販売所が好調なスタートを切った中、俺は悩んでいた。
それは開店初日に約束してしまった農園カフェの開店を急ぐというものである。
「うーん、どうしようかな……」
シエナや村の女性たちの勢いに押されて約束してしまったものの、まったく開店の目途は立っていない。
販売所の店員を回すことで稼働できるものなのか? いや、開店してすぐに異動させるようなことはしたくないし、そもそも農園カフェで必要とされるスキルは従業員とは異なる。
とても販売所の営業をやりながら片手間でこなせるものだとは思えない。
「イサギ様」
「あっ、メルシア! ごめん、考えごとをしていて気付かなかったよ」
ふと気が付くと、工房にメルシアが入ってきていた。
律儀な彼女がノックをしないなんてことはあり得ないので、俺が生返事をしてしまったのだろう。
「考えごととは農園カフェのことですか?」
「うん。どうしたものかなーって」
「無理に開店を急ぐ必要はないのでは?」
「ええ?」
「ただでさえイサギ様はやることが多忙なのです。無理に仕事を増やし、手を広げる必要はありません。別に断っても問題ありませんよ。母さんと村の女性たちには私が言っておきますので」
そんな風に言ってくれるのは、農園カフェの発端が母親であるシエナという責任感なのかもしれない。
「メルシアの言うことは正しいと思う。でも、やっぱりあんなに熱望されたら応えてあげたいなーって思っちゃったんだよね」
自分でも効率の悪いことをしている自覚はあるが、あれほど強い想いを受け取ってしまうとそれに応えたいと思う自分がいるのだ。
たとえ、それで自分が苦労することがわかっていても、やりたいと思える自分が。
「イサギ様は優し過ぎます」
「そうかな?」
「はい。ですから、そんなイサギ様が過労で倒れてしまわないように私もお手伝いいたします」
「いつもありがとう」
「いえ、私はイサギ様のメイドであり、助手でもありますから」
礼を告げると、メルシアが誇らしげに微笑んだ。
いつも通りのクールさを保っているが、よく見ると頬のところがちょっと赤い。
なんだかんだ照れくさかったのかもしれないな。
「で、イサギ様は農園カフェを開店するにあたって、何をお悩みになっているのですか?」
「やっぱり、料理人かな」
農園カフェでは大農園で収穫した作物を扱った料理を提供する。
その目的は召し上がってもらったお客に、大農園の食材の良さを知ってもらうことだ。
「メルシアに作ってもらうわけにもいかないしなぁ」
「過分な評価を頂けるのは嬉しいですが、私の実力では販売所への購入に繋げるには足りないかと」
首を横に振っているメルシアだが、尻尾がご機嫌そうに左右に揺れているのが可愛い。
「そうかな?」
「仮に一般的な料理は作れたとしても、イサギ様が改良した一点ものの食材は扱い切れません。そちらに関しては専門的な調理スキルと知識、経験に裏打ちされた対応力が必要かと」
大農園で生産している作物の中には、メルシアにプレゼントしたブドウのように俺が時間と手間をかけて調整しているものがある。
そういったものは普通のものとは特性が大きくかけ離れているために、既存の調理の仕方では美味しく味わうことができないのだ。
「でも、農園カフェにそこまでのレベルが必要かな?」
「これから先、大農園は益々発展していき外部から多くの人がやってくることになりますので、そういった名物があるとより賑わうかと」
「なるほど」
メルシアの言う通り、プルメニア村に訪れる人は増加している。
商人のコニアがやってきて、獣王のライオネルまでもやってきた。これからも外からたくさんの人が訪れるだろうし、賓客がやってきてもおかしくはない。
「調理スキルの高い料理人は絶対必要として、後はどうやって調達するかだね。メルシアに宛はある?」
「ありません。が、調達できそうな人物なら心当たりがあります」
「お! 誰かな?」
「もう間もなくやってくる頃かと」
「……?」
メルシアの言葉に首を傾げていると、ほどなくして工房の扉がノックされた。
「こんにちはー! ワンダフル商会のコニアなのです!」
●
「販売所が稼働していたのですね! フロアがとても綺麗な上に品数もとても豊富で驚きました!」
応接室のイスにちょこんと腰掛けたコニアが興奮したように言う。
どうやらここにやってくる前に販売所の様子を見てきたようだ。
「ありがたいことに村人たちがよく買いにきてくれています」
「となると、私も今後はあちらで取り引きした方がいいですかね?」
「定期売買はあちらでやってくださると助かりますが、コニアさんに個人的な買い物を頼みたい時もありますし、情報交換もしたいので遠慮せずこちらに顔を出してくださると嬉しいです」
「嬉しいのです! メルシアさんの出してくださる紅茶は、とても美味しいので楽しみなので!」
ちょうどメルシアが、差し出したティーカップを嬉しそうに両手で持ち上げるコニア。
にっこりとした笑みを浮かべるコニアに、メルシアは微笑む。
「あ、もちろん、イサギさんとの会話も有益なので大好きなのですよ」
「光栄です」
付け足したようなコニアの言葉に思わず苦笑するが、商人との関係は互いに利益があってこそだ。
ハッキリとした物言いだけど変に持ち上げてきたり、迂遠な物言いをしないので帝国にいた時よりも遥かにやりやすい。
「コニアさんに相談があるのですが、聞いていただけませんか?」
軽い近況の会話が終わったところで俺は本題を切り出した。
「私で力になれるかはわかりませんが、ひとまずお聞きするのです」
ティーカップをソーサーの上に置いたコニアに、俺は農園カフェについての説明や、必要な料理人のことを話す。
「……なるほど。それでしたらワンダフル商会と契約している料理人を二名派遣するのです!」
一通り説明が終わると、コニアがきっぱりと言った。
自分から相談しておきながら、想像以上にあっさりとした返答に困惑する。
プルメニア村も賑わってきたとはいえ、獣王国の端にある田舎だ。
商会と契約しているような料理人が果たしてやってきてくれるものなのだろうか?
それは否だ。商人である以上、コニアはプロの料理人を派遣するに値する対価を求めている。
「条件はなんでしょう?」
「話が早くて助かるのです。イサギさんの作ったミキサーという魔道具をうちの商会に売ってほしいのです」
「ミキサーですか?」
農園カフェの説明で、ミキサーで作った野菜ジュースやフルーツジュースを振る舞うと言っただけなのに、そこまで食いつくとは思わなかった。
「はい! あれは間違いなく売れるのです! ぜひ、ワンダフル商会で売り出していければと! 希望としてはまずは五十台ほどで、好調なら追加で五十か百は欲しいのです!」
「そんなにですか!?」
宮廷時代ならともかく、個人の注文でそれほどの数の魔道具を生産するのは初めてだ。
「難しいです?」
「いや、あれは複雑な造りをしていないのでそれくらいなら可能です」
「あくまでイサギ様にとっては……という注釈がつきますが」
控えていたメルシアがそっと口を挟む。
そうなのだろうか? あまり他の錬金術師についてよく知らないので特別なのかわからないな。
「しかし、ミキサーがあるとはいえ、料理人は納得してきてくれますかね?」
条件として提示したとはいえ、それで商会と契約している料理人がモチベーションを持って取り組んでくれるかが気になる。
農園カフェも客商売。
腕がいいとはいえ、接客に難があったり、態度が悪かったりすると困る。
農園カフェは大農園の食材の良さを知る場所であり、訪れた人にとっての憩いの場であってほしいので、そこはどうしても譲れない。
「確認なのですが農園カフェで働くことになる料理人は、大農園の食材を好きに扱うことができるのですよね?」
「ええ、大農園と農園カフェは提携しているので可能な限り食材を供給しますが、それが魅力になるのでしょうか?」
「イサギさんはご自身の作り出した作物への認識が低いと見えます。今や大人気のイサギ大農園の食材を好きに扱えることは獣王国の料理人にとって憧れなのです!」
「そ、そうなのですか? うちの食材がそこまで……?」
「はい。通常の食材とは比べ物にならない品質ですからね。料理人がそれらを使って存分に力を振るいたいと思うのは当然かと思うのです」
うちの大農園の食材を褒めてくれ、良い物だと思ってくれるのは嬉しいが、そこまでの評価を受けているとは思わなかった。
「錬金術師にたとえると、高品質な素材が使い放題で調合し放題の場所があると考えるとわかりやすいのではないのでしょうか?」
「それは最高だ。行きたくなる」
メルシアのたとえ話を聞くと、妙にしっくりときて納得できた。
そんな場所があれば、世の錬金術はどんな辺境だろうと向かうに違いない。
「さらにイサギさんが特別に調整を施している食材を扱うことができるのも大きな魅力なのです!この先イサギ大農園の食材が広まるにつれて、その調理技術の需要は高まるでしょうから!」
堂々と胸を張り、鼻息を漏らしながら言うコニア。
かなり長期的な利益を見越しての承諾のようだ。
どうやら今回の相談はワンダフル商会やその料理人にとっても利益のあるものらしい。それならこちらとしても遠慮する必要はないな。
「では、料理人の派遣をお願いします」
「任せてくださいなのです!」
俺とコニアはにっこりと笑みを浮かべて握手する。
こうして農園カフェ最大の障壁である、料理人確保の目途はついたのだった。
笑みを浮かべてコニアと握手すると、料理人派遣についての細部を詰めることになった。
「イサギ様、コニアさんが農園カフェの料理人を連れてまいりました」
コニアに料理人の派遣を頼んで二週間。
工房で頼まれていたミキサーを作っていると、メルシアがノックしながら言った。
