「集落に到着しました」
砂漠が徐々に薄れ、景色が徐々に岩礁地帯へと変化してきた頃合いになると、ティーゼが声をあげた。
視線を前に向けると、岩場をそのままくり抜いて作ったかのような民家が並んでいた。
雰囲気としては農村にある集落ではなく、紛争地帯にあるような砦のような雰囲気に近かった。
資源が少ない砂漠なので、そこにあるものを利用しているだけだろう。
現に建物からは彩鳥族の子供が出てきて、他の子供と合流して走り回っている。
二階部分の大きな丸い穴からは彩鳥族の大人が顔を出し、鮮やかな翼をはためかせて空の彼方へと飛んでいっていた。
一般的な集落とは気色が違うが、至って普通の集落だ。
集落の周囲には土壁が設置されており、入り口には警備をしている者がいた。
ティーゼはゆっくりと高度と速度を落とすと、入り口の警備たちに手を振った。
警備たちはこくりと頷きながら手を振り返して通してくれた。
普段なら外からやってきた者を検めるところだろうが、族長であるティーゼが連れてきた客人ということで入れてくれたのだろう。
そのまま中高度を維持して進んでいくと、集落の中央にある円形の建物の前で止まった。
ここが目的地だと理解した俺はすぐに縄から手を離して地面に降りた。
岩礁地帯だけあって地面はしっかりとしているようだ。
少し遅れてリード、インゴの連れてきてもらったレギナ、メルシアも同じように降り立った。
「二人ともありがとう。オアシスの警備に戻ってください」
「はっ! では、失礼する」
ティーゼが声をかけると、リードとインゴは俺たちに一礼をすると空へと舞い上がった。
「早っ」
あっという間に空の彼方へ消え去っていく速度を見るに、先ほどは俺たちを安全に運ぶために大分速度を落としてくれていたんだとわかった。
ティーゼの家は藁、粘土、水を混ぜて天日で乾燥させた煉瓦でできている。
断熱効果があるため夏は涼しく、冬は暖かい。
窓が少なくて小さいのは熱風や砂埃、直射日光を最低限にするためだろう。
「どうぞお入りください」
ティーゼに促されて中に入ってみる。
入り口は少し狭かったが奥になるにつれて部屋の面積が広くなっていた。
廊下を抜けると六角形の広いリビングがあり、正面、右、左へとさらに部屋が続いている。
「お好きなところに腰かけてください」
「ありがとうございます」
お茶の準備のためにティーゼが台所に引っ込み、俺たちは中央にあるソファーに腰かけた。
リビングの床には赤いカーペットが敷かれており、精緻な刺繍が施されており綺麗だ。
壁には魔物の頭骨が飾られており、どこか民族的な印象を受ける。
天井が高いせいかリビングにもどこか解放感があった。
俺とレギナがゆったりと視線を向ける中、正面に座っているメルシアはソワソワとしていた。
ピクピクと耳を動かし、奥でお湯を注いでいるティーゼの姿をジーッと見つめている。
「こういう時に待っているのは落ち着かない?」
「……すみません」
「あはは、メルシアは真面目ね」
プルメニア村にいる時も旅をしている時もこういったお茶の準備をしてくれるのはメルシアだ。
こういう時に動いていないと落ち着かないのだろうな。
「どうぞ、お茶です」
ほどなくするとティーゼがお盆にコップを載せてやってきた。
「いい香り」
差し出されたコップを手に取ってみると、果物のような甘いがした。
「何の茶葉を使われているのでしょう?」
「アロマッカスという砂漠に自生している花を乾燥させたものです。食用というよりは香りを楽しむものですね。香油やお茶などに使われます」
口に含んでみると、確かに味はそこまでだった。
ティーゼの言う通り、香りを楽しむものなのだろう。
「じゃあ、そろそろ本題に入ってもいいかしら?」
アロマッカスのお茶を飲んでホッと一息をつくと、レギナが切り出してきた。
「ええ、お願いします。レギナ様は一体どのような用件で私共の集落においでになったのでしょう?」
「獣王ライオネルの命で、彩鳥族と赤牛族の食料事情の改善にきたのよ」
用件を告げると、レギナは懐から書状を取り出してティーゼに見せた。
恐らくライオネルからの正式な書状だろう。
「確かにライオネル様からの書状ですね。私共の状況を憂いて、改善しようとお力になってくださるのは嬉しいのですが、具体的にどうするおつもりでしょう?」
