前回のあらすじ
武装女中トルンペートに振り回されてすったもんだの挙句仲良くなったウルウ。
女三人組となると何かと面倒がありそうだが果たしてどうなるのだろうか。
私も知らない。
本来のリリオの旅の連れであった武装女中トルンペートが私たちのパーティに合流して、三人パーティとして冒険屋を始めてから、一月ほどが経った。
短い夏も盛りといった具合で、そしてまたこれからつるべ落としのようにすとんと訪れる秋を思わせる頃合でもある。
この一月の間に、私はこの世界のことを様々に学んだ。
まず一つとして、普段使うような文字は大体覚えた。これは積極的に本などを気にかけるようにしたことだけでなく、私の計算能力が高いことを伝え聞いたらしいメザーガに事務仕事の手伝いを頼まれたことで、一気に語彙が増えたこともある。
最初は私がまるで文字を知らないのでメザーガも諦めそうだったが、私が一度読めば覚えると言い張って続けさせてもらい、そして実際にそうしたために、今ではメザーガよりも処理が速く重宝されている。クナーボには仕事をとられたと少し膨れられたが。
字を読めるようになると、知識はかなり早く増えるようになった。というのもこの世界では製紙技術が十分に発達しているだけでなく、製本技術もかなりのもので、本が多数出版されていたのだ。それも革張りの高いものではなく、紙の表紙の安いものが出回っているので、値段としても手に取りやすいものばかりだ。
私はメザーガの手伝いで小金を稼いでは本を買い集め、先日リリオに怒られてついに本棚を買った。一度読んだら覚えてしまうので売り飛ばしてもよかったのだが、こう、やっぱり本は買ったら持っておきたいじゃないか。多分二度と読まないにしても、時折触れて、紙のページをめくることもあるだろう。
リリオには何を言っているんだこいつとでもいうような、宇宙猫みたいな顔をされたが。
さて、増えた知識の中には、意外ともいえるし、ある意味予想していたともいえる事柄も多かった。
その一つが、暦だ。
この世界の一年はおよそ三百六十五日であるらしい。四年に一度閏年があり、その年だけは一日増えて三百六十六日になる。一年は十二か月に分かれ、それぞれおよそ三十日前後。一日は二十四時間で、帝都などでは機械時計でこれがきっちりとはかられる。
お察しの通り、地球時間と同じだ。
私はこれを、神様が面倒くさがったからだと思っている。
私をこの世界に運び、何かを望んでいる神様が、処理が面倒くさいからと、設定をそのまま流用したからだと思っている。
どこから流用したか? 決まっている。
神話によれば、多くの神々は虚空天を超えてやってきたという。そして多くの変革があった。その時の変革の一つが暦なのだろう。
まあ、どうでもいいことだ。
世界からすれば大事な事なのかもしれないが、私という個人にはこれと言って関係のない話に過ぎない。むしろ、あまり深く考えると余計な面倒に首を突込みかねない。
たとえ私が神々のゲームに気まぐれで放りこまれたコマの一つに過ぎなかろうと、それは気にしなければ何の意味もないことだ。大事なのは自分のペースで自分の人生を送ること。
これだね。
以前の私は会社の都合に合わせていたし、そうしなければと思っていたけれど、すっぱり自由になってみると、心療内科の言うことももっともだと思える。
いまでも何かしなければ、仕事しなければと思うときは大いにあるのだけれど、そういった焦燥感はリリオやトルンペートたちとの交流で少しずつ落ち着いてきている。時折イラつくこともあるけれど、むしろ彼女たちからすれば私の方がせかせかし過ぎなのだ。
私はこれをアニマルセラピーと同様の癒しとみている。
このアニマルセラピーの集まりは、違った、冒険屋パーティは、今のところそれなりの業績を重ねてきていた。
何しろ結成時からすでにそれぞれピンで乙種魔獣を屠るなんて規格外のスタートを迎えている女三人だ。
後から吐かせたがやはり冒険屋業界でも少々無理のある試験だったらしく、リリオを諦めさせたいがゆえの試験内容だったそうだ。
しかし結果的にそんな無理難題を乗り越えてしまった我々は業界でもそれなりに目につく新人になってしまったようだ。
私としてはごく大人しくドブさらいや迷い犬探しや迷いおじいちゃん探しや乙種魔獣狩りなどに精を出しているつもりなのだが、新人の活躍はいつも鼻につくという方々がいらっしゃるのはどの業界でも同じようだった。
リリオとトルンペートが冒険屋としては小柄で、女性と言うのも悪かっただろう。
こういう言い方は性差別的であまり好きではないのだけれど、しかし体力勝負であるところの冒険屋稼業としては機能的に劣る方であるのは間違いないはずの組み合わせであり、そのくせ大男顔負けの依頼をこなしてきているとなれば嘘つけてめえと思わずにいられないという気持ちはわからないでもない。
特に大人しくドブさらいや迷い犬探しや迷いおじいちゃん探しや乙種魔獣狩りなどに精を出している女三人組に業績で負けているらしい大男どもにとっては、そういうものらしい。
なぜそんな大男どもの気持ちがわかるかと言えば、経験だ。
何しろ数が違う。
何の数かと言えば。
「おーやおやおや、《三輪百合》のお嬢ちゃん方じゃねえかい」
「今日も乙種魔獣を狩ってきたってのかい」
絡んでくるヤンキーもとい冒険屋どもの数だ。
本日の屑は、仕事帰りに茶屋で氷菓などたしなんでいるところに、このクソ暑いのに勤勉なことに、自分の半分くらいしか体積ないんじゃないかという女の子にわざわざ絡んでくるろくでなし二人だ。首に下げたドッグ・タグみたいな小さなエンブレムを目ざとく見つけてくるあたりもいやらしい。
「女の色香で乙種魔獣を倒したってのはほんとかい」
「そんな薄っぺらい体でかい。へっ、股でも開いたってか?」
「乙種魔獣ってのは悪食だな、へっへっへ」
ちなみに私のことはガン無視だ。正確に言うと《隠蓑》で隠れているので気付いていない。姿を現していると絡まれる確率が減るので、こういう連中の屑っぷりがよくよくわかるというものだ。
私が姿を現して凄みを利かせれば、さすがにたっぱもあるし、目つきも悪いし、何よりレベル九十九の威圧感でもあるのか早々に退散してくれる場合が多いのだが、この暑いのに《隠蓑》解除したくないし、せっかくトルンペートが来てくれて姿を隠していても問題なくなったのに、こんなクソみたいな問題のせいでいちいち世間と相手していたくない。
それに、なにより。
「いま、なんち言た?」
「あ? あんだって? 田舎訛りはわかんねあっがあああぁあぁあああッ!?」
「いま、なんち言た? ああ、失礼。ベンジョコオロギにもわかるように言い換えてあげるわ。誰が絶壁まな板大平原ですって?」
「だ、だれもそんなあっがあああぁあぁあああッ!?」
いい加減暑さと面倒くささで憂さの溜まっている二人のお邪魔はしたくない。
「辺境訛りがお気に召したようですから、辺境流でお相手しましょう」
「そうね」
「ああが、あががが」
高速のローキックで膝を砕かれた二人組が、怯えのこもった視線で見上げているが、私は無関係だ。知らない。わからない。正直辺境組のやり方って血腥すぎて直視すると怖すぎる。
「伊達男にして帰してやるわ」
これは辺境の方言で、見せしめに顔面をつぶして送り返してやるという意味である。
うん?
うちのパーティ名だって?
なんだっけ。
《虎が二頭》とかじゃない?
