解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる



中心部にある村長の家から東に移動すること二十分。

俺とメルシアはあてがわれた空き家の前で立ち尽くしていた。

目の前に立っているのは一階建ての木造建築。

造り自体は他の村人とほとんど代わりないが、屋根の一部分が剥がれている。

壁にいくつもの穴が空いており、伸び放題の雑草や蔦が絡みついていた。

はっきり言ってボロ家だ。住めないこともないが、進んで住みたい環境かと言われると否だろう。

「……これは思っていた以上に年季が入っているね」

ケルシーとシエナがやけに申し訳なさそうにしていると思ったら、そういうことだったのか。

ふと視線を隣にやると、メルシアは怒りで身体を震わせていた。

「イサギ様をこんなボロ家で生活させようとするなんて許せません。ちょっと父に文句を言ってきます!」

「別にいいよメルシア」

「ですが、このような生活できるかも怪しいような家はイサギ様に相応しくありません」

「住みにくいんだったら作り変えればいいんだよ。それが錬金術師ってものさ」

「イサギ様がそうおっしゃるのであれば……」

俺がきっぱりと告げると、メルシアは気持ちを抑えてくれた。

「それに自分の力で家を作ってみるって夢の一つだったんだ」

宮廷錬金術師とはいえ、帝城では何かと制約が多かった。特に俺は孤児院出身の平民ということもあって、何かと目をつけられていたので尚更だ。

でも、ここではそんな風に俺を押さえつける人や、うるさく言ってくる人もいない。

だったら、俺の錬金術で理想の家を作ってやろうじゃないか。

「まずは一旦家をバラしちゃおう」

素材が良質であれば、そのまま利用して作り変えることができるのだが、ここまで劣化していると再利用は不可能だからね。

俺はボロ家に近づいて手で触れた。

魔力を流して重要な支柱を変質させると、支えがなくなってしまいひとりでに家は崩壊した。

錬金術を使えば、こういった解体工事もお手のものだ。

「解体した木材は私が退けておきます」

「お願いするよ」

解体した木材をメルシアは軽々と持ち上げて端に置いていってくれる。

摩耗しているとはいえ、民家に使用していた木材だ。

かなりの重さがあるはずだが、メルシアにとっては大して重い物ではないようだ。

「じゃあ、俺は雑草の除去をしようかな」

中途半端に木材の撤去を手伝うよりも別の作業を選択。

このまま家を建てるには、周囲にある雑草があまりにも邪魔だ。

除草しておかないと次々と生えてくる雑草や蔦なんかに悩まされる恐れがある。

そうなる前に対処しておくのが賢明だ。

こんな時に役立つのが錬金術で作った液体除草剤だ。

元々薬屋で販売されていたものを買い、錬金術で成分を変質させることによって、除草成分や即効性を大幅に強化したハイブリッド除草剤。

俺は除草剤の入った瓶の蓋を開けて、まき散らす。

すると、周囲に生えていた雑草が茶色く変色し、スーッと音を立てて枯れた。

俺が除草している間にメルシアも廃木材を片付けてくれたようで、民家の周りは綺麗な更地になっていた。

「よし、それじゃあ家を建てよう」

錬金術で家を作るのは俺の夢の一つだ。帝都にいた頃から何度も脳内で妄想していた。

既に理想の家の設計図は頭の中でできている。

後はそれを実行するだけだ。

俺はマジックバッグから建築に必要な木材を取り出す。

勿論、これはただの木材ではない。

トレントと呼ばれる植物型の魔物の素材、トレント木材だ。

トレント木材は魔力を通すことで耐久性が高くなる。普通の木材よりも割れや反りが起こりにくく、非常に便利な素材だ。

それを錬金術で意のままに変形。

土台を作り上げると、浮遊魔法のレピテーションを使ってトレント木材をドンドンと積み上げる。

ひたすらにそれを繰り返すと小一時間。

「よし、家の完成だ!」

気が付けば、俺の目の前には立派な二階建ての家ができていた。

作っていくうちに色々な案が湧いてきて、作っては修正を繰り返していたので時間がかかってしまった。

扉を開けると、ゆったりとした玄関がお出迎え。

トレント木材の優しい香りに包まれる。

「なんだかうちの玄関と似ていますね?」

「内靴で過ごすのが心地よかったから取り入れることにしたんだ。メルシアの家の玄関を参考にさせてもらったよ」

「なるほど」

帝国の文化であれば室内でも外靴のまま過ごすので、玄関にゆとりを持たせる必要はない。

だけど、内靴で過ごす文化を取り入れたので、靴の履き替えをするためにしっかりとスペースを取った方がいいと思ったのだ。

廊下を進んでいくと広いリビングとダイニングスペースがある。

「とても素敵な内装ですね」

「ちょっと張り切り過ぎちゃったよ」

「イサギ様がどのように過ごしたいのか伝わってきます」

リビングを歩き回りながらメルシアが微笑む。

幼い頃からの妄想が詰まっているだけに少し恥ずかしい。

一人で悠々と暮らすことを考えると、少し広過ぎるかもしれないが、客人を招いて過ごすことを考えればちょうどいい塩梅だと思う。

ダイニングスペースの奥には台所があり、ゆったりと料理が作れるようになっている。

ただでさえ自炊しないのに台所が狭いと余計にやる気が削がれるからね。

さらに奥には応接室、浴場、脱衣所、洗面室、トイレ、簡易工房などが設置されている。

二階には自分の寝室や、来客用の寝室などを用意しており、残りは書庫や素材を保管するための倉庫で占められている。

ところどころ空き部屋もあるが、実際に生活をする上で埋まることだろう。

錬金術を行うための簡易工房を作ってあるが、そこではちょっとした素材の加工や変質をさせるためだけのスペースだ。本格的な作業場については後日じっくりと作ることにする。

