ!?」
パルメ様が鬼の形相で立ち上がる。
壁際で待機していた兵士たちが一斉に動いた。
フォーデン様や司祭さんたちが止めようと慌て出し、貴族たちも喚き出す。
騒然となる客間で、僕は震えながらも確信した。
あ、これは終わったな──と。
「……これで終わりなのか?」
ハンマー片手にブリジットが額から流れる汗を拭った。
彼女の周りには、四箇所に大きな杭が打ち付けられている。
自宅裏の庭とも言えるスペースに、僕はブリジットと一緒にいた。
「ありがとう。これくらいスペースがあれば問題なく鶏舎が建てられると思うよ」
こうして自宅裏に来ているのは、養鶏用の鶏舎建築場所を確認するためだ。
最初はララノに手伝ってもらおうと思ったんだけど、彼女には畑作業をお願いしてブリジットを連れてきた。
だってブリジットって、こういう力仕事が向いてそうじゃない?
二日前、パルメザンを出発するときにマヨネーズ作りのことを思い出した僕は、「畜産ギルド」に立ち寄って養鶏の準備をしてから帰ることにした。
畜産ギルドとは、種子や肥料を売っている種苗ギルドの畜産版で、家畜や家畜用の資材を販売している。
もちろん鶏や養鶏用の資材も売っていて、それを買うついでに店員さんに養鶏について色々と聞いてみた。
僕が気になっていたのは鶏舎の建築場所だったんだけど、なんでも日当りがよく、冬の北風が避けられる場所に建てるのが好ましいらしい。
農園の敷地には木が生えておらず、風を避けられるところは限られている。日当りがいい場所と言えば、家の裏しかなかった。
なのでこうして建築予定地を確認しておこうと考えたというわけだ。
できれば畑の近くに建てたかったのだけれど、今日から忙しくなるので家に近いほうが逆に助かる部分はある。
「……忙しくなる、か」
つい、口に出てしまった。
それを聞いたブリジットが首をひねる。
「忙しくなると言っても、そう面倒なものでもあるまい? 鶏の餌は野菜の残りで良いと言っていたし、少々面倒なのは時折貝殻や石をあげないといけないことくらいだろう?」
「……あ、いや、忙しくなるっていうのは養鶏じゃなくて、野菜のほうね」
「ああ、そっちか」
「ひと月でいつもの十倍の野菜を作らないといけないからね。それに、『あの問題』も解決しないと……モンスター浄化作戦は失敗しちゃう」
モンスター浄化作戦。
ホエール地方に生息するモンスターに、僕が作った瘴気浄化作用がある野菜を食べさせて周るという作戦だ。
この作戦は、数日前にパルメ様から正式に発令された。
──そう。パルメ様は僕の提案を受け入れてくれたのだ。
あのとき、僕の発言がパルメ様の逆鱗に触れたと思ったけど、どうやら彼はただ驚いただけだったらしい。
本当にやめて欲しいと思った。
凄まじい形相だったし、軽く死を覚悟しちゃったじゃないか。
パルメ様曰く、モンスターと動物の関係は寝耳に水だったようだ。
魔導院で瘴気に関する論文を読み漁っていた僕ですら知らなかったんだし、研究員でもないパルメ様は知らなくて当然だろう。
というわけでパルメ様主導の元、冒険者ギルドと共同でモンスター浄化作戦がスタートした。
作戦成功の鍵になるのが、瘴気浄化作用がある僕の野菜。
ホエール地方全域で行われる浄化作業には、相応の量の野菜が必要になる。
その量はいつもプッチさんに卸している量の十倍ほど。
それを作戦開始のひと月後までにプッチさんを通じてパルメザンの冒険者ギルドに納品する必要が出てきた。
とてつもなく大変だけど、できないことはないと正直、思った。
付与魔法があれば畑を拡張するのは簡単だし、動物たちの協力があれば収穫も問題なく行ける。
それに、パルメ様が相応の金額で買い取ってくれることになっているので、金銭面でも問題はない。
ただ、ひとつだけ解決しないといけない「とある問題」が発覚した。
「あの問題というのは、野菜を日持ちさせる方法か」
「……うん」
僕はこくりと頷く。
「私はホエールの地理に疎いのだが、全域に野菜を行き届かせるにはどの程度時間がかかるのだ?」
「一週間くらいかな。パルメザン近郊だと、一日二日でいけると思うけど」
例えば、先日瘴気が降りたホエール地方の西の端にある「アインクラッド」という街で浄化作業を行う場合、移動時間だけで一週間はかかってしまう。
付与魔法をかけて長持ちさせているとはいえ、一週間も放置していたら確実に傷んでしまうだろう。
そうなったらモンスターでも口にしてくれなくなる。
