農園スローライフ二日目の朝。
ゴソゴソとベッド(に見立てた地面にひいた毛布)から這い出し、テントの入り口を開けると、昨日と同じくカラッとした青空が出迎えてくれた。
街で買ったテントは現代の軍隊でも使われている「パップテント」に似た形のもので、入り口を開閉できるひさしが付いている。
一応、瘴気が降りることを警戒して夜間は締めておいたけど……瘴気特有の匂いはしないし降りてはいなさそうだな。
「う〜ん……気持ちいい朝だなぁ」
空に向かって大きく伸び。
つい院にいたときのクセで早起きしてしまったけど、昼くらいまで寝てても誰からも文句は言われないんだよな。
でも、生活習慣が崩れたら嫌だし早起きは続けるか。
焚き火に薪を添えて、炎の元になる燃えやすい乾いた植物などの燃料を添えてから火を付ける。
そこに鍋をかけて、飲料水を沸騰させる。
「朝と言ったら、やっぱりコーヒーだよね」
パルメザンの街で、挽いたコーヒーを買ってきたのだ。
ただ、ちょっと残念なのはこっちの世界のコーヒーはイマイチ味が薄いことだ。豆のせいなのか、水のせいなのかは分からないけれど。
のんびりとお湯が沸くのを待つ間、これからの予定を手帳にまとめてみることにした。
「……何よりまずは、土壌改良だよね」
種の付与魔法の効力を伸ばすために土にも付与魔法をかけてあげる必要がある。
それに、美味しい作物を育てるにはやっぱり土を作ってあげたほうが良いしね。
まぁ、やらなくても十分美味しかったけど、そこはこだわりだ。
「住居もしっかりとしたものが欲しいけど、ひとまずテント生活でもいいか。となると飲み水の確保と、敷地の確認ってところかな」
特に水はどうにかしたい。
街まで行けば確保はできるけれど、馬車で二日はかかる距離だ。農園に馬はいないので、行きは倍以上の時間がかかる。
どうにかして、ここで飲み水を確保できるようにしておきたい。
その次に敷地の確認だけど、これも意外と重要。
この区画に何があるのかはっきりわかっていないので、敷地を歩いて確認しておく必要がある。
できればモンスターがいそうな危険な場所には立ち入りたくないし、資源になりそうなものがあったら覚えておきたい。
などと手帳にペンで書いていると、お湯が湧いたのでコーヒーを煎れる。
相変わらず少しだけ味が薄いコーヒーだったが、場所が良いからかいつもより美味しく感じた。
「……よし、それじゃあ土壌改良といきますか」
合わせ付与の「範囲拡張」の効果を発動させ、昨日、テントの近くに作った畝の近くをガツガツと耕していく。
やっぱりテントの近くに畑があると何かと便利だし、ここを畑区画にしよう。
九つ分くらいの畝幅を耕して、そこに街で買ってきた「馬糞」と「苦土石灰」を混ぜて更に耕す。
そして最後に「免疫力強化」の付与魔法をかける。
これで瘴気に強い土壌ができて、作物が長持ちするはずだ。
ちなみに、馬糞は藁が入っているので、最高の肥料になるのだとか。
「お金に余裕ができたら馬を買うのも良いかもしれないな」
馬糞は肥料になるし、街に行くための足にもなる。
それに、馬って可愛いじゃない?
そういう癒やしもスローライフには必要だよね。
「土はこれでよし……っと」
土壌が出来たので買ってきた種を植える。
作付けするのは夏野菜たち。
キュウリ、トウモロコシ、レタス、ジャガイモ。
それにナス、エダマメ、トマト。
こっちの世界にもジャガイモやトマトがあるのにはちょっと驚いたけど、食べられるのは素直に嬉しい。
一部の種や種芋には「生命力強化」と「免疫力強化」だけをかけてじっくり育てることにした。
全部に「俊敏力強化」をかけて全部手早く作ってもいいけど、こういうのはじっくり育てて楽しまないとね。
何事もやりこみ要素は重要だ。
一通り植えてから川で汲んできた水を撒く。それから、畝の周りをぐるっとロープで囲って畑区画が一目でわかるようにした。
作業が終わった頃には、すっかり太陽が高く登っていた。
「そろそろお昼休みにするか」
作業したいときに作業をはじめて、休みたい時に休む。
うん、これぞスローライフの醍醐味。
テントに戻って、昨日作った大根の煮物と干し肉、パンに安物ワインを付けてお昼ごはんを取ることにした。
一日寝かせても煮物は美味かった。パンとワインが進む進む。
「さて、畑も一段落したし、次は……飲水の確保だな」
手帳を取り出して、やることを確認する。
敷地確認は飲み水問題が終わってから取り掛かることにしよう。
「……でも、どうやって確保すればいいんだろう? 川の水は飲めないしな」
桶に汲んできた赤紫色の水を見る。
ちょっと美味しそうな感じだけど、飲んだらやばいよね。
ぱっと見、瘴気濃度は低そうなので免疫力強化の付与魔法を自分にかければ大丈夫かもしれないけど、腹を下しそうだ。
川の水がだめとなると、考えられるのは井戸を掘る方法や雨水から得る方法、それに植物から得る方法になるけど──。
「どれも無理だよね」
まず、僕に井戸を掘る技術なんて無いから井戸案は却下。
雨水はこの天気じゃ確保できるのがいつになるかわからないのでそれもダメ。
最後に植物から水分を集めるのは……そもそも植物が無いから不可能。
となると。
「……お手製の簡易濾過器でも作ってみるかな?」
実は、ベランダ菜園をやっていたときに「良い野菜を美味しく食べるには、良い水が必要だ」と考えて、濾過器を作ったことがある。
ネットショップを使えば高性能の濾過器を買うことができるけど、意外と良い値段がしたのでチャレンジしてみたのだ。
おかげで少ない睡眠時間を更に削ることになったけど。
簡易的な濾過器なので瘴気の毒素を全て無くすことはできないだろうけど、装置に付与魔法をかければなんとかなるだろう。
「何事もとりあえずやってみる精神だ」
早速、街で買ってきた小さい桶に小さい穴を開けて、上から小石、砂、炭、布などをギュッと密度を高くして押し込める。
焚き火で出来た炭を砕いて押し詰め、それから細かい砂と、砂の浮き上がりを抑えるための布、小石の順番で入れる。
そこに耐性を高めるための「持久力強化」と、瘴気対策の「免疫力強化」、それに早く水が出てくるように「俊敏力強化」の付与をかけて完成だ。
見た目は立派な濾過器に見える。
だけど、性能はどうだろう?
恐る恐る上から汚染水を流してみる。
するとすぐに桶の底に開けた穴から水がチョロチョロと流れ出てきた。
すぐに別の桶ですくってみると、透き通ったキレイな水が桶に溜まっていく。
「お、これは成功かな?」
見た目は綺麗な水。
匂いもしない。
うん。とりあえずは行けそう……か?
一応、自分に免疫力強化をかけて飲んでみた。
「……う」
その衝撃に、思わず桶を落としそうになってしまった。
「うまっ! なんだこれ!? メッチャまろやかだぞ!」
なんだろう。すごく舌触りが良くて、持ってきた飲料水よりも美味しい。
もしかして、付与魔法の効果が濾過した水に影響を与えてるとか?
