解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる



ジャガイモ畑と同じように土に特製肥料を混ぜて、品種改良をした作物を片っ端から育てた翌日。家の傍にあった畑にはジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ほうれん草、トマト、キュウリ、ナス、カブと幅広い種類の作物が広がっており、通常なら夏や秋に植えるであろうトウモロコシ、大根、ブロッコリーなども既に存在していた。

これだけ豊富で広範囲に広がったそれらを見ると、もはや畑と言うより農園と言う方が正しいような気がする。

「ちょっと作り過ぎたかな?」

「……かもしれません」

冷静になって見渡すとつくづくそう思う。

帝城では限られた土地しか使わせてもらえず、いかに少ないスペースで品種改良した作物を育てるか苦労していた。

そんな抑圧されていた状態の俺たちに、好きなだけ土地を使ってもいいなんて言われたら舞い上がってしまうのも仕方がないわけで。要するに調子に乗って作りすぎたのである。

保存自体はマジックバッグがあるのでなんとでもなるが、収穫が一番の難題だ。

「追加でゴーレムを作ることは可能でしょうか?」

「生憎、魔石を切らしていてね。今はこれ以上作ることができないんだ」

その辺にある石や土を利用すれば、体を作ることはできるが、肝心の動力となる魔石がなければ動かすことはできないのだ。よって、ゴーレムを大量に生成することで収穫を乗り切るといった方法は実現できない。

「父と母を応援として呼びましょうか?」

「そうしてくれると助かるよ」

俺たちだけで行えば、確実に半分は収穫期を逃すことになる。

迷惑をかけることになるが、せっかく育てた野菜を台無しにしたくない。

ケルシーも力になってくれると言っていたので、早速頼らせてもらうことにしよう。

「わかりました。少々お待ちを」

メルシアはこくりと頷くとシエナとケルシーを呼ぶために実家へと向かった。

「よし、とにかく俺とゴーレムだけで頑張るか」

「ニャー!? なにこれー?」

ゴーレムを呼び寄せて腕まくりをしていると、後ろからそんな驚きの声が聞こえた。

聞き覚えのある声に反応して振り返ると、メルシアの幼馴染であるネーアがいた。

「あっ、ネーアさん。おはようございます」

「この村にこんな大きい畑なんてなかったよね!? いつの間にできたの?」

とりあえず、挨拶をしてみるが驚いているネーアはそれどころではない様子だった。

「昨日、作ったんです」

「どうやって?」

「錬金術です」

「いやいや、おかしくない? イサギさんたちがやってきてまだ二日目だよ? この村で作物が育つこと自体がおかしいし、もう収穫できるようになってるのもおかしいんだけど!」

「それをどうにかできるのが錬金術なんです」

「それしか言ってないじゃん!」

だって、その通りなんだからそうとしか言いようがない。

「ネーア、イサギ君の言っていることは本当だ。実際、俺はイサギ君が錬金術で作物を実らせる姿をこの目で見た。イサギ君が改良した作物なら、この村でも育つ」

唖然としているネーアと俺たちのところにやってきたのはケルシーだ。

後ろにはメルシアやシエナもいる。

「ケルシーのおじちゃんがそう言うってことは本当なんだね。この村で農業なんてできっこないと思ってたけど、すごいじゃん!」

「ありがとうございます」

称えるように俺の背中を叩くネーア。

獣人だからだろうか予想した以上に力が強かった。

「それで今から収穫作業ってわけ?」

「はい。少し育て過ぎてしまったので作業が大変です……」

「それなら面白そうだし、あたしも手伝うよ!」

「本当ですか? 助かります!」

これだけ作物が多いとなると、人手は少しでも多い方がいい。

俺はネーアの申し出をありがたく受けた。

「ケルシーさんとシエナさんもいきなり手伝ってもらうことになってすみません」

「昨日の今日でここまで畑が広がるとはな」

「すみません。つい楽しくなってやり過ぎてしまいました」

「全体的に食料が不足しているこの村で作物が豊かに実るのは素晴らしいことだ。気にしなくていい」

「この村でこんなに豊かに作物が実っているなんて初めてよ。なんだかワクワクするわね」

よかった。突然の手伝ってもらうことになったが、ケルシーもシエナも純粋に喜んでくれているみたいだ。

とはいえ、毎度こんな風に呼びつけたら迷惑だろうし、これからはきちんと収穫のことも考えて実験することにしよう。

錬金術で収穫用のコンテナを作り上げると、それぞれが各作物の畑で収穫作業に移っていく。

ゴーレムにはキュウリの収穫を命じて任せ、俺はナスの収穫に取り掛かることにする。

刺が刺さらないように手袋をつけて、ハサミを手に取る。

「うん、どれもいい色艶だ」

実っているナスはどれも丸々としており、とてもいい色合いをしているのがわかる。

成長が促進されているのでほとんどが収穫期に達していると言えるだろう。

葉っぱをかきわけると、わき芽の根元をハサミで切る。

不必要なわき芽をハサミで落としたらコンテナに入れる。

あとはこれを延々と繰り返すだけ。

だけど、その数が膨大なためにかなり時間がかかる。根気と体力が必要だ。

特にこういった収穫作業は何度も屈んだり、立ち上がったりするために中々に腰にくる。

キュウリ畑ではゴーレムがノシノシと歩いてはキュウリを収穫してはコンテナに入れるのを繰り返していた。無尽蔵な体力がとても羨ましい。

「……ねえ、イサギさん。このトマトちょっと味見していい?」

黙々と作業をしていると、畑を越えてきたネーアが笑みを浮かべながら言ってきた。

まだ収穫中なのだが、きちんと許可をとりにきている。能天気なのか律儀なのかよくわからない性格だな。

まあ、ネーアは関係者でもないのに善意で手伝ってくれているんだ。

作業中の味見くらい目くじらを立てることもないだろう。

「いいですよ」

「わーい!」

許可すると、ネーアは嬉しそうな声をあげてトマトを食べた。

「なにこれ! めっちゃ美味しい! あたしの知ってるトマトとぜんぜん違うんだけど!?」

「成長速度だけでなく、甘み成分も向上させているんですよ」

「錬金術ってそんなこともできるの!? 本当にすごいね!」

驚きつつも食べる手は止めない辺り、相当収穫したトマトを気に入ってくれたようだ。

「俺も食べちゃおうかな」

「うんうん、イサギ君も共犯者になるといいよ」

ネーアの甘い誘惑に乗った俺は差し出されたコンテナから真っ赤に染まったトマトを手に取る。ヘタもしっかりと緑色で皮の張りも見事だ。

軽く布で表面の汚れをと取ってしまうと、そのまま豪快にかじりつく。

しっかりとした皮の中には柔らかい果肉がたくさん詰まっており、トマト特有の甘みと酸味が口の中で弾けた。

「うん、美味しい! 自分の好みの味に調整しただけはある!」

ベースとなっているのは帝国産のトマトだが、あちらのトマトは甘みが少なくて酸味が強かった。それがどうにも気に入らなかったので甘みを増強させ、酸味を減衰させたのだが正解だったようだ。