そう。ホエール地方全域で浄化作業をするには、いつも以上に野菜を長持ちさせなければいけない。
「例えばサタ先輩が冒険者ギルドに赴いて、野菜に付与魔法をかけるというのはどうだろう?」
「出発する冒険者たちに付与魔法をかけてまわるってこと?」
「そうだ。そこで野菜に再度付与魔法をかければ、長持ちするんじゃないか?」
「ん〜……ギルドで再付与しても一週間持たせるのは無理だよ。冒険者に同行して定期的に魔法をかけないと」
例えばアインクラッドに行く場合、道中で二回ほど付与魔法をかければ持つと思う。
だけど、冒険者はホエール各地で手分けして浄化作業を行うわけだし、全員に同行するのは物理的に無理だ。
「サタ先輩は唯一無二の偉大すぎる絶対神のような存在だから、すべての冒険者に同行するのは不可能か」
「そこは普通に『ひとりしかいない』って言って?」
いちいち表現が大げさすぎるんだよ。
「とにかく、どうにかして野菜を日持ちさせる方法を考えないと」
「私の知識は役に立たないか?」
「ブリジットの知識? って錬金術ってこと?」
「そうだ。農園に来てサタ先輩の付与魔法と同等の効力を持つポーションの研究をしているが、その技術が何か役に立つかもしれない」
「……あ、なるほど」
思わず膝を叩きたくなった。
瘴気浄化作用を持つ野菜をポーションに錬金できれば、保存期間は飛躍的に向上する。
ホエール地方はもとより、王国全土で流通させることも可能だろう。
そんなことができればの話だけど──物は試しだな。
「よし、農作業が終わったら早速やってみようか。ありがとうブリジット。少しだけ光明が見えた気がするよ」
「気にする必要はない。この礼は……そうだな。私たちの結婚指輪のグレードを少しだけ上げてくれればそれで」
「よおしっ! 頑張って畑を拡張するぞぉ!」
兎にも角にも、野菜がないと始まらないからね。
空に向かって拳を突き上げる僕。
そんな僕を、ブリジットは至極不満そうな顔で見ていた。
モンスター浄化作戦の準備をはじめて数日が経った。
ララノやブリジット、それに動物たちの協力もあって畑区画の拡張と畝作りは順調に進んでいる。
ブリジットが範囲確証の合わせ付与をかけた鍬を使って土を耕し、ララノが肥料を撒いて土作りをして僕が畝を作る。
そして、手先が器用な小動物たちが種や苗を植えて、他の動物たちが水を撒いていく……という流れだ。
この数日で、すでに畑区画は以前の倍の広さになり、畝の数も百を越えている。
すべての畝に魔法を付与して育成促進しているので、昨日植えたものも収穫できるくらいに育っている。
作る野菜は、動物が食べてくれそうなもので、比較的長持ちするものをチョイスした。
ニンジンにキャベツ。それにダイコン。
これらは付与魔法をかけなくても長くて五日ほど持つ。ただし、保存環境が良ければの話なので、持って二、三日と考えていいだろう。
そんなこんなで野菜作りは順調に進んでいる──のだけれど、野菜を日持ちさせる方法についてはあまり進展がない。
ブリジットの協力のもと、浄化野菜のポーション化を試しているのだけれど失敗続きだった。
例えば「コケクイムシの卵」と山菜の「ブルーワール」、「サーベルウルフの爪」を混ぜて作る「治療薬」に野菜を混ぜてみたけれど浄化効果は見られなかった。
他には僕の付与魔法と似た、スタミナを向上させる「持久力ポーション」と混ぜてみたけれど、こっちも効果は出ず。
「サタ先輩、こういうものがあるのだがどうだろう」
自宅の二階、錬金術の研究室に使っている部屋。
ブリジットがとある錬金術にまつわる書物を見せてくれた。
「……免疫強化?」
「そうだ。病の進行を遅らせる高級ポーションなのだが、野菜にこれをかければ腐敗を遅らせることができるんじゃないだろうか?」
「なるほど、逆転の発想か」
野菜をポーションにして長持ちさせるのではなく、野菜にポーションをかけて長持ちさせる。
確かに良いアイデアかもしれない。
「でも、高級ポーションってことは素材も高級じゃないの?」
「いくつか王都から取り寄せる必要があるのだが、手に入らないものではない。まぁ、多少値が張るがな」
「費用はパルメ様が出してくれるから気にしなくていいと思うけど、高級ってことは希少な素材ってことだよね?」
「そうでもないぞ? 『ヤドアリクイの目』と『吸血鬼の肝』、『エンシェントドラゴンの目』あたりは確かに希少だが、王都では結構出回っている」
「うん、語感からして一品物レベルの激レアな雰囲気」
というか、エンシェントドラゴンってなんだ?