水は第二属性の「水属性」だから、生命力強化で旨味が上がったのかもしれないし、新しい「合わせ付与」が発現した可能性もある。
「うん、これは新たな発見だな」
この効果はじっくり研究する必要がありそうだ。
とりあえず、この水を使ってコーヒーを作ってみようっと。
きっと、今までで最高に美味いコーヒーが出来るはずだ。
今日は生憎の曇り空だった。
しかもただの曇りじゃない。
なんだかうっすらと赤紫色に変色していて、ここが呪われた地であることを改めて実感する。
というか、不気味すぎる。
「瘴気の雨とか降らないよね……?」
酸性雨的なやつ。
飲水は濾過器で確保できたし、瘴気の雨が降ったとしても体内に取り込まなければ大丈夫だけれど、気分的によろしくない。
とりあえず、雨が降ることを想定して畑の水撒きはやめて、濾過器で飲料水を大量生産するために水を汲みにいくことにした。
「……お、かなり出来てるな」
出発する前に畑に寄ってみたところ、「俊敏力強化」をかけたキュウリがかなり育っていた。
持ってきた木の棒を畝の両端に立ててロープを網状に張ったのだけれど、その網が隠れるくらいに葉っぱが広がり、かなり大きな実が出来ている。
これは早く収穫しないと傷んでしまうかもしれない。
キュウリは水や肥料が足りないと曲がってしまうのだけれど、パッと見たところまっすぐ育っているので、そこらへんは大丈夫みたいだ。
キュウリの他にも、トウモロコシやジャガイモも収穫できそうだ。
いいぞいいぞ。収穫が楽しみすぎる。
ウキウキしながら桶を両手に抱えて川へと向かう。
拠点にしているテントから川まではそこまで遠くないけれど、一度に運べる量に限界があるのが面倒だ。
これは早めに馬を手に入れる必要がありそうだな。農園が軌道に乗ってきたら一度パルメザンに行って必要なものを買ってこようか。
「……ん?」
と、そんなことを考えながら川に降りていると、何か動くものが見えた。
曇り空のせいで薄暗くなっている対岸の川辺。大きな岩の影に何かがいる。
まさかモンスターか?
呪われた地には危険なモンスターが多く生息しているというけれど、これまでそんな気配はなかった。
もしかすると曇りの日に活発になるのかもしれないな。
何にしてもモンスターだったら追い払っておいたほうがいいかもしれない。
腰に下げた短剣を手に取って、筋力強化と俊敏力強化の付与魔法をかける。いつもの範囲拡張の合わせ付与だ。
これで身体能力を強化すれば、ある程度の相手ならいけるはず。
恐る恐る川を渡って反対の岸に。
大きな岩の近くまでゆっくりと近づき、岩の裏側を覗き込む。
「……えっ」
つい、ギョッとしてしまった。
岩陰に隠れていたのは女の子──それも、狼のような耳と尻尾を持った獣人の女の子だった。
肩ほどまであるくすんだピンクの髪に、頬にはヒゲのような模様がある。頬のそれは獣人の特徴だ。
着ているワンピースはボロボロだし少しやつれているように見えるけど、すごく可愛い。
でも、なんでこんな所に獣人が?
しばし考えて、僕ははたと思い出す。
そういえばホエール地方には獣人の集落があって、昔は人間との交流があったとサクネさんが言ってたっけ。
人間と獣人の交流があるなんて珍しいなと思ったから、よく覚えている。
数が少ない獣人は人間から迫害されている。王都でもたまに獣人を見かけることがあったけど、ほとんどが奴隷商の売り物としてだった。
ここの近くに住んでいるのなら、挨拶でもしておこうかな。
そう思ってにこやかに近づこうとしたけれど、一歩踏み出した瞬間、「来るな」と言いたげに犬歯をむき出しにして威嚇され、逃げられてしまった。
流石は身体能力が高い獣人だ。
彼女の姿は、あっという間に消えてしまった。
「……いきなり嫌われちゃったな」
誰かに嫌われるのには慣れているけど、初対面でいきなりはちょっと堪える。僕って、そんな悪人面してないと思うんだけどな。
「でも、大丈夫かな」
少しだけ気になることがあった。
あの子がすごく衰弱しているように見えたことだ。
数ヶ月前に大海瘴によってホエール地方は大きな被害を受けたと言っていた。もしかすると、そのときにあの子の集落も壊滅してしまったんじゃないだろうか。
住む場所を失って、食べ物や飲み物を探して彷徨っている。
うん、すごくあり得る話だ。
こんなことなら、携帯食と飲水を持ち歩いておけばよかった。頻繁にここに来ているのなら、食べ物でも置いておこうかな。
「……ギャウゥ!」
「っ!?」
などと思案していると、遠くから甲高い動物の鳴き声がした。
声が聞こえたのは、獣人の少女が逃げていった方向。
まさか、モンスターに遭遇したとか?
獣人は人間と比べて身体能力や戦闘能力に長けているし、簡単にモンスターにやられたりはしないはず。
だけど、衰弱しているように見えたのが気がかりだ。あれじゃあ逃げるのもままならないかもしれない。
どうしようか。
見て見ぬ振りはできるけれど、あの少女が心配だ。それに、拠点の近くを危険なモンスターにうろつかれていても困る。
「……仕方ない。確認しに行ってみよう」
そうして僕は、消えていった少女を追いかけて上流へと向かうことにした。
川沿いにしばらく上流に向かって歩いていると、再びモンスターの声がした。
さっきよりも近い。
腰に下げていた短剣を握りしめ、念入りに付与魔法をかけておく。
短剣に筋力強化と俊敏力強化の合わせ付与。
それから自分自身に物理防御力を上げる持久力強化と、生命力を上げる生命力強化、そして素早さを上げる俊敏力強化のフルコース。
これだけ付与しておけば不意の襲撃を食らってもなんとかなるだろう。
あとはビビってる心を落ち着けさせたいところだけど、そんな効果がある付与魔法がないのが残念すぎる。
魔力量を上げる「|精神力強化(エンチャント・マインド)」で胆力が強化されたらいいんだけどな。
などと考えながら、ゴツゴツとした石だらけの川辺を歩いていく。
上流に行くにつれて川岸が赤紫色になってきた。多分、川を流れてきた瘴気が滞留しているのだろう。
不気味な光景に、緊張感が高まっていく。
「……こ、来ないでっ!」
すぐ近くから女の子声がした。
さっきの獣人の子かもしれない。僕は急いで声がした方へと走る。
両岸にそそり立っている壁の一部が崩落したのだろう。
川辺に転がる大きな岩の影に、巨大なモンスターとピンク色の髪をした獣人の少女の姿があった。
腰を抜かしているかのようにペタンと座っている少女が、威嚇するように付近の小石をモンスターに投げている。
しかし、あのモンスターは何だろう。
見た目は巨大な青黒いビーバーだ。そういえば、水辺に危険なビーバーのモンスターが現れるって院で聞いたことがあるな。
確か名前が「アーヴァンク」だったっけ。
土手を壊し畑を水浸しにして、牛馬を水の中に引きずり込んで溺れさせるとかいう凶暴なやつだ。
その話を聞いたときは「いやいや、ビーバーにそんなことができるわけがない」って思ったけど……なるほど。あの大きさなら余裕だな。
ていうか、見た目がすごく怖い。ビーバーって癒やし系の動物のはずだけど、愛嬌がある見た目はどこに行った?
「う、ううう……っ! あ、あっちへ行ってっ!」
女の子がジリジリと近づいてくるビーバーに怒鳴っているけれど、その声はどこか弱々しい。
やっぱり変だ。獣人の身体能力があれば、さっきみたいに逃げ出すことも可能なはずなんだけど。
「……いや、今はとにかく助けないと」
事情は後で本人に聞けばいいし。
でも、どうやって彼女を助ける?
素直に飛び出しても、こちらには見向きもせず少女をガブリといきそうだ。
どうにかしてモンスターの注意を僕の方に向けないと。
黒魔法の加護を持つ魔導師だったら火属性の魔法でも放って注意を引けるんだけど、生憎、僕が持っているのは付与魔法の加護だけ。
何か大きな音を立てられるものは無いか?
テントから鍋とフライパンを持ってきてガンガン鳴らせば多少は注意を引けるかもしれない。いや、取りに行ってる間にあの子がやられちゃうか。
ああもう、ごちゃごちゃ考えている時間はないよっ!
