それは、二人が解呪のための手がかりを調べるため、文献を読みあさっていた時のことだった。
「そういえばカルケル。……貴方は一体、どういう経緯で呪いをかけられたの?」
「……経緯、か」
文献を丁寧に閉じ元の棚に戻すと、カルケルは腕を組んで顎を触り、考え込んだ。
「あ~……言いにくいことなら、無理しなくても……」
無神経な問いかけだったと反省したリュンヌが控えめに声をかけると、黙考していたカルケルは、やんわりとした笑みを浮かべて首を横に振る。
「……いいや、無理はしていない。……ただ、分からないんだ」
「――わからない?」
「……あぁ。恥ずかしい話だが……なぜ呪いをかけられたのか、分からない」
灰かぶりの呪いは、カルケルが八歳の時に突然発現した。
いつ、どこで呪われたのかすら、分からないまま、カルケルは十年の時を過ごしてきたのだ。
「役に立たなくて、すまない……」
自分が貴重な情報源だと分かっているのだろう。けれども、ろくな情報を提示できない事に、不甲斐なさを感じている。
平謝りするカルケルからは、そんな思いが滲んで見える。
――それだけ、必死なのだ。
(仲直り……したいからかしら)
話に聞いた、特別な友達。
笑った顔が可愛い女の子だったという。
その子と再会したい。
それが、今のカルケルにとって活力になっているのだろう。 ――と、そこまで考えて、リュンヌは引っかかりを覚えた。
(女の子……)
懐かしむように、カルケルは思い出を語った。
くすぐったそうな口ぶりで、可愛いと。
その、笑った顔が可愛い特別な友達の前で、彼の呪いは初めて姿を見せた。
カルケルの特別な友達を、灰の中に埋めるという形で。
(それでもって……、カルケル王子の呪いの威力は、この人の感情の起伏に左右されるものだから……)
呪いが猛威をふるったその瞬間、カルケルは大きく感情を動かすような出来事に直面していたのではないか?
リュンヌの脳裏に、そんな仮説が浮かぶ。
「ねぇ、カルケル」
「なんだろうか?」
「貴方、友達の女の子といるとき、初めて呪いが発動したって言ってたわよね?」
「……ああ、言ったな。それが?」
「その時、ケンカでもしてたの?」
「まさか!」
何か答える前に、だいたい一拍の間を置くカルケルが、即答した。
有り得ない事だと首を横に振っている。
(ケンカしていたわけじゃない。……怒るような出来事はなかったって事ね。だったらやっぱり……)
リュンヌは渋い顔を作る。
気付いたカルケルが、どうしたんだと気遣うような視線を向けてくる。
「もう一つ、いい? 大事な事なの」
「俺で役に立てることなら、なんでも」
「――貴方、その時……えぇと、呪いが発動したときだけど……なにか、特別な事がなかった?」
「特別?」
「ケンカじゃなければ、驚かされたとか、悲しい事があったとか」
「ない。……その直後に、悲劇は起きたがな。それまでは、平穏そのものだった」
今度は、リュンヌが考え込む番だった。
眠たげな半目を、ますます細くして、じっと床を見つめる。
やがて、意を決したように顔を上げた。
「ねぇ、カルケル。貴方、もしかしてその友達に、恋をしなかった?」
「なっ――!!」
たちまちカルケルの顔が真っ赤になり、ザバザバと大量の灰が降ってくる。
リュンヌは「ランたん!」と使い魔の名を叫び、周りの灰を散らしてもらいつつ、あまりの反応の良さに図星を確信する。
「……わかりやすい……」
「わ、悪かったな! 君が急に、おかしな事を聞くからだろう!」
触れられたくない事だったのか、噛み付くように怒鳴られて、リュンヌは首を縮こめた。
それを、怯えと受け取ったのか、カルケルは自分の灰を払うのも忘れ、慌てた様子だ。リュンヌの方へ手を伸ばしたり、引っ込めたりと、忙しなく動かす。
「……すまない、君を、怖がらせるつもりは……」
「別に怖がってないわ。貴方でも、大きな声を出すんだなってびっくりしただけ。……今の質問、別にからかおうとか思って聞いている訳じゃないのよ?」
面白がられているのだと勘違いされても困るから、リュンヌは念押しした。
すると、大切な事なのだと分かってくれた様で、ばつが悪そうだったカルケルの表情も引き締まる。
「これは……あくまでも、私の予想なんだけど」
「かまわない、聞かせてくれ」
「貴方の呪いは、きっと随分前からかけられていたんだと思う。ただ、発動する切っ掛けがなかっただけ」
「……きっかけ?」
「――恋よ」
ぽかんと、カルケルが口を開ける。
リュンヌは、じろりとその間抜けな顔を睨んだ。
「冗談で言っているわけじゃないわ。本気よ。貴方、その友達に恋をしたんでしょう? きっと、初恋ね。……初めての恋なんて、大きな感情の動きだわ」
「待て、待ってくれ……」
「なに?」
「こ、恋心を切っ掛けに発動する呪いだと? なぜ、そんなものを子供にかける? もっと分かりやすい方法が……」
言いかけて、カルケルが口を閉ざした。
たちまち、顔が青ざめていく。
「まさか……」
「――分かりにくい呪いで、充分だったのよ。遅かれ早かれ、恋を自覚した瞬間に、呪いは発動するんだから。……今、どれだけ相手が面白おかしく、幸せに過ごしていても、必ず苦しむ瞬間が来るって分かるから……ある意味、安心して見ていられたんでしょう。ざまぁみろって気持ちで」
悪趣味だとリュンヌは顔をゆがめた。
「貴方、とんでもない女に呪われたわね」
「え?」
「――灰かぶりなんて、こんな趣味の悪い呪い……。よくよく考えれば、そんな意趣返しめいたことする陰険なんて、一人くらいだったわ」
「……君は、まさか相手を知っているのか?」
カルケルの表情が険しい。
「誰なんだ? 教えてくれ……! 俺はどうして、呪われなければいけなかったんだ……!」
気が急いた様子で問いかけてくるカルケルだったが、無理もない事だとリュンヌは唇を噛んだ。
なにせ今まで姿形すらはっきりしなかった呪い主の正体に、突然手が届いたのだ。焦るのも当然だ。
ただ、呪った者の正体を明かしたところで、彼の気持ちが少しでも晴れるかと言えば……答えはきっと、否だろう。
「何度も言うけど、これは全て、あくまで、私の予想として聞いて」
「あぁ、分かった。分ったから、はやく教えてくれ……!」
「貴方を呪ったのは、魔女よ。……嫉妬に狂った、一人の魔女」
嫉妬……? と、腑に落ちないといった風にカルケルが繰り返す。
「子供の俺に、か?」
「……いいえ、違うわ」
「魔女殿……すまない、よく、分からないんだが……」
「カルケル、貴方はきっと……貴方のお母さんの身代わりとして、呪われたのよ」
ひゅっと息を呑む音が聞こえて、沈黙が生まれる。
まるで、時が止まってしまったようだ。
リュンヌはそれを自身の錯覚だと理解していたが、それでも刺さるような痛い沈黙が永劫に続くように思えた。
それほど、カルケルは驚き、言葉も声も失い、呆然と立ち尽くしていた。
バサ。
灰が、降ってくる。
バサ、バサ、バサ。
後から後から。
このままでは部屋の中で埋まってしまうと思ったリュンヌは、慌ててカルケルの手を引いて、大窓から外へ連れ出した。