しっかりとし甘みのあるトマトは、まるでフルーツのようだった。

「……なんだかそちらの方だけ随分と楽しそうですね?」

なんて風に一休みしながらトマトを食べていると、ぬっとメルシアが顔を出してきた。

表情はいつもと同じように澄ましたものであるが、どことなく不満なように感じる。

ただ試食していたところを見られただけなのに、妙に焦るのはなぜだろう。

「メルシア、俺は作物の味見をしていただけだよ。ほら、錬金術師として改良した作物の味は確かめておかないといけないし」

「でしたら、私も味見をします」

「ああ。うん。どうぞどうぞ」

俺の隣にやってくると空のコンテナを置いて腰掛けるメルシア。

そんなメルシアの姿を見たネーアがからかうような笑みを浮かべた。

「にゅふふ、少し見ない間にメルシアも可愛らしいことをするようになったね?」

「どういう意味だい?」

俺には意味がわからなかったが、二人の仲では通じる言葉だったらしい。

メルシアがサッと頬を赤くすると、勢いよく立ち上がった。

「ネーア!」

「ニャー! メルシアが怒ったー!」

試食なんてそっちのけでネーアを追いかけるメルシア。

なんかよくわからないけど二人とも楽しそうで何よりだ。



メルシア、ネーア、ケルシー、シエナに収穫を手伝ってもらうこと三日。

ようやく収穫期の作物を収穫することができた。

まだ収穫期に達していない作物が、ちょいちょいと残っているがそれは俺とメルシアで十分にこなせる作業量だ。

「これで収穫は終わりかな?」

「はい、終わりです! 手伝ってくださって本当にありがとうございました!」

ネーアの言葉に頷いて頭を下げると、ケルシーやシエナもホッとしたような顔になった。

一日ならまだしも結果として三日も手伝ってもらうことになった。本当にこの三人には頭が上がらない思いだ。今後はこんなことにならないように考えて作物の実験をすることにしよう。

「ところで収穫した作物にどうするつもりだ?」

自らの行いを振り返っていると、ケルシーが尋ねてくる。

「こちらに越してきた挨拶としてプルメニアの皆さんにお配りしようかなと思っています。さすがにずっと保管しておくのもマジックバッグを圧迫するので」

収穫したすべての作物を収納することができたが、容量的には結構限界だ。

バッグの中に入れておけば、保存という面では問題ないが、日常生活や仕事を行う上ではもう少し軽くしておきたい。なんて理由も述べると、シエナがポンと手を合わせながら提案してきた。

「それなら宴を開いちゃうのはどう? イサギさんの畑で獲れた作物で料理を作って振舞うの。村人全員に顔を見せることができるから挨拶も楽になるわよ」

「宴を開くとなると大変なのではないでしょうか?」

帝城でもパーティーの類が頻繁に行われていたが、準備がとても大変そうだったのを覚えている。

「イサギ様、宴とは申しましても帝城で行われるような豪奢なものではありませんよ。中央広場に人を呼んでイスやテーブルを並べるだけの気楽なものです」

俺の想像している宴との違いに気づいたのか、メルシアがイメージを訂正してくれる。

「そうだった。帝城での生活が長かったから勘違いしていたよ」

考えれば、ここは帝都ではない。

帝城のような豪奢なパーティーと同じなわけがなかった。なんだか恥ずかしい。

「料理についても私やメルシアちゃんだけでなく、参加する村人たちも手伝ってくれるから問題ないわよ」

「でしたら、収穫した作物は宴で使っちゃいましょう!」

この作物は俺とメルシアだけでは収穫することのできなかったものだ。

だったら、手伝ってくれた皆や村のために使ってあげるのが正しい。

この量だと俺とメルシアだけで消費しようにも年単位で時間がかかるだろうし。

「決まりだな。今夜は宴だ!」

「はい! ――って、今夜ですか!?」

現在は日中。今夜となると、あと数時間程度の時間しかない。

「じゃあ、村の人たちに声をかけて準備を進めるわ!」

俺が戸惑うのをよそにケルシーやシエナは嬉しそうに頷いて動き出した。

まさか今日の今日でやるとは思わなかった。

「大丈夫かな? ちゃんと皆来てくれるかな?」

俺は人間族であり、プルメニア村にやってきたばかりだ。

そんな俺が錬金術で育てた作物を、この村の人たちは食べにきてくれるだろうか。

帝都ではパーティーを開いたが、人望がないせいで参加人数が悲惨だったという事件もよく耳にしていた。それと同じことが起きないか心配でならない。

「当日でも皆さんいらっしゃると思います。なにせこんな風に宴を開くなど久しぶりですから」

「ニャー! ここに住んでる人はそういう楽しそうなの大好きだしね!」

メルシアとネーアには確信があるのか、俺が抱いている心配はまるでしていないようだった。二人がそこまで言うならやってくる人が皆無ということはないのだろう。ウジウジと心配するのはやめて、二人を信じてどっしりと構えることにした。

