義姉達と別れ、教会を出たリュンヌとカルケルは浮かない顔で一度教会を振り返り仰ぎ見た。
「……まるで人が変わったようだった……か」
カルケルが独りごちるように口にしたのは、先ほど義姉達が言っていた言葉だった。
昔の母は、あんな風ではなかった。
ある日突然、人が変わってしまった。
家を空ける事も多くなり、心配して話しかけてもおざなりな返事しかかえってこなくなり……、そして急に再婚の話をされたのだ。
ずっと、死んだ父を思って涙するような繊細で愛情深い人だったのに……。
――父を亡くした悲しみを乗り越えようとしているのかもしれない。
当初はそう考えた姉妹だったが、後から考えればあまりにも不自然だったと思い返していた。
母と父は恋愛結婚で、見ている方が胸焼けするほど仲が良かった。
――女三人の暮らしは物騒だから、次の相手を見つけたと考えれば一応の筋は通るかもしれないが……あれだけ父を愛していた母が、父が死んで三ヶ月で次の相手を見つけるはずがない。
それなのに、姉妹は母に再婚を告げられた時「わかった」と従ってしまったと言うのだ。
その後は、初めて会った義妹が可愛らしく、連れ子である自分たちを自然に受け入れてくれて、安心した。
仲良くなれそうでよかったと、姉妹は本心で思っていたし、義父となった人が仕事先で事故に遭い亡くなるまで、三人の関係は良好だった。
なにかが明確に狂ったのは、義父の死の後だ。
気が付けば義妹を召使いのようにこき使い、気に入らなければ手を上げ、名前すらまともに呼ばなくなった。
――義妹が、魔法使いの手助けを得て舞踏会に出席し、王子に見初められたその時まで、二人は今の自分たちがおかしい事に気が付かなかったという。
近所の女性と、義姉達。
別々の場所で、別々の人間が、全く同じ事を言っている。
つまり、これは……。
「やっぱり、悪い魔法ね」
歩き出しながら、リュンヌは言った。
カルケルは、渋い顔で隣を歩く。
「自分の娘達にまで、か?」
「……本当に、娘かしら? ――っ」
不意にリュンヌが顔をしかめた。
カルケルが気付いて、身をかがめる。
「どうしたんだ、魔女殿?」
「……ん、なんでもない。ちょっと、足がチクッとしただけ」
「痛めたのか? 見せてみろ」
「そんなんじゃないから、大丈夫よ」
リュンヌは誤魔化すように、つま先でトントンと地面を叩く。
のぞいたガラスの靴が、光を受けて、ちかっと輝いた。
「……君は、その靴が気に入りなのか?」
ガラスの靴を示され、リュンヌは笑った。
「どうして?」
「いや、俺が知る限り、君はいつでもその靴だろう? ……だが、気に入りにしても、こうして歩き回るような場合は適していないのではないかと思って……」
「…………」
「だから、足に疲労がたまったのだと思ったのだが……すまない、出過ぎた事を言ったか?」
最後は、顔色を窺うように尻すぼみになったカルケルに、リュンヌは首を振った。
「別に。……貴方の言う通りだから」
「だが、顔が怒っているぞ」
「怒ってないわよ」
「断じて、君の好きな物を否定するつもりはないんだ。ただ、そういう靴は、長時間歩き回るのに向いていないと言うだけで……」
慌てて言い訳めいた事を口にするカルケルを、リュンヌは「分かってるってば」と強い口調で遮ってしまう。
「私が、そんな事もわからないほど馬鹿に見える?」
「いや、見えない。……もしかして、その靴は修行の一環か何かだったのか? 特別な事情があったのならば……俺の言葉は無粋な上に的外れだったな、すまない」
「……修行では、ないけど……特別なものなの」
リュンヌは、汚れ一つすらないガラスの靴を見下ろす。
「……あのね、カルケル……本当は……本当は、私……」
「あ! 孫じゃない!」
