解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる



「イサギ様、準備が整いました」

準備期間の二日を終えて、獣王都へと出立することになった当日。

先に準備を終えて外で待っていると、遅れてメルシアが家から出てきた。

メルシアの服装はいつもと変わらないクラシカルなメイド服であり、背中にはバックパックを背負っていた。

「……えっと、今回もメイド服?」

「はい。私はイサギ様のメイドなので」

これが私の正装ですが何か、と言わんばかりの表情。

まあ、メイド服も立派な正装だし、ライオネルの居城で着ていても何も問題はないか。

直接感謝の言葉を受け取るのは俺なわけで、メルシアは後ろで控えているだろうし。

「そっか。メルシアのドレス姿とか見たかったなぁ」

「……一応、パーティーなども想定してドレスも持ってきております」

なんて言ってみると、メルシアはやや(うつむ)きながら恥ずかしそうに言った。

真っ黒な耳がピコピコと動き、尻尾が左右に揺れている。

「そうなんだ。帝国のようにパーティーがあるとは限らないけど、もしあるとしたら楽しみだな」

そういった社交の場はあまり得意じゃないけど、メルシアのドレス姿が見られるのであれば頑張れそうだ。

「農園の引継ぎや販売所に関しては問題ないかい?」

「問題ありません。日頃からイサギ様や私が不在でも業務をこなせるような形を作っていましたので」

雑談もほどほどに業務の確認をすると、メルシアは表情を凛としたものにして答えた。

……確かに皆も慣れてきたのか、ここ最近は俺がほとんど口を出さずとも、自ずとやることを理解している節があった。こういった状況を想定して、メルシアが指導してくれていたらしい。

「全体の指揮にはラグムントさんにお任せしています。イサギ様が不在なことで栽培ペースや品質がやや落ちることは否めませんが、イサギ様が不在な状況での成育データもとっておきたかったのでちょうどいい機会です」

不安ともいえる状況を、新しい好機とも捉えて動いている。メルシアが優秀すぎる。

……もう代表は俺なんかじゃなくて、メルシアにした方がいいんじゃないかな?

俺は適当な閑職か補佐という扱いにして、メルシアを中心に盛り立てた方がいい気がする。

「二人とも準備は整ったか?」

なんてことを真面目に検討していると、後ろからケルシーとシエナがやってきた。

獣王都に向かう俺たちを見送りにきてくれたらしい。

「はい、バッチリです!」

「……見たところイサギ君は武器を持っていないようだが?」

「俺はそういった武器を振り回すのは不得意ですので……」

俺は幼い頃から錬金術師としての才能を見出され、工房でひたすらにこき使われながら錬金術を学ぶという生活を送ってきたんだ。武術を習う暇も訓練をする時間もなかった。

当然、武術に関する心得はまったくない。

両手を広げてそのことをアピールすると、ケルシーの表情が険しくなる。

「……メルシア、やっぱり獣王都への出立はやめにしないか?」

「獣王様の招待を断ることはできませんよ、お父さん」

「そうだったな」

メルシアがきっぱりと告げると、ケルシーが悲壮な声を漏らす。

「イサギさんをしっかりとお守りするのよ?」

「もちろんです。命に代えてもイサギ様をお守りします」

真剣な表情をしたシエナと、戦地にでも赴くかのような台詞を吐きながらこくりとメルシア。

普通、こういった台詞は男性である俺が言われるものだと思うのだが、たった今武術の心得がないことを暴露してしまったので無理もない。とはいえ、戦えない男だと認識されるのもちょっと(しゃく)だった。

「……あの、武術の心得がないだけで、錬金術や魔法は使えますからね?」

「魔法はともかく、錬金術が戦闘の役に立つのか?」

心配げな顔をするケルシーとシエナの前で、俺は地面に手をついて錬金術を発動。

すると、前方にある地面が何本もの杭へと変質し、虚空を貫いた。

さらに杭のある場所に錬金空間を作り出すと、そこに空気を取り込んで魔力で圧縮をかける。

逃げ場を失った圧縮された空気は、錬金空間を破砕して周囲に爆発をもたらした。

(すな)(ぼこり)が晴れると、地面の杭は一本も残ることなく(ちり)となっていた。

錬金術による戦闘技術を披露すると、ケルシーとシエナはぽかんとした表情になっていた。

二人の前では作物を品種改良したり、家を作ったり、武器を改良してみせたりといった技術しか見せていなかったので驚いたのだろう。

「錬金術の真骨頂は物質を変質させることにあります。魔力が通りさえすれば、周囲にあるもののすべてが武器になりますよ」

「……なんだ、そのちゃんと戦えるのであればよかった」

「あらあら、これなら道中も心配することはなさそうね」

自衛程度ができることを示すと、ケルシーとシエナは(あん)()の息を漏らしながら呟いた。

とはいえ、俺には戦闘経験が多いわけではないし、獣王国内で旅をするのは初めてだ。

申し訳ないが存分にメルシアを頼らせてもらうことにしよう。

「皆さん、おはようございますなのです!」

錬金術で地面を均していると、ワンダフル商会の馬車に乗ったコニアがやってきた。

「おはようございます、コニアさん。うちの宿はどうでしたか?」

「最高だったのです! 部屋に魔道具まであるなんて至れり尽くせりなのです! 仕事のことを忘れてゆっくりと休んだのは久しぶりだったのです!」

「ゆったりと過ごせたようで何よりです」

ゆっくりと身体を休めることができたのは久しぶりだったのか、随分と肌艶が良くなっているだけでなく、髪の毛、耳、尻尾もしっとりとしているように見える。

二日間、こちらの都合で待ってもらうことになったコニアや従業員の皆さんにはグレードの高い部屋でくつろいでもらったからね。

魔道具によって水回りは完備されているし、調理ができるようにコンロもある、その上部屋には浴場もあるのでリラックスしてもらうことができたようだ。

各地を渡り歩いているワンダフル商会の皆さんに満足してもらえたのなら、うちの宿にも自信が持てるというものだ。

「ところで、イサギさん。獣王都までの道のりを短縮できるものというのは何なのです?」

「コニアさんもご存知のゴーレム馬を使います」

「確かに普通の馬と違って疲労がなく、魔石を動力とするゴーレム馬は長距離の移動に最適ですが、それほど時間を短縮できるものなのです?」

コニアは何度か農園にあるゴーレム馬に乗ったことがある。

ゴーレム馬の性能を知っている以上、長旅に不安を覚えるのも当然だ。

「ご安心ください。今回ご用意したゴーレム馬は長旅に備えて大きく改良していますから」

俺はマジックバッグから改良版のゴーレム馬を取り出した。

「わっ、大きなゴーレム馬なのです!」

目の前に現れた四頭のゴーレム馬は、農園にある従来のゴーレム馬に比べてかなり大きい。

農園のゴーレム馬がポニーサイズだとすると、こちらは軍用馬サイズだ。

「従来のゴーレム馬を長距離移動用に改良しました」

「ということは、かなり速いのですか!?」

「はい。かなりの速度が出ますよ」

こくりと頷くと、コニアはキラキラとした眼差しをゴーレム馬に向けた。

商人であるコニアは馬車を使って各地で商いをしている。移動する速度が上がれば、効率よく商いができるわけで、単純に売り上げが増えるわけだ。

「早速、馬車に繋ぎますね」

「お願いするのです!」

ワンダフル商会の馬車を牽いている馬の縄を御者に解いてもらい、俺は新しく作ったゴーレム馬に縄を括り付けていく。

「一頭だけで大丈夫なのですか? 結構な量の積み荷があるのですが……」

「はい、これくらいあれば一頭で十分ですよ」

通常は積荷の載っている荷車一つにつき、馬が二頭から四頭が必要になる。それ故にコニアの瞳は懐疑的だ。本当に大丈夫なのだろうかという言葉が顔に浮かんでいるようだった。

「心配する気持ちはわかりますが、実際に走ってみればわかりますよ」

「わ、わかったのです」

ひとまず、コニアが納得してくれたところで俺たちは荷車へ乗り込む。

中にはソファーがあり、中央にはローテーブルが設置されていた。

腰かけてみると、ソファーにお尻が沈み込むようだった。

肌ざわりもとてもいいし、質の良いものなのは明らかだろう。

対面にコニアがちょこんと腰をかけ、隣にメルシアが座った。

「それでは出発なのです!」

コニアの元気な声を合図に俺はそれぞれのゴーレム馬に指示を飛ばし、ゆっくりと走らせた。

「気を付けてな!」

「獣王様に失礼のないようにするのよ!」

見送りにきてくれたケルシー、シエナには窓から顔を出して手を振り返す。

やがて二人の姿は小さくなっていき、見えなくなった。

「さて、そろそろスピードを上げますよ」

村を出て、通りに人がいなくなったところで俺はゴーレム馬に加速の指示を出した。

すると、ゴーレム馬が走り出し、俺たちの乗っている馬車が加速していく。

「わっ! すごいのです! たった一頭でこんなにも速く進めるなんて……ッ!」

ゴーレム馬の速度にコニアは驚き、感激している。

通常の馬車ではあり得ない速度に後方にいる従業員からも驚きの声があがっていた。

「まだまだ速くなりますよ」

「本当なのですか!?」

「とはいえ、これ以上速くすると荷車の方が心配で……」

ゴーレム馬の方は問題ないが、引っ張っている馬車の耐久力が心配だ。

俺なら馬車が壊れても錬金術で修繕できるのだが、他人様のものを壊しながら進みますなんてことは言いづらい。

「うちの荷車は魔物の襲撃に備えて強化装甲を使っているので荒く使おうが問題ないのですよ! それに多少パーツが壊れたところで、イサギさんが直してしまえばいいのです!」

「コニアさんがそこまで言ってくださるのであれば、遠慮なく加速しちゃいましょう」

「思いっきりやっちゃってくださーいなのです!」

コニアからの頼みにより、懸念点が解消されたので俺はゴーレム馬にさらなる加速を命じた。

ゴーレム馬に内蔵された魔石が唸りを上げて、さらなる加速をする。

「ふわっ!?」

あまりの加速に対面にいたコニアがバランスを崩し、前のめりに倒れてくる。

コニアの額がソファーにぶつかってしまうことを懸念し、俺は慌てて両手で迎えにいって抱きとめることにした。

「大丈夫ですか、コニアさん?」

「び、ビックリしたのです。イサギさんが受け止めてくれて助かりました」

「お怪我がなくてよかったです」

「あ、あの、そろそろ離してくださると嬉しいのです。この体勢はちょっとお恥ずかしいので……」

頬を赤くしながら上目遣いで言ってくるコニア。

自分よりも華奢な身体をした女性を抱きしめていると、認識すると途端に恥ずかしさが込み上げてきた。

「す、すみません!」

「いえ、イサギさんは悪くないのです」

「そちら側は危険ですのでコニアさんもこちらにお座りください」

「ありがとうなのです」

元の場所に戻ろうとしたコニアに対し、メルシアが自らの左側を空けて座らせてあげた。

「進行方向の逆側に座ると、乗客への影響が大きいのが問題だな。身体を固定するベルトとか作った方がいいかな?」

「そうされた方がいいかもしれませんね」

こういった錬金術の相談をすると、何かしらの意見や提案をくれるのだが、今日のメルシアは珍しく投げやりな返答だ。

「あれ? なんかメルシア怒ってる?」

「怒ってなどいません。私はいつも通りです」

などと言うが、声音と表情は明らかに不機嫌そうだ。

視線もこちらにはくれず、明後日の方を向いてツーンとしている。

一体、何に怒っているのだろう? 