「とりあえず、一休みしようかな。家具を設置したいから手伝ってくれる?」

「お任せください」

帝城で使っていたベッド、ソファー、イス、テーブルなどをマジックバッグから取り出すと、それらを設置していく。

「こうやって見ると、帝城に住んでいた頃の俺って全然家具を持っていなかったんだな」

「あのような倉庫に押し込まれれば、仕方のないことかと」

宮廷錬金術師には城内に部屋は勿論、工房だって与えられる。

しかし、ガリウスをはじめとする城務めの貴族に疎まれていたせいか、俺に与えられたのは古びた倉庫だった。

僅かなスペースを有効活用するために、結果として俺の持っている家具は最低限の物だけだった。

「足りない物は私が実家から――」

メルシアが言葉を発していたが、途中で耳がピクリと動いて玄関に向かった。

後ろからついていくと、扉を開けた先には呆けた顔をしたシエナが立っていた。

「ねえ、メルシア。この村にこんな立派な家ってあった!?」

「イサギ様が錬金術で住みやすいように作り変えました」

「すみません。勝手に改装しちゃって」

「それはまったくいいの。でも、錬金術を使うと、こんな短時間でリフォームできるものなの!?」

「イサギ様だからこそできるのです」

「……うちもリフォームしてもらおうかしら?」

誇らしげに語るメルシアの言葉を聞いて、シエナは神妙な顔でうなっていた。

できないこともないが、今はそれよりも農業を優先したいので落ち着いたらということで。

「急に押しかけちゃってごめんね。すぐに生活できるようにお掃除でも手伝おうと思ったのだけど、これなら必要はなさそうね」

苦笑するシエナの手にはカバンがあり、いくつもの掃除道具が見えていた。

どうやら俺たちがスムーズに生活できるように手伝いにきてくれたらしい。

「いえ、お気持ちだけで十分に嬉しいですよ」

結果として掃除の必要はなくなったが、こういった時に手助けしてくれる人がいるというだけで嬉しい。

帝都にいた頃はメルシア以外に誰も助けてくれる人はいなかったからね。

「ねえ、ちょっと家を見せてもらってもいい?」

「どうぞ」

自分の家に誰かを招くというのは、家を作ったらやってみたかったことの一つだ。

錬金術師として作り変えた家を、第三者がどう思ってくれるかも気になる。

「わー! すごいわ! とっても素敵じゃない!」

リビングにやってくるなりシエナは目を輝かせながら言った。

「特に台所が広いのがいいわね! でも、戸棚がこの高さだと、メルシアちゃんが使うにはしんどいかしら?」

「メルシア、ちょっと手を伸ばしてくれるかい?」

「……背伸びをすれば届きます」

「もう少し位置を低くするよ」

魔力で変形させて食器棚の位置を下げてみる。

「これなら私でも楽に収納できそうです」

「よかった」

今度は背伸びをする必要もないようだ。

俺だけが使うのであれば元のままでも問題ないが、台所はメルシアも使って料理を作ってくれる可能性が高い。

メルシアの方が使う頻度は高いだろうから、彼女に合わせておくのが得策だろう。

「他に気になるところはある?」

尋ねてみると、メルシアとシエナが台所を動き回る。

まな板を置いて包丁を構えてみたり、二人で通路をすれ違ってみたり。

「うん、他は問題ないんじゃない? 器具さえそろえば、うちの台所よりも立派よ」

「はい。今のところ問題なさそうです」

「なら良かった」

使い心地が悪かったのは戸棚だけで、他は問題ないようだ。

「貴重なご意見ありがとうございます」

「いえいえ」

こういった細かい点で至らないのは俺が料理をしないからだろう。

これからはもうちょっと料理をしてみようかな。

「母さん、使わない家具や生活道具があれば、こちらに運び込んでもいいですか?」

「いいわよ。使っていないお皿なんかがあるから持っていっちゃって」

「俺も手伝おうか?」

「いえ、イサギ様は旅でお疲れでしょうし、ゆっくりしていてください」

俺も付いていこうとしたが、メルシアにやんわりと止められた。

どうやら俺が疲れていることはお見通しみたいだ。

「なら、マジックバッグを使うといいよ」

「ありがとうございます。助かります」

マジックバッグさえあれば、どんなに大きなものや重いものでも楽に持ち運びできる。

これさえあれば、人手はほとんどいらない。

マジックバッグを渡すと、俺はメルシアとシエナを見送り、ソファーで一休みすることにした。



「これで生活感が出てきましたね」

室内を見回したメルシアが、満足感のこもった表情で呟いた。

大きなダイニングテーブルが鎮座し、四つのイスが並んでいる。

リビングには若草色のカーペットが敷かれ、その上には大きなソファーとクッションが。

台所にはたくさんの調理器具が並び、設置された食器棚の中には用と多彩な食器が収納されていた。

小さなテーブルやイスしかなかった寂しいリビングが、一瞬にして生活感のあるものに変化した。

「すごいや! メルシアのお陰で家らしくなったよ!」

「ですね。あとは壁が寂しいので何か飾りたいのと、テーブルの上に花瓶でも起きたいところです」

俺としては既に満足できる出来栄えなのだが、メルシア的にはまだ納得できてはいないらしい。

「まあ、やってきて初日ですし、足りないものはおいおい追加していきましょう」

「そうだね」

家を一から作り直し、ある程度の内装が整った。

一日目の成果としては十分だろう。

ホッと一息つくと俺のお腹がぐーっと音を立てた。

「夕食にいたしましょうか。母から料理を貰ってきたのですぐに召し上がれますよ」

クスリと笑いながらメルシアがマジックバッグから鍋を取り出した。

実家に戻った際に、シエナが持たせてくれたのだろう。長旅を終えて疲れていたので、その気遣いがとても嬉しかった。

「ありがとう。早速、食べさせてもらうよ」

すぐに食べられると聞いて、俺はソファーからすぐにダイニングスペースへ移動。

テーブルを形状変化させて簡易鍋敷きを作り上げると、メルシアがその上に鍋を置いた。

蓋が開くと、白い湯気が上昇した。

覗き込んでみると、山菜とキノコのミルクスープが入っている。

「うわあ! ミルクスープか! いいね!」

「質素なものですみません」

「そんなことないよ。とても美味しそうだし、こういうのが食べたかったんだ」

マジックバッグのお陰で立ち寄った街で屋台料理を買って自由に食べていたが、そういった場所での料理は揚げ物や味付けの濃いものが多い。

落ち着いた場所にやってきたからには、落ち着いた料理が食べたかった。

だから、シエナがくれたミルクスープは今の俺にぴったしの料理だった。

「ありがとうございます」

「取り皿を取ってくるよ」

食器棚から食器類を持ってくると、メルシアがお玉でよそってくれる。

その間に俺はマジックバッグから付け合わせのパンを取り出した。

これで夕食の用意は完成だ。

「それじゃあ、食べようか」

「どうぞ。お召し上がりください」

俺が席について言うが、メルシアは何故か隣に立ったままだった。

「え? 一緒に食べないの?」

「……よろしいのですか?」

「ここはもう城内じゃないし、誰も文句は言われないさ」

宮廷錬金術師として働いていた頃は、メルシアが料理を作って持ってきてくれることがほとんどで一緒に食べることはなかった。

それに城内では血筋や立場というものが重要視されているので、宮廷錬金術師とメイドが同じ食卓につくなどあり得ないという風潮があったのも大きい。

でも、仕事を辞めて、帝国から去ってしまった今の俺たちにそんなものは関係ない。

「メルシアも一緒に食べよう」

「ありがとうございます、イサギ様。ご一緒させていただきます」

もう一度誘ってみると、メルシアは嬉しそうに頷いて向かい側のイスに座った。

「メルシアが対面に座っていると、なんだか新鮮だ」

「私も同じ気持ちです。なんだか隣に立っていないと落ち着かない気持ちもあります」

「さすがにそれは抑えて」

「はい。イサギ様と一緒に食事ができるのですから抑えます」

ややソワソワとしていて落ち着かない様子のメルシアだが、それ以上に食事をしたい気持ちがあるようだ。嬉しい。

「それじゃあ、改めて食べようか」

「はい!」

メルシアの準備が整ったところで、俺たちは食事にとりかかる。

取り皿に盛り付けられたミルクスープには見たことのない葉野菜やキノコ、細かくカットされたベーコンなどが入っている。

匙ですくい上げて口に運ぶと、ミルクの甘みを帯びたスープが口内を満たした。

「うん、美味しい!」

素直な感想を述べると、メルシアが少しホッとしたように笑みを浮かべた。

「この葉野菜は見たことがないけど、なんていう食材?」

「キルクク草といって、この辺りの森でよく生えている野草です」

ほうれん草のような味だが、茎にしゃっきりとした食感が残っており食べると面白い。

葉っぱの部分はしっかりと煮込まれているお陰でとても柔らかかった。

煮込んでも炒めても美味しい食材らしいので、この村では重宝されている野草のようだ。

キノコは旨みをたっぷりと吸い込んでおり、歯を立てると豊かな旨みと共に甘さを感じられた。時折、ベーコンの味が感じられ、優しいミルクの味と肉の塩っけが非常に合っている。

付け合わせのパンは保存用の硬パンではあるが、温かいミルクスープに浸せば柔らかくなって食べやすい。

ミルクの甘みと野菜の旨みをたっぷりと吸い込んだパンは、それだけでご馳走だ。

「ふう、お腹いっぱいだよ」

「お口に合ったようでなによりです」

そうやって夢中になって食べ進め、お代わりを三杯したところでお腹が膨れた。

やっぱり日常的に食べるなら、こういった家庭的な料理がいいや。

「お皿を洗いますね」

「いや、後片づけは自分でするよ。そろそろ日が暮れるし、メルシアはお家に戻った方がいいよ」

窓の外は茜色に染まっている。

いくら地元とはいっても、夜遅くにメルシアを帰すわけにはいかない。

それにメルシアも久しぶりに故郷に帰省したんだ。

ご両親もゆっくりと彼女とお話したいだろう。早めに帰してあげる方がいい。

「いえ、私は帰りません」

「え? じゃあ、ここに泊まるってこと?」

「泊まるというより、住み込みでイサギ様にお仕えするつもりです」

尋ねてみると、メルシアが俺の予想を越えることを言ってきた。

「メイドが住み込みで主にお仕えすることはおかしくありませんよ?」

「一般としてはそうだけど、ここは帝城じゃないし、俺はもう宮廷錬金術師でもなんでもないよ?」

「はい。ですので、思う存分イサギ様にお仕えすることができます」

嬉しそうに語るメルシアの言葉を聞いて、空いた口がふさがらない気分だった。

そうきたか。どうやらメルシアの意思は硬いらしい。

「でも、メルシアが寝泊まりするための部屋の準備が……」

「既に二階の空き家に荷物は運び込んでおります」

そう言われて二階に移動してみると、空き部屋にはしっかりとメルシアのベッドをはじめとする私物が運び込まれていた。

どうやら俺の渡したマジックバッグを利用して、ちゃっかりと準備を整えていたようだ。

相変わらず仕事が早い。

「……ダメでしょうか?」

メルシアが不安そうにこちらを見上げながら言う。

元々一人で住むには広いくらいだったので、メルシアが住むくらいは問題ない。

「俺としては嬉しいし助かるよ」

研究に没頭すると日常生活が疎かになる俺にとって、メルシアが住み込みで働いてくれるのは願ってもいないこと。

「本当ですか! ありがとうございます!」

「ただ、ご両親が何か言ってこないか心配なんだけど……」

具体的にはメルシアを溺愛していたケルシー。

嫁入りの誤解していた時は、すごく怖い顔をしていた。

そんな親バカな父が同年代の男と同居することを認めるだろうか? 