「《三輪百合》!」
ああ、そうそう、それ。
……それ、私も入ってるの? ああ、そう、そうなのね。
特に悪党でもないけれど運と日ごろの行いが悪かった野郎どもの耳障りな悲鳴と湿った殴打音を聞き流しながら、私は世界平和に思いをはせる。
ああ、氷菓の冷たさが、染みる。
用語解説
・文字
ウルウはそれなりに苦労して文字を覚えたが、実はただ文字を読めるようになるだけであれば、言葉の神の神殿でいくらか払えば、その場で読み書きの技術を頭に刷り込ませることが可能である。
ただし道具と一緒で使いこなすには経験と努力が必要で、使わなければすぐに揮発して忘れてしまう程度のものだ。
そのため、メザーガは当初、文字を知らないのであればすぐには使い物にはならないと判断したのだった。
・首に下げたドッグ・タグみたいな小さなエンブレム
冒険屋はみな、所属する事務所やパーティを示す金属片を首に下げている。
これは自分の所属を明らかにすることで各種機関に融通をきかせてもらうことのできる外、顔面が潰れて死ぬようなことがあっても誰かわかるようになっている。
・「いま、なんち言た?」
訳「いま、なんて言った?」
・ベンジョコオロギ
辺境方言でカマドウマのこと。この場合、相手をむしけら呼ばわりしている。
・前回のあらすじ
気さくなお兄さんたちを伊達男にしてやった。
夏です。
辺境では、そしてこの北部でも、夏は短いものです。しかしその暑さが全く涼しいものであるかと言うと話は別で、南部の人にはそうであるかもしれませんが、私たち北の人間には暑いという他にありません。
ウルウなどは実にしれっとして汗の一つも流しませんが、これが南の生まれであることの証左なのか、単に鈍感なのか、はたまたくろぉきんぐなる術のおかげなのかはさっぱりわかりませんが、多分術のおかげではないかとにらんでいます。
その証拠にウルウの外套の中にお邪魔させてもらうとひんやりします。
あまりにも心地よいのでトルンペートと二人で左右から潜り込んだら思いっきり振り払われました。
減るものではないしいいじゃないですかと何度か挑戦しましたが、しまいには蹴り飛ばされました。
曰く、「はずかしいから、やだ」とのこと。
もう、ウルウったら可愛いことを言います。
あ、いえ、子供みたいで恥ずかしいので嫌だという意味なのは承知していますのでその冷たい視線はやめてください癖になりそう。
ともあれ、夏とは熱いものです。
今日も今日とて迷い犬をスムーズに回収したのち、私たちは行きつけの店で氷菓を頂くことにしました。
そして今日も今日とて下らない妨害に遭ってしまいました。
行きつけのお店は冒険屋たちがよく利用する少し荒っぽいお店なのですが、冒険屋が集まると、私たちはちょっと目立つのです。
というのも、デビューからして乙種魔獣退治に始まり、ポンポンとそれなりに乙種を片付けてきてしまった私たちは、しかしその見た目はと言うと年若い女、それも小柄な女たちであり、おまけに綺麗好きのウルウのせいかおかげかいつも身ぎれいにしているので、とてもそんな荒事が得意には見えないのです。
冒険屋というものは、見栄も大事な看板の一つです。何しろそれで仕事の入りも違います。
そういう面倒を避けるために事務所と言う傘の下に入っているのですが、多少の小競り合い程度自分でどうにかできなければその傘も笑われてしまうというもの。
ままならないものです。
一人我関せずと、実際姿を消しているので関係することもなく氷菓をつついているウルウを尻目に手早くたたんでしまって、私たちも氷菓を頼んで早速いただくことにしました。
さすがに荒事に慣れた冒険屋たちを商売相手にしているお店だけあって、動揺もなくあんたたちやるねえとちょっとサービスしてもらえるくらいでした。でも程々にね、とくぎを刺された上で。
さて、氷菓というものは昨今様々に種類が増えてきました。
例えばウルウが今つついているのは、木の椀に盛られた氷水で、これは果汁を糖と煮詰めたものを香料などと混ぜながら凍らせたもので、しっとりとした雪葩と比べるとまだ氷の粒が荒く、しゃくしゃくと食感が楽しいものです。
トルンペートが、器の形に焼かれた焼き菓子である威化の上に盛られたのを少しずつ舐めているのは、これは雪糕と言って、果汁ではなく乳を糖などと混ぜながら凍らせたものです。
果汁や香料などと混ぜることもありますが、トルンペートは生の雪糕を好みます。
そして私が頂いているのが、大きな木の皿にこれでもかと盛り付けられた、大盛りの削氷です。これは氷水に似ていますが、大きく冷やし固めた氷の塊を削ったもので、これにたっぷりの蜜や果汁をかけていただくというものです。しゃくしゃくとした氷の食感や、溶けかけたひんやりした果汁、それらが一体となってたまらなくあたまいたい。
そうです、頭が痛くなるのでした、氷菓は。ウルウの言うところのあいすくりん頭痛とかいうので、冷たいものを急いで食べると頭痛を引き起こしてしまうのです。これはいくら鍛えても耐えられないもので、冒険屋の猛者たちが、店先に並べられた日傘付きの席でそろって頭を押さえているのはなんだか滑稽な光景です。
この頭痛もまた、夏の醍醐味と言えるでしょう。
氷菓は安くはありませんが、真面目に仕事をしている冒険屋なら、仕事帰りに井戸水で冷やした林檎酒にするか麦酒にするか、それとも氷菓にするかと選べる程度のものではあります。
私たちは勤勉な冒険屋ですし、何しろ乙種魔獣退治と称してかなり乱獲してしまったのでちょっとした小金持ちなのです。
大っぴらにすることでもありませんが、氷菓を頂いた後、《踊る宝石箱亭》で一杯ひっかけるくらいはわけのないことです。えへへ。
今日もそのようにして氷菓を食べ終え、夕飯をどうしようかと相談している頃合に、今回の面倒ごとはふらっとやってきました。
「やあ、やってるかい」
それはひょろりとやせ型の土蜘蛛で、場を和ませる健康的な笑顔の素敵なおじさんでした。
「あれ、ガルディストさん」
「や」
軽く手を上げるこの冒険屋は、メザーガのパーティメンバーで、事務所の一員である野伏のガルディストさんでした。実に気さくな方で、気の荒い冒険屋たちの間でもうまく場を取り持つ才能の持ち主で、そしていくらか気の抜けない油断のならない人でもありました。
「いい仕事を持ってきたんだが、どうだい? 最近退屈してると思ってな」
私は思わず左右を見てしまいました。
トルンペートはおすまし顔で雪糕をなめながら我関せずと私に任せているようです。では逆ではとウルウを見れば、こちらは面倒くさそうに目を伏せています。駄目です。どちらも頼りになりません。
これはどうも面倒ごとの匂いがするな、と私は心を決めました。
「いえ、申し訳ないですけど、」
「これから飯だろ? 奢るよ」
「是非お聞きします」
左右から、ため息が聞こえた気がしました。
用語解説
・氷菓
氷精晶や氷室を活用して作った冷たいお菓子の総称で、夏場は特に好んで食べられる。
・氷水
果汁を糖と煮詰めたものを香料などと混ぜながら凍らせたもの。しゃくしゃくしゃりしゃりと大きめの氷の粒が楽しい。グラニテ。
・雪葩
氷水と同様の製法だが、氷水と比べて氷の粒が細かく、しっとりとした味わい。ソルベ。シャーベット。
・威化
焼き菓子の一種。小麦粉、卵、砂糖などを混ぜ合わせて薄く焼いたもの。ここでは器の形に焼き上げているようだ。
・雪糕
乳、糖、香料などを混ぜ合わせ、空気を入れながら攪拌してクリーム状にして凍らせた氷菓。アイスクリーム。
・削氷
氷の塊を細かく削って盛り付け、シロップなどをかけて食べる氷菓。かき氷。夏の定番。
・あいすくりん頭痛。
アイスクリーム頭痛。冷たいものを勢いよく食べることで発生する頭痛。ある意味、夏の醍醐味。
前回のあらすじ
女子三人で氷菓を楽しんでいたらやってきたおっさん。
女子に仕事を持ってきたうえご飯を奢ってくれるという光景は非常にいかがわしい。
リリオの手前はっきりと口にすることはないけれど、あたしの中で冒険屋っていうのは基本的に信用ならない連中のことね。個人個人で見ればそりゃあいい人も悪い人もいるけれど、商売として見た場合、冒険屋ってのは常に他者との競争で、騙し合いで、蹴落とし合いよ。
同じ事務所の人間だからって、これは変わらない。
そりゃあ勿論害意や悪意はないかもしれないけれど、うまいことこちらを持ち上げて、うまーく利用しようっていうのは見えている。素直な信頼関係からくるものばかりではないんだと思う。
だからあたしは奢ってくれるとかそういう台詞は基本的に面倒ごとの序曲だとしか思っていないけれど、今日ばかりは同情だ。