バサバサバサササ――後から後から……止めどなく降り積もる灰は、カルケルの動揺を物語るにこの上なく相応しい。
積もる灰は、彼の動揺と……心の痛みの象徴かもしれなかった。
降り積もっていた灰が、ようやく勢いを弱める。
黙ってカルケルのしたいようにさせていたリュンヌだったが、それに気付くと遠慮がちに近付き、声をかけた。
「カルケル……」
「っ」
びくりと、肩が跳ねた。
茨の森の魔女が作った魔法の外套でも、威力を殺しきれなかった呪い。――それこそが、カルケルの心が大きく軋んだ証拠だ。
自分は言い方を間違えたのだと、リュンヌは項垂れる。
「……ごめんなさい」
取り繕ったりはせず正直に謝り、頭を下げると、カルケルは、ぎこちないながらも笑おうとする。
「……なぜ、君が謝る」
「だって言い方が……、私の言い方が酷かったから」
「……変に回りくどく、顔色を窺って言われるより、ずっといい。……だから、謝らないで欲しい」
困ったように、ともすれば泣き出しそうに、カルケルが笑った。
笑いかけられたリュンヌの胸が痛む、そんな笑みだ。
「でも……」
「俺の方こそ、悪かった。……また、君を灰に埋めるところだった……。自制も出来ない、駄目な男だ……」
「それこそ、カルケルが謝る事じゃないわ」
「いや、俺が悪いんだ」
「私よ! 今回ばかりは、絶対に私!」
「俺だ。俺が弱いばかりに、こんな……」
「私が説明下手なせいよ! もっと貴方の気持ちを考えて物を言っていたら……!」
俺が、私がと、二人は互いに譲らず自らを貶め合う。
延々続きそうな言い合いを見ていられなくなったのか、飛び出してきたランたんが毛糸の手で双方の頭をスパパンッと叩いた。
「痛っ」
「ぐっ!」
それぞれ悲鳴を上げた二人は、顔を見合わせる。そして、互いに目尻を下げて笑い合った。
落ち着きを取り戻したカルケルがフードを引っ張りつつ、空を仰ぎ見る。
「……“私のせいで、ごめんなさい”……」
「え?」
「……母の口癖だ。もっとも、俺がこんな風になるまでは、一度も聞いた事が無い口癖だがな」
こんな風とは……呪いが発動してしまった後の事だろう。
寂しそうな口ぶりで語るカルケルは、空を見たまま動かない。晴れた空を見つめるその横顔にも、口調と同じくらい、物悲しい影があった。
「母は、俺を避ける。父は、俺を持て余す。弟は、俺の代わりに務めを果たすが、俺がいるから王太子になれない」
大きく息を吐いたあと、カルケルはようやく視線を地上に戻した。
リュンヌを見つめ、笑ってみせる。
「――いらない存在なんだ、俺は」
「…………」
寂しい顔で、笑う人だ。
自分で吐いた言葉に、自分で傷つく、随分難儀な人だとリュンヌは思う。
今にも心がぽっきりと折れてしまいそうなカルケルに向かい、リュンヌはただ純粋に問いかけた。
「……諦めちゃうの?」
「…………」
なにを? とは、言わない。
それでもカルケルには伝わったようで、諦観を宿した瞳が、わずかに揺れる。
「ねぇ、カルケル。……私と、恋はしてくれないの?」
「…………っ」
今度は、大きく見開かれた。
「君は……こんな男と、本当に恋がしたいのか?」
「謹んでお相手してくれるんでしょう?」
「……馬鹿げている。……こんな、……俺みたいな……誰にも必要とされない男を……」
「私は貴方を必要だと思っているし、いらない存在なんて思ってないわ。……きっと、貴方の家族だってそうよ」
「っだが……! ……だが、俺は母の呪いの身代わりだったんだろう?」
うん、とリュンヌは頷く。けれど、すぐに「でも……」と続けた。
「貴方のお母さんは、貴方を身代わりにしようなんて、考えていなかったと思うわ」
「……気休めを」
「違う。……思い出して、カルケル。貴方の呪いは、発動するその時になるまで、誰にも気付かれなかったのよ?」
「――……ぁ」
もしも呪いをかけられると分かっていたのなら、我が子を身代わりに仕立て上げるよりも、相手を潰してしまった方が早い。
それに、カルケルも思い至ったのか、言葉を途切れさせた。
「……調べてみましょう、カルケル。もっと詳しく」
「調べるって……」
「王都に行くの」
「――なんだって?」
「貴方に呪いをかけた魔女は、貴方のお母さんを呪っていた。……貴方のお母さんを恨んでいた魔女……それも、茨の森の魔女……ばば様の目をかいくぐれるほどの力の持ち主なんて、一人くらいだわ」
知っている? とリュンヌが問えば、カルケルは首を横に振る。
けれども視線は答えを促していた。
「お話に出てくる、意地悪な継母」
「まさか……」
「貴方の両親のなれ初めは、物語になるほど有名だわ。……脚色した本だって、何冊も出てる。でも、どのお話にも必ず出てくる悪役が、意地悪な継母」
恋に落ちた二人が結ばれるための最大の障害として、その姿はどの物語にも描かれている。
時には、強い力を持った悪い魔女としても……。
「まさか……! 母上の義母殿は、本当に魔女だったというのか?」
「ええ、そうよ」
「……なんて事だ」
「物語の結末は、灰かぶりをいじめ倒した悪い魔女は、二人の愛の力に破れて終わるけれど……現実は違った」
リュンヌは、ガラスの靴で小石を蹴った。けれど、薔薇の細工があしらわれたガラスの靴には、傷も汚れも一切つかない。
複雑な思いでそれを見つめたリュンヌは、引き絞るような声を出した。
「魔女は幸せを呪い、いまもどこかで不幸を笑ってる」
吹き抜けていった風は、どこか冷たかった。
張り詰めたような静寂が支配する、王城。
柔らかい白色であるはずの城内の壁は、なぜかいつでもくすんで見える。
掃除を怠っているわけではない。手入れが行き届いていないわけでもない。
――全ては、呪われた灰かぶり王子が降らす、忌まわしい灰のせい……だと思っていた。
しかし、どうだろう。
灰かぶり王子は、先日から不在だというのに、城は少しも明るくならない。
ひたすら続くような薄暗さに、コントドーフェ王国の第二王子フラムは、チッと舌を鳴らした。
「――まぁ、どうなされました、王子様」
後ろに控えていた、ほっそりした肢体の女が、ひそやかにささやきかけてくる。
「……我が城には、あの忌まわしい灰が染みついてしまったようだ。どこにいても、心は晴れず、くすんだままだ」
苛立たしげに語れば、女はそっとフラムの肩に手を置いた。
「えぇ、そうでしょうとも。……王子様、何事も根本を絶たねば、よくはならないものです」
「……根本?」
「はい」
片眉を跳ねさせたフラムに、女は頷いた。
「以前、お伝えした通り。……灰の呪いは、やがてこの国を沈めるでしょう。だから、茨の森のおいぼれ魔女はさっさと逃げだし、姿を見せないのです。けれど、真実を知る王達は、ありもしない解呪にすがり、現実を見ようとしない」
緩く曲線を描く薄紅色の髪を揺らし、女は笑った。
「王子様、この国を救えるのは、貴方だけなのです」
視線を間近で合わせて、甘く優しく、ささやきかける。
一度、びくりと大きく肩を跳ねさせたフラムだったが、徐々に体から力を抜いていった。
