「失礼いたします」
談笑して時間を潰していると、メルシアがお茶を持って入ってきた。
「苦みの中に微かな甘みがあって美味しいのです。これはなにを使っているのです?」
「近くの森で採れるクコの葉を煮出しております」
「クコの葉! 煮出すとこんなにもいい味になるとは知らなかったのです。あとで買います」
メルシアからお茶の情報を聞き出すと、コニアはメモ長を取り出してメモした。
商人として気になるものはチェックしないと気が済まないのだろう。商人らしい。
「ねえ、メルシア。ワンダフル商会ってどんな商会?」
彼女がメモに夢中になっている間に、俺は傍にいるメルシアに小声で尋ねる。
帝都の商会事情は知っているが、獣王国の商会についてはサッパリだ。
「獣王国の中でも屈指の大商会です。王都に本店を構えるだけでなく、様々な街に支店を構えおり、従業員のすべてが犬系獣人で構成されています」
「大商会じゃないか」
そんな大商会の商人が俺に何の用なんだろう?
「すみません、お待たせしたのです」
「私に商談があるとのことですよね?」
「はい。私はここ最近、良質な作物が急激な勢いで広がっているのに気付きました。実際にそれらの作物を食べてみると、獣王国で栽培されているものよりも遥かに美味しく、力がみなぎってくるのです」
コニアの言う良質な作物というのは、間違いなく俺が品種改良を加えたものだろう。
「広がったそれらの作物は通常のものよりも成長率が高い上に、季節外れのものまで栽培できるほどです。その不思議な作物の出所を探ってみると、プルメニア村だということに気づきました」
「そして、作物の供給源は私だと気付いたわけですね?」
「そうなのです!」
ここ最近は村でもたくさん栽培されるようになり、他所の村にも売りにいっているほどだ。
ちょっと調べればプルメニア村で作られており、錬金術師である俺が配ったものであるのはわかるだろう。特に口止めもしていないし、したところで防げるものでもないしな。
「プルメニア村の作物を買い取った他の村などでも栽培は行われていますが、ここの作物ほどの出来栄えにはなりません」
「それは当然です。私はここの土に合わせて作物に錬金術で改良を施し、調整していますから」
安直に買い取った作物で栽培をしても、同じレベルのものは出来ない。まあ、それでも普通の品種よりも優秀なので、それで満足する人はいるだろう。
「やはりそうなのですね! まさかとは思いましたが、錬金術で農業をされているとは驚きなのです!」
「錬金術師といえば、魔道具やアイテムを作るイメージがありますからね」
錬金術で農業をやっているのは俺くらいのものじゃないだろうか。
「構造を変化させる錬金術の力で、作物に品種改良を加えているのですね?」
「そんな感じです」
さすがに企業秘密なので詳しいことまでは言えない。
だが、錬金術と聞いて、すぐにその発想にたどり着けるのはすごいな。
可愛らしい見た目をしているが、頭の回転も速くて発想も柔軟だ。
さすがは大商会に所属する商人なのだと感心した。
コニアのような弟子がいれば、プルメニア村の肥料問題も安心なんだけどな。
「それで本題なのですが、わたしの所属するワンダフル商会にイサギさんが作った作物を定期的に卸してもらえませんか?」
などとぼんやり考えていると、コニアが率直に言ってきた。
錬金術をする上で色々とお金は必要だし、欲しい素材はたくさんある。
プルメニア村周辺で素材を集めるにも限界はあるし、いつか商会とのコネは欲しいと思っていた。その相手が獣王国の中でも屈指の商会とあれば、この上ない良縁だろう。
大商会ということでお金や信頼もあるし。
「それは構いませんが、条件があります」
「お聞きするのです」
「私は錬金術師です。素材なくして物を作ることができません。できれば、私が欲しいといったものを優先的に仕入れ、届けてもらいたいです」
「そのくらいでしたらお安い御用なのです! ワンダフル商会の力があれば、獣王国内で手に入らない素材はないといっても過言ではないのです!」
「では、王国以外の素材は?」
「頼まれれば努力はするのですが、さすがにそこまでの保証はできないのです」
質問を加えると、胸を張っていたコニアが自信なさげの様子で言う。
さすがに国外の素材となるとワンダフル商会でも難しいらしい。こちらについては軽く感触を確かめるための質問なので問題ない。逆にいい加減なことを言わず、素直に難しいと言ってくれて好感触だった。
帝城にいた時でも国外の素材は手に入れにくかったし、やはり国外となると難しいのだろう。
「承知しました。国内でも素材を仕入れてくれるのであれば、問題ありません」
「ありがとうなのです! イサギさんたちの畑では、どのくらいの量を安定して卸すことが可能で?」
ふむ、最近は農業に関してはメルシアに任せているので細かい部分は把握していない。
チラリと視線を向けると、メルシアはこくりと頷いて前に出る。
「現状での収穫量はこれくらいとなっています」
スッと差し出しされた紙に目を通してみると、そこには畑で育てている作物の一覧と一週間ごとの収穫量が表示されていた。
「実際に出荷できる作物の数値はあるのです?」
「イサギ様が改良を加えた作物は不出来なものがほとんどありません。収穫量と出荷量の数値に差はほぼ無いです」
「……それはすさまじいのです」
メルシアの回答を聞いて、コニアが目を丸くした。
通常の農業であれば、市場に流すのに相応しくない大きさだったり、歪な成育をしてしまったものが出てしまうものだ。
しかし、俺が錬金術で改良を加えた作物に、そんなものはほぼない。
収穫量=出荷量なのだ。
「一週間ごとに出荷できるのは驚異的な速さなのですが、もう少し出荷量を増やすことは可能です?」
ジーッと書類を見ていたコニアが顔を上げて尋ねてくる。
「畑作業に従事しているのがイサギ様、私、イサギ様の作り出したゴーレムのみなので、これ以上増やすことは難しいです」
「そうだね。農作業ばかりに時間を取られたら本末転倒だし」
今は少ない人員の中で負担にならないように加減して作物を育てている状態だ。
農業にもっと力を注げば、出荷量を上げることはできるが、俺とメルシアがそれ以外のことをできなくなってしまう。
他の作物の品種改良に、別種類の肥料作りだけでなく、今まで作れなかった便利な魔道具やアイテム作りなどなど。俺にはやりたいことがたくさんある。
本格的に農家として傾倒するのは早い。
「でしたら、人員を雇って畑の管理は任せればいいのでは?」
コニアのあっさりとしたアドバイスに俺とメルシアは雷に打たれたような気分になった。
「確かにイサギ様が農作業に従事する必要はありませんね。コニアさんの言う通り、畑は任せてしまい、イサギ様は錬金術に専念して頂いた方がいいかもしれません」
「成育で俺が手を入れないといけない部分は微々たるものだし、それ以外の作業は任せてもいいのかもしれないね」
なんでこんな単純なことに気づかなかったのだろう。今までこき使われる側だったからだろうか? 誰かを雇って仕事を任せてしまうなんて発想がまるでなかった。
「プルメニア村では土地も余っているし、いっそのこと大きな農園にしちゃうのも悪くないかも」
「大農園ってやつなのですね!」
「大農園! いいですねそれ!」
コニアの思いついた大農園という言葉がとてもしっくりときた。
「大農園で品種改良した作物をたくさん作って出荷してウハウハ!」
「ワンダフル商会はそれを各地に売りさばいてウハウハ! 互いに大きな利益が出ること間違いなしなのです!」
悪い顔をして笑い合う俺とコニアを見て、メルシアがちょっと呆れている気がするが気にしない。
細々とお金を稼ぐのでもいいと思っていたが、大きく稼ぐことができるチャンスがあるなら掴むべきだ。
研究にお金がかかる錬金術師にとって、お金はいくらあっても足りないくらいだからね。
「人員についてはどうされるのです? 足りなければ、うちから人材も派遣するのですよ?」
「まずは村で人員を募集してみます。もし、それで足りない時はお願いするような感じで」
「わかったのです」
こうして俺は商人のコニアと出会い、大農園を設立することに決めた。
大農園を設立することに決めた翌日。
俺はプルメニア村内で従業員を募集するための、募集要項を書いていた。
「とはいっても、普通に募集して集まってくれるかな?」
書いている最中にふとそんなことを思った。
プルメニア村の食料事情を上げるために品種改良した作物の種や苗、肥料なんかを売ったり、分けたりしている。
そのお陰で村人たちでも農業を始めることができるようになった。
自分たちでもできるのに今更俺の作る農園で働こうとする人がいるだろうか。
「普通に声をかけるだけでも集まりますよ。皆、イサギ様には大きな恩を感じていますので、きっと申し出てくれます」
「メルシアの言う通りかもしれないけど、どうせなら俺の農園で働くことでの大きなメリットを与えたいんだよ」
出会う度に声をかけて、感謝の言葉をかけてくれたり、作物を分けてくれる村人たちの態度を見れば、かなり好意的なのはわかる。
だけど、村人たちの義理堅さに頼って雇用するのは違うと感じる。
誰かの下で働くことは個人で働くこと以上のメリットがなければいけないと思う。
「イサギ様はお優しいですね」
「そうかな?」
帝国という大きな組織で疲弊したからかな? 働いてくれる人にはそんな苦労を背負わせたくないと思った。
「メリットでしたら、配っていない品種の栽培を売りにするのはいかがでしょう?」
