「イサギ様、後は私に任せてくださって大丈夫ですよ」

従業員をそれぞれの畑に割り振ると、メルシアが振り返って言った。

「じゃあ、遠慮なく工房で研究させてもらおうかな」

今日は従業員が働いてくれる初日ということで、見守っておこうかと考えたがメルシアが必要ないというのであればそうなのだろう。

従業員を雇ったのは俺が錬金術に専念するのが目的だし、農業の方はメルシアたちに任せておこう。

そんなわけで俺は工房へと引き返した。

工房に入ると、廊下を突き進んで奥へ。

そこには壁があるだけだが、錬金術による変形を使えば壁がスライドして奥に進める仕組みとなっている。

壁がスライドすると、地下へと続く階段が現れた。

これも錬金術で土壁を変形させて作り出したものだ。

壁には等間隔に窪みができており、そこには小さな灯りの魔道具が設置されている。

仄かな灯りで照らされた地下への階段を俺はゆっくりと降っていく。

階段を降りると、真っ昼間のように明るい開けた場所に出てきた。

そこではオクラ、ブロッコリー、グリーンピース、モロヘイヤをはじめとする野菜畑がズラリと並んでいた。

ここは俺の作った地下実験農場。錬金術で品種改良した作物をいくつも育てている。

完成品の域に達したものか、未完成品まで様々のものを育てており、日々データを集めているのだ。

さすがに未完成のものを外で栽培するのはリスクが高い。特に実験中のものは意図せぬ繁殖や進化をして周囲に危害を加えることがある。

それを避けるためにこうやって地下で育てているわけだ。

しかし、地下だと日光が遮られてしまって作物が育たたない。

その問題については魔道具で解消している。

天井につるされている大きなランプは照明の魔道具ではなく、日光を放つ魔道具だ。

日光を溜め込む性質を持つ魔物の素材を利用した魔道具であり、疑似的な太陽の光をここで再現している。これによって外とは変わらない――いや、それ以上に効率のいい成育を促しているのである。

「さてさて、今日はどんな成長をしているかな」

メモ帳とペンを手に実験作物を確認。

「うーん、こっちのオクラは成育が不安定だな。明らかに栄養が偏ってる。こっちのブロッコリーは栄養を吸い上げ過ぎて土が枯れてるな」

それぞれの成育状況をしっかりと確認して記録。

オクラに関しては、どのくらいで成育バランスが大きく崩れるか確認したいので残す。

ブロッコリーについては土に大きなダメージを与えてしまっているので駆除だ。このままだと実験農場全体の土を枯らしちゃいそうだし。

枯れた土のところには新しく土と肥料を加えて回復を待つ。

改良した別の品種を植えたかったけど、今日はやめておいた方がいいだろう。

「よし、次は果物畑だ」

野菜畑のデータ採取が終わると、次のデータ採取へ。

こちらも同じように改良中のレモン、ナシ、ブルーベリー、モモなどの成育状況を確認。

果物で品種改良に成功したのはイチゴ、リンゴ、バナナだけだ。

大農園として発展させるには、もう少し種類を増やしておきたいところだ。

「うーん、やっぱり果物はまだ成育に時間がかかるな」

四つの果物の成育状況を確認して回っているが、野菜に比べると成長速度が遅い。

こちらは普通に育てたら何十年とかかるものなので、錬金術を使っても多少は時間がかかってしまうのも仕方がないだろう。

それぞれの品種に合わせて肥料も調整しているが、これ以上の速度を望むのであれば根本的な素材の選定からやり直す必要があるのかもしれない。

さすがにそちらは時間がかかりそうなので、今やっている作業と並行しつつ探るしかないだろう。

果物の確認を終えると、俺は実験農場の一番奥に移動。

壁に手を当てて錬金術を発動すると、またしても土壁が開いた。

ここは助手であるメルシアも知らない小さな実験農場。

「さて、最後はブドウだな」

そこで俺はメルシアの大好きなブドウの品種改良を行っていた。

なぜ秘密にしているかというと、彼女の大好物だからこそ完璧な形で出してあげたいからだ。

色々とメルシアにはお世話になっているからな。そのお礼としてとびっきりの美味しいものを渡してあげたい。そんな俺のエゴである。

小さな実験農場ではいくつもの品種のブドウが育てられており、いくつもの支柱が立っていた。色々な品種を育て過ぎて、ちょっとしたブドウ園のようだ。

こちらも天井に太陽光の魔道具がつるされているので、室内はちゃんと明るい。

それぞれの品種を確認し、いくつか出来の良さそうなブドウ摘んで口に入れてみる。

「うーん、まだ甘みが足りないかな。こっちはちょっと酸味が強いし、種の大きさもバラバラで食べづらい」

一粒食べるごとに味に大きなバラつきがあるのがわかるし、種があったりなかったりするのは非常に鬱陶しい。成育は安定してきたけど、味周りについてはまだまだ改良する余地が大きいな。

