灰かぶり王子と薄紅の魔女

 
 夕刻。
 黄昏色に染まる城内で、フラムは飛び込んできた一報に奥歯を噛みしめた。

 ――城下で、騒ぎが起きた。平民同士の揉め事だったが、双方魔法使いだったようだ。言い争いの果てに、絡まれていた一組の男女が、絡んできた四人に対し大量の灰を降らせ逃亡した。実害はなかったものの、居住区での魔法の使用は厳重注意として、魔法組合に通達を出すべし。

 ひそひそ交わされていた言葉をまとめれば、こういうことだ。

 たかだか小競り合い、普段ならばさして固執しない内容だったが、灰を降らせたという一言が、いやに気にかかった。

 わざわざ灰を降らせるような人間など、フラムは一人しかしらないから。

(……兄上……)

 今は、不気味なくらい大人しくしている兄王子。

 城内から消えても、誰も気にしない程度に印象の無い男ではあるが、あれがどれほど恐ろしい存在か……。
 自分だけが、真実を知っているのだと、フラムは無意識に拳を握った。

 その背後に、薄紅色の髪の女が影のように寄り添う。

「なにか心配事でも、あって? 王子様?」
「……兄上め……とうとう、本性を現したぞ。……民の住まう場所で、灰を降らせた」
「まぁ、王子様。あの灰かぶり王子とは限らないでしょう?」
「王都で灰を降らせるのは、あの男だけだろう。……何せあの男の呪いは……!」

 ほっそりとした人差し指が、それ以上口にするなと制するように、フラムの唇に添えられた。

「いけませんよ、王子様」
「……あっ……あぁ、すまない。つい、熱くなってしまった」
「国を思えばこそだと、わかっておりますわ。……まこと、貴方は王に相応しい方」

 女はしとやかに微笑んだ。

「国を守る事が、王家の責務だからな。……性根を腐らせた兄は、その事実を忘れたのだ」

 灰を降らせるという呪いを放置し、肥大化させ――十八の誕生日に発動する、国沈めの呪いを待っているのだ。

 この国を、滅ぼすために。
 
 フラムは、己だけが知る事実を胸中で苦々しく吐き出す。
 
「……煩わしいものは、消してしまうのがよろしいかと……」

 そっと、女が耳打ちする。

 蜜のように甘く蕩けるような声は、フラムのなかにじわじわとしみこみ、頭の中にある芯すら、どろどろにしていくような――そんな錯覚は一瞬のうちに沈み込み、フラムは夢うつつの双眸を女に向け、頷いた。

「……あぁ、そうだな……」
「そうなさいませ、王たるに相応しい王子様」
「――あぁ……あぁ……そうしよう……お前の言う通りに……」
「うふふふ……――かわいいかわいい、王子様(おにんぎょう)……」


 リュンヌとカルケルは、決意新たに朝を迎えたが、最大の問題に直面した。

「……あの人がどこにいるか、ばば様も分からなかったのよ」

 通称、野茨の魔女と呼ばれている彼女は今どこにいるのか。
 茨の森の魔女ですら掴めなかったのだ。

 ――もちろん、茨の森の魔女は力が衰えていた……という事もあるが、野茨の実力は本物なのだ。

「……よし、わかった」

 顔を突き合わせ悩んでいた二人だったが、不意にカルケルが椅子から立ち上がった。

「散歩しよう」
「……え?」
「煮詰まったときは、気分転換がいいとされている。……俺は、きちんと外套を着ていくから、近くを歩くだけなら、問題は無い……と思うのだが」
「…………」

 リュンヌがじっと見ていると、カルケルの顔がだんだん赤くなる。

 とうとう、熟した果物のようになった彼は、フードをついと引っ張って俯いてしまった。

「……一緒に、こ、恋人らしい事をしないかと、誘っているんだが……どうだろうか……」

 ぼそぼそとつけたされた一言で、リュンヌはようやくカルケルの意図をと察し、負けず劣らず真っ赤な顔になった。

「そ、そうだね……さ、散歩しようか」

 そわそわと立ち上がると、フードの奥でカルケルの瞳が輝き、ぱらぱらと灰が降ってくる。

「で、では行こう」

 差し出された手を取ると、懐かしさとくすぐったさを感じる。
 ずっと昔も、こうして手を引いてもらった。

「あ、ランたん」

 玄関に先回りしていたリュンヌの相棒は、行ってらっしゃいとでもいうように扉を開ける。

「ランたんも行く?」

 カボチャお化けは、くるくると勢いよく首を横に回転させた。

「……行かないってことね。なにも、そんなに熱心に嫌がらなくてもいいのに……」
「今のは、拒否だったのか?」
「うん。思い切り、頭を横に回してるでしょ? これは、“絶対行かない、死んでも嫌だ”っていう、ランたん最大級の拒絶」

 リュンヌが言ったことを、ふんふんと聞いていたカルケルだが、視線はランたんに注がれたままだ。

 ランたんも頭の回転を止めて、じっとカルケルを見ている……――気がする。

「どうしたの?」

 なにやら、ただならぬ物を感じたリュンヌが、つんつんと手を引くと、カルケルはふと目尻を下げて微笑む。

「……いや。――では、ランたん。俺達は散歩してくる。……君の大事な魔女殿をお借りするよ」

 ――途端。ランたんがふわりと高く飛び上がり、高速で毛糸の手を回転させたかと思うとカルケルの頭を叩いた。

「ランたん!?」

 どちらかというと、今までカルケルには友好的だった相棒の行動に、リュンヌの口から悲鳴が上がる。

 しかし、ランたんは止まらない。それどころか、リュンヌの方へぐりんと顔を回転させると……――。

「なんで私まで!?」

 なぜか、ペシペシペシペシとリュンヌの頭も叩いてきた。
 こうして二人は、館から追い立てられるように外に出る。

「お、覚えてなさいよランたん! 絶対にスープの具にしてやる! 今日という今日は、ことこと煮込んだ、とろーりカボチャスープにしてやるんだからね! 頭洗って待ってなさい!」
 
 捨て台詞を吐くリュンヌを無視して、バタンと扉が閉まった。

「もう、なんなのよランたんったら! 急に機嫌が悪くなるんだから……! ……もしかして、心配かけたこと、怒ってるのかしら……?」
「いや。……多分、俺が怒らせたんだろう」
「カルケルが?」
「あぁ。……どうやらランたんは、君の事がとても大切なようだから」

 意味深に笑うカルケルに、リュンヌは渋い顔を作った。

「ん~……頼りない奴だと思ってるだろうけど……大切は、どうかな? ランたんは、ばば様が私にくれた使い魔だから、お目付役を担っている節はあるけど」
「そうなのか?  ……そういえば、言っていたな。自分は、茨の森の魔女の、最後の魔法だと」
「へ? 誰が?」
「誰って……ランたんが、だが……」

 カルケルは、きょとんとした顔をしている。なぜリュンヌが訝しんでいるのか、わからないといった風に。

「ま、待って! 今、さらっと言ってたけど……! ねぇ、カルケル……ランたんって、もしかして、しゃべれるの?」

 一歩カルケルの前に出たリュンヌは、通せんぼするように足止めをして、たった今自分が聞いた発言の真意を確認する。

 どちらかというと、嘘だと言って貰いたかったが――生真面目な王子様は、誠実そのものといった顔で、神妙に頷いて見せた。

「え? あ、ああ……君が倒れたときに、初めて声を聞いたが……流ちょうに話していたぞ」
「……あ、あの……」

 リュンヌの体がブルブル震える。

「魔女殿?」
「あのっ、カボチャ頭ぁっ……! 今まで私が何を聞いたって、自分は話せませんから~みたいな態度とり続けたくせに!」
「……まさか、君も知らなかったのか?」

 “なにを”とは言われなかったが、言葉を濁されたとしても話の流れで推察できる。

 リュンヌは、今初めて知った使い魔の真実に、怒りと悔しさがない交ぜになった感情がこみ上げてくる。

 のしのしと、歩き方にも怒りが表れる。

「……待て、魔女殿、落ち着け」

 後を追いかけてきたカルケルに、なだめるように声をかけられた。

 あっと言う間に隣に並んだ王子様に、リュンヌは「知らなかった」とこぼす。

「だって見てたでしょ? ランたんが、私の前で喋った事、あった?」
「……ないな。――だから、俺も彼女が話せるとは知らなかった。てっきり、人前では話さないという約束事があったのだと思っていたんだが……」
「彼女?」
「あぁ、ランたんだ。昨日の声を聞いた限りの推測になるが、声質からランたんは女性だと思ったんだが……」
 
 違うのかと問われても、リュンヌは答えられない。
 なにせ、呼び出したのは、ばば様こと茨の森の魔女。加えて、意思疎通はこれまで全て動作で行ってきたのだ。女性の声といわれても想像がつかない。

「帰ったら、聞いてみたらどうだろう……?」

 悔しがるリュンヌの姿を見て、気の毒に思ったのかカルケルが提案する。

「……ランたん、答えると思う? すぐ手が出る性格なのよ? ……たまに頭も出るけど」

 カボチャの頭突きは痛いとぼやけば、リュンヌの隣を歩いていたカルケルが吹き出した。

「……君たちは、仲が良いな」
「どこが? 私に隠し事するような、不届きカボチャよ? 金輪際、知るもんですか」
「――多分、あれは不可抗力だ。もしも、君の身に何も起こらなければ、ランたんは、俺の前では決して言葉を発しなかっただろう」