なにしろガルディストさんはしょっぱなから間違えてたんだから。
ことリリオに対して何か頼みたいなら、正面から頭を下げてお願いするのが一番楽なんだもの。
いくら面倒ごとでも、リリオは誠実なお願いを断ることはしないし、できない。
そこを小細工を弄しようとするから、こんな目に遭う。
「えーと、それでだな」
「あ、お姉さん、これお代わりお願いします。あと林檎酒も」
「仕事の話なんだが」
「あ、このもも肉の炙りも! 三皿分くらい!」
「なんだが、ねー」
「あ、私も林檎酒」
「林檎酒もう一杯お願いしまーす!」
さすがにウルウも姿を現して席に着いたけれど、そりゃあ好きに注文してくれなんて言ったらこうなるわよ。
八人掛けの卓に四人でかけて、それで卓の上が皿でいっぱい。料理は途切れることがない。
リリオ見た目以上によく食べるし、ウルウはともかく、私も食べるもの。辺境育ちはよく食べるのよ。
しまいには降参だと両手を上げて自分も料理を楽しみ始めるガルディストさんは、そのあたりわかっていなかったとはいえ、切り替えのいい方よね。
そうして席が盛り上がると、周囲もその熱気にあおられて、一皿二皿、一杯二杯と注文が増えるし、そうしてくると酔いが回って腹も満ちて、心づけもついついはずんじゃう。そうすると店の方でも嬉しくなって給仕が良くなってくるから、ますます客も盛り上がる。
これね。これこそいい雰囲気の店ってやつよ。
しばらくそうして早めの夕飯を楽しんで、お腹もいっぱいになったし気分もよくなったし、そろそろ帰ろうかとなって、さすがにガルディストさんが止めた。
「待て待て待て、さすがに帰さんぞー、ここまで飲み食いしやがって」
「えー」
「えーじゃない。遠慮を知れって年じゃないが、どこに入るんだ全く」
「胃袋です」
「二つ位あるんじゃなかろうな」
「二つで済むかしら」
「四つ位ありそう」
「もー!」
「牛さんだ」
ガルディストさんは気分を盛り上げたままに話を誘導するのも得意で、あたしたちは気づけば椅子に腰をしっかり下ろして、林檎酒片手に仕事の話を聞いていた。
「ま、仕事って言ってもいつものドブさらいの延長さ」
「とてつもない延長な気がする」
「そこまでじゃあないさ。そこまでじゃ」
「じゃあどこまでです?」
「ちょっと地下水道まで」
ガルディストさんのにやっとした笑みに、あたしたちはちょっと黙りこんで目を見合わせた。
ウルウは何のことかわからないっていつもの顔で。あたしは面倒ごとの匂いがするって顔で。それから、リリオは、うん、まあ、わかってた。きらきらしてた。
「地下水道! 潜るんですか!」
「ああ、ちょっとな。未開通の通路が発見されたんで、ちょいと何組か御呼ばれしててな」
「うひゃあ! 浪漫です!」
「過去の文献によれば、それなりのお宝はありそうだ。それに、そう、」
「穴守!」
「そいつだ」
「うひゃあ! 冒険です!」
「リリオちゃんなら喜んでくれると思ったぜ」
「もちろん!」
いやなやつね全く。リリオが頷いたら残りの二人もついてくるってわかってるんだから。
ウルウは何にもわかってないから仕方ないんでしょうけど、それにしたって地下水道だなんて。
「ところで」
ウルウが小首を傾げる。
「他の面子は?」
「なんだって?」
「何組か呼ばれてるんでしょう。水道の管理局か、冒険屋組合に」
「ウルウちゃんは目ざといねえ」
「リリオが楽しそうで何よりだけど、隠し事があるなら私は乗らない」
「待て待て待て、隠し事ってわけじゃない。単に俺も詳しく知らないだけだ」
「知らない?」
「事務所あてに依頼が届いたのさ。他の事務所がどこかってのまではわかるが、パーティまでは現地で会わないとわからない」
「杜撰だなあ」
「どうせパーティごとで動くからな」
「で、どっち?」
「何がだい?」
「管理局? 組合?」
「目ざといねえ」
「お陰様で」
「管理局だよ。監督官は付かないが、入り口で待ち構えてるだろうな」
「欲しいのはリリオじゃなくて私?」
「袋をくれるんなら構わないけど」
「駄目。リリオと私はセットだ」
「高くつくかい?」
「掘り出し物次第。捌き方は信頼するよ」
「助かる」
「商談成立ってことで」
「よし乾杯だ」
トストン、トストン! 少しずれながらあたしたちは乾杯の音頭を上げて、酒杯を干した。会話の内容はよくわからなかったけど、ウルウはあれで頭が回るから、ガルディストさんが説明しなかったことを目ざとく聞き出したんだろう。後で詳しく聞いてみようかしら。
まあ、それは、ともかくとして。
「それじゃあ菓子ですね!」
「まだ食うのか!?」
「高い勉強料だったね」
「ええい、もってけ泥棒!」
「よし来た! お姉さん端から持ってきて!」
「少しは遠慮を知れ! おっさんも給料大して変わんねえんだぞ!」
やっぱりこの時期は、氷菓が一番よね。
用語解説
・地下水道
大きめの街には大概存在する、地下に作られた水道。またそれに関連する水道施設。
多くは古代王国時代に作られた遺跡を流用しており、不明な点も多いため、冒険屋が定期的に潜って調査している。
・穴守
古代王国時代の遺跡に存在する守護者の総称。機械仕掛けの兵器であったり、人工的に調整された魔獣であったりする。
・水道の管理局
水道の利用や整備を取り扱う組合。知的労働者や技術者が多く、荒事はあまり得意ではない。冒険屋に相当する自前の荒事部門を作ると冒険屋組合の権益を侵害してしまうので、冒険屋を雇って調査を依頼している。
前回のあらすじ
薄給のおっさんから毟れるだけ毟った女子三人。
いよいよ冒険屋らしい仕事が舞い込んできたが……。
ガルディストというのは土蜘蛛の地潜とかいう氏族の男だった。この種族は女性より男性の方が小柄で、彼もご多分に漏れず小柄な方だったが、それは同族の女性と比べればということであって、やややせ型であることを除けばそこらの男と大差はなかった。
むしろ、その筋肉のつくりは針金でもより合わせたようで、鋭い。
また軽薄そうな第一印象とは裏腹に、堅実さと知性がまなざしに伺える。
彼はメザーガのパーティの野伏だ。
野伏とは何かと聞いてみたら、リリオが説明するところによれば、宝箱を開けたり、罠を解除したりが得意な手先の器用な奴のことで、遺跡の探索にはまず欠かせないという。つまりゲームでいえば《盗賊》にあたる《職業》だろう。
盗賊って言うと、やっぱり聞こえが悪いし、野伏っていうのには、まあ、そこまで悪い印象は沸かない。
そんなことを言う私は《盗賊》上がりの《暗殺者》上がりの死神なわけで、まあ、よっぽどだな。
まあ、なんにせよ油断のならない男だというのが私の印象だった。
今回の面倒ごともとい仕事を持ち込んできた時だってそうだった。
どこからの依頼か、誰とやることになるのか、そういうことを、聞くまで答えようとしないってのは、ちょっとフェアじゃないだろう。
まあ、そのくらいには私たちのことを警戒しているともいえるし、試しているともいえるのかもしれないけど。
他所のパーティについて知らないというのは、半分嘘だろう。事務所を知ってれば、どんな連中が選ばれるだろうかってのは予想がつくはずだ。地下水道なんて限定された場所なら特にね。
でも濁したのは、なんだろうか、大したことがない連中だからか、それとも面倒な奴がいるからか。
依頼がどこからってのも大事だ。
私も最近本で知ったことだけど、冒険屋組合ってのは少し特殊で、危険な事や、そうなるだろう見込みが大きいことに対しては、他の組合の領分を犯して、頭ごなしに指示を出す権利が街に認められているらしい。
そりゃそうだ。一等危険に慣れている奴らが、危険に対して権利を持つのは正しい。
ただこれは、逆に言えばそういう見込みが少ないか、確認できない時は、指をくわえているしかできないってことでもある。
今回の依頼は水道の管理局から。
これは難しい。危険がない、ってわけじゃない。何しろ未踏の場所なのだから、危険はあるかもしれない。ありそうだ。でも確証はないから、冒険屋組合は首を突っ込めない。
そうなると、冒険の上り、つまり道中見つけたお宝なんかは水道のものだからって理屈で、局の監視員にはねられるのは間違いない。その癖、仮に危険な魔獣なんかが出てもそれも仕事の内だからって私たちは対処しなくてはならない。
《三輪百合》が、正確には私が呼ばれたのはそれが理由だ。
《三輪百合》は力量においてはすでに実証済みで、そして私は大容量の《自在蔵》持ちということになっている。
監督官も《自在蔵》の中身まで改めることなんてできやしない。だから、つまり、そういうことだ。いくらかがめて来いって話なんだろうね。