「母の許可は貰っています」

うん、あの人はそういうところ面白がりそうだから許可する気がした。

「ケルシーさんは?」

「……そちらはおいおい何とかします」

尋ねてみると、メルシアが視線を逸らしながら言った。

「そういうわけで、お皿を洗いますね」

ジーッとした視線で見つめると、メルシアはそそくさとお皿を回収して台所に向かった。

どうやら肝心のそちらに関しては説得できていないようだ。様子からみると、ちゃんと話を通しているかも怪しいな。

「メルシア! 帰ってこい! イサギ君と同棲なんて父さんは認めんぞ!」

大丈夫なんだろうか、と心配していると案の定ケルシーが家に乗り込んできたのだった。



翌朝。リビングのソファーでゆったりとしていると、扉がノックされた。

扉を開けると、そこに立っていたのはメイド服に身を包んだメルシアだった。

いつもは凛としたクールな表情をしているのだが、今日はわかりやすいほどに不貞腐れているようだった。

なんとなく結果は察せられるけど、きちんと聞かないとね。

「おはよう、メルシア。昨日はケルシーさんとちゃんと話し合えた?」

「……残念ながら父の許可は下りず、実家から通ってお仕えすることになってしまいました。イサギ様、申し訳ありません」

おずおずと昨晩の経緯を尋ねると、メルシアは悔しそうな顔で告げた。

「そうなんだ。まあ、ちゃんと話し合えたようで良かったよ。俺としては実家からの通いでも十分過ぎるほどだから」

元から一人で暮らし、身の回りのことはできるだけ自分でするつもりだった。

こっちにやってきてからも手伝ってくれるだけで十分にありがたい。

それに帝城のような広い場所ならともかく、一つ屋根の下で共に暮らすというのはちょっと緊張するものだし。これでよかったのだろう。

しかし、メルシアとしてはそれでよろしくないようだ。

「私は不十分です。いずれ父を説得して、住み込みでお仕えできるようにいたします。その時まで少々お時間をください」

「無理はしなくていいからね」

せっかく故郷に帰ってきたのに父親と喧嘩状態とかになったら悲しいと思うから。

「こっちでもメイド服なんだ?」

「私はイサギ様のメイドですので」

どうやらメルシアにとって場所は関係ないらしい。仕事を辞めて帝城を出ようともメイド服を着続けるようだ。

「そうなんだ。メイド服以外の私服も見られると思ったから、ちょっと残念かな」

「イサギ様がそうおっしゃるのであれば、たまにであれば私服というのもアリかもしれません」

ふむ、それでもたまにしか着ないらしい。

メルシアはメイド服に並々ならぬ執着があるようだ。

あまり無理強いするのはやめておこう。

「朝食は食べられましたか?」

「うん、昨日のミルクスープを温めて食べたから大丈夫だよ。メルシアは食べた?」

「はい。実家で済ませてきたので問題ないです」

「じゃあ、早速仕事にとりかかろうか」

「もうですか? こちらにやってきたばかりなので、もう少しごゆっくりされても問題ないと思いますが?」

「昨日ぐっすりと休んだから大丈夫だよ。それにできるだけ早く取り掛かりたいし」

自分が品種改良を施した作物が、こちらでも育つのかどうか早く確かめたい。仮に何かしらの調整が必要であれば、時間がかかることになる。

もしものことを考えると、早めに取り掛かっておくのがいいだろう。

「わかりました。イサギ様がそうおっしゃるのであれば」

そんなわけで俺とメルシアはすぐに外に出た。

新居の周りには昨日除草剤を撒いたからか雑草はほとんど生えていない。

だが、少し外れた場所に移動すると、雑草が生え放題だった。

「あっ、でも土は柔らかいや」

歩いてみると、家の周囲とは明確に土の柔らかさが違った。

「この辺りは少し前まで細々と作物を育てていたそうです。その名残があるのでしょう」

「なるほど」

なるほど。そういう理由もあってケルシーはこの辺りの土地を振り当ててくれたのか。

放置されていたとは、一度畑として作られた場所なら再利用しやすい。好都合だ。

「まずは除草しよう」

畑を作るにせよ、まずは雑草が邪魔だ。

メルシアにも除草液を渡し、畑として活用したい範囲の雑草を一掃する。

とぽとぽと除草液を撒くと、周囲に生えていた雑草はすぐに枯れてくれた。

「……イサギ様の除草液はすさまじいですね。これを売るだけでぼろ儲けできそうです」

「そうなのかな?」

「はい。きっともう爆売れです」

地味に調整を施すのが難しい代物だが、そこまでの人気が出るのだろうか。

お金に困ったときは、メルシアの言う通り売ってみるのも一つの手かもしれない。

まあ、今は農業に専念したいので本当に困った時の一つの金策だ。

枯れた大量の雑草はメルシアと一緒に端に避ける。

雑草がなくなると畑が露わになった。

次はこれを耕していくのだが、手作業でやっていては時間がかかってしまう。

ここで使うのは錬金術だ。

「おっ、ちょうど邪魔な石があるし、これを元にしよう」

畑の傍にある大きな石に触れると、錬金術を発動。

石の成分を解析し、魔力を流すことで瞬時に形を変える。

石が象ったのはゴーレムだ。

大きさは約二メートル近く、細かい動作ができるようにしっかりと手足まで作り込んである。だが、このままではゴーレムは動かない。いくら錬金術でもただの石人形を動かすことは不可能。だから、動力となる魔石をぽっかりと開けておいた胸元にはめ込んだ。

すると、ただの石人形だったゴーレムが目を赤く光らせる。

魔石から魔力が循環し、起動した証だ。

「前に歩け」

俺が命令をすると、ゴーレムは歩き出す。

今度は後ろに下がるように命令すると、同じように後ろへと歩いた。

魔石に刻まれた命令式は問題なく作動しているようだ。

動きに不自然な点や命令を受け取るまでのタイムラグもほとんどない。

「うん、動作や魔力の流れに問題はないな。ゴーレム、この鍬を使って土を耕してくれ」

マジックバッグから取り出した鍬を渡すと、ゴーレムはこくりと頷いた。

鍬を振り上げてザックザックと土を耕し始める。

邪魔な石を除去すると同時に頼もしい労働力を手に入れることができた。一石二鳥だな。

人間とは根本的な馬力が違う上に、疲れを知らない体なので耕す速度が段違いだ。

俺とメルシアが二人がかりで耕してもゴーレムの速度に追いつくことはないだろう。

「イサギ様のお作りになるゴーレムは、やはり動きが違いますね。とても動きがスムーズでまるで人間のようです」

「単純労働に最適だからこそ、色々なことができるように工夫しているんだ」

帝城にも宮廷錬金術師の作ったゴーレムが警備として動いていたが、彼らは侵入者を排除するという役割に最適化されていたせいか、それ以外の命令に対しての反応は緩慢だった。

錬金術師にとってゴーレムは頼もしいパートナーだ。

一つの役割だけでなく、色々な役割をこなせる存在でいて欲しいと俺は思っている。

「イサギ君、一体あれはなんだ?」

ゴーレムが畑を耕していると、ケルシーがやってきた。

俺たちの様子を見にきたら、いきなりゴーレムが畑を耕しているのが見えて驚いたのだろう。

「錬金術で作り出したゴーレムです。人を襲うようなことはないので安心してください」

「そ、そうか。錬金術師とは便利なのだな」

納得したように頷いてはいるもののやはり気になるようで、ケルシーの視線はゴーレムに向いている。

とはいえ、慣れればまったく気にならなくなるので時間の問題だろう。

「コホン。二人とも、もう仕事を始めていたのだな」

「はい。自分の作った作物がここでもちゃんと育つのか確かめたいので」

「イサギ君の見立てではどうだね?」

「土質は帝国の土とそう変わりはないので問題なく育つのではないかと思っています。あくまで現段階での予想ですが……」

「それが本当であれば嬉しいものだな」

ちなみにここまでメルシアは一切ケルシーの言葉に反応していない。

除草液で枯らした雑草を黙々とひとまとめにしている。

おそらく、住み込みで働く許可をケルシーから貰えなかったので拗ねているのだろう。

ケルシーもそれがわかっているからか、どう接すればいいのかわかりかねている様子だ。

板挟みになっている俺が一番気まずい。

「これからちょうど錬金術で作物を育てますので良ければ見ていってください」

ゴーレムが土を耕し終えたので、俺はこれ幸いと作業を進めさせてもらう。

「う、うむ。他にも仕事があるので少しの時間だけ観察させてもらおう」

「大丈夫ですよ。上手くいけば、すぐに収穫できるようになりますから」

「すぐに収穫だと?」

俺の言葉にケルシーは胡乱な顔つきになる。

まあ、それはすべてが上手くいけばという話だし、口で説明するよりも工程を直接見せてあげる方が早い。俺はそれ以上の説明はせず、作業を進めることにした。



「まずは錬金術で作った特製の肥料を撒きます」

マジックバッグから取り出したのは麻袋に入った肥料だ。

「原料は帝国で一般的に使われている肥料です。それらの素材を俺が独自に性質変化や強化を加え、より土の栄養が良くなるように調節してあります」

「…………?」

また説明が煩雑だっただろうか? ケルシーがすっかりと首を傾げている。

「……ざっくりと言いますと、痩せた土を強化するために錬金術で作った肥料です」

「そ、そうか!」

大きくため息を吐かれながらであったが、ようやくメルシアが返答してくれたことでケルシーはとても嬉しそうだった。わかりやすいほどに尻尾が揺れている。

「申し訳ありません、イサギ様。気を遣わせてしまって……」

麻袋の紐を解いていると、メルシアが申し訳なさそうに言ってきた。

「うん、互いに言い分はあると思うけど仲良くね。家族っていうのはかけがえのないものだから」

「……はい」

俺には生まれた時から両親がいない。だから、家族である二人が仲違いしている姿を見ると、切ない気持ちになってしまう。喧嘩するなとは言わないけど、できるならば仲良くはしてほしい。