ドラゴンなんて名前、創作物の中でしか聞いたことがないけど。
「それに、仮に王都の錬金ギルドに在庫があったとしても、素材を取り寄せるだけで一ヶ月以上はかかっちゃうから、ちょっと厳しいかもしれないね」
「……そうか、期限まであと半月程度しかないのだったな」
ううむ、と眉根を寄せるブリジット。
ついに期限までの折り返し地点を過ぎてしまった。
時間が無い以上、出来ることも限られてくる。
多分、ここ数日が正念場。
ここで何も見つからなければ──文字通り終わってしまう。
他に何か参考にできる書物はないかと積み上がった本の山に戻ったとき、静かに部屋の扉が開いた。
現れたのは、農作業着姿のララノ。
午後から皆で畑の収穫をする予定なのだ。
「お疲れさまです。ちょっと休憩でお昼ご飯にしませんか?」
「ゴメン、ララノ。こっちの見通しが立つまで、お昼は軽食で済ませたいんだよね」
「はい。そう仰ると思って、用意してきましたよ」
「……え? ほんとに?」
ちょっと有能すぎませんか、ララノさん。
驚く僕を横目に、ララノは一階からお皿を運んでくる。
「……ん? これは何だ?」
ブリジットが運ばれてきた乳白色のクリーム状のものが入った器を手に取った。
「見たことがないが、調味料なのか?」
「それは先日、サタ様がお作りになったマヨネーズという調味料ですよ」
「つ、作った!?」
ギョッとして僕を見るブリジット。
「凄いな! サタ先輩は調味料も作れるのか! しかも、美食家の私が知らない未知の調味料を発明するなんて!」
「いやまぁ、発明っていうか思いつきで作ったっていうか」
平たく言えば、前世の記憶を元に作っただけだけどね。
息抜きで曖昧な記憶を頼りに作ってみたけど、ちゃんとマヨネーズになった。
作り方は至って簡単だ。
卵の黄身と穀物酢、それに塩を適量入れてかき混ぜて、さらに亜麻の種から作られているアマニ油を入れて完成。
レモン汁を入れてもいいけれど、そこはお好みで。
少々粘りっけが強いけれど、味はマヨネーズそのものだった。
出来上がったマヨネーズをララノに見せたところ、「これで料理を作らせてください!」と興奮してしたっけ。
「私もはじめて見る調味料だったのですが、このマヨネーズというものを使って色々と試してみたんです」
ララノが机の上に並べてくれたのは、片手で食べられそうな料理の数々だった。
野菜スティックに、燻製チーズ。
先日ラングレさんの自宅で食べたサンドイッチもある。
パンはまだ自宅では作れないので、街で買ってきたのかな?
パンの間に農園で作った野菜とマヨネーズが見えている。
早速、サンドイッチを食べてみる。
農園で作った野菜特有の甘さとマヨネーズの酸味とコクが合わさって、とても美味しい。
「……おお、はじめて食べるがこれは美味いな」
どうやらブリジットもマヨネーズが気に入ったようだ。
「このチーズにもよく合う」
「その燻製チーズはプッチさんから頂いたものですけど、マヨネーズとすごく合いますよね」
「うむ。これは食が進むな。燻製の煙臭さが軽減するし、酒のつまみにも使えそうだ。ああそうだ、確か地下の貯蔵庫にまだホエールワインが──」
「……ああっ!」
とあることに気がついた僕は、反射的に叫んでしまった。
「ど、どうした、サタ先輩?」
「それだよ、ブリジット!」
「それ? ワインならちゃんと先輩の分も持ってくるから──」
「いや、そっちじゃなくて」
「ん? 違うのか?」
首をかしげるブリジットだったが、ハッと何かに気づいて笑みを浮かべる。
「ははぁ、解ったぞ。美味そうに燻製チーズを食べる私を見てキュンとしてしまったのだな。そういう所に惹かれる男は多いというからな。ふふ、サタ先輩がそういうタイプだったとは知らなかった。意外な一面を垣間見た気がして嬉しいぞ」
「全っ然違うし、勝手に早口で盛り上がらないでくれる?」
ドヤ顔で明後日の方向に勘違いするんじゃない。
見てみろ。変な勘違いをするからララノが顔を真っ赤にしてプルプル震えてるじゃないか。
「僕が言ってるのは、ブリジットが食べてるそれだよ」
僕はブリジットが手にしている燻製チーズを指差す。
「燻製チーズのことか? これがどうした?」
「野菜を燻製にするんだよ。そうすれば日持ちしない野菜でも、長期間の保存が可能になるかもしれない」
燻製は現代では「風味を出したり独特の食感を楽しむためのもの」として定着しているけれど、元々は食材を長持ちさせるために考案された技術だ。
アルミターナにおける燻製も、後者の意味合いで広く普及している。
燻製づくりは生前に何度かやったことがある。
いくつかある手法のうち、僕がやったのはポピュラーかつ初心者向けの「温燻」という手法だったけれど、保存性を高めるにはこの温燻がベストらしい。
やり方は至って簡単。
スモークウッドという木材を細かく粉砕して固形化させたものに火を付けて、出てくる煙で食材を数時間燻すだけ。
熱で燻す「熱燻」よりも少々時間はかかるけれど、比較的高温の煙で長時間燻すために水分が飛び殺菌もされるために食材が長持ちするらしい。
「燻製は良いアイデアかもしれませんね」
ララノが嬉しそうに手を叩いた。
「でも、野菜って燻製に出来るんですか?」
「問題なく出来るよ。前にネギとニンジンを燻製にしてオリーブオイルで和えたことがあるんだけど、凄く美味しかった」
