カルケル。

 目を覚ました男は、そう名乗った。奇しくも、この国の第一王子と同じ名前である。

 いくらリュンヌが茨の森に住んでいるといっても、自国の王子の名前くらい知っている。

 祖母から、修行の身である以上は、あまり王都へ行かないようにと言いつけられていたので、把握しているのは、本にまでなっている国王夫妻の恋物語と、その後生まれた二人の王子の名前くらいだったが。

(でもまさか、王子様がこんなところに来るわけないわ!)
 
 出会い頭に箒を突きつけたり、変態扱いしたり、後ろからどついて気絶させ……たのはランたんだが……――とにかくまぁ、色々してしまった。

 相手が王子様だったら、自分の身が危ういのではないかと、リュンヌは冷や汗を流す。

「お、王子様と、同じ名前なのね」
 
 内心の動揺を隠せなかったリュンヌの声は、わざとらしいほどの棒読みになってしまったが、男はそれを指摘したりはしなかった。

 ただ、冗談も通じなさそうな真面目な顔で、リュンヌにとってはトドメになるかもしれない一言を放った。

「同じ名前もなにも……俺が、カルケル・レシ・コントドーフェ本人だからな」

 出来れば外れて欲しかった。
 けれど、物事はそうそう上手くは行かない。
 リュンヌは、この男にやらかした、あれやこれやを思い出し、声にならない悲鳴を上げる。

(どうしよう、ばば様。私達、王子様をどついたり、床に転がしたりしちゃった!)

 かくなる上は……と、リュンヌは素早い動きでその場にひれ伏した。

「どうか、数々のご無礼、お許し下さい王子様!!」
「――え? お、おい……!」

 戸惑った声が上から降ってくる。
 ついでに、ドサッドササっとリュンヌの背中に灰の塊が降ってきた。
 
(お、重い……!)

 よもやこれは、王子の怒りの重さだろうかと、リュンヌはさらに冷や汗をかく。

「 うぐぐ……お、お許しを……!」
「許す! 許すから、顔を上げて立ってくれ……!」

 だが、床に片膝をついてリュンヌを立ち上がらせようと手を伸ばしてきた男は、予想に反してとても慌てた顔をしていた。

 ばさばさと、リュンヌの背中に積もった灰まで払ってくれる。

「……俺なんて、しょせんは名ばかりの王子だ。特別へりくだる必要なんて、無い」
「いえ、そういうわけには……」
「普通に話してくれ。先ほどまでと、同じように」
「え~……」
「頼む」

 両手を握りしめられ、本当に悲しそうに訴えられると、なんだか自分が間違ったことをしている気分になる。

 今のへりくだった態度こそ正しいはずなのに、だ。

「……怒りませんか?」
「……怒ったりするものか」
「あとから、“不敬だぞ殺す!”……なんて事、言い出しませんか?」
「……君は、王族をどんな目で見ているんだ。……民をいたずらに傷つけたりはしない、約束する」
「……だったら、……わかりました……じゃなくて、わかったわ。さっきみたいに話す」
「――ありがとう……!」

 嬉しそうに、カルケル王子の口元がほころんだ。
 リュンヌはその笑顔に少しだけ見とれ、けれどすぐに我に返って胸中で呟いた。

(なんだか……変な王子様……)

 灰に呪われながらも、とびきり綺麗な顔の王子様。けれども、中身はなんだかとっても変だ。

どの本にも、こんなにも変わった王子様は出てこなかった。

 リュンヌは、自分の両手をしっかりと握りしめている王子を見る。
 また感情が大きく動いたのか……――彼は、バサバサと派手に灰を降らせた。

 思わず、二人は顔を見合わせる。

「……すまない」
「…………物置に、ばば様が作った、呪いの効果を抑える道具があったと思うから、探してみるわ」
「……そんな物があるのか……!?」
「ばば様は、この国一番の魔法使いと言われた人よ? そして、この茨の森は、ばば様の住まい。便利道具の一つや二つ、あるに決まってるでしょう」

 ふふん、とリュンヌはちょっと自慢気に胸を張る。
 すると、カルケルは「そうだな」と深く頷く。

「……素直に受け止められると、困るんだけど……」
「だが、事実だ。あの魔女殿の高名は、王都でも広く知れ渡っている。そして、君は茨の森の魔女の弟子……なのだろう?」
「……そうね」
「――君では、駄目なのか? 君は、呪いを解けないのか?」
「私!?」

 思ってもみなかった事を言われて、リュンヌは素っ頓狂な声を上げてしまった。

「わ、私は駄目よ!」
「どうして?」
「だって、ばば様を差し置いて、そんな…………」
「……正直に言うと……、君の祖母である魔女殿は、一度俺の解呪に失敗している」
「…………え?」