「じゃあ、肥料を撒いていこうか」

気持ちを切り替えたところでメルシアと一緒に肥料を撒いていく。

肥料の撒かれたところはゴーレムが鍬でかき混ぜていって、しっかりとした畝にしてくれる。

「土づくりができたところで種を撒きます」

「待て。土と肥料が混ざるまで放置するものではないのか?」

「通常の肥料を混ぜた場合はそうですが、俺の作った肥料は分解速度も引き上げられていますので。時間を空けて馴染ませる必要はありません」

通常の畑であれば、土と馴染ませるために一週間から二週間放置しつつ、かき混ぜるわけだが俺の肥料には必要ない。土と混ぜたらすぐに種や苗を植えることが可能だ。

「イサギ君の作った肥料はすごいのだな」

「イサギ様なのですからこれくらい当然です」

なぜかメルシアが自慢げに言う。

ここまで持ち上げられると育たなかった時が非常に怖いので、無事に一発で育つことを願うしかない。

「では、俺が品種改良を施したジャガイモを植えます」

最初に植えるのは救荒作物としても有名なジャガイモだ。

プルメニア村でもいくばくか栽培されているらしいが、それでも豊富に収穫できるほどではないらしい。

身近な作物で効果を試す方が、より効果がわかりやすいだろう。

帝国産のタネイモを畝の中に入れ、土を覆いかぶせてやる。

「後は水をかければ、すぐに育って収穫できるはずです」

「いや、さすがにそんなにすぐにジャガイモが育つわけはないだろう。早くても三か月から四か月の時間は必要――ッ!?」

ケルシーの言葉が途切れたのは、言葉の途中で芽が出てきたからだ。

ニョキニョキと出てきた芽は、葉を茂らせて花を咲かせる。

花が終わる頃には栄養分が根に回り、茎と葉が黄色くなってしなった。

収穫できるようになった証だ。

「さて、どうだろう?」

すっかりと太くなった茎をおそるおそる引っこ抜くと、根本には大きなジャガイモがたくさん実っていた。

「よし、成功だ」

「おめでとうございます、イサギ様!」

「ありがとう」

帝国と土質が似通っていたので成功する自信はあったのだが、それでもホッとした気分だ。

「し、信じられん! たった一日でジャガイモが収穫できるなんて!」

収穫されたジャガイモを見て、ケルシーは驚愕していた。

ジャガイモは植え付けてから収穫まで三か月から四か月の期間を必要とする。

たった一日で収穫できるなどあり得ない。

さらにはまともに作物が育たない土地であれば尚更だ。

ケルシーが驚くのも無理はない。

「試しに食べてみようか」

「では、シンプルにソテーにしましょう」

「お願いするよ」

ジャガイモ本来の味を確かめるのであればシンプルなものの方がいい。

「天気も良いから外で調理をしちゃおうか」

「いいですね」

俺はマジックバッグの中から調理器具を取り出す。

腰を落ち着かせるためのイスは、錬金術で土を操作し、固めることで用意。

「これはなんだ?」

「火を生み出すことのできる魔道具です。こんな風にボタンを押せば火がつき、レバーを操作すれば自在に火の強さを変えることができます」

突然点火し、自在に炎の大きさを変える魔道コンロを見て、ケルシーは目を丸くしていた。

「街では便利な魔道具があるとは聞いていたが、これはすごいものだな。いつでも簡単に火を起こせるというのはありがたい。これもイサギ君が作ったのか?」

「こういった魔道具を作るのも錬金術師の仕事なので」

錬金術師のいないプルメニア村では、こういった魔道具も普及していないようだ。

とても便利なので普及させてあげたい思いはあるが、さすがに俺一人の作業で村全体に普及させるのはしんどいのでゆっくりおいおいとさせてもらおう。

そんな会話をしている間にメルシアはジャガイモを洗い終え、包丁で厚切りにしていた。

フライパンに油をひくと、レバーを調節して中火で炒める。

こんがりときつね色の焼き色が付いたらひっくり返す。

フライパンに蓋をして、弱火で四分ほど火を入れたら器に盛りつけられて完成だ。

「できました。ジャガイモのソテーです。味付けはバターと塩胡椒がありますのでご自由にどうぞ」

「ありがとう、メルシア。ケルシーさんもどうぞ」

「うむ」

ケルシーにも勧め、出来上がったばかりのジャガイモのソテーを食べる。

口の中いっぱいにほんのりと甘みのあるジャガイモの味が広がった。

熱を通されたばかりのジャガイモはとても熱く、口の中で転がしていくうちに崩れた。

「うん、美味しい!」

「味の方も問題ありませんね」

「うちの村で育てているものより味が段違いだ」

ジャガイモを食べたケルシーは驚いている様子だった。

やせ細った土で育てられた故に、この村で育てられたジャガイモは味が薄いようだ。

錬金術で強化した肥料、痩せた土地でも十分に育つように改良された俺のジャガイモと違いが出るのは当然と言えるだろう。

「……それに不思議と力が湧いてくるような?」

過去にメルシアが食べた時もそうだったが、一口食べただけで気付くとは獣人というのは感覚が鋭敏なのだとわかる。

「改良を加えたジャガイモには、食べることで活力が得られるように調整もしているので」

「そんなことができるのか。錬金術というのは本当にすごいのだな」

とはいっても、ちょっとした疲労回復効果や活力アップ程度だ。

その気になれば、もっとパワーアップできるように調整もできるが、日常的に口にする食材にそこまでの強化は必要ないだろう。

ほんの少しバターをつけて食べると、さらに美味しい。塩、胡椒を軽く振りかけて食べると、これまた美味しかった。

ちょうど昼時とあってか俺たちは、あっという間にジャガイモのソテーを平らげた。

メルシアが調理器具を洗いに家に戻ると、座っていたケルシーがおもむろに口を開いた。

「イサギ君が錬金術で改良した作物なら、この村でも育てることができるのか?」

「できます。できなくても、育てられるようにします。それが俺の仕事ですから」

そのために俺はプルメニア村にやってきた。

ならば、この村が豊かになるように力を尽くすまでだ。

「そうか。ならば思う存分にやってみてくれ。困ったことがあれば、俺が力になろう」

「ありがとうございます!」

錬金術に懐疑的だったケルシーだが、この村の畑でジャガイモを育てた上げたことで有用性を認めてくれたようだ。村長がバックアップしてくれるのであれば非常に心強い。

「では、早速お願いがあります!」

「なんだね?」

「畑をもっと広げてもいいですか? ジャガイモを安定して供給するのは勿論、他にも色々と改良した作物があるので育ててみたいんです」

「構わん。そのためにここの家をイサギ君に譲ったんだ。この辺りには他の村人もいないから好きにしてくれていい」

「ありがとうございます! では、ドンドンと作りますね!」

ケルシーからさらなる開墾許可を貰ったので、俺は嬉々としてゴーレムに命令して畑を作らせることにした。



ジャガイモ畑と同じように土に特製肥料を混ぜて、品種改良をした作物を片っ端から育てた翌日。家の傍にあった畑にはジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ほうれん草、トマト、キュウリ、ナス、カブと幅広い種類の作物が広がっており、通常なら夏や秋に植えるであろうトウモロコシ、大根、ブロッコリーなども既に存在していた。

