コクロウやブラックウルフが警備についてから農園は平和だ。

以前まではちょいちょいと鹿がやってきたり猪が敷地に入ってきたりなどの小さな被害があったが今は完全に皆無である。

一日中、魔物が警備についていると野生動物としてもおっかなくて近寄れないのだろう。いくら美味しい食べ物があっても、足を踏み入れた瞬間に死んでしまっては意味がないだろうしな。

三十体近くいるブラックウルフたちであるが、夜の警備はコクロウを合わせて十体が担当してくれている。

日中は従業員もいることもあって六体くらい。コクロウの影を介して交代制で担当しているようだ。

「まったく、どいつもこいつも農園に連れていけとうるさくて仕方がない。我ら魔物は自然と共に自由に生きるのだ。人間共に懐柔されるなどとはあってはならん」

群れのボスであるコクロウが嘆かわしそうに言った。

当の本人は寝転がっており、傍にいるメルシアに体を撫でられて気持ち良さそうにしている。

コクロウ自身がまさに懐柔の象徴だと思うのだが、突っ込み待ちなのだろうか?

にしてもコクロウの毛並みはモフモフとしてとても気持ち良さそうだ。俺も撫でてみたい。

「行きたくないと言われるよりも何倍もいいんじゃない?」

それとなく背中に手を伸ばそうとすると尻尾に手を叩かれた。

「シレッと我の体に触ろうとするな」

「なんで俺はダメなの?」

「貴様は撫でるのがヘタだ」

率直過ぎるコクロウの意見に傷付いた。

「じゃあ、今撫でているメルシアや他の従業員は上手なの?」

農園を警備しているコクロウやブラックウルフのことを従業員たちも受け入れており、休憩時間に撫でていたり、じゃれていたりする風景を目にする。

「うむ、獣人だけあって実に撫でるツボを抑えている」

メルシアの細い手がコクロウの耳周りを撫でて、額、首元と滑らかに移動していく。

実に手慣れた指使いだ。

彼女が手を動かす度にコクロウが気持ち良さそうに目を細めている。

メルシアや他の従業員が撫でられているのは、撫でるツボとやらを的確に抑えているかららしい。

ということは、俺もそれを会得すれば撫でられるということか。

「俺にも撫で方がわかった。撫でさせてくれ」

俺がそう言うと、コクロウは嫌そうな顔をしながらも抵抗はしなかった。

それを肯定と捉えた俺はコクロウの額に手を伸ばす。

すると、ふっさりとした毛の感触がした。背中やお腹の体毛と違い、毛が細いからかとても手触りが滑らかだ。コクロウの体温を直に感じて温かい。

「ええい! やはり貴様の撫で方は鬱陶しい!」

夢中になって撫でていると、コクロウが鬱陶しそうに身を震わせた。

「あっ、ごめん! 手触りが良いせいでつい夢中になっちゃった。もう一回お願い!」

「我を練習台にするな。撫でるのを練習したいならブラックウルフでも撫でておけ」

「撫でようとすると逃げるんだよ」

勿論、ブラックウルフも何度か撫でた。でも、撫でられたのは最初だけで、すぐに嫌がられるようになってしまったんだ。

「だろうな」

コクロウはブラックウルフたちが逃げる理由をわかっているようだが、教えてくれるつもりはないようだ。冷たい。





コクロウにすげなくされて凹んだ俺は、工房の地下にある実験農場で品種改良に精を出していた。

農園で育てている作物の成長は順調だ。従業員やゴーレムたちのお陰で毎日のように安定した量の収穫ができている。

農園の動きが順調だと俺のリソースが十分に空くわけ、その分の時間を研究へと割り振れるわけだ。

実験農場に生っている改良中のブドウを一粒食べてみる。

「うーん、繁殖力は強いみたいだけど味はいまいちだ。繁殖力と味のバランス調整は難しいな」

以前の研究データを元にして改良をして成育速度の向上を図ったが、今度は味のバランスが崩れてしまった。

驚異的な成長の速さは素晴らしいが、美味しさが損なわれてしまっては元も子もない。

