「なんで、なんでもっと……」
俺を頼ってくれなかったんだ。そう言いたいけど、その回答は先ほど突きつけられたばかりだ。
ライバルだから。
でもコイツに負けたくないと思う気持ちと同じくらい、支えたいって思いもあったんだ。恋人としての俺は、コイツにとっては不足だったと言うことか?
いや、実際そうなのだろう。俺とコイツの間にあるのはあくまで、作家志望者としての意識が前提で、真っ当に愛を育む事を怠っていた。
こんなにも脆い関係だったのに、それこそが最良のバランスと誤解していた。
「……だよねえ。やっぱ匠はそう言う顔になるよね」
そんな表情になる必要は全くないのに、琴那はどこか申しわけなさそうな顔をしている。それがやりきれなくて、瞼の裏に涙が溜まっていくのを感じた。
「だって、俺は……お前を、助け……」
「うん。いいよ、わかってる。言ったでしょ? アタシ、観察が得意なの。今の匠の顔が全て物語ってくれているから」
そんなこと言わないでくれ。お前は俺を責めるべきだ。お前が絶望の底にいた時、俺は何もしていなかった。お前に勝つ小説を書くことと、文創を露川世代の頃のように変えることしか頭になかった。その文創こそが、お前の敵だったのに。
いや、まて。
……敵?
その時、俺の中で恐ろしい推測が頭をもたげてきた。
「もしかして、お前が変わったのって……」
小説を書けなくなり、ヤケになった? いや、違う。それなら文創を辞めればいいだけだ。書けなくなった人間が文芸サークルに留まる必要なんかないんだ。まして、自分を陥れた敵ばかりのサークルに。
「復讐、なのか?」
けど、留まること自体に意味があるのだとしたら?
「鋭いねー。それも自分の感情をメモし続けてきた成果なのかな? 同類の思考回路は簡単に推測できちゃう、みたいな?」
同類。自分がもし琴那の立場になった時、同じ事を考えるかはわからない。けど、コイツは絶対にそうするという確信のようなものがあった。
「正直さーアタシに色々やってきた連中を追い出すのは簡単だったんだよ。手前味噌だけどサークル内でも人望ある方だったし、いくらでも味方は作れたと思う」
それはそうだろう。表向きのコイツの振る舞いを見ていればわかる。別に文創の全員がコイツをいじめていたわけではないはずだ。持ち前のコミュ力を活かせば、もっと短絡的な復讐は簡単に出来たはずだ。
「けど、お前はしなかった。お前の標的は、お前を陥れた個人ではなく、文創そのものだった」
事那はうなずいた。
「アイツら追い出したところで何も変わらないもん。憎むべきは文創の空気そのもの。アイツらを追い出したところで、どうせまたすぐ頑張ってる人の足を引っ張る奴が出てくる」
その顔は嫌悪感に満ちていた。
「それにさ、許せなかったの。人が書けなくなって地獄を味わっているのに、ろくに書いてもない奴が浅いところで『産みの苦しみ味わってます』みたいな感じ出しているのがさ!」
滅茶苦茶で独善的な論理。けど、それを俺に否定できるはずもなかった。
「だから決めたの。コイツら全員、アタシと一緒にとことん堕ちてもらおうって。書く時間を減らして、その事を気にやむことすらなくなるくらい、創作への情熱を消してやろうって」
そう話す琴那の顔は笑っていた。そこに俺が知っているものは何もなかった。笑顔ではある。けど、俺と軽口を叩きあっていた頃の笑顔でも、サークルの中心人物として、皆を籠絡してした笑顔でもない。
ただ、悪意のみ。文創に対する憎悪だけが、その笑顔に乗っかっていた。
「笑っちゃったよ。さんざんアタシを貶めてきたや奴もアタシにゲスな事してきた奴も、アタシが手の届くところまで堕ちてきたと確信した途端、手のひら返しちゃってさ。色々あったけど今は仲良しだよね、みたいな顔してやんの!」
コイツの魔性とも言えるコミュ力ならば、そうなるのも当然だった。