「……そうだ……兄上は、呪われて……変わられた……」
その二つの眼も、だんだんと焦点を失っていく。
「えぇ。貴方の兄は、呪いにより心も歪み、復讐を目論んでいる」
「……守らなければ……」
「ええ、はい、そうなさいませ。……真の王たる貴方には、この国を守る資格がある」
「……王――」
「――災いである灰かぶりに、誰も手出し出来ぬなら……貴方がやらねば」
まるで、操糸が切れた人形のように、かくりとフラムの頭が下がる。
「――国を、守らなければ……」
うわごとのように繰り返す彼の目に、すでに光は無く……薄紅色の髪をした女は、それを満足そうに見つめていた。
王都に行く。
そう決めたリュンヌ達は、翌日準備を整え玄関に集合した。
「さぁ! 出発しましょう!」
先頭を切るリュンヌの、元気の良い声が森に響き渡る中……。
「……張り切っているところ、申し訳ないが……少しだけ、いいだろうか?」
カルケルが控えめながら挙手をした。
「どうしたの?」
「……本当に、俺を連れて行くのか?」
「当たり前でしょう。……それともなに? 貴方、自分の事なのに大人しく留守番していられるの?」
「――無理だな」
渋い顔で即答するカルケル。
だったら、なぜ今更な質問をするのだとリュンヌは眉を寄せた。
「……なに? もしかして、体調が悪いの?」
「――いや、そういう訳じゃない」
万が一具合が悪いなら、本人に着いていきたいという意思があっても無理はさせられない。一応、そういった配慮は出来るつもりだったリュンヌだが、またしてもカルケルに否定される。
「それじゃあ、どういう訳なの?」
「……俺は、この通り呪われている。……今は、君の祖母殿が作った、この外套で押さえ込めているが……」
カルケルは最後まで続けなかったが、きっと制御が完全では無い事を言いたかったのだろう。
言いにくそうな顔から、彼の内心をだいたい察してしまったリュンヌは、気まずそうに咳払いした。
「だ、大丈夫よ! そのために、ばば様の物置をひっくり返して、予備外套まで見つけてきたんだから!」
カルケルが着ているものと、全く同じ外套を、リュンヌは背負っていた荷袋から取り出して見せた。
「これを着れば、きっと効果は倍増するはずよ!」
「それは凄いな」
「そうでしょう、そうでしょう!」
「……だが魔女殿、冷静に考えてくれ。君は、外套を重ねて着込んだ挙げ句、二重のフードで顔を隠す怪しい男と一緒に、歩く羽目になるんだぞ?」
この森ならばまだしも、王都ならば確実に目立つとカルケルが唸る。
「王都にこんな格好で立ち入れば、俺達はたちまち憲兵に拘束されるだろう」
「そ、そんな……! なにも悪い事してないのに?」
「悪事を未然に防ぐのも、憲兵の仕事だ。……明らかな不審人物を見て、放っておくはずが無い」
不審人物、といわれたリュンヌは改めて考えた。
魔女が一人。
外套を重ね着した、顔を見せない男が一人。
そして極めつけに、やたらと動作がうるさいカボチャお化けが一人。
(あ、確かに不審。もう、不審の集合体みたいになってるわ)
だが、外套を脱がせばカルケルはおろか、自分だって灰に埋まってしまうし……とリュンヌは頭をひねる。
「……わかったわ、カルケル」
「……そうか。やはり、俺を連れて行く事の面倒さに気が付いて、思いとどまったか。……よかった」
カルケルは安堵したような口ぶりで言うけれど、隠しきれない寂しさを滲ませた笑みを浮かべて、リュンヌを見下ろす。
言っている事と表情が一致していない王子に向かって、リュンヌはぴしっと杖を突きつけた。
「心にもない事、言わないで」
「……え?」
「よかった、なんて思ってないくせに。ほんとうは、留守番なんて嫌なんでしょう? 一緒に行きたいって思ってるくせに、貴方は言い訳ばっかりだわ」
謝りながらも、カルケルが並べるのは自分を連れて行く事で被る不利益ばかり。だから、調べに行くのが嫌なのかと思えば、それもまた違う。
知りたいのに、行きたいのに、わざと相手のやる気を削ぐような事ばかり言う王子は、気まずそうに目を伏せた。
「……言い訳では、無い。事実だ。……俺が君と行けば、迷惑をかけると……」
「私に迷惑をかけたくない?」
「……あぁ、そうだ」
「嘘ばっかり」
リュンヌは杖をおろすと、「ふん」とそっぽを向いて腕を組んだ。
「そんなの全部、自分のためでしょ」
「――なっ……」
「自分が嫌な思いしたくないから、予防線を張ってるんだわ。……意気地無し」
カルケルの肩が弾かれたように震え、ぐっと両手に力が入った。
「……それの……っ」
押し殺したような声が漏れ聞こえるが、結局カルケルは続きを飲み込もうとする。
「なによ? 意気地無し王子様」
そうはさせるものかと、リュンヌはあえて挑発するように呼びかけた。
ぶるりと、大きく空気が震えた――そんな気がして……。
「――それの、何が悪いんだ……!」
カルケルの怒鳴りつけるような声とともに、大量の灰が降ってきた。
リュンヌは手にした杖をくるくる回し、灰をひとまとめに浮かせ、埋没を避ける。
「俺はもう嫌なんだ……! 人に白い目で見られるのも、怯えた目で見られるのも……! 君に、そんな目で見られたら……俺は、とうてい耐えられない……!」
「――……え?」
本音を吐かせたかった。
本当は行きたいと思っているカルケルに、自分の口で言わせたかった。
だからリュンヌは、あえて焚きつけたというのに、カルケルが口にした本音は、予想とは違うものだった。
「……君に……嫌われたくない……」
片手で目元を覆ったカルケルは、震える声でそう言った。
聞いた瞬間、リュンヌは胸の辺りが締め付けられたように苦しくなる。
嫌われたくない。
その短い言葉にどれだけの感情を込めたのか、項垂れるカルケル。
リュンヌには、今の彼が怯えた子供のように見えた。
――まるで、昔の自分のように思えた。何もかも怖かった、子供の頃の自分に重なった。
「馬鹿ね。嫌いになるなら、とっくになってるわ」
リュンヌの口からついて出たのは、思いのほか優しい声だった。
「……え」
カルケルが、驚いたように顔を上げるほどに。
それに、少しだけ恥ずかしくなりながらも、リュンヌはカルケルに向かって手を伸ばす。
「馬鹿だって言ったの。何回私が灰の危機に直面したと思ってるの。面倒、怖い、大嫌いなんて思ってたら、もうとっくに森を追い出してるわ。……だから、変な心配なんかしてないで、一緒に行きましょう?」
リュンヌが眼前に差し伸べた手を、カルケルは呆けたように見つめていた。
その視線は、ゆるゆると動き、今度はリュンヌの真意を確認するかのように、顔に向けられる。
もしも、ここでリュンヌの表情に嫌悪や恐怖……ごく僅かでも、負の感情が浮かんでいれば、きっとカルケルは手を取ったりはしなかっただろう。
しかしリュンヌは、急かすことなく、笑顔でカルケルが手を取るのを待っていた。
「ね? 大丈夫だから。一緒に行きましょうよ、カルケル」
おずおずと重ねられた手をリュンヌがぎゅっと握ると、カルケルはくしゃりと顔をゆがめる。
