「…刀隠美斗先輩と、各務桃李先輩。2人共3年生」
「『各務』ですか」
「知ってるの?司さん」

眉を上げる彼女に、社長は問いかけた。彼女は「曾祖母から聞いただけですが」と前置きする。

「旧くは『火の神様』だから『火神』と。菅凪先生の『(かんなぎ)』…つまり『巫女』と同系統の名字です。とりわけ『各務』は弥籟刀を守る一族『刀隠』の分家の一つであると。ところで『トウリ』とは『桃李成蹊』の『桃李』ですか?いいですね。おっと。話が逸れました」

自力で軌道修正する姉に、瑤太は「あのさ。お姉ちゃん」と呼びかけた。

「弥籟刀とか刀隠とか、色々ついていけない話が多すぎるよ。俺は少しなら知ってるけど、社長は全然知らないと思う。悪いけど、説明してくれる?」
「そうだね。そこから始めた方が良さそうだね」

彼女は「ごめんごめん」と弟に謝った。

場所は変わって、菅凪教授の研究室に彼女達は集まっていた。彼女が「後できちんと話を聞く」と言った事を律儀に守ったのもある。なお霊術士の卵達の指導役として無関係ではないからと菅凪教授も、社員に只事ではない事態が起こったらしいからと孫江社長も同席すると言い出したので、研究室で話をする事になった。瑤太は彼女の弟なので、言わずもがなである。

「まずそもそも、我々生きた人間の世界と、妖魔が住む幽世の境が曖昧なのが、全ての始まりなんです」

社長にも向けた説明なので、彼女は敬語になっていた。

「我々の世界と幽世を『区切る』為に存在するのが『弥籟刀』です。『斬る』のではなく『区切る』為に存在する神刀霊刀です」
「ですが、弥籟刀は、単独では機能しません」

菅凪教授が口を開いた。

「弥籟刀は『境御前』と呼ばれる付喪神が代々守るもの。しかし、弥籟刀がこの世と幽世を区切る力を十全に発揮する為には、『鞘』と呼ばれる人間の伴侶が必要です」
「代々という事はつまり、境御前がいない、あるいは境御前がいても鞘がいない時代もあったという事ですよね?」

社長の問いかけに菅凪教授は「その通りです」と頷いた。彼女も首肯し「実際、」と難しい顔で言った。

「鞘は誰なのか判別しようが無いと聞いています。家柄や血筋ではないし、能力者や一般人も関係ありません。境御前が鞘と会えるのは、天文学的な確率と言われています」
「そのように不安定な歴史の中、幽世からこの世に出てくる妖魔を幽世へ送り返す、たちが悪い妖魔の場合は滅する役割を持つのが、私達霊術士です」

菅凪教授は美斗に視線を向けた。

「そして、霊術士の筆頭にして、刀隠家の次期当主。境御前と呼ばれる事になるのが、こちらの刀隠美斗君です」
「それで、その鞘…力を発揮する為のパートナーが、うちの社員って事ですか…?」
「はい。一目でわかりました」

きっぱりと言い切る美斗に、社長は深刻な表情で呟く。

「…今更だけど。私、凄い子を自分の所の社員にしたのね」
「私は凄くありませんよ。社長。皆みたいに…普通の霊術士達みたいにこう、妖魔に対して直接術は使えません。『アイギス・シリーズ』みたいに霊術を仕込んだ物を作成するか、もしくは元からある物に霊術を仕込むか、どちらかしかできませんから」
「いや。あそこまでの物を作れるのは、十分凄い事だと思うよ?」

否定する彼女だが、桃李は困惑気味に肯定する。

「君は『それしかできない』のではなく、『器物』に対する霊術に特化しているのだと思う。本性が付喪神である俺にとって、運命だとしか思えない」

美斗はいきなり席を立った。彼女が座る席まで回り込むと、左膝を床について彼女の手を取り、真っ直ぐに彼女を見据えた。

「どうか俺の花嫁になってくれ!」
「無理です」
「即答!?」

彼女と瑤太と美斗以外の声が揃った。瑤太は全てを悟ったようでありつつも「あーあ」と呻きそうな表情を浮かべている。美斗は彼女の手を取ったまま「無理…?」と音だか声だかを出し、ぐらりと卒倒しそうな顔になった。どうやら、多大なショックを受けたらしい。

「もしかして…好きな男がいるのか…?」
「いません」
「ならどうして…」
「結婚の失敗例を身近で見ていますので。2件。いや3件ですか」

彼女は何の感情も交えない顔と声で答えた。

「社長も…もしかしたら菅凪先生もある程度はごぞんじでしょうから言いますけど。『霊具の作者の身元がわかってから』と言っていた以上、既にうちの事情は調べておいでだと思います。我が家の事情が影響しているのは大きいです。何より、刀隠は由緒正しき御大家です。その次期当主にして境御前でしたら、許婚の1人や2人や3人や4人や5人いるのでは?」
「いやそれ流石に多すぎだろお姉ちゃん!ってかいないだろそんなに!」
「これでも真面目に言ってるんだけど」

美斗は音がしそうな勢いで首を横に振る。そんなに首を振って、首の筋を傷めはしないかなあと、彼女はマイペースに心配した。

「いない!許婚は1人もいない!信じてくれ!」
「ええ?本当ですかあ?」
「本当だよ。俺が保証する」

あからさまな疑いの目を向ける彼女に答えたのは、桃李だった。桃李は溜め息をついて、幼馴染を見やる。

「確かに、分家から婚約者をって話は、無い訳じゃ無かったんだ。でも、美斗はこう見えて、ロマンチストな所があるんだよ」

美斗は白皙の頬を僅かに赤らめ、視線を泳がせた。

「その…確かに数は少ないが、鞘を見付ける事ができた先祖はいた。鞘を見付けた先祖達は言っていた。鞘がいれば、一目でわかると。ただひたすら心惹かれ、愛を一生捧げる事ができる唯一無二の相手だと。だから俺も、いつの日か先祖達が言うような伴侶に、鞘に巡り会えるかもしれないと思っていて…」

揺らいでいた眼差しが、彼女に据えられる。

「もし鞘に巡り会えたら、その時に婚約者がいた場合、婚約者の事も鞘の事も悲しませてしまう事になる。だから婚約者を作らないでいたんだ」
「そうだったんですね。ふうん…」

相変わらず何の感情も交えない顔と声で、彼女は美斗の手を静かに離すと、ふと立ち上がった。そのまま研究室のドアへと近付き、勢いよく開け放つ。
どうやら、ドアに耳を付けるという恐ろしく原始的な方法を取っていたらしい。どどどっと盛大な音と共に、ゼミ生全員が部屋に雪崩れ込んできた。彼女に無表情に見下ろされ、ゼミ生達は気まずそうに目を逸らす。
菅凪教授はと言うと、「貴方達ねえ」と呆れ顔で髪を掻き上げた。

「確かに気になるのはわかるし、この部屋に盗聴防止の術式を組んでいたけれど、だからって、こんな子供みたいな事する?」
「これじゃまともに話もできないな…」
「そうですね」

同じく呆れ顔の桃李に、彼女は同調した。