「お、おらぁあぁぁぁぁああっ! こっちじゃあああああっ!」
僕の口から放たれたのは「奇策」ではなく「奇声」だった。
「ひゃあっ!?」
狙い通りにビーバーが僕を見てビクッと体を震わせたが、モンスター以上にビックリしていたのは少女だった。
「お、お前の相手は僕だっ!」
「わ、私の相手!? 何の!?」
「……え? あ、いや、違う! 僕が相手したいのはキミじゃなくてモンスターのほうですっ!」
むしろキミは助けたいというか!
「と、とにかく、こっちだモンスター!」
転がっていた石に筋力付与をして思いっきり投げた。
モンスターの頭部に命中した石が「ドゴッ」と痛そうな音を上げる。
「ギィイイィッ!」
付与魔法で強化された石が相当痛かったのだろう。
モンスターの注意が完全に僕に向いた。
あ、最初からこれで注意を引けばよかった感じですか?
「キミはここにいて!」
少女を巻き込まないように距離を取ったが、モンスターの動きは予想外に素早かった
地面を蹴ったかと思うと、その巨体が空に舞い上がる。
「マ、マジで!?」
いくらなんでも、予想外すぎる。
警戒すべきはあの鋭い爪と牙だと思っていたけど、あの巨体に押しつぶされたら一巻の終わりだ。
「だけど、今の僕ならっ!」
なにせ、チート魔法の俊敏力強化によって脚力が格段に上がっているのだ。
一投足で安全な位置へと移動。
瞬間、さっきまで僕がいた場所にモンスターが落下してくる。
粉塵。地鳴り。
それを見て、もう一度地面を蹴る。
猛烈なスピードで、今度はモンスターとの距離が縮まっていく。
「たあっ!」
短剣をモンスターの左腕へと振り下ろす。
金属がかち合ったような音が響く。多分、あの青黒い針金みたいな体毛は、文字通り鋼並みの硬さだったのかもしれない。
だけど、筋力強化で切れ味を上げている僕の短剣を防ぐことはできなかった。
バラバラっとビーバーの左腕から体毛が落ちたと思った瞬間、ブワッと赤い血がほとばしった。
「ギィイイイィ!?」
甲高いビーバーの声。
まさかこんな小さなナイフで斬られるとは思っていなかったのだろう。
ビーバーはしばらくあたふたと慌てたあと、悲しそうな声を上げながら川の上流の方へと逃げて行った。
後を追いかけようかと思ったけど、留まった。
今の一撃で僕が危険な存在であることはわかったはず。
もう農園には近づいてこないだろう。
……多分。
「でも、はじめて戦闘で使ったけど、すごい威力だな……」
改めて自分の付与魔法にビビってしまう。
以前に一度だけ模擬戦で使ったことはあるけれど、モンスターに使ったのははじめてだ。
これなら王宮魔導院の護国院に所属している重装騎兵の装甲でも簡単に貫けるんじゃないだろうか。我ながら、恐ろしすぎる。
「……と、そんなことよりも女の子を助けないと」
先程、少女がいた岩陰へと急ぐ。
「あ……あれ?」
岩陰に少女の姿があったが、どうやら気を失っているようだった。
もしかして戦闘の巻き添えになっちゃった!?
──と心配したけど、特にこれといって外傷はない。原因はわからないけど、ただ気を失っているだけだろう。
「でも、どうしよう?」
モンスターは逃げちゃったから、もう危険はない。
けど、このまま放置するのも可哀想な気がする。
「とりあえず、テントに連れていくか」
再び自分の体に筋力強化を付与して、少女を背中に担ぐ。
女性を背負う前に筋力付与をするのは失礼かなと少し思ったけど、念の為ね。
だってほら、僕って貧弱だし。
「う〜ん、どうするか」
テントに設置してあるベッド代わりの毛布で寝息を立てている少女を見て、頭を捻った。
彼女が気を失っている理由が良くわからなかったからだ。
瘴気にやられたってわけじゃないし、怪我をしているというわけでもない。
「……となると、ご飯とか?」
見たところ少しやつれてるみたいだし、腹を空かせているのかもしれない。
というわけで、料理を作ることにした。
メニューは戻る途中で収穫したキュウリとレタスを使ったサラダ。
それに、ジャガイモと大根、干し肉、間引きをしたときに採った小さめの人参を使った野菜スープ。メインディッシュは焼きトウモロコシだ。
これを料理と言って良いかわからないけど、素材が良いので味は保証できる。
サラダにドレッシングが欲しいけれど、この世界にそんなものは無いので塩を軽く振って皿に盛り付ける。
スープは野菜と一緒に干し肉とバターを放り込み、グツグツと煮込んでから塩とコショウで味付けする。
焼きモロコシは、バターを入れたフライパンで焼くだけ。
シンプルなメインディッシュだけど、市販のトウモロコシと違って甘さが段違いに濃いので、これだけで激ウマになるのだ。
トウモロコシとバターの香ばしい香りが漂い始める。
美味そうだなぁとニヤケ顔でよだれをすすっていると、いつの間にか目を覚ましていた少女とバッチリ目が合った。
「…………」
テントの中からぼーっと僕を見る少女。
焚き火にかけたフライパンを片手に、ニヤケ顔で少女を見る僕。
これって、なんだか誤解されそうな状況じゃない?
「……ふぁああっ!?」
案の定、少女は凄まじい速さでテントから飛び出して、身構えた。
「……だだ、誰っですかっ!?」
「あ、怪しい者じゃないです! 僕はさっきビーバーに襲われてたキミを助けた、通りすがりの人間っていうか!」
「ビ、ビーバー?」
「ええっと、確かアーヴァンクとかいう」
その名前を聞いて、少女はハッとして、キョロキョロと辺りを見渡しはじめる。
「あのモンスターは……」
「大丈夫。僕が追い払ったから」
そう答えると、少女はギョッと目を見張った。
「お、追い払ったんですか?」
「うん。だってキミを襲おうとしてたし……」
「どうして私を?」
「どうして?」
尋ねられて、フライパンのトウモロコシをひっくり返しながら考え込んでしまった。
何故助けたと問われても、ちょっと返答に困る。
「特に深い理由はないけど、困ってそうだったから」
「…………」
無言のまま、胡乱な目で僕を見る少女。
完全に疑われている気がする。
ここはおいしいご飯をご馳走して誤解を解いてもらうしかない。
「一緒に食べない? キミ、お腹空いてるでしょ?」
「……っ!? そ、そんなもの」
「大丈夫だよ。別に毒とか入ってないから。ほら」
サラダをパクっと頬張る。
うん、シャキシャキしてて美味い。
やっぱり採れたての野菜を一番美味しく食べるには、サラダが一番かもしれないな。
なんて思っていたら誰かの腹の虫がグゥと鳴った。
「……あっ」
顔を真赤にした少女の耳がピョコンと立った。
「べ、べべ、別にお腹が空いてるってわけじゃ」
「とりあえず、食べようよ」
トウモロコシもいい感じで焼けたし。
警戒する少女を横目に、街で買ってきた簡易テーブルを広げて作った料理を並べていく。僕の分と少女の分。それぞれ皿に分けて。
そして、椅子になりそうな小さな樽を二つ持ってきて座る。
「はい、どうぞ」
「…………」
少女は僕とテーブルの上の料理を交互に見る。
すごく食べたい。だけど危険かも。
そんな葛藤が伺える。
こういう場合は彼女のことを意識しないほうがいいかもしれない。
そう思った僕は、お先にトウモロコシにガブリとかぶりついた。
「……うまっ」
思わず笑顔がこぼれてしまう。
凄く甘くてジューシー。粒の弾力も凄くて食べごたえがある。
そんな僕を見て、少女がゆっくりと近づいてきた。
そして椅子にちょこんと座って、恐る恐る皿を取ろうとしたけれど、フォークを渡そうとした僕の動きにびっくりして牙を剥いて威嚇する。
いやいや、そんなに怖がらなくていいのに。
でも、その警戒心の強さが彼女の身を守ってきたのかもしれないな。
