前回のあらすじ
子供の相手かと思いきやそこは冒険屋事務所。
受付嬢が戦えないと何故思ったのか。
「そいつは俺が直々に稽古をつけてやっている見習いで、それから、格好悪い話だが、見習い前にすでに俺の膝を射抜いた麒麟児だ」
クナーボが俺のもとにやってきたのは、まだあいつが十にもならない頃だった。
俺は冒険屋事務所を開いてすぐの頃で、親戚どもからの支援を当てに、方々に顔を出しちゃ挨拶巡りをしている時分だった。
クナーボは西方の遊牧民の子供だった。遠縁にあたるチャスィスト家の末っ子で、当時はまだ自分の弓を持ったばかりだった。
西方の遊牧民ってのはなかなか気難しい連中で、親戚とはいえ遠縁にあたる俺にゃいくらか厳しい目もあった。それでも縁があるってんで優しくしてもらった方だってのは驚きだったがね。
俺は二季ほど連中の遊牧に付き合い、その間に何度か魔獣との戦いを経て信頼を勝ち取り、それから危うく嫁を取らされそうにもなって焦ったものだ。いい年とはいえ、まだ人生の墓場に行く気にはなれなかった。
勘弁してくれと言う俺に、じゃあ嫁の代わりに、従者とでも思って面倒を見てくれないかと寄越されたのがクナーボだった。
クナーボはその当時でも器用なものでで、大概のことはできた。
麺麭も作れる、刺繍もできる、読み書きだって達者なものだったし、算盤も弾けた。楽器もできりゃ、弓も引ける。
そんだけの優良物件で、しかしクナーボは部族にはついていけないとしてすでに見捨てられかけていた。
それというのも、クナーボは鳥の肉が食えなかったんだ。
チャスィストの部族は、伝統的に騎馬として大嘴鶏を用いていた。
知ってるか? なんつーか、こう、でけえ鶏だよ。空は飛べねえが、ぶっとい足でどこまでも走る。
日に一度卵を産み、子のために乳を流す。多くの肉が取れ、その肉は滋味深い。
骨は軽いが丈夫で、矢じりや棍棒、様々な道具になった。
羽毛は軽くて暖かく、飾り羽は勇者や部族の長達だけが使うことを許された。
とにかく、チャスィストの部族じゃあ、まず大嘴鶏と関わらずにはいられなかった。
ところがクナーボは、この大嘴鶏の肉が食えなかった。
好き嫌いじゃあない。
そういう体質だったんだ。
どういう理屈でそうなるのかは知らんが、世の中にゃあたまに、他の連中が普通に食えるものでも、体の方が過剰に反応しちまって、熱が出たり発疹がでたり、最悪死に至る、そんな連中がいるそうだ。
俺の親戚にも、他に、蕎麦が食えない奴がいた。
海老の類がだめで、茹で汁どころか、その茹でた煙を浴びるだけでも駄目だってやつもいたよ。
クナーボはそこまでひどい方じゃなかった。羽に触れても大丈夫だし、道具の数々も扱えた。
ただ、肉を食えば吐いたし、乳を飲めば熱を出し、卵を食えば発疹が出た。
一昔前なら呪いだなんだと呪い師が出たかもしれないが、馬鹿言え、いまのご時世だ、連中もそういう体質なんだってのはわかってた。しかしわかってるからって、連中の様式じゃそれはとてもじゃないがやっていけなかった。
実際、俺は初めてクナーボにあった時、まだ六歳か七歳くらいかと思っていた。それくらい小さかった。滋養が足りなかったんだ。肉が食えないとなりゃ、小さな子供にゃあまりにも滋養が足りなかった。乳さえ飲めないんだ。
援助はしてやるから、クナーボの面倒を見てやってくれないか。
そう言われたとき、俺はもう半分以上はそのつもりでいたね。
俺は篤志家じゃあないが、それでも人でなしってわけでもなかった。
だが俺の旅は、つまり冒険屋の旅だ。それも男一人で旅してたんだ。
命の保障はできない。まして病弱な子供となりゃあ、面倒を見切る自信はない。
「せめて腕が立つってんなら別だが」
そう渋る俺に、石にかじりつくような気持ちでくらいついてきたのがクナーボだった。
三日の間、あいつは俺の傍で隙を窺った。
起きている時も、寝ている時も、飯を食っている時も、クソをひる時も、あいつは俺がすっかり油断するまで待ちに待ち、そうしてついに俺に一矢報いた。
文字通りの一矢だ。
俺が唯一気を抜く瞬間、朝飯に堅麺麭粥がないことにげんなりするその瞬間を狙って、十歳の子供が、実質七歳くらいしかないような子供が、弓を引いたのさ。
冒険屋の鍛えられた体を、しっかりとした装備の上から射抜けるほどの弓は、大人用の弓でもそうはない。
だがクナーボはやった!
何かの道具か、おもちゃにしか見えないように偽装して、あいつは俺に常に弓を突き付けていたのさ。
まさかそれが弓だとはだれも思いもしなかった。
あいつはその弓を足で押し、弦を両手で引き、全身で矢をつがえて、俺の膝を射抜いたのさ!
チャスィストの部族の連中が騒然とする中で、俺はこいつを自分の弟子にすることをその場で決めた。
あいつは自分が出来損ないで役立たずだと沈み切っていた。だが俺について行くという活路が見えた途端、あいつは自分にできる全てをかけて、そこに縋りついた。みっともねえかもしれん。やり口があまりにもひどかったかもしれん。
だがあいつは生きるという一心に、全てをかけた。
俺はその心意気を買った。
「やるじゃないか小僧。良い腕だ。約束通りお前を連れて行ってやる」
俺はその日のうちにクナーボを連れていく契約を正式にかわし、その代わりに支援と、一頭の大嘴鶏を騎馬として譲り受けた。
「それから、そう、その前に。朝飯を済ませていいか?」
あれ以来、俺はクナーボを徹底的に鍛えぬいた。
まず最初は飯だった。何をするにもまず飯を食わせて体を作らにゃならんかった。
それでもごらんのとおり、あいつは年の割に小さな器に収まっちまった。もっとも、本人があれを武器として使えている以上、あれはあいつにとってふさわしい体つきなんだろうな。
短弓を使う以上、大きい体よりは小回りの利く体の方がいいのかもしれん。
俺は次にあいつの得意とするところを見つけ出すために、俺のスキを突かせることにした。最初の時と一緒だ。どんな手を使ってもいいから、俺に攻撃を当てる。当てたらご褒美だ。
最初のうちはまるで成果がなかったが、やがて弓に辿り着くと、あいつは途端に伸びた。いまのところご褒美はやらずに済んでいるが、それでもあわやと思う瞬間は、増えた。
俺が装備を整えてやると、クナーボは砂漠の砂が水を吸うようによく覚え、そしてよく伸びた。いまじゃあ弓を使った腕じゃあ、俺よりもパフィストに近いと言っていい。
いやまったく。執念があるとはいえ、まだ成人前のガキに弓で負けるなんて恥ずかしくて言えたもんじゃないが、しかし、あれは本物だよ。
あいつがいるから俺は安心して引退して、事務所の所長なんてやっていられる。
あれで嫁にしてくれなんてトチ狂ったことさえ言わなけりゃあ、いい男になりそうなんだが。
用語解説
・大嘴鶏
極端な話、巨大な鶏。
草食よりの雑食で、大きなくちばしは時に肉食獣相手にも勇猛に振るわれる。主に蹴りの方が強烈だが。
肉を食用とするのは勿論、騎獣として広く使われているほか、日に一度卵を産み、また子のために乳も出す。遊牧民にとってなくてはならない家畜である。
一応騎乗用と食畜用とで品種が異なるのだが、初見の異邦人にはいまいちわかりづらい。
・蕎麦
いわゆるソバ。寒く、乾燥した地帯でも生育する。北部でも多く育てている。
西方では所謂麺類としての傍として食べられることもあるが、帝国の一般としては蕎麦粥やガレットなどのような形で食されているようだ。
・海老
