解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる



「にゃー! 二人ともいいところにきてくれた! ちょっと大変なんだよ!」

果物畑にやってくると管理人であるネーアがすぐに寄ってきた。

いつもだったら二人乗りしている姿をからかってきたりするのだろうが、今日はそんな余裕もないと言った様子だ。

「どうしたんですか、ネーアさん?」

いつもと違う変化を感じ取った俺は、すぐにゴーレム馬から降りた。

「うちの果物畑が荒らされているんだよ!」

「ええっ!? 本当ですか?」

「ひとまず、果物の様子を確認させてください」

「わかった。こっち来て!」

彼女が案内してくれたのは果物区画の中でも奥にあるスイカ畑。

多くの蔓や葉が茂り、大玉から小玉のスイカがゴロゴロと転がっているスイカ畑だが、今日はいくつものスイカが無残にも赤い身を露出させていた。

「酷い。一体、誰がこんなことを……」

「昨晩は嵐でもありませんでしたし、ちょっとしたことでスイカがこんなに割れるとは思えません」

自然現象じゃないとなると人為的なものとなる。

村人がやっただなんて疑いたくないな。

「昨日はこんな風になっていませんでしたよね?」

「うん。あたしが仕事を終えた頃はいつも通りだった。でも、朝やってきたらこんな風になってて……」

「荒らされた果物は他にもありますか?」

「ザーッと確認した感じだとここだけだと思う」

どうやら荒らされたのはスイカ畑だけのようだ。それがひとまずの救いだろう。

「……ごめんなさい」

「ネーアさんのせいじゃないですよ」

いくら従業員とはいえ、勤務時間外の真夜中の畑まで監視するのは無理だ。

誰もネーアが悪いだなんて思うわけがない。

「ひとまず、ダメになってしまったものを回収いたしましょう」

「そうだね」

残念ながら被害に遭ったスイカは売ることができないし、俺たちで食べることもできないだろう。廃棄するしかない。

俺たちは割れてしまったスイカを回収し、箱詰めにしていく。

それと同時に割れたスイカを確認して形跡を確認。

被害にあったものを見てみると、鋭い爪のようなもので抉られていたり、直接噛み砕かれているようなものが多い。それに地面には犬のような足跡があちこちで残っていた。

「……形跡からして人がやったものじゃないね」

「はい。ほのかに野生の匂いが残っていますので動物、あるいは魔物の仕業ではないかと」

良かった。どうやら村人を疑う必要はないようだ。

「見てみて! こっちに黒い毛が落ちてる!」

声を上げるネーアの手には真っ暗な毛束が握られていた。

触ってみると、とても硬く人間や獣人の毛質とは異なっているのがわかる。

「……ブラックウルフの毛だろうね」

「触っただけでわかるの?」

「素材の情報を読み取ることには自信があるからね」

錬金術師は素材の構造を読み取ることができる。微かな痕跡さえあれば、相手の情報を読み取ることも可能だ。今回は体毛というわかりやすい素材があったので、すぐにわかった。

「となると、夜にあちらの山からブラックウルフが降りてきたということでしょう」

「多分ね。このスイカ畑は農園の中でも一番森側に近いから」

俺の農園も随分と広がったせいで西にある森との距離も近くなってしまった。

「スイカの甘い香りに誘われたか、ブラックウルフの縄張りを刺激したか……」

「なんとなく前者のような気がします」

「あたしもそう思う!」

魔物さえ食べたがるスイカとして喜んでいいのかわからない。複雑だ。

畑の周りは柵で囲っているし、ゴーレムだって定期的に巡回をさせている。

とはいえ、機動性が高いブラックウルフからすれば、柵なってあってないようにものだし、鈍重なゴーレムの目をかいくぐるのは簡単だろう。戦闘用ゴーレムならまだしも、うちの畑には農業用ゴーレムしかいないからな。

「また今夜もやってくるかな?」

「必ずきます」

不安そうに尋ねるネーアの言葉にメルシアは断定するように答えた。

一度味を占めてしめた野生の獣は必ずもう一度やってくる。

人を襲って食べたクマが、また人を襲って食べるようになるのと同じだ。

「じゃあ、どうするの?」

「広い農園を守って戦うのは難しいだろうから、こっちから討って出るよ」

相手は素早く集団行動を得意とする魔物だ。広い農園のすべてをカバーしながら戦うには分が悪すぎる。

「ネーアはラグムント、リカルドを呼んで農園を守るように言ってくれ」

「わかった!」

ラグムントとリカルドは狩人であり、いざという時の戦闘もこなせる。

仮にブラックウルフがまたやってきたとしても、彼らなら持ちこたえることができるだろう。

「でも、命を優先で頼む! 作物は作り直せても人の命は作り直せないからな!」

獣人の戦闘力の高さはメルシアから聞いているので重々承知しているが、それでも無理は禁物だ。人の命よりも大切な作物なんて存在しない。

ネーアにそのことを厳命すると、俺は近くにいたゴーレムを呼び寄せた。

「全員、作業を中断し、農園の警備を優先させること」

創造主である俺が命令すると、ゴーレムはこくりと頷いて農園の警備を始めた。

一体のゴーレムを介して、他のゴーレムにも命令が届き、続々とゴーレムが集まってくる。

農業用のゴーレムではあるが、馬力は人間とは比べ物にならない。大勢並べているだけでブラックウルフへの大きな牽制となるだろう。

残った俺は森に向かうためゴーレム馬にまたがる。

すると、メルシアが見事な跳躍で俺の後ろに乗ってきた。

「イサギ様、お供いたします」

前回の素材採取でメルシアの戦闘能力が桁外れだということは十分に理解している。

彼女の同行を拒否する理由はない。

「ちょっとスピードを出すから落ちないようにしっかりと掴まって」

「はい!」

肯定を意味する返事をすると、メルシアは嬉しそうに笑って腰に手を回した。





ゴーレム馬に乗った俺とメルシアは、ブラックウルフの生息する西の森に入る。

スイカ畑から薄っすらと直線状に足跡が残っているが、俺の目ではしっかり追うことができているか自信がない。

「メルシア、こっちの方角で合っているかな?」

「はい。足跡は依然として奥まで続いておりますし、ほのかに匂いも残っています」

「わかった」

メルシアに痕跡の観察は任せて、俺はゴーレム馬を走らせることだけに集中する。

魔石による魔力を動力としているために通常の馬よりも速く走れるが、何分周囲には木々が乱立しているし、地面にも起伏があるからな。転ばないようにしっかりしないと。

「止まってくださいイサギ様!」

しばらく真っすぐに走っていると、不意にメルシアが叫んだので急いでゴーレム馬を停止させる。急停止させたために身体がグッと前に流されたが、しっかりと手綱を握って耐えていたために落ちることはなかった。

