「……オルトロス?」

 先日、ブリジットを襲ったモンスター、オルトロス。

 片方が潰れている真っ赤に燃えた瞳で見下ろすオルトロスは、牙を剥いてこちらを威嚇している。

 でも何だろう。なんだか既視感がある。

「あれは私を襲ったオルトロスではないか?」

 ブリジットは嬉々とした目で続ける。

「うむ。あの片目、間違いない」
「片目……あっ」

 そういえば、ブリジットを襲ったオルトロスも片方の目が傷でふさがっていたっけ。体毛も同じ黒色だし、間違いなくあのオルトロスだ。

「てことは、僕たちを追ってきたってことか?」

 ブリジットが襲われていたのは二日前。

 そこからずっと匂いを頼りに追いかけてきていたってことか。

 なんて執念深いヤツだ。

 こんなことになるなら、もっと痛めつけてやればよかったかな?

「ふふん。だが、これは前回の失態を挽回できる良いチャンスだな」

 ブリジットが満面の笑みを浮かべて剣を構える。

「きっちり私が引導を渡してやろうではないか」
「ちょ、ちょっと待って。ここは三人で一緒に──」
「必要ない! 今回は瘴気マスクもしているし、遅れを取る要因は皆無だ! サタ先輩たちはそこでのんびりお茶でも飲みながらくつろいでいてくれ!」

 僕の制止を振り切って、ブリジットがオルトロスに向かって走り出す。

 ララノに頼んで力づくで止めたほうが良いか?

 ──と考えたけれど、ブリジットに言われた通り傍観することにした。

 三人で一緒に、なんて言ったけど僕とララノには戦闘経験なんてないし、しゃしゃり出たらブリジットの足手まといになってしまう。

 ここは彼女に任せたほうが良い。

「でも、やばいと思ったらいつでも声をかけていいからな!」
「愚問だぞサタ先輩! 私がやばくなることなどあり得ない!」

 ブリジットが剣を振りかぶった瞬間、彼女の剣の鍔から激しい炎が吹き出した。

 彼女が持つ加護、魔法剣だ。

 その炎は瞬く間に剣の切っ先を覆い、まるで焼き尽くす獲物を探しているかのように荒々しく猛り狂う。

「まずはそこから降りてこい、モンスター!」

 炎を伴わせてオルトロスが見下ろしている石灰岩の柱を斬りつける。

 刹那、まるでバターでも切ったかのように柱が綺麗に真っ二つに断裂した。

「おお」
「す、凄いっ……!」

 僕とララノの口から同時に感嘆の声が出た。

 相変わらず、とんでもない破壊力だ。

「ガガウゥッ!」

 さすがのオルトロスも驚いたようで、崩れ落ちる柱の上から慌ててブリジットに飛びかかる。

「先日は瘴気のせいで遅れを取ったが、今回はそうはいかんぞ」

 ブリジットは華麗にサイドステップでオルトロスの爪を躱すと、前足に向けて剣を斬り上げた

 刹那、洞窟に鮮血が舞う。

「ギャウッ!」

 オルトロスは慌てて距離を取り、剣が届かない距離から爪を振り降ろす。

 しかし、その巨大な爪はブリジットの体にふれることすら出来ない。

 ブリジットはまるで舞いでも踊っているように華麗な身のこなしで攻撃を回避し、少しづつオルトロスとの距離を詰めていく。

 そして──。

「ここだっ!」

 ブリジットはオルトロスが爪を振り下ろしたタイミングを見計らい、体をくるっと反転させると剣をオルトロスの首元に突き立てた。

「……ギャ!?」

 ゴウと炎が唸ると同時に、オルトロスの悲鳴が上がる。

 ブリジットの剣は、見事オルトロスの喉元を貫いていた。

「これで……終わりだっ!」

 ブリジットは剣を振り抜き、オルトロスのふたつの首を根本から両断した。

 小柄な体のどこにそんな力があるんだ? と不思議に思ってしまうけど、これが魔法剣の威力なのだ。

 断面を燃え上がらせながら、オルトロスのふたつの首がボトリと地面へと落ちた。

 時間にして僅か十秒足らず。

 かっこよかったぞ、と賞賛を贈ろうとした──そのときだ。

 何が起きたのか、わからなかった。

 頭部を失ったオルトロスの巨体が横たわった瞬間、傷口からまるで煙幕のように凄まじい瘴気が吹き出したのだ。

「……っ!?」

 瞬く間にブリジットの姿が赤紫色の霧の中に消える。

 これはまずい。

 この瘴気の濃さは──間違いなく致死量を越えている。

「ララノはそこにいて!」
「サ、サタ様!?」

 すぐさま自分の体に俊敏力強化と筋力強化、それと瘴気マスクに免疫力強化をかけて瘴気の中に突っ込んだ。

「う……くっ」

 喉の奥に突き刺すような痛みが走る。

 濃度が濃すぎて瘴気が付与魔法をかけたマスクを貫通している。

 このままだと、すぐに手足の自由が効かなくなってしまう。

 そうなれば、あっという間にあの世行き。

 だけど、それはブリジットも同じだ。

 いや、僕よりも長い時間、瘴気にさらされているブリジットの方が危険。

 ゾッと背筋に寒いものが走る。

 瘴気の霧をかき分けて、ブリジットの姿を探す。

 横たわったオルトロスの死体の傍に、ブラウンのロングヘアが見えた。

「ブリジット……っ!」

 すぐに彼女を抱きかかえ、全速力で引き返す。

 俊敏力で脚力を上げているから、一瞬で離脱できるはず──だったが、走り出そうとした瞬間、視界が激しく揺れた。

 喉の痛みが激しくなり、四肢の感覚が無くなってくる。

 瘴気の毒が回ってきた。

 両手の力が抜けてブリジットを落としそうになったけど、必死に耐えてなんとか瘴気の中から抜け出した。

「げほっ……げほっ」
「サタ様!」

 涙で霞む目に、駆け寄ってくるララノの姿が映った。

「だだ、大丈夫ですか!?」
「ぼ、僕は大丈夫。でも、ブリジットが……」

 抱きかかえているブリジットは、ぐったりとしていた。

 手をギュッと握ったけれど反応はない。

 さらに呼吸も浅く、速かった。

 これは、完全に瘴気にやられてしまっている。

「早く家に運ぼう。すぐに処置をしないと」
「動物たちを呼びます! サタ様も動物たちの背中に!」