パルメザンの街で一泊した僕たちは、運び屋ギルドにお願いして街で買った物資と一緒に二日かけて農園へと戻ってきた。
長い時間農園を離れるのは初めての経験だったけれど、ララノの仲間の動物たちのおかげで、畑は出発したときとなんら変わらない姿のままだった。
雑草は元々生えていなかったけど、畝への水撒きもしっかりやってくれているみたいだし、収穫も済んでいる。
想像以上の働きっぷり。
ここまでやってくれるなんて、ありがたすぎる。
さらには家の建築のほうも進んでいて、骨組みが仕上がり外壁を丸太で組み上げているところだった。
「……なるほど」
それを見たプッチさんは感心するようにウンウンとうなずく。
そして、突然シュバッと畑を指差した。
「呪われた地で野菜を育ててる……というのは聞いていたのでいいんですけど」
今度はぐるっと体をひねって建築中の住居を指差す。
「動物が家を建ててるのはどういうことですか? もしかしてボクを楽しませるために冗談でやってます?」
「あはは……まぁ、そういう反応になっちゃいますよね」
冗談でこんなことをやるわけがないけど、そう言いたい気持ちはわかる。
僕がプッチさんの立場だったら、絶対同じ反応しちゃうもん。
「あの動物もサタさんの付与魔法と関係あるんですか?」
「あ、いや、あれはララノの仲間っていうか」
チラッとララノに視線を送ると、彼女の耳がピコッと反応した。
「はい。あの子たちは私の『獣使い』の加護で呼んだんですよ」
「ほほう! 獣使い!」
キラキラとした目でララノを見るプッチさん。
「噂に聞いたことがあります。なんでも『契約した動物を使役できる加護』とかなんとか。なるほど、ああいうことが出来るんですね。これはララノさんの加護もお金の匂いがしますねぇ!」
「え? お金?」
どういうこと? と首をかしげるララノ。
確かに人件費はかからないし、建築業をはじめても儲かる気はする。
ララノは絶対やらないだろうけど。
「しかし、本当に呪われた地で野菜を作ってたんですね」
しみじみとプッチさんが言う。
「作れるだけじゃなくて収穫の時期も調整できますよ。まだ実証してないですけど、夏野菜を冬場に作ることもできると思います」
「……え、本当に?」
「はい。俊敏力強化の付与魔法の強度で成長スピードを調整できるから、理論上は可能です」
「…………」
プッチさんがなにやら難しい顔で考えはじめる。
またお金の匂いを感じ取ったのだろう。
ビニールハウスが無い世界だから、冬にトマトとかできたら王都の貴族あたりが高額で買ってくれるのかもしれないな。
「……サタさん?」
と、思考の世界から戻ってきたプッチさんが尋ねてきた。
「あなたたちがパルメザンに足を運んで買い出しをしていたところを見る限り、ここでは賄えない物があるんですよね?」
「そうですね。日常で使う消耗品や燃料とか……あとは野菜を育てる上で必要な肥料や種苗はここではどうすることもできないですからね」
「でしたら、ボクが定期的に必要な物資をお届けしますよ。もちろん無料で」
「えっ!?」
いきなりの提案に、ギョッとしてしまった。
「無料って、本当に言ってます?」
「本当の本当です。それがボクを助けてくれたお礼と考えていただければ」
「いやでも、毎回無料っていうのは流石に」
「気にしないでください。無料っていうのは、次のビジネスの話への布石というか、おまけというか、交換条件なので」
「ビジネス? 交換条件?」
「というわけでサタさん、ボクと契約しましょう」
契約。という言葉を聞いて、僕の頭に真っ先に頭に浮かんだのはララノの「獣使い」の加護だった。
動物の代わりにプッチさんを召喚して使役できる権利的な、ね。
だってほら、プッチさんって小動物っぽいし。
「なんだか失礼な想像をされてる気がします」
「……っ!?」
や、やだなぁ。気のせいですよ。あはは。
「そ、それで、契約というのは?」
「ここの野菜の独占販売契約に決まってるじゃないですか。ボクにここの野菜を売ってください。市場の倍……いや、三倍出しますよ」
「さ、ささ、三倍ぃ!?」
驚きすぎて変な声が出てしまった。
大海瘴の影響で野菜が不足しているみたいだから、少しだけ色を付けて買ってくれたらいいなとは思っていたけど……まさか三倍なんて。
というか、それでプッチさんは利益が取れるんだろうか?
「ご安心ください。リンギス商会と交渉すれば通常価格の五倍で買い取ってくれるはずなので」
「あ、そうなんだ」
というか、それを僕に言っちゃっていいのかな?
まぁ、商人でもない僕がリンギス商会と取り引きするなんて無理だから話してくれているんだろうけど。
プッチさんのこれまでの実績と信用が、五倍の値段になっているんだろう。
しかし、これは願ってもない申し出だ。
元々、パルメザンに行ったのは農作物を買い取ってくれる商人を探す目的もあったわけだし。
ここにきて色々な問題が一気に解決するな。
必要な物資は無料でプッチさんが届けてくれるし、農作物の換金とブドウ園の定期サポートで農園を拡張するための資金源も得られた。
本当に順調すぎる。
棚からぼた餅レベルじゃないぞ、これ。
「あの、どうでしょうか?」
不安げにプッチさんが尋ねてくる。
僕は笑顔で答えた。
「ありがとうございますプッチさん。実は僕も農園の野菜を買ってくれる商人さんを探していた所だったんです」
「おお、そうでしたか」
「なので、こちらとしても是非、プッチさんに契約してもらいたいです」
「いやったぁ!」
嬉しそうにピョンピョンと飛び上がるプッチさん。
なんだかおもちゃを買ってもらって喜んでいる子供みたいで可愛い。ハーフレッグが好かれているのも納得できる。
「では早速契約書を結んで──」
「あ、ちょっと待ってください。その前に……ご飯にしませんか?」
「え? ご飯?」
プッチさんの目は驚いたというより、どこか期待しているようにキラキラと輝いている。
「馬車での長旅が終わったばかりですし、契約祝いってわけじゃないですけれど、プッチさんに農園の野菜で作った料理をご馳走しますよ」
「おおおおっ! ホントですかっ!?」
「まぁ、料理するのは僕じゃなくてララノなんですけど」
ちらりとララノに視線を送る。
ララノの耳がピョコッと反応した。
「ちなみにララノの料理はメチャクチャおいしいですよ?」
「ほほう? それは期待せざるを得ませんですねぇ?」
ニヤリと邪な笑みを浮かべてララノを見るプッチさん。
「……ふぁっ!?」
ララノは僕たちふたりに熱視線を向けられて変な声を上げた。
「お、おお、おふたりのご期待に添えるように、腕に縒りを掛けて作らせていただきますっ! 料理のことならまるっとララノにお任せあれっ!」
そして「ふんす」と気合を入れるララノ。
尻尾が激しく動いているところを見ると、すごく喜んでいるっぽい。
これはいつもよりも更に美味しい料理が期待できそうだ。
そうして僕たちは、いつもより豪勢なララノの料理と一緒にプッチさんがこっそり買ってきたというホエールワインで盛大な宴を開くことになったのだった。
ホエール地方にやってきて二ヶ月が経った。
雨季が終わり、本番真っ盛りの夏。
ホエール地方の夏の暑さは凄まじかったが、耐えられないほどでもない──と感じたのはムシムシとした暑さじゃないからかもしれない。
日本の夏とか、やばかったもんね。
夏と言えば、美味しい野菜がたくさん採れる季節でもある。
トウモロコシにトマト、キュウリにゴーヤ。
エダマメ、ナス、レタス、モロヘイヤ、そして夏の代名詞とも言えるスイカ。
俊敏力強化の付与魔法で一足お先に収穫できている野菜もあるけれど、やっぱり夏野菜は夏に食べるのが一番いい。
気分のせいかもしれないけれど、心なしかおいしい気がするし。
プッチさんとの契約もあって、農園の畑は以前の三倍に拡張した。