道中の暇な時間に必死に脳を回転させるが、まったく見当がつかなかった。



深い森の中を抜けると、急に周囲が明るくなった。

「イサギ様、もう間もなく獣王都です」

メルシアの声を聞いて身を乗り出すと、街をぐるりと囲う大きな城壁がそびえ立っているのが見えた。

城門の下には鎧を纏った獣人が立っており、入場者をくまなくチェックしている。

城門の上には歩哨が立っているだけでなく、鳥系の獣人と思わしきものが空を飛んで周囲を警戒していた。

「まさか、四日ほどで獣王都にたどり着くなんて驚きなのです……」

俺が感動している傍ら、コニアは驚愕の事実を受け入れられないでいるようだ。

獣王都の景色を見て、どこか呆然としている。

「思っていたよりも早く着きましたね」

「早いなんてものじゃないのです! 通常の工程の半分以下なのですよ!? このゴーレム馬があれば、今まで商いにかけていた移動日数を大幅に軽減することができるのです! イサギさん、このゴーレム馬をぜひともワンダフル商会に売ってほしいのです!」

間に挟まされているメルシアの太ももに身を乗り出しているせいか、メルシアがちょっと迷惑そうだ。

まあ、これだけの移動手段を前にして興奮しない商人はいないだろう。

「わかりました。獣王都での用事が終わったらお作りいたしますから」

「ありがとうございますなのです! にゅふふ、これでワンダフル商会はさらなる飛躍を遂げることができるのです!」

ゴーレム馬を作ることを約束すると、コニアはニヤリと笑った。

完全に商売人の顔だ。

「にしても立派な城壁だね」

「大きさは帝国の城壁に劣るでしょうが、防衛体制ではこちらに軍配が上がるかと」

いつまでも太ももの上に乗っかったままのコニアを退かしながらメルシアが言う。

闇夜ですら見通すことのできる視覚、何百メートル先の音を捉えることのできる鋭敏な聴覚。人間族に比べると、獣人族の身体能力はかなり高いので、外敵が侵入するのは非常に困難だろう。

「イサギさん、列は気にせずに横から進んでくださいなのです」

「え? いいんですか?」

「イサギさんたちは獣王様の命によって招かれた賓客なのです。優先されるのは当然なのですよ」

それもそうか。俺たちは一国の王に招かれた客なんだ。少しくらいの便宜を図ってもらえるか。

コニアの指示に従い、俺は城門へと続く待機列の横を通っていく。

「そこの馬車、止まれ――って、御者がいないぞ?」

「勝手に馬が走ってる!?」

城門の下にやってくると城門警備の獣人が寄ってくるが、ゴーレム馬を見るのは初めてだったのか驚いていた。

「ワンダフル商会のコニアなのです! 獣王様の命により、お客様をお連れしたのです!」

警備が戸惑う中、馬車から降りたコニアが書状を見せながら言う。

「確かにライオネル様の書状だな」

「失礼だが、念のために検査だけさせていただきたい」

「お好きにどうぞなのです!」

コニアが頷くと、警備の獣人二人が荷車をチェックする。

とはいっても、具体的に荷物を確認するのではなく、スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいるだけだ。

「よし、問題なし!」

「お客人も聞いていた特徴と一致している。通ってよし!」

「ありがとうございますなのです!」

俺が疑問に思う間に検査は終わり、俺たちは晴れて獣王都へ入ることが認められた。

「……今のだけでいいんですか?」

俺が宮廷錬金術師を辞めて帝国を出る時や、メルシアと共に他の街に入ろうとした時の方が検査は厳しかったくらいだ。いくら王の招いた客とはいえ、首都の検査がこんなに緩くていいのだろうか?

「彼らは獣人の中でも特に嗅覚に優れた者たちです。匂いを嗅いだだけで我々が何を持ち込んだのか把握し、違法薬物などがあれば即座に感知してくれます」

「匂いを嗅いだだけでそんなことまでわかるんだ」

獣王国で過ごしていると獣人たちのすごさを改めて実感させられるな。

城門を越えて中に入ると、舗装された道に整然と並んでいる民家が広がっていた。

が、それ以上に印象的なのは天を突くようにそびえ立っている大樹の存在だ。

「……大きな木だ」

「始まりの樹『ウルガリオ』なのです! 獣王都の名物なのです!」

「初代獣王があの大樹を中心として建物を作り、今の獣王都を作り上げたと言われています」

まるでお伽話に登場する世界樹のように悠然と佇(たたず)んでおり、どこか神聖さを感じられた。

初代獣王があの樹を中心として街を作った気持ちがわかる気がした。

「ちなみに私たちが向かうのもあそこなのですよ」

「え? ライオネルってあそこに住んでるの!?」

ただの大樹にしか見えないが、コニアの説明を聞いてみると、中は人が住めるようにくり抜かれているようだ。

森に住むエルフという種族も木々を活用して生活拠点にすると聞く。それと同じような感じなのだろう。

馬車を進ませていると、大通りには数多の獣人が歩いている。

獣人の国の首都だけあって、当然獣人が多いな。

プルメニア村でよく見る、犬系、猫系、狼系、熊系だけでなく、象系、牛系、猿系といった村の中ではあまり見かけない種類の獣人もいる。

同じように見えても微妙に耳や尻尾の形や色などが違っていたり、毛の生え方が違っていたりして面白い。

歩いている八割から九割が獣人で、残りの一割がエルフ、ドワーフ、人間などの他種族といったところだろう。ここにいる人間族が俺だけでないことに少しだけホッとした。

大通りを進んで長い坂道を上ると、俺たちはウルガリオの真下にたどり着いた。

大樹の入り口には二人の門番が立っていた。

犬系の獣人と猿系の獣人だ。

雰囲気だけで先ほどの城門警備とは格が違うとわかった。

それに身に纏っている鎧や装備している槍も一級品だ。

ここは獣王都のシンボルであり、王の住まう場所。その入り口を守護する門番の質が高いのも当然だと言えるだろう。

俺たちが馬車から降りて近づくと、門番たちが厳しい視線を向けてくる。

「何者だ?」

「ライオネル様の命により、客人をお連れしたのです」

「通すわけにはいかない」

書状を見せて前に中に入ろうとするコニアだが、それを阻止するように槍と斧が交差した。

「はい? どうしてなのです?」

「お客人がやってくるのは少なくとも十日後だ。本日やってくるとは聞いていない」

「ライオネル様の招いた客人とは別者の可能性がある」

「それはイサギさんの開発したゴーレム馬のお陰で、移動日数を大幅に短縮することができたのです」

「そんなものは知らぬ」

コニアが精いっぱい抗議をしてみせるが、門番は首を横に振って取り合う様子がない。

まさか、到着が早すぎることで怪しまれることになるとは思わなかったな。

これには俺とメルシアも顔を合わせて苦笑するしかなかった。

「でしたらライオネル様に取り次いでくださいなのです。私たちを直接見れば本物だとわかるはずです!」

「ライオネル様はお忙しいのだ。こんなことでいちいち取り次いでいられるものか!」

「これ以上騒ぐのであれば、力づくで追い返すぞ!」

門番が声を張りあげ、武器を構える。

剣呑(けんのん)な空気を察知してメルシアが俺の前に出た。

「お前たち、その者たちは俺の客人だ。手荒な真似はするんじゃない」

一触即発といった空気の中、第三者の声が頭上から響いた。

思わず視線を上げると、大樹から伸びた幹の一つに獣王であるライオネルが立っていた。

「ライオネル様!」

二人の門番が驚きの声をあげると、ライオネルは何十メートルもの高さのある幹から降り、音もなく着地した。特に魔力を使ったような形跡はない。己の身体能力で衝撃を逃したようだ。

ライオネルがやってくると、二人の門番が恭(うやうや)しく片膝を地面についた。

「事前に客人が来ると言っていただろう?」

「しかし、その者たちの到着は少なくとも十日後だと聞いております」

「まったくお前たちは堅すぎだ。もっと柔軟な対応をしろといつも言ってるだろう」

「も、申し訳ございません」

どうやら二人の門番がこういったいざこざを起こすのは初めてではないようだ。

「すまないな。戦士としての力量は一級品なのだが、どうにも不器用な奴等でな。部下の非礼を詫びさせてくれ」

「いえ、予定よりも早く来てしまったのは俺たちですから」

それだけ大事な場所を守っているんだ。不審な者への対応が多少厳しくなってしまうのは仕方がないだろう。

「そういうわけで彼らは俺が直々に招待した客だ。中に入れるが問題ないな?」

「「どうぞ、お通りください!」」

ライオネルが言うと、門番はすぐに立ち上がり、大樹への入り口を開けてくれた。



大樹の中はとても広かった。樹をそのままくり抜いて作っており、天井がとても高い。

広いロビーの左右には廊下が続いており、正面には()(せん)階段が続いている。

「すごいや。本当に大樹をくり抜いて作っているんだ」

床、壁、天井といったすべての部分に丁寧な加工が施され、触れてみるととても手触りがいい。

ただの木材やトレント木材とも違った柔らかで爽やかな香りだ。中にいるだけで気持ちが安らぐ。

大樹の中を観察していると、俺だけじゃなくメルシアも興味深そうに視線を巡らせているのが見えた。

「メルシアもここに来るのは初めてなのかい?」

「獣王都には何度か訪れたことはありますが、大樹の中に入るのは初めてです」

「へー、そうなんだ」

「滅多なことがなければ、国民でも足を踏み入れることができないからな。大樹の中に入りたいが故に、ここの兵士を希望する者もいるぐらいだ」

ライオネルがどこか苦笑しながら補足してくれる。

シンボルではあるものの、ライオネルをはじめとする王族の住まう場所なのだ。国民だからといって()(やみ)に入れるわけにはいかないのだろうな。

「それでは私はここで失礼するのです」

さあ、一歩を踏み出そうというところでコニアが言った。

「コニアさんは、ここで帰るのですか?」

「私が依頼されたのは、あくまで大樹までお連れすることなのです」

一緒に(えっ)(けん)室までくるものだとばかり思っていたが、あくまでコニアが頼まれたのは俺たちを獣王都にまで連れてくること。それ以上はライオネルの指示の範囲外ということか。