早速、コニアは料理人をプルメニア村に連れてきてくれたらしい。
「わかった。ミキサーの処理を終わらせたら行くよ」
「かしこまりました。応接室でお待ちしております」
メルシアの気配が終わると、俺は最後のミキサーにブレードを取り付けて蓋をした。
無属性の魔石をはめて、魔力を流すとしっかりとブレードが回転することを確認。
最後にミキサーの表面にワンダフル商会の紋章を刻み込むことで完成だ。
「うん、これで五十台目が完成だ」
農園カフェの準備をしていたせいでかなり遅れてしまったが、ちょうどコニアがやってくるタイミングで完成させることができたようだ。
工房内にあるすべての五十台のミキサーがしっかりと稼働することを確認すると、俺はすべてをマジックバッグへと詰めて応接室に向かった。
「遅れてすみません」
「いえいえ、突然やってきたのはこちらなので気にしていないのです」
応接室に入ると、コニアがティーカップを優雅に傾けていた。
傍らには茶色い髪に垂れ耳をした犬獣人の男性と、桃色の髪を肩口で切り揃えた犬獣人の女性が座っている。
どちらも真っ白な料理人服を身に纏っている。恐らく彼らがコニアの連れてきてくれた料理人だろう。
「そちらのお二方がコニアさんの連れてきてくださった料理人の方ですか?」
「そうなのです! さあ、自己紹介をお願いするのです!」
コニアが言うと、二人の料理人とイスからスッと立ち上がった。
が、垂れ耳の勢いをつけ過ぎてしまったのかテーブルの端に足を打ち付けてしまった。
ガンッとテーブルから音が鳴り、その上に乗っているティーカップやらお茶請けのお皿が震えた。
「わ! ごめんなさい!」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です!」
心配の言葉をかけると、男性は恐縮したように頭を下げた。
外見に見合わず、気は小さいようだ。
隣の女性はドンくさいものを見るような冷たい目をしている。
男性がこんな風にやらかすのはいつものことなのかもしれない。
改めて男性が立ち上がる。
デカいな。座っている時から高身長だと思っていたが、立ち上がっている姿を見るとさらに大きく見える。隣に立っている女性が小柄だというのもあるが、それを抜きにしても大きい。
「獣王都にある『ワンダーレストラン』からやって参りましたダリオと申します。よ、よろしくお願いします!」
「……同じく『ワンダーレストラン』からやってきましたシーレです。よろしくお願いします」
「『ワンダーレストラン』ですか!?」
ダリオとシーレの自己紹介を聞くなり、控えていたメルシアが驚きの声をあげた。
「メルシア、そのレストランはそんなにすごいのかい?」
雰囲気からしてすごいっぽいレストランなのだが、俺は獣王国出身ではないのでどのくらい人気なのかまったくわからない。
「獣王都にある高級レストランの一つです。予約しようにも一年は待たされるほどに人気だとか」
「え? 本当に?」
「本当なのですよ! ワンダーレストランはワンダフル商会が出資しているレストランなので、これくらい造作もないのです!」
尋ねると、コニアが薄い胸を張って堂々と答えた。
名前が似ていることから何となく察していたが、ワンダフル商会とワンダーレストランの繋がりは密接なようだ。
だとしても、高級レストランレベルの料理人がくるなんて思っていなかったので驚きである。
「はじめまして、錬金術師であり大農園の管理をしていますイサギと申します」
「ダリオとシーレは幼い頃からワンダーレストランで修行しており、真面目なだけでなく調理の腕も保証できるのです。きっと、農園カフェの開店の役に立つのです」
「……えっと、本当にいいのですか?」
「なにがです?」
「二人は有名なレストランで働く期待の料理人じゃないですか。人の少ない場所で農園カフェの営業をしてもらうのが申し訳ないなーっと思って」
言えば、ダリオとシーレは歴としたところでキャリアを積んだエリートだ。
そんな二人がこんな田舎で働いてもらってもいいのだろうか。
「そんなことはありません! これは僕たちが望んで選んだ道です!」
「そうなんですか?」
「ここの大農園の食材を食べた時に感動しました。今まで扱っていた食材と同じでも、まさかこんなにも違いがあるなんて思いもしなくって。それと同時にこの食材の美味しさを、自分で表現したいと思ったんです」
「こちらの食材を扱えることは私たちの料理人生においてかけがえのない経験になると思っています。ですから、イサギさんがそのような心配をする必要はありません」
大きな声で熱い想いを語るダリオと、淡々としながらも瞳の奥にある炎を燃え上がらせているシーレ。
どうやら二人がきちんと考え、目標を定めた上でここにやってきてくれたらしい。
だとしたら、これ以上変に心配するのは彼らにとって失礼だろう。
「わかりました。では、改めてお二人を歓迎いたします。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします!」
改めて手を差し出すと、ダリオが両手で包み込むようにしながら大声で返事した。
うん、君は声がデカいや。
「コニアさんもご紹介していただきありがとうございます」
「気にしないでほしいのです。それよりも頼んだミキサーの方はできるだけ早くお願いするのです」
改めて連れてきてくれたコニアに礼を言うと、彼女が念を押すように頼んできた。
「ああ、それなら既に完成させてありますよ」
「はえ? たった二週間なのですよ? いくらイサギさんでも魔道具を五十台も用意するのは無理なのでは?」
コニアが間抜けな声をあげる中、俺はマジックバッグからミキサーを取り出した。
「無理じゃありませんよ。こちら注文してくださったミキサー五十台分です」
「ひゃええええ! もうできたのですか!? しかもひとつひとつにうちの商会のマークが入っているのです!」
ミキサーを確認する中、コニアは俺の施したサービスに気付いてくれたようだ。
「そちらは特別サービスですよ。いつもコニアさんにはお世話になっているので」
こういう施しをするのなら追加料金をちょうだいするのだが、コニアには大農園の立ち上げの助言をしてくれたり、今回のようにすぐに料理人を確保してくれたりと恩があるからな。
「わー! ありがとうなのです! イサギさん!」
商会マークの入ったミキサーを胸に抱いて、コニアは子供のように喜んだ。
●
「こっちの区画が農園カフェの営業予定場所になっています」
ダリオ、シーレとの顔合わせが終わると、俺たちは販売所にやってきていた。
こちらは二人たっての希望で職場となる場所を見ておきたかったのだろう。
「思っていたよりも広いですね」
「これなら思っていた以上に色々なことができそう」
農園カフェのスペースを見て、ダリオとシーレが感心したように呟く。
田舎にあるカフェなので、もっとこじんまりとした職場をイメージしていたのかもしれない。
いい意味で期待を裏切れたようで嬉しい。
「販売所の方に食材がたくさんありますね!」
「あっちを見ると、あっという間に時間が終わるから今日は内装」
「……はい」
明らかに販売所の食材を見たそうにしているダリオだが、シーレにそう言われて肩を落とした。
ダリオの方が明らかに年上であり強そうなのだが、力関係はシーレの方が上のようだ。
不思議なコンビだ。
「イサギさん、少しいい……ですか?」
見守っていると、シーレが声をかけてきた。
言葉が詰まっていることから、あまり敬語を使うことに慣れていないらしい。
「いつもの口調でも結構ですよ」
相手に敬意を持つことは大切だが、込み入った話をする際は邪魔になる。
誤解なくやり取りをするために、それを取っ払うことを俺は気にしない。
もともと、そこまで敬語を気にするタイプでもないしね。
「……後でコニアさんにチクったりしない?」
「しませんよ。というか、あの人ってそんなに偉い立場なんです?」
この場にいないコニアのことを気にする意味が気になった。
「知らないの? ワンダフル商会にいる五人の幹部のうちの一人だよ」
「……そんなに偉い人だとは思っていませんでした」
ワンダフル商会は獣王国の中でもかなり大きい商会だとメルシアに聞いた。
そんな大商会の重役のポジションに収まっているとは思わず、絶句してしまった。
「まあ、コニアさんのことはおいておいて農園カフェの内装についての話。どんな風にしたいか要望はある?」
「清潔感があり、販売所の雰囲気を壊さず、お客さんがリラックスできる場所になればいいと思っています」
「なるほど」
俺が要望を伝えると、シーレはカウンターに画用紙を広げ、ペンでなにかを書き始めた。
「こういうイメージはどう?」
シーレの提示した画用紙には、農園カフェのイメージとなる内装がイラストとして描かれていた。
自然素材を生かしたナチュラル系デザインである。
販売所の内装と非常に合っている。
実際に農園カフェが開店した時のイメージを想像すると、自然と溶け込んでいるように思えた。
「はい! まさにそんな感じです! というか、イラストがお上手ですね!」
「……食材や料理のスケッチをしていると、ある程度は描けるようになる」
錬金術師も素材を覚えるためにスケッチすることがある。
料理人とは、そういうところが似ているなと思った。
「必要な調理器具、食器、家具についてはワンダフル商会から仕入れても構わない?」
「構いませんが、家具と魔道具に関してはできるだけ俺が錬金術で作ったものを活用してくださると助かります」
調理器具や食器については仕方がないし、ありがたいことにコニアが割引を申し出てくれている。
大農園が潤っているお陰で資金については余裕があるが、だからといって大胆に使えるわけじゃない。必要なところにお金をかけ、節約できる場所については節約するべきだ。