 そうかな、とリュンヌが呟けば、そうだと肯定の返事が返ってくる。

「ランたんは、君のことがとにかく大事なようだからな。……緊急事態だったんだ」

 俺もびっくりしたと呟かれ、視線を上げればカルケルが少しだけ心配そうな眼差しで見下ろしてくる。

「足はもう、大丈夫なのか?」
「うん。呪いは大人しいみたい」
「……無理は、しないでくれ」
「しないわよ。……カルケルは、心配性なの?」

 リュンヌが、少しからかうような口調で尋ねると、カルケルが憮然とした面持ちになる。

「そんなんじゃない。――君だけだ」
「……私?」
「あぁ。君限定だ、こんな風に色々と気になるのは」
「…………あ、そう――」

 聞かなければよかった、とリュンヌは顔を覆う。
 耳まで赤いだろう自分の顔はとてもではないが見せられない。

 しかし、無自覚な王子様は照れているのが丸わかりのリュンヌを見て、自分の発言の大胆さに気が付いたらしい、突然言葉に詰まったかと思うと、灰が降り――。

 リュンヌが指の隙間からのぞいた顔は、同じくらい真っ赤になっていた。
 互いに目を合わせて、笑ってしまう。

 そしてどちらともなく手を繋ぐと、二人は今度は穏やかに森を歩き始めた。

 

 束の間考え事から解放され、散策してきた二人は、館に戻ってきた。

 そして、門をくぐったとき、リュンヌはあるものを目にとめた。
 草陰の中で光を反射し、きらりと光った物。

 何だろうと、まじまじと確認する前に、それを持った人間が草の間だから飛び出してきた。

「反逆者め! 覚悟しろ!」

 自分が目にした光る物が、短剣だった事。
 そして、短剣は迷いなくカルケルに向けられている事。

 この二つを目にしたリュンヌの体は、自然に動いていた。

「危ないカルケル!」
「――おいっ……!」

 フードを被っているせいで、視界が狭まっているカルケルが、真横から飛び出してきた気配に気付いて動いたのは、声が響いた直後。

 リュンヌはその前に、体を投げ出していた。

「痛っ……!」

 腕に、鋭い痛みを感じた。

 すっと線が入るような、嫌な痛みの後には、ぐっと熱のような感覚が広がる。

 ぽたぽた、と地面に落ちたのが自分の血だと理解した時、リュンヌはすでにカルケルの腕の中にいて、短剣を向けてきた男はカルケルに殴り飛ばされていた。

「魔女殿、怪我を……!」
「た、たいしたことない……」
「そんなわけがあるか! 血が出ているじゃないか……っ、この男……!」

 ばさ、ばさ。
 灰が大量に降る気配がする。
 殴られた男は、蔑むような目をカルケルに向けた。

「忌まわしい“国沈めの呪い”め! 国を滅ぼす、大罪人がっ……!」

 ぴたりとカルケルの動きが止まる。
 リュンヌも、男の言葉に目を丸くした。

「国沈め……?」
「……何も知らないで、この男を庇ったのか? この男は、自らの呪いを利用し、この国を沈める気なんだ! 十八の誕生日までに殺さなければ、この男が降らせる灰で、国は沈んでしまうんだぞ!」
「……黙れ……」

 カルケルの声が、震える。

「――デタラメを言うな」
「だから、早急に殺してしまえと命が出たのだ!」
「黙れ……!」

 カルケルが、叫ぶ。同時に、彼の手が動いた。
 男を殴ろうとした手は、振り上げられた直後で止まる。

「だめよ、カルケル!」
「……魔女殿……」

 我に返ったカルケルが、腕を下ろそうとした。しかし、男が嫌悪に満ちた声を荒らげた。

「魔女だと……? 貴様が、反逆者を庇う、薄汚い魔女か……! 恥を知れ!」

 それが、カルケルの怒りの限界だったのかもしれない。
 一度は冷静さを取り戻した双眸が、カッと見開かれた。

 今度は大声を出すこともなく、男の上に灰が降る。
 リュンヌは慌てて杖で灰を寄せようとした。しかし、カルケルが阻むように抱きしめる。

「カルケル、離して!」
「――っ」

 そこに仇でもいるような形相で、カルケルは灰の山を睨んでいた。
 こんなに怖い顔の彼なんて、初めて見た。

 ――いいえ、とリュンヌは思い直す。

 あの四人組に絡まれたときも、カルケルはこんな顔をしていなかっただろか?

「カルケル、落ち着いて! 私は大丈夫だから! カルケル……!?」

 あの時、彼は自制が効かなかったと言っていた。
 ――ならばこれも……。

(怒りで自制が効かない状態……つまり、切れちゃったって事じゃないの!)

 あの四人は、灰に埋まろうが魔法で脱する事が出来た。

 しかし、今ここにいる男は、魔法使いではない。どんどん積もる灰をどうにかするなんて無理に決まっているのに、カルケルの怒りは収まらない。

「カルケル、やめて!」
「この男は、君を害したばかりか、侮辱したんだぞ!」
「そんなのいいから!」
「っ! 良いわけが、あるか!」

 取り返しがつかない事になる前に、リュンヌは叫んだ。

「いいんだってば! カルケルが人を傷つけたって後悔するより、ずっとずっとマシなんだから!」
「――……なっ……」

 根が優しい王子様は、後で絶対に後悔する。
 なによりも、取り返しがつかない事態を招けば、その傷は一生癒えないだろう。

『そうですね。この子の言う通り。……カルケル王子、貴方は手を汚すべきではない』

 リュンヌの言葉を肯定する、声がした。
 同時に、積もった灰がぐんぐんと減っていく。

 開け放たれた館の扉の前。

 そこに浮かんでいるカボチャお化けがぱっくりと口を開け、灰を吸い込んでいた。

「ランたん……!」
『全く、手間のかかる子供達です』
 
 ペロリと灰を平らげたカボチャお化けは、ふわふわ浮いたまま近付いてきて……――。

「う、うぅ……ここは……」
『そぉー……れっ!』
「ふごっ!? ――」

 灰に埋もれ気絶していたのだろう男。
 目を覚ましたばかりの彼に、思い切り頭突きを食らわせた。

 当然、相手は気絶する。

「ら、ランたん……なんて事を……」
『ふん。これくらいで済んで、感謝して欲しいくらいですよ。本当だったら、八つ裂きにしてやりたいくらいなんですから』

 つん、と澄ました返事が返ってくるが、内容が怖い。
 怯えるリュンヌに、カボチャお化けは近付いてくる。そして、毛糸で出来た手を傷口の上で振った。

「……あ」

 二度、三度と繰り返されると、血が止まり、傷口が塞がってくる。

『……ふぅ、今の力だと、これくらいが限度ですね。完全に治ってはいませんが、その程度ならば痕は残らないでしょう』
「…………」

 額を拭う真似をするランたんに、リュンヌは複雑な表情で視線を向けた。

「……ありがとう。……でも、本当にペラペラ喋れるのね……。それに、怪我まで治せるなんて……ランたんって、本当にただの使い魔なの?」
『…………』

 くりん、とカボチャお化けは一回転した。

「ランたん?」

 リュンヌが声をかけると、ランたんはわざとらしくカボチャ頭に毛糸の手を当てて、首をかしげる仕草をしてみせた。

 長年の付き合いから、これが「何言ってるかわからなぁ~い」という意味だと察したリュンヌは、眉をつり上げる。

「はぁ? 何でいきなり黙るの? 喋りなさいよ! この人のことも、気絶させちゃうし……! もう、なんなのよ、この人もランたんも!」
『待ちなさい。こんな男と同列扱いは、さすがに不愉快ですよ』

 もう話すつもりはないという風体だったランたんが、あっさりと抗議の声を上げた。

 そして、パカッと口を開くと――気絶している男を吸い込んだ。
 明らかに容量を無視した行為だというのに、男の体は難なく飲み込まれ――突っかかりもなく、するんと消えた。

「ら、ランたんが……人を食べちゃった」
『食べていません。しかるべき場所に、送り返して差し上げただけです』
「……しかるべき場所、だと?」

 カルケルが、初めて声を発する。 
 真っ青な、顔で。

『えぇ。賢い王子様ならば、お気づきでしょう? 今の無礼な男が、どこからの差し金か』
「……っ」
『まずは、中にお入りなさい。……温かいお茶でも飲みながら、お話ししましょう? なにせ、頭を悩ませていた事柄の、打開策が見つかったのですから』

 ふわり、ふわり、カボチャお化けの動きは軽い。早く来いと言い残し、さっさと館の中に消えていく。
 リュンヌは立ち尽くしているカルケルに声をかけた。

「……カルケル」
「……すまない。俺は、また……」

 ぴくりと震えるその様子は、出会ったばかりの……いや、再会したばかりの頃のようだ。

「ね、カルケル、中に入ろう?」
「……俺は……」
「カルケル?」
「……俺は、君に……こんな怪我をさせるくらいな……呪いなんて……」
 
 青ざめた顔で、まとまらない事を話す様子は、彼の混乱を物語る。
 ひどく動揺しているカルケルの手を、リュンヌはぎゅっと握りしめた。

「そんな事言わないで、カルケル」
「……だが、君に怪我を……! それに、ランたんが来てくれなければ、俺は……俺はきっと、君まで巻き添えにして……」
「カルケルは、そんなことしないわ」

 リュンヌは見ていた。
 自分の言葉で、カルケルが我に返ったことを。灰の勢いが、弱まったことを。

 ――カルケルは、人を傷つけたりしない。そんなこと、出来ない。
 
「貴方が自分を信じられないっていうなら、私がずっと見ていてあげる。そして、最後に“ほらね、言ったとおりでしょ”って証明してあげる。だから、悲しい事は言わないで、私の王子様」
「……っ……」