いわゆるエビの類。巨大なものや小さなもの、鎧に出来るほど頑丈だったりなどの特殊な性質をもつものもあるが、おおむね我々の知るエビっぽいものは大体海老と言っていい。
前回のあらすじ
男の娘だったクナーボ。
色々な意味で甘く見てはいけないようだ。
あたしが投げる短刀のことごとくが、正確無比な矢に射貫かれては落ちていく。
いや、矢をつがえて、構えて、射るという工程を考えれば、投げるという一工程のあたしよりも、実際的なその速度は遥かに上回ることになる。
あたしは恐ろしい勢いで矢が襲ってくるのを、かろうじて短刀で抑え込んでいるにすぎないのかもしれない。
短刀を投げる。矢に防がれる。
矢が襲ってくる。短刀で弾く。
もはやどちらが先でどちらが後なのかわかったもんじゃない。
投げる、防ぐ、襲う、弾く。一連のやり取りが、一瞬のうちに幾度も繰り返される。
そしてそのどれか一つでも外せば、致命打があたしの体に間違いなく突き刺さったことだろう。
クナーボの小さな体は短所などではなかった。
小さな手は恐ろしく滑らかに、矢をつがえ、構え、射る。その一連の流れは殆ど一工程と思わせるほどに小さく折りたたまれており、その折りたたまれたものが解放された瞬間、あたしの目の前には二重三重に矢が迫っている。短い手は、つまり回転が速いということだ。
これは一朝一夕の技ではなかった。
恐ろしく強い素材で作られた短弓は、どれだけ酷使されても揺るぐことなく正確な矢を放ち続けてくる。
軽くしなやかな矢は、あたしの曲芸じみた投擲に合わせるように、平然と曲射を射かけてくる。
町娘風に見えたあの衣装は、そのどれか一つをとっても、クナーボの射をまったく邪魔しないように計算されていた。
そしてまた小さな体というものが、あたしからしてみれば厄介だった。
向こうからしても同じことだろうけれど、的が小さければ中てるのにはそれだけ気を遣う。
だけど向こうとこちらじゃ違うところもある。距離だ。距離が敵だ。
あたしが腕の力だけで、工夫したって腰の力を入れて投げてようやく届かせるところを、クナーボの弓はたやすく届かせる。いやらしい距離だ。メザーガ・ブランクハーラ、とんだ狸だ。
あたしが距離を詰めようとすれば、それだけクナーボの矢は厳しくなる。
あたしが無理をして詰めようとすれば、クナーボはほんの少し後ろに引くだけで事が済む。
クナーボがほんの一歩後ろに引いたその一足を、あたしはとんでもない労力で回復しなけりゃならない。
これは全く公平ではなかった。
つまり、まったく、いつもの事だった。
あたしは諦める。
あたしはこの勝負を諦める。
投擲勝負は向こうの勝ちだ。
「なら、やり方を、変えるまで……!」
三十二合目の矢と短刀の打ち合いを終えて、あたしは腰の狩猟刀を抜く。
鉈よりは細いが、短刀よりは大きい。
取り回しのしやすい大きさで、あたしの手によくなじむ。
それを片手に、あたしは一歩を踏み出す。
瞬間、あたしの目の前には、すでにそこに置かれていたように矢が射掛けられる。
恐ろしいほどに正確な精密射撃。
恐ろしいほどに正確な未来予測。
だからこそ、あたしはそれをかわすことができる。
首を僅かに傾げて一矢を避け、続く二矢を足さばき一つでかいくぐる。三矢が行く手を阻むなら狩猟刀で矢じりを狩り落とし、四矢が刀を射落とさんとするならば真っ向から迎え撃つ。
「な、あ、そん、な……っ!」
五矢が頭を狙えば噛み砕き、六矢が胸を狙うなら掴み取る。七矢が八矢が九矢が十矢が、行く手を阻むならこれを一振りで切り捨てる。
「そんな、そんな……っ!」
避けられるものは避ける。避けられなければ掴み取る。掴み取れなければ切り捨てる。切り捨てられなけりゃあとは中てられるだけだけど、生憎とあたしはそんなことは許さない。
一歩踏み込めば一矢が、十歩踏み込めば十矢が襲い掛かるというのならば、なあに、たいしたことはない。彼我の距離はたかだか数十歩。ならばたかだか数十矢をかわす程度、辺境の武装女中にできない訳がない。
いや。やらいでか。
「そんな、馬鹿みたいなことが……っ!」
そりゃ、そうだ。
射られた矢を、射られた後に避けるなんてのは、生半な事じゃ成し遂げられない。それを数十も繰り返すとなれば、それはもはや神業の域だ。
この身がいまだ神の域に届かないとなれば、なればこそ、これこそ人の業。
「あら、寂しいこと言わないでよ」
すでに三十二合も打ち合ったのだ。互いの癖など、とうに読めたことだろうに。
「まさか、まさかまさか……っ!」
「間違った癖を覚えこませるには、十分やりあったわ」
あたしは三十二合をかけてあたしの癖を覚えこませた。あたしの間違った癖を覚えこませた。そうしてその間に、あいつの癖を覚えた。あいつの正しい癖を覚えた。
正確無比な精密射撃。
正確無比な未来予測。
そこにあらかじめ嘘を覚えこませておいたならば、あとは決まっている。
「嘘は暗殺者の領域よ……っ!」
矢はもう中らない。中る場所にあたしはいない。
矢の影を踏み、矢の影を潜り、矢の影を跳び、あたしと言う鉄砲玉は数十歩を駆け抜ける。
「そんな、馬鹿みたいな話が……っ!」
「そんな馬鹿みたいのが、冒険屋って言うんでしょうが!」
するりと薙いだ狩猟刀の刃が、咄嗟に受けた弓の弦を断つ。
ばつんと弾ける音がして、クナーボの膝が落ちた。
「さて……まだ続けるかしら?」
「ま、ひとまずは一勝目、おめでとうさん」
「一戦目から随分はめられた気がするわ」
「仕方ねえだろう。うちにゃお前さん方と組ませるのにちょうどいいのがそうそういないんでな」
だからと言って、なんて言い訳するのは、冒険屋としても、武装女中としても格好悪いかしら。何せ苦戦した理由と言えば、事前に話したかわいい見た目の魔獣だから油断したってのと同じような話だもの。
ま、油断してもきちんと勝ちをとってくるのがこのトルンペート様だけどね。
「トルンペート大人げなっ」
「子供いじめて喜んでますよあの人」
「あんたらね」
傍から見てても凄まじかっただろうクナーボの矢は、正直もう一度相手したいとは思えない類のものだ。開始早々にあたしの油断が抜けて、そして相手にこちらの誘導にうまく乗ってくれる素直さがあったから拾えた勝ちであって、同じことをもう一度やっても勝てる自信はない。
まあその時はその時ではまた別の勝ち方を探すだけだけれど。
「うぇああああ、負けちゃいましたおじさぁん!」
「泣くな泣くな、いや、泣いてもいいが鼻水つけんな」
「じゃあお嫁さんにしてください」
「開き直り早っ! しねえっつってんだろ!」
「じゃあお婿さんでもいいですからぁ!」
「この年で婿なんぞ取れるか!」
「あっちはあっちで勝っても負けても楽しそうでいいわね、全く」
「というか、クナーボってその、男の子だったんだ」
「あれ、言ってなかったでしたっけ」
「言われてないわよ」
「まあ別に大差ないじゃないですか」
「そうかしら?」
「………え、ていうか男の子がお嫁さんになるのってスルーして良い奴?」
「辺境じゃよくあることですよ。北部でも普通かと」
「帝国全土でいえば少ないかもしれないけど、女性同士の恋物語とか男性同士の恋の劇とか、一時期流行ったものねえ」
「ええ……じゃあクナーボが言ってるお婿さんにってのもありなの?」
「あー……メザーガがお嫁ですかあ……」
「そこはまあ、個人の幸福と言うやつじゃない?」
「見てる側としては?」
「それはそれでありかな、と」
「そうそう」
「私はもうちょっとこの世界に慣れないといけないみたいだ……」
用語解説
・婿
帝国では法律において、結婚する両者の性別を定めた条文はない。