こっちの一挙手一投足を警戒しながら、少女は恐る恐るスープに口を付ける。
「……あっ」
目をパチクリと瞬かせる。
自然と出てしまった反応なのだろう。彼女は少し恥ずかしそうに俯いてしまったけれど、尻尾は嬉しそうに揺れている。
「どう?」
「…………美味しい、です」
「よかった」
僕の大雑把な味付けが口にあったようで一安心。
ひとまず腰を落ち着けて僕も食べることにした。
前菜のサラダを食べて、野菜スープのジャガイモを頬張る。
芯まで火が通っていてホクホクだ。硬い干し肉も十分柔らかくなっているし、人参も甘くて美味い。
「おかわりもあるから言って──」
と、言いかけた瞬間、少女は控えめに皿を差し出してきた。
どうやらサラダも野菜スープも、トウモロコシもあっという間に平らげてしまったらしい。
なんだか嬉しくなったので大盛りのおかわりをあげたけど、それもあっという間に綺麗に完食してくれた。
なるほど。やっぱり相当お腹が減ってたんだね。
「キミはひとりなの?」
尋ねると、少女はビクッと身をすくめた。
「よかったら、事情を教えてくれないかな?」
「……はい」
少女は小さく頷き、静かに口を開いた。
彼女の名前はララノ。
この農園から少し離れた場所にあった獣人の集落で暮らしていたらしい。
予想していたとおり、数ヶ月前に起きた「大海瘴」で集落は壊滅してしまったという。
「キミのご両親は?」
「……わかりません」
ララノは小さく首を横に振る。
遺体を見つけることができなかったので生きている可能性はあるけれど、大海瘴が去ってからも集落に戻ってはこなかったという。
「それからずっとひとりで?」
「はい。集落に貯蓄してあった食料でなんとか飢えを凌いでいたのですが、二週間前ほど前に尽きてしまったんです。その……料理はできるんですけど、狩りはやったことがなくて」
「そうなんだ……」
それで集落を出て食べものを探していたけど、何も見つからずってわけか。
それは相当キツイな。
あの川にいたのは、流れていた汚染水を飲むためらしい。
体に良くないということは知っていたけれど、あまりにもお腹が減りすぎて時々飲んでいたのだという。
そんな時、僕とばったり会って怖くなって逃げ出した。
瘴気が含まれる水を飲んで平気でいられるのは獣人の特性なのかな……と思ったけど、やつれているようなララノの姿を見て気づく。
多分、これが瘴気による影響なのかもしれないな。水に含まれる瘴気は微量だったとはいえ、瘴気が彼女の体を蝕んでいるんだ。
でも、ここでララノを助けることができてよかった。
あのまま汚染水を飲み続けていたら、命を落としていたかもしれない。
「あ、あの……あなたは?」
ララノがポツリと尋ねてきた。
「ここに住んでいた人間の方ではないですよね?」
「うん。数日前にここに引っ越してきたんだ。名前はサタ。元々は王宮魔導院の……ってそれはどうでもいいか」
やっかみを受けて追放されただなんて、聞いて楽しい話じゃないし。
「色々あって、ここでのんびり農園をやろうと思って土地を買ったんだ」
「の、農園!? 瘴気が降りた呪われた地で、ですか!?」
「そうそう。僕ってちょっと珍しい加護を持っててね。こんなふうに呪われた地でも作物を育てることができるんだ」
食べかけの焼きトウモロコシを掲げる。
それを見て、少女は目を丸くしていた。
「ちょ、ちょっと待ってください! もしかしてこの野菜って……ここで作ったんですか!?」
「そうだよ。そこの畑で」
「……しっ、信じられません! そんなことが出来るなんて」
「じゃあ、実際に見てみる?」
畑を見れば否応でも納得してくれるはず。
というわけで料理を食べ終わってから、僕はララノを畑に案内することにした。
──と言っても、畑はテントの目と鼻の先なんだけど。
川からテントに戻ってくるときに少し収穫したので数は少ないけどしっかりとした実はなっているし、何よりここでは珍しい青々とした葉っぱは健在だ。
「…………」
ララノはただでさえ大きな目を見開いて、呆然と立ちすくんでいた。
「大丈夫?」
「……はっ!?」
僕の声でララノの尻尾がピョコンと立った。
「すっ、すみません……驚きのあまり茫然自失になっていました」
「あはは、驚いちゃうよね」
呪われた地では植物が育つ事自体ありえないんだし。
「あの、畑によって野菜の実り方が違うように見えるんですけれど、瘴気の影響なんですか?」
「ああ、それね。こっちの畝は成長速度を上げてるんだけど、他の畝は普通の成長速度で育ててるんだ」
「成長……速度?」
「あ〜、ええっと……」
どうしよう。
これ以上説明するとなると、僕の付与魔法のことを教える必要がある。
噂を広めたくないからできれば他言したくないんだけど、ひとりで生活しているララノになら問題ないか。
「実は付与魔法って加護を持っているんだけど、身体能力を強化したり刃物の切れ味を上げたり、植物の成長速度を上げたりできる魔法なんだ」
「……ふぇい?」
驚きのあまり、思わず変な声が出ちゃったらしい。
ララノは顔を赤くして両手で口元を押さえた。
「す、すみません、どうぞ続けてください……」
「う、うん」
気を取り直して続ける。
「専門的に言えば、『第一属性』から『第三属性』まで能力を付与することができる。この短剣とか畑の野菜とかね」
「……冗談ですよね?」
首をかしげるララノ。
まぁ、そういう反応になるよな。
「じゃあ、ちょっと試してみようか」
説明するより見てもらったほうが早い。
備蓄テントから持ってきたトウモロコシの種に「生命力強化」と「俊敏力強化」、「免疫力強化」を付与して収穫が終わった畝に植える。
桶に貯めた畑用の水を撒いて、しばし待つ。
ララノが不思議そうに畑と僕を交互に見ている。
「ええっと、これは何を──」
「あ、ほら見て。芽が出てきた」
「……っ!?」
早速、種を植えたところから小さな芽がポコっと生えてきた。
そこからまるで倍速映像を見ているかのように、芽が大きく成長していく。
「う、ウソ!? もう実がついてきた!? というか、そもそも呪われた地で芽が出るはずが……」
「わかる。不思議だよね。でも、僕の付与魔法を使えば、本当に瘴気が降りた呪われた地でも美味しい野菜が作れるんだ」
「そっ……む」
ララノは何か反論しようとしていたが、目の前の光景を否定する言葉が思いつかなかったのか、ぐっと飲み込んだ。
「信じられません……けど、信じるしかないですね」
「ありがとう。信じてくれて嬉しい」
「でも、どうして畑によって付与魔法の効果を変えているんですか?」
「え?」
「すぐに作れるんでしたら、全部そうしたほうが楽じゃないですか?」
「いや、全部すぐ作れちゃったら楽しめないじゃない?」
「……楽しむ?」
「のんびり作物を育てながらスローライフを楽しむ。そのために僕はここに来たんだ」
「…………」
ララノはしばらくポカンとしていた。
「呪われた地で、野菜を作ってスローライフ」
「そ。良いでしょ?」
「……ふふふっ。良いですね。そんなことを思いつくなんて、ちょっと普通じゃないですけれど」
「自分でも変な部類の人間だって思ってるから否定はしないよ」
つい、ララノにつられて笑ってしまった。
「あの、私も作業をお手伝いしてもいいですか?」
「もちろんいいよ。……あ、でも、体は大丈夫なの?」
「はい。美味しい野菜のおかげですっかり元気になりました。これも付与魔法のおかげですかね?」
「そう言えば、心なしか顔色も良くなってるね」
服はボロボロのままだけど、やつれている感じはなくなり、肌の血色も良くなっている。
種に免疫付与をかけていたから、その効果が出たのかな?