 いつだって、呪いに振り回されたとき、カルケルは迷子のような目をする。
 けれど、リュンヌの言葉を聞いたとき、彼の目は迷子のそれではなくなった。

 ようやく、帰る場所を見つけられた……――そんな、安堵が入り交じったものへと変化して……こくりと一回、頭が動く。

 声こそ発されることはなかったが、リュンヌの体に回された腕の強さが、答えを雄弁に物語っていた。


 

『――ちょっと。いつまで待たせるつもりですか?』

 抱き合っていた二人に、チクリと刺すような声が投げかけられる。
 ランたんが、開けっぱなしだった扉から頭だけ出し、じっと様子をうかがっていた。
 
「らららららららっ!」
『いきなり歌い出さないで下さい』
「違うわよ! なんで歌わないといけないのよ、この状況で!」
『あなたの照れ隠しは、大変分かりやすく豪快ですから。今回もそうなのかと』
「~~いつから見てたのよ!」

 カボチャお化けは、『ふ~』と人間くさい仕草でため息をつく。

『いつまでも来ないから、様子を見に来ただけです。ほら、さっさと中に入りなさい』
「~~ランたんの、バカ!」

 真っ赤になったリュンヌが走り抜けるのを見送ったランたんは、一言。

『それは、完全な八つ当たりですね、小さな魔女さん』

 その声は、リュンヌには届かなかったが、一歩遅れたカルケルは確かに聞いた。

笑みを含んだ、優しげな声。
 ありったけの愛しさを込めれば、こんな声になるのかも知れないと思わせるような、愛情深さがうかがえる声音。

 思わず足を止めたカルケルに、カボチャお化けの頭がぐるんと向けられた。

『……王子様』

 声は、一転して険しい。

『うちの小さな魔女さんと、イチャイチャするのは結構ですが……、これ以上は許しませんよ』
「こ、これ以上……だと?」
『ええ。これ以上、です。……この一件が片付くまでは、手を繋ぐのと抱きしめること以外、すべて禁止です』
「……待て。なぜお前がそこまで口を出してくる?」

 わりと真剣に、カルケルは問い返した。
 するとランたんは答えずに、ひゅるりと踵を返す。

「おい、ランたん……!」
『お早く、王子様』

 大事な話を始めましょう。
 カボチャお化けは、落ち着いた女性の声で、そう囁いた。


 ◆◆◆


 リュンヌとカルケルがテーブルに着くと、ランたんがテーブルの真上に浮き上がる。

 二人の視線を集めたカボチャお化けは、上々とでもいう風に頷いて、くるくると一回転した。

『さてさて、それでは始めましょうか。まぁ、答えは明白ですけれど』

 カボチャお化けは、ピタリと停止し、今度は頭を左右にこくりこくりと振り始める。

「ランたん。なんなの、あの迷惑な人」
『お馬鹿さんですか? あれは、王家の刺客でしょう。王子様を反逆者として殺そうとしていたではありませんか』
「こ、こら!」

 言葉を全く選ばないランたんに、リュンヌの方が冷や汗をかいてたしなめる。

 繊細な問題に触れているというのに、当のランたんの言い方は非常に直接的で配慮というものが著しくかけていた。

『いまさら誤魔化しても仕方がありません。あぁ、王子様、灰を降らせるのは堪えなさい。話は、ここからなんですから』

 カボチャお化けのチクリとした一言に、カルケルは気分を害する様子を見せなかった。

 それどころか、しっかりと頷き返す。
 もっと気落ちして、延々鬱々と自身を責めるかもしれないと心配していたのだが……彼はしっかり顔を上げて前を向こうとしている。

「――魔女殿、大丈夫だ。……大丈夫」

 リュンヌの顔には、心配という文字が分かりやすく書いてあったらしい。
 カルケルと視線が合うと、彼は眉尻を下げて笑って見せた。

「俺は、君の王子様なんだからな」
「……――うん」
『はい、いちゃつき禁止』

 ぺしぺしっと、二人の頭が毛糸の手で叩かれる。

「ランたん。お前は、なんというか……あれか? 小姑なのか?」
『ふん。人の話を無視して、違う方向に盛り上がるからですよ。……それに、私はどちらかといえば、小姑では無くて……――いけない。話が脱線する所でした』

 なんて悪い子、と王子様の頭を一回多く叩いたランたんは、ひゅるるとテーブルの中央に戻った。

『国沈めの呪い……。おそらく、この言葉を聞くのは初めてでしょう、王子?』
「……ああ。一体、なんなんだ、それは? ――まさか、俺は本当に……」
『灰に呪われた王子が十八才の誕生日を迎えるとき、王国は灰に埋もれ沈む。……これが、貴方にかけられた呪いが行き着く顛末です』
「……俺が……、国を滅ぼすと?」
『ええ。まさか、本当にチマチマとした嫌がらせで終わる呪いだと思っていたんですか?』

 カルケルが項垂れる。
 だから、誰も解けなかったのかと。

 ちまちました嫌がらせ程度の呪いならば、きっと解ける魔法使いが一人くらいいたはずだ。

 けれど、茨の森の魔女すら解けなかった――その事実を、もっとよく考えるべきだったのだと。

「……父上達は、この事を知っていたのだな」
『はい』
「……知っていて……俺の十八の誕生日が、もうそこまで迫ってきたから……、だめだったと判断したのか」

 国のために、切り捨てられたのだなとカルケルは呟いた。
 その表情は悲しげだが、怒りは無い。

「……王として、当然の判断だな……」
『物わかりの良いフリは、おやめなさい』

 寂しげな一言に、ランたんがカルケルの頭を叩いた。

『本当に物わかりが良いだけの王子様なら、わざわざこんな所に来ないでしょうし、居座ったりしないでしょう。……だいたい、一体いつ誰が、王の命令だと言ったのですか』

 確かに、誰も言っていない。
 言ってはいないが。

『国沈めの呪いについて知るのは、王と王妃……そして茨の森の魔女と、この私だけ。四人以外、知るものはいません』
「ならば、やはり父の……」
「――それは、どうかしら? だって、カルケルのお父さんは、呪いが解けるようにって、貴方をここに寄越したんでしょう?」

 リュンヌが声を上げると、カルケルとランたんの視線が一気に向けられた。
 それに戸惑いつつ、リュンヌは続ける。

「貴方を邪魔だとか、危ないとか思っていたら、外になんて出さないはずよ。どこかに閉じ込めておくとか……言い方は悪いけど、もっと早いうちに、さっきの人みたいなのに、襲わせてると思う……」
「……魔女殿……」
『さすがは、うちの魔女さん。……そうですね。この子の言うとおりです。王子、貴方が邪魔ならば、さっさと消しているはずです。なにせ、国のためという大義名分があるのですから、誰も王家を責められない。――でも、王は安易で確実な方法を選ばなかった。……何としてでも息子を救いたいと思った』

 王としては、褒められた行為ではないでしょうね。
 その一言に、カルケルが顔を歪ませ俯いた。

『王としてではなく、父親として、貴方を守りたかったのでしょう……。決して褒められたことではありませんが……理解は出来ます』

 きっと、同じ立場なら自分もそうしたと、ランたんは言った。

『――王妃も、同様です。貴方を殺すなら、自分を先に殺せと言うような方ですからね。……どちらも、国の頂点にある者としては、失格もいいところです。――それでも、親としては理解出来てしまうのが、痛いところです』

 カボチャお化けは、こてんと重い頭を下げる。

 項垂れているようにも見えるが――それは、ほんの短い間で、ランたんはすぐにくるくると勢いよく回り出す。

『そんな風に思っている二人が、貴方を殺せだなんだと、誰かに言えると思いますか? まぁ、王はもしもの時は、自分が貴方を手にかけるという、悲痛な覚悟を決めているようですが……今回のように人任せにはしないでしょう。――では、一体どこの誰が、どうやって、この国沈めの呪いを知ったのか?』

 リュンヌとカルケルは、顔を見合わせる。

 知っているのは、四人だけ。
 四人のうち、カルケルの両親は絶対に漏らさないと除外すれば、あとは目の前の使い魔と、今は亡き高名な魔法使いだけになるが……――。

 そこで引っかかりを感じたリュンヌは「四人……?」と、確認するように独りごち、考え込んだ。

 本当に、四人だけしかいなかったのか?
 ――いや。誰よりも真相を知り得る立場が、一つだけある。

「……ぁ……」
「どうした、魔女殿?」
「……もう一人、いる」
「何……? だが、父上と母上、茨の森の魔女殿とランたん……呪いの真相を知り得るのは、この四人……自分たちだけだと今……」

 リュンヌは大きく首を横に振って、椅子から立ち上がった。

「いるのよ、もう一人だけ。――呪いをかけた張本人が……!」
「――そうかっ……野茨の魔女か……!」

 確かに、呪いをかけたあの魔女ならば、いくらランたん達が口を噤もうが、隠したい真実を把握している。

 なにせ、悪趣味な呪いの総仕上げに、とびきりの不幸な結末を用意した当人なのだから。

「……でも、あの魔女が入れ知恵をしたからって、さっきみたいに、貴方の命を奪いに来るなんて……」
「――父上が、なんらかの理由で心変わりしたか……あるいは――」

 カルケルは、そこで一度言葉を切った。

「……俺の弟が、指示したか、だ」
 
 弟、と言っても、引きこもりがちだった近年はろくに顔を合わせていない。

 時折、物言いたげな視線を向けられている事に気付いていたが、カルケルはずっと避けていたのだと、弟との関係を明かす。

「……務めも果たせない俺に代わり、弟は……フラムは、立派に王子としての役割を担っていた。人前に出ることもままならない俺よりも、フラムを次の王にという声もあるほどだ」