「こういうL字のカウンターを作ることってできる?」
「大まかにであれば、すぐにできますよ」
俺はマジックバッグから木材を取り出し、錬金術を発動。
シーレの描いてくれたL字カウンターのように変質させた。
出来上がったL字カウンターに近寄ると、まじまじと見つめながら手で触れるシーレ。
「イメージ通り。なるほど、これならわざわざ商会に家具や魔道具を発注する必要はなさそう」
どうやら彼女の期待に応えることができたようで安心した。
「他に要望はある?」
「さっき言ったことを守ってくだされば特に注文をつけるつもりはありません。お二人の働きやすいようにしてくださればと」
「つまり、それ以外は僕たちの裁量で内装を決めていいってことですか!?」
気楽に丸投げしてみると、傍で話を聞いていたダリオが食いついてきた。
「そういうことになりますね」
頷くと、シーレとダリオの目が強く輝いた。
「やった! じゃあ、私の好きなようにする!」
「ズルいですよ、シーレさん! 俺にも店の内装を考えさせてください!」
ある程度の裁量を持って自由に内装をいじれるのが嬉しいのだろう。
俺もプルメニア村にやってきて、自由に家を改造し、工房を作っていいと言われた時はワクワクしたのですごく共感できた。
嬉しそうに話し合う二人を見ていると微笑ましくなるのであった。
●
「二人とも今日はもう遅いし、このくらいにしておこうか」
「それもそうですね」
いつの間にか太陽の光がすっかりと赤く色づいている。
フロアにいたお客たちもすっかりと姿を消しており、店員たちが店仕舞いの準備をしていた。
一斉に立ち上がって帰る準備をする中、シーレが「あっ」と間の抜けた声を漏らした。
「そういえば、私たちってこれからどこで寝泊まりするの?」
あっ、二人の生活場所についてすっかり忘れていた。
うちに泊めるか? ダリオはともかく、シーレは女性だしそれは良くない気がする。
「お二人が寝泊まりする場所については、販売所にある二階のお部屋をご用意させていただいております」
どうしようかと迷っていると、ひょっこりとメルシアが姿を現せた。
「本当ですか!?」
「ここに泊まれる部屋があるんだ」
「ただいまご案内いたしますね」
メルシアの後ろを付いていって階段を上ると、そこにはいくつかの私室がある。
そのうちの二つの扉を開くと、室内にはテーブル、イス、ベッド、本棚、ソファーなどのある程度くつろげるだけの環境が整っていた。
「こんなに広い部屋を好きに使ってもいいんですか?」
「どうぞ。お好きなように使っていただいて構いません」
メルシアが頷くと、ダリオとシーレは上機嫌な様子で部屋に入っていった。
販売所の倉庫兼、従業員が寝泊まりできるように広めの部屋を作ってはいたが、生活できるような準備は整えていなかった。
二人の生活場所を考えて、メルシアがなにからなにまで用意してくれたのだろう。
「助かったよ、メルシア。農園カフェのことに夢中で二人がどこで生活するなんてまったく考えてなかったからさ」
「そういったところを補佐するのが私の仕事なのでお気になさらず」
礼を告げると、メルシアがにっこりと微笑みながら言う。
なんて気遣いのできるメイドなんだろう。本当にメルシアには頭が上がらないや。
「ねえ、ここには厨房ってある?」
「一階の従業員フロアの奥に簡易的なものがありますが……」
チラリとメルシアの視線がこちらに向いた。
使用の許可については俺の判断にゆだねるということだろう。
料理人の二人にとって料理とは生活の一部。農園カフェが開店するまでに自由に厨房を使えないのは不自由だろう。
「ダリオさんとシーレさんなら好きに使っていいですよ。ただし、きちんと戸締りや後片付けの方をお願いします」
「ありがとう。本当に助かる」
「使う前よりも綺麗にする! 料理人の鉄則ですからね!」
真面目なシーレとダリオであれば、厨房を汚したりすることはないだろう。
他の従業員もあまり使っていないことだし、遠慮なく使ってほしい。
「イサギ様、浴場についてはどういたしましょう?」
「どうせなら販売所内に作っちゃおうか」
「「はい?」」
俺の言葉を聞いて、ダリオとシーレがなぜか間抜けな声をあげた。
販売所の一階には農作業で付着した土や泥を落とせるように洗い場を作ってあるのだが、どうせなら身体を丸ごと洗いたいという要望がネーアをはじめとする数人の従業員から要望が入っていた。
せっかくだし、これを機会に浴場へと変えてしまおう。
俺は一階にある従業員区画にある裏口へ向かう。
作業が気になるのか、後ろにはメルシアだけじゃなく、ダリオやシーレもいる。
見ていて楽しいものになるかはわからないが、錬金術師がどんなことをできるのか理解してもらうのは悪いことではない。
気にしないことにして外に出ると、手足を洗うことのできる小さな洗い場がある。
大農園の作業で手足や靴、衣服などを汚してしまった時は、ここの洗い場で汚れを落としている。簡単に汚れを落とすだけなら外でもいいが、裸で湯船に入る以上は外から丸見えにするわけにはいかない。
俺はマジックバッグから木材を取り出すと、錬金術で変質、変形させて丸太小屋を組み立てた。
「う、うわわわ! 木々が勝手にくっ付いてく!」
錬金術で家を作る光景を見るのは初めてだったのか、ダリオが驚きの声をあげた。
彼の新鮮な反応にクスリと笑いつつ、俺は作り上げた丸太小屋の内装をいじっていく。
脱衣所を作ると、浴場に大きな湯船を錬金術で作る。
浴場や湯船からお湯を排水できるようにパイプを繋げると、最後に温水の出る魔道具を設置。
魔力を注ぐと、魔道具からお湯が流れて湯船に溜まっていく。
「うん、こんなものかな!」
温度を確認してみると、大体四十度くらい。
個人によって温度の好みはあるが、標準的な温度のお湯が出ていると言えるだろう。
浴場を作り上げると、ダリオとシーレがポカンとした顔になっていた。
もしかして、即興で作ったが故にクオリティの低さに呆れてしまっているのだろうか。
「すみません。急いで作ったせいでこんなに低いクオリティで。明日にはきちんと手を入れて、もっと使いやすいものにするので今日はこれで勘弁を……」
「いやいや、どうしてそうなるんですか!? むしろ、その逆ですよ! 一瞬で立派な浴場ができてしまったので驚いちゃいました!」
「……もしかして、イサギさんってすごい錬金術師?」
宮廷錬金術師であれば、胸を張ることもできたのかもしれないが、生憎と解雇されてしまった身だ。
すごい錬金術師と言われると、首を傾げざるを得ないだろう。
「はい、その通りです」
どう答えるか迷っていると、控えていたメルシアが何故か誇らしげに答えた。
翌朝、俺とメルシアはダリオとシーレを大農園に案内することにした。
工房を出て、販売所の前までやってくると、既にダリオとシーレは準備を整えて待っていた。
「おはようございます!」
「おはようございます」
近寄ると、ダリオが大きな声で挨拶をしてくれた。
とても元気なのはいいが、もうちょっと声量は抑えてもらいたい。
だけど、本人に悪気がないだけにちょっとだけ言いづらかった。
シーレはダリオが大声を出すことを予期していたのか、両耳を手で覆って守っている。
しれっとこういうことができる辺り、世渡りが上手なのかもしれない。
昨日は二人とも料理人服だったが、今日は動きやすい私服へと変わっている。
大農園の見学に向かうためだろう。こうして私服姿を見ると、プルメニア村の村人に溶け込んでいるように見えて微笑ましい。
「昨日はよく眠れたかい?」
「はい、お陰様でぐっすりと眠れました!」
「久しぶりにきちんとしたベッドで眠れたし、お風呂も用意してくれたから」
ダリオとシーレの顔色はすこぶる良い。お世辞などではなく、ゆっくりと身体を休めることができたようだ。
「それはよかった。早速、大農園に向かおうか」
「お願いします!」
雑談もほどほどに切り上げて、ダリオとシーレと合流すると俺たちはそのまま大農園へ。
とはいっても、販売所のほぼ目の前なのですぐに到着となる。
柵扉を解錠すると、入ってすぐ傍のところにある厩舎に向かった。
厩舎といっても馬が飼育されているわけではない。俺が錬金術で作り上げたゴーレム馬がズラリと並んでいる。
「これは?」
「ゴーレム馬です。園内はとても広いので、これを使って移動します」
実演するために俺がゴーレム馬に跨ってみせ、メルシアがゴーレム馬の扱い方を二人に説明すると、それぞれがゴーレム馬に跨り、走らせ始めた。
「これ、すごく楽しい」
「う、うわわわわわっ!」
シーレは難なくとコツを掴んで適度な速さでゴーレム馬を走らせたが、ダリオは明らかにスピードの出し過ぎだった。
「ダリオさん、右足のペダルを踏み込み過ぎです。落ち着いて右足の力を緩めるか、ゆっくりと左足のブレーキを踏み込んでください」
などとアドバイスを送るが、ダリオはすっかりと慌ててしまっているのかとても実行に起こせる状況ではなかった。
近づいて止めようにもダリオが強くペダルを踏み込んでいるために、迂闊に近づくことができない。ヘタをすれば、猛スピードで駆け回るゴーレム馬に跳ね飛ばされることになるだろう。
そんな中、傍にいたメルシアがダリオのゴーレム馬へと近づく。
「メルシア、危ないよ!?」
「心配はいりません、イサギ様」
俺の声にメルシアは平然と答えると、駆け寄ってくるゴーレム馬を前にして跳躍。
暴走状態になっているダリオの後ろに飛び乗ると、ダリオの足を蹴って退かし、的確な力加減でブレーキを踏んだ。
すると、ゴーレムの馬のスピードが落ちて、ゆっくりと停止した。
「……なに今の?」
「シーレさんでもああいうのはできたりします?」
「いや、無理だから」
「ですよね」