院では「付与魔法を使って呪われた地で作物を育てる」という所だけを研究していた。だから、作物が瘴気に犯された人体に及ぼす影響までは調べきれていなかった。
これはちょっと興味深いな。
でもまぁ、何にしても元気になってくれてよかった。
いつの間にか空を覆っていた赤紫色の雲はなくなり、気持ちの良い晴れ空が広がっていた。
あれからララノに手伝ってもらって、後回しにしていた農作業を終わらせた。
畑への水撒きに、出てきた芽の間引き作業。
それと、成長促進させている畝のキュウリ、大根、レタス、トマトにジャガイモ、それにハーブ系の野菜の収穫。
生命と免疫付与だけ与えた畝にはまだ芽が出てきていないので、魚粉や油カスなどを混ぜた配合肥料を追加する「追肥作業」をする。
その後で、もう少しだけ畑を拡張したかったので、合わせ付与をかけた鍬を使って三つほど畝を作って種を蒔いた。
これで畝の数は十二になった。通常速度で育てている野菜の収穫が楽しみだ。
畑区画の周りをロープで囲っているけれど、しっかりとした柵を作ったほうがいいかもしれないな。
害獣は居ないみたいだけど、あのビーバーのモンスターが近くをうろついていたことを考えると、小型のモンスターに荒らされる可能性はあるし。
柵の材料も、今度パルメザンに行ったときに買ってこよう。
「お疲れ様。はいこれ」
作業を終えてテントに戻り、手伝ってくれたララノにコーヒーを出した。
「ありがとうございます。……あ、すごく美味しい」
早速口をつけたララノが嬉しそうな声をあげた。
最初はあんなに警戒していたのに、すっかり心を開いてくれたらしい。なんだか嬉しいな。
「それ、川に流れてる瘴気の水で作ったんだよ」
「……えっ!? そうなんですか!?」
「正確には、あの川の水を濾過器にかけて綺麗にした水なんだけど」
簡単に濾過器のことをララノに説明する。
「へぇ……! サタ様の付与魔法って、そんなことも出来るんですね! 本当に凄いです!」
「あ、ありがとう」
ララノからキラキラとした目で称賛されて、なんだか恥ずかしくなった。
というか「サタ様」ってなんだよ。
さっきまで警戒心むき出しだったとは思えない変わりようだ。
「……あの、サタ様?」
なんだか気まずくなって無言でコーヒーをすすっていると、ぽつりとララノが切り出した。
「あ、あの、ですね。もしよろしければなんですが……こ、ここで私を働かせていただくことはできませんでしょうか?」
「……ゲホッ」
コーヒーが変な所に入ってしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ、うん、平気。というか、働かせてってララノを?」
「はい。体力には自信がありますし、それに、料理を作ることもできます」
「料理」
そういえば、そんなことを言っていたっけ。
料理は嫌いじゃないけれど得意でもないから、作って貰えるのはありがたい。
それに、農作業は付与魔法があるので疲れることはないけど、やることが多いので手伝ってくれる人がいるのは助かる。
「で、でもな〜……」
「わ、私じゃ、頼りないでしょうか?」
「あ、いやいや、そういうんじゃないよ。助けてくれるのはすごくありがたいし。だけど、僕には人を雇うお金がないっていうか」
院で働いていたときに貯めたお金はまだあるけれど、収入源が無いので誰かを雇う余裕なんてないのだ。
「大丈夫です! 私、お金なんていりませんから!」
「……っ!?」
両手で握り拳を作ったララノが、興奮気味にずずいっと身を乗り出してくる。
突然顔を近づけられて、思わず身をのけぞってしまった。
「私、サタ様に助けていただいたお礼をしたいんです!」
「お、お礼? いやいや、お礼をしてもらうようなことは何もやってないから」
モンスターを追っ払って、収穫した野菜を振る舞っただけだし。
料理も焼いて煮て混ぜただけの適当なやつだもん。
「サタ様が作られたお野菜、すごく美味しかったです。大海瘴が来る前に集落で食べた野菜よりもずっと」
しかし、僕の言葉はララノの耳には届いていないらしい。
「だから、このお野菜をもっと多くの人に食べて欲しいというか……きっとサタ様のお野菜で救われる人がたくさんいると思うんですっ!」
ずい。ずずいっ。
鼻息荒く、ララノが更に顔を近づけてくる。
あの、ララノさん? ちょっと近すぎませんかね?
まつ毛の一本一本が見える距離まで来てますけど。
「あ、あの、と、とと、とりあえず離れてくれる?」
「……あっ」
ようやくヤバい距離まで近づいていたことに気づいたのか、ララノは頬を紅潮させてパッと離れてくれた。
「ご、ごご、ごめんなさい! つい興奮してしまって……」
「いや、僕は別に大丈夫だよ。あ、あはは」
ちょっとドキドキしちゃったけど。
「でも、サタ様のお力になりたいのは本当です。それに、ここで農園をお手伝いしていたら、家族にも再会できるかもしれませんし……」
「家族……」
大海瘴が起きてから行方不明になっているというララノのご両親か。
集落に遺体がなく、未だに戻ってきていないということは、瘴気から逃れるためにホエール地方を離れてしまった可能性がある。
だけど、近いうちにきっとここに戻って来るだろう。
行方不明の娘を見捨てる親なんているはずかないからだ。
そのときにララノがこの農園にいたら、再会できる確率は高くなる。
それに、だ。
ララノを追い出してしまったら、彼女は食べ物を探して放浪するはめになる。
そうなったら、また川の汚染水に手をつけるんじゃないだろうか。
今回は偶然僕が通りかかったから大丈夫だったけど、次こそは命を落とすことになるかもしれない。
「……わかったよ。僕ひとりだと大変なことも多いし、手伝ってくれると助かる」
「ほ、本当ですか!?」
「でも、無報酬ってわけにはいかないからね? 報酬は……そうだ。住む場所と三回の食事はどうかな?」
「えっ……」
「あとは、綺麗な服も。どう?」
生憎、女性ものの服はないけれど、街に行ったときに買ってあげればいい。
食事は畑の野菜でなんとかなるし、住む場所も予備のテントがあるから、そこで生活してもらえばいいだろう。
「あ、あ、ありがとうございます!」
こぼれ落ちんばかりの笑顔を覗かせるララノ。
ブンブンと振っている尻尾は千切れそうなくらいだ。
「しっかりと働かせていただきます、サタ様!」
「あと、僕のことは様付けで呼ばないでいいから」
「それは無理です! お母様から『助けてくれた恩人には敬意を込めて様付けにしなさい』と教わりましたから!」
「……あ、そ、そうなんだ」
なんとも律儀なお母さんだなぁ。
そんな律儀なお母さんなら、すぐにでもララノの安否を確認しに現れそうだな。
それまでに農園を大きくして、ここにララノが住んでいるってことをアピールしておかないと。
「じゃあ、改めてよろしくねララノ」
「こちらこそよろしくおねがいします、サタ様」
こうして僕は新たな仲間を加え、本格的に農園スローライフをスタートさせたのだった。
ホエール地方に来て一週間が経った。
昨日は生憎の雨だったので、厚手の外套を羽織って野菜の収穫をした後、農具のメンテナンスに時間を費やした。
メンテナンスと言っても、土汚れなんかを落とす簡単なやつだ。
定期的にかけている付与魔法のおかげで鍬やナイフは刃こぼれしなくなっているので、街の鍛冶屋に持っていく必要はない。
だけど、やっぱり泥まみれの農具で作業するのは嫌だからね。
昨日の雨はホエール地方に来てはじめての雨だった。
この時期は日本でいう「梅雨」の時期で結構雨が降るはずなんだけど、もしかするとホエール地方はあまり雨が降らないのかもしれないな。
あまりに勢いよく降るもんだから飲み水にできないかと試そうとしたけれど、ララノにあわてて止められた。
やっぱり雨にも瘴気が含まれているらしい。
まぁ、雨雲がいかにも瘴気まみれですって感じの赤紫色をしていたのでなんとなく予想はしていたけど。
僕がメンテナンスをしている間、ララノは料理をしていた。
雨のせいでいつもの場所で焚き火ができなかったので、テントのひさし部分で火を起こしてもらった。
危ないかなとは思ったけど、他に焚き火ができる場所はなさそうだったし。
しかし、そろそろ住居問題もどうにかする必要があるな。
ララノには予備のテントを使って生活してもらっているけど、暴風雨でテントがダメになったら大変困ったことになる。
備蓄用のテントは収穫した野菜や消耗品で一杯だから使えない。
となると、僕のテントで寝起きして貰うことになるんだけど、やっぱりそういうのってダメじゃない?