またいかなる種族間の結婚もこれを否定する条文はない。
極論、法律には書いていないから木の股と結婚しようが両者の同意さえあれば問題はない。
前回のあらすじ
メザーガは言った。「膝を射抜かれてな」。
「次のナージャってさ、前に一瞬遭遇した人で間違いない?」
「クナーボに聞いた限りではあれで間違いないらしいですよ」
「なによ、知ってるの? あたし見たことないんだけど」
「うーん、大体昼過ぎまで寝てて、起きてるときはほっつきまわってるらしいです」
ナージャ・ユー。
その人物と出会ったのは、というより、正確な言い方をするのならば遭遇したのは、トルンペートがやってくるよりも以前、私たちが、ドブさらいとか、店番とか、迷子のペット探しとか、迷子のおじいちゃん探しとかに精を出していたころの事だった。
その日はたまたま依頼が早めに終わって、暑いからもう休もうかと事務所に戻ってきたのだった。
そして逆に、向こうは暑いから氷菓でも食ってくると外出しようとした、その矢先だった。
私たちは事務所の軒先でたまたま顔を合わせたのだがその時のショックはなかなかのものだった。
なにしろ、
「……でかっ」
「藪から棒だな」
そのナージャとかいう女は、180センチメートルはある私がちょっと見上げなければならない大女だったのだ。
事務所の扉をちょいと屈むようにして出てきたその女は、視覚的暴力と言っていいパワフルさだった。
まず身長がでかい。私よりでかい。その癖、太いということがない。いや、太いは太いのだが、それは引き締まった筋肉の太さであり、さながらギリシア彫刻のように均整の取れた美しい筋肉だった。モデルのようにスラリと全身の均整がとれており、そしてそのうえに乗っかっている顔が、いい。
顔面偏差値とか、顔面の暴力とか、そういった乱暴なワードが似合うイケメンであった。女性相手に言っていいのかよくわからないワードではあるが。しかしとにかく顔が良かった。
とはいえこれは私の感性によるものかもしれない。
というのも、豊かな黒髪を長く垂らしたこの女は、何かとバタ臭い帝国人の中で、珍しく日本人じみた顔立ちをしていたからだった。
私は、と言うか私とリリオはその時の出会いを決して忘れはしないだろう。
何しろ、軽い挨拶と自己紹介を交わした後、この女は実に軽い調子で、
「そういえば熊木菟を無傷で倒したらしいな。私ともやろう」
とにこやかな笑顔で言い放つや、腰の太刀を抜きざま私に切りかかってきやがったのだった。
幸いにも自動回避が発動して初太刀をよけられたのだが、続けて二閃、三閃と白刃がきらめき、その度に私は一歩一歩追い詰められ、その内、速さとか技ではなく術理で追い込まれて回避不能に追い込まれるところだった。
その時は何とかぎりぎり回避しているうちに飼い主もといクナーボが騒ぎを聞きつけて叱りつけてくれたから助かったが、もしあのまま続いていたら私は今頃本当に幽霊になっていたかもしれない。
その後徹底してステルスを心掛け面会を積極的に拒絶しているが、たまに獣じみた嗅覚でこちらの《隠蓑》を貫通してくる恐ろしい手練れだ。
「あの頭もイカレてるけど、技前も大概イカレてる凄腕の大女ですね」
「端的過ぎる説明ありがとう」
とにかく、どうやらその頭もイカレてるけど、技前も大概イカレてる凄腕の大女と私はやりあわなければならないらしい。
「まあウルウなら何とかするでしょ」
「頑張ってくださいね、ウルウ!」
この無条件な信頼が、つらい。
実際問題大抵の相手ならばどうとでもなる私なのだけれど、では大抵の相手以上はどうかと言えば、経験が少ないので何とも言えないが、恐らくぼろ負けする。
何しろ私は格闘技の経験どころか喧嘩すらしたことがないひょろ長いだけのもやしっ子なのだ。いくらゲーム内キャラクターの体を得てアダマンチウム製のストロングパワフルボディとなったからといって、それを操るのはこの私なのだ。アダマンチウム製のストロングパワフルもやしになったに過ぎない。
弱いやつにはとことん強く、強いやつにはとことん弱い、そういう言う女なんだよ私は。
「ほらほら、観念して早く準備してくださいな」
「往生際悪いわね。向こうも待ってるわよ」
「だから嫌なんだよ」
ずるずると引きずられて即席の土俵に立たされると、大女がにこやかに笑いかけてくる。
実に爽やかなスマイルで、こう言うのだけ見ていればとてもいい人そうに見える。
「やあ、やっときたな。待ちくたびれてこっちから行こうかと思ってた頃だ」
「勘弁してくれ……」
「はっはっは、元気がないぞ? 鍛錬してるか?」
「してないよ」
「なんと、筋肉が泣くぞ!?」
「心の方が先に泣いてんだよぉ!」
物凄く嫌だった。
このネアカと向き合うのが。
なんかこう、自分の薄暗いところが浮き彫りになりそうだって言うのもあるけど、体育会系っぽくて好きじゃないんだよね。
「まあ、なんだ。初対面ではろくに挨拶できなかったな。ウルウ、アクンバーだったかな?」
「妛原閠だよ」
「ほう、何とも耳に馴染みよいな。西方の出か?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「ふむ、そうか。私も名前をなかなかうまく発音してもらえなくてな。こちらではナージャなどと呼ばれているが、本名は長門と言う。長門ゆふだ。よろしく頼む」
「ああ、そう。よろしく」
やはり西方の文化圏は、日本と言うか、アジア系の文化圏らしい。
この女は日本人とするにはいささかガタイが良すぎるが。
「私は西方にはいったことがないけど、みんな、あー、あなたみたいな?」
「まさか! 私などは小さいほうさ! ……冗談だ冗談。存外貴様は表情豊かなのだな」
よかった。こんなのがゴロゴロいたら異世界など滅びてしまえという気持ちが高まってしまうところだった。なにしろ一人いるだけでもこんなにも面倒なのだから、まったく。
「さて、じゃれ合いはともかくだ。メザーガ! 勝敗はどうする?」
「そうさな。お前に本気で暴れられても面倒だ。一発でも相手に入れられたら終わりでいいだろ」
「フムン、何とも面白みに欠けることだな」
「言ってろ。そいつに一発でも入れるってのは、俺でもことだぜ?」
「ほほう、ほほう。そいつは楽しみだ。そう言えば先だっても初太刀をかわされたのはいつぶりだったか」
「そうだろうそうだろう。何しろそいつは化物だからな。一発入れたら奢ってやる」
「言ったな! やろうやろう、よしやろう!」
おーいおいおいおいなに煽ってくれてんだおっさん。
私が面倒くさがっているのをいいことに好き勝手なこと言いやがる。
えらくやる気になってしまった向こうに比べて、私のやる気は急降下だ。もうマイナスだ。そもそも最初からやる気なんてないんだからな。
チーム脳筋のメンバーとはいえ、私はこういう脳筋極まる戦って決めようぜ的なイベント好きじゃないんだよ。漫画かよ。強いやつが正義だみたいな前時代的なのどうかと思うよ私は。口があって耳があるんだからさ、話し合いで物事解決すべきだと思うね、私は。そこを腕力でどうにかしようって言うのはもうゴリラかよって。いやゴリラでももっと建設的だよきっと。あいつら森の賢者らしいし。もっとさー、人間として獣に負けてちゃいけないと思うんだよね。ラブ・アンド・ピースだよ。シェケナベイべしようぜ皆。
「おらおら、観念してさっさと位置につけ」
「……あーい」
って言えたらな! って言えたらな! 言えたら苦労しねえんだよ!
