それが総(すべ)てのはじまりで。
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「おい――衛(まもる)!」
突然の友人の暴挙に慌てて叫んだ蒼(あおい)に、衛はぶすくれた顔で見返して来た。
「なに」
「いきなり殴る奴あるか! まだ話してる途中で――って、天科(あましな)さん!? おい、意識飛ばしてるんじゃ……」
「ああ、点穴(てんけつ)を衝いた」
「何の達人だお前! くそっ、ここに放っておいても見つかるの時間の問題になっちまうじゃねえかっ」
「うーん、そうだなあ。取りあえず連れてくか」
「どこにだ!?」
「腹減ったからコンビニでも行こーぜ」
「お前の空腹具合と目の前のこいつ関係させるな!」
「でもこいつに呼ばれた所為でおやつ食えなかったんだし」
「中三にもなっておやつとか言うな! 明日卒業式だぞ!?」
「あ、蒼は答辞? やるんだっけ? 大変だなあ」
「……それはお前の所為でもあんだよ。あー、いいや。どうせもう話になんねえから、お前帰っていいよ。後は俺がどうにかしとくから」
「え、でもぶっ飛ばしたの俺だし」
「今日のに巻き込んだのは俺の方だ。悪かった」
「蒼は悪くねえけど……じゃ、ちょっと頼むわ。なんか食いモン買ってくる」
「……マジで腹減ってんだな、お前」
「うん。じゃーちょっと待ってて。すぐ戻るから」
衛はそのまま部屋を出て行った。
蒼は、衛に腹に一撃喰らわされて失神状態の高等部の理事さんの一人を一目見て、長くため息を吐いた。
「……ただでさえ面倒くせえ奴なのに……」
これで敵視でもされたらどうしよう。
「………」
仕方ない。取りあえず衛を待つか。
蒼は、欠伸を一つ。
今日で中学生は終わりだ。
高校の入学式の日まで、自分たちは少し空白の時間を歩く。
空手有段者である衛は空手部の部長とともに、桜宮(さくらのみや)学園中等部では運動部――内部では文化部の『文部(ぶんぶ)』に対して運動部は『武部(ぶぶ)』と呼ばれている――の代表を務めていた。
衛が進学するのはその、全国的に名の通った私立の名門校、桜宮学園の高等部だった。
通称を桜学(さくがく)という。
世界的にも高名な研究機関を多く抱える『城葉(きば)研究学園都市』の中にある学校の一つだ。
初等部から大学部まであるが、エスカレーター式ではなく、外部内部問わず志願と受験、その合格が必要となる。
初等部から一緒だった神林蒼(かんばやし あおい)や、中学は他のところへ行った蒼の妹の紫(ゆかり)と翠(みどり)も桜学の高等部へ進学する。
それから――と思い出していて、衛は最悪なことまで思い出してしまった。
(……………………あいつも来るんだっけ………)
ストーカーともいうべき行動をしている奴。
今は衛の熱烈な追っかけと化した、前は粗暴な不良として名の通っている草賀帝(くさか みかど)。男子だ。
以前、衛たちの中学校の生徒と問題を起こしやがったので、生徒会長を押し付けられていて口の上手い蒼とともに他校の帝に話をつけに行ったことがある。
――と言っても、蒼は武闘派ではないので、もし暴れるようだったら衛が全部対応するという条件つきで狩りだしたのだ。
そしてまさしく一閃に付された帝は、以来誰彼と喧嘩をすることなく衛しか眼中になくなってしまった。
(……なんであーなったんだろ………)
蒼に頼んで説き伏せてもらえばよかった。
蒼の弁舌は教師も言いくるめるし言い負かす。
桜学は全国区の名門校なので、それなりに偏差値も高い。
暴れてしかいなかった帝の合格は、まさに青天の霹靂――いや、その言い方はあの子に失礼だ。訂正。一言、帝の双子の妹である、尊(みこと)のおかげとしか言いようがない。
草賀尊は、高身長の兄と違って、百四十センチほどしかない。
本人が必死に正確な数字は言うまいとするので、衛も蒼も深くはたずねない。
喧嘩上等のくせに妹は大事にしている帝は、妹が気にしていることを訊き出そうとする輩は拳で黙らせてきた。
……それが暴れん坊になった原因かもしれない……。
尊は悲壮な顔で、衛と蒼に話したことがある。だから、帝の悪評は自分のせいなのだと。いや、そんなん暴れてる帝が悪いよ、と衛は尊に言ったけど。
尊は医学に興味を持っていた。両親とも医者や医学の研究者で、更に毎日怪我をして帰る帝のために手当の方法を学んでいくうちに、医師という仕事に魅せられたそうだ。