「どうしたのメルシア?」

「ブラックウルフの匂いが一気に濃密になり広がりました。私たちはハメられたかもしれません」

疑問の言葉を発しようとした瞬間、周囲に大量の魔物の気配を感じた。

薄暗い森の中に隠れるように何体ものブラックウルフがいる。

「いつの間にこんな数が……」

「追跡している我々に気付いて誘導したのでしょう」

「いくら集団行動が得意なブラックウルフとはいえ、そんなことをできるはずが……」

基本的に魔物は人間よりも知性の劣る生き物だ。

そんな作戦を思いつけるわけがない。

となると、通常の魔物よりも遥かに知性が優れ、群れを統率するだけの力をも備えた上位個体がいることになる。

一体、どこにそんな奴が……

「イサギ様!」

思考していると、突然メルシアがこちらに覆いかぶさってきた。

ゴーレム馬から落ちて地面に転がっていく。

何が起こったのかと視線を巡らせると、ゴーレム馬の影から大きな狼が飛び出してくるのが見えた。

狼は強靭な爪を振るい、ゴーレム馬を両断した。

即座に受け身を取って立ち上がると、俺たちのいた場所にはブラックウルフよりも二回り以上も大きく紫がかった毛並みをした魔物がいた。



「イサギ様、あの魔物は?」

「……シャドーウルフだと思う。影を操ることのできる危険な魔物さ」

帝城で魔物の文献を読み漁っていた時に見た覚えがある。

影の中から出てきた能力を見る限り間違いない。

「冒険者ギルドによって定められた討伐ランクはA。騎士団を動員し、大勢の被害を出しながらも討伐できるようなレベルだよ」

「そのような魔物が村の傍にいたとは……」

さすがにこのレベルの魔物が出現するのは珍しいのか、メルシアも戸惑っている様子だった。

しまったな。最悪の事態を想定して入念の準備を整え、大勢の仲間を連れてくるべきだった。

とはいえ、上位個体がいるとは思わなかった。おいそれと出現するものではないからな。

「なんだこれは? 馬ではないのか?」

自らの影を触手のように伸ばし、ゴーレム馬を小突くシャドーウルフ。

群がっているブラックウルフも不満そうな唸り声をあげている。

馬であったなら彼らの食料になったかもしれないが、残念ながら銅を中心に作られたゴーレムだ。魔石ぐらいしか食べるところはないだろうな。

なんて考えている場合じゃない、相手は言葉を話すほどの知性を持っている。これは上位個体の中でも相当の実力を持っているかもしれない。

「メルシアならシャドーウルフを倒すことはできる?」

「……良くて五分五分といったところでしょう」

本気になれば、討伐ランクAの魔物とも単身で渡り合えること時点ですごい。

でも、そんな彼女でも半分の確立で負けるという。

俺が助太刀に入って少しでも勝率を上げる作戦もあるが、周囲にいるブラックウルフの存在を考えるとそうはさせてくれないだろうな。

「私が時間を稼ぎます。イサギ様はその隙にお逃げください」

「ダメだ。メルシアを置いて逃げるなんてできない」

どちらかの生存を考えれば、それが最適なのかもしれないがそんなことはしたくない。

「ですが……っ!」

「メルシアは、俺が帝城から追放されても支えてくれた。自分が窮地に陥ったからといって見捨てるなんてことは断固としてできないね」

「……イサギ様」

非論理的だとはわかっている。だけど、男として――それ以前に一人の人間としてメルシアを見捨てるという選択肢だけは選べない。たとえ、それで俺が死ぬことになっても。

「クククッ、こんな時に仲間割れとはな」

俺たちの会話を聞いて、シャドーウルフが低い声で笑う。

矮小な生き物がもがき苦しむ様を楽しんで見ているようだ。趣味が悪い。

だけど、見たところ相手はこちらをすぐに襲うつもりはない様子。

嬲り殺しにするためか一種の娯楽と感じているのかは知らないが、襲い掛かってこないのであれば交渉の余地がある。

なにせ相手は上位個体であり、しっかりと知性があるのだ。こちらの言葉を十分に理解できているのであれば、交渉する余地はある。

「……取り引きをしよう」

「イサギ様?」

「ほお? 人間が魔物である我らと取り引きをしようというのか?」

「そういうことさ。話が早くて助かる」

「面白い。言ってみろ。つまらなければ殺して食う」

正直、今にも襲われそうで怖いが、俺たちの命や今度のことを考えると、ここが度胸の見せどころだ。

「昨夜、うちの農園にあるスイカが荒らされてしまった。これを食べたのは君たちで間違いないかい?」

マジックバッグから回収した一部のスイカを取り出すと、周囲にいたブラックウルフの何体かがピクリと身体を震わせた。

赤い舌を出し、物欲しそうな視線が突き刺さるのを感じる。

「ほう、それはスイカというのか。甘い香りが漂っていたので取りに行かせて食べてみたら非常に美味かった。今夜は俺自身も降りて食べにいくつもりだ」

やっぱり、メルシアの言った通り、味をしめてしまったようだ。

しかも、今度はブラックウルフだけでなくシャドーウルフ自身も向かうと言っている。

そんなことになれば、うちの農園の作物だけで被害が済むとはとても思えない。

「そうしたらスイカがなくなってしまうぞ?」

「無くなったらまた次を探すまでだ」

「残念ながらあのスイカはあそこでしか育たない上に、俺たちしか育てられない。お前たちが食べ尽くし、俺たちを殺せば二度と食べることはできない」

「なに?」

余裕の笑みを浮かべていたシャドーウルフだが、俺の言葉を聞いた瞬間に笑みを引っ込めた。

まさか、この村でしか食べられないとは思っていなかったのだろう。シャドーウルフは想定外といった様子で考え込んでいる。

周囲にいたブラックウルフも、何となく言葉の意味が理解できたのかあからさまに動揺し始めた。

うちのスイカが相当お気に召したようだ。

嬉しいっちゃ嬉しいが、無茶苦茶に食い荒らされた現状を考えると素直に喜べない。

しばらく考え込んだ末に、シャドーウルフは口を開いた。

「……それで貴様は何を要求するつもりだ? 食べたら無くなるから我らに退けとでも?」

それが出来たら最善なのだが、あのスイカの美味しさを知ったシャドーウルフたちが素直にそれを呑むはずがない。相手には一ミリもメリットがないのだから。

「いや、違う。君たちにはうちの農園の作物を守ってほしい。その代わり、俺たちは育てたスイカをはじめとする作物を君たちに提供する」

「我らを番犬扱いするつもりか?」

シャドーウルフの毛が逆立ち、憤怒を露わにした。

その気迫にメルシアが臨戦態勢を取ろうとするが静止させた。

臆するな。ここが正念場だ。

「それは捉え方次第だよ。君たちからすれば、俺たちは美味しい食材を出し続ける家畜のような存在とも考えられる」

「確かにそれもそうだ」

「互いにメリットがあると思うんだけど、どうだろう? うちの農園にはスイカ以外にも美味しい食べ物がたくさんあるよ」

「……しばし待て」

ダメ押しとばかりに美味しい食べ物がまだまだあることを告げると、シャドーウルフとブラックウルフたちは一か所に集まり始めた。

そして、俺たちにはわからない鳴き声を上げて何やら話し合っている様子。

群れのリーダーとはいえ、ちゃんと話し合ったりするんだな。興味深い。

しばらく様子を窺っていると、話し合いが終わったのかシャドーウルフたちが元の位置に戻った。そして、大仰な声音で言う。

「人間よ。取り引きに乗ってやろう」

「本当かい?」

「ただし、我らの腹を満たし満足させることができねば、即座に取り引きは破棄だ」

「問題ないよ。うちの農園の生産力も美味しさもどこにも負けないから」

こうして俺はシャドーウルフとブラックウルフの群れを農園の頼もしいパートナーとして迎え入れることにした。



「メルシアちゃん、イサギさん! よく無事で戻ってきたよ!」

農園に戻ってくると俺とメルシアを見て、ネーアが叫んだ。

その声に反応してリカルドとラグムントもやってくる。

いつもの従業員服ではなく、革鎧などの防具や剣を腰に佩いていて武装状態だ。

もしもの際に備えて、ずっと警戒してくれていたのだろう。

「予想よりも大分遅かったから心配したぜ」

「ごめんね。ゴーレム馬が壊れちゃったせいで帰ってくるのが遅くなった」

シャドーウルフと取り引きをしていたこともあるが、単純に足であるゴーレム馬を壊されたせいで俺たちは徒歩で帰ることになってしまった。それが遅くなった最大の原因だ。

「お怪我はありませんか?」

「うん、幸いなことになんともないよ」

「軽い擦り傷程度で怪我と言えるレベルではありません」

ラグムントの問いに俺とメルシアが答えると、三人ともホッとしたように息を吐いた。

「よかった。無事に帰ってきたってことは、ブラックウルフたちは討伐できたってことだよね?」

胸を撫で下ろしながら尋ねてくるネーア。

安堵しているところに物騒な事実を告げるのが申し訳ないな。

「……えーっと、そのことなんだけど、慌てずに聞いてほしいことがあって……」

「おい、もういいか?」

「よくない! 今から説明するところだってば……っ!」

どう説明したものかと迷っていると、俺の影からシャドーウルフがぬっと顔を出した。

「にゃー! イサギさんの影に魔物がいる!」

これにはネーアが驚き、ラグムントとリカルドがすぐに剣を抜いて臨戦態勢に入った。

「二人とも落ち着いて。きちんと説明するから」

冷静な声音で言うと、二人は呼吸を整えて構えを解いてくれた。ただし、強力な魔物を前にしているからか剣から手を離すことがないが、目の前に突然魔物が現れては仕方がないことだろう。

少し落ち着いたところで俺は森での出来事を三人に説明する。

「まさか、村の近くに上位個体がいるとは……」

「こんなおっかねえ魔物によく取り引きを持ち掛けるなんて案外やるな!」

「シャドーウルフだっけ? とにかく、二人が無事でよかったよ」

一連の流れを話すと、三人は納得したのか警戒心を解いてくれた。

「あれ? すんなりと受け入れるんだね?」

魔物を農園に連れてきているんだ。

もっと強い拒否感のようなものを抱かれると思っていたのだが。

帝都だと絶対に受け入れられない事案だと思う。

「んん? 別に動物や魔物を強い奴が従えるのは当然のことだろ?」

「村人の中にも何人か魔物を連れている人もいるしね」

おそるおそる尋ねると、リカルドとネーアがなんでもないことのように言う。

どうやら獣人たちの間では、屈服させた魔物を従えるのはよくあることらしい。

身体能力が高く、野性味が強い獣人だからこその文化なのかもしれない。

この様子を見る限り、従業員たちが特別な感性をしているわけでもなさそうだ。

最大の懸念事項が問題なかったようで心底ホッとした。

「訂正しろ。我はこの者たちに屈服して従っているわけではない。あくまで利害の一致で協力してやっているだけだ。そこを履き違えるな」

ただリカルドの言い分に我慢ならないのがシャドーウルフだ。

唸り声を上げてすごんでいるが、影から頭しか出ていないためにいまいち迫力が欠けている。

「ごめんね。そういうわけだから訂正してくれる?」

「すまん。あくまで利害の一致での取り引きだな」

「フン、気をつけろ」

リカルドが謝罪し訂正の言葉を述べると、シャドーウルフはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

とりあえず、許してもらえたようだが、まだ同じことを繰り返せば怒りそうだな。

この関係についてはしっかりと周知させておこう。

「とりあえず、ブラックウルフたちが襲撃してくる心配はなくなったからロドスやノーラにも伝えて、いつもの仕事に戻ってくれる?」

「わかった!」

ブラックウルフたちがパートナーになったので厳戒態勢を維持する必要はない。

そのように伝えると、三人はそれぞれの持ち場に戻っていく。

ついでに近くにいるゴーレムを呼び寄せると、こちらも厳戒態勢は解いていつもの農作業に戻るように伝えた。

武装していた従業員やゴーレムがいなくなり、物々しい雰囲気に包まれていた農園がいつも通りのものとなる。

やっぱり俺の農園はこうでないとな。

「いい加減外に出るぞ?」

「いいよ」

こくりと頷くと、シャドーウルフは影から飛び出した。

軽やかに着地をするとブルりと全身を震わせる。

おっかない見た目と大きさをしているが、こうした仕草を見ると犬みたいだなと思ってしまう。言うと、絶対に怒るから言わないけど。

「さて、改めて役割の整理をしようか。シャドーウルフたちの役割はこの農園を守ること。昼間は従業員やゴーレムもいるから大人数で守る必要はなくて、どっちかというと俺たちの目が届きにくい夜の警備に力を入れてほしいかな」