「……参ったな……――いつかと、逆だ……」
「え?」
「――……懐かしいと……そう言ったんだ」
言われて、リュンヌは頷いた。
そんな事あるはずが無いのにと思いながらも、つい口に出してしまう。
「私も、そう思ったの。……なんだかずっと前から、こうして手を繋いでた気がするなぁって」
カルケルとは初対面。
懐かしさなど覚えるはずがない。
それなのに、自分の中ではしっくりきているなんて、おかしな話だ。
「……そうか。……うん――俺もだよ」
握り返してくる手の強さに、リュンヌは笑った。
「じゃあ、しばらくこうしてる?」
生真面目な王子様は、顔を真っ赤にして灰を降らせ拒否するかと思ったが……、ゆっくりと首を縦に振った。
「君がいいなら、もう少しだけ……もう少しだけでいいから、こうしていよう……魔女ちゃん」
「……っ!」
びっくりしたリュンヌは、杖を構え直した。
案の定、勢いよく降ってくる灰に向かい、杖をふるう。
「ふぅ」
「…………手、やはり離した方がいいだろうか」
「いいわよ、このままで。……灰が降るって分かってれば、私だって何とか出来るんだから。……だから、気にしないでついてくれば良いの」
返事は? とリュンヌが促すと、カルケルは脱げかけていたフードをひっぱり、目深くかぶりなおし、頷いた。
「……あぁ、頼む。――……俺は、君と一緒に、真実を知りたい」
「もちろんよ!」
繋いだ手から伝わる熱は、リュンヌの心をぽかぽかと温めた。
もしかしたら、カルケルも同じだったのかもしれない。
彼の顔も、何時もと違い、ほんのりと赤く染まっていたから。
王都に続く大橋の上を、たくさんの人が通り過ぎる。
大門を守る番兵達は、微動だにせずに真っ直ぐと立ち、行き交う人々にさりげなく目を光らせていた。
そこを、リュンヌとカルケルは何食わぬ顔で通り過ぎなければいけなかった。
――灰を降らせないための策として、カルケルは無心になる事を提案した。雑念を取っ払い、心を落ち着け……と考えて、リュンヌが手渡したのは、お金が入った革袋だった。
「中身を数える事に集中すれば、無心になれるんじゃない?」
「……悪くはない手だとは思うが……、いいのか? そうなると、門の中へ入るまで、俺は君の横で、ブツブツ独り言を言いながら金数えをしている事になるが……」
「――目立つわね」
「……あぁ、目立つな」
フードを目深くかぶった男が、ブツブツと小声で何事かを唱え、一心不乱に金を数えている図というのは、傍目から見れば奇妙だろうと、二人は顔を見合わせてため息をついた。
「――よし、分かった」
「え?」
「俺を殴ってくれ」
――ぴくり、とリュンヌの片頬が引きつった。
「遠慮無く、拳で一撃を見舞ってくれ」
「……一応聞くけど、その後どうするつもり?」
「俺は気絶すれば、灰を降らせない。その間に、連れが倒れたと騒ぎ立てれば、誰かが中に運んでくれるだろう」
「……ねぇ、カルケル。いま私達がいる場所がどこか、わかってる?」
リュンヌは、思わずカルケルを睨んでしまった。
横並びで、草陰から王都の大門を観察していたカルケルは「うん?」と首をかしげる。
「林の中の、草陰だな」
「そうねぇ。……で、ここで貴方を気絶させたとして、どうやってあそこまで運んでいくの? まさか、担げって?」
「……君の魔法で、こう、ふわ~っと……ならないだろうか?」
「門の近くまで、そうやって運ぶの? ……ねぇ、だったら金数えより目立つんじゃない?」
「……う、む……」
二人は、またしても顔を見合わせた。
そして、そろって大きなため息をつく。
「……よし、分かった」
「……今度はどうしたの、カルケル」
「革袋を貸してくれ」
「……え?」
「――俺は今から、三度の食事よりも金が大好きな守銭奴になる……!」
すくっと立ち上がったカルケルが拳を握ると、力強く宣言した。
「えぇっ?」
「たしかに、奇異の目は向けられるかもしれないが……中に入れば人は大勢いる。どうせすぐに関心が無くなるだろう。……君には、一緒にいるせいで不快な思いをさせるかもしれないが……――」
どうか、付き合って欲しい。
カルケルは、はっきりとそう口にした。
すまないでも、申し訳ないでもなく、彼自身の望みを口に出してくれた。
――リュンヌは、知らず知らずに自分の口元がつり上がっていくのを感じた。ほんの少しの変化だが、それでも暗闇に光が差し込んだような、大きな喜びがリュンヌの胸を満たしていく。
(変なの)
嬉しい。
とても、嬉しい。
カルケルが、謝罪ではなく、自分の思う事をきちんと言葉にしてくれた。
――小さな変化が、こんなに嬉しいなんて、自分はちょっと変かもしれない。
そう思うほどに、リュンヌの心は浮き足だった。
「不快になんてならないわ。誰に見られたって、関係無いもの。……ふふ、付き合って欲しいなんて……貴方からそう言ってくれるなんて、嬉しいな」
だから、リュンヌもまた素直に自分が感じた喜びを伝えようと思ったのだが、突然カルケルは顔色を変えた。
青くなり、かと思えば今度は真っ赤になり、再度青ざめた。
「……え? ――っ、ち、違う……! 今のは、違うんだ!」
「は?」
「おかしな意味じゃない! 俺は、不純な意味で言ったわけではなく……!」
「不純? ――ごめん、カルケル、よく分からないんだけど……」
ぱさぱさ降ってくる灰を払いつつ、リュンヌは首をかしげた。
「王都に潜入するのは一緒だよって事だと思ったんだけど……違うの?」
「…………え?」
「なにか、違う意味があったの?」
「あ……いや、その……~~っ!」
青くなっていた顔色が、今度はどんどん赤くなる。
熟れた果物みたいになって、そのうちパンとはじけそうだと思ったリュンヌは、つんとその頬をつついてみた。
「!!」
「あ、ごめん。つい」
「……つ、つい? ……君は、ついうっかりで、男の顔に触るのか……!」
「えぇ~……?」
また何かややこしい事を言い出した王子様に、リュンヌは眉を下げた。
「私はカルケルにしか触らないわよ。誰にも彼にもペタペタ触るなんて思ってたの? 心外だわ」
他の誰かが、カルケルと同じような反応をして見せたとしても、きっと自分は触ろうなんて思わない。想像した途端、あっさりと出た自身の答えを伝えつつも、リュンヌは少し怒ったような口調になった。
「……っ……俺だけ……」
答えを聞いたカルケルは、さらにバサバサと灰を降らせる。
真っ赤な顔のまま、口元を抑えた彼は、とうとうその場にうずくまってしまった。。
「カルケル? ……どうしたの急に? ――立ちくらみ?」
「君は……! それが素なのか?」
「は?」
「…………」
うずくまって顔を伏せていたカルケルから向けられた視線は、恨めしげだった。
しかし、意味が分からないリュンヌが悩ましいという顔で眉間に皺を作ると、カルケルは大きく息を吐き出し、苦笑する。
「……素、なんだろうな……」
「だから、何?」
「――君は、俺と恋をしたいんだろう?」
「え? そ、それが、どうしたの?」
どうもしないけれど、とカルケルは首を振ると立ち上がる。