「ご苦労だった、コニア。料金についてはいつもの口座に色をつけて振り込ませておこう」

「ありがとうございますなのです!」

帽子を取ってぺこりと頭を下げると、コニアは「では!」と言い残して大樹を出ていった。

「少し歩くことになるが我慢してくれ」

俺とメルシアは大人しくライオネルについていき、正面にある螺旋階段を上る。

見上げてみると、階段が何十メートルと続いていた。

王様っていうくらいだから低い階層には住んでいないよね? 頂上の方まで俺の体力が持つだろうか。そんな不安を抱きながらひたすらに階段を上っていく。

すると、前方から物凄い勢いで階段を下ってくる者がいた。

「ライオネル様! こんなところにいらっしゃいましたか! まだ執務の方が終わっていない以上、逃げられては困ります!」

大声をあげながら慌てたようにやってきたのは、前回ライオネルと一緒にプルメニア村を尋ねてきた宰相のケビンだった。

にしても、なんで大樹の幹にいるんだろうと思っていたけど、執務から逃げ出していたのか。

相変わらずの奔放さだ。

「落ち着け、ケビン。今はイサギたちを案内している。こっちが優先だ」

「イサギさん?」

「お久しぶりです、ケビンさん」

軽く頭を下げて挨拶をすると、ケビンが目を大きく見開いた。

「……コニアさんに手紙を渡して、まだ三週間も経過しておりせんが?」

「改良したゴーレム馬のお陰で早く予定よりも早く着いちゃいました」

「通常ならあり得ないと言いたいところですが、イサギさんほどの錬金術の腕であれば可能なのでしょうな。それはともかく――」

俺を見て好々爺のような柔らかい笑みを浮かべ、納得するように頷いたケビンだが、次の瞬間には表情を一転させてライオネルの方へ振り返った。

「これから謁見するというのに、王が直接お客人の案内をしていては威厳がないでしょうが!」

ケビンの言い分はもっともだ。

これから王と謁見するというのに、王が客人を案内するというのは変な話だ。

このままでは一緒に謁見室の扉をくぐって、謁見することになってしまう。

「いや、しかしだな――」

「言い訳は結構です。案内は私がしますので、ライオネル様は準備を整えて謁見室でお待ちください」

「……わかった」

やや釈然としない表情だったが、ライオネルは反論することなく先に階段を進んでいった。

「見苦しいところをお見せしました。ここからは私が案内させていただきます」

「よろしくお願いします」

会釈をすると、そこからはケビンが先導して案内してくれる。

ケビンは背丈が低くて歩幅が小さいので階段を上るペースも緩やかなのが助かる。ライオネルは歩幅が大きいせいか、ズンズンと進んでいくので付いていくのが大変だった。

もっとも大変なのは俺だけでメルシアはまったく平気なのだけど。

「謁見室に向かう前の小休止として、少し眺めのいいところにご案内してもよろしいでしょうか?」

一瞬、体力のない俺を気遣っての提案かと思ったが、ライオネルとは先ほど別れたばかりだ。

早く着きすぎたせいで俺たちは突然やってきた客のようなもの。謁見室の準備や、ライオネルが正装に着替えるための時間が欲しいのだろう。

「ぜひともお願いします」

「こんな機会は滅多にありませんからね。父と母にも自慢できます」

ケビンの狙いがわかった俺たちは、素直に乗っかっておくことにした。

足がパンパンに張ったまま謁見室に入るのも困るしな。

螺旋階段の途中で廊下へと移動。

徐々に先細っていく道を真っすぐに進むと、ガラス扉が見えた。

ケビンが扉を開いて、続くような形でくぐると庭園のような場所に出た。

周囲には色とりどりの花が咲き、床には芝が生えている。

「ここは大樹の庭園です。私たちが入れるスペースの中で一番眺めのいい場所となります」

見上げると、頂上部分にも同じような幹が見える。

あそこはライオネルをはじめとする王族のみが出入りできる庭園なのだろう。

「うわ、すごくいい眺めだ!」

「獣王都が一望できます」

庭園からは獣王都の景色がよく見えた。

大樹を中心に大きな道が四方に広がっており、そこからさらに道が分岐し、道に沿うように建物が建てられている。上から見てみると、大樹を中心に建国されたという逸話がよくわかるというものだ。

中央広場にはここと同じように地面が芝になっており、そこでは獣人の子供たちが走り回ったり、大人がまったりと座っていたり、皆が思い思いに過ごしているようだ。

「同じ大国でも帝国とはまったく雰囲気が違うね」

「……そうですね」

帝国では大通りは華やかであるが、大通りから少し外れてしまえば道端に貧困層で溢れ、さらに外れたところではスラム街のようなものが形成されてしまっている。

貧富の差が激しく、富裕層は貧困層にまるで目を向けない。寂しい国だ。

しかし、獣王国はこうして見ている限り、大通りから外れても貧困層が溢れていることはなかった。

「ケビンさんは、俺たちにこの光景を見せたかったんですね?」

「はい。あのような奔放な主ではありますが、獣王として民を思う気持ちは本物ですので」

「ええ、道を歩く獣人たちの表情を見れば、ライオネル様への信頼がわかりますよ」

自分たちの未来がより良いものになると思っていなければ、あのような表情はできない。

逆に自分たちの未来に絶望しかなければ、帝国の民のような諦観(ていかん)に塗れた表情になってしまう。

「できれば、俺の錬金術で帝国の民たちにも光を見せてあげたかったな」

本当に帝国の民を救いたいという気持ちがあるのであれば、解雇された後でも帝国に残って活動するべきだった。それはかなり険しい道のりだが不可能というわけでもない。

「結局は他人よりも我が身が大事なんだな」

「国が違えどイサギ様が錬金術師として活動していけば、巡り巡って帝国の民の光にもなります。そのように自分を責めないでください、イサギ様」

「イサギさんが獣王国にやってきてくださり、その手腕を振るっていただけたお陰で民たちに光があるのです。宰相として改めてお礼を申し上げます」

「メルシア、ケビンさん……ありがとうございます」

帝国でやり残したことや、過去の自分の行いに心残りがあれど、今の俺には成し遂げたことがある。

メルシアやケビンの励ましの言葉で、そのことに気付くことができた。

どんよりと曇っていた心が、一瞬にして晴れ渡った気分だ。

空を見上げていると、柔らかい風が肌を撫でると同時に頭に軽い何かが載った。

思わず右手を頭頂部に持っていくと、髪の毛に葉っぱがくっ付いていた。

「大樹の葉だ」

「おお、大樹の葉が頭に乗るとは縁起がいいですなぁ。ぜひ受け取ってください」

「え? こんな稀少なものいいんですか!?」

大樹の葉はかなり良質な素材だ。万能薬、特効薬、ポーション作成のための良質な素材となる。

たった一枚だけで原価として金貨五枚にもなるだろう。そんなものを気軽に譲ってもいいのだろうか?

「稀少な素材故に本来であれば気軽に渡すものではないですが、イサギさんでしたら構いません。それに渡すことを選んだのは大樹ですから」

「ありがとうございます」

大樹が気に入ってくれたのか、ただの気まぐれなのかはわからないが、素直に受け取っておくことにした。

大樹の葉をマジックバッグに仕舞うと、兵士が庭園へと入ってきてケビンへと耳打ちをする。

恐らく、謁見の準備が整ったのだろう。

「さて、そろそろ謁見室の方に向かいましょうか」

ケビンの言葉に俺とメルシアは頷き、謁見室に向かうのだった。



ケビンに連れられて謁見室に入る。

視線の先にある玉座には、獣王であるライオネルが座っていた。

先ほど出会った時の肌の露出の多い服装とは違い、かっちりとした正装に身を包んでいる。

衣装には装飾が施されており、頭には王冠が載っていた。

俺とメルシアを見ても気安い笑みを浮かべることはせず、王として相応しい凛々しい表情を浮かべている。

公私の差が激しくて笑ってしまいそうになるが、謁見室には大勢の兵士が並んでおり厳粛な空気に包まれている。さすがにライオネルを見て、噴き出すようなことは絶対にできないな。

笑わないようにライオネルから視線を外して、カーペットの上を歩くことに集中する。

言葉を交わすのに程よい距離まで到達すると、俺とメルシアは敬意を表すかのように片膝をついて目線を下にした。

「表を上げよ。そなたたちは私が招いた客人だ。そのようにかしこまる必要はない」

「ありがとうございます」

素直に受け止めて立ち上がるべきか迷ったが、メルシアが立ち上がる様子がなかったので視線を元の位置に戻すにとどめた。

「遠いところをよく来てくれた。私の自己紹介は不要だろうが、本日は妻も同席をしている故に、まずは紹介をさせてくれ」

「ぜひに」

「はじめまして、獣王ライオネルの妻のクレイナといいます」

紅色の長い髪をアップでまとめており、豪奢なドレスに身を包んでいる。

頭頂部にはライオネルと同じ虎の耳が生えており、胸元には大きく生地を押し上げるほどに豊かな実りがあった。優しげな瞳も相まってどこか母性を感じさせる王妃だ。

「プルメニア村より参りました錬金術師のイサギです」

「イサギ様の身の回りのお世話や、助手をしておりますメルシアと申します」

「獣王国での生活が短いせいか不作法があるかもしれませんが、どうかご容赦をください」

道中、メルシアとコニアから一通りの作法は教わっているが、付け焼刃ではどうしてもボロが出てしまう。申し訳ないが、そこは目こぼしをしてもらうしかない。

「さて、イサギを呼び出したのは手紙にも記した通り、()(きん)の件での礼を告げたかったからだ。イサギが作ってくれた作物は獣王国の各地で瞬く間に成長し、食料に苦しむ民の命を救った。獣王として、数多くの民を救ってくれたことに深く感謝する」