くっそう、どうして私はいつもそうなんだ。主張すべき時に主張できないで何が自己主張だというんだ。
「よし、もういいか!? やろう! さあやろう!」
くそう。おのれ脳筋め。恐るべき脳筋め。
「わかったよ。やろうか」
「よし、ウールソ合図だ!」
「やれやれ、審判扱いの荒い。では、いざ尋常に……勝負!」
号砲のごとき開始の声と同時に、私の脳天に刃が振り下ろされたのだった。
前回のあらすじ
ゴリラ現る。
あれが何者なのかっていう質問をぼくに放り投げるのはいささかお門違いではあると思うんですけれど、それでもまあ、根本的な説明責任者の所在が永久に不明である以上、飼い主と言うべきか拾い主と言うべきか、とにかくあのとんちんかんを現世に引きずり出してしまったぼくにお鉢が回ってくるのはもうどうしようもないことなんでしょうね。
あれ。
正直な所そう呼ぶほかに正しい分類方法の見当たらないナマモノであるところのナージャを見つけたのは、たしかにぼくだったのですから。
ナージャを発見したのは東部の古い遺跡でした。
ぼくは、と言うか正確には、おじさんとぼくはようやく軌道に乗り始めた事務所を維持させるために必要不可欠なもの、つまり徳と現金を積むために方々で塩漬けになった依頼を片付けて回っている最中でした。勿論《一の盾》の他の面子もそうで、あの頃ぼくたちは、帝国に広く足を伸ばしては小金を稼いでせっせと事務所の資金としてため込んでいたのでした。
普通の冒険屋ならパーティで組んで仕事した方が効率が良かったのでしょうが、それはそれ、何しろ《一の盾》と言うのはいろんな意味で規格外のパーティでしたから、よほどの依頼でなければ過剰戦力になってしまう以上、分散してそれぞれが気ままにやった方が効率的というものでした。
もちろんそれが、いわゆる普通の冒険屋が聞いたら卒倒しそうなことだってのはわかってますけど。
さて、そのときぼくとおじさんが潜った遺跡は、なんて言ったかな、ちょっと記憶が曖昧ですけれど、まあ大戦時からずっとそのまま放置されているような、用途も目的も知れない遺跡の一つで、いままで何にもなかったし、突っつかないで済むならそのまま放置しておいてもいいんじゃないかなと、そのような理由で放り出されていた代物でした。
しかし、えてしてそういう遺跡には魔物や盗賊が棲みつくものです。生半可な物であれば対処できるかもしれませんが、今は静かなものでも将来的には果たしてどうなることやら分かったものではありません。急にそう言う手合いがわっと湧いて出てきたとして、平和に慣れた東部の皆様がこれにきちんと対処できるものでしょうか、いえいえ侮るわけではなく専門家として純粋に危機意識を持っているだけの事でして。それにこれは魔獣や盗賊であればまだよいなと言う話でして、ええ、ええ、古い遺跡に竜種が棲みついたなんて言うお話は、全くおとぎ話でも何でもなく、今でもたまに聞くようなものですから、そうなるとさすがに対処は難しいのではないでしょうかと愚考する次第でありまして。いえ、いえ、いえ、私どもも急ぐ旅でなし、お手伝いできればこれ以上の喜びはありません、と申し上げたいところなのですが何しろ御覧のとおり一介の冒険屋ともなると路銀も寂しく長逗留というわけにも参りませんで、いえいえいえ、そんな催促など、ただまあ同じ代金でどんな冒険屋がこんな塩漬け依頼にわざわざ食いつくかと言うのははなはだ疑問ではありますけれど、ああ、いえいえ、とんでもございません、また再びこの地に来ることがありましたら、そのときは皆さまがご無事であると嬉しいなと言うそれだけでして、ええ、ええ、はい。
そのような具合で地元の方とお喋りなんかしましてね、はい、ほどほどの前金を懐にほくほく顔で遺跡に潜ったんですけれど、これがまあ、あまり、よろしくない。よろしくないというより、はっきり、悪い。
と言うのも、遺跡の機能の方は半分方死んでしまっていて何の遺跡だったのやらさっぱりわからなかったのですけれど、穴守がですね、ええ、ええ、守護者なんて言ったりもしますけれど、その穴守がですね、健在、全くの健在だったんですよ、これが。
と言うより修復中だったんでしょうねえ。からくり仕掛けの穴守だったんですけれど、長い間をかけて自分で自分を修理していたようでして、完全に修理が終わる前に見つけられて運が良かったというべきなのか、目を覚ます程度に修理が終わってから見つけてしまって運が悪かったというべきなのか、まあとにかくうっかりその穴守と遭遇してしまいまして。
いくらおじさんが凄腕の冒険屋とは言え、大戦時代のからくり仕掛けの穴守を、準備もなしに相手するのはさすがに厳しい――あ、いえ、はい、そうですね、はい、えーと、面倒、そう、面倒くさいということでして、一旦相手の様子を見るために、あちこち逃げま――走り回って、遺跡の調査をしながら何かいい手立てはないかと探してみたんですよね。
逃げ込んだ先は広い部屋でした。最初ぼくたちは、そこをお墓なのかと思いました。
というのも、金属製の棺のようなものがいくつも並んでいたからなんです。人が一人は入れるくらいの大きさと言い、それがずらりと並んだ光景と言い、地下墳墓のようだなと感じたものでした。
そのほとんどは空でしたけれど、何か金目の物――もとい役に立つものでもないかと探しているうちに、ぼくたちは一つの棺がまだ稼働していることに気付きました。
棺が稼働しているなんて変な言い回しですけれど、それは、その機械仕掛けの棺は確かに、しずかに唸るような音を立てて生きていたんです。
棺を開けてみようと言い出したのはぼくでした。おじさんのもとで冒険屋として勉強していくうちに古代遺跡の操作方法も少しは齧っていましたから、簡単な操作くらいはできる自信がありました。
何か役に立つものが入っていれば、その一心でした。そのくらいぼくたちは追い詰められていたんです。
勿論、中からまた別の穴守が出てくるかもしれませんでした。何の役にも立たない代物が出てくるかもしれませんでした。
一か八か。
ぼくがなんとか棺を開けることに成功するとの、穴守がその部屋を発見するのは同時でした。
穴守が扉を破壊して巨体を部屋にねじ込ませようとしている最中、ひんやりとした冷気に満ちた棺から、そいつはゆっくりと体を起こしたのでした。
「くぁ、あ、ふあ、あふ、く、ふ……んーむ。寝すぎた感じがあるな」
そんな暢気なことを呟きながらのっそりと棺から起き上がったのが、そう、彼女でした。
棺から身軽に飛び降りたのはすらりと背の高い女でした。
すっと鼻筋の通った力強くも美しい顔立ちで、均整の取れた体つきはしかし、女性的な嫋やかさと言うよりは、その張りのある皮膚の下の縄のような筋肉を思わせました。
黒々と長い髪はしっとりと濡れたようで、うっとうしげに払われる様さえも一幅の絵画のようでした。
戦の女神というものが実在したならば、あるいはそのような姿をとったかもしれない、そう思わせられるほどでした。
「うん? なんだ。どこだここ。まさか呑み過ぎて倒れたのか?」
その極めて残念な言動と、惜しげもなく全裸をさらして尻をかくという極めて残念な行動さえなければ。
すっかり呆然として誰何する余裕もなく、ただただ見上げるばかりのぼくを一瞥して、穴守を警戒して剣を構えるおじさんを一瞥して、それからぼりぼりと頭をかいて、それでそいつはすっかり得心したようでした。
「なんだかわからんが、つまりはそういうことだな」
その後の大惨事をあえてぼくから申し上げるのは控えさせていただきますけれど、まあ、しいて言うならば、あれは、戦闘でも何でもありませんでした。一方的な虐殺と言っていいでしょうね。機械相手にそう言っていいのかわかりませんが、何しろからくり仕掛けの穴守が恐怖におびえて逃げ惑うという様を見ることができたのは、ぼくたちくらいのものでしょう。
あれから色々調べはしましたけれど、何しろ古い、それも情報も残っていないような遺跡でしたし、本人にもとんと記憶が残っていないということで、結局ナージャが何者なのかと言うのはぼくたちにもよくわかっていません。
ただ、恐らくはあの遺跡の、あの棺の中でずっと眠っていた古代人で、それもただもののではない古代人であるということだけが、何となくわかっているにすぎないのです。
用語解説
・塩漬け依頼
冒険屋に託される依頼の中には、期限を明確に示さないものもある。
そういったものの中で、特にかなり年季の入った古いものを漬物に例えて塩漬け依頼と呼ぶ風習がある。
・ナージャ・ユー
本名長門ゆふ。古代人(?)。西方出身であるような発言があるが、詳細は不明。
真面目にやり合うとメザーガでも手古摺る、というより場合によっては歯が立たない可能性もあり、ただの人族というには些かオーバースペックのようだ。
前回のあらすじ
化け物だと思ったら化け物だった。
号砲のごとき開始の声と同時に、私の脳天に刃が振り下ろされた。
即座に自動回避が発動し、私の体は紙一重でこれをよけている。
しかしほっとするのもつかの間、相当の重さがあるだろう太刀を平然と振るって、二閃、三閃と続けざまの刃が私を襲う。
これが単に力任せに振るわれているだけならば、例え何時間であろうとも私は自動回避のままによけ続けられただろう。しかし、このナージャと言う女、見かけや言動とは異なり、その実力の大きな部分は腕力でも素早さでもなく、技術だ。
