前回のあらすじ
閠が見た痛みの形、そして希望の形は、雷を伴う剣の形をしていた。
「父は不器用な人だったよ。人を愛することができなくて。人の真似をすることができなくて。人であることを何とか苦労してこなしているような、そういう人だった」
目を覚まして、ぼんやりした頭でぽつりぽつりと語ったのは、父のことだった。
「私は最期まで、父のことがよくわからなかった」
父はいつも変わらない質問を繰り返した。
「変わりはありませんか」
「困ったことはありませんか」
「何か必要なものはありませんか」
そして私が返すのはいつも同じ。
特に、何も、大丈夫です。
自分が死ぬとわかっていただろう、あの最後の夜でさえも、父の問いかけは変わらなかった。
あの質問は、いったい何だったんだろうか。
どうして父は、私の答えに満足したのだろうか。
リリオは少しの間考えて、そしてこう答えた。
「安心したんじゃないでしょうか」
「安心?」
「ウルウのお父様は、きっと、娘のウルウのことも、理解できなかったんだと思います。だからいつも聞いていたんです。言葉にして、ウルウのことを理解しようと」
「私のことを?」
「ええ。だから本当に、きっと文字通りのことを尋ねていたんですよ」
文字通りの、こと。
「変わりはありませんか」
「困ったことはありませんか」
「何か必要なものはありませんか」
ああ、そうだ。
意味なんて、決まっているじゃあないか。
そのままだ。
そのままに決まっている。
変りはないか、困ったことはないか、必要なものはないか、ただそれだけのことを、尋ねていたに過ぎないじゃあないか。
娘を案じる、父の問いかけに、深い意味なんてあるものか。
「だから、大丈夫だよって答えたウルウに、安心したんですよ。もう自分がいなくなっても大丈夫だって」
そんな、そんなことはなかった。
ただ他に応える言葉を持たなかっただけで、私は全然大丈夫じゃなかった。
私は父のことを理解できなくて、父も私のことを理解できなくて、それでも父は私の父で、私は父の娘だった。
私たちは愛の形を知らなかった。互いの愛を理解できなかった。
けれど。
それでも。
それが愛だったというのならば、私たちは確かに愛し合っていたのだと思う。
あの問いかけは、そのまま娘を案じる問いかけだった。
それは、きっと父なりの愛してるだった。
私はいつも同じ答えを返していた。父を不安がらせないようにと、大丈夫だと。
それは、きっと私なりの愛してるだった。
「私、不安だったんだ。私は要らない子だったんじゃないかって。母を殺して生まれてきたんじゃないかって」
「ウルウ、それは、」
「ずっと思い出さないようにしてた。でも、違ったんだ。母は、母は確かにこう言ってたんだ」
この子の名前は閠よ。
閏年の閠。
足りない一日を補って、一年を綺麗に回してくれる。
きっとこの子は、人のことを思い遣れる子に育つわ。
暦はここで終わるけど、でもそれは閠に任せてお休みするだけ。
軅飛君のことをよろしくね、閠。
「私は、ずっとその言葉から目を逸らしてた。余り物の閠って、そう言われた方が納得できたから」
でも、それでも、思うのだ。
母が望んだように、私は父の閠になれただろうかと。
「……さあ、それはわかりません」
でも、リリオは優しくなんてない。
「それはウルウの痛みですよ」
ああ、そうだ。
その通りだ。
それは私がこの先、ずっと抱えていかなくてはならない、そして私以外の誰にも譲ってあげられない、私だけの痛みだ。この見えない痛みこそが、私が確かに受け取った愛なのだ。
この痛みが、私なんだ。
「いい話っぽいところ申し訳ないんですけど、そろそろこの猛犬どうにかしてもらえませんかね」
「それはパフィストさんの痛みということで」
「参ったなあ」
「がるるるるる!」
余韻は台無しだけど、元凶であるパフィストは現在怒り狂ったトルンペートに追いかけられて、ナイフの雨をかわし続けているところだ。
さすがに私たち駆け出しとは違い凄腕の冒険屋だけあって歯牙にもかけていないが、まあ、殴り飛ばしたい気持ちは同じだし、しばらくはああして遊んでもらおう。
……いや、気持ちだけじゃなんだし、折角だから私も殴りに行こうか。
「いや、さすがに二対一はどうかと」
「じゃあ三対一で」
「うへぇ」
‡ ‡
とまあ、ことの顛末はそのような次第でしたよ。
え? やりすぎ?
やだなあ、僕らだって同じ経験積んでるじゃないですか。
遅かれ早かれ経験することなら、早いうちの方がいいですよ。
それに、結局合格させたいんですか? それとも失格させたいんですか?
僕はどちらでもいいんですけれど、あなたはそうもいかないでしょう。
煮え切らない態度は自分の首を絞めますよ、メザーガ。
やあ、怖い怖い、僕に当たらないでくださいよ。
ウールソの試験は真っ当な形になるでしょうし、そうなるといよいよ時間はないですよ、メザーガ。
ああ、いたた、まさか二発も喰らうとは思いませんでしたよ。
顔は止めてくれって言ったんですけどね。
約束通り、しばらくは有給貰いますからね。
用語解説
・ファントム・ペイン
幻肢痛。失ったはずの手足に痛みを感じる症状の事。
ここでは失ったものを痛みという形で抱え続けていくことを指している。
前回のあらすじ
痛みの形、痛みの名。
それぞれの痛みを受け入れ、あるいは乗り越え、《三輪百合》は見事キノコ狩りに失敗するのだった。
「キノコ狩りしましょう」
「懲りてないの?」
「あれはキノコに狩られかけた奴じゃないですか! 今度はもうちょっとこう、安全な奴ですよ!」
この世界における安全という言葉の基準に関していろいろと確認が足りていない気がするのだけれど、多分リリオ基準の安全は私から言わせれば「大いに疑問の余地あり」だな。
「で、今度は何? 二本足で歩くキノコ?」
「さすがに湿埃の人は食べないですよ」
「なんて?」
久しぶりにニューワードが出てきたので小首を傾げれば、さすがに察し良くリリオも説明してくれる。
「湿埃というのは隣人種の一つです。といっても、森の奥深くに住んでいるので、あんまり人族と生息圏が重ならないんですけれど」
「里湿埃ってのはいないの?」
「うーん、聞いたことないですね。というか、湿埃って個人という概念が乏しいんですよ」
詳しく聞いてみると、どうもこの湿埃という隣人種は、キノコや菌類の仲間であるらしい。というか人型のキノコと言っていいらしい。厳密には地中や木々に根を張った菌糸がその本体で、人型の部分は子実体、つまりキノコにあたり、要するに遠隔操作のお人形であるようだ。
隣人種とは言っても他の隣人たちと比べてかなり価値観や精神構造が異なるらしく、森の中で行き倒れた旅人の死体なんかに寄生して苗床にしたり、そのまま遠隔操作の人形のガワとして使ったり、忌み嫌われるようなことを悪意なくやったりするらしい。
とはいえ、別に敵対的ということはなく、生きている隣人種に攻撃を加えたり価値観を押し付けたりということもなく、単に死生観や価値観がどうしても違い過ぎるということらしい。
それで、個人という概念が乏しいという部分だが、これはなかなか面白かった。
湿埃の本体は地中の菌糸だといったが、この群体は菌糸が繋がっている限り全て同じ個体であり、そこから生み出される子実体もまた同じ群体の意識を反映しているものであるらしい。なので同じ群体から生み出される湿埃の人形たちは等しく「私たち」であって、「私」という個体感覚で行動することはないそうだ。
うーん。
人形とか子実体とかいう言い方をするから分かりづらいのかな。
言ってみればこの子実体は、人の形をしているけれどあくまで本体から切り離された手足なのだ。手足がそれぞれに意識を持つことはない。まあその場その場で状況判断する程度の意識はあるんだろうけれど、それは自我ではない。あくまでも本体に遠隔操作される手足なのだ。
で、この湿埃の群体は基本的に地域ごとに一つずつしかないようで、というか広すぎる範囲を侵食しているのであんまり近いと競合してしまうようで、「他の湿埃の群体」と遭遇することが稀過ぎて、いまいち人付き合いというものがわかっていない節があるらしい。
「あ、でも、これは経験次第ということでもあって、人族と昔から付き合いがあって人慣れしている群体もあるそうですよ」
「人慣れ」
「これなんか有名ですよ」
と言って渡されたのは何の変哲もない紙切れである。
「それ作ってるの、中央部の湿埃らしいですよ」
「……紙を? なんで?」
「それ菌糸で作ってあるらしいです」
「…………!?」
やけにきれいな紙だと以前から思っていたが、植物紙どころかキノコ紙であったらしい。
「え。それってつまり、血肉を削って作ってるようなもんじゃないの?」
「というよりは、伸びすぎた爪とか髪とかを切って再利用してるような感覚らしいですね」
そんなものなのか。
こうして改めてみても、とてもキノコがキノコから作っている紙とは思えない。コピー用紙ほど、とは言わないけれど、非常に品質の高い紙だ。どこかで大規模に紙漉き、下手すると工場でもおっ立てているのかと思っていたが、まさか菌類産の紙だとは驚きである。
「何気に湿埃の作る紙って、水に濡れても破れにくいし、変質もしないし、火にも燃えにくいと羊皮紙より便利な所も多いんですよね」
「え? それが? そんな高品質の紙がこんな安価で出回ってるの?」
「湿埃からするとお風呂入って垢落とすのと同じ感覚らしいですから」
「馬鹿なの?」
紙というのがどれほど偉大な発明なのか理解していないにもほどがあるのではなかろうか。人族も人族でこの偉大な発明を安易に受け入れ過ぎだろう。
あ、そう言えばこいつら紙の方が先に大量に入ってきたせいか、いまだに活版印刷も発明できてないから有効活用できずに持て余してやがるのか。そりゃ塵紙が安値で店頭に並ぶわ。助かるけど。助かるけど!