という予想を後で話してみたら、リリオは感心し、トルンペートは呆れた。
「あんたいっつもそんな面倒なこと考えてるの?」
「考えてない奴はこうなる」
「え?」
「あたしももっと考えるようにするわ」
「え?」
「そうしておくれ」
リリオは素晴らしいリーダーだ。パーティメンバーの絆をまた一つ強めてくれた。
ともあれ、地下水道だ。
私からすると水道ってのはただの水道でしかないんだけど、この世界ではどうにもそうではないらしい。
というのも、簡単な――それでもローマ水道レベルのものなら、一から作ることも難しくはない程度の技術力はあるらしい。
しかし、ある程度の大きな都市は、基本的にかつて存在した古代王国の残した非常にハイテクな水道に頼っているらしい。そしてこれがまた戦争やらなんやらで地図や操作手順が紛失していることが多いらしく、一応動くけど細かいことはわからない、というレベルらしい。
なのでいまだに冒険屋たちが潜っては長い間の内に住み着いた魔獣を退治するだけでなく、もともとの機構として存在する獣避けや侵入者避けのトラップを解除し、全容の不明な遺跡をちまちまと攻略しているというのが実情らしい。
わーお。足元にダンジョンがあるわけだ。
今回の依頼は、そんな地下ダンジョンに未探検の通路が見つかったから一寸行って調べて来いよというものらしい。
試しに依頼料を聞いてみたらこれがなかなか悪くない。
悪く無さすぎて不安になったので一応相場について確認してみたら、リリオが意気揚々と穴守なるものについて語ってくれた。
なんでも地下水道をはじめ古代遺跡には、侵入者を排除するための機械仕掛けの守護者や強力な魔獣が置かれている場合が多いらしく、ライフラインの一つである地下水道とはいえ、古代遺跡であるからにはそういうのが出てくる可能性は高いらしい。
そりゃ依頼料も弾むわ。
というか危険があるなら冒険屋組合呼んで来いよと思ったのだが、そこは穴守がいるとは限らないとか確率だけなら低い方だとか職権の侵害だとか、まあいろいろ面倒臭い政治があるらしい。
冒険屋組合だけ割を食っているように見えるけれど、冒険屋組合がいるから水道局は自前の地下水道掃除屋を育成できないとかそういう部分もあるらしい。
面倒臭い。
なんでファンタジー世界でそんな政治を聞かにゃならんのだ。
ともあれ、だ。
いままで精々ファンタジー飯に舌鼓を打つ程度だったのだ。
ある意味、ようやくファンタジーらしい冒険をする時が来たようだ。
リリオが。
私? 私はもちろん三歩位後ろで見てるよ。
私たちはそのようにして依頼を受けることを決めて、何かと詳しいリリオの意見を程々に参考にしながら必要な物を買いそろえて、私のインベントリに放り込んだ。
何しろこの世界の物品は重量設定がゼロなのかnullなのか、幾ら入れても制限に引っかからないうえ、中に入れると時間の進みが止まるようなので、こういう時に非常にお役立ちなのだ。
腐るかもしれない生鮮食品も、使わないかもしれないアイテムも、まとめてポイだ。
以前はできるだけリリオが一人でできるようにとあまり手を貸さないようにしていたけれど、トルンペートも合流し、私もなし崩しについていくほかないとなると、荷物持ちくらいは致し方ないという妥協だ。
第一荷物で動けなくなってゲームオーバーなんてのは見ていても面白くない。
リアリティより面白さ優先のライトユーザーなのだ、私は。
まあ、なんにせよ私が手を貸すのは最小限、これは譲れない。
さて、依頼の日を翌日に控えて、私たちは事務所の寮で軽く作戦というか、行動指針を立てて、歯を磨いて休むことにした。
当初二人部屋だったこの部屋に三人分のベッドを詰め込むのは無理があった。かといってもう一部屋頼もうとしたら家賃をちらつかされた。別に払ってもいいのだけれど、節約を心掛けていかないと後が怖い。
ソファを使って三交代制にするとか、一つのベッドを二人で使うとか、いろいろなすったもんだがあった挙句、リリオが疲れた目で閃いてくれた。
「三次元的にはまだ空間があります」
と。
最初は何をトチ狂ったのかと思ったがわけはない。
要するにベッドを置くスペースがないならベッドを重ねてしまおうという、つまり二段ベッドの発想だった。
私たちは試行錯誤してDIYを果たし、多少いびつで不安定ながらもまあ私が寝るわけじゃないしいいかなという完成度でもって二段ベッドを作り上げ、この上段をリリオが、下段をトルンペートが使うことになった。
お嬢様の上に寝るなどとても恐れ多いなどと持ち上げられて意気揚々と二段ベッドの上段に喜んでいたリリオだが、まあ、トルンペートはわかってるよなあ。二段ベッドって下の方が便利なんだよね。ベッド下に物置けるし、出入りも楽だし。
会社の仮眠室が二段ベッドで、しばらくの間半ば住み着いたことあるからよく知ってる。
そんな経緯で積み上げられた二段ベッドに入ってからもしばらくの間、リリオは遠足前の子供のように眠れないらしく何度も寝返りを打っていた。トルンペートは寝るのも仕事の内と言わんばかりにすぐに寝息を立て始めた。
私はというと、私も実は少し興奮して寝付けなかった。
何しろ初めての冒険らしい冒険だ。何しろ初めてのダンジョンだ。
《ウェストミンスターの目覚し時計》を二度チェックしてから、私は冴える目を無理やり押さえつけて眠りについたのだった。
用語解説
・野伏
ゲームでいう《盗賊》に相当する職業。罠や扉、宝箱の解除・開錠を得意とする他、手先が器用な職業。閠も《盗賊》時代に獲得したスキルで似たようなことはできるが、経験が違うため恐らく劣る。
前回のあらすじ
初めての冒険らしい冒険、そう、ダンジョンに興奮して眠れない閠。
いびきが二人分に増えたのが理由ではないはずだ。
依頼当日。
やっぱりお寝坊してしまいましたが、トルンペートに起こしてもらって事なきを得ました。ところで私トルンペートの一応主に当たるはずなんですけど、二段寝台の上段から引きずり落とされるのはどうなんでしょう。
ともあれ、今日は待ちに待った冒険日和です。
地下水道の入り口は街中に整備用の潜孔として存在していますが、あれはあくまでも人一人通れる程度のもの。もっと大掛かりな点検整備や立ち入りの為に、水道局の建物の中から階段を下りて地下へと進むことができます。
というのは今日初めて知ったのですけれど。
水道局の人は思ったよりも友好的で、なんだかのんびりしたお爺さんでした。私があちこち物珍しそうに見ていると、親切にいろいろ教えてくれるのでした。
地下水道の入り口に集まった冒険屋パーティは全部で三つで、そろいの制服を着た業者さんのような四人組が一番最初にすでに来ていて、私たちが二番手、そして時間ギリギリに最後の一組が五人でやってきました。
「《潜り者》の皆さんはいつも通りとして、他の方々は初めましてですね。パーティ単位での活動になりますが、一応自己紹介していただきましょうか」
水道局のおじいさんに促されて、到着順に軽く自己紹介をしていくことになりました。
「ホムトルオ事務所の《潜り者》だ。私はリーダーのクロアカ。魔術師だ。メンバーは水の神官のトリトーノ、野伏のベリタ、同じく野伏のボッカ。水道局の依頼を主に請け負っている、まあ、地下水道専門のパーティだな」
《潜り者》は揃いの制服に体格も似通った、みな人族の男性で、聞けば水道局の専属に近い冒険屋だそうです。水道局は自前の冒険屋を持てませんけれど、馴染みの冒険屋はあるというわけですね。その方が効率的ですし。
彼らは一番慣れているようですし、落ち着いた余裕のようなものが感じられました。
「メザーガ冒険屋事務所は、《一の盾》からは俺、野伏のガルディストが臨時のリーダーとして、新人の《三輪百合》の三人を率いる。リリオは剣士だが、まあ近接は大体できる。トルンペートは投擲が得意だ。ウルウは野伏よりだが、詳しくは企業秘密」
二番手の私たちは《三輪百合》の三人にメザーガのパーティのガルディストさん。野伏のガルディストさんは地下水道の依頼は何度も受けたことがあるようですけれど、私たち三人は新人でもあり始めての地下水道ということもあり、あまり気負わずに頑張ってくださいと応援されてしまいました。
最後にやってきたパーティは男女の入り混じったパーティでした。
「遅れてすまん。鉄血冒険屋事務所の《甘き鉄》だ。俺はリーダーのラリー。剣士だ。魔術師のニーヴンに、野伏のトム。それに武僧のフィンリィ。地下水道は何度か挑んだことがある。ニーヴンは水中呼吸の術を使えるから、必要なら言ってくれ」