「いいね! 自分たちでは作れない作物だったら作っていて楽しいだろうし、持ち帰ることができたら嬉しいよね! どうせなら果物とかも栽培しちゃおうか!」
「品種改良に成功した果物があるのですか!?」
なんて面白半分で提案してみると、メルシアが大きな反応を示した。
「うん。数種類だけど、ここでも育つ果物の品種改良に成功したよ」
「……そこにブドウはありますか?」
ごくりと唾を呑みこみながらメルシアが尋ねてくる。
ブドウと限定して聞いてくるのは、彼女の大好物だからだ。
「ごめん。成功したのはイチゴとバナナとリンゴだけなんだ。ブドウはまだ調整中」
「……そうですか。もし、改良に成功しましたら教えてください」
「うん、すぐに教えるよ」
まだできていないとわかると、メルシアの耳と尻尾が切なそうに垂れた。
なんてことないって顔してるけど、すごくしょんぼりしてるな。
ごめんよ。本当はある程度形になっているけど、メルシアの大好物だからこそ良いものに仕上げたいんだ。納得できる品質になるまで、もう少しだけ待ってほしい。
そんな風にメルシアと相談し、イサギ大農園で従事するメリットを捻り出し、基本給金なんかを決めた。
募集人数は五人。
ワンダフル商会との取引量や利益がどれだけのものになるかの見通しが立っていないので、まずは少人数での体制だ。
基本給に関しては多めとなっている。
これは単純に品種改良した作物は成育が早いために、通常の農業よりも作業が大変なためだ。
「よし、これで募集をしてみるよ! 張り出すならどこがいいかな?」
「父に許可を得て、中央広場の掲示板に張り出すのがいいかと。私が行きましょうか?」
「いや、俺が出向いて許可を貰ってくるよ」
ここ最近は研究ばかりでケルシーには会っていなかった。
誠意を見せる意味でも俺自身が向かう方がいいだろうし、久しぶりに会ってみたい気持ちもあった。
そんなわけで俺は募集用紙を手にしてケルシーの家に向かうことにした。
扉をノックするとシエナに迎え入れてもらい、集会所ではなくケルシーの執務室に通してもらった。
「イサギ君、久しぶりだな。最近は研究が忙しいと娘に聞いていたが、そっちの方は落ち着いたのか?」
「はい、お陰様で何とかひと段落つきました」
「ふむ、そっちでのメルシアの働きぶりはどうだ?」
「身の回りのことだけじゃなく、畑の管理に研究のお手伝い、とても働いてくれて頭が上がりません」
「そうかそうか、ちゃんと働いているのであればよかった」
メルシアは実家から通っているはずだけど、そこのところはあまり話したりしないのだろうか。なんて思っていると、扉がノックされてお茶を持ったシエナが入ってくる。
「あなた。あまりメルシアのことを根掘り葉掘り聞いていないで、そろそろイサギさんの要件を聞いたらどう?」
「そうだったな。イサギ君、今日はどうしたんだ?」
「中央広場の掲示板にこれを張り出させてもらいたくて許可を貰えたらと」
そう言って、募集用紙をケルシーに差し出す。
「ふむ、農園の従業員の募集か……むむっ! 給金が高い上に果物まで栽培し持って帰れるのか! よし、俺が従業員になろう!」
「あなたは村長でしょう? 一村民の部下になったら格好がつかないからダメよ」
シエナに一蹴されて、ケルシーががっくりと項垂れる。
ちょっとしたお手伝いならまだしも、村の代表である村長を部下にするというのは体面が悪いだろうな。気持ちだけ頂いておこう。
「そういうわけで私が、イサギさんの農園の従業員になるわ!」
「村長夫人もダメですよ」
「ええっ、そんなっ!?」
ケルシーに言っておきながら、よくも抜け抜けと言えたものだ。
シエナもケルシーと同じ理由でアウトだ。
「とりあえず、これを貼ってもいいですか?」
ごねるケルシーとシエナを宥め、俺は何とか掲示板に張り出す許可を貰った。
●
「イサギ様、従業員の方が集まってきました」
中央広場の掲示板に従業員募集の貼り紙を張ってから五日後。
工房で研究をしていると、メルシアがやってきた。
「どうだった? 応募してくれる人はいたかな?」
「はい。募集人数の十倍を越える数の応募者がやってきています」
「……えっ? なんでそんなに多いの?」
「イサギ様に恩義を感じている者が多数いるのと、単純に条件がいいからかと思います」
人が集まらないことはないとメルシアが断言していたが、まさかここまでとは思わなかった。
「嬉しいけど、ちょっと人数が多いね」
「では、私が面談をして人数を絞りましょうか? おおよその人となりや経歴は把握していますので」
「うん、そうしてくれると助かるかな」
俺はこの村にやってきて間もないが、メルシアであれば、村人たちのことはよく知っている。
俺のために無理をして応募した人もやんわりと断ってくれるだろうし、うちの農園で働くのに適切な人を選んでくれるはずだ。
外に出てみると、メルシアの言う通り募集人数の十倍以上の村人がいた。
こんなにも大人数が集まっているのは宴以来ではないだろうか。
「あー、イサギさんにメルシアだ!」
応募者を見渡していると、ネーアが声をかけてきたことに驚く。
「ネーアさん!? えっと、ここが何の集まりなのかわかってます……?」
「わかってるよ。イサギさんの農園の従業員になるんでしょ? あたし従業員になるよ!」
どうやらネーアはここが何の集まりなのか正確に把握した上でやってきているらしい。
「実家で農業を始めたんじゃなかったんですか?」
「うん! でも、そっちは家族がやってるし、あたしがいる必要なないかなって。こっちの面白そうだし、何よりお給金がいいから!」
持ち前の快活さを発揮して、素直な応募動機を語るネーア。
周囲にいた村人たちは苦笑いしながらも、同意するように頷いていた。
「……そんなに良い方なの?」
「それはもう破格! こんなド田舎であれだけお金を払ってくれる場所なんて中々ないから!」
「なるほど」
都会と田舎では賃金に大きな差があるのはわかっていたが、獣王国でもそれは同じようだった。道理でメルシアが太鼓判を押すはずだ。
だからといって給金を下げるつもりはないけど、応募者にとって給金が大きな魅力に感じてくれているのであればよかった。安くこき使うような真似はしたくなかったから。
「イサギさん、募集人数は五人って書いてあったけどどうするの? 軽く十倍はいるよ?」
「さすがに多すぎるので審査を行って絞ろうかと」
「ねえ、イサギさん……あたしたち友達だよね?」
などと言うと、ネーアが身体を寄せてきて露骨に上目遣いをしてきた。
あからさまな態度だけど、それでも可愛いと思ってしまう。
「審査は平等に行いますので、順番にお並びください」
「ニャー! メルシアちゃん、怖いって! 冗談だから怒らないで落とさないで!」
密着されてドギマギしていると、いつもより数段冷ややかな声をしたメルシアがネーアを引っぺがした。
周囲が落ち着いたところで俺は集まってくれた応募者たちに礼を告げ、人数を絞り込むための審査を行う旨を伝えた。
本当は集まってきてくれた全員を雇いたいけど、大農園が完成して軌道になるまでは大人数を雇うことはできない。
そう伝えると、やはり何人かは無理をしていたのか辞退して去る者もいた。
しかし、それでも四十人以上は残っている。
残っている者たちは、嬉しいことにうちで働きたいという意思を持っていることになる。
これだけ大人数を審査するのは大変だが、農園の未来のために慎重に選ばせてもらおう。
従業員の審査が終わった翌日。
俺の家の前には絞り込まれた五人の従業員が集まっていた。
その中には昨日色仕掛けのようなものをしようとしていたネーアもいた。
「ニャー! 今日ここに呼ばれたってことは、あたしたちが採用ってことでいいんだよね?」
「そういうことになります」
周囲を見ながらのネーアの問いかけを肯定すると、他の四人の従業員もホッとしたような顔になった。
「やったー! イサギさんの農園で働けるんだ! これで将来は安泰だー!」
「まだ軌道にも乗っていませんし安泰とは言えませんが、皆さんを安泰にさせてあげられるように努力しますよ」
そこまでの保証はできないが、いずれ俺の農園で働けばそう言ってもらえるようになりたいものだ。
「既に顔見知りだとは思いますが、念のために自己紹介をお願いします」
同じ村に住んでいるとはいえ、住んでいる方角が反対だったりすると相手の情報をほとんど知らなかったりすることもあるからな。
というのは建前で、まだ顔と名前が一致していない俺のためだったりする。
「あたしはネーア! 農業は昔お爺ちゃんの畑を手伝っていたよ! よろしく!」
頼むと、ネーアが元気よく自己紹介してくれる。
ネーアについてはメルシアの幼馴染であり、俺とも既に面識がある。
前回畑を手伝ってもらった時に手際の良さは確認しているし、雇用しない理由がなかった。
なんて本人に言ったら調子に乗るだろうから言わないけどね。
「ロドスなんだな。養蜂家の息子で農業の経験はないけど、体力と力には自信があるんだな」
二番目に口を開いてくれたのは、ずんぐりとした体型した熊獣人だ。
藍色の丸い耳に短くて丸い尻尾が特徴的。
彼は農業経験がないが、村を移動している時に荷運びをしている姿を見ていた。
ロドスなら大量に収穫した作物をゴーレム並の馬力で運んでくれるに違いない。
「ノーラと申します。父が細々とやっていた畑を手伝っていました。よろしくお願いいたします」
ぺこりと丁寧に頭を下げたのは紫色の髪をした兎獣人の女性だ。