 だから、自分は王太子の立場を退くつもりだったのだとカルケルは語る。

「責任感の強い弟だ。……もしも、俺の呪いの真相を知れば、誰にも相談できずに思い詰めるに違いない。……その魔女が、俺達王家の不幸が見たいというならば……仕上げにあいつを狙うだろうな」

 もしも、俺が企みを持つ者であれば、そうするだろう。
 神妙な口調で締めくくったカルケルは、ランたんを見た。

「――俺と魔女殿の推測で、あっているか?」
『……ええ。あの魔女は、王都にいます。それも、王家のすぐ近くに。これは、お誘いでしょうね。自分は今、ここにいるんだぞと、存在を誇示したいんでしょう』

 国沈めの呪い。
 ただの殺し屋が、その言葉を知っていたことが答えだと、ランたんは言う。

『どうしますか? ――ここで、全てが終わる時を待ちますか? それとも、誘い出されていると分かっていて、城に戻りますか?』

 挑むようなランたんの問いかけに、沈黙が訪れる。

 ふと、カルケルがリュンヌを見た。
 視線に答えるように、リュンヌは笑顔で頷いてみせる。すると、カルケルも頬を緩めて頷いた。

「王都に……、城に戻ろう。――いま、あそこで何が起こっているのか、この目で直に確かめたい――魔女殿、俺に……」
「うん! もちろん、ついていくわ!」
「――ああ、頼む」

 カルケルが離れた城に、全ての元凶である魔女がいる。

――二人の答えは、もう決まっていた。



 城へ行く。
 そう決めて、茨の森を出立したリュンヌ達。数時間後、リュンヌとカルケルは――牢にいた。

「……なんでこうなるのかしら……」

 森を出てすぐに、待ち構えていた兵士達に拘束され、リュンヌ達は城まで連行された。
 移動の手間が省けたと笑えないのは、そのまま牢屋に放り込まれたからだ。

 ――ランたんは、兵士達が殺到してきた時点で姿を消したまま、一度も現れない。

 かび臭い牢屋で、外套を剥ぎ取られたカルケルの周りには、いくつか小高い灰の山が出来ていた。

「……カルケルの外套を持って行くなんて……あれが何なのか知っていたとしか思えないわ」
「――そうだな。彼らは、脇目も振らず、外套をむしり取り、灰が降るのを確認していた」

 この男で間違いないか?
 そう言ってカルケルの外套を引っぺがした兵士達からは、王子に対する敬意が一切感じられなかった。
 そして、もう一つ。

「……私から、杖を取り上げなかったわ」

 魔法使いを捕まえる上で重要なのは、杖の有無だ。杖が無ければ、魔法は上手く働かなくなるので脅威にならない。
 リュンヌは、肩書きはどうあれ、魔法使いには違いないのだから、杖を所持しているか調べ、取り上げるのが普通だ。
 けれど、拘束までしたくせに、兵士達は身体検査は行わなかった。

 ――まるで、リュンヌがろくな魔法も使えない“半人前以下”である事を知っているように。

「……ねぇ、カルケル、やっぱり変よ」

 牢の中で、リュンヌはこそっとカルケルに耳打ちした。

「みんな、貴方の事を“知らない人”みたいな目で見ていたわ……」
「……俺は確かに引きこもりだったが……、それでも一切他者と関わらずに生活するの、は不可能な身の上だ。……俺達を捕らえた兵士達の中にも、知った顔が何人かいた。だが……」

 全員、無反応だった――カルケルが、沈んだ表情で呟く。 

「……あの魔女が、ここにいるのは間違いないと思う」
「――……」
「貴方のお母さんの義姉さん達と同じ、……よくない魔法が働いてる」

 城の中に潜り込み、徐々に魔法の範囲を広げている。

「……度が過ぎた嫌がらせだな」
「人の心に働きかける魔法っていうのは、魔法使いの分野じゃないの。――それはもう、精霊達の領域だよ。“人は人の領分を超えてはいけない、誰かを踏みにじるような悪い魔法には報いがある”……これが、魔法使いが最初に教えられる心得だもの」

 善には善の、悪には悪の報いが返ってくる。
 古くから言い伝えられている言葉だが、魔法使い達は、それをただの迷信だと笑ったりしない。
 事実と受け止めているからこそ、粛々と日々研鑽に励む。
 
 けれど、野茨の魔女は、先達が決して超えてはいけないと定めた境界線を、笑って易々と踏みにじった。
 魔法使い達が守ってきた、ありとあらゆる心得を、自分の心が向くままに目茶苦茶にしてしまった。

 ――それでもいまだに、気が収まらないとわめいているのは、きっと……“待っている”からだ。

「とにかく、なんとかして牢屋を出ないと……! あぁ、もう! こんな時にランたんはどこに行ったのよ! あのバカみたいに固い頭で、頭突きでもすれば一発でしょうに!」
「……いや、魔女殿、さすがのランたんでも、鉄格子を破壊するのは無理だと思うぞ」

 仮に出来たとしたら、俺達の頭はとうの昔に粉々だ。
 真面目な顔で、冗談めいた事を口にするカルケルに、リュンヌはちょっと驚いてしまった。

「……カルケルが、冗談を言ってる……」
「……あの……、魔女殿? ……そんな、幼子が初めてつかまり立ちした時のような、感動的な視線を向けるのはやめてくれないか……?」
「うわ~……カルケルも冗談を言えるようになったんだ」

 感嘆の声を上げたリュンヌ。
 率直な言葉に、照れたように頬をかいていたカルケルが、吹き出した。

「君は……妙なところに食いつく子だな」
「え? 妙じゃないわよ。失礼ね。真面目を具現化したような貴方が、小粋な冗談を口にしたから感動しただけじゃない。……ほら、全然妙じゃないわ」
「……小粋な冗談、だと……? ……小粋、だったか?」

 軽口を叩いた自覚はあるカルケルだったが、そんなに上手いことを言った覚えは無いぞと首をかしげた。

「こ、小粋だったのよ!」

 ムキになってリュンヌが言い返せば、カルケルからじっと凝視される。

「な、なによ?」
「君の笑いのツボは、どこか変わっているな」

 でも――と、続けられた言葉に、言い返そうとしていたリュンヌは閉口する。

「俺は、君のそういう所も、好きだ」

 ちょっと冗談を言うくらいがなんだ。
 この王子様は、実は全く変わっていない。
 生真面目で、優しくて――臆面無く恥ずかしい言葉を吐く彼は、有り得ないほどの天然
で……。

「魔女殿? 頭を抱えてどうしたんだ? 頭痛か?」
「……貴方って」
「うん?」
「ほんとうに、どこまでいっても、素敵な王子様なのね」

 ぱちぱちと目をしばたいたカルケルは「ほめているのか?」と呟いた。

「もちろんよ」

 リュンヌが答えると、彼は照れくさそうな笑顔を浮かべた。

「……そうか。――うん、そうか」

 当たり前のように、二人の手が重なる。
 伝わってくる温もりを感じると、リュンヌはまだ大丈夫だと気力がわいてくる。
 二人一緒なら、まだやれる。

 ――けれども、そんな決意をあざ笑うように、牢に足音が響いた。
 がちゃがちゃとした、金属同士がぶつかるような音。
 身を固くしたリュンヌの手を、大丈夫だというようにカルケルがしっかりと握りしめてくれる。

 大丈夫。

 心の中で、その言葉を繰り返したリュンヌだったが――。

「罪人、出ろ」

 彼女の目の前で、カルケルだけが牢の外に連れ出された。
 それも、無理矢理引きずり出すような手荒な方法で。

「カルケル……!」

 悲鳴じみた声で呼びかけたリュンヌに、カルケルは安心させるように笑顔で応えたが――体勢が整うのも待たず、兵士達は彼を引きずって牢の外へと出て行った。
 途中、怒鳴り声と人を殴るような嫌な音が聞こえたのは、空耳では無い。

 一人きりになった牢の中で、リュンヌはがたがた震えた。

(ど、どうしよう……)
 
 勢いでここまで来たけれど、実際自分は役立たずだ。
 ――カルケルは連れて行かれてしまったし、自分は今一人きり。
 怖い、と思った。

(でも……)

 乱暴に連れ出されたカルケルは、リュンヌに向かって笑ってくれた。
 安心させるように、怯えさせないように。

 けれど、姿が見えなくなった後で聞こえた怒鳴り声は「さっさと歩け!」「罪人め!」という、カルケルを罵るもので、最後に聞こえ鈍い音は――きっと、カルケルが兵士達の誰かに殴られたのだ。

(カルケルの方が、もっと怖くて、痛いんだから……!)