だってほら、ララノって年頃の女の子だし。
一応、ララノにそれとなく「嫌だよね?」と聞いてみたら「私、がんばりますから!」みたいな斜め上の回答が返ってきた。
けど、絶対にダメだと思う。
というわけで、土壌改良や飲水確保が終わった現状、次に片付けるべき問題は住居問題──なのだけれど、どうやって解決すればいいのか見当もつかない。
危険なモンスターが多く、いつ瘴気が発生してもおかしくない「呪われた地」に大工さんなんて呼べるわけないし。
「……え? 住居ですか?」
地図を見ていたララノが首をかしげた。
昨日の悪天候とは打って変わり、気持ちが良い快晴の朝。
僕とララノは、農園敷地の状況確認のために地図を片手に周囲探索をしていた。
「うん。昨日みたいな雨が続いたら料理とか色々と大変じゃない? 前からちゃんとした住居を確保したいとは思ってたんだけど、早急に解決したほうがいいかなって」
「確かにそうですね。『トリトン』が来る前に頑丈な家を建てたほうがいいかもしれません」
「……トリトン?」
ってなんだろう。はじめて聞く名前だ。
「夏の終わりに吹く嵐のことをホエール地方では『トリトン』って呼んでいるんですよ。瘴気ほどではありませんが、大きな被害が出ることもあります」
夏の終りに吹く嵐──台風みたいなものだろうか。
王都も年に数回程度激しい暴風雨に襲われていたけど、特に名前はついていなかった。多分、ホエール地方独特の文化なんだろうな。
しかし、台風が来るんだったら住居問題はすぐにでも解決しないと。
「となると、やっぱり住居問題は早急に解決しておきたいね。何か良いアイデアは無いかな?」
「アイデアですか? ん〜、そうですね……美味しい料理を作るために広いキッチンは欲しいですし、地下に野菜が保管できる場所も欲しいですね」
「キッチンに貯蔵庫か」
貯蔵庫は言わずもがなだけど、確かに広いキッチンは重要だな。
ララノの美味しい料理がさらに美味しくなりそうっていうか──って、いやいや、そういうことじゃなくて。
「ごめん。そういう問題じゃなくて、どうにかして家を建てられないかな? ほら、街の大工さんとか呼べなさそうじゃない?」
「…………あっ」
勘違いに気づいたのか、ララノの耳がピコンと反応する。
「す、すみません! せ、せ、盛大に勘違いしていましたっ!」
「いやいや、僕の質問も悪かったと思うから気にしないで」
「でも、そういうお悩みならお力になれると思います」
ララノがふんすと胸を張る。
「あ、何か良いアイデアがあるの?」
「ええ、ありますとも! このララノめに、まるっとお任せくださいっ!」
「おお?」
何だ何だ?
いきなり変なテンションだけど、やけに自信満々だな。
「なんだか声に力が漲ってるね」
「はい! サタ様のお力になれそうなので嬉しいんです!」
「あ、そういうこと」
なるほど。
うん、見た目だけじゃなくて理由も可愛いな。
「わかった。それじゃあ住居問題はララノに解決してもらおうかな」
「承知しました! それでは早速……アオォォォォン……!」
ララノが空に向かって狼のような遠吠えを放った。
突然のことで面食らってしまったけれど、そういえばララノって狼の獣人だったね。いきなりの遠吠えは意味がわからないけど。
「ど、どうしたの? いきなり遠吠えなんかして──」
と、そこで続く言葉を飲み込んでしまった。
目の前にあった岩の上に、ピョコッとイタチのような動物が現れたからだ。
あれはハクビシンかな?
はじめてこんな近くで見るけど可愛いな。
もしかして、ララノのペット?
なんて思っていたら、またピョコッと別のハクビシンが現れた。
続けて岩の裏からタヌキみたいなやつ。
それに、キツネ、ウサギ、リス。
さらにさらに狼にサル、そこそこ大きい熊まで。
どこから来たのかわからないけれど、動物たちがゾロゾロと僕たちの周りに集まってきた。
最初は「可愛いなぁ」なんて微笑ましく思っていたけど、ここまで多いとちょっと怖い。
「……あ、あの、ララノさん?」
「はい」
「この方たちは?」
「私の仲間です」
「仲間」
なるほどなるほど。
うん、全然意味がわからん。
もしかして、家族とかなのかな?
でも、ララノの家族は大海瘴で行方不明になってるって言ってたし──って、流石に獣人でも動物が家族なわけがないか。
「ごめん、ちょっと状況がわからないんだけど」
「……あっ、すみません。サタ様にはお話していませんでしたね。実は私、『獣使い』という加護を持っていまして」
「獣使い? 動物と契約して呼び寄せたりできるっていう?」
「おお、ご存知でしたか! 流石は学者先生のサタ様です!」
「や、やめてよ。僕は学者なんかじゃないから」
少し前に会話の流れで魔導院時代のことを話しちゃったけど、それから妙な担ぎ上げをされることが増えてきた。
恥ずかしすぎるしやめてほしい。
こんなことなら秘密にしておいたほうが良かったかな。
って、そんな話はどうでもよくて。
つまり、ララノは獣使いの加護の能力で、今まで契約した動物たちを呼び寄せたというわけだ。
なるほど。状況はなんとなく理解できた。
根本的な部分はまだ理解できてないけど。
「それで、どうして動物たちを?」
「この子たちに家を作ってもらうんですよ」
「…………はい?」
流石に首をかしげてしまった。
確かに動物は家を作るのが得意という話は聞く。
この前ララノを襲っていたモンスター「アーヴァンク」の原型にあたるビーバーも「天才建築家」なんて言われているし。
だけど、それは動物を基準とした「住処」の話であって、人間が住める「住宅」の話ではない。
「安心してください。私が住んでいた集落でも、獣使いの加護を持つ獣人は『S級建築士』として重宝されていたくらいなんですから」
僕の不安を察知したのか、ララノが自信満々に答えてくれた。
それを聞いてしばし思案する。
根本的な不安の解消にはならなかったけど、前例があるのなら任せてみてもいいかな?
それに、わざわざ集まってくれた動物たちを追い返すのもちょっと可哀想だし。
「……わかった。じゃあ、お願いしてみようかな」
そう答えると、ララノの尻尾が嬉しそうにゆさゆさと動き出す。
「承知しましたっ! それじゃあ、みんな! いつもみたいに資材調達からお願いしますっ!」
元気よく手をあげて号令をかけるララノ。
周りの動物たちが鳴き声を上げて、一斉に動き出した。
「……おお?」
大きい動物たちが勢いよく川の方向へと走っていったと思ったら、大きな丸太を運んで帰ってきた。
熊は両脇に抱え、狼たちは枝を咥えてズルズルと引きずりながら。
なんだか凄い光景だけど、どこから持ってきているんだろう? 瘴気の影響で、近くには一本も木が生えていないけど。
「サタ様、家を建てる場所はここで大丈夫ですか?」
「え? あ、いや、テントを張っている辺りがいいかな?」
購入した土地は広大だからどこを拠点にしてもいいんだけど、あのテントの周辺には畑を作ってるし。
「承知しました! みんな! 私に付いて来て!」
「ちょ、ララノ」
「あっ、サタ様はゆっくり戻って来て大丈夫ですからねっ!」
「え? あ〜、うん」
ドドドと地鳴りを伴わせながら動物たちと走り去っていくララノ。
残されたのは困惑している僕ひとり。
「……大丈夫かな?」
意気揚々と動物の群れを連れていったけど、平気だよね?
テントとか畑、荒らしたりしないよね?
