前回のあらすじ
ほら、あーん。この爆弾をお食べ。
背後から襲ってくるバナナワニよりも、耳を塞いでも聞こえてくる轟音と目を塞いでも瞼越しに感じる閃光に震えが止まらない今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか、リリオです。
足を止めるなという言葉に従って走り続けた結果、ものの見事に橋を渡り切りそのまま顔面から壁に衝突したりもしたけど私は元気です。
さて、なんとかふらつく頭を立て直して振り返ったところ、大きく口を開けてのけぞるバナナワニと、その口からもうもうと立ち上る炎と煙が見えました。
そして一仕事終えてやったぜみたいないい顔で額の汗を拭うウルウ。日頃、鬱憤でもたまってたんでしょうか。
「………なにやったんだ?」
「お腹が減っているようなのでご馳走してやった」
「何を?」
「刺激物」
「よーし、お前とは会話が通じねえ」
「知ってる」
ガルディストさんとウルウがそんなことを話している間に、何とか私の目の奥のちかちかは晴れてきました。
大方、またウルウが鉄砲魚の時みたいな謎の爆発物を使用したのでしょう。炭鉱なんかで岩盤砕くのに使う爆発魔術みたいです。
「いやー、しかし助かりましたね。さすがにあんな爆発喰らったら」
「ばっか、リリオバーカ!」
「え、な、なんです!?」
「やったか、って言ったらやってないんだよ!」
「何のことです!?」
フラグとかなんとかいうものの話をウルウがぼやくと同時に、バナナワニの体がぐらりと傾き――そして、確かにこちらをにらんだのでした。
「あ、理解しました。心じゃなく、目で」
「オーケイ、じゃあ胃袋爆発しても平気な化け物を倒すとしようか」
まあ、そもそも鉄食べても平気な胃袋だったわけですが。
ともあれ、私たちはそれぞれ得物を構え、ガルディストさんはそんな私たちの背後に退散しました。
「ちょっと!?」
「馬鹿言え、俺は野伏だぞ。いくらなんでもあんなのと正面からやれるかってんだ」
「監督責任ー!」
「骨は拾ってやる」
ざばん、と大きく水を打ち、バナナワニがその巨体を鉄橋の上に乗りあげました。
そして手足のない体をのそりのそりとゆっくり揺らしながら、しかし確実にこちらへと迫ってきています。
こうしてみると、バナナワニはワニというよりは全くバナナでした。頭と尾は気持ち上に反り返り、のっそのっそと動くさまはバナナではないとしても、ワニというよりオットセイです。ただしサイズは私たち全員を丸のみにしてもおかしくないくらいで、バナナワニとしか呼べない脅威です。
その黄色い鱗は全くの無傷で、艶やかなさまはいっそ高貴でさえあります。らんらんと輝く瞳は怒りと憎しみと空腹とに燃え上がり、ぎちぎちと音を立てて巨大な牙が打ち鳴らされています。美しさと凶暴さが居合わせる様はまさしく貫禄と言っていいでしょう。
しかし、どうやって攻めたものでしょうか、これは。
何しろこちらは壁際の通路という狭い足場しかなく、敵は広い水路全てがその足場なのです。
私は水上歩行が使えるとはいえ、常に魔力を消費しますし、なにより水に潜る敵相手に立ち回れるほど経験豊富というわけにはいきません。
では今の内に駆け寄って切りつけるか。
それを否定する材料は、たった今トルンペートが投げた投げ短刀です。
やわな鎧くらいは貫通するトルンペートの短刀が、鱗に弾かれて呆気なく落ちていきます。
「……駄目ねこりゃ。あたしはお手上げだわ」
そうなると私の刃も果たして刺さるかどうか。
悩んでいる間にもバナナワニはのっそのっそと……遅っ! 着実だけど遅っ! 水中と違い陸上ではかなりのろまです。
時間はあるとはいえ、しかし、うーん。
悩む私を後ろからそっと抱きしめるものが在りました。柔らかな外套が私を包み込み、安心させてくれます。
「諦めるかい、リリオ」
「え」
「あれは、ずいぶん相性が悪い。仕方がない。面倒だけど、私がやってもいいよ」
それはあまりにも呆気ない一言でした。気負うでもなく、背伸びするでもなく、ただただ当たり前のように、ウルウはあれをどうにかできるとそう言っているのでした。ウルウがそういう以上、それは確実なのでしょう。私にどうしようもないことを、なんとかしてきてくれたように、今回もどうにかしてくれるのでしょう。
それは、とても魅力的な提案でした。
「ウルウなら、あれをどうにかできるんですか?」
「容易いね」
「ウルウなら、私たちみんなを助けられるんですか?」
「勿論だよ」
「ウルウなら」
私はごくりとつばを飲み込んで、それから大きく息を吸い、大きく息を吐き、また大きく息を吸い、また大きく息を吐いて、そしてもう一度息を吸いました。
「ウルウなら、人に任せてそれで良しとしますか」
ウルウはゆっくりと目を瞬かせ、それからゆっくりと私を抱きすくめる腕を外しました。
「君がそうであるうちは、私は君を応援しよう」
「きっとそうあります」
ゆるりと私から離れて、壁に背を預けるウルウを尻目に、私は改めて剣を握りました。
バナナワニはいよいよ橋を渡り切ります。
そうなればもう逃げ場は―――まあいっぱいありますけど、そういうことではありません。心構えが、違うのです。ここで倒す。それが肝要です。
「トルンペート、時間稼ぎを」
「どれくらい?」
「三十秒――いえ、一分」
「高くつくわよ」
「雪糕を奢ります」
「とびっきりのを頼むわよ!」
トルンペートが飛び出し、私は剣に魔力を預けます。
ウルウが、私の背中を見ているのです。
格好悪いことは、できません。
用語解説
・やったか、って言ったらやってないんだよ!
いわゆるひとつの生存フラグ。
・私がやってもいいよ
ぶっちゃけた話、相手が生物であるならば、その生命活動を停止させるだけならウルウにとっては朝飯前である。それ以外は致命的に不器用だが。
前回のあらすじ
強固な鱗に凶悪な牙、いまだかつてない強敵バナナワニを前に、リリオは覚悟を決めるのだった。
……バナナワニってお前。
ウルウが何か言ったらしく、リリオが変にやる気を出してしまって困る。
どうせウルウならあのくらいの奴一人で倒せるだろうし、さっさとやってもらいたいのに。あたしはなにしろ無理なものは無理だし矜持より効率の方が大事な人間だから、こういうのは無駄としか思えない。
それでもやらせるからにはどうにかなるという見通しなんだろうけれど、人間は一仕事終えてそこまでってんじゃなくて、その後があることをよくよく考えてほしい。
ここでこいつを全身全霊で倒したって、そのあともあたしたちは調査を続けないといけないし、何なら帰るまでが遠足だ。どうせ陸上じゃ遅いみたいだから、通路を走って逃げればいいし、水路を追いかけてきたらその都度撒けばいい。
真面目に真正面からぶつかる相手じゃあないのだ。
「トルンペート、時間稼ぎを」
「どれくらい?」
「三十秒――いえ、一分」
「高くつくわよ」
「雪糕を奢ります」
「とびっきりのを頼むわよ!」
だから、そう、これは仕方なくなのだ。
頼られれば答えざるを得ない、武装女中の性がそうさせる、仕方のない衝動なのだ。
主に頼られて、嬉しいと全身の細胞が沸き立つ喜びなのだから。
とはいえ、いまや目の前まで迫ったこの化け物相手に、どうしたも、の、――
「おわっ!」
ぞりん、と空を削るようにして、凶悪なあぎとが先程まであたしがいた場所をかみちぎる。そしてそれをかわせば即座に次の噛みつき。
移動速度は遅いけど、噛み付いてくる速度はとてもこの巨体とは思えない。
噛みつきの速度をそのまま突進に流用して、ヴァリヴァリと虚空をかみ砕き、通路を暴れまわるバナナワニ。
ちゃっかり逃げている野伏と亡霊はこの際放っておくとして、なるほどこれは時間稼ぎが必要だわね。
あたしは前掛けから短刀を抜き取る。
とはいえ、まともな投擲が鱗を抜けないのは実証済み。
となれば狙いやすいのは。
「刺激物がお気に召さないんなら、これならどうよ!」
大口開けて噛みつきにかかるその一瞬を狙って、喉の奥めがけて投擲すれば、確かに刺さる。
刺さるけど、
「ぐぎぃいいぎぎゃぎゃぎゃああああああッ!」
「怒るわよね、そりゃ!」
大したダメージでもなく、むしろ怒りの炎に油を注いで、バリバリベキベキムシャムシャゴクンと短刀を飲み込み、あたしめがけて噛みついてくる。
いやもう、これは噛みついてくるなんて軽いものじゃない。空間を削り取ろうとするような勢いだ。なまじ手足がないだけに、全身のひねりを噛み付きに回してくるから、一撃一撃がとにかく速くて、重い。
避けたはずがしびれるほどの強烈な衝撃が、牙と牙を打ち鳴らす轟音に秘められている。
そして危険なのは牙だけじゃあない。その牙を繰り出す全身のひねりが、ついでとばかりに通路を震わせながら突き進んでくる。まるで陸地を泳いでるようだ。跳ね飛ばされれば、私など粉々だろう。
飛竜と向き合うような恐怖に、じっとりとした汗がにじんでくる。
たかが一分が、まるで無限にも思えてくる。
けれど、飛竜と向き合うほどじゃあないって安堵が、あたしの心臓をドクンドクンと一定に保ってくれる。
そうだ。こんなものはなんともない。辺境を襲う飛竜はもっと恐ろしい。そんな飛竜をおやつとしか思ってない辺境の連中より怖くない。そんな辺境の連中の一人である、リリオなんかより全然怖くない!
そうだ、そのリリオが後ろにいるんだ。そのリリオがこいつを倒してやるっていうんだ。そのリリオが、あたしに頼むっていうんだ。
ならあたしにとって、無限とはたかが六十秒だ。
そしてその無限は、今、――終わる。
「トルンペート!」
「はい!」
合図とともにあたしはわき目もふらずに逃げ出す。
何から?