同じ獣人だからといって、メルシアのような身のこなしができるわけではないようだ。
薄々と思っていたが、やはりメルシアの身体能力は獣人の中でも別格のようだ。
「お怪我はありませんか?」
「お陰様で無事です。あ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるダリオの姿に怪我らしいものはなくて安心した。
従業員や村人も含めて、あっさりとゴーレム馬を乗りこなしていたものだから油断した。
中には操縦が苦手な人もいるだろうし、しっかりと配慮しないとな。
「ダリオは鈍くさいから、こういうのに乗らない方がいい」
「……うっ」
シーレのハッキリとした物言いにダリオはショックを受けているようだが、自覚があるのか反論はしなかった。肩を落とし、尻尾がへにゃんとしている。
「ひとまず、ダリオさんは俺の後ろに乗りましょうか」
「ぜ、ぜひ、そうさせてもらえたらと……」
先ほどの暴走でゴーレム馬が少しトラウマになったのだろう。
ダリオは頷くと、俺のゴーレム馬の後ろに跨った。
「その方法がありましたか……ッ!」
そんな光景を見て、メルシアが衝撃を受けたような顔で呟いた。
「どうしたの、メルシア?」
「いえ、なんでもありません」
尋ねてみたがメルシアは回答を濁し、自らのゴーレム馬に乗り込んだ。
まあ、別に気にするほどのことでもないか。
「それじゃあ、大農園の中を案内するので付いてきてください」
準備が整うと、俺はペダルを踏み込んでゴーレム馬を走らせる。
続いてシーレがゴーレム馬を走らせ、その後ろをメルシアが付いてくる。
しばらく道を進んでいくと、大農園の野菜畑が広がった。
「うわあ、すごい……ッ! 食材がこんなにもたくさん!」
「こんなにも広い農園は初めて」
真後ろからダリオとシーレの感嘆の声があがった。
料理人である二人から褒められると嬉しいものだ。
「こちらは大農園の野菜区画となります。錬金術で品種改良された様々な野菜が栽培されています――なんて概要を説明するより実際に近くで見てもらった方がいいですね」
「なんかすみません」
まずはザッと農園全体を回ろうと思ったが、ダリオから近くで見たいというオーラを感じ取ったのでここらで降りることにした。
意思を汲み取ると、ダリオが恥ずかしそうにしながら頭を下げる。
あぜ道でゴーレム馬から降りると、目の前にはキュウリ畑が広がっていた。
青々としたキュウリの苗が空へと伸びており、形のいいキュウリがいくつも生っている。
「わっ、キュウリだ!」
「普通のキュウリよりも生っている数が遥かに多い」
「改良して、従来のものよりも収穫を増やせるようにしましたから」
「錬金術って、そんなこともできるのね」
とはいっても最初からできたわけじゃない。
研究を重ね、徐々に収穫できる量が増えるように試行錯誤したのだ。
今、育っているキュウリは最初に植えた苗よりも一・五倍くらい収穫量があるんじゃないかな。
とはいえ、まだまだイケる気がするんだよな。もっといい因子を組み込めば、二倍くらいの収穫量を目指せる気がする。
「あっ、イサギさんだ」
なんて思考の渦を漂っているとキュウリの葉や蔓をかき分けて、ネーアが姿を現した。
メルシアと仲が良い幼馴染であり、うちの農園の従業員だ。
今日のノルマである収穫作業をしていたのだろう。
「どしたの? 畑の視察?」
「いえ、農園カフェで働いてくださるお二人を案内しているところです」
「おお! ということは君たちがコニアさんの連れてきた料理人なんだ!」
ダリオとシーレを見るなり、ネーアが人懐っこい笑みを浮かべた。
「はじめまして、ダリオといいます」
「シーレです」
「はじめまして! あたしはネーア! よろしくね!」
「「よろしくお願いします」」
「お、おお。なんだかキッチリしてるね」
キッチリと挨拶をするダリオとシーレにやや驚き気味のネーア。
前の職場では上下関係に厳しかったのかもしれない。
「農園カフェが開いたら、二人にはぜひとも美味しいランチやお弁当を作ってもらいたいな!」
「ランチはわかりますが、お弁当が充実するとネーアさんは嬉しいのですか?」
「うん! もちろん、店に行ける時は店で食べるけど、農作業なんかをしているとそんな余裕がない時もあるからね。自分で作れたらいいんだけど、あたしは料理が苦手だし、そもそも朝が早いお弁当を作る気にもならないから」
少し気恥ずかしそうにしながら生活事情を語ってくれるネーア。
基本的に作業が安定しているうちの農園だが、たまに収穫期がいくつも重なってしまう場合がある。そういった時にゆっくりと農園カフェまで足を伸ばすことは難しい。仮にできたとしても、作業が押している中ゆっくりとくつろぐのは心理的に難しいに違いない。
サッとお弁当を取り出して、すぐに食事できる方が望ましいだろう。
「お弁当販売は盲点でした。貴重なご意見をありがとうございます」
「役に立ったならよかったよ。それじゃあ、あたしは作業に戻るから」
ダリオとシーレに頭を下げられ、ネーアはあっさりと収穫作業に戻った。
多分、ちょっと気恥ずかしかったんだろうな。
そんなネーアの心中をメルシアも察していたのか、クスリと笑っていた。
「ネーアさんの他にも従業員は四人ほどいますが、残りの方たちとはおいおい顔合わせができればと思います」
「四名? これだけ広いのにたった四名だけなんですか?」
「ああ、獣人の従業員が四名というだけで、実質的にはもっとたくさんの従業員がいますよ」
ダリオとシーレが小首を傾げる中、俺は畑の奥にいたゴーレムを呼び寄せた。
「これって、もしかしてゴーレムですか!?」
「はい、俺が錬金術で作った農作業用のゴーレムです。大農園の中には至るところにゴーレムがいて収穫作業を手伝ってくれているんです」
「こんなにも精緻な動きができるゴーレムは初めて見た」
錬金術師のことをあまり知らない二人でも、ゴーレムについての知識はあったようだ。
世間では錬金術師=ゴーレムを作れるみたいなイメージが大きいからね。
「獲れ立ての野菜です。味見でもいかがです?」
「ありがとうございます!」
「食べる」
ゴーレムが収穫していた籠を差し出すと、ダリオとシーレはひょいと手を伸ばしてキュウリを食べた。
「美味しい! こんなにも瑞々しくて、しっかりとした旨みのあるキュウリを食べたのは初めてです!」
「……曲がり、色むら、果形に一切の崩れがない。すべてがこの品質かと思うと恐ろしいわね」
キュウリを食べた瞬間、ダリオが感激し、シーレが真面目な表情で感想を漏らす。
高級レストランで働いていた料理人が、目の前でそう評価してくれると嬉しいもので、こちらとしても自信がつく。
「メルシアも食べる? 水分補給にもいいよ」
「いただきます」
籠から拝借した一本をメルシアに手渡し、俺もキュウリを食べる。
パリッとした小気味のいい音が響き、口内で豊富なキュウリの水分と旨みが弾けた。
瑞々しいながらもしっかりとしたキュウリの味がある。とても歯切れも良く癖も少ない。
ドレッシングなんて必要ないくらいの美味しさだ。
「うん、外で齧ると気持ちがいいね」
「暑くなってきた今の季節にピッタリです」
小さな口を動かしてポリポリと食べるメルシア。
可愛らしい耳と尻尾もあってか、なんだか小動物っぽいな。
「ここまで食材が良いと、もう手を加えないのが最上なんじゃないかって思うわね」
「わかります」
どこか遠い目をしながらしんみりと呟くシーレとダリオ。
「いや、それじゃ困りますよ?」
料理人が手を加えない方がいいなんて言ってしまうと、本当にどうしようもなくなってしまう。
「冗談。そこを何とかするのが私たちの役目だから」
「この美味しさをより活かせる料理を作ってみせます!」
先ほどの遠い目から一転し、シーレとダリオの瞳には熱い炎が宿っていた。
きっと、この二人なら美味しい料理を作ってくれる違いない。
二人の作った料理を食べるのが楽しみだ。
大農園の見学が終わると、農園カフェの開店に向けての準備が始まった。
シーレとダリオによる内装のデザインが固まったので俺が錬金術で内装を整えた。
基本的な調理器具、食器、雑貨などはワンダフル商会に発注しており、残りのテーブルやイス、魔道具などを俺が完成させてしまえば、後は発注した品の到着を待つのみ。
農園カフェの開店までの道のりは順調と言えるだろう。
工房で農園カフェに必要な家具を作っていると、扉がノックされた。
返事をすると、メルシアが入ってくる。
「イサギ様、シーレさんが農園カフェの内装についてご相談があると」
「相談?」
「少し調整していただきたい部分があるようです」
「わかった。すぐに行くよ」
内装は既に整っているとはいえ、作業を進めるにつれてちょっとした修正点が出てくるのはよくあることだ。
シーレのことだから、きっと農園カフェをよりよくするための改善点を見つけたのだろう。
俺は作業を中断し、出来上がった分のテーブルとイスをマジックバッグに詰めて、農園カフェに向かうことにした。
販売所にある農園カフェのスペースにやってくると、シーレが待っていた。
「こんにちは、シーレさん」
「こんにちは。忙しいところ呼んでごめんなさい」
「気にしないでください。ところで、ダリオさんは?」
「彼は奥で料理の開発中」
「なるほど」
農園カフェの準備はちゃくちゃくと進んでいる。
料理人である二人は開店準備だけでなく、提供する料理についても考えないといけない。
内装よりも、むしろそっちの方が大変かもしれないな。
「ところで相談したいことというのは?」
「採光窓を増やすことって可能?」
採光窓というのは、室外の自然光を取り入れる窓のことだ。
人間が住居で快適な暮らしを送るために、一定以上の自然光を取り入れることが望ましいとされている。