 聞き間違いかと、リュンヌはカルケルを見た。
 
「これでも、一国の王子だ。国中の魔法使いを集めて、解呪を試みたが……」

 床を見つめながら、カルケルは過去を思い出すように語った。
 誰も、この呪いを解けなかったと。

「この呪いを,最初に確認したのは、茨の森の魔女……君の祖母だ。けれど、解呪する事無く放置した。その後、沢山の魔法使いを集めたが、皆答えは同じ。“茨の森の魔女殿が解けなかったのならば、我らが束になっても、この呪いは解けません”……だと」
「だったら、どうして来たの?」
「言っただろう、俺を持て余した父上……王からの、命令だ」

 ふっ、とカルケルは唇を片方だけ持ち上げ、皮肉るような笑みを浮かべる。

「呪いを解く手立てを見つけられなかった魔女殿の元へ行き、助力を得られるまで帰ってくるな……その上、当の魔女殿は不在。これを、父達が知らなかったとは思えない……、体のいい厄介払いだと思わないか?」
「…………」

 事実は、どうだかわからない。
 けれど、カルケルは自分の考えこそ正しいと信じ、疑っていないようだった。

 先ほどから、どこか煤けたように見えるのは、灰をかぶっているからだけではない、彼の気持ちが卑屈になっているから、雰囲気にも現れているのだ。

 けれど、森で灰を降らせたり、こうしてリュンヌに『呪いを解けないか』と聞いてくるあたり、カルケル自身もまだ、心のどこかで足掻いているのだ。

 もしも、この呪いが解けたら、そうしたら家族も……。そんな風に考えているのかもしれない。

 ――もう諦めた。

 そんな風に見せかけて、その実“希望”を求めている王子様。

 物語の王子様はみんな、誰かを救う役だった。
 けれど、王子様だって、たまには助けを求めたっていいだろう。

(……うん)

 リュンヌは、一つ思いつき、ぱんっと両手を合わせた。
 その音にハッとしたカルケルは、ばつが悪そうに俯いた。

「すまない……。君にとっては、どうでもいい事だな。つまらない話をして、悪かった」
「誰がつまらないなんていったのよ! ねぇ、ちょっと、顔を上げて、話を聞いて!」
「!! す、すまないが……あまり、俺に近付かないでもらいたいんだが……」

 リュンヌが近付けば、カルケルは慌てて距離を取る。
 たかが数歩分だが、近付けばカルケルが同じ分だけ距離を空ける。

「……ちょっと、失礼ね」
「すまない……、だが、俺だって君を灰塗れにはしたくない」
「…………。呪いを解きたい、のよね?」
「…………忘れてくれ」
「駄目よ。忘れない。……ばば様がいないからって追い返したら、茨の森の魔女の名が廃るじゃない。よって……私が貴方の呪いを研究するわ」

 なに……? とカルケルが低い声で呟いた。

「ばば様にかわって、私が貴方に力を貸すって言ってるの。お城に戻れないなら、手立てが見つかるまで、ここで暮らすといいわ。部屋は余っているから、遠慮は無用よ」

 にんまりと、リュンヌは笑う。

「そのかわり、貴方も私に力を貸して」
「……君に? 俺が……? ……俺に、何かできる事があるとは思えないが……」
「簡単よ。――私と、恋に落ちて欲しいの」

 あんぐりと大きな口を開けて固まったカルケル。その王子様とは思えない仕草に、リュンヌは声を上げて笑ってしまう。

「さぁ、どうする王子様?」
「……君と、恋に? 馬鹿馬鹿しい、どうしてそんな事を」
「恋をしてみたいの。いいえ、恋をしないといけないの。私にとって、恋をしない人生なんて、死んだも同然なのよ」
「……理解に苦しむ」
「嫌なの?」
「……勘違いはしないでくれ、君を悪く言うつもりはない。ただ……なにも、こんな灰かぶりを、恋の相手に選ぶ事はないのにと……そう思ってしまって」

 ぼそぼそと呟くカルケルは、困っているようだった。
 けれども、嫌だと即答しないという事は、迷っているという事だ。
 
「お試しでいいの。必要以上に無理をしなくてもいいの。ただ、私は恋をしたいだけ。出来れば、思い思われる恋を。そのかわり、私は貴方に誠意を尽くすわ」
「…………わかった」

 沈黙の後、カルケルは掠れた声で返事をした。

「君の恋の相手……、カルケル・レシ・コントドーフェが、謹んで勤めさせていただこう」

 灰かぶりの王子様は、リュンヌに向かって優雅な一礼をしてみせた。

 ――冷静そのもの、という顔をしていたのだが……大量に降ってきた灰が、彼の動揺を物語っていた。