「なんだそれは。聞いただけでよだれが出てしまいそうだ」
食いついてきたのは健啖家ブリジット。
その口の端には光るものが見えている。
この食いしん坊め。
「じゃあ、試しにやってみようか。動物たちに協力してもらってもいいかな? 彼らが食べてくれたらモンスターも問題なく口にするだろうし」
「わかりました。では早速、彼らを呼んで準備しますね!」
「私も手伝うぞ!」
というわけで手分けをして燻製の準備を始めることにした。
燻製をやる上で一番大切なのが食材の下準備だ。
ブリジットに家の前で燻製に使う焚き火の準備をしてもらっている間に、野菜の下処理を始める。
使う野菜はニンジンとタマネギ。
タマネギは今回の浄化作戦には使わないけれど、美味しそうなので一緒に燻製にすることにした。
野菜を手頃な大きさにカットして、まずは塩漬けにする。
風味を楽しむためだけだったら必要ない工程だけれど、長期保存するなら絶対必要になる。後で水につけて塩抜きをするのを忘れずに。
本当なら一日か二日かけて塩に漬けるんだけれど、塩に俊敏力強化の付与魔法をかければ短時間で塩漬けに出来る。
本当に付与魔法って便利だ。
次にやるのが食材の加熱だ。フライパンで軽く火を通せば問題ない。
そして最後は風乾。
風乾は一時間ほど外気にさらして乾かす作業のことだ。
この風乾が一番大切で、これ次第で味がひどく落ちたりする。
手際よく一通り食材の下準備を終えたところで、燻製作業スタート。
食材を持って表に出ると、焚き火の周りに動物たちも集まっていた。
現代みたいに「燻製器」がないこの世界では、小屋を燻製器代わりにするんだけれど、用意がないので焚き火で代用する。
これがうまく行ったら動物たちにお願いして専用の小屋を建ててもらおう。
焚き火の薪を少なくして煙を多く出すように調整してから野菜を鉄串に刺して焚き火の周りに並べる。
手始めなのでニンジンとタマネギを三つづつ。
さっくりと並べ終わったタイミングでブリジットが尋ねてきた。
「燻す時間はどれくらいなのだ?」
「大体二時間くらいかな」
「では、収穫が終わるくらいで完成だな」
「そうだね。今のうちに収穫を終わらせておこう」
「これは畑作業にも力が入るな!」
おいしい燻製にありつけると思ったのか、いつもに増してやる気まんまんのブリジットさん。
気合入れてくれるのはありがたいけど、力を入れすぎて野菜をダメにしないでね?
というわけで、ララノとブリジットの三人で畑へと向かう。
作付けは一通り終わっているので、今日やるのは間引きと芽かき、それに水やりと付与魔法かけ。最後に収穫だ。
力仕事は少ないけれど、相応の時間はかかる。
一通り作業が終わったころには、少しだけ陽が傾いてきていた。
収穫した野菜を地下の貯蔵庫に運んでから、焚き火に戻る。
「……おお! これはちゃんと出来てるんじゃないか、サタ先輩!?」
「わぁ! いい感じですね!」
焚き火の周りに並べた野菜に、綺麗な色がついていた。
見た目からして凄く美味しそうだ。
丁度夕食の時間だったのでここで取ってしまおうという話になり、ララノが家からワインとパンを持ってきてくれた。
「では、さっそく……」
いい感じでパリパリになっているタマネギを食べる。
ブリジットとララノはニンジンを手に取った。
「……んむ?」
ガブリと頬張ってみたけれど、妙な味がした。
いや、これは味というより、匂いか?
「……ん〜、やっぱりちょっと臭いですね」
「うむ。まさに燻製だな」
ララノとブリジットも同じ感想のようだ。
たまに食べている他の燻製と同じく、かなり煙臭い。
試しに隣に居たキツネにニンジンを差し出してみたけれど、キュイッと鳴いて逃げられてしまった。
多少想定はしていたけれど、単品では食べられたものじゃないな。
これはもうひと工夫必要だ。
「ララノ、ちょっと動物たちにお願いしたいことがあるんだけど」
「なんでしょう? 燻製小屋の建築ですか?」
「あ、それも後でお願いしたいんだけど、その前に、山からクルミの木かリンゴの木を採ってきてもらえないかな?」
「……リンゴの木?」
そんなもの何に使うんだろうと言いたげに、ララノは首をかしげた。
+++
はじめての燻製制作に失敗した翌日──。
僕たちは昨日と同じく自宅前に集まっていた。
ひとつだけ昨日と違うのは、焚き火で使えるように小さく割ったとある木材が用意されていること。
「おお! なるほど! 香りが強いリンゴの木を使って燻すとは考えたなサタ先輩! さすサタ!」
「さすサタって何?」
煙臭いタマネギの燻製を頬張るブリジットに冷めた視線を送った。
燻製を成功させるために準備した秘密兵器は、動物たちに山で探してもらった「リンゴの木」だった。
本当なら、リンゴの木にクルミの木やヒッコリーを混ぜて固形化させた「スモークウッド」を作りたいところなんだけど、どうやって作るのかわからない。
なので少々強引だけど、直接リンゴの木を使って燻そうと考えたのだ。
「リンゴの木を使えば煙臭さが消えて、風味が増すと思うんだよね」
「へぇ、そうなんですね! そんな使い方があるなんて知らなかった……」
一緒に焚き火を組み立てているララノが、感心したように言う。
この世界では燻製に風味なんて求められていないから、誰もやらないんだろうけど、商品にしたら売れるかな?