彼女の特徴はとにかく小さいというに限り。身長は百三十センチくらいだ。
「畑仕事に向いてるようには見えねえが大丈夫なのか?」
そんなノーラの姿を見て、まだ自己紹介をしていない茶髪の獣人が率直に言う。
彼としては気を遣っての言葉なのだろう。
「皆様に比べると体力や力はないかもしれませんが、細々とした作業や事務作業は得意です」
失礼とも言える言葉だが、ノーラはにっこりと笑みを浮かべて返答した。
だけど、微妙にカチンと来ているのか目は笑っていなかった。
ノーラはメルシアの推薦で採用することを決めた従業員だ。
他の従業員と比べて肉体能力は劣るが、農業経験があることや雑貨屋を手伝っていて経理能力も高いのだ。
今はまだ肉体労働ばかりかもしれないが、将来的なことを考えると、こういう素養がある者が一人いてくれた方がこちらとしても助かる。
「そ、そうか……」
ノーラの得体の知れない迫力に呑まれたのか、茶髪の獣人はそれ以上言葉を重ねることはしなかった。
うん、ちょっとここの人間関係が不安だけど、雇用主としては仲良くやってくれることを願うしかない。
順番的に次の自己紹介は茶髪の獣人の番だ。彼は咳払いをすると、口を開く。
「オレはリカルド。狩人をやっていた。イサギさんがくれた作物で畑をいくつか作っている」
彼は俺が作物を渡した村人の中で一番多くの畑を開墾していた。
現在は残りの家族が畑の管理をしているようだが、俺のやり方に一番に順応してくれている村人だと言えるだろう。
その上、リカルドは狩人だ。今のところは特に害獣被害は出ていないが、今後そういったことが起きた時は頼りたい。後は単純に農園の防衛でも頼りになるだろう。
リカルドの自己紹介が終わると、最後の紹介となる。
「ラグムントだ。農業経験はリカルドと同じようなものだ」
五人目については名前こそ知らなかったものの面識は既にあった。
それは村で開かれた宴の時に、俺に素直な疑問をぶつけてくれた獣人である。
「しかし、本当に俺を雇っていいのか? 宴の時にあんなに失礼な言葉をぶつけてしまった……」
本人もそのことを気にしているのか、どこか気まずげな顔で聞いてくる。
「だからこそ、雇いたいと思ったんです。ラグムントさんであれば、上司になる俺にも物怖じすることなく疑問をぶつけることができるでしょ?」
上下関係ができると、それを気にして率直な意見が言えなくなる。
錬金術による大規模農業は俺もやったことがない事業だ。途中で改良すべき点や問題点が出てくるだろう。
そんなときに物怖じせずに、俺やメルシアに意見ができる者が一人は欲しいと思っていた。
彼ならばきちんと自分の意見をぶつけた上で、相手の意見を聞くことができる。
それがわかっていたからこそ、俺はラグムントを雇いたいと思っていた。
「そうか。ならば、疑問に思ったことは素直に尋ねさせてもらおう。それが俺の役割だからな」
どうやら俺の雇用した理由に納得してくれたらしい。
ラグムントは不安そうな顔から一転して、晴れ晴れとした表情になっていた。
自己紹介が終わると、農園での働き方の説明をメルシアがする。
役職的な頂点は俺になるが、現場の頂点はメルシアだ。
ネーアたちもそのことはわかっているのか、特に異論などが上がることはなかった。
昔からここで住んでいただけにメルシアの優秀さは皆が知っているらしい。
なにせメルシアが一番に畑を把握しているからな。
俺も彼女から受け取ったデータなんかに把握しているが、あくまで数字上や書類上での把握でしかない。
こんな俺が指揮を執るよりも、現場をよく知っているメルシアに任せる方がいいだろう。
そもそも農園を作ったのは俺が細々とした畑作業をせずに、錬金術の研究に専念するためだ。他の作物の品種改良を行ったり、作るべき魔道具なんかがたくさんある。これが最適だ。
とはいっても、俺がまったく畑を手伝わないかと言われればそうではない。
作物によっては俺が錬金術で調整しないと、思うように育たない作物もあるからな。
ちょっとした運動も兼ねて時々畑には顔を出すつもりだ。
「それでは、皆様には今から収穫を手伝ってもらいます」
ひとしきり働き方の説明や質疑応答が終わったのか、メルシアが従業員たちに言った。
「よし、収穫は得意だぜ!」
「何を収穫すればいいの?」
「本日の品目はトマト、キュウリ、ナス、ピーマン、白菜……」
いきなりの収穫作業にやる気満々のリカルドやネーアだったが、メルシアが次々と告げていく品目を聞いて青ざめる。
うん、ざっと聞いただけで十種類くらいあるね。だけど、今の俺たちの農園の規模を考えると、それくらい当然かな。
「あ、あれれ? メルシアちゃん? ちょっと収穫するのが多すぎない?」
「そのためにあなたたちを雇ったのです」
汗水を垂らしながらのネーアの言葉を一蹴するメルシア。
幼馴染であっても容赦がまるでない。さすがだ。
「そんな勢いで収穫して仕事がなくなったりしないのか?」
「ここでは毎日のように収穫が行われますので問題ないですよ。獲っても獲っても次の日には収穫できますので」
率直に尋ねるラグムントの問いには俺が答えた。
懸念する気持ちはわかるが、うちの農園ではそんな心配は一切いらない。
なにせメルシアとゴーレムが毎日収穫しても無くならないからね。
獲ってもまた次が生えてくるんだ。
「……あたし早まったかもしれないにゃ」
毎日が収穫だと言われれば、農業経験者はそれがどれだけ忙しいか理解できるのだろう。
ネーアだけでなく他の従業員も顔を真っ青にしていた。
「大変な仕事だからこそ給金も多いですし、収穫物のいくつかは持ち帰っていただいて構いませんので頑張ってください」
メルシアがパンと手を叩いて言うと、従業員たちは戦慄しながらも歩き出した。
「イサギ様、後は私に任せてくださって大丈夫ですよ」
従業員をそれぞれの畑に割り振ると、メルシアが振り返って言った。
「じゃあ、遠慮なく工房で研究させてもらおうかな」
今日は従業員が働いてくれる初日ということで、見守っておこうかと考えたがメルシアが必要ないというのであればそうなのだろう。
従業員を雇ったのは俺が錬金術に専念するのが目的だし、農業の方はメルシアたちに任せておこう。
そんなわけで俺は工房へと引き返した。
工房に入ると、廊下を突き進んで奥へ。
そこには壁があるだけだが、錬金術による変形を使えば壁がスライドして奥に進める仕組みとなっている。
壁がスライドすると、地下へと続く階段が現れた。
これも錬金術で土壁を変形させて作り出したものだ。
壁には等間隔に窪みができており、そこには小さな灯りの魔道具が設置されている。
仄かな灯りで照らされた地下への階段を俺はゆっくりと降っていく。
階段を降りると、真っ昼間のように明るい開けた場所に出てきた。
そこではオクラ、ブロッコリー、グリーンピース、モロヘイヤをはじめとする野菜畑がズラリと並んでいた。
ここは俺の作った地下実験農場。錬金術で品種改良した作物をいくつも育てている。
完成品の域に達したものか、未完成品まで様々のものを育てており、日々データを集めているのだ。
さすがに未完成のものを外で栽培するのはリスクが高い。特に実験中のものは意図せぬ繁殖や進化をして周囲に危害を加えることがある。
それを避けるためにこうやって地下で育てているわけだ。
しかし、地下だと日光が遮られてしまって作物が育たたない。
その問題については魔道具で解消している。
天井につるされている大きなランプは照明の魔道具ではなく、日光を放つ魔道具だ。
日光を溜め込む性質を持つ魔物の素材を利用した魔道具であり、疑似的な太陽の光をここで再現している。これによって外とは変わらない――いや、それ以上に効率のいい成育を促しているのである。
「さてさて、今日はどんな成長をしているかな」
メモ帳とペンを手に実験作物を確認。
「うーん、こっちのオクラは成育が不安定だな。明らかに栄養が偏ってる。こっちのブロッコリーは栄養を吸い上げ過ぎて土が枯れてるな」
それぞれの成育状況をしっかりと確認して記録。
オクラに関しては、どのくらいで成育バランスが大きく崩れるか確認したいので残す。
ブロッコリーについては土に大きなダメージを与えてしまっているので駆除だ。このままだと実験農場全体の土を枯らしちゃいそうだし。
枯れた土のところには新しく土と肥料を加えて回復を待つ。
改良した別の品種を植えたかったけど、今日はやめておいた方がいいだろう。
「よし、次は果物畑だ」
野菜畑のデータ採取が終わると、次のデータ採取へ。
こちらも同じように改良中のレモン、ナシ、ブルーベリー、モモなどの成育状況を確認。
果物で品種改良に成功したのはイチゴ、リンゴ、バナナだけだ。
大農園として発展させるには、もう少し種類を増やしておきたいところだ。
「うーん、やっぱり果物はまだ成育に時間がかかるな」
四つの果物の成育状況を確認して回っているが、野菜に比べると成長速度が遅い。
こちらは普通に育てたら何十年とかかるものなので、錬金術を使っても多少は時間がかかってしまうのも仕方がないだろう。
それぞれの品種に合わせて肥料も調整しているが、これ以上の速度を望むのであれば根本的な素材の選定からやり直す必要があるのかもしれない。
さすがにそちらは時間がかかりそうなので、今やっている作業と並行しつつ探るしかないだろう。
果物の確認を終えると、俺は実験農場の一番奥に移動。
壁に手を当てて錬金術を発動すると、またしても土壁が開いた。
ここは助手であるメルシアも知らない小さな実験農場。