畝の数はざっと三十六。この量を僕とララノだけで管理するのは難しいので、動物たちに手伝ってもらっている。
改めて彼らの有能さを再認識した。
土を掘るのが得意なイノシシやブタ、キツネ、アナグマたちにお願いすれば土を耕してくれるし、手先が器用なアライグマやイタチ、ハクビシンなどの小動物たちは収穫もお手の物だ。
さらに交代で夜通し畑を守ってくれているため、害獣被害もない。
なんて素晴らしい従業員たちだろう。
そんな彼らのおかげで先日初めてプッチさんに野菜を納品したのだけれど、その一回で魔導院の給料二ヶ月分くらいになった。
市場の三倍の買取価格というのは、伊達じゃない。
そのお金でマヨネーズづくりのための養鶏をはじめようかと思ったけれど、畑の柵を作ったり、住居の家具を買うお金に回すことにした。
絶賛建築中の住居はまもなく完成する予定だ。アルミターナの台風とも言える「トリトン」が来る前に完成しそうで一安心。
というわけで、プッチさんへの納品も終わって農作業も一段落したところでララノと一緒にパルメザンの街に行くことにした。
そこで家具を注文するつもりだけれど、主な目的はラングレさんのブドウ園。濾過器に付与魔法をかけにいく仕事だ。
いつものようにララノと二人で狼の背中に乗ってパルメザン郊外まで行き、街を経由してブドウ園に向かう。
設置している濾過器は順調に稼働していて、一本もブドウの木を枯らすことなく収穫を終えることができたらしい。
おかげでラングレさんだけじゃなく、ブドウを王都に卸しているプッチさんの懐もホクホクなんだとか。
「それじゃあ付与魔法をかけるね」
「はい、お願いします」
ブドウ園の用水路の水門前。
僕はララノと自分に、重いものが持てるようになる「筋力強化」と、瘴気対策の「免疫力強化」の付与魔法をかけて準備を整える。
効果が発動したところで、ヨイショと二人で大きな木箱を持ち上げた。
この箱が瘴気に汚された汚染水を浄化させる濾過器だ。ブドウ園に来たときはこうして濾過器の設置の手伝いもするようにしている。
だって、付与魔法をかけてサヨナラじゃ、何だか悪い気がするし。
「何回経験しても付与魔法って凄いですね。濾過器の重さを全く感じないです」
感激したようにララノが言う。
砂や石がぎっしり詰まっている濾過器は大人ふたりで持ち上げられるくらいの重さだけど、一応付与魔法をかけて運ぶようにしている。
獣人のララノはいいとしても、貧弱な僕には重すぎる。
無理をして腰を痛めでもしたら農作業もできなくなってしまうし。
「人体への付与効果はあんまり長くもたないけどね」
「濾過器の付与魔法効力は長持ちしているみたいですけれど、種類が違う魔法なんですか?」
「いや同じ付与魔法だよ。第二、第三属性への付与は、人体付与よりも効果が長いんだ」
人体への付与は数分程度だけど、人体以外への付与は二日程度持つ。
第二、第三属性への付与は効果持続時間が長いというのも特徴のひとつなのだ。
二人で箱を抱えたまま、階段を使って用水路に降りる。
瘴気に汚染されている水が流れているためか、アンモニアのようなツンとした刺激臭がした。
「サタ様、こちらは大丈夫です」
「オッケー。じゃあこのままゆっくりと降ろすよ」
慎重に水門の前に濾過器を降ろす。
隙間無く水門にはまったことを確認して、閉じていた水門を開く。
赤紫色の水が濾過器に流れこみ、しばらくして逆側から綺麗な水が流れ出した。
「よし。これで交換はオッケーだね」
「ですね。予備の濾過器への付与も終わってますし、これで今日の作業は終わり……ひゃあっ!?」
と、ララノが猫のようにうーんと伸びようとした瞬間、濾過器の中に貯まっていた水がドバッと一気に吹き出してきて盛大に転んでしまった。
「だ、大丈夫?」
「すっ、すみません……」
慌てて手を貸して起こしたけれど、ラングレの奥さんに譲ってもらったワンピースがずぶ濡れになっていた。
「今日は街に泊まる予定だし、今着替えは持ってきてる……よね?」
「は、はい。ラングレさんの家に置いてある荷物の中に……というか、そそっかしいところをお見せしちゃいましたね」
えへへ、と照れ笑いを浮かべるララノ。
獣人は運動神経が人間よりも優れているのだけれど、ララノは少しだけオッチョコチョイな所がある。
前も盛大に転んでずぶ濡れになっていた。
まぁ、そういう所が可愛いんだけど。
「僕なんてララノ以上のドジだし気にする必要はないよ。それにほら、『弘法も筆の誤り』って言うじゃない?」
「え? コーボー?」
「……あ、ごめん。僕の故郷のことわざ。優れた人でも失敗することがある的な意味なんだけど」
つい日本人だったときの知識が出てしまった。
「へぇ……素敵なことわざですね」
「そう?」
「はい。何だか相手を慮る優しさを感じます」
確かにそういうふうに解釈する事もできるな。
というか、実にララノらしい受け取り方だ。
「よいしょ……っと」
ララノが濡れたワンピースの裾を握ってギュッと水を絞り出す。
「ごめんねララノ。いつも水路の作業を手伝わせちゃって」
「全然平気ですよ。むしろ涼しくて気持ちいいくらいですし」
水に浸かった足をパチャパチャと楽しそうに蹴り上げる。
つい視線をそらしてしまった。
ワンピースの裾を結んで短くしているので、いつもよりも足の露出がすごいのだ。ちょっと素肌が眩しすぎる。
「でも、ここまで濡れちゃうと、いっそ水浴びしたくなっちゃいますね?」
「あ〜、そうだね。街で水着でも買ってくればよかったかな」
「み、水着!?」
突然、素っ頓狂な声を上げるララノ。
「ど、どうしたの?」
「い、いえ、その……私、水着なんて着たことがなくて」
「あ、そうなんだ。じゃあ買ってから帰ろうか?」
「……へっ?」
「だって、また十日後にここに来なくちゃいけないし、今度は水着を着てきたほうがよさそうじゃない? 確かパルメザンの服飾ギルドに売ってたよね?」
服飾ギルドは衣類を販売しているお店だ。
この世界に水着があるのには驚いたけど、服飾職人の腕がいいのか普通に売られていた。
王都でも陳列されていたのを見かけたことがあるし、この世界の服飾技術は意外と高いのかもしれない。
「で、でで、でも、私、お金なんて」
「いやいや、もちろん僕が出すに決まってるでしょ」
「ふぁっ!? だ、だ、ダメですよ! もっと有効的な使い道が」
「いつも手伝ってくれているお礼だよ。高額なものは難しいけど、水着くらいだったら全然平気だし」
むしろララノに使ってあげたいというか。
服はラングレさんの奥さんに譲って貰ったものがあるし、アクセサリーとかには興味がなさそうだし。
水着を着たことがないというのならそれが一番いいでしょ。
「……む〜」
ララノはしばし考え、上目遣いで僕を見る。
「……ほ、本当に良いんですか?」
「うん。プッチさんに買い取ってもらった野菜の売上と、ラングレさんにもらったブドウ園の売上があるから」
「で、ではお言葉に甘えさせていただきます! ありがとうございますっ!」
深々と頭を下げたかと思うと、満面の笑みを浮かべてピョンピョンと飛び跳ねる。彼女の尻尾はいまだかつて無いほどに激しく揺れている。
「……どど、どうしよう!? サタ様からの贈り物なんて、嬉しすぎるんですけどっ!」
「え? 何か言った?」
「っ!? いえ、なんでもないです。みみ、水浴び楽しみだなって。えへへ」
この暑さだし水浴びしたい気持ちはわかるけど、そんなにやりたかったんだな。ラングレさんにお願いして、次回はここで盛大に水浴びをさせてもらおう。
というか、水浴びもいいけど夏真っ盛りだし海水浴も良いよね。
海と言ったら王国の南にある「港町グレイシャス」が有名だけど、ここからだと馬車で一ヶ月は掛かるし、行くのはちょっと難しいか。
じゃあ、農園にプールでも作ろうかな?
