猛暑も影を潜め、夕方になると時折、心地良い涼しい風が窓から流れこむようになってきた。

 日本だと、そろそろヒグラシが鳴く季節。

 異世界アルミターナには「暦」というものが存在しないけれど、多分、立秋あたりだろうか。いや、雰囲気的にもう過ぎているかな?

 ブラック企業に勤めていたとき、休憩時間にボーッと日本の暦を見たりしていたけれど、立秋はお盆前くらいだったっけ。

 この時期の旬の野菜はトウモロコシ。

 トウモロコシは収穫後、一日で甘さも栄養価も半減するのでその日のうちに食べてしまうのが鉄則だ。

 とはいえ、その鉄則は魔法がない現代での話。

 自宅の地下に保管している大樽三つ分ほどのトウモロコシは、「生命力強化」の付与魔法を定期的にかけているおかげで、一週間経った今でも採れたての美味しさを維持している。

 トウモロコシだけではなく、夏野菜のキュウリやトマトも食べきれなかった分は付与魔法をかけて保存している。

 一方の畑では、夏野菜が終わって秋野菜の準備をはじめている。

 キャベツ、ブロッコリー、赤ダイコンにミズナ、ニンジン、カブ、ホウレンソウ、ロマネスコなどなど。

 畑は更に拡張され、畝の数は今や五十を越えた。

 この数になるとちょっと管理が大変かなと思ったのだけれど、動物たちの協力や肉体派のブリジットの加入おかげで意外と苦労なくこなせている。

「……う〜む」

 まだ朝露が消えきっていない、一日が始まったばかりの農園。

 広大な畑で何やら難しそうなブリジットの声が聞こえた。

 ロマネスコの苗を植えていた僕は手を止めて、声がしたほうを見る。

 ブリジットは畑の一角──彼女に「自由に使っていいよ」と貸している畝──で首を捻っていた。

「どうしたの?」
「いや、どうにも上手くいかなくてな」
「……上手くいかない?」

 もしかして野菜でも育ててるのかな。

 そう思って覗いてみると、ブリジットの足元に枯れてしまった苗のようなものがあった。

 これはブロッコリーの苗?

「それ、ブリジットが植えたの?」
「ああそうだ。サタ先輩の付与魔法の効力を再現できないかと錬金術で精製したポーションで土壌改良してみたのだが……この有様だ」

 ブリジットが言うには、錬金術で精製した「成長薬」と「強化薬」のポーションを土に混ぜて耕し、そこにブロッコリーの苗を植えたらしい。

 成長薬はその名の通り植物の育成促進に使うポーションで、強化薬は身体能力強化に使うポーションだ。

「魔導院でやったときはこのふたつを使えば、一定の成果が見られたのだがな」
「院に運ばれてきた土の瘴気度が低かったとか?」
「その可能性はある。だが、それを見越してミズノハとガジュを多めに使ってポーションを精製してみたのだ」
「ミズノハ? ガジュ?」
「成長薬の効力を高める効果がある霊草だ。大変希少な薬草で、これを使った成長促進薬を使えば、養分が乏しい痩せた土でも作物が育つ」
「なるほど。ポーションを使って作物に多くの栄養を与えれば、瘴気の毒素をある程度跳ね除けられるかもしれないって考えたわけか」
「おお、流石はサタ先輩。そのとおりだ」

 確かにいいアイデアだとは思う。

 だけど、結果は失敗。痩せた土でスクスク育つほどの栄養を与えても、瘴気の毒素を退けることはできなかった。

「しかし、改めてサタ先輩の凄さを実感したぞ。最高級の薬草を使ったポーションでも無理なことをさらっとやってのけるなんて」
「凄いのは僕じゃなくて付与魔法だけどね」

 野菜の知識もアマチュアに毛が生えた程度のものだし。

 ブリジットは院を辞めたけれど、錬金術と瘴気に関する研究は続けるようで、こうして農作業の傍らで実際に作物を育てながら実証研究をしている。

 今のところ失敗続きだけれど、すぐに成功させるに違いない。

「……ん? そういえば今日の収穫物はないのか?」

 畝の傍に置いてある空の荷車を見てブリジットが尋ねてきた。

「そうだね。ちょっとだけシシトウが残ってるから、それを採るくらいかな。ロマネスコの苗も植え終わったし、残りの収穫をしたら今日の作業は終わりだ」
「なるほど。ちなみにサタ先輩の午後の予定は?」
「ん〜、特に決めてないよ。農具のメンテナンスをして部屋でホエールワインでも飲みながらひとりでのんびりしようかな」

 先日、ラングレさんのブドウ園に行ったときにパルメザンに寄ってホエールワインを樽買いしてきたのだ。

 街に流通しているのは三番煎じの安物ワインだけど、それでも十分美味い。

「それはいい考えだな。実に贅沢な時間の使い方だ」
「だよね。燻製チーズもあるし、つまみもバッチリなんだよね」
「素晴らしい。では、お昼ご飯を食べたらサタ先輩の部屋に集合だな」
「オッケー。じゃあ、僕はブリジットのワインを用意……って、なんで来ようとしてるの?」