見下ろしていた体勢から、見上げる体勢へと変わったリュンヌの薄紅色の髪に、カルケルの手が伸びてきた。
そっと指が絡められ――。
「……なんだか、俺ばかりが夢中になる一方で、つまらない……そう思っただけだ」
耳打ちされた一言とともに、指は離れていく。
「……え?」
「さぁ、行こうか魔女殿」
ぐいっと自身のフードを引っ張ったカルケルは、リュンヌ偽を向けたが……一瞬だけ見えた彼の横顔は、耳まで真っ赤になっていて……――。
「か、カルケル、上!」
案の定、彼は灰に降られたのだった。
――二人の悲鳴を聞きつけたランたんが、荷袋の中から出てきて、灰を吸い込んでくれたのだが……。
不思議な事に、リュンヌの心臓はその後もずっと、どきどきと早い鼓動を刻んでいたのだった。
「一枚、二枚、三枚、四枚……やっぱりぃ、一枚足りない~っ……!」
「はいはい、さっき使ったばっかりでしょう」
おどろおどろしい声で金を数え、うめき声を上げる男。
その男が着ているローブの端を掴み、さながら手綱のように引っ張りたしなめる、若い娘。
門番の視線に気づいたのか、娘の方がへにゃっと気の抜けた笑みを浮かべると、小さく会釈した。
「うるさくして、ごめんなさい。……この人、ちょっと病的にお金が好きすぎるんです。それも、自分が稼いだお金の数を数えるのが大好きっていう変人なんですよ」
ぼんやりとして見えた娘だが、笑うと愛嬌がある。
あれだ、と門番達は同じ動物を想像した。
――子狸みたいな娘だな、と。
「ほら、おにーさん、お金しまって。もう王都に着いたんだから」
「一枚、二枚、三枚……」
「……また始まった。こうなると、納得するまで続けるんです。ごめんなさい」
奇癖の持ち主である連れの行動を謝罪する娘に、門番達は早く行けというように手を振る。
悪事を働く類いの人間には見えなかったせいもあるが、金を数える男の声にはあまりにも気迫がこもっており、道行く子供が半泣きになっていたから……というのが最も大きな理由だった。
子供の泣き声には、誰も勝てない。
こうして、一組の珍妙な男女は、平然と王都へ足を踏み入れた。
いうまでもなく、リュンヌとカルケルだった――。
首尾良く王都へ入ることが出来た二人は、その足で王妃の実家へ向かった。
無論、金は数えたままである。
真剣に数えているカルケルが飽きないように、リュンヌは自分のポケットに入っていた分もばらばらと革袋に足すと、カルケルに睨まれた。
また一から数え直しだという彼は、やはりもともと真面目な性分らしい。やるからには、きっちりとしておきたいとの事だった。
――そんなカルケルを誘導しつつ、たどり着いた王妃の実家……。
目の前にある屋敷を見た二人は、大きく口を開け、言葉を失った。
「……なんだこれは……酷いな」
「荒れ放題だわ……。誰も住んでいないにしたって……国の王妃様の実家でしょう? 最低限の手入れもしてないなんて」
かつて“灰かぶり”と呼ばれ、虐げられていた王妃。
彼女が王子に見初められるまで暮らしていた屋敷は、見る影も無かった。門の一部は崩れ、庭は荒れ果てておりもはや庭とすら呼べない状態だ。
屋敷も屋根が無くなっており、壁はあちこちが剥げ落ち苔が生え、窓は枠自体が外れている。
辛い思い出がある屋敷だろうが、実母と実父との思い出もまた、この屋敷にはあるはず。
しかし、一度として誰かが手を加えたようには見えない荒廃ぶりだ。
「……望めばいくらでも手入れはされただろうに……まさか、これが母の望みだったというのか」
「――カルケル、落ち着いて。ただ放置しただけなら、この荒れ様はおかしいと思わない?」
「…………そうだな。……これでは、ただの廃屋だ」
この屋敷だけが、何十年と時を経たような荒れ方だった。
切り取られたような異質さは、カルケルにも充分に伝わったようで、発した声は強張っていた。
そこへ、場違いな程呑気な声が飛んできた。
「あれ? お二人さん、ここで何をしているんだい?」
振り返れば、近所の住民だろう中年の女性が、驚いたように二人を見つめている。
「あ、私達、本に出てくるお屋敷を、直に見たくて」
コントドーフェ王国の王都民には、本と言えばだいたい通じる。
中年の女性も、例外ではなかったようで、王妃と王のなれ初めを物語にした“あの本”だと思ったようで、納得がいったと言わんばかりに大きく頷いた。
「あら、やっぱりね。そうだと思ったんだよ。……なんだか難しそうな顔をしていたからね。……がっかりしただろう? お屋敷がこんな状態で」
「そう、ですね。正直、少しだけ……。あの、ここにはもう、誰も住んでいないんですね?」
「そうだね……あの子は、知っての通り王妃様になってしまったし……後からやってきた一家は反省したのか、教会で奉仕活動にいそしんでいるからね。……それに、ここは幽霊屋敷だから」
ぽつりと呟かれた最後の一言に、カルケルは顔を上げた。
「幽霊屋敷? ……ご婦人、それは、どういう意味ですか?」
「あら、いやだよ。ご婦人だなんて」
ちょっと照れたように笑った後、女性は声を潜めて教えてくれた。
王妃様がいなくなってから、この屋敷は日に日に朽ちていったという。
誰かが手入れをしても、一日も経たずに元通り……ではなく、急速に劣化していったと。
――王妃を助けなかった者達への脅かしだと、近隣住民達は考えたという。
王妃に肩入れしていた茨の森の魔女がやっているのだと。
けれど、王家の指示で手入れに入った職人達がやっても、結果は同じだった。
「だから、この屋敷自体に、不思議な力が働いているんじゃ無いかと思ってね。今ではみんな近寄らないんだ。…………屋敷自体が、助けなかった私達を怒っているんじゃないかって」
「……そんな風に悔いる気持ちがあるのなら、どうして誰一人動かなかったのですか?」
目の前の女性は心底後悔しているように見えた。
リュンヌだけではなく、カルケルも同様に感じたようで、思わずといった風に女性に質問を投げかけた。
すると、女性は悔いるような悲しむような、それでいて納得がいっていないような……複雑な表情を浮かべた。
「……わからないんだよ」
「は?」
「……言い訳に聞こえるかもしれないけれどね、……本当に、分からないんだ。あの子の事は、小さいときから知っていたのに……あんな扱いされているのを見て、黙っていられるはずがないのに……私達はみんな、あの状況を疑問に思わなかったんだよ……」
そんな事、有り得るはずがないのにと、女性は震えた声で呟いた。
「自分の子供が、あの子を“灰かぶり”と呼ぶことを咎めなかった。それどころか、大人も子供も関係なく、誰もが皆”灰かぶり”ってあの子を呼んだんだ。……そんな名前じゃないって知っているのに」
当然のように受け入れていた、あの家の状況。
その認識が突如としてひっくり返ったのは、“灰かぶり”が王子に見初められ結婚した時だったと言う。
継母達三人は、突如やって来た兵士に捕らえられ――その時、女性や周りの人達は夢から覚めたかのように我に返り、罪悪感に押しつぶされそうになったのだと。