本が全部手書きによる筆写か、魔法による転写しかないんだよなこの世界。魔法による転写ってすごそうだけど、術者頼りだから大量生産に向かないんだよな。いや、まあ活版印刷とかに比べてって話ではあって、これでも筆写より恐ろしく速いは速いんだけど。
あーでも中央から入ってきた本とか、たまに印刷っぽいのがあったりするから、一部では活版印刷機とか出回り始めてるのかな。もっと活用しろよ文明の灯だぞ馬鹿野郎。
これだけ優秀な紙が八割近く塵紙にしか使われてないって文明に対する叛逆だとすら思えるね。
「湿埃すごいな……ホントすごいな……」
「ウルウがここまで素直に感動してるの久しぶりに見ました」
「もう森に足向けて眠れないな……」
「え?」
「湿埃すごいなって話」
「はあ」
自動翻訳が便利過ぎてたまに忘れるけど、たまに慣用句とか通じないことがあるんだよな。慣用句くらいならまあ説明すればいいから困らないんだけど、ジョークなんかが通じない時は困る。
私からジョーク言うときってあんまりないからそっちはいいんだけど、向こうから異世界ジョークかまされても、下手すると私の方がジョークだと気づかずにスルーする場合さえあるからな。
幸いにして、今のところ慣用句とかことわざとかをこれ見よがしに使ってくるキャラ付けの奴とは遭遇してないから助かるけど、もし今後そういうやつと遭遇したら私はどうすればいいんだ。慣用句辞典とか買わないといけないのか。そんな面倒くさいキャラ付けの奴と会話するとか、それだけで日が暮れそうだ。
「で、なんだっけ。湿埃って食べられるかって話だっけ」
「いい出汁は出そうですけど……っていくら何でも猟奇的過ぎますよ!」
「ああ、そうなんだ」
人に似た形してても小鬼とか豚鬼とかは普通に害獣として始末するのに、人と根本的に価値観の違う群体生物は隣人扱いするっていう感覚がいまだによくわからない。
交易共通語を与えられることで隣人という枠組みができたらしいから、言葉通じない奴はぶっ殺していいという風に神様が決めた、と判断しているのかもしれないが、どこの鬼島津だこいつら。
もし自動翻訳が働いてなかったら、私リリオに殺されてても文句言えなかったんじゃなかろうか。そこまでひどくなくても、頭のいい愛玩動物くらいの扱い受けてたかもしれん。いまの私がリリオを半ばそういう目で見ているように。
「キノコ狩りですよキノコ狩り! パフィストさんのせいで前回はあんまり楽しめませんでしたから、折角の秋の味覚を楽しみたいんですよう」
「あんまりとか言えるあたりほんとリリオって図太いよね」
いまだにパフィストのクソにさん付けしてるあたりもそうだ。
あれだけ一方的に上から目線で試験とかなんとか言われて、一発ぶん殴っただけで以前と同じ付き合いができるリリオの神経は見習い……たくないな、別に。うん。トルンペートとか露骨に毛嫌いしてるし、私も積極的にお喋りしたい相手ではない。
パフィストの嫌な所は、あれが悪意からやったことじゃなくて、純粋に冒険屋の先輩として試しただけというその一点だよな。そりゃ天狗が嫌われるわけだわ。
「しかし、キノコ狩りねえ」
「山菜狩りとか、害獣狩りとか込みでもいいですけど」
「なんらのお得感も感じない」
「いまなら可愛いリリオちゃんがついてきますよ!」
「いつもついてるでしょ」
さて、ともあれ暇なのは確かだ。
季節はめっきり秋となり、冒険屋は秋の収獲依頼でこぞって山へ消えたが、街中のドブさらいや迷子のおじいちゃん探しといった依頼には、農閑期で暇になった農民たちによる季節冒険屋たちがわんさと集まってきている。臨時冒険屋たちの需要にたいして、依頼の供給は少ないといった具合だ。
「良いですなあ、キノコ狩り。この時期のヴォーストはやはり山の幸が、旨い」
「あ、やっぱりそうですか?」
「うむ、うむ。拙僧も依頼がないときはよく山に籠って山の幸を楽しんだもの。良いものですぞ」
「今のヴォーストでおいしいものというと何ですか?」
「そうですなあ。定番と言えば定番ではありますが、角猪など脂がのって食い頃かと」
「角猪……! 夏にも食べましたけど、やっぱり秋ですよねえ!」
「うむ、うむ。脂の乗りが違いますからなあ。それに餌が違う。団栗の類を好んで食う猪肉は、味が別物と言っていいですな」
「ふわぁ……ウルウ、ウルウ! やはり秋と言えば山の幸ですよ!」
「あっさり乗せられてやがる」
しれっと乙女の会話に入り込んできたのは、私よりも頭一つは大きい熊の獣人ウールソであった。幅などは私二人分くらいはありそうな巨漢であるくせに、気配も立ち居振る舞いも静かで、それこそ最初にすれ違った時は熊木菟が人に化けたのかと思うほどだった。
「まあ、まあ、そう仰るな。嫌なことは面白きこととまとめてしまった方が飲み下しやすいもの」
「というと……あんたもやっぱり?」
「僧職の身と言えど、何しろ雇われでもありますからなあ。所長殿のご依頼とあらば致し方なし」
試験の時間であった。
用語解説
・湿埃(Fungo-Ringo)
森の神クレスカンタ・フンゴの従属種。巨大な群体を成す菌類。
地中や動植物に菌糸を伸ばし繁殖する。
子実体として人間や動物の形をまねた人形を作って、本体から分離させて隣人種との交流に用いている。元来はより遠くへと胞子を運んで繁殖するための行動だったと思われるが、文明の神ケッタコッタから人族の因子を取り込んで以降は、かなり繊細な操作と他種族への理解が生まれている。
群体ごとにかなり文化が異なり、人族と親しいものもあれば、いまだにぼんやりと思考らしい思考をしていない群体もある。
・キノコ紙
帝国中央部に生息する湿埃の一群体は、極めて珍しいことに人族と里を同じくする里湿埃である。この一群はかなり以前から人族との交流があったようで、人族の価値観をかなりのレベルで理解しており、一方でこの里の人族も湿埃の文化に対して高い理解を示している。
例えばこの里の人族は埋葬を全て湿埃の群体に埋め込むという形で行っており、若く傷の少ない死体などはそのまま人形の素体として使われることもあるという。
この里では古くから川辺まで侵食してしまった菌糸が水に流されるという事例があったのだが、この菌糸を回収して糸車で紡いで織物にしてみたところ好評。このことから菌糸織物や菌糸紙などが発展し、近代では帝国内の紙の需要の七割近くはこの菌糸紙であるという調査報告がある。
性質としては、水濡れしても破れにくく変質も少なく、また火にかけても燃えづらいという特色がある。
実はまだ生きていて、湿埃間でだけ理解できる言語を用い、密かに帝国の内情を傍聴している、などという噂があるそうだ。
・転写魔法
水属性の魔法。紙に書かれたインクに魔力を通して形状を記憶し、インクツボの中のインクにこの記憶を転写。別の紙にこのインクを魔法で走らせて、記憶通りの形に並べる、というのが大雑把な理論。
術者の技術次第だが、熟練の術者だと日産十冊とか二十冊とか平気でやる上に、筆写と比べて誤字脱字等もかなり少ないため、まだそこまで書籍に需要がないこの世界では活版印刷の必要性が乏しいようだ。
それでも帝都などを始めとして印刷技術の開発は行われているようではある。
・・豚鬼(Orko)
緑色の肌をした蛮族。魔獣。動くものは基本的に襲って食べるし、動かないものも齧って試してから食べる非文明種。
人族以上の体力、腕力と、コツメカワウソ以上の優れた知能を誇る。
角猪を家畜として利用することが知られている他、略奪した金属器を使用する事例が報告されている。
・団栗(Glano)
ブナやカシなどの木の実の総称。いわゆるドングリ。
我々が良く知る大人しいドングリの他、爆裂種や歩行種、金属質の殻に覆われたものなども存在する。
・獣人(nahual)
文明の神ケッタコッタを裏切りその庇護を失った人族が、獣の神アハウ=アハウ(Ahau=ahau)に助けを乞い、その従属種となった種族とされる。
人族に獣や鳥、昆虫の特徴を帯びた姿をしており、これはその特徴のもととなる動物の魂が影の精霊トナルとして宿っているからだという。
トナルは生まれた時に決定され、これは両親がどのようなトナルを宿しているかに関係なく決まる。そのため、熊の獣人と猫の獣人からカマキリの獣人が生まれるということも起こりうる。とはいえ、基本的には接触することの多い同じトナルを宿して生まれてくることが多い。
どの程度獣の特徴が表出するかは個人個人で違うが、訓練によって表出部分を隠したり、また逆に獣の力を大きく引き出すこともできるとされる。
前回のあらすじ
懲りずにキノコ狩りに挑戦しようとするリリオ。
それに便乗して試験を持ち掛けてくるウールソ。
なんだこれ、と思わずにいられない閠であった。
「今度は妙な魔獣は出ないだろうね」
「そう言うと思いましてな。場所の選定はトルンペート殿にお任せし申した」
「任されたわ」
「なら安心だ」
「そして今なら可愛いリリオちゃんもついてきます」
「なら心配だ」
「なーにをー!?」
さて、善は急げと準備を整える必要もなく、我々は早速山へやってきました。何しろ前回ろくにキノコ狩りする前に全員意識を刈り取られるという状況に陥ったため、道具はほとんどそのまま残っていたからです。ならばあとは食い気だけ、もとい勇気だけです。
さすがに二度目となると私たちも警戒していたのですけれど、ウールソさんは至って鷹揚で、場所決めに関しても私たちの選定にこれと言って口を出すこともなく、精々ここはこれこれこういうものが採れますなだとか、この辺りは鹿雉を見かけることがありますなだとかそういう助言を頂けたくらいです。
私は山慣れしていますし、トルンペートも養成所でみっちりしごかれただけあって基本は抑えていますけれど、やはり地元の人ならではの知識や経験は大事です。
最終的にはウールソさんに角猪のよく見かけられる当たりを教えてもらって、その中から選定するという形をとりました。
私たちはもうすっかり慣れた足取りで山に踏み込み、息の合った連携で見事にぐいぐい進み、目的地へたどり着きました。いろいろはしょったのは私が道を間違えかけたり、好奇心に駆られたウルウが行方不明になりかけたりしたあたりですのでお気になさらず。
さて、目的地となるのは、川から少し離れた開けた地点でした。
私たちはここに野営を張り、拠点とするつもりなのでした。
旅の最中でしたら、野営地というものはもう少し日が傾いてから決めるものですけれど、今日はどっしり腰を据えて狩りをし、採取を行い、腹を満たすのが目的ですから、先に野営地を決めてしまうのが良いのです。
野営地として開けているというのは大事ですけれど、川から少し離れているというのも大事です。
川からあまり離れていると水に不便しますけれど、あまり近すぎるとこの季節は冷え込んで仕方がありません。このあたりの塩梅は難しいものですけれど、なにしろここは辺境近くとしては都会にあたるヴォーストのお膝元。すでにたくさんの冒険屋や狩人たちが利用した形跡がある安心安全の野営地です。