やっぱりプレゼントするなら妥協したくない。とことんこだわることにしよう。





地下の実験農場でのデータ採取が終わると、俺は工房に戻ってきていた。

集めたデータを元に品種改良をしてもいいが、ここのところ肥料の改良や作物の品種改良と地味な作業ばかりで飽きていたところだ。

「気分転換に何か新しい物でも作るか」

宮廷に務めていた頃ならそんなふざけたことはできなかっただろうが、今の俺は自由だ。

勿論、やるべき仕事の順番というのはあるが、今は差し迫ってやるべきことはない。

メルシアのためのブドウ作りも急げば、完成が近づく類の研究でもないしな。

そんなわけで今日は物作りをすることに決めた。何を作るかは決めていない。

だけど、作りたいと思っていた魔道具ならたくさんある。

俺はテーブルの引き出しから紙の束を取り出す。

これは魔道具の設計書だ。

不自由な環境にいながらも、いつか手に入れた自由な時間のためにとコツコツと書いていたのである。

中には草案レベルなものや、素材が足りないが故に作成不可能なものもあるが、今の俺なら作れるものもたくさんある。

「何を作ろうかな」

こうして設計書を見ていると、創作意欲がムクムクと湧いてくる。

とはいえ、作ったはいいがまったく使わないような魔道具を作っても仕方がない。

テーブルの上にあるリンゴを齧りながらページをめくっていると、ふとミキサーという魔道具にたどり着いた。

容器の中に設置した刃を回転させることで果物や野菜などの固形物を液体にし、混ぜることができる便利な魔道具だ。

帝城でメルシアが働いていた頃に、果物や野菜をすりおろすのは大変だという言葉を耳にして構想をまとめた。

「そういえば、昨日もリンゴをすりおろしていたな」

俺の身の回りの世話に家や工房の管理、果てには農園の管理までやってくれている。

忙しいメルシアの負担をもっと小さくしてあげたい。

「よし、ミキサーを作るか」

ちょうど果物が収穫できるようになったし役に立つだろう。

俺はマジックバッグから必要な素材を取り出した。





「できた!」

工房に籠って小一時間経過した頃。テーブルの上には魔道具が出来ていた。

全体のシルエットは細長くて円柱のようだ。

ボトルは入れた具材が見えやすいようにプラミノスという半透明素材を採用。その中には果物や野菜を砕いて混ぜるためのブレードが設置されている。

その下の土台には無属性の魔道具が入っており、魔力を流すと上部にあるブレードが回転する仕組みだ。

「試しにリンゴジュースでも作ってみるか」

テーブルの上にある籠にはまだまだリンゴがある。とはいえ、さすがに大きなままではミキサーに入らない。

台所に移動して、リンゴの皮を剥き、ちょうどいいサイズにカット。

ミキサーの蓋を開けてカットしたリンゴに加えて、水を投入。

通常のリンゴならここに少しの砂糖を加えるのだが、俺が品種改良したリンゴは糖度がかなり高いので不要だろう。

蓋をしっかりと閉めると魔力を流す。すると、ブレードが勢いよく回転した。

唸るような音を立てて、ボトル内に入っているリンゴを砕いてく。

数十秒もしないうちにリンゴはあっという間に砕かれ、混ざり、ジュースと化した。

「こんなものかな」

頃合いを見て、魔力を流すのをやめるとブレードの回転が止まった。

本体からボトルを分離させると、蓋をとって傾けて用意したコップへ注いだ。

コップを持ち上げて傾けると、濃厚なリンゴの味が口の中に広がった。

「うん、美味しい!」

俺の予想通り、砂糖を加えなくて正解だ。

程よい酸味が喉の奥を通り過ぎて、フレッシュな余韻を残してくれる。

ここ最近、暑くなって汗をかくことも増えた。

こういったジュースがあるととてもいい栄養補給になる。作るのが面倒なジュースだけど、ミキサーがあれば気軽に作ることができるな。我ながらいい魔道具を考えたものだ。

ミキサーを洗ってテーブルの上を片付けていると、窓の外の景色が茜色に染まっていた。

畑の方もそろそろ仕事を切り上げる頃だろう。

「イサギ様、そろそろ本日の仕事を切り上げようかと思います」

なんて思っていると、ちょうどメルシアが工房に入ってきた。

初日ということもあって念のための報告だろう。

「仕事が終わったら家の方に皆を呼んでくれる? 魔道具で作ったジュースを振舞ってあげたいんだ」

「かしこまりました。少々お待ちください」

俺がそう言うと、メルシアは何か含みのある笑みを浮かべながら外に出ていった。

え? なになに? ジュースの感想を聞きたいだけで他意なんてないんだけど? 