 それでも、リュンヌのために笑って、抵抗もせず連れ出された。
 優しい優しい――リュンヌにとっての王子様。
 幼い頃、自分を助けてくれた彼。手を引いて、連れ出してくれた彼。
 与えられるばかりで、自分は何も出来ない。

 リュンヌの中にある、後ろめたさ。それを突きつけるように、ガラスの靴が耳障りな音を立てる。

 ほら見たことか。
 お前は満足に魔法も使えない、見習い以下の才能無し。
 森でグズグズしているのがお似合いだ。
 
「……っ……」

 自分を馬鹿にする声。過去に散々聞いたものが、耳の奥でよみがえる。

 いつまでだっても魔法が使えない、駄目な魔女。
 それは事実だ。
 王子様に助けられてばかりの、情けない魔女。
 これも事実だ。

 だが、しかし――このままでは、終われない。
 役に立たないままで……足手まといのままで、終われるはずが無い。

 リュンヌは、袖に隠していた杖を取り出して、ぎゅっと握りしめる。

「えいっ!」

 杖を鉄格子の鍵穴に向かって一振り。

「えいっ! えいっ! それっ!」

 もう一振り、さらに二振り、おまけに三振り――一生懸命杖を振るが、なんの変化も無い。
 ぎゅっと唇を噛んだリュンヌは、大きく深呼吸する。
 そして、冷たく耳障りな音を立てるガラスの靴に視線を落とした。
 ぴったり足に嵌まったそれを睨み付け――すぽん、と足を引き抜いた。

 夜、眠るため以外では、一度も脱げなかったガラスの靴。それを、リュンヌは初めて自分の意思で脱ぎ捨てる。
 もう一度、杖をしっかりと握り、顔を上げた。

「今度は、魔女が王子様を助ける番よ……!」
 
 裸足の魔女は、決意と共に大きく腕を一振りした――。


 カルケルが引きずられた部屋には、一組の男女が待っていた。

「連れて参りました」
「ご苦労様です。あとは、私達に任せて下さい」

 女の方が、しっとりとした声で語りかけると、カルケルを手荒に連行してきた兵士達は、ぼーっとした表情になり、一礼して出て行く。

「……フフ、素直で可愛い男達……」

 揶揄するような笑い声が耳に届いた途端、ぞわりとカルケルは全身に鳥肌が立った。

(……なんだ? この声の……奇妙な、まとわりつくような感覚は……)

 油断なく、カルケルは女の方に視線を向ける。ついで、隣の男――まだ年若い彼の名を、苦い気持ちで口にする。

「……フラム」
「反逆者が、気安く呼ぶな」
「…………」

 兄上と無邪気に呼び慕っていた笑みはすでになく、弟の顔には苛立ちだけが広がっていた。

「……俺は、そんなものに成り下がった覚えはない」
「戯れ言を。――貴方は呪われた腹いせに、我が国を滅ぼすつもりなのだろう?」
「……それこそ、戯れ言だな。一体誰がそんな事を、お前に吹き込んだ」
「今更隠し立てしても、無意味だ。……兄上、貴方が十八になるその時に、つもりつもった呪いの力で、我らを灰で生き埋めにするつもりだという事は、すでにこの魔女から聞き及んでいるんだぞ!」
 
 魔女。
 その言葉に、カルケルは反応した。
 ならば、やはりこの女がと思い、険しい視線を弟の隣にいるフードの女に険しい視線を向けた。

 ――女は被っていたフードを後ろに押しやると、剣呑な眼差しになど気付いていないかのように、優美なお辞儀をしてみせた。

「こんにちは、哀れな灰かぶり王子」

 小首をかしげた挨拶に、薄紅色の髪が揺れる。

「……馬鹿な……」

 カルケルは、あらわになった女の顔を見て、驚いた。

(なぜ魔女殿に、似ている……?)

 目の前にいたのは、薄紅色の髪をした魔女。
 ――その面差しは、牢に残してきたカルケルの大事な少女に、よく似ていた……。

 目の前の女は、カルケルの呆然とした呟きに答えるように微笑んでみせた。
 その笑い方は、あの少女は逆立ちしてもしないだろう、なまめかしいものだ。

「あら、この姿がそんなに気に入った? ……どれだけ驚いてもかまわないわよ、灰かぶり王子。――私がいるこの場所では、灰を降らせる事が出来ないから」

 仕草や表情は、何一つ似ていない。なにより、年齢が合わない。

 ただ、血のつながりを連想させるほど、二人の顔立ちは似ていたのだ。
 並び立てば、大多数の人間が姉妹だと間違えるだろうほどに。

「嫌だわ、あんな無能な面汚しと間違えないでちょうだい。ふふ、あの役立たずな小娘よりも、私の方が素敵でしょう、灰かぶり王子?」
「貴様、なぜ彼女と似た姿をしている」
「嫌だ怖い顔。私が似せたんじゃないわ。あの小娘が、私に似ているの。……ねぇ、私の顔が気に入ったのは分かったけれど、そんなに熱心に見つめていていいの? 大事な話があるんじゃないかしら?」

 言って、女はフラムの肩へしな垂れかかる。無礼な行動だ。

 しかしフラムは、無作法を咎める所か、視線一つ向けず、表情一つ動かない。
 今までのやり取りも目に入っていないようで、カルケルを睨んでいた。

「……フラム、その魔女の言う事に耳を貸すな」
「ハッ! この期に及んで、見苦しい言い訳か! ――兄上、貴方は呪いのせいで変わってしまった、この国を恨んでいるんだ、……王家の一員としての自覚を捨て、貴方は国を滅ぼす気なんだろう! 全部知っているんだ!」
「フラム、馬鹿な事を言うな。俺の話を聞け」
「聞くに値するものか! 貴方だって、オレの言葉を無視し続けた!」

 言われて、カルケルは言葉を詰まらせた。

 呪われた兄が、弟のそばにいれば外聞が悪い。
 だから、弟を遠ざけた……そう言えば聞こえは良いが、本当は立派に王族の務めを果たせる弟に嫉妬しそうだから避けるようになったのだ。

 何時だって兄を慕ってくれたフラムが、避けられていると気が付いた時、物言いたげな視線を向けてきた事だって知っていて、当時のカルケルは無視をした。
 
 嫉妬しているだなんて知られたくなかった。
 惨めな兄の姿を見せたくなかった。

 ――傷ついていたカルケルは、そんな自分の行動のせいで誰かが傷つくという単純な事にも気が付かなかったのだ。
 結果が、これなのだろうか?

「……フラム、俺のせいなのか? 俺がお前を傷つけたから、お前はこの魔女に傾倒したのか?」

 そして全てを鵜呑みにして兄を排除するほど、憎んでいるのか?

 問いかけに、フラムは顔をゆがめる。
 泣き出す一歩手前のように、顔をくしゃくしゃにして頭を振った。

「オレは、王族の務めを果たす! 父上も、母上も、出来ないというのならば、オレが次代の王として貴方を討つ!」
「……お前は、王になりたいのか」
「――……っ! ……そうさせたのは、貴方だ!」

 たたきつけられた激情に、カルケルは目を伏せた。

「……そうだったな……」

 フラムの言葉通りだ。
 弟が、そうならざるを得ない立場に追い込んだのは、ふがいない自分だったと。

「お前ならば、きっと良き王になるだろう。……だが、フラム。そのために、兄殺しの責を負う必要はない」
「……兄上……?」
「俺は、呪いを解くために、城を離れたんだ」

 フラムの二つの目が、真っ直ぐに顔を上げて視線を交える兄を捕らえ……揺れた。

「……ほんとう、に? ……オレは、貴方を殺さなくても、いいんですか……?」
「まぁ、王子様。騙されてはいけませんよ。……可愛い可愛い王子様、ほら、貴方の真実は、私の語る言葉だけでしょう?」

 しな垂れかかった魔女が、蠱惑的な声で囁きかける。
 不安と、入り交じった期待に揺れていたフラムの双眸から、たちまち光が消え失せた。

「フラム?」
「……そう、兄上は、国を沈める……」
「違う。俺は、この呪いを解きたいんだ!」
「国を滅ぼす、兄はいらない……かわりに、オレが……王に……」
「フラム……! ――貴様っ、弟に何をした……!」

 ぶつぶつと虚ろな言葉を繰り返すだけの木偶と化したフラムの頭を抱き寄せ、こめかみに口付けた魔女は、満足そうに唇をつり上げる。

「まぁ、貴方……怒った顔は、あの人に似ているのね」
「……なんだと……」
「貴方の姿形は、あの憎たらしくて汚らしい灰かぶりによく似ているけど、そういう顔は、……ふふ、王子様によく似ているわ。――年寄りはもういらないから、かわりに貴方を私のものにしてあげてもいいわよ? このお人形と一緒に、飽きるまで愛してあげる」

 フラムの頬を撫で、空いた手でカルケルを手招きする魔女には、欠片の罪悪感も見当たらない。

「……ふざけるな。俺を呪い、この混乱を作りだした張本人が……!」
「あらあら、ずいぶんな口のきき方ねぇ。まさか、茨の婆に、なにか吹き込まれたのかしら? ほんとう、都合の良いことばかり口にするから、困るわ、あの婆。……口だけ出して、今日は顔を出さないのかしら?」
「…………」

 誰かの姿を探すように、魔女は室内に視線を巡らせる。
 そして、目当ての物は見つけられなかったのか、不思議そうに小首をかしげた。

「こんな状況になっても手を貸さないなんて、薄情ねあの婆。……それとも、貴方は見捨てられたのかしら? ――あぁ、そうよねぇ、あんな……ちんけな小娘一人しか、味方がいないんだものね! 婆も酷いわねぇ、面汚しの弟子なんていらないからって、貴方に押しつけるなんて!」
「黙れ……! 魔女殿を侮辱するな……!」

 カルケルの激高を、魔女は白けた目で受け止めた。
 そして、つまらなそうに手をひらひらと振る。

「侮辱じゃないわ、事実よ。それより、はやくおいでなさいな。……この私が、貴方を気に入ってあげたのよ? あの忌々しい灰かぶり娘の息子である貴方を、あの娘から全て奪われてきた可哀想な私が、貴方を許してあげると言っているの」
「許す、だと? どの口が……」
「たがら、口の利き方には気をつけなさい、灰かぶり王子。……貴方には、私の寛大な計らいが理解出来ないのかしら? 許してあげると言う事は、貴方は十八を過ぎても生きていてもいいと言う事よ?」