「問題ない」

「じゃあ、次はそっちの要望だね。どのくらいの頻度で作物の提供を望んでいるんだい?」



「一週間……と言いたいところだが、さすがにその頻度では無理があるだろう?」

「可能か不可能かでいったら可能だね」

「なに? 人間共がやっている農業とやらは時間をかけて作物を育てるのではないのか?」

「普通はそうなんだけど、うちの農園は特別だからね」

コニアの商会に卸すことを考えても、作物にかなり余裕がある状態だ。

ブラックウルフたちの数も三十体程度。そのくらいの数の腹を満たすくらいであれば毎日でも問題ない。

「ならば、逆に問おう。どの頻度であれば貴様が枯れることなく提供することができる?」

無茶を突き付けてこない辺り、このシャドーウルフも冷静だな。

堅実に長く供給を受けようという狙いがあるのだろうけど、こちらとしては大変有難い。

毎日、群れ全体のお腹を満たし続けることは可能だが、さすがに今の従業員数では日々の業務内容を大きく圧迫してしまう。それが大きな問題だ。

「メルシア、どの程度の期間なら日々の業務を圧迫せずに提供できる?」

「五日に一度くらいの頻度であれば負担なく業務を回せるかと」

「農園を警備してくれた個体には毎日お腹が膨れるほどの作物を提供。そして、五日ごとに群れ全体の腹が満たされる量を渡すっていうのはどうかな?」

「悪くない。そうしろ」

シャドーウルフの反応はかなり良い。

想像上に早い作物の提供体制に素直に喜んでいるようだ。

「それぞれの役割が定まったところで、次は大まかなルールを決めようか」

「ルール?」

「うん。互いが心地よく過ごすための決め事さ」

「……言ってみろ」

胡乱な反応を見せていたシャドーウルフであるが、話を聞くつもりになったのかお尻をペタンと地面につけた。

とはいっても、ルールとは簡単なものだ。

初歩的な部分をきちんと守ってくれればいい。

人を襲わないこと。物を壊さないこと。

勝手に農園に作物に手をつけないこと、汚さないこと。

他の魔物に従業員が襲われれば助けること。

「我らの役割は農園を守ることだ。そこにいる人間たちを守ることは役割に入っていない」

「従業員がいなければ、作物を作ることはできないんだ。従業員がいなくなれば結果として大きな損失となってしまう。従業員たちも農園の一部だと思ってほしいな」

「ぐぬぬ、なんだかいいように言いくるめられている気がするぞ」

「そんなことはないよ」

「言い分に一理あることは認めてやろう。だが、必ず全員守ることは約束できない」

「それで十分だよ」

あくまで重要なのは従業員を尊重し、大切に思ってもらうことだ。

俺の言うことしか耳を傾けず、農園で好き勝手に振舞われたりしたら後の問題になるからね。

「ルールはそんなものか?」

「うん。判断が付かないことや困ったことがあったら適宜話し合う感じで」

「お前たち、そういうわけだ。ルールを順守した上で役割をこなせ」

シャドーウルフの影が大きく広がると、そこからブラックウルフたちが十体ほど出てきて散開した。それぞれの区画に移動して、警備にあたってくれるのだろう。

これだけの数のブラックウルフがいれば、実に心強い。

「その影ってブラックウルフたちも入ることができるんだ」

「それだけじゃなく、我と居場所を入れ替わることもできる」

「便利な能力だね」

「まあな」

まさか居場所を入れ替わることもできるとは驚きだ。

もし、あのままメルシアと一緒に戦うことを選択していたら、間違いなく苦戦させられたことは間違いないだろうな。

「イサギ様、私は父をはじめとする村人たちに状況を説明してこようかと思います」

「そうだね。悪いけどお願いするよ」

説明も無しにブラックウルフがいると、村人たちが驚いてしまう。

メルシアに迅速な情報伝達を頼むことにした。

「……おい、我が農園に出向いているということは、取り決め通りに作物が支給されると考えていいのだな?」

意訳すると、これは早くスイカを食べさせろということだろう。

「そうだね。早速、スイカ畑に案内するよ」

催促してくるシャドーウルフに微笑ましさを感じながら、俺はスイカ畑へと案内する。

今朝はブラックウルフに荒らされてしまったスイカ畑だが、ネーアがきちんと処理をしてくれたのかある程度綺麗になっていた。

「食べていいのはどれだ?」

わざわざ聞いてくるのは勝手に作物に手をつけないというルールを順守してくれているからだろう。

スイカの表面の縞模様がはっきりとしたものを手に取って、軽く手で叩いて音を聞く。

ツルの付け根もしっかりと盛り上がっており、おへその部分も大きい。

これが一番の食べごろだろう。

「これが美味しいよ」

ツルをナイフで切り取ると、シャドーウルフの前に持ってくる。

「待ってて。今、切り分けてあげるから」

「そんなものは不要だ」

包丁で切り分けてあげようと思ったが、シャドーウルフは強靭な爪を振るってスイカは綺麗に真っ二つにした。そして、ぱっくりと割れたスイカに勢いよく顔を突っ込む。

「おお、これだ! 鮮やかな果肉と心地のいいシャリシャリ感! すっきりとした甘みがいつまでも口の中を飽きさせない! 美味い!」

がつがつとスイカを食べながら歓喜の声を上げるシャドーウルフ。

よっぽどスイカが気に入っているようだ。

肉食の魔物なのにスイカを気に入るなんて不思議だな。

美味しそうに食べているシャドーウルフを見ていたら、俺もスイカを食べたくなってきた。

「せっかくだし、俺も少し食べようかな」

手短に美味しそうなスイカを見つけると、同じように収穫する。

「ねえ、これを半分の半分くらいに切り分けてくれない?」

「なぜ我がそのようなことを……」

「俺が食べる分以外はあげるから」

「よこせ。切り分けてやろう」

渋っていたシャドウウルフだが、対価を用意するとすんなりと引き受けてくれた。

鋭い爪が振るわれて、綺麗な四分の一サイズのスイカが出来上がる。

「残りは貰うぞ」

「どうぞ」

さすがに一人で全部食べるには多いからね。自分が食べる部分だけ四分の一だけを手に取ると、残りはすべてシャドウウルフに渡した。

切り分けてもらったスイカを口にする。

爽やかなスイカの味がとても気持ちがいい。

品種改良で糖度を引き上げているお陰か実にいい甘みを出していた。

夏の到来を前にしてこの美味しさだ。本格的な夏がやってきたら、もっと美味しく感じるだろう。

「そういえば、まだ名前を名乗っていないことに気付いたんだけど」

「今更だな」

「俺の名前はイサギ。君は?」

「……我に名前などない」

「じゃあ、名前を付けてもいい?」

群れの中でも会話ができるのは、このシャドウウルフだけだ。意思の疎通を行う上で名前がないのは不便だと感じた。

「……言ってみろ」

その言葉から察するに名前を付けられることに拒否感は抱いていないらしい。

「コクロウっていうのはどう?」

名前の由来はシャドーウルフの見た目を体現した、漆黒の狼という意味だ。

厳密には体毛は黒というより少し紫がかったものであるが、わかりやすさと呼びやすさで決めさせてもらった。

カゲロウっていう呼び名の案もあったけど、通称の名前として通っているシャドーウルフと似通っていたので面白味がないと感じた。

「コクロウか……まあ悪くはないだろう」

ネーミングセンスに自信があるわけではないが、反応を見る限りまんざらでもない様子だった。



コクロウやブラックウルフが警備についてから農園は平和だ。

以前まではちょいちょいと鹿がやってきたり猪が敷地に入ってきたりなどの小さな被害があったが今は完全に皆無である。

一日中、魔物が警備についていると野生動物としてもおっかなくて近寄れないのだろう。いくら美味しい食べ物があっても、足を踏み入れた瞬間に死んでしまっては意味がないだろうしな。

三十体近くいるブラックウルフたちであるが、夜の警備はコクロウを合わせて十体が担当してくれている。

日中は従業員もいることもあって六体くらい。コクロウの影を介して交代制で担当しているようだ。

「まったく、どいつもこいつも農園に連れていけとうるさくて仕方がない。我ら魔物は自然と共に自由に生きるのだ。人間共に懐柔されるなどとはあってはならん」

群れのボスであるコクロウが嘆かわしそうに言った。

当の本人は寝転がっており、傍にいるメルシアに体を撫でられて気持ち良さそうにしている。

コクロウ自身がまさに懐柔の象徴だと思うのだが、突っ込み待ちなのだろうか?