川から水を引いてきて濾過した綺麗な水を循環するような仕組みを作れば、衛生面も問題ないだろうし。
あ、そうだ。動物たちにお願いすれば、おしゃれな木組みのプールを作って貰えるかもしれない。
プールサイドに二人分のハンモックも作っちゃったりして。
朝、農作業をしてからプールで泳ぎ、昼ごはんを食べてからハンモックに揺られてうたた寝する。
う〜ん、なんて素晴らしいスローライフだろう。
「お疲れ様ですサタさん」
と、ハンモックに揺られる妄想をしていると背後から声がした。
「あ、お疲れさまですラングレさん」
水路の上からこちらを見下ろしていたのは、カイゼル髭が良く似合っているラングレさんだ。
農作業をしていたのか泥と汗まみれになっているけれど、いつものダンディさは消えていない。
「お手伝いに来たんですが、もう作業は終わりましたかね?」
「ええ。今、設置が終わったところです。ブドウ園の作業は大丈夫なんですか?」
「おかげ様で土作りもほぼ終わりましたよ。明日から剪定作業に入る予定です」
これはラングレさんに聞いたのだけれど、収穫が終わってからのブドウ園も相当忙しいらしい。
野菜の畑と同じように堆肥や肥料を撒いて耕して土作りをしたり、枝の剪定をしたりと作業が山積みなのだとか。
この広大な敷地に肥料を撒くなんて、想像しただけでクタクタになりそうだ。
水路から上がって、ララノは濡れた服を着替えるためにラングレさんの邸宅に向かった。
一方の僕とラングレさんはララノが戻ってくるのを待ちながら、持ってきてくれたホエールワインと燻製チーズで一休みすることにした。
貴族しか飲めない一番煎じのホエールワイン。
これと燻製チーズがすごく合う。
手が止まらなくなる前に、ララノの分を別にしておく。
ララノにも残してあげなきゃ可哀想だしね。
「ところで、ちょっとサタさんにご報告したいことがあるんです」
のんびりとホエールワインを楽しんでいると、ふと思い出したかのようにラングレさんが口を開いた。
「実は、リンギス商会に卸したブドウの件で妙な話が上がっていまして」
「妙な話?」
ってなんだろう。悪い話じゃなければいいけど。
「なんでもうちのブドウで作ったこのホエールワインを王都の貴族の方が飲んだらしいんですが、ずっと患っていた病気が治ったって言うんですよ」
「……病気が? 本当に?」
ラングレさんが言うには、王都に住んでいるとある貴族が「流行病」に罹ってしまったらしく、世界各地から名医を呼び寄せて治療に当たらせていたらしい。
だけど一向に良くなる気配がなく、「このまま死んでしまうのでは」と諦めかけていたのだとか。
そこで彼の使用人がせめて気晴らしにと、ここで採れたブドウで作ったホエールワインを出してみた所、体調が回復したらしい。
というか、ブドウを収穫したのは二ヶ月前だけど、もうワインになって出回っているんだな。この世界のワインの発酵期間は短めなのかもしれない。
「確かにそれは妙な話ですね」
「サタさんのおかげでウチの今年のブドウを使ったワインが『百年に一度の傑作』なんて言われているので、美味しいワインを飲んで元気になった……みたいなオチなんでしょうけどね」
「あはは、ありえる話ですね」
付与魔法の効果かなと思ったけど断片的な話しだけじゃ断定はできないしな。
それに、世界の名だたる医者に見てもらっていたのなら治療が上手くいった可能性のほうが高いだろう。
「でも、そんな噂が流れているなら商談が増えているんじゃないですか?」
「実はそうなんですよ。王国外の商会からもブドウを卸して欲しいって連絡が来ていまして」
「おお、それはすごい」
「全部サタさんのおかげですよ。重ね重ねありがとうございます」
「いやいや、ラングレさんの農園のブドウが良いだけです」
百年に一度の傑作なんて言われるくらいなんだし。
しかし、僕が来る前は廃業まで追い込まれていたのに、商会から引っ張りだこになるなんて何だか僕も嬉しいな。
「この調子なら、サタさんの取り分も増やせそうですよ」
「え? 増やす?」
「ええ。今はウチのブドウ園の売上の十%をお渡ししていますが、商談が上手くいけば十二%ほどお渡しできそうです」
「ちょ、ちょっと待ってください。取り分は今のままで十分ですから」
二ヶ月前に収穫したブドウをリンギス商会に卸した際に、売上の十%をもらったのだけれど、その額は金貨二百枚にも登った。
日本円に換算すると、大体二百万だ。
これ以上お金を貰うと、逆に悪い気がする。
だって、付与魔法をかけに来てるだけだし。
「しかし、サタさんがいらっしゃらなかったらこんな話が来ることはなかったわけですし、当然の権利だと思いますよ?」
「いや……まぁ、確かにそうかもしれませんけど」
僕が来なかったらこのブドウ園はなくなっていたと思う。
だからといってこれ以上お金を貰うわけにもいかないけど。
「……わかりました。それじゃあ、来年ここのブドウで作ったホエールワインを何本か譲って頂けますか?」
「ワイン? それでいいんですか?」
「むしろそっちのほうがいいですね。一番煎じのワインなんて僕ら庶民はどうやっても飲めないですから」
一番煎じのホエールワインはすべて貴族に卸しているので、僕たち一般庶民は手に入らないのだ。
「わかりました、それでは樽でサタさんの農園にお届けしますよ」
「えっ、本当ですか? いやぁ、嬉しいです。ありがとうございます」
言ってみるもんだな。
一番煎じ……それも樽でホエールワインが自宅で飲めるなんて天国すぎる。
ホエールワインが手に入るのなら、つまみになるものをプッチさんに探してもらうのも手だな。
定番なものと言えばチーズ、ハム、ソーセージあたりか。
聞いた所によると、水牛の乳を使ったモッツァレラチーズみたいなものがあるらしいので、それを頼んでみるのもいいかもしれない。
そのままワインと一緒に食べてもいいし、燻製にしてみてもいいし。
うん。これは来年のこの時期が楽しみだ。
ラングレさんの農園の仕事が終わり、いつもどおりパルメザンでララノと一泊することになった。
仕事が終わって街で一泊するとなれば、晩ごはんくらいは贅沢したくなるというもの。
生前のブラック企業でも、晩ごはんだけは贅沢することが多かった。
というわけで、ララノとふたりで以前にサクネさんに教えてもらったホエールワインが飲める居酒屋に向かうことにした。
街に出回っているホエールワインは味が落ちる「三番煎じ」のワインだけど、それでもおいしいことにかわりはない。
ララノもニコニコ顔だ。
ワインを楽しみつつ、頑張ってくれているララノを労うこともできるので我ながらナイスアイデアだ──と思ったのだけれど。
「それでは、かんぱーい!」
「か、乾杯」
プッチさんの掛け声で僕たちはジョッキを合わせた。
なんという偶然だろう。
まさか、たまたま入った居酒屋でプッチさんと遭遇するなんて。
席に案内されているときに「ややっ! そこにいらっしゃるのは、私の命の恩人、サタさんとララノさんではありませんか!」と声をかけられた。
そうして半ば強引に、プッチさんと相席することになったというわけだ。
いやまぁ、別にいいんだけどね。
プッチさんにも色々とお世話になっているし。
ただ、ちょっと心配なのはプッチさんの酒癖の悪さだ。先日、ウチの農園で晩餐したときに酔っ払って下世話な話ばっかりされたのは記憶に新しい。
「でも、サタさんたちもパルメザンにいたなんて知りませんでしたよ。連絡してくれればよかったのに」
「連絡? ってどうやって?」
「……え? ええと、その、手紙とか?」
国を転々としている商人にどうやって手紙を出すんだろう。
この世界に携帯電話とかあったら気軽に呼べるんだけどさ。
「あ、でも、今回は無理だったかもしれませんね。実は先月まで王都にいまして、今日こっちに戻ってきた所なんですよ」
「ラングレさんの所のブドウの納品ですか?」
にしては、遅すぎるか。
だってすでに醸造して貴族に卸しているみたいだし。
「それもあるんですけれど、グレイシャスまで足を伸ばして真珠の買い付けをしてたんです。それで、王都経由で戻って来たってわけです」
「へぇ、グレイシャス」
驚いた。そんな遠い街まで買い付けに行くなんて、行商人の行動範囲って凄まじく広いんだな。
「そのグレイシャスってどんな場所なんですか?」
ララノが興味深げにズズイッと身を乗り出してくる。
「海に面した綺麗な街だよ。実際に行ったことはないけど……」