「可能ですが、どうして?」
「今のままだと少し暗い。農園カフェの明るいイメージをお客に与えるためにもう少し明るくしたい」
販売所のフロアを明るく見せるために農園カフェ側の壁はガラス張りにしているのだが、窓際以外のところはシーレの言う通り少し暗く感じた。
販売所のフロアが大きいために光が分散してしまっている結果だろう。
「わかりました。採光窓を作ります」
「ありがとう」
パッとこの場で作ってしまいたいところだが、さすがにガラスとなると作成するのに火が必要なので工房に戻る必要がある。
「待っている間は、出来上がったイスやテーブルの配置を考えていてください」
「もうこんなにできてるんだ。助かる」
マジックバッグから出来上がったイスやテーブルを取り出すと、その場はシーレに任せて俺は工房に戻ることにした。
●
工房に戻ってくると、俺は裏口に回る。
そこには耐火煉瓦で組まれた小さな溶融炉がある。
錬金術で金属や鉱石を作成したり、武具などを作成する際に使う道具だ。
「よし、ガラスを作るか」
炉に薪をくべると、火魔法を発動して炎を大きくする。
炎を高温度まで到達させると、俺は錬金術を発動。
まずは不純物を取り除き、混入を避けるために錬金空間を作り上げる。
不純物を取り除くと、そこに珪砂、トロナッタ鉱石、ガラスの破片、魔力を混ぜ込み、炉で加熱していく。
熱によって溶けた材料はゆっくりと渦を描くように混ざり合い、粘りのある泥のようなものになる。
泥のようなものは全体を加熱されるにつれて、徐々に半透明な板になる。
泡などの不純物を錬金術で追い出すと、半透明だった板は透き通るようなガラスになってくれた。
耐熱グローブをはめて、ガラス板をくまなく観察。
「うん、バッチリだね」
端の方はまだ微妙に曇っているが、熱がなくなるにつれて完全に透明になってくれるだろう。
「あっ、しまった。シートを持ってくるのを忘れた」
ガラスを一旦地面に置こうとしたところでふと気づいた。
マジックバッグから取り出そうにもガラスを持っているために両手がふさがっている。
どうしたものかとあたふたしていると、ちょうど工房の窓を拭いているメルシアと目が合った。
メルシアは窓から離れると、ほどなくして裏口から出てきた。
「耐熱シートです」
「ありがとう」
メルシアが地面に耐熱シートを敷いてくれたので、その上にゆっくりとガラスを置いた。
「出来上がったガラスは私が並べますので、イサギ様はガラス作りに集中してください」
「わかった。そうさせてもらうよ」
俺は再び錬金空間を作り上げると、そこに珪砂、トロナッタ鉱石、ガラスの破片、魔力を入れて加熱。
先ほどと同じ要領でドンドンとガラスを生産。出来上がったものはメルシアが回収し、次々と耐熱シートの上に並べていく。
ガラス板が六枚もあれば農園カフェの採光窓には十分だが、ガラスはなにかと入用になるので多めに作っておくことにする。
「イサギ様、この辺りにいたしましょう。これ以上の続けての作業はお身体に差し障ります」
「わっ、汗まみれだ」
メルシアに言われて、ふと自身の身体を見てみると、大量の汗をかいていることに気付いた。
溶融炉の前でずっと作業をしていたからだろう。
服が濡れてべったりと肌に吸い付いているレベルで、これ以上の発汗は身体への負担が大きいだろう。
「そうだね。これくらいにしておこうか」
本当はもうちょっと続けていたかったけど、これ以上の作業はヘタをすると命の危険がある。
メルシアに言われたタイミングで俺はガラス作りを終えることにした。
農園カフェに取り付ける採光窓は完成しているし、ストックもできたので十分だろう。
そう納得して溶融炉の火を落とした。
「うん、いい仕上がりだ」
耐熱シートの上に並べられたガラスは、どれも綺麗に透き通っており曇り一つない。
俺は錬金術で地面をブロックへと変形させると、それを土台にして上にガラスを設置した。
強度の実験をするべくマジックバッグからハンマーを取り出し、大きく振りかぶる。
すると、メルシアがサッと後ろに回り、俺の右腕を優しく掴んだ。
「イサギ様、何をなされるつもりですか?」
「今回のガラスは少し組み込む素材と魔力の比率を改良したんだ。だから、強度の実験をしようかと思って……」
「そういう危険なことは私に任せください」
「え? ああ、うん」
危険だからこそ男性がやるもんなんじゃ……と思ったりもしたが、明らかにメルシアの方が身体能力が優れているし、戦闘技術も高いので何も言えなかった。
スッと握っていたハンマーが取られて、俺は仕方なくその場から離れることにした。
「結構硬いと思うから気を付けてね?」
こくりと頷くと、メルシアはハンマーを大きく振りかぶってガラスに叩きつけた。
次の瞬間、ガンッという鈍い音が鳴り、打ち付けられたハンマーが跳ねる。
ガラスを確認してみると、表面には傷ひとつ付いていない。依然として透明な輝きを放っている。
俺が思っている以上にメルシアが強い力で叩きつけたので、ヒヤッとした。
「……硬いですね」
「うん、今回は質の良いトロナッタ鉱石を混ぜ込んでいるから」
トロナッタ鉱石は単体では大した硬度を誇らないものの、魔力と混ぜ合わせることで強い硬度になる性質がある。トロナッタ鉱石の純度が高く、魔力の質が良ければ良いほどに硬度は上がる。
もちろん、錬金術でトロナッタ鉱石から不純物は取り除いており、魔力も高密度にしたものを注いだ。お陰でちょっとやそっとの衝撃では割れない強化ガラスとなっているのだ。
「イサギ様、もう一度試してみてもいいですか?」
「いいよ」
頷くと、メルシアはなぜかハンマーを地面に下ろし、大きく深呼吸をし始めた。
おかしい。強度実験をするのにどうしてハンマーを下ろすんだ。
「あの、メルシアさん?」
「イサギ様、少々危険ですので離れていてください」
「あ、はい」
声をかけようとしたが、メルシアはすっかりと集中しているらしい。
とにかく近くにいたら危ないことだけは確かなので、俺はメルシアから離れることにした。
俺が十歩ほど離れると、メルシアはカッと目を見開いて拳をガラスに叩きつけた。
ガアアンッという甲高い音と凄まじい衝撃が響き渡る。
なんでハンマーよりも威力が高いんだろうとか、より硬質な音が出ているのだろうとか色々疑問が湧いてくるが、それはひとまず置いておく。
おそるおそる近づいてガラスを確認してみると、そこには表面に少しだけ傷がついた強化ガラスがあった。
「少し傷が入っただけですか……」
「いあ、ちょっとやそっとの衝撃は割れない強化ガラスだから傷が入るだけすごいよ」
メルシアは不満そうにしているが、普通は傷が入らないものだから。
「イサギ様、もう一度やらせてください。次こそは割ってみせます」
「そこまでしなくて十分だから」
なんだか当初の目的と微妙に違う方向にいこうとしている気がした。
不満そうにするメルシアを宥め、俺は販売所の屋根に採光窓を取り付けるのだった。
一週間後。
俺、メルシア、ネーアをはじめとする従業員たちは朝の仕事を終えると農園カフェに集まっていた。
ダリオとシーレが作ってくれた農園カフェの料理を試食するためである。
「店内が明るくて綺麗ですね」
「うん、採光窓を設置したのは正解だったみたい」
店内には俺の作ったイスやテーブルが並んでおり、屋根に設置された採光窓から光が差し込んでいた。ナチュラルな木目調の壁の効果もあり、とても明るい雰囲気だ。
端には観葉植物が設置されており、内装もしっかりと整っている。
どこからどう見てもオシャレなカフェだ。
「おいら、プロの料理人の料理を食べるのは初めてなんだなー」
「わたくしたちの野菜がどんな風になるのでしょう?」
ダリオとシーレは高級レストランで働いていた料理人だけにロドス、ノーラたちの期待も高い。
プロの料理人なんてものは王族や貴族といった特権階級の者が囲い込んだり、多くの人が集まる都市部に集まるので辺境にはほとんどいない。皆がワクワクするのも当然だ。
「どんな料理が出てくるのか楽しみなのです!」
「――って、コニアさん、いつの間にやってきたんですか!? 今日定期売買の日じゃないですよね!?」
しれっと俺たちの隣に座っているコニアを見て、俺は目を剥いた。
「試食会があると聞いて、食べにやってきたのです!」
どうやら業務とは関係なく、料理を食べにきたらしい。
ワンダフル商会の数少ない幹部って聞いたけど、意外と暇なのかもしれない。
そもそもダリオとシーレを紹介してくれたのはコニアだ。まあ、試食会に混ざろうと問題はない。
獣王国の各地を渡り歩いている彼女の意見は参考になるだろう。
わいわいと雑談しながら大人しく席で待っていると、コック服を身に纏ったダリオとシーレがワゴンを押してやってきた。
「み、皆さま、本日はお忙しい中お集まりいただきありがとうございます!」
「本日試食していただく料理は、農園カフェで提供する予定のものでございます。是非とも忌憚ない意見をいただければと思います」
ガチガチに緊張した様子のダリオとは正反対に、シーレはかなり落ち着いている。
仕事モードなのか口調は崩さず非常に丁寧なものだ。
性格的な問題もあるが、単純に人前に出るのに慣れているのだろうな。
口上が終わると、ダリオがゆっくりとワゴンを押してこちらにやってきて料理を配膳してくれた。
「ロールキャベツのトマトソース煮、グラタン、オムレツ、春野菜たっぷりのパスタセットとなります」
俺の前にはメインとしてロールキャベツのトマトソース煮があり、他にはサラダ、コンソメスープ、パン、野菜ジュースといった豪華なラインナップになっていた。
メルシアにはグラタン、コニアはオムレツ、ネーアはパスタがメインとして君臨しており、俺と同じようにサラダなどがすべてに付いていた。
「どれもすごく美味しそうなのです!」