私が避ける先にすでに刃は向き始めているし、それを避ければすでにその先に刃が置かれている。私が下がれば詰め、私が懐に潜り込もうとすれば下がり、私がどたばたと騒がしく動き回っている間もすり足を乱すことなくするすると自由自在に間合いを詰めてくる。
いまのところは私の素早さと幸運のおかげで回避は成功し続けているが、すでにして私の回避の傾向が見抜かれつつある。もはや詰将棋に入りかけている。
それでもまだなんとかじり貧をギリギリのところで伸ばし伸ばしにできているのは、自動回避だけでなく《縮地》や《影分身》などを利用して相手をかく乱しているためだ。
かく乱。
そう、これは真っ当な回避手段じゃあない。
ド素人にすぎない私がやみくもに《技能》を使うことで、卓越した兵法者であるところの長門の勘所に混乱を与え、短い余生を延ばし延ばしにしているに過ぎない。
いわゆる「素人は何をやるかわからないから怖い」と言うことにすぎず、所詮素人は素人であるから、押し込まれれば長くはない。
「ナージャの剣をあれだけ長く避け続ける奴は初めてだな」
「まず初太刀が避けられませんもんね、大概」
「折りたたんだような手元から一瞬で伸びてくるあれは、俺でもちと厳しい」
「メザーガでも厳しいんですか!?」
「勝てないとは言わねえが、正直、まじめに相手するなら鍛え直したいところだ」
そんなやつを中堅に持ってくるなよ。
こちとら格闘技どころか喧嘩もしたことがないド素人だぞ。ド素人・オブ・ジ・イヤーだぞ。
かろうじて身体能力と妙な回避能力があるから持っているだけで、そろそろなます切りにされそうで怖いっていうかなんでこいつら真剣で平然と試合できるんだよ怖すぎるだろ。
一発当てりゃ終わりっていうけど、こんなので斬られたら私なんか一発で死んでしまうわ。回避性能に極振りされた《暗殺者》の耐久力は濡れた障子紙程度しかないんだぞ。
「いやー、それにしてもウルウも余裕ですね。顔色一つ変えずにひらりひらり」
「無駄に洗練された無駄のない無駄な動きって感じね」
「あれおちょくってるんですかね」
「おちょくってなきゃあんな無駄な動きしないでしょ」
すみませんこれが本気で全力です。
何しろ太刀筋も頑張れば見えるは見えるんだけど、何故そう言う風に動くのか全く理解できないから、自動回避で体が避けてくれた後に、ああ、そうなるんだと感心しているくらいだ。あれだけ長大な刀を振り回しているのに、実に小回りが利いてまるで手品みたいだ。
まあ感心するほど余裕があるかって言うと、半分以上は現実逃避だが。
何しろ大真面目に向き合うと恐怖と緊張で体が強張るので、大丈夫大丈夫と念仏唱えながら自動回避に身を任せるのが一番安全なのだ。
えらい人も言っていた。
激流に身を任せどうかしているぜと。
ん? 間違ったかな。
まあいい。同化していようがどうかしていようが大差はない。
「ふふふ、やるではないか! こうもこの長門が翻弄されるとはな!」
「……」
「涼しげな顔をする! やはりこうでなければ!」
ごめんなさい、表情作る余裕ないっていうかなんか言ったら吐きそうなんで勘弁してください。
なんだかノリノリでハイテンションに剣を振り回す大女と向き合うって相当な肝っ玉が必要だと思う。
ただでさえ私、自分より高身長な相手と出会う機会ってそうそうないから、その相手が涎でもたらさんばかりに楽しそうに刃物を振るってくるのってちょっとしたどころではない恐怖だ。
クレイジーに刃物ならばまだ納得いくけれど、見た限りこの女実に理性的だからな。理性的に狂ってやがる。基本となる常識とかそのあたりが食い違いまくっている気がする。
誰かどうにかしてくれよこのバーサーカー。
などと言っている内にもどんどん押され始め、自動回避も余裕がなくなってくる。
というか、これは、この女の回転速度が速まってきているのか?
これでまだ本気じゃないのかよ。異世界いい加減にしろよ。
ギラギラとした目つきで、もはや軽口も叩かず、私をなます切りにすることだけを考えて刃物を振るってくる女がいるんです助けて。
しかし残念ながら衛兵はここにはいないし、いたところでこんなクレイジーなモンスター手に負えないだろう。私が全力で回避に専念してどうにか避けていられる猛攻に対処できる衛兵ってなんだよ。お前が世界を救ってくれよってレベルだよそんなの。
しかし、さて、どうしたものかな。
実は一発喰らって終わりにしようというのはできなくもない。
《幻影・空蝉》と言う《技能》がある。
これは事前にかけておくことで一度だけ、相手から致命打を受けた瞬間にその場に身代わり人形を生み出してダメージを回避し、自身は短距離転移で少し離れた位置に移動するというものだ。忍者物でよく言う変わり身の術とか空蝉の術とか、そんな感じだ。
これなら私は痛くないし、かつ直後に参ったと宣言すればこれこそ奥の手なのだった、もう打つ手はないと言い訳できるだろう。そしてコストパフォーマンスもいい。
ただ、一つ問題がある。
「ウルウー! 頑張ってくださーい!」
思いっきり応援してきているリリオに申し訳が立たないという点である。
格好悪いところを見せるのも正直楽しくはないし、そもそもの前提として私が負けた場合リリオの冒険屋試験がどうなるのか聞いていないのだ。多分私だけ失格でリリオはリリオの試験次第なんだろうけれど、そうすると今後の活動がちょっと不便になるし、つづくリリオの試験が私のせいで不調気味になってしまうとかそんなことになると申し訳ないどころでは済まない。
まあ、いろいろ言いはしたけれど、結局のところ何が問題かと言えば。
(格好悪いのは嫌だなあ)
この一点に尽きた。
私にも矜持というものがある。ささやかなものではあるし、いざというときはかなぐり捨てる覚悟ではあるけれど、それにしたって、まさかこんなクソみたいな場所で捨て去れるほど軽いものでもない。
徐々に自動回避が追い付かなくなってきて、私自身の感覚と直観と《技能》大盤振る舞いで何とかかわし続けてきているけれど、そろそろそれにも飽きてきた。
「メザーガ」
「おう、なんだ」
「一発入れればいいんだったよね」
「おう、そうだ」
一発だけなら、まあ、なんとかやれないことはあるまい。
ここで、「別にあれを倒してしまっても構わんのだろう」などとフラグを立てるつもりはない。こんな公式チートみたいな相手に少しでも見栄を張る気はない。格好悪いところは見せたくないが、かといって虚勢を張れる相手でもない。
「なら一発は―― 一発だ」
「チェストォォォオ!」
号砲のごとき奇声と同時に、私の脳天に刃が振り下ろされた。
ずるり、と。
用語解説
・《幻影・空蝉》
ゲーム内《技能》。事前にかけておくことで、致命的なダメージを受けた際に一度だけ身代わり人形を召還し、ダメージを肩代わりしてもらえる。人形はそのダメージで破損し、自身は極近くの安全地帯に転移する。
『フフフ……馬鹿め! それは本体だ!』
前回のあらすじ
ウルウ、まっぷたつに。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………合図は?」
「む、お、おお、そこまで! ウルウ殿の勝利!」
ウールソさんの困惑したような声が聞けたのはいい収穫でした……ではありません!
「あ、あの、ウルウ?」
「勝ったよ」
「え、あ、はい」
「うん」
何やら満足そうなウルウですけれど、さっき脳天にはっきり太刀が食い込んでませんでした?
と言うか真っ二つにされてませんでした?
次の瞬間には逆にナージャがぶっ倒れてしまっていて、なにがなんだかわからなかったのですけれど。
「切り札は隠しておくもの」
「アッハイ」
一応切り札ではあったみたいです。
「…………おいリリオ」
「なんですか?」
「うちのナージャと交換しないか?」
「不良在庫押し付けないでくださいよ」
「ちっ」
ともあれ、一応勝ったということでいいのでしょう。
納得いきませんが。
私がうんうんと頭をひねっていると、トルンペートに優しく肩を叩かれました。
「ああいう生き物じゃない」
「アッハイ、そうですね」
実にもっともな発言なのですけれど、私よりも付き合いの短いトルンペートに言われると何か釈然としません。なんだかトルンペートとウルウって妙に仲良くなりすぎてません? 私もそこに混ぜるべきです。そうすべき。
などと《三輪百合》でわちゃわちゃしていると、メザーガが面倒くさそうに声をかけてきます。
「一応今日の大一番なんだが、自覚あるか?」
「はっ、そうでした、私の出番でした!」
「思い出したらとっとと線につけ。面倒くせえ。さっさと終わらせようぜ」
メザーガは愛用のものであるらしい聖硬銀の剣を片手に、あとはいつも通りの服装です。鎧ですらありません。執務室で仕事している時と大差ありません。ちょっと上着を一枚上に着ただけです。
もう本当に形だけで、適当に終わらせて帰りたいという心が透けて見えるどころかあからさまです。
ただひとつ、そこに私にとって不本意なところがあるとすれば、それは適当に終わらせるというのが、「適当に私をノして片付ける」という意味であるということです。
「いくら見習い冒険屋とはいえ、この身は辺境の剣士。あまりなめてかかってもらっては」
「そういうのいいから」
「むーがー!」
しかも軽く流されます。
完全にお子様扱いです。
私これでも、結構強い方なんですよ!