成育記録にメモをして新しい方針を考える。

「大量生産は諦めて、いっそのこと一点ものにしようかな……?」

この際、繁殖力の方は諦めて、味に特化したものを少量ずつ作るのもありかもしれない。

たくさん食べられないというデメリットはあるが、元はメルシアにプレゼントするためのものだ。彼女が安定して食べられる分の生産ができればいいのだ。

仮にワンダフル商会に求められたとしても、稀少さと美味しさを前に出して販売してもらえれば問題ないだろう。

「うん、次はその方針でやってみよう」

方針を切り替えることにした俺は、素材の選定からやり直すために実験農場を出て工房に戻った。





「イサギ様、ここ最近根を詰めすぎではないでしょうか?」

工房に籠って作業をしていると、メルシアが入ってくるなり言った。

「そうかな?」

「ここ二週間の間。ずっと工房に籠ってお仕事をされています」

「そんなに経ってたんだ」

「イサギ様が研究に専念できることは大変喜ばしいことですが、限度というものがあります。たまには休憩してお外にも出ませんと、お体の方が壊れてしまいます」

こちらを真っすぐに見据えるメルシアの瞳には心配の色がありありと見てとれた。

思えば、ここ最近は実験農場の魔道具でしか日光を浴びていない。

座りっぱなしでの作業も長いせいか全身がガチガチだ。

彼女の言う通り、一度身体を休めてあげた方がいいだろう。

「わかった。今日は休日にするよ」

「それがよろしいかと」

そう言うと、メルシアはホッとしたように笑みを浮かべた。

「休日かぁ。具体的には何をしようかな」

今日も作物の品種改良に取り組み気満々だったので、突然休みとなると何をしたらいいかわからなくなる。

「本日は天気もよろしいですし、ピクニックなどいかがでしょう? 近くに綺麗な花畑があるんです」

「いいね! じゃあ、ピクニックに行こうか! 早速お弁当の準備をしないと……」

「既にできています」

動き出そうとすると、メルシアが後ろから大きなバスケットを取り出した。

「用意がいいね」

「それがメイドの務めですから」

どうやら俺が休みを取るのは決定済みで、先回りして作っていたようだ。

なんだかとても手の平の上で転がされている感じがするけど、不思議と悪い気分じゃなかった。

お弁当が出来ているのであれば、特にこれといって準備するものもないので俺とメルシアは工房を出ることにした。

「どうせなら他の従業員たちも誘いたいところだけど、さすがに仕事中に誘うのは忍びないね」

ピクニックに行くのであれば賑やかに行きたいところだけど、業務を放り出させて従業員を連れ出すのは気が引ける。

「彼らには業務にひと段落つけたら花畑にやってくるように伝達していますので、後から合流しますよ」

「……なんか色々と調整してもらってごめんね?」

「いえ、ちょうど従業員にも息抜きは必要かと思っていましたので」

もう正式な雇用主もメルシアでいいんじゃないかと思うくらいの有望ぶりだ。

農園の業務を丸投げしている俺としては頭が上がらないや。

「それでは行くか」

「うわっ!」

従業員も後から合流してくることがわかってホッとしていると、足元の影からぬっとコクロウが出てきた。

どうやら俺の影に入り込んでいたらしい。まったく気づかなかった。

「というか、コクロウも来るんだ」

「従業員を労うように我にも労いがあっても問題はないだろう? 警備の方はブラックウルフたちを多めに配備してあるから心配するな」

別に来てはいけないとかじゃなく、ピクニックという催しに興味があることが意外だった。

自身や従業員がいなくなることを見越して、普段よりも厚めに警備をしてくれているし問題ないだろう。コクロウたちがやってきて農園が安全になっていることは確かだからな。

そんなわけでコクロウを加えた俺とメルシアは花畑に向かうことにした。