 殺すために弟を焚き付けていた魔女が、何を言うのだろうか。
 カルケルの視線に、訝しげな色が加わった。

 しかし、魔女は気付かない――気にもとめない。そして、自らの言葉に煽られたかのように、口調に熱がこもっていく。

「私を裏切った母や、王子! 自分だけのうのうと幸せになっていた妹弟子、そして――本当なら私が得るはずだった物を全部横取りした、汚い汚い灰かぶりに! こんなにも傷つけられてきた私が、全てを灰に埋めてしまえば、貴方のことは大事にしてあげると言っているの!」
「――貴様、やはりそれが狙いか……! コントドーフェ王国を滅ぼす事が、貴様の目的なのか!」
「はぁ? 薄汚れた灰かぶりを、喜んで王妃に据えた国にはお似合いよ!」
「……っ、そんな事、許すものか」

 唸るようなカルケルの声に、魔女は甲高く笑った。

「それを決められるのは、私だけだわ!」
「俺の呪いは、魔女殿が解いてくれる……! だから、野茨の魔女、貴様の企みは成就しない……!」
「あの面汚し? あの泣いているだけのお子様? ふふふ、あははははは! ――笑わせないで、灰かぶり王子。あの能なしが、私のかけた呪いを解けるわけがないじゃない。私の母だって解けない、凄い呪いなんだから」

 誇らしげに、魔女は語る。
 胸を張り、自信に満ちた笑みを浮かべ、瞳はキラキラ輝いている。
 悪意を持った魔法を使っておいて、欠片の罪の意識無く、己の力を誇っている。
 ――無邪気という言葉で片付けるにしては、あまりにも有害だった。

「ねぇ、わかる、灰かぶりの可哀想な王子。……貴方は私に降参して、この国を沈めるしかないの」

 そうすれば、あの婆もようやく私の凄さに気付くのよ。

 偉大な母を超えようと目論んでいるのか、喜悦に満ちた声で魔女は言う。

「さぁ、来なさい。この灰に塗れた汚い国を、沈めるの。そしたら、ご褒美に呪いは解いてあげる」

 けれど、カルケルは首を振った。

「――あいにくと、俺が手を取るのは魔女殿だけだ」
「あら? その小娘がどれだけ無能なのか、ご存じかしら? 私の母でも、匙を投げた無能でしょうに」
「黙れ。魔女殿は、いずれ知らぬ者はいない、すごい魔法使いになるんだからな」

 カルケルは、彼女を信じている。

「俺の呪いを解けるのは、貴様ではない。――俺の、世界一愛らしい魔女殿だけだ」

 あんぐりと口を開けた魔女の顔が、じょじょに赤くなっていく。羞恥からではなく、激しい怒りの衝動で染まっていく顔色は、とうとう赤黒くなった。

「愚かなのは母親譲りらしいわね! あれがすごい魔法使いになるですって? そんな事、あるはずがないわ!! どうせあの娘だって、私があげたガラスの靴にとり殺されて死ぬんだから!」

 カルケルの顔色が変わる。
 それを目にした魔女は、激情をおさめると目を細め、猫なで声を出した。

「そう、死んじゃうのよ。――助けたい? 助けたいなら、ほら、さっさとこのいらない国を、灰の下に埋めてしまいなさい?」

 カルケルが答えを出す前に、彼の横を何かがすごい速さで通過した。

 ――風の動きを伝って、視線を動かせば……得意げだった魔女の顔に、もの凄い勢いでカボチャがぶつかっている。

 いや、ただのカボチャではない。
 目をこらしたカルケルは、驚嘆の声を上げた。

「ランたん……!?」

 姿を消していた、カボチャお化け。
 ならばと後ろを振り返れば――真っ直ぐな薄紅色の髪をさらりとゆらし……。

「勝手に、私の生き死にを決めないで貰いたいわね!」

 カボチャお化けを常に伴っている可愛らしい魔女が、小生意気そうな表情を作り、立っていた。



 時は遡り、少しだけ前のこと――カルケルだけが連れて行かれた後、リュンヌはガラスの靴を脱ぎ捨てて、もう一度杖を振った。

 カチャリ……。

 鍵の外れる音がして、鉄格子がゆっくりと外側に開いた。

「……出来た……」

 開いた鉄格子を凝視し、リュンヌはかすれた声で呟く。
 初めて、初歩の初歩以外の魔法が成功したのだ。

 けれど、その喜びを分かち合う相手はいない。
 カルケルはどこかへ連れ出され、ランたんは姿を消したままだ。
 でも、大丈夫だとリュンヌは深呼吸する。

「――今、助けに行くからね……!」

 自らを鼓舞するように声に出し、素足で一歩踏み出したリュンヌの後ろで、何かが割れる音がした。
 振り返ると、これまでは、何をやっても傷一つ付かなかったガラスの靴が、粉々に砕けた。

「…………」
『呪いを退けましたね』

 ガラスの靴だった物の破片は、変色し、黒い砂の塊と化した。
 自分を長年縛っていた呪いのなれの果てを、見つめていたリュンヌは、後ろから声をかけられ飛び上がる。

「ひっ……!? ――え、ぁ、……ランたん……!」
『おめでとう』

 どこにいたのだと文句を言おうとしたリュンヌだったが、使い魔から放たれた声が予想外にあたたかかったので、勢いを削がれてしまう。

『いつか恋して花開く娘が、愛を抱くならば、花は枯れずに咲き誇るだろう』
「……なに、それ?」
『むかし、悪辣な呪いに対抗するため、上書きした魔法ですよ』
「貴方が?」
『……さぁ、どうだったでしょうか? ――でも、これで安心しました。貴方は、呪いに負けず、そして自らの殻を打ち破った。……自分のためではなく、誰かのために』

 くるりと、ランたんが意味もなく回る。

『貴方を誇りに思いますよ』

 褒められているのだと分かって、リュンヌは頬を赤くした。ずっと自分のそばにいてくれたランたんに、こうも手放しで褒められると照れくさい。

『これで、私も安心して休むことが出来ます』
「なに、それ。どういうこと?」
『貴方のお守りは、そろそろお役御免だと言う事です。……私の代わりに、貴方のお守りを買って出てくれる方がいますしね』
「お守り? ちょっと、子供扱いしないでよ」

 胸をよぎった一抹の不安を誤魔化すように、リュンヌはわざと怒った声を上げた。

『子供ですよ。……私にとっては、いつまでも……』
「……ランたん、なんだか本当に変よ? どうかしたの?」
『どうもしません。さぁ、おしゃべりはお終いです。手のかかるお子様、杖をしっかり握りなさい。――貴方の王子様を、助けに行くんでしょう?』

 うん、とリュンヌが頷くと、ランたんは先導するようにふわりと先に躍り出た。

『王子がどこにいるか、私が案内します』
「わかるの!?」
『ええ。私が、ただ臆病風に吹かれて逃げ出したとでも思っていたんですか?』
「臆病風っていうか……。ランたん、いつも気まぐれに消えるじゃない」
『心外です。私は、色々頑張っていたのに。……王子の命を狙ってきた刺客がどうなったか、国王に確かめに行ったり、王妃の様子を見に行ったり……。茨の森の魔女には、くれぐれも頼むと言われていますからね』

 そして、あちこち見て回った結果を、ランたんは口にした。

『どうやら、悪い魔法が城全体に蔓延しているようですね』
「それって……! もしかして、私達を捕まえた人達が、カルケルの事を王子様だって分からなかったのも?」
『はい。王と王妃は、茨の森の魔女がかけた善い魔法が残っています。……ですが、王が城内の不自然さに気付かない時点で、影響は皆無とは言えません。王妃は寝込んでいますしね』
「じゃあ、王様達も元に戻さないと」

 もしかしたら、カルケルは家族にすら忘れられるかも知れない。
 最悪の事態を考え、リュンヌが神妙な顔で呟くと、ランたんはあっけらかんとした口調で言った。

『あ、そっちは大丈夫です。私が対処しておきましたから』
「……ねぇ、ランたん。貴方、絶対ただの使い魔じゃないわよね? ……一体、何者なの?」
『そんな怖い顔はやめなさい。もどらなくなりますよ』
「誤魔化さないで」
『誤魔化していません。……対処といっても、特別な事はなにも。貴方にもおなじみの、頭突きで一発でしたから』

 それが誤魔化しでなければ、なんなのだ。
 不満に思ったが、ここで問い詰めている場合でもない。

「後で、洗いざらい吐かせてやるわ。正直に答えないと、今度こそカボチャスープにしちゃうからね」
『まぁ、怖い』

 定番の憎まれ口を叩けば、……そんな事はあるはずがないのに……リュンヌの目には、カボチャお化けが笑ったように見えた。

『私は、ランたん。貴方の事を大好きな、カボチャお化けですよ』
「またそうやって誤魔化す! カルケルを助けたら、覚えてなさいよ!」
『本当に、大好きですよ。――ほら、急いで急いで』

 優しい声から一転、ランたんは裸足で歩くリュンヌを急かし始める。
 
「わかってるわよ!」

 言いながら、リュンヌは階段を駆け上がった。
 そして――賑わいとはほど遠い、無人を疑うほどひっそりとした城内に、絶句した。

「……なんか、変じゃない……?」

 幼い頃……茨の森の魔女に連れられて、足を運んでいた頃は、もっと人がいて、明るい雰囲気だった気がする。

 しかし、記憶とは正反対の光景が、牢から抜け出してきたリュンヌの目に映る。
 誰にも見つからないのは、好都合だ。騒ぎを起こさずして、カルケルを探せる。
 だが、王城でこの有様は、異常だ。

