「ハハハ、久しぶりにいい運動になったぞ! コクロウとやら!」
「…………」
爽快そうな顔で告げるライオネルとは正反対に、コクロウはすっかり疲労困憊といった様子だった。
いつも澄ました様子で農園を闊歩しているだけに、これほどまでに疲弊しているコクロウを見るのは新鮮だ。
「コクロウ、大丈夫か?」
「心配しているフリをしながら撫でるな」
バテてしまっている今ならイケるんじゃないかと思ったがダメだった。
俺の撫でようとした手が尻尾に阻まれる。
そんなやり取りをしていると、ライオネルがコクロウの元に歩み寄る。
「そなたの影移動はとにかく便利だが、だからこそ能力に頼りすぎるきらいがある。接近戦についても能力ありきなせいか、実にお粗末だ。能力だけに頼らず、基本的な戦い方を学び直すことだな」
「……次は殺す」
ライオネルが助言に対して、コクロウは有難がることもなく、物騒な言葉を残して影に沈んでいった。
これ以上ライオネルに突っかかるのはやめたようだ。
「すみません、捻くれた奴で」
「上位個体になる奴は得てしてああいう性格をしているものだ」
そういうものなのか。コクロウ以外の上位個体に会ったことがないので、俺にはわからないがああいうのがたくさんいると色々な意味で苦労しそうだな。
「素晴らしい農園だけに警備が心配だったが、頼りになる者が守っているではないか」
「ライオネル様にコテンパンにされていましたけど」
「それは仕方ない。俺は強いからな!」
腕を組んで豪快に笑うライオネル。
これだけハッキリと言われると、まるで嫌みに感じないものだ。聞いていて妙な清々しさを覚える。
「野菜畑以外のところも回ってみたいのだが案内してくれるか?」
「わかりました。他の区画にも案内いたしましょう」
●
「いやー、イサギの経営する農園は素晴らしいな! 特に果物が素晴らしい! あれはもう別物だ! とにかく美味い!」
薬草園、小麦畑、果物畑などの案内を終えると、ライオネルは実に満足そうな表情で語った。
彼が特に気に入ったのは果物畑で栽培されている果物だ。
それがとにかく気に入ったようで食べてからというもの、ずっと果物の感想を述べてくれていた。
「ありがとうございます」
「よければ、お土産として包みましょうか?」
「そうしてくれると助かる! これだけ美味しいものを俺だけ食べて帰ってきたとあっては妻や娘たちに怒られてしまうからな」
メルシアが気を利かせて提案すると、ライオネルは殊更に喜んだ。
獣王は愛妻家であり、子煩悩であるようだ。
こうやって家族のことを考える一面を見ると、王とはいえ彼も普通の獣人なんだな。
「陛下、そろそろ本題の方を……」
「わかっている、ケビン」
しみじみとした感想を抱いていると、ずっとライオネルに付き添っていた初老の獣人が声をかけた。
やはり、視察にきたのとは別の大きな目的があってやってきたのだろう。
なんとなくそのことについては察していたので特に戸惑うようなことはない。
ライオネルは咳払いすると、表情を引き締め、厳かな口調で語りかける。
「イサギ、今年は農作物が凶作だということは知っているか?」
「つい先ほど知ったばかりですが存じております。具体的にどれほどの規模かまでは存じ上げておりませんが……」
「実はそれは一部の地域だけでなく、獣王国各地で起こり始めている」
想像しているよりもずっと広範囲で凶作が起こっていることに驚いた。
国を統治しているライオネルが言うことなので、国全体というのは確かなのだろう。
「それが確定された未来なのかは精査中だが、かなり確率は高い。国を治める王として民を救うために打てるべき手は打っておきたいのだ。イサギ、申し訳ないが国民に作物を分配するために我らに作物を売ってくれないだろうか?」
ライオネルが頭を深く下げて頼み込んでくる。
まさかの頼み事と一国の王が、たかだか平民に頭を下げることに俺は驚いた。
「陛下、頭をお上げください! 国王が平民に頭を下げるなど、あってはならないことです! 国王としての威厳が落ちます!」
「国王としての威厳がなんだ! ふんぞり返って食料をよこせと要求するのなんて俺はしたくない!」
宰相のケビンが注意するが、ライオネルは腕を組んでプイッと顔をそむけた。
断固拒否といった態度のライオネルにケビンは大きくため息を吐いた。
自由に振舞う国王と、それに振り回される真面目な臣下といった関係性だろう。
「どうだろうか、イサギ?」
ライオネルが改めて尋ねてくる。その表情は真剣そのものだ。
一国の王として、民のことを考え、救うための手立てを打ちたいという彼の想いがヒシヒシと伝わってくる。
民を切り捨て、自分たちの利益や名声ばかりが考えている帝国の上層部とはまるで違った。
通常なら国王ほど権威ある立場であれば、国を守るために徴収するということもできるはずだ。帝国ならきっとそうするだろう。
しかし、獣王国の国王であるライオネルはそんなことはせず、平民である俺の元にわざわざ足を運んで買い取らせてほしいと頼み込んできてくれた。一方的に自分たちの都合を押し付けず、きちんとこちらに配慮をした上で。
真摯な態度を見せられれば、こちらもそれに応えたくなるというものだ。
「いいですよ。うちの農園の作物で多くの人々を救えるのであれば、喜んでお力になりましょう」