プッチさんに「当たってますか?」と視線で尋ねる。
「サタさんの仰る通り、グレイシャスは美しい港町です。ラウン海に面していて『ラウン海の真珠』と呼ばれるくらい綺麗なんですよ」
「わ、すごく素敵な名前!」
「ですよね〜。グレイシャスは資源が豊かな街で、宝飾品の原産地としても有名なんです。おかげで今回も真珠でだいぶ儲けさせてもらいましたよ……グフフ」
邪な笑みを漏らすプッチさん。
グレイシャスの街並よりも、金貨の美しさにメロメロって感じだ。
しかし、真珠で商売をしているなんて、プッチさんって相当お金を持っているんだろうな。競合が多いはずの真珠の買い付けがあっさり出来るくらいに信用が厚いのもすごい。
と、そんなことを話しているとワインと一緒に頼んだ料理が運ばれてきた。
骨付きイノシシ肉のロースト。
シカもも肉の岩塩焼き。
野ウサギのワイン煮。
ここぞとばかりに頼んだ、農園では食べられない肉料理の数々。
中でも野ウサギ肉をホエールワインで煮込んだ「野ウサギのワイン煮」はここでしか食べられない料理だ。
ウシやブタではなく野ウサギ肉を使っているのは、野性味が強いウサギ肉が酸味のあるホエールワインに良く合うのだとか。
早速頬張ってみると、クセがない上品なウサギ肉の味にホエールワインの酸味が合わさり、なんとも筆舌に尽くしがたい旨さがあった。
「あ、そうだ。サタさんにお話しておきたいことがあったんでした」
そう切り出したのは、シカ肉を美味そうに頬張るプッチさん。
「王都からこっちに戻ってきたときに、リンギス商会の職員さんから奇妙な話を聞いたんですよね」
「……っ」
ウサギ肉が変なところに入りそうになった。
またしても奇妙な話。なんだか嫌な予感がする。
「……どんな話なんですか?」
「サタさんの農園で作った野菜を食べた方たちから、『体調が良くなった』とか『病気が治った』みたいな話が上がってるらしいんですよ」
ああ、やっぱり。
ラングレさんに続いて、プッチさんの所にまでそんな話がくるなんて、やっぱり僕の付与魔法が関係しているんだろうか。
でも、病気を治す効果がある付与魔法なんて使えないしな。
傷を治療したりする「白魔法」ならわからなくもないけど、僕の魔法は能力を付与する付与魔法だし。
う〜ん、どういうことだろう。
「……ああ、なるほど」
ララノがどこか納得したように言った。
「農園の野菜には疲労回復効果があるので、その効果が出たのかもしれませんね」
「疲労回復効果?」
首を捻ってしまった。
そんな効果があるなんて、付与魔法をかけてる僕ですら知らないけど。
「なんでララノが農園の野菜にそんな効果があるって知ってるの?」
獣人特有の身体能力の高さゆえか、農作業が終わってもいつもケロっとしているのに。
「ほら、サタ様に助けていただいたときですよ。あの時食べさせていただいた野菜のおかげで、体調がすっかり良くなったじゃないですか」
「あ〜……」
そういえば、ララノをテントに連れてきて野菜を食べさせたっけ。
確かに衰弱してたのに野菜を食べて元気になってたな。
だけど、あれって──。
「ララノがお腹空いてただけじゃないの?」
「ちっ、違いますよっ!」
ララノの耳と尻尾がピンと立った。
「あれはサタ様の付与魔法で育った野菜のおかげなんですっ! 疲労回復っ!」
「そ、そうかな?」
「絶対そう!」
プンスカと怒り出したララノは、豪快にジョッキを煽る。
まぁ、食べた本人がそうというのなら、きっとそうなんだろう。
ララノの話はさておき、ここまで農園の野菜で元気なった話が出るとなると、まだ発見していない「合わせ付与」の効果が現れたのかもしれないな。
畑作りのときにも使った「範囲拡張」を代表する合わせ付与には、まだわかっていない部分が多い。
その合わせ付与の効果で「疲労回復」や「疫病治癒」が発現した可能性はある。
再現できるかわからないけど、農園に戻ったら色々と試してみる価値はありそうだな。
ララノが流行り病を患っちゃったら大変だし。
ひとまず野菜の話はそこで終わり、僕たちは二時間ほど夕食を楽しんで解散することになった。
翌日、約束通り街を出発する前に服飾ギルドでララノの水着を買うことにした。
水着を選んでいるときに踊りまくっていたのララノの尻尾を見てほっこりしたけれど、彼女が選んだ水着を見てそんな気持ちはすっ飛んでしまった。
可愛い……というか、結構キワドいビキニの水着。
なるほど。ララノは淑やかで大人しい性格だけれど、どうやらそういう所だけは大胆だったらしい。
今回は乗合馬車を使って農園まで送ってもらうことにした。
新居の家具は注文したけれど、完成まで半月ほどかかるのでほぼ手ぶらなのだ。
パルメザンから農園まで二日の長旅。
だけど、何度も経験しているから道中の過ごし方は大体決まっている。
街で買ってきたチーズや燻製肉をつまみにして、ララノとワインを飲んだり、カードゲームを楽しんだり。
端的に言えばまったり過ごす。うん。これに限る。
今回も安めのワインに燻製チーズ、スモークサーモン、それに豚脂身の塩漬けなど保存がきくつまみを添えて、のんびりすることにした。
カッポカッポと奏でるリズミカルな蹄の音。
優しく流れてくる心地よい風。
穏やかに流れる時間の中、コクリコクリと船を漕ぐララノ。
その隣で流れる景色を眺めながら、ワイン片手に豚脂身の塩漬けを頬張る。
「……く〜、うまいっ」
濃いめの塩気と酸味が最高にマッチする。
農園の野菜はおいしくて体にもいいけれど、こういうジャンクな食べ物が時々恋しくなる。
やっぱりプッチさんに追加料金を払って、燻製肉や魚を持ってきてもらうべきかもしれないな。
「……何だか雲行きが怪しくなって来ましたね」
と、いつの間か目を覚ましていたララノが不安げに馬車の窓から外を見ていた。
その声に促されるように、僕も空を見上げる。
つい先程まで晴天だったのに、いつのまにか紫色に染まった雲が空を覆っている。これは一雨降るかもしれないな。
「お客さん」
御者台に座っている御者の男が声をかけてきた。
「念の為、マスクをして下さい」
「……あ、もしかして瘴気ですか?」
「はい。どうやら瘴気が降りてしまったみたいですね」
男が指差す道の先に、なにやらぼんやりと赤紫色の霧のようなものが見えた。
あれは間違いなく瘴気だ。
もしかすると、雨と一緒に瘴気が降りてしまったのかもしれないな。
降りた瘴気の濃さにもよるけれど、唯一の対抗策といえるのがパルメザンの街でも売っている「瘴気マスク」だ。
簡易的な布で作られた普通のマスクなのだけれど、瘴気から体を守ってくれる優れもので、旅の必需品ともいえる。
ちなみに僕たちが携帯しているマスクは、免疫強化の付与魔法をかけているので高濃度の瘴気からも守ってくれる。
「……あ〜、ちょっとマズいかもしれませんね」
リュックからマスクを取り出そうとしていると、男がボソッとぼやいた。
僕は御者台にヒョイと顔を覗かせる。
「どうかしました?」
「あ、いや、モンスターですよ。この先で誰かが襲われているみたいです」
「え、本当ですか?」
慌てて男の肩越しに馬車の前を見る。
道の先、赤紫の霧の中に巨大な双頭の黒い狼が見えた。
そして、その狼の前に立っている小さな人影も。
「道を変えます。このままじゃこの馬車も襲われてしまう」
「あ、待ってください」
手綱を引いて馬車を反転させようとした男を止めた。
「すみませんが、しばらくここで待っていてもらえますか?」
「……え?」
ギョッとする男。
「待つって、何をするつもりなんです?」
「モンスターに襲われてるあの人を助けます」
「サ、サタ様!?」
慌ててララノが割って入る。
「ほ、本気で言ってるんですか!?」
「こういう場合ってスルーするのが一番良いのはわかってるんだけど、見て見ぬ振りすると寝覚めが悪くなりそうでさ……」
嘘偽りなく、それが僕の本心だった。
リスクを回避するためなら御者の男が言う通り、道を変えたほうがいい。
見知らぬあの人を助けるのは理にかなってないし、わざわざ危険な橋を渡る必要なんてない。
だけど、このままスルーするのは精神衛生上、すこぶるよろしくない。
助けてあげたほうが良かったなと、毎晩考えてしまうのは勘弁だ。
またララノに「頑張りすぎですから!」って叱られそうだけど。
「ふふっ」
これは怒られるかなと身構えていたけれど、何故か笑われてしまった。
「そういうところ、本当にサタ様っぽい」
「……え? ど、どういう意味?」
お人好しの小心者ってこと?