そりゃあ最近、なんか回りが強すぎてどうにも目立ってませんけど。
「試合形式は簡単だ。戦闘不能か、参ったと言わせるか、どっちかだ。あー、あとは審判が止めに入るかだな。いいな、ウールソ」
「承知し申した」
「武器破壊は戦闘不能に入りますか?」
「お前自分の武器が武器だからって調子乗りやがって……まあいい、これでも聖硬銀だ。壊せりゃそれでしまいにしてやる」
言質は取りました。
とはいえ、聖硬銀は使い手の実力がもろに出る金属です。
大具足裾払の甲殻相手に真っ二つに折れたという記録もありますけれど、メザーガほどの実力者相手にそれを期待するのは難しいでしょう。場合によってはこちらの剣が断ち切られかねません。
「あとは……そうだな、いくらか枷をつけてやる」
「枷?」
「そうだ、ひとつは、魔法は使わないでやる。俺は魔法剣士だが、お前は確か魔法は不得手だっただろう。強化や防御はともかく、攻撃に魔法は使わないでやる」
「む、うーん、ありがとうございます」
ちょっと悔しいですけれど、熟練の魔法剣士というものは、今の私では全く歯の立たない相手でしょう。剣も魔法もと言ういいとこどりの魔法剣士はどちらも中途半端になってしまいそうな印象がありますけれど、ある程度以上腕の立つ魔法剣士は、そのどちらも並の相手よりも優れた腕前にまでなると聞きます。
「それからもう一つ」
ただ、もう一つは本当にむかっ腹に来ました。
「俺はここから一歩も動かねえ」
「……はい?」
「言った通りだ。攻めるも退くも、俺はここから一歩も動かん。逆に言えば、一歩でも俺を動かせたら、お前の勝ちにしてやる」
これは大いになめられていると言っていいでしょう。いかに優れた剣士と言えど、一歩も動かずに相手をするというのは無理があります。どんなに優秀でも、剣と言うのは腕だけでどうこうできるものではありません。腕は肩につながり、肩は胴に、胴は腰に、そして腰は脚につながり、足は大地を捉えて力を伝達させます。
つまり、足を動かさずに戦うということはその実力の十分の一も出せないということなのです。
「やーいばーか」
「……下らん挑発だな」
「いい加減つけ払えってユヴェーロさんから毎回言われて辛いんですけどー」
「そのうちだ! そのうち払う!」
「最近下っ腹が」
「てめえまだ試合開始前だってこと忘れんなよ」
「あいすみません」
さすがにメザーガもいい大人です。この程度の挑発では、試合開始前であっても動く気はないようです。
ウルウだったらもうちょっと無神経に人の心の柔らかいところを抉るようなこと言いそうな気もしますけど、さしもの私もあれは真似できません。だってあれ、悪意とかあるわけじゃないですもん。
むしろ悪意があって人を罵倒しようとすると、途端にウルウの言語能力は低下します。
「お前の寝耳にアツアツのチーズフォンデュを流し込んでやろうか」とか。
やっぱりあれですかね、友達いなくて口喧嘩のレパートリーがおっと悲しくなってきたのでやめましょう。
「わかりました。まず一歩、動かして見せますとも!」
「おうおう、おっさんがくたびれない内に頼むぜ」
「むーがー!」
ともあれ。規則を設けてくれるというのならば、その規則内で精々暴れさせてもらうとしましょう。
「両者見合って……いざ尋常に、勝負!」
号砲のような合図の声とともに、私は早速剣に魔力を込めはじめます。
ただの強化ではなく、雷精と風精にたらふく魔力を食わせてやります。
「ぬ……さすがに魔力だけは馬鹿みてえにありやがる」
そう、そのバカみたいな魔力を、以前のバナナワニの時と同じように、しかし以前とは違って剣を破損させない程度に溜め込んでいきます。
あの時はとにかく威力ばかりを重視していましたけれど、今は違います。人間相手にあの威力は過剰――と言うにはメザーガはいささか人間を辞めているところがありますけれど、でも、ウルウに教わったのです。
つまり、「少ないコストでスマートに片付ける」、これです。
ウルウは私が同じ失敗を繰り返さないように、かつ格好いい必殺技を扱えるようにいろいろと教えてくれました。
まず、雷精というものは、非常に効率が悪いということを教わりました。光ったり、音を立てたりする分、力の多くを消費してしまっているのです。空気中に力をばらまいてしまっているから、あのように騒がしくピカピカとするのです。要は威嚇と一緒です。
真の必殺技に威嚇はいりません。必要な威力を必要な場所にだけ叩き込む。これです。
でも雷精というものは放っておいても空気中に流れてしまうもの。これを抑え込もうとすれば魔力を盛大に消費しなければなりません。と、困っている私にウルウは教えてくれました。
道を作ればいいんだよ、と。
その答えが風精でした。
まず、風精を竜巻のように回転させて、空気の薄い道を相手までとの間に作り上げます。この道はどうせ一瞬で吹き飛びますから、そこまで丈夫なものである必要はありません。雷精が通りやすい道、それを思い浮かべるのです。
道ができれば、あとはそこに溜めこんだ雷精を吐き出すだけ。
ただその雷精は、生半じゃあない!
「突き穿て――――『雷鳴一閃』!!!」
目の前が真っ白になるほどの閃光。
耳が破裂するのではないかと言う轟音。
地上から放たれたいかずちが、風の道を通って一直線にメザーガを焼き尽くしませんでした。
はい。
焼き尽くしませんでした。
あ、この流れ見たことある。
霹靂猫魚の時の逆です。
一直線にメザーガを襲った雷光はしかし、メザーガが無造作に剣を振るうと同時に、その矛先を天へと翻してそのまま空へと駆け上っていってしまいました。
呆然と空を見上げる私に、メザーガが感心したように顎を撫でます。
「『雷鳴一閃』、か。面白い技だ。霹靂猫魚の雷閃に似ているが、あれより鋭い。恐らくだが、風精で道を作りやがったな。以前地下水道で見せたとかいう技より随分洗練されてる。大方入れ知恵があったんだろうが……種が割れりゃ俺にも真似はできる。少なくとも、筋道を変えるくらいはな」
余りにも簡単に言うメザーガでしたが、そう簡単にできれば私も苦労はしなかったんですけれど。
私があの技を身につけるまでにいったいどれだけ苦労したと思っているんでしょう。
文字通り身を焦がしながら身に着けたあの苦労の日々はいったい何だったというのでしょうか。実質まあ、二、三日くらいですけれど。やはり即製の技ではこんなものなのでしょうか。
用語解説
・『雷鳴一閃』(Fulmobati dentego)
敵との間に風精で軽い真空状態の道を作り、そこに貯め込んだ魔力をたらふく食わせた電撃を流し込んで遠距離の相手に当てるという技。
電力、電量、電圧によって細かく威力の調整が可能である。
前回のあらすじ
お披露目したばかりの新技をあっさり防がれたリリオ。
果たしてこのおっさんを突破するすべはあるのか。
メザーガ・ブランクハーラと言う男は、何とも説明しにくい男ではありますなあ。
生まれは南部の海辺の地と聞いておりますな。そうそう、リリオ殿の御母堂もそちらの生まれだとか。
幼い頃より好奇心旺盛で、あちらこちらへとふらつく放浪癖があったそうで、周囲の反対を押し切って成人すると同時に一人旅に出たようですなあ。
それからのことはクナーボ殿の方が詳しかろうが、うむ、あれは、駄目だな。すっかり試合に夢中ですな。それにクナーボ殿に語らせると、どうも、うむ、長い。
拙僧がメザーガ殿と旅を共にするようになったのは、ふむ、あれは、そう、拙僧が某所山中にて武者修行と称して来る人行く人構わずに旅人に野試合を申し込んでおった頃の事ですな。
何しろ生まれつきこうして体も大きく、法力にも恵まれていた拙僧は、里を出て以来全くの負けなしで、いささか鼻が高くなっておりましてな。俺が汗水流して強者を探すというのも面倒だ、かかってくるものはみな相手にしてやろうと、こう、居丈高な物でしてな。
いやはや、今思い出しても、恥ずかしい。
世の中というものを知らず、高みというものを知らず、深みというものを知らず、ただただ若さのあまりの所業ですなあ。
山に籠ってどのくらいになるか、まあ里ではすっかり山中の怪人として噂になって、野試合に応じてくれる手合いも随分と減った頃合でありましたかなあ。
腹も減ったから飯の支度でもするかと火を起こした頃に、あの男は現れました。
なりはまあ、冒険屋といえどもその見習いと言った風体でした。