「えっ、書いてないの?」
「レギナ様たちに一任しており、協力してほしいとしか」
ティーゼから戻された書状をレギナが確認すると、ガックリと肩を落とした。
どうやらライオネルからの正式な命令であることを保障しているが、詳しい内容については全く書かれていないようだった。というか、ライオネルの簡素な文面からして説明するのが面倒だったという説があるな。
「詳しく説明すると、ここで作物を育てられるようにしたいと思っているの。自給自足できるようになれば、赤牛族と少ない資源や食料を取り合うことなく暮らせるでしょ?」
「このラオス砂漠では雨がほとんど降らず、空気も乾燥している上に寒暖差も激しいです。作物を育てようにもまともに育たず、厳しい環境に負けて枯れるか病気になってしまいます。このような場所で作物を育てるのは難しいと思うのですが……」
ティーゼの率直な言葉に俺とメルシアは思わず苦笑する。
俺がプルメニア村にやってきて農業をすると言った時も似たような言葉を言われたからだ。
「それを可能にするために凄腕の錬金術師を連れてきたのよ!」
懐かしさのようなものを覚えていると、隣に座っているレギナが俺の肩に腕を回しながら言った。
「ちょっと! ハードルを上げすぎだって!」
それを何とかするために派遣された錬金術師くらいならいいけど、凄腕の錬金術師なんて言われると期待がかなり重くなる。それにもし成果を残せなかった時がとても恥ずかしい。
「不毛な土地と言われていたプルメニア村で農業を始めて、今や獣王国随一といってもいいほどの大農園に成長させたじゃない」
「それは本当なのですか?」
レギナの言葉を聞いて、ティーゼがやや疑念を含ませた表情になる。
ここは
プルメニア村の環境より酷く、まともに農業を行うことのできなかった土地だ。
苦労を知っている分、俄かに信じがたいことだろう。
「本当です。先細りしていく山や森の恵みに不安を抱く中、イサギ様は錬金術によって不毛な土壌でも育てることのできる作物を作り上げてくださいました。お陰様で私の住んでいる村では食料の心配をすることなく生活ができております」
疑念を抱いていたティーゼだがメルシアの言葉を聞いて顔色を変えた。
同じ苦境に立ったことがあるからこそ通じるものがあったのかもしれない。
ティーゼはこちらに顔を向けると、やがて覚悟の決まった表情で口を開く。
「もし、ここでも作物を育てられるのであれば是非とも力を貸してほしいです。もう少ない食料や資源を巡って争うのはこりごりですから」
ティーゼの表情に影が落ちる。
近くの赤牛族とは食料の奪い合いで争いにまで発展していると聞いた。
同じ獣人同士ということもあって、現状にはティーゼも心を痛めていたのだろう。
「任せてください。そのために俺はやってきたのですから。集落の食生活の向上のためにティーゼさんの力を貸してください」
「私なんかのお力でよければ喜んで」
改めて手を差し出すと、ティーゼがゆっくりと手を重ねてくれた。
「最後に一ついいですか?」
「なんでしょう?」
「……不躾ながらイサギさんは彩鳥族でもなく獣人ですらない人間族です。それなのにどうして見ず知らずの集落に手を貸していただけるのでしょう?」
「獣人だろうと人間だろうと空腹は辛いものじゃないですか。苦しんでいる人がいて、自分が力になれるのであれば手助けをしたい。ただそれだけです」
獣人だろうと人間だろうと関係ない。生活に苦しんでいる人がいれば、誰であろうと手を差し伸べる。
世界中の人を救うなどというスケールの大きなことは言えないが、せめて自分の身の周りや、それに関係する人くらいは力になれるのであれば助けたい。
それが俺のシンプルな気持ちであり、行動原理だ。レムルス帝国にいた時と変わりはない。
そんな俺にとっての当たり前の気持ちを伝えると、ティーゼはきょとんとした顔になった。
「何かおかしなことでも?」
「い、いえ。おかしなことは何も……」
おずおずと尋ねるが、ティーゼは歯切れの悪い言葉を漏らすのみ。
「父さんから聞いていたけど、イサギって本当に真っすぐなのね」
「はい、これがイサギ様です」
レギナとメルシアが生温かい視線を向けてくる。
二人の視線にはどうも言葉以上の意味がありそうだが、尋ねるのが少し怖かった。