「……ランたん……」
『言ったはずです、悪い魔法が蔓延していると。目当ての物を手に入れた野茨は、もう取り繕うことすらやめたのでしょう』
「物って……」
『カルケル王子に決まっています』

 言われた言葉に、リュンヌは眉をつり上げる。

「カルケルは、物じゃない……!」
『ええ、貴方にとっては。……けれど、野茨にとってはどうでしょうか? 人の価値観では、彼女の考えを推し量る事はできません』
「……。カルケルは、あの人の……野茨の魔女の所にいるのね?」
『はい』
「場所は、わかる?」
『もちろん』

 リュンヌは、一度だけ強く唇を噛んだ。
 そして、意を決して開く。

「お願い、ランたん。私をそこへ、連れて行って」
『――もちろんです、うちの魔女さん』

 人気のない城をランたんと進む。
 前を行くランたんには迷いがない。

 程なくして、大仰な装飾が施された部屋の前に到着した。耳を澄ませば、中から話し声が聞こえてくる。

 カルケルの声と、知らない人の声。
 だが、とても和やかな雰囲気とは思えない。
 会話の流れから、相手がカルケルの弟だという事が分かったが――。

(今って、さすがに出て行ったらマズイわよね……?)
(……そうですね。弟君が、王子の言葉で正気に返る可能性があるのならば……)

 扉に張り付いて、ひそひそ話を交わす魔女とカボチャお化けというのは、傍から見れば不審だろう。

 人がいないこの場でしか出来ない事だ。
 とりあえず、状況を見守ろう――そう決めたのに、新たな声がまとまりかけていた兄弟の場を乱した。


 女の声。

(この声……!)

 忘れもしない。
 野茨の魔女の声だ。
 彼女が会話の主導権を握りだした時点で、リュンヌはとうとう我慢できなくなり、飛び出した。

「勝手に、私の生き死にを決めないで貰いたいわね!」

 自分だけではなく、ランたんまでもが、もの凄い勢いで飛び出し、野茨の魔女の顔めがけて頭突きした事には驚いたが……。

「魔女殿……!」
「カルケル、助けに来たわよ! もう安心だから!」
「――あぁ」

 本当に安堵したように笑ったカルケルは、リュンヌに手を差し伸べる。

「魔女殿、こっちへ」
「うん!」

 当然のように伸ばされる手。
 そして、当然のように握り返すリュンヌ。カボチャお化けのランたんは、くるくるとまわりながら、やはり定位置であるようにリュンヌのそばに落ち着く。

 そのやり取りを見ていた魔女は、気に入らないとばかりに顔をしかめた。

「――なんなの? 無能な小娘がしゃしゃり出てきて、私に張り合おうとでもいうの?」
「……私は、ばば様の弟子として、貴方を止める義務があるの」

 薄紅色の――自分と同じ髪色をした女を、リュンヌは静かに見据えた。
 いや、違う。自分が、彼女に似たのだ。

(……お母さん……)

 あの日、自分の目の前で奪われた母がいる。手が届く範囲にいるのに、会いたかったと抱きつける距離なのに、違う。

 そこにいるのは姿形を奪っただけの、他人だ。体は間違いなく母でも、中身が違う。

 自分を優しく呼ぶ声は、この声ではなかった。
 皮肉なことに、大好きな両親の声はもう記憶から薄れているのに、両親を奪ったあの声だけは、今でもはっきり覚えていた。

(……お母さんは……)

 むかしむかし……取り戻そうと、茨の森の魔女は幼いリュンヌに言ったが――あれは、支えをなくした幼子のためについた、嘘だったのだろう。

 そんな事だろうとは、もう随分前に理解していたが、実際目にすると、やはり苦しかった。

「ふん! 茨の森に住まう魔女は、最高峰の魔法使いよ! お前のような輩が、弟子を名乗らないでちょうだい!」

 母の姿で、好き勝手する魔女。
 リュンヌが大好きな母の顔で歪んだ表情を浮かべる魔女。
 
(お母さんは、もうどこにもいない)
 
 あくまで理解していただけだった事実が、現実味を持ち始める。
 リュンヌの母は、もうこの世にいない。
 目の前にいるのは、母の体を奪い、母を貶める悪い魔女。

 ならばリュンヌは、茨の森の魔女との約束に従い、止めなければいけない。
 これ以上、母の体で悪事を重ねられる前に。

「ばば様の教えに背いた貴方にだけは、言われたくないわ」

 ことのほか、リュンヌの声は冷たいものになった。
 魔女の眉が、ぴくりと跳ねる。

 痛いところを突かれた動揺ではなく、憎たらしい言葉を聞いたという不快感で。

「私ほど、あの婆に相応しい弟子はいないわ。私ほど、あの人に相応しい家族はいないわ。……それを、お前みたいな無能が家族面なんて、反吐が出る……!」
「反吐が出るのはこっちの方よ。……魔法は、人を幸せするためのものっていうのが、ばば様の教えだったのに……貴方は、何をしてきたの? 悪い魔法は、代償に負う傷も大きいのよ。――もうやめなさい、ばば様は何時だってそう言っていたはず」
「お説教はけっこうよ! ――なんの力も無い小娘は、黙って引き下がりなさい! 身の程知らずにくっついてきた、愛しの王子様の目の前で息絶えろ! 恋で身を滅ぼせばいい!」

 魔女は叫んだ。
 ガラスの靴に自らがかけた呪いを、強制的に発動させるために。

 しかし、リュンヌは首を横に振ると――長いローブをまくって見せた。
 精巧なガラスの靴はなく、白く小さな素足がちょこんと見えている。

「ガラスの靴は、もうないわ」
「……え? そんな、馬鹿な事……! 私の呪いが、お前のような非力な小娘に解けるはず……、そうか! 茨の婆か! あの人が入れ知恵したんだね! そうやって、いつもいつも、私以外を優先して……!」
「違うわ」

 リュンヌは、杖を構える。
 裸足の彼女は、長く秘されていた真実を口にした。

「ばば様は……茨の森の魔女は、もうこの世にいないから」
「――…………?」

 一瞬、全ての時が止まったように、魔女が動きを止めた。
 それから、徐々に強張った笑みを顔に広げる。

「なに、それ? そんな嘘を言って、お前みたいな小娘を遣わせるほど、あの人は私に会いたくないっていうの? ――ふざけないで! あの婆が死ぬわけないでしょう! どこに行ったの! どこに逃げたのよ! 私をこんなに不幸にしておいて! こんなに惨めで悲しい気持ちにさせておいて! ――許せない!」

 がなりたて、魔女は棒立ちのフラムの首に手をかける。

「フラム……!」

 カルケルが叫ぶと負けないほど大きな、けれど焦ったような声で野茨の魔女が叫ぶ。

「動かないでちょうだい! ――そうよ、そうやってあの婆が……母さんが私から逃げ回るなら、もっともっと目立ってやるわ。私を無視できないくらいに……。このお人形は、貰っていってあげるわ! そうすれば、母さんだって目の色変えて追いかけてくるでしょうからね!」
「もう、おいかけっこはお終いよ!」

 フラムを人質にすると宣言し、逃走しようとする魔女に向かって、リュンヌは杖を振るう。

 ぼこん!
 魔女の頭に、こぶりなカボチャが落下した。

「っっ!」

 ぼこ、ぼこん、ぼここん!
 続けて何個も何個も。

「なに、このふざけた魔法は……あっ!」

 魔女はハッとしてリュンヌをにらみつけた。
 
「小賢しい手を!」

 魔女の足下に転がったカボチャ。それが蔓を伸ばし足に絡みついていた。

 己の魔法に自信があり、リュンヌの魔法は取るに足らない。そう思っていた相手だからこそ、油断したのだ。

 リュンヌの必死の魔法は、うまく作用し魔女の動きを封じてくれた。
 そして、仕上げとばかりに伸びた蔓が大きくしなり、野茨の魔女の杖を飛ばす。

「なによ! なんなのよ!こんな下手な魔法! なんで、解けないの! なんで母さんが相手してくれないのよ!」

 心が揺らげば魔法も揺らぐ。
 見下していたリュンヌの魔法からうまく逃げられないと気付いた魔女は、癇癪を起こした。杖を拾うそぶりも見せずわめき散らす。

「なんで! どうして来てくれないの、母さん! もう嫌い! 大嫌いよ、許さない!」
「いい加減にして」

 まるで幼子だ。だからといって同情心がわくはずもない。
 リュンヌは自分をなかの気持ちを抑えるように一度息を吐く。それから、声を荒らげる事なく、静かに告げた。

「貴方、結局何もみてないのね」

 声音に込められた哀れみを感じ取った魔女は、きっとリュンヌを睨む。
 しかし、リュンヌもまた、魔女をにらみ返した。

「逃げるなら、どこへでも逃げればいいわ。そのかわり、カルケルの弟と、その体は返しなさい。私のお母さんなんだから。それから、どこへでも行けばいい。……どうせ、もう誰も追いかけたりしないんだから」
「――何ですって……!?」
「だって、そうでしょう? ……貴方を止めようと一生懸命だったばば様も、わたしのお母さんも、貴方が殺したんじゃない……!」