「本当に、気立てが良くて、優しい子だったんだよ。あんなに良い子を、私は……」
思い出してしまったのか、女性は涙ぐんだ。それをみたリュンヌは、ぽつりと呟く。
「…………悪い魔法をかけられたのよ」
「……あんた――」
「悪い魔法をかけられたけど、もう解けたの。だから、負けちゃダメ」
「……ありがとうね、……あんたも、優しい子だね」
気休め、あるいは慰めと受け取ったのだろう。笑みを浮かべた女性は「おかしな話をして悪かったね、……ここにはもう何もないから、どうせ見るならお城がいいよ」と言い残し、去って行った。
最後にもう一度、ありがとうと言って。
「……悪い人ではないように見えたが……多数派の意見に流されたんだろうか」
「いいえ、違うわ」
「魔女殿?」
「言ったじゃない。悪い魔法だって。なにも、慰めや同情で口にしたわけじゃないわ」
リュンヌは荒れた屋敷に視線を向ける。
睨むような、険しい視線を。
「……カルケル。王妃様の義理の姉妹に会いたいの。……教会って言ってたかしら?」
「――ああ。……場所なら、俺も把握している。……毎年、母上に手紙が届くらしいからな」
「……ふーん」
「どうした?」
「……変なの」
リュンヌは、屋敷を睨んだまま呟いた。
「意地悪した相手から届く手紙なんて、普通読みたい?」
「…………」
「貴方のお母さんが、類い希なるお人好しって可能性はあるかもしれないわ。でも、それだったら周りの人間が、さりげなく関係を邪魔すると思わない? ――だって、今はもう立場のある人よ?」
「……たしかに」
母は、お人好しだとカルケルは認めた。
だが……と気難しい表情で続けた。
「……害があると判断すれば、父上が、許さないだろう。……父上は、今でもその……母上を大切にしているから」
「あら素敵。とってもいい事ね。……でも、そんな奥さん大好きな貴方のお父さんが、手紙のやり取りを許していて、秘密裏に手を回して関係を絶たせようとしないのは、どうして?」
リュンヌの問いに、カルケルは二、三度瞬きを繰り返した後、ぽつりと言った。
「――害がないから、か?」
「うん。私もそう思う。……でも、普通有り得る? さんざん意地悪した相手ですが、今は反省して真面目に生きています、だからあっさり無害認定とか」
「…………」
「私ね、もしかしたらって思ったの。……悪い魔法をかけられていたのは、さっきのおばさんや、近所の人達だけじゃなくて……――」
ひゅっとカルケルがフードの奥で息を呑む。
「まさか……実の娘達にまで……?」
「――それを、これから私達で確かめに行くのよ」
“……娘を虐げていた継母は、とうとう隠していた恐ろしい本性をあらわにしました。王国を我が物にするため娘を亡き者にし、王子の心を操ろうとしたのです。
けれど、二人の心はそんな事では離れません。悪い魔女の魔法は、真の愛により打ち破られました。
悪い魔女は灰になり消え去り、王国に新しい朝がやって来たのです。
そうして、王子と娘はお城にもどり、たくさんの人達に祝福され、盛大な結婚式を挙げました。
二人を結びつけてくれた善い魔女が杖を一振りすると、色とりどりの花が二人の上に降り注ぎます。
人々がわっと歓声を上げました。
その中には、娘を助けようとして怪我をした、姉達も混じっていて、嬉しそうに手を振っています。
娘は白い手を振り返しました。その手はもう、薄汚れてはいません。娘はもう、灰を被る必要はありません。
花に触れても、美しさを損なってしまう事は二度と無いのです。
ああ、なんて幸せなのかしらと歌うように口にした娘に、王子は微笑みました。
これからもっともっと、みんなでたくさん幸せになろうと――。”
訪れた教会にて通された部屋、そこでリュンヌは、コントドーフェ王国一番売れている物語の終盤を思い返していた。
悪の魔女は灰になり死に、残った娘達は最後は娘を助けようとしたため恩赦を与えられた。物語は主役二人のめでたしめでたしで締めくくられ、姉達のその後については一切触れられていない。
――現実の彼女たちにしてもそうだ。
王妃を虐げてきた義姉二人が、いまだ王都にいる事を知っている人間は、もしかしたら少ないのではないだろうか。
「あの神父様、知り合いだったのね」
「ああ、昔の……な」
リュンヌとカルケルが訪ねると、最初は神父から、有無を言わせぬ笑顔で、そんな人達はいないと言われたのだ。
しかし、カルケルがわずかにフードから顔をのぞかせると、対応は一変した。
すぐに別室へ案内され、初老の神父は懐かしそうに目を細めたのだ。
『……お久しぶりです、カルケル様。大きくなりましたな』
しみじみとした口ぶりにリュンヌが驚くと、カルケルは気まずそうに目を逸らして言った。
『……まさか、俺なんかを覚えていてくれたなんて……』
『覚えておりますとも。カルケル様は小さい頃、たいそうやんちゃでしたから』
神父は優しい目をしていた。
カルケルの現状は、彼の耳にも届いているだろうに、嫌がる素振りもみせない。
ここに来た目的を聞いたりもしなかった。
『あの二人は、間もなく来るでしょう』
『……すまないが、俺がここに来たことは――』
席を外そうとした神父に、カルケルが秘密裏の訪問だからと口止めしようとすれば、すでに心得ているという体で頷かれた。
『はい。他言無用で。……陛下からも、いずれ訪ねてきたときは、内密に協力して欲しいと言われております』
『……父上が――?』
『はい。……カルケル様。陛下は、貴方様が健やかな生を送られることを望んでおいでなのです』
そして、神父は一礼して部屋を出て行った。
最後の最後に、気になる発言を残して。
「……父上が、なぜ」
「……知っていたのかも」
「え?」
「私達が、ここに来るって、最初から分かっていたのかもしれないって事」
「……まさか。……俺の不要と思っている人だぞ」
リュンヌは頬杖をつくと「それなんだけどね」と続けた。
「それ、お父さんから直に言われたの?」
「…………え?」
カルケルが、戸惑ったように声を震わせた。
「い、言われたわけではない。……だが、実際俺は持て余されていた。王太子には相応しくないという意見だって上がっていたし……」
「……私、“カルケルの話”をしているんだけど?」
「……俺の……?」
迷子のような顔をしていると、リュンヌは思った。
不安で心細くて、自分が今どこにいるかもわからない……そんな表情のカルケル。
放っておけない気持ちになるじゃないと内心で呟き、リュンヌは手を差し出した。
「はい」
「……なんだろうか?」
「手を繋いでいれば、安心できると思って」
「…………は? ――はぁ……!?」
「カルケルは、いつもだいたい寂しそうな顔をしているのよ。物事を悪い方にばっかり考えるのも、一人で延々と難しく考え込んでいるからに違いないわ」
だから、とリュンヌは強引にカルケルの手を握り、続けた。
「これからは、私と一緒に考えればいいのよ」
「――……っ……」
「家族のことだってそうだわ。カルケルは、一度もお父さんに直接なにか言われたわけじゃないのよね」
