イサギがミレーヌの町で農園の果物を売っている頃――
ガリウスは、ウェイス第一皇子の私室に訪れていた。
以前、イサギを辞めさせたことをウェイスから叱責され、イサギが担うはずだった食料生産の代案を提出するためである。
ガリウスの提出した書類にウェイスはじっくりと目を通す。
読み込んだウェイスは、書類を放り投げるようにテーブルの上に戻した。
「どれも食料生産の一助になるであろうが、イサギの研究に比べると効果が低すぎる。もっと劇的に効果の出るものを出せ」
これでも宮廷錬金術師を総動員させて提出した食料生産の改善案だ。
それがイサギの研究よりも劣るという評価を受けるのは屈辱に他ならなかった。
これ以上の良案などすぐに出るとは思えない。だが、未来の皇帝を前にそのような言い訳が許されるはずがなかった。
「……かしこまりました」
ガリウスは込み上げてくる感情を堪え、冷静にテーブルの上に残った書類を回収した。
そこで突然、私室の扉がノックされる。
「お話中のところ大変申し訳ありません! ガリウス様に至急ご確認して頂きたいことがあるのですが……」
「後にしろ。今はウェイス様とお話をしている最中だ」
「いや、入れ。私の部屋に訪れてくるほど急ぐ必要のある報告なのだろう?」
ウェイスがそのように言うと、ガリウスの部下はおそるおそるといった様子で入室した。
いくらガリウスが上司とはいえ、それよりもさらに上に位置する上司の命令の方が優先されるのは当然だ。
「それで至急相談する必要のある要件とは?」
その言葉の意味するところは、ガリウスやウェイスの時間を取るに値にする内容なのだろうなというところだろう。
圧をかけられて顔色を青くする部下であるが、既に引き下がることはできない。
ガリウスの部下は相談内容を包み隠さずに伝えることにした。
「錬金課に魔道具やアイテムなどの修繕依頼が届いておりますが、それらの作業が滞っているために各課から催促の声が届いております。既に行われた修繕依頼も依頼者側から満足がいかない出来栄えなのかクレームがきている始末でして……いかがなさいましょうガリウス様?」
「なんだと? 今までそんなことはなかっただろう? なぜそのような事態が起こっている?」
「魔道具やアイテムの修繕に関しては、ガリウス様のご命令でイサギに任せていたので……」
「他の者に少量のノルマを課して回しているだろう。それで問題なく回るはずだ」
「恐れながら錬金課に依頼される修繕数は膨大です。とても我々だけでこなせる数ではありません。それに修繕はイサギが一手に引き受けていたが故に、今の宮廷錬金術師には修繕の経験が致命的に足りないのです」
ガリウスはイサギが気に入らないことや平民であることを理由に、様々な修繕依頼をイサギ一人にやらせていた。それは勤務時間外であってもだ。
今までの修繕依頼はガリウスの理不尽な要求に、イサギが答えていたからこそ実現できたもの。
他の宮廷錬金術師は皆貴族だ。いくらガリウスといえど、イサギにしてきたように無茶な割り振りはできない。そんなことをすれば、猛反発を食らうからだ。
イサギのワンマンパワーに頼り切りだった今の錬金課が、以前までと同じ量の修繕依頼に応えられるはずがなかった。
「どうやらイサギがいなくなったことで食料生産の政策だけでなく、他の業務にも支障が出ているようだな? ガリウス? こうなると益々イサギを辞めさせた判断は間違っていたことになる。代案を出すよりもイサギを連れ戻す方が早いのではないか?」
「……もうしばらく、良案を出すための時間をくださいませ」
ウェイスからの非難の言葉を受けたガリウスは、またも屈辱に身を震わせた。
「すみません、イサギさん。外からやってきた商人が作物を買いたいっておっしゃっています」
「またか」
工房で研究をしていると、玄関までやってきたノーラが声を上げた。
ミレーヌの自由市で果物を売ってからうちの農園の噂が急速に広まり、多くの村人や商人がプルメニア村に訪れるようになった。
「メルシアはどうしたんです?」
農園のことはメルシアに丸投げしている。
今では彼女の方が全体の状況を把握しているので、俺に頼るより彼女を頼った方が確実だ。
「薬草園の確認に行ってるらしく、すぐに捕まらない様子でして……」
申し訳なさそうに耳をへにゃりとさせるノーラ。
兎の獣人なせいか妙な庇護欲のようなものがそそられる気がした。
「なるほど。なら、俺が対応するしかないね」
個人的な売買であれば、メルシアの定めてくれた価格表に従って従業員が対応することが可能だ。
しかし、商人ともなると村人や行商人とは規模が段違いだ。
そこに交渉も加わってくると従業員だけで対処するには荷が重い。
従って、俺やメルシアのような農園の状態を大まかに把握しているか、肩書きのある者が対応する必要があるだろう。
「すみません、ただいま戻りました。商人の件は私が対応しますので」
作業を中断して出ていこうとすると、ちょうどメルシアが戻ってきた。
他の従業員から聞いたのか、急いで戻ってきたらしい。
「わかった。それならメルシアに任せるよ」
頷くと、メルシアはホッとした様子ですぐに外に向かっていった。
「うーん、外からお客さんが買いにきてくれるのは嬉しいけど、俺やメルシアが度々対応しなくちゃいけないのは問題だな」
農園を作ったのは俺が錬金術の仕事に専念するためだ。それなのに俺がこうして呼び出されていては意味がない。
なんとかしたいとは思うが良案が思いつかない。
こういった時は現場で働いている者に実際に聞いてみるのが一番か。
幸いにして目の前にいるのは従業員の中でも比較的理知的なノーラだ。いい意見が出てくるかもしれない。
「どうすれば、作物を購入しにきた客の対応が楽になると思います?」
「きちんとした販売所を作るっていうのはどう?」
尋ねてみると、ノーラは少し考えた後に述べた。
「うちの農園って外部からのお客さんを受け入れる場所がないじゃないですか? ですから、作物を買おうにもどこで買えるかわからず、とりあえずイサギさんやメルシアさんに声をかけるんだと思います。きちんと販売所があって作物が並んでいれば、お客さんもそこで買えるとわかるのではないでしょうか?」
「確かにそれもそうですね」
うちの農園では特に販売所のようなものを作っていない。それは外部から客が買いにくることを想定していなかったからだ。
しかし、実際には作物が評判になって遠方からわざわざ買いにくる人たちが出る始末。
ノーラの言う通り、きちんと外部からの客を受け入れるための場所を作るべきかもしれない。
きちんとした販売所があれば、お客もそっちに向かうだろうし、大まかなルールさえ設けておけば従業員でも売買の対応ができるだろう。
今回のような商人の急な来訪があってもメルシアがすぐに対応できなくても、応接室のような場所で待機してもらえれば済む話だ。
「よし、メルシアと相談して売り場を作ってみるよ」
「作る時は従業員の休憩スペースや着替え室なんかも作ってくれると助かります」
農園もかなり広くなったし、これからの季節はドンドンと暑さが厳しさを増していく。
彼女の要望通り、ただの売り場とだけ機能する施設ではなく、従業員も活用できる仕組みだと労働効率がアップしそうだな。
「わかった。作る際は取り入れてみるよ」
「あと、販売所での対応や事務処理なんかは私に任せていただけると嬉しいです!」
ずいっとこちらに身を乗り出しながら言ってくるノーラ。
付け加えるように言っているが、彼女の本命はこちらと言わんばかりの様子。
元々、実家でも事務作業を手伝っていただけでなく、計算なども得意だ。
肉体労働にあまり得意ではないので、こういった役割に付きたいのだろう。
「貴重な提案をしてくださりましたし、その際はノーラさんを推薦してみます」
「ありがとうございます!」
そう伝えると、ノーラは深く頭を下げ、軽快な足取りで仕事に戻っていった。
それと入れ替わるようにしてメルシアが戻ってくる。
「ただいま戻りました」
「お帰り。商人との交渉は無事に済んだ?」
「交渉の方は特に問題もなく」
「んん? それ以外に何か問題があるのかい?」
メルシアの含みのある言い方に引っかかりを覚えた俺は尋ねてみる。
「はい。先ほどの商人から聞いたのですが、どうやらあちこちで凶作が続いているようです。うちの作物が美味しいという評判以外にも、豊作なところから作物を買い上げる動きが商人の中では活発化しているのだとか」
凶作というと、長雨や日照不足、冷夏などにより成長に適する環境が続かなかった。
自然災害などに見舞われた。