メルシアの妙な笑みが気になったが外に行ってしまったので問いただすこともできなかった。

工房から家に移動し、ジュースを作るための果物をカットしたりミルクを用意していると、程なくしてメルシアと従業員たちがやってきた。

玄関をくぐるなりカーペットの上に寝転がるネーア、ロドス、リカルド。

「うわーん、初日からこき使われたよ!」

「こんなに疲れたのは久しぶりなんだな」

「実家で育てている畑よりも忙しさが段違いだぜ」

想像していた以上に収穫作業が大変だったらしい。

普段あれだけ大荷物を運んでいるロドスまでも疲労困憊の様子だった。

平気そうに立っているのはラグムントとノーラ。

体格のいいラグムントはともかく、小柄なノーラが平気というのは意外だった。

「ラグムントさんは平気なのですか?」

「普段から鍛えているからな。にしても、そっちが平気なのが驚きだ」

「平気じゃありません。乙女としての気力で立っているだけです」

「そ、そうか……」

「これが毎日のようにあるんですね。うふふ」

どうやらノーラは淑女であろうとする気力で踏ん張れているようだ。

死んだような目をして笑っているので怖い。

「とりあえず、疲れているだろうから座って座って」

かなり消耗しているようなので立たせていては可哀想だ。

率先して促すことで従業員たちを座らせていく。

「ネーア、いつまでも寝転がっていないでちゃんと座ってください」

「メルシアちゃんがあたしをいじめるー!」

「いじめてません」

ずっと寝転がっていたネーアも文句を言いつつも、メルシアに促されて席に座っていた。

「で、家に入れてくれたのはイサギがご褒美をくれるからなんだよね?」

「はい。皆さんに特別なものを振舞いたいと思いまして」

「果物だ!」

テーブルの上に用意したリンゴ、イチゴ、バナナなどを目にしてネーアたちの目が輝いた。

「これらをミキサーに入れて粉砕してジュースにします」

「にゃー! 貴重な果物を粉々にするなんてなんてことするの!?」

「酷いんだな!」

「あんたいい奴だと思っていたのによぉ!」

カットしたリンゴを粉砕しただけで酷いバッシングの嵐だ。

「そう怒らないでくださいよ。新しく作ったミキサーの試運転でジュースを作りたいので」

「ああ、ジュースを作るために果物を粉砕する魔道具なんだ」

リンゴを粉砕した理由がわかったからか、ネーアたちがホッとしたような顔になった。

「そんなわけでリンゴジュースの出来上がりです! 飲みたい方!」

「あたし飲みたい!」

「オレも!」

手を上げたのはネーアとリカルドとロドスだ。

ラグムントはバナナ、ノーラはイチゴを使ったジュースが飲みたいとのことなので手を挙げた三人にリンゴジュースを振舞う。

「にゃー! なにこの美味しさ!」

「リンゴの甘みが凝縮されてるんだな!」

「うめえ!」

ネーア、ロドス、リカルドがリンゴジュースを飲むなら大きく目を見開いた。

どうやら気に入ってくれたらしい。とても幸せそうな顔をして飲んでいる。

ミキサーを洗い終えると、ラグムントとノーラのためのジュースを用意する。

そのままでは飲みづらいだろうからミルクを加えたバナナミルクとイチゴミルクだ。

「美味い」

「今日の疲れが吹き飛ぶようです」

よかった。ラグムントとノーラも気に入ってくれたようだ。

「なんかそっちも美味しそう! あたしもバナナミルク飲みたい!」

「俺はイチゴミルク!」

「おいらもイチゴミルクがいいんだな」

二人が飲む様子を見て、ネーア、リカルド、ロドスも欲しがる。

思っていた以上の人気ぶりだ。ミキサー一台ではとても間に合わないペースだ。

これはもう一台作っておく必要があるな。

ボトルを洗いに台所に向かうと、メルシアがやってくる。

「さすがはイサギ様ですね」

「え? なにが?」

俺はミキサーを作っただけで特に何もしていないと思うのだが? 

「農園の果物の美味しさを身体に刻み込み、従業員たちを離れられなくする作戦なのでしょう? 飴と鞭の使い方がお上手です」

キョトンとする俺をよそにメルシアは笑みを浮かべながら追加分の果物の下処理を始めた。

そんなこと考えつきもしなかった。

だけど、すっかりとジュースの虜になっている従業員たちを見れば、あながち間違いでもないのかもしれないなと思った。