ララノたちのことを心配しても仕方がないので、とりあえず周囲の探索を終えてから、のんびりとテントに戻ることにした。
「……なんじゃこりゃ」
そこに広がっていた光景を見て、唖然としてしまう。
先ほどの動物たちが、器用に作業分担して家を建てていたのだ。
熊や狼などの大きな動物が物資を運び、サルやアライグマなどの手先が器用な動物が大枠を組み立て、体が小さなイタチやリスが細かい部分や高い部分を組み立てている。
実に壮観。
ていうか、目の前で起きていることが信じられない。
「なんだかすごいね、ララノ?」
ひときわ大きな熊に何か指示を出していたララノに声をかける。
僕に気づいたララノはえっへんと嬉しそうに胸を張った。
「でしょう? そうでしょう? この子たちは『名大工』ですからね。私の集落の家は、ほとんどこの子たちが作ったんですよ」
「へぇ、そうなんだ!」
家って言っても所詮は動物の巣でしょ? なんてバカにしてしまったことを心の中で謝罪した。
確かにこれは名大工だ。
資材をどこから持ってきているのかはわからないけど。
「ちなみにこの木材ってどこから持ってきてるの?」
「あそこに見える山からですね」
ララノが指差したのは、農園のはるか遠くにある山脈地帯だった。
こことは違って、木々が青々と茂っている。
「あの山はまだ瘴気が降りていないので、川を使ってあそこで伐採した木を運んでもらっているんです」
「なるほど、そういうことか」
ということは、あの山にもララノの加護によって仲間になった獣たちがいるってことだよね。
どうやって木を伐採しているのかわからないけど、熊みたいな大きな動物が木を倒しているのだろうか。それはちょっと見たい気がするな。
何にしても、伐採した木をここまで運べるというのはいい情報だ。
「ねぇララノ。例えばだけど、建築に使う分以外にも木材を持ってきてもらうことはできる?」
「え? あ、はい、できますけど……何に使うんです?」
「薪だよ。ここでは薪が作れないからね」
植物の一切が育たない呪われた地で何気に痛いのが薪を確保できないことだ。
飲料水は濾過器を使えばなんとかなるし、食料は畑で採れる。
だけど、木が生えていないので薪はどうすることもできない。
街で木の苗を買ってきて付与魔法をかけて植林してもいいけど、苗を買うくらいなら薪を買っちゃったほうが早い。
なので、次に街に行くときにまとまった数の薪を買っておこうと思っていたんだけど、動物たちが持ってきてくれるなら薪問題も解決しそうだ。
「ああ、そういうことですね」
ララノがポンと手を叩いた。
「わかりました! そういうことでしたら、このララノにまるっとお任せあれっ! 早速、明日から動物たちに運んでもらいますねっ!」
「うん。よろしくお願いします」
頼られたのが嬉しいのか、またしても変なテンションだ。
ハイテンションのララノは可愛くて目の保養になるから、こっちも嬉しくなる。
「じゃあ、家は動物たちに任せて僕たちは畑作業をしようか」
住居の建築はすぐに終わりそうじゃないし。
というわけでララノには収穫のお願いをして、僕は畑の拡張と種まき、それと俊敏力強化していない通常の成長速度の畝の「間引き」をすることにした。
間引きは成長が遅い小ぶりなものを取ったり、芽と芽の間の距離を取って成長を促す重要な作業だ。
ちなみに、間引きをした小さい野菜はお昼ごはんとして食べる予定。
人参だったらそのまま野菜スープに入れても美味しいし、野菜スティックみたいに食べても良い。
ちょっとマヨネーズが恋しくなってしまうけど。
この世界にマヨネーズはなさそうなので、作ってみてもいいかもしれないな。
でも、どうやって作るんだったっけ?
卵とオリーブ油とレモン汁を混ぜるんだっけ?
卵は生物だから街で買っても農園に持ってくる間に傷んでしまうから、農園で鶏を飼うのが懸命かな。
養鶏を始めるとすると、鶏に鶏舎、さらに彼らの毎日のエサが必要になるな。
何にしても、結構お金がかかりそうだ。
「……う〜ん、お金かぁ」
魔導院時代は贅沢とは無縁の生活をしていたし、この農園の土地も格安で購入することができたから、まだまだ貯金に余裕はある。
だけど、収入源は無いのでお金は減る一方だ。
畑では美味しい野菜が採れるけど、賄えない部分は多い。
例えばタンパク質。トウモロコシやブロッコリーで摂取できないこともないけど、やっぱり魚とか肉で取りたい。
料理のレパートリーも増えるしね。
他の賄えないものと言えば消耗品だ。
農具は僕の付与魔法のおかげで壊れることはないけど、燃料や衣類、それに畑で使う肥料や種も必要になる。
やっぱり快適な農園スローライフを送るためには、収入源は必要だ。
「どうしたんですか?」
色々と悩んでいると、トウモロコシの影からララノがヒョイと覗いてきた。
「何かお悩み事でも?」
「もう少し畑の畝の数を多くしたほうが良いのかなって」
「畝、ですか……」
ララノも畑を見渡す。
「収穫量、少ないですかね? 二人分ならまかなえてると思いますけれど」
ララノの足元にあるカゴにはすでに多くの野菜が入っている。
付与魔法で成長速度を加速させている畝の野菜は毎日収穫できるので、僕たちの食事は十分まかなえている。
「たくさん野菜を作って余剰分を売ろうかなって。ほら、燃料とか消耗品とか、ここで賄えないものはお金を出して買う必要があるじゃない?」
「……あっ、そういうことですね。確かに種や肥料も買う必要ありますし、それを考えると畑を増やして野菜をたくさん収穫できるようにしたほうがいいかも」
「だよね」
「その分、収穫が大変になりそうですけど」
「……だよねぇ」
問題はそこなのだ。
収穫量が増えれば余剰分を換金することができる。
だけど、換金する分の野菜を追加で育てないといけないのだ。
今でこそ半日程度の作業で終わっているけど、畑が増えれば丸一日、農作業に時間を使わなければいけなくなるかもしれない。
「仕方ない。スローライフを続けるためにも頑張るか」
「畑の作業時間を増やすんですか?」
「人手を増やす余力はないからね。かといってララノに無理をさせるわけにもいかないし、僕がなんとか頑張るしかないよ。付与魔法を使えば平気だし、多少の無理は──」
「ダメダメ! 絶対ダメですよ!」
トウモロコシの陰から飛び出してきたララノが、僕の両腕をがっしりと掴む。
「私がやるのは良いですけど、サタ様はだめですから!」
「ど、どうして?」
「だって、のんびりとした時間を過ごすためにホエール地方に来たのに、無理をして頑張るなんて本末転倒すぎるじゃないですかっ!」
「……あっ」
指摘されてハッと気づいた。
確かにララノの言う通りだ。
僕がやろうとしていたことは、「スローライフをするためにスローライフを辞める」と同義のこと。
まさに本末転倒。これじゃあ、ベランダ農園を頑張りすぎるあまり少ない睡眠時間をさらに削っていた社畜時代と同じじゃないか。
命を落としてしまったのも、あの無理があったからだ。
だからこそ、この世界ではゆっくりのんびりと生きようと思ったのに。
ああ、僕のバカ。
また同じ失敗をしてしまうところだった。
「お会いしたときから思ってたんです。サタ様はすごく真面目で頑張り屋さんですけど、やりすぎてしまうところがある気がします。付与魔法があるとはいえ、いつか体を壊してしまいますよ?」
「うぐ……」
「がんばるのはやめてください。仕事は適度に。わかりましたか?」
「わかったよ。気をつける」
「はい、よろしい」
満足そうに微笑むララノ。
それを見て、なんだか心が暖かくなった。
すごく新鮮な経験だった。
過去……特に社畜時代は頻繁に上司から怒られていたけれど、こんな風に叱られる経験はなかった。
感情的に怒られるんじゃなくて、諭されるように叱られるのって、優しさを感じてなんだか嬉しい。
いや、決してMっ気があるってわけじゃないんだけどね?