害虫や細菌などの影響を受けて育てることができなかった。
などの要因によって著しく作物の生産が落ち込んだ状態のことだ。
「凶作ってそんな雰囲気あった?」
プルメニア村でいつも通り過ごしていたが、そんな空気は微塵も感じたことがない。
「プルメニア村で育てている作物のほとんどはイサギ様が品種改良を施したものであり、それに加えて良質な肥料があるので何も影響を受けなかったのだと思います」
「あっ、冷静に考えればそれもそうか。そうならないように改良したんだし」
日照不足、乾燥、湿気、虫害、病害なんのそのというコンセプトで品種改良を加えているんだ。ちょっとやそっとの悪環境に見舞われても、俺の作物が安定して育つのは当然のことだった。
道理でうちの村では凶作なんてキーワードを耳にしないはずだ。
「凶作が広い範囲で起こりますと作物が市場に出回らなくなってしまい、需要が供給を上回ることで価格が上昇します。目端の利く商人は、今後もうちの農園の噂を聞きつけて買い付けにくることが増えるでしょう」
凶作によって今後も外からの買い付けが増えるのであれば、なおのこと販売所の設置は急がれるべきだろう。
「なるほど。その件も少し関係することなんだけど、少し相談があるんだ」
「なんでしょう?」
俺は先ほどノーラに提案された販売所の設置についてメルシアに相談してみる。
「とても良いと思います」
結果としてメルシアも大賛成のようだった。
メルシアが即決するということは、彼女もどう対処するか困っていたことなのだろう。
早急に手を打つことができて良かった。
「ただ、作るとなるとイサギ様の大きなご負担になってしまいますが……」
「大丈夫。錬金術を使えばすぐに作れるから。農園に必要なことなら手を貸すから、気楽に頼ってくれていいよ」
「ありがとうございます」
メルシアの許可も下りたことなので、俺は早速販売所の建設に着手することにした。
まずは大まかに設計図を書く。
建物は一階建てにしよう。
農園の作物を売るだけでなく、その場で食べて一休みできるようなスペースもあるとなおいい。ミレーヌでやった時のようにジュースも売ってもいいだろう。
外部からのお客だけでなく、村人たちの憩いの場の一つになってくれると嬉しい。
奥には作物を保管する倉庫や冷暗所を設置し、従業員たちの事務室や休憩室を作る。
従業員は現状五名だが、販売所を作るに当たって増員する必要があるだろう。
現場からも増員を望む声が上がっているし、事務室や休憩室は余裕を持った造りにしておこう。
あとは要望のあった着替え室や給湯室、トイレなんかの細々とした必需施設を追加していくと、大まかに販売所の設計図が完成した。微妙に食い違ったところがあっても土地は余っているし、錬金術でどうとでも調整できるので問題ないだろう。
設計図が出来上がったところで場所の選定に移る。
人を招き入れる場所であれば、農園内よりも外が望ましい。
作物を育てている場所に部外者を無暗に入れるのは防犯的にも衛生的にも機密的にも良いことじゃないからな。そんなわけで販売所の立地は農園の外となる。
農園の外になると、それほど場所の指定に困らない。
家や工房から少し離れた道に面している平地に建てることに決めた。
ロープを敷いて販売所の面積、おおまかなスペースの区切りをつけると、マジックバッグから建築に必要な木材や鉄材なんかを取り出す。
レピテーションで建築材をドンドンと積み上げると、錬金術で変質、加工させて接合させていく。
それをひたすらに繰り返すと、小一時間も経過しないうちに立派な販売所が出来上がった。
「うわー! 遠目に見てたけど、もう完成したんだ!」
「相談したのはつい先ほどですのに凄まじいですね」
「オレたちの事務室や休憩所もあるんだよな!?」
完成した販売所を見上げて満足していると、すぐ後ろからネーア、ノーラ、リカルドをはじめとする従業員たちが勢ぞろいしていた。
販売所が出来上がったので見にきてくれたらしい。
「ねえねえ、中を見てもいい!?」
「どうぞ」
興奮した様子のネーアの言葉に頷くと、従業員たちはぞろぞろと販売所に入っていった。
「イサギ様、お疲れ様です。タオルとお水です」
「ありがとう」
メルシアが差し出してくれたタオルで汗を拭うと、水分補給をする。
ただの水ではなく、レモン水のようだ。
レモンの爽やかな酸味が心地よい。汗をかいた体内に染み込むようだった。
「ふう、俺たちも中を確認しようか」
「はい」
小休止が終わると、俺とメルシアも販売所の中へ。
販売所の床は綺麗な木材となっており、壁は清潔感を演出するために漆喰を使用してみた。
そのままでは寂しいので、木材を加工して陳列棚をいくつも並べてみる。
「イサギさんが棚を作ってる!」
「販売所の雰囲気がとても出てきたんだな」
ちょっとした小道具を作る度に、従業員たちが喜んでくれて嬉しい。
天井は高く、三角屋根の形に添うようにカーブを描いている。
上部には窓ガラスを取り付けており、暖かな光が店内を照らしてくれる。
「この辺りが心地いいから休憩所にしちゃおう」
錬金術を使って、日光が当たる部分にイスやテーブルを配置していく。
すると、早速ネーアが日当たりのいいイスに座った。
「あたし、もうここから動きたくない。ずっとここにいる」
テーブルに突っ伏して心地よさそうな顔をするネーア。
まるで日向ぼっこをしている野良猫のようだった。
心地よさそうにしているネーアを横目に、新鮮な果物をカットしたり、ジュースを提供するためのカウンターを設置。ミレーヌの自由市で屋台をやったので、どのくらいのスペースが必要か参考になったので何事も経験だな。
これなら農園の作物を味わってもらうことができる。
販売所がもっと人気になったら休憩所を拡大して、農園の作物を使った小料理屋みたいなにできると面白いかもしれない。夢が広がるな。
「イサギさんはいらっしゃいますかー?」
販売スペースの視察が終わり、奥にある従業員専用スペースを見に行こうとしたら入り口の方から声がかかった。
聞き覚えのある声に振り返ると、コニアと大柄の獣人がいた。
……誰だろう?
作り上げたばかりの販売所にコニアと謎の大柄な獣人がやってきた。
ワンダフル商会の従業員だろうかと思ったが、ワンダフル商会は犬系獣人のみで構成された商会だと聞いている。
隣に立っている獣人の男性は荒々しいブラウンの髪をしており、丸い耳を生やしている。
その見た目を形容するのであれば獅子だろう。とてもではないが犬系獣人には見えない。
となると、ワンダフル商会の従業員ではないだろう。
というか、身長が二メートルを越えているし、全身の筋肉がかなり隆起している。
内包している魔力も尋常じゃないし、一従業員にはとても見えない。
……二人の繋がりがわからないな。
「はーい、ここにいますよー」
とりあえず、隣の男性のことは横に置いておいて返事をする。
すると、コニアと隣にいた獅子獣人がこちらにやってくる。
「ねえ、メルシア。コニアの隣にいる人は――って、ええ?」
その間に俺は傍にいるメルシアに獅子獣人のことを尋ねようとすると、メルシアをはじめとする従業員たちが跪いていることに気付いた。
「ど、どうしたの急に?」
メルシアや従業員たちのいきなりの低身具合に驚いてしまう。
「イサギ様、数多の見た目を持つ獣人の中で、獅子の血を引くものは王族だけです」
って、ことはコニアの隣にいる人は王族なのか。
メルシアの説明を聞いて、俺はすぐに片膝をつけて跪いた。
「そなたがこの大農園の支配者であるイサギか?」
「はい、イサギと申します」
「俺は六十二代獣王、ライオネルだ」
辺境の村にくるくらいだから王位継承権の低い王族かと思いきや、正真正銘の国王だった。
「そう畏まらなくてもいい。今日は噂の大農園とやらが、どのようなものか気になってな。ワンダフル商会に頼み込んで連れてきてもらったのだ」
一応、後方には王族専用の馬車や臣下たちがいるようだが、最小限といった様子。
帝国の皇族と比べると、あり得ないフットワークの軽さだ。
獣人の中でも最強種と呼ばれる獣王だからこそできることなのだろう。
王族の頼みとなると実質的には命令のようなもの。案内するハメになったコニアも気の毒だな。
「では、お望み通り農園の中を案内いたしましょうか?」
「そうしてもらえると助かる」
俺の言葉を聞いて、満足そうに頷くライオネル。
そんなわけで俺とメルシアはライオネルを農園に案内することにした。
「コニアさんも付いてきますか?」
ここまでライオネルを連れてきてくれたのはコニアだ。一応、付いてくるべきなのではないだろうか?