リンゴの木で焚き火を組み立てて、早速火を付ける。
その周りに下準備した野菜を並べて、出来上がるまで農作業。
作業を終えて、お昼時に再び焚き火の前に集合した。
「……ふむ。見た目も香りも良いな。これは昨日の燻製よりおいしそうだ」
串を手にとったブリジットが、ごくりと涎を飲み込む。
あれ? 煙臭いやつでも美味そうに食べてなかったっけ?
心の中でツッコミながら、タマネギの串をひとつ取ってガブリとかぶりついた。
「……あっ」
「おいしい!」
僕に続いて、ニンジンの燻製に口を付けたララノが目を丸くした。
「表面がパリッとしているのに、中はジューシーというか……すごい濃厚ですね」
「そうだね。リンゴの木のお陰で味に深みが出ているのかもしれない」
これはお世辞抜きに凄くおいしい。
タマネギの濃い甘みとアクセントの塩気が凄くマッチしているし、表面がパリパリなのに中はジュワっとしていて食感もたまらない。
隣で物欲しそうにしていた狼にニンジンのローストをあげてみたところ、勢いよくガッツイてくれた。
「な、なんだこれは!? うますぎないか、サタ先輩っ!?」
こっちの健啖家も大騒ぎだった。
ブリジットは両手にタマネギとニンジンの串を持って、交互にかぶりついている。ご令嬢なんだからもう少し行儀よく食べたほうが良いと思う。
「これは大成功ですね、サタ様」
「そうだね。リンゴの木を使った燻製ならいけそうだ。早速量産に入ろう。動物たちに燻製小屋の建築と、追加のリンゴの木を持って来てくれるように頼めるかな?」
「はい、もちろんできます……けど」
ララノが心配そうに眉根を寄せる。
「ここのところ、ずっと働き詰めているので今日くらいはゆっくりしませんか? 野菜づくりは予定通り進んでいますし、残っている作業は収穫ぐらいなので動物たちに任せられます。頑張りすぎは良くないですよ?」
「……あ」
言われてハッと気づく。
パルメ様に浄化作戦への協力を依頼されてから、寝る間も惜しんで作業や研究に没頭していた。
ホエール地方に住む人たちのためとはいえ、生前のブラック企業に勤めていたとき並みに働いている。
あきらかにスローライフとは程遠い生活だ。
「……またやっちゃったか」
「ふふ、ですね。でも、それがサタ様の良いところでもあるんですけど」
ララノにつられて、僕も笑ってしまった。
「ララノが言う通り今日はのんびりしようか。燻製の制作は明日からスタートだ。期限までスパートをかけないといけないから、エネルギーの補充といこう」
「よし、それではワインでも飲みながら、この燻製を楽しもうではないか!」
「あ、それ、良い考えですね」
嬉しそうに手を叩くララノ。
やるときはしっかりやって、休むときもしっかり休む。
それがスローライフのルール。
というわけで、まだお昼だけれど貯蔵庫からホエールワインを持ってきた僕たちは、燻製野菜を片手に乾杯をすることにした。
部屋の窓から外を見ると、一面がラベンダー畑のように紫色に輝いていた。
夜の間に降りた瘴気と朝日の共演──。
僅かな時間だけ見られる、幻想的な世界だ。
瘴気は人々に害為す存在で、一刻も早く世界からなくなればいいと思っているけれど、この光景だけはいつまでも見ていたいと思う。
王都の実家にいる妹も、これを見たら喜ぶに違いない。
「……なんて思うのは不謹慎だよなぁ」
う〜んと背伸びをしたあとで、窓から何も植えられていないまっさらの畑を眺めた。
畑に何もないのは、全ての燻製野菜の納品が完了したからだ。
燻製が詰まった樽を載せて最終便の荷馬車がパルメザンへと出発したのは昨日。
運んだ樽の数はおおよそ三十ほど。
昨日送り出したのはそれくらいの数だったけど、五日前と十日前に農園を出発した一便と二便の分を合わせると、百樽ほどになっていると思う。
改めて凄い数を作ったもんだ。
燻製作りに成功してからすぐに量産体制に入ったけれど、本当に大変だった。
燻製小屋の建築と同時進行で燻製を作りつつ、さらに収穫と作付け、それに間引きや芽かき、追肥などなどの畑作業をやる。
第一便が出発する前日にプッチさんが数人の冒険者を連れて手伝いに来てくれたけど、あれがなかったらちょっとやばかったかもしれない。
ちなみにプッチさんにリンゴの木で作った燻製を食べさせたところ、「これは商品になりますよっ!」と大興奮だった。
真っ先に「おいしい」じゃなくて「お金になる」と言っちゃうところが実にプッチさんらしい。
などと考えていると、グゥと腹が鳴った。
「……適当に朝ごはんを食べるか」