「……それは……」
「やることが追加されたわね。呪いが解けたら、家族ともちゃんと向き合わなきゃ」
カルケルは「だが……」と小さな声を発した。
「もしも、全て俺の考えていた通りだったら……?」
だったら、やっぱり俺は一人ではないか。
言葉にしないまでも、これまでずっと、呪いのせいで孤独に陥っていたカルケルの目はそう語っていた。
リュンヌは、カルケルの根っこをみた。孤独だ。
向き合う自分の胸が痛くなるほどに、カルケルの中にある孤独感は強いのだ。
だから、リュンヌはあえて明るく笑ってみせる。握る手に、力を込めて。
「それでも一人になんてならないわ。私がいるもの」
「…………魔女殿、が?」
「私と一緒に、茨の森で暮らせばいいわ。料理も教えてあげるし、なんならランたんだっているし、きっと楽しいと思うの!」
「…………っ」
声を詰まらせたカルケルが、不意にリュンヌの手を両手で包んだ。
「か、カルケル?」
「……いて、くれるのか? ――全部終わったとしても、それでも……君は、俺と一緒にいてくれるのか?」
「もちろんよ! ……か、カルケルが、嫌じゃなかったら……だけど」
見つめられて、リュンヌの頬が熱くなった。
大切そうにリュンヌの手を包み込むカルケルは、返事を聞いてふと、微笑んだ。
「――殺し文句だな、魔女殿。……俺はもう、君から離れられなさそうだ」
優しい声音の後、カルケルはリュンヌの手を持ち上げて、自分の唇を押し当てた。
「あ、あ、あ」
「……ま、魔女殿? おい、顔が真っ赤だぞ、魔女殿……!」
「あああああああ」
「どうした、しっかりしろ!」
「貴方って王子様! 王子様が過ぎて恥ずかしい!!」
ぱっと自分の手を抜き取ったリュンヌは椅子から転げ落ちる勢いで床にしゃがみ込んだ。
「……い、いや……過ぎるも何も……俺は、王子なんだが……」
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい! なんなの? 本のヒロイン達は、なんで平然とこういうのを受け入れられるの? 心臓に毛が生えてるの? ああああああああっ!」
理想の瞬間だったというのに、リュンヌはカルケルにそうされた瞬間、顔から火を噴くかと思うほど熱くなり、心臓が苦しいほど早くなった。
初めて――そう、茨の森で、挨拶のようにされたときは、王子様だとはしゃいだだけで終わったのに。
今は、恥ずかしくてカルケルを直視出来ない。
すると、小さな小さな笑い声が聞こえてきた。
指の隙間からカルケルを見ると、彼はフードを引っ張りつつ笑っていた。
「……君は、照れ方が激しいんだな」
「……っ……知らない……!」
「というか、君でも照れるんだな。よかった」
だって、俺を意識してくれた……という事だろう?
そう言って満足そうに笑ったカルケルは、パラパラと灰を降らせた。
それに気付くと、満足そうだった笑みは、あっという間にやるせないものへと変わる。
「……魔女殿、俺は呪いを解きたい。……他でもない、俺自身のために」
「う、うん。もちろん、協力するわ」
「ありがとう」
カルケルは安心したように笑い、リュンヌに手を差し伸べる。
「お手をどうぞ、魔女殿」
「…………王子様みたい」
「みたい、じゃなくて……本物なんだがな」
軽口を叩く二人の手がしっかりと繋がれたとき、こんこんと控えめなノックの音が扉から聞こえた。
扉を開けると、立っていたのは二人の修道女だった。
――王妃の義姉達だ。
二人は、自分たちを訪ねてきたのが誰なのか分かっているようで、リュンヌはともかく、カルケルが名乗るよりはやく、深く頭を下げる。
面食らったカルケルが顔を上げてくれというと、二人はようやく……けれども恐る恐る頭を上げた。
「突然の訪問、申し訳ない。どうしても、二人に聞きたいことがあったので」
「とんでもございません。……わたくし共が分かる事でしたら、なんなりとお話しいたします」
リュンヌとカルケルが聞きたいことは、一つだった。
どうして過去、王妃に酷い事をしたのか――それだけだったが、義姉達の顔色はたちまち青ざめた。
そして、醜い言い訳に聞こえるかもしれないが、と前置きし重く口を開いた。
「……わからないのです……」
「……わからない?」
「――自分たちがしでかした事なのに、なにを……と思われるでしょう? 当然です。わたくしたちだって、これが他人ならばそう思いましたし、憤りすら感じたでしょう。でも本当に、わからないんです」
どうして彼女にだけ、あんな酷い事が出来たのか分からない。
いまでも、どれだけ考えても、分からない。
当時の自分たちの行いが信じられない。
――理解が出来ないほど、あの頃の自分たちは醜悪で、許されない罪を犯した。
そう語る二人は、深く反省しているように見えた。
ただひたすら贖罪の日々を送る彼女たちは、過去の行いを悔い、また過去の自分たちを恐れているようだった。
「幸い、寛大な王妃様はわたくしたちの事を許して下さいました。恐れ多くも、会いたいとすら言って下さいます。……ですが、酷い事をした過去は消えません。思い出し、深く傷つくかもしれません。それに、わたくしたちも顔を合わせた途端、また以前の悪魔のような自分たちに戻ってしまいそうで、恐ろしいのです……」
二度と繰り返したくないと思うから、二人は王妃には会わない。
手紙のやり取りにとどめている。それだけでも、身に余る事だと語る義姉達。
話を聞いた時、リュンヌとカルケルは目配せした。
同じだと。
屋敷の前で会った女性と、同じだった。
「なぜあんな酷い事を平然と行えたのか。いつも考えるのですが、わからないのです。自分自身のことなのに、わからない……。わたくしたちは、そんな自分自身が恐ろしい……」
直接害を加えてきた分、義姉達の方が混乱も自己嫌悪も大きかった。
彼女たちは、生涯教会で過ごすつもりだと語った。贖罪のために生きると。
――リュンヌは、そんな姉妹達に、ある質問を投げかけた。
「貴方達の母親は、どこへ?」
びくっと二人の肩が跳ねた。
「貴方達が教会から出ないのは、罪滅ぼしという意識はもちろん本当だけど、もう一つ……母親から自分たちを守るためよね」
「な、なにを……」
「自分たちを先導した母親だけが、姿を消した。……それに、何も感じないわけがないわよね」
姉妹は顔を見合わせる。
そして、覚悟を決めたように口を開いた。
「母親を庇っていると思われるかもしれません」
「あるいは、罪を軽くしたいがための、言い訳と思われるかもしれません」
でも……と、姉妹は声を揃え言った。
昔の母は、あんな風ではなかったと。
義姉達と別れ、教会を出たリュンヌとカルケルは浮かない顔で一度教会を振り返り仰ぎ見た。
「……まるで人が変わったようだった……か」
カルケルが独りごちるように口にしたのは、先ほど義姉達が言っていた言葉だった。
昔の母は、あんな風ではなかった。
ある日突然、人が変わってしまった。
家を空ける事も多くなり、心配して話しかけてもおざなりな返事しかかえってこなくなり……、そして急に再婚の話をされたのだ。