「いえ、私はこちらで従業員の方たちとお話するのです。農園にできる販売所とやらが気になりますので!」
なんて建前らしく物言いをしているが、きっぱりと断った様子からすると付いていきたくないことがわかった。
ワンダフル商会の人でも王族の接待なんて荷が重いよね。
俺も同じ立場になったからこそコニアの気持ちが痛いほどわかった。無理強いはできない。
販売所を出るとライオネルの臣下らしい、髭を生やした初老の獣人や、鎧などを身に纏った兵士たちが付いてくる。
「宰相のケビンです。可能であれば、私と護衛の者たちも同行させていただきたい」
「……とのことですが?」
「すまんが入れてもらえると助かる」
「わかりました」
宰相であるケビンや護衛の者たちを連れて、農園の敷地内に入っていく。
とはいえ、うちの農園の敷地は膨大だ。
相手は王族なので長々と歩かせるのも申し訳ない。
俺はマジックバッグからゴーレム馬を取り出すことにした。
「ぬ? この馬のようなものはなんだ?」
「錬金術で作成したゴーレムの馬です。徒歩では移動は大変かと思い、こちらの乗り物をご用意させていただきました」
「ほう! ゴーレムで馬を再現したのか! 面白い! 乗らせてもらおう!」
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべると、颯爽とゴーレム馬に跨るライオネル。
ライオネルは身体がかなり大きく、通常サイズのゴーレム馬では乗ることができないので、以前メルシアと二人乗りした時に使った大型のゴーレム馬だ。
俺とメルシアは普通の一人乗りの方に、ライオネルの臣下の方たちにも同じように一人用のものに乗ってもらうことにした。
「右足のペダルを踏みこむと進み、左足のペダルを踏むと止まります。方向については手綱を引くことで調整できます」
「おお! 理解した!」
軽く説明をすると、ライオネルはすんなりとゴーレム馬を走らせてみせた。
運動神経の悪い人だと乗りこなすのに時間がかかるのだが、ライオネルの心配はいらないようだ。
家臣の人たちは初老の人が少し勝手に戸惑っているようだが、他の人たちがサポートすることによって何とか乗ることができた。
「イサギ! 俺はこれが気に入った! 是非ともほしいぞ!」
軽く周囲を走り回ってくるなり、ライオネルが実に活き活きとした顔で言った。
まるで新しい玩具を見つけた少年のようだ。
「正式に発注していただけるのであれば、ライオネル様に相応しいゴーレム馬をお作りいたしますよ?」
別に今の個体を渡してもいいのだが、ライオネルが乗るには窮屈感だ。
それに彼の見た目に迫力がありすぎるので、見た目負けしている。
国王である彼が乗るのであれば、もっと威厳ある見た目のものがいいだろう。
となると、ライオネルのためにちゃんと作り直した方がいい。
「では、そうしてくれ! あと、そっちの小さい馬も欲しい! 娘の誕生日が近いのでな!」
「でしたら、こちらのゴーレム馬に関しては、ご息女様の誕生日祝いとして献上させていただきます」
「さすがにそれは――いや、わかった。有難く受け取っておこう」
遠慮しようとしていたライオネルだが初老の獣人が咳払いして睨むと、慌てて言い直した。
まあ、これに関しては俺から言い出したことなので遠慮なく受け取ってもらえると助かる。
王族の誕生日と聞いて、こっちもお金を払えなんて言うのは無粋だしな。
「では、農園を案内しますので付いてきてください」
話に区切りがついたところでゴーレム馬を走らせる。
「……イサギ、もっと速くても構わんぞ?」
ゆったりとゴーレム馬を走らせていると、後ろにいるライオネルが言ってくる。
とてもウズウズしている。速く走らせたくて堪らないのだろうな。
気持ちはわからなくもないし、できるだけリクエストに応えてやりたいが、こればかりはそうはいかない。
「農園内は道幅も狭く、農作業用のゴーレムもいますので、これぐらいの速度でお願い申し上げます。申し訳ありません、ライオネル様たちの安全が何よりですので」
「……それは非常に残念だ」
「安全な場所であれば、いくら速度を出してもらっても構いませんので」
「そうか!」
シュンとしていたライオネルだが、小声でそう言うとすぐに元気になった。
厳めしい見た目や肩書きもあって萎縮してしまいガチだが、こうして話してみると妙に親しみを感じるな。帝国の皇族たちとは大違いで、なんだか不思議な感じだ。
そうやってゴーレム馬を走らせると、野菜畑の区画にたどり着いた。
「こちらは野菜畑の区画となります」
「おお! かなり広いな!」
野菜区画を見るなりライオネルが感嘆の声を上げた。
「この辺りはかなり土地が痩せており、まともに農業ができない土地だと聞いていた。それなのにこれほど多種多様な作物が栽培されているとは驚きだ。これを可能にしたのは錬金術だな?」
コニアには錬金術で農業を行っていると告げている。
視察にやってきた国王に嘘をついて良い事はないだろう。
「はい。錬金術で作物に品種改良を行い、繁殖力を上げ、痩せた土地に強く、病害、虫害などに強いものへと作り変えました」
「口にすることは容易いが、完成させるのはさぞかし大変だっただろうな。そなたはとても優秀なのだな」
「恐縮です」
地位の高い人からそんな風に言われたのは初めてだ。
誰かに褒められたくて行ったわけではないが、それでも褒めてもらえるというのは嬉しいものだ。胸の奥がジーンッと温かな気持ちになった。
「む? もうトマトが生っているのか……季節外れの作物があるというのは本当だったのだな」
噂を聞きつけてきただけあって、うちの農園のある程度の特徴は知っているようだ。
「よろしければ、おひとつ食べてみますか?」
「貰おう」
ゴーレム馬から降りると、収穫期のトマトを一つ収穫した。
布でトマトの汚れを拭って渡すと、ライオネルは豪快にトマトに齧り付いた。
さすがは獣王、食べ方もワイルドだ。
「うおおお! トマトとは思えないほどの甘さだ! 今まで食べてきたトマトの中で一番美味い!」
「ありがとうございます!」
そう言ってもらえるように日々改良を重ねているので、非常に嬉しい感想だ。
現在は糖度の高いトマトだけでなく、果肉がしっかりとしていて煮崩れしづらい調理用トマトなんかも開発中だ。ただ甘いだけでなく、色々な料理に使えるような汎用性の高い品種も作っていきたいものだ。
「……今日は妙に騒がしいな」
ライオネルの世話をしていると、トマト畑の影からコクロウが出てきた。
「陛下! お下がりください!」
農園内に突如魔物が出現したことにより、ライオネルの護衛たちが武器を構え出して物々しい雰囲気となる。
しまった。農園内にコクロウやブラックウルフたちがいるのを伝え忘れていた。
「申し訳ありません! 彼らは農園内を警備してもらっている魔物ですので、どうか武器をお納めください!」
「あくまでそっちが手を出してこない場合だがな」
「こら、コクロウ。相手を挑発するようにことを言うな」
せっかく諫めているのに、余計なことは言わないでほしい。
お陰で護衛の人たちがムッとしているじゃないか。
「ブラックウルフの上位個体、シャドーウルフか……」
そんな中、ライオネルは平然とコクロウの前に歩み寄る。
護衛の人たちが口々に下がるように言うが、まるで気にしていない。
ライオネルとコクロウは睨み合う。
固唾を呑んで見守っていると、ライオネルが不敵な笑みを浮かべながら右手の人差し指をくいくいっと動かした。
かかってこいと言わんばかりのわかりやすい挑発。
コクロウは喧嘩を売られたと感じたのか即座に影に潜る。
どこに行ったと思った次の瞬間、コクロウは護衛の影から飛び出し、無警戒なライオネルの背中へと襲い掛かった。
「甘いな」
ライオネルは一切の視線を向けることなく、丸太のような左腕を振るってコクロウを吹き飛ばした。
二メートル近い体躯を誇るコクロウが紙切れのように飛んでいく。
吹き飛ばされながらもコクロウは畑の影へと避難。
すると、次はライオネルの真下にある影から姿を現した。
影から身体を出すのは最小限にし、僅かに影から出して前脚の爪でライオネルの足を斬り裂くつもりだ。
「ぐっ!?」
「だから甘いと言っておろうが」
ライオネルは即座に反応して、真下から奇襲してきたコクロウを蹴り飛ばした。
「ずっと影の中でジッとしているからイライラするんだ、犬っころ。俺が存分に相手してやるから能力を使わずに挑んでこい」
「殺す」
ライオネルから犬っころと誹りを受けたことで頭にきたのか、コクロウが知性をかなぐり捨てるようなけたたましい咆哮を上げて襲い掛かった。
コクロウが本気で牙や爪を向けるが、対するライオネルは笑いながらそれらを跳ね除けている。
しかも、コクロウをできるだけ傷つけないように手加減をしながらだ。両者の力量の差は素人でもわかるほどだろう。
「コクロウがあんな風に遊ばれるなんて……」
「さすがは最強種と謳われる獣王様ですね」
コクロウは冒険者ランクの定める討伐ランクBの上位個体だ。
実際に森で対峙した俺とメルシアだからこそ、コクロウの恐ろしさ知っている。
そんなコクロウがライオネルの前では犬っころ扱いとは……。
無邪気で気さくなライオネルだが、人の上に立つ才能を立派に兼ね備えた王なのだな。
コクロウと素手での取っ組み合いを繰り広げるライオネルを見て、しみじみと思った。
「ハハハ、久しぶりにいい運動になったぞ! コクロウとやら!」
「…………」
爽快そうな顔で告げるライオネルとは正反対に、コクロウはすっかり疲労困憊といった様子だった。
いつも澄ました様子で農園を闊歩しているだけに、これほどまでに疲弊しているコクロウを見るのは新鮮だ。
「コクロウ、大丈夫か?」
「心配しているフリをしながら撫でるな」
バテてしまっている今ならイケるんじゃないかと思ったがダメだった。
俺の撫でようとした手が尻尾に阻まれる。
そんなやり取りをしていると、ライオネルがコクロウの元に歩み寄る。
「そなたの影移動はとにかく便利だが、だからこそ能力に頼りすぎるきらいがある。接近戦についても能力ありきなせいか、実にお粗末だ。能力だけに頼らず、基本的な戦い方を学び直すことだな」
「……次は殺す」
ライオネルが助言に対して、コクロウは有難がることもなく、物騒な言葉を残して影に沈んでいった。