「変な魔獣も出ないでしょうしね」
「いやあ、その節はパフィスト殿がご迷惑を」
ちょっとした毒を吐いてしまいましたが、ウールソさんは鷹揚です。というかもはやパフィストさんの悪行三昧に関してはお手上げのようです。いや、あれで本人は全く悪意も悪気もないどころか良いことをしたと思っているくらいらしいですから、そりゃあお手上げにもなるでしょうけれど。
さて、私たちは早速手分けしてここを立派な野営地とするべく準備を始めました。
まず、ウールソさんは監督役として口は出すけれど手は出さないということで休んでいただきます。これはパフィストさんという悪い前例があるのでトルンペートが警戒したのもありますけれど、ウールソさん自身がお手並みを拝見したいとのんびりおっしゃったからで、これはちょっと緊張します。
何しろ熟練の冒険屋と比べられた時に自分たちの手際がどんなものかというといささか自信がありません。ましてやその熟練の冒険屋にじっくり眺められながらとなると、緊張します。
トルンペートも少し視線は気になるようですけれど、それでもさすがは教育を受けた武装女中。見ていてほれぼれする程の所作であっという間に竈を組み上げ、道々拾ってきた枯れ枝で焚火を組み、早速火をつけています。今日の夕食は角猪鍋にすることが決まっていますので、いくらか大きめに竈は組まれていますね。
焚火というものは野営でまず一番大切と言っていいでしょう。何がなくても火は大事です。獣避けにもなりますし、何より暖を取るというのは人間の体にとって不可欠です。いまは秋なので勿論ですけれど、夏であっても夜というものは冷えるもので、寝入っている時の人の体というものは思っている以上に冷たくなるもので、ここに焚火の暖があるとなしとでは大いに変わってきます。
まして冬場ともなれば、大真面目に命にかかわります。
さて、こちらは人の視線など全く気にしていないかのようで、その実全てから目を逸らして心の平衡を保っているウルウですけれど、《自在蔵》をごそごそとあさって何か取り出し、取り出し……ました。はい。取り出しましたけれど。
えーと。
「ウルウ、それは」
「テント」
「テント」
「えーと、天幕」
「いや、わかりますけれど」
そりゃあ見ればわかりますけれど、でもまさか組み上げた状態の天幕をそのまま《自在蔵》から引きずり出すとか誰が思うでしょうか。それも二張り。
慣れない仕草で、それでもしっかりとした手順で杭を打って固定していくウルウの背中はなんだか初々しくて愛らしいものですけれど、それはそれとして相変わらず出鱈目なウルウにちょっと呆れもします。
「いやはや、話には聞いておりましたが、これは豪快ですなあ」
ウールソさんもこれには苦笑い。
そり上げた頭をつるりと撫で上げながら眺めておられます。
天幕は、ウルウの不思議道具なのでしょうか。つやつやと奇妙な光沢がありながら、しっとりとした暗色で悪目立ちするということがありません。触ってみても、布のようで布でなし、革のようで革でなし、なんだか不思議な手触りです。
「これは《宵闇のテント》」
あっ、はじまりました。ウルウのいつもの詩吟です。詩吟っぽい独り言です。いや、ちゃんと聞いてますけれど。
「夜の闇に溶け込むこのテントは、魔物の目から逃れ、ささやかな憩いの時を旅人に与えるだろう」
なるほど。つまり気配を遮断して、魔獣や害獣に気づかれにくくする効果があるようです。
「そして快眠+3」
「快眠+3」
よくわかりませんがぐっすり眠れそうなのは確かです。
「組み分けどうしましょうか」
「……うーん。図体の大きさ的に、大きいのと小さいので分けようか」
「いや、拙僧も僧職の身なれど男でありますからな、御三方で使っていただいて」
「いや、さすがにそういう不公平は良くない」
「でも無理に同衾するというのも、ウルウの言っていたせくしゃるはらすめんとなのでは?」
「で、あるよねえ」
「これだけ大きい天幕ですし、小さいの二人と大きいの一人なら何とか入るんじゃ?」
「まあパーティ用だしなあ、もともと」
すこし相談して、結局一張りをウールソさんに使ってもらい、もう一張りを私たち《三輪百合》で使うことにしました。
「見張りは立てなくていいの?」
「この辺りは人の往来も多い故、魔獣も盗賊もまず出ませんからなあ」
「角猪は?」
「少し歩いて狩りに行く必要がありますな」
「では早速! 早速狩りに行きましょう!」
「血の気が多いなあ」
「食い気の方では?」
「違いない」
「なーにをー!?」
でもまあ、間違いでもありませんので反論もできません。血の気も食い気も十二分でありますから。
食い気。そういえば狩りが成功することを前提で考えていましたが、失敗した時のことも考えて罠でもかけておきましょう。鼠の類でも捕れればもうけものです。
「ほう、罠をおかけになりますか」
「やらぬよりはという具合ですけれど。以前、鼠鴨が罠にかかって随分美味しい思いをしました。ね、ウルウ」
「鼠鴨……ああ、あれか。あれは美味しかった」
「ほう、鼠鴨が罠に。それは僥倖ですなあ」
あとでにこにこ顔のウールソさんが教えてくれました。
鼠鴨は賢い生き物で、まず罠にはかからないのだと。
「きっとどなたかが幸運を仕込んでくだすったのでしょうなあ」
私はなんだか恥ずかしくなると同時に、きっとその幸運を仕込んでくれただろう背中に何とも言えず嬉しくなるのでした。
用語解説
・《宵闇のテント》
ゲームアイテム。敵に見つかっていない状態で使用することで、一つにつき一パーティまで、《HP》と《SP》を最大値まで回復させる。
また快眠+3の効果があり、これは毒や睡眠などのステータス以上の内、中度までのものを回復させる効果がある。
『夜の帳を縫い上げて、張り巡らせる天幕一張り。夜が明けるまではその護りの裡よ』
前回のあらすじ
キャンプ地を決めて野営地を整える一行。
ふとしたことで過去の悪行を暴かれる閠であった。
リリオが意気揚々と狩りに出かけ、お守りは任せてと言わんばかりにやれやれ顔のウルウがそれについていき、さて、あたしはどうしようかと考えた。
あの二人に任せておけば、まあ角猪くらいは手に入ることだろう。そこのあたりは心配していない。心配するとしたら一頭どころか二頭も三頭も、それどころか鹿雉なんかまで獲ってきてしまうことだけれど、まあさすがにそこまで阿呆ではないだろう。と信じたい。信じさせてお願い。
まあいささか不安ではあるけど、問題はそこじゃなくて、副材料だ。いくらなんでも肉だけの鍋なんてのはちょっと武装女中として認めがたい。リリオだけなら嬉々としてそういうこともやりそうだし、ウルウもなんだかんだで面倒臭がりなところがあるから文句言わなそうだけど、このあたしがいる限りそんな不精鍋は許さない。
とはいえ、折角山の幸を楽しもうということで、余計な材料は持ってきていない。野菜の類をちょっと持ってきた方が良かったかもしれないが、勢いというのは怖いものだ。どうせウルウの《自在蔵》は底なしなんだから、常備菜を放り込んどいてもいいんじゃないかしら。
ま、ないものはないもので嘆いても仕方がないわね。
ないならあるものを使う。
というわけで、早速キノコやらでも採りましょうか。
まあ火の番もあるし、そんなに離れるわけにもいかないけれど、幸いこの野営地は今季まだ使用されていないらしく、来るときも近くにちらほらと美味しそうな秋の実りが見え隠れしていた。ちょっと歩くだけで私たち四人が食べるには十分な量が取れることでしょ。
そう思い立って、キノコ取り用の背負い籠を背負ったところで、のっそりとウールソさんが立ち上がった。
「キノコ取りですな。拙僧もただ飯ぐらいでは格好がつかぬ故、御助力致そう」
「それは助かるけど……試験はいいのかしら?」
「まさかキノコ取りやら猪狩りやらで合格印は捺せませんなあ」
鷹揚に笑うウールソさんだけど、はあ、まあ、この人もこの人で食えない人であるのは確かだ。もとより神官ってのはどこか普通の人とは感性が違うものだしね。
ともあれ、人手が多いに越したことはないもの、あたしはウールソさんにも籠を渡して、早速秋の幸を採りに出かけた。
にしても、あたしやリリオにとっちゃ背負い籠だけど、ウールソさんが持つと完全に手提げ籠ね。背負ったら壊れるわよ、これ。
あたしは辺境の武装女中として、山中での生存訓練も受けている。その中には毒キノコの見分け方や、毒蛇の見分け方や、毒舌芸人とただの毒舌野郎の見分け方をはじめとして様々な毒の見分け方の他、そもそもどんなところにどんな山の幸が眠っているかということもよくよく教わっていた。
だからあたしは、初めての山や森の中でも、ある程度どんなものがどこで採れるのか、見当をつけられる。実際、この山でもあたしは手早く籠の中を満たしつつあった。
でも、
「……ウールソさん冒険屋じゃなくてキノコ取りの人なんじゃないの」
「これも冒険屋の技の一つですなあ」
そう嘯くウールソさんの籠はすでにいっぱいになっていて、そしてその中のどれもが一級品の品ばかりだ。
「キノコ取りは試験じゃないんでしょう? せっかくだからコツの一つも教えてくれないかしら」
「積極的なことは大事ですな。加点一」
「加点制!?」
「だったら面白かったでしょうなあ」
そり上げた頭をつるりと撫で上げながら、ウールソさんはフムンと一つうなった。
「そうですな。トルンペート殿の探し方は実に理に適っております。かといって教科書通りでもなし、初めての山でも、きちんと山の理というものを見ておられる」
そうだ。山にはその山の理というものがある。
どんな木でも、どこに生えても同じように伸びるというわけじゃあない。キノコもそうだ。どんな木の陰にも同じように生えるわけじゃない。山菜もそう。それらはみんな育ちやすい環境というものがあって、それは木の角度や、山の湿り気、そういった要素のたった一つが違っても随分と様変わりしてしまう。
あたしはそういった山の理を見る。こういった山であればどんな風に木は育つのか。こんな気候であればどんなキノコが多いのか。これこれの植生ならこんな山菜があるはずだ。
そういった理屈にのっとってあたしは動いている。
でも、そんなことを気にした風もなく動くウールソさんは、はっきりとあたし以上に優れたキノコ採りだ。数が多く取れるばかりではなく、そのどれもが良く肥えたいい品ばかりだ。
じっとその挙動を見守ってみても、あたしには何が違うのかまるでわからない。
「しかし、そう、その見ているというのが良くないのでしょうなあ」
「見るのが、よくない?」
「左様。拙僧をご覧あれ」
ウールソさんはそう言って、おもむろに目を閉じてしまった。
そうして暫くの間じっと佇んでいたかと思うと、不意に歩き出して、近くの木の傍から丸々肥えたキノコを一房手に取っているじゃない。
まるで手品だ。じっと見ていたにもかかわらず、あたしにはそれがどんな理屈なのかわかりゃしない。
だって、目をつむっているのよ?
何も見えないでどうやって探すっていうの?