数打ちの剣を腰に帯びて、中古の軽鎧を身にまとい、不精髭をまだらに伸ばしたその男は、拙僧が方丈と定めた草庵に顔を出すなり、こう申しました。
「腹が減った」
見れば頬はこけて、いかにも空腹でやつれた具合で、これには猛々しくも荒れていた拙僧と言えど哀れに思って、よし、よし、何かの縁であるから火に当たりそうらえ、いま雉でも兎でも狩ってきてやるからとそう申し上げましたところ、いや、獲物は得たのだが鍋がない、とそう言うではありませんか。
不思議に思って草庵を出て表を見やれば、なんと拙僧ほどもあろう首なしの熊木菟が転がっているではありませんか。
これに驚いて棒立ちしていると、男の続けて曰く、
「俺には肉があって、御坊には鍋があるな」
とのたまう。
成程、一対一、等価でありますな。
しかし拙僧は何ともこの縁が惜しくなり、少し考えてこう申し上げた。
「成程、肉があり、鍋があり、しかして拙僧には味噌もある」
「俺には手持ちがもうない」
「鍋を食い終えたら、手合わせ願いたい」
「一番うまいところを所望する」
「なに? いや、よい、よい。承った」
熊木菟の肉はまずいと世に言うが、なに、これは処理がまずい。
血抜きはしてあったので、拙僧は手早く熊木菟をばらして、良いところだけを取り、処理を施して、胡桃味噌で鍋とした。残りは裏手に撒いて、獣避けとした。熊木菟は強者故、その匂いは獣避けになりますれば故。
男は余程飢えていたと見え、拙僧と同じほどに鍋の肉を食い、また酒を飲み、ようやく人心地付いて、それから鷹揚に頷いて、言った。
「いや、馳走になった。支払いを済ませよう」
よしきたと拙僧は頷いて、表に出た。腹はいくらか重かったが、それでどうにかなるような鍛え方はしておらなんだ。
もはや待ちきれぬと拙僧が拳を振るうと、ぬるりと妙な動きでかわされる。蹴りをばけこめばひらりと避けられる。拙僧が面白くなって次から次へとしかけても、そのことごとくがひらひらとまるで蝶でも相手にしているかのようにかわされる。まるで拙僧一人、虚空に向けて練武でも披露しているようであった。
一連をすっかりかわされて拙僧が一息つくと、男はこう申した。
「十分か」
それで拙僧はまだまだと、今度は法術を用いて体を強め、拳を固め、先にも増す勢いで躍りかかった。するとさしもの男もようよう剣を抜いて拙僧の拳を受ける。受けるのだが、まるで鋼を打っているような心地ではない。まるで真綿でも殴りつけているかのように、拙僧の拳はやわやわと受け止められ、流されてしまう。
これは奇怪と思い遠間から蹴りこめば、ひょいとましらのように身をひるがえしては、なんと拙僧の足先に飛び乗るではないか。
そしてまたこう申した。
「十分か」
拙僧がまだまだといよいよ殺意を持って挑むと、そこから先は全くあしらわれるばかりでござった。拙僧が殴り掛かればひょうと懐に潜り込まれ、膝を突き出せばくるりと股下をくぐられ、寄せてなるものかと蹴りつければ剣で受け流されかえって拙僧が勢いを崩され地にまみれる始末であった。
そうして拙僧が地に転がる度に、男は「十分か」と問い、拙僧もまだまだとこれに応えて、転がされ続けること半刻にも及んだろうか。
いよいよ拙僧も疲れ果てて参ったと一言漏らして倒れこむと、男も疲労困憊の体で座り込み、酒を呷った。
「やれやれ、高い鍋だった。だが高すぎるほどじゃあない」
それを聞いて拙僧はもう、心の底からすっかり参ったと負けを認め申した。
何しろ拙僧がぐったりと倒れ伏してもう指一本も動かせんというときに、この男は腹が減ったと鍋の余りをつつきに行く始末でしたからな。
明けて翌朝、鍋の底まで綺麗にさらった男は、無精ひげを綺麗にあたって、拙僧にこう申した。
「手持ちはもうないが御坊の鍋は惜しい。随時支払いはするから旅に付き合う気はないか」
かような次第で拙僧は《一の盾》の最初の一員となり、そうして今もまだあの男に鍋を食わせ続けておるのですなあ。
前回のあらすじ
おっさんは昔からおっさんだということしかわからなかった。
必殺の予定であった『雷鳴一閃』をあっさりとかわされてしまい、では、と私が頼ったのはやはり地力での勝負でした。鍛え続けた剣の腕でした。
とはいえ。
「せいっ!」
「はいよ」
「とりゃっ!」
「あい」
「ふんぬっ!」
「よっと」
「でええりゃあああああああああッ!」
「うるせっ」
全力で切りかかっているのに、片手で防がれ続けていると、さすがに自信が圧し折れてきます。束のようにあった自信が束で圧し折られて行きます。何本束ねようが無駄だと言わんばかりです。
しかもこれ事前の宣言通り、一歩も動かないどころか、足の裏を地面にぺったりとくっつけて一度たりとも離さないまま、私の連撃を全て受け流してます。
「まだ強化魔法さえ使ってないんだからよぉ、もうちょっと頑張ってほしいとこだなっと」
「あなたこそ人間やめ過ぎじゃありません!?」
腕力勝負に持ち込めればとつばぜり合いを仕掛けようとするのですが、そのすべてがことごとく、真綿でも切りつけているようなぐんにゃりした奇妙な感触とともに綺麗に受け流されてしまいます。
わかります?
棒立ちした相手の前で棒振り回して、しまいにはその勢いで一人で転んだりしている私がどれほど間抜けか。
「ば、馬鹿な……どう考えても理屈に合わないでしょう……」
「辺境者に理屈がどうのこうの言われるのははなはだ納得いかねえ」
「幾ら辺境者でももうちょっと道理が…………」
「言い切れないんならやめろ」
まあ確かに辺境の剣士は結構人間やめてますし、考えてみればこれくらいのことはできるのかもしれません。
しかしこんなにも手ごたえがないとなると、何か手段が要りそうです。
真正面から殴り合って駄目ならば、
「『搦手を考えた方がいいかもしれません』、か?」
「んぐっ!?」
「顔に出やすい、表に出やすい、鎌にかけられやすい、救いようがねえな」
「う、うるさいですよ!」
「第一よぉ」
メザーガは至極面倒くさそうにため息を吐きます。
もはや構えてすらいません。両手をだらんと下げて棒立ちです。隙のない構え方とかそういうことですらなく、完全に脱力です。やる気なしです。そしてそのやる気なしの棒立ちですら、今の私には突破する道が見えません。
「真っ向勝負しかできねえ奴が搦手考えたとこで、付け焼刃にすらならねえだろうが。真っ向勝負しかできねえ奴が真っ向勝負でさえ負けちまったら、そりゃあ、もう、終わりだろ」
「う、ぐぐぐ、ぐ、ま、まだ、まだ負けてません!」
「そうだな。まだ負けてないな。で、その『まだ』はいつまで続くんだ?」
「ぐぐぐう」
ざくりざくりと、棒立ちのままのメザーガの言葉の刃がわたしに刺さります。刺さり続けます。
「俺は別段、あとどれだけだってここで立ち続けられるぜ。勝ちが見えてるからな。だがお前はどうだ。リリオ。お前はどうだ。お前に見えているのはただただ敗北だけじゃあないのか」
「ち、が」
「俺から打ち込まない以上、お前の敗北の形は降参だけだ。好きなだけやりゃあいい。だがそれでも、お前に勝利の形は見えているのか? 俺には見えている。お前が降参する姿が見えている。もう無理だと膝をつく姿が見えている。だがお前に見えているのは何だ。敵わないという未来だけじゃないのか。いくら打ち込んでも、いくら斬りかかっても、ことごとくを完封されて、膝をつく未来じゃないのか」
違う。
そう言いたくて、しかし言えませんでした。
なぜならば確かに、それは私の思い描く未来そのものでしたから。
「そりゃ、僅かな希望を信じるのは大事かもな。何十、何百、何千、何万、何億回と切りかかれば、もしかしたらそのうちの一回くらいは、九億九千九百九十九万九千九百九十九分の一くらいは、俺に届くかもしれねえな」
「そ、そ、うで」
「その僅かな希望にすがって、お前は九億九千九百九十九万九千九百九十九回を振るえるのか? たった一回の僅かな希望に、お前はすがれるのか? それが正しいのか?」
「あ、ぐ」
剣を持つ手が揺らぎそうになりました。
言葉で言えば、それはただそれだけのことかもしれません。
しかし実際に剣を持ち、挑もうとしている身としては、それはあまりにも遠く、儚い希望でした。
そのような気持ちで我武者羅に切りかかっても、打ち込んでも、メザーガにはまるで届きません。むしろ、先程までは確かに届きそうだと感じた一撃さえも、どこまでも遠く遠く感じてしまいます。
そこに立っているだけの男が、たった一人の男が、しかし今やどこまでも高い塔のようにも思え、どこまでも分厚い壁のようにも思え、そして、それは。