これ以上ライオネルに突っかかるのはやめたようだ。
「すみません、捻くれた奴で」
「上位個体になる奴は得てしてああいう性格をしているものだ」
そういうものなのか。コクロウ以外の上位個体に会ったことがないので、俺にはわからないがああいうのがたくさんいると色々な意味で苦労しそうだな。
「素晴らしい農園だけに警備が心配だったが、頼りになる者が守っているではないか」
「ライオネル様にコテンパンにされていましたけど」
「それは仕方ない。俺は強いからな!」
腕を組んで豪快に笑うライオネル。
これだけハッキリと言われると、まるで嫌みに感じないものだ。聞いていて妙な清々しさを覚える。
「野菜畑以外のところも回ってみたいのだが案内してくれるか?」
「わかりました。他の区画にも案内いたしましょう」
●
「いやー、イサギの経営する農園は素晴らしいな! 特に果物が素晴らしい! あれはもう別物だ! とにかく美味い!」
薬草園、小麦畑、果物畑などの案内を終えると、ライオネルは実に満足そうな表情で語った。
彼が特に気に入ったのは果物畑で栽培されている果物だ。
それがとにかく気に入ったようで食べてからというもの、ずっと果物の感想を述べてくれていた。
「ありがとうございます」
「よければ、お土産として包みましょうか?」
「そうしてくれると助かる! これだけ美味しいものを俺だけ食べて帰ってきたとあっては妻や娘たちに怒られてしまうからな」
メルシアが気を利かせて提案すると、ライオネルは殊更に喜んだ。
獣王は愛妻家であり、子煩悩であるようだ。
こうやって家族のことを考える一面を見ると、王とはいえ彼も普通の獣人なんだな。
「陛下、そろそろ本題の方を……」
「わかっている、ケビン」
しみじみとした感想を抱いていると、ずっとライオネルに付き添っていた初老の獣人が声をかけた。
やはり、視察にきたのとは別の大きな目的があってやってきたのだろう。
なんとなくそのことについては察していたので特に戸惑うようなことはない。
ライオネルは咳払いすると、表情を引き締め、厳かな口調で語りかける。
「イサギ、今年は農作物が凶作だということは知っているか?」
「つい先ほど知ったばかりですが存じております。具体的にどれほどの規模かまでは存じ上げておりませんが……」
「実はそれは一部の地域だけでなく、獣王国各地で起こり始めている」
想像しているよりもずっと広範囲で凶作が起こっていることに驚いた。
国を統治しているライオネルが言うことなので、国全体というのは確かなのだろう。
「それが確定された未来なのかは精査中だが、かなり確率は高い。国を治める王として民を救うために打てるべき手は打っておきたいのだ。イサギ、申し訳ないが国民に作物を分配するために我らに作物を売ってくれないだろうか?」
ライオネルが頭を深く下げて頼み込んでくる。
まさかの頼み事と一国の王が、たかだか平民に頭を下げることに俺は驚いた。
「陛下、頭をお上げください! 国王が平民に頭を下げるなど、あってはならないことです! 国王としての威厳が落ちます!」
「国王としての威厳がなんだ! ふんぞり返って食料をよこせと要求するのなんて俺はしたくない!」
宰相のケビンが注意するが、ライオネルは腕を組んでプイッと顔をそむけた。
断固拒否といった態度のライオネルにケビンは大きくため息を吐いた。
自由に振舞う国王と、それに振り回される真面目な臣下といった関係性だろう。
「どうだろうか、イサギ?」
ライオネルが改めて尋ねてくる。その表情は真剣そのものだ。
一国の王として、民のことを考え、救うための手立てを打ちたいという彼の想いがヒシヒシと伝わってくる。
民を切り捨て、自分たちの利益や名声ばかりが考えている帝国の上層部とはまるで違った。
通常なら国王ほど権威ある立場であれば、国を守るために徴収するということもできるはずだ。帝国ならきっとそうするだろう。
しかし、獣王国の国王であるライオネルはそんなことはせず、平民である俺の元にわざわざ足を運んで買い取らせてほしいと頼み込んできてくれた。一方的に自分たちの都合を押し付けず、きちんとこちらに配慮をした上で。
真摯な態度を見せられれば、こちらもそれに応えたくなるというものだ。
「いいですよ。うちの農園の作物で多くの人々を救えるのであれば、喜んでお力になりましょう」
「本当か! 恩に着る!」
返事をすると、ライオネルは喜びと安堵の混ざった笑みを浮かべて頭を下げた。
プルメニア村に住んでいる以上、俺も獣王国に所属する人間だ。
別に獣王国には恨みなどまるでないし、協力しない理由もない。
農園の生産量は常に右肩上がり。優先してライオネルたちに供給するにはまったく問題がなかった。
「メルシア、現段階でどれだけの量の生産できているか、継続してどのくらい量を輸出できるかライオネル様に教えて差し上げてくれ」
「かしこまりました」
細かい農園の数字はメルシアの方が把握しているので、細かいところを詰めるのであれば彼女に任せるのが一番だ。
メルシアがライオネルと話しをする中、俺はそこに加わろうとしていたケビンを呼び止める。
「ケビンさん、少しよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「獣王国全体の大まかな土質とかって把握されていますか?」
「隅々まで把握しているとは言えませんが、それぞれの大まかなものであれば」
「その中で比較的多い土質の特徴を教えてもらえませんか?」
「なんのためにかお聞きしても? 立場上、なんの意味もなく情報をお教えするわけにはまいりませんので」
「作物を売り渡すだけでは、もしもの際に備えることが難しいと思い、うちの同じように品種改良した作物を直接お渡ししたいと思いまして」
「それは願ってもないことですがいいのですか? 品種改良した作物を引き渡すということは農園の優位性と利益を大きく低下させることになりますが……」
本当にいいのか? といった表情をしているケビン。
賢く立ち回るのであれば、彼が指摘するように需要が高まっている時に値段を釣り上げ、売りつけることで利益を得るべきだろう。
だけど、俺は農業で荒稼ぎをしたいわけでもない。
「そうかもしれませんが、私はそんなことよりも飢えに苦しんでいる人々を救いたいのです。元々は孤児だったので、お腹を空かせる苦しみは痛いほどわかるので……」
「イサギさんの善意に心から感謝いたします。私の知識でお力になれるのであれば、お教えいたしましょう」
そのように伝えると、ケビンは獣王国各地の土質を教えてくれる。
どうやら獣王国の大部分は多雨であり、よその国などに比べて二倍から三倍ほどの雨が降るようだ。
プルメニア村ではそこまで雨は降らないが、それはこの辺りの土地の特徴であり、獣王国からすると例外な場所のようだ。
まあ、国全体がここまで痩せた土地だと、そもそも生活ができないだろうから納得だ。
その他にも土の栄養の多さや、気候、育てられている作物の種類など、ケビンは丁寧に教えてくれた。
「ありがとうございます。ちょっと工房で調整をしてきます」
「そんなにすぐにできるものなのですか?」
「少しでも早く安定して作物を供給できるようにしたいんで!」
ケビンが懸念するようにすぐにできるかはわからない。
だけど、プルメニア村にやってきて、俺も伊達に品種改良を繰り返していない。
帝都で研究していた時よりも多く改良を加えているし、知識も遥かに増えている。
実際に訪れたことのない土地に合わせて調整をするのは至難の業だが、今の俺ならばできるような気がした。
獣王国全体で凶作が起こっており、人々が困窮する未来が近づいているんだ。ゆっくりとなんてしていられない。
いても立ってもいられなくなった俺は、ゴーレム馬を走らせて工房へと向かった。
工房に戻ると、早速と俺はマジックバッグから品種改良に必要な素材を取り出す。
選定する作物はジャガイモ。どれだけ荒れ果てた土地や気候でも力強く育つからな。
ベースとするのはプルメニア村で育つように品種改良させたもの。
とはいえ、これはここで育つように調整されたもので、ケビンが教えてくれた他の土地で育てるには適していないので、改良した部分はそのままに調整する必要があるだろう。
道筋を口にするのは簡単だが、酷く道筋が険しい。
プルメニア村で育つように改良を加えた、このジャガイモですら繊細な積み木を積み上げて完成されたものだ。単純に今の利点をそのままに、微調整すればできるというわけではない。
ひとつの因子を抜けば、他の因子が嚙み合わなくなってしまうことがザラに起こってしまうだろう。
通常は育てたい土地の土を利用し、何度も栽培実験を行ってから調整を繰り返すものだ。
それにケビンから聞いた土質は、プルメニア村や帝国の土質とまるで共通点がなかった。
今までやってきたデータはまるで当てにならない。
「だけど、ここで作ってきた多くの経験が俺にはある」
データ上の数値は参考にできなくとも、この村にやってきて何十種類もの作物に改良を加えてきた経験が俺にはある。
それは帝城での仕事に忙殺されながらやっていた研究とは数も質も段違い。
それにケビンが各地の土質をかなり詳細に教えてくれた。
宰相としての蓄えたケビンの知識はかなり豊富なもので、聞いただけでその土地の土質がイメージできるほど。
帝国にいた頃の俺ならば、多大な時間がかかったであろうが、いくつもの経験を得てきた今の俺ならきっとやれるはずだ。
そう自分に言い聞かせると俺は錬金術を発動し、ジャガイモの品種改良に取り組んだ。
「イサギ様、そろそろ国王陛下がお帰りになられるそうですが……」
「できた!」
メルシアが俺を呼びに工房に入ってきたと同時に、俺は最後の作物の品種改良を完成させた。
「……国王陛下にお渡しするための品種がもう完成したのですか?」
テーブルの上に並んだ作物を見て、メルシアが驚きを露わにする。
「そうだよ。とはいっても、実際にその土地で育つかは、ぶっつけ本番になるんだけどね」
「ですが、自信があるのでしょう?」
謙遜してみせるが、メルシアには内心がバレバレのようだ。
「うん、伊達に品種改良で失敗を繰り返していないからね。多分、このジャガイモなら他の土地でも問題なく育つはずだよ」