「わかりましたかな」
「ぜんっぜんわかんない」
「でしょうなあ」
鷹揚に頷くウールソさんに、けれどあたしは腹を立てたりしない。これは馬鹿にされてるんじゃあない。冒険屋が、胸襟を開いて自分の技を教えてくれているのだ。
しかしわからない。どうして見えもしないものがわかるのか。
わからないなら……。
「左様、それが正しい」
まず、真似をしてみるのが近道だ。
あたしは自分でも目をつむってあたりを探ってみる。こう見えてあたしは暗殺者としての訓練も受けてきた。目が見えずとも人の気配くらい簡単に察せられる。ウールソさんの気配は酷く薄いけど、それでもとらえきれない訳じゃない。
風の動きを感じ、気配を肌で受けて、そうして周囲を探れば、森の中であってもあたしは目をつむって歩き回れる。そんなことはわかっている。でもそんなことじゃあないんだ。足りないものがあるんだ。
目をぎゅうとつむって肌に感じる気配を辿り、耳に聞こえる音に気を配り、そして、ふわりと鼻に漂う香りを感じた。
はっとして手を伸ばした先には、ウールソさんの手があった。
正確には、ウールソさんが握った石茸が。そのかぐわしい香りが、確かにあたしの手の中にあった。
「……匂い?」
「それが入り口、でありますな」
ウールソさんはスンと鼻を鳴らして辺りを見回した。
「目で見て、頭で思って、それで理は描けるやもしれませんな。しかし山の理は人の理の通りにあらず、ましてや理外れも往々にあると来る。理を踏まえて、その上で己の手で、肌で、鼻で、感じ取らねば見えてこないものもありますぞ」
さっとウールソさんが指さした先、あたしの足元には、気づかない内に踏みつけにしていたキノコがあった。
さっとあたしの頬に血が上ったのは羞恥からだった。我知り顔で無造作に歩いて、自分の足元にさえ気づかずにいた無頓着をあたしは羞じたのだった。
「羞じるならば上出来。トルンペート殿はよくよく精進なさるでしょうな」
「あ……ありがとうございます」
あたしは自然と頭を下げていた。それはあたしが女中頭や先生に頭を下げたように、全く頭が上がらない思いからだった。
「うむ、うむ。さて、ま、火の番もありますしな、後は手早く済ませてしまいましょうぞ」
あたしは覚えたばかりの事を試すように、鼻を使い、肌を使い、それで大いに間違えながら、大いに正していき、そしてついに籠を満たして野営地に戻ってきた。
「やあ、やあ、大量ですな。これは夕餉が楽しみだ」
「今日は、ありがとうございました」
「なんの、なんの」
ウールソさんはどっかりと腰をおろし、あたしも腰を下ろして少し休んだ。
火の勢いは衰えていなかった。
「ところで、試験の事を聞かれましたな」
「え、ああ、そう、そうだったわ。結局試験って言うのは、」
「作麼生!」
一喝するような声に、あたしの背筋がびくりとはねた。
それはたしか神官たちが禅問答をするときに用いる掛け声だった。いかに、とか、どうだ、とか、そのような意味合いの問いかけの掛け声だ。
「お尋ねし申す。トルンペート殿は何ゆえに冒険屋を目指されるのか。作麼生」
確か返す言葉はこうだ。
「せ、説破。あたしは別に冒険屋を目指してるわけじゃないわ。ただ、リリオが冒険屋を目指しているから、それを支えたいってだけよ」
「成程成程。ではリリオ殿が今のようにメザーガ殿の膝元にあるだけでなく、本当の冒険屋として旅立つ日が来たあかつきには、トルンペート殿はいかがなされるか。作麼生」
本当の冒険屋?
旅立つ日?
考えてこなかったわけじゃない。
でも、本当に向き合おうとはしてこなかった問いかけだった。
「……説破。あたしは、あたしはリリオがそうしたいと思う道を支えてあげたい。それが冒険屋だっていうなら、あたしはそれを支えるだけ」
「それがリリオ殿の幸福ではなかったとしてもか」
幸福?
リリオの幸福ってなんだ?
やりたいことをやるってのは幸福じゃないのか?
でも、そうだ、やりたいことだけやって、その後はどうなんだ。結末はどうなんだ。
あたしはその時、その結末に責任を持てるのか。その結末を支えたのは自分なのだと胸を張れるのか。
「…………せ、っぱ。リリオの幸福は、あたしが決めることじゃない。リリオの幸福は、リリオが決めることよ。あたしが、リリオが進もうとする道を遮る道理にはならないわ」
「ふむ、ふむ。よろしかろう。ではもう一つお尋ね申す」
じっと注がれる視線はどこまでも平坦だ。熱くもなく、冷たくもない。正確に推し量るような視線が、恐ろしく重たい。
「何ゆえにトルンペート殿はリリオ殿を支えたいと思うのか」
「それは、それはあたしがリリオに救われたから、」
「そうではない」
重たい言の葉が、重たい言の刃が、あたしの未熟な答えを切り捨てる。
「何ゆえに、おぬしは、リリオ殿を支えたいとそう思うのか」
どうして?
どうしてだ。
あたしは救われた。
あたしはリリオに救われた。
でもそれは答えじゃない。入り口に過ぎない。
あたしはリリオに救われた。だからリリオに返したい。
返して、その後は何だというのだ。返すとは何なのだ。あたしは。
あたしは。
「作麼生」
「せ……せっ、ぱ……」
あたしは。
「説破」
あたしは。
「そんなの知らないわよ」
「ほう」
「あたしはリリオを支えたいから支えるし、支えたいから支えるのよ! なんか文句ある!」
「良い」
「えっ」
「いまはそれでよろしかろう。うむ。若いというものはいいものですな」
「は」
「結構結構」
あたしはこの寒いのに、顔まで熱くなるのを感じるのだった。
用語解説
・作麼生/説破
禅問答で用いられる掛け声。作麼生は「いかに?」「どうだい?」など問いかけに用いられる掛け声で、説破は論破と同様、相手を言い負かすという意味で、回答する際に用いられた。
前回のあらすじ
ウールソのしつこい質問に顔を赤らめるトルンペート。
事案だ。
「あてはあるの?」
「勘です!」
そんな素晴らしくくそったれな会話を経て、私はリリオに気配の読み方というものを教えることになった。
リリオには野生の直観めいた勘所の良さがあるにはあるが、これが常にうまいこと働いてくれるという保証はない。もう少し正確性の高い感知能力が必要だ。
とはいえ、私自身、人に教えられるほど気配というものについて詳しいわけではなかった。
というか、気配ってなんだよというレベルではある。
この体になってから非常に敏感になって、目をつむっていても人がどこにいるか察せられるようにはなったけれど、それは恐らく物音や、空気の流れといったものを感じ取り、それらの諸情報を脳が総合的に判断して気配という形でとらえているのだと思われる。
なので実際のところ私は感覚的にこれが気配というものなんだろうなあと漠然ととらえているのであって、人様に教えようにも、リリオの言う通り勘ですとしか言いようがない。
なので、ここは私にできる形でリリオに新しい索敵方法を教えてあげようと思う。
「リリオ、剣を抜いて」
「剣ですか?」
するりと抜かれた剣は、素人目に見ても美しいものだ。大具足裾払とかいう巨大な甲殻類の殻から削り出したとかいう刀身は透き通るような不思議な光沢を帯びていて、それにあとから付け足された霹靂猫魚の皮革の柄巻きが、ピリピリと走るような電流を帯びさせて、危険な美しさを感じさせる。
私が目を付けたのはこの電気だ。
「リリオ、ここに雷精がいる」
「うーん……やっぱり見えません」
「見えなくていい。いる」
「はい。いるんですね」
私の目には、この刀身に、青白い蛇のようなものがまとわりついているのが見える。これが雷精だ。しかしこれはちょっと大きすぎる。
「魔力を絞って」
「えっと」
「……餌を減らす要領」
「こう……ですかね」
「そう、いい感じ。もう少し、絞っていい……そう、そう」
精霊は魔力を喰らって力を発揮する。リリオの革鎧が帯びる風精や、この雷精もそうだ。
単に威力を高めるだけなら魔力をバカバカ食わせるだけでいい。でも今欲しいのは、弱くて、しかし敏感な力だ。
「そのくらいで抑えて」
「ちょっ、と、息苦しいです」
「慣れて」
刀身にそっと手を伸ばしてみる。雷精はとても細くなり、刀身をシュルシュルと泳ぐように這い回っている。それがインインと耳鳴りのような音を立てている。
「聞こえる?」
「なんか耳が変な感じです」
「その感じ」
私がリリオに覚えさせたいのは、電場の感覚だ。まずはこれを覚えさせる。
雷精の宿るこの剣には電場が発生する。電場が動けば電流となり、電流が発生すれば磁場も発生する。試しに方位磁針を近づけて確認したから間違いない。精霊とかいうとんでも法則の世界においても物理法則は並行して働いている。
「目をつぶって」
「はい……んっ、なんですかこれ」
「今、刀身に手を近づけたり離したりしてる。わかる?」
「なんか……ぞわぞわしたり、落ち着いたりしてます」
「その感覚」
厳密な物理法則を覚えさせる必要はない。大事なのはそうなるという意志だ。意志の力に魔力は従い、魔力の流れに精霊は従う。そして精霊が動けば、自然法則もそれに続く。
私はしばらくリリオに目をつぶらせたまま、周囲の様子を探らせた。
この辺りはリリオの直観の鋭さと素直さが役に立つ。非常に、というよりは異常なまでに呑み込みがいい。以前風呂の神官に精霊に愛されているなどと言われていたが、なるほどこれはむしろ精霊の方から積極的に干渉しているのかもしれない。
「えーと、三時の方向、屈んでます」
「じゃあ次……ここ」
「六時の方向、立ってます」
「いい具合」
さらに調子に乗ってレーダーの理屈をぼんやり聞かせるともなく聞かせてみたところ、こいつ、実践で成功させやがった。
「こう放って……返ってきたのを受け止める。木霊と同じですね」
「自分で説明しておいてなんだけどできるとは思ってなかった」
「えー」
「とにかく、君の剣はこれで立派なアンテナになった」
「あんてな?」
「あー……すごいやつ」
「やった!」
すごいあほな奴なんだけど、しかしやってることは紛れもなくすごいことなんだよなあ。