決まっている。
リリオのもたらす、決定的な破滅からだ。
逃げ出す一瞬に見えたリリオは、輝いていた。
格好良くて輝いて見えるってんじゃない。たとえ知性の眼鏡がなくたって、闇の中でバチバチと光り輝いていた。
有り余る魔力を貪り食って、雷精がリリオの全身を踊り狂って喜び悶えている。
刀身は赤熱し、白熱し、そしてそれを通り過ぎて青白い光にしか見えない。
光り輝くリリオの全身は、見る者の目を灼くいかずちの化身だ。
視界の端で確かに何かが光り、あたしはウルウの言葉を思い出して、咄嗟にそうしていた。
つまり、目玉が飛び出ないように目を閉じ、鼓膜がつぶれないように耳を閉じて、衝撃で内臓が破れないように口を開け、巻き込まれないよう必死で逃げ出していた。
瞬間、何もかもが吹き飛んでしまった。
ような気がした。
用語解説
・青白い光
ファンタジーでよく見るなんかすごい強そうな光。
色温度で考えると一万ケルビン程度だろうか。タングステンの沸点が五八二八ケルビンだから、えーと、とにかくすごい熱い。
前回のあらすじ
リリオ、輝く。
トルンペート、気絶する。
その他、外野。
以上三本でお送りしました。
トルンペートに時間稼ぎを頼んでリリオが何をしていたかと言えば、私からするとじっとしていたとしか見えなかった。まあ、いわゆる溜めだったんだろうな。
最初の十秒程度で、剣が光り始めた。次の十秒ではっきりと雷精らしい蛇のようなものがまとわりつくのが見えた。そして刀身が電気による熱量で赤熱し、瞬く間に白熱し、青白く輝きを放ち始める。三十秒もたつ頃にはリリオの全身が雷をまとっているような状態だ。
通常であれば余りの電量に全身が黒焦げになっているだろうが、これは装備のおかげなのか、それとも魔力というものの働きなのか、リリオ自身はいたって平然と、むしろ雷のおかげで意識が明瞭にでもなっているのか、いっそ透徹とした視線をバナナワニに向けている。
「トルンペート!」
「はい!」
そしてトルンペートが離れるや否や、入れ替わりとばかりにリリオはバナナワニの巨体に突っ込んだ。暗闇の生活に慣れて目があまり良くなかったらしいバナナワニもさすがにこの閃光をまとった突進には気付いたようだったが、時すでに遅しだ。
リリオは剣を振り上げ、そして、振り下ろした、のだと思う。
何しろその瞬間、視界の全てを焼き尽くすような閃光とともに、轟音と衝撃波が地下水道の低い天井を揺らしながら響き渡り、何もかもが真っ白に弾け飛んだからだった。
落雷の瞬間というものは、或いはあのようなものなのかもしれない。
さしもの私の無駄に頑丈な体もこの衝撃にはたたらを踏み、耳はきぃんと耳鳴りの果てに麻痺し、目は真っ白に焼き付いた。衝撃で水路に落っこちなかったのがせめてもの救いだろう。
さて、ではこの一・二一ジゴワットの直撃を受けたバナナワニと、そしてごく至近距離でぶちかましたリリオはどうなったのだろうか。
もちろんこれはすぐには確認できなかった。何しろ私がこのありさまだったのだから、後から聞けば、無防備に喰らってしまったガルディストなどは右耳の鼓膜が破れて気絶し、私が一瞬教えただけの耐衝撃体勢をとったトルンペートもあまりのショックにしばらくスタン。
なので、ことの顛末はリリオ本人が語ったところによると、おおむねこのようなものであったという。
魔力を食わせに食わせた雷精のこもった剣で切りつけた瞬間、リリオ自身もまるで落雷でもあったかのような相当な衝撃を感じてはいたのだという。しかしリリオの魔力で育った雷精はリリオを傷つけることはなく、ただリリオから際限なく魔力を奪いながら刀身から抜け出していき、あれほど硬かったバナナワニの鱗をぞふりぞふりと切り裂いてしまったのだという。
それこそ、リリオの言葉を借りるなら、
「よく焼いた包丁でやわな焼き菓子に刃を通したような」
そのような呆気なさだったという。
これはまあ例え通り、大電量によって加熱された刀身がヒートソード化してバナナワニの細胞を焼き切ってしまったのだろう。或いは刀身に纏わりついた大電量の雷そのものが溶かすように焼き切ったのか、そのあたりは私にはわからないところだが。
ただまあ、私が何とか復活して確認した時にもまだじゅくじゅくぶつぶつと沸騰していた傷口の断面を思うに、相当の熱量で焼き切ったことは間違いないことだった。
切断面はそのように見るも悍ましい始末だったが、刃筋そのものは実に綺麗なもので、マグロの兜割か何かのように、バナナワニはその脳天を綺麗に左右に切り裂かれて絶命していた。多分。
多分というのは、私が駆けつけてみた時には、まだ死後直後だったからか、それとも電流によって筋肉が痙攣していたのか、全身がびくびくと震えていたからだが。
このような敵味方問わずの大惨事を引き起こした首謀者ことリリオはその時どうしていたかというと、雷のダメージそのものはまるでなかったようなのだが、すっかり魔力を引き抜かれて、その上まだ残っていた雷精がちまちま魔力をむさぼるので回復が追い付かず、欠乏状態でぐったりと気絶していた。
この雷精は私が摘まんで放り捨てたので何とかその後は回復したが、一人であったらそのまま吸われ続けて衰弱死していたかもしれないというから恐ろしい話だ。
精霊をつまんで捨てるあんたの方が怖いわとはトルンペートの談だが。
まあ、このようにゆっくりと話をまとめられるのはすべてが片付いて落ち着いた後の話であって、私、トルンペートと順に回復し、リリオを介抱し、ガルディストを起こして、互いに話を突き合わせてみるまで、とにかく混乱の真っただ中だった。
話をまとめて、バナナワニが完全に死亡していることを確認し、手持ちの回復薬を耳に注いで血を流したガルディストは、それから私たちを床に正座させて説教をした。
まず私だった。
「中途半端に煽るんじゃない」
「私のせい?」
「お前が何か言ったからリリオが張り切ったんだろう」
「まあ、自覚はある」
「たらしめ」
「なんだって?」
「とにかく、煽るにしてももう少し加減を覚えさせろ。お前さん、保護者だろう」
「保護者じゃないんだけど」
「少しは責任感を持てということだ」
「それは、うん、わかる。すまない」
「俺にじゃないだろ」
「リリオ、ごめん」
「え、あ、いえ」
それからトルンペートだった。
「主を信頼するのはいいが、暴走することもあるんだってことはわかっていただろう」
「……はい」
「主に無茶させてちゃ話にならん。それで自分まで気絶してたんじゃどうしようもない」
「……はい」
「時にゃあ殴ってでも止めにゃあならんこともある。仲間ならな」
「……はい」
「まあ、お前さんはわかってるからな。これくらいでいい」
「はい」
そしてリリオ。
「俺がメザーガだったらお前を簀巻きにして辺境に送り返してる」
「ぐへぇ」
「いきなりの思い付きであんなことをしやがって。狭いところでやるから余計被害がでかかった。事前に想像しなかったか?」
「しませんでした。すみません」
「今回は生きてたからすまんで済むが、死んでたら謝りようもない」
「はい……」
「だが俺はお前の親戚でも何でもない。アドバイスもしなかったからな。お前さんは仲間から叱られろ」
「はひぃ……」
そして最後はガルディスト自身だった。
「俺の監督不行き届きだ、すまん。この通りだ」
地面に頭をつけて、ガルディストは謝罪した。
「実際、俺一人だったらどうとでもできたし、野伏とは言え、対処はできた。だがお前さん方の活躍の場を奪うのもと甘く見た。俺がもう少し早くリリオの暴走に気付けばよかった。だがまさかあれほどだったとはな。辺境人と聞いていたのだからもっと注意のしようがあった。侘びのしようもない」
私たちは四人それぞれに反省し、痛み分けとした。早めの反省会は、それからこまごまとしたことを話し合い、終えた。
「それで、こいつをどうするかだな」
問題はバナナワニの死体だった。
橋の半ばまで至ったところで反応してきたこともあり、他の生き物の気配が全くないことからも、これがこのあたりの守護者である魔獣なのは間違いないだろうという。
一部であれ全身であれ、持ち帰れば討伐を認められ高額の賃金値上げが見込めるだろう。
しかし。
「橋が壊れちまったからなあ。持ち帰る云々以前に、どうやって帰る」
他の橋を探すという手もあるが、あるかどうかもわからないものを探して彷徨うのは、あまり良策とは言えなかった。
とはいえこれに関しては簡単で、一応私とリリオは水上歩行ができるので、一人につき一人ずつ背負うなり抱き上げるなりすれば橋の崩れた地点までは戻れるだろう、ということで帰り方は決まった。何しろこのバナナワニが近辺の魔獣やらも食い尽くしたようで、他の外敵の危険は全くなさそうだったのだ。
ではバナナワニの死体はどうするかというところだ。
私のインベントリはこれくらいわけなく入ることをガルディストも知っているが、問題はそこではない。
「丸々渡せば相当な高額報酬が入るだろうが、古代遺跡の守護魔獣だ。さばき方によっちゃ他所の方が高く売れるぞ」
「素材も魅力的ですね。飛竜並みに硬いんじゃないですか、この鱗」
そう、どうさばくかということだった。
私たちはしばらく相談し、やはり一部を売却用と装備用に拝借し、残りの大部分を水道局に届け出ることにした。
というのも、この割合が逆だと、では残りの死体の大部分はどこに行ったのかとなってさすがに黙ってはくれないだろうということで、局の見逃してくれる部分だけで我慢しようということだった。
ではあとはこの取り分をどこまで大きく分捕れるかというところなのだが、そこで疲れ切ったリリオから案が出た。案というか、欲求が。
「おなか、すきました」
焼かれて甘い香りを漂わせるバナナワニの肉に、ごくりと喉が鳴るのを感じた。
用語解説
・一・二一ジゴワット
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場するタイムマシン「デロリアン」が必要とする電力量。落雷のエネルギーで賄った。
実際にはギガワットの誤りだったようであるが、日本ではあえてジゴワットの形でオマージュされることが多い。
・水上歩行
ウルウが使用できる水上歩行の術は、《薄氷渡り》という《技能》。これは一時的に体重をなくすスキルで、水上を歩行可能にするだけでなく、使用中所持重量限界を緩和できる。
前回のあらすじ
お願い、死なないでバナナワニ!
あんたが今ここで倒れたら、古代人との約束はどうなっちゃうの?
出番はまだ残ってる。ここを耐えれば、美味しくいただけるんだから!
前回、「バナナワニ死す」。デュエルセットダウン!