これだけ豊富で広範囲に広がったそれらを見ると、もはや畑と言うより農園と言う方が正しいような気がする。

「ちょっと作り過ぎたかな?」

「……かもしれません」

冷静になって見渡すとつくづくそう思う。

帝城では限られた土地しか使わせてもらえず、いかに少ないスペースで品種改良した作物を育てるか苦労していた。

そんな抑圧されていた状態の俺たちに、好きなだけ土地を使ってもいいなんて言われたら舞い上がってしまうのも仕方がないわけで。要するに調子に乗って作りすぎたのである。

保存自体はマジックバッグがあるのでなんとでもなるが、収穫が一番の難題だ。

「追加でゴーレムを作ることは可能でしょうか?」

「生憎、魔石を切らしていてね。今はこれ以上作ることができないんだ」

その辺にある石や土を利用すれば、体を作ることはできるが、肝心の動力となる魔石がなければ動かすことはできないのだ。よって、ゴーレムを大量に生成することで収穫を乗り切るといった方法は実現できない。

「父と母を応援として呼びましょうか?」

「そうしてくれると助かるよ」

俺たちだけで行えば、確実に半分は収穫期を逃すことになる。

迷惑をかけることになるが、せっかく育てた野菜を台無しにしたくない。

ケルシーも力になってくれると言っていたので、早速頼らせてもらうことにしよう。

「わかりました。少々お待ちを」

メルシアはこくりと頷くとシエナとケルシーを呼ぶために実家へと向かった。

「よし、とにかく俺とゴーレムだけで頑張るか」

「ニャー!? なにこれー?」

ゴーレムを呼び寄せて腕まくりをしていると、後ろからそんな驚きの声が聞こえた。

聞き覚えのある声に反応して振り返ると、メルシアの幼馴染であるネーアがいた。

「あっ、ネーアさん。おはようございます」

「この村にこんな大きい畑なんてなかったよね!? いつの間にできたの?」

とりあえず、挨拶をしてみるが驚いているネーアはそれどころではない様子だった。

「昨日、作ったんです」

「どうやって?」

「錬金術です」

「いやいや、おかしくない? イサギさんたちがやってきてまだ二日目だよ? この村で作物が育つこと自体がおかしいし、もう収穫できるようになってるのもおかしいんだけど!」

「それをどうにかできるのが錬金術なんです」

「それしか言ってないじゃん!」

だって、その通りなんだからそうとしか言いようがない。

「ネーア、イサギ君の言っていることは本当だ。実際、俺はイサギ君が錬金術で作物を実らせる姿をこの目で見た。イサギ君が改良した作物なら、この村でも育つ」

唖然としているネーアと俺たちのところにやってきたのはケルシーだ。

後ろにはメルシアやシエナもいる。

「ケルシーのおじちゃんがそう言うってことは本当なんだね。この村で農業なんてできっこないと思ってたけど、すごいじゃん!」

「ありがとうございます」

称えるように俺の背中を叩くネーア。

獣人だからだろうか予想した以上に力が強かった。

「それで今から収穫作業ってわけ?」

「はい。少し育て過ぎてしまったので作業が大変です……」

「それなら面白そうだし、あたしも手伝うよ!」

「本当ですか? 助かります!」

これだけ作物が多いとなると、人手は少しでも多い方がいい。

俺はネーアの申し出をありがたく受けた。

「ケルシーさんとシエナさんもいきなり手伝ってもらうことになってすみません」

「昨日の今日でここまで畑が広がるとはな」

「すみません。つい楽しくなってやり過ぎてしまいました」

「全体的に食料が不足しているこの村で作物が豊かに実るのは素晴らしいことだ。気にしなくていい」

「この村でこんなに豊かに作物が実っているなんて初めてよ。なんだかワクワクするわね」

よかった。突然の手伝ってもらうことになったが、ケルシーもシエナも純粋に喜んでくれているみたいだ。

とはいえ、毎度こんな風に呼びつけたら迷惑だろうし、これからはきちんと収穫のことも考えて実験することにしよう。

錬金術で収穫用のコンテナを作り上げると、それぞれが各作物の畑で収穫作業に移っていく。

ゴーレムにはキュウリの収穫を命じて任せ、俺はナスの収穫に取り掛かることにする。

刺が刺さらないように手袋をつけて、ハサミを手に取る。

「うん、どれもいい色艶だ」

実っているナスはどれも丸々としており、とてもいい色合いをしているのがわかる。

成長が促進されているのでほとんどが収穫期に達していると言えるだろう。

葉っぱをかきわけると、わき芽の根元をハサミで切る。

不必要なわき芽をハサミで落としたらコンテナに入れる。

あとはこれを延々と繰り返すだけ。

だけど、その数が膨大なためにかなり時間がかかる。根気と体力が必要だ。

特にこういった収穫作業は何度も屈んだり、立ち上がったりするために中々に腰にくる。

キュウリ畑ではゴーレムがノシノシと歩いてはキュウリを収穫してはコンテナに入れるのを繰り返していた。無尽蔵な体力がとても羨ましい。

「……ねえ、イサギさん。このトマトちょっと味見していい?」

黙々と作業をしていると、畑を越えてきたネーアが笑みを浮かべながら言ってきた。

まだ収穫中なのだが、きちんと許可をとりにきている。能天気なのか律儀なのかよくわからない性格だな。

まあ、ネーアは関係者でもないのに善意で手伝ってくれているんだ。

作業中の味見くらい目くじらを立てることもないだろう。

「いいですよ」

「わーい!」

許可すると、ネーアは嬉しそうな声をあげてトマトを食べた。

「なにこれ! めっちゃ美味しい! あたしの知ってるトマトとぜんぜん違うんだけど!?」

「成長速度だけでなく、甘み成分も向上させているんですよ」

「錬金術ってそんなこともできるの!? 本当にすごいね!」

驚きつつも食べる手は止めない辺り、相当収穫したトマトを気に入ってくれたようだ。

「俺も食べちゃおうかな」

「うんうん、イサギ君も共犯者になるといいよ」

ネーアの甘い誘惑に乗った俺は差し出されたコンテナから真っ赤に染まったトマトを手に取る。ヘタもしっかりと緑色で皮の張りも見事だ。

軽く布で表面の汚れをと取ってしまうと、そのまま豪快にかじりつく。

しっかりとした皮の中には柔らかい果肉がたくさん詰まっており、トマト特有の甘みと酸味が口の中で弾けた。

「うん、美味しい! 自分の好みの味に調整しただけはある!」

ベースとなっているのは帝国産のトマトだが、あちらのトマトは甘みが少なくて酸味が強かった。それがどうにも気に入らなかったので甘みを増強させ、酸味を減衰させたのだが正解だったようだ。

しっかりとし甘みのあるトマトは、まるでフルーツのようだった。

「……なんだかそちらの方だけ随分と楽しそうですね?」

なんて風に一休みしながらトマトを食べていると、ぬっとメルシアが顔を出してきた。

表情はいつもと同じように澄ましたものであるが、どことなく不満なように感じる。

ただ試食していたところを見られただけなのに、妙に焦るのはなぜだろう。

「メルシア、俺は作物の味見をしていただけだよ。ほら、錬金術師として改良した作物の味は確かめておかないといけないし」

「でしたら、私も味見をします」

「ああ。うん。どうぞどうぞ」

俺の隣にやってくると空のコンテナを置いて腰掛けるメルシア。

そんなメルシアの姿を見たネーアがからかうような笑みを浮かべた。

「にゅふふ、少し見ない間にメルシアも可愛らしいことをするようになったね?」

「どういう意味だい?」

俺には意味がわからなかったが、二人の仲では通じる言葉だったらしい。

メルシアがサッと頬を赤くすると、勢いよく立ち上がった。

「ネーア!」

「ニャー! メルシアが怒ったー!」

試食なんてそっちのけでネーアを追いかけるメルシア。

なんかよくわからないけど二人とも楽しそうで何よりだ。



メルシア、ネーア、ケルシー、シエナに収穫を手伝ってもらうこと三日。

ようやく収穫期の作物を収穫することができた。

まだ収穫期に達していない作物が、ちょいちょいと残っているがそれは俺とメルシアで十分にこなせる作業量だ。

「これで収穫は終わりかな?」

「はい、終わりです! 手伝ってくださって本当にありがとうございました!」

ネーアの言葉に頷いて頭を下げると、ケルシーやシエナもホッとしたような顔になった。

一日ならまだしも結果として三日も手伝ってもらうことになった。本当にこの三人には頭が上がらない思いだ。今後はこんなことにならないように考えて作物の実験をすることにしよう。

「ところで収穫した作物にどうするつもりだ?」

自らの行いを振り返っていると、ケルシーが尋ねてくる。

「こちらに越してきた挨拶としてプルメニアの皆さんにお配りしようかなと思っています。さすがにずっと保管しておくのもマジックバッグを圧迫するので」

収穫したすべての作物を収納することができたが、容量的には結構限界だ。

バッグの中に入れておけば、保存という面では問題ないが、日常生活や仕事を行う上ではもう少し軽くしておきたい。なんて理由も述べると、シエナがポンと手を合わせながら提案してきた。