「さすがはプロの料理人。盛り付けがとても立体的で彩りも鮮やかです」
豪華さにコニアが喜び、メルシアは見た目の華やかに感心の声を漏らした。
俺たちが同じように料理を作ったとしても、こんなに綺麗な見た目にはならないだろうな。
「ねえ、これってもしかしてランチ!?」
「はい。こちらの四種類は農園カフェで提供するランチになります」
ネーアが尋ねると、ダリオがこくりと頷いた。
「では、食べましょうか」
これだけ美味しそうな料理を前にいつまでもお預けは酷というものだ。
皆、午前中の仕事を終えてお腹がペコペコだったからか反対されるわけもなく、俺たちは一斉に料理に手をつけた。
「こちらのグラタン、ジャガイモやブロッコリー、ニンジンなどの野菜がゴロゴロと入っていて美味しいですね」
「こっちのオムレツには小さく刻まれたタマネギ、ニンジン、キノコ、ひき肉だけじゃなく、チーズまで入っていて相性もバッチリなのです!」
「にゃー! パスタも美味しい! 大きなアスパラガスとベーコンがたまらないよ!」
メルシア、コニア、ネーアがそれぞれのメイン料理を食べて声をあげた。
そんな三人を尻目に、俺はロールキャベツをナイフで切り分ける。
キャベツを割ると、じんわりとしたキャベツと肉の旨みの汁がにじみ出た。
それをトマトソースに絡め、そのまま口へと運んだ。
キャベツの甘みと旨みが口の中でとろける。
「うん、ロールキャベツもとても美味しい! 特にキャベツの甘みと旨みが最高だ!」
じっくりと煮込まれたお陰でキャベツの甘みと旨みが増しているのだろう。
キャベツの層を突き破ると、中にあるジューシーな肉の塊が爆発。
丁寧に塩、胡椒、ハーブで味付けされたお肉はとてもジューシーだが、キャベツがしっかりとそれを受け止めている。
さらに全体の味を昇華させているのがトマトソースだ。程よい酸味がキャベツと肉の旨みをくどくさせることなく、口の中をスッキリとさせてくれる。
「ねえねえ、イサギさん。そっちのロールキャベツも分けてよ!」
「私も食べたいのです!」
「では、それぞれ交換しましょうか!」
せっかく四種類もあるのだから、全部味合わないと勿体ない。
俺たちはそれぞれのメイン料理を切り分けて、お互いに交換することにした。
メルシアから分けてもらったグラタンには、鶏肉、ナス、ジャガイモ、ブロッコリーといった大農園の野菜がたくさん入っていた。
食べてみると、ごろりとした野菜が口の中に入ってきて美味しい。
竃でじっくりと火を通しているからか野菜の甘みが強く、濃厚なチーズと絡み合う。
コニアのオムレツは食べてみると、中に小さく刻まれた野菜がたくさん入っている。
しかし、小さなサイズとは裏腹に野菜の存在感はとても大きい。旨みもさることながらカリッとした食感が面白い。
ネーアが分けてくれたパスタはアスパラガス、タマネギ、ベーコン、キャベツといった野菜が入っていた。
麺をすすると、野菜の旨みがギュッと詰まったソースと絡み合っていて美味しい。
茹でられた大きなアスパラガスはほろ苦いながらも甘さもしっかりとあって、塩っけの効いたベーコンととても合っている。
この組み合わせはパスタの隠れたメインと言っても過言じゃないほどだった。
「こんなに美味しい料理は初めてなんだなー!」
「困りましたね。これでは毎日通ってしまいそうです」
ロドス、ノーラ、といった他の従業員からも大好評だ。
これにはダリオとシーレも嬉しそうにしている。
「めちゃくちゃ美味えんだが、肝心の値段はどれくらいなんだ?」
「グラタンセットが銅貨六枚で、残りの三種類は銅貨五枚の予定です」
「安いな、おい!」
シーレの返答にリカルドが驚きの声をあげる。
これだけ豪華なランチだと銅貨八枚くらいはいくかと思ったが、ダリオとシーレは良心的な値段に落とし込んでくれたようだ。
「それで収支はとれているのです?」
厳しい問いかけをしたのはコニアだ。
普段はほんわかとした表情からは一転して、真面目な表情になっていた。
ワンダフル商会が手を貸している以上、甘い経営方針は許さないといった雰囲気が漂っている。
「大農園から直接仕入れることができるお陰で原価率がかなり低く、利益率が高いので問題はないかと。細かい数字を記した資料も用意しております」
そう言ってシーレが資料を渡してくれるが、飲食店の経営なんかしたことがない俺にとってはサッパリだ。
「村人たちの収入や流通している貨幣の量を考えると、これくらいが妥当なのです。よく調べているのです」
ふむ、商人であるコニアがそう言うのであれば、大きな問題はないのだろうな。
書類に目を通しているメルシアも特に口を挟む様子はないみたいだし。
「イサギさん、料理はいかがでしたか?」
「私たちの料理は農園カフェに相応しいものでしたでしょうか?」
ダリオとシーレが不安そうにしながら尋ねてくる。
恐らく、四種類のランチの全体的な評価を求めているのだろう。
「どれも美味しかったです! 大農園の野菜をたっぷりと使い、それぞれの良さを十分に生かしきっていました。ぜひ、これらを農園カフェの定番ランチに加えて、営業を始めてもらえればと思います」
「「ありがとうございます」」
そう評価を述べると、ダリオとシーレが嬉しそうに笑って頭を下げた。
二人が提供してくれた料理は、どれも素材の良さを生かそうという熱意を感じることができた。
その熱い心と食材に関する尊敬がある限り、二人の開発した料理が農園カフェのテーマにそぐわないということはあり得ないだろう。
これならいいお店になりそうだ。
農園カフェの正式な開店日を話し合いながら、俺はそう確信するのだった
試食会から一週間後。
販売所の一画にある農園カフェの営業が開始されることになった。
「ねえ、イサギさん。開店はまだかしら?」
「もう少々お待ちください」
先頭に立っているシエナを宥める。
販売所には農園カフェ目当てに大勢の村人が集まっており、シエナの後ろには大行列ができていた。
皆が目をキラキラとさせて、いまかいまかと開店を待っている様子。
販売所の開店に匹敵するほどの行列だ。特に感じるのが女性の多さだ。
いかに女性たちが農園カフェを求めていたのかわかるような女性比率だった。
ある程度、賑わうとは思っていたけど、ここまでとは思っていなかったな。
販売所の人気ぶりを鑑みて、販売所の店員に二名ほど応援として入ってもらったが、それでも追いつかない可能性が大きい。
「イサギ様、本日は私も接客に入ってもよろしいでしょうか?」
「うん、そうしてくれると助かるよ」
俺とメルシアは遠目から農園カフェの様子を観察するだけのつもりだったが、これだけお客が多いと手伝ってあげた方がよさそうだ。初日ということもあるし、万全の態勢で行こう。
店員たちと段取りの確認が終わると、メルシアはこちらに視線を向けてきた。
どうやら開店の準備は整ったらしい。
「大変お待たせいたしました! 農園カフェの開店です!」
「ようやくね。待ちくたびれちゃったわ」
それぞれの人数を確認すると、メルシアをはじめとする店員たちがお客をテーブルへと案内していく。
客入りの多さに厨房で作業をしていたダリオが見事に硬直し、シーレにしっかりしろとばかりに背中を叩かれていた。緊張してミスをしないか心配になったが、調理に入ってしまえば集中するので問題ないだろう。
お客たちがメニューを手に取り、わいわいと声をあげている。
どのランチにするか話し合っている姿がとても楽しそうだ。
やがて注文するべき料理が決まると、続々と手が上がってメルシアたちが注文を取りにいき、厨房へと伝えられた。
ランチで提供されるのは試食会で食べた四種類。
種類は多くないが、数を絞っているが故に素早く提供することができるのが大きな利点だ。
ダリオとシーレは素早く厨房を動き回ると、調理作業にとりかかる。
厨房の中でくるりくるりと入れ替わっているのに一度もぶつからず、次々と料理が完成していく様は一種のショーを見ているようだった。
これだけスムーズに動けるのは、同じレストランで働いていたが故に互いの呼吸がわかっているからだろう。
出来上がったランチは店員が次々と運んでいってお客の元へ届けられていく。
他の店員が片手に一つずつトレーを運んでいく中、メルシアは尻尾でもトレーを支えて三つのトレーを一度に配膳をしている。
「あんな風に尻尾でも運ぶことができるんだ」
「獣人だから誰でもできるってわけじゃないのよ? 尻尾を意図的に動かすっていうのは結構難しいし、鍛えにくいから」
「へー、そうなんですね」
思わず呟くと、席に座っていたシエナが答えてくれた。
同席している他のご婦人たちも同意するように頷く。
どうやら獣人だからといって誰でも自在に尻尾を動かせるわけではようではないようだ。
そういえば、シエナの尻尾もメルシアと同じで綺麗な黒い毛並みをしている。
コクロウやブラックウルフたちとは違う、ほっそりとしていてしなやかそうだ。
触ったことはないけど、どんな手触りなのか気になる。
「そんなに熱のこもった眼差しで見つめられると照れちゃうわ」
なんて考えていると、シエナがもじもじと恥じらうように言う。
「え!? ごめんなさい! 尻尾の話題が出てしまったので、つい」
もしかして、獣人にとって尻尾を凝視するのはマズかったりするのだろうか。
「お待たせいたしました。ロールキャベツのトマト煮定食です」
セクハラをしてしまったかもしれないと、あたふたとしているとメルシアがやってきてシエナへと配膳をした。彼女にしてはちょっと荒めに配膳だ。
「メルシア、配膳をする時はもっと丁寧にしないとダメよ」
「わかっています」
シエナの窘める言葉に淡々と返事すると、メルシアは他のお客には丁寧に配膳をした。
今の出来事で何か彼女が不機嫌になる要素があったのだろうか?