ラリーは人族の男性で、ニーヴンは女性、トムとフィンリィはそれぞれ土蜘蛛の男女でした。
こうしてみると、他種族の入り混じる北部でも、パーティ内の種族は精々二種族で、それもパーティ内でやや距離があるように感じられます。パーティ全員種族が違うメザーガのパーティの特殊性がよくわかります。
特に天狗と土蜘蛛が同じパーティ内で仲良くしているのはなかなか見ません。
私たちは水道局の監督官でもあるというおじいさんの案内で、地下水道へと降りていきました。
階段を降り、分厚い鉄の扉を開くと、水道特有の濃い水の匂いと、苔や生物由来のやや不快なにおいがしますが、思ったより臭くはありません。
「意外に思うかもしれませんがね、地下の方が浄水機構が働いているから、上層のドブなんかよりもきれいなんですよ。ただ、水路には魔獣が棲んでいる場合もありますから、おぼれた時は病気より襲われる方に気をつけて」
水路沿いの通路を歩きながら、監督官さんがそう教えてくれます。
その水路にもきちんと鉄柵が張られていて、そうそう落ちることもなさそうです。というのも、この辺りはすっかり探索も済んで、魔獣も駆逐され、整備の手が行き届いているからだそうでした。
「昔は柵も錆びてたり、破れてたりしてましてねえ、水路から急に魔獣が飛び出してきたりもありました。《潜り者》さんところがねぇ、昔から協力してくださって、それでずいぶん綺麗になったものですよ」
そういわれて《潜り者》の面子もどこか誇らしげです。
そうしてしばらく整備された通路を進み、いくつかの扉を抜けたところで、監督官さんが重たげな鉄の扉の前に立ちました。
「この扉が、つい最近ようやく開け方の判明したものです。仕掛けは簡単なからくりだったんですが、鍵が紛失していまして、合鍵の作成に随分手間取りました」
そう言って取り出されたのは鍵というよりは短剣くらいのサイズのでこぼことした金属塊で、これを鍵穴に差し込んで、取り付けられたハンドルを使ってぎりぎりと回すと、どこからかがちがちと重たげな金属音が響き、鉄扉がゆっくりと壁に埋まるように開いていきます。
「先遣隊が入り口付近の安全は確認していますが、通路が分岐していて、その先はまだ未調査です。調査報告書の出来と発見物次第で基本給から値上げしていきます。地図は買い取りします。なお、地下水道内の物品は水道局の管轄ですので、えー、ここで、この出入り口でですね、回収させていただきますので、皆さん程々に」
ちらとガルディストさんを見やると、にやっと笑って耳打ちされました。
「ばれない程度は見逃してやるからあんまりせこい真似はするなよってさ」
「なるほど」
私が頷いていると、《潜り者》のメンバーが装備を点検し、そして監督官さんの前に並びました。何だろうとみていると、監督官さんが杖と、そして謎の巾着袋を取り出しました。
「《潜り者》の皆さんはいつものことですけれど、はい、水の神官である私が水中呼吸、水上歩行、水精への耐性、暗視など補助法術をおかけできます。神殿との兼ね合いで有料となりますが、この先でのお怪我や事故は危険手当込みでお給料以内のことですので、はい、まあ、お財布とお相談されてください」
ちゃっかりしてるぅ……。
さて、一応確認しておきましょう。
「私、鎧に水上歩行と耐性ついてます」
「俺は種族柄暗視持ちだな。水上歩行はないが泳ぎはできる」
「あたしは夜目は利くわ。水上歩行はできないけど、少しなら空踏みができるから、それでなんとかなるかしら」
「暗視の法術使わせてもらうなら火精晶のランタンの方が安いですかね」
「片手塞がるが、まあ暗視持ち多いしいいだろ。ウルウ、お前さんは?」
「……私はどれも大丈夫」
「よし、企業秘密は俺にはなしだ。ここでのことはメザーガにも漏らさねえ」
「……暗視効果のある道具を持ってるから、リリオとトルンペートに暗視はつけられる」
「マジかよ。いやまて、俺は何にも聞かねえ。とりあえずそいつを貸してやってくれ」
「わかった」
そのようにして私たちは支援は遠慮したのですが、意外にも水中呼吸の術が使えるといっていた《甘き鉄》のメンバーは全員支援を受けるようでした。
「連中、ダンジョン慣れしてるな」
「そうなんですか?」
「術は魔力を使う。つまりリソースを削るんだ。金で解決できるならここで支援してもらった方が生還率は上がる」
成程。お金をケチる事ばかり考えてもダメなわけです。支出と収入、最終的な計算結果を想像できないようではよい冒険屋にはなれないというわけですね。
「では、皆さんが突入したのち、安全のため一度扉は閉めます。時間までは開きません。緊急で脱出したい場合は、これから教える符丁で扉を叩いてください」
こんこんここんと扉を叩いて、優しそうな監督官さんはにっこりと笑って私たちを奥へといざないました。
私はちらりとウルウを見ます。
「あれって」
「うん、あの符丁で叩かれたら、危険が近いから絶対に開けないっていうやつだよね」
「ですよねー」
そんな私たちの背後で、重たい音とともに扉が閉まるのでした。
用語解説
・《潜り者》
地下水道の調査を専門にしているホムトルオ冒険屋事務所の筆頭パーティ。この事務所はほかにも数パーティ抱えており、大体同じような編成で、常時どれか一つは地下水道に潜っている。
戦闘は得意ではないが、いまだに怪我が理由の脱退者を出していない非常に優れたベテランたちである。
ただし、地下水道以外での活動では途端に脆くなることだろう。
・《一の盾》
メザーガ冒険屋事務所筆頭パーティ。元々メザーガが組んでいたパーティで、事務所結成以降は殆どこのパーティで行動することはない。全員がかなりの実力者であるだけでなく、メンバー全員が他種族であるにもかかわらず連携力にも優れた非常に優秀なパーティであった。
・《甘き鉄》
鉄血冒険屋事務所所属の中堅パーティ。鉄血冒険屋事務所は荒事を得意とするものがおおく、メンバーも戦闘を得意とするものを中心に、サポートが少数置かれる編成。
能力主義ではあるものの、そのために種族間の連携が苦手な面はあり、二種族混成の《甘き鉄》は実はかなり連携が得意な方。
前回のあらすじ
一気に登場人物が増えたがどうせ絡むことはないので覚えることはない。
はじめての地下遺跡ってことで、警戒してたのは確かよ。誰にだって初めてのことはあるし、それはどれだけ警戒してもし過ぎるってことはない。初めてだからは理由にならないっていうのをあたしはよくよく知っている。
でもだからこそ、あたしが脱力してしまいそうになったのは仕方がないと思う。
通路は一定間隔で置かれている、古から輝き続ける輝精晶の小さな非常灯によって、完全な闇からは脱していたけれど、それでも人の目で見通すにはあまりにも深い暗闇だった。
あたしも暗殺者として訓練を受けてきたことがあるから、夜目は利く。利くけれど、これだけ暗いと、咄嗟の時には危ないかもしれない。
そんなあたしの緊張はウルウによって打ち砕かれた。
「はい」
「なにこれ」
「知性の眼鏡」
「なにそれ」
「ウルウのいつものお役立ち道具です」
「いつものお役立ち道具」
ウルウに手渡されたのは眼鏡だった。あたしでも眼鏡くらいは知っている。高級品だけれど、貴族には資本力を見せつけるために使用人に眼鏡をかけさせるものもいるくらいだし、そうでなくてもそれなりにかけてる人はいるくらいには流通してる。
でもそういうことじゃなくて。
「あたし、目は悪くないんだけど」
「これは闇を見通す眼鏡」
「なにそれ」
「リリオ」
「えーとですね、かければわかると思います」
揃いも揃って説明を面倒臭がりやがって。
仕方なく、あたしは眼鏡を受け取ってみる。
知性の眼鏡とかいったか。仰々しい名前だけあって、普通に見かけるものより立派だ、というか、デザインが素敵だ。不思議な素材の赤く透き通った縁で、どこか柔らかな印象がある。
以前見かけたことがある鼻にかけるものではなくて、最近流行している、つるを耳にかけるもののようだけれど、実際にかけてみると、これが思いの外に柔らかく負担を減らしてくれ、顔に異物をつけているはずなのにまるで違和感がない。
この、鼻の部分にそっと当たる部品がまた気が利いている。そのままレンズが当たるととにかく鼻が痛いし、ばねで挟むものはお察しの通りだ。しかしこれはそんな無理を鼻にかけることがない。
レンズの磨きもまた恐ろしく精度がいい。歪みもまるで感じないし、空気のように澄んでいて視界を邪魔するということがない。試しにあたりを見回してみると、壁のレンガの継ぎ目さえ綺麗に見えるほどで……。
レンガの、継ぎ目?