ライオネルだけでなく、クレイナも深く頭を下げた。

公式の場で王と王妃が頭を下げたことに俺は慌てる。

「頭をお上げください。獣王様と王妃様が私などに頭を下げるなど……」

「それくらいのことをイサギはやってくれたのだ。今回の飢饉、我らの力ではどうあってもすべての民を救うことはできなかったからな」

そう述べるライオネルの表情からは忸怩(じくじ)たる思いが滲み出ていた。

民を思うライオネルだからこそ、自分の力で何とかしたいと思っていたのだろう。

王と王妃が頭を下げてまで感謝してくれたのだ。あまり謙遜しては逆に失礼になるだろう。

俺はこれ以上の謙遜はやめ、素直に受け止めることにした。

「ありがとうございます。身に余る評価を頂けて光栄です」

「民を救ってくれたイサギには感謝の証として褒美を与えたい。ぜひとも受け取ってくれ」

ライオネルが指を鳴らすと、後ろの扉から獣人たちが大きな包みを抱えて入ってくる。

獣人たちは俺たちの目の前までやってくると、大きな包みを一斉に広げた。

包みの中には大量の金貨だけでなく、金、銀、銅をはじめとする宝石類や、マナタイトなどの特殊鉱石類などがあり、他には獣王国にある稀少な素材らしきものや、武具の類が収められていた。

「こんなにも受け取ってもよろしいのでしょうか?」

「感謝の証だ。ぜひ受け取ってくれ」

これだけの資金があれば、ワンダフル商会に頼んで良質な魔石や素材を集めてもらうことができそうだ。農作業用のゴーレムを改良したり、魔道具を改良したり、資金と素材が不足していたために手を出すことができなかったものが色々と作れそうだ。

などと考えていると、傍からすすり泣きのようなものが聞こえた。

視線をやると、隣にいるメルシアが涙を流していた。

「メルシア、どうして泣いてるんだい?」

「それは嬉しいからです」

「嬉しい?」

「私はイサギ様の素晴らしさをわかっておりますが、帝国にいた時は誰もがそれに気付かず歯がゆい思いをしておりました。ですから、私はイサギ様が正しく評価される姿を見ることができて嬉しいのです」

メルシアの言葉が(おお)袈裟(げさ)とは言えないくらいに帝国では階級や人種による差別、不正が横行していた。上の者の責任は下の者が取り、下の者の成功は上の者が取り上げる。それが当たり前だった。

幼少期からそんな環境で過ごしていた俺は慣れていたが、メルシアはずっと納得がいっていなかったのだろう。

「そうだね。こんなのは帝国じゃあり得なかったことだよ。だから、ここに連れてきてくれたメルシアには感謝してるさ」

俺の心からの言葉にメルシアは嬉しそうに笑みを浮かべるのであった。





「よし! これで堅苦しい公務は終わりだな!」

ライオネルから貰った報酬をマジックバッグに収納し終わると、彼は途端に王冠を外し、正装のボタンを二つほど開けて、玉座に深く腰かけてリラックスし始めた。

「……あなた」

「もういいだろう? イサギたちとは知らぬ仲ではないのだ。ここからの話は自然体でやった方がいい」

クレイナが(たしな)めるも、ライオネルは(うっ)(とう)しそうにローブを脱いで控えている兵士に投げ渡していた。威厳を戻すつもりがないことを悟り、クレイナとケビンが深くため息を吐いた。

いつものことなのだろう。謁見室に整列している兵士たちも、しょうがないといった風に苦笑していた。

「イサギとメルシアも、いつも通りにしてくれて構わないぞ」

「とか言いつつ、気安い言葉をかけた瞬間に首を飛ばすようなことはございませんよね?」

「なんだそれは? 鬼畜の所業ではないか」

「帝国の一部の貴族にはそういう行いをする者がいましたので」

帝国貴族にはいるんだ。平民にも優しく寛大なフリをして、相手が油断し、大きな不敬を働いたところで首をはねるという奴が。

「ええい、この俺がそんなみみっちい真似をするか!」

「ですよね」

これは冗談だ。おおらかで器の大きいライオネルがそんなことをするはずがない。

まあ、帝国貴族の話は冗談じゃないのが怖いところだが。

「しかし、こちらにたどり着くのがかなり早かったな! こちらにたどり着くのに、少なくともあと十日はかかると思っていたが、一体どうやって時間を縮めたのだ?」

玉座の上で胡坐(あぐら)をかいて前のめりで尋ねてくるライオネル。

ソワソワといた様子からずっと気になっていたんだろう。

「ゴーレム馬? あれはそこまで走れる乗り物だったか?」

ライオネルは一度農園にやってきて、ゴーレム馬を体験している。

「長距離移動用に改良したものを使いました」

「そんなものがあるのか!? 欲しいぞ、イサギ!」

「ライオネル様のために、ご用意していますよ」

「本当か!?」

ライオネルなら欲しがると思っていたので、特別なゴーレムを用意していたりする。

ライオネルから爛々(らんらん)とした視線を向けられる中、俺はマジックバッグからゴーレムを取り出した。

それは道中に稼働させたゴーレム馬とは違い、獅子を模したゴーレムだ。

「おお! 気高き獅子ではないか! 獣王である、この俺に相応しい! これもゴーレム馬と同じように走るのか!?」

「走れます。ゴーレム馬よりもやや魔石の消耗が激しいのは難点ですが、ゴーレム馬よりも遥かに馬力が高いです」

ちょっとしたデメリットを告げるがライオネルはまったく気にした様子がない。それどころか嬉しそうに獅子ゴーレムに跨っている。そのはしゃぎっぷりは新しい玩具を貰った子供のようだ。

「あなた、さすがに謁見室で乗り回すのはおやめになってくださいね?」

「……あ、ああ、わかってる」

渋々といった様子で獅子ゴーレムを降りていることから、クレイナに注意されなければ間違いなくすぐに乗り回していただろうな。

「ちなみにクレイナ様にもお土産をご用意していますよ」

「なにかしら?」

さすがにライオネルだけにお土産を渡して、王妃には何もありませんというのも失礼だしな。

クレイナが嬉しそうに顔をほころばせる中、俺はマジックバッグからいくつもの木箱を取り出した。

メルシアと共に木箱の蓋を開けると、そこには農園で作ったイチゴ、リンゴ、バナナ、モモ、スイカ、オレンジなどの果物が入っている。

「果物!」

「うちの農園で作ったものです。マジックバッグで保存していたので、穫れたてといっても過言ではありません」

「早速、召し上がりましょう!」

「おい、そっちはいいのか?」

クレイナの言葉に、ライオネルが抗議する。

「あなたは一度夢中になると止まらないじゃありませんか。文句があるならあなたは食べなくて結構ですよ? これは私へのお土産ですから」

クレイナがそう言い放つと、ライオネルはすぐに黙り込んだ。

文句はないから自分も果物を食べたいという意思表明だろう。

さすがは王妃だ。ライオネルの扱いをわかっているな。

クレイナの命により、獣人兵士が木箱からそれぞれの果物を手に取った。それからじっくりと果物を観察し、スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。

なんとも緩い試食会ではあるが、一応は王と王妃が口に入れるもの。何か異常がないか念入りに確認しているのだろう。

やがて問題ないことが確認されると、兵士が腰からナイフを抜いてリンゴの皮を綺麗に剥き始めた。リンゴの皮が剥けると、最後の毒見として一人の兵士がリンゴを口に入れた。

「うまっ!」

「おい、毒見役が口にしたものをいきなり呑み込んでどうすんだよ」

通常、この手のものは毒がないか舌で確認したり、しっかりと()(しゃく)して確かめるものだ。

それなのに普通に食事するかのように食べてしまえば、同僚に突っ込まれるのも無理はない。

「もう毒見は十分だろう。早く皿に盛り付けてこちらに持ってこい」

ライオネルに催促されると兵士たちは慌てて毒見を済ませ、皮を剥いたリンゴをお皿に盛り付けた。

運ばせたお皿を受け取ると、クレイナとライオネルがフォークで口へ運んだ。

シャクリとリンゴを咀嚼する音が謁見室に響く。

リンゴを口いっぱいに放り込むライオネルと、一口一口噛みしめるように食べるクレイナの食べ方が対照的で面白い。

「相変わらず、イサギの農園で育てた果物は美味いな!」

「ええ、本当に美味しいです」

「ありがとうございます」

ライオネルだけでなく、王妃であるクレイナの舌をも満足させることができたようでホッとした。



「ところでイサギよ、このあと時間はあるか? イサギの腕を見込んで頼みたいことがある」

二人がリンゴを終わったところで、ライオネルが真剣な口調で言ってきた。

ライオネルに獣王都に呼ばれたのだ。

飢饉の際の活躍に対する褒賞以外にも、何かしらの要件があると思っていた。

俺もメルシアも予想していたこと故に、ライオネルの切り出した言葉に慌てることはない。

「お役に立てるかはわかりませんが、お聞きしましょう」

錬金術は決して万能ではないことを知っているが故に、安請け合いをすることはできない。

俺はひとまずライオネルの頼みの内容を聞いてみることにした。

「イサギも知っていると思うが、獣人族は人間族に比べて出生率が高い上に、必要する食事量も多い。つい先日では大凶作が起きただけで、何人もの民が飢えそうになった」

要するに国内の食料消費に対し、食料生産が追い付いていないということだろう。

帝国でもこの手の問題は常にあったので、実に既視感のある問題だ。

「民が飢えることがないように王家では何代も前から農業や、魚の養殖などの食料生産支援をしている」

おお、さすがは獣王国。帝国とは違って、民のことを想って、しっかりと食料問題と向き合っていたようだ。ライオネルの代だけでなく、何代も前から施策が続いているだなんてすごい。

「だが、それでも追い付いていないのが現状だ。これを打開すべく、イサギには獣王国での農業支援を頼みたい」

何かしらの稀少な作物の栽培でも頼まれるとでも思っていただけに、ライオネルの口から放たれた言葉には驚きしかなかった。

「……農業支援ですか? それは具体的にはどのような……?」

「特に食料事情の厳しい場所に赴いて、イサギの錬金術で食料生産の改善をしてもらいたい。具体的にはラオス砂漠に住んでいる獣人たちが豊かに暮らせるように農園を作ってほしいのだ」

「砂漠でですか!?」

ラオス砂漠は降雨が極端に少なく、砂や岩石の多くて乾燥している。水分が少なく、気温の日較差が激しい故に農業に適さない地域の代表みたいな場所だ。土壌が痩せていたプルメニア村で農業を成功させるよりも、難易度は遥かに高いと言えるだろう。