「半年もしないうちに文創はアタシの支配下に置かれた。あっけなかったよ。それで準備は整った、藤原世代のね!」
「藤原世代?」
「そ。露川世代の対義語ってところ。あの時代が文創の最盛期だとしたら、アタシらの世代はその逆。歴代文創の恥さらしになるような世代」
「恥さらしって、お前それって……」
「うん。アンタの言葉だよ。あの編集会議で言ったこと。実際、その通りだったんだよ。歴代最低の機関誌を作ることがアタシの最終目標だった」
「はは……俺と真逆のことをしようとしてたって事か」
なんでだ。なんでこんな事になってしまったんだ。同じ方向を見て歩いていたと思っていたのに、気がつけば俺たちは対極の位置で向かい合っていた。
「誤算だったのは匠、アンタだけだった。彼女もサークルも変貌して、もっと早くに見切りをつけると思ってた。新歓に参加したあの3人みたいにさ」
「だって……それでも俺はアイツらを信じてたから。一緒に上目指せるような、そんな文創にできると……」
そういう関係になれた琴那という前例があった。だからこそ俺はしがみついてしまったのかもしれない。けど、それについてはコイツにいうことはできなかった。
「そこからの2年間はさー、アタシとアンタの戦いだったんだよね。世界を良き方向に導こうとする善の神と、堕落させようとする悪の神。まるで古代の神話みたいなさ」
大袈裟な例えのように思えるけど、決してそんなことはない。俺にとっても琴那にとっても、文創は世界そのものと言っていい存在だった。
「で、そのハルマゲドンは俺の敗北で終わったわけだな。あの編集会議で……」
去年の秋に機関誌のために書いていた作品を書き上げて以降、俺は小説を書いていない。何度もキーボードに手を置いてみたけど、何かが萎えてしまい一文字も書けずにいた。ただただ、習慣化したメモだけが増えていく。
機関誌のための短編も、きっと日の目を見ることはないだろう。俺もまた、作家としての自分が終わってしまったのだ。いつの間にかはじまったコイツとの戦争にいつの間にか負け、全てを失った。
「そう。アタシの完全勝利……そう思ったんだけどねー」
不意に琴那は手を伸ばし、部屋の隅に置いていたハンドバッグの柄をつかんだ。
俺を頼ってくれなかったんだ。そう言いたいけど、その回答は先ほど突きつけられたばかりだ。
ライバルだから。
でもコイツに負けたくないと思う気持ちと同じくらい、支えたいって思いもあったんだ。恋人としての俺は、コイツにとっては不足だったと言うことか?
いや、実際そうなのだろう。俺とコイツの間にあるのはあくまで、作家志望者としての意識が前提で、真っ当に愛を育む事を怠っていた。
こんなにも脆い関係だったのに、それこそが最良のバランスと誤解していた。
「……だよねえ。やっぱ匠はそう言う顔になるよね」
そんな表情になる必要は全くないのに、琴那はどこか申しわけなさそうな顔をしている。それがやりきれなくて、瞼の裏に涙が溜まっていくのを感じた。
「だって、俺は……お前を、助け……」
「うん。いいよ、わかってる。言ったでしょ? アタシ、観察が得意なの。今の匠の顔が全て物語ってくれているから」
そんなこと言わないでくれ。お前は俺を責めるべきだ。お前が絶望の底にいた時、俺は何もしていなかった。お前に勝つ小説を書くことと、文創を露川世代の頃のように変えることしか頭になかった。その文創こそが、お前の敵だったのに。
いや、まて。
……敵?
その時、俺の中で恐ろしい推測が頭をもたげてきた。
「もしかして、お前が変わったのって……」
小説を書けなくなり、ヤケになった? いや、違う。それなら文創を辞めればいいだけだ。書けなくなった人間が文芸サークルに留まる必要なんかないんだ。まして、自分を陥れた敵ばかりのサークルに。
「復讐、なのか?」
けど、留まること自体に意味があるのだとしたら?