部屋を出て一階に降り、燻製の下処理が終わっている羊肉とチーズ、それにホエールワインを持って外に出た。
一応、家を出るときに耳を澄ませてみたけれど、二階から物音はしなかった。
ララノとブリジットはまだ寝ているようだ。
怒涛の燻製づくりが終わって疲労困憊だろうし、今日はゆっくりさせておこう。
「というのは建前で、ひとりで羊肉の燻製を楽しみたかっただけなんだけどね」
みんなと一緒に居るのは楽しいけれど、ひとりになる時間も大切だ。
家の外でくつろいでいた動物たちに挨拶をして、家の裏の鶏舎で卵をいくつか拝借してから燻製小屋に向かう。
畑区画の奥にある物置小屋のような小さな建物が燻製小屋だ。
人がひとり入れるかどうかというくらいのサイズだけれど、この大きさで燻製が大量生産できるのだから凄い。
小さなドアが付いている小屋の中は、一番下に石で囲われた囲炉裏みたいなものがあって、ここにスモークウッドを置けるようになっている。
その上には網を引っ掛ける出っ張りがいくつかあって、小さな食材はここ置いて、大きい食材は天井にあるフックに吊るす。
なんとも機能性が高い燻製小屋だろう。
イメージはララノを通じて動物たちに伝えたけれど、一流の大工さんが作ったと思ってしまうレベルで完成度が高い。
羊肉と卵を一番下の網に置き、チーズは上の網に。
温燻は熱燻よりも温度が低いとはいえ、下の網にチーズを置いてしまうと溶けてしまうので上に置くと良いのだ。
それから、リンゴの木を使った薪に火を付けて囲炉裏部分に置く。
ドアを閉めてしばらく待っていると、屋根の上にある小さな穴からモクモクと煙が出はじめた。
これで一時間くらい待てば燻製の完成だ。
それまで小屋の前に設置してあるハンモックに体を預け、ワインをちびちび飲みながらのんびりと本を読むことにした。
雲ひとつない空の下で、風の音を聞きながらゆったりとした時間を過ごす。
ここ最近は燻製づくりに追われていたからか、こうしてのんびりできる時間がすごく贅沢に思える。
「……でも、トリトンが来たらまた引きこもり生活になりそうだな」
この世界の台風、トリトン。
例年通りだったらそろそろトリトンがやってくる時期だとプッチさんは言っていた。
トリトンが来れば大海瘴の危機も去ることになるけれど、その間は農作業ができなくなるのが痛い。
プッチさんに頼んで物資を溜め込んでおいたほうがよさそうだな。
いや、近々ラングレさんのブドウ園にも行かないといけないし、その時に街で食材を買っておこうか。
こうして燻製ができるようになって保存性も高まったわけだし、豚肉や羊肉も大量に買っていいかもしれない。
などとぼんやり考えていたら、いつの間にかうたた寝していたらしい。
「おはようございます、サタ様」
──というララノの声でハッと目が覚めた。
「……あ、おはようララノ」
「あっ、ごめんなさい。お休み中だとは知らず」
「いやいや、大丈夫。燻製を作ってて完成までのんびりしてただけだから」
「あ、やっぱりそうなんですね。部屋の窓からいい香りが流れてきたので、釣られて来ちゃいました」
ララノが少し恥ずかしそうに笑う。
どうやら燻製の香りで起こしてしまったらしい。
ひとりでこっそり楽しみたかったんだけど、まぁ仕方ない。
「出来上がったら一緒に食べようか」
「良いんですか? やった!」
嬉しそうに尻尾を踊らせるララノ。
切り株を使った椅子を二つ用意して、とりあえずワインで乾杯することにした。
「浄化作戦、成功するといいですね」
ワインを飲みながら、しみじみとララノが言う。
「いやいや何を言ってるの。絶対成功するから」
「……ふふ、そうですね。サタ様が作った燻製ですもんね」
「皆で一緒に作った燻製、ね」
ララノやブリジットが居なかったら期限通りに野菜を納品することはできなかった。
これは僕ひとりの手柄じゃない。
「でも、燻製野菜を使えば瘴気被害が未然に防げるようになるかもしれないな。そうなったらホエール地方から瘴気がなくなるだろうし……ララノとの約束もすぐに果たせるかもしれないね」
「……っ」
ハッとしたようにララノが僕を見た。
大海瘴の混乱で行方不明になっているララノの家族。
彼らが戻ってこられるようにホエール地方から瘴気を無くすとララノに約束した。この調子だと、夢の実現までそう遠くはなさそうだ。
「……覚えていてくださったんですね」
「そりゃあ約束したからね。ご両親が戻ってきたら紹介してくれないかな?」
「もちろんです。でも、私のお父さんを見たらビックリすると思いますよ?」
「え、どうして?」
巨大な熊だったんです……とかいうオチはやめてね?