「おなか、すきました」
大量の魔力を消費したせいでしょうか、とてもとてもお腹が空きました。近くから香ばしくて甘い匂いがしてくるのを感じるととてもではないですが耐えられそうにありません。
私のつぶやきに反応して、ガルディストさんがフムンと顎をさすります。
「……食っちまったことにするか」
「別に構わないけど……」
「なんだよ」
「いまのリリオに食べさせて、素材、残るかな」
「……神に祈れ、給料が欲しけりゃな」
そういうことになりました。
私たちはまずバナナワニの解体から始めました。
脳天から首のあたりまで真っ二つに切り裂かれているのですが、この辺りは肉をはぎ取るのが難しそうです。美味しいは美味しいのかもしれませんが、今は量が欲しいです。牙や皮、骨などの素材を採って、後は舌を切り取ることにしました。ワニタンです。
首を落としたあたりで私が力尽きると、ウルウが私の剣を借りて作業を続けてくれました。
血抜きしてないのであまり美味しくないかもと思っていると、ウルウは心臓のあたりに刃を突き立て、魔力を断続的に流し始めました。
「魔力を流すのってこんな感じ?」
「そうそう。あんた精霊が見えるんだから、お前らに餌やるぞーって気持ちでやれば自然にできるはず」
「あー……あ、できてるっぽい」
雷精が断続的に強くなる、その波に合わせるようにして、水路に向けられた傷口からどくどくと勢いよく血が流れていきます。
「おお? どうなってるんだこりゃ」
「筋肉って電気……雷精で動くんだよ。だから心臓を無理やり動かして血を抜いてる」
「ほー、お前さん妙な事を知ってるな」
「まあこっちだと電気ってあんまり実感ないか」
そうして血抜きを済ませると、ガルディストさんの指示にしたがって、トルンペートとウルウが協力して皮をはがし、腹を裂いて内臓を抜き、水精晶の水で中を洗い、捌いていきます。
「ふーむ、見た目はバナナだが、中身はワニだな。捌き方は覚えておいて損はないぞ」
「疲れるからリリオに任せるよ」
「まったく……まあ基本はどんな生き物も似たようなもんだ。鱗獣は鱗獣、羽獣は羽獣、毛獣は毛獣、甲獣は甲獣、一種類覚えりゃ後も似たようなもんだ」
バナナワニの身は、鮮やかな黄色の体表に比べて驚くほど白いもので、つやつやと血に濡れて桃色にぬめる様はなんだか鶏肉のようです。
「そうそう、そこの骨を外して開いてやれ。骨に沿って刃を入れりゃいいんだ。よーしいいぞ」
「軟骨食べられるかな」
「煮込まにゃならんから今日は諦めろ」
「ガルディストさん、焚火できました」
「よし、できるだけ大きめに、盛大にやれ。証拠を残していこう」
「薪は私もちなんだけど」
「どうせたんまり持ってるんだろ」
「暇さえありゃ拾ってたからねえ」
やがて切り分けられて串に刺された肉が火にかけられると、何とも言えぬ不思議に甘い香りが漂いました。
「フーム、こいつは不思議な匂いだな。果物みてぇだ」
「もしかして見た目だけじゃないのかな、バナナワニ」
「かも、しれん。お前、焼きバナナ食ったことあるか。揚げバナナでもいいが」
「ない」
「青い奴を使うんだがな、こう、とろっとしててな、生で食うとあんまり甘くないのが、火を通すと途端に甘くなって、たまらねぇんだなあ」
「糖分が多いってことは、あんまり焼くと焦げるかしら」
「肉に糖分が多いってこともねえだろう、とは言い切れねえのが魔獣の不思議だよなあ」
なんだか話を聞いているだけでお腹が背中とくっつきそうです。
トルンペートがひたすら切り分け、ウルウが串にさし、ガルディストさんが焼き加減を見ては広げた革風呂敷の上に並べていきます。ある程度の数が焼けたところで、さて、どうしようかとなったようです。
「勢いのまま焼いちまったが、これ、食って大丈夫な奴か?」
「いい匂いはする」
「でも毒キノコも美味しそうなやつあるわよ」
「毒持ちは大抵内臓だが、肉にないとも言い切れんしなあ」
「よし、じゃあ一番耐性のありそうな私が毒見を」
「それなら辺境でさんざんリリオの毒キノコ鍋に付き合わされたあたしが」
「まあまあ待て待て、ここは年長者の俺が責任をもってだな」
「何でもいいから早く食べさせてくださいよう!」
「どうぞどうぞ」
なんだかはめられた気もしますけれど、暖かそうな串焼きを前に堪えられるはずもありません。
私は早速串を一つ手に取りました。大振りに切り分けられた肉は白っぽく、軽く塩を振っただけです。その塩にしたって今回は大して持ち込んでないので、ほんのちょっとです。
でも、お肉です。
私は意を決してかぶりつきました。
その時の衝撃がわかるでしょうか。
まずこの一口。
バナナワニのお肉の食感は、なんといいますか、鶏肉のようであって、鶏肉でなし。牛肉のようなところもあるのですが、でもやっぱり鶏肉のよう。ざっくりとした歯応えながらも、噛み締めるとスポンジのようにじゅわじゅわっと肉汁が染み出てきます。
二口目。
この肉汁が曲者で、まるで煮詰めた果汁のようにねっとりと濃厚な甘みがあるのです。いえ、いえ、甘いだけではありません。確かにお肉の味なのです。牛肉のようにしっかりとした肉のうまみがあるのですが、しかし牛のような臭みがありません。むしろそこは鶏肉のようにごくあっさりとしていて、どこかバナナのような甘い香りがふわりと漂います。
三口目。
これは危険ですね。とても危険です。とろっとした甘味に、肉のうまみ、そして僅かの塩が引き立て役となって、これらを何倍にも盛り上げてくれるのです。少し焦げ目のついたところなどは、焦がした砂糖のように香ばしいものがあり、あふれる肉汁と溢れる唾液が混然となり、瞬く間に喉の奥に落とし込んでしまいます。
四串目。
四口目ではありません。気づけば両手に串をもって四串目突入です。うーむむ、これは危険です、これは私が何としても一人で処理しないとあー駄目です皆さん食べちゃ駄目ですあー困ります困ります皆さんあーこれは危険です!
気づけば私たちは焼いた分だけではとても満足できず、追加を切り分けては串にさしてということさえ面倒臭くなって、最終的には大振りな肉の塊を剣に突き刺してそのまま火であぶっては表面を削って食べるという、専業剣士に聞かれたら怒られそうな食べ方に突入してしまいました。
なお私は責任をもって剣を支えて火に当てながらくるくる回す役を任じられ、その代わりに口を開くと肉を放り込まれるという最高の労働環境を得たのでした。
この焼き方は串焼きとは違い、焼け方と部位の違いが一口ごとに味わえる面白いものでした。
さらにこのとき、ウルウが素晴らしいことに気付いてくれました。
「私、盾を一枚持ってるんだけど、これを鉄板代わりに焼いたら駄目かな」
「名案ごつ」
「天才現る」
「はよ、はよ!」
あとで聞いたら目玉が飛び出るような値段が付きそうな魔法の盾を即席の竈に乗せて焼き、程よいところでバナナワニの甘味のある脂を敷き、私たちは次々に肉を焼いていきました。
この盾は全金属製で、やや丸く湾曲しており、私たちは安定のためにもくぼみを下にして焼いたのですが、この丸みの部分に肉の脂が美味いこと溜まっていき、これは堪えられんと乾燥野菜を加えてみたところ脂を吸って最高のアクセントが完成しました。
さらにここに砂糖、魚醤、酒などを加えて肉を煮るとも焼くともいえぬ中で加熱して食べるととろとろとたまらぬ味わいとなり、これはバナナワニ鍋として私たちの間で長く語り継がれることになりました。
ウルウ曰くのスキヤキというやつだそうです。
用語解説
・名案ごつ
辺境人は基本的に感覚で動くというか、はっきり言うと脳筋が多く、ちょっと提案するとすぐに天才扱いされる。
・目玉が飛び出るような値段が付きそうな魔法の盾
ゲーム内アイテム。正式名称《逃げ水の水鏡》。一見普通の鉄盾だが、装備すると相対した相手に自動で幻影を見せ、回避率を上げることができる。
前回のあらすじ
哀れ解体され美味しくいただかれることになったバナナワニ。
飯レポにかけるこの情熱は何なのか。
あたしたちは、すっかり油断していた。
警戒というものが頭の中からすっぽ抜けていた。
それは致命的な甘さだった。
鉄橋を破壊する轟音。それに続く爆発音。そして水道内を駆け巡ったあの落雷のような閃光と音。そしていまや焼かれ続けて甘く香ばしい匂いを漂わせ続けるバナナワニの肉。
これだけのことをしておいて、それが何者の注意もひかないなんて、そんなことはあるわけがなかったのよ。
「ウルウ、あんたよくそんな棒っ切れで食べられるわよね」
「私はハシが一番使い慣れてるからなあ」
「確かに、使い慣れると便利そうですよね、それ」
「西の連中にそんな文化があったなあ」
「そろそろ西のご飯も食べてみたい」
「あたし南のも気になるわ。リリオのお母さんの故郷」
「メザーガのくにだな。バナナなんかもあっちのだ」
「甘いもの多いんですか?」
「甘いもんも多いが、香辛料が多くてな、刺激的で辛いもんも多い」
「カレーだな」
「カレー?」
「嫌いな奴がまずいない一つの究極形」
「ウルウがそこまで言うなんて……!」
そんな下らない事を話しながらバナナワニ鍋をつついていると、かんかんかんと鉄橋を踏んで駆け寄る音が聞こえたのだった。
はっとして身構えたけれど、時すでに遅しだったわ。
「おーいお前ら! なんかわからんが大丈、夫……か……?」
「物凄くいい匂いがするわ」
「人が心配して駆け戻ってみれば……!」
それは《潜り者》と《甘き鉄》の面子だったわ。
あの続く轟音にさすがに何か問題があったらしいと察して水上歩行の術を使って駆けつけてくれたみたい。そのことに関しては、思ってたよりも義理堅い連中なのねって感心したけど、さてそんな義理堅い連中をすっかり忘れて美味しいご飯を楽しんでいる私たちはというと、はっきり言って酷いものだった。
ウルウは我関せずとちゃっかり姿を消したし、リリオは「どーもー」と気の抜けた一言を投げた後はひたすら肉を食べ、ガルディストさんは今更ながらにしまったと頭を抱えていた。すっかり忘れてたみたい。
あたし? あたしは追加の肉を切り始めたわ。
お詫びと、共犯者のお出迎えの為に。
盾をそんなことに使うなんてと怒ったのは専業剣士である《甘き鉄》のリーダー、ラリーだけで、他の面子はおおむね感心しているようだった。そのラリーにしても最初の怒りが収まれば成程使いようだなと納得するので、彼もやっぱり冒険屋だった。
燃料切れ甚だしいリリオをそのままに、ガルディストさんはあたしに鍋奉行を任せて他のパーティへの説明に回った。
「つまり、守護者をあんたらだけでやっちまったのか! 無茶したもんだな」
「若いのに軽くぶつからせて、後は逃げるつもりだったんだがな、俺が思ってたより根性のある連中だよ、まったく」
「ありゃすげえ切れ味だな。技かね、いや、剣か? あの轟音か?」
「すまんが企業秘密ってことで」
「いや! いや! そりゃそうだ!」
「ただまあ、それで力尽きちまってな、仕方なしにこうして燃料補給ってとこだ」
「ただの燃料補給にしては、素材はきっちり剥いでいるようだな」
「わかった、わかった、あんたらの分も仕分けるよ」
「そりゃ素材の話か? それとも……」
「仕方ねえなあ、肉もだよ、この人数にゃあ鍋が小さぇからどうすっかな」
「俺の盾も使おう」
「いいのか?」
「使えるもの使うのが冒険屋だろ? さすがに驚いたが……」
「よしきた、《甘き鉄》にはサービスするぜ」
「待て待て、《潜り者》を侮るなよ」
「よし来た、なにが出る」
「打ち上げにと思って氷精晶で冷えた林檎酒を持ち込んでるんだが、どうだね」
「ヒュー! あんたが大将だ!」
「よーし鍋将軍のお通りだ! へっへっへ、重たい荷物はお預かりしやすぜ」
「よきにはからえ」
「へへー!」
そのようにしてあたしたちは二つのパーティを共犯者に巻き込んだ。
ラリーの円盾から装具をはいで追加の竈で暖め、あたしたちは編み出したばかりのスキヤキなるタレの調合をつまびらかに明らかにして、追加の肉を焼き始めた。