にしてもコクロウの毛並みはモフモフとしてとても気持ち良さそうだ。俺も撫でてみたい。

「行きたくないと言われるよりも何倍もいいんじゃない?」

それとなく背中に手を伸ばそうとすると尻尾に手を叩かれた。

「シレッと我の体に触ろうとするな」

「なんで俺はダメなの?」

「貴様は撫でるのがヘタだ」

率直過ぎるコクロウの意見に傷付いた。

「じゃあ、今撫でているメルシアや他の従業員は上手なの?」

農園を警備しているコクロウやブラックウルフのことを従業員たちも受け入れており、休憩時間に撫でていたり、じゃれていたりする風景を目にする。

「うむ、獣人だけあって実に撫でるツボを抑えている」

メルシアの細い手がコクロウの耳周りを撫でて、額、首元と滑らかに移動していく。

実に手慣れた指使いだ。

彼女が手を動かす度にコクロウが気持ち良さそうに目を細めている。

メルシアや他の従業員が撫でられているのは、撫でるツボとやらを的確に抑えているかららしい。

ということは、俺もそれを会得すれば撫でられるということか。

「俺にも撫で方がわかった。撫でさせてくれ」

俺がそう言うと、コクロウは嫌そうな顔をしながらも抵抗はしなかった。

それを肯定と捉えた俺はコクロウの額に手を伸ばす。

すると、ふっさりとした毛の感触がした。背中やお腹の体毛と違い、毛が細いからかとても手触りが滑らかだ。コクロウの体温を直に感じて温かい。

「ええい! やはり貴様の撫で方は鬱陶しい!」

夢中になって撫でていると、コクロウが鬱陶しそうに身を震わせた。

「あっ、ごめん! 手触りが良いせいでつい夢中になっちゃった。もう一回お願い!」

「我を練習台にするな。撫でるのを練習したいならブラックウルフでも撫でておけ」

「撫でようとすると逃げるんだよ」

勿論、ブラックウルフも何度か撫でた。でも、撫でられたのは最初だけで、すぐに嫌がられるようになってしまったんだ。

「だろうな」

コクロウはブラックウルフたちが逃げる理由をわかっているようだが、教えてくれるつもりはないようだ。冷たい。





コクロウにすげなくされて凹んだ俺は、工房の地下にある実験農場で品種改良に精を出していた。

農園で育てている作物の成長は順調だ。従業員やゴーレムたちのお陰で毎日のように安定した量の収穫ができている。

農園の動きが順調だと俺のリソースが十分に空くわけ、その分の時間を研究へと割り振れるわけだ。

実験農場に生っている改良中のブドウを一粒食べてみる。

「うーん、繁殖力は強いみたいだけど味はいまいちだ。繁殖力と味のバランス調整は難しいな」

以前の研究データを元にして改良をして成育速度の向上を図ったが、今度は味のバランスが崩れてしまった。

驚異的な成長の速さは素晴らしいが、美味しさが損なわれてしまっては元も子もない。

成育記録にメモをして新しい方針を考える。

「大量生産は諦めて、いっそのこと一点ものにしようかな……?」

この際、繁殖力の方は諦めて、味に特化したものを少量ずつ作るのもありかもしれない。

たくさん食べられないというデメリットはあるが、元はメルシアにプレゼントするためのものだ。彼女が安定して食べられる分の生産ができればいいのだ。

仮にワンダフル商会に求められたとしても、稀少さと美味しさを前に出して販売してもらえれば問題ないだろう。

「うん、次はその方針でやってみよう」

方針を切り替えることにした俺は、素材の選定からやり直すために実験農場を出て工房に戻った。





「イサギ様、ここ最近根を詰めすぎではないでしょうか?」

工房に籠って作業をしていると、メルシアが入ってくるなり言った。

「そうかな?」

「ここ二週間の間。ずっと工房に籠ってお仕事をされています」

「そんなに経ってたんだ」

「イサギ様が研究に専念できることは大変喜ばしいことですが、限度というものがあります。たまには休憩してお外にも出ませんと、お体の方が壊れてしまいます」

こちらを真っすぐに見据えるメルシアの瞳には心配の色がありありと見てとれた。

思えば、ここ最近は実験農場の魔道具でしか日光を浴びていない。

座りっぱなしでの作業も長いせいか全身がガチガチだ。

彼女の言う通り、一度身体を休めてあげた方がいいだろう。

「わかった。今日は休日にするよ」

「それがよろしいかと」

そう言うと、メルシアはホッとしたように笑みを浮かべた。

「休日かぁ。具体的には何をしようかな」

今日も作物の品種改良に取り組み気満々だったので、突然休みとなると何をしたらいいかわからなくなる。

「本日は天気もよろしいですし、ピクニックなどいかがでしょう? 近くに綺麗な花畑があるんです」

「いいね! じゃあ、ピクニックに行こうか! 早速お弁当の準備をしないと……」

「既にできています」

動き出そうとすると、メルシアが後ろから大きなバスケットを取り出した。

「用意がいいね」

「それがメイドの務めですから」

どうやら俺が休みを取るのは決定済みで、先回りして作っていたようだ。

なんだかとても手の平の上で転がされている感じがするけど、不思議と悪い気分じゃなかった。

お弁当が出来ているのであれば、特にこれといって準備するものもないので俺とメルシアは工房を出ることにした。

「どうせなら他の従業員たちも誘いたいところだけど、さすがに仕事中に誘うのは忍びないね」

ピクニックに行くのであれば賑やかに行きたいところだけど、業務を放り出させて従業員を連れ出すのは気が引ける。

「彼らには業務にひと段落つけたら花畑にやってくるように伝達していますので、後から合流しますよ」

「……なんか色々と調整してもらってごめんね?」

「いえ、ちょうど従業員にも息抜きは必要かと思っていましたので」

もう正式な雇用主もメルシアでいいんじゃないかと思うくらいの有望ぶりだ。

農園の業務を丸投げしている俺としては頭が上がらないや。

「それでは行くか」

「うわっ!」

従業員も後から合流してくることがわかってホッとしていると、足元の影からぬっとコクロウが出てきた。

どうやら俺の影に入り込んでいたらしい。まったく気づかなかった。

「というか、コクロウも来るんだ」

「従業員を労うように我にも労いがあっても問題はないだろう? 警備の方はブラックウルフたちを多めに配備してあるから心配するな」

別に来てはいけないとかじゃなく、ピクニックという催しに興味があることが意外だった。

自身や従業員がいなくなることを見越して、普段よりも厚めに警備をしてくれているし問題ないだろう。コクロウたちがやってきて農園が安全になっていることは確かだからな。

そんなわけでコクロウを加えた俺とメルシアは花畑に向かうことにした。



農園を設立してからは敷地内に籠ることが増えたので、敷地外に出ることがとても新鮮だ。

花畑は東方面にあるので本日進む先は中心地ではなく東方向。

「天気がいい中、歩くのは気持ちがいいね」

「うむ、我も人里を堂々と歩くことができて実に気分がいい」

上機嫌に尻尾を振りながら歩くコクロウだが、俺が言っていることとは大きく意味合いが異なるように感じた。

村全体に存在を周知され、受け入れられているコクロウたちだが、無暗に歩き回ることは認められていないので、こうやって農園の外を歩くことができて嬉しいのだろう。

少なくとも人間族が多く住む街や村ならば、魔物が付近をうろつくなど絶対にありえない光景だ。帝都で長年住んでいた俺の感覚では未だに少し慣れない。

桟橋を渡って道を歩いていくと畑や民家の姿はなくなり、だだっ広い並木道へと変化。

そこをさらに奥へ進んでいくと、花畑へとたどり着いた。

「着きました。ここが花畑です」

「うわー、想像よりもずっと広くて綺麗だ!」

視界では色鮮やかな花々が咲き誇っていた。しかも、それが地平線の奥までだ。

プルメニア村の近くにこんなに広大な花畑があるなんて知らなかった。

「スンスン……花の香りだな」

「そりゃ、花畑だからね」

真顔で当然のことを言うコクロウに思わず突っ込む。

これだけたくさんの花が咲いているのに、他の香りがしたらおかしいと思う。

頓珍漢なことを言うコクロウを放置して、俺は傍にある花を観察する。

「この黄色い花はなんていうんだろう?」

「ガンザニアです」

「じゃあ、こっちの彩り豊かな丸い花は?」

「トリスナーという花です」

などと尋ねてみると、メルシアはすらすらと答えてくれる。

故郷の花だけあって熟知しているようだ。

俺には花に含まれている成分がわかるだけで名称はサッパリだ。

素材になる花は知っていても、こういった普通の花のことは何も知らないんだな。

他にもグラデーションがかった艶やかな花や、丸みを帯びた白や赤など彩り豊かな花、筒状の淡い青色の花弁を密集させた花といった様々な種類のものがある。

どれも皆違ってとても綺麗だ。

「ここにある花は摘んでも大丈夫?」

「良識的な分であれば」

好奇心に身を任せる前に尋ねてみると、ちょっとくらいならば問題ないようだ。

俺はガンザニアと呼ばれる黄色い花を摘み取ると、錬金術を発動させた。

「ガンザニアの花びらが青色に……!」

「錬金術で色素成分を変質させたんだ。メルシアにあげるよ」

「えっ?」

色素を変化させたガンザニアを手渡すと、メルシアがきょとんと驚いたような顔をした。

「ごめん。迷惑だったかな……?」

急に花を渡すなんて気障な行いをしたのでドン引きされてしまったのだろうか。

ずっと錬金術一筋だったので、こういった男女の機微が俺にはわからない。

「あっ、いえ違います! イサギ様はご存知ないと思いますが、ガンザニアを異性に贈ることには少し特別な意味があったので驚いてしまいました」

「えっ! ちなみにその特別な意味を聞いても?」

「内緒です」

慌てて花言葉の意味を尋ねると、メルシアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「……なんか怖いから返してもらってもいい?」

「ダメです。これはイサギ様から頂いたものですから、もう私のものです」

意味をわからずに渡してしまったのが怖くて取り返そうとするが、メルシアはそれを守るように胸元でガンザニアを抱えてしまった。

さすがに女性の胸元に腕を突っ込んで取り返すような乱暴な真似はできないので諦めるしかなかった。

ガンザニアの花言葉の意味はなんなのだろう? 従業員に聞くとからかわれそうなのでシエナにでも今度聞いてみよう。

「おい、我はそろそろ腹が減ったぞ」

などと考えていると、花畑をうろついていたコクロウからそんな要望が。

「はいはい。それじゃあ、少し早いけど昼食にしようか」

昼食を食べるには少し早いが、コクロウがごねると面倒なので早めに昼食を摂ることにした。

花畑の傍にある木の周りがちょうどいい感じにスペースが空いているので、マジックバッグから取り出したシートを敷いてそこに座った。

「今日はサンドイッチです」

メルシアが持ってきたバスケットを開くと、中にはぎっしりとサンドイッチが詰まっていた。

肉と野菜を挟んだものや、ポテトや野菜だけを挟んだものと様々な種類のものがあるようだ。パンの種類も三角形のものではなく、ホットサンドのように火を通したものや、ホットドッグなどもあり非常に凝っていた。