 危なく了承するところだった。

 ひとりでのんびりするって言ってるのに、さらっと混ざろうとするんじゃない。

「別に構わないだろう? 私のことは置物だと思えば十分のんびりできる」
「その置物、絶対にウザ絡みしてくる」
「分かった分かった。では、ホエールワインの飲み比べで先に酔いつぶれたほうが何をされてもいいというゲームをやろう」
「のんびり要素はどこに行ったの?」

 それに、僕を酔い潰して何か変なことしようと企んでるでしょそれ。絶対やりたくない。

 というか、いつも思うけどブリジットって本当に心が折れないよね。そういう話を振られるたびに突き放してるのに。

 呆れたような感心したような複雑な感情を抱きつつ、不屈の心を持つブリジットを連れて家へと戻った。

 まずは地下の貯蔵庫に収穫したシシトウを保管してから一階のリビングへ。

 ハクビシンやウサギたちがくつろいでいるリビングを見て、改めて随分と雰囲気が変わったなぁと思った。

 小洒落た革のソファーに、落ち着いた絵柄のカーペット。

 白樺の木で作られた棚にテーブル。

 動物たちが作ってくれたものと凄くマッチしているこれらのお洒落な家具は、少し前にパルメザンで注文したものだ。

 それが先日ようやく届いたのだけれど、ぐっと素敵度が増した。

 我ながらナイスチョイスだったな。

「……あっ」

 と、何やら動物たちとテーブルの上を見ていたララノが僕たちに気づく。

「お疲れ様です。サタ様、ブリジットさん」
「お疲れ様。何を見てるの?」
「これですよ」
「……あっ、キノコ?」

 ララノが手にとったのは、まんじゅうみたいな傘がついた実においしそうなキノコだった。

 テーブルの上のカゴには、大小様々なキノコが山盛りになっていた。

「それって何ていうキノコなの?」
「こっちがパルチーナにダロール、この木の実みたいな見た目のキノコがマリーヌですね」
「……へぇ」

 つい気の抜けた返事をしてしまった。

 聞いてみたは良いものの、全く知らない名前だった。

 多分、同じキノコでも現代とは名前が違うんだろうな。ダロールと言ってたキノコの見た目は椎茸っぽいし。

「食べられるんだよね?」
「もちろんです。特にパルチーナはパスタ料理にも使えて、すっごくおいしいんですよ」
「パルチーナは私が大好きなキノコのひとつだ」

 健啖家ブリジットが、ここぞとばかりに会話に混ざってくる。

「パルチーナはパスタと混ぜても美味いが、リゾットにしてもうまいぞ。パルチーナの甘い香りと凝縮された旨味が絶品なのだ。ワインともよく合う」
「あ〜、いいですねパルチーナリゾット……」

 ララノがキノコ片手にうっとりとした顔をする。

 彼女も意外と健啖家だからな。

 そんなララノにふと浮かんだ疑問を投げる。

「でも、そんなにたくさんのキノコをどこで手に入れたの?」
「オルトロスがいたあの洞窟ですよ」
「……え?」

 あの瘴気が発生してた洞窟?

 そんなところにキノコが生えてたの?

 というか、ララノはそんな所で何をやっていたんだ?

「……あっ」

 僕の胡乱な視線に気づいたララノが慌てて続ける。

「ちち、違います。このキノコを見つけたのは私じゃなくて動物たちですよ? ほら、動物たちに農園の見回りをしてもらっているじゃないですか。それで洞窟にキノコが生えている苗木を見つけたみたいで」
「ああ、そういうことか」

 ホッと一安心。

 てっきりララノがひとりで洞窟探索したのかと思っちゃった。

 あのオルトロス事件があってから、動物たちに敷地内の巡回をお願いしている。

 また危険なモンスターが農園に居座っちゃったら面倒だし、気づかないうちに洞窟から瘴気が噴出してました──なんてことになったら大変だ。

 でも、問題を発見する前にキノコの苗木を発見するなんて素敵すぎるな。

「しかし、苗木かぁ」

 生前にベランダ菜園と一緒に、原木の椎茸栽培をやったことがあった。

 椎茸は栄養を与え続けると半永久的に収穫ができると聞いてやったんだけど、上手く行かずに失敗したっけ。

 失敗してから解ったんだけど、原木の広葉樹の中に含まれる栄養素が菌に回らずに失敗することがあるらしい。

「……ん? てことは付与魔法を使えばいけるのかな?」

 成長促進の「生命力強化」と、育成速度を上げる「俊敏力強化」あたりを付与すれば栄養素が菌にしっかりと行き届くかもしれない。

 いや、魔法を使わなくてもブリジットの「成長促進薬」で事足りそうだな。

 物は試しだ。あとでブリジットを連れて洞窟に行ってみて──と、考えていたら誰かのお腹が盛大に鳴った。

「ふふ……私だ」

 ドヤ顔でブリジットが名乗り出る。

 実に清々しい。

 いや、別に良いんだけど、キミは名家のご令嬢なんだしもう少し恥じらいを持ったほうがいいんじゃないかな?