まさにその通りだから、ぐうの音も出ないけど。
「お手伝いしますよ」
そしてララノはそんなことを言った。
ちょっと驚いてしまった。
「私も見て見ぬ振りは嫌いなんです。せっかくの美味しいご飯が喉を通らなくなっちゃいそうですし」
ララノがペロッと舌を少しだけ出す。
「……あ、もしかして、僕の性格が移っちゃったとか?」
「かもしれませんね」
そうして笑いあう僕たち。
「よし、それじゃあ一緒に行こうか」
「はいっ」
御者の男には少し離れて待っているように伝えて、馬車から降りた僕たちはモンスターに襲われている人の元へと急ぐ。
走り出してすぐにマスク越しに、アンモニアに似た刺激臭を感じた。
瘴気の匂い。
だけど、まだまだ全然平気だ。
念の為に護身用のナイフに「範囲拡張」の合わせ付与と、自分自身に「筋力強化」をかけておく。
瘴気の中でモンスターと対峙している旅人は、どうやらひとりのようだ。
背丈から推測するに、子供か女の子。
腰に剣を下げているので武芸に精通しているのだろうけれど、こんな危険な場所をひとりで歩くなんて自殺行為も良いところだ。
おまけに瘴気対策の準備をしていなかったのか、マスクをつけていない。
早く助けてここから離脱したほうがいいな。
「ララノ、少しだけモンスターの注意を引ける? その隙にあの人をこの場所から離れさせるから」
「承知しました。ララノにまるっとお任せあれ」
「あ、ちょっと待って。ララノにも付与魔法を──」
「平気ですよ!」
僕にウインクしたララノはグンとしゃがみこんだかと思うと、勢いよく地面を蹴って空へと舞い上がった。
「……うわっ」
なんという脚力。
いつも農作業と料理ばかりしてもらっているので忘れちゃうけど、ララノは身体能力が人間の数倍高いんだよな。
天高く飛び上がったララノは、旅人を飛び越えてモンスターの前に着地する。
「……っ!? な、何だ!? 獣人!?」
驚いたような旅人の声が聞こえた。
声色からして、やっぱり女の子っぽいな。
「そこのキミっ!」
モンスターの注意が旅人からララノに移ったタイミングで、旅人に声をかける。
「すぐにここを離脱するよ! このままだと瘴気にやられて身動きが──」
僕は続く言葉を飲み込んでしまった。
振り向いた旅人が、僕のよく知る人間だったからだ。
ブラウンのロングヘアに、少々つり上がった翡翠色の目。
小柄であどけなさがあるけれど、どこか高圧的でお嬢様のような雰囲気の女性。
「ブ、ブリジット!?」
「……おおっ! サタ先輩!」
嬉々とした表情を浮かべる旅人の女性。
モンスターに襲われていたのは王宮魔導院時代の僕の後輩職員、ブリジット・デファンデールだった。
デファンデール家は、王都に住む人間なら知らぬ者はいない名門の家柄で、長男は五代に渡って王宮魔導院のひとつ「護国院」の騎士団長を務めている。
そんなデファンデール家の第二息女であるブリジットは、女性でありながら武芸に秀でたデファンデール家の血を色濃く継いでいる。
若干二十歳にして王室剣術師範の肩書を持ち、去年開催された王都剣術大会の決勝戦では大会最短記録となる四十五秒で勝負を決めて優勝した。
その剣術の才能もさることながら、ブリジットを最強たらしめる要因のひとつになっているのが彼女の持つ加護「魔法剣」だ。
魔法剣は自身の剣に属性を付与することができる。
僕の付与魔法ほどの効力はないものの、火属性を付与すれば剣筋を燃え上がらせ、氷属性を付与すれば傷口を氷漬けにすることが可能だ。
そんな戦姫ブリジットが本草学研究院に入ってきたときは驚いた。
魔法や植物、錬金術などを研究している本草学研究院よりも、彼女の父親が団長を務めている軍事機関「護国院」のほうがふさわしいはず。
疑問に思ってブリジットに本草学研究院に入った理由を尋ねたところ、「武事は極めたので次は文事を極める」と返された。
なるほど。流石は名門デファンデール家のご息女だ。
そんなブリジットの才能は、院でも発揮された。
彼女の専門は薬草を使った錬金術だった。
門外漢なので詳しい所はわからないけれど、錬金術は様々な効能があるハーブやキノコ、それに動物の肝やら何やらを混ぜて「ポーション」を作る学問らしい。
治癒力を高める「治癒薬」や、毒を消し去る「解毒薬」それに、僕の付与魔法と似た身体能力を高める「強化薬」なんかも作れるのだとか。
僕の下についたブリジットは、錬金術を使った瘴気対策の研究をしていた。
今や瘴気対策の必需品とも言える「瘴気マスク」の効果がここまで高くなったのも彼女の錬金術研究の成果のひとつだ。
そんなエリート才女のブリジットなのだけれど──。
「な、なんでキミがこんなところにいるの!?」
「ふむ。どうしてこんな所にと問われれば、こう答えざるを得ないな」
ブリジットは絹のような長い髪をファッサ〜とかき上げ、ドヤ顔で言った。
「愛するサタ先輩を追いかけてきたのだと!」
「……はい?」
素っ頓狂な声を出してしまった。
僕を追いかけて来た?
「なんで?」
「なぜもへちまもない。サタ先輩が『院を辞める』と報告しに来てくれたときに『私も一緒に行く』と言ったではないか。それなのに先輩ときたら、いつの間にか姿を消して……」
「あ」
そう言えば、追放されることが決まったことをブリジットに報告したとき、そんなこと言われたっけ。
てっきりただの社交辞令だと思ってスルーしちゃったけど、アレって本気だったの?
「ゴメン、てっきりいつもの冗談かと」
「なっ!? 私はサタ先輩に冗談など言ったことはないぞ!?」
「……え〜?」
いやいや、キミってば「自宅に帰るのが面倒だからサタ先輩の家に住んでもいいか?」とか「料理を作るのは得意なので結婚しよう」とか言ってたじゃない。
いつも冗談ばっかり言ってたくせに──と、ブリジットを胡乱な目で見つめたが、彼女は至って真面目顔だった。
……え? まさかアレって本気だったの?