「あたしは荷物を持って帰って準備してくるよ」

作業道具を一通り片付け終えると、ネーアはたんまりと収穫した作物を持ちながら走っていった。一旦家に戻って宴の準備を手伝いにきてくれるのだろう。

「では、私たちは広場に作物を持っていきましょうか」

「そうだね」

宴に使う食材は俺たちが持っている。早く運び込んであげないと準備ができないだろう。

俺は作業着から私服に着替えると、メルシアと共に中央広場に向かった。

中央広場にやってくると、既に大勢の村人たちがいた。

舗装された地面の上には大きなテーブルやイスが並んでいる。

しかし、集まってくる村人の数はそれ以上に多いからか、各家庭から追加でテーブルやイスを持ち出している様子だった。

「もうこんなにたくさんの村人が集まってるんだ」

ケルシーやシエナが情報を広めて小一時間しか経過していないはずだが、既に多くの村人が集まって準備を始めていた。

恐るべきは田舎の村の情報伝達力か、あるいは宴という楽しそうな催しに対する好奇心だろうか。

「あっ! イサギさん! ちょうどよかった! そろそろ調理を始めたいから食材を出してくれると助かるわ!」

想像以上の人の集まりに驚いていると、シエナがこちらに寄ってくる。

「わかりました。どこに置けばいいでしょう?」

「こっちのテーブルに置いていってくれれば、私たちが勝手に調理するわ」

シエナの周りには多くの獣人女性たちが集まっている。

たくさんの視線が集まり、いまかいまかと食材を吐き出すのを待っているようだ。

「わかりました! では、食材を置いていきます!」

俺はマジックバッグを開けると、収穫した食材をひたすらにテーブルの上に吐き出していく。

その瞬間、わっと湧き上がるような歓声が出た。

「こんなにも食材がたくさん!」

「このトマト、とてもヘタが綺麗だし皮に張りもあるわ!」

「これ全部イサギさんの畑で収穫したものなの?」

「はい。シエナさんやケルシーさんたちに手伝ってもらいながら収穫しました。獲れたてですよ」

なんて相槌を打つと、女性たちがきゃいきゃいと元気な声を上げながら食材を手にしていく。

「これだけ新鮮な食材を使うのは久しぶりだね。腕が鳴るよ」

「何を作っちゃいましょうか~?」

などと言いつつも女性たちは食材を手にして、調理台で食材の下ごしらえを始めた。

口では迷っちゃうと言いながら手が緩まないのは、既に内では何を作るか決定しているか。

あるいは作りながら決めているのかもしれない。料理が得意な人ってすごい。

「それでは私も調理を手伝ってまいります」

「俺に手伝えることはあるかな? せっかくだから何か手伝いたくて」

俺が申し出ると、メルシアは周囲を見回して言った。

「でしたら、イサギ様のお力で大人数用の大きな鍋やフライパンを作ってくださると助かります。私が想定している以上に村人が集まってきているので」

炊き出し用の大きな鍋やフライパンを持ち寄っているようだが、これだけ大人数の料理を作るには小さいように感じた。

「わかった。錬金術で作るよ」

俺はマジックバッグから鉄塊を取り出すと、魔力を流して形状を変化させた。

「……これは大き過ぎるかな?」

帝都の騎士団や修道女たちが炊き出しで使っている大鍋をイメージして作ってみたが、さすがに大きすぎたかもしれない。

およそ百リットルは入るだろう。空のままでもかなり重く、俺自身では両手でようやく持ち上げられるかといったところ。

ここに食材が入っていくことを考えると持ち運ぶのは不可能なのではないだろうか。

もうちょっと小さくしようと考えたところでメルシアがやってきた。

彼女はぺこりと頭を下げると、大鍋を軽々と片手で持ち上げた。

「助かります。このサイズであれば、大人数用のスープ料理ができますので」

「あっ、うん。役に立てたようで良かったよ」

呆気にとられながら見送った先では、メルシアが持ってきた大鍋を華奢な女性獣人が軽々と受け取っていた。

やはり人間族と獣人族では根本的な膂力が違うようだ。

わかっていても重いものを軽々と持ち上げる姿には驚いてしまう。

とはいえ、使いやすい大鍋のサイズがわかったのはいいことだ。

俺は追加で大鍋を四つほど量産する。

作り上げた瞬間にメルシアが調理場に運んでいく。

「イサギ様、次は大きなフライパンを五つほど作ってもらえると助かります」

「わかったよ」

同じように錬金術で大きなフライパンを五つほど作ると、調理場に運ばれてカットされた食材と肉で豪快に炒めものが作られていく。

「このフライパンとても使いやすくていいね! ありがとう!」

「鍋も大きくてまとめて調理できるから助かるわ」

鍋やフライパンを作り終えると、調理場の女性たちからそんな感想を貰えた。

帝城での錬金術による作業は、ひたすらに流れ作業で割り振られたものを淡々とこなすだけ。たとえ、なにかを加工しようと修理しようと感謝されることはない。

だから、こうやって直接感謝されるのは初めてだった。

「ありがとうございます!」

なんだかこういうのっていいな。



多くの村人が調理や準備を手伝ってくれたお陰で、日が暮れる前に宴の準備が整った。

中央広場には多くの村人が集い、テーブルには多くの料理が並んでいる。

野菜と香辛料をふんだんに使ったポトフにミネストローネ、たくさんの野菜と肉を使った炒め物、焼きトウモロコシ、生野菜サラダ、小麦粉を薄く伸ばして焼いたチャパティにローストチキンなどと。

俺が提供した作物だけでなく、狩人が持ってきてくれた肉や、各家庭が持っている秘蔵の食材や香辛料なども合わさっていた。

普段食べられることのない豪勢な料理らしく、集まっている村人たちはとても興奮しているようだった。腰を下ろしている獣人たちの尻尾がブンブンと揺れていた。

俺も美味しそうな料理を前に涎を垂らしてしまいそうな勢いだ。

「イサギ君、ちょっと来てくれるか?」

「はい」

彩豊かな料理を眺めていると、ケルシーに呼ばれたので前に出る。

「今日は急な呼びかけにもかかわらず集まってくれて感謝する。食料に乏しい我が村でこれだけ豪勢な食材が集まったのは、先日越してきたイサギ君が錬金術によって作物を育てあげてくれたお陰だ」

ケルシーは威厳を感じさせる口調で述べると、村人たちが歓迎するように拍手をしてくれて口々に感謝の言葉を述べてくれる。

それらが落ち着くと、ケルシーはポンと俺の背中を叩いた。

どうやらここで自己紹介をしろということらしい。

いきなりハードルが高い。だけど、村人たちに顔と名前を覚えてもらういい機会だ。

「はじめまして、錬金術師のイサギです。先日この村に越してきたばかりで、わからないことも多いですが、何卒よろしくお願いいたします」

「硬い!」

少しバカ丁寧過ぎたようだが、ケルシーの突っ込みのお陰で広場では笑いの声が上がった。

「食材はまだまだありますので今日は思う存分食べてください!」

「そういうわけだ! プルメニア村に加わった新たなる住民を歓迎して乾杯!」

「「乾杯!」」

ケルシーが杯を掲げると、村人も同じように杯を掲げた。

あちこちで杯がぶつかり合う音が響く。

俺はケルシーやシエナと乾杯し、声をかけてくれる村人たちと乾杯を交わす。

一通り杯を交わして元の席に戻ろうとしたら、なぜか他の村人が座って食事を始めていた。

遅れてやってきた人が座ってしまったのだろうか。

「イサギ様、こちらが空いております」

どうしようかと悩んでいると、メルシアから声をかけられた。

周りにはネーアや同じ年齢くらいの女性が多くいるが、そこ以外に空いているところも見当たらないので素直にお邪魔することにした。

「料理は取り分けておきました」

「ありがとう」

席に座ると、メルシアによって一通りの料理が取り分けられていた。

甲斐甲斐しいのはいつも通りであるが、ネーアをはじめとする村人たちの視線が妙に生暖かいのが気になった。

とはいえ、今はそれよりも料理だ。

目の前の深皿には豪快にカットされた具材が入ったポトフがある。もうもうと白い湯気を上げており、とても美味しそうだ。

匙ですくって口に運ぶと、ニンジンとタマネギの甘みが口内を満たした。

「うん、美味しい」

ごろりとしたジャガイモがほろりと崩れ、スライスされたキノコから豊かな風味が吐き出される。大きなウインナーからはしっかりとした肉の味を感じ、ほのかに混ざった胡椒がピリッと味を引き締めていた。

「ニャー! こんなに野菜たっぷりのスープは久しぶり!」

「普段は多くても三種類程度だし、節約して屑野菜を使うことも多いもんね」

すぐそばではネーアをはじめとした獣人たちが料理を食べてそんな感想を漏らしていた。

俺の育てた食材で皆がこんなにも喜んでくれて嬉しい。

「でも、この宴が終わると、またいつもの食事に逆戻りなのか」

しかし、一人の村人の言葉でどんよりとした空気に包まれる。

これだけ豪勢な料理を食べられても、明日にはまた貧しい食事に戻ってしまう。

そう思うと憂鬱になってしまうのもしょうがないだろう。

だが、俺がやってきたからにはそんな生活を送らせはしない。

「安心してください。俺が品種改良をした作物であれば、この村でも栽培することができるんです。痩せた土地でもしっかりと育ち、寒さや病気にも強い。そんな作物の種を皆さんにお分けします」

品種改良した作物を俺だけが独占しても意味はない。

この村に住んでいる村人が各々で育て上げ、収穫できなければ、各家庭の食料レベルが上昇したとは言えないだろう。

だから、俺はこの村の人たちにも品種改良した作物を育ててほしいと思っている。

「でも、それは錬金術師のイサギじゃないと育てられないんじゃないの?」

「急激に育てるには錬金術による調整が必要ですが、錬金術師じゃなくても短期間で収穫することは可能です」

元々これらの作物は誰でも栽培できるように改良したものだ。錬金術師がいないと作れないのでは意味がない。

「じゃあ、あたしでもできるの?」

「はい。きちんと手入れをしてあげればネーアさんでも育てられます」

ネーアの質問に答えると、周囲で聞いていた獣人たちがどよめきの声を上げた。

「ですから、もう一度皆で作物を育ててみませんか?」

「それが本当なら夢のようだ。だが、君はこの村にやってきたばかり。どうして俺たちにそこまでしてくれる?」

改めて問いかけると一人の獣人が言った。

品種改良をした作物を育ててみたい気持ちはあるが、やってきたばかりの俺がどうしてここまでしてくれるのか不思議でならないのだろう。

獣人の疑問にメルシアがムッとして立ち上がろうとするが、俺は静止させた。

「俺は孤児です。赤ん坊の頃に帝都の教会の前に捨てられ、配給される僅かな食料を奪い合い、それでも足りずにお腹を空かせながら過ごしてきました。だから、空腹の辛さは知っています。生きてきたからには誰だってお腹いっぱいに美味しい料理を食べたいじゃないですか」