俺は分厚いハムにレタス、トマトなどが挟まったノーマルなサンドイッチを選んだ。

「我の分もよこせ」

「はいはい」

コクロウが催促してくるので俺と同じものを取り皿に載せてやった。

準備が整ったところで早速とサンドイッチを頬張る。

肉厚なハムがとてもジューシーだ。濃厚な肉の脂をパンがしっかりと吸収している。

レタスはシャキシャキとしており瑞々しく、トマトは果物のように甘くて程よい酸味をしている。

「うん、さすがはうちの農園で採れた野菜だね」

「イサギ様が改良したものは野菜だけでも美味しくいただけます」

そうコメントをするメルシアは分厚いトマトにキャベツだけが挟まった野菜サンドを食べていた。まさにあれはトマトを主食としたサンドイッチだろう。

うちのトマトの美味しさを考えると、十分にサンドイッチの主役を張れる美味しさだからな。

「おい、スイカサンドはないのか?」

「いや、さすがにそんなものは――」

「ありますよ」

「あるの!?」

コクロウから無茶な要望がきたと思ったが、メルシアはサンドイッチとして作っていたようだ。

「スイカとヨーグルト、クリームを挟んだスイーツ風と、塩で味付けしたスイカにスライスチーズ、レタスを挟んだノーマル風となります」

バスケットからコクロウの取り皿にサンドイッチを取り分けながらメルシアが説明する。

本当にあったよ。しかも二種類も。

鮮やかなスイカの赤い身が、肉厚なトマトやハムのようにも見える。

意外とサンドイッチとしての見栄えは悪くない。むしろ、彩り鮮やかで美味しそうだ。

「イサギ様もおひとつ食べてみますか?」

「うん、もらうよ」

シンプルにどんな味か気になる。まずはスイーツ風のものから。

横から見ると赤白二色。こういうボーダー柄のシャツを着ている人が帝都にはいたような気がする。

なんてどうでもいいことを思いながらパクリと食べてみる。

爽やかなスイカの甘みとヨーグルト、クリームの甘みが実にマッチしている。

「あっ、美味しい」

「当然だ。スイカが挟んであるのだから美味いに決まっている」

作ったわけでもないのに何故か偉そうにしているコクロウ。

口回りにスイカが付着しており威厳もあったものではない。

「私も作ってみて驚きましたが、意外とパンに挟んでみても合うんですよ」

「でも、ここまで美味しくできるのはメルシアの技術があってだよ。俺だったらスイカと何を合わせたら美味しく食べられるなんてわからないし」

仮に同じようにスイカを使ったサンドイッチを作れと言われても、同じように作れる気がしない。これはメルシアの調理技術と優れた味覚があってこそ完成したサンドイッチだろう。

「ありがとうございます。嬉しいです」

なんて素直に賞賛すると、メルシアはくすぐったそうに笑った。

帝都で出てきたような砂糖菓子のような甘いお菓子は苦手だが、このスイーツ風スイカサンドはいい塩梅の甘みだ。これだったら甘いものが苦手な人でもあっさりと食べられるだろう。でも、メルシアの言った通り、おかずというよりかはスイーツだな。

スイーツ風を食べ終わると、次はノーマル風サンドを食べてみる。

スイカのシャキシャキ感と食パンのふんわり感の組み合わせが楽しい。

スイカに塩をまぶされて甘じょっぱくなっているが、それをスライスチーズとレタスが見事に受け止めていた。

「うん、こっちも美味しい」

サンドイッチに合わなさそうに思えたスイカだが、食べてみると意外とイケるもんだ。

「あー! もうお弁当広げて食べてるー! あたしたちも混ぜてー!」

「お腹空いたんだなー」

スイカサンドを食べ終わると、ちょうどネーアをはじめとした従業員たちがやってきた。

どうやら午前中の仕事は終わったようだ。

「思っていたよりも早かったね」

「はい。もう少し多く仕事を割り振るべきでした」

「え?」

「いえ、なんでもありません。追加のシートをいただけますか?」

「う、うん。わかったよ」

メルシアの言葉の意味がわからなかったが、言われるままにマジックバッグからシートを広げた。

この日は、従業員を合わせた皆と花畑でゆっくりとした時間を過ごした。



「ワンダフル商会のコニアなのです! 作物の買い取りにやってきたのです!」

朝食を食べ終えると、玄関先から元気のいい声が響いた。

農園ができてから何度も行われているやり取りなので慌てることはない。

返事をすると、作物が大量に収容されているマジックバッグを手にして外に出る。

扉の傍にはコニアがちょこんと立っていた。今日も大きなリュックを背負っている。

敷地内には何台もの馬車と屈強な犬獣人たちが並んでいるが、これも見慣れた光景だ。

「おはようございます、イサギさん!」

「おはよう、コニア。いつも通り作物の買い取りだね?」

「はい! お願いするのです!」

要件を聞いたところで俺はマジックバッグを解放し、庭にドンドンと作物が収納された木箱を置いていく。

小麦、野菜、果物、薬草、山菜などと多岐に渡る作物がズラリと並んだ。

「確認なのです!」

「「はっ!」」

いつもの定量を放出すると、コニアの号令で犬獣人たちが動き出した。

ひとつひとつの木箱の蓋を開けて作物を確認していく。

こちらでも厳重に作物の状態などはチェックしているが、万が一があってはいけないので確認作業は大事だ。

「メルシアさんから手紙で聞いたのですが、農園の警備に魔物が加わっているとは本当なのですか?」

確認作業が終わるまで俺とコニアは待機となるので、この時間はいつも雑談がとなる。

「ええ、シャドーウルフとブラックウルフたちが警備についてくれますよ」

「どちらにいるのでしょう?」

小さな丸い尻尾を振りながら周囲を眺めるコニア。

魔物を警備に就かせていると聞いてもこの反応。

どうやら魔物を使役する、あるいは共生することに関してはプルメニア村の住民だけでなく、獣人全体として受け入れられているようだ。

言葉を話せるコクロウでも呼ぼうと思ったが、付近にはいない様子。

いつもどこかしらの影に隠れているのでこちらから見つけられないのが難点だ。

用が無い時は無駄に絡んでくるんだけどな。

コクロウがいないならばブラックウルフでもいいだろう。

「あそこのゴーレムの裏にブラックウルフがいますよ」

「本当なのです!」

「呼んでみましょうか?」

「お願いするのです!」

提案すると嬉しそうにコニアが頷いたので俺はブラックウルフに声をかけた。

個体によっては素っ気なくて呼んでも来てくれない奴もいるのだが、今回のブラックウルフはとても素直な個体のようだ。すくっと立ち上がってこちらに駆け寄ってくれた。

お礼にスイカを一切れ渡すと、ブラックウルフは嬉しそうにパクリと食べた。

「ふあああ、ブラックウルフなのです! イサギさん、触ってみても?」

「本人が許すのであれば問題ないですよ」

俺は撫でるのがヘタらしいので逃げられるが、獣人であるコニアであればツボを抑えているので問題ないだろう。

コニアがおそるおそる手を伸ばす。

それに対してブラックウルフはジーッと佇んでいたかと思いきや、急に跳躍してコニアの帽子を奪った。

「あっ! 私の帽子! 返すのです!」

尻もちをついたコニアはすぐに帽子がなくなったことに気付き、ブラックウルフを追いかけた。

コニアの反応を面白がってブラックウルフは逃げていく。

コニアも必死で追いかける。

身体は小さくてもさすがは獣人。短い手足からは想像もつかない速度だが、相手が俊敏性特化のブラックウルフとあっては分が悪いようだ。

というか、あんなに大きいリュックを背負ってよくあれだけ走れるな。

「こうなったら本気を出すのです!」

距離を詰めることができないことに焦れったくなったのか、コニアが遂に大きなリュックを下ろした。

すると、コニアの速度が爆発的に早くなって、瞬く間にブラックウルフに追いついた。

「獲ったのです!」

威勢のいい声を上げながら帽子を咥えたブラックウルフに飛びつくコニア。

しかし、次の瞬間ブラックウルフが影に沈んだ。

「ええええええええええ!」

目標を見失ったコニアは地面に見事なダイビングを決めることになった。

派手に土を撒き上げてコニアが転ぶ。

「ふえええ、急にブラックウルフがいなくなったのです」

「残念だったな小娘よ」

よろよろと上体を起こした先にはコクロウが意地の悪い笑みを浮かべていた。

ブラックウルフが捕まりそうになった瞬間に影へと移動させたのだろう。

実に性格が悪い。

そんなコクロウを前にしてコニアは怒るでも怯むでもなく、すぐに相手に飛びついた。

「シャドーウルフさん、捕まえたのです」

「なっ! 離せ小娘!」

まさか、初対面でいきなり抱き着いてくるとは思わなかったのだろう。

コクロウが動揺しながら身をよじる。

だけど、コニアはがっしりと抱き着いていて離れない。

「帽子を返してくれるまで絶対に離さないのです!」

身体は小さくとも身体能力は立派な獣人だ。あのように抱き着かれてはコクロウであっても容易に剥がすことはできないだろう。

「我が持っているわけではない!」

「あなたが魔物のリーダーなので、あなたが命令すればブラックウルフは返してくれるのです!」

「おい! 貴様、こいつをどうにかしろ!」

コニアの賢い行動に感心していると、コクロウがこちらを見ながら言ってくる。

「いつもみたいに影に逃げればいいじゃん」

「こんな風に纏わりつかれていては影に入ることもできん!」

便利な能力だが、それなりに制約もあるようだ。

「素直に帽子を返してあげればいいじゃん」

「それでは面白みがないであろう?」

本当にこいつという奴は……

「返してください!」

「くっ、わかった。返してやるから耳元で叫ぶな」

コニアを引き剝がさそうとしていたコクロウであるが、コニアの音響攻撃に折れたのか素直にブラックウルフを呼び寄せて帽子を返却した。





「コニアさん、収穫した作物をもう少し買い取っていきませんか?」

帽子を取り返して満足そうにしているコニアに俺は話しかけた。

「それは取り引きの量を増やしたいということなのです?」

「はい」

現状、農園での生産はワンダフル商会、コクロウやブラックウルフたちに支給する分を差し引いても多い。余っている分はマジックバッグに収納されているのだが、バッグの肥やしにばかりするのもどうかと思うのだ。可能なのであれば、もう少し多く買い取ってもらいたい。