日頃、改良で失敗を繰り返しているが、だからこそどのような因子を加えれば、どのような変質を起こすのかわかるものがある。今回、これだけの速さで改良することができたのは、数々の失敗を経験してきたからに他ならない。
「では、ライオネル様の元に急ぎましょうか」
「うん。あんまり待たせたら悪いしね」
メルシアに促された俺は品種改良したジャガイモを手にすると外に出た。
販売所の前に行くと、ライオネルの馬車とワンダフル商会の馬車がズラリと並んであった。
馬車の前にはライオネルとケビンと少数の護衛が立っている。
「イサギ、他の土地でも育つための作物を作っているとケビンから聞いたが、もしや完成したのか?」
「はい。一種類だけで大変申し訳ないですが、何とか完成させました」
「いやいや、たった一種類でも凶作になる心配のない作物を貰えるのは有難い! それをこの短時間で作り上げてくれたのだ。誰が文句をつけるものか!」
「ありがとうございます。こちらが改良を加えたジャガイモです」
ライオネルに改良したジャガイモを手渡す。
彼の大きな手の平の上に乗ると、ジャガイモが小さな石ころのように見えてしまうな。
「おお! ジャガイモか! これなら誰でも育てやすく腹も膨れる! して、このジャガイモにはどのような特性があるのだ?」
「獣王国に比較的多い土質に合わせて調整いたしました。そのジャガイモを植えれば、三日ほどで収穫を迎えることができます」
「三日だと!? そのような短期間で収穫ができるのか!?」
短期間で収穫を迎えられるジャガイモにライオネルが驚く。
「可能です。しかし、それはあくまで救荒作物です。短期間で収穫が行えますが、強い成長力故に土地の栄養を強く吸い上げてしまいます。一度収穫した際は、同じ場所で繰り返し栽培しないようにお願いします」
「うむ。これだけ収穫が早い作物だ、育てた土地の栄養を急激に吸い上げるのは何らおかしいものではないな。わかった。栽培する際は厳命しておこう」
「では、念のために他の種類のジャガイモをお渡ししておきます」
最初に渡したものとは別に、二つのジャガイモを手渡しておく。
すると、ライオネルは不思議そうな顔をした。
「他の種類とは?」
「調整した一つ目のジャガイモが土に合わず、思うような成長をしなかった場合の保険です」
「おお、それは有難い」
俺はプルメニア村周辺以外の土地を知っているわけではないからな。
念のために異なる方向性の因子を持たせたジャガイモを作っておいた。
数を打てば当たるというわけではないが、そういった保険をかけておくにこしたことはない。
「そして、最後に大事な忠告をいたします。改良したジャガイモにもし違和感を抱いたら、すぐに破棄してください。予期せぬ成長を果たした作物は、思いもよらない危険を振りまく可能性がありますので」
「わかった。その時は申し訳ないが、すぐに破棄させてもらうことにしよう」
大事な注意事項を告げると、ライオネルは深く頷いてくれた。
思いもよらない力の危険性を彼は十分に理解しているようだ。
「大量の作物だけでなく、このような貴重な作物をくれたことに感謝する。イサギのお陰で我が国は餓死者を出さずに済みそうだ」
思わず安堵の息を漏らすライオネル。
彼も国民を脅かす凶作に大きな不安を抱いていたのだろう。
そんな優しい彼の力になれたのであればよかった。
「イサギやここの農園のものたちには大きな借りができたな。この借りは獣王の名に置いて必ず返すことを誓おう」
「国民として当然の協力をしたまでですが、何かありましたらよろしくお願いします」
丁寧に固辞することも考えたが、プルメニア村全体のことを考えると、少しずる賢くするべきだろう。
「うむ、それでいい」
素直にお願いしてみせると、ライオネルは満足そうに笑った。
どうやら無駄に遠慮しなかったことは正解らしい。
「お節介かもしれないが忠告しておく。不毛の大地として見られていたこの土地だが、イサギの活躍によって農園地帯となった。これだけの農作物をひとつの農園で賄えるとなると、豊かな穀倉地帯と同義。侵略する価値のある土地だと思われれば、野心のある国が侵略してくる可能性があるぞ」
「ッ!」
プルメニア村は獣王国の中でも最西端に位置する辺境。
隣接しているのは、侵略によって国土を拡大し続けた帝国だ。
今までは旨みのない土地故に無視していたかもしれないが、奪う価値のある土地と認定すれば侵略してくるかもしれない。
「とはいえ、獣王国内には他にも資源がたくさんある。帝国が凶作にでもならない限り、可能性とは低いだろうな」
あくまで侵略の可能性のある土地として浮上したのであって、優先順位が高いわけではない。いくら帝国でも早々にこの村を狙うわけはないだろう。
「ご忠告、ありがとうございます。念のため村の防備も上げておきます」
「うむ。それがいいだろう。何かあった時は頼ってくれ」
ライオネルはそう言うと、颯爽とマントを翻して自らの馬車へと乗り込んだ。
ケビンや護衛の兵士たちも乗り終えると、ライオネルを乗せた馬車はゆっくりとプルメニア村を離れていった。
●
馬車の一団が去っていく、今日は少し早いが農園全体の仕事を切り上げた。
今日は販売所を作ったり、獣王国の国王であるライオネルが視察にきたり、作物を売ってくれと頼まれたりと色々なことが起きた。
従業員たちも急遽と収穫作業が増えたり、作物を馬車に積み込んだりと大変だっただろう。
こんな日は早めに休むに限る。
そんなわけで俺とメルシアも家に帰ってきた。
慣れ親しんだ場所に戻ってくると、心からホッとする。
「お疲れのようですね」
「今日は色々と濃い一日だったからね。それに偉い人と話すのは久しぶりだったし緊張したよ」
「私も獣王様がいらっしゃったことには驚きました」
気さくだったとはいえ、相手は一国の王だ。
友好的とはいえ、節度は弁えないといけないからね。
帝国では上司や貴族を相手に毎日のように気を遣っていたものだが、久しぶりにやるとドッと疲れるものだ。
縦社会に振り回されることのない、普段の生活がどれだけ尊いものか実感したものだ。
「……イサギ様はこの村での生活に苦痛はありませんか?」
イスの腰掛けて伸びをしていると、不意にメルシアが問いかけてきた。
「え? 急にどうしたの?」
「イサギ様をこの村にお連れしてずっと思っていたのです。イサギ様は優秀な方なので、このような小さな村でなく、もっと大きな場所で活躍されるべきではないのかと。それなのに私が半ば強引に誘ってしまって……」
俯きながらのメルシアの言葉を聞き、俺はゆっくりと首を横に振る。
「そんなことはないよ。帝城では異端で爪弾きにされているのにメルシアはずっと支えてくれた。宮廷錬金術師を辞めさせられた時でさえも、メルシアは態度を変えことなく、プルメニア村に誘ってくれたことに感謝しているんだ」
確かにプルメニア村は農業に限っては豊かじゃないけど、それを錬金術でどうにかしたいのが俺の願いだった。
帝国では出来なかった目的の一つをメルシアのお陰で叶えることができた。そんな彼女には感謝することはあれど、迷惑だなんて思ったことは一度もない。
「今ここにいるのは自分の意思で決めたことだから、メルシアはそんな風に思い悩まなくて大丈夫さ」
「……そうでしたか。そうだったのであれば、本当に良かったです」
素直な気持ちを伝えると、メルシアは心の底からホッとしたように呟いた。
彼女がそんな風に思い悩んでいたなんて全く気付かなった。
ずっとお世話をしてもらって、一緒に仕事をしていたというのになんだか申し訳ない。
そこまで考えてくれていたメルシアに報いてあげたいな。
そんな気持ちが頭の中を過った瞬間、俺はある果物の存在を思い出した。
「あっ、そうだ! メルシアに渡してあげたいものがあるんだった!」
「渡したいものですか?」
「ちょっと付いてきて」
怪訝な表情を浮かべながらのメルシアを連れ、俺は渡り廊下を渡って工房へ。
工房に入ると、奥に進んで地下の実験農場へと至る階段を下る。
実験農場のさらに奥にあるスペースには、無数のブドウ畑が広がっている。
「渡したいものというのはもしかして……?」
「うん、ブドウだよ。この村に誘ってくれたことや、日頃支えてくれている感謝の気持ちを伝えたいと思ってね」
「私のためにわざわざご用意してくださるなんて感激です」
贈る意図を伝えると、メルシアは感激の表情を浮かべた。
目の端から若干涙が出ているが、それだけ喜んでくれていると思うので変に茶化すのはやめておく。
「ここにあるものすべてイサギ様が改良を加えたものなのですよね?」
「うん、ブドウが大好きなメルシアには生半可のものを贈るわけにはいかないからね。味の方を優先させると、大量生産が難しくなっちゃってこれだけしか栽培できなかったけど」
「それでも嬉しいです」
メルシアがブドウ畑の中に入っていく。
新緑の葉や蔓が生い茂る中、艶やかな黒い髪をしたメルシアが濃紫のブドウを見上げる姿は不思議と絵になる光景だと思った。
「食べてみてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
頷くと、メルシアが収穫期を迎えたブドウを一粒口に含んだ。
目を瞑って丁寧に味わうように食べるメルシア。
呑みこむとゆっくりと目を開いて、
「……とても美味しいです。今まで食べたブドウの中で最上の味です」
とびっきりの笑顔を見せてくれた。
今までにメルシアの笑顔は見たことがあったが、現在浮かべている笑顔に勝るものはない。
そう思えるくらいに自然で素敵な笑顔だった。
「そう言ってもらえて安心したよ」
そうじゃなきゃ、メルシアのために用意した意味がないからな。
数々のブドウを食べた彼女が、心の底から美味しいと言えるものが作れて良かった。
本当はもっとたくさんのブドウを用意してあげたかったが、今の俺の技量ではそれが限界だ。もっと技量が上がったら、最上の味を追求しつつ、大量生産できるようにしたいや。
「イサギ様がやってこられるまでは、日常的に豊かな食事はできませんでした。こんな風に楽しく食事ができるのはイサギ様のお陰です」
俺はこの村にやってきて、すぐに品種改良した作物を育てたから実感がないが、貧しい状態をよく知っているメルシアだからこそ深く思うところがあったのだろう。
確かにこの村の食生活は変わったと思う。