教え始めてまだ三十分も経っていないのだが、すでに電探をマスターしつつある。さっきからずっと目をつむったままだけれど、下生えに足をとられることもなく、すいすいと山道を進んでいる。いまはまだ剣をアンテナ代わりにして持っていなければ使えないようだが、その内、腰に帯びた状態でも問題なく使いこなしそうだ。
(と、いうより……)
これはむしろ私の想像する以上の精度に仕上がっているかもしれない。
じっと精霊の流れを見ているのだが、雷精がゆあんゆあんと体の同心円状に薄く広がっているのと同時に、鎧の風精もまたこれを補助するように薄く広がっている。恐らく魔力をそのように広げているので、つられて一緒に広がってしまっているのだろうけれど、これが想定外にいい結果になっている。雷精のもたらす探知結果と、風精のもたらす探知結果が、複合的にとらえられてより正確な探知結果を感じ取っているのだろう。
私ならばその処理だけで頭がパンクしてしまいそうだが、リリオのいい意味でなんとなくざっくりととらえる感覚が、これをうまく情報として処理しているのだ。
「その内、波紋レーダーとか使いこなせそうだな、こいつ」
「波紋?」
「波紋遣い、いそうなのが怖いよなファンタジー」
「よくわかりませんが、今の私無敵感凄いですよね!」
「確かに、そればかりは手放しでほめられる」
何しろ今の私、《隠蓑》してるのに居場所バレバレだからね。
存在していることは隠せない、か。パフィストにも言われたけど、触れられれば居場所がわかるように、今のリリオは電探越しに私に触れているようなものなのだ。これは正直かなり恐ろしい技を教えてしまったなという気持ちだ。
しかし、恐ろしいなと思うと同時に、面白いなという気持ちもある。これだけ飲み込みがいいなら、私のいい加減な教えでもいろいろと面白い技を覚えてくれそうだ。
「よーし、つぎ電磁防壁いこうか」
「でんじぼうへき?」
「バリアだよバリア」
「ウルウのテンションがえらく高いです」
「ある種のロマンだからねこれは」
「つまり…………格好いいんですね!」
「そう、格好いいんだ!」
私が次に教え込んだのは、いま周囲に張らせている電界を防御に応用する方法だ。電磁的な攻撃とか光学兵器みたいな重量の軽い攻撃に対する防御壁らしいけど、私もよく知らないし、詳しく説明する必要はないだろう。こうもとんとん拍子に覚えてくれると私も理解したのだ。
魔法というのは要するに想像力と気合なのだ。
正確には、このようにしてくれという意図と、魔力の出力の問題だ。
意図に関しては、リリオの素直さは一つの武器だ。私のざっくりとした説明を何となくで受け止めて、何となーくでそのまま出力してくれる。勿論リリオなりの理解があるんだろうけれど、馬鹿だ馬鹿だとは思いつつもなんだかんだいいとこのお嬢さんだけあって頭は悪くないんだ。
そして魔力の出力に関しては底なしと言っていいくらい疲れない。
私の魔力容量とやらも結構あるらしいけれど、トルンペートに聞いたところ、辺境人の中でも一部の貴族は特に、底なしと言っていいほどの化け物じみた魔力を誇るらしい。リリオもその一人だ。
比較対象があまりないのでよくはわからないが、竜種と同じくらいというのが字面の格好良さだけでないならば、それは相当なエネルギー保有量であるはずだ。
「この電磁防壁って言うのは要するに雷精で作った盾のようなものかな」
「盾、ですか?」
「違う違う、一か所に集めちゃうと爆ぜちゃうだろ。回転させるんだ。最初は手元に集めてみようか」
「うーん?」
「えーと、そうだ、指で円を描くようにして見て、その円状に雷精を走らせてみるんだ」
「こうですね!」
「そうそう、いいぞー、いい感じだ。もうちょっと雷精を強くして」
私の目にははっきりと、青白い蛇の姿をした雷精が、リリオの手の前で丸い盾状に広がっているのが見える。
「じゃあ小石投げてみるよ」
「どんとこいです!」
「よーしじゃあ…………死ねェッ!」
「死ねぇ!?」
ちょっと本気度を高めるために強めに投げてみたが、見事に弾き返してくれた。
自分でやっといてなんだけど、弾けるもんなんだなあ。本当は弾けないのかもしれないが、さすが魔法だ。
「じゃあ次は全身にやってみようか」
「うえ、ぜ、ぜんしん回るんですか?」
「あー、違う。えっと……雷精をさ、自分を中心に球を作るみたいに回転させてみるんだ」
「きゅ、球ですか?」
「うー、あー……あ、繭! 虫が繭作るみたいな感じで!」
「あー……なんとなくわかりました」
「何となくで一発でやれるあたり、君ってホント秀才殺しだよね」
ゆあんゆあんと耳鳴りのような音を立てながら、リリオの周囲を巡る雷精。でも範囲が広くなったせいかちょっと薄く見える。
試しに小石を投げてみたが、ちょっと反発は受けるものの通過してしまった。
「うーん……これなら矢避けの加護の方がましだなあ」
魔力消費が多くて、意識も割かなくてはいけない分、むしろ劣化か。
「でも……」
「でも?」
「でも、これ格好いいですよね!」
「そうなんだよ。格好いいんだよ」
何しろ私は、《選りすぐりの浪漫狂》などという阿呆の集まりに所属していた浪漫狂い。いまこういう馬鹿をしないでいつ馬鹿をするというのか。
「出力上げて……あとは、こう……粒子的なイメージかな」
「りゅうし?」
「粒っていうか……ただの水の流れより、そこに砂利が混じってた方が痛いじゃない」
「あー……雷精を粒みたいに尖らせて混じらせたら、その砂利みたいに働いてくれるかもってことですね」
「そうそう、そんな感じ」
二人して地面にがりがりと図を描いたりしながら試行錯誤した結果、出力×回転速度×尖ったイメージの三つによって格段にバリアの硬度は上がった。
具体的に言うと私のジャブとか弾ける程度には仕上がった。
ジャブというとしょぼく感じるかもしれないが、一応私はレベル九十九の《暗殺者》だ。正確にはその最上級職の《死神》だけど、とにかくそのレベル九十九のパンチを防げるってこれ、大抵の攻撃防げるんじゃないか。
「これと矢避けの加護併用したらさ」
「はい」
「遠近どっちも効かなくない?」
「ですね」
長距離からの攻撃は風精が逸らしてロスなく回避。近距離攻撃は電磁防壁で数発なら防げる。
「無敵じゃない?」
「無敵ですね」
思わず無言でサムズアップしてしまった。
なんて素敵性能だ。
今のところかなり意識を持ってかれるので発動まで時間かかるし防御に専念してないとすぐ解けちゃうし、だから移動さえもすり足とかじゃないとできないけど、しかし一応の完成だ。素晴らしい。
「技名……」
「なに?」
「技名とか、決めちゃってもいいのでは……?」
「いい。間違いなくいい」
私たちはそれから更にしばらくの間、地面に何度か技名案を書いては消し、そしてようやく決定したのがこれだった。
「『超電磁バリアー改』……」
「『超電磁バリアー改』……だな」
「この『改』がいいですよね。一度も改修してませんけど、すごく強そうな感じがします」
「『超』もいいよね。ちょっと安易かなって思ったけど、素直にパワーを感じる」
「すごい『すごみ』を感じます。今までにない何か熱い『すごみ』を」
「叫ぶ? 叫んじゃう?」
「技名叫びます? これ叫んでも怒られません?」
「怒らない怒らない。いまリリオ最高に格好いい」
「よし……行きます!」
「いいよ!」
「『超…電磁、バリアー……改』!!!」
ぴしゃーん、と激しい音とともに展開されたバリアは突撃してきた角猪を見事弾き返していた。
「……えっ」
「……えっ」
「ぶもぉおおおおおおおおッ!!」
そこには、必殺の突撃を弾き返されて激怒する角猪(大)がいたのだった。
用語解説
・格好いい
すべてに優先される理由。
・無敵
小学生くらいの年齢の子供が良く陥る謎の万能感。
大学生くらいの年齢でも、深夜に公園で鬼ごっことかするとこのような高揚感が得られるが、代償として激しい筋肉痛や、おまわりさんに怒られるなどの弊害がある。
・『超電磁バリアー改』
中身のない名前ほど不思議と心弾むのはなぜだろうか。
きっとそこにロマンが詰まっているからなのだ。
前回のあらすじ
ウルウの胡散臭い教えにしたがい新技を身に付けていくリリオ。
事案だ。
「やばい、熱中し過ぎて近づいてるのに気づかなかった!」
「あれだけ騒いでたらそりゃ怒りますよね!」
「ぶぅもぉおおおおおおおおッ!!!」
ウルウが珍しく盛り上がりに盛り上がってしまったので気付けば私もついつい盛り上がりに盛り上がってしまった結果がこれです。
以前境の森で見かけた個体よりは小型ですけれど、それでも十分に育った立派な角猪が、すでに至近距離でこちらをにらみつけています。
「ウルウ! 離れて――ますね、知ってました!」
「うん」
すでにくろぉきんぐで姿を消して、木の上に早々に退避してました。
別に構いませんけど、ウルウあのくらいの角猪だったら素手で断頭できますよね。境の森のアレ、ウルウの仕業ですよね。
まあでも、私にどうにかできる相手で、ウルウの手を煩わせるなんてもってのほか。
ウルウにはいつだって格好いい私だけを見てほしいものです。
まあ、問題は。
「ウルウ、格好いいですかこれ!」
「すごい格好いい!」
「でもこれ攻撃できないんですけど!」
「知ってた!」
「ウルウ!?」
この『超電磁バリアー改』、見た目は恐ろしく格好いいですし防御性能も言うことないなのですけれど、問題は私自身は全然動けないうえに、このバリアーの内側から出られないので攻撃のしようがないってことなんですよね。
あと何発か連続で攻撃貰ったら、私の方の集中が持たず雷精がばらけてバリアーも解けてしまいます。
その前に、その前に何か……。
「その前に何か格好いい攻撃方法ないですか!?」
「まだその『格好いい』思考できるのはすごいと思う」
私がなんとか角猪の突撃をバリアーで受け止めている間に、ウルウはうんうんと頭をひねって考えてくれます。おそらく、かなり見た目が格好いいやつを……!