「さて、最後はブドウだな」
そこで俺はメルシアの大好きなブドウの品種改良を行っていた。
なぜ秘密にしているかというと、彼女の大好物だからこそ完璧な形で出してあげたいからだ。
色々とメルシアにはお世話になっているからな。そのお礼としてとびっきりの美味しいものを渡してあげたい。そんな俺のエゴである。
小さな実験農場ではいくつもの品種のブドウが育てられており、いくつもの支柱が立っていた。色々な品種を育て過ぎて、ちょっとしたブドウ園のようだ。
こちらも天井に太陽光の魔道具がつるされているので、室内はちゃんと明るい。
それぞれの品種を確認し、いくつか出来の良さそうなブドウ摘んで口に入れてみる。
「うーん、まだ甘みが足りないかな。こっちはちょっと酸味が強いし、種の大きさもバラバラで食べづらい」
一粒食べるごとに味に大きなバラつきがあるのがわかるし、種があったりなかったりするのは非常に鬱陶しい。成育は安定してきたけど、味周りについてはまだまだ改良する余地が大きいな。
やっぱりプレゼントするなら妥協したくない。とことんこだわることにしよう。
●
地下の実験農場でのデータ採取が終わると、俺は工房に戻ってきていた。
集めたデータを元に品種改良をしてもいいが、ここのところ肥料の改良や作物の品種改良と地味な作業ばかりで飽きていたところだ。
「気分転換に何か新しい物でも作るか」
宮廷に務めていた頃ならそんなふざけたことはできなかっただろうが、今の俺は自由だ。
勿論、やるべき仕事の順番というのはあるが、今は差し迫ってやるべきことはない。
メルシアのためのブドウ作りも急げば、完成が近づく類の研究でもないしな。
そんなわけで今日は物作りをすることに決めた。何を作るかは決めていない。
だけど、作りたいと思っていた魔道具ならたくさんある。
俺はテーブルの引き出しから紙の束を取り出す。
これは魔道具の設計書だ。
不自由な環境にいながらも、いつか手に入れた自由な時間のためにとコツコツと書いていたのである。
中には草案レベルなものや、素材が足りないが故に作成不可能なものもあるが、今の俺なら作れるものもたくさんある。
「何を作ろうかな」
こうして設計書を見ていると、創作意欲がムクムクと湧いてくる。
とはいえ、作ったはいいがまったく使わないような魔道具を作っても仕方がない。
テーブルの上にあるリンゴを齧りながらページをめくっていると、ふとミキサーという魔道具にたどり着いた。
容器の中に設置した刃を回転させることで果物や野菜などの固形物を液体にし、混ぜることができる便利な魔道具だ。
帝城でメルシアが働いていた頃に、果物や野菜をすりおろすのは大変だという言葉を耳にして構想をまとめた。
「そういえば、昨日もリンゴをすりおろしていたな」
俺の身の回りの世話に家や工房の管理、果てには農園の管理までやってくれている。
忙しいメルシアの負担をもっと小さくしてあげたい。
「よし、ミキサーを作るか」
ちょうど果物が収穫できるようになったし役に立つだろう。
俺はマジックバッグから必要な素材を取り出した。
●
「できた!」
工房に籠って小一時間経過した頃。テーブルの上には魔道具が出来ていた。
全体のシルエットは細長くて円柱のようだ。
ボトルは入れた具材が見えやすいようにプラミノスという半透明素材を採用。その中には果物や野菜を砕いて混ぜるためのブレードが設置されている。
その下の土台には無属性の魔道具が入っており、魔力を流すと上部にあるブレードが回転する仕組みだ。
「試しにリンゴジュースでも作ってみるか」
テーブルの上にある籠にはまだまだリンゴがある。とはいえ、さすがに大きなままではミキサーに入らない。
台所に移動して、リンゴの皮を剥き、ちょうどいいサイズにカット。
ミキサーの蓋を開けてカットしたリンゴに加えて、水を投入。
通常のリンゴならここに少しの砂糖を加えるのだが、俺が品種改良したリンゴは糖度がかなり高いので不要だろう。
蓋をしっかりと閉めると魔力を流す。すると、ブレードが勢いよく回転した。
唸るような音を立てて、ボトル内に入っているリンゴを砕いてく。
数十秒もしないうちにリンゴはあっという間に砕かれ、混ざり、ジュースと化した。
「こんなものかな」
頃合いを見て、魔力を流すのをやめるとブレードの回転が止まった。
本体からボトルを分離させると、蓋をとって傾けて用意したコップへ注いだ。
コップを持ち上げて傾けると、濃厚なリンゴの味が口の中に広がった。
「うん、美味しい!」
俺の予想通り、砂糖を加えなくて正解だ。
程よい酸味が喉の奥を通り過ぎて、フレッシュな余韻を残してくれる。
ここ最近、暑くなって汗をかくことも増えた。
こういったジュースがあるととてもいい栄養補給になる。作るのが面倒なジュースだけど、ミキサーがあれば気軽に作ることができるな。我ながらいい魔道具を考えたものだ。
ミキサーを洗ってテーブルの上を片付けていると、窓の外の景色が茜色に染まっていた。
畑の方もそろそろ仕事を切り上げる頃だろう。
「イサギ様、そろそろ本日の仕事を切り上げようかと思います」
なんて思っていると、ちょうどメルシアが工房に入ってきた。
初日ということもあって念のための報告だろう。
「仕事が終わったら家の方に皆を呼んでくれる? 魔道具で作ったジュースを振舞ってあげたいんだ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
俺がそう言うと、メルシアは何か含みのある笑みを浮かべながら外に出ていった。
え? なになに? ジュースの感想を聞きたいだけで他意なんてないんだけど?
メルシアの妙な笑みが気になったが外に行ってしまったので問いただすこともできなかった。
工房から家に移動し、ジュースを作るための果物をカットしたりミルクを用意していると、程なくしてメルシアと従業員たちがやってきた。
玄関をくぐるなりカーペットの上に寝転がるネーア、ロドス、リカルド。
「うわーん、初日からこき使われたよ!」
「こんなに疲れたのは久しぶりなんだな」
「実家で育てている畑よりも忙しさが段違いだぜ」
想像していた以上に収穫作業が大変だったらしい。
普段あれだけ大荷物を運んでいるロドスまでも疲労困憊の様子だった。
平気そうに立っているのはラグムントとノーラ。
体格のいいラグムントはともかく、小柄なノーラが平気というのは意外だった。
「ラグムントさんは平気なのですか?」
「普段から鍛えているからな。にしても、そっちが平気なのが驚きだ」
「平気じゃありません。乙女としての気力で立っているだけです」
「そ、そうか……」
「これが毎日のようにあるんですね。うふふ」
どうやらノーラは淑女であろうとする気力で踏ん張れているようだ。
死んだような目をして笑っているので怖い。
「とりあえず、疲れているだろうから座って座って」
かなり消耗しているようなので立たせていては可哀想だ。
率先して促すことで従業員たちを座らせていく。
「ネーア、いつまでも寝転がっていないでちゃんと座ってください」
「メルシアちゃんがあたしをいじめるー!」
「いじめてません」
ずっと寝転がっていたネーアも文句を言いつつも、メルシアに促されて席に座っていた。
「で、家に入れてくれたのはイサギがご褒美をくれるからなんだよね?」
「はい。皆さんに特別なものを振舞いたいと思いまして」
「果物だ!」
テーブルの上に用意したリンゴ、イチゴ、バナナなどを目にしてネーアたちの目が輝いた。
「これらをミキサーに入れて粉砕してジュースにします」
「にゃー! 貴重な果物を粉々にするなんてなんてことするの!?」
「酷いんだな!」
「あんたいい奴だと思っていたのによぉ!」
カットしたリンゴを粉砕しただけで酷いバッシングの嵐だ。
「そう怒らないでくださいよ。新しく作ったミキサーの試運転でジュースを作りたいので」
「ああ、ジュースを作るために果物を粉砕する魔道具なんだ」
リンゴを粉砕した理由がわかったからか、ネーアたちがホッとしたような顔になった。
「そんなわけでリンゴジュースの出来上がりです! 飲みたい方!」
「あたし飲みたい!」
「オレも!」
手を上げたのはネーアとリカルドとロドスだ。
ラグムントはバナナ、ノーラはイチゴを使ったジュースが飲みたいとのことなので手を挙げた三人にリンゴジュースを振舞う。
「にゃー! なにこの美味しさ!」
「リンゴの甘みが凝縮されてるんだな!」
「うめえ!」
ネーア、ロドス、リカルドがリンゴジュースを飲むなら大きく目を見開いた。
どうやら気に入ってくれたらしい。とても幸せそうな顔をして飲んでいる。
ミキサーを洗い終えると、ラグムントとノーラのためのジュースを用意する。
そのままでは飲みづらいだろうからミルクを加えたバナナミルクとイチゴミルクだ。
「美味い」
「今日の疲れが吹き飛ぶようです」
よかった。ラグムントとノーラも気に入ってくれたようだ。
「なんかそっちも美味しそう! あたしもバナナミルク飲みたい!」
「俺はイチゴミルク!」
「おいらもイチゴミルクがいいんだな」
二人が飲む様子を見て、ネーア、リカルド、ロドスも欲しがる。
思っていた以上の人気ぶりだ。ミキサー一台ではとても間に合わないペースだ。
これはもう一台作っておく必要があるな。
ボトルを洗いに台所に向かうと、メルシアがやってくる。
「さすがはイサギ様ですね」
「え? なにが?」
俺はミキサーを作っただけで特に何もしていないと思うのだが?