「……見える」
「知性の眼鏡は状態異常:暗闇に対してインテリジェンス依存で対抗する装備。暗視効果にもなる」
「えーっと、つまり?」
「……頭がいいほど暗視効果が強まる」
なるほど。同じ眼鏡をかけたウルウも、これと同じように周囲が明るく見えているのだろう。
赤縁眼鏡がウルウの顔の真ん中に来ると、結構印象が変わる。泣きボクロのすぐそばを赤い縁が通るのだけれど、それが妙に色っぽく、なおかつ知的という矛盾しているようないないような変な感じだ。
あれだ。清楚系の色っぽいお姉さん教師。何言ってるんだあたしは。
……はっ。
待てよ、頭がいいほど、ということは。
あたしが慌ててウルウを見ると、ウルウも気づいたようではっとリリオを見た。
「二人とも後でお説教ですからね」
あ、よかった。ちゃんと見えてるみたいだ。
「便利な道具みたいだが、あんまり言いふらすなよ、面倒だから」
そんないつもの茶番を眺めながら、呆れたようにガルディストさんがぼやくのだった。
こうして暗い通路もきれいに見通せるようになったあたしたちは、完全な暗視効果を持つガルディストさんを先頭に、野伏の技能に似たようなものを持っているというウルウが珍しくその次に並び、ついでリリオ、最後にあたしという順番で進んだ。
パーティとしては、慣れている《潜り者》が先頭で、あたしたちの後ろを《甘き鉄》のメンバーが歩いている。
別に文句を言うつもりはないけれど、自分の後ろを誰かが歩いているっていうのは実はあんまり落ち着かない。
あたしが従者として少し後ろを歩くように教育されてきたのもあるし、無防備な背後を人にさらすのが好きじゃないってのもある。
ウルウが姿を消して後ろにくっついているのも、本当は最初の内は結構怖かった。怖かったけれど、ことあるごとにあたしの背後にでっかい体を隠そうとするのがなんだかだんだん馬鹿みたいに思えてきて、もう慣れてしまった。
そう考えると、今ウルウがあたしの前にいるってのも、落ち着かない原因の一つではあるかもしれない。
しばらく歩いていくと、先遣隊が見つけたという分岐路にぶつかった。
一つはそのまままっすぐ進む道。一つは橋を渡って左手の水路の向こう側に進む道。そして一つは通路を右に折れていく道。
あたしたちは一度集まって相談することにした。
「さて、どうしたものか」
「地下水道に詳しい《潜り者》の意見を聞きてえな」
ガルディストさんが促すと、《潜り者》のリーダーであるクロアカさんが顎を撫でた。
「そうだな……一番危険なのは橋を渡った先だな」
「フムン?」
「橋の途中で襲われる可能性が高い。それに、橋をまたぐと区画が変わることがおおいんだ。区画の変わり目は守護者が出やすい」
「成程」
「右手の道は、どこかの部屋や施設に出る可能性が高い。ただの通路かもしれんが……専門的知識を持っていた方がいいだろうな」
「まっすぐ行く道は?」
「一番何もないだろうな。逆に言えば、また分岐路にぶつかりやすいともいえる」
あたしたち《三輪百合》が余計な口を挟まずに聞いている前で、熟練の冒険者たちは危険とお宝を天秤にかけて相談という名のつばぜり合いを繰り広げているようだった。
「俺としては、何らかの施設を見つけた時の為に、専門的知識の豊富な《潜り者》が右手を請け負いたい」
「待て待て待て、むしろ手慣れたあんたらには左の橋の先を調べてもらいたいもんだな。俺達も熟練とはいえ、地下水道の敵に慣れてるわけじゃあない」
「むしろ鉄血さんにゃあ武力じゃ一番期待してるんだがね、俺ぁ」
「《一の盾》の冒険譚を知らねえ奴がヴォーストにいると思ってんのか?」
「おっと藪蛇藪蛇。でも今日は新人連れてるかんな」
「知ってるぜ《三輪百合》。先日もうちの若いのが世話になったからな」
「おいリリオなにしたこの馬鹿ッ」
「トルンペートですよう」
「二人がかりだった」
「お前もせめて止めろ!」
「やだよ怖い」
「説得力!」
「もうやばそうなの全部こいつらでいいんじゃないか」
「《甘き鉄》としては全面的に賛成だ」
「メザーガ冒険屋事務所は反対なんですけどぉ!?」
「二対一だ」
「滅びろ民主主義!」
結局、主にあたしたちのせいで、一番危険そうな橋をあたしたちが、専門的知識が必要とされそうな右の道を《潜り者》が、そして一番無難そうな道を《甘き鉄》が担当することになったようだった。
「お前たち今後は少しは大人しくしなさい」
「はーいお父さん」
「こんなでけえ子供がいてたまるか!」
「いつも心に童心を抱いていたい」
「捨てろ! 今すぐ捨てろ!」
ちぇっ、ガルディストさんは女の子の扱いがわかってないんだから。
ともあれこれ以上ガルディストさんの胃袋を痛めつけても仕方がない。
はーいわかりましたー反省してまーすと侘びの言葉を告げて、あたしたちは先に進むことにした。
いかにも崩れ落ちそうな錆びついた鉄の橋は、リリオの喜びそうな冒険の匂いが、確かにしてくるのだった。
用語解説
・輝精晶
光精晶とも。非常に希少な光の精霊の結晶。古代王国の遺跡には、どういった手法で集めたのかこの結晶が多くみられる。
・《知性の眼鏡》
かしこさの数値の高低で効果の度合いが変わるゲームアイテム。
かしこさが一定以上の高さだと状態異常:暗闇を百パーセント防ぎ、また暗視の効果を得る。かしこさが低ければその効果も下がる。
ファッション用のアイテムとしても用いられた。
『世界は闇に満ちている。盲目の愚者たちが蠢く底なしの闇に。この眼鏡はその闇をほんの少し切り取ってくれる。お前自身の内なる闇に抗おうとする知性があるのならばな』
前回のあらすじ
民主主義に敗北したガルディスト。
結婚もしてないのに何でこんな年頃の女の子たちの面倒を見なければならないのか。
それはもうずいぶん長いこと、この暖かい闇に包まれた水底を棲み処としていた。
かつてこの水場には多くの生き物が生息していた。
凶暴なものもいれば、狡猾なものもいた。味わい深いもの、味の薄いものも。そうだ、そうだ、そうだ。確かに多くの生き物がはびこり、そして今やそれらはみなそれの腹の中に納まったのだった。
それは自分の生まれた時のことを記憶してはいなかった。記憶する必要もなかった。容量の限られた脳細胞に記憶するまでもなく、それの全身の細胞が、その奥に書き込まれた設計図が、そしてその設計図にさらに書き込まれた命令が、それに生きる意味を与えていた。
生きる意味!
何と素晴らしいことだろう。
それは微睡みの中で幸福に満たされていた。
この世界にどれだけの生物が生きていて、この世界にどれだけの思惑が巡っていて、この世界にどれだけの尊きものが在るのか、そんなことはどうでもいい。それらの内の果たしてどれだけが、生きる意味というものを明確に持っているだろうか。
生きる意味を持たないものなど、そんなものは数えるにも値しない有象無象に過ぎない。
それにはあった。
確かにあった。
生きる意味。
存在する意味。
かくあれという意味!
ああ、その何と素晴らしいことか!