「それなら宴を開いちゃうのはどう? イサギさんの畑で獲れた作物で料理を作って振舞うの。村人全員に顔を見せることができるから挨拶も楽になるわよ」

「宴を開くとなると大変なのではないでしょうか?」

帝城でもパーティーの類が頻繁に行われていたが、準備がとても大変そうだったのを覚えている。

「イサギ様、宴とは申しましても帝城で行われるような豪奢なものではありませんよ。中央広場に人を呼んでイスやテーブルを並べるだけの気楽なものです」

俺の想像している宴との違いに気づいたのか、メルシアがイメージを訂正してくれる。

「そうだった。帝城での生活が長かったから勘違いしていたよ」

考えれば、ここは帝都ではない。

帝城のような豪奢なパーティーと同じなわけがなかった。なんだか恥ずかしい。

「料理についても私やメルシアちゃんだけでなく、参加する村人たちも手伝ってくれるから問題ないわよ」

「でしたら、収穫した作物は宴で使っちゃいましょう!」

この作物は俺とメルシアだけでは収穫することのできなかったものだ。

だったら、手伝ってくれた皆や村のために使ってあげるのが正しい。

この量だと俺とメルシアだけで消費しようにも年単位で時間がかかるだろうし。

「決まりだな。今夜は宴だ!」

「はい! ――って、今夜ですか!?」

現在は日中。今夜となると、あと数時間程度の時間しかない。

「じゃあ、村の人たちに声をかけて準備を進めるわ!」

俺が戸惑うのをよそにケルシーやシエナは嬉しそうに頷いて動き出した。

まさか今日の今日でやるとは思わなかった。

「大丈夫かな? ちゃんと皆来てくれるかな?」

俺は人間族であり、プルメニア村にやってきたばかりだ。

そんな俺が錬金術で育てた作物を、この村の人たちは食べにきてくれるだろうか。

帝都ではパーティーを開いたが、人望がないせいで参加人数が悲惨だったという事件もよく耳にしていた。それと同じことが起きないか心配でならない。

「当日でも皆さんいらっしゃると思います。なにせこんな風に宴を開くなど久しぶりですから」

「ニャー! ここに住んでる人はそういう楽しそうなの大好きだしね!」

メルシアとネーアには確信があるのか、俺が抱いている心配はまるでしていないようだった。二人がそこまで言うならやってくる人が皆無ということはないのだろう。ウジウジと心配するのはやめて、二人を信じてどっしりと構えることにした。

「あたしは荷物を持って帰って準備してくるよ」

作業道具を一通り片付け終えると、ネーアはたんまりと収穫した作物を持ちながら走っていった。一旦家に戻って宴の準備を手伝いにきてくれるのだろう。

「では、私たちは広場に作物を持っていきましょうか」

「そうだね」

宴に使う食材は俺たちが持っている。早く運び込んであげないと準備ができないだろう。

俺は作業着から私服に着替えると、メルシアと共に中央広場に向かった。

中央広場にやってくると、既に大勢の村人たちがいた。

舗装された地面の上には大きなテーブルやイスが並んでいる。

しかし、集まってくる村人の数はそれ以上に多いからか、各家庭から追加でテーブルやイスを持ち出している様子だった。

「もうこんなにたくさんの村人が集まってるんだ」

ケルシーやシエナが情報を広めて小一時間しか経過していないはずだが、既に多くの村人が集まって準備を始めていた。

恐るべきは田舎の村の情報伝達力か、あるいは宴という楽しそうな催しに対する好奇心だろうか。

「あっ! イサギさん! ちょうどよかった! そろそろ調理を始めたいから食材を出してくれると助かるわ!」

想像以上の人の集まりに驚いていると、シエナがこちらに寄ってくる。

「わかりました。どこに置けばいいでしょう?」

「こっちのテーブルに置いていってくれれば、私たちが勝手に調理するわ」

シエナの周りには多くの獣人女性たちが集まっている。

たくさんの視線が集まり、いまかいまかと食材を吐き出すのを待っているようだ。

「わかりました! では、食材を置いていきます!」

俺はマジックバッグを開けると、収穫した食材をひたすらにテーブルの上に吐き出していく。

その瞬間、わっと湧き上がるような歓声が出た。

「こんなにも食材がたくさん!」

「このトマト、とてもヘタが綺麗だし皮に張りもあるわ!」

「これ全部イサギさんの畑で収穫したものなの?」

「はい。シエナさんやケルシーさんたちに手伝ってもらいながら収穫しました。獲れたてですよ」

なんて相槌を打つと、女性たちがきゃいきゃいと元気な声を上げながら食材を手にしていく。

「これだけ新鮮な食材を使うのは久しぶりだね。腕が鳴るよ」

「何を作っちゃいましょうか~?」

などと言いつつも女性たちは食材を手にして、調理台で食材の下ごしらえを始めた。

口では迷っちゃうと言いながら手が緩まないのは、既に内では何を作るか決定しているか。

あるいは作りながら決めているのかもしれない。料理が得意な人ってすごい。

「それでは私も調理を手伝ってまいります」

「俺に手伝えることはあるかな? せっかくだから何か手伝いたくて」

俺が申し出ると、メルシアは周囲を見回して言った。

「でしたら、イサギ様のお力で大人数用の大きな鍋やフライパンを作ってくださると助かります。私が想定している以上に村人が集まってきているので」

炊き出し用の大きな鍋やフライパンを持ち寄っているようだが、これだけ大人数の料理を作るには小さいように感じた。

「わかった。錬金術で作るよ」

俺はマジックバッグから鉄塊を取り出すと、魔力を流して形状を変化させた。

「……これは大き過ぎるかな?」

帝都の騎士団や修道女たちが炊き出しで使っている大鍋をイメージして作ってみたが、さすがに大きすぎたかもしれない。

およそ百リットルは入るだろう。空のままでもかなり重く、俺自身では両手でようやく持ち上げられるかといったところ。

ここに食材が入っていくことを考えると持ち運ぶのは不可能なのではないだろうか。

もうちょっと小さくしようと考えたところでメルシアがやってきた。

彼女はぺこりと頭を下げると、大鍋を軽々と片手で持ち上げた。

「助かります。このサイズであれば、大人数用のスープ料理ができますので」

「あっ、うん。役に立てたようで良かったよ」

呆気にとられながら見送った先では、メルシアが持ってきた大鍋を華奢な女性獣人が軽々と受け取っていた。

やはり人間族と獣人族では根本的な膂力が違うようだ。

わかっていても重いものを軽々と持ち上げる姿には驚いてしまう。

とはいえ、使いやすい大鍋のサイズがわかったのはいいことだ。

俺は追加で大鍋を四つほど量産する。

作り上げた瞬間にメルシアが調理場に運んでいく。

「イサギ様、次は大きなフライパンを五つほど作ってもらえると助かります」

「わかったよ」

同じように錬金術で大きなフライパンを五つほど作ると、調理場に運ばれてカットされた食材と肉で豪快に炒めものが作られていく。

「このフライパンとても使いやすくていいね! ありがとう!」

「鍋も大きくてまとめて調理できるから助かるわ」

鍋やフライパンを作り終えると、調理場の女性たちからそんな感想を貰えた。

帝城での錬金術による作業は、ひたすらに流れ作業で割り振られたものを淡々とこなすだけ。たとえ、なにかを加工しようと修理しようと感謝されることはない。

だから、こうやって直接感謝されるのは初めてだった。

「ありがとうございます!」

なんだかこういうのっていいな。



多くの村人が調理や準備を手伝ってくれたお陰で、日が暮れる前に宴の準備が整った。

中央広場には多くの村人が集い、テーブルには多くの料理が並んでいる。

野菜と香辛料をふんだんに使ったポトフにミネストローネ、たくさんの野菜と肉を使った炒め物、焼きトウモロコシ、生野菜サラダ、小麦粉を薄く伸ばして焼いたチャパティにローストチキンなどと。

俺が提供した作物だけでなく、狩人が持ってきてくれた肉や、各家庭が持っている秘蔵の食材や香辛料なども合わさっていた。

普段食べられることのない豪勢な料理らしく、集まっている村人たちはとても興奮しているようだった。腰を下ろしている獣人たちの尻尾がブンブンと揺れていた。

俺も美味しそうな料理を前に涎を垂らしてしまいそうな勢いだ。

「イサギ君、ちょっと来てくれるか?」

「はい」

彩豊かな料理を眺めていると、ケルシーに呼ばれたので前に出る。

「今日は急な呼びかけにもかかわらず集まってくれて感謝する。食料に乏しい我が村でこれだけ豪勢な食材が集まったのは、先日越してきたイサギ君が錬金術によって作物を育てあげてくれたお陰だ」

