コントドーフェ王国の第一王子は、呪われている。
それは、王が相応しくない女を妃に選んだから。
――カルケルが、突然灰を降らせるという呪いにみまわれた際、まことしやかに流布した噂だ。
二人のなれ初めが恋物語として語られたならば、呪われた王子というのも、人々にとっては、体のいい娯楽であった。
けれど、当事者であるカルケルは、まだ八歳の誕生日を迎えたばかりの子供。
ひそひそと城のあちこちから聞こえてくる噂話に耳を塞ぐのが、精一杯の抵抗だった。
心ない噂は、第一王子から生来の活発さを奪い、次第にカルケルは部屋に閉じこもる時間の方が多くなった。
王や王妃は、快活さを失い引きこもりがちになった息子のため、国中から魔法使いを呼び集めた。けれど、カルケルの呪いを解ける魔法使いは、誰一人として現れなかった。
そして、“灰かぶり王子”は、人目を避けるようになり――……十年もの時が流れてしまった。
「……また駄目、だったか」
日光を遮るため、昼ですらカーテンをひいている自室で、カルケルは陰鬱な面持ちで、ため息を吐いた。
彼の手には、一枚の手紙。先日の見合い相手から届いた、お断りの文面だ。
西方の国の姫だったが、顔合わせの場で、灰塗れにしてしまったのが駄目だった。
その後、怯えきった姫は、あんな男のところへ嫁ぐくらいなら死んでやると錯乱してしまったという。
こちらにも非があるからと、父王は渋い顔をしつつも相手国を責めなかった。責められるはずも無い。自国の令嬢からはみな逃げられた王子へ、何も知らない他国の姫をあてようとしたのだから。
「まぁ、それも無駄に終わったな」
今回も駄目だった。
自国はおろか、“コントドーフェ王国の王太子は呪われている”という話を、半信半疑で受け止めていた他国にも、これで一気に噂は広がるだろう。ただでさえ、近隣で年頃の姫がいる国は警戒状態なのだ。その警戒の範囲が、拡大すると言う事だ。
カルケルは、もう自分が結婚できる気がしなかった。
母は、先日――カルケルが、西方の国の姫を灰塗れにした事を知った時点で倒れてしまったと聞いた。
“灰かぶり”と聞くと、辛い思いをしていた過去を思い出すのか、次第に自分を避けるようになった母の状態は、人伝に聞いただけ。だから、自分の顔など見たくは無いだろうと、カルケルはこっそりと見舞いに行った。
その時、久しぶりに見た母は、小さかった。
寝台で眠っていたが、その寝顔は安らかとは言い難く、うわごとで誰かにずっと謝罪していた。
私のせいで、ごめんなさい……と。
母親のそんな姿を見てしまったカルケルは、常に自分の中にあった決意を、より強固なものにした。
息子を避ける母に、持て余す父。
そして、どれだけ努力しても名目上の王太子が居座り続けるせいで、報われない弟。
これらを一度にどうにかするには、“灰かぶり王子”である自分がいなくなればいい。
そうすれば、これ以上、母にも父にも迷惑をかけずにすむし、弟に気詰まりな思いをさせることも無くなる。
「……どうせ、誰に惜しまれているわけでもないからな」
引きこもりの、呪われた王子。
そんな立場であるのに、十年間第一王子としてあり続ける事が出来たのは、ひとえに両親や弟が、突然呪われてしまった自分を哀れに思ってくれたからだと、カルケルは知っている。
哀れだから、今日まで王位継承権一位の資格を取り上げられる事も無く、王太子としていられた。
しかし、哀れみにだってきっと限度がある。事態は全く好転しないどころか、王妃を悪くいう声まで上がっているのだ。どれだけ哀れだろうと、カルケルは全く役に立たない存在でしかない。
この国は、結婚しなければ王位は継げないというしきたりがある。結婚はおろか、婚約者すらいないカルケルが、次期王位継承者という立場にある事を疑問視している貴族は多かった。
幸い、カルケルには弟がいる。かつては病弱だった弟だが、今ではすっかり体も丈夫になり、乗馬や剣術の訓練を欠かさず、孤児院などへの慰問も積極的に行っているし、婚約者も内定している。
第二王子の方が次期王には相応しいのではないか……?