「ちなみに以前イサギに貰った苗のいくつかを周辺に植えてみたのが、実ることはなかった」

「でしょうね」

そこまで成育環境が違うと、作物にも環境に合わせた改良が必要となる。失敗するのも道理と言えるだろう。

「……砂漠での作物の栽培はイサギほどの腕前を持っても難しいか?」

考え込んでいると、おずおずとライオネルが尋ねてくる。

「未知の環境なのでなんとも言えないところです」

あまりにも農業に適していない土地なので、簡単にできますとは言えないところだ。

できるともできないとも言えない微妙なライン。

「ちなみに農業支援をするにあたって、なぜその場所を選んだのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」

気になるのがどうしてその土地での支援を頼んだかだ。ピンポイントでその地を選んだことに何か理由があるような気がする。

「ラオス砂漠を選んだ理由は、そこに住んでいる彩鳥族と赤牛族の対立が深刻化していることだ。少ない水や食料を巡って争いが頻発している。同胞で争い合うのはあまりにも不毛だ」

そう答える、ライオネルの表情は苦悶で満ちていた。

国内で争い合う獣人の現状を憂いているようだ。

食料不足故に争い合う光景を、俺は帝国内で何度も目にしてきた。

あんな光景を当たり前のようなものにしたくはない。

「農園の設立はあくまで理想です。私たちの要望としては、イサギさんの力で少しでも食べられるものを増やせればと思うのです」

プルメニア村のような大農園をすぐに作ってくれと言われると、荷が重すぎて首を横に振るところだが、品種改良によって砂漠で食べられるものを増やすお手伝いならできるかもしれないな。

だが、それはあくまで希望的観測だ。実際に(おもむ)いて挑戦してみたが、まったく役に立てないという可能性も大きい。

「すぐに結果が出なくとも(とが)めることはないし、時間がかかってもいい。とにかく、一度赴いてみてはくれないだろうか?」

ライオネルやクレイナの施策に対する熱意は本物だ。これだけ真摯に頼まれれば応えてやりたい。

所属する国が変わろうと俺の夢は、人々の飢えをなくすこと。ライオネルからの依頼は俺の目的に沿ったものだと言えるだろう。

隣にいるメルシアにチラリと視線を送ると、彼女は微笑みながら頷いてくれた。

俺の判断に任せてくれるらしい。

「わかりました。農園設立までの成功の保証はしかねますが、ラオス砂漠でも栽培できる作物を作れるように尽力いたします」

「おお、やってくれるか!」

「イサギさんのご厚意に感謝いたします」

引き受ける旨を伝えると、ライオネルは嬉しそうにし、クレイナは安堵の笑みを浮かべた。

ラオス砂漠の食料事情にはライオネルたちも大きく頭を痛ませていたんだろうな。

「早速、イサギたちに向かってもらいたいのだが、ラオス砂漠までの道のりは複雑で過酷だ。案内役としてこちらから一名を同行させてもらってもいいだろうか?」

ラオス砂漠には当然ながら俺は行ったことはない。それは恐らくメルシアも同じだろう。

道中までの案内をしてくれる者がいれば、移動はよりスムーズになるし、遭遇したことのない魔物などに戸惑うこともない。王家からの指示でやってきたとわかる方が、現地の住民との話し合いもより円滑に進むだろうし。俺たちからすればライオネルの申し出は非常にありがたいものだ。

「恐れながら、足手纏いになる方であればご遠慮いただきたいです。私はイサギ様をお守りすることに集中したいので」

メルシアがここまでハッキリと言うということは、それだけラオス砂漠周辺に棲息する魔物が手強いということだろう。余分な非戦闘員を抱える余裕はないということか。

そんなメルシアの返答にライオネルは面白いと言わんばかりの笑みを浮かべた。

「安心しろ。案内役に関しては足を引っ張ることはないと俺が保証する」

「であれば、問題ないです」

「では、案内役の紹介をしよう」

メルシアの言葉に同意するように頷くと、ライオネルが入り口に向かって「入れ!」と声を張りあげた。

入り口の大きな扉が開くと、謁見室に一人の獣人が入ってきた。

ショートジャケットにタンクトップ、ホットパンツに身を包んだやや露出の激しい格好をしている。

紅色の髪をポニーテールにしており、勝気そうな瞳をした少女だ。

「初めまして、第六十三代獣王ライオネルが実子。第一王女のレギナよ。よろしくね」

呆気からんとした様子をしたレギナの名乗りを聞いて、俺とメルシアは狼狽(うろた)える。

「大丈夫なんですか?」

「何が?」

「だって、王女様ですよ? これから危険のある場所に向かうのですが……?」

「王女だからって安全な城に(こも)っているつもりはないわ! あたしは獣王の娘なのよ?」

おずおずと尋ねてみると、レギナは腰に手を当てて堂々と宣言した。

直接辺境までやってくる父にして、この娘ありと言ったところか。

「い、いいんですか?」

「国内の様子を自分の目で見てくるのも大事だからな」

「箱入り娘は必要ありませんので」

(すが)るような視線を向けるも、ライオネルとクレイナはレギナの同行を取り消すつもりはないようだ。

というか、クレイナの台詞が厳しい。これが獣王家の価値観なのだろうか。

「レギナ様に万が一のことがあったら困るんですが……」

「あたしが死んだらその時はその時よ! 兄さんか弟かが適当に王位を継ぐから問題ないわ!」

懸念点を告げるも、レギナは豪快に笑って俺の背中をバシバシと叩いてくる。とても痛い。

「ねえ、メルシア……大丈夫だと思う?」

道中における戦闘の割合は恐らくメルシアが一番高い。彼女の判断を聞いて、ダメそうなら悪いけどお断りしよう。というか、できればお断りしたい。何とか理由をつけて断れないだろうか?

「レギナ様の武名は獣王国内でも有名ですので、頼りになる案内役になってくださるかと」

そんな俺の思いとは裏腹にメルシアはレギナの同行をあっさりと認めてしまった。

「そうよ! 父さんと母さんには敵わないけど、それ以外の人には負けないから!」

内心で大きくガックリとする中、レギナが気合いを入れるように左右の拳を打ちつけた。

たったそれだけのことで大きな風圧が起き、俺とメルシアの前髪が大きく揺れた。

まあ、どのみち案内役は必要なんだ。肩書きこそ重いものの、実力者であれば拒む理由はないか。

「言い忘れていたが、成功した(あかつき)にはもちろん報酬を出そうと思う」

「それはどのようなものでも可能でしょうか?」

「何か欲しいものがあるのだな? 言ってみろ」

問いかけると、ライオネルが面白いとばかりに身を乗り出した。

これは素直に言っていいパターンだろう。

「大樹の葉や枝などをいただければと」

「これは興味本位なのだが何に使うのだ?」

「葉は万能薬だけじゃなく、エリクサーの原料に。木材は基礎耐久が高く、湿気や熱にも強くて燃えにくいんです。香りには防虫、防菌、リラックス効果がある上に、木目も美しい。まさに理想の木材といえるでしょう。浴槽、扉、フローリング、家具、何にでも加工ができます。枝に関しましては雑貨から武具と幅広い範囲で活用ができます」

「お、おお。そうか」

大樹の素材の用途を軽く語ってみせると、ライオネルがちょっと引いたような顔をする。

説明している最中に思わず熱がこもってしまったが、それだけ大樹は素晴らしい素材なのだ。

庭園で葉っぱを一枚だけ貰ったが、できるならばもっと欲しい。

大樹の葉でエリクサーを作ってみたいし、様々な種類のポーションだって作ってみたい。大樹の木材を使って、ここのような素晴らしい建物を作ってみたい。錬金術師とこれほど興味が惹かれた素材は久しぶりだ。

「わかった。成功した暁には大樹の素材をいくつかイサギに渡そう」

「ありがとうございます」

こうして俺とメルシアとレギナはラオス砂漠に向かうことなった。



ライオネルの頼みでラオス砂漠に向かうことになった俺たちは、その日のうちに出発することにした。

マジックバッグのお陰ですぐに準備が整った俺とメルシアは先に大樹の外で待機し、同行することになったレギナを待つ。

「イサギ様、この度の農業支援、本当に引き受けてよろしかったのでしょうか?」

待機していると、おずおずとメルシアが尋ねてくる。

ライオネルは失敗しても構わないと言ってくれたが、王家からの手厚い物資の支援や、レギナという同行者までいる以上、なにかしらの成果を果たせないと帰ることはできないだろう。

「俺の掲げる目標に沿ってるとはいえ、砂漠での作物の栽培は難しいだろうね」

「では……」

「でも、たとえ失敗したとしても俺は挑戦を諦めないよ。砂漠地帯での農業は俺の研究テーマの一つでもあるし」

「そうだったのですか?」

引き受けた理由の大きな一つを述べると、メルシアが初耳とばかりに驚いた。

「砂漠は水も有機物も少ない乾燥地。だけど、世界で人間が食料生産できる土地の約三割は乾燥地なんだ。しかも、砂漠化や戦争などの環境劣化によって砂漠のような農業が困難な土地は徐々に増えている」