どんなに強い人でも、どんなに偉い人であっても空腹は等しく訪れる。

貧しい食事をすれば心が荒み、なんのために生きているのかわからなくなる。

そんな苦しい思いは誰にもしてほしくない。

だから、俺は錬金術師となってからも、食材の研究をしていた。

より多くの人が美味しい食べ物を食べられるために。

「……すまない。君を疑うようなことを言ってしまって」

「いえいえ、俺が逆の立場でも同じ疑問を抱きますから」

「イサギ君が品種改良したという作物の種を譲ってくれ。食卓が豊かになるなら俺も農業をやってみたい」

「俺も俺も! 山や森の恵みにも限りがあるしな!」

「私も農業をやってみたいわ!」

質問をしてきた獣人がそう言うと、次々と獣人たちが集まってきて種を求めてきた。

「落ち着いてください。種はたくさんありますから!」

俺はもみくちゃにされながらも村人に種を分け与えた。

すべての村人は農業を始めるわけではないが、これだけ大人数の村人が農業を始めれば十分に食料がいきわたるようになるに違いない。これでプルメニア村の食料事情は大幅に改善されるだろう。

「よし、プルメニア村の新たな希望に乾杯だ!」

ケルシーの音頭に村人たちはさらなる熱を帯びた声で答えた。



イサギがプルメニア村で錬金術による農業を行っている頃――


レムルス帝国の錬金課を統括しているガリウスは、皇位継承権第一位のウェイス・ドレバンシェア・レムルス皇子に呼び出されていた。

レムルス帝国の錬金課に資金を回しているのはウェイス。いわば、ガリウスの上司となる人物故に、ガリウスが定期報告を行うのはいつものことだった。

呼び出されたガリウスはいつものように定期報告を行う。

今月は特に問題もない。むしろ、イサギを解雇し、魔道具やアイテムの製作を率先して行う錬金術師を雇い入れたために生産も上がっている。褒められることはあっても、叱責されることはないだろうとガリウスは思っていた。

ガリウスからの一通りの報告を終えると、ジーッと椅子に腰かけて耳を傾けていたウェイスが口を開いた。

「ガリウス、今月はイサギについての報告がないのだが奴は何をしている?」

第一皇子であるウェイスがなぜ平民であるイサギを気にかけているのか、理解ができないし、まるで繋がりが見えなかったのだがガリウスはありのままを報告することにした。

あの生意気な平民がいなくなったことを聞けば、きっとウェイスも気を良くするに違いない。

内心でそんなことを思いながら笑みを浮かべて告げる。

「ああ、あの無駄飯食らいの平民は解雇いたしました」

「なに?」

ウェイスが満面の笑みを浮かべるだろうと思っていたガリウスは、予想とは違った反応に戸惑う。

「なぜ、イサギを解雇した?」

「帝国における錬金術師の役割は戦争のための魔道具とアイテム作成……それを最低限しかこなさず、土いじりばかりを行う彼は錬金課の足手纏い以外なにものでもありません。そもそも、尊き御方と貴族が住まう帝城に下賤な血を引く、平民がいるべきではありませんから」

「馬鹿者! お前はなんということをしてくれたのだ!」

「は?」

イサギを解雇したことについて褒められると思っただけに、ガリウスは硬直してしまう。

「イサギには錬金術によって作物を品種改良し、深刻な帝国の食料生産事情を上げるための役割を与えていたのだ! あいつの作り出した作物に確かな希望があったからこそ、余は周囲を説得して軍事費のさらなる拡大をさせたのだぞ! どうしてくれる!」

込み上げた怒りをぶつけるかのようにウェイスはテーブルを叩いた。

イサギとウェイスに面識があるとは知っていたし、数年前に興味を示していたことは知っていた。しかし、その興味が今も続いていると思っていなかったガリウスは叱責を受けて焦った。

「恐れながらイサギはそのような研究をしていましたが、奴ごときの実力で形になるとは到底思いません」

「貴様はそう言うが、余は実際に奴から提出された研究データや、城内にある実験農場を目にしたことがある。そこでは帝国と同じ土が使われ、従来の作物とは比べ物にならない速度で農作物が生産されていたぞ」

「そ、そんなバカな……」

「お前はイサギの上司であろう? 一体、部下の何を見ているのだ! この無能め!」

さらに鳴り響くテーブルの音。

相手は未来の皇帝だ。

ウェイスからすれば、自分のような地位の高い貴族でも虫けらのようなものだ。

叱責を受け、印象が悪くなるだけで未来は真っ暗になってしまう。

深刻な状態に陥ったガリウスは焦りに焦った。

少し無言の時間が経過すると、ウェイスはゆっくりと深呼吸をして、心を落ち着かせた。

「……イサギが残した研究データや実験農場の作物はないのか?」

「ありません」

イサギを辞めさせた当日にガリウスはすぐに彼が出ていったかをチェックした。

小汚くて狭い工房兼私室には跡形もなく彼の痕跡はなくなっていた。

宮廷錬金術師であれば、自作したマジックバッグを持っているのは当然だ。

たとえ大きな荷物でもマジックバッグに詰めてしまえば、すぐに荷造りは終えてしまう。

大きくて邪魔になるから残すといったことはほぼほぼない。

「チッ、それらがあれば他の奴らに引き継がせたものを……至急イサギを連れ戻すか、代わりとなる食料生産の改善案を提出しろ!」

「はい!」

ウェイスからの勅命にガリウスは即座に身をすくめながら返事をし、いそいそと部屋を退出する。

そして、しばらく城内の廊下を歩くとウェイスとのやり取りを思い出して、屈辱に身を震わせるのだった。



品種改良した作物を村人たちに分けることによって、プルメニア村では農業ブームがきていた。今までロクに育たないからと放置されていた土地が、ドンドン耕されている。

そんな中、俺とメルシアはより土を掘りやすいように改良した鍬や、作物を育つための肥料を与えたりなど支援していた。

「このまま順調にいけば、多くの食材が収穫できそうです」

長年夢見ていた光景だけあって嬉しいのだろう。土を耕す村人たちを見て、メルシアが穏やかな笑みを浮かべる。

そんなメルシアに水を差すようで悪いが、現状には大きな問題がある。

「うん。でも、このままじゃいけない部分もあるんだよね」

「何かご心配なことでも?」

俺の呟きを聞いて、メルシアが怪訝な顔になる。

「今、俺たちが使っている肥料は帝国の肥料を改良したものなんだ」

「……つまり、数年後には今ほどの成長率は期待できないということですか?」

「うん、このままでいけばだけどね」

俺たちの畑や村人たちが使っているのは、帝国の肥料を改良させたもの。

マジックバッグには数百トン入っているのですぐに無くなることはないが、数年後には底を尽きてしまうだろう。それまでにプルメニア村で生産できる新しい肥料を作らなければいけない。