「具体的にどのくらいの増量なのです?」

「現状の一・五倍くらいの量でいかがでしょう?」

具体的な数字を提示すると、コニアは腕を組んで唸った。

「……嬉しいご提案ではあるのですが、今すぐにというのは難しいところなのです。積み込めるだけの馬車が足りないですし、どこに配分するかという問題もあるのです」

「そうですよね」

さすがに今すぐに増量して買い取ってもらうというのは難しいか。コニアたちにも都合というものがあるだろうし。

「農園で生産した作物が余っているのです?」

「はい。安定して生産できるようになったのも理由の一つですが、研究で作り過ぎてしまったというのが大きな理由です」

俺が錬金術に集中できるようになった分、色々な作物の品種改良を行うようになった。

地下の実験農場で成功したものを、次は試験的に農園で育ててみる。

そんなことを繰り返していると、たくさんの作物が収穫できてしまったというわけだ。

特に最近は果物の品種改良を繰り返しているために果物余りがすごい。

ケルシーやシエナに渡したり、村人たちと物々交換をしてはいるが、それでも大量に余っている状態だ。

「それでしたら町に売りに行くというのはどうです? イサギさんの農園で育てた作物ならば、飛ぶように売れること間違いないのです!」

なるほど。自分たちで売りに行くという選択肢はなかったな。

街に売りに行くとなると作物を運ぶのがネックになるが、マジックバッグを持っている俺ならば大して苦にならない。

「ありがとうございます。早速、売りに行ってみようかと思います」

「お役に立てたようで良かったのです!」



ワンダフル商会との取り引きが終わった後、俺は農作業の指揮をしているメルシアに先ほどの出来事をかいつまんで話した。

「そういうわけで余った果物を町に売りに行こうと思うんだ」

「良いと思います。ちょうど生活用品を買い足したいと思っていたところでしたので私としても助かります」

町に作物を売りに行くことはメルシアも賛成のようだ。ついでに他の用事も消化できるのであれば、一石二鳥だろう。

「にゃー! 町に行くならあたしも連れてって!」

メルシアと町に行く段取りを話し合っていると、近くにいたらしいネーアが言ってきた。

どうやら作業をしながら聞き耳を立てていたらしい。

「どうして行きたいんです?」

「あたし、この農園で作った作物の美味しさをもっと皆に知ってもらいたいんだ!」

メルシアが尋ねると、ネーアが拳を握りながら熱く語った。

実に嘘くさい理由である。

普段から勤務態度が真面目なラグムントであれば、信用したかもしれないが、のらりくらりとやっているネーアの口から出たともなれば信用値は無いに等しい。

「で、本当の理由は?」

「仕事ばっかりで疲れた! たまに町に遊びに行きたい!」

改めて尋ねると、ネーアが実に素直な理由を吐いてくれた。

「にゃっ! しまった! イサギさんにハメられた!」

「いや、勝手に自分で吐いただけじゃないですか」

「とにかく、あたしも町に行きたい! 行きたいにゃ!」

やましい部分を疲れるも悪びれることなく、むしろ開き直ってみせるネーア。

この間、従業員たちの気分転換にピクニックに連れていったが、やはり町に行くのは別格のようだ。

「遊びに行くのではなく、あくまで仕事ですよ?」

「別にいいの! 村の外に行けるだけで気分転換になるから!」

ネーアの言葉を聞いて、メルシアが困ったようにため息を吐いた。

そして「どうしますか?」とばかりの視線を向けてくる。

「それじゃあ、ネーアさんに付いてきてもらいましょう」

「やった! それじゃ、準備してくるから待ってて!」

俺が了承すると駄々をこねていたネーアはすぐに動き出して、テキパキと仕事道具を片付け出した。

この後、行う作業もゴーレムにしっかりと引き継がせているのでぬかりは無い様子。

「私の幼馴染だといって気を遣っていませんか?」

「そういうわけじゃないよ。町で作物を売るにしても二人だとかなり忙しくなりそうだし、従業員の中ではネーアが一番接客できそうだし」

単純に俺たちの忙しさが分散するというのもあるが、こういう仕事はコミュニケーション力の高い彼女に向いていると思った。

決してメルシアの幼馴染だからとかいって甘やかしているわけではない。仕事なのでネーアにはしっかりと働いてもらうつもりだ。

「確かにそれもそうですね。接客の方はネーアに頑張ってもらいましょう」

メルシアがクスリと笑うと、後片付けをしていたネーアがぶるりと身を震わせていた。





「準備できたよー!」

準備を整えたらしきネーアがやってくる。

服装は作業着から着替えており、綺麗目なシャツに短パン、ストッキングといった私服になっていた。快活なネーアの雰囲気と実にマッチしている。

「着替えたんですね」

「そりゃ町に行くんだから当然だよ」

町に出る以上はそれなりに格好を整えておきたいというのが乙女心らしい。

一方メルシアは変わらずメイド服だ。

「メルシアちゃんも、たまには可愛いお洋服とか着よう?」

「今回は仕事ですので」

「ええー、つまんないー。メルシアちゃんの可愛いお洋服姿も見たいー」

それには同感だったが、今回は仕事で向かうのであまりグダグダしていられない。

「ここからだと、どこに売りに行くのがいいかな?」

なんとなくプルメニアの周囲の地形は把握しているが、どこの町に売りにいけばいいのかまではわからない。

「ここに来る途中に立ち寄ったミレーヌが良いかと思います」

ミレーヌというのは、俺とメルシアが帝国からやってくる途中に立ち寄った町だ。

プルメニア村からもっとも近い位置にあり、町の外にある集落や村から品物を売りに来る人たちが多く、活気のあった町だと思う。

「馬車で半日くらいの距離だね。今から急いで向かえば、ギリギリ夜までには戻ってこられるかな?」

「いえ、ゴーレム馬を使えば、三時間もかからないと思いますよ」

「そっか! あたしたちにはイサギさんの作ってくれたゴーレムがあるもんね!」

馬車を使えば片道で半日かかるだろうが、ゴーレム馬に乗っていけば大幅に時間は短縮できるだろう。

マジックバッグから量産したゴーレム馬を三台取り出す。

ワンダフル商会に素材を集めてもらったお陰でゴーレム馬の量産もしっかりとできており、農園で十台ほどが常に設置されているほどだ。

前回のようにメルシアに二人乗りをさせるような苦労はさせない。

だというのに、どことなくメルシアが不満そうな顔をしている気がした。

「どうしたの?」

「……いえ、なんでも」

尋ねてみると、メルシアは曖昧な返答をしながらゴーレム馬に跨った。

もしかして、ゴーレム馬の造形美に不満があるのだろうか? いや、前回と同じ見た目をしてるし違いはないんだけど……。

次にゴーレム馬を作る時は、もうちょっと見た目を意識して作ってみよう。

なんてことを考えながら俺もゴーレム馬に跨る。

「それじゃあ、行こうか」

ネーアも無事に跨って出発準備が整ったのを確認すると、俺はゴーレム馬を走らせた。

ゴーレム馬の脚が力強く地面を蹴ってドンドンと前に加速していく。

風を切って進む感覚が気持ちいい。本物の馬に乗っているかのような心地良さだ。

「ねえねえ、村の外だからもっとスピードを出してもいいよね?」

しばらくゴーレム馬を走らせていると、並走しているネーアが言ってきた。

農園内や村内で使われているゴーレム馬であるが、交通事故を懸念して高スピードで走らせることを禁止している。

しかし、ここはもうプルメニア村内ではない。ここまでやってくれば道を歩く人はほぼいない上に、視界が十分に開けているので仮に歩いている人がいても事故を起こすことはないだとう。

