前回のあらすじ
温泉宿に辿り着いた三人。
風呂に入るか、飯にするか。というわけで今回は飯レポ回。
食事をお願いすると、食前酒の代わりになぜか白湯が出てきました。
「これは」
「当温泉のお湯でございます」
「ほほう」
「当温泉のお湯は飲用でも効果がありまして、お腹を整える効果があるんですよ」
なるほど、飲泉というやつか、とウルウが言いました。
ウルウも温泉には詳しくはないようでしたけれど、それでも聞いたところによればなんでも世の中には温泉に浸かるだけでなく温泉のお湯を飲むという文化があるらしく、そしてこれが実際に効果を持つものもあるということでした
私などは「まさかー」ととても信じられないものでしたけれど、実際に飲み干してみて、お腹がぽかぽかとして、そしてくるくるとお腹が減ってくるのを感じるとこの効果を実感しました。
「リリオ、それは空腹時にただのお湯飲んでも発生する効果だからね」
あれれ。
まあいいです。要は気持ちの問題です。
私たちはそれぞれに飲泉を楽しみ、それから並べられた料理に手を付けることにしました。
料理は源泉の蒸気を利用した蒸し物料理というもので、これは山の温泉などを活用する土蜘蛛たちの料理なのだということでした。当初は自然に沸いている高温の源泉で野菜や肉を煮ることから始まったらしく、今では蒸し物文化が大いに発達したのだそうです。
この温泉宿では料理人に土蜘蛛を招いており、そう言った山の温泉仕込みの土蜘蛛料理がいつでも楽しめるということでした。
さて、殻のままの卵があったのでゆで卵かなと割ってみようとすると、ウルウに皿に開けるようにと不思議な事を言われました。
言われるままに殻を割ってみると、とるん、となんと半熟の卵が柔らかな姿を見せてくれるではありませんか。
「温泉卵っていうやつだね」
なんでも温泉のお湯の中でも、湧くほどではない熱さのお湯につけておくと、卵の黄身の方が先に固まってきて、そして全く固まり切るということはなく、このような不思議にとろとろと半熟卵になるそうでした。
岩塩をかけて召し上がれとは言われましたけれど、ウルウが《自在蔵》から魚醤を取り出したので、私たちもお相伴にあずかることにしました。塩気と風味がたまりません。なんでも鹿節などで取った出汁で割ったものだともっとおいしいとのことでした。あと米。
蒸した葉野菜を布いた上には蒸した根菜や芋が、そしてまた一羽を丸々蒸しあげた蒸し鶏に、きれいに切り分けられた蒸し豚が並べられ、これに塩味のたれ、辛口のたれ、また甘口のたれが添えられていました。
蒸し野菜も蒸し鶏もしっかりとした味はついていて、そのままでも美味しくいただけましたが、このたれというのがまたうまい具合に味を引き立ててくれました。
私は舐めてみるとそれだけで涙が出そうな辛口のものを好み、ウルウは香草や柑橘で香りをつけた塩味のたれが気に入ったようでした。トルンペートはどろっとした味噌のような甘口のたれを好み、こればかりを食べていました。そして三人ともが時折魚醤や他のたれを交えて、全く飽きの来ない味わいでした。
「蒸し物料理ってあんまり食べたことないですけど、美味しいですねえ」
「水をたっぷり使うからかしら。辺境は言うほど水が多いわけでもないし」
「雪降るのに?」
「雪降るからよ」
ウルウはよくわかっていないようでしたけれど、雪が降れば外の井戸は使えなくなりますし、下手すると井戸水も汲み置いていると凍ります。雪を溶かせばいいというのは素人考えで、断熱効果に優れたこの氷を溶かすには相当な燃料が必要なのでした。トルンペートの受け売りですけど。
私は異文化に関しては体当たりが基本で不勉強なのですけれど、成程辺境の冬って蒸し物には向かなそうな気候ですよね。
このほかに私が気に入ったものに、蒸し麺麭がありました。
普通私たちが麺麭と呼んで食べるのは、発酵させるにしろさせないにしろ焼き窯で焼き上げたものです。この蒸し麺麭というものは貴族の娘である私にしても、その侍女でいろいろと調理法にも詳しいトルンペートにしても初めてのようで、そのもっちもっちとした食感には感動しました。
またこの蒸し麺麭の素朴な甘さが、うまいこと蒸し物料理たちをふっくらと受け止めてくれるのでした。
「リリオ、リリオ」
「ふぁんふぇふ?」
「ちゃんと飲み込んでから返事しなさい」
「なんです?」
「こう、蒸しパンにこうやって切れ込みいれるじゃない」
「ふむふむ」