「鋭いねー。それも自分の感情をメモし続けてきた成果なのかな? 同類の思考回路は簡単に推測できちゃう、みたいな?」
同類。自分がもし琴那の立場になった時、同じ事を考えるかはわからない。けど、コイツは絶対にそうするという確信のようなものがあった。
「正直さーアタシに色々やってきた連中を追い出すのは簡単だったんだよ。手前味噌だけどサークル内でも人望ある方だったし、いくらでも味方は作れたと思う」
それはそうだろう。表向きのコイツの振る舞いを見ていればわかる。別に文創の全員がコイツをいじめていたわけではないはずだ。持ち前のコミュ力を活かせば、もっと短絡的な復讐は簡単に出来たはずだ。
「けど、お前はしなかった。お前の標的は、お前を陥れた個人ではなく、文創そのものだった」
事那はうなずいた。
「アイツら追い出したところで何も変わらないもん。憎むべきは文創の空気そのもの。アイツらを追い出したところで、どうせまたすぐ頑張ってる人の足を引っ張る奴が出てくる」
その顔は嫌悪感に満ちていた。
「それにさ、許せなかったの。人が書けなくなって地獄を味わっているのに、ろくに書いてもない奴が浅いところで『産みの苦しみ味わってます』みたいな感じ出しているのがさ!」
滅茶苦茶で独善的な論理。けど、それを俺に否定できるはずもなかった。
「だから決めたの。コイツら全員、アタシと一緒にとことん堕ちてもらおうって。書く時間を減らして、その事を気にやむことすらなくなるくらい、創作への情熱を消してやろうって」
そう話す琴那の顔は笑っていた。そこに俺が知っているものは何もなかった。笑顔ではある。けど、俺と軽口を叩きあっていた頃の笑顔でも、サークルの中心人物として、皆を籠絡してした笑顔でもない。
ただ、悪意のみ。文創に対する憎悪だけが、その笑顔に乗っかっていた。
「笑っちゃったよ。さんざんアタシを貶めてきたや奴もアタシにゲスな事してきた奴も、アタシが手の届くところまで堕ちてきたと確信した途端、手のひら返しちゃってさ。色々あったけど今は仲良しだよね、みたいな顔してやんの!」
コイツの魔性とも言えるコミュ力ならば、そうなるのも当然だった。
「半年もしないうちに文創はアタシの支配下に置かれた。あっけなかったよ。それで準備は整った、藤原世代のね!」
「藤原世代?」
「そ。露川世代の対義語ってところ。あの時代が文創の最盛期だとしたら、アタシらの世代はその逆。歴代文創の恥さらしになるような世代」
「恥さらしって、お前それって……」
「うん。アンタの言葉だよ。あの編集会議で言ったこと。実際、その通りだったんだよ。歴代最低の機関誌を作ることがアタシの最終目標だった」
「はは……俺と真逆のことをしようとしてたって事か」
なんでだ。なんでこんな事になってしまったんだ。同じ方向を見て歩いていたと思っていたのに、気がつけば俺たちは対極の位置で向かい合っていた。
「誤算だったのは匠、アンタだけだった。彼女もサークルも変貌して、もっと早くに見切りをつけると思ってた。新歓に参加したあの3人みたいにさ」
「だって……それでも俺はアイツらを信じてたから。一緒に上目指せるような、そんな文創にできると……」
そういう関係になれた琴那という前例があった。だからこそ俺はしがみついてしまったのかもしれない。けど、それについてはコイツにいうことはできなかった。
「そこからの2年間はさー、アタシとアンタの戦いだったんだよね。世界を良き方向に導こうとする善の神と、堕落させようとする悪の神。まるで古代の神話みたいなさ」
大袈裟な例えのように思えるけど、決してそんなことはない。俺にとっても琴那にとっても、文創は世界そのものと言っていい存在だった。
「で、そのハルマゲドンは俺の敗北で終わったわけだな。あの編集会議で……」
去年の秋に機関誌のために書いていた作品を書き上げて以降、俺は小説を書いていない。何度もキーボードに手を置いてみたけど、何かが萎えてしまい一文字も書けずにいた。ただただ、習慣化したメモだけが増えていく。
機関誌のための短編も、きっと日の目を見ることはないだろう。俺もまた、作家としての自分が終わってしまったのだ。いつの間にかはじまったコイツとの戦争にいつの間にか負け、全てを失った。
「そう。アタシの完全勝利……そう思ったんだけどねー」
不意に琴那は手を伸ばし、部屋の隅に置いていたハンドバッグの柄をつかんだ。