ケルシーは威厳を感じさせる口調で述べると、村人たちが歓迎するように拍手をしてくれて口々に感謝の言葉を述べてくれる。

それらが落ち着くと、ケルシーはポンと俺の背中を叩いた。

どうやらここで自己紹介をしろということらしい。

いきなりハードルが高い。だけど、村人たちに顔と名前を覚えてもらういい機会だ。

「はじめまして、錬金術師のイサギです。先日この村に越してきたばかりで、わからないことも多いですが、何卒よろしくお願いいたします」

「硬い!」

少しバカ丁寧過ぎたようだが、ケルシーの突っ込みのお陰で広場では笑いの声が上がった。

「食材はまだまだありますので今日は思う存分食べてください!」

「そういうわけだ! プルメニア村に加わった新たなる住民を歓迎して乾杯!」

「「乾杯!」」

ケルシーが杯を掲げると、村人も同じように杯を掲げた。

あちこちで杯がぶつかり合う音が響く。

俺はケルシーやシエナと乾杯し、声をかけてくれる村人たちと乾杯を交わす。

一通り杯を交わして元の席に戻ろうとしたら、なぜか他の村人が座って食事を始めていた。

遅れてやってきた人が座ってしまったのだろうか。

「イサギ様、こちらが空いております」

どうしようかと悩んでいると、メルシアから声をかけられた。

周りにはネーアや同じ年齢くらいの女性が多くいるが、そこ以外に空いているところも見当たらないので素直にお邪魔することにした。

「料理は取り分けておきました」

「ありがとう」

席に座ると、メルシアによって一通りの料理が取り分けられていた。

甲斐甲斐しいのはいつも通りであるが、ネーアをはじめとする村人たちの視線が妙に生暖かいのが気になった。

とはいえ、今はそれよりも料理だ。

目の前の深皿には豪快にカットされた具材が入ったポトフがある。もうもうと白い湯気を上げており、とても美味しそうだ。

匙ですくって口に運ぶと、ニンジンとタマネギの甘みが口内を満たした。

「うん、美味しい」

ごろりとしたジャガイモがほろりと崩れ、スライスされたキノコから豊かな風味が吐き出される。大きなウインナーからはしっかりとした肉の味を感じ、ほのかに混ざった胡椒がピリッと味を引き締めていた。

「ニャー! こんなに野菜たっぷりのスープは久しぶり!」

「普段は多くても三種類程度だし、節約して屑野菜を使うことも多いもんね」

すぐそばではネーアをはじめとした獣人たちが料理を食べてそんな感想を漏らしていた。

俺の育てた食材で皆がこんなにも喜んでくれて嬉しい。

「でも、この宴が終わると、またいつもの食事に逆戻りなのか」

しかし、一人の村人の言葉でどんよりとした空気に包まれる。

これだけ豪勢な料理を食べられても、明日にはまた貧しい食事に戻ってしまう。

そう思うと憂鬱になってしまうのもしょうがないだろう。

だが、俺がやってきたからにはそんな生活を送らせはしない。

「安心してください。俺が品種改良をした作物であれば、この村でも栽培することができるんです。痩せた土地でもしっかりと育ち、寒さや病気にも強い。そんな作物の種を皆さんにお分けします」

品種改良した作物を俺だけが独占しても意味はない。

この村に住んでいる村人が各々で育て上げ、収穫できなければ、各家庭の食料レベルが上昇したとは言えないだろう。

だから、俺はこの村の人たちにも品種改良した作物を育ててほしいと思っている。

「でも、それは錬金術師のイサギじゃないと育てられないんじゃないの?」

「急激に育てるには錬金術による調整が必要ですが、錬金術師じゃなくても短期間で収穫することは可能です」

元々これらの作物は誰でも栽培できるように改良したものだ。錬金術師がいないと作れないのでは意味がない。

「じゃあ、あたしでもできるの?」

「はい。きちんと手入れをしてあげればネーアさんでも育てられます」

ネーアの質問に答えると、周囲で聞いていた獣人たちがどよめきの声を上げた。

「ですから、もう一度皆で作物を育ててみませんか?」

「それが本当なら夢のようだ。だが、君はこの村にやってきたばかり。どうして俺たちにそこまでしてくれる?」

改めて問いかけると一人の獣人が言った。

品種改良をした作物を育ててみたい気持ちはあるが、やってきたばかりの俺がどうしてここまでしてくれるのか不思議でならないのだろう。

獣人の疑問にメルシアがムッとして立ち上がろうとするが、俺は静止させた。

「俺は孤児です。赤ん坊の頃に帝都の教会の前に捨てられ、配給される僅かな食料を奪い合い、それでも足りずにお腹を空かせながら過ごしてきました。だから、空腹の辛さは知っています。生きてきたからには誰だってお腹いっぱいに美味しい料理を食べたいじゃないですか」

どんなに強い人でも、どんなに偉い人であっても空腹は等しく訪れる。

貧しい食事をすれば心が荒み、なんのために生きているのかわからなくなる。

そんな苦しい思いは誰にもしてほしくない。

だから、俺は錬金術師となってからも、食材の研究をしていた。

より多くの人が美味しい食べ物を食べられるために。

「……すまない。君を疑うようなことを言ってしまって」

「いえいえ、俺が逆の立場でも同じ疑問を抱きますから」

「イサギ君が品種改良したという作物の種を譲ってくれ。食卓が豊かになるなら俺も農業をやってみたい」

「俺も俺も! 山や森の恵みにも限りがあるしな!」

「私も農業をやってみたいわ!」

質問をしてきた獣人がそう言うと、次々と獣人たちが集まってきて種を求めてきた。

「落ち着いてください。種はたくさんありますから!」

俺はもみくちゃにされながらも村人に種を分け与えた。

すべての村人は農業を始めるわけではないが、これだけ大人数の村人が農業を始めれば十分に食料がいきわたるようになるに違いない。これでプルメニア村の食料事情は大幅に改善されるだろう。

「よし、プルメニア村の新たな希望に乾杯だ!」

ケルシーの音頭に村人たちはさらなる熱を帯びた声で答えた。



イサギがプルメニア村で錬金術による農業を行っている頃――


レムルス帝国の錬金課を統括しているガリウスは、皇位継承権第一位のウェイス・ドレバンシェア・レムルス皇子に呼び出されていた。

レムルス帝国の錬金課に資金を回しているのはウェイス。いわば、ガリウスの上司となる人物故に、ガリウスが定期報告を行うのはいつものことだった。

呼び出されたガリウスはいつものように定期報告を行う。

今月は特に問題もない。むしろ、イサギを解雇し、魔道具やアイテムの製作を率先して行う錬金術師を雇い入れたために生産も上がっている。褒められることはあっても、叱責されることはないだろうとガリウスは思っていた。

ガリウスからの一通りの報告を終えると、ジーッと椅子に腰かけて耳を傾けていたウェイスが口を開いた。

「ガリウス、今月はイサギについての報告がないのだが奴は何をしている?」

第一皇子であるウェイスがなぜ平民であるイサギを気にかけているのか、理解ができないし、まるで繋がりが見えなかったのだがガリウスはありのままを報告することにした。

あの生意気な平民がいなくなったことを聞けば、きっとウェイスも気を良くするに違いない。

内心でそんなことを思いながら笑みを浮かべて告げる。

「ああ、あの無駄飯食らいの平民は解雇いたしました」

「なに?」

ウェイスが満面の笑みを浮かべるだろうと思っていたガリウスは、予想とは違った反応に戸惑う。

「なぜ、イサギを解雇した?」

「帝国における錬金術師の役割は戦争のための魔道具とアイテム作成……それを最低限しかこなさず、土いじりばかりを行う彼は錬金課の足手纏い以外なにものでもありません。そもそも、尊き御方と貴族が住まう帝城に下賤な血を引く、平民がいるべきではありませんから」

「馬鹿者! お前はなんということをしてくれたのだ!」

「は?」

イサギを解雇したことについて褒められると思っただけに、ガリウスは硬直してしまう。

「イサギには錬金術によって作物を品種改良し、深刻な帝国の食料生産事情を上げるための役割を与えていたのだ! あいつの作り出した作物に確かな希望があったからこそ、余は周囲を説得して軍事費のさらなる拡大をさせたのだぞ! どうしてくれる!」

込み上げた怒りをぶつけるかのようにウェイスはテーブルを叩いた。

イサギとウェイスに面識があるとは知っていたし、数年前に興味を示していたことは知っていた。しかし、その興味が今も続いていると思っていなかったガリウスは叱責を受けて焦った。

「恐れながらイサギはそのような研究をしていましたが、奴ごときの実力で形になるとは到底思いません」

「貴様はそう言うが、余は実際に奴から提出された研究データや、城内にある実験農場を目にしたことがある。そこでは帝国と同じ土が使われ、従来の作物とは比べ物にならない速度で農作物が生産されていたぞ」