ずっと、死んだ父を思って涙するような繊細で愛情深い人だったのに……。
――父を亡くした悲しみを乗り越えようとしているのかもしれない。
当初はそう考えた姉妹だったが、後から考えればあまりにも不自然だったと思い返していた。
母と父は恋愛結婚で、見ている方が胸焼けするほど仲が良かった。
――女三人の暮らしは物騒だから、次の相手を見つけたと考えれば一応の筋は通るかもしれないが……あれだけ父を愛していた母が、父が死んで三ヶ月で次の相手を見つけるはずがない。
それなのに、姉妹は母に再婚を告げられた時「わかった」と従ってしまったと言うのだ。
その後は、初めて会った義妹が可愛らしく、連れ子である自分たちを自然に受け入れてくれて、安心した。
仲良くなれそうでよかったと、姉妹は本心で思っていたし、義父となった人が仕事先で事故に遭い亡くなるまで、三人の関係は良好だった。
なにかが明確に狂ったのは、義父の死の後だ。
気が付けば義妹を召使いのようにこき使い、気に入らなければ手を上げ、名前すらまともに呼ばなくなった。
――義妹が、魔法使いの手助けを得て舞踏会に出席し、王子に見初められたその時まで、二人は今の自分たちがおかしい事に気が付かなかったという。
近所の女性と、義姉達。
別々の場所で、別々の人間が、全く同じ事を言っている。
つまり、これは……。
「やっぱり、悪い魔法ね」
歩き出しながら、リュンヌは言った。
カルケルは、渋い顔で隣を歩く。
「自分の娘達にまで、か?」
「……本当に、娘かしら? ――っ」
不意にリュンヌが顔をしかめた。
カルケルが気付いて、身をかがめる。
「どうしたんだ、魔女殿?」
「……ん、なんでもない。ちょっと、足がチクッとしただけ」
「痛めたのか? 見せてみろ」
「そんなんじゃないから、大丈夫よ」
リュンヌは誤魔化すように、つま先でトントンと地面を叩く。
のぞいたガラスの靴が、光を受けて、ちかっと輝いた。
「……君は、その靴が気に入りなのか?」
ガラスの靴を示され、リュンヌは笑った。
「どうして?」
「いや、俺が知る限り、君はいつでもその靴だろう? ……だが、気に入りにしても、こうして歩き回るような場合は適していないのではないかと思って……」
「…………」
「だから、足に疲労がたまったのだと思ったのだが……すまない、出過ぎた事を言ったか?」
最後は、顔色を窺うように尻すぼみになったカルケルに、リュンヌは首を振った。
「別に。……貴方の言う通りだから」
「だが、顔が怒っているぞ」
「怒ってないわよ」
「断じて、君の好きな物を否定するつもりはないんだ。ただ、そういう靴は、長時間歩き回るのに向いていないと言うだけで……」
慌てて言い訳めいた事を口にするカルケルを、リュンヌは「分かってるってば」と強い口調で遮ってしまう。
「私が、そんな事もわからないほど馬鹿に見える?」
「いや、見えない。……もしかして、その靴は修行の一環か何かだったのか? 特別な事情があったのならば……俺の言葉は無粋な上に的外れだったな、すまない」
「……修行では、ないけど……特別なものなの」
リュンヌは、汚れ一つすらないガラスの靴を見下ろす。
「……あのね、カルケル……本当は……本当は、私……」
「あ! 孫じゃない!」
ある決意をもって、リュンヌは口を開いた。
しかし、狙い澄ましたかのように誰かの揶揄を含んだ声が被さってくる。
リュンヌとカルケルが声の方を振り向くと、四人組の男女がにやにやした笑みを浮かべ、二人の方を見ていた。
「うわ、本当だ、孫だ。王都に出てくるなんて珍しい!」
「もしかして、お使い? あ~、でも“見習い孫”は、王都に近付いちゃ駄目っていわれてたんだっけぇ~、じゃあ、とうとう見習い卒業できたの?」
「馬鹿、孫さんは、永遠に見習いから抜け出せないから、孫さんなんじゃないか」
遠慮無しに近付いてくる四人組は、馬鹿にした態度を隠さない。
様子がおかしいと察したカルケルが「知り合いか?」と耳打ちしてくるが、リュンヌは答えられない。
「あれ? 連れもいるの? 見たところ、魔法使いじゃなさそうだけど……。あ! もしかして、ようやく才能のなさに気付いて諦めたの!? わぁ~おめでとう! よかったね! 自分の身の程ってやつを認められてさ!」
明るい笑顔なのに、口調は刺々しい。
けれども他の三人はどっとわいた。
「やめてないわよ……!」
噛み付くようにリュンヌが言い返すと、とたん四人は白けた目を向けてくる。
「は? まだ? いい加減、茨の森の魔女におんぶに抱っこはやめなさいよ」
「迷惑を考えろ」
「貴方、何年見習いやってるの? 私達と同じ頃に魔法使いの勉強を始めて、まだ見習いなんて……普通だったら恥ずかしくて自分から先生のところを辞するでしょう」
「お前達、そうやって責めてやるなよ。なんてったって、この人は、あの偉大な魔女の孫なんだから」
にんまりと笑う目が、リュンヌを捕らえた。
「才能ないのに立場にしがみつく、“永遠の見習い孫”なんだからな!」
笑い声を上げる四人に言い返す言葉を、リュンヌは持ち合わせていなかった。
言い方は嫌味だが、内容はほぼ事実なのだから。
「隣のあなた、その“見習い”とどういう関係なのかはわからないけれど……頼る魔法使いは選んだ方がいいわよ? その子は、何年たっても初歩魔法しか使えない、魔法使いの恥さらしなんだから」
「…………なんだと?」
カルケルが発した声は、険がこもっていた。
四人はもちろん、リュンヌもたじろぐほどに。
「だ、だから……その子の祖母が高名ってだけで釣られたんなら、やめておけって言ってんの。貴方のために、わざわざ忠告してるのよ」
「そうそう。なんて言ってだまされたか知らないが、そいつは何年経っても初歩中の初歩魔法しか使えない、見習い以下のエセ魔法使いだからな」
唇を噛んで我慢していたリュンヌの目に、じわっと涙がたまった。
エセではない。
自分は、魔法使いだ。
見習いでも、半人前以下でも、それでも祖母のように人を助ける、そんな魔法使いになる気だし、あきらめてもいない。
けっして、魔法使いを自称して人を騙すようなことなんてしていないから、エセだなんて呼ばれるいわれはないのに……――言い返せない自分が悔しくて、こんな形でリュンヌの隠し事を知ったカルケルが憤っているのが分かり、怖くなった。
見習い以下とまで馬鹿にされたリュンヌと、立派な魔法使いとなった彼ら。
比べれば、どちらがより優れているかは明らかだ。
絶対に呪いを解きたいと決意を固めたカルケルは、より優れた方を選ぶかも知れない。
肝心な事を内緒にしていた、“永遠の見習い”である自分よりも……――そう考えたら、自業自得なはずなのに、とうとうリュンヌの目からぽろりと涙がこぼれた。
「……っ……」
カルケルの視線を感じるけれど、顔を上げられない。かわりに、彼が息を呑む気配がして……――。
「おい貴様ら、今すぐその口を閉じろ」
次の瞬間、地を這うような低い声とともに、大量の……今までの比ではない量の灰が、げらげら笑っていた四人組へ降り注いだ。