「リリオ、ちょっと考えたんだけど」
「何でしょう!?」
「考えてみたらそれ、私たちの晩御飯になるわけだよね」
「そうですね!」
「あんまり格好良さにこだわると、素材としての価値が落ちるのでは……?」
「はうあっ!?」
そうでした。
今元気にこちらに体当たりかましてくる角猪は今夜のご飯になる予定なのでした。格好良さで言ったら抜群に格好良い、バナナワニを切り伏せた一撃みたいのをぶちかましてしまったら、折角の食べる部分が蒸発してしまいかねません。
しかし。
しかしです。
「こ、ここまでやって……ここまで格好いい感じでやって、地味に仕留めるのはなんか納得いきません!」
「わかる」
たった一言でしたが、そこには深い深い理解の色がありました。いうなればそれは、ウルウ曰くのところの『わかりみ』というやつだったのでしょうか。
「わかった。派手めなエフェクトでかつ地味にダメージを与えられる技を伝授しよう」
「なんかよくわかりませんがよろしくお願いします!」
「ではまず準備のためにバリアーを解くんだ」
「はい!」
私は早速バリアーを解き、突撃してきた角猪を横跳びに回避しました。
バリアーがない今、直撃を喰らえば危険です。しかしバリアーに意識を割かなくていい分、避けるだけなら正直楽勝です。ぶっちゃけバリアーなしの方が楽に戦える気もします。しかしそれを言ってはいけないのです。なぜならあれは格好いい技だから。
「まず、刀身に雷精を集めるんだ」
「はい!」
「あ、そんなに集めなくていい。この前のみたいに大量には要らない」
「えっ、あ、はい」
ちょっとがっかりすると、叱られました。
「馬鹿。何でもかんでも大きかったり多かったりするのがえらいわけじゃない」
「す、すみません!」
「少ないコストでスマートに片付ける。これもまた格好いい」
「な、なんかわかりませんけど格好いい響きです!」
私は程々に雷精を刀身に集めます。
「ではその少ない雷精にだけ魔力を食わせるんだ」
「うえっ?」
「雷精を増やしちゃいけない。あくまで魔力だけ増やすんだ」
これにはちょっと困りました。私が魔力を増やせば、それにつられて自然と雷精は寄ってきてしまうのです。なので増やしたり減らしたりは簡単でも、一部にだけ魔力を与えたりというのは、精霊の見えない私にはちょっと難しいです。
「えーと、そうだな。あの、あれ。水鉄砲。水鉄砲あるじゃない」
「あります、ねえっ!」
角猪の突進を剣の腹でいなすようにしてかわし、私はウルウの言葉に耳を傾けます。
「水鉄砲は水の量を増やしても、勢いがなかったら威力が出ないでしょう」
「はい!」
「逆に、水の量が少なくても、勢いがあれば威力が出る。ね?」
「はい!」
「雷精が水で、君の魔力が勢いだ。君の魔力で勢いよく雷精を飛ばすイメージだ」
「ん、んんんん……?」
「お、迷いがいい具合に働いたな」
魔力を手元に集める。でも雷精には呼ばない。一部の雷精にだけ上げる。水鉄砲。
私の頭の中でぐるぐるとめぐる言葉の羅列。ぐるぐると迷う思考につられるように、刀身を私の魔力が渦巻きます。私の魔力がぐるぐる渦巻き、剣の中にたまっていきます。そうすると、刀身に纏わりついた雷精のゆあんゆあんが、ぐるぐる渦巻く魔力にくっついて巡り始めます。
「いいぞいいぞ。その調子だ。十分にため込んだなら後は―― 一撃だ」
ぱり、と刀身に青白い電が爆ぜました。感覚としてわかります、これ以上雷精を呼んじゃいけない。呼ばなくていい。これで十分なんだ。水鉄砲の感覚。ぐうと水を押すあの感覚。魔力を刀身に押し込めていく。雷精を逃がさず刀身に張り付ける。そうすれば雷精は膨れて、膨らんでぱりぱりと爆ぜはじめる。
「わかりました。これが、この感覚が、水鉄砲の感覚……」
刀身にぴりりと張り詰めた感覚が生まれます。これ以上は雷精が爆ぜてしまう。爆ぜるのは、ぶつけてからだ。
「ぶぅううもぉぉおおおおおおッ!!」
角猪がその金属質の角をこちらに向けて、刺し殺さんと突進を決めてくる。
勢いは十分。だから私は踏み込むだけでいい。ただの一刀、すれ違うように一撃決めるだけでいい。
ただの――、一撃。
「『超…電磁、ブレーェエエエエエエドッ』!!!」
交差する瞬間、角猪の角に正確に刀身が吸い込まれ、そして直撃の瞬間、溜めに溜め込んだ水鉄砲が、私の魔力が、雷精を解き放ちます。
それは瞬間の輝きでした。青白い閃光がぎらりと空を切り、切り刻み、破壊する。
そして光よりも刹那遅れて、破裂するような轟音が、耳をつんざく。
どど、どど、と角猪はたたらを踏むようにそのまま数歩突き進み、そしてそのままぐらりと倒れこむや、どうと音を立てて地に伏しました。
私自身いまの交錯で相応の気力と体力を消耗したようで、思わず膝をつきそうになりましたが、なんとかこらえて、角猪のむくろを確かめに向かいます。
反動でぴりぴりとする私が辿り着いたころには、ウルウが倒れ伏した角猪を検分しているところでした。
角猪の立派な角は、私の一撃によって根元から叩ききられていましたが、体には傷一つついていません。わずかに額のあたりに焼けたような跡が残りますが、それだって致命傷とは思えないほど軽いものです。
「し……仕留めた、んですか?」
「いや、生きてるよ」
「えっ!?」
私がぎょっとして剣を構え直すのも気にせず、ウルウは角猪の瞼をめくったり、首筋に手を当てたりしています。
「うん、生きてる生きてる。よくやった」
「え……ええ?」
「『超電磁ブレード』だったっけ。本来ならスタンブレードとでも呼ぶべき技だけど」
「すたん、なんですって?」
「ようするにこれはさ、気絶させる技なのさ」
「きぜ、つ……?」
ウルウは一通り角猪の状態を確認すると、いつものようにあのとんでも容量の《自在蔵》にずるりと引きずり込んでしまいました。相変わらず不気味な光景です。
「雷精ってのはとにかくおっかないイメージがあるけどね、私のいたとこじゃもうちょっと安全な使い方があってね。いやまあ、安全でもないか、スタンガンは。とにかく、いろんな使い方ができる力なんだよ」
ぽかんとしている私の額を小突いて、ウルウは言いました。
「剣を振るうばかりってのもいいけど、使い方を覚えると、存外いろんなことができるものだよ」
今日だけで索敵と盾と剣と三種類もの使い方を覚えたのですから、それは非常に頷ける話ではありましたけれど。
「最初に説明してくださいよぉ……」
私はなんだかすっかり疲れてしまったのでした。
用語解説
・わかりみ
わかりみが深い。
・『超電磁ブレード』
リリオは咄嗟だったので同じような名前を付けてしまったが、フィーリングが大事だ。強そうというフィーリングが。
前回のあらすじ
新必殺技をもって見事角猪を仕留めたリリオ。
老師もといウルウの教えが活きた瞬間であった。
ともあれ、今回はややグロ注意なので気を付けよう。
思ったより早かったというべきか、リリオにしては遅かったというべきか、ちょっと判断に迷う時間がたって、二人が帰ってきた。ウルウの《自在蔵》は本当に底なしだから手ぶらなのは別に驚きはしなかったけれど、リリオの髪がぼさぼさになって、あちこち薄汚れているのには驚いた。
「なに? 苦戦したの?」
「苦戦したというか、何というか……」
「ごめん。私がちょっと遊び過ぎた」
「リリオじゃなくて?」
「今日は私」
リリオが油断したり失敗したり遊んだりというのはよくあるけれど、ウルウが遊んだというのはちょっと意外だった。そもそも戦闘とかにはあんまりかかわらないって言うのもあるけど、生真面目なところがあるのよね、ウルウって。
だからまあ、呆れたは呆れたけど、ちょっと嬉しかったは嬉しかったわよね。
あとでどんな風に遊んでいたのかを聞いてすっかり呆れたけどね。
なによ『超電磁バリアー改』とかって………。
あたしも呼びなさいよ!
そりゃあたしにはできないかもしれないけど、あたしだって必殺技の一つや二つ欲しいわよ!
あたしは辺境の武装女中とはいえやっぱり三等だからね、リリオみたいに上等な武器を下賜いただいたってわけでもなし、やっぱりそう言うの、憧れるわよ。大具足裾払の武具なんて贅沢は言わないけど、飛竜の牙の小刀一揃いとか、それくらいは欲しいわよねえ。
まあ、あたしがあんまり上等な武具を手に入れたって、リリオ程魔力があるわけでなし器用貧乏な使い方になるでしょうけどね。
…………ウルウならあんまり魔力使わないで便利な使い方ができる魔道具とか持ってないかしら。
それ貰って強くなって嬉しいかって言われたら複雑なとこだけど。
ま、いいわ。
ウルウが相変わらず気持ち悪い具合に《自在蔵》からずるうりと大きな角猪を一頭引きずり出した。角は折られているけど……これ、まだ生きてるわね。全く、本当にどんな手品遣ったらこんな風に無傷で気絶させられるのかしら。
「ほおう、ほう。これは成程、見事な御手前ですなあ」
「あなたでも難しいかな」
「拙僧を試しておられるのかな」
ニッ、とウールソさんが笑うけど……成程、《一の盾》の一員であるわけだ。空気が重くなるような圧力さえ感じる。
とはいえそれも一瞬。すぐにその空気も霧散する。
「そうですな。いかなる手段を用いられたかは存じませぬが……やってやれぬことはないことですな」
はっはっはっと鷹揚に笑うウールソさんだけど、下手したら一喝するだけで角猪くらいなら気絶させられる、と言われても信じられそうだ。
《一の盾》の面子とはこれで三度にわたって行動を共にすることになるけれど、ガルディストさんの時も、あのパフィストのクソの時も、そしてウールソさんにしても、まるで底が見えない、とまでは言いたくないけれど、それでもまず敵う気がしない。まるで女中頭達のようだ。
「さって、早速解体しましょうか」
さ。頭を切り替えよう。
秋も深まってきて随分冷えるから、痛む心配はあんまりないけど、目を覚ます前に仕留めてしまった方がいい。
私たちはこの角猪を力を合わせて担いで川辺まで運び、首筋を切り裂いて息の根を止め、川に沈めて冷やした。血抜きの意味もあるけど、冷やすことの方が大事だ。
よく血が臭うというけれど、あれは実際には血が腐るのが早いからだ。傷口から毒が入り、その毒は血に乗って体に運ばれる。だからまず血が腐り、次に内臓が腐り、そして肉が腐る。
これを防ぐために血を抜くし、腐るのを遅らせるために冷やす。
凍りそうに冷たい川の水なら、文句はないわ。
血抜きの間に、傍で火を起こして、小鍋に水を沸かしておく。
猪ってのは総じて脂が多いから、どんなによく研いだ刀でもすぐに切れ味が鈍くなるのよ。そう言うときはお湯につけてやって脂をとるの。
さて、すっかり血が抜けたら、狩猟刀でお腹を開いていく。
あ、わかってると思うけど、素手でやっちゃ駄目よ? あたしみたいにちゃんと革の手袋をしてやること。それに革の前掛けもないとえらく汚れるわよ。
…………武装女中の前掛けって、防具の意味の他にこういう事も意図してるのかしら。
まず喉元から尻まで、お腹の表面の、皮と脂肪だけを切っていく。ここで調子に乗って深く切ると内臓まで切り開いちゃってお腹の内側で中身が漏れるから、皮の下の膜を切らないように気を付ける。
こいつは雄みたいだから、ブツも切り取る。珍味と言えば珍味なんだけど、全体からしたら小っちゃい割に、格段美味しいというわけでもなし、あたしたち乙女にはあんまり人気がない。別にまずいってわけじゃないんだけど、聞こえが悪いじゃない。
あ、でも白子は美味しい。獲れたてじゃないと危ないけど、生で食べるとなかなか乙だ。すこし臭みというか、独特の匂いがあるけど、口の中でねっとりととろける味わいはなかなか他に見ない。