このスキヤキはみんなに大いに受けて、バナナワニ鍋だけでなく、牛や豚、鳥といったほかの肉でもできるんじゃないかと大いに盛り上がった。
スキヤキの提案者であるであるウルウが鷹揚に頷いてその通りであると宣言すると、早速それぞれにどんな組み合わせが良いかと議論が始まって、これは少しもしない内に、ヴォーストの街の酒場で大いに流行るだろうってことが想像できたわね。
ただ、ウルウはやっぱり罪深い奴だったわ。
葱やキノコの類を入れることを提案するだけじゃなくて、こいつ、焼きあがった肉を溶き卵で絡めて食べると歯が抜けるほどうまいとか言い出しちゃったのよ。
思い出すように目を細めて、あのとろりとした溶き卵に、とろっとろに仕上がった肉を絡ませると何とも色っぽくて、それをちゅるんはぐはぐっと口に含んだ時の味わいと言ったらもう罪深いというほかないなんて言い出したら、誰だって生唾飲み込むわよ。
それで、どうして俺たちは卵を持ってこなかったんだって苦悩する野郎どもに、悪党顔負けの顔で《自在蔵》から卵をチラ見せする姿と言ったら悪代官もいいところね。
ありふれた卵一個が十三角貨なんて暴利にも食いつかざるを得ないわよ。
さらに取り皿に盃にフォークにと便利アイテムを並べて売り出すさまはもはや悪魔の所業だし、勿論あたしたちはそろって声を大にして悪魔に魂を売ったのだった。
さすがの超大型魔獣であるバナナワニのみっちり詰まった肉も、四人パーティが三つ、十二人の冒険屋の胃袋を前にすると恐ろしい勢いで減っていった。勿論全滅する程ではなかったにせよ、水道局に何と説明しようかという有様にガルディストさんが顎をさすっていると、おもむろに《潜り者》のクロアカが席を外して、そして帰ってきた時には何と監督官がついてきていた。
監督官は優しげな顔にすっかり困惑と呆れとをにじませて、狼狽するあたしたちを「バカモン」と叱りつけたのだった。
「こういう時は抱き込む相手が決まってるでしょう!」
そういうことだった。
あたしたちは大いに食べ、飲み、そして監督官の前で堂々と素材の分け前を相談し、そして調査した分の地形や施設などについて話し合った。
リーダーたちが真面目に話している間、他の面子はもちろん鍋をつつく手を止めなかったし、酒と肉とで生まれた親しみを下地に大いに盛り上がったわ。
「私、南の方でバナナワニ見かけたことあるわよ」
「ほんと、フィンリィ?」
「もっと小さい奴だけどね。雑食で、大きい奴でも一尺くらいかしら」
「ああ、あれか。あれはもっとあっさりした味だったな」
「養殖したらでかくならんかな」
「なるかもしれんな。北部じゃ寒いから難しいかもしれんが」
「もしかしたら寒いから大型化したのかもしれない」
「うん? どういうことだ?」
「私が以前住んでたところでは、ベルクマン・アレンの法則って言ってたんだけど、ほら、熊とかは寒い土地ほど大きくて、暖かい南行くにつれて小型化するんだ」
「成程、確かにそうね。南で見かけた動物って、みんな小さいのよ。でも耳が大きくてかわいかったわ」
「そうそう、それがアレンの法則。熱を逃がすために末端が大きくなるんだ」
「じゃあ寒い方の奴がずんぐりしてるのはその逆ってことか」
「そうそう、熱を逃がさないように」
「はー、なるほどなあ。そうなると甘いのもその流れかもしれん」
「うん? どういうこと?」
「寒いと脂をため込むだろう。バナナワニの甘味はこの脂身ではないかとにらんでるんだ」
「ははあん、なるほど。ため込んだ糖分は冬場の貴重なエネルギーなわけだ」
「その糖分と脂肪分で冬眠するのかもしれんな」
「あとは、三倍体なのかなあ」
「お、今度は何だい」
「バナナの場合、突然変異で種無しの可食部分が多い奴だね。種がないんだけど、株分けで増やせる。魚だと、確か卵をぬるま湯につけると、繁殖できない代わりに大型化する奴」
「ワニだとどうなんだ?」
「ワニ、ワニの三倍体はわからないけど、爬虫類には確か三倍体の奴いたなあ。単為生殖で卵産むやつ」
「そのタンイセイショクってのはなんだい?」
「この場合、雌だけで、雄がいなくても刺激があると卵を産むんだ。遺伝子が同じだから病気に弱いかもだけど」
「イデンシ?」
「生き物の設計図みたいなものでね、」
酒が回ったウルウは、よく喋る。たまに何言っているのかわからない時もあるけど、こうなるといつもより人づきあいが良くなるし、隠れたりもしない。多分相手が誰だかよくわかんなくなってるんじゃないかと思う。なのでそういう時はリリオが必ず隣について、ウルウが変なことしないように見張ってるわね。
あたしたちには何言ってるかわかんないんだけど、学者肌であるらしいクロアカとは話が合うようで、なんだかよくわからない話で盛り上がってる。
最終的にあれだけ巨大だったバナナワニは三分の一くらいになってしまい、革は一部を水道局に渡して、あとは仲良く三等分。牙に関しては実際に倒したあたしたちの優先権が認められて、他のパーティがそれぞれ一人一本ずつ、水道局に数本、残りを全部あたしたちが頂戴することになった。
骨格に関しては、これは揉めたわね。
「是非骨格標本にして局の広間に飾りたい」
「バナナワニの骨は甘味料になると聞く。売るべきだ」
「武器防具にするにゃあちょっと細かすぎるんだよなあ」
「出汁が取れるのでは?」
「出汁……」
「出汁かぁ……」
「骨格標本は出汁ガラでも事足りるのでは」
「名案ごつ」
骨格標本として寄贈することになった。
そして話がひと段落したところでリリオがふと呟いた。
「しばらく餌も食べてないみたいで綺麗でしたし、内臓も美味しいんじゃ」
二次会はもつ鍋になった。
用語解説
・鍋奉行
鍋に関する一切合切を取り仕切る《職業》。
好きでやってる人と割り切ってやっている人で温度が違う。
・鍋将軍
鍋を囲む面子で最も権力ある人。一番良いところをつつくだけで仕事はしない。
・卵一個が十三角貨
ヴォーストにおいては新鮮な卵が身近で手に入り、一個一三角貨かそれ以下で売買される。
およそ十倍かそれ以上の高レートである。
・一尺
ここではおよそ三十センチメートル程度。
・ベルクマン・アレンの法則
本来は、類似する二つの法則であるベルクマンの法則とアレンの法則をつなげて呼ぶ呼称。
ベルクマンの法則とは、簡単に言えば寒冷な土地ほど動物は大型化し、逆に温暖な土地では小型化する法則。これは二乗三乗の法則から言っても、大型化した方が体表面積当たりの体積量が増えるので熱量の放散が防げるためであろうとされる。
アレンの法則とは、寒冷地の動物は末端部分、つまり耳などが小さくなり、逆に温暖地では大きくなる法則。これは寒冷地では表面積を減らして熱放散を抑え、温暖地では逆に表面積を増やして熱放散を助けるためとされる。
・三倍体
ごく簡単に言うと、通常二組の染色体をもつところ(二倍体)、三組持つ(三倍体)生き物。
植物では珍しくない。
前回のあらすじ
まさかの二連続飯レポであった。
あれから結局、私たちはもつ鍋に舌鼓を打って締めとし、さしたる冒険という冒険も他にすることもなく解散と相成った。
もちろん、バナナワニと戦っただけで終わった――守護者討伐というのはそれだけで十分な功績らしいけれど――私たちと違って、通路をまっすぐ進んでいった《甘き鉄》は今後の探索に役立つ地図の製作を、右手に進んでいった《潜り者》は水道施設の操作説明書の一部を発見するなど、それなりに成果を残しているのだけれど。
しかし、実際問題あんまり活躍の場のなかった私としては、活躍せずに人の活躍を眺めるのが目的であるとはいえ、報酬の多さにちょっともらい過ぎではないかなと思わないでもない。
まず金銭的報酬だけれど、基本給に上乗せする形として守護者バナナワニの討伐報酬が追加されたのだけれど、どう見てもこれが基本給より高い。
本当にいいのかと確認してみたが、あれは本来であれば乙種より上の甲種魔獣、つまり冒険屋がパーティで組んで勝てるぎりぎりのレベルで、本来であれば複数パーティで挑むべき相手だったとかで、相場的にも正当な報酬であるらしい。
さらにその他に、納品したバナナワニの素材の分も色を付けてもらえた。脳天を真っ二つという非常にシンプルな一撃で仕留め、その後の解体も丁寧で素材に傷が少なかったかららしいのだが、バナナワニ鍋の分の支払いも込みではないかとにらんでいる。
製造の目途が立っていない《ソング・オブ・ローズ》の消費は無視できなくはあるが、まああれは私の主力武器の一つだけあってまだまだ在庫がある。一撃で仕留められなかった当たり威力にやや不安は残るが、まあ水属性の相手には効きが悪いのはもともとだし、仕方ない。
それよりも気になるのは、リリオのあの一撃だ。
リリオの剣が霹靂猫魚の素材で強化され、雷精をまとえるようになったのは知っていた。しかし、私はてっきりスタンガン程度の威力だろうと思っていたのだが、今日のあれはどう控えめに見ても落雷クラスの一撃だ。
魔力がすっからかんになったとリリオは言っていたが、果たして落雷を引き起こすレベルの魔力とはどれほどのものなのだろう。
仮にあれを普通の落雷一発分とした場合、電圧にして二百万ボルトから十億ボルト、電流は一千アンペアから五十万アンペアまで考えられる。直撃すればあのバナナワニよろしく即死だし、例え避けても発生する凶悪なジュール熱と衝撃波、そして破壊物の破片などが問答無用で相手を殺す、まさしく必殺技だ。
人間相手に使うには過剰すぎるし、化け物相手に使ってもあの通りのオーバーキルだ。
溜めに時間がかかるとはいえ、あの技は危険すぎる。電気というものへの知識不足もあるのだろう。
せめてスタンガン程度の使い方ができるように、雷精の扱い方を教え込んだ方がいいかもしれない。少なくとも、電気というものに関する知識は、私に勝るものはこの世界ではまだそうそういないことだろうし。
なんだか一気に面倒な仕事が増えたかもしれない。飲み過ぎてふらつく頭を抱えて、私は寮に辿り着くなりベッドに倒れこんだのだった。
‡ ‡
地下水道での冒険は、想像以上の大冒険でした。
もっとこう、精々丙種の魔獣がうろついているくらいのを想像していたのですけれど、どうもそれらはすべてあのバナナワニが食べつくしてしまったようで、あの付近にはもう他に生き物が全然いないようでした。
そんな中で的確に守護者の領域に立ち入ってしまったのはまた運が悪かったというか、誰も大怪我をすることなく倒せて運が良かったというか。
もし仮にほかのパーティが遭遇していたら、こううまくは行かず、何とか逃げ切るか、それとも死者を出していただろうとは地下水道に慣れた《潜り者》のクロアカさんの言です。
確かに、私もあれがうまくいかなかったら死んでいたかもしれません。いえ、後でウルウにも怒られましたけれど、うまくいっていても死んでいたかもしれないとんでもない技だったようです。
幸い雷精は私の体を焼くようなことはありませんでしたけれど、目前で発生した衝撃波が直撃していたら、今頃穴だらけになってずたずたになっていたかもしれません。
私自身の発していた魔力の分厚い保護と、飛竜革の鎧の矢避けの加護がなければただでは済まなかったことでしょう。
そしてまた、他の皆さんが離れていたからよかったものの、もしもう少しでも近ければ私は自分の手でパーティの仲間を焼き殺していたかもしれません。そうでなくても、狭い空間であんな爆発を起こしたのですから、ガルディストさんは鼓膜を破るような羽目になってしまいました。
何とも反省の大きい冒険でした。
しかし、それに見合った報酬もありました。
沢山のおちんぎん、も魅力的ではありますが、なんと、食べ終えた後のバナナワニの骨格標本が水道局のロビーに守護者討伐記念として飾られることになったのです。しかもその台座には、討伐者である私たち《三輪百合》の紋章と、名前が刻まれることになったのです!