ここ最近、特に強くそんな声を聞く。
――名ばかりの王太子に、いつまでも居座られて困るのはみんな同じなのだ。自身もそう感じていたカルケルは、今回上手くいかなければ、自ら廃嫡を願い出ようと決めていた。
父王も、そのつもりだったのだろう。この後自分の元へ来るようにと侍従に言付けてあった。
(いっそ、誰の迷惑にもならない場所に隠居するか)
のっそりと椅子から立ち上がったカルケルは、のろのろと自室を出た。
相応しくないと分かってはいたけれど、実際父から言われたら……そう考えると、もともと生気に欠けた表情が、ますます陰鬱とした。
◆◆◆
「カルケル、茨の森に行け」
「……は?」
顔を合わせるや否や、挨拶をしようとするカルケルを制した父王は、時間が惜しいとばかりに言った。
「茨の、森……?」
「あぁ、そうだ。母の友人の魔法使いがいただろう? 彼女がもともと暮らしていた場所だ」
母の友人。
父と母を結びつけた陰の功労者であると同時に、あらゆる貴族の思惑を台無しにしたとんでもない魔女だと皮肉られている、年老いた魔法使いだ。
恰幅のいい、白髪頭の女性だったが――それでも、今の自分のくすんだこの髪色よりは、ずっと綺麗な色だったと、カルケルは懐かしい記憶を掘り起こした。
「……ずいぶんと、懐かしい方の話を持ち出すのですね」
あの魔法使いは、カルケルが呪いを発症すると同時に、城に訪れる事は無くなった。
以後、国中の魔法使いを集めたときも、あの老魔女の姿を見たためしがない。
(……それに、あの子も……)
ちらりと、カルケルの脳裏を、薄紅色がかすめた。
同時に、灰に埋もれた時の苦しさと――同じような思いを、誰かに味合わせてしまったという恐怖心を思い出し、震えを誤魔化すように拳を握った。
「茨の森に住む魔女殿は、国一番の実力者だ。彼女が解けない魔法は、誰にも解けないとまで言われている」
「……そんな方ならば、なぜこの十年間、一度もこの城にお呼びしないのですか? そもそも、私が呪われたと断言したのは、彼の魔女殿だったという話ではありませんか。断言したのに、解呪はしなかったなんて、おかしな話です。……母とあの方は、友人同士だったというのに」
呪いが発動した日。
母の友人で、恩人である魔女は、城へ来ていた。
カルケルが呪われたのだとすぐに分かったのも、魔女がいたからだ。
けれど、呪いは解かれる事なく、そのまま放置された。
国一番の魔法使いがいたにもかかわらず、カルケルは呪われたまま。
それがどういう事か、子供でも分かる。
――解けなかったのだ。
国一番の魔法使いだと言われている、あの老魔女ですら、カルケルの呪いを解く事はできなかった。
だから十年、あらゆる魔法使い達を呼び寄せても、答えはみんな同じだった。
――それを今更、とカルケルは唇をゆがめた。
「今更、あの魔女殿に会って、何の意味があるのですか」
解呪の兆しが見えたのならば、きっとすぐさま行動に移している。けれど、父も母も動かなかった。いままで、茨の森という言葉すら、カルケルの前で出さなかった。
「フラムは出来た弟です。呪いに負けた私などよりも、はるかに父上のお役に立てるでしょう」
十年間で、期待することには、もう飽いてしまった。
カルケルの口元には、乾いた笑みが浮かぶ。
若者らしくない笑い方をする息子が、どう見えたのか……、父王は悲しげに眉を寄せる。
「――カルケル……」
「十年間、温情をいただき、ありがとうございました」
「黙れ」
「……父上?」
「誰が退室を許した。別れの挨拶を許した。――これは、父が息子に頼み事をしているのではない。王命だ」
厳しい口調の父は、カルケルを威圧するように見下ろした。
「茨の森に住まう、魔女に会え。――そして、彼女に助力を願うのだ。力添えが得られるまで、戻る事は許さぬ。……その間、お前の廃嫡の件は、私が預かろう」
無意味な事だ。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
王命に反論することは、許されない。
(……あぁ、さすがにそのまま廃嫡するのは、外聞が悪いのか……)
持て余している“灰かぶり王子”といえど、相応の体裁というものがあるのだろうと、渇いた心で考えながらカルケルは、礼を取る。
頭を下げると、見たくもないくすんだ灰色の髪が視界をチラついて、ただただ不快だった――。