「そうですね。思いっきり走らせてみますか」

右足側にあるペダルを強く踏み込むと、内臓されている魔石が唸りを上げてゴーレム馬が一気に加速した。

あまりの速さに身体が流されそうになり慌てて手綱を強く握り占めた。

ペダルを踏みこんでいくと、ゴーレム馬はまだまだ加速していく。

「やっほー!」

「中々の速さですね」

同じようにペダルを踏みこんで加速させているネーアとメルシア。

ネーアは気持ち良さそうな声を上げており、メルシアは涼しそうな顔をしている。

あまりの速さに俺はおっかなビックリといった様子だけど、二人とも平気なようだ。

獣人だから本気で走れば、これくらいの速度が出るのかもしれないな。

未だに最高速ではないが、馬を全力で走らせた速度よりも速い。

ゴーレム馬を作ったのは俺自身なので馬力の強さはわかっていたが、想像以上だ。

徐々にスピードにも慣れてきて俺の心にも余裕が出てくるようになる。

速く走るって、こんなにも気持ちがいいんだ。

気が付けば俺もペダルを強く踏み込み、ネーアと同じように声を上げていた。



ゴーレム馬を走らせること一時間半。俺たちはミレーヌの町にやってきた。

目の前には灰色の大きな外壁がそびえ立っており、その下には大きな門がある。

「本当に短時間で着いちゃった」

「思っていた以上にゴーレム馬が速かったですね」

出発する際は三時間かかるだろうと思っていたが、ゴーレム馬の速度が予想以上で半分の時間でたどり着くことができた。

馬車を使えば、半日はかかるのでゴーレム馬の速度がどれだけデタラメかわかることだろう。

「この速さでやってこられるのであれば、今後も気軽にやってくることができそうです」

メルシアがどこか嬉しそうに呟く。

これだけ短時間でこられるのであれば、頻繁にやってくることは可能だ。

ゴーレム馬さえあれば、もっと気楽に買い物にやってこられる。

これがわかっただけでも今日は大きな収穫と言えるだろう。

とはいえ、今日の目的は持て余している在庫を減らし、お金を稼ぐこと。

きちんと町で作物を売らないとな。

門の前では鎧を身に纏に、槍を手にした騎士のような者が商人や旅人をチェックしている。

ゴーレム馬を降りてマジックバッグに収納すると、俺たちも同じように列に並んで。

列が進んでいくと、俺たちの番となる。

名前を告げ、どこからやってきて、どのような目的があるのかなどを告げると、すんなりと通された。

門をくぐると、石畳の道に煉瓦造りの建物が目に入った。

プルメニア村よりも建物が大きく数も段違いだ。

獣王国の町なので住んでいる人のほとんどが獣人。

だけど、ほんの少しだけ人間族、ドワーフ族、エルフ族などの他種族もチラホラ確認できる。

人口が多いだけあって他種族の割合もそれなりにいるようだ。

さすがに帝都のように栄えてはいないが、ミレーヌも十分に栄えている町だと言えるだろう。帝都は腐っても大国の首都だ。比べるのがおかしい。

「イサギさんはミレーヌにやってくるのは初めて?」

「プルメニア村にやってくる前に通りましたよ。とはいえ、馬車の乗り換えをしただけで本当に通っただけなんですけどね」

ここにやってきたのは本当に馬車の乗り換えのためだけだ。やってきてすぐに馬車を乗り換えて、出発しただけなので滞在していたとは言えないだろう。

「そうなんだ。じゃあ、今日はゆっくり見て回りなよ」

「そうですね。仕事がひと段落つけば」

興味の赴くままに見て回りたいが、それは仕事を終えてからだ。

「個人で商売をするにはどうしたらいい?」

こういった町では、周囲の集落や村からやってきた人、あるいは旅人のような者が商売できるようなシステムがあるはずだ。ミレーヌにやってくる前にメルシアから自由に商売ができると確認済みだ。

「自由市で手続きをしてお金を支払えば、貸し与えられた場所で商売をする権利を得られます。追加でお金を払えば、場所だけでなく小さな店や屋台も借りることもできますが、今回はどういったものを売るおつもりでしょう?」

「果物を売ろうと思う。それだけじゃなくて、ブレンダーで作ったフルーツジュースも提供してみようかなって」

在庫の多くを占めているのは品種改良した果物たちだ。

できれば、それらを商売品として扱って消費したい。

「なら、屋台形式で問題ないんじゃないかな? 果物とフルーツジュースならそんなに場所も必要ないし」

「私も問題ないと思います」

「わかった。なら、それでいこう」

ミレーヌについてはネーアやメルシアの方が詳しいので、俺は素直に従うことにした。

町の中心部分に向かっていくと、自由市にたどり着いた。

区画内には様々な屋台や店が立ち並んでおり、雑多な印象を受ける。

入り口の横では仮設テントが立っており、テーブルの傍には受付員がいた。

メルシアが受付に向かうと、基本プロフィールなどを記入。

お金を払って黙札を受け取ると、裏口に回って貸出用の屋台を受け取った。

そのまま自由市に入ると、木札の示す場所へと移動。

俺たちが商売できる場所は自由市の入り口に比較的近いところだった。

「さて、品物を出していこうか」

屋台をテキパキと設置していくと、俺はマジックバッグから果物を出していく。

イチゴ、リンゴ、バナナだけでなく、最近品種改良に成功したモモ、オレンジ、ナシなんかも陳列していく。

「よし、これで準備完了」

「えー、このままじゃ面白くないよ!」 

木箱に入れた果物を並べると、ネーアからそんなことを言われた。

これにはメルシアも俺もキョトンとしてしまう。

「面白い、面白くないは関係ないのでは?」

「そうそう。うちの果物は美味しいんですから」

「そんなのお客さんにはわからないじゃん?」

「……食べてもらえればわかります」

「そこに行くまでが遠いんだよ。きちんと手に取ってもらえるように工夫しないと」

確かにそれはそうかもしれない。

だけど、商売とは無縁の生活をしていた俺とメルシアにはどうすればいいかわからない。

俺は素直に助言を求めることにした。

「具体的には?」

「可愛い容器とか持ってない?」

「村で買った蔓籠ならたくさんありますけど?」

「いいね! それ出して!」

頼まれて、俺はプルメニア村で買った蔓で編まれた籠を出していく。

すると、ネーアは木箱からリンゴ、バナナ、オレンジ、モモ、ナシを少しずつ取っていって籠の中に詰め始めた。

「じゃーん! 果物詰め合わせセット! これなら見ためも鮮やかだし、お土産にも買いやすい!」

離れたところから屋台を見てみると、ネーアが詰め合わせてくれた果物セットがかなり目立っていた。

「これいくらかしら?」

これはいいかもしれないなどと思っていると、屋台に女性獣人がやってきた。

まさかもう客が来るとは思っておらず、価格設定もまともにしていなかった。

咄嗟にメルシアに視線をやると、指を三本立ててくれる。

「銀貨三枚になります」

「一ついただくわ」

果物なので少し根が張るのだが、女性獣人は気にすることなく銀貨三枚を払ってくれた。

そして、そのまま果物が入った籠を持って去っていく。

「すごいですね、ネーアさん! 早速一つ売れましたよ!」

「まあ、こういうところで物を売るのは初めてじゃないから」

賞賛すると、ネーアは照れくさそうに笑った。

どうやら今までの経験からくるやり方らしい。

「細かい陳列はネーアさんに任せてもいいですか?」

「任せて! 蔓籠以外にも容器があれば、出してくれると助かるよ!」

ネーアに言われるままにマジックバッグから容器を出していく。

それらの使用法はネーアに任せて、俺は詰め合わせセットを量産していく。

メルシアはジュースのための仕込みとして果物をカットしていき、看板などを立てて品物の値段を記していく。

そんな作業をしている間にぽつぽつとお客さんがやってきた。

「うん? 随分と時期外れの果物がないか?」

どうやら売っている果物に季節外れのものがあるので怪訝に思っているようだ。

モモやバナナはともかく、他の果物なんかは明らかに季節外れなのでそう思うのも無理はない。

とはいえ、言われっぱなしではうちの果物のイメージが悪くなるので、きちんと説明しておかないとな。

「うちの農園ではどのような季節でも美味しくできるように育てているんですよ」

「どうやって?」

「それは秘密です」

誰もが真似できるわけではないが、言い触らす必要もないことだ。

とはいえ、肝心なところをはぐらかしたせいで声をかけてきた獣人の不信感は高まっている様子。

「……こんな時期に育ったイチゴが美味いのか?」

「でしたら一つ味見はいかがです?」

どう説明すれば、納得してくれるだろうと悩んでいるとジュースのための食材をカットしていたメルシアがイチゴを差し出した。

「もちろん、お代はいただきません」

「お、おお。それなら食べてやるよ」

メルシアのイチゴを受け取ると、獣人はパクリと口に放り込んだ。

「う、うめえ! なんだこりゃ!? 俺の知ってるイチゴじゃねえ! 甘みが段違いだ!」

そうだろう、そうだろう? 理想のイチゴを探求するべき、何度因子の組み換えや配合を繰り返したことか。

「このイチゴをくれ!」

不信感を抱いていた男性も品種改良したイチゴの前にはイチコロだった。

「ありがとうございます!」

「イチゴオーレというジュースもありますがいかがです?」

「なに? それも貰おう!」

イチゴがお好きなようなので勧めてみると、案の定そちらも買ってくれた。

メルシアがカットしたイチゴやミルクをミキサーに入れる。

ボタンをポチッと押すだけで中にあるイチゴが砕かれて、ミルクと混ざり合う。

あっという間にイチゴオーレが出来上がり、コップへと注がれた。

男性はコップを受け取ると、勢いよく傾けて喉を鳴らした。

「こっちも美味い! イチゴとミルクの優しい甘みが抜群だ!」

恍惚の表情を浮かべながら感想を述べる男性。

見ているこっちが嬉しくなるような顔だ。

どうやらジュースの方も気に入ってくれたらしい。

「なあ、そのジュース私にもちょうだい」

「俺にはバナナオーレっていうのをくれ!」

「こっちには果物の詰め合わせを二つちょうだい!」

俺たちと男性のやり取りで興味を引いたのか、気が付けば屋台の前には大勢の人がいた。

「はーい! 他の人の迷惑にならないように一列に並んで! 順番に対応していくからね!」

あっという間に人だかりができてあたふたしそうになったが、ネーアが速やかに整列させてくれた。

「ここはあたしに任せて、イサギさんは品物の管理をお願いできる?」

「わかったよ」

お客の対応は慣れた様子のネーアに任せ、俺は会計を手伝ったり、籠に果物を詰めたりと裏方に徹することにした。



「ふう、ようやく波が落ち着いた」

屋台で果物やジュースを売り続けること数時間。

大勢のお客が捌け、ようやく俺たちも一息つけるほどの時間ができた。

「想定以上の勢いでしたね」

「うん、まさかここまで忙しくなるとは思わなかったよ」

飲食店経営者はこれを毎日のように行っているのかと思うと畏敬の念でいっぱいだ。

果物やジュースを買った者からの口コミで、ちょいちょいと買いにくる客はいるがピークは完全に越えたといっていいだろう。

「在庫は減りましたか?」

「かなり減ったよ。これでマジックバッグの容量にも少し余裕ができたかな」

さすがに何百キロという数の果物を屋台ですべて捌き切るのは不可能だ。それでもかなりの数の果物が売れていることだし、ミレーヌにやってきた大きな目的は達したと言ってもいいだろう。