「お父さんはサタ様に似て華奢な見た目なんですけど、『豪腕』の加護を持っているのですごい強いんです」
「華奢なのに力持ち……何ていうか、ギャップが凄いね?」
まるで付与魔法を使った僕みたいだな。
「そうなんです。でも、そこが良いっていうか」
ララノがクスクスとくすぐったそうに笑う。
「お母さんと結婚する前は冒険者をやっていたみたいで、依頼で南の砂漠の国に行ったときはカトブレパスをひとりで討伐したらしいんですよ」
「ほんとに? 凄すぎないそれ?」
カトブレパスって、確かすっごく危険なモンスターだよね。
黒い水牛のモンスターで、視線を交差させてしまうと死んでしまうとかいう噂を聞いたことがある。
獣人は身体能力が高い種族とはいえ、そんな恐ろしいモンスターをひとりで討伐するなんて強いどころの話じゃないな。
ララノのお父さんが農園にいてくれたら、傭兵団が攻めてきても撃退できそうだ。
「それは是非うちの農園にスカウトしないとね」
「はい。きっと喜んで受けてくれると思いますよ」
ララノの家族だけじゃなくて、他の獣人たちも来てもらおうかな。
集落の広さがどれくらいだったのかはわからないけれど、この農地も相当広いし、住んでもらうには問題はないはず。
それに、獣人たちが来てくれればその分畑を拡張できるし、出荷できる野菜の量も増える。
うん、良いこと尽くめだ。
「……ん?」
などと話していると、家の方からトコトコと狼がやってきているのが見えた。
ララノの隣にちょこんと座り、何やら話しはじめる。
「どうしたの?」
「サタ様にお客様のようです」
「……お客? 僕に?」
一体誰だろう?
プッチさんは出発したばかりだし、農園に来る人なんて誰もいないはずだけど。
「燻製が出来上がるまでまだ時間がかかりそうだから、一旦家に戻ろうか」
「そうですね」
そうして僕は、ララノと一緒に家に戻ることにしたのだけれど──自宅で僕を待っていたのは意外すぎる訪問者だった。
家の前に一台の馬車が停まっているのが見えた。
パルメザンとの行き来に使ってる乗合馬車とは違う、運び屋ギルドで使っているような荷物を乗せる荷馬車タイプ。
いくつも木箱や樽が載せられているけれど、もしかしてプッチさんだろうか。
でも、先日物資を運んできてくれたばっかりだからな。
不思議に思いながらリビングに行くと、よく知った小柄な少女の姿があった。
「……あれ? やっぱりプッチさんだ」
「あっ、サタさん!」
ソファーに腰掛けてブリジットと話していたのはプッチさんだった。
でも、なんで彼女がここに?
と、首を傾げていた僕の目に、もうひとりのお客さんの姿が映った。
プッチさんの隣に座っている、実に無骨そうな男性。
シックなブリオーを着ているところを見ると、商人ではなく高い身分の人のようだ。
とりあえずプッチさんに事情を尋ねてみる。
「一体どうしたんですか? 昨日出発したばっかりですけど」
「実はパルメザンに向かう途中でこちらの方とばったり会いまして、サタさんの農園までの道案内的なことを」
「……道案内?」
不思議に思っていると、隣の男性が音もなく立ち上がり、深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかりますサタ様。私はパルメ子爵様の使いで参りました、ドノヴァンと申します」
「え? 領主様の?」
「はい。こちらの信書と表の荷をサタ様にお届けに上がりました」
そういってドノヴァンと名乗った男性は、僕に手紙を手渡してきた。
領主印で封蝋された手紙には、先日僕が送った燻製に対する感謝の言葉と浄化作業の進捗について書かれていた。
一週間前に納品した第一便の燻製野菜を使ってホエール各地でモンスターの浄化作戦は進められていて、概ね良い知らせが上がってきているという。
中でもホエール地方の北部にあるキロットでは瘴気の苗床になっているモンスターが多数確認され、総勢百人での浄化作戦が実行されたらしい。
浄化作業中にモンスターによって負傷した冒険者は出たものの、全てのモンスターの浄化に成功し、被害は未然に防がれたようだ。
「先輩たちが来る前に話を聞いていたのだが、浄化作業は順調のようだぞ」
ブリジットが補足するように言う。
どうやらブリジットもドノヴァンさんたちから話を聞いたみたいだ。
「みたいだね。これだけ成果が出ているのを見ると大成功と見て良いかも」
「良かった……」
安堵したような声を上げたのはララノだ。
いやいや、だから成功するって言ったじゃない。
──とは思ったものの、実際にパルメ様の手紙を読んでホッとしている僕もいる。ようやく肩の荷が降りた感じだ。