それはどこまでも強大な巨竜のようにも思えました。
「そうだ。そうだったはずだろう。竜と向き合うということ。竜と向き合うという恐怖。竜と向き合うという覚悟。あまりにも強大で、あまりにも無責任で、考えることさえ放棄したくなるほどに絶望的な相手」
壁が。物言う壁が。塔が。竜が。物を、言う。
「いいさ、諦めちまいな。お前はそこまでだったんだと、お前の見せられる景色はここまでだと、そう諦めちまいな!」
ぎらり、と振りかぶられた剣に、しかし私は反応できませんでした。
恐怖が、あまりにも絶大な恐怖が、私の体を縛っていました。
そしてそれ以上の恐怖が、私を突き動かしていたのでした。
「う、ぁああああああああああッ!!」
それは、ここで終わればもう彼女とともに歩むことはできないのだという、そういう言う絶望でした。
反射的に切り上げた剣は、ただ緩く握られていた聖硬銀の剣を弾き飛ばし、そして、それが地に落ちる音を聞いて初めて、私は目の前の人の顔をまじまじと見つめたのでした。
「やれやれ。武器がなくなっちまったんなら仕方ねえ。参ったよ。降参だ」
その人はどこまでも皮肉気で、面倒臭がりで、物臭で、いつもつけをため込んで辛気臭くて、それで、そして、それから、そう。
その人は私のおじさんでした。
前回のあらすじ
ただ一刀、されど一刀。
リリオの試験がどう運んでどのように落ち着いたのか、はたから見ていた私たちには、ちょっとわかりづらかった。
けれど、短いやり取りの間に、メザーガはリリオに問いかけ、そしてリリオは確かにメザーガに答えたのだった。多分、そういうことだったのだと思う。
「よーし、じゃあ総評と行くか」
ぐったりと疲れ切ったリリオに肩を貸そうにも身長差がありすぎてどうしようもなかったので後ろから抱っこするように抱えていると、メザーガが気だるげにそんなことを言い始めた。
「まず、トルンペートとクナーボな」
メザーガは二人の試合をざっとおさらいし、この手は良かった、ここはもう少し改善の余地があったなどと、意外にもしっかり試合を見ていたらしいコメントを残していた。トルンペートもうなずいたりしているあたり、的外れということもないようだ。
クナーボ? クナーボは結局メザーガの言うことなら何でも頷くからあてにならない。
「トルンペートの戦法はなかなかしっかりしていたな。最初こそ動揺していたようだが、その動揺の殺し方もうまい。ただ全体的にちょいと走り気味なところがある。防御がおろそかだな。見たとこ個人技は十分な技量があるが、仲間と連携しての行動はちと疑問が残る。そんなところだな」
「むーん」
「不服か?」
「いえ、為になったわ」
「そうか。よし。クナーボは随分上達した。背面打ちや左右の切り替えもスムーズで、初見の相手ならまず翻弄できるだろう。ただやはり、射撃に手いっぱいで考えが回らないところがあるな。咄嗟の判断力ももうすこしといったところだ」
「うにゅう」
「まあこの調子なら成人後は見習いとして雇ってもいいだろう」
「本当ですか!」
「慣例となっちまった乙種魔獣討伐出来たらな」
「そんなぁ……」
「大丈夫ですよ。意外と簡単ですって」
「そうそう、下準備すれば簡単よ」
「この先輩たちあてにならないからね」
続いて私とナージャに関してだったけれど、ここはあっさり流された。
というのも、熟練のメザーガをもってしても「理解しかねる」とのお墨付きを頂けたからだった。
「ナージャがわけわかんねえのはもう今更何も言わんが、ウルウ、お前は本当にわからん」
「ごめん、私にもわからない」
「なんなんだろうなお前は。最後のは何だ。何をしたらああなる」
「それは秘密」
「お前は秘密の事もそうでないことも全く分からん」
結論、奇々怪々で済まされてしまった。
「おお、閠! 殺したと思ったんだが!」
「あれ本気だったのか」
「うむ、仕留めたと思ったのだがな。何やら妙な術でも使われたようだな」
「私は弱くて臆病なんでね」
「はっはっは! 面白いやつだ。またやろう」
「断固お断りします」
「はっはっは!」
リリオは、散々だった。
「打ち込みが甘い。日頃適当に振ってるんじゃないだろうな。剣筋が立ってないぞ。もっと自分の手足の延長と思えるようになるくらいは棒振りに励め。それくらいしかできないんだから。あんな格好いい技を一人で開発しやがっておじさんにも教えろください。全くとんでもないガキだな」
などなどじっくりみっちりくどくどとお説教された上で、なにやら封筒を渡されていた。
「なにそれ?」
「……父からみたいです」
私の腕の中で、リリオは気だるげに封筒を開いて、それから目を瞬かせた。
「竜殺しの課程は一応の修了とみなす。励むように」
「……それだけ?」
「それだけです。……ふふふ、それだけです」
リリオはおかしそうに笑って封筒をしまった。多分、それは、私にはわからない笑いどころで、そしてリリオにだけわかればいい笑いどころなのだと思う。
「まあ、俺からいわせりゃまだまだだが、それでもあれだけ俺から殺意浴びせられて立ち上がれるんだ。まあ、悔しいが認める他ねえだろうな」
「メザーガって本場の人にも竜扱いされるくらいなんだ」
「ばっか言えおめえ、竜殺しの連中が竜より弱いわけねえだろ」
辺境の人間の強さに関して、これ以上ない位納得のいく説明があった気がする。
そうなるとリリオも将来、メザーガくらいは倒せるくらいに強く育つのだろうか。そうなると私的にはちょっと怖い。私はまだメザーガを倒せる自信はないのだ。
「よっし。じゃあ終わったら、あれだ。あれだな」
「なにさあれって」
「決まってるだろ」
一仕事終えたと言わんばかりに一つ伸びをして、メザーガは笑った。
「飯だよ」
事務所にて用意の進んでいた熊木菟の鍋は、なるほど秘伝というだけあって格別なうまさだった。
まず熊の類の肉は殺してすぐに適切な処理をしなければ不味いという。これは朝早いうちににウールソ直々に仕留めたものを処理して寝かせたものだという。私たちが試験うける朝に、審判引き受けてるくせにそんなさらっと熊仕留めてこれるのかよ。
熊木菟の脂は分厚いがさらりとしていてよく解け、甘味があった。これが肉の濃厚なうまみとともに汁に溶け出し、野菜にしみこんで、たまらない。
味付けには味噌を用いていたが、これはいつもの胡桃味噌だけでなくいくつかの味噌を合わせた合わせ味噌のようで、独特の風味がしたが、この風味が美味いこと獣臭さを消してくれていた。
野菜はとにかくたっぷりと入れられていたが、これは何しろ肉のうまみがしみ込むので、放っておけばあっという間に食べられてしまうので、最初からたっぷり入れないとすぐに悲惨なことになるからだという。事実、そうだった。
珍しく辛味がして何かと思えば、唐辛子のようなものが入っている。やはり辛味を出すもので、また臭み消しにも良いという。程よく体が温まり、良い。
また軽い酸味もあって何かと思えば、汁の赤色は味噌や唐辛子だけでなく、トマトのような野菜の赤みもあるのだという。これは南方から入ってきたもので、交易共通語でも同じくトマトと呼ぶようだった。これや、また果物を用いることが、固くなりがちな熊肉をやわらかく仕上げるコツだという。そしてまた酢や酒をたっぷり用いるのも肉をやわらかくする要素だという。
果物や酢で柔らかくなる、ということはたんぱく質分解酵素だな。と私は察しをつけた。パイナップルなど、果物にはたんぱく質を分解する成分を含むものがある。いくつか知っている範囲で、またこの世界でも見かけたものを紹介すると感謝された。
旅先でも熊木菟を食べたいと思って処理の仕方を尋ねてみたが、ウールソは決して首を縦に振らなかった。教わった山椒魚人とは、自分一人の頭の中に納めること、という条件で、互いに秘伝の味を教え合ったのだという。
これは山椒魚人というのも、ぜひとも見つけなければならない。
昼から私たちは酒を開け、鍋をむさぼり、大いに飲み食いした。
「しかし、全員合格したからよかったものの、失格してたらこの鍋の準備どうするつもりだったの?」
「なに、そのときは残念でした会さ」
「どちらにしろメザーガは一人得をするわけだ」
「馬鹿言え葬式みたいな空気で酒が飲めるか」
「じゃあ美味しく酒が飲めた分は路銀でも貰おうか」
「ばっか言え。だがまあ、そうだな。うまい酒はいいもんだ。いくらか、俺の使う商人どもを紹介してやる」
宴会は夜まで続いた。