「本当か! 恩に着る!」
返事をすると、ライオネルは喜びと安堵の混ざった笑みを浮かべて頭を下げた。
プルメニア村に住んでいる以上、俺も獣王国に所属する人間だ。
別に獣王国には恨みなどまるでないし、協力しない理由もない。
農園の生産量は常に右肩上がり。優先してライオネルたちに供給するにはまったく問題がなかった。
「メルシア、現段階でどれだけの量の生産できているか、継続してどのくらい量を輸出できるかライオネル様に教えて差し上げてくれ」
「かしこまりました」
細かい農園の数字はメルシアの方が把握しているので、細かいところを詰めるのであれば彼女に任せるのが一番だ。
メルシアがライオネルと話しをする中、俺はそこに加わろうとしていたケビンを呼び止める。
「ケビンさん、少しよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「獣王国全体の大まかな土質とかって把握されていますか?」
「隅々まで把握しているとは言えませんが、それぞれの大まかなものであれば」
「その中で比較的多い土質の特徴を教えてもらえませんか?」
「なんのためにかお聞きしても? 立場上、なんの意味もなく情報をお教えするわけにはまいりませんので」
「作物を売り渡すだけでは、もしもの際に備えることが難しいと思い、うちの同じように品種改良した作物を直接お渡ししたいと思いまして」
「それは願ってもないことですがいいのですか? 品種改良した作物を引き渡すということは農園の優位性と利益を大きく低下させることになりますが……」
本当にいいのか? といった表情をしているケビン。
賢く立ち回るのであれば、彼が指摘するように需要が高まっている時に値段を釣り上げ、売りつけることで利益を得るべきだろう。
だけど、俺は農業で荒稼ぎをしたいわけでもない。
「そうかもしれませんが、私はそんなことよりも飢えに苦しんでいる人々を救いたいのです。元々は孤児だったので、お腹を空かせる苦しみは痛いほどわかるので……」
「イサギさんの善意に心から感謝いたします。私の知識でお力になれるのであれば、お教えいたしましょう」
そのように伝えると、ケビンは獣王国各地の土質を教えてくれる。
どうやら獣王国の大部分は多雨であり、よその国などに比べて二倍から三倍ほどの雨が降るようだ。
プルメニア村ではそこまで雨は降らないが、それはこの辺りの土地の特徴であり、獣王国からすると例外な場所のようだ。
まあ、国全体がここまで痩せた土地だと、そもそも生活ができないだろうから納得だ。
その他にも土の栄養の多さや、気候、育てられている作物の種類など、ケビンは丁寧に教えてくれた。
「ありがとうございます。ちょっと工房で調整をしてきます」
「そんなにすぐにできるものなのですか?」
「少しでも早く安定して作物を供給できるようにしたいんで!」
ケビンが懸念するようにすぐにできるかはわからない。
だけど、プルメニア村にやってきて、俺も伊達に品種改良を繰り返していない。
帝都で研究していた時よりも多く改良を加えているし、知識も遥かに増えている。
実際に訪れたことのない土地に合わせて調整をするのは至難の業だが、今の俺ならばできるような気がした。
獣王国全体で凶作が起こっており、人々が困窮する未来が近づいているんだ。ゆっくりとなんてしていられない。
いても立ってもいられなくなった俺は、ゴーレム馬を走らせて工房へと向かった。
工房に戻ると、早速と俺はマジックバッグから品種改良に必要な素材を取り出す。
選定する作物はジャガイモ。どれだけ荒れ果てた土地や気候でも力強く育つからな。
ベースとするのはプルメニア村で育つように品種改良させたもの。
とはいえ、これはここで育つように調整されたもので、ケビンが教えてくれた他の土地で育てるには適していないので、改良した部分はそのままに調整する必要があるだろう。
道筋を口にするのは簡単だが、酷く道筋が険しい。
プルメニア村で育つように改良を加えた、このジャガイモですら繊細な積み木を積み上げて完成されたものだ。単純に今の利点をそのままに、微調整すればできるというわけではない。
ひとつの因子を抜けば、他の因子が嚙み合わなくなってしまうことがザラに起こってしまうだろう。
通常は育てたい土地の土を利用し、何度も栽培実験を行ってから調整を繰り返すものだ。
それにケビンから聞いた土質は、プルメニア村や帝国の土質とまるで共通点がなかった。
今までやってきたデータはまるで当てにならない。
「だけど、ここで作ってきた多くの経験が俺にはある」
データ上の数値は参考にできなくとも、この村にやってきて何十種類もの作物に改良を加えてきた経験が俺にはある。
それは帝城での仕事に忙殺されながらやっていた研究とは数も質も段違い。
それにケビンが各地の土質をかなり詳細に教えてくれた。
宰相としての蓄えたケビンの知識はかなり豊富なもので、聞いただけでその土地の土質がイメージできるほど。
帝国にいた頃の俺ならば、多大な時間がかかったであろうが、いくつもの経験を得てきた今の俺ならきっとやれるはずだ。
そう自分に言い聞かせると俺は錬金術を発動し、ジャガイモの品種改良に取り組んだ。