これは非常に名誉なことです。
冒険屋として一花咲かせた気持ちです。
まあ、トルンペートはそもそも冒険屋に憧れないですし、ウルウに至っては目立ちたくないのにと苦り顔です。
ガルディストさんは今更この程度の名誉は束で持っている《一の盾》のメンバーですから、本当に心から喜べるのは私だけというのが少し寂しいですね。
ともあれ、私たちは無事初めての地下遺跡冒険を無事に達成し、そして寝台に倒れこんだのでした。
‡ ‡
とにかく疲れたってのが感想ね。
まあ、あたしが何をしたかっていえば、走って、跳んで、投げて、気絶して、あとはお肉切って串に刺して焼いて鍋の様子見てただけなんだけど。
冒険しにいったっていうより、一狩りしてご飯食べてきたって感じね。
辺境だといつもの奴、って具合。
それにしてもあのバナナワニは強敵だったわ。甲種魔獣ってのも納得。水上に上がってきてくれたから何とかなったけど、あいつの本領を発揮できる水中に引き込まれたら、あたしたちは全滅してたでしょうね。
環境もあるだろうけど、あれは確かに飛竜と同じくらいにやばい奴だったわ。
その飛竜と同じくらいにやばい奴を一刀両断したリリオも大概やばいけど。
そもそも辺境の人間だって、一人で飛竜と戦ったりしないわよ、普通。
罠にかけたり、強力な弓や魔術を使ったり、法術で弱らせたり、とにかくいろいろして地面に引きずり落として、それでようやく倒すの。
そりゃあバナナワニは飛ばないし、動きもそこそこ遅かったけれど、それでもあんな強靭な生き物を一発で仕留めるなんてのは、辺境でも……まあ、珍しい方ではあるわね。いないって言えないのが怖いところだわ、本当に。
あたしだって、辺境生まれではないにしても辺境育ち。鱗貫きの技くらいは身に着けてるのに、それさえ弾く強靭な生き物だった。それを、あんな落雷みたいな一撃で仕留めるなんて、ほんと、危なっかしいったらないわ。
ウルウも叱りつけてたけど、あれは本当に危なかった。
リリオは昔からそういうところがある。思いつめたらこう、まっすぐなのよ。それができると思えば、試さずにはいられない。
ウルウには早いとこ矯正してもらわないとね。ウルウ自身の矯正もしないとだけど。
ああ、それにしても、疲れたわ。
さしもの武装女中も、あれだけ動き回って、その上食べ盛りの冒険屋たちのご飯の給餌なんて。あ、誤字じゃないわよ。あれはもう給仕じゃないわ。給餌よ。餌やり。
あたしたち三人は、寮に辿り着くなり、いつものお風呂もすっぽかして、もう矢も楯もなく寝台に崩れ落ちたのだった。
目覚めたウルウが不機嫌そうにあたしたちを浴場に引っ立てるのは、また別のお話。
‡ ‡
いやまったく、末恐ろしいガキどもだ。
俺が頼まれたのは、ちょいと冒険らしい仕事をやらせてやって、憂さ晴らしでもさせてやれって、その程度だったんだが、いやはや剣呑剣呑。まさかあんな目に合うとはな。
しかしまあ、冒険屋ってのは冒険と惹かれあうところがある。
かつて俺たちがメザーガ、お前に連れられて散々な目に遭ってきたように、あの嬢ちゃんたちもそうなのかもしれん。いや、或いはもっと強烈に、運命とやらに振り回されるのかもな。
報告はそんなとこだ。
俺にゃこれ以上は無理だ。嫌だ。お断りだ。
そりゃお前らみたいなアクの強い連中の調整役やってきたがな、俺ゃああくまで野伏なんだよ。あんなじゃじゃ馬扱いきれるか。
ほら、パフィストあたり最近暇してただろう。
今度はあいつにでもやらせてくんな。
くぁ、あ、あ。
ああ、くそ、眠ぃ。さすがに歳かね、あの程度で疲れるなんざ。
朝まで寝るから、もう今日は呼ぶなよメザーガ。
前回のあらすじ
地下水道での冒険を終え、主にバナナワニ鍋で絆を深めた一行。
しかし消費は大きく、つかの間の休息に浸るのであった。
普通の冒険屋というものは、大きめの依頼を片付けたらしばらく休むものらしい。
それは体を休めるための調整期間でもあり、装備を整えるための準備期間でもあり、そして他の冒険屋に仕事を譲ってやる心遣いの期間でもあるらしい。
まあ最後に関しては酒場で飲んだくれている姿を見る限りお前らの営業努力だろうとか思わないでもないけれど、私たち《三輪百合》も、地下水道での仕事を終えて、少しの間休暇をとることになった。
バナナワニのスキヤキで胃もたれしたから、とちょくちょくからかわれるが、もっぱらリリオの調整のためだった。
バナナワニを倒すために雷精に魔力をこれでもかと食わせてやったリリオは盛大に疲労し、あちこちの感覚が狂い、ホルモンバランスとかも崩れていそうな様子だった。
無理やりに休ませてご飯を食べさせたらあっという間に回復しやがったが、それでも念のためまだ休ませてある。
お世話をしているトルンペートは口ではあれこれ言うが、実に満ち足りた様子だ。あれが仕えるものの幸福というやつなのだろうか。
リリオもこういう時には実に尽くされ慣れている様子で、一応貴族は貴族なのだなと妙に感心したものだった。
なお私は巻き添えになりそうだったので逃げた。
私はああいうの背中がかゆくなるから無理。
さて、リリオの調整その二、というかリリオの装備の調整が休暇の主な原因だった。
雷精をこれでもかと肥え太らせた剣はそれはもう負荷も大きかったようで、持ち込んだ先である鍛冶屋カサドコでは「雷雲でも切ってきたのかい」と呆れられた。
「どれだけ魔力を食わせればこんなバカみたいな焦げ付き方するんだい。霹靂猫魚の皮革が耐えきれずに爆ぜちまってるじゃないか。それに刀身も刀身だ。大具足裾払の甲殻が歪むなんてのは聞いたことがないよ全く」
「直せそうですか?」
「できらいでか! と言いたいとこだけど、何しろ素材が素材だからね、ちょいと時間も金もかかるよ。つききりだとして、まあ、半月も見ておきな」
「半月! そんなに!」
「あんたにゃちょうどいい休みさね。少しは大人しくしな、《三輪百合》の暴れん坊チビめ」
「トルンペート……」
「あんたよりは大きいわよ」
「胸は同じくらいだだだだだだ」
「お代はいくら負けられる?」
「あんたは遠慮しないねえ。そうさね。まず霹靂猫魚の活きのいい皮革が要る。持ち込みならずいぶん安くするよ」
「刺身なら?」
「あたしの気力も奮うね」
「結構。毎度あり」
「あんたも営業以外で愛嬌があればねえ……」
「売れもしない愛嬌は要らない」
「あ、私買います!」
「君は私に借りが多すぎるだろう」
「ぐへぇ」
リリオは不満そうであったが、数打ちの代剣を借りて取り敢えず腰に吊るし、見た目ばかりは何とか形になった。とはいえ、雑に扱っても刃こぼれ一つしなかったあの剣と同じ感覚で普通の剣を使えばすぐさま折れてしまいそうだから、リリオにはじっとしていてもらいたいものだ。
さて、休暇中のリリオに、それにつきっきりのトルンペートと来て、久しぶりに一人の時間を得た私は、ちょっと出てくると言いおいて、事務所を後にした。
かつては一人でいる時間の方が長かったのに、困ったことにリリオと出会ってから滅多に一人の時間というものが取れなかったのだ。健全な精神活動を取り戻すにしても、頭の中を整理するにしても、一人になって調整する時間が必要だ。
私は《隠蓑》で姿を隠し、ぶらりとヴォーストの街を歩き始めた。
このヴォーストの街というものは、辺境からさほど遠くもない堂々たる田舎の街と自称してはいるが、それでもなかなか立派な街であることは間違いなかった。
街はぐるりと立派な街壁で囲まれ、その街壁には何か所も塔が立っており、きっと見張りがついているのだろう。
さすがに上にまで登ったことはないので詳しくはないが、長らく使われていないとはいえバリスタや投石機といった兵器も準備されているというから、護りはこの世界基準では万全と言っていいだろう。
どちらかというと平和な中央より、辺境に近いこのあたりの方が防備には気を遣っていると聞く。
街壁に囲まれた内部は、南北に走る運河と東西に走る大路で、地図で見れば大きな十字に切り分けられているように見える。運河と大路はそれぞれ水門と街門とで内外と隔てられており、これ以外に街と出入りする出入口はない。
だから陸路では街門が、水路では水門が、いつも人のやってくる朝方は非常に込み合うし、そこから連なる大路も運河もかなりの交通量だ。
私たちがやってきた東街門から続く東大路に宿をはじめとして店が連なっていたように、西大路もおおむね同じ作りになっている。
この出入り口付近というものは外からの人間が多く訪れる、ということは新しい話題や商売も多くやってくるということで、ただの宿屋だけでなく、《踊る宝石箱亭》のような冒険屋御用達の酒場件宿屋もこのあたりに多く居を構えている。
この宿屋街の先はちょっとした広場になっており、毎日朝から市が立つ。
市というのは固定の店ではなく、露店や出店、また地面に布を敷いて品物を並べただけのような店の類が立ち並ぶ市場で、広場の入り口近くに聳える商工会で許可をとった店が認可の下りた商品を扱うものだ。
大路を通って運ばれてきた荷物は大体がここで卸され、売買される。
新鮮な野菜や卵、また生きたままの家畜などの他、遠方から取り寄せられた品々が玉石混交で並び、うまくいけば掘り出し物が見つかることもあるという。
まあ、私は人混みが苦手だから、ここに立ち入るのは人が減る昼過ぎ以降だけれど。
この広場を過ぎて大路をもう少し進むと、少し落ち着いた店々が並ぶ商店街に続く。
これらはみな、旅人が必要とする薬や携帯食などの消耗品を扱う店というよりは、地元の人々が利用する精肉店や薬屋、雑貨店など、地域密着型の店舗だ。
以前リリオとともに訪れた精霊晶の店などもこの一角にあるし、メザーガの冒険屋事務所もこのあたりにある。
私のなじみの店である本屋も東商店街にあり、ちょくちょく足を運んでいる。