かんかんと甲高い音に、それはまどろみからゆっくりと目を覚まし、そして幸福に身を揺らした。そう、その音は幸福の合図だった。
それの生きる意味を果たすものがやってきたのだから。
それはゆっくりと浮上を始めた。
さあ、はじめよう。さあ、使命を果たそう。
この地に許可なく侵入する全ての愚かなるものを食べつくそう。
それが、それこそが生きる意味だった。存在する意味だった。
うっかり許可の意味を曖昧にしたまま命令文を打ち込んでしまったために自分自身も食われてしまった創造主の与えてくれた生きる意味を果たすために、それは侵入者を食い殺すべく身を起こすのだった。
‡ ‡
錆びつき、鉄柵さえもとうに崩れ落ちた橋を渡りながら、すでに嫌な予感がしていた。
こんなあからさまに敵が出ますよという雰囲気で何も感じなかったらゲーマーとは言えないし、ゲーマーどころかゲームプレイ傍観者でしかない私でさえそのくらいは感じる
橋の半ばほど、つまりは水路のド真ん中あたりまで来たところで、振動が感じられた。
私が感じ取るとのほぼ同時にガルディストが鋭く私たちに静止の合図を送り、周囲に鋭く視線を巡らせた。
リリオが黙って雷精剣を抜き、トルンペートがワイヤー付きのくないを取り出す。
戦闘準備が整うのを待っていたわけでもないだろうけれど、私たち全員の意識が振動のもと、つまり足元に集まるのと同時に、そいつは激しく音を立てて、飛び上がってきた。
ガルディストが一番早くリリオの首根っこを掴んで前に飛び出し、次いで私がトルンペートと同時に飛び、最後にそいつが大口を開けて老朽化した鉄橋をウェハースか何かのようにばりばりと食い破って真っ二つにしてしまった。
もしも飛びだすのがあと一秒遅ければ、私たちの誰かがウェハースのようにばりばりと食い破られていたことだろう。
ずらりと並んだ牙の一本一本が私の手のひらくらいはあり、そんな牙が何十本も並んだ大口は私たち《三輪百合》が並んで歩ける程度の橋を一口に飲み込めるほどの大きさだ。
鮮やかな黄色い体表はざらりとした鱗に覆われ、いっそつるんとした胴体は先細りの一本の筒のようで、かろうじて名残のような手足がひれのようにくっついていた。
ざばーふと着水し、ぐるりと旋回しながら私たちを見上げるのは、なんというか、しいて言うならば。
「……バナナ?」
「ワニじゃない?」
「じゃあバナナワニですね」
「言ってる場合か!」
そう、しいて言うならばあまりにも巨大なバナナにワニの口が切れ込みのように入った、そんな化け物だった。
多分この世界特有の呼び方があるんだろうが、とりあえずここではバナナワニと呼称することにしよう。
とにかく、私たちはひとまず逃げることにした。とはいえ元居た方向に逃げるにはこのバナナワニの真上で橋の裂け目を大ジャンプしなければいけない。そんな無防備な隙を見逃してはくれないだろう。
私たちは行く手に何が待ち構えているかもわからない鉄橋をひた走り、そして背後からはバナナワニが何度もとびかかり、私たちが一瞬前まで走っていた鉄橋をばりばりと破壊していく。これ帰りどうしよう。
「これでお腹いっぱいになってくれませんかねえ」
「きみ、煎餅ごときでお腹満たされる?」
「まさか!」
「じゃあ期待はできそうにないなあ」
「私あれと同じ扱いですかぁ!?」
私一人ならば《縮地》を連発すれば逃げるのはたやすいし、そもそも隠れてしまえば済むのだけれど、さすがにこの人数は同時に運べないし、隠せない。
まだ先は長いとはいえスタミナ切れはしないだろうけれど、転んだりのアクシデントは想定できる。
となると、何がしかの時間稼ぎはいるだろう。
「……仕方ないなあ」
「うわ、ウルウが何かやるつもりよ!」
「ろくでもない手段に決まってます!」
「君たちね、後で覚えてなさいよ」
「おいおいおい、なにするつもりだ!?」
「時間稼ぎ、かな」
別に倒してしまっても、なんて死亡フラグを立てるつもりはない。
だが、古来からこういう大型モンスター相手には古典的な攻撃手段というものが在るのだ。
私はインベントリに手を突っ込み、目的のものをずるりと引っ張り出した。
「耳と目をふさいで口を開けろ! 足は止めるな!」
悲鳴にも似た文句を叫びながらも実行してくれるパーティに感謝しつつ、私はブツをバナナワニめがけて放り投げた。
「そーれお食べ」
大食いの大型モンスター相手の古典的攻撃手段。
つまり、爆発物を食わせるのだった。
用語解説
・設計図にさらに書き込まれた命令
DNAに直接刻まれたナノレベルの微小な魔術式。現代では再現不可能な古代王国時代のテクノロジー。
・バナナワニ
この世界特有の呼び名があるのだろうが、語感を優先してあえてこの呼び名とした。
ショウガワニ目バショウワニ科バショウワニ属バナナワニ変異種。
鮮やかな黄色の鱗を持つ水棲の鱗獣。雑食。主に淡水に棲むが、海水にも適応する。
四肢は退化して名残が小さくヒレのように存在するが、ほとんど目立たない。
通常のバナナワニ種は大きくなっても精々三十センチメートル程度だが、この変異種は三倍体で、数メートルに及ぶサイズにまで巨大化している。
脱皮すると一時的に真っ白で柔らかくなるが、一晩程度で元の強靭な黄色い鱗に変化する。
・ブツ
ゲーム内アイテム。正式名称は《ソング・オブ・ローズ》。接触信管付きの爆弾で、敵または障害物に命中すると大爆発を引き起こす。安全圏でも拾えるガラクタアイテムから製造でき、作り方を記述したアイテムさえ持っていれば《職業》や《技能》に関係なく作れるため、よくプレイヤーが売りに出している。
前回のあらすじ
ほら、あーん。この爆弾をお食べ。
背後から襲ってくるバナナワニよりも、耳を塞いでも聞こえてくる轟音と目を塞いでも瞼越しに感じる閃光に震えが止まらない今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか、リリオです。
足を止めるなという言葉に従って走り続けた結果、ものの見事に橋を渡り切りそのまま顔面から壁に衝突したりもしたけど私は元気です。
さて、なんとかふらつく頭を立て直して振り返ったところ、大きく口を開けてのけぞるバナナワニと、その口からもうもうと立ち上る炎と煙が見えました。
そして一仕事終えてやったぜみたいないい顔で額の汗を拭うウルウ。日頃、鬱憤でもたまってたんでしょうか。
「………なにやったんだ?」
「お腹が減っているようなのでご馳走してやった」
「何を?」
「刺激物」
「よーし、お前とは会話が通じねえ」
「知ってる」
ガルディストさんとウルウがそんなことを話している間に、何とか私の目の奥のちかちかは晴れてきました。
大方、またウルウが鉄砲魚の時みたいな謎の爆発物を使用したのでしょう。炭鉱なんかで岩盤砕くのに使う爆発魔術みたいです。
「いやー、しかし助かりましたね。さすがにあんな爆発喰らったら」
「ばっか、リリオバーカ!」
「え、な、なんです!?」
「やったか、って言ったらやってないんだよ!」
「何のことです!?」
フラグとかなんとかいうものの話をウルウがぼやくと同時に、バナナワニの体がぐらりと傾き――そして、確かにこちらをにらんだのでした。
「あ、理解しました。心じゃなく、目で」
「オーケイ、じゃあ胃袋爆発しても平気な化け物を倒すとしようか」
まあ、そもそも鉄食べても平気な胃袋だったわけですが。
ともあれ、私たちはそれぞれ得物を構え、ガルディストさんはそんな私たちの背後に退散しました。
「ちょっと!?」
「馬鹿言え、俺は野伏だぞ。いくらなんでもあんなのと正面からやれるかってんだ」
「監督責任ー!」
「骨は拾ってやる」
ざばん、と大きく水を打ち、バナナワニがその巨体を鉄橋の上に乗りあげました。
そして手足のない体をのそりのそりとゆっくり揺らしながら、しかし確実にこちらへと迫ってきています。
こうしてみると、バナナワニはワニというよりは全くバナナでした。頭と尾は気持ち上に反り返り、のっそのっそと動くさまはバナナではないとしても、ワニというよりオットセイです。ただしサイズは私たち全員を丸のみにしてもおかしくないくらいで、バナナワニとしか呼べない脅威です。