「……あ、そうだ」
ララノが何かを思いついたように、ポンと手を叩いた。
「増やした畑の収穫をあの子たちに手伝って貰うというのはどうですか?」
「あの子たち?」
「動物たちですよ。彼らに手伝ってもらったら畑が広くても収穫はすぐ終わるんじゃないですかね?」
「……ああ、そういうことか」
家を建ててくれている動物たちを見る。
確かに彼らは家を建てられるくらい器用なんだから、野菜の収穫なんてお手の物だろう。だけど、任せて平気なのかな?
「野菜、食べたりしない?」
「言って聞かせれば大丈夫です。集落では動物たちに食料庫の警護をお願いしていたくらいなんですから」
「動物が食料庫の警備?」
何それちょっと賢すぎない?
人間の僕だって、腹が減ったらつまみ食いしそうなのに。
でも、それだったら動物たちにお願いしてもいいかもしれない。
人件費もかからないし、エサを少しあげれば彼らも満足だろう。それに、熊や狼がいれば畑を荒らす害獣も寄り付かなくなるだろうし、一石二鳥だ。
「それだったら安心できるね。是非動物たちにお願いしたいな」
「承知しました。では、早速手伝ってもらいますか?」
「いや、畝を十本くらい増やしてからお願いしたいかな」
「わかりました。いつでも呼べるので必要になったら声をかけてください」
「うん、ありがとう」
ニッコリと微笑んで、トウモロコシの収穫に戻るララノ。
そんな彼女を見てつくづく思う。
ララノが農園に来てくれて、本当に良かった。
住居問題に薪問題、それにお金問題まで一気に解決しそうだ。
さらに彼女のお陰で食事の質が向上しているのがとてつもなく大きい。
僕の料理なんか足元にも及ばないくらい、ララノは料理が上手かった。
おまけに、毎日違うレシピが出てくるから凄い。
トマトを使った鶏肉の煮込み。
ナスとピーマンを使った肉炒め。
パプリカのチーズ焼き。
キュウリとキャベツの酢漬け。
パン生地とトウモロコシ、チーズを使ったピザみたいなやつ。
他にも色々と作ってもらったけど、お店で出しても良いレベルの料理ばかりだった。
「……あっ」
ララノの料理のことを考えていたら、盛大に腹の虫が鳴ってしまった。
それを聞いたララノがクスリと笑う。
「お腹空きましたね?」
「あはは、そうだね。もうお昼だし」
「では、休憩にしますか?」
「うん、そうしよう」
自由な時間に作業を始めて、自由な時間に休憩する。
それに文句を言う人間はどこにもいない。
これぞスローライフ。
畝の拡張はお昼を食べた後にすることにして、収穫した野菜を持ってテントへと戻る。
いつものように、川から汲んできた水で野菜の土を落として、それから濾過器で綺麗にした飲水で細かく洗う。
「今日は何を作る予定なの?」
ピーマンを洗いながら、火をおこしているララノに尋ねた。
「えっと……今日はトマトペーストを使った野菜の煮込みを作ろうかと」
「おお、トマトペースト!」
って、たしかケチャップみたいなやつだよね。
この世界にはケチャップはないみたいだけど、どうやって作るんだろう?
「ララノって、トマトペーストも作れるんだ?」
「はい。集落にいた頃に何度か作りました」
「へぇ! ちなみに、トマトペーストってどうやって作るの?」
「トマトをじっくり煮込むだけですよ。パスタと相性がいいので、そっちもぜひサタ様に食べて欲しいんですが……パスタは街に行かないと買えないんですよね」
そういえば院にいたとき、何度か生パスタを食べたことがあったな。
現代みたいに「乾燥パスタ」があればここでも美味しいスパゲッティが食べられそうだけど、残念ながら無いみたいだし。
魔法でできたりしないのかな。
とりあえずパスタはまた今度ということにして、洗った野菜をララノに渡した。
早速ララノは採れたばかりのトマトをざく切りにしてフライパンに乗せ、オリーブオイルを入れて炒めはじめた。
「じゃあ、僕は他の野菜を切っておくよ」
「あ、助かります」
使う野菜は玉ねぎにパプリカ、ズッキーニ、ナス。
それらを一口サイズに切っていく。
全ての野菜を切り終えたくらいで、トマトペーストが完成したようだ。
「料理、見てても良い?」
「は、はい、大丈夫ですけど、なんだか緊張しちゃうな」
「あ、ごめん。だったら違う作業を」
「いえ! 見ていてください! 私、がんばれますから!」
むんっと力こぶを作るララノ。
可愛く気合を入れたところで、ララ野はは完成したトマトペーストを皿に移し、今度は玉ねぎを炒め始める。
そこにパプリカやズッキーニを入れて、全体がしんなりしてきたら鍋に移して最後にトマトペーストを投入。
白ワインにハーブ、それに塩コショウを入れて三十分ほどじっくり煮込む。
「……はい、これでトマトペーストを使った煮込み野菜の完成です」
「おおっ」
ララノが鍋の蓋を開けると、なんとも美味そうな香りが広がった。
その香りに釣られてか、動物が何匹かやってきた。
ララノは彼らに少しだけ彼らにおすそ分けして、僕たちふたり分を皿に分ける。
簡易テーブルの上に料理とワイン、それに二人分のパンを用意して席につく。
「では、いただきます」
手を合わせると、不思議そうにララノが僕を見ていることに気づく。
「……どうかした?」
「あ、いえ、前から気になっていたんですが、その『いただきます』という挨拶はどういう意味なのでしょうか?」
「え? あ、これ? ええと……作物と料理を作ってくれた人への感謝の挨拶的な?」
「感謝ですか。いいですね。それってサタ様の故郷の習慣なんですか?」
「あ〜、うん、そうだね」
そう言えば、この世界ではご飯を食べる前の「いただきます」がないな。神様への祈りを捧げる人はいたけど、そういう習慣がないのかもしれない。
「じゃあ私も」
ララノが僕のマネをして、両手をそっと合わせる。
「この美味しい野菜を作っていただいたサタ様に、感謝のいただきます……」
「いやいや、この野菜を作ったのは僕だけじゃないから。ララノのお手伝いがあってこそだし」
「それでは、お互いにいただきますをしましょうか」
「そうだね」
僕たちは笑い合って一緒に手を合わせる。
早速、皿にもられた野菜を頬張った。
「あふぉ……」
思わず至福のため息がでてしまった。
ピリッとしたトマトの酸味の後に、野菜の甘みと旨味が口の中に広がる。
野菜だけでも美味いのに、ララノの味付けで更においしくなっている。なんとも贅沢な味の共演だ。
「いやぁ〜……相変わらずララノの料理って美味いなぁ」
「ほ、本当ですか!?」
スプーンを咥えたまま、ピコンとララノの獣耳が反応した。
「やっぱり僕が作る料理とは大違いだよ。ララノは良いお嫁さんになれるね」
「お、およよ……っ!?」
顔を真っ赤にしたララノが、今度は尻尾をブンブンと振り回しはじめる。
ララノは感情が顔に出るタイプなんだけど、顔よりも先に尻尾に出るのが面白い。流石は狼の獣人だな。
「サ、サ、サタ様は、りょ、料理が出来る奥さんは素敵だと思いますか?」
「……え? あ〜、まぁそうだね」
出来なくても別に良いけど、できたなら嬉しいかな。
まぁ、しばらくはのんびりスローライフを謳歌したいし、お嫁さんなんて貰うつもりはないけど。
……なんて偉そうに言ったけど、お嫁さんになってくれる女性なんて近づいてこないってのが実情なんだよね。
生前で三十二年と、こっちの世界で二十三年。
合計五十五年の独身貴族です。
「わ、わかりましたっ!」
何がわかったのか、ララノがむんと胸を張って意気揚々と続ける。
「私、がんばりますからっ! ララノにまるっとお任せあれ! ですっ!」
「あ、うん。え〜と、がんばって……?」
よくわからないけど、何をまるっと任せて欲しいんだろう。
もしかして、結婚相手を探してくれるとかなのかな?