「で、こうやって肉と野菜とたれをはさむ」
「おお」
「おいしい」
「おおー!」
美味しいものは究極的には「おいしい」の一言しか言えなくなるものですけれど、これがまた、たまらなく美味しかったです。そして自分の手で組み立てるという楽しさが、また私を驚かせてくれました。
食事と言えば自分で作り終えた後に食べるか、完成した状態で提供されて食べるのが普通ですから、こうして食べながら組み立て、組み立てながら食べるというのは、成程普段の食事と違って面白いものです。
まして貴族の娘としての教育を受け、何かとトルンペートをはじめとした侍女に世話を見てもらっている私にとって、これは新鮮な楽しみでした。
「魚介の蒸し物もおいしいんだけどね」
「魚を蒸すんですか?」
「魚とか、エビとか、貝とか」
「おおー」
「酒蒸しにするのもいいよね」
「いいわねえ。いつだったか、七甲躄蟹の酒蒸ししたじゃない」
「あれ美味しかったですねえ」
女中に聞けば、川海老や魚の蒸し物も朝食の献立にはあるから、楽しみにしてほしいと太鼓判を押されたのでした。
用語解説
・飲泉
温泉を飲むこと。またそれによって病気の回復などの効能を得ようとする行為。
温泉の性質や採取環境などによっては下痢を起こしたりする場合もあるので、安全が確認されている飲泉用のお湯を飲むことをお勧めする。
・土蜘蛛料理
と言っても、土蜘蛛も多くの氏族を抱え、多くの地方に住んでいるので一口には言えない。
ここでは山に住む地潜たちが、温泉を利用した加熱処理を基本とする蒸し物料理が提供されている。
特に火山地帯に住む者たちは浸かる、飲む、調理に使う、鍛冶に使うと生活のほとんどに温泉がかかわることもあるという。
・温泉卵
温泉のお湯で加熱したゆで卵。
特に全体が半熟であるものを言うが、温泉で加熱したものであれば固ゆでであろうと温泉卵ではある。
・蒸し麺麭
ここでいう蒸し麺麭は、いわゆるチーズ蒸しパンなどの菓子パン系のものではなく、中華料理などで供される饅頭や花巻のような形である。
焼き窯と言えば鍛冶や陶磁器に用いていた地潜は、貴重な焼き窯を食事の為に一つ潰すことを好まなかったのであろう、彼らが麺麭といったらこの蒸し麺麭を指す。
温泉宿に辿り着いた三人。
風呂に入るか、飯にするか。というわけで今回は飯レポ回。
食事をお願いすると、食前酒の代わりになぜか白湯が出てきました。
「これは」
「当温泉のお湯でございます」
「ほほう」
「当温泉のお湯は飲用でも効果がありまして、お腹を整える効果があるんですよ」
なるほど、飲泉というやつか、とウルウが言いました。
ウルウも温泉には詳しくはないようでしたけれど、それでも聞いたところによればなんでも世の中には温泉に浸かるだけでなく温泉のお湯を飲むという文化があるらしく、そしてこれが実際に効果を持つものもあるということでした
私などは「まさかー」ととても信じられないものでしたけれど、実際に飲み干してみて、お腹がぽかぽかとして、そしてくるくるとお腹が減ってくるのを感じるとこの効果を実感しました。
「リリオ、それは空腹時にただのお湯飲んでも発生する効果だからね」
あれれ。
まあいいです。要は気持ちの問題です。
私たちはそれぞれに飲泉を楽しみ、それから並べられた料理に手を付けることにしました。
料理は源泉の蒸気を利用した蒸し物料理というもので、これは山の温泉などを活用する土蜘蛛たちの料理なのだということでした。当初は自然に沸いている高温の源泉で野菜や肉を煮ることから始まったらしく、今では蒸し物文化が大いに発達したのだそうです。
この温泉宿では料理人に土蜘蛛を招いており、そう言った山の温泉仕込みの土蜘蛛料理がいつでも楽しめるということでした。
さて、殻のままの卵があったのでゆで卵かなと割ってみようとすると、ウルウに皿に開けるようにと不思議な事を言われました。
言われるままに殻を割ってみると、とるん、となんと半熟の卵が柔らかな姿を見せてくれるではありませんか。
「温泉卵っていうやつだね」
なんでも温泉のお湯の中でも、湧くほどではない熱さのお湯につけておくと、卵の黄身の方が先に固まってきて、そして全く固まり切るということはなく、このような不思議にとろとろと半熟卵になるそうでした。
岩塩をかけて召し上がれとは言われましたけれど、ウルウが《自在蔵》から魚醤を取り出したので、私たちもお相伴にあずかることにしました。塩気と風味がたまりません。なんでも鹿節などで取った出汁で割ったものだともっとおいしいとのことでした。あと米。