「……ふふっ」

 そんなブリジットを見て、ララノが楽しそうにクスクスと小さく肩を震わせる。

「ブリジットさんもだいぶお腹が空いているみたいですし、お昼はこのパルチーナを使ったリゾットにしましょうか」
「本当かララノ! 是非お願いしたい!」

 目を爛々と輝かせるブリジット。

 ララノみたいに尻尾があったら、嬉しそうに振り回してそうだ。

「ではブリジットさんは濾過器からの水汲みと、お皿の準備をお願いします」
「承知した!」
「サタ様は……料理を手伝っていただけますか?」
「もちろん」

 この家に住みはじめてから、ララノの料理の手伝いをすることが増えている。

 ──と言っても、僕の料理の腕を見込まれて……なんて理由じゃなくて消去法で僕になっただけだけど。

 ブリジットに頼むと、食材をバラバラにしちゃうのだ。

 早速、山盛りキノコのカゴを持って、ララノとキッチンへと向かう。

「作るのはリゾットだけ?」
「そうですねぇ……それだけじゃ寂しいので、シンプルにダロールを焼いた『ダロールステーキ』と、マリネサラダも作りましょうか」
「ダロールステーキ……」

 なんとも美味そうな響きだ。

 ダロールは見た目が椎茸っぽくてボリューミーだし、バターと一緒に焼くだけで凄く美味しくなりそうだ。

 というわけで、ララノがリゾットを作り、僕がダロールステーキとマリネサラダを作ることになった。

 早速かまどに火を灯し、フライパンが温まる間にダロール石づき──軸の先にある硬い部分──を切り取って、傘の部分に切り込みを入れる。

 温まってきたフライパンにオリーブオイルを薄く伸ばし、ダロールを投入。

 さらにバターを入れて蓋をして、じっくりと蒸し焼きする。

 すぐに美味しそうなキノコが焼ける音と芳ばしい香りが漂ってきた。

 その香りに食欲を刺激されながら、ララノに何気なく尋ねる。

「毎回思うけど、ララノって本当にレシピの幅が広いよね。獣人ってみんなララノみたいに料理が得意なの?」
「そういうわけじゃないですよ。集落に住んでいた人たちは、狩ってきたシカやイノシシばかり食べてましたし。料理が好きなのは私だけでした」
「そうなんだ。じゃあ、料理は独学で?」
「ほとんどレシピ本ですね。子供の頃、家族でパルメザンに行ったときに料理のレシピ本を買ってもらったんです」
「おお、それは凄いな。レシピ本って料理人が読むやつだよね?」
「そうですね。ちょっと値が張りましたけど、すごく勉強になりました」

 王都にも書店はあったけど、本を買うのは職人か暇を持て余している富裕層というのがお決まりだった。

 というかララノって文字が読めるんだな。

「プロの料理人並に料理が作れるなら、そのうち敷地内にお店でも開いちゃう?」

 そう尋ねると、ララノは首をひねった。

「お店?」
「ララノの料理が食べられるお店だよ」
「……えっ! 本当ですか! すごく楽しそう!」
「まぁ、農園に来るお客さんなんてプッチさんくらいだから商売にはならないとは思うけど」

 あまり客が来ないほうがのんびりできるから、そっちのほうが良いかな?

 そういう所から噂になれば、ララノの家族の耳にも届くかもしれない。

「……ワウっ」

 リビングにやってきた狼が小さく吠えた。

「え? 馬車?」

 ララノが小首を傾げる。

 どうやら、今の鳴き声で内容がわかったらしい。

「サタ様、どうやら敷地内に馬車がやってきたみたいです」
「馬車? プッチさんかな?」

 プッチさんは定期的に農園にやってきて、農園の野菜を買い取ってくれたり必要な物資を卸してくれる。

 前回から結構時間が経っているし、彼女がやってきたのかもしれない。

 そう思ったのだが──。

「いえ、プッチさんじゃなさそうです」
「……え、違うの?」

 狼曰く、どうやらプッチさんとは違う匂いがするらしい。

 嗅覚が鋭い狼が言うのだから間違いない。

 とすると、誰だろう。

 プッチさん以外で農園にやってくる馬車なんて、運び屋ギルドくらいのものだけれど。

 などと首を傾げていると、馬車が家の前に停まるのが見えた。

 とりあえず出迎えたほうが良いかと、ララノと一緒に玄関先に出る。

 馬車は人を運ぶ乗用馬車ではなく、荷物を運ぶ荷馬車だった。

 ということは、商人さんかな。

「あっ……!」

 御者台に座っている男性を見て、声が出てしまった。

 ふくよかな体格に優しそうな顔。

 そして、一番特徴的な、ふさふさとした眉毛。

「お久しぶりです、サタ様」
「サ、サクネさん?」

 馬車から降りてきたのは、以前にパルメザンの街のあれこれを僕に教えてくれたサクネさんだった。