もちろん、肥料がなくても俺の作物は育つが、収穫するなら美味しくて栄養たっぷりなものの方がいいに決まっている。

「そうですね。いつまでもイサギ様の懐から与えてばかりでは根本的に解決したとは言えませんから」

商人に頼って帝国の肥料を買い付ける選択肢もあるが、プルメニア村が本当の意味で自立して豊かになるには、ここの材料で作り上げるのが一番だ。

「そんなわけで、この村で使われている肥料を集めたいんだ」

「かしこまりました。知り合いの農家に声をかけて肥料を分けてもらってきます」

支援している村人の中には農家の人もいる。

俺とメルシアは手分けして農家や元農家の人に声をかけて、使っている肥料や使っていた肥料を片っ端から集めていくことにした。

「……薄々予想していたけど、やっぱり少ないね」

「やせ細った土地のせいで農業をしている方も少ないですから」

午前を費やして集まった肥料は、たったの三種類だった。

この村は土が痩せているせいか、農業に向いていないのだ。

ロクに農業も行えない土地で、豊かな肥料が存在するはずもなかった。

現在では過去に試した肥料の中でいい感じのものを共有し、栽培できるものを細々と作っている感じらしい。

「ベースとしての素材はこれらでいいとして、もうちょっとこの村にある素材を集めたいかな」

錬金術は素材を加工し、変質させる技術だ。

良質な素材があればあるほど、選択肢は増えていき、より良質なものへと変えられる可能性が高くなる。これらを改良するためにもう少しこの村独自の素材が欲しい。

「でしたら、森に入るのがいいでしょう。あそこならば、様々な素材が手に入ります」

「わかった。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「私も同行いたします」

方針が決まり、素材を集めに行こうとするのだが、何故かメルシアが付いてこようとする。

「えっ? メルシアも? それは危ないんじゃないかい?」

「ご安心ください。私はメイドです」

「いや、身の安全とメイドに何が関係あるのさ?」

これは冗談なのだろうか? 真顔で告げられると冗談なのか判断しかねる。

クールな印象の強いメルシアならば、なおさらだ。

「メイドであれば、主を守るくらいの戦闘力は当然有しているということです」

首を傾げる俺にメルシアは堂々と言った。

「そういうものなの!?」

「はい。そういうものです」

ええ? 帝城にいる他のメイドはとても戦闘ができるようには見えなかったんだけど。

メルシアの身体を眺めてみるも、とても戦えるような身体には見えない。

まあ、それは俺も同じなんだけど、本当に大丈夫なのだろうか?

「昔から森には何度も入っております。案内役がいれば採取もスムーズです」

俺の心配など不要とばかりに淡々と告げるメルシア。

「そりゃ、助かるけど危なくなったらすぐに後ろに下がるんだよ」

「いえ、前に出ます」

「なんで!?」

「主をお守りするのがメイドの使命なので」

キリッとした顔で告げるメルシア。

本当に大丈夫なのだろうか。

もし、魔物と遭遇することがあれば、俺が率先して対処することにしよう。





プルメニア村から徒歩で小一時間ほど歩いて平地を越えていくと、緑豊かな森にたどり着いた。

「獣王国だからか帝国とは植生が微妙に違うね」

俺が見てきた植生といっても、帝国の周囲や道中での景色と少ないものであるが、一目で違うとわかるほどに違った。

やたらと高い木々が生えていたり、葉っぱの形が見たことのないものが多い。

それに木の実や果物も色鮮やかで奇妙な形をしているものがたくさんある。

この星型の木の実とか、なんなのだろう?

「自然内の競争が激しく、動物だけでなく植物までも独特な進化をしていますから。その星型の木の実などは、触れると酸が出るので触れないでください」

「はい」

メルシアにさりげなく注意されてサッと手を引っ込める。


【アシッドスター】

獣王国南部の森に自生している植物。

星のような形をしており、斑模様が浮かんでいる。

ゴツゴツとした表面とは裏腹にとても柔らかく、迂闊に握ると内部にある酸が飛び出す。

酸にかかってしまった場合はすぐに水で洗い流し、治療する必要がある。


錬金術師に備わった力で鑑定してみると、メルシアの言う通り危ない木の実だった。

「危ない木の実だね」

「きちんと水で洗い流し、加工すれば水筒の代わりにもなるので便利な植物です」

酸を蓄えることができるからか、水分には強いらしい。

「面白いから採取しておこう」

「では、私が支えておきますね」

メルシアが下から丁寧にアシッドスターを持ち上げて、俺は採取用のハサミで茎を切る。

パチンと音が鳴ると、アシッドスターは綺麗に切り離された。

「酸はどうされますか?」

「採取しておきたい! 何かに使えるかもしれないし!」

錬金術で酸性分を強化すれば、より凶悪な強酸液にすることができるし、除草液の材料として使えるかもしれない。どのようなものでも素材になることがあるので、ピンときたものはできるだけ採取するようにしている。

アシッドスターを慎重に持って軽く針を刺す。

すると内部に蓄えられていた黄色い酸性液が落ちてくるので採取瓶に入れる。

これで採取は完了だ。採取瓶とアシッドスターをマジックバッグに収納。

「いやー、やっぱり実地での採取は楽しいな!」

「帝国ではあまりさせてもらえなかったのですよね?」

「そうなんだよ。素材の採取なんて騎士団や冒険者に任せればいいって言われてやらせてもらえなくて。こうやって実際に素材を見て、向き合うことで閃くこともあるっていうのに」

宮廷錬金術師になれたお陰で素材が勝手に集まってくるようになるのはいいことだが、身動きがとりづらくもなってしまった。だから、こうして自由に採取に赴けるのは実に楽しい。

見習い錬金術師の頃を思い出すようだった。

アシッドスターを採取すると、俺とメルシアは奥へ進んでいく。

当然、森の中なので舗装された道などはないが、頻繁に採取に出入りしているからか地面は踏み固められていて歩きやすい。

とはいえ、ロングスカートにフリルのエプロンを付けた状態で歩きやすいわけじゃないんだけどな。

前を歩くメルシアは相変わらずメイド服だ。これで本当に戦えるのだろうか。

訝しんでいると、メルシアの足がピタリと止まった。

「ッ! イサギ様、魔物です!」

視界にはまったくそれらしい存在はいない。

が、ジッと止まって気配を探ってみると、確かにそれらしい気配があるのがわかった。



「よくこの距離で気付いたね」

「獣人ですので音を拾うのは得意です」

メルシアが得意げに言って程なくすると、前方から大きな猪が姿を現した。

高さは二メートルを越える大きさでかなりデカい。

灰色の分厚い毛皮に覆われ、成人男性の腕よりも太い凶悪な牙が二本ずつ生えていた。

錬金術師による鑑定は素材の構造を見抜くもの。このディアブルがどれくらいの筋肉量や脂肪量を保有しているかはわかるが、生きている動物や魔物の名称などを知ることはできない。

ただ、動物と魔物には大きな違いがある。それは魔力を保有しているかどうかだ。

目の前にいる大きな猪は魔力を保有しているので、魔物ということになる。

「この魔物は?」

「ディアブルという魔物です。荒っぽい気性をしており、牙を生かした突進をしてきます」

メルシアの言う通り、かなり好戦的な魔物らしい。突然、獣人と人間に出くわしたのに、ディアブルはやる気満々だった。脚で地面を掻いてうなり声を上げている。

「イサギ様、ここは私にお任せてください」

このメイド、本当に前に出た! 