ある決意をもって、リュンヌは口を開いた。
しかし、狙い澄ましたかのように誰かの揶揄を含んだ声が被さってくる。
リュンヌとカルケルが声の方を振り向くと、四人組の男女がにやにやした笑みを浮かべ、二人の方を見ていた。
「うわ、本当だ、孫だ。王都に出てくるなんて珍しい!」
「もしかして、お使い? あ~、でも“見習い孫”は、王都に近付いちゃ駄目っていわれてたんだっけぇ~、じゃあ、とうとう見習い卒業できたの?」
「馬鹿、孫さんは、永遠に見習いから抜け出せないから、孫さんなんじゃないか」
遠慮無しに近付いてくる四人組は、馬鹿にした態度を隠さない。
様子がおかしいと察したカルケルが「知り合いか?」と耳打ちしてくるが、リュンヌは答えられない。
「あれ? 連れもいるの? 見たところ、魔法使いじゃなさそうだけど……。あ! もしかして、ようやく才能のなさに気付いて諦めたの!? わぁ~おめでとう! よかったね! 自分の身の程ってやつを認められてさ!」
明るい笑顔なのに、口調は刺々しい。
けれども他の三人はどっとわいた。
「やめてないわよ……!」
噛み付くようにリュンヌが言い返すと、とたん四人は白けた目を向けてくる。
「は? まだ? いい加減、茨の森の魔女におんぶに抱っこはやめなさいよ」
「迷惑を考えろ」
「貴方、何年見習いやってるの? 私達と同じ頃に魔法使いの勉強を始めて、まだ見習いなんて……普通だったら恥ずかしくて自分から先生のところを辞するでしょう」
「お前達、そうやって責めてやるなよ。なんてったって、この人は、あの偉大な魔女の孫なんだから」
にんまりと笑う目が、リュンヌを捕らえた。
「才能ないのに立場にしがみつく、“永遠の見習い孫”なんだからな!」
笑い声を上げる四人に言い返す言葉を、リュンヌは持ち合わせていなかった。
言い方は嫌味だが、内容はほぼ事実なのだから。
「隣のあなた、その“見習い”とどういう関係なのかはわからないけれど……頼る魔法使いは選んだ方がいいわよ? その子は、何年たっても初歩魔法しか使えない、魔法使いの恥さらしなんだから」
「…………なんだと?」
カルケルが発した声は、険がこもっていた。
四人はもちろん、リュンヌもたじろぐほどに。
「だ、だから……その子の祖母が高名ってだけで釣られたんなら、やめておけって言ってんの。貴方のために、わざわざ忠告してるのよ」
「そうそう。なんて言ってだまされたか知らないが、そいつは何年経っても初歩中の初歩魔法しか使えない、見習い以下のエセ魔法使いだからな」
唇を噛んで我慢していたリュンヌの目に、じわっと涙がたまった。
エセではない。
自分は、魔法使いだ。
見習いでも、半人前以下でも、それでも祖母のように人を助ける、そんな魔法使いになる気だし、あきらめてもいない。
けっして、魔法使いを自称して人を騙すようなことなんてしていないから、エセだなんて呼ばれるいわれはないのに……――言い返せない自分が悔しくて、こんな形でリュンヌの隠し事を知ったカルケルが憤っているのが分かり、怖くなった。
見習い以下とまで馬鹿にされたリュンヌと、立派な魔法使いとなった彼ら。
比べれば、どちらがより優れているかは明らかだ。
絶対に呪いを解きたいと決意を固めたカルケルは、より優れた方を選ぶかも知れない。
肝心な事を内緒にしていた、“永遠の見習い”である自分よりも……――そう考えたら、自業自得なはずなのに、とうとうリュンヌの目からぽろりと涙がこぼれた。
「……っ……」
カルケルの視線を感じるけれど、顔を上げられない。かわりに、彼が息を呑む気配がして……――。
「おい貴様ら、今すぐその口を閉じろ」
次の瞬間、地を這うような低い声とともに、大量の……今までの比ではない量の灰が、げらげら笑っていた四人組へ降り注いだ。