前回のあらすじ
温泉の効能を全身でたっぷりと味わった三人。
豊かさと、心地よさと、ほんの少しの切なさと。
たっぷり長々と温泉を楽しみ、少しのぼせ気味の私たちは、ほかほか湯上りを楽しんでいた。
具体的には、体をふいて着替えを終えて、休憩所の長椅子に腰を下ろして、女中さんが淹れてくれてよく冷えた甘茶を頂いていた。
この甘茶って言うのは、冷やしてもなかなかにおいしいものだね。今日頂いているのは味わいとしてはハーブティーの類というか、以前貰ったハスカップ茶に似ているというか、甘酸っぱい感じなんだよね。
でも甘茶って一言にいっても実はいろいろあって、ベリーのものだったり、ハーブのものだったり、要するに甘いお茶はみんな甘茶なんだよね。
歴史的には、西方から茶が入ってきたんだけど、それは最初紅茶みたいな形だったのかな。でも栽培の難しさで育てられなかったり、発酵の難しさで断念したり、渋みとかがあんまり好まれなかったりとかでそこまではやらなかったみたい。
でも貴族を中心に喫茶の文化自体は広まって、自分達でもどうにかできないかなーって色々試した結果が、今の甘茶っていう文化みたいだね。
だから地方をまたぐと同じ甘茶でも全然味わいが違ったりする。これはなかなか面白いね。
今でも少ないながら茶の文化はあるらしいけど、南部で輸入品を飲んだり、貴族が本当に趣味で飲んでたりするくらい。で、南部自体は、珈琲と同系統であるらしい豆茶が流行ってるから、まあ結局一部貴族しかやってない飲み物だよね。
そんなわけで、以前オンチョさんに貰った西方の緑茶みたいな茶葉は本当にうれしかったりする。
甘茶もおいしいんだけど、やっぱり緑茶ってなじみ深いからね。美味しいとか美味しくないとかいう以前に、ほっとする。
まあお茶を飲むとホッとするっていうやつは本当のお茶を飲んだことがないらしいんだけど。
「心臓にアドレナリンをぶち込んだような気がする、だっけ」
「死んじゃいますって」
「ですよねえ」
女中さんに突っ込まれてしまった。
しかし甘茶。甘茶かあ。美味しいんだけど、風呂上りに甘茶頂いても、こう、いまいちピンとこない。そりゃ、湯上りに冷たいもの飲むと湯冷めしにくいとは聞いたことあるけど、でもお茶じゃないんだよ欲しいのは。
「牛乳……」
「え?」
「湯上りに冷やした牛乳飲むと、なぜかおいしいんだよね」
「またウルウが変なこと言い始めました」
まあこっちの世界には乳を冷やして飲むという文化自体があまりないからな。貯蔵の為に冷蔵こそするけど、別に冷たい牛乳をありがたがって飲む文化はない。温めて飲む方が多い。
リリオが呆れるなか、しかし意外にもこれに応えてくれたのは女中さんだった。
「わかります。美味しいですよね」
「おっ、わかります?」
「皆さんなかなかわかってくれないんですけどねえ……美味しいですよね。湯上りの牛乳」
「ああ、久しぶりに飲みたくなってきた……」
ごくりと喉を鳴らすと、内緒ですよと女中さんは番台に入っていき、そしてグラスにひんやりと冷えた牛乳を注いで人数分持ってきてくれた。自分用にこっそりと氷精晶入りの箱で冷やしているらしい。
しかも真っ白な色合いではない。
「もしやこれは……」
「イチゴ牛乳です」
「イチゴ牛乳……!」
あの、いまではイチゴ入り乳飲料とかイチゴラテとか呼ばなければならなくなったあの!