「そ、そんなバカな……」

「お前はイサギの上司であろう? 一体、部下の何を見ているのだ! この無能め!」

さらに鳴り響くテーブルの音。

相手は未来の皇帝だ。

ウェイスからすれば、自分のような地位の高い貴族でも虫けらのようなものだ。

叱責を受け、印象が悪くなるだけで未来は真っ暗になってしまう。

深刻な状態に陥ったガリウスは焦りに焦った。

少し無言の時間が経過すると、ウェイスはゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせた。

「……イサギが残した研究データや実験農場の作物はないのか?」

「ありません」

イサギを辞めさせた当日にガリウスはすぐに彼が出ていったかをチェックした。

小汚くて狭い工房兼私室には跡形もなく彼の痕跡はなくなっていた。

宮廷錬金術師であれば、自作したマジックバッグを持っているのは当然だ。

たとえ大きな荷物でもマジックバッグに詰めてしまえば、すぐに荷造りは終えてしまう。

大きくて邪魔になるから残すといったことはほぼほぼない。

「チッ、それらがあれば他の奴らに引き継がせたものを……至急イサギを連れ戻すか、代わりとなる食料生産の改善案を提出しろ!」

「はい!」

ウェイスからの勅命にガリウスは即座に身をすくめながら返事をし、いそいそと部屋を退出する。

そして、しばらく城内の廊下を歩くとウェイスとのやり取りを思い出して、屈辱に身を震わせるのだった。



品種改良した作物を村人たちに分けることによって、プルメニア村では農業ブームがきていた。今までロクに育たないからと放置されていた土地が、ドンドン耕されている。

そんな中、俺とメルシアはより土を掘りやすいように改良した鍬や、作物を育つための肥料を与えたりなど支援していた。

「このまま順調にいけば、多くの食材が収穫できそうです」

長年夢見ていた光景だけあって嬉しいのだろう。土を耕す村人たちを見て、メルシアが穏やかな笑みを浮かべる。

そんなメルシアに水を差すようで悪いが、現状には大きな問題がある。

「うん。でも、このままじゃいけない部分もあるんだよね」

「何かご心配なことでも?」

俺の呟きを聞いて、メルシアが怪訝な顔になる。

「今、俺たちが使っている肥料は帝国の肥料を改良したものなんだ」

「……つまり、数年後には今ほどの成長率は期待できないということですか?」

「うん、このままでいけばだけどね」

俺たちの畑や村人たちが使っているのは、帝国の肥料を改良させたもの。

マジックバッグには数百トン入っているのですぐに無くなることはないが、数年後には底を尽きてしまうだろう。それまでにプルメニア村で生産できる新しい肥料を作らなければいけない。

もちろん、肥料がなくても俺の作物は育つが、収穫するなら美味しくて栄養たっぷりなものの方がいいに決まっている。

「そうですね。いつまでもイサギ様の懐から与えてばかりでは根本的に解決したとは言えませんから」

商人に頼って帝国の肥料を買い付ける選択肢もあるが、プルメニア村が本当の意味で自立して豊かになるには、ここの材料で作り上げるのが一番だ。

「そんなわけで、この村で使われている肥料を集めたいんだ」

「かしこまりました。知り合いの農家に声をかけて肥料を分けてもらってきます」

支援している村人の中には農家の人もいる。

俺とメルシアは手分けして農家や元農家の人に声をかけて、使っている肥料や使っていた肥料を片っ端から集めていくことにした。

「……薄々予想していたけど、やっぱり少ないね」

「やせ細った土地のせいで農業をしている方も少ないですから」

午前を費やして集まった肥料は、たったの三種類だった。

この村は土が痩せているせいか、農業に向いていないのだ。

ロクに農業も行えない土地で、豊かな肥料が存在するはずもなかった。

現在では過去に試した肥料の中でいい感じのものを共有し、栽培できるものを細々と作っている感じらしい。

「ベースとしての素材はこれらでいいとして、もうちょっとこの村にある素材を集めたいかな」

錬金術は素材を加工し、変質させる技術だ。

良質な素材があればあるほど、選択肢は増えていき、より良質なものへと変えられる可能性が高くなる。これらを改良するためにもう少しこの村独自の素材が欲しい。

「でしたら、森に入るのがいいでしょう。あそこならば、様々な素材が手に入ります」

「わかった。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「私も同行いたします」

方針が決まり、素材を集めに行こうとするのだが、何故かメルシアが付いてこようとする。

「えっ? メルシアも? それは危ないんじゃないかい?」

「ご安心ください。私はメイドです」

「いや、身の安全とメイドに何が関係あるのさ?」

これは冗談なのだろうか? 真顔で告げられると冗談なのか判断しかねる。

クールな印象の強いメルシアならば、なおさらだ。

「メイドであれば、主を守るくらいの戦闘力は当然有しているということです」

首を傾げる俺にメルシアは堂々と言った。

「そういうものなの!?」

「はい。そういうものです」

ええ? 帝城にいる他のメイドはとても戦闘ができるようには見えなかったんだけど。

メルシアの身体を眺めてみるも、とても戦えるような身体には見えない。

まあ、それは俺も同じなんだけど、本当に大丈夫なのだろうか?

「昔から森には何度も入っております。案内役がいれば採取もスムーズです」

俺の心配など不要とばかりに淡々と告げるメルシア。

「そりゃ、助かるけど危なくなったらすぐに後ろに下がるんだよ」

「いえ、前に出ます」

「なんで!?」

「主をお守りするのがメイドの使命なので」

キリッとした顔で告げるメルシア。

本当に大丈夫なのだろうか。

もし、魔物と遭遇することがあれば、俺が率先して対処することにしよう。





プルメニア村から徒歩で小一時間ほど歩いて平地を越えていくと、緑豊かな森にたどり着いた。

「獣王国だからか帝国とは植生が微妙に違うね」

俺が見てきた植生といっても、帝国の周囲や道中での景色と少ないものであるが、一目で違うとわかるほどに違った。

やたらと高い木々が生えていたり、葉っぱの形が見たことのないものが多い。

それに木の実や果物も色鮮やかで奇妙な形をしているものがたくさんある。

この星型の木の実とか、なんなのだろう?

「自然内の競争が激しく、動物だけでなく植物までも独特な進化をしていますから。その星型の木の実などは、触れると酸が出るので触れないでください」

「はい」

メルシアにさりげなく注意されてサッと手を引っ込める。


【アシッドスター】

獣王国南部の森に自生している植物。

星のような形をしており、斑模様が浮かんでいる。

ゴツゴツとした表面とは裏腹にとても柔らかく、迂闊に握ると内部にある酸が飛び出す。

酸にかかってしまった場合はすぐに水で洗い流し、治療する必要がある。


錬金術師に備わった力で鑑定してみると、メルシアの言う通り危ない木の実だった。

「危ない木の実だね」

「きちんと水で洗い流し、加工すれば水筒の代わりにもなるので便利な植物です」

酸を蓄えることができるからか、水分には強いらしい。

「面白いから採取しておこう」

「では、私が支えておきますね」

メルシアが下から丁寧にアシッドスターを持ち上げて、俺は採取用のハサミで茎を切る。

パチンと音が鳴ると、アシッドスターは綺麗に切り離された。

「酸はどうされますか?」

「採取しておきたい! 何かに使えるかもしれないし!」

錬金術で酸性分を強化すれば、より凶悪な強酸液にすることができるし、除草液の材料として使えるかもしれない。どのようなものでも素材になることがあるので、ピンときたものはできるだけ採取するようにしている。

アシッドスターを慎重に持って軽く針を刺す。

すると内部に蓄えられていた黄色い酸性液が落ちてくるので採取瓶に入れる。

これで採取は完了だ。採取瓶とアシッドスターをマジックバッグに収納。

「いやー、やっぱり実地での採取は楽しいな!」

「帝国ではあまりさせてもらえなかったのですよね?」

「そうなんだよ。素材の採取なんて騎士団や冒険者に任せればいいって言われてやらせてもらえなくて。こうやって実際に素材を見て、向き合うことで閃くこともあるっていうのに」

宮廷錬金術師になれたお陰で素材が勝手に集まってくるようになるのはいいことだが、身動きがとりづらくもなってしまった。だから、こうして自由に採取に赴けるのは実に楽しい。

見習い錬金術師の頃を思い出すようだった。

アシッドスターを採取すると、俺とメルシアは奥へ進んでいく。

当然、森の中なので舗装された道などはないが、頻繁に採取に出入りしているからか地面は踏み固められていて歩きやすい。

とはいえ、ロングスカートにフリルのエプロンを付けた状態で歩きやすいわけじゃないんだけどな。

前を歩くメルシアは相変わらずメイド服だ。これで本当に戦えるのだろうか。

訝しんでいると、メルシアの足がピタリと止まった。

「ッ! イサギ様、魔物です!」

視界にはまったくそれらしい存在はいない。

が、ジッと止まって気配を探ってみると、確かにそれらしい気配があるのがわかった。