「ガウウウウゥゥゥッ!」
そのとき、空気を震わすほどのすさまじい雄叫びが轟いた。
ギョッとしてモンスターを見ると、ララノが人間離れした身体能力で華麗に翻弄していた。
しまった。こんなくだらないことを話してる場合じゃなかった。
「とりあえず積もる話は後にしよう! モンスターは僕たちに任せてブリジットはすぐにこの場所から離脱して!」
「離脱、だと?」
スッと目を鋭く尖らせるブリジット。
「冗談にしては笑えないな。私の剣は信用ならないか?」
「そういうんじゃないよ。ブリジットの剣の腕は信用している。だけど瘴気マスクもしてないじゃない。キミの体が心配なんだよ」
「え? もしかしてサタ先輩は私の体を気遣ってくれているのか?」
「当たり前じゃない」
今はピンピンしているけど、瘴気を吸ってるはずだから急に倒れても不思議じゃない。ここは力づくでも後退させないと。
「そうか、そういうことか!」
何故かブリジットが目を爛々と輝かせる。
「それはつまり、今すぐ私と結婚したいという意味の言葉として受け取っていいヤツだなっ!」
「いや、良くないヤツです」
即刻否定した。
どうしてそうなる。キミの頭の構造はどうなってるんだ。
「サ、サタ様っ!」
と、その時、僕の名を呼ぶララノの声が飛び込んできた。
「すみません! モンスターの注意がそちらに……っ!」
「っ!?」
ララノの声を追いかけるように、モンスターがこちらに向かって走って来るのが見えた。
ララノを捕まえられなかったモンスターがしびれを切らして、別の獲物……つまり僕たちに標的を変えたらしい。
ああ、またしてもくだらない会話をしていた。
本当にゴメンね、ララノ!
「とにかく、ブリジットは逃げて!」
「あっ、サタ先輩!?」
ブリジットを置いて、突進してくるモンスターに向かって走り出した。
狼のモンスターは、間近で見ると凄まじく恐ろしい顔をしていた。
体はウシくらい大きいし、瞳は血のように真っ赤。牙も爪も普通の狼のものとは比べ物にならないくらいに巨大だ。
それに、なにより頭が二つついているのが不気味すぎる。
右目に大きい傷跡がついているのが歴戦の猛者っぽいし。
ブリジットに「下がってて」なんてカッコイイセリフを吐いたけれど、こんなモンスターをどうやって倒そう。
攻撃を避けちゃったら、ブリジットが狙われることになる。
だとしたら、正面からモンスターの動きを止めるしかないか。
そう判断した僕は、物理防御力を上げる「持久力強化」を衣服にかけ、さらに重いものを持てるようになる「筋力強化」を体にかける。
「ガウゥッ!」
体の芯から力が湧き上がってきた瞬間、モンスターが体当たりをしてきた。
小柄で貧弱な僕が巨大なモンスターに体当たりなんてされたら、全身の骨をバキバキに粉砕されて一瞬であの世行きになるだろう。
だけど、持久力強化の付与魔法で衣服の物理防御力を強化した今だけは、フルプレートアーマーを着た重装騎士よりも頑丈だ。
「ふんぬっ!」
体当たりの衝撃を難なく耐えた僕は、モンスターの首に腕を回して思いっきり後ろに投げ飛ばした。
相手を逆さまに抱えあげて後方に投げるプロレス技の「ブレーンバスター」みたいに。
「……ガウ?」
モンスターも自分の身に何が起きたのかわからない様子だった。
自分の半分ほどもない小さな人間に抱えられて投げ飛ばされたのだ。
「ギャンッ!」
モンスターは背中から地面に激突し、子犬のような悲鳴を上げる。
「もういっちょ!」
動きが止まったモンスターの前足を捕まえ、ハンマー投げの要領で思いっきりぶん投げる。
「キャイイイ……ン!」
天高く舞い上がったモンスターは、ララノの頭の上を飛び越え、はるか遠くに落下した。
その衝撃で地面がズズンと揺れる。
少々強引だけど致命傷を与えたはず──と思ったけど、軽く脳震盪を起こしただけなのか、モンスターはフラフラと立ち上がった。
やっぱり頑丈だな。ここはしっかり止めを刺しに行ったほうがいいかな?
と考えたけど、モンスターは周囲を見渡したあと脱兎のごとく逃げていった。
モンスターが立ち去ると同時に、辺りに立ち込めていた瘴気も風に乗って消えていく。
「サ、サタ様っ!」
ララノが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!? お怪我はありませんか!?」
「平気。ララノは?」
「大丈夫です。私は逃げ回っていただけなので」
少しだけ服が汚れてしまったのか、ララノはパタパタとワンピースのスカート部分を叩いてから、モンスターが逃げていった方を見た。
「でも、あの巨大なモンスターを投げ飛ばすなんて凄すぎませんか?」
「ちょっと強引すぎたかな?」
「ですね。あの子もすごくビックリしていたみたいで──」
「サタ先輩っ!」
僕の名を呼ぶ声がララノの言葉を遮る。
声の方を見ると、ブリジットが猛然とこちらに走ってきていた。
僕の目の前で急ブレーキをしたブリジットは、感極まった表情で続ける。
「いや、おみそれしたぞサタ先輩! あのオルトロスを素手で撃退するなんて!」
「え? オルトロス?」
「あの狼のモンスターのことだ!」
ああ、あれがオルトロスってやつか。
聞いた話では、遠吠えで平衡感覚を麻痺させて動けなくさせてから素早い攻撃で仕留めにかかる危険なモンスター……なんだっけ。
こわっ。その遠吠え攻撃をされなくて良かった。
「あの、サタ様?」
ララノがボソッと耳打ちしてきた。
「こちらの女性はお知り合いの方、なんですか?」
「あ〜、えっと。そうだね。院時代の後輩でブリジットっていうんだけど」
「院? 王宮魔導院のことですか?」
「う、うん」
「そんな方がどうしてこんな場所に?」
「どうやら僕を追っかけてきたらしくてさ」
「……?」
ララノは激しく困惑しているようだ。
うん、その気持すっごいわかる。
だって王都からここまで一ヶ月はかかるし。
気軽に追っかけていい距離じゃない。
「しかし、やはりサタ先輩は偉大な魔法使いだったのだな」
そんな僕たちをよそに、ブリジットは興奮した様子で口を開く。
「この一件で、改めてサタ先輩は私と共に人生を歩むべき人間だと再認識したぞ。サタ先輩以外に私の伴侶は務まらない」
「はっ、はは、伴侶!?」
素っ頓狂な声を上げるララノ。
その尻尾は爆発しそうなくらい膨れ上がっているし、顔は溶けてしまいそうなくらい真っ赤だ。
ああ、と頭を抱えたくなった。
これはすごく面倒くさいことになってきた。
「気にしないでララノ。勝手にブリジットが言ってるだけだから」
とりあえずララノにはそう説明して、ブリジットに詰め寄る。
「良いかいブリジット。前からキミに言ってるけど、僕はキミが考えてるような優れた人間じゃないから。付与魔法っていうレアな加護を持ってるけど、それ以外は並み以下の凡庸な人間なんだ」
「ははは、謙遜など私たちの間にはいらないぞ」
「全っ然、謙遜じゃないから」
「しかし、そういう先輩の腰が低い所は嫌いじゃない。気遣いという名の愛情をヒシヒシと感じる」
「いや、だから」
「わかったわかった。そういうことならサタ先輩、今すぐ王都に戻って私と盛大な式を上げよう。あ、挙式はデファンデール家の作法に則った形でいいか?」
「うん、ちゃんと話を聞いて?」
オルトロスと戦ったとき以上の疲労感に襲われてしまう。
勝手に色々盛り上がらないで欲しい。
というか、院時代からずっと思ってたけど、僕みたいな野菜オタクの何が良いんだろう。
ブリジットは名家のご令嬢なんだし、お似合いの相手はたくさんいるだろうに。
「……ごめんララノ。とりあえず馬車に戻ろうか」
「え? あ……でも、ブリジットさんが仰っていることは大丈夫なんですか?」
「無視していいよ。勝手に言ってることだし」
それに、これ以上ブリジットに構っていると、また瘴気が降りてきてオルトロスが戻って来そうだし。
戯言はスルーするに限る。
そうして僕は、困惑するララノとひとりで盛り上がるブリジットを連れて馬車へと急いだ。
馬車に戻った僕たちは、すぐに農園に向けて出発した。
パルメザンにブリジットを送り届けようとしたのだけれど、「サタ先輩に付いていく」と激しく抵抗されてしまったのだ。
なので、渋々ブリジットを農園に連れていくことにしたのだけれど──少々気になっていることがあった。
瘴気を吸ったブリジットの体調のことだ。
ぱっと見た感じだといつもとわからないウザさを発揮しているけれど、ある程度瘴気を吸ってしまったはず。
となると、多少なりとも体の自由が効かなくなるはずなんだけど──。
「これと言って体調に変化は無いぞ」
ブリジットは涼しい顔でそう返した。
「でも結構長い時間、瘴気にさらされてたよね? あまり濃い瘴気じゃなかったけど、流石にマスク無しだと手足に痺れくらい出るはずだけど」
「そうだな。私もそう思ってずっと息を止めていた」
「……は? 止めてた?」
「む? 知らなかったか? 私は長時間の無酸素運動が出来るのだ。無呼吸で百メートルを全力疾走することもできる」
「あ、そうなんだ」
色々とメチャクチャだな。流石は王都剣術大会の最短優勝記録保持者。
というか、全然平気だったのなら助ける必要はなかったじゃないか。完全に無駄骨だった。
「しかし、オルトロスをぶん投げたときのサタ先輩は凄くかっこよかったぞ」
「あんなスマートじゃない方法はやりたくなかったんだけどね。僕らしくないっていうか」
「大丈夫だ。先輩からの愛の告白だったら、スマートじゃない方法でも受け止められる自信はある」
「うん、何の話?」
すぐそっち方面に話題を脱線させるのやめてくれないかな?