クスクスと笑うシエナには理由がわかるようだが、素直に尋ねていいものかの判断がつかない。
「うふふ、嫉妬しちゃって可愛いわね」
「お客さま、お皿をお下げいたしますね」
「ああ! ごめんなさい!」
シエナが半泣き気味になって謝ると、メルシアは溜飲が下がったようで満足したように去っていった。
「さて、料理が揃ったようだし、いただきましょう」
テーブルにランチが揃うと、シエナたちは早速と料理に口をつけた。
「……っ!? なにこれ! とっても美味しいじゃない!」
その反応は明らかに想定していた美味しさを上回っていたとわかるようなものだった。
「こっちのパスタも美味しいです!」
「こっちのグラタンもチーズと野菜の相性が抜群よ!」
シエナだけでなく、他の女性たちも口々にその美味しさに唸っているようだった。
他のテーブルでも料理の美味しさに感動する声があがっている。どのお客もダリオとシーレの作った料理に満足しているようだ。
よしよし、掴みはバッチリだ。
この調子でお客さんを捌いていけば、今日の営業は大成功と言えるだろう。
第一陣のお客が退店していき、第二陣、第三陣が入ってくる。
しかし、そこでランチの配膳ペースが遅くなったのがわかった。
不思議に思って厨房に声をかけてみる。
「調理ペースが遅くなりましたが何かありましたか?」
「すみません。予想以上の客入りにお皿の数が足りなくなってしまって……」
シンクに視線をやると、シーレが必死に汚れたお皿を洗っていた。
なるほど。調理担当のシーレが皿洗いに回ってしまったせいで、料理を作るペースが落ちてしまったようだ。
接客をしている店員に皿洗いを頼む方法もあるが、そちらを減らしてしまえば満足な接客ができなくなってしまう恐れがある。
錬金術で食器を作り出せばいいと思ったが、ダリオとシーレは料理に合わせた食器を用意して提供している。ヘタに違う種類の食器を用意しても、二人の作ってくれたランチのイメージを損ねてしまうだろう。
俺はマジックバッグから木材を取り出して錬金術を発動。
錬金術による変質で木材を人形にすると、動力部分に魔石をはめ込んでゴーレムを作成した。
「シーレさん、食器洗いは任せてください」
「ゴーレム?」
魔力を流して指示を出すと、シーレと交代する形でゴーレムがシンクの前に立つ。
俺の与えたスポンジと洗剤を手にすると、ゴーレムは汚れた皿を手に取って洗い始めた。
スポンジに洗剤を垂らし、軽く皿を撫でると水で流す。
「いや、さすがにそんなんじゃ汚れは落ちない――って、綺麗になってる!? なんで?」
雑にも見えるゴーレムの動きに眉をひそめていたシーレだが、すっかりと綺麗になったお皿を見て表情を驚きへと変えた。
「ゴーレムに持たせているスポンジと洗剤は、錬金術で作った特殊製ですから」
その洗剤は錬金術で洗浄力が極限まで高められたもの。
さらにもスポンジもワンダフル商会から仕入れた、海辺でとれる天然のスポンジを改良したものだ。通常のものよりも泡立ちや泡持ちも桁違い。この驚異的な組み合わせによって、どんな油汚れでも軽く撫でて水で流すだけで落ちてしまうのである。
「そして、洗い終わったお皿は錬金術で乾燥。これですぐに食器が使えますよ」
「……このスポンジと洗剤、すごく欲しいんだけど――って今はそんな場合じゃない! ありがとう。お皿の方はイサギさんにお任せる」
目を輝かせていたシーレだが、我に返ると急いで調理作業に戻った。
料理人の二人が調理に集中できるようになると、配膳スペースは元の速さへと戻った。
そのまま続けて食器をゴーレムに洗ってもらい、洗い終わったものを錬金術で乾燥させる作業を続ける。
皿洗いの速度が劇的に上がったお陰で、あっという間に溜まっていたお皿は消えた。
仕事がほとんどなくなると暇になり、俺もちょっとした接客や会計も手伝えるほど。
「美味しい料理を食べながらゆっくりと談笑ができるなんて夢みたいだわ。素敵なカフェを開いてくれてありがとうね、イサギさん」
会計をしていると、シエナをはじめとするお客からそんな声をかけられた。
急遽、農園カフェを作ることになって驚き、バタバタとしたが期待に応えられたようでよかった。
その後は営業も安定し、農園カフェ開店の初日は大成功だった。
農園カフェが開店して一週間。まだまだ開店したばかりということもあって、農園カフェは絶え間ない賑わいを見せているが、大きなトラブルもなく営業ができていた。
主な利用客はプルメニアの村人。家族や友人を誘ってランチにやってきたり、ふらりとお茶やジュースを飲みにくる人が多いようだ。
ここ最近は外からやってきた村人や旅人、行商人なんかを顔を出すようになって、村内だけでなく外の人からの評判も良いようだ。
ダリオとシーレの腕がいいのもあるが、自分の農園で穫れた食材が気に入ってもらえると嬉しいものだね。
「農園カフェは村に馴染んでるみたいだね。一応、聞くけど今のところ何か問題はある?」
尋ねると、メルシアが少し悩んだような素振りを見せ、口を開いた。
「強いて申し上げるなら、ネーアが農園カフェに入り浸りすぎて、ラグムントさんやノーラさんに連れ戻されることが多くなって困っていることくらいでしょうか?」
「……うん、平和で何よりだよ」
本当に小さな問題だった。
それだけ農園カフェの居心地が従業員にとってもいいということだろう。
度が過ぎれば、他の従業員やメルシアが注意するだろうし、わざわざ俺が注意するまでもないだろう。やるべきことさえこなしていれば、俺はそこまで文句を言うつもりはないし。
「とにかく、これで農園カフェに関する仕事は落ち着いたね」
「はい。これ以上はイサギ様がお手を煩わせる必要はないかと」
農園カフェの営業が軌道に乗ると、俺が深くかかわる必要はない。
俺はあくまで錬金術師であって料理人や経営者ではないのだ。農園カフェの経営については、ダリオとシーレの二人に任せよう。
そんなわけでここ最近バタバタしていた俺もようやく、本業である錬金術師の仕事に戻れるわけである。
「今日はどうされますか?」
「農園を回ったら、久しぶりに魔道具でも作ろうかなって。メルシアは?」
「私はイサギ様の家と工房の掃除をしようかと。お恥ずかしいことにここ最近はあまり家事の方にまで手が回り切っていませんでしたから」
などとメルシアは言っているが、俺の家と工房はとても綺麗なんだが。でも、それは俺がそう思うだけで、彼女からすれば納得できないらしい。
「わかった。それじゃあ、外に出てくるよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
互いのいつものスケジュールを確認すると、俺はメルシアに見送られて家を出ることにした。
靴を履いて外に出ると、強い太陽の光が差し込んでくる。
あまりの眩しさに俺は思わず目を細めてしまった。
「今日は暑いな」
ここ最近は比較的暖かい日が続いていたが、今日は暑いと思ってしまうほどの気温。
どうやらプルメニア村も本格的に夏を迎えつつあるようだ。
農園に入ると、ゴーレム馬に跨って移動。
畑にたどり着くと、作物の様子を見ながら必要に応じて錬金術で調整をする。
そんな風にして畑を移動していると、木陰でぐったりとしているネーアとロドスが見えた。
「二人とも大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないんだなー」
「今日、暑すぎ」
「ですよね。俺もここにくるだけで汗をたくさんかいちゃいました」
ロドスは大きなお腹を露わにして仰向けになっており、ネーアは熱を逃がすかのようにうつ伏せになっている。
今日の気温はほぼ夏といってもいいくらいだ。二人が暑さに参ってしまうのも無理はない。
「おい、この暑さは何とかならんのか」
俺も木陰で一休みしていると、足元にある影からコクロウが顔だけを出しながら言ってきた。
「コクロウは平気なんじゃないの?」
コクロウは影を操り、影へと移動できるシャドーウルフだ。影の中に入っていれば、暑さなんて感じないじゃないだろうか。
「ずっと影にいられるのであれば苦労はない」
素朴な疑問を投げかけると、コクロウは不機嫌そうに鼻を鳴らしながら答えた。
なにかしらの制約があるのは知っていたがやはりずっと影に潜っていられるほどの力はないようだ。
それでもこうやって影に潜って、暑さから避難できるのはズルいと思う。
にしても、こっちの夏がここまで暑いなんて思わなかった。
このままでは従業員が倒れるなんて可能性もある。これは早急に何とかしないといけないな。
「わかりました。俺がこの暑さを軽減できるように魔道具を作りましょう」
「ええ!? そんな便利な魔道具があるの!?」
俺の言葉を聞いて、ぐったりとしていたネーアが勢いよく上体を起こした。
「ええ、外での作業が快適とまでとはいかなくても、大分働きやすくなるとは思います」
「従業員だけでなく、俺たちも過ごしやすくなるような魔道具を作れ」
「わかっているよ。コクロウだけじゃなく、ブラックウルフたちも快適になるようなものを作るから」
「フン、ならいい」
コクロウとの関係はあくまで契約によるものだが、俺は彼らも立派な農園の仲間だと思っている。
従業員じゃないからといって、サポートを緩めるつもりはない。
「急いで魔道具を作りますので、今日はあまり無理をせず、しっかり休憩と水分をとるようにしてください」
「わかった! ありがとう、イサギさん!」
「よろしくお願いするんだな」
ネーア、ロドス、コクロウと別れると、調整作業を切り上げて工房に戻ることにした。
ゴーレム馬を停車させて工房に入ると、ちょうどメルシアが掃除をしていたらしく出迎えてくれた。
「いつもよりお戻りが早いですが、何かありましたか?」
通常、俺が農園のすべてを回るとなると、ゴーレムを使っても二時間ほどはかかる。
それよりも短い時間で帰ってきたことをメルシアが不思議に思うのは当然だ。
「今日はすごく暑かったから、これからのことを考えて、従業員のために涼をとれる魔道具を作ろうと思って」
「確かに夏は炎天下での作業が辛いでしょう」
「帝城での仕事が長かったものだから、つい暑さの対策を忘れていたよ」
「帝城の中には至るところに涼のとれる魔道具がありましたからね」
帝城は皇族が住んでいるだけでなく、数多の貴族といった権力者の集う場所だ。
宮廷錬金術師によって作成された魔道具が城内の至るところに設置され、年中が快適な気温に保てるようになっていた。
そんな場所で長年働いていたものだから、つい季節の変化による対応を失念してしまっていた。
仕事、同僚、上司には恵まれなかったものの、環境事態は立派なものだとしみじみと思う。
「そんなわけで今から涼をとるための魔道具を作るよ」
「かしこまりました。ですが、その前にまずはお召し物を着替えるべきかと。そのまま作業に入ってしまっては風邪を引いてしまいます」
メルシアに注意され、俺は自分の身体が汗だくになっていることを思い出した。
確かにこのまま乾くようなことになれば、体温が急激に奪われて風邪を引く可能性がある。
メルシアが衣装棚から取り出してくれたシャツを受け取ると、俺はその場で錬金術師のローブを脱ぎ、中にあるシャツを着替えた。
「お召し物は私が洗濯しておきます」
「ありがとう」
汗で湿っているにもかかわらず、メルシアは嫌がることなく俺のローブとシャツを回収して部屋から出ていった。
新しいシャツに着替えると、とてもスッキリとして気分がいい。
メルシアの言う通り、作業にとりかかる前に着替えてよかった。
「さて、魔道具を作るとしようか」
俺はマジックバッグから魔道具に必要な素材や魔石を次々と取り出していく。
が、ちょうどいい魔石がないことに気付く。
大魔石や中魔石はあっても、小魔石が無かったな。
「使い勝手がいいから、つい使っちゃうんだよね」
とはいっても、マジックバッグの中に入ってないだけで、工房の素材保管庫にはある。
魔石については定期売買でワンダフル商会から仕入れているからね。
保管庫に向かうために部屋を出ると、廊下にはメルシアがいた。
「あ、ごめん」
「い、いえ、こちらこそ申し訳ありません」
まだ扉の傍にいるとは思っていなかったので謝ると、彼女も慌てたようにして一歩下がった。
そんな彼女はなぜか俺が先ほど渡した宮廷錬金術師のローブを羽織っていた。
洗濯に出したはずのものをどうして彼女が羽織っているんだろう?