「農園の果物の美味しさを身体に刻み込み、従業員たちを離れられなくする作戦なのでしょう? 飴と鞭の使い方がお上手です」
キョトンとする俺をよそにメルシアは笑みを浮かべながら追加分の果物の下処理を始めた。
そんなこと考えつきもしなかった。
だけど、すっかりとジュースの虜になっている従業員たちを見れば、あながち間違いでもないのかもしれないなと思った。
「イサギ様、本日もいつもの調整をお願いします」
「わかった。見にいくよ」
朝食を食べ終わると、メルシアに頼まれた仕事をこなすべく外に出る。
五人の従業員が働き始めて一か月と半分。
従業員たちやメルシアが農業に専念して働いてくれたお陰で、うちの農園は大農園と呼ぶにふさわしい規模になっていた。
栽培される作物の種類は膨大になり、小麦畑エリア、果樹園エリア、野菜畑エリア、薬草園エリアなどと区画分けされるようになったほどだ。
さすがにこれだけ広くなってしまうと徒歩で巡回するのも大変だ。
たまにしか農園に顔を出さない俺でもこう思うのなら、毎日農園に出ているメルシアや従業員たちはもっと不便に感じているだろう。
「では、行きましょうか」
「待って。いいものを思いついた」
歩き出そうとするメルシアを止めて、俺はマジックバッグから精錬した銅を取り出す。
それを錬金術で小型馬の形に整える。
あまり大きすぎると農園の中を移動しにくくなるので小回りが利くのを重視。
柔軟な動きができるように内部に疑似筋肉繊維を加え。数多の素材を付け足していく。
さらに加速とブレーキが調節できるように足元にペダルを設置。
全体を整えると、最後に魔法文字を刻んだ魔石を体内に埋め込んだ。
「起動」
魔力を込めてキーワードを唱えると、小型馬がむくりと起き上がった。
「……これは?」
「ゴーレム馬だよ。うちの農園もかなり広くなったし、乗り物があると便利だと思ってね」
「ありがとうございます。とても助かります」
馬タイプのゴーレムが珍しいのか、メルシアが物珍しそうに見ている。
帝城では人型のタイプしかいなかったので、動物型のゴーレムを見るのが初めてなのだろう。
錬金術師の間ではゴーレム品評会などという、自分の作ったゴーレムの力を誇示する催しがあるが、そこでもほとんどが人型のゴーレムだ。
多分、王族と貴族に仕えるには人型のゴーレムであるべしといった妙な文化があるんだろうけど、俺としては良きパートナーでいれば形は気にしないけどね。
乗り降りしやすいようにゴーレム馬に鞍をつけると、俺はマジックバッグから追加分の素材を取り出す。
「あっ、素材が足りないや」
自分が乗る分のゴーレム馬を作ろうと思ったが、肝心の素材が少し足りない。
「では、イサギ様がお乗りください。私は走りますので」
「いや、さすがにそれは申し訳ないよ」
なんてメルシアが提案してくるが、その案には賛同できない。
メルシアの身体能力なら問題なく走って付いてこられるだろうけど、それは鬼畜過ぎる。
そんな光景を見た従業員たちもドン引きすること間違いないだろう。
「それなら二人用にしちゃおう」
幸いなことに素材は少しだけある。もう一頭作れるだけの量はないが、ゴーレム馬を少し大きくするには十分だ。
錬金術を発動して、俺はゴーレム馬のサイズを大きくする。動力となる魔石は元々強めにしていたので、二人乗りになったくらいでも問題はない。
「メルシア、後ろに乗って」
ゴーレム馬にまたがると、メルシアに手を差し伸べる。
躊躇しながらも手を伸ばしてくるメルシアの手を取って、俺の後ろに乗ってもらった。
「ゴーレムだから問題ないだろうけど、万が一のためにどこかに掴まっておいて」
普通の馬と違ってこちらの予期せぬ動きはしない。が、バランスを崩してしまった時や転倒しそうになった時のためにどこかに掴まっておいた方がいい。
「で、では、失礼いたします」
そう告げると、メルシアが俺の腰に両手を回してきた。
軽く肩に手を乗せたりする程度だろうと思っていたので、予想以上の密着に驚く。
妙に甘い匂いがするし、柔らかいものが背中に当たっている気がする。
メルシアって俺よりも身体能力が高いけど、腕はこんなにも細くて柔らかいんだな。
「うん? なんかゴロゴロ音が鳴ってる?」
どこから出ているのか不明だが、ゴロゴロと低い音が鳴っている気がした。
思わず周囲を見回してみるが動物は勿論のこと、俺たち以外の姿は見えなかった。
じゃあ、この低い音はどこから鳴っているのだろう? 朝食は食べたばかりでお腹が鳴っている音ともまた違う。
「き、気のせいでしょう。イサギ様、作物の調整をお願いいたします」
「う、うん。わかったよ」
なんだかメルシアの顔が妙に赤いけど、いつまでも家の前にいるのは不毛だし、いい加減志仕事に向かうべきだ。
俺はゴーレム馬を走らせることにした。
●
ゴーレム馬を走らせると、あっという間に野菜畑にたどり着いた。
断続的に聞こえていたゴロゴロとした音だが、ゴーレム馬を走らせていると聞こえなくなった。ゴーレムが不調というわけでもないし不思議だな。
野菜畑にやってくると、ロドスがゴーレムたちと一緒に収穫した野菜を箱詰めしていた。
ワンダフル商会に卸すための野菜を纏めているのだろう。
俺たちの存在に気付いたロドスが、首にかけているタオルで汗をぬぐってやってくる。
「イサギさん、メルシアさん。おはようなんだな」
「おはよう、ロドス」
「おはようございます」
野菜畑を主に管理しているのはロドスだ。
勿論、管理しているのは彼一人だけでなく、俺の作り出したゴーレムたちがいる。
さすがにこれだけ広大な畑を一人で管理するのは不可能だからな。
除草や虫の駆除、単純な収穫作業などの単純作業をゴーレムに任せ、細かい指示出しや作業はロドスが行っている形だ。ネーア、リカルド、ラグムント、ノーラも同じような形でそれぞれの区画を管理している。
そして、その全体の統括をメルシアがしてくれているというわけだ。
「……この馬は?」
「移動用に新しく作ったゴーレム馬だよ。試運転が終わったら農園に配備して、皆が使えるようにできればと思ってるんだ」
「それは助かるんだな。だけど、このサイズじゃおいらは厳しいかも……」
ロドスの顔はのんびりとしたものだが、どこかシュンとしているように見える。
彼の体型は縦にも横にも大きい。
ゴーレム馬なので馬力はかなり高く、重量は問題ないが物理的に座れる面積が足りないだろうな。
「その時はロドスが乗れるようにオリジナルのサイズを作っておくよ」
「ありがとうなんだな!」
特別仕様を作ることを伝えると、ロドスは嬉しそうに笑った。
やっぱり彼も乗ってみたかったらしい。
普通のゴーレム馬よりも素材は多く使うが従業員のためだからな。必要経費だ。
「今日は視察と調整をしにきただけだから俺のことは気にせず」
「わかったんだな」
ロドスを仕事に戻らせると、ザーッと野菜畑を見て回る。
トマト、キュウリ、ナス、ニンジン、タマネギ、キャベツ、レタス……品種改良に成功した作物もかなり増えたお陰でとても種類も賑やかだ。それぞれの畑ではゴーレムがコンテナを押しながら鋏で器用に収穫している。
プルメニア村にやってきた時は、食料事情が改善できればいいなどと漫然と思っていたが、まさか自分がこんなに大きな農園の主になるなんて思ってもいなかったな。
この農園を見れば、プルメニア村がロクな作物も育たない不毛な土地だとは誰も思わないに違いない。
感慨深く思いながら俺が向かっているのは、半透明の膜で覆われたプラミノスハウスだ。
こちらでは魔道具がいくつも設置され、しっかりと温度管理が行われている。
日差しの強い外と違って、こちらは実に適温で過ごしやすいや。
プラミノハウスで育てている作物はトマトやキュウリ、ナスと外で育てているものと変わりないが、ここでは俺が定期的に錬金術で手を加えている。
他の作物と違って勝手に育つわけでなく、手間暇がかかるがその分味はかなり美味い。
今日もそれぞれの作物を確認すると、作物の調子に合わせて錬金術で調整。
成長速度に敢えて減衰をかけることでじっくりと成長させて、さらなる味の向上と栄養の集約を図らせる。さらに糖度が増加するように調整をかけて、さらに甘みが感じられるように変質。
「よし、これで問題ないかな」
「お疲れ様です。次は果物畑に向かいましょう」
「わかった」
それぞれの調整が終わると、俺とメルシアはゴーレム馬に乗り込む。
すると、またしても後ろでゴロゴロと音が鳴る。
チラリと後ろを確認してみると、ピッタリと音が止んだ。
「どうされました?」
「いや、なんでもないよ」
不思議に思いながらゴーレム馬を走らせると、やっぱりとゴロゴロとした音が鳴った。
何の音なのか本当にさっぱりわからない。
「にゃー! 二人ともいいところにきてくれた! ちょっと大変なんだよ!」
果物畑にやってくると管理人であるネーアがすぐに寄ってきた。
いつもだったら二人乗りしている姿をからかってきたりするのだろうが、今日はそんな余裕もないと言った様子だ。
「どうしたんですか、ネーアさん?」
いつもと違う変化を感じ取った俺は、すぐにゴーレム馬から降りた。
「うちの果物畑が荒らされているんだよ!」
「ええっ!? 本当ですか?」
「ひとまず、果物の様子を確認させてください」
「わかった。こっち来て!」
彼女が案内してくれたのは果物区画の中でも奥にあるスイカ畑。
多くの蔓や葉が茂り、大玉から小玉のスイカがゴロゴロと転がっているスイカ畑だが、今日はいくつものスイカが無残にも赤い身を露出させていた。
「酷い。一体、誰がこんなことを……」
「昨晩は嵐でもありませんでしたし、ちょっとしたことでスイカがこんなに割れるとは思えません」
自然現象じゃないとなると人為的なものとなる。
村人がやっただなんて疑いたくないな。
「昨日はこんな風になっていませんでしたよね?」
「うん。あたしが仕事を終えた頃はいつも通りだった。でも、朝やってきたらこんな風になってて……」
「荒らされた果物は他にもありますか?」
「ザーッと確認した感じだとここだけだと思う」
どうやら荒らされたのはスイカ畑だけのようだ。それがひとまずの救いだろう。
「……ごめんなさい」
「ネーアさんのせいじゃないですよ」
いくら従業員とはいえ、勤務時間外の真夜中の畑まで監視するのは無理だ。
誰もネーアが悪いだなんて思うわけがない。
「ひとまず、ダメになってしまったものを回収いたしましょう」
「そうだね」
残念ながら被害に遭ったスイカは売ることができないし、俺たちで食べることもできないだろう。廃棄するしかない。
俺たちは割れてしまったスイカを回収し、箱詰めにしていく。
それと同時に割れたスイカを確認して形跡を確認。