実際何が入っているのかよくわからなかったフルーツ牛乳より、味がはっきりわかってこっちの方が好きだったな。
私はありがたやありがたやと手を合わせて、腰に手を当ててこれを一気に頂いた。
やはり湯上り牛乳を頂く時の正しい作法と言えば、これだろう。
「ぷはー!」
「いい飲みっぷりですねー」
「美味しかった。ありがとう」
「いえいえ」
そんな私たちのやり取りをみて、トルンペートがおもむろにグラスをあおった。
「……成程?」
そんな、そりゃあ美味しいけどそこまでか、みたいな顔されましても。
続いてリリオもあおる。
「あー……美味しいは美味しいです」
うん、それな。
まあ、実際問題として湯上りに飲もうが他の時間に飲もうが牛乳の味が変わるわけではない。
ではなぜこれが流行ったかと言えば、そもそも冷蔵庫が各家庭にない時代にはやったんだよね。
昔、冷蔵庫がまだ普及していない頃、繁盛していた銭湯には必ずと言っていいほど冷蔵庫が置いてあったそうな。家に冷蔵庫がなければ、牛乳を飲む機会なんて朝の配達の一本くらいのもの。それがいつも行っている銭湯に登場したらどうなるか。
このコラボレーションが人気となり、そしてそのまま惰性でその感覚だけが引き継がれていった結果が湯上りに牛乳という組み合わせであって、別にこれで味が変わるわけではなく、大いに気分的な問題なのだ。
ああ、でも、美味しかった。
前世でも数回しかやったことないけど、刷り込みってすごいなあ。
用語解説
・甘茶
甘めの花草茶。というのが大まかな所で、実際には地方によって大いに異なる。
東部では甘めのベリー系のお茶のことを甘茶と呼んで一般的にたしなんでいるようだ。
・ハスカップ
多分読者のかなりの人が知らないだろう北海道産の果物。ベリー系。
生のままの保存が難しいので、もっぱら加工品として流通している。
味はブルーベリーっぽいというか、なんというか、ハスカップ味である。
北海道土産に買っていってもなにそれと言われる可能性の高いフレーバーである。
・心臓にアドレナリンをぶち込んだような気がする
けだし名言だね。
・いまではイチゴ入り乳飲料とかイチゴラテとか呼ばなければならなくなった
西暦二〇〇〇年に雪印集団食中毒事件が発生して以来、「飲用乳の表示に関する公正競争規約」により、乳一〇〇パーセントのものでなければ「牛乳」という名称がつかえなくなったのである。
・
温泉の効能を全身でたっぷりと味わった三人。
豊かさと、心地よさと、ほんの少しの切なさと。
たっぷり長々と温泉を楽しみ、少しのぼせ気味の私たちは、ほかほか湯上りを楽しんでいた。
具体的には、体をふいて着替えを終えて、休憩所の長椅子に腰を下ろして、女中さんが淹れてくれてよく冷えた甘茶を頂いていた。
この甘茶って言うのは、冷やしてもなかなかにおいしいものだね。今日頂いているのは味わいとしてはハーブティーの類というか、以前貰ったハスカップ茶に似ているというか、甘酸っぱい感じなんだよね。
でも甘茶って一言にいっても実はいろいろあって、ベリーのものだったり、ハーブのものだったり、要するに甘いお茶はみんな甘茶なんだよね。
歴史的には、西方から茶が入ってきたんだけど、それは最初紅茶みたいな形だったのかな。でも栽培の難しさで育てられなかったり、発酵の難しさで断念したり、渋みとかがあんまり好まれなかったりとかでそこまではやらなかったみたい。
でも貴族を中心に喫茶の文化自体は広まって、自分達でもどうにかできないかなーって色々試した結果が、今の甘茶っていう文化みたいだね。
だから地方をまたぐと同じ甘茶でも全然味わいが違ったりする。これはなかなか面白いね。
今でも少ないながら茶の文化はあるらしいけど、南部で輸入品を飲んだり、貴族が本当に趣味で飲んでたりするくらい。で、南部自体は、珈琲と同系統であるらしい豆茶が流行ってるから、まあ結局一部貴族しかやってない飲み物だよね。
そんなわけで、以前オンチョさんに貰った西方の緑茶みたいな茶葉は本当にうれしかったりする。
甘茶もおいしいんだけど、やっぱり緑茶ってなじみ深いからね。美味しいとか美味しくないとかいう以前に、ほっとする。