まあこちらもウルウが嫌そうな顔をするので、今回は無理してまで食べることはない。最近慣れてきたとはいえ、リリオよりある意味お嬢様育ちなのよね、ウルウって。
お次は鉈の出番だ。胸骨に沿って肋骨を断っていき、胸元までくつろげてやる。そして骨盤も割って、左右に広げる。肛門のあたりを切り開いて、出口を縛って中身が漏れないようにしてやる。
ここまで来ると後は割と楽だ。胸から腹の膜を切り開いてやり、手を突っ込んでノドスジを掴んでやり、お尻の方へと引っ張ってやれば、ずるりと全体が抜ける。ってウルウに説明したら無理って顔されたけど、まあ二、三回やればコツがつかめるわよ。大きすぎて一度に全体が辛いときは、胃とはらわた、肝臓、肺って具合に三段階に抜くと楽かしらね。
まあ楽って言っても、これだけ大きいとさすがに苦労するわ。交易貫でまあ、二百キログラムいくかいかないかくらいはあるのかしら。あたし五人分とまでは言わないけど、四人分くらいはあるわね。……詳しい数字は秘密だけど。
力自慢のリリオが手伝ってくれるから楽だけど、あたし一人だったらもっと時間かかるわよ。というか無理よ。リリオ一人でも無理かも。力があっても体重差がね。ウルウは上背もあるけど、勝手がわからないしおっかなびっくりだからかえって邪魔だし。
ぼろりと零れ出るように外れた内臓は美味しいは美味しいけど、処理が面倒だから、今日のところはもったいないけど捨てちゃう。いやほんと、面倒くさいのよ。汚物抜いて、綺麗に洗って、内側こそいで。水の神官とかがいてくれたら浄化の術であっという間なんだけど、あたしみたいな半端な魔術使いじゃあ、ちょっとそこまでは無理ね。
それにウルウが気持ち悪そうな顔してるし。
なんだかんだ繊細よね、ウルウって。以前話にだけ聞いた、ほとんど無傷で殺す技って、要するに血を見たりするのが苦手だからなのかしら。だからって針一本で殺すっていうのも大概だと思うけど。
さて、ちょっと休憩したら今度は皮剥ぎ。
猪の類は脂が美味しいから、この分厚い脂の層をできるだけ肉の側に残しつつ、皮を剥いでいくわ。足のところに切れ目を入れて、次はお腹側に切れ目を入れて、それから胸元から鼻先にかけて切れ目を入れて、あとは少しずつ刃を入れて剥いでいく。リリオはこういう作業あんまり得意じゃないから、替えの小刀をお湯で洗って用意してもらうわ。
私の方が得意って言っても、まあ猪の脂ってのは皮としっかりくっついてるから、簡単にはいかないわね。鹿とかなら、それこそリリオ曰く「靴下でも脱がすように」くるくると剥げるんだけどね。人間ならもうちょっと――ごほん。
でも、手早くやらないと、これだけ大きい猪だとどれくらいかかることかしら。
そう思っていたら、さすがに慣れてきたのか、ウルウが手伝いに入ってくれた。
「どうやるの?」
「こう、こう、こうやって」
「こんな感じ、かな」
「そうそう。リリオより呑みこみいいわ」
「ぐへぇ」
ウルウはぎこちないように見えるけど、手先の器用さは抜群ね。おまけに見た目と裏腹に握力が万力みたいにあるから、脂で滑る皮もがっしり掴んですいすい剥いでいく。教えたあたしより速いんじゃないかしら。
何度かリリオの洗ってくれた小刀に交換しながら、あたしたちは綺麗な一枚皮をはぎ終えたわ。
脂の分厚い猪って、皮をはぐと真っ白なのよね。背中はたてがみの跡が残ってるけど、他はすっかり蝋で包んでるみたい。
まあこんなに早く剥げるのは、ウルウの手際が思ったよりいいせいね。普通なら何時間かかかるわよ。疲れてきたのか途中から何人かいるように見えたし。
「実際分身したんだよ」
真顔で言われたけど、ウルウなら本当にやりそうで怖い。
さて、すっかり皮を剥いだら、いわゆる「お肉」の形まで解体していく。ここからはリリオの方が適役ね。
「リリオ」
「はいはい。主遣いが荒いんですから」
しゃらんと軽やかな音を立てて剣が抜かれ、川原に寝かせられた角猪の体にためらいなく振り下ろされる。普段は器用さなんてまるでないように見えるリリオだけど、こと剣技に関しては目を見張るようなところがある。多少雑に扱っても欠けることさえない大具足裾払の剣だっていうのもあるんだろうけれど……。
「ほう……実に滑らかな」
ウールソさんも感心したように顎をさする。
頭をするりと断ち落とし、返す刃で角猪の分厚い脂の層も、丈夫な背骨も、まるで溶けたバターのようにするりと縦半分に両断しながら、でも寝かせた河原の石には傷一つない。
ある程度腕の立つ辺境の剣士なら同じようなことはできるけど、リリオの恐ろしいところは、失敗するはずなどないという絶対的な確信よね。自分の技を信じることは誰でもする。でも確信することは誰にでもできることじゃあないわ。
それが危うくもあるし、鋭くもある。剃刀の刃のような、そんな。
リリオは剣の脂を拭って、狩猟刀に持ち替える。
「とりあえず、今日食べる分だけ残して、あとは《自在蔵》にしまっておきましょうか」
「私の《自在蔵》なんだけど」
「まあまあ」
足を外すときは、骨の形を確認しながら刃を入れ、関節を外して、切り落とす。
胴、前肩、股の三つのブロックに分け、骨を外して、肉を小分けにして、はー、またこの作業だけでも一仕事ね。またウルウがなんか増えてたから早く済んだけど。
「…………ウルウ殿は、シノビの術を身に着けておられる?」
「西方の魔術でしたっけ。あたしたちもわかりません。あれはああいう生き物だと思ってるので」
「ああいう生き物」
「はい」
「はあ」
私たちは売れそうな綺麗な部分を手分けしてまとめて《自在蔵》にしまい込み、それから骨をどうしようかと相談しました。
「これだけ綺麗だったら標本用に売れないかしら」
「背骨断っちゃってますし。厳しいですよねえ」
「煮込んで出汁とる?」
「骨から出汁とるのって相当時間かかるのよ」
「撒餌にしますかな」
「撒餌?」
ウールソさんの提案にあたしたちは小首を傾げた。
「《一の盾》として活動していたころは、角猪などの害獣の骨や肉を餌に、上位の魔獣などを誘き寄せては討伐していたものです」
「例えば?」
「そうですなあ、熊木菟などがよく釣れましたな」
「よく狩ってたんですか?」
「素材がよく売れますしな。それに、美味い」
これにはあたしもリリオも顔を見合わせた。
というのも、熊木菟の肉は独特の獣臭がきつくてまずいと言うのがもっぱらの噂だからです。
「美味しいんですか?」
「美味いですとも。とはいえ、食い方は秘伝ですが」
「むーん」
「何しろ拙僧は、山椒魚人から学んだ熊鍋の腕で《一の盾》に招かれましたからな」
「えっ」
「クソ忌々しいことにあのメザーガという男は拙僧をしこたま転がした挙句鍋が美味いという理由だけでパーティに引き入れましてな」
「そりゃ怒るわ」
温厚なウールソさんでも思い出し怒りするものらしい。
用語解説
・交易貫
もともと帝国では、長さや重さといった単位をそれぞれの国や種族毎の単位で扱っていた。
交易貫とは交易尺などとともに近年帝都で制定された単位であり、公的事業においてはこの単位を使用することが法で定められており、また交易尺貫法を用いるものが優遇される方針にある。
交易貫はグラムと呼ばれ単位を基準に、キログラム、トンなどと呼ばれる単位が用いられる。
・シノビの術
忍術、ニンポなど。西方の小国で編み出されたとされる独特の魔術。
前回のあらすじ
ライトノベルでじっくり猪の解体をやらかすというお得なお話でした。
真似するときはちゃんとした人に師事しようね。
わくわく動物ランド(屠殺編)を私は何とか乗り越えた。つまり、その、なんだ、乙女塊を吐き出さずに済んだ。いやー、動物の解体シーンって初めて見たけど、慣れるまでかなりきついものがあった。
慣れると、なんかもう、心が麻痺するっていうか、麻痺させないと心が折れるというか。辛い現実と向き合うときに大切なのは、それと向き合う力ではない、向き合い方だ。直視することがつらいものであれば、半分だけ見るのだ。半分だけ見て、半分は目を逸らす。
よし、大丈夫。
後半なんかはもう、《影分身》を使って積極的に解体作業に参加して、さっさと切り上げようとしてたくらいだからな。
これは本来攻撃《技能》で、複数の分身を現出させ、敵単体に超高速の連続攻撃を繰り出すものだが、プルプラも気を利かせてくれたのか、元の形より融通が利くようで、単純な指令ならば従ってくれる分身を生み出すスキルとして活用できた。
そうして解体の終わった猪肉を選別し、今日の夕餉に使わない分は、小分けにしてインベントリにしまう。後で売りに出してもいいし、私のインベントリの内部は時間が進まないようだから、今後の非常食として取っておいてもいい。
さて、トルンペートの浄化の術でざっと血糊を落としてもらい、私は川辺の岩に腰かけて一息ついた。この体はかなりのスタミナを誇るけれど、慣れない作業には結構気疲れもする。それになんだかんだグロかったし。
リリオとトルンペートは、肉をじっくり煮込むとかでさっそく鍋に向かった。猪肉は煮込めば煮込むほど柔らかくなるそうだ。確かに、境の森で食べた時は煮込みが足りなくてごりごりして結構硬かったもんな。
そうなるとわたしはどうしたものか。
肉の扱いとか知らないし、ちょっとグロッキーな気分だし、後お腹減ったし。
……なんだか不思議な気分だ。
最近とみにこういう気分が増えた。
お腹が減っただってさ。
この私が、晩御飯を楽しみにしているんだとさ。
以前はゼリータイプの補給食品とブロックタイプの栄養食品、それにサプリメントで満足していたこの私が、毎日今日のご飯は何だろうって気にして、晩御飯まだかなってそわそわして。
「……変なの」
それで、その気分が、なんだか悪くないなって、そう思うんだ。
リリオはいつも美味しそうにご飯を食べる。好き嫌いもなく何でも食べる。甘いときは甘いって顔がほころぶし、苦いときは苦いって眉根が寄るし、酸っぱいときは酸っぱいって唇を尖らせて、本当に表情豊かに食べるんだ。
トルンペートはお澄ましな猫みたいにご飯を食べる。食べ方もきれいだし、食べ終えたお皿もきれいで、好き嫌いなんて子供っぽいこと言いませんよっておすまし顔。でも本当は酸っぱいものが苦手で、酢漬けとか酢の物とか、いつもリリオの分を多くとり分けて、自分はちょっぴりしか食べないのを知っている。
私は、私はどうなのかな。
私は出されたものはきっちり食べる。でも好き嫌いはまだよくわからない。甘いものは甘いし、苦いものは苦いし、酸っぱいものは酸っぱい。でもそのどれも、食べられることに違いはない。違いはないけど、じゃあどんなものが好きなのかってなるとよくわからない。
私が美味しく食べられるものは、二人が美味しそうに食べて、ウルウもどうぞって渡してくれるものだ。私が美味しそうだって思うものは、二人ならきっと美味しいねって言うだろうと思うものだ。
こうなると二人から離れてしまったら私は美味しいものが食べられなくなるんじゃないかと少し不安になるが、いまのところ二人から離れる予定はないので少し安心だ。
なんてことを考えていたら、さすがにお腹がぐうぐう鳴った。
何しろもうすっかり昼時だ。
一日三食しっかり摂る健康的な生活を送るように身体改造されてしまった私は一食でも抜くと餓死するのだ。
どうしよう。二人に何か催促しようか。それともインベントリの携行食でも食べようかな。
などと考えていると、何かがポチャリと水に落ちる音がした。
「うん?」
「如何ですかな」
「……釣り?」
「暇潰しにも悪くないものですぞ」