ブリジットがチラリと僕の隣に座っているララノを見る。
「それでサタ先輩、そちらの獣人の女性は?」
「ああゴメン、紹介がまだだったね。彼女はララノ。僕の農園を手伝ってくれているんだ」
「ふむ。手伝いか」
スッと立ち上がったブリジットは敬々しくララノに頭を下げる。
「はじめましてララノ。私はブリジット・デファンデールだ。私のことは『サタ先輩の将来の奥さん』か『サタ先輩の婚約者』と呼んで欲しい」
「おいやめろ」
どういう呼び方だよ。ララノが困惑しちゃうだろ。
案の定、目をパチクリとさせているララノに説明する。
「ブリジットのことはさっき少しだけ話したけど、魔導院時代の僕の後輩で、錬金術と瘴気に関する研究をしていたんだ」
「へぇ……」
「あと、一応言っておくけど、僕とブリジットは親密な関係ってわけじゃないからね?」
「…………」
説明が聞こえていないのか、無反応のララノ。
目が座っていて、ちょっと怖い。
「長いんですか?」
「え?」
「サタ様と、ブリジットさんの交友期間です」
「え〜っと、魔導院に入ってからだから……大体二年くらいかな?」
「そうだな。二十年に近いほうの二年だ」
二十年に近いほうってなんだよ。二年は二年だろ。
冷めた視線をブリジットに投げつけたけれど、彼女は意に介する様子もなく、ララノに尋ねる。
「ちなみにララノはサタ先輩と知り合ってどれくらいなのだ?」
「まだ二ヶ月くらいですね。でも、サタ様がどういう料理が好きなのかとか、寝起きに何が飲みたいのかとかは熟知してますよ」
「…………」
え、何その補足情報。
全く要らないと思うんだけど。
「……ふむ。なるほど。そういうことか」
ズゴゴゴゴ……と、ブリジットの背後に激しく燃え盛る嫉妬の炎を感じた。
これはちょっと話題をそらさないとマズい気がするな。
「そ、そんなことよりも、なんでブリジットがこんな辺境の地にいるのさ? 院はどうしたの?」
「魔導院か? 辞めたてきたが?」
ブリジットがさらっと、まるで「お昼ごはんはカレーにしようと思ったけどラーメンにしました」レベルの軽さで言った。
しばし、馬車に沈黙が流れる。
「……ごめん。今、なんて言った?」
「愛するサタ先輩を追いかけるために、院は辞めてきた」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「ちょ、ちょっと待って!? 院、辞めたの!?」
「な、なんだ? 驚くほどのものでもないだろう? サタ先輩と私は赤い糸で結ばれた連帯保証人なのだから、そうなって然るべき流れだ」
「色々驚くようなものだよ!」
赤い糸でなんか結ばれてないし、連帯保証人でもない!
というか、連帯保証人の使い方間違ってるだろ!
「そもそも私はサタ先輩がいなくなった魔導院になどこれっぽっちも興味はない」
「はぁ!? 『私は瘴気の危機から世界を救いたいのだ』っていつも僕に話してたじゃない!?」
「ああ、あれか。あれはサタ先輩の気を引くための方便だ」
「…………」
絶句した。
「いや、私とて少なからず瘴気から世界を救いたい想いはあるぞ? 瘴気のせいで大勢が苦しんでいるのを見てきたからな。だが、サタ先輩の偉大なる存在と天秤にかけるほどのものではない」
ん〜、何だろう。
ここまで正直だと、むしろ清々しい。
大義名分を掲げてる人間よりも信頼しちゃいそうだ。
「それに、あの上司の下で働くのは、もう限界だしな」
「上司……ってラインハルトさんのこと?」
「そうだ。あの男、先輩のことを『犯罪者』だと断言したのだぞ? 信じられるか? この天使のような慈しみを持つ、ゴッド・サタ先輩を!」
「ゴッド・サタ先輩って何」
「ん? 神のような存在という意味だが?」
「……いや、みなまで言わなくてもわかるから」
説明されて逆に僕が恥ずかしくなっちゃった。
しかし、そう言えばラインハルトさんは僕のことを「瘴気を人為的に生成しようとしている犯罪者だ」と院長に直訴してたっけ。
二ヶ月前の話だけど、遠い昔のように感じてしまう。
「あ、あの……」
と、恐る恐る声をかけてくるララノ。
「初耳だったんですが、サタ様ってそんな言いがかりで院を辞めさせられたのですか?」
「あ〜、いやまぁ、そうだね。あはは」
魔導院に居たということは話していたけど、理由までは説明してなかった。
僕としては「追放されてラッキー」くらいに思ってたけど、普通に考えるととんでもない理由だよね。
「まぁ、衛兵に突き出されなかっただけありがたいと思わなきゃね」
「……おおっ」
ブリジットが感嘆の声を上げた。
「流石サタ先輩! その寛容な姿勢には感服してしまうな! きっとサタ先輩は皿にふたつしか残ってない肉を見て『まだふたつもある』と言うタイプだな! ちなみに私は追加で十個注文するタイプだ!」
「あ、そうなんだ」
うん、キミも大概ポジティブだね。
というか、男顔負けの健啖家なのは相変わらずか。
ま、どうでもいい話だけど。
ブリジットはコホンと咳払いを挟んで続ける。
「とにかく、そういう理由で私は院を辞めてサタ先輩を追いかけてきたというわけなのだ」
「わけなのだって……悪いことは言わないから、院に戻りな?」
「いやだ」
即断するブリジット。
「私は絶対に戻らない」
「そんな駄々っ子みたいなこと言わないでよ。そもそも、ご両親は大丈夫なの?」
デファンデール家は王族と深い関わりがあるし、ブリジットのお父さんは護国院の騎士団長を務めている人間だ。
その愛娘がどこの馬の骨とも知らない男を追って院を飛び出した……なんて噂が流れてしまったら、ご両親の逆鱗に振れてしまうんじゃないだろうか。
「心配に及ばんぞ」
しかしブリジットは飄々とした表情で頭を振る。
「父も母も『私たちのことは気にせず、ブリジットの好きなようにやりなさい』と言ってくれた。なんと理解のある方たちだと改めて感動したよ」
「……さいですか」
なるほど。デファンデール家の人たちって、放任主義なんだな。
いや、これはある意味、放棄主義というべきか。
「というわけで私は院には戻らない。しかし、サタ先輩が王都で私とひとつ屋根の下で暮らしてくれるというのなら、考え直さなくもない──」
「ダメです」
間髪入れずに答えたのはララノだった。
彼女は感情の起伏がないすご〜く冷めた声で念を押してくる。
「いいですかサタ様、そういうの、絶っ対ダメですからね?」
「わ、わかってるよ」
その気迫に思わずたじろいでしまった。
そもそも追放された身なんだから戻りたくても戻れないし。
というかララノさん、顔が怖いです。
「心配する必要はないよ。ラインハルトさんから戻ってこいって言われても戻る気は無いし。それに、農園スローライフは僕の夢だったんだから」
「農園スローライフ? なんだそれは?」
ブリジットが首をかしげる。
「話してなかったっけ? 以前から田舎で農園を開くのが夢だったから、こっちに土地を買ったんだ。今はそこでのんびり野菜を育てたりしてる」
「……や、野菜を育てている、だと!?」
ブリジットが目を丸くして立ち上がる。
「な、何を言ってるのだサタ先輩! 気を確かに持て! まだ隠居するような歳ではないだろう!?」
「いやいや、年齢関係なくスローライフって最高だよ? 対人関係で気を病むこともないし、何をやっても自由だし。それに、付与魔法の研究もできちゃう」
「付与魔法の研究……あっ」
その言葉でブリジットは何かを思い出したらしい。