品種改良された作物と、良質な肥料のお陰で誰もが農業ができるようになった。
俺が大農園を作り上げたことによって、食料の供給が滞ることはなくなった。
生きるための食事ではなく、美味しいものを食べる余裕が生まれた。
だけど、それは決して俺一人の力じゃない。
「品種改良にはメルシアも手伝ってくれたし、俺が研究に専念できるように農園の管理をしているのはメルシアじゃないか。決して俺だけの力じゃないよ。メルシアも胸を張って」
「そう言っていただけると私も頑張った甲斐がある気がします」
この村にやってきてメルシアだけでなく、ケルシー、シエナ、ネーアをはじめとする従業員にコニア、自分を慕って認めてくれる人がたくさんできた。それがとても嬉しい。
錬金術で皆の役に立てることはとても楽しく、やり甲斐がある。
少なくとも帝城で宮廷錬金術師として生活していた時の俺よりも紛れもなく幸せだと言い張れるだろう。
「これからも色々と迷惑をかけるかもしれないけど、よろしく頼めるかな、メルシア?」
「はい、イサギ様。どこまでもお供いたします」
イサギが獣王ライオネルの来訪を受けてしばらく――
レムルス帝国では深刻な食料不足に苛まれていた。
それは各地で見舞われた凶作のせいだ。
凶作は獣王国だけでなく、帝国を含める世界各地で被害を受けており、例年よりも激しい食料生産の落ち込みを見せていた。
「食料生産の施策を却下し、軍事に費用を注いだ余の決断を責める声も多く上がっている。早急に何とかする必要があるぞ」
イサギの研究を当てにしていたウェイスは、ここ数年食料生産案が出ていたにもかかわらず権力によるゴリ押しで却下し、軍事に力を注いでいた。
その結果、民の生活や保障や施策に力を入れていなかった国内は、生活の防波堤機能がまったく機能せず、既に各地で多くの餓死者を出している状態となっている。
凶作というどうしようもないことだとはいえ、間接的に現状を引き越した当事者の原因としてされていた。
このままさらなる被害を増大させてしまえば皇位継承権にも響く可能性が高く、ウェイスは焦っていた。
「ガリウス、なにか良案はないか?」
「申し訳ございません。早急に効果のあるものはありません。ですが、気になる情報を耳に入れました」
「それはどんな情報だ?」
ガリウスの返答に落胆しかけたウェイスだが、後半の言葉を聞いて瞳に好奇の光を宿す。
「広い範囲で起こっている凶作ですが、なぜか隣国の獣王国では大した食料が不足していないのだそうです」
「それは獣王国自体が凶作に見舞われなかったということか?」
「いえ、獣王国も凶作に見舞われたようですが、食料不足にはなっていないようなのです」
「一体なぜだ?」
帝国同様に凶作に見舞われているのであれば、国内で食料不足になっていないのはおかしい。
ウェイスが首を傾げる中、ガリウスは待ってましたとばかりに深い笑みを浮かべた。
「調べましたところ、どうやらプルメニア村にあるイサギ大農園から大量の作物が供給されているようでした」
「ほう? それはどこかで聞いた名前の農園だな?」
「間違いなくイサギかと」
イサギが独自に研究を行っていた作物の品種改良と、突如獣王国に出現したイサギ大農園という大量の作物供給地。
その二つを聞いて聞き、完全にイサギの関与があるとウェイスは確認した。
「奴の研究とやらが完成しているのであれば、凶作に影響されず、あり得ない速度での作物を生産できるのも納得ということか……」
「はい。ウェイス様にご提案なのですが、獣王国にあるイサギ大農園を侵略すれば良いかと」
「なるほど。余、自らが指揮を執り、イサギ大農園を奪い、その作物を帝国内に供給すれば、軍事費拡大の件について大きく責められることはないか……」
思い立ったようにウェイスはテーブルの引き出しから、帝国周辺の地図を広げてみせる。
「幸いにしてプルメニア村とやらは、帝国からほど近い場所にある辺境。侵略するのも容易いな。貴様にしてはいい考えではないか」
「ありがとうございます」
ウェイスの労いの言葉にガリウスは深々と頭を下げた。
「そうだ。我ら帝国は侵略によって拡大を繰り返してきた大国。食料が足りないのであれば、よそから奪えばいい。食料生産施策をああだこうだと考えるよりも簡単ではないか」
それが古来からの帝国のやり方。
歪な国であるが、それで大成している国だった。
活路を見出し、ウェイスが高笑いをする中、傍で佇むガリウスはほの暗い笑みを浮かべていた。
獣王であるライオネル一行が帰還した後。
ありがたいことに俺の大農園の作物は大好評で、プルメニア村の住民だけでなく、外部からも買い求めに来る人も増えた。
しかし、俺の大農園は外部の者との売買を受け入れる体制を作っておらず、商人などが来るたびに責任者である俺やメルシアがいちいち対応しなくてはいけないという問題が起きた。
そもそも俺が大農園を作り上げて従業員を雇ったのは、俺が錬金術の研究や仕事に専念するためだ。
それなのに俺が頻繁に駆り出されては意味がない。
そんな問題を払拭するために作り上げたのが販売所。
大農園の敷地の外に販売所を設置することで、プルメニアの住民や外部の客との売買をそこで完結させるのが狙いだ。
錬金術で販売所を作り上げ、内装を固めていこうとしたところでライオネルの訪問により中断になったが、あれから二週間が経過して販売所は本日が開店だ。
工房を出て、販売所の前にたどり着くと俺は驚いた。
販売所の外に長蛇の列ができているからである。
「うわっ、すごい行列だ」
ざっと数えただけで五十人くらいはいるんじゃないだろうか。
今日が販売所の開店日だとは、プルメニアの村人に伝えてはいたが、まさかこんなに早い時間から並ぶとは思っていなかった。
これだけ大勢の客がいるのであれば開店を急がなければいけない。
俺は並んでいる人たちに軽く挨拶をしながら足を速めて販売所の中へ。
「すごい。しっかりと販売所になってる」
二週間ほど前までは倉庫を思わせるくらいに何もなかったけど、今ではしっかりと陳列棚、会計所などが作られており、しっかりと販売所と胸を張れるような内装になっていた。
呆然とフロアを見渡していると、真っ黒な髪に猫耳を生やしたメイド姿の女性がやってくる。
「イサギ様、おはようございます」
「おはよう、メルシア」
彼女はメルシア。
俺がレムルス帝国の宮廷錬金術師だった時から、助手として錬金術のサポートをしてくれたり、身の回りのお世話をしてくれた頼りになる女性だ。
俺が宮廷錬金術師を解雇されたのを機に、自身も宮仕えを辞めてプルメニア村へと誘致してくれた人物である。
そして、今はただの錬金術師となった俺の助手兼、身の回りのお世話をしてくれるメイドだ。
フロアには陳列棚には大農園で収穫された野菜、果物、山菜、麦などといったものがズラリと並んでいた。
「これだけたくさんの種類の作物が並んでいる光景は壮観だね。帝都の市場にも匹敵するんじゃないかな?」
「単純な量では敵いませんが、季節外れの作物も揃っているので品数の豊富さでは上回っているかと」
錬金術によって品種改良を加えることで、俺は農業に適さない土地での栽培に成功した。
既存の作物の性質に縛られない栽培は、季節に関係なく作物を育てることができるというわけだ。
辺境の販売所なのに大国の首都の市場よりも品数が多いって、なんだか不思議な話だ。
「開店準備の方はどう?」
「できております。店員たちの準備も問題ありません」
メルシアの後ろには、グリーンのエプロンをした男女が六人並んでいる。
「イサギさん、私の異動を許可してくださりありがとうございます」
嬉しそうな笑みを浮かべて前に出てきたのはノーラだ。
「元からノーラさんは販売や経理といったものが得意でしたから適材適所ですよ」
他の五名は販売所を営業するにあたって雇用した店員だが、ノーラだけは従業員から店員へと異動させた形となる。これはノーラ自身が強く望んでいたことであり、俺とメルシアも望んでいたことだ。
ノーラの家は雑貨屋を営んでおり、彼女はそこで販売や経理などの仕事をこなしていた経験もある。
力仕事よりも、そういった内作業に適性があるのはわかっていたことだ。
「むしろ、今日まで力仕事に従事させることになってすみません」
「いえ、農作業の方も楽しかったですから気になさらないでください」
申し訳なく思いながら言うと、ノーラはクスリとした笑みをたたえながら答えた。
「ちなみに農作業の方に戻りたいとかいう気持ちはありますか?」
「微塵もありません」
笑みを浮かべながらの即答。
俺と同じくらいの体力と力しかないノーラは、よく作業中にばてていた。あそこに戻りたくないと思うのは当然だろうな。
「販売所の営業は任せてくださいな」
「ええ、頼りにしています」
他の店員はプルメニア村に住んでいるご婦人たちが中心なので、ほとんどが顔見知りだ。
従業員であるネーアやラグムントたちのようにガッツリと農園の仕事を行うわけではないが、販売所での接客、販売、品出しなどの業務を行ってもらう予定だ。
「では、早速開店といきましょうか。お客様をお出迎えしましょう」
今日は記念すべき販売所の開店日。外に並んでいるお客を出迎えるために、俺とメルシアと店員たちは入り口へと移動。
メルシアと顔を見合わせ、せーのでガラス扉を解放。
「お待たせいたしました。イサギ販売所の開店となります」
「「いらっしゃいませ!」」
メルシアとノーラが開店の声をあげ、店員たちが歓迎の声をあげて入り口で出迎えた。
なんだか自分の名前が入っていると恥ずかしい。
販売所の扉が開くと、外で待っていた村人たちが一斉にフロアに入ってくる。
幸いにして販売所はとても広く余裕もあるので、入場制限をかける必要はないだろう。
入ってきた客たちは販売所の雰囲気を楽しむように視線を巡らせ、陳列棚に並んでいる作物を思い思いに眺める。
並んでいた客がフロアに収納されると、出迎えていた店員たちはそれぞれの定位置に戻ったり、客への接客を始めていた。
店員も村人なのでお客である村人も気軽に質問したりしている。とてもいい雰囲気だな。
「開店おめでとう!」
フロアの様子を見守っていると、メルシアの母であるシエナに声をかけられた。
「お母さん」
「俺もいるぞ」
「見ればわかります」
娘に素っ気なく扱われて、ちょっと悲しそうな顔をする父であるケルシー。