……帝の喧嘩理由が、いつだって弱い者を護るためだったことは、尊も衛も蒼も知っている。
衛の学校の生徒が、他校の生徒と諍いになっていたときも、帝は負けていた他校に加担しようとした、それが事実であるとも。
事実であると承知していたので、衛は帝の許へ向かう前に、喧嘩しやがった学友たちから謝罪の言葉も引き出していた。
(……あ、そうだ。翠が、流(ながれ)もくるって言っていたっけ)
蒼の上の妹の紫は、小学校時代にスカウトされて雑誌でモデルをやっている。
スラリと手足の長いスタイルに、雪国で育ったような白い肌。流れるような黒髪に、柔らかい眼差しの紫は、今や女子中高生の憧れの存在だった。
……その紫が超重度のブラコンだと知る者は少ない。
作樹流(たつき ながれ)は紫の同い年のモデル仲間だそうだが、紫に仲間以上の感情があるようだ。
蒼たちの家である孤児施設、サクラ聖堂で何回か逢ったことがあるが、いつも紫のことを見ていた。
あまり勉強は得意ではないらしいが、帝同じく紫への執着か、流も桜学への入学が決まっている。
今のところ、衛がクラスメイトになると知っているのはこのくらいだ。
――同学年、ではなく、クラスメイト。
一組から十組まで、漢数字で分けられる学年の中のクラスだが、一組だけ『Pクラス』と呼ばれるクラスがあった。
十一番目のクラスだ。
学内では『ポイズン』の『P』だと囁かれるそのクラスは、問題児を集めておくような扱いのクラス、だった。
今年度までは。
Pクラスの現統括者は、理事の一人であり、城葉都市にも深く食い込む、学問研究、学徒の養育・援助に強みのある財政グループ、天科グループの若き総帥、天科全(あましな ぜん)。
蒼と衛は、入学式の準備で早上がりとなっていた昨日、天科全に逢いに行っていた。
その折、『Pクラス』の本当の意味は聞いていた。
それには二人とも、大して感慨も感想もなかった。
しかし、天科がPクラスで企んでいることについて、二人が考え込んでいるのは事実だった。
卒業式、押し付けられ生徒会長最後の仕事、答辞をしているときの蒼はさすがに冷静だったが、まだ天科に対する考えがまとまっていないのが衛にはわかった。
伊達にあの仏頂面の友人やっていない。
衛も蒼も、中学も桜学だから、高等部への進学は決められたことのように選んだ進路だった。
ふと、携帯電話の着信音が響いた。
考え事をするとき逆立ちの格好がいい衛は、今も自分の部屋で壁倒立していた。
蒼には、「お前よくわかんねえ思考回路だなあ」と言われたことがある。
足を下ろして、ベッドに投げ出された電話を取る。あれ? 見たことのない番号……もしかして。
「もしもしー?」
『衛、今いいか?』
「あ、やっぱ蒼か。何? 番号、ケータイじゃん」
蒼は、携帯電話は持っていなかったはずだ。衛はベッドを椅子代わりにする。
『あー、みんなから渡された。一応俺、中等部出たら恋(れん)のとこ行くってなってるから、これで毎日聖堂に電話しろって』
「なるほどねー。いいの? ブラコン妹たちに先に電話しないで」
『……紫と翠に渡された』
渡す現場にいたのか。と言うことは、その場で紫と翠は電話済なんだろう。
『つーかブラコンって言うな。体裁悪いから』
「体裁気にする中学生なんてなんか嫌だけどな。それに、蒼の弟妹は全部ブラコンじゃんか」
『………』
蒼、閉口。
事実だ。
「用事はなん? 天科のこと?」
『……ああ』
「どこにいんの? 近く?」
『コンビニ行くつって来た』
「わかった。そのままうち向かってきて。こっちからも行くから。夕飯は?」
『食って来た』
「そっか。じゃーちょっと待ちながら歩いてて」
『……悪いな』
「ピザまん一個でいいよー」
『……昨日も食ってたじゃねえか』
「コンビニいんだろ? ついで。それに昨日は天科もいたから食った気しなかったし」
『……腹殴って連れ出したお前が胃液吐きそうな人間に肉まん押し付けるの見て意味わかんなかった』
「え? 嫌がらせだけど? あんまんのが良かった?」
『種類の問題じゃねえよ』
冷静なツッコミが入った。じゃーすぐ行くから、と衛は電話を切る。
蒼のケータイの番号の登録をして……階段を降りて、玄関までの途中にある一階のリビングに声をかけてから玄関へ向かう。