悠然と前に歩いていったメルシアを前に、ディアブルが猛然と突進していく。

前方に伸びた凶悪な牙はメルシアの身体よりも大きく、貫かれれば命はないだろう。しかし、大きな牙はメルシアを捉えることはなかった。

気が付けば彼、メルシアは宙を舞っていた。

獣人の脚力を生かしたノーモーションからの跳躍だろう。まったく前動作に気づかなかった。

彼女は空中でグッと拳を握りしめると、ディアブルの横っ面を殴りつけた。

巨体が大きく吹っ飛び、進行方向にあった木々がへし折れる。

「ええっ!?」

冗談みたいな光景を見た俺は唖然とした。

相手の体重は推定で一トン近くはある。

それを華奢なメルシアが殴り飛ばすなんてどんな冗談だろうか。

殴り飛ばした本人は猫のように軽やかに着地を決めると、パンパンとエプロンに付いた砂埃を払っていた。

殴り飛ばされたディアブルを見に行くと、白目を浮かべて動かなくなっていた。

「……一撃だ」

「イサギ様のお手を煩わせるわけにはいきませんので」

偶然などではなく、狙ってやったらしい。

「ねえ、メルシアって本当にただのメイドなの?」

獣人だから身体能力が高いのはわかっていたが、メルシアの戦闘力は明らかに異常な気がする。

「……メイドです。が、獣人である私が帝城で仕えることができたのは、この戦闘力が買われていたからだと思います」

帝国では獣人を見下す風潮がある。

それなのに彼女が帝城で働くことができたのは、美しく仕事ができたということ以上に、高い戦闘能力に期待されていたようだ。

「それでやたらと夜間勤務が多かったんだ」

「はい。私は夜目が効きますし、メイド姿ですと油断を誘いやすいですから」

とても実感がこもっているような気がする。

今まで帝城に侵入してきた者は何人いるのだろう。

聞きたいけど、ちょっと怖くて聞けないや。

「近頃は暗部の方への勧誘が激しかったので、イサギ様と同時に退職できたのは本当に良かったです」

なんだかシレッと聞いてはいけない帝城の闇を聞いた気がする。メイド長にやたらと引き留められたと聞いたけど、もしかしてそっち方面もあったのだろうか?

「そんな事情があったなんて知らなかったけど、帝城で俺みたいな人が無事に過ごせていたのは、メルシアのように頑張っていてくれた人がいたからだよね。本当にありがとう」

踏み込んではいけない匂いがプンプンするが、感謝の気持ちだけは伝えておきたかった。

彼女のように頑張ってくれる人がいたから、俺たちは平和に過ごすことができたのだろう。

「いえ、夜間警備もメイドに仕事なので当然です」

感謝の気持ちを伝えると、メルシアはそっぽ向きながら言った。

いや、普通は帝城に仕える騎士の仕事だと思うけど、それを突っ込むのは野暮だろう。

相変わらずクールだなと思ったけど、尻尾はブンブンと揺れていた。





魔物の体内には魔石というものがある。

魔石には魔物が大気から微量に取り込んだ魔力や、捕食によって得た魔力が宿っている。

錬金術師はそんな魔石を利用することで、魔道具やアイテムといった加工品を作り上げているのだ。

つまり、魔石はいくらあっても困らないので、錬金術師にとって実に大切な素材だ。

「さてさて、ディアブルの魔石はこの辺りかな?」

倒したディアブルに近づき、魔力の流れを確認。

胸部に魔石があることを見抜き、ナイフを動かしていくと体内に紫水晶のようなものが見えた。これが魔石だ。

「すごい! とても大きい上に魔力の質が良い! この魔物って、かなり大物?」

「いえ、この森で出現する平均的な魔物かと思います」

「えっ、これで普通なんだ……」

両手で支えるような大きな魔石なんて帝都では滅多に手に入らない。手に入ったとしても、かなり稀少で高額となってしまうのだが、ここではこれが普通のようだ。

となると、このレベルの魔石がたやすく手に入ることになる。

「……ねえ、メルシア。プルメニア村の周りではよく魔物が出現したりする?」

「それはもうかなりの数が。定期的に間引かなければ、村に群れが押し寄せてくることもあるほどです」

どうやら周囲に生息する魔物の数は膨大らしい。

「それなら、魔石を肥料の素材とするのはアリかもしれないね」

帝国式の肥料では別の魔力素材を組み合わせていたが、魔石をバンバンと使えるのであればこっちの方が早い。

実際にそれで肥料が作れるかは未知数だが、俺の勘ではいくつかの素材を組み合わせればいけると思う。

「かしこまりました。では、魔石を多めに集めることにしましょう」

「うん。そういう方針ってことで、次の魔物を探そうか」

「イサギ様、少しだけお時間をいただいてもいいですか? ディアブルの肉はとても美味しいので持ち帰っておきたいので」

「あっ、ごめん。肥料に必要な素材のことしか考えてなかった」

自分が興味のある素材を手に入れると、他のものに興味がなくなるのは錬金術師の悪い癖だ。

今は新しい土地で新生活を送っているのだ。

帝城で働いていた時のように衣食住が保障されているわけではない。

きちんと生きていく上で必要になる食材は自分で手に入れ、食い扶持も自分で探さなければいけない。これまでのように素材だけ仕入れて、依頼されたものを作っているだけでは今までと何も変わらないんだ。

「メルシア、俺にも解体の仕方を教えてくれないか?」

「私でよければ」

頼み込むと、メルシアはにっこりと笑って解体の仕方を教えてくれた。



ディアブルの解体を終えると、俺とメルシアは肥料に必要になりそうな素材を採取。その道すがら魔物を探しては積極的に倒しては魔石を回収という動きを繰り返した。

「うん、これだけあれば肥料を作ることができそうだよ」

「かしこまりました。では、村に戻りますか?」

メルシアに提案されて俺は少し考える。

森の奥深くまでやってきたせいか、前方には大きな山が見えていた。

空はまだ青く、日が暮れるまでに時間はある。

「……どうせなら山も調査したいかな。見たところ鉱石がありそうだし」

採取しながら進むごとに、徐々に土質が変化していき、鉱石の類が発見できるようになった。

間違いなくあの山には鉱石がある。

「そうですね。あの山からは鉱石が産出されます。ですが、今から採掘するとなると、かなり時間がかかりませんか?」

「大丈夫。俺には大体どの辺りに鉱脈があるかわかるから」

なにせ俺は錬金術師だ。物質の構造を見抜く能力には長けているわけで、当然どの辺りに鉱石があるかわかるわけで。無駄なく狙い打ちして採掘ができるということになる。

今から山に向かって採掘をしても、日が暮れる前に村に戻ることができるだろう。

「でしたら問題なさそうですね。採掘ポイントに案内いたします」

そんなわけで俺とメルシアは続けて山も調査することにした。

平坦な道から険しい傾斜道へと変化していく。

この辺りになると、人の通った形跡は薄くなっており踏み固められている道も少なく、切り立った崖のようになっている。

俺が慎重に足を進めていく中、前を歩くメルシアは軽やかに進んでいく。

猫獣人だからこれくらいの悪路もなんてことはないのだろう。そうだとしてもロングカートにパンプスであれだけ動けるのはすごい。

「イサギ様、大丈夫ですか?」

メルシアが振り返り、心配そうな声をかけてくる。

運動音痴というわけではないが、彼女からすればモタモタと付いてくる俺の動きは非常に危なっかしく思えるのだろう。こちらを見つめる瞳が「抱きかかえて進みましょうか?」と言っているように感じる。