そんな僕を見て、ドノヴァンさんが続ける。
「このまま浄化作業が進めば、例年通りトリトンの到来を迎えられると子爵様もおっしゃっております。全てサタ様のおかげです。子爵様に代わって改めてお礼を申し上げます」
「いえいえ、僕たちは少しだけお手伝いをしただけですよ。全部パルメ子爵様の手腕によるものです」
冒険者ギルドをはじめ、各所の調整をやったのはパルメ様だ。
僕はただの末端の作業員にすぎない。
「…………」
パルメ様を最大限称える言葉を口にしたつもりだったけど、ドノヴァンさんの表情は晴れやかとはいいづらいものだった。
「……ここからは、子爵様の使者としてではなく私個人の意見として受け取っていただきたいのですが」
恐々としていると、そう前置きをしてドノヴァンさんが口を開いた。
「実は私はキロット出身でして、以前から街の瘴気被害については家の者から報告を受けておりました。先日パルメザンと同じように高濃度の瘴気に襲われた際も、壊滅的な被害を受けたと聞きました」
「……そうだったんですね」
そう言えば、パルメザンが瘴気に襲われた同じタイミングでキロットも瘴気に襲われたってパルメ様が言ってたっけ。
「キロットの統治を子爵様より拝命している私の父は『キロットが瘴気に沈むのであれば、街と運命を共にする』と言っていました。サタ様がいらっしゃらなければ街の住人と父の命は瘴気によって奪われていたでしょう。私にとって、サタ様は故郷と家族を救ってくださった恩人です。心より感謝を申し上げます」
そうしてドノヴァンさんが、再び頭を下げた。
彼の無骨な雰囲気がそうさせているのか、リビングに重い空気が立ち込める。
「……頭を上げてください、ドノヴァンさん」
しばしの沈黙ののち、そう切り出した。
「僕はそんな凄い人間じゃないですよ。なにせ、付与魔法がなければ空樽のひとつも運ぶことができないんですから。キロットの街とドノヴァンさんのご両親を助けることになったのは、ただの成り行きです」
でも──そう付け加えて僕は続ける。
「仲間たちと作った燻製野菜のおかげで多くの人の命が救われたのなら、今回の作戦に協力して良かったと思います」
燻製づくりは楽じゃない作業だった。
いくつも障害があったし、できればもう二度とやりたくない。
だけど、実際にあの燻製野菜に助けられたという人たちがいるんだったら、やって良かったと心の底から思える。
ドノヴァンさんの表情は全く変わらなかったが、彼が放つ無骨な空気が少しだけ和らいだような気がした。
「最後に今回納品いただいた燻製の代金ですが、表の馬車に載せておりますのでご査収ください」
「わかりました。では早速馬車から降ろして確認を──」
「いえ、子爵様からは『馬車ごとサタ様にお渡しするように』と言われておりますので、その必要はございません」
「……へ?」
目をパチクリと瞬かせてしまった。
「ば、馬車って……え? あの荷馬車ですか?」
「はい。呪われた地での農園経営は何かと物入りだと思いますし、ご自由にお使いください」
「あ、いや……本当ですか?」
「はい」
「あ、ええっと、それはとてもありがたいですけど、ドノヴァンさんはどうやって街に戻るんです?」
「馬を用意しておりますのでお気遣いなく」
「ボクが連れて来た馬を使ってもらうつもりです」
プッチさんが補足する。
なるほど。足があるなら心配する必要もないか。
しかし、荷馬車まで貰えるなんて至れり尽くせりだ。
パルメザンやラングレさんのブドウ園には頻繁に行っているし、馬車があればすごく助かる。
それに、水汲みや物資の運搬も楽になるし。
お金はラングレさんやプッチさんのお陰で潤沢にあるから、正直、こっちの報酬のほうが嬉しいな。
「それでは私はそろそろ失礼します、サタ様」
「ありがとうございました。道中お気をつけて」
そう声をかけると、ドノヴァンさんは最後にもう一度僕たちに感謝の言葉を送って、馬に乗って颯爽と帰っていった。
玄関先で小さくなっていくドノヴァンさんを見送る僕たち。
「サタ先輩!」
馬車が止まっている方からブリジットの声がした。
ふと馬車を見ると、荷台に彼女の姿があった。
「何かあった?」
「馬車に乗っている謝礼の件だ! とんでもないものが載っているぞ!」
どうやら一足先に馬車の荷を確認していたらしい。
でも、何が積まれているんだろう。
ブリジットの驚きようを見る限り、そうとう凄いものなんだろうけど。
「馬車に載ってる荷物って何なんです?」
隣のプッチさんに尋ねると、彼女はニヤリと口角を釣り上げた。
「見ればわかりますよ。ムッフッフ」
どうやらプッチさんは知っているらしい。
なんだろう。ちょっと怖いんですけど。