壁がすべて本棚で、カウンターの奥に垣間見える店主の生活の場にさえ本があふれて見える素敵な空間で、しかもそのすべてが丁寧に整理されているという最高の本屋だ。
さらに店主がその本をすべて把握しており、これこれこういう本が欲しいと言えばすぐに対応してくれるという本屋の鑑でさえある。
本好きにとってはこれ以上ない本屋では無かろうか。
そりゃあ私だって行きつけになる。
まあ、私は本を買うとき以外は《隠蓑》を解除しないから、店主からしたら毎回いきなり現れて大量に買ってそしてまた消える謎の客でしかないだろうけれど。
東商店街に書籍を扱う店はこの一軒だが、西商店街にも書店があるというから、その内足を延ばしてみたいものだ。そのうち。
この商店街を抜けると、運河に面した大広場に出る。この広場は港のようなもので、突き出したいくつもの桟橋には商船や艀、そして水馬車とやらが常に隙間を埋めるようにして出入りしている。
陸路よりも大量の物資を運べる船が集まる場所であるから、ここで卸される荷物というのは大路を通って運ばれる品物よりもずっと多い。その品物の多くがこの大広場の市で捌かれて、いくらかは市に運ばれ、いくらかは店に直接卸され、そしてまたいくらかは個人が買い取っていく。
やってきたと思ったらまた別の船に乗せられて再び旅に出ていく荷もあるし、運河から別れる細かな水路を使ってここからさらに小分けにされて運ばれていく荷もある。
ヴェネツィア程ではないのだけれど、運河のたっぷりとした水量を誇るヴォーストでは水路がかなり活用されている。さすがに街壁付近までは届かないけれど、運河付近は路地と同じように水路が流れており、これを先程もいった水馬車なんかが通って荷を運んだり人を運んだりする。
この水馬車というのが、まあ自動翻訳の適当な訳なのだろうけれど、まあ簡単に言ってしまえば水生生物に曳かせた船だ。陸上の馬車と同じく、船を曳いてくれるものはみんな水馬扱いらしく、これをいちいち説明するのは非常に紙幅を食う。
なので私が見て気になったものだけ挙げていくと、巨大なタツノオトシゴのような頭に馬のような体をした生き物とか、巨大なゲンゴロウみたいな虫に曳かせていたりとか、巨大な二枚貝に水を吐かせて船を押させているものとか、オウオウと鳴くアシカみたいな生き物が数頭で曳いているものとか、人が人力で棹とか使っているやつとか、あ、いや、最後は違うか。
まあとにかく、ファンタジー世界観に慣れていないと頭がおかしくなったんだなと思うような光景だ。
そういった感覚をなんとかすみに放り投げてしまえば、一部の水馬車は水陸両用だったり、スロープのような登り口を使って水路と陸路をうまく切り替えていて、なにげに進歩的ではあると感心できる。
でもたまにざばーふと登ってきたのが人間みたいな二本足の生えた魚類だったりするのでSAN値が削られるのは勘弁してほしい。
おぞまし、違った、不思議な大広場を運河沿いに歩いていくと、上流、つまり北の方では漁場の桟橋と漁船が並んでいる。
以前リリオを丸焦げにした霹靂猫魚の小さいものをはじめとして、この運河には結構水産資源があるようで、漁船が網を張ったり、釣り竿を下ろしたり、また素潜りして漁をしたり、結構にぎやかだ。
とはいえ大抵はまだ日も出るかどうかという朝早いうちから漁をして、水門の開くころには大分落ち着いているそうだ。
商船や艀の邪魔になるし、逆に言えば商船や艀の往来で魚が逃げるからということでもあるらしい。
なので私が起き出して散歩する頃合となると漁はもう下火になって、大半の魚は水揚げされて市場に回っている。
じゃあこの辺りはもう面白みがないのかというとそうでもなくて、実は運河上流沿いには、漁師たちがとってきた魚を直接卸されている店が並んでいるので、新鮮な魚介が食えるのだ。
この時間も船を出している漁船というのはつまり、自分ちで食べる分とか、こういうお店がお昼に足りなくなって追加注文する分をとっているんだね。
なんとかいう白身魚と貝類の煮込みを遅めの朝食、まあブランチ代わりにさっと頂いたけれど、なるほどこれが、うまい。
味付けはシンプルに塩だけなのだけれど、大鍋で豪快に煮込んだ魚介の出汁がたっぷりと出ており、このスープだけでたまらなく胃に染みる。
魚の方はちょっと煮込み過ぎて崩れているが、そのおかげで骨周りの肉がほろりほろりと崩れてうまいことはがれてくれるので、柔らかく淡白な身にじわりと詰まったうま味が残さず食べられる。
この、骨ごとぶつ切りにして煮込むというのが美味い出汁の出る秘訣だという。
貝は過熱し過ぎると身が縮むというけれど、勿論そんなこと気にしちゃいない豪快さ。
ハマグリみたいな大振りな貝殻に比べて確かに小さいは小さいけれど、元が大きいから気にならない。むしろ殻から外しやすくていい。
これを噛むと、縮んだ分確かに硬い。硬いが、うまい。魚の方がちょっと頼りないくらい柔らかい分、この貝の硬さがむしろいい歯応えだ。ぎゅむぎゅむして、顎に気持ちがいい。
貝殻が驚くほど青いので最初は食えるものなのかと驚いたけれど、見た目の華やかさとは裏腹にどっしりと地に足のついた味わいだ。
などと言ってみたけれど、聞いてみればこの貝は瑠璃蛤といって、あの森の中で遭遇した飛行性二枚貝である玻璃蜆の仲間であるという。全然地に足がついていない類だった。
あまり綺麗なのでアクセサリーにでもできるのではないかと思ったのだが、気のいいおばちゃんによれば、結構獲れるので希少価値が低いらしい。なので子供が好きな子に贈るのに獲ったり、砕いてタイルや顔料に混ぜ込んだりするのに使うそうだ。
私は記念に一つ、きれいに洗って拭い、インベントリに納めたのだった。
用語解説
・商工会
商人たちの組合。ヴォーストの街で商売をするからにはここで認可をとらなければ正当なものとは認められない。しかし認可を得れば、商工会が定めた値段や会費などの制限がかかる代わりに、ヴォーストの街全ての商人がその商売を承認したという後ろ盾が得られる。
主に既得権益の保護や、市場の荒れを阻止したりがお仕事。
・水馬車
水生生物に曳かせた船のこと。あくまで車なのは、中には水陸両用で陸上を走ることができるものもあるためだと思われる。
・巨大なタツノオトシゴのような頭に馬のような体をした生き物
水蹄馬。魔獣。四つ足の馬のような体格をしたタツノオトシゴといった外見をしており、その蹄は地を走ることも水を蹴ることもでき、水馬の代表。野生のものは獰猛で人間も襲うが、飼育下ではその勇猛さが頼られる。
馬力があり、重い荷物などを曳くことが多い。
・巨大なゲンゴロウみたいな虫
大龍虱。蟲獣。非常に賢く、人にも懐く。年経たものは藻が張り付いてしっぽのように見えることもある。あまり重たいものは引けないが、小回りが利き、狭い水路などで役立つ。
・巨大な二枚貝
噴水扇。巨大なホタテガイのような二枚貝。下側の殻の表面がワックス様の分泌液で覆われ、出水管から勢いよく水を吹き出すことで水上を滑走するように移動する。
この貝は簡単な合図程度なら覚えることができ、船の後部に括りつけ、軽く叩いて合図をして水を吐きださせ、その勢いで移動するという特殊な水馬車が存在する。
あまり重い船は押せないが、とにかく勢いがあり速いので、急ぎの渡し船などに活用される。
・オウオウと鳴くアシカみたいな生き物
川驢。淡水域に棲む毛獣。ここに登場するものは特に北川驢とされるもので、やや大型。水蹄馬ほどではないがある程度は自衛ができ、複数頭で曳かせても喧嘩しないため、重い荷物も運べる。
・人間みたいな二本足の生えた魚類
暴れ魴鮄。人外魔境呼ばわりされることもある辺境~北部にかけてでも珍しいタイプの水棲魔獣。いかにも魚といった図体にいきなりすらりと二本足が生えており、しかもかなり健脚。胸鰭の進化したものであるらしいのだが、陸上でも呼吸できることと言い、どうしてこんな進化をしたのかは全くの謎である。
暴れ、とつくように獰猛な面もあり、普段のったりしている癖に、外敵とみるや素早いヤクザキックで動かなくなるまで蹴りつける。
・なんとかいう白身魚
閠は覚えてはいるが興味は持っていないものの、正しくは竜尾鱒。鱒の中でもヴォースト川に棲む種。淡水域で生涯を終える。最大で一メートル越えすることもあるがもっぱら食べられるのは三十センチから六十センチ程度のもの。
やや淡白ながら、ヴォーストでは親しまれる食味である。
・瑠璃蛤
玻璃蜆より大型の飛行性二枚貝。主に淡水の影響のある内湾に生息しているが、川沿いに遡上していき分布することもある。ヴォーストは船の往来も多いため、それにつられてやってきて固着化したのではないかとされる。
その貝殻は鮮やかな瑠璃色を示し、顔料の素材や、砕いてタイルやモザイク画に使用されたりする。
前回のあらすじ
リリオから解放され、ヴォーストの街をうろつくウルウ。
寂しがるかと思いきや一人飯に舌鼓を打つ当たり根っからの孤独飯である。
小腹を満たして、今度は逆方向、運河沿いに南下していくと、漁場は姿を消し、代わってかんかんがんがんごうごうごんごんとやかましい音がするようになり、匂いや、川の色も一変する。
鍛冶屋街だ。
メザーガに紹介された鍛冶屋カサドコの看板もこの鍛冶屋街に掲げられている。
鍛冶というものは火を使う薪を使う、そしてそれだけでなく水を使う。製鉄にはたくさんの水が必要だ。だから川沿いに鍛冶屋が並ぶ。そうして鍛冶屋が並ぶと水が汚れる。なので漁場が減る。上流に鍛冶屋ができると下流全てが汚れるので、下流にかたまる。そのように住み分けができている。
進捗伺いも兼ねてカサドコに顔を出し、土産と素材売りを兼ねて霹靂猫魚を渡してみると、大いに歓迎された。
私などは無傷でいくらでも捕まえることのできる相手でしかないのだけれど、耐電装備はこの世界には少ないようで、本来はなかなか高値らしい。