被害にあったものを見てみると、鋭い爪のようなもので抉られていたり、直接噛み砕かれているようなものが多い。それに地面には犬のような足跡があちこちで残っていた。
「……形跡からして人がやったものじゃないね」
「はい。ほのかに野生の匂いが残っていますので動物、あるいは魔物の仕業ではないかと」
良かった。どうやら村人を疑う必要はないようだ。
「見てみて! こっちに黒い毛が落ちてる!」
声を上げるネーアの手には真っ暗な毛束が握られていた。
触ってみると、とても硬く人間や獣人の毛質とは異なっているのがわかる。
「……ブラックウルフの毛だろうね」
「触っただけでわかるの?」
「素材の情報を読み取ることには自信があるからね」
錬金術師は素材の構造を読み取ることができる。微かな痕跡さえあれば、相手の情報を読み取ることも可能だ。今回は体毛というわかりやすい素材があったので、すぐにわかった。
「となると、夜にあちらの山からブラックウルフが降りてきたということでしょう」
「多分ね。このスイカ畑は農園の中でも一番森側に近いから」
俺の農園も随分と広がったせいで西にある森との距離も近くなってしまった。
「スイカの甘い香りに誘われたか、ブラックウルフの縄張りを刺激したか……」
「なんとなく前者のような気がします」
「あたしもそう思う!」
魔物さえ食べたがるスイカとして喜んでいいのかわからない。複雑だ。
畑の周りは柵で囲っているし、ゴーレムだって定期的に巡回をさせている。
とはいえ、機動性が高いブラックウルフからすれば、柵なってあってないようにものだし、鈍重なゴーレムの目をかいくぐるのは簡単だろう。戦闘用ゴーレムならまだしも、うちの畑には農業用ゴーレムしかいないからな。
「また今夜もやってくるかな?」
「必ずきます」
不安そうに尋ねるネーアの言葉にメルシアは断定するように答えた。
一度味を占めてしめた野生の獣は必ずもう一度やってくる。
人を襲って食べたクマが、また人を襲って食べるようになるのと同じだ。
「じゃあ、どうするの?」
「広い農園を守って戦うのは難しいだろうから、こっちから討って出るよ」
相手は素早く集団行動を得意とする魔物だ。広い農園のすべてをカバーしながら戦うには分が悪すぎる。
「ネーアはラグムント、リカルドを呼んで農園を守るように言ってくれ」
「わかった!」
ラグムントとリカルドは狩人であり、いざという時の戦闘もこなせる。
仮にブラックウルフがまたやってきたとしても、彼らなら持ちこたえることができるだろう。
「でも、命を優先で頼む! 作物は作り直せても人の命は作り直せないからな!」
獣人の戦闘力の高さはメルシアから聞いているので重々承知しているが、それでも無理は禁物だ。人の命よりも大切な作物なんて存在しない。
ネーアにそのことを厳命すると、俺は近くにいたゴーレムを呼び寄せた。
「全員、作業を中断し、農園の警備を優先させること」
創造主である俺が命令すると、ゴーレムはこくりと頷いて農園の警備を始めた。
一体のゴーレムを介して、他のゴーレムにも命令が届き、続々とゴーレムが集まってくる。
農業用のゴーレムではあるが、馬力は人間とは比べ物にならない。大勢並べているだけでブラックウルフへの大きな牽制となるだろう。
残った俺は森に向かうためゴーレム馬にまたがる。
すると、メルシアが見事な跳躍で俺の後ろに乗ってきた。
「イサギ様、お供いたします」
前回の素材採取でメルシアの戦闘能力が桁外れだということは十分に理解している。
彼女の同行を拒否する理由はない。
「ちょっとスピードを出すから落ちないようにしっかりと掴まって」
「はい!」
肯定を意味する返事をすると、メルシアは嬉しそうに笑って腰に手を回した。
●
ゴーレム馬に乗った俺とメルシアは、ブラックウルフの生息する西の森に入る。
スイカ畑から薄っすらと直線状に足跡が残っているが、俺の目ではしっかり追うことができているか自信がない。
「メルシア、こっちの方角で合っているかな?」
「はい。足跡は依然として奥まで続いておりますし、ほのかに匂いも残っています」
「わかった」
メルシアに痕跡の観察は任せて、俺はゴーレム馬を走らせることだけに集中する。
魔石による魔力を動力としているために通常の馬よりも速く走れるが、何分周囲には木々が乱立しているし、地面にも起伏があるからな。転ばないようにしっかりしないと。
「止まってくださいイサギ様!」
しばらく真っすぐに走っていると、不意にメルシアが叫んだので急いでゴーレム馬を停止させる。急停止させたために身体がグッと前に流されたが、しっかりと手綱を握って耐えていたために落ちることはなかった。
「どうしたのメルシア?」
「ブラックウルフの匂いが一気に濃密になり広がりました。私たちはハメられたかもしれません」
疑問の言葉を発しようとした瞬間、周囲に大量の魔物の気配を感じた。
薄暗い森の中に隠れるように何体ものブラックウルフがいる。
「いつの間にこんな数が……」
「追跡している我々に気付いて誘導したのでしょう」
「いくら集団行動が得意なブラックウルフとはいえ、そんなことをできるはずが……」
基本的に魔物は人間よりも知性の劣る生き物だ。
そんな作戦を思いつけるわけがない。
となると、通常の魔物よりも遥かに知性が優れ、群れを統率するだけの力をも備えた上位個体がいることになる。
一体、どこにそんな奴が……
「イサギ様!」
思考していると、突然メルシアがこちらに覆いかぶさってきた。
ゴーレム馬から落ちて地面に転がっていく。
何が起こったのかと視線を巡らせると、ゴーレム馬の影から大きな狼が飛び出してくるのが見えた。
狼は強靭な爪を振るい、ゴーレム馬を両断した。
即座に受け身を取って立ち上がると、俺たちのいた場所にはブラックウルフよりも二回り以上も大きく紫がかった毛並みをした魔物がいた。
「イサギ様、あの魔物は?」
「……シャドーウルフだと思う。影を操ることのできる危険な魔物さ」
帝城で魔物の文献を読み漁っていた時に見た覚えがある。
影の中から出てきた能力を見る限り間違いない。
「冒険者ギルドによって定められた討伐ランクはA。騎士団を動員し、大勢の被害を出しながらも討伐できるようなレベルだよ」
「そのような魔物が村の傍にいたとは……」
さすがにこのレベルの魔物が出現するのは珍しいのか、メルシアも戸惑っている様子だった。
しまったな。最悪の事態を想定して入念の準備を整え、大勢の仲間を連れてくるべきだった。
とはいえ、上位個体がいるとは思わなかった。おいそれと出現するものではないからな。
「なんだこれは? 馬ではないのか?」
自らの影を触手のように伸ばし、ゴーレム馬を小突くシャドーウルフ。
群がっているブラックウルフも不満そうな唸り声をあげている。
馬であったなら彼らの食料になったかもしれないが、残念ながら銅を中心に作られたゴーレムだ。魔石ぐらいしか食べるところはないだろうな。
なんて考えている場合じゃない、相手は言葉を話すほどの知性を持っている。これは上位個体の中でも相当の実力を持っているかもしれない。
「メルシアならシャドーウルフを倒すことはできる?」
「……良くて五分五分といったところでしょう」
本気になれば、討伐ランクAの魔物とも単身で渡り合えること時点ですごい。
でも、そんな彼女でも半分の確立で負けるという。
俺が助太刀に入って少しでも勝率を上げる作戦もあるが、周囲にいるブラックウルフの存在を考えるとそうはさせてくれないだろうな。
「私が時間を稼ぎます。イサギ様はその隙にお逃げください」
「ダメだ。メルシアを置いて逃げるなんてできない」
どちらかの生存を考えれば、それが最適なのかもしれないがそんなことはしたくない。
「ですが……っ!」
「メルシアは、俺が帝城から追放されても支えてくれた。自分が窮地に陥ったからといって見捨てるなんてことは断固としてできないね」
「……イサギ様」
非論理的だとはわかっている。だけど、男として――それ以前に一人の人間としてメルシアを見捨てるという選択肢だけは選べない。たとえ、それで俺が死ぬことになっても。
「クククッ、こんな時に仲間割れとはな」
俺たちの会話を聞いて、シャドーウルフが低い声で笑う。
矮小な生き物がもがき苦しむ様を楽しんで見ているようだ。趣味が悪い。
だけど、見たところ相手はこちらをすぐに襲うつもりはない様子。
嬲り殺しにするためか一種の娯楽と感じているのかは知らないが、襲い掛かってこないのであれば交渉の余地がある。
なにせ相手は上位個体であり、しっかりと知性があるのだ。こちらの言葉を十分に理解できているのであれば、交渉する余地はある。
「……取り引きをしよう」
「イサギ様?」
「ほお? 人間が魔物である我らと取り引きをしようというのか?」
「そういうことさ。話が早くて助かる」
「面白い。言ってみろ。つまらなければ殺して食う」
正直、今にも襲われそうで怖いが、俺たちの命や今度のことを考えると、ここが度胸の見せどころだ。
「昨夜、うちの農園にあるスイカが荒らされてしまった。これを食べたのは君たちで間違いないかい?」
マジックバッグから回収した一部のスイカを取り出すと、周囲にいたブラックウルフの何体かがピクリと身体を震わせた。
赤い舌を出し、物欲しそうな視線が突き刺さるのを感じる。
「ほう、それはスイカというのか。甘い香りが漂っていたので取りに行かせて食べてみたら非常に美味かった。今夜は俺自身も降りて食べにいくつもりだ」
やっぱり、メルシアの言った通り、味をしめてしまったようだ。
しかも、今度はブラックウルフだけでなくシャドーウルフ自身も向かうと言っている。
そんなことになれば、うちの農園の作物だけで被害が済むとはとても思えない。
「そうしたらスイカがなくなってしまうぞ?」
「無くなったらまた次を探すまでだ」
「残念ながらあのスイカはあそこでしか育たない上に、俺たちしか育てられない。お前たちが食べ尽くし、俺たちを殺せば二度と食べることはできない」
「なに?」
余裕の笑みを浮かべていたシャドーウルフだが、俺の言葉を聞いた瞬間に笑みを引っ込めた。
まさか、この村でしか食べられないとは思っていなかったのだろう。シャドーウルフは想定外といった様子で考え込んでいる。
周囲にいたブラックウルフも、何となく言葉の意味が理解できたのかあからさまに動揺し始めた。
うちのスイカが相当お気に召したようだ。
嬉しいっちゃ嬉しいが、無茶苦茶に食い荒らされた現状を考えると素直に喜べない。
しばらく考え込んだ末に、シャドーウルフは口を開いた。
「……それで貴様は何を要求するつもりだ? 食べたら無くなるから我らに退けとでも?」
それが出来たら最善なのだが、あのスイカの美味しさを知ったシャドーウルフたちが素直にそれを呑むはずがない。相手には一ミリもメリットがないのだから。