その黄色い鱗は全くの無傷で、艶やかなさまはいっそ高貴でさえあります。らんらんと輝く瞳は怒りと憎しみと空腹とに燃え上がり、ぎちぎちと音を立てて巨大な牙が打ち鳴らされています。美しさと凶暴さが居合わせる様はまさしく貫禄と言っていいでしょう。
しかし、どうやって攻めたものでしょうか、これは。
何しろこちらは壁際の通路という狭い足場しかなく、敵は広い水路全てがその足場なのです。
私は水上歩行が使えるとはいえ、常に魔力を消費しますし、なにより水に潜る敵相手に立ち回れるほど経験豊富というわけにはいきません。
では今の内に駆け寄って切りつけるか。
それを否定する材料は、たった今トルンペートが投げた投げ短刀です。
やわな鎧くらいは貫通するトルンペートの短刀が、鱗に弾かれて呆気なく落ちていきます。
「……駄目ねこりゃ。あたしはお手上げだわ」
そうなると私の刃も果たして刺さるかどうか。
悩んでいる間にもバナナワニはのっそのっそと……遅っ! 着実だけど遅っ! 水中と違い陸上ではかなりのろまです。
時間はあるとはいえ、しかし、うーん。
悩む私を後ろからそっと抱きしめるものが在りました。柔らかな外套が私を包み込み、安心させてくれます。
「諦めるかい、リリオ」
「え」
「あれは、ずいぶん相性が悪い。仕方がない。面倒だけど、私がやってもいいよ」
それはあまりにも呆気ない一言でした。気負うでもなく、背伸びするでもなく、ただただ当たり前のように、ウルウはあれをどうにかできるとそう言っているのでした。ウルウがそういう以上、それは確実なのでしょう。私にどうしようもないことを、なんとかしてきてくれたように、今回もどうにかしてくれるのでしょう。
それは、とても魅力的な提案でした。
「ウルウなら、あれをどうにかできるんですか?」
「容易いね」
「ウルウなら、私たちみんなを助けられるんですか?」
「勿論だよ」
「ウルウなら」
私はごくりとつばを飲み込んで、それから大きく息を吸い、大きく息を吐き、また大きく息を吸い、また大きく息を吐いて、そしてもう一度息を吸いました。
「ウルウなら、人に任せてそれで良しとしますか」
ウルウはゆっくりと目を瞬かせ、それからゆっくりと私を抱きすくめる腕を外しました。
「君がそうであるうちは、私は君を応援しよう」
「きっとそうあります」
ゆるりと私から離れて、壁に背を預けるウルウを尻目に、私は改めて剣を握りました。
バナナワニはいよいよ橋を渡り切ります。
そうなればもう逃げ場は―――まあいっぱいありますけど、そういうことではありません。心構えが、違うのです。ここで倒す。それが肝要です。
「トルンペート、時間稼ぎを」
「どれくらい?」
「三十秒――いえ、一分」
「高くつくわよ」
「雪糕を奢ります」
「とびっきりのを頼むわよ!」
トルンペートが飛び出し、私は剣に魔力を預けます。
ウルウが、私の背中を見ているのです。
格好悪いことは、できません。
用語解説
・やったか、って言ったらやってないんだよ!
いわゆるひとつの生存フラグ。
・私がやってもいいよ
ぶっちゃけた話、相手が生物であるならば、その生命活動を停止させるだけならウルウにとっては朝飯前である。それ以外は致命的に不器用だが。
前回のあらすじ
強固な鱗に凶悪な牙、いまだかつてない強敵バナナワニを前に、リリオは覚悟を決めるのだった。
……バナナワニってお前。
ウルウが何か言ったらしく、リリオが変にやる気を出してしまって困る。
どうせウルウならあのくらいの奴一人で倒せるだろうし、さっさとやってもらいたいのに。あたしはなにしろ無理なものは無理だし矜持より効率の方が大事な人間だから、こういうのは無駄としか思えない。
それでもやらせるからにはどうにかなるという見通しなんだろうけれど、人間は一仕事終えてそこまでってんじゃなくて、その後があることをよくよく考えてほしい。
ここでこいつを全身全霊で倒したって、そのあともあたしたちは調査を続けないといけないし、何なら帰るまでが遠足だ。どうせ陸上じゃ遅いみたいだから、通路を走って逃げればいいし、水路を追いかけてきたらその都度撒けばいい。
真面目に真正面からぶつかる相手じゃあないのだ。
「トルンペート、時間稼ぎを」
「どれくらい?」
「三十秒――いえ、一分」
「高くつくわよ」
「雪糕を奢ります」
「とびっきりのを頼むわよ!」
だから、そう、これは仕方なくなのだ。
頼られれば答えざるを得ない、武装女中の性がそうさせる、仕方のない衝動なのだ。
主に頼られて、嬉しいと全身の細胞が沸き立つ喜びなのだから。
とはいえ、いまや目の前まで迫ったこの化け物相手に、どうしたも、の、――
「おわっ!」
ぞりん、と空を削るようにして、凶悪なあぎとが先程まであたしがいた場所をかみちぎる。そしてそれをかわせば即座に次の噛みつき。
移動速度は遅いけど、噛み付いてくる速度はとてもこの巨体とは思えない。
噛みつきの速度をそのまま突進に流用して、ヴァリヴァリと虚空をかみ砕き、通路を暴れまわるバナナワニ。
ちゃっかり逃げている野伏と亡霊はこの際放っておくとして、なるほどこれは時間稼ぎが必要だわね。
あたしは前掛けから短刀を抜き取る。
とはいえ、まともな投擲が鱗を抜けないのは実証済み。
となれば狙いやすいのは。
「刺激物がお気に召さないんなら、これならどうよ!」
大口開けて噛みつきにかかるその一瞬を狙って、喉の奥めがけて投擲すれば、確かに刺さる。
刺さるけど、
「ぐぎぃいいぎぎゃぎゃぎゃああああああッ!」
「怒るわよね、そりゃ!」
大したダメージでもなく、むしろ怒りの炎に油を注いで、バリバリベキベキムシャムシャゴクンと短刀を飲み込み、あたしめがけて噛みついてくる。
いやもう、これは噛みついてくるなんて軽いものじゃない。空間を削り取ろうとするような勢いだ。なまじ手足がないだけに、全身のひねりを噛み付きに回してくるから、一撃一撃がとにかく速くて、重い。
避けたはずがしびれるほどの強烈な衝撃が、牙と牙を打ち鳴らす轟音に秘められている。
そして危険なのは牙だけじゃあない。その牙を繰り出す全身のひねりが、ついでとばかりに通路を震わせながら突き進んでくる。まるで陸地を泳いでるようだ。跳ね飛ばされれば、私など粉々だろう。
飛竜と向き合うような恐怖に、じっとりとした汗がにじんでくる。
たかが一分が、まるで無限にも思えてくる。
けれど、飛竜と向き合うほどじゃあないって安堵が、あたしの心臓をドクンドクンと一定に保ってくれる。
そうだ。こんなものはなんともない。辺境を襲う飛竜はもっと恐ろしい。そんな飛竜をおやつとしか思ってない辺境の連中より怖くない。そんな辺境の連中の一人である、リリオなんかより全然怖くない!
そうだ、そのリリオが後ろにいるんだ。そのリリオがこいつを倒してやるっていうんだ。そのリリオが、あたしに頼むっていうんだ。
ならあたしにとって、無限とはたかが六十秒だ。
そしてその無限は、今、――終わる。
「トルンペート!」
「はい!」
合図とともにあたしはわき目もふらずに逃げ出す。
何から?
決まっている。
リリオのもたらす、決定的な破滅からだ。
逃げ出す一瞬に見えたリリオは、輝いていた。
格好良くて輝いて見えるってんじゃない。たとえ知性の眼鏡がなくたって、闇の中でバチバチと光り輝いていた。
有り余る魔力を貪り食って、雷精がリリオの全身を踊り狂って喜び悶えている。
刀身は赤熱し、白熱し、そしてそれを通り過ぎて青白い光にしか見えない。
光り輝くリリオの全身は、見る者の目を灼くいかずちの化身だ。
視界の端で確かに何かが光り、あたしはウルウの言葉を思い出して、咄嗟にそうしていた。
つまり、目玉が飛び出ないように目を閉じ、鼓膜がつぶれないように耳を閉じて、衝撃で内臓が破れないように口を開け、巻き込まれないよう必死で逃げ出していた。
瞬間、何もかもが吹き飛んでしまった。
ような気がした。
用語解説
・青白い光
ファンタジーでよく見るなんかすごい強そうな光。
色温度で考えると一万ケルビン程度だろうか。タングステンの沸点が五八二八ケルビンだから、えーと、とにかくすごい熱い。