「あっ! そういえば、買い物もしないといけないんだったよね?」

ミレーヌの目的といえば、町での買い物も一つの目的だ。

切らしてしまった生活用品の仕入れをしたいとメルシアが言っていた。

「イサギさんとメルシアちゃんは用事を買い物に行ってきてもいいよー?」

「ネーアさんだけに任せるわけにはいきませんよ。俺も残ります」

「可愛いメルシアちゃんを一人で買い物に行かせる気!? 忙しさも大分マシになったから一人でも問題ないよ。ほら、二人ともいったいった!」

遠慮しているとネーアに背中を押されて俺とメルシアは屋台の外側へと押し出される。

この強引さがネーアの気遣いだとわかった俺は、それ以上遠慮の言葉を述べるのをやめた。

「ありがとうございます、ネーア」

「お礼にお土産を買ってあげるから」

「にゃー! イサギさんはわかってるー! 楽しみにしてるからね!」

屋台で一人残ってくれたネーアを残し、俺とメルシアは歩き出すことにした。

「さて、何を買いに行くんだい?」

「付いてきてくださるのですか?」

ひょっとして別々行動になると思っていたのだろうか? 

メルシアの買い出しのほとんどは俺の生活に必要なものがほとんどだ。自分が生きていくのに必要なものの買い物を面倒くさがったりはしない。

「俺がいれば荷物の持ち運びも楽だからね」

「ありがとうございます。では、遠慮なく回らせていただきます」

自由市を出ると、メルシアが先頭を歩いて進んでいく。

何度も来たことがあってミレーヌの地理についても詳しいようだ。反対にほとんど土地勘のない俺はメルシアの後ろを素直についていく。

メルシアが最初に向かったのは調味料屋だ。

煉瓦造りの店内にはたくさんの棚が並んでおり、そこには瓶に入った塩、胡椒、ハーブ、合成調味料、液体調味料といったものがズラリと並んでいた。

さすがは町だけあって調味料の類もバリエーションが豊富だ。帝都ではまったく見たことのない調味料もあって興味深い。

「塩と砂糖を一キロずついただけますか?」

キョロキョロと店内を眺めていると、メルシアは慣れた様子で店員に話しかけた。

膨大な量となると店員に話しかけて交渉するのが手っ取り早いようだ。

「一キロで塩が金貨二枚、砂糖が金貨三枚になります」

調味料はそれなりに貴重品だ。少量ずつであれば一般的な平民でも買うことができるが、これだけの量を一般的な家庭が買うことは難しいだろう。

「かしこまりました。中を確かめさせてもらっても大丈夫ですか?」

「構いません」

これほどしっかりとしたお店ならないだろうが、悪質なお店だと上部分だけ本物で下半分はまったくの別物だったりすることもある。しっかりと中を改めるに越したことはない。

「……うん?」

「どうされましたか、イサギ様?」

「いや、不純物が多いなって思って」

革袋に入った塩や砂糖を確認すると、少し茶色っぽくなっている部分もあり不純物が多いと感じた。

「申し訳ありません。こちらとしても気を付けて作っているのですが、どうしても一定量は混ざってしまうのです」

物質の構造を見抜ける俺の瞳には、塩田の泥や鍋の錆、長時間の輸送により砂埃といった不純物が多く見えた。このままでも問題はないだろうが、進んで食べたいとは思わない。

「なら、取り除いちゃおう」

俺は錬金術を発動し、塩と砂糖に含まれている不純物を除去する。

すると、テーブルの上には真っ白な塩と砂糖が入った革袋が並び、傍らには茶色い不純物の塊が鎮座した。

それを見た店員が驚愕する。

「塩や砂糖がこんなにも真っ白に!? これは一体……!?」

「錬金術で不純物を取り除いただけですよ」

「……お客様、一つご相談があるのですが」

「他の塩や砂糖の不純物も除去してほしいんですよね?」

「話が早くて助かります」

なにせ店員からその提案を出させるために、わざわざ目の前で錬金術を使ってみせたんだからね。

店員との交渉の結果、お店にある在庫の塩と砂糖の不純物を除去する代わりに、塩と砂糖を三十キロほど無償で貰うことができた。

革袋にぎっしりと詰まった大量の塩と砂糖をマジックバッグに収納する。

「イサギ様のお陰で出費を抑えることができました。ありがとうございます」

「役に立てたようで良かったよ」

「最後は熱烈なお誘いを受けていましたね」

熱烈なお誘いというのは、店と専属契約をしないかと言われたことだ。

お店側は不純物の一切ない高品質な塩と砂糖を富裕層に売って儲けることができるので、俺たちに無償で渡してくれた値段以上に利益を上げることができる。

それが今後も続くとなるとお店は今まで以上の収益を上げることができるので、店員が血走った目で契約を持ち掛けるのも無理はない。

「不純物を除去するだけの作業なんて絶対に嫌だよ。俺はお金稼ぎをしたくて錬金術をやっているわけじゃないから」

もちろん、生きていくのにお金は必要だが、それに縛られるだけにはなりたくはない。

「わかっておりますよ。だからこそ、私もイサギ様を支えていきたいと思えるのです」

「ありがとう」

なんだかそんな風に面と向かって言われると気恥ずかしくて仕方がないや。

「次の買いにいくのはなにかな?」

「お次は食器屋、その次は布屋です」

あからさまな話題転換にメルシアはクスリと笑いながらも乗ってくれた。

メルシアと一緒に次のお店に移動していると、通りにやたらと露店が立ち並んでいることに気付いた。

視線を向けてみると、指輪、首輪、腕輪といった装飾品などが売っているようだ。

それを見に来ている女性客やカップルなどで賑わっており、他の場所よりも華やかな印象を受ける。

「メルシア、ちょっと見にいってもいい?」

「構いませんよ」

完全に買い物とは別の道草になるが、こういうのも町で買い物をする時の醍醐味だろう。

俺とメルシアは近くの露店へと近寄ってみる。

露店にはたくさんのケースが並んでおり、そこには指輪、首輪、腕輪などがズラリと並んでいる。

基本となる素材は魔力を込めることで変形する魔力鉱を使っているようだ。

それを自在に変形させて花にしたり、ハートにしたり、動物や魔物などを象っている。

帝都で貴族たちが身に着けているギラギラとした装飾品よりも、こっちの方が俺は好きだな。

そんな風に思いながら眺めていると、ふと気になる装飾品を見つけた。

「んん? このちょっと大きな丸い輪はなんだろう?」

指輪にしては大きすぎるし、腕輪にしては少し細いような気がする。

「それは耳輪ですね」

「耳輪? ああ、獣人の耳につける専門の装飾なんだ」

首を傾げていると、メルシアが自身の耳を指しながら教えてくれた。

獣人には人間族よりも大きく象徴的な耳がある。この輪っかは獣人の大きな耳につけるための装飾品のようだ。

「へー、面白いや」

「装飾品に興味がおありなのです?」

感心しながら見ていると、メルシアが尋ねてくる。

「錬金術のためにだよ。こういったデザインはアイテムや魔道具を作る時の装飾として参考になるんだ」

俺自身は装飾品をつけることに興味はない。あくまで錬金術のためだ。

そのように答えると、メルシアは納得したように頷いた。

それにしても獣王国の装飾品はとても面白い。やっぱり、帝国とは文化も違うし、生息する植物や生き物が違うからだろう。装飾品のモチーフとしてそれらも反映されており、見ているだけで楽しい。

夢中になって装飾品を眺めていると、メルシアがジーッと装飾品を見つめているのに気付いた。

彼女の視線の先を辿ってみると、青系統でまとめられた髪飾りが並んでいた。

魔力鉱で象り、青い宝石が埋め込まれて花を表現したり、植物の葉っぱを表現したりしている。メルシアはああいった感じの髪飾りが好きなのだろうか。

「気に入ったのでも何かあった?」

「いえ、私にはこういったものは似合いませんので」

尋ねてみると、メルシアはぷいっと顔を背けて言った。

メルシアならきっと似合うと思うんだけどな。

気に入っていたのであれば、日頃のお礼も兼ねて買ってあげたいと思っていたんだけど頑なにああ言われては提案しにくい。

買うのが難しいなら俺が作ってみようかな。幸いにしてベースの材料は魔力鉱だ。

山で採掘した分がたんまりとあるし、宝石類も微量ではあるが持っている。

髪飾りを作るくらいなら問題ないだろう。

「イサギ様、もうよろしいでしょうか?」

「うん、時間を取らせちゃったね。そろそろ買い物に戻ろうか」

メルシアが気にしていた髪飾りのデザインを脳裏に焼き付けると、俺は買い物に戻った。