「そう言えば、あの論文の実証研究はどうなったのだ?」
「論文? って、ラインハルトさんにもみ消されたやつ?」
「そうだ。確かタイトルは『不毛の地における付与魔法の有効性』だったか」
そういえばそんな論文を出そうとしていたっけ。田舎の付与師が論文を出すなど生意気だとかなんとか言って、握りつぶされちゃったけど。
院にいるときは早く実証研究をしないとって焦ってたけど、すっかり忘れちゃってたな。
「まぁ、今やってることがある意味『実証研究』みたいなものだし、どうなったかは農園を見ればわかると思うよ」
「……?」
そう答えた僕を見て、ブリジットは首を捻った。
運び屋ギルドの馬車に乗って二日。
道中、再び瘴気やモンスターに襲われないかと戦々恐々だったけど、無事に農園に到着することができた。
この二日間の馬車旅は本当に疲れた。日中はもちろん、野宿をしたときも三人交代で夜通しモンスターの襲撃を警戒していたからだ。
付与魔法のおかげで体力的には問題なかったが、精神的な疲労が辛かった。
なので、正直なところテントで一休みしたかったけれど、ブリジットから「実証研究を見せて欲しい」と頼まれたので畑に連れていくことにした。
なんだかんだで、やっぱり瘴気対策の研究に興味があるらしい。
そういう所はブリジットらしいな。
建築中の家を見に行くというララノと別れ、ブリジットと畑に向かう。
……と言ってもテントからそう離れていないんだけどね。
ラングレさんの仕事で二日ばかり離れている間に、作付けしていた夏野菜たちは元気に成長していた。
トウモロコシ、トマト、キュウリ、ゴーヤ。
さらに、エダマメ、ナス、レタス、モロヘイヤにスイカ。
プッチさんに定期的に農作物を卸している関係で、今や三十六もの畝がならんでいるわけだけど、改めて見ると壮観だ。
今回も動物たちがしっかり管理してくれていたらしく、土にはしっかり水分が浸透しているし、テントの木箱には収穫した野菜も入っている。
いやぁ、本当に動物たちは有能すぎるな。
「ほほう……?」
多くの野菜が実っている畑を見て、ブリジットが気の抜けたような声を上げた。
「見事に野菜が実っているな」
「そうだね」
「ひとつ確認なのだがサタ先輩、ここは瘴気が降りた『呪われた地』で間違いないか?」
「そうだね。瘴気で壊滅的な被害を受けた場所だって聞いてる。そのお陰で凄く安価で土地を買えたんだ」
「いや、そんな『些細なことですけど何か』みたいな雰囲気で言わないで欲しい。どうして土壌汚染で植物が一切育たいはずの場所で野菜ができているのだ?」
「これが僕が論文で発表しようとしていた『不毛の地における付与魔法の有効性』の実証研究みたいなものだよ」
「……すまない、端的に言うとどういうことなのだ?」
「ええと、つまり──」
唖然としているブリジットに、僕は言い放つ。
「僕の付与魔法を使えば、呪われた地でも作物が育つんだ」
「はは。冗談を言うのは時と場合を考えたほうがいいぞサタ先輩」
「…………」
胡乱な視線を投げつけてやった。
所構わず「恋人になろう」だの「結婚しよう」だの冗談みたいな話をぶっこんでくるキミが言うな。
しばらく呆れたように笑っていたブリジットだったが、真剣な表情の僕を見てゴクリと息を飲んだ。
「……ほ、本当に冗談ではないのか?」
「冗談でこんなことは出来るわけないだろ。まぁ、付与魔法を使えるのは僕だけだから、この技術を普及させることは難しいけど、実証はされたよね」
この世界で付与魔法の加護を持っているのは僕だけ。
だからこの方法で世界を瘴気から救うなんてことは難しいけど、理論として立証することはできたはず。
研究者から引退した身だから、この件を発表するつもりはないけど。
騒がれても面倒だし。
「す、凄い……! やっぱりサタ先輩は、人智を越えた天才だったのだな!」
「……っ!?」
ブリジットがガッシと僕の両肩を掴んでくる。
「これは世紀の大発見だぞサタ先輩! この実証研究をレポートにまとめて王都に持ち帰って私と結婚しよう! そうすればラインハルトもサタ先輩の実力を認めるはずだ!」
「だから僕は戻る気なんて──って、途中で何か変なことを言わなかった?」
「何も言ってない。今すぐ私と王都に戻ろう」
「いや、なんか結婚がどうとか……」
「言ってない」
真に迫る表情で首を横に降るブリジット。
何だか目が怖い。
「な、何にしても僕は院に戻るつもりはないよ。僕はここでのんびりとスローライフを続ける。だからブリジットも諦めて大人しく院に戻って欲しい」
「だから私はひとりでは帰らないと言っているだろう」
ブリジットは呆れたようなため息を漏らす。
「サタ先輩こそ私と院に戻るべきだ。私と一緒に、その才能をラインハルトに見せつけやろう」
「いや、だから僕は……ああ、もう」
さっきから、完全に平行線の問答じゃないか。
僕は折れるつもりはないけど、ブリジットも強情だしな。
ううむ、どうしよう。
「……わかった」
困り果てていたとき、観念したようにブリジットが口を開いた。
「どうしてもサタ先輩が院に戻らないというのなら仕方ない。私もここで暮らすことにする」
「……はぁっ!?」
声が裏返ってしまった。
「ちょ、ちょっと待って? え? 何で? 何でそうなるのかな?」
「驚くほどのことでもあるまい。サタ先輩は院に戻るつもりはない。私もひとりでは戻らない。だったら、一緒にいるためには私がここに残るしかないだろう」
「いや、その一緒にいるっていうのがそもそも問題の発端で──」
「確かにサタ先輩が危惧している通り、長期滞在用の着替えのパンツは持ってきていないが大丈夫だ。至極些細な問題だしな」
「僕が言いたいのはそういう問題じゃなくてね」
なんだろう。着替えがないのは問題といえば問題なんだけど、そういうことを言ってるんじゃなくてだね。
ああ、まずい。ブリジットのペースに飲まれていく。
「というか、ここで暮らすってどこに住むつもりなのさ? ブリジットが住める予備のテントなんてないよ?」
「私はサタ先輩のテントで構わない」
「僕が構う」
多分、ララノも構うと思う。
「それでは、あそこにある家の使ってない部屋を一室貸してくれないか?」
「あの家はまだ──あれ?」
ブリジットが指差した建設中の住居を見て、ふと異変に気づいた。
出発する前は多くの動物たちがせっせと組み立ててくれていたのに、今は誰もいない。それに、作業をしている音もしない。
「サタ様!」
首を傾げていた僕の耳に、ララノの声が飛び込んできた。
「朗報です。私たちがパルメザンに行っている間に家が完成したみたいですよ」
「え、本当に?」
「はい! 内装も全部終わっているみたいです。一緒に見に行きませんか?」
すごい。内装までやってくれていたのか。
家具は注文したばかりなので何も無いだろうけど、期待が膨らむ。
「……ブリジットも一緒に見に行く?」
「もちろんだ。私の家になるわけだからな」
即答するブリジットだったが、それを聞いてララノが「どういうこと?」と言いたげに不服そうな顔をしていた。
「後でちゃんと説明するから、今は気にしないでねララノ」
「……あ、はい」
ララノはなんとも釈然としない表情でうなずく。
ブリジットを連れていくのは移住を許可したってわけじゃなくて、ひとりだけ畑に残しておくのは可哀想かなと思っただけなんだ。
だから、頼むから面倒な勘違いをしないでね?