「霹靂猫魚を安定して捕まえるのに、まず霹靂猫魚の革で作った鎧が必要なんだからさ、そりゃ難しいさ」
「囲んで棒で叩いて弱らせるって聞いたけど」
「それが安全だけどね、でも叩けばその分傷つくし、弱ればその分価値も落ちる。ましてサシミなんざねえ」
カサドコは霹靂猫魚の刺身を何よりの好物とする地潜の女性だ。長身な方である私よりも背が高いし、がっしりとしていて、気風がいい。
人間嫌いを標榜する私ではあるけれど、仕事と酒と刺身、それに妻のイナオのことくらいしか興味がないこの土蜘蛛は割と嫌いではなかった。勿論好きというほどではないのだけれど、私のことをこれっぽっちも気にかけない人種というのは割とありがたい。
旦那と比べて穏やかでにこにこと控えめなイナオは私に豆茶を、旦那には酒を一献注いで奥に下がった。実はイナオもそこそこ気に入っている。あのいかにもおしとやかでございという態度が、実のところ面倒臭いので世の中に積極的に関わらないようにしているというスタンスであるというのが端々にうかがえるからだ。
すっごくよくわかる、うん。
それに豆茶が美味いというのは、これは才能だ。
真昼間から注がれた酒を飲み干し、また手酌でじゃぶじゃぶやっているカサドコだが、土蜘蛛というのは基本的に酒に強い、というより水代わりに飲むらしい。その癖、実は豆茶であっさり酔うという話だから分からない。
ん、待てよ。そうなるとこれは人族流に言えば客に酒を出しているのではなかろうか、と思わず黒い水面を見つめてしまった。
「進捗どうですか」
「あんだって?」
「剣の修理の進み具合はどうかなって」
「まだまだだね。いまは霹靂猫魚の皮をなめして処理してるとこ。レドのじいさんに見せたら、年甲斐もなくはしゃいじまってね、ありゃ前よりもっと強烈なのができそうだ」
「刀身は?」
「あれな。あれが難しい。大具足裾払ってのはまあ、裾払の仲間なんだが、とにかく硬い甲殻で有名でね。まず切り出すのに聖硬銀か、同じ甲殻で削るしかない。そう、削り出しなんだよ、基本。これが歪んじまったから直すなんてのは、ハ、どうしたもんかね」
カサドコは渋い顔で酒を煽り、骨煎餅をかじった。これは霹靂猫魚の骨をよくよくあぶって塩を振ったものだそうで、それだけ言うと安っぽく感じるが、素材が素材なだけに相当高価らしい。まあ、私が卸した奴だからあほほど安いんだろうけど。
「熱に強い、酸にも強い、折れず欠けず曲がりもしないってのが大具足裾払なんだけどねえ」
「もしかしてあれってすごい剣だったの?」
「まあ、辺境から出てくることが滅多にないらかそんなに知られちゃいないけどね。あれ一振りで帝都に屋敷が買えてもおかしくないよ」
「ごめん、基準がわかんない」
「ま、とにかく凄いのさ」
すごいらしい。
私も骨煎餅をかじってみたがこれがなかなか面白い。
かじると塩気と、香ばしさ、それからぴりりと来るものがある。辛さじゃなく、痺れだ。山椒なんかの痺れじゃなく、電気の痺れがピリッと舌先に来る。
「なにこれ」
「面白いだろ。霹靂猫魚は背中側の筋肉に雷を生む肉がついてる。で、皮はこれを内側から外側に通すけど、逆は弾く。それで自分は感電しないんだがね、なんと骨の内側、骨髄には強い雷が流れてるみたいなんだよ。
学者の何とかが言うにはね、この雷が駆け巡るおかげで霹靂猫魚は巨体の割に非常に頭の回転が速くて、強いだけでなく細かな雷の制御ができるんだそうだ」
うーん。脊髄と骨髄とごっちゃになってる感じはする。しかし電流と神経系の関係に触れているあたり解剖学がそこそこ進んでいる感じはする。
「以前は皮と分厚い脂肪で自分が感電しないようにしているってのが主流だったんだけどね、どうも雷精を操って自分の筋肉を震わせて、巨体の割に機敏な動きをさせているんじゃないかって研究があってね。水中での移動速度が同じような体型の猫魚とは比べ物にならないってんで調べたやつがいてさ、帝都の奴なんだが、これを流用して着た奴の運動能力を高める強化鎧ってーのをこさえた鍛冶屋だか錬金術師だかがいて、なかなか面白そうなんだよ。そいつが言うには生き物ってのはみんなよわーいいかずちで動いてるそうで、それをうまいこと調整できりゃあ霹靂猫魚がやってるみたいな自分の強化が手軽にできるんじゃないかって、なんつったかな、二人組の奴らなんだけど、」
この程度の酒では全然酔わないという話だから、多分話に興が乗っているんだろうけれど、まあよく喋る。相手のことをまったく気にしていないお喋りだけれど、実は私はこういう人種はそんなに嫌いではない。話は通じないけど仕事はできる。話は通じないけど。イナオがいい感じにマネジメントしてくれると助かる。
しかし、聞き流してはいるけれど、これは生体電流についての話だろうか。で、それを操ることで装着者を強化するある種のパワードスーツ。動力が外力じゃないから限度はありそうだけど、反射速度を高めたりということに利用しているっぽい、のかな。
思ったよりも発想や技術が進んでるなあ、異世界。
「そう言えば」
「先月の《帝学月報》に載ってたんだけど、どこやったか、」
「電気で歪んだんなら電気で直せるんじゃないの」
「ユベルとかいったか、あん? なんだって?」
「いや、熱にも酸にも強くて外圧にも強い素材が雷で歪んだんなら、雷でもっかい歪めれば直せるんじゃないの」
思い付きで適当な事を言ってみたのだが、カサドコは一本の手で顎をさすって、もう一本の手で酒を煽り、それから分厚い本を別の一本の手で引きずり出し、また一本の手で眼鏡を取り出し、四本の腕をフル稼働しながらぶつぶつと考え始めたようだった。
「大具足裾払の甲殻がはぎ取った後も加工のノリが悪いのは生体反応が消えていないからと聞いたことがあるな。つまり甲殻は甲殻でまだ生きてるわけだ。金属質であるともいえるし生物質であるとも言える。下手な竜も喰らう超生物なら死の概念そのものが違うのかもしれないねえ。この甲殻は単なる外骨格じゃなく、大具足裾払の用いる魔術の回路基板でもあるという記述があるし、剥ぎ取って加工した後もまだある種の生物であると言えるのかもしれない。イナオ、酒。いや、雷精だけが原因じゃないのかもしれない。魔術回路基板であるということは生体電流による影響だけじゃなく魔力による構造変化が基本となっていると考えりゃああの剛性での柔軟な動きも納得できる。莫大な熱量によって溶け歪んだって感じなかったし、リリオの奴のやばすぎるなっていう躊躇いが刀身にもろに出たのかね。魔力と雷精によって一時的に回路基板と接続されて一つの生物として認識されたのか? いや、ここは」
あ、これ駄目な奴だ。
がりがりと書き物まで始めたカサドコを尻目に、骨煎餅をもう一つ頂いて、イナオに挨拶しておさらばすることにした。
「お邪魔しました」
「あれで半日は静かだからありがとうございます」
「君も大概だなあ」
「あれの妻ですよ僕は」
「ごもっとも」
鍛冶屋街を後にして、運河沿いを仕事場にしている渡し舟に小銭を寄越すと、暇そうにキセルをふかしていた船頭はよし来たと手綱を牽き、早速水馬車を走らせ始めた。
船を曳く生き物は泳ぎ犬と呼ばれる犬、八つ足ではなく四つ足の哺乳類としての犬で、ふわふわとした毛足の長い大型犬たちだった。
栗毛と黒毛の二頭曳きで、愛らしい外見もあって人気であるらしい、とは船頭の自慢だが、意味不明のファンタジー生物と比べてなるほど確かに素直に愛らしい。
わふわふと可愛らしい犬たちに曳かれる船に揺られながら景色を楽しんでみたが、この運河、なかなかに広い。向こう側が見えないというほどではないが、泳いで渡るにはいささか岸が遠い。
この川に橋を架けると、下に船を通す都合もあって相当大掛かりにならざるを得なかったようで、それなりに広い街の中にあって、運河にかかる橋は三本しかない。
その代わりというか、大小さまざまな渡し舟がこうして往来を支えているらしい。
のんびりとした水上の旅を楽しみ、降り際に犬たちにとチップを渡してやり、私はうんと一つ伸びをした。
何人か乗れる船に一人きりだったし、座席もクッションが敷いてあって悪くはなかったのだけれど、やはり船は、少し窮屈だ。
揺れはまあ時間も短いし耐えられるけど、何かあっても降りるに降りれない環境がそう感じさせるのか、視界は広いけれど心は窮屈という妙に疲れる思いだった。
自分の意思でどうにもできないというのは、少し、疲れる。
川向い、つまり西地区は、東地区と似た部分も多いけれど、違う部分も多い。今日はそこを見物する予定だ。
早速の違いその一は、同じ下流沿いにありながら、西地区は鍛冶屋街ではなく、同じく水を多用し、そして水質を汚しがちな連中の集まるところだということだ。
時折ケミカルな色の煙が上がったり、ケミカルな色の爆発が起きたり、ケミカルな人種の叫び声が聞こえたりする、実に怪しい地域。
人はここを錬金術師街と呼ぶ。
……と、その前に。
私は大型の鳥が引く小型の辻馬車に小銭を払って、商店街に向かった。
軽めのブランチでは、そろそろ燃料切れだったのだ。
用語解説
・裾払
主に森林地帯に住まう甲殻生物。長らく蟲獣と思われていたが、むしろ蟹などの仲間であることが近年発覚した。前後のわかりづらい胴体から四本から八本の細長い足をはやした生物で、食性や生態なども様々。主に長い足を払うようにして外敵を追い払うため裾払いの名がある。
・強化鎧
外部動力でアシストするパワードスーツではなく、着込んだものの筋肉に微細な電流で刺激を与えて反射速度やいわゆる火事場の馬鹿力を発揮させる鎧。実験段階である。
・《帝学月報》
学術雑誌。主に帝都の帝都大学をはじめとした学術機関にまとめられた学術記事を月に一度発行している。なお北部は準辺境扱いで、一か月二か月遅れは当たり前。