まあお茶を飲むとホッとするっていうやつは本当のお茶を飲んだことがないらしいんだけど。
「心臓にアドレナリンをぶち込んだような気がする、だっけ」
「死んじゃいますって」
「ですよねえ」
女中さんに突っ込まれてしまった。
しかし甘茶。甘茶かあ。美味しいんだけど、風呂上りに甘茶頂いても、こう、いまいちピンとこない。そりゃ、湯上りに冷たいもの飲むと湯冷めしにくいとは聞いたことあるけど、でもお茶じゃないんだよ欲しいのは。
「牛乳……」
「え?」
「湯上りに冷やした牛乳飲むと、なぜかおいしいんだよね」
「またウルウが変なこと言い始めました」
まあこっちの世界には乳を冷やして飲むという文化自体があまりないからな。貯蔵の為に冷蔵こそするけど、別に冷たい牛乳をありがたがって飲む文化はない。温めて飲む方が多い。
リリオが呆れるなか、しかし意外にもこれに応えてくれたのは女中さんだった。
「わかります。美味しいですよね」
「おっ、わかります?」
「皆さんなかなかわかってくれないんですけどねえ……美味しいですよね。湯上りの牛乳」
「ああ、久しぶりに飲みたくなってきた……」
ごくりと喉を鳴らすと、内緒ですよと女中さんは番台に入っていき、そしてグラスにひんやりと冷えた牛乳を注いで人数分持ってきてくれた。自分用にこっそりと氷精晶入りの箱で冷やしているらしい。
しかも真っ白な色合いではない。
「もしやこれは……」
「イチゴ牛乳です」
「イチゴ牛乳……!」
あの、いまではイチゴ入り乳飲料とかイチゴラテとか呼ばなければならなくなったあの!
実際何が入っているのかよくわからなかったフルーツ牛乳より、味がはっきりわかってこっちの方が好きだったな。
私はありがたやありがたやと手を合わせて、腰に手を当ててこれを一気に頂いた。
やはり湯上り牛乳を頂く時の正しい作法と言えば、これだろう。
「ぷはー!」
「いい飲みっぷりですねー」
「美味しかった。ありがとう」
「いえいえ」
そんな私たちのやり取りをみて、トルンペートがおもむろにグラスをあおった。
「……成程?」
そんな、そりゃあ美味しいけどそこまでか、みたいな顔されましても。
続いてリリオもあおる。
「あー……美味しいは美味しいです」
うん、それな。
まあ、実際問題として湯上りに飲もうが他の時間に飲もうが牛乳の味が変わるわけではない。
ではなぜこれが流行ったかと言えば、そもそも冷蔵庫が各家庭にない時代にはやったんだよね。
昔、冷蔵庫がまだ普及していない頃、繁盛していた銭湯には必ずと言っていいほど冷蔵庫が置いてあったそうな。家に冷蔵庫がなければ、牛乳を飲む機会なんて朝の配達の一本くらいのもの。それがいつも行っている銭湯に登場したらどうなるか。
このコラボレーションが人気となり、そしてそのまま惰性でその感覚だけが引き継がれていった結果が湯上りに牛乳という組み合わせであって、別にこれで味が変わるわけではなく、大いに気分的な問題なのだ。
ああ、でも、美味しかった。
前世でも数回しかやったことないけど、刷り込みってすごいなあ。
用語解説
・甘茶
甘めの花草茶。というのが大まかな所で、実際には地方によって大いに異なる。
東部では甘めのベリー系のお茶のことを甘茶と呼んで一般的にたしなんでいるようだ。
・ハスカップ
多分読者のかなりの人が知らないだろう北海道産の果物。ベリー系。
生のままの保存が難しいので、もっぱら加工品として流通している。
味はブルーベリーっぽいというか、なんというか、ハスカップ味である。
北海道土産に買っていってもなにそれと言われる可能性の高いフレーバーである。
・心臓にアドレナリンをぶち込んだような気がする
けだし名言だね。
・いまではイチゴ入り乳飲料とかイチゴラテとか呼ばなければならなくなった
西暦二〇〇〇年に雪印集団食中毒事件が発生して以来、「飲用乳の表示に関する公正競争規約」により、乳一〇〇パーセントのものでなければ「牛乳」という名称がつかえなくなったのである。
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