「ありがとう。大丈夫だよ」

「そうですか」

甘えたい気持ちもあるが、俺にも男としての意地があるので我慢だ。

しっかりと返事をしながら足を前に進める。

メルシアにチラチラと心配げな視線を向けられながら進んでいくと、やがて大きな横穴に見えた。

「……はぁ、はぁ、ようやく着いた?」

「はい、イサギ様。こちらが坑道となっております」

息を荒げて額から汗を流す俺とは反対にメルシアは涼しげな顔をしており、汗一つ流していなかった。

その事実にちょっと情けなさを感じながらタオルで汗を拭い、水分補給。

呼吸と喉の渇きが落ち着いたところで横穴を眺める。

男性が四人ほど横並びになっても通れそうなほどの幅だった。

天井や壁は土を焼き固めることで崩落を防止しているらしい。

とはいえ、錬金術師からすれば少し心許ない処理だ。

それに単純に月日が経過することによって風化したり、もろくなっている部分がある。

「イサギ様?」

壁をペタペタと触っている俺を見て、メルシアが不思議そうに首を傾げた。

「老朽化していている部分があるから補強してもいいかな?」

「是非、お願いします」

メルシアの許可を貰ったので錬金術を発動して、魔力で土を圧縮して硬度を上げた。

手当たり次第に硬質化すればいいというわけじゃない。全体のバランスを見ながら、必要なところだけ強化してやる。

「うん、これでちょっとやそっとで崩落することはないよ」

「大昔に掘られたものなので限界がきていたのでしょう。崩落が起こる前にイサギ様が処理をしてくださって助かりました」

正直、いつ崩落してもおかしくない状態だった。

採掘にきている人が事故に巻き込まれる前に、俺が対処できたのは幸運だっただろう。

「では、中に案内いたします」

「お願いするよ」

メルシアに先導してもらって、俺は横穴に入っていく。

坑道内は薄暗く、太陽の光が届かなくなると真っ暗になった。

メルシアはなんら変わらぬ様子で歩いていくが、さすがに真っ暗な状態で歩いていくのは怖い。

「……ねえ、メルシア。ここには灯りとかないの?」

「あっ、すみません。私たち獣人は夜目が効きますので、多分そういったものは設置されていないかと思います」

思わず尋ねると、メルシアは失念していたとばかりに言った。

坑道内に灯りがないなんて普通ならあり得ないのだが、村人のほとんどが獣人のプルメニア村では普通なのだろう。

「真っ暗じゃちょっと怖いから灯りをつけるよ」

マジックバッグから俺はランプ式の魔道具を取り出した。

スイッチを付けると、内部にある光魔石が反応して光がついた。

真っ暗だった坑道内が明るい光によって照らされる。

「魔道具は私がお持ちします。イサギ様は鉱石の探知に集中なさってください」

「ありがとう。助かるよ」

先導するメルシアにランプを持ってもらい、俺は壁を触りながら探知する。

魔力を流し、意識を壁の奥へと浸透させて物質を読み取っていく。

「……あった。この辺りに大きな鉱脈がある」

そうやって進んでいくことしばらく。坑道内の傍を走る大きな鉱脈を見つけた。

「では、私が掘りましょう」

「いや、その必要はないよ」

通常ならばツルハシを使って土や岩盤を砕いていくのだが、錬金術師ならばそんなことをする必要はない。

錬金術は魔力を流して物質の性質を強化することができる。

ならば、その反対のことができるのも道理。魔力を流すことによって物質を脆弱化させることができ、構造的弱点に力を加えることで破壊することも可能なのだ。

俺は錬金術を使用した。土壁に魔力が流れ、ひとりで砕けていく。

土塊が出てくる中に混じってゴロゴロと鉄鉱石が出てきた。

「鉱石の回収をお願い」

「わかりました」

メルシアはランプを地面に置くと、採掘された鉱石類をひとまとめにしてくれる。

俺はメルシアのところに大きな土塊が落ちないように注意しながら、大きな石や岩盤を砕いて掘削していく。

鉱脈を狙いうちしているので掘る度に鉱石の類が出てきて楽しい。

「イサギ様、少しだけペースを緩めてください。足元が鉱石で埋まってしまいます」

「あっ、ごめん。掘るのが楽しくてつい」

どうやらメルシアが纏めるペースを越えて掘り出していたらしい。

言われて冷静になった俺は掘削するのをやめた。

「さすがはイサギ様ですね。鉱脈を見抜く力だけでなく、このような掘削技術もあれば各鉱山で引っ張りだこになりそうです」

「すべての錬金術師が見抜く力に長けているわけじゃないけど、重要な鉱石が発掘された場所に宮廷錬金術師が派遣されることはあるよ。給金はとてもいいけど、採掘場での生活は辛いから不人気だけど……」

そのような生活を宮廷務めの貴族たちがやるわけがなく、罰則労働のような扱いとなっていたりするのが現状だ。

俺の場合は研修とか言いがかりをつけられて、無理矢理赴任させられたりしたけどね。

なんて昔のことを思い出しながら、掘り出した鉱石をメルシアと共に確認。

「鉄鉱石、銅鉱、鉛、魔力鉱、わずかながら金や宝石類もありますね」

「さすがにミスリルやアダマンタイトはないか……」

ミスリルとはガラスのような透明な輝きを放ち、この世界で最高の魔力伝導率を誇るとされている鉱石。アダマンタイトは世界でもっとも硬いとされている鉱石だ。

「この村で採掘されたという話は聞いたことがないですね」

それらがあれば錬金術にもっと幅が出るのだが、この山では発掘されたことがないようだ。

「そっか。まあ、そっちについてはおいおい手に入れればいいや」

地下深くを探っていけば可能性があるが、今そこに情熱を注ぐほど優先するべき事柄でもない。今はプルメニア村の食料事情を改善するのが優先だからね。

「鉱石をそれぞれの種類ごとに分けてくれる? 先に抽出しちゃいたいんだ」

「かしこまりました」

鉱石類には不純物が混ざっているものだ。

どうせ後で取り除くことになるし、この場でまとめて抽出してしまうのがいい。

メルシアに鉄鉱石をひとまとめにしてもらうと、俺は錬金術を発動して抽出を開始する。

たくさんあった鉄鉱石はあっという間にカサを減らし、純度の高い鉄のブロックとそれ以外の不純物へと分けられた。

不純物の方に使い道はないので、そのまま砕いて土に還してあげる。

そうやってそれぞれの鉱石の必要な成分だけ抽出し、コンパクトなサイズにしてマジックバッグに収納した。

「たくさん鉱石が手に入りましたね」

「うん、これなら色々と作れそうだよ」

畑で働かせているゴーレムを増やすことは勿論、素体だって強化してやれるし、便利な農具だってもっと作れる。それに開発を見送らせていた工房だって作れるだろう。

手に入れた素材で何を作ろうかと考えるだけで頬を緩んだ。



「イサギ様、本日は肥料を作られますか?」

森と山で素材を集めた翌日。朝食を食べ終わるなりメルシアが尋ねてきた。

「その前に工房を作ろうかと思うよ」

早速肥料作りといきたいところであるが、本腰を入れて作るのであれば今の作業場よりも、より広くて便利な工房で作った方が早い。

とはいえ、作るのは住んでいる住宅の中ではなく、少し離れたところに家を建ててそこを工房にするつもりだ。

錬金術による加工が失敗すれば、爆発で建物が吹っ飛ぶことだってあるし、加工の過程で激臭を発生させるものもある。そういった被害を最小限で済ませられるために、工房は住宅とは切り離した方がいい。