巨漢の武僧が、ひょろりと細長い竹の釣竿を構えて、釣り糸を川に垂らしている姿は、何となく直接素手で鮭でも獲ってろよと言いたくなるような違和感だった。一応熊の獣人だったなこの人。特徴と言える特徴が、毛におおわれた耳とおっそろしい顔くらいしかないのでいまいち獣人っぽくないが。
「私にも、できるものかな」
「霹靂猫魚を釣りに釣ったと聞き及んでおりますが」
「あれは、魔法の釣竿だったから」
「ほう、拙僧にも使わせていただけますかな」
「うー、ん……交換で」
「では」
この世界の人間に能動的に道具を使わせるのはちょっと怖いものがある。例えばよく二人に貸している《コンバット・ジャージ》や《知性の眼鏡》は、言っても受動的な効果のあるものだ。
魔法の釣竿……《火照命の海幸》は能動的な道具だ。この利便性をパーティ外の人間に経験させるのはすこし、まだ、不安要素が大きい。
しかしこれもある種の実験だ。
《一の盾》とか言う冒険屋パーティは決して狭くはないヴォーストの街でも知らぬ者のいない凄腕パーティであったらしい。魔法の道具にも慣れていることだろう。ここで反応を見ておくことで、魔法の道具の平均値を推測しておきたい。
ウールソであれば人格的にも信頼はおけそうだし、返してくれずに争いになるということも避けられそうだ。
というのはまあ建前で、実際のところはそこまで深く考えず、普通の釣りというのもやってみたかっただけだ。
「餌は付けられますか」
「餌?」
「そこらの虫でよろしかろう」
「……虫」
「虫は苦手でしたかな」
「いや、いい。慣れる」
「ではこちらで」
「うひゃう……これ。さ、刺せばいいのかな」
「左様、左様」
「う、ひゃぁ……」
「竿は、こう、しならせて、ひょい、と置くように」
「……こう」
「すこしぎこちないですが、そのような具合ですな」
私がそんな風におっかなびっくり釣り糸を垂らしている間に、ウールソはすでに三尾も釣っていた。
「ほおう、ほう。これはまた、見事な竿ですなあ。針先まで意識の通るようでさえある」
「こっちは全然釣れないんだけど」
「釣りとはまあ、もともとそんなに釣れるものではないですからなあ」
「何という自己矛盾」
まあはじめてまだ全然経っていないというのはわかる。わかるけど、なにしろ私が触ったことのある釣り竿というものは《火照命の海幸》だけで、釣りをした経験というのも霹靂猫魚《トンドルシルウロ》だけだ。
だから私には釣りというもの自体が全然わからない。
ひょいひょいと釣果を重ねるウールソは楽しそうだが、あれが釣れるから楽しいのか、釣りそのものを楽しんでいるのか、それさえわからない。
ぼんやりと糸を垂らして、ぼんやりと水面を眺めていると、無駄な時間なんじゃないかと、少し焦れるくらいだ。
「釣れない、ねえ」
「まあ、元来、冷えてきたころは釣れないものですからな」
「そういうもの?」
「魚も寒くなれば動きが鈍くなるものでしてな」
「じゃあ、釣れないんじゃ」
「コツがありましてなあ」
「……ウルウがめっちゃ喋ってます」
「下手すると一日で二言とか三言しか喋らない日もあるのに」
「君たち、後でお話ししようか」
「ぐへぇ」
「ぐへぇ」
昼食は、シンプルに焼き魚となった。
用語解説
・乙女塊
苦くてすっぱくてスパイシーで主に朝食などからできているもの。
・《《影分身》》
ゲーム内《技能》。《暗殺者》系統が覚える。
単体敵に対して、複数の分身体を生み出し、高速の連続攻撃を見舞う物理属性の《技能》。
攻撃回数がとにかく多いので、クリティカルが連発すると恐ろしいダメージ量になる。
『お前が己で、お前も俺で、お前も俺なのか、そうするとお前も俺だな、じゃあお前は誰だ、俺か。それで、そう。俺は、誰だ?』
前回のあらすじ
人間らしい空腹感や、なかなか釣れず焦れるウルウなどがお楽しみいただける回でした。
嘘は言っていない。
いやあ、美味しかったですねえ、お昼ご飯。
たまにはこういう、手の込んでない塩焼きみたいなのもいいものですね。
と言うか最近手の込んだものばかり食べてたような気がします。トルンペートのご飯は美味しいので文句はないんですけれど、近頃野営とか野外での食事少ないので、冒険屋として大丈夫かなと少し不安です。
都市型の冒険屋としては間違ってないんでしょうけれど、旅型の冒険屋を目指す私としてはちょっと問題です。
まあそれはそれとしてご馳走様でした。ウールソさんが大量に釣ってくれたおかげで夕餉まで持ちそうです。
「私も釣ったんだけど」
「普通の釣竿でよく釣れましたよね」
「一匹だけだけど」
「私はああいう風にじっとしてるの落ち着かないので」
「リリオ殿は毛針の方がよろしいかもしれませんなあ」
さて、そんな風にお昼ご飯を終えて小休止に入った私たちですが、トルンペートは勤勉なことで、薪が足りないかもしれないので取ってくると席を立ち、ウルウも釣りで体が強張ったから歩いてくるとそれについていきました。
じゃあ私もと立ち上がろうとすると、あんたは鍋見ときなさいと火の番を命ぜられてしまいました。うにゅう。でも美味しいご飯のためには仕方がありません。
火は強すぎず、弱すぎず、コトコトとじっくり煮込みます。水が減れば足してやり、肉の具合を竹串で刺して確かめます。
角猪の肉は、普通の猪の肉よりも大分かたいです。しかし本当にじっくり焚いてやると、これが恐ろしくとろっとろに柔らかくなってくれるのです。《黄金の林檎亭》の角猪が懐かしいですねえ。
今日のお鍋はあれほどまでに手の込んだことはしませんが、それでも美味しいお鍋になる予定です。
私がそうしてそわそわと火の番をしていると、ウールソさんがのっそりと鍋を挟んで向かい側に腰を下ろしました。
「すこし、お話してもよろしいかな」
「え? ええ、はい、構いません」
「では作麼生」
んん、聞いたことあります。
神官の使う掛け声ですね。
「説破!」
「うむ、うむ。ではお尋ねし申すが、何故にリリオ殿は冒険屋を目指されるのか。作麼生」
「ん、説破。もともとは母に憧れてでした」
「メザーガ殿の従兄妹であらせられるという」
「そう、その人です。母はもともと南部で冒険屋をやっていたそうです。それが依頼で辺境までやってきて、父との大恋愛の末に結婚したのだとか」
「その母君に憧れて」
「ええ。長い冬の間、母はよく私を抱き上げて、冒険屋だった頃のお話や、また旅の間に見聞きした様々な冒険や旅のお話を聞かせてくれました。それが幼心に染みわたっていったんでしょうねえ。今や私もすっかり冒険屋馬鹿です」
「それが他人を巻き添えにしての事であってもですかな」
「え?」
「実際、リリオ殿は仕事で仕えているトルンペート殿を巻き添えにし、道中出会っただけのウルウ殿もその旅の巻き添えにしようとしておられる。リリオ殿の旅は他人を巻き添えにしても良いというほどのものでありますかな」
作麼生、と低い声が胸に響きます。
巻き添え。
今までそのような考え方をしたことはありませんでした。
私にとって旅というものはずっと待ち望んでいたものでした。辛くて、しんどくて、もう疲れたって思うときは何度もありました。でもやめたいと思ったことはありませんでした。
私にとって冒険屋とは夢であり、憧れであり、それ以上に地に足のついた現実でした。
私にとって冒険屋を目指すことは当然の事であり、冒険屋として生きていくことは他に選ぶものなどない確たる進路だと思ってきました。
しかし私についてきてくれる二人はどうでしょう。
トルンペートはもともと私のお目付け役として付いてきてくれたものです。
私はトルンペートの事を姉として慕い、トルンペートも私を妹としてかわいがってくれます。
しかし厳然たる事実としてトルンペートはドラコバーネ家に仕える武装女中であり、それはつまり当主である父に仕えるということであります。
私の冒険屋稼業に付き合ってくれるのは、父から与えられたお目付け役の任を全うするためであり、本当はいっしょに辺境に帰って欲しいとそう思っているのかもしれません。
ウルウはどうでしょうか。
ウルウの旅の目的を、本当のところ、私は知りません。
ウルウはきっと一人でも何でもできて、一人でもこの世界を歩き回れることでしょう。
それでも私についてきてくれるのは、私がウルウの知らない世界の案内役としてちょうどよいという、ただそれだけの事です。ウルウは言いました。美しいものを見たいと。君がそうであるならば、そうであるうちはいっしょにいてもいいと。
ウルウが案内役を必要としている以上に、私が望んで旅についてきてもらっているのでした。
私の旅は、二人を巻き添えにしてもいと思えるほどのものなのでしょうか。
なんて。
答えは決まっています。
「説破! 二人がついてきてくれるのは嬉しいことです。でも私は二人に無理強いしたことはありません。二人がついてきてくれるのは二人の事情や二人の意志からであって、私なんかの巻き添えではありません。私が旅を続ける上で一緒にいてくれたらどんなにか心強いことかと思います。でも、もしも二人が望まないのであれば、私は一人でも旅を続けるでしょう」
それはきっとどこまでも寂しくて、心折れるほどにつらい別れでしょう。
けれど、それでも、だけれども、私は冒険屋になると心に決めたのでした。
だってそこには、きっと美しいものがあるのだと、そう信じられたから。
「ふむ、ふむ。成程。左様ですか」
ウールソさんはじっとわたしを見つめて、それから熊のように恐ろしい目を細めました。
「では、御父上やメザーガ殿はどうか」
「父や、メザーガですか?」
「御父上はもちろん、メザーガ殿もリリオ殿のご家族と言ってよい。この二人はどちらも、リリオ殿が冒険屋になることをよしとされていない」
「それは……そうですけれど」
「メザーガ殿は単に危険であるからこれをよしとしておられない。成程、これはリリオ殿も承服しかねるものでしょう。しかし一方で御父上はどうか」
「父が、何か?」
「聞けばリリオ殿は辺境の出。辺境と言えば臥竜山脈より沸きいずる悪竜どもを押しとどめるもののふたちの土地」
「その通りです」
それは誇らしく、気高く、名誉なことだと思います。
「御父上からすれば、リリオ殿がその辺境から旅立つということは、悪竜どもを切る刃が一本足りなくなるということではあるまいか」
「む、ん……それは」
「作麼生」
これもまた、考えていない事でした。
父の偉大さや、兄の優秀さ、また頼れる人々に任せっきりで、では自分が欠けた後はどうなるのかということを考えてはいませんでした。
私はまだまだ未熟な身です。それでも、大具足裾払の剣を一振り託された剣士が一人、護りの柵から抜け出るということはどれだけの損失でしょうか。
父は私にそのようなことは言いませんでした。
言わずとも理解してくれているとそう思っていたのでしょうか。
いえ、あるいはそれは無言の後押しだったのかもしれません。表立って応援することはできない。しかし娘の夢のためならば情けないことなど言えぬと、そういう覚悟の上での後押しだったのかもしれません。
そういった今まで考えてもいなかったことを思うに至っても、しかし不思議と私の中の覚悟はこれっぽっちも変わることがありませんでした。
一人で、あるいはトルンペートと二人で旅をしている時であったら、この武僧の問いかけに詰まり、故郷へと帰る道も考えたかもしれません。竜たちと戦う日々を選んだかもしれません。
しかし、今の私にはそれでも冒険屋として旅に出たい、もう一つの理由ができていたのでした。
「説破。それでも私は旅に出ます」
「フムン」
「だって……ウルウに格好いい所見せたいですもん」
「は、ははははは、は。成程。成程」
ウールソさんは高らかに笑って、膝を打ちました。
「成程。同じ情でも、家族の情ではこの情には勝てませんなあ」