ただ、父さんって呼んでほしかったのだろうな。
親から巣立ってしまった子供というのは、こんなものなのかもしれない。
「イサギ君、かなり賑わっているようだな」
「はい。想像以上の来店客に驚いています」
うちの大農園と村人の間では売買などが日常的に行われているので、販売所に関してそこまで大きな注目を集めないのではないかと思ったが、俺の予想は大きく外れて初日から賑わっている。
「立派な建物をしており、商品の品揃えが豊富ということも大きな要因だが、一番はイサギ君が築き上げてきた信頼があってこそだと思うぞ」
「……ありがとうございます」
ケルシーの賞賛に俺は目頭が熱くなるのを感じた。
「ねえ、イサギ君。この大きなイチゴはなにかしら?」
シエナが指さしたのは、握りこぶしほどの大きさをしている角ばったイチゴだ。
「ああ、それはロックイチゴです」
「聞いたことのない品種だわ」
「レムレス帝国にあるロックイチゴに品種改良を加えたものです」
これは俺が同時に品種改良を加えたものだ。
「へえー、結構値段が張るのね」
通常のイチゴが銅貨三枚なのに対し、ロックイチゴは銅貨八枚。値段の差に呻いてしまうのも無理はない。
「ロックイチゴの成育には魔力が必要になります。ただ魔力を込めればいいというわけでなく、その日の状態を見て、繊細な魔力込めが必要となるのでイサギ様しか作ることができません」
「なるほど。育てるのが難しくて手間のかかるイチゴなのね」
メルシアの丁寧な説明をざっくりとまとめてしまうシエナ。
簡単に言うと、そういうことになる。
「高いけど、それに相応しい美味しさがあるってわけよね?」
「そう自負しております」
「じゃあ、買っちゃうわ」
「ありがとうございます」
しっかりと頷くと、シエナはお買い物バッグにロックイチゴを入れてくれた。
きっと食べてくれればシエナは喜ぶに違いない。
そう思えるほどに品種改良した果物の味には自信があるからね。
「ところでさっきから気になっていたのだけれど、あっちのスペースはなんなの?」
ロックイチゴをバッグに入れてほどなくすると、シエナが尋ねてきた。
彼女の指さした先には、イスとテーブル、ちょっとした販売用のカウンターなどがあるが、仕切りで区切られているためにお客は入ることができない。
「あっちは農園カフェのためのスペースですね」
「農園カフェ?」
「大農園で収穫した作物を使った料理やお菓子、飲み物などを提供するカフェのことです」
「え! いいじゃない! すぐにでも開いてほしいわ!」
などと農園カフェの説明をすると、シエナが近づいてきてガッシリと肩を掴んできた。
「農園カフェを開くの? いいわね! とても素敵だわ!」
「開店したら毎日通うかも!」
それだけじゃなく、フロアで買い物に勤しんでいた他の女性たちもゾロゾロと集まってきてそんな声をあげた。
「そんな大きな声で話していたわけじゃないのに、なんでこんなに!?」
「獣人であれば、フロア内にある会話のすべてを聞き分けることも可能です」
驚く俺の隣でメルシアが冷静に説明してくれる。
恐るべし獣人の聴覚。
反対側の方にいた女性まで、わざわざこっちにまでやってくるなんて異常な食いつきだ。
「えっと、あくまで予定であって、まだ目途も立っていないんですが……」
「なら急いで!」
将来的にやれたらいいなと考えているだけで、今のところいつ開店させるかなんてことはまったく考えていなかっただけに強い要望に驚いてしまう。
「どうしてそんなに急いでいるんですか?」
「こんな田舎だと飲食店なんてほとんどないから、皆で気楽に集まれる場所もないじゃない? 私たちもオシャレなカフェで美味しい料理を食べながらお喋りとかしたいのよ」
シエナの言葉に後ろにいる女性たちが深く同意するように頷いた。
女性たちから数多の視線が飛んでくる。とても圧が強い。
それほどプルメニアの女性にとって農園カフェは悲願のようだ。
助けを求めるようにケルシーに視線をやると、彼はぷいっと視線を逸らした。
特に夫として妻を諫めたり、村長として俺に助け舟を出すつもりはまったくないらしい。
「では、皆さまのご要望にお応えして、早急な農園カフェの開店を目指します」
販売所の開店日に、もっとも強い盛り上がりを見せた瞬間だった。
販売所が好調なスタートを切った中、俺は悩んでいた。
それは開店初日に約束してしまった農園カフェの開店を急ぐというものである。
「うーん、どうしようかな……」
シエナや村の女性たちの勢いに押されて約束してしまったものの、まったく開店の目途は立っていない。
販売所の店員を回すことで稼働できるものなのか? いや、開店してすぐに異動させるようなことはしたくないし、そもそも農園カフェで必要とされるスキルは従業員とは異なる。
とても販売所の営業をやりながら片手間でこなせるものだとは思えない。
「イサギ様」
「あっ、メルシア! ごめん、考えごとをしていて気付かなかったよ」
ふと気が付くと、工房にメルシアが入ってきていた。
律儀な彼女がノックをしないなんてことはあり得ないので、俺が生返事をしてしまったのだろう。
「考えごととは農園カフェのことですか?」
「うん。どうしたものかなーって」
「無理に開店を急ぐ必要はないのでは?」
「ええ?」
「ただでさえイサギ様はやることが多忙なのです。無理に仕事を増やし、手を広げる必要はありません。別に断っても問題ありませんよ。母さんと村の女性たちには私が言っておきますので」
そんな風に言ってくれるのは、農園カフェの発端が母親であるシエナという責任感なのかもしれない。
「メルシアの言うことは正しいと思う。でも、やっぱりあんなに熱望されたら応えてあげたいなーって思っちゃったんだよね」
自分でも効率の悪いことをしている自覚はあるが、あれほど強い想いを受け取ってしまうとそれに応えたいと思う自分がいるのだ。
たとえ、それで自分が苦労することがわかっていても、やりたいと思える自分が。
「イサギ様は優し過ぎます」
「そうかな?」
「はい。ですから、そんなイサギ様が過労で倒れてしまわないように私もお手伝いいたします」
「いつもありがとう」
「いえ、私はイサギ様のメイドであり、助手でもありますから」
礼を告げると、メルシアが誇らしげに微笑んだ。
いつも通りのクールさを保っているが、よく見ると頬のところがちょっと赤い。
なんだかんだ照れくさかったのかもしれないな。
「で、イサギ様は農園カフェを開店するにあたって、何をお悩みになっているのですか?」
「やっぱり、料理人かな」
農園カフェでは大農園で収穫した作物を扱った料理を提供する。
その目的は召し上がってもらったお客に、大農園の食材の良さを知ってもらうことだ。
「メルシアに作ってもらうわけにもいかないしなぁ」
「過分な評価を頂けるのは嬉しいですが、私の実力では販売所への購入に繋げるには足りないかと」
首を横に振っているメルシアだが、尻尾がご機嫌そうに左右に揺れているのが可愛い。
「そうかな?」
「仮に一般的な料理は作れたとしても、イサギ様が改良した一点ものの食材は扱い切れません。そちらに関しては専門的な調理スキルと知識、経験に裏打ちされた対応力が必要かと」
大農園で生産している作物の中には、メルシアにプレゼントしたブドウのように俺が時間と手間をかけて調整しているものがある。
そういったものは普通のものとは特性が大きくかけ離れているために、既存の調理の仕方では美味しく味わうことができないのだ。
「でも、農園カフェにそこまでのレベルが必要かな?」
「これから先、大農園は益々発展していき外部から多くの人がやってくることになりますので、そういった名物があるとより賑わうかと」
「なるほど」
メルシアの言う通り、プルメニア村に訪れる人は増加している。
商人のコニアがやってきて、獣王のライオネルまでもやってきた。これからも外からたくさんの人が訪れるだろうし、賓客がやってきてもおかしくはない。
「調理スキルの高い料理人は絶対必要として、後はどうやって調達するかだね。メルシアに宛はある?」
「ありません。が、調達できそうな人物なら心当たりがあります」
「お! 誰かな?」
「もう間もなくやってくる頃かと」
「……?」
メルシアの言葉に首を傾げていると、ほどなくして工房の扉がノックされた。
「こんにちはー! ワンダフル商会のコニアなのです!」
●
「販売所が稼働していたのですね! フロアがとても綺麗な上に品数もとても豊富で驚きました!」
応接室のイスにちょこんと腰掛けたコニアが興奮したように言う。
どうやらここにやってくる前に販売所の様子を見てきたようだ。
「ありがたいことに村人たちがよく買いにきてくれています」
「となると、私も今後はあちらで取り引きした方がいいですかね?」
「定期売買はあちらでやってくださると助かりますが、コニアさんに個人的な買い物を頼みたい時もありますし、情報交換もしたいので遠慮せずこちらに顔を出してくださると嬉しいです」
「嬉しいのです! メルシアさんの出してくださる紅茶は、とても美味しいので楽しみなので!」
ちょうどメルシアが、差し出したティーカップを嬉しそうに両手で持ち上げるコニア。
にっこりとした笑みを浮かべるコニアに、メルシアは微笑む。
「あ、もちろん、イサギさんとの会話も有益なので大好きなのですよ」
「光栄です」
付け足したようなコニアの言葉に思わず苦笑するが、商人との関係は互いに利益があってこそだ。
ハッキリとした物言いだけど変に持ち上げてきたり、迂遠な物言いをしないので帝国にいた時よりも遥かにやりやすい。
「コニアさんに相談があるのですが、聞いていただけませんか?」
軽い近況の会話が終わったところで俺は本題を切り出した。
「私で力になれるかはわかりませんが、ひとまずお聞きするのです」
ティーカップをソーサーの上に置いたコニアに、俺は農園カフェについての説明や、必要な料理人のことを話す。
「……なるほど。それでしたらワンダフル商会と契約している料理人を二名派遣するのです!」
一通り説明が終わると、コニアがきっぱりと言った。
自分から相談しておきながら、想像以上にあっさりとした返答に困惑する。
プルメニア村も賑わってきたとはいえ、獣王国の端にある田舎だ。
商会と契約しているような料理人が果たしてやってきてくれるものなのだろうか?