「いや、違う。君たちにはうちの農園の作物を守ってほしい。その代わり、俺たちは育てたスイカをはじめとする作物を君たちに提供する」
「我らを番犬扱いするつもりか?」
シャドーウルフの毛が逆立ち、憤怒を露わにした。
その気迫にメルシアが臨戦態勢を取ろうとするが静止させた。
臆するな。ここが正念場だ。
「それは捉え方次第だよ。君たちからすれば、俺たちは美味しい食材を出し続ける家畜のような存在とも考えられる」
「確かにそれもそうだ」
「互いにメリットがあると思うんだけど、どうだろう? うちの農園にはスイカ以外にも美味しい食べ物がたくさんあるよ」
「……しばし待て」
ダメ押しとばかりに美味しい食べ物がまだまだあることを告げると、シャドーウルフとブラックウルフたちは一か所に集まり始めた。
そして、俺たちにはわからない鳴き声を上げて何やら話し合っている様子。
群れのリーダーとはいえ、ちゃんと話し合ったりするんだな。興味深い。
しばらく様子を窺っていると、話し合いが終わったのかシャドーウルフたちが元の位置に戻った。そして、大仰な声音で言う。
「人間よ。取り引きに乗ってやろう」
「本当かい?」
「ただし、我らの腹を満たし満足させることができねば、即座に取り引きは破棄だ」
「問題ないよ。うちの農園の生産力も美味しさもどこにも負けないから」
こうして俺はシャドーウルフとブラックウルフの群れを農園の頼もしいパートナーとして迎え入れることにした。
「メルシアちゃん、イサギさん! よく無事で戻ってきたよ!」
農園に戻ってくると俺とメルシアを見て、ネーアが叫んだ。
その声に反応してリカルドとラグムントもやってくる。
いつもの従業員服ではなく、革鎧などの防具や剣を腰に佩いていて武装状態だ。
もしもの際に備えて、ずっと警戒してくれていたのだろう。
「予想よりも大分遅かったから心配したぜ」
「ごめんね。ゴーレム馬が壊れちゃったせいで帰ってくるのが遅くなった」
シャドーウルフと取り引きをしていたこともあるが、単純に足であるゴーレム馬を壊されたせいで俺たちは徒歩で帰ることになってしまった。それが遅くなった最大の原因だ。
「お怪我はありませんか?」
「うん、幸いなことになんともないよ」
「軽い擦り傷程度で怪我と言えるレベルではありません」
ラグムントの問いに俺とメルシアが答えると、三人ともホッとしたように息を吐いた。
「よかった。無事に帰ってきたってことは、ブラックウルフたちは討伐できたってことだよね?」
胸を撫で下ろしながら尋ねてくるネーア。
安堵しているところに物騒な事実を告げるのが申し訳ないな。
「……えーっと、そのことなんだけど、慌てずに聞いてほしいことがあって……」
「おい、もういいか?」
「よくない! 今から説明するところだってば……っ!」
どう説明したものかと迷っていると、俺の影からシャドーウルフがぬっと顔を出した。
「にゃー! イサギさんの影に魔物がいる!」
これにはネーアが驚き、ラグムントとリカルドがすぐに剣を抜いて臨戦態勢に入った。
「二人とも落ち着いて。きちんと説明するから」
冷静な声音で言うと、二人は呼吸を整えて構えを解いてくれた。ただし、強力な魔物を前にしているからか剣から手を離すことがないが、目の前に突然魔物が現れては仕方がないことだろう。
少し落ち着いたところで俺は森での出来事を三人に説明する。
「まさか、村の近くに上位個体がいるとは……」
「こんなおっかねえ魔物によく取り引きを持ち掛けるなんて案外やるな!」
「シャドーウルフだっけ? とにかく、二人が無事でよかったよ」
一連の流れを話すと、三人は納得したのか警戒心を解いてくれた。
「あれ? すんなりと受け入れるんだね?」
魔物を農園に連れてきているんだ。
もっと強い拒否感のようなものを抱かれると思っていたのだが。
帝都だと絶対に受け入れられない事案だと思う。
「んん? 別に動物や魔物を強い奴が従えるのは当然のことだろ?」
「村人の中にも何人か魔物を連れている人もいるしね」
おそるおそる尋ねると、リカルドとネーアがなんでもないことのように言う。
どうやら獣人たちの間では、屈服させた魔物を従えるのはよくあることらしい。
身体能力が高く、野性味が強い獣人だからこその文化なのかもしれない。
この様子を見る限り、従業員たちが特別な感性をしているわけでもなさそうだ。
最大の懸念事項が問題なかったようで心底ホッとした。
「訂正しろ。我はこの者たちに屈服して従っているわけではない。あくまで利害の一致で協力してやっているだけだ。そこを履き違えるな」
ただリカルドの言い分に我慢ならないのがシャドーウルフだ。
唸り声を上げてすごんでいるが、影から頭しか出ていないためにいまいち迫力が欠けている。
「ごめんね。そういうわけだから訂正してくれる?」
「すまん。あくまで利害の一致での取り引きだな」
「フン、気をつけろ」
リカルドが謝罪し訂正の言葉を述べると、シャドーウルフはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
とりあえず、許してもらえたようだが、まだ同じことを繰り返せば怒りそうだな。
この関係についてはしっかりと周知させておこう。
「とりあえず、ブラックウルフたちが襲撃してくる心配はなくなったからロドスやノーラにも伝えて、いつもの仕事に戻ってくれる?」
「わかった!」
ブラックウルフたちがパートナーになったので厳戒態勢を維持する必要はない。
そのように伝えると、三人はそれぞれの持ち場に戻っていく。
ついでに近くにいるゴーレムを呼び寄せると、こちらも厳戒態勢は解いていつもの農作業に戻るように伝えた。
武装していた従業員やゴーレムがいなくなり、物々しい雰囲気に包まれていた農園がいつも通りのものとなる。
やっぱり俺の農園はこうでないとな。
「いい加減外に出るぞ?」
「いいよ」
こくりと頷くと、シャドーウルフは影から飛び出した。
軽やかに着地をするとブルりと全身を震わせる。
おっかない見た目と大きさをしているが、こうした仕草を見ると犬みたいだなと思ってしまう。言うと、絶対に怒るから言わないけど。
「さて、改めて役割の整理をしようか。シャドーウルフたちの役割はこの農園を守ること。昼間は従業員やゴーレムもいるから大人数で守る必要はなくて、どっちかというと俺たちの目が届きにくい夜の警備に力を入れてほしいかな」
「問題ない」
「じゃあ、次はそっちの要望だね。どのくらいの頻度で作物の提供を望んでいるんだい?」
「一週間……と言いたいところだが、さすがにその頻度では無理があるだろう?」
「可能か不可能かでいったら可能だね」
「なに? 人間共がやっている農業とやらは時間をかけて作物を育てるのではないのか?」
「普通はそうなんだけど、うちの農園は特別だからね」
コニアの商会に卸すことを考えても、作物にかなり余裕がある状態だ。
ブラックウルフたちの数も三十体程度。そのくらいの数の腹を満たすくらいであれば毎日でも問題ない。
「ならば、逆に問おう。どの頻度であれば貴様が枯れることなく提供することができる?」
無茶を突き付けてこない辺り、このシャドーウルフも冷静だな。
堅実に長く供給を受けようという狙いがあるのだろうけど、こちらとしては大変有難い。
毎日、群れ全体のお腹を満たし続けることは可能だが、さすがに今の従業員数では日々の業務内容を大きく圧迫してしまう。それが大きな問題だ。
「メルシア、どの程度の期間なら日々の業務を圧迫せずに提供できる?」
「五日に一度くらいの頻度であれば負担なく業務を回せるかと」
「農園を警備してくれた個体には毎日お腹が膨れるほどの作物を提供。そして、五日ごとに群れ全体の腹が満たされる量を渡すっていうのはどうかな?」
「悪くない。そうしろ」
シャドーウルフの反応はかなり良い。
想像上に早い作物の提供体制に素直に喜んでいるようだ。
「それぞれの役割が定まったところで、次は大まかなルールを決めようか」
「ルール?」
「うん。互いが心地よく過ごすための決め事さ」
「……言ってみろ」
胡乱な反応を見せていたシャドーウルフであるが、話を聞くつもりになったのかお尻をペタンと地面につけた。
とはいっても、ルールとは簡単なものだ。
初歩的な部分をきちんと守ってくれればいい。
人を襲わないこと。物を壊さないこと。
勝手に農園に作物に手をつけないこと、汚さないこと。
他の魔物に従業員が襲われれば助けること。
「我らの役割は農園を守ることだ。そこにいる人間たちを守ることは役割に入っていない」
「従業員がいなければ、作物を作ることはできないんだ。従業員がいなくなれば結果として大きな損失となってしまう。従業員たちも農園の一部だと思ってほしいな」
「ぐぬぬ、なんだかいいように言いくるめられている気がするぞ」
「そんなことはないよ」
「言い分に一理あることは認めてやろう。だが、必ず全員守ることは約束できない」
「それで十分だよ」
あくまで重要なのは従業員を尊重し、大切に思ってもらうことだ。
俺の言うことしか耳を傾けず、農園で好き勝手に振舞われたりしたら後の問題になるからね。
「ルールはそんなものか?」
「うん。判断が付かないことや困ったことがあったら適宜話し合う感じで」
「お前たち、そういうわけだ。ルールを順守した上で役割をこなせ」
シャドーウルフの影が大きく広がると、そこからブラックウルフたちが十体ほど出てきて散開した。それぞれの区画に移動して、警備にあたってくれるのだろう。
これだけの数のブラックウルフがいれば、実に心強い。
「その影ってブラックウルフたちも入ることができるんだ」
「それだけじゃなく、我と居場所を入れ替わることもできる」
「便利な能力だね」
「まあな」
まさか居場所を入れ替わることもできるとは驚きだ。
もし、あのままメルシアと一緒に戦うことを選択していたら、間違いなく苦戦させられたことは間違いないだろうな。
「イサギ様、私は父をはじめとする村人たちに状況を説明してこようかと思います」
「そうだね。悪いけどお願いするよ」
説明も無しにブラックウルフがいると、村人たちが驚いてしまう。
メルシアに迅速な情報伝達を頼むことにした。
「……おい、我が農園に出向いているということは、取り決め通りに作物が支給されると考えていいのだな?」
意訳すると、これは早くスイカを食べさせろということだろう。
「そうだね。早速、スイカ畑に案内するよ」
催促してくるシャドーウルフに微笑ましさを感じながら、俺はスイカ畑へと案内する。
今朝はブラックウルフに荒らされてしまったスイカ畑だが、ネーアがきちんと処理をしてくれたのかある程度綺麗になっていた。