「これはイサギ様のローブにほつれなどがないか確認していただけです」
「……そ、そうなんだ。わざわざありがとう」
ほつれがないか確かめるために、わざわざ自分で羽織る必要があるかと言われると疑問なのだが、冷静な口調で言われると反論はできない。
でも、やっぱり自分の汗が染みついたローブを羽織られるというのは、ちょっと恥ずかしいな。
メルシアは鼻が利くし、臭いとか思われていないか心配だ。
そんな返答が怖いので、俺は特に追及することなくそのまま保管庫に向かった。
保管庫にはきちんと仕入れたばかりの各属性の小魔石が並んでおり、それらをマジックバッグに入れた。
保管庫から廊下に戻ると、メルシアは他の洗濯物の回収にでも行ったのかいなくなっていた。
まあ、変に気にするのはやめておこう。
思考を切り替えると、俺は工房に戻って魔道具作りを開始することにした。
今回作る魔道具は三種類だ。
冷風を生み出す魔道具と、水霧を散布する魔道具、それとコクロウたち用の小型送風機である。
後者は別として、前者の二つは帝城によくある魔道具で、宮廷錬金術師時代に何個も作らされた覚えがある。そんな経験もあって設計図と睨めっこする必要もなく、息を吸うように作ることができる。
まずは冷風を生み出す魔道具だ。
プラチニウムに魔力を流して、錬金術で直方体へと加工。
簡単な土台ができると、中に氷と風の小魔石を設置する。
それぞれが魔石反発を受けないように魔力回路を繋げると、冷気と風を噴出するための管を作って上部へ繋げる。
出口となる噴出口はプラチニウムを変形させることで作った。
試しに魔力を流してみると、氷魔石から冷気が発生し、風魔石から風が発生。
冷気と風が混ざり合い、管を通って噴出口から冷風が噴射された。
「……冷たくて気持ちいい風だ」
俺の家や工房だけでなく販売所、農園カフェといった室内であれば、強い効果を発揮して快適に過ごすことができるだろう。
この冷風を浴びると帝城での生活を思い出す。
夏場ではこれが何百台と設置されていたせいで、場所によっては冬のように冷えている場所もあったっけ。
そんなことにならないように、うちでは皆の意見を聞きながらしっかりと温度管理をしよう。使い方を誤って、不便になっていては本末転倒だからね。
冷風の魔道具が出来上がると、次は水霧の魔道具だ。
プラチニウムを加工して作ったタンクの中に水魔石と風魔石を設置。
水魔石からは水源となる水を、風魔石からは噴射させるための圧力がかかるように調整。
源が完成すると、ワームの皮を錬金術で加工してチューブ状にすると、プラチニウムを加工して作ったノズルを等間隔で取り付けた。
チューブの一つ目のノズルには排水コネクターを接続しておく。
これはチューブ内で水が溜まらないようにするためのパーツだ。水源として井戸から水を汲み上げておらず、別の魔道具を接続しているわけでもないので絶対に必要ではないが、これがあるだけで定期的なメンテナンス期間を大幅に伸ばせるので俺は付けることにしている。
あとはレバーで水圧調整やノズルの開閉ができるようにし、タンクと接続してやれば完成だ。
タンクに魔力を流すと、水魔石から供給された水がチューブへと流れていく。
レバーを閉めていくと風魔石により発生した圧力が増していき、チューブ内からノズルへと勢いよく出ていく。
すると、小さく加工されたノズルの先端からは霧状の水が周囲に噴射された。
「うん、ちょうどいい霧具合! 近くにいてもほとんど濡れないしバッチリだ」
水霧の中にいるにもかかわらず、俺の衣服や室内にある家具などが湿った様子はない。
細かな水の粒子であるが故に気化しているからだ。
これにより水を噴射しているのに一切濡れることはなく、周囲を涼しくすることができる。
これが水霧の魔道具の素晴らしさだ。
家の庭で使うもよし、農園での屋外作業なんかに使うといいだろう。ややその日の気温や乾燥具合によって効果が左右する面もあるが、屋外で使いやすいのがメリットだ。
ただ気化した蒸気が室内に溜まり、湿度が高くなってしまうデメリットがある。
湿度が上がり過ぎると、内部で気化できずに水滴が付着してしまう恐れがあるので室内で使う時は適度な喚起が必須だな。
水霧の魔道具が出来上がると、次は送風の魔道具だ。
こちらは他の魔道具に比べると、造りはかなり単純だ。
プラチニウムを加工して小型の三枚の羽根を作ると、スピンナー、締め付けリングを作成し、ガードリングで覆う。それを二つ作ってしまうと、コクロウやブラックウルフたちの身体に装着できるように支柱を湾曲させてベルトを作る。
支柱の内部に動力源となる無属性魔石を設置すれば完成だ。
魔力を流すと、二つの三枚羽根が勢いよく回転して風を噴射する。
羽根の回転する音もうるさくないし、十分な涼しさを得られる。
「うん、これなら問題ないだろう」
ただ他のブラックウルフの分を考えると、かなりの数を生産しないといけない。
それが大変だけど、暑い中でも警護してくれていることの方がもっと大変だ。
ブラックウルフたちのためにも頑張って作ろう。
●
翌日。魔道具をすべて完成させた俺は、早朝からメルシアを伴って販売所にやってきた。
今日も日差しが強く、気温もかなり高い。
昨日の気温は太陽の気まぐれなどではなく、本格的な夏の到来を実感させるものだった。
早めに魔道具を作っておいたよかった。
「まずは入り口に設置しようか」
「はい」
マジックバッグから水霧の魔道具を取り出すと、俺とメルシアは設置作業に入る。
邪魔にならない裏口にタンクを置くと、そこからチューブを伸ばして入り口の屋根になっている上部へと設置。
こういった魔道具の設置作業は帝城でもよくやっていたので手慣れたものだ。
「よし、早速動かして――」
「イサギ様、ちょうどいい実験体がやってきました」
メルシアに肩を突かれて振り返ると、販売所に向かって歩いてくるネーアが見えた。
農園に向かう前に更衣室で着替え、今日の仕事を確認しにきたのだろう。
ネーアはこちらに気付いた様子はない。
「わかった。彼女に体験してもらおう」
俺とメルシアはクスクスと笑うと、即座に裏に回って身を隠す。
すると、ネーアが販売所に入ろうとして入り口に近づいてくる。
彼女が水霧の魔道具の存在に気付くことはない。
魔道具は入り口の上部にチューブを通して目立たないように設置している。
気付かないのも無理はない。
吹き出しそうになるのを堪え、俺はネーアが入り口をくぐろうとしたタイミングでタンクに魔力を流した。
タンクから供給された水がチューブを通っていき、入り口にいるネーアへと水霧が噴射される。
「にゃー!?」
突然の水霧にネーアが驚きの声をあげ、飛び跳ねるように後ろに下がった。
「なんか急に水が噴き出したんだけど!?」
「あはははは!」
「ふっ、ふふふ」
ネーアの反応が面白く、思わず笑い声をあげてしまった。
堪え切れなかったのは俺だけじゃなかったらしく、隣で息を潜めていたメルシアも笑っていた。
「にゃー! 二人の仕業だね!」
当然、このタイミングで笑い声をあげれば、誰が犯人かはわかるわけで、警戒した猫のように耳と尻尾を逆立てたネーアがやってくる。
「新しく作った魔道具の感想を聞きたかったんです」
「普通に見せてくれればいいじゃん! あんな風に急に水がブシャーって噴き出してきたら驚くよ!」
「そこはネーアの驚く反応が見たかったので」
「にゃー」
メルシアの堂々とした悪戯心の吐露に、ネーアは毒気を抜かれてしまったようで呆れた顔になった。
「で、開発した魔道具って言ってたけど、これはなんなの?」
「昨日言っていた涼をとるための魔道具です。こうやって水を霧状にして噴射することで、周囲の気温を下げることができます」
「これが涼しいことは理解できるけど、こんな風に水を撒いたら店の前がビチャビチャになるんじゃ――あれ? なってないね?」
ネーアが視線を落としながら言うが、木製の床はまったく濡れた様子がない。
触れてみても湿気すら感じないだろう。
「細かい水の粒子なので、地面に到達する前に気化するんです」
「き、気化?」
メルシアの解説を聞いて、ネーアが小首を傾げた。
こういった専門用語は研究者や錬金術師などの一部の者にしか伝わらないので仕方がない。
「消えてなくなってしまうことです。ネーアの懸念しているようなことにはなりませんし、衣服が濡れるようなこともありませんよ」
「本当だ。ずっと下にいるけど、服や肌が濡れたりしない! 冷たくて気持ちいいー!」
ネーアが両手を広げて思いっきり水霧を浴びながらはしゃいだ。
これだけ喜んでくれると、こちらとしても作った甲斐があるというものだ。