それは否だ。商人である以上、コニアはプロの料理人を派遣するに値する対価を求めている。
「条件はなんでしょう?」
「話が早くて助かるのです。イサギさんの作ったミキサーという魔道具をうちの商会に売ってほしいのです」
「ミキサーですか?」
農園カフェの説明で、ミキサーで作った野菜ジュースやフルーツジュースを振る舞うと言っただけなのに、そこまで食いつくとは思わなかった。
「はい! あれは間違いなく売れるのです! ぜひ、ワンダフル商会で売り出していければと! 希望としてはまずは五十台ほどで、好調なら追加で五十か百は欲しいのです!」
「そんなにですか!?」
宮廷時代ならともかく、個人の注文でそれほどの数の魔道具を生産するのは初めてだ。
「難しいです?」
「いや、あれは複雑な造りをしていないのでそれくらいなら可能です」
「あくまでイサギ様にとっては……という注釈がつきますが」
控えていたメルシアがそっと口を挟む。
そうなのだろうか? あまり他の錬金術師についてよく知らないので特別なのかわからないな。
「しかし、ミキサーがあるとはいえ、料理人は納得してきてくれますかね?」
条件として提示したとはいえ、それで商会と契約している料理人がモチベーションを持って取り組んでくれるかが気になる。
農園カフェも客商売。
腕がいいとはいえ、接客に難があったり、態度が悪かったりすると困る。
農園カフェは大農園の食材の良さを知る場所であり、訪れた人にとっての憩いの場であってほしいので、そこはどうしても譲れない。
「確認なのですが農園カフェで働くことになる料理人は、大農園の食材を好きに扱うことができるのですよね?」
「ええ、大農園と農園カフェは提携しているので可能な限り食材を供給しますが、それが魅力になるのでしょうか?」
「イサギさんはご自身の作り出した作物への認識が低いと見えます。今や大人気のイサギ大農園の食材を好きに扱えることは獣王国の料理人にとって憧れなのです!」
「そ、そうなのですか? うちの食材がそこまで……?」
「はい。通常の食材とは比べ物にならない品質ですからね。料理人がそれらを使って存分に力を振るいたいと思うのは当然かと思うのです」
うちの大農園の食材を褒めてくれ、良い物だと思ってくれるのは嬉しいが、そこまでの評価を受けているとは思わなかった。
「錬金術師にたとえると、高品質な素材が使い放題で調合し放題の場所があると考えるとわかりやすいのではないのでしょうか?」
「それは最高だ。行きたくなる」
メルシアのたとえ話を聞くと、妙にしっくりときて納得できた。
そんな場所があれば、世の錬金術はどんな辺境だろうと向かうに違いない。
「さらにイサギさんが特別に調整を施している食材を扱うことができるのも大きな魅力なのです!この先イサギ大農園の食材が広まるにつれて、その調理技術の需要は高まるでしょうから!」
堂々と胸を張り、鼻息を漏らしながら言うコニア。
かなり長期的な利益を見越しての承諾のようだ。
どうやら今回の相談はワンダフル商会やその料理人にとっても利益のあるものらしい。それならこちらとしても遠慮する必要はないな。
「では、料理人の派遣をお願いします」
「任せてくださいなのです!」
俺とコニアはにっこりと笑みを浮かべて握手する。
こうして農園カフェ最大の障壁である、料理人確保の目途はついたのだった。
笑みを浮かべてコニアと握手すると、料理人派遣についての細部を詰めることになった。
「イサギ様、コニアさんが農園カフェの料理人を連れてまいりました」
コニアに料理人の派遣を頼んで二週間。
工房で頼まれていたミキサーを作っていると、メルシアがノックしながら言った。
早速、コニアは料理人をプルメニア村に連れてきてくれたらしい。
「わかった。ミキサーの処理を終わらせたら行くよ」
「かしこまりました。応接室でお待ちしております」
メルシアの気配が終わると、俺は最後のミキサーにブレードを取り付けて蓋をした。
無属性の魔石をはめて、魔力を流すとしっかりとブレードが回転することを確認。
最後にミキサーの表面にワンダフル商会の紋章を刻み込むことで完成だ。
「うん、これで五十台目が完成だ」
農園カフェの準備をしていたせいでかなり遅れてしまったが、ちょうどコニアがやってくるタイミングで完成させることができたようだ。
工房内にあるすべての五十台のミキサーがしっかりと稼働することを確認すると、俺はすべてをマジックバッグへと詰めて応接室に向かった。
「遅れてすみません」
「いえいえ、突然やってきたのはこちらなので気にしていないのです」
応接室に入ると、コニアがティーカップを優雅に傾けていた。
傍らには茶色い髪に垂れ耳をした犬獣人の男性と、桃色の髪を肩口で切り揃えた犬獣人の女性が座っている。
どちらも真っ白な料理人服を身に纏っている。恐らく彼らがコニアの連れてきてくれた料理人だろう。
「そちらのお二方がコニアさんの連れてきてくださった料理人の方ですか?」
「そうなのです! さあ、自己紹介をお願いするのです!」
コニアが言うと、二人の料理人とイスからスッと立ち上がった。
が、垂れ耳の勢いをつけ過ぎてしまったのかテーブルの端に足を打ち付けてしまった。
ガンッとテーブルから音が鳴り、その上に乗っているティーカップやらお茶請けのお皿が震えた。
「わ! ごめんなさい!」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です!」
心配の言葉をかけると、男性は恐縮したように頭を下げた。
外見に見合わず、気は小さいようだ。
隣の女性はドンくさいものを見るような冷たい目をしている。
男性がこんな風にやらかすのはいつものことなのかもしれない。
改めて男性が立ち上がる。
デカいな。座っている時から高身長だと思っていたが、立ち上がっている姿を見るとさらに大きく見える。隣に立っている女性が小柄だというのもあるが、それを抜きにしても大きい。
「獣王都にある『ワンダーレストラン』からやって参りましたダリオと申します。よ、よろしくお願いします!」
「……同じく『ワンダーレストラン』からやってきましたシーレです。よろしくお願いします」
「『ワンダーレストラン』ですか!?」
ダリオとシーレの自己紹介を聞くなり、控えていたメルシアが驚きの声をあげた。
「メルシア、そのレストランはそんなにすごいのかい?」
雰囲気からしてすごいっぽいレストランなのだが、俺は獣王国出身ではないのでどのくらい人気なのかまったくわからない。
「獣王都にある高級レストランの一つです。予約しようにも一年は待たされるほどに人気だとか」
「え? 本当に?」
「本当なのですよ! ワンダーレストランはワンダフル商会が出資しているレストランなので、これくらい造作もないのです!」
尋ねると、コニアが薄い胸を張って堂々と答えた。
名前が似ていることから何となく察していたが、ワンダフル商会とワンダーレストランの繋がりは密接なようだ。
だとしても、高級レストランレベルの料理人がくるなんて思っていなかったので驚きである。
「はじめまして、錬金術師であり大農園の管理をしていますイサギと申します」
「ダリオとシーレは幼い頃からワンダーレストランで修行しており、真面目なだけでなく調理の腕も保証できるのです。きっと、農園カフェの開店の役に立つのです」
「……えっと、本当にいいのですか?」
「なにがです?」
「二人は有名なレストランで働く期待の料理人じゃないですか。人の少ない場所で農園カフェの営業をしてもらうのが申し訳ないなーっと思って」
言えば、ダリオとシーレは歴としたところでキャリアを積んだエリートだ。
そんな二人がこんな田舎で働いてもらってもいいのだろうか。
「そんなことはありません! これは僕たちが望んで選んだ道です!」
「そうなんですか?」
「ここの大農園の食材を食べた時に感動しました。今まで扱っていた食材と同じでも、まさかこんなにも違いがあるなんて思いもしなくって。それと同時にこの食材の美味しさを、自分で表現したいと思ったんです」
「こちらの食材を扱えることは私たちの料理人生においてかけがえのない経験になると思っています。ですから、イサギさんがそのような心配をする必要はありません」
大きな声で熱い想いを語るダリオと、淡々としながらも瞳の奥にある炎を燃え上がらせているシーレ。
どうやら二人がきちんと考え、目標を定めた上でここにやってきてくれたらしい。
だとしたら、これ以上変に心配するのは彼らにとって失礼だろう。
「わかりました。では、改めてお二人を歓迎いたします。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします!」
改めて手を差し出すと、ダリオが両手で包み込むようにしながら大声で返事した。
うん、君は声がデカいや。
「コニアさんもご紹介していただきありがとうございます」
「気にしないでほしいのです。それよりも頼んだミキサーの方はできるだけ早くお願いするのです」
改めて連れてきてくれたコニアに礼を言うと、彼女が念を押すように頼んできた。
「ああ、それなら既に完成させてありますよ」
「はえ? たった二週間なのですよ? いくらイサギさんでも魔道具を五十台も用意するのは無理なのでは?」
コニアが間抜けな声をあげる中、俺はマジックバッグからミキサーを取り出した。
「無理じゃありませんよ。こちら注文してくださったミキサー五十台分です」
「ひゃええええ! もうできたのですか!? しかもひとつひとつにうちの商会のマークが入っているのです!」
ミキサーを確認する中、コニアは俺の施したサービスに気付いてくれたようだ。
「そちらは特別サービスですよ。いつもコニアさんにはお世話になっているので」
こういう施しをするのなら追加料金をちょうだいするのだが、コニアには大農園の立ち上げの助言をしてくれたり、今回のようにすぐに料理人を確保してくれたりと恩があるからな。
「わー! ありがとうなのです! イサギさん!」
商会マークの入ったミキサーを胸に抱いて、コニアは子供のように喜んだ。
●
「こっちの区画が農園カフェの営業予定場所になっています」
ダリオ、シーレとの顔合わせが終わると、俺たちは販売所にやってきていた。
こちらは二人たっての希望で職場となる場所を見ておきたかったのだろう。
「思っていたよりも広いですね」
「これなら思っていた以上に色々なことができそう」
農園カフェのスペースを見て、ダリオとシーレが感心したように呟く。
田舎にあるカフェなので、もっとこじんまりとした職場をイメージしていたのかもしれない。
いい意味で期待を裏切れたようで嬉しい。
「販売所の方に食材がたくさんありますね!」
「あっちを見ると、あっという間に時間が終わるから今日は内装」
「……はい」
明らかに販売所の食材を見たそうにしているダリオだが、シーレにそう言われて肩を落とした。
ダリオの方が明らかに年上であり強そうなのだが、力関係はシーレの方が上のようだ。
不思議なコンビだ。
「イサギさん、少しいい……ですか?」
見守っていると、シーレが声をかけてきた。
言葉が詰まっていることから、あまり敬語を使うことに慣れていないらしい。
「いつもの口調でも結構ですよ」
相手に敬意を持つことは大切だが、込み入った話をする際は邪魔になる。
誤解なくやり取りをするために、それを取っ払うことを俺は気にしない。
もともと、そこまで敬語を気にするタイプでもないしね。
「……後でコニアさんにチクったりしない?」
「しませんよ。というか、あの人ってそんなに偉い立場なんです?」
この場にいないコニアのことを気にする意味が気になった。
「知らないの? ワンダフル商会にいる五人の幹部のうちの一人だよ」
「……そんなに偉い人だとは思っていませんでした」
ワンダフル商会は獣王国の中でもかなり大きい商会だとメルシアに聞いた。
そんな大商会の重役のポジションに収まっているとは思わず、絶句してしまった。