「食べていいのはどれだ?」
わざわざ聞いてくるのは勝手に作物に手をつけないというルールを順守してくれているからだろう。
スイカの表面の縞模様がはっきりとしたものを手に取って、軽く手で叩いて音を聞く。
ツルの付け根もしっかりと盛り上がっており、おへその部分も大きい。
これが一番の食べごろだろう。
「これが美味しいよ」
ツルをナイフで切り取ると、シャドーウルフの前に持ってくる。
「待ってて。今、切り分けてあげるから」
「そんなものは不要だ」
包丁で切り分けてあげようと思ったが、シャドーウルフは強靭な爪を振るってスイカは綺麗に真っ二つにした。そして、ぱっくりと割れたスイカに勢いよく顔を突っ込む。
「おお、これだ! 鮮やかな果肉と心地のいいシャリシャリ感! すっきりとした甘みがいつまでも口の中を飽きさせない! 美味い!」
がつがつとスイカを食べながら歓喜の声を上げるシャドーウルフ。
よっぽどスイカが気に入っているようだ。
肉食の魔物なのにスイカを気に入るなんて不思議だな。
美味しそうに食べているシャドーウルフを見ていたら、俺もスイカを食べたくなってきた。
「せっかくだし、俺も少し食べようかな」
手短に美味しそうなスイカを見つけると、同じように収穫する。
「ねえ、これを半分の半分くらいに切り分けてくれない?」
「なぜ我がそのようなことを……」
「俺が食べる分以外はあげるから」
「よこせ。切り分けてやろう」
渋っていたシャドウウルフだが、対価を用意するとすんなりと引き受けてくれた。
鋭い爪が振るわれて、綺麗な四分の一サイズのスイカが出来上がる。
「残りは貰うぞ」
「どうぞ」
さすがに一人で全部食べるには多いからね。自分が食べる部分だけ四分の一だけを手に取ると、残りはすべてシャドウウルフに渡した。
切り分けてもらったスイカを口にする。
爽やかなスイカの味がとても気持ちがいい。
品種改良で糖度を引き上げているお陰か実にいい甘みを出していた。
夏の到来を前にしてこの美味しさだ。本格的な夏がやってきたら、もっと美味しく感じるだろう。
「そういえば、まだ名前を名乗っていないことに気付いたんだけど」
「今更だな」
「俺の名前はイサギ。君は?」
「……我に名前などない」
「じゃあ、名前を付けてもいい?」
群れの中でも会話ができるのは、このシャドウウルフだけだ。意思の疎通を行う上で名前がないのは不便だと感じた。
「……言ってみろ」
その言葉から察するに名前を付けられることに拒否感は抱いていないらしい。
「コクロウっていうのはどう?」
名前の由来はシャドーウルフの見た目を体現した、漆黒の狼という意味だ。
厳密には体毛は黒というより少し紫がかったものであるが、わかりやすさと呼びやすさで決めさせてもらった。
カゲロウっていう呼び名の案もあったけど、通称の名前として通っているシャドーウルフと似通っていたので面白味がないと感じた。
「コクロウか……まあ悪くはないだろう」
ネーミングセンスに自信があるわけではないが、反応を見る限りまんざらでもない様子だった。
コクロウやブラックウルフが警備についてから農園は平和だ。
以前まではちょいちょいと鹿がやってきたり猪が敷地に入ってきたりなどの小さな被害があったが今は完全に皆無である。
一日中、魔物が警備についていると野生動物としてもおっかなくて近寄れないのだろう。いくら美味しい食べ物があっても、足を踏み入れた瞬間に死んでしまっては意味がないだろうしな。
三十体近くいるブラックウルフたちであるが、夜の警備はコクロウを合わせて十体が担当してくれている。
日中は従業員もいることもあって六体くらい。コクロウの影を介して交代制で担当しているようだ。
「まったく、どいつもこいつも農園に連れていけとうるさくて仕方がない。我ら魔物は自然と共に自由に生きるのだ。人間共に懐柔されるなどとはあってはならん」
群れのボスであるコクロウが嘆かわしそうに言った。
当の本人は寝転がっており、傍にいるメルシアに体を撫でられて気持ち良さそうにしている。
コクロウ自身がまさに懐柔の象徴だと思うのだが、突っ込み待ちなのだろうか?
にしてもコクロウの毛並みはモフモフとしてとても気持ち良さそうだ。俺も撫でてみたい。
「行きたくないと言われるよりも何倍もいいんじゃない?」
それとなく背中に手を伸ばそうとすると尻尾に手を叩かれた。
「シレッと我の体に触ろうとするな」
「なんで俺はダメなの?」
「貴様は撫でるのがヘタだ」
率直過ぎるコクロウの意見に傷付いた。
「じゃあ、今撫でているメルシアや他の従業員は上手なの?」
農園を警備しているコクロウやブラックウルフのことを従業員たちも受け入れており、休憩時間に撫でていたり、じゃれていたりする風景を目にする。
「うむ、獣人だけあって実に撫でるツボを抑えている」
メルシアの細い手がコクロウの耳周りを撫でて、額、首元と滑らかに移動していく。
実に手慣れた指使いだ。
彼女が手を動かす度にコクロウが気持ち良さそうに目を細めている。
メルシアや他の従業員が撫でられているのは、撫でるツボとやらを的確に抑えているかららしい。
ということは、俺もそれを会得すれば撫でられるということか。
「俺にも撫で方がわかった。撫でさせてくれ」
俺がそう言うと、コクロウは嫌そうな顔をしながらも抵抗はしなかった。
それを肯定と捉えた俺はコクロウの額に手を伸ばす。
すると、ふっさりとした毛の感触がした。背中やお腹の体毛と違い、毛が細いからかとても手触りが滑らかだ。コクロウの体温を直に感じて温かい。
「ええい! やはり貴様の撫で方は鬱陶しい!」
夢中になって撫でていると、コクロウが鬱陶しそうに身を震わせた。
「あっ、ごめん! 手触りが良いせいでつい夢中になっちゃった。もう一回お願い!」
「我を練習台にするな。撫でるのを練習したいならブラックウルフでも撫でておけ」
「撫でようとすると逃げるんだよ」
勿論、ブラックウルフも何度か撫でた。でも、撫でられたのは最初だけで、すぐに嫌がられるようになってしまったんだ。
「だろうな」
コクロウはブラックウルフたちが逃げる理由をわかっているようだが、教えてくれるつもりはないようだ。冷たい。
●
コクロウにすげなくされて凹んだ俺は、工房の地下にある実験農場で品種改良に精を出していた。
農園で育てている作物の成長は順調だ。従業員やゴーレムたちのお陰で毎日のように安定した量の収穫ができている。
農園の動きが順調だと俺のリソースが十分に空くわけ、その分の時間を研究へと割り振れるわけだ。
実験農場に生っている改良中のブドウを一粒食べてみる。
「うーん、繁殖力は強いみたいだけど味はいまいちだ。繁殖力と味のバランス調整は難しいな」
以前の研究データを元にして改良をして成育速度の向上を図ったが、今度は味のバランスが崩れてしまった。
驚異的な成長の速さは素晴らしいが、美味しさが損なわれてしまっては元も子もない。
成育記録にメモをして新しい方針を考える。
「大量生産は諦めて、いっそのこと一点ものにしようかな……?」
この際、繁殖力の方は諦めて、味に特化したものを少量ずつ作るのもありかもしれない。
たくさん食べられないというデメリットはあるが、元はメルシアにプレゼントするためのものだ。彼女が安定して食べられる分の生産ができればいいのだ。
仮にワンダフル商会に求められたとしても、稀少さと美味しさを前に出して販売してもらえれば問題ないだろう。
「うん、次はその方針でやってみよう」
方針を切り替えることにした俺は、素材の選定からやり直すために実験農場を出て工房に戻った。
●
「イサギ様、ここ最近根を詰めすぎではないでしょうか?」
工房に籠って作業をしていると、メルシアが入ってくるなり言った。
「そうかな?」
「ここ二週間の間。ずっと工房に籠ってお仕事をされています」
「そんなに経ってたんだ」
「イサギ様が研究に専念できることは大変喜ばしいことですが、限度というものがあります。たまには休憩してお外にも出ませんと、お体の方が壊れてしまいます」
こちらを真っすぐに見据えるメルシアの瞳には心配の色がありありと見てとれた。
思えば、ここ最近は実験農場の魔道具でしか日光を浴びていない。
座りっぱなしでの作業も長いせいか全身がガチガチだ。
彼女の言う通り、一度身体を休めてあげた方がいいだろう。
「わかった。今日は休日にするよ」
「それがよろしいかと」
そう言うと、メルシアはホッとしたように笑みを浮かべた。
「休日かぁ。具体的には何をしようかな」
今日も作物の品種改良に取り組み気満々だったので、突然休みとなると何をしたらいいかわからなくなる。
「本日は天気もよろしいですし、ピクニックなどいかがでしょう? 近くに綺麗な花畑があるんです」
「いいね! じゃあ、ピクニックに行こうか! 早速お弁当の準備をしないと……」
「既にできています」
動き出そうとすると、メルシアが後ろから大きなバスケットを取り出した。
「用意がいいね」
「それがメイドの務めですから」
どうやら俺が休みを取るのは決定済みで、先回りして作っていたようだ。
なんだかとても手の平の上で転がされている感じがするけど、不思議と悪い気分じゃなかった。
お弁当が出来ているのであれば、特にこれといって準備するものもないので俺とメルシアは工房を出ることにした。
「どうせなら他の従業員たちも誘いたいところだけど、さすがに仕事中に誘うのは忍びないね」
ピクニックに行くのであれば賑やかに行きたいところだけど、業務を放り出させて従業員を連れ出すのは気が引ける。
「彼らには業務にひと段落つけたら花畑にやってくるように伝達していますので、後から合流しますよ」
「……なんか色々と調整してもらってごめんね?」
「いえ、ちょうど従業員にも息抜きは必要かと思っていましたので」
もう正式な雇用主もメルシアでいいんじゃないかと思うくらいの有望ぶりだ。
農園の業務を丸投げしている俺としては頭が上がらないや。
「それでは行くか」
「うわっ!」
従業員も後から合流してくることがわかってホッとしていると、足元の影からぬっとコクロウが出てきた。
どうやら俺の影に入り込んでいたらしい。まったく気づかなかった。
「というか、コクロウも来るんだ」
「従業員を労うように我にも労いがあっても問題はないだろう? 警備の方はブラックウルフたちを多めに配備してあるから心配するな」
別に来てはいけないとかじゃなく、ピクニックという催しに興味があることが意外だった。
自身や従業員がいなくなることを見越して、普段よりも厚めに警備をしてくれているし問題ないだろう。コクロウたちがやってきて農園が安全になっていることは確かだからな。
そんなわけでコクロウを加えた俺とメルシアは花畑に向かうことにした。