「……つまり、砂漠のような厳しい環境でも育つことのできる作物を開発すれば、より広い範囲で食料が生産できるということに……?」

「そういうことさ」

「さすがはイサギ様です! もし、成功すれば大きな農業革命になるに違いありません!」

俺の意図に気付いたメルシアが、やや興奮したように言う。

「そうだね。とはいっても、研究テーマの一つとして構想したことがあるだけで、実際に行動に移したことはないから上手くできる保証なんてないんだけどね」

考えこそ偉そうに垂れてみたが、実際にそれができるかは別問題だ。それが難しいから、今まで放置されていた問題でもあるだろうし。

「困難であるとはわかっているのですが、不思議とイサギ様であれば解決できるのでないかと思っています」

参ったな。メルシアの期待に応えるためにも失敗はできないかも。

彼女に愛想を尽かされないためにも頑張らないとな。

「お待たせー! 準備できたわ!」

期待のこもった眼差しを受けて、気合いを入れ直していると後ろから声が響いた。

振り返ると、レギナの背中には大剣が刺さっており、大きなショルダーバッグが肩に掛かっていた。

先ほど謁見室で尋常ではない拳打を放ったので、メルシアと同じ徒手空拳かと思ったが、剣士のようだ。

軽やかな足取りでやってくるレギナだが、俺たちの姿を見るなり足を止めて驚きの声をあげる。

「――って二人とも荷物が少なすぎじゃない!? 目的地までは少なくとも二週間はかかる上に砂漠地帯なのよ? そんなんじゃすぐに物資が不足して引き返す羽目になるわ!」

準備を終えた俺の姿は宮廷錬金術師時代から使っていた、特殊繊維の編みこまれたローブにショルダーバッグ。腰に巻かれたベルトにいくつかの素材や魔道具が入っている程度。

メルシアは謁見した時と変わらないメイド服で背中には小さめのバックパックを背負っているだけだ。とてもこれから砂漠地帯に向かうような恰好とは思わないだろう。

「マジックバッグがあるので、俺たちの物資はそこに入っているんです」

「ああ、マジックバッグ持ちだったのね。それならその身軽さも当然だわ」

「よろしければ、レギナ様の荷物もいくつかお預かりしましょうか?」

「本当? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」

そう提案すると、レギナはバッグを下ろし、中にある水、食料、衣服、毛布などの物資を取り出した。俺はそれらを受け取ると、マジックバッグへ収納した。

「容量に余裕があるので、もっと収納することができますが?」

背負い直したレギナのショルダーバッグはまだ膨らんでいる。

これから旅に出る以上、荷物は少しでも少ない方がいいと思うのだが……。

「これで十分よ。あまり預けすぎると、イサギとはぐれてしまった時が怖いから」

荷物を一点化するということは、それを紛失してしまった時のリスクも大きくなる。

レギナが言わんとすることも一理あると思った。これから向かう場所は危ないみたいだし、どんな不測の事態が起こるかわからないからね。

「わかりました。もし、荷物が重くて負担になれば遠慮なく言ってください」

「ありがとう。その時は遠慮なく頼らせてもらうわ」

こくりと頷くレギナの反応を見て、俺とメルシアはゴーレム馬に乗った。

「レギナ様はゴーレム馬に乗れますか?」

俺が問いかけると、レギナはサッとゴーレム馬に跨った。

大きな円を描くように走らせると、軽やかな動きでこちらへ戻ってきた。

「問題ないみたい」

「そのようですね」

ライオネルを通じてレギナにもゴーレム馬を献上している。農園用のゴーレム馬と操作は同じなのでまったく問題はないようだ。

「では、行きましょうか」

「ちょっと待って!」

ゴーレム馬を走らせようとしたところで、レギナがストップをかけた。

「どうされました、レギナ様?」

「それ!」

メルシアがおそるおそる尋ねると、レギナが短く指示語を出した。

それと言われても俺とメルシアには何のことだかさっぱりわからない。

「口調! 二人とも硬い話し方はやめて、あたしにも普通に話してくれない?」

「ですが、レギナ様は第一王女様なので……」

「これから向かうラオス砂漠ではどんな危険があるのかわからないのよ? 今の口調で話していたんじゃ意思の伝達にも時間がかかるし、お互いに疲れると思わない?」

ラオス砂漠はメルシアほどの実力者でさえ厳しい場所と評するほど。言葉遣いに気を付けるわずかな(ちゅう)(ちょ)が生死を分けるかもしれない。

「わかったよ、レギナ。これでいいかな?」

「うん、それでよし!」

「私は誰に対しても、このような感じなのでご容赦ください」

「十分よ。ありがとう」

口調こそ変わらないものの、やや砕けた言い方にメルシアからの歩み寄りは感じ取れたようだ。

「じゃあ、行こうか!」

「ええ! しゅっぱーつ!」

俺たちはゴーレム馬を走らせて、蛇行する坂道を下っていく。

中央広場に降りると大通りを西へと突き進んで西門へ。

レギナを含めて、俺とメルシアがラオス砂漠に向かうことが通達されていたのか、一切の確認がなく顔パスで西門を出ることができた。

獣王都の中は人通りがあったために速度を抑えていたが、人気がなくなったとなれば存分に走ることができる。

魔力を流しながらレバーを押し込むと、俺たちのゴーレム馬がさらに加速した。

「すごいわ! 前に貰ったゴーレム馬とは速度が大違いじゃない!」

改良型のゴーレム馬の性能にレギナははしゃぎ声をあげていた。

初めて乗るというのに、これだけの速度を出せるとは胆力があるものだ。

景色が前から後ろへと物凄い速度で流れていく。

しばらくは整備された街道が続いていたのだが、ほどなく進んだところで森へと差し掛かかった。

「森に入るけど、操作は大丈夫?」

ここから先は多くの木立が立ち並び、障害物が立ちはだかることになる。

生半可な操縦技術では木立にぶつかってしまうのがオチだ。自信がないのであれば、速度を落として安全に進むべきだ。

「問題ないわ! このまま突っ走りましょう!」

しかし、レギナは速度を落とすことはせず、むしろギアを加速させるように速度を上げてみせた。

レギナの行動にヒヤリとした俺とメルシアだが、危なげない操縦技術で木立の間を抜けていくレギナの様子を見て、心配は不要だとすぐに悟った。

「ポニー型に乗っていたとはいえ、途轍もない操縦技術ですね」

「センスがとんでもないや」

ポニー型ですら満足に乗ることのできないダリオに、そのセンスを少しだけ分けてあげてほしいと思った。



ゴーレム馬を走らせるにつれて森はより深くなる。生い茂る枝葉によって日光は遮られ、やや視界も悪くなり、地面にも大きな凹凸が増えていた。

「……ねえ、さすがにそろそろ速度を落とさない?」

「え? なんで?」

提案すると、先頭を突っ走るレギナが素朴な疑問を尋ねるかのように聞き返してきた。

「暗くて視界が悪い上に、足元も悪くなってきたからだよ」

周囲の状況がよくわからない中、ゴーレム馬を突っ走らせるのはさすがに怖い。

「えっ? ここって暗い?」

「人間族であるイサギ様は、私たち獣人のように夜目が利くわけもなく、遠くが見えるわけではありませんから」

「あ、そっか!」

メルシアが補足するように言うと、レギナの表情に理解の色が広がった。

人間族の中での生活経験があるメルシアと違い、レギナは獣人が多くを占める国で育ってきた。

人間族に対する認識が低いのは仕方がないことだ。

だけど、これでレギナも俺に配慮して速度を――

「大丈夫! あたしとメルシアは見えているし、進みやすい道を選択してあげるからこのまま突き進もう!」

落としてくれなかった。むしろ、見えないと知った上で継続を提案。鬼だ。

「いや、でも普通に怖いんだけど……」

「グオオオオッ!」

泣き言の漏らしていると、横合いから大きな何かが飛び出してきた。

先頭にいるレギナは素早く大剣を抜くと、襲いかかってきた何かに向けて勢いよく振り下ろした。

脳天に一撃をもらった生き物はそのまま撃沈し、血の海に沈んだ。

「アウルベアーだ」

思わずゴーレム馬を止めて確認してみると、灰色の体毛をした大きなクマが脳天を割られていた。

人であろうと魔物であろうと襲いかかる獰猛(どうもう)な性格をしており、オークを超える(りょ)(りょく)を備えた上での素早い身のこなしをすることもあり、低ランクの冒険者ではまるで相手にならない。

人間族の生活圏内で出現しようものなら大騒ぎになるほど危険な魔物。にもかかわらず、それを一撃で沈めてみせたレギナの実力には圧巻する他ない。

「ここの森は魔物も多いし、ゆっくり進むより一気に突き進んだ方が魔物に絡まれないわよ?」

大剣を振り払って血のりを飛ばし、残った血を布で拭き取りながら言うレギナ。

「このレベルの魔物がゴロゴロといるの?」

「そうね。というか、アウルベアーは楽な個体の方よ?」

衝撃の事実を聞いて思わずメルシアに視線を向けると、その通りですと言わんばかりに頷かれた。

獣王国にいる魔物が強いことはわかっていたが、まだ認識が足りなかったのかもしれない。

アウルベアーが可愛いと評される魔境を、呑気に進むほど俺は肝が大きくない。

「突き進んで急いで森を抜けよう。でも、操縦する自信がないかも……」

「だったら、あたしの後ろに――」

「でしたら、私の後ろにお乗りください、イサギ様」

レギナの言葉に被せるようにしてメルシアが言った。

「あ、うん。じゃあ、メルシアの後ろに乗せてもらおうかな」

妙に勢いのあるメルシアに違和感を覚えたが、さすがに王族であるレギナの後ろに乗せてもらうのは恐れ多い。

視線で謝罪をすると、レギナは笑みを浮かべながら気にしないでとばかりに手を振ってくれた。

気を悪くしないでくれたのはありがたいが、レギナの視線が妙に生温かかったのは気のせいだろうか。

「再出発する前にアウルベアーを回収するね」

「アウルベアーの肉は臭みがあって美味しくないわよ?」

「錬金術で下処理するから問題ないさ」

レギナが(いぶか)しむ中、俺はアウルベアーに触れて錬金術を発動。

アウルベアーの体内に残っている血液だけを抽出。取り出した大量の血液は瓶に収めた。

「これで完璧な血抜きができたから、料理にした時に大きな臭みもないはずだよ」

「すごいけど、ちょっとグロテスクな光景ね」

気持ちはわかるけど、これもアウルベアーを美味しく食べるためだ。

アウルベアーと血液瓶だけでなく、自分の使っていたゴーレム馬もマジックバッグに収納すると再出発だ。

「それじゃあ、後ろを失礼するよ」

「どうぞ」

メルシアの乗っているゴーレム馬の後ろに跨る。

農園用のポニーサイズとは違い、軍馬サイズのゴーレム馬なので二人乗りだろうがスペースは楽々だ。

ただ目の前にいるのが異性であると考えると、べったりとくっつくわけにもいかない。

適度な空間を空けて、気持ち程度にメルシアの腰へ両腕を回す。

「イサギ様、もう少し前に詰めて、しっかりと身体を掴んでいてください」

「え、いや、でも……」

「この先、ますます道は険しくなります。イサギ様にもしものことがあっては困りますので」

たじろぐ俺に向かって言葉を述べるメルシアの表情は、とても真剣だ。

まぎれもなく彼女は俺の身を案じてくれている。それなのに異性の身体に触れるのが恥ずかしいなどと俺はなんと情けないことだろう。メルシアを見習い、(よこしま)な考えは捨てるべきだ。