・泳ぎ犬
ふわふわとした毛足の長い四つ足の大型犬。泳ぎが非常に得意で、どちらかと言えば陸上を走るより泳ぐ方が得意なくらい。さほど勇敢ではないが小器用で賢く、おぼれた人間を救助する能力に秀でているとされる。というか他の水馬がその能力に欠けすぎているのかもしれないが。
・大型の鳥
走り鈍足。ずんぐりむっくりした体つきの飛べない鳥。非常にのろまそうな外見なのだが、最高時速八十キロメートルはたたき出す俊足の鳥。体力もあり、荷牽きや馬車によく使われる。
前回のあらすじ
技術屋の面倒臭さに触れて何となくほんわかとした閠であったが、結局面倒臭いのは面倒くさいのでさっさと後にするのであった。
取り敢えず腹が空いていたので、さっと出してくれて美味い飯屋と頼んで辻馬車に乗せられていった先は、なかなか当たりだった。
商店街の表通りからちょっと路地を抜けた先のこじんまりとした小料理屋で、辻馬車屋達がよく利用する、知る人ぞ知る名店だという。
屋号は《銀のドアノブ亭》。少しくすんでいるが洒落た装飾のドアノブが粋だ。
店内はカウンター席が五席にテーブルが二つと小作りで、店主が一人で切り盛りできる程度ということらしかった。
私がカウンター席に着くと、よく冷えた水に酸い柑橘を軽く絞った檸檬水のようなものが出され、なににしましょうかと渋い声が聞いてくる。
少し考えて、とにかく腹が減っているのでさっと出せるものをと頼むと、少ししてさっそく一皿出てくる。
「運河獲れのアラ煮です」
見れば深皿の中では魚のかまや、ぶつ切りになった骨身、内臓のようなものがちらほら、それに根菜の類が見える。深い琥珀色の煮汁だが、味付けは塩のようだった。
漁師街で食べた魚介の漁師風煮込みと似ているが、食べてみればなるほど、ずっと洗練されている。香草の類が使われているようなのだが、これが嫌味にならない程度の本当にあっさりとした利き具合で、魚の嫌な感じを綺麗に取り除いているのに、香り自体は全然邪魔にならない。
骨についた身もほろりと崩れる、崩れるけれど、しっかりと形を保っている。しかし口に含むと、やはりほろほろ崩れる。
根菜がまた、憎い。
魚のうまみをたっぷりと吸い込んでいる大根のような根菜と、人参のような根菜。大根は実に素直な味わいで、旨味をたっぷり吸いこんで、そのままに口の中で溢れさせてくる。人参はこれがまた驚くほど甘い。魚のうまみを確かにのせて、しかしそれに相乗してふわりと甘さを広げてくる。
あしらいの香草をかじってみると、ぴりりとする。このぴりりが、ふわっと広がったアラ煮のうまみを、しゅうと引き締めてくれる。逃がしはしない、しかし絞めつけもしない。塩梅、というやつだ。
そうして味わっていると、ぱちぱちと油のはねる音がする。見ればたっぷりの脂が満たされた鍋の中で、黄金色に何かが躍っている。
揚げ物だ。
私がアラ煮を平らげるのとほとんど同時に、さっとその揚げ物の皿が出される。
「跳ね鮒の刻み揚げです」
皿の上では細引きのパン粉をつけて黄金色に揚げられた楕円形の揚げ物が三つ並び、後はあしらいに葉物がそっと添えられているだけで、潔い。またこの金色と緑とが織りなす鮮烈な色合いの中、揚げ物にさっとかけられた琥珀色のソースが全体を引き締めてくれている。
跳ね鮒とは何かと聞けば、運河で獲れる魚の一つで、水面まで出てきては、踊るように跳ねるので跳ね鮒と呼ぶそうだった。
では刻み揚げとは何かというのは、食べて確かめてみることにした。
ナイフの刃を入れる、このザクリとした感触がまずたまらない。思えばパン粉を使った料理は、この異世界に来てから初めてかもしれない。見慣れた粗目のものではなく、細挽きではあるのだが、それでもフライはフライだ。
あえて断面をよく見ずに、ソースのかかっていない部分をかじってみると、思いの外にふわりとした触感が口の中で踊る。ザクリ、とした衣の中に、ふわっとした身が詰まっている。ただの魚の身としては、これはあんまり柔い。
何かとみてみればなるほど、これはある種のメンチカツなのだ。
白身魚を少し粗目に叩いたひき肉を、香草などと一緒に丸めて、衣をつけて揚げたものなのだ。この粗目というのが肝心で、すっかりすり身にしてしまっては、ふわっとするより、むしろつなぎで硬くなってぶりんぶりんとしてしまうか、あるいはもっと柔くなってしまう。
あえて少し粗目に叩くことで、身と身の離れが良くなって、口の中でほろりふわっと崩れる。崩れるけれど、確かに歯応えがある。
そしてまた香草の使い方が、やはり、うまい。
臭み消しという役目だけでなく、全体がぼけてしまいがちな白身の淡白な所に、味ではなく香りで引き締めにかかっている。
では味が弱いかというと、そんなこともない。下味がしっかりしているのはもちろんだが、この上にかかったソースがいい。
とろみがかったこのソースは、じわじわと衣にしみこんで歯応えを変えて楽しませてくれるだけでなく、ピリッとした僅かな辛味と、そして爽やかな酸味を与えてくれる。
久しぶりのフライに舌鼓を打って、気づけば一皿平らげていた。
「もう一皿、何かおつくりしましょうか」
そういわれて少し考えるけれど、さてどうしたものか。
満腹だ、というほどではない。しかし心地よい満たされ方だ。正しく腹八分なのだろうか。
酒でも入れていたら、まったくこれ以上満ち足りることはないだろうなという程度に適切な量だ。
そう答える前に、もう顔色で答えはわかっていたのだろう、小さなカップに、濃いめの豆茶がそっと淹れられていた。
くっと口に含んでみれば、爽やかな苦みが口の中の脂を綺麗に洗い流してくれた。
《銀のドアノブ亭》を後にした私は、腹ごなしにぶらりと歩いていくことにした。
あの辻馬車屋もいい店を教えてくれた。味は良いし、心遣いも良い、腹の具合も良い、そして驚くほど、安い。やっていけるのかと思ったが、食材自体はみな安いものらしい。技術料をもっととればよいのにと言ってみたが、金気は包丁を錆びさせますので、とストイックな事を返されてしまった。
ぶらりぶらりと最初は錬金術師街に向かおうとも思ったのだが、思えば特に用事もないし、第一折角美味しいもので満たされた後にあのケミカルな光景を見るのもよろしくないなと思い直し、私はのんびり北に向かった。
ヴォーストの街の北西部には、一角丸まる神殿だけが立ち並ぶ神殿街があることを思い出したのだった。
この世界は多神教らしく、そしてまた神様が実在する世界らしく、どこでも大きめの街には必ず、主要な神様を祀った神殿が立ち並ぶ神殿街があるそうで、一度見に行こうと思っていたのだ。
鍛冶屋街や錬金術師街が、それでも何となくほかの建物と緩やかに繋がっていたのに比べると、神殿街ははっきりと、ここからここまで神域ですよと言わんばかりに他と区別されていた。
神殿はみな似たような作りをしていたけれど、掲げるシンボルがみな違って、人々は目的の神様の神殿がどこなのか間違えることなく行き来しているようだった。
私は神様のことなど全く知らないので、どのシンボルがどの神様を示すのか全く分からず最初は困ったが、神殿街入ってすぐの神殿を尋ねてみたところ、シンボルを、また神殿の配置を書き連ねた小さな地図を一部頂けた。料金、違った、御布施は一部五十三角貨。
ぼったじゃなかろうかとも思ったが、宗教関係でケチをつけても仕方がない。観光気分で行こう。
なおその神殿は何を祀っているかと言えば、商売の神様だった。
神殿はみな似たような作りとは言ったけれど、やはり信者の数に従ってそのサイズに違いはあって、例えばこの世界の最初の神様である海の神は、そのくせ主要な信者がほとんど内陸にいないので小さかったり、土蜘蛛の祖神である山の神ウヌオクルロの神殿は、鍛冶屋街に土蜘蛛がたくさんいるだけあってそこそこ大きい。
以前話を聞いた風呂の神マルメドゥーゾの神殿はまあぼちぼちといった大きさだが、その内改築するかもということだった。風呂は私にとって欠かせないものだからと思ってお参りしてみたが、中の作りはもろに公衆浴場だった。
うん。入浴が礼拝と同じようなものって言ってたしな、あのバーノバーノとかいう神官。
入口付近では石鹸とか盥とか入浴セットを売ってたし、私の中の神殿観が崩れそうだ。
ひとつひとつ見て回ってみたが、どれも作りは似ているが中身はそれぞれの神様に由来する特色にあふれていて、下手な観光地よりも見甲斐がある。
一通り見て回り、観光がてらいくらか気になったものを購入した。
そして私は最後に目的の神殿に辿り着き、礼拝堂らしきところの長椅子にどっかりと腰を下ろした。面白いは面白いし楽しいは楽しいが、人の多いところは、やはり疲れる。《隠蓑》で隠れていても、いるということは変えられないのだ。
一つ溜息をついて、私は礼拝堂の奥に掲げられた三日月形のシンボルを見つめる。
多分、ここであっているはずなのだ。
だから、私はここを考えを整理するための場所だと決めたのだった。
「境界の神プルプラ。シンボルは月。異界よりやってきた天津神。多分、あんたが答えだと思うんだけど」
用語解説
・《銀のドアノブ亭》
初老の男性が経営しているこじんまりとした小料理屋。
安い素材を確かな腕前で調理して安価で提供してくれる、はやい、やすい、うまいと三拍子そろった店。
表通りから離れているため、まさに知る人ぞ知る名店である。
・跳ね鮒
運河で獲れる魚の一つ。水上に跳ね上がる習性をもつ。その理由は水上の虫を食べるためだとか、より高く飛べるものが優秀な雄だという雌へのアピールだとか、体表についた寄生虫や汚れを取るためだとか言われているが正確な所はわかっていない。
・境界の神プルプラ
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