 意外な事を言われたかのように、魔女は目を見開いた。

「殺し、た?」
「そうよ。だから、貴方を大事に思ってた人はもう、この世に誰もいないのよ」

 そして、リュンヌは今度は大きく息を吸った。

「私は、貴方なんて大嫌い! ばば様の頼みじゃなければ、止めようなんて思わなかった! 貴方が、お母さんの体を使って好き勝手してなければ、直接会う気も起きなかった……! 私はね、貴方なんて大嫌いで、顔を見るのも声を聞くのも嫌なの! だって貴方は、私のお父さんとお母さんを殺した、この世で一番許せない悪人だもの!」
「そんなの……! あの子が悪いんじゃない! 私を裏切って婆の味方して、一人だけ幸せになって! 私は不幸なのに!」

 リュンヌが感じたのは、悔しさだ。
 この人は、この期に及んで自分だけなのだ。
 
「不幸なのは、私達家族や……――理不尽に呪われて、人生をめちゃくちゃにされた、カルケルよ!!」

 ――それでも、善き魔法使いと言われた魔女は“娘”を諦めることができなかった。

「不幸だったのは……貴方に何度裏切られても信じたかった、茨の魔女の方よ」
「母さんが……不幸?」
 
 誰が、彼の魔女を殺したのか。
 これだけ言っても、まだ理解出来ないのか。

 どうして、力ある魔法使いだった育ての親が急激に老いたのか、分からないのか。
 怒りはもちろん大きかったが、悲しみも同じくらい大きかった。


 ――かみ合わない考えが、これほど虚しいとは知らなかった。
 ばば様と呼び慕ったあの魔女が、心の中で抱えていた痛みや虚しさは、もっともっと酷かったのだろうと思うと、余計にリュンヌは泣きたくなる。

「貴方は散々悪い魔法をつかったわ。それなのに、どうしてなんの報いも受けずにいられたと思うの」
「それは……」
 
 戸惑ったのは一瞬。すぐに魔女は誇らしげな顔になる。

「私が、とびきり優れていたからに決まっているでしょう? あの婆すらかなわないほどにね!」
「っ……馬鹿!」

 思い切り、リュンヌは怒鳴った。

「ばば様が、肩代わりしてたからに決まってるでしょう! なんでばば様が、しわくちゃになったと思ってるの! 貴方に向かう報いを、全部背負い込んだせいじゃない! ――そんな事しなければよかったのに! ダメだ、いけないってわかってるのに、何度も言い聞かせれば分かってくれる……自分の年老いた姿を見れば、きっと反省してくれるって……!」

 もしも茨の森の魔女が、肩代わりなどと言う事を考えなければ、事態はもっとはやく収束しただろう。

 目の前に居る、悪い魔女の死によって。

 善なる魔法使いだった、茨の森の魔女。
 彼女が働いた、唯一の悪事。それは娘を失いたくないがために、きちんと罰を受けさせなかった事だ。

 結果、茨の森の魔女は急激に老いて、娘の姿を見ることも出来ず、あの館で息を引き取った。
 最後の最後まで、娘の身を案じ、名前を呼びながら。最期まで、己の手で娘を罰する覚悟が出来ず、すまないと泣きながら――リュンヌに頼んだ。

「どうか、あの子を止めてちょうだい。……そうやって、私にまで頼まなければいけなかった、ばば様の気持ちを、貴方は全然分かってない」
「……嘘よ。嘘よ、嘘よ、嘘よ! そうやって私を騙して、今度はどこに閉じ込める気! 出てきなさい、婆! 出てこないと、今度はこの王子様を呪ってやるわよ!」

 狂ったように叫び、茫洋としているフラムに手を伸ばした魔女だったが――。

「もう終わりよ。野茨の魔女……いいえ、プリムラ」

 瞬間、魔女は目を見開いた。
 リュンヌが彼女の名前を口にしたからだ。

 魔法使いは名を明かさない、そして精霊も。受けるべき報いをすり抜けてきた魔女も、己の名を唱えられれば逃げられない。

 力ある魔法使いが真名を唱えれば、それすなわち魔法になる。

(――ばば様が、どうしても出来なかったこと。私がやるよ)

 憎いからではなく、魔法使いのひとりとして魔法界の理を守るため。茨の森の魔女、最後の弟子として、師が果たせなかったけじめをつけるため。

 リュンヌは、師から最期に託された名前を唱えた。

『――可愛いプリムラ、あの子をどうか』

それが、不肖の弟子がやるべき最初で最後の大仕事。

「悪い魔法を撒き散らしてきた、その罰を受けなさい《プリムラ》!」
「黙れ!……っ」

 怒鳴りかけた魔女は自分の異変に気付いた。フラムに伸ばした手が、指先からどんどん干からびていく。

「な、なによ、これ……」
「……言ったでしょう。貴方が今までばば様に押しつけてきた、代償よ」

 さんざんツケにしてきた報いは、若々しかった女の体をたちまちのうち干からびさせた。

「頼んでない! 私、頼んでないわ! 何で教えてくれないの! こんなのひどい、ひどいわよ! 助けて、ねぇ、助けてちょうだい……助けて母さん!」

 子供のように泣き叫ぶ声は若い女のものなのに、その体は枯れ木のようだった。
 そして、今度は指先からさらさらと崩れていく。

『本当に、仕方のない姉弟子』

 ため息交じりの、落ち着いた声がカボチャお化けから発された。
 とたん、魔女の体の崩壊がぴたりと止まる。

「……ランたん……?」
『この手のかかる人は、口で言っても理解出来ないでしょうから……向こうの方で、今度こそ、しっかりとお師匠様に指導させるわ』

 ふわり、とカボチャお化けはリュンヌの傍を離れ、座り込み泣きじゃくっている魔女の元へ寄り添う。

『いつまで泣いているの? 大好きな魔女様の元へ、私が連れて行ってあげるから、しっかりしてちょうだい』
「……っ、あ、あんた……」

 顔を上げた魔女が、ランたんをみて目を丸くする。
 けれど、ランたんはそれ以上言葉をかけず、リュンヌとカルケルの方を向いた。

『この人が道に迷わないよう、私が付き添うわ。……だから、私達二人を死者の国まで導いてくださいな、魔女さん?』
「え……でも……」
『今の貴方なら、出来るでしょう? ――恋を知って花開き……自分にかけた呪いを打ち破った貴方なら……』

 どういう事だと首をかしげるカルケルに、ランたんは何時ものように、人間くさい仕草で肩をすくめた。

『うちに魔女さん、幼少期の体験のせいで、魔法を怖がっていたんですよ。……とどめが、貴方に生き埋めにされた事。だから……本当は魔法が使えるのに、恐怖心で自分を縛っていた。呪いは、彼女の都合の良い逃げ場だった……それが心配で心配で仕方が無かったんですけど……もう、大丈夫みたい』

 語る声音は優しい。
 染み入るように、どこまでも。

「ランたん……行っちゃうの?」
『はい。そろそろ魔法も尽きそうだし……。最後に、貴方の王子様も見る事が出来ましたし、ね』
「…………」
『さぁ、魔女さん。貴方の魔法を、最期にもう一度、私に見せて下さいな』

 リュンヌは、手にした杖を大きく振った。光が杖の先に灯る。

 今度は、円を描くようにくるくる回すと、光はリボンがほどけるようにするすると伸びていき――やがて一本の道を空へとつなげた。

 果てなく続いている道へ、ランたんは魔女を導く。
 おずおずと足を乗せた魔女の姿は、とたん霧散し――薄い、蝶のような羽を生やした娘の姿に変わり……光の道の先へ、溶けてゆく。

 その口元がほころんで、小さく動いた。
 ――母さん、と。

 最期を見届けたカボチャお化けは、自身もぴょんと光の道へ乗った。

『では、私も……』
「……ランたん」
『――なんて顔ですか。笑いなさい』
「――だって……」
 
 ぐすっと涙ぐんだリュンヌを見て、ランたんは首を横に振った。

『貴方を慰めるのは、私の役目ではありませんからね。……カルケル王子、後は任せましたよ』
「もちろんだ」
『それを聞いて安心しました。――それでは。……さようなら、ね。“小さな魔女さん”』

 あ、と小さく声を上げたのはリュンヌだった。 
 けれど、何か言う間もなくランたんの姿は溶けていき、描いた光の道も消えてしまう。

 残っていたのは、古ぼけたカボチャお化けのぬいぐるみだった。

「……これは……たしか、君が昔持っていた……」

 拾い上げたカルケルの言葉を肯定するように、リュンヌは頷く。
 何か言おうと思ったが、上手く言葉に出来なかった。

「……っ……」

 かわりに涙が、ぽたりと目からこぼれるおちる。
 カルケルが、指先でそれを拭うが、止まらない。

 子供の頃、大切に持っていたぬいぐるみ。
 両親からの、贈り物。
 そして――。

「魔女殿、おいで」

 優しい声に促され、リュンヌはカルケルの胸に飛び込んだ。彼は泣きじゃくるリュンヌを、黙って抱きしめてくれる。

「――い、いま、私の事……小さな、魔女さんって……」
「うん」
「あ、あれ……あの呼び方、私の――」

 最後の最後。
 ありったけの愛情を込めた別れの挨拶を聞いたカルケルは、リュンヌの言葉を最後まで聞かずとも分かっているというように、薄紅色の髪を撫でた。

「……ぁ――? ……ここ、は――」

 不意に、フラムが声を漏らした。
 二、三度まばたきをしたフラムは、まわりを見渡し……兄であるカルケルの姿を認めると、眉を寄せる。

 その瞳の焦点はしっかりとしていたが、浮かべた表情は険しかった。