「わかった」

意を決して俺はメルシアの背中に密着し、両腕をガッチリと前へと回した。

メイド服を通して、メルシアの柔らかな身体の感触が伝わってきた。

「んっ」

「なんか変な声がしなかった?」

「気のせいです。では、出発といたしましょう」

なんだか聞いたことのないような色っぽい声が聞こえたような気がしたが、メルシアには何も聞こえなかったらしい。

俺よりも聴覚のいいメルシアがそう言っているということはそうなのだろう。

俺はそれ以上気にしないことにし、メルシアの後ろで心地良い揺れに身を任せることにした。





メルシアの後ろで揺られながら進むことしばらく。

(うっ)(そう)としていた木々がなくなり、平原が視界に飛び込んできた。

暗い景色にすっかりと目が慣れていたので、急に明るいところに出てくると眩しく感じた。

「あっはは、すごいわ! 普通は森を抜けるのに三日はかかるのに半日で抜けちゃった!」

平原を見るなり、レギナが信じられないとばかりに声をあげた。

どうやら完全に森は抜けたようだ。

「まあ、かなりのスピードで駆け抜けたしね」

「本当にすごいわね、このゴーレム馬!」

「本当にすごいのは二人の操縦技術だよ」

俺の感想にレギナとメルシアが小首を傾げる。

ゴーレム馬の性能があったとしても人間族では暗闇を見通すことができない上に、立ちはだかる障害物や、悪路のせいで速度を出すことは到底できない。

二人の暗闇さえ見通す視力と、障害物や悪路を回避できる反射神経があってこその芸当だ。

真似をしろと言われても俺には無理だろうな。

「ありがとう、メルシア。助かったよ」

「いえ」

ゴーレム馬から降りると、メルシアがちょっと名残惜しそうな顔をした気がしたが、それは自意識過剰だろうな。後ろに乗っていた俺がいなくなって安心しているだけだろう。

「この先はどうなってるのかな?」

「だだっ広い平原が続いて、その先に小さな森があるって感じ」

「でしたら、この辺りで野営をした方がよさそうですね」

空を見上げてみると、太陽が徐々に落ちてきている。あと一時間もしないうちに日が暮れるだろう。

いくら夜目が利くレギナとメルシアがいても、魔物が活性化する夜の行軍は危険だ。

「今日はここで一泊して、明日の朝にまた出発しよう」

レギナとメルシアが同意するように頷いた。

方針が決まると野営の準備だ。

地形を確認するまでもなく、周囲はだだっ広い平原だ。

どこからか魔物がやってくれば視認できる上に、先ほど抜けた森からも距離は大分離れているので危険は低いと言えるだろう。

「メルシア、この辺りに除草液を撒いてくれるかい?」

「わかりました」

マジックバッグから取り出した瓶を渡すと、メルシアが蓋を取って周囲に除草液を撒いた。

除草液によって周囲に生えていた雑草がシューと音を立てて枯れていく。

周囲にある雑草があらかた除草されると、俺はマジックバッグから建材を取り出し、錬金術を発動。

木材を加工、変質させて、小さな丸太小屋を組み上げた。

扉を開けて中に入ると料理のために台所を作り、食事できるダイニングスペースや、ゆったりとできるリビングを作り、奥ではそれぞれが安心して眠れるように寝室も作った。

「よし、こんなものかな」

「……違う」

臨時の野営拠点を作り上げると、室内の様子を眺めていたレギナが唐突に呟いた。

「え? なにが?」

「これは野営じゃない」

「野営だよ?」

「外でこんなに立派な家を作って泊まる野営なんて聞いたことがないわよ! こんなの野営じゃない!」

野営をしているのにも関わらず、野営ではないと言い張るレギナ。

「そうなの?」

あんまり野営を経験したことがないから一般的な野営というものがどういうものかわからない。

「普通は皆でテントを組み立てたり、火を起こすところから始めるものでしょ?」

「俺にとってはテントを組み立てるより、家を作った方が早いから。焚火だって魔道具があるから別に必要ないし」

快適に過ごすための手段と道具があるのだから、それを使わない手はない。

「……イサギに一般的な野営を説明しようとしたあたしがバカだったわ」

俺にとっては当たり前のことを告げたつもりなのだが、レギナは頭が痛そうな顔をして肩を落とした。

思わずメルシアに視線を向けると、彼女はお茶を濁すように苦笑した。

どうやら彼女もこれが一般的な野営ではないと理解しているようだ。

少し釈然としない気持ちがあるものの、わざわざ不便な選択をする意味もない。

俺はこれ以上気にしないことにした。



「イサギ様、夕食の準備をしたいのでアウルベアーをこちらに出していただけますでしょうか?」

メルシアに言われて、昼間にレギナが倒したアウルベアーを取り出した。

すると、メルシアは軽々とアウルベアーを担いで裏口に移動していった。

あのアウルベアーの大きさからして、軽く体重が数百キロあるはずなんだけどな。

「あたしも手伝うわ!」

「いえ、そのようなことをレギナ様に手伝わせるわけには」

「そういう遠慮はいいってば。こういうの慣れてるし」

「では、よろしくお願いします」

メルシアとレギナが解体を始めると、俺は手持ち無沙汰になってしまった。

とはいえ、俺は熊の解体なんてやったことがないので力になれるとは思えない。

「暇だし、見張り用のゴーレムでも作ろう」

野営のために家を作ったのはいいが、家の中にいては魔物の接近に気付くことができない。

その対策として家の周囲にゴーレムを配備すればいい。

ゴーレムなら人間と違って睡眠をとる必要もなく、疲労も感じないので一晩中でも見張りを任せることができるからね。

俺はマジックバッグにある鉄、鋼、マナタイトを素材としたゴーレムを作っていく。

帝国の魔物ならば適当な砂や石を素材としたゴーレムで十分だけど、獣王国の魔物は手強いので素材もいいものにしておいた。さらにゴーレムのために大盾と、槍を持たせた。

魔物を倒すことまでは期待していないけど、俺たちが危険を察知して戦闘準備を整えられるくらいに持ちこたえて欲しいからね。

三体のゴーレムに魔石をはめると、魔力を流して起動させた。

「この家に誰も近づけさせないようにしてくれ」

外に引き連れて指示を出すと、ゴーレムたちは家の周囲を歩いて巡回し始めた。

うん、これで大丈夫だろう。

「あれってイサギの作ったゴーレム」

ゴーレムの出来栄えに満足していると、レギナが声をかけてきた。

先ほどまで解体をしていたはずだが、裏口にはメルシアとアウルベアーの姿がないので解体は終わったのだろう。

「そうだよ。見張りをしてもらおうと思ってね」

「……あのゴーレムたちが持ってる盾と槍って魔道具?」

目を細めて凝視するレギナの言葉に俺は驚いた。

ゴーレムが装備している盾と槍は、一見ただの鉄製の盾と槍に見えるがどちらも魔道具だったりする。

盾と槍には雷の魔力が付与されており、触れただけで相手に強電流が流れる代物だ。

「見抜かれないように偽装はしていたつもりなんだけどよくわかったね? 参考までにどうしてわかったか聞いてもいい?」

魔法を生業とする魔法使いや、素材の性質を見通すことのできる錬金術師ならともかく、魔力の扱いが不得手でも、錬金術師でもないレギナに見抜かれたのは予想外だ。

「なんとなくね」

「なんとなく?」

「勘っていうのかしら? 迂闊に触れちゃいけないってわかるのよね」

「獣人の勘か……それはまたすごいね」

レギナの獣人としての本能が察知したのだろう。

獣王国に来る前だったら鼻で笑っていたかもしれないが、こちらにやってきて獣人たちのハイスペックぶりを目にしているので笑うことはできなかった。

獣人による勘かぁ……それはどうしようもないかもしれない。

「お二人とも夕食の準備が整いました」

「わかった。今行くよ」

外の見張りはゴーレムたちに任せて、俺とレギナは拠点へと戻る。

「メインはアウルベアーの煮込みスープと串焼きです」

「美味しそう!」

「野営とは思えないほどに豪勢だわ」

ダイニングテーブルの上には大きな鍋が鎮座しており、お皿には串肉やサラダ、パンなどが並んでいた。サラダとパンはマジックバッグで保存していたものを取り出した形になる。野営でも食事に困らないのがマジックバッグの素晴らしさだね。

「さっそく、いただくよ」

「どうぞ」

まずは串に刺さったアウルベアーのロース肉を食べる。

肉質がものすごく柔らかく、口の中で旨みが弾けた。

「美味しい! 優しい脂の甘みがする!」

そう、特にすごいと感じたのが脂の味だ。

牛や豚の脂身はぎっとりしていてくどさを感じるのだが、アウルベアーの脂身は程よくて優しい甘さを感じる。

「わっ、アウルベアーのお肉ってこんなにも美味しかったんだ!」

「イサギ様が完璧な血抜き処理をしてくださったお陰です」

「それでも熊肉は臭みが強いし、メルシアの適切な下処理があったからだよ」

「ありがとうございます」

率直な感想を告げると、メルシアが気恥ずかしそうに笑って串肉を頬張った。

後ろにあるしなやかな尻尾がブンブンと揺れている。

噛めば噛むほどアウルベアーの力強い旨みが滲み出てくる。

炭火で焼かれているお陰かほんのりと香ばしさがあって堪らないな。

脂身の甘さを活かすために塩、胡椒だけで味付けされているのもポイントが高かった。

串肉を食べ終わると、次はスープにとりかかる。

アウルベアーの脂がスープに溶け出しており、大根、ゴボウなどの根菜やキノコにしっかりと染み込んでいる。

「うん、スープも美味しい!」

「こっちもまったく臭みがないわね」

煮込まれたアウルベアーの肉はとても柔らかく、歯を突き立てるとあっさりと千切れるほどだ。大

通常、熊の肉は煮込めば硬くなるものだが、メルシアの適切な下処理によりまったく硬くなっていない。さすがはメルシアだ。

根は柔らかく、ゴボウが程よい歯応えを演出してくれる。スープを飲めば身体の内側から温まり、旅で緊張していた俺たちに一時の癒しを与えてくれるかのようだ。

「お代わり!」

「どうぞ」

俺がスープを飲んで一息ついている間に、レギナはメルシアにお代わりを貰っていた。

レギナも獣人だけあってか、食べる量が半端ない。二杯目を貰ったかと思うと、あっという間にそれを平らげて、三杯目のお代わりを貰っている。

食べきれないくらいの量があると思ったが、これはすぐになくなってしまいそうだ。

ライオネルが国内の食料生産に頭を抱えるわけだ。

たった一人でこれだけの消費をするのであれば、国内の消費量はとんでもないだろうな。

「ラオス砂漠にはどのくらいで着くんだい?」

夕食を食べ終わると、俺はレギナに尋ねた。

「このペースならあと三日で砂漠地帯に入れそうよ」

レギナによると通常ならば平原を抜けるのに三日、その先にある森を抜けるのに二日、荒野地帯を抜けるのに三日くらいかかるらしい。だけど、今日のペースを考えるとそれくらいで抜けることができるようだ。

