*
そして今。
兄は、両親の死んだリビングダイニングの椅子に縛りつけられ、一晩中殴られ続け腫れた顔に笑顔を浮かべている。
「何が、わかってるって……?」
何故二人を殺したのかと私は聞いた。その理由を、私がわかっていると、兄はそう言いたいのか。
私は皮がめくれ、いっそ兄の顔より血だらけになっている自分の手の甲を見下ろし、ぎりと歯を食いしばった。
「ふざけないで。お父さんとお母さんを殺した理由が、なんで私がわかってるの? お前なんて、お前なんて……」
本当に、本当に、よくも顔を見せようと思えたものだ。
今更後悔して、兄妹だからと許して貰えると、そう思ったというのか。
「お前なんて、死んでしまえっ!!」
私は叫ぶと、拳の痛みも構わず、兄の顔を再度殴りつけた。
「……そうは言うけど、お前、ずっと殴ってばかりで全然殺そうとしないな」
ぱたた、と鼻血が垂れる。
兄は薄っすらと笑ったまま首を傾げた。「それこそ、どうしてだ?」
「そんなのっ、すぐに殺したら、私の痛みがお前に伝わらないからに決まってるっ」
警察になんかに渡すもんか。知らせてやるもんか。
再会したその瞬間から、私は、この男に自分の力で復讐すると決めたのだ。
「お兄ちゃんこそ……お前こそどうして私に会いに来たのよ! どの面下げて! ここに来たのよ!
それで、どうして……どうして抵抗しないのよ!」
兄は無残に腫れた顔を持ち上げた。笑みが消え、ただ痛々しいだけの顔がそこにあった。
非力な、私のような女子中学生の力でも、ずっと殴られ続ければ骨格が歪む。
数年前から会っておらず、再会したのもごく最近だったが、それでも、この短い間で彼の顔のつくりが変わってしまったということは、目に見えてわかった。
そうだ。……その理由がずっとわからなかった。
兄は昨日の夜突然現れた時から、ただの一度も抵抗しなかった。
顔を合わせたその瞬間目の前が真っ赤になり、殴りがかった私を止めることなど、そうでなくても子供の拳を避けることなど、既に大人の男性である兄にとっては容易だったはずだ。
しかし兄は私の拳を頬に受け、私が家の中に引きずり込んで椅子に縛り付けても、リンチまがいの暴行を長時間加え続けても、一切抵抗しなかった。
「私を返り討ちにして、どっかに行くなんて簡単でしょ……? なんでそうしないの?」
荒い息を吐きながら、沈黙する兄を睨み下ろす。
「抵抗しないで殴られ続けて、それで贖罪のつもり? 私に許してもらおうって、そういう魂胆なの?」
それなら。
それなら。
「それならどうして――」
「なあ」
私の言葉を遮るようにして、先程まで沈黙を貫いていた兄が声を発した。
「今、夏だよな。
……なんでお前、長袖のシャツ来てるんだ?」
はっ、と息を飲む。
私は握りしめていた拳を開いて、反射的に腕を押さえた。
汗で肌に貼り着く、長袖の白いシャツが、指の間から滲んだ血で赤く染まる。
「ここに数年ぶりに来た時、お前の部屋を見た」
鼻血で鼻が詰まっているのか、歯が折れているのか、兄の発音は少しおかしい。
ど、ど、と鼓動が早くなる。背中に汗が滲む。
「両親の寝室はわりと整えられてるのに、お前の部屋はゴミだらけだった。お前の私物で、ゴミだらけで汚れてる訳じゃない。台所やら水場やらも含め、家中のゴミを撒き散らかしたようになってた」
「それが……それが何……」
「それから、食器が異様に少なかったな。茶碗も皿もコップも二つずつしかない」
「っ」
やめて。やめてよ。
これ以上聞きたくない。
「壁に血も飛んでるみたいだったな。俺に覚えがない血の跡だった」
私は唇を噛んで耳を塞ぐ。
もうやめて。掠れた声でそう言うものの、兄は相変わらず淡々と続けた。
「その長袖、殴られた痕を隠すためだろ。数週間経っても残る痣もある。ましてや火傷痕や切り傷は、消えないことすらあるもんな」
兄はふ、と再び笑った。
「――あの時の俺と一緒だな」