蒸した葉野菜を布いた上には蒸した根菜や芋が、そしてまた一羽を丸々蒸しあげた蒸し鶏に、きれいに切り分けられた蒸し豚が並べられ、これに塩味のたれ、辛口のたれ、また甘口のたれが添えられていました。
蒸し野菜も蒸し鶏もしっかりとした味はついていて、そのままでも美味しくいただけましたが、このたれというのがまたうまい具合に味を引き立ててくれました。
私は舐めてみるとそれだけで涙が出そうな辛口のものを好み、ウルウは香草や柑橘で香りをつけた塩味のたれが気に入ったようでした。トルンペートはどろっとした味噌のような甘口のたれを好み、こればかりを食べていました。そして三人ともが時折魚醤や他のたれを交えて、全く飽きの来ない味わいでした。
「蒸し物料理ってあんまり食べたことないですけど、美味しいですねえ」
「水をたっぷり使うからかしら。辺境は言うほど水が多いわけでもないし」
「雪降るのに?」
「雪降るからよ」
ウルウはよくわかっていないようでしたけれど、雪が降れば外の井戸は使えなくなりますし、下手すると井戸水も汲み置いていると凍ります。雪を溶かせばいいというのは素人考えで、断熱効果に優れたこの氷を溶かすには相当な燃料が必要なのでした。トルンペートの受け売りですけど。
私は異文化に関しては体当たりが基本で不勉強なのですけれど、成程辺境の冬って蒸し物には向かなそうな気候ですよね。
このほかに私が気に入ったものに、蒸し麺麭がありました。
普通私たちが麺麭と呼んで食べるのは、発酵させるにしろさせないにしろ焼き窯で焼き上げたものです。この蒸し麺麭というものは貴族の娘である私にしても、その侍女でいろいろと調理法にも詳しいトルンペートにしても初めてのようで、そのもっちもっちとした食感には感動しました。
またこの蒸し麺麭の素朴な甘さが、うまいこと蒸し物料理たちをふっくらと受け止めてくれるのでした。
「リリオ、リリオ」
「ふぁんふぇふ?」
「ちゃんと飲み込んでから返事しなさい」
「なんです?」
「こう、蒸しパンにこうやって切れ込みいれるじゃない」
「ふむふむ」
「で、こうやって肉と野菜とたれをはさむ」
「おお」
「おいしい」
「おおー!」
美味しいものは究極的には「おいしい」の一言しか言えなくなるものですけれど、これがまた、たまらなく美味しかったです。そして自分の手で組み立てるという楽しさが、また私を驚かせてくれました。
食事と言えば自分で作り終えた後に食べるか、完成した状態で提供されて食べるのが普通ですから、こうして食べながら組み立て、組み立てながら食べるというのは、成程普段の食事と違って面白いものです。
まして貴族の娘としての教育を受け、何かとトルンペートをはじめとした侍女に世話を見てもらっている私にとって、これは新鮮な楽しみでした。
「魚介の蒸し物もおいしいんだけどね」
「魚を蒸すんですか?」
「魚とか、エビとか、貝とか」
「おおー」
「酒蒸しにするのもいいよね」
「いいわねえ。いつだったか、七甲躄蟹の酒蒸ししたじゃない」
「あれ美味しかったですねえ」
女中に聞けば、川海老や魚の蒸し物も朝食の献立にはあるから、楽しみにしてほしいと太鼓判を押されたのでした。
用語解説
・飲泉
温泉を飲むこと。またそれによって病気の回復などの効能を得ようとする行為。
温泉の性質や採取環境などによっては下痢を起こしたりする場合もあるので、安全が確認されている飲泉用のお湯を飲むことをお勧めする。
・土蜘蛛料理
と言っても、土蜘蛛も多くの氏族を抱え、多くの地方に住んでいるので一口には言えない。
ここでは山に住む地潜たちが、温泉を利用した加熱処理を基本とする蒸し物料理が提供されている。
特に火山地帯に住む者たちは浸かる、飲む、調理に使う、鍛冶に使うと生活のほとんどに温泉がかかわることもあるという。
・温泉卵
温泉のお湯で加熱したゆで卵。
特に全体が半熟であるものを言うが、温泉で加熱したものであれば固ゆでであろうと温泉卵ではある。
・蒸し麺麭
ここでいう蒸し麺麭は、いわゆるチーズ蒸しパンなどの菓子パン系のものではなく、中華料理などで供される饅頭や花巻のような形である。
焼き窯と言えば鍛冶や陶磁器に用いていた地潜は、貴重な焼き窯を食事の為に一つ潰すことを好まなかったのであろう、彼らが麺麭といったらこの蒸し麺麭を指す。