特に平原地帯は森と違って障害物もないので、かなりの速度アップが見込めるとのこと。

「砂漠地帯から目的地である氏族の集落まではどのくらいかかるのでしょう?」

「前に走って行った時は一週間かかったわ」

砂漠を走って横断しようとしたことに関しては置いておいて、獣人であるレギナが走ったにもかかわらず一週間だ。人間族が走っての距離だとは考えないほうがいいだろう。となると、砂漠地帯に入ってからかなりの距離があると思った方がいいな。

「遠いんだね」

「いえ、直線距離としては大したことはないわ」

「え? でも、レギナが走って一週間はかかる距離だよね?」

「時間のかかる大きな要因は砂漠の魔物なのよ。砂に紛れてどこに潜んでいるかわからない上にそれぞれが手強い。それに一度遭遇すると隠れる場所がないから逃げることも難しいの」

確かにどこにいるかもわからない魔物を警戒しながらの行軍はかなり難しい。どこで流砂などの危険もあるし、どうしても速度は落とさざるを得ない。

その上、遭遇する魔物が手強いか……アウルベアーを瞬殺していたレギナがそう評するほどの魔物たちがひしめいていると思うとかなり気が重いな。

「ご安心ください、何があってもイサギ様のことは私が守りますから」

不安が顔に出ていたのだろう。メルシアがそんな頼もしい台詞を言ってくれる。

「ありがとう、メルシア。俺もサポートはするから無理だけはしないでね? 危ない時は自分の命を優先するんだよ?」

「はい。命を懸けてでもイサギ様をお守りします」

「うんうん――ってあれ? 自分の命を優先してって言ったよね?」

なんて突っ込むと、メルシアは撤回する気はないとばかりに台所に向かって食器を洗い始めた。

俺の言葉の意味を理解してくれているのか不安だ。メルシアを無事に帰すためにも、俺自身が怪我をしないようにしないとな。



翌朝。目を覚まして寝室からリビングへと顔を出すと、既にメルシアが起きていた。

「おはようございます、イサギ様。朝食の準備は整っていますのでお召し上がりください」

「ありがとう」

テーブルの上には昨夜と同じくアウルベアーのスープとステーキが並んでいた。

スープにはアウルベアーの肉だけでなく、白菜、ネギ、ニンジン、菊などが入っており、スライスされた唐辛子が散らされていた。

同じアウルベアーのスープでありながらも具材のラインナップは違うというわけだ。

「……昨日のスープより美味しい」

スープを飲んでみると、昨日のものよりも脂の旨みと甘みが浸透しているのがわかった。

明らかに昨日のものよりも美味しく、味が洗練されているのだ。

「アウルベアーの骨から出汁を取っていますからね」

骨から出汁って結構な手間がかかるはずだけど、一体いつから起きていたんだろう。

ちょっと心配する気持ちはあるけど、それはそれとして美味しい。

俺が食事を始めると、メルシアも対面に座って食事を始める。

こんな風に家で食事をしてると、旅の最中であることを忘れてしまいそうだ。

「……レギナ、起きてこないね?」

朝食を食べ終わったがレギナが一向に起きてこない。

移動できる時間は限られているので、できるだけ早く出発するべきだ。

しかし、男性である俺が年頃の女性の、しかも第一王女の眠る寝室に入るのは(はばか)られる。

意図を察してくれたメルシアはこくりと頷くと、立ち上がって奥にあるレギナの寝室に入った。

ほどなくしてメルシアが、眠気眼をこすりながらのレギナを連れて戻ってくる。

「眠そうだね? あまり眠れなかった?」

「そういうわけじゃないわ。ただうちの家系は朝が苦手ってだけだから気にしないで」

確かライオンっていう生き物は夜行性だと聞いたことがある。

元になった獣の特性によって、そういった部分は変わるのかもしれないな。

「わっ! このスープ美味しい!」

欠伸(あくび)をしながらもそもそとパンを食べていたレギナだが、スープを口にした途端にカッと目を見開いた。

「ふう、いつでも動けるわ」

あっという間に朝食を平らげるレギナ。美味しい朝食のお陰で完全に脳が覚醒したらしい。

朝食を片付けると、メルシアとレギナが荷物を纏め始める。

俺はその間にダイニングやリビング、寝室に設置した家具などをマジックバッグに回収。

外に出ると、三体のゴーレムが昨日と変わらない様子で巡回していた。

「うん、特に魔物や獣の類は近づいてこなかったようだね」

ゴーレムには傷一つなく、周囲には争った形跡すらない。

ゴーレムの機能を停止させると、魔石を抜いてマジックバッグに収納だ。

「イサギ様、準備が整いました」

メルシアとレギナの身支度が整ったことを確認すると、俺は拠点として使用していた家に触れる。

錬金術で変質させて連結していた部分を解除すると、バラバラと家が崩れた。

「崩しちゃうんだ」

「野営のための簡易的な家だから」

このままの状態でもマジックバッグに収納できるのだが、組み立てた状態だと嵩張るからね。

一度、崩して収納した方が容量の節約になるのだ。

レギナは少し残念そうにしているが、この程度の簡素な家ならばいくらでも作ることができる。

また野営をしたい時は錬金術で建て直せばいい。

「それじゃあ、出発しようか」

マジックバッグから取り出したゴーレム馬に跨り、俺とメルシアとレギナはラオス砂漠を目指すのであった。





レギナの案内で平原を駆け、森を越えて、荒野地帯を駆け抜けると西に進み続けること三日目。

俺たちの目の前には砂漠が広がっていた。

視界の遥か先には(わず)かに岩のようなものが点在しているが、それ以外はすべて黄土色の砂だ。

ただひたすらに砂漠が続いているだけの景色なのに、なぜか美しさのようなものを感じた。

「ここがラオス砂漠」

「暑いというより、熱いといった表現が正しいですね」

「まったくだね」

周囲にある空気は乾燥しており、強烈ともいえる陽光が差し込んでくる。それがジリジリと肌を焼かれているような感触であり、風が吹きつけるだけで熱風を浴びているようだ。立っているだけで汗が滝のように流れるほどだ。

「まずは砂漠でもゴーレム馬が走れるか確かめないとね」

試しにゴーレム馬を走らせてみる。

「……問題なく進めるけど、一定の速度を超えると思うように速度が出ないね」

「恐らくこの柔らかい砂が原因かと」

柔らかい砂のせいで思うように踏ん張れず、細かい砂が足に絡みついてくるようだ。

「時間をかければ、砂漠でもしっかりと走れるように改良できるけど、それをしている間に目的地に着くくらいの時間は過ぎるだろうね。あまり無理に走らせると転倒するかもしれないし、一定の速度で走らせる方がいい」

「ええ、砂漠でもある程度走れるだけで十分だわ」

これまでのような軽快な旅とはいえないが、標準的な馬と同じくらいの速度は出ている。

徒歩で歩くよりも体力を節約できるし、遥かに早いからね。

「ここからは魔物も凶暴になるから細心の注意を払ってね」

「わかった」

こくりと頷くと、俺たちはゴーレム馬を走らせる。

陣形は案内役であり、近接戦闘をこなすことのできるレギナが先頭で、錬金術や魔道具による支援を行うことのできる俺が二番目、索敵と肉弾戦をこなせるメルシアが最後尾だ。

それぞれの戦闘スタイルを考慮しての布陣ではあるが、一番はひ弱な俺を守りやすいようにこういう陣形になったに違いない。俺は二人と違って近接戦闘はできないし、索敵もできないからね。

周囲には俺たち以外に人間の姿はなく、鳥や動物といった生き物の姿も見えない。

時折、吹きつける風がビュウビュウと音を鳴らし、ゴーレム馬が柔らかい砂を踏みしめる音だけが断続的に響いていた。

こうも平和だと危険な魔物なんていないんじゃないかと思えてくる。

なんて呑気な思考をしていると、前を走るレギナの耳がピクリと動いた。

「くる!」

「どこから?」

「真下よ! 離れて!」

レギナの警告に従い、ハンドルを操作してゴーレム馬を横に跳躍。

すると、さっきまで俺たちのいた場所の砂が弾けた。

視線を向けると、砂の中から五体のサソリが姿を現した。

体長は一メートルを越えており、艶やかな紫色の体表が陽光を怪しく反射している。

獲物が通りかかるのを地中で待っていたのだろう。

レギナが教えてくれなければまったく気づかなかったな。

「スコルピオね! ここは任せて!」

ゴーレム馬から降りたレギナが、大剣を片手で引っ提げて駆けていく。

メルシアは俺の護衛を優先するようで、いつの間にか傍にピッタリといた。

スコルピオは左腕の(はさみ)を鈍器のように叩きつけて迎撃するが、レギナはそれを回避する。

続けてスコルピオの尻尾が(むち)のように襲い掛かるが、レギナはそれを予見していたかのようにステップで回避。同時に大剣を()ぎ払い、スコルピオの尻尾を切断した。

身体の一部が切断された衝撃により大きく仰け反ってしまうスコルピオ。

その大きな隙をレギナが逃すことなく、跳躍した勢いを乗せての一撃で一体のスコルピオが沈んだ。

「次!」

一体目を速やかに処理すると、レギナは素早く二体目、三体目へと斬りかかって、スコルピオを沈めていく。

「凄まじいね」

「さすがはレギナ様です」

突然の魔物の奇襲に臆することなく、一人で立ち向かっていく。

とても大国の王女の行動とは思えないが、とても頼もしい。

このまま放置しておいても一人で倒してしまいそうだが、中衛として少しは役に立っておきたい。

俺は地中に手を触れると、錬金術を発動。

四体目と五体目のスコルピオの足元にある砂を隆起させた。

魔力により圧縮された砂の針はスコルピオたちの腹部を貫いて、一瞬にして絶命させた。

「なに今の!?」

スコルピオが片付くと、レギナが興奮した様子で駆け寄ってくる。

「ただの錬金術だよ。砂を魔力で硬質化して、形状変化させたんだ」

「錬金術ってそんなこともできるんだ!」

遺骸となったスコルピオを観察してみると背中や脚などは硬い甲殻に覆われていたが、お腹の部分は柔らかいことに気付いた。思いのほかあっさりと倒すことができたのはそのお陰だろう。

錬金術であっさりと倒せたからといって慢心してはいけないな。

「これならイサギも戦力として数えて良さそうね?」

レギナが不敵な笑みを浮かべながら俺を見つめてくる。どこまで本気にしているか不明だが、レギナやメルシアのようなパフォーマンスを求められると荷が重い。

「ある程度だからね? あまり当てにしないでね?」

釘を刺すように言うも上機嫌に笑うレギナが、どう受け止めたかは俺にわからなかった。