「私もお手伝いいたしましょうか?」

「いや、一人で十分だよ。メルシアは畑の作業をしてくれると助かるかな」

工房に関しては錬金術で作りあげるためにメルシアが関われる仕事は少ない。内装に関しても俺が使いやすい弄くり回すために、二人で作るよりも一人で作る方がやりやすい。

後は単純に畑の方が心配だ。

収穫してからまだ数日しか経過していないが、あの成長速度から考えると、既に第二陣の収穫期が到来していそうである。

「かしこまりました」

メルシアはこくりと頷くと畑に向かい、俺は家の裏側に回った。

既に脳内でどのような工房にするかは決めてある。自分だけの工房を持つことは夢の一つだったからだ。

作業に着手する前から俺の胸は高鳴っていた。

帝城にいた時は素材こそ手に入りはしたけど、こんな風に自由に考えたり、作れることは少なかった。

手に入れた素材で何をどんな風に作ろうと考えられることが、こんなに幸せなことだとは思いもしなかったな。

「じゃあ、早速始めようか」

まずは工房をどれくらいの大きさにするか決める。

歩き回りながら長さを測り、地面に杭を打ち、ロープでつないで敷地面積を確定させた。

夢は大きく、ドンと工房は大きくといきたいところであるが、あまり大きすぎると管理や維持が大変になる。お世辞にも俺はそれらが得意とはいえない。

メルシアに頼めば問題ないのだろうが、さすがに住宅地と工房の二つの建物の維持は彼女でも大変だろう。それに今は畑の仕事もあるし、これ以上の負担はかけるべきではない。

当初の予定通りの大きさにしておこう。

内装に関しては作業場や保管部屋などがあれば問題ないので、複雑に部屋を仕切る必要はない。

住宅と同じように木材を錬金術で加工させ、工房を作り上げていく。

しかし、今回はこれだけで終わらない。

工房に関しては建物自体の強度を上げるために煉瓦造りにする。

耐熱性。断熱性、保温性、耐久性などに優れているので非常に頼りになる。

ただこちらに関しては木材のように錬金術で変形させて組み立てるだけでは強度が不十分だ。きちんとモルタルを作って積み上げる必要がある。

モルタルに必要な材料は砂、セメント、水の三つだ。

箱の中にセメントと砂を入れる。セメントが一に対して砂は三といった割合。

錬金術を使用して二つの素材を混ぜ合わせる。

通常なら手作業だが、錬金術を使えば瞬時にムラなく混ぜ合わせることが可能だ。

こういった混ぜる作業でも錬金術はとても便利だ。

調理にも応用できるので、自宅でパンを作る時などは積極的に使用している。

メルシアには微妙な顔で見られてしまったが、便利なものは使っていくのが俺の方針だ。

セメントと砂が均等に混ざると中央に穴を作り、少しずつ水を注ぎ、また錬金術で混ぜ合わせる。ダマがなくなり、耳たぶ程度の硬さになればモルタルの完成だ。

マジックバッグから大量の煉瓦を取り出すと、外壁に沿うように煉瓦を積んでいく。

モルタルを適量取ると、積んだ煉瓦の上に塗って、その上に煉瓦を置いていく。

手作業でやると時間がかかってしまうので煉瓦にレピテーションをかけると、モルタルを塗ってドンドンと積み上げていく。

それをひたすらに繰り返すと小一時間もしないうちに外壁が煉瓦に覆われた。

「おお、煉瓦を積むだけで随分と雰囲気が出るな」

赤をベースにブラウン、ピンクを織り交ぜたブレンド煉瓦を使っているだけに、様々な色合いが見えていてとても綺麗だ。

積み上げた時から既にアンティークな雰囲気が出ている。とてもいい感じだ。

「さて、次は内装を仕上げていこうかな」

外壁が上手くいくと内装も凝りたくなる。立派な外観をしているのに、中に入った瞬間にガッカリなんて風にはなってほしくないからね。

そういうわけで気合を入れて内装も錬金術で整える。

壁は漆喰。ただ完全な真っ白じゃなく、オフホワイトなベージュ色。温かみを持たせながら明るさを維持。暖炉を設置する予定の場所には耐火煉瓦を積み立て、内装にもアンティークな雰囲気を取り入れる。床は木材の材質を変えて、深みのある色合いのものにしてやった。

大きな作業台やイスなどの家具を設置し、錬金釜、試験管、ビーカーなどの錬金道具を配置すれば内装は一通り整った。

「うんうん、錬金術師の工房らしくなったじゃないか!」

帝城では狭い倉庫しか与えられなかった。しかも、寝室と兼用。

それがプルメニア村にやってきた途端、広い住宅と大きな工房を作り上げられるようになった。これだけでもこっちにやってきた甲斐はあるというものだ。

一から作り上げた自分の工房に強い達成感と感動を覚える。

瓶を保管するための棚やレシピを保管するための本棚、休憩用のソファーなどと足りないものはあるが、そういったものはおいおいと追加していけばいいだろう。

「イサギ様、メルシアです。入ってもよろしいでしょうか?」

内装を見渡して浸っていると、玄関の扉をメルシアがノックした。

この感動を共有したかった俺はすぐにメルシアを招き入れた。

「外壁も綺麗でしたが、内装もとても綺麗ですね」

「でしょ? 樹脂の比率を変えることによって壁の明度を低くして、眩しさを抑えているんだ。こうすることで光の反射率が変わって、眩し過ぎない暖かみのある色になるんだ。それに一部分の壁にも煉瓦を取り入れることで内装にもアンティークな雰囲気を取り入れてみたよ」

工夫した点を語ってみると、メルシアは微笑みながら頷いて聞いてくれた。

錬金術師ではない彼女には、専門的な部分はわからないと思うが、耳を傾けてくれただけで嬉しかった。

「おめでとうございます。ようやくイサギ様に相応しい工房が手に入りましたね」

「ありがとう。これなら思う存分研究ができそうだよ」

帝城で与えられていた工房は狭すぎて物理的にできない研究もあった。

しかし、新しく作った俺の工房は帝城のものよりも何倍も広い。

これならスペースを気にする必要もないし、今までできなかった研究もいっぱいできる。

これからの錬金術師生活を妄想するだけで口元が緩んでしまうな。

「こちらも家具などは私が手配しても構いませんか?」

「うん、お願いするよ」

そういった内装を整えるのであれば、美的感覚がより優れているメルシアにやってもらった方がいい。そこに関しては自宅の方で証明されている。彼女に任せれば、この工房に合うような家具を見繕ってくれるだろう。

「あっ、できれば仮眠用のベッドがあれば置いてほしいかな」

「それは却下します」

ついでに要望を伝えると、メルシアはにっこりと笑いながら否定した。

「なんで!?」

「こちらにベッドを運び込んでしまうと、イサギ様は自宅に戻るのを面倒くさがって工房で寝てしまいますから」

「えー!」

「ごねたってダメですよ。こればかりは譲れません」

俺は仕事に没頭すると私生活を疎かにする傾向がある。長年、一緒に仕事をしていただけあって、俺がどんな風な生活を送るかメルシアはよくわかっているようだ。

ベッドが難しいなら仮眠用にソファーでも設置しておこうかな。

なんて考えていると、俺の考えを見透かしたのかメルシアがグッと近寄って言う。

「イサギ様が健康的な生活をおくるためにも、きちんとご自宅で就寝なさってくださいね?」

「わ、わかりました」

微笑みながらの圧の込もった言葉に俺は頷くのだった。



「よし、早速肥料を作ろうかな」

「お手伝いいたしますね」

工房が完成したので肥料づくりに取り掛かることにした。

錬金術で大きな木製の丸テーブルを作り上げると、メルシアが麻布を被せた。

それから麻袋の紐を解いて、テーブルの上に肥料を出した。

「こちらがプルメニア村で生産されている三種類の肥料です」

「ありがとう」

メルシアが行ってくれる仕事は、こういった雑用だ。

錬金術師の研究は素材の確認、掛け合わせ作業になるので、こうやって素材を取り出してくれる助手がいると錬金術に集中できるので非常に楽で助かる。

この三種類の肥料に、森と山で採取した素材を掛け合わせて帝国式と同じ、あるいはそれ以上の肥料を作り上げるのが俺たちの目標だ。

肥料作りの作業に取り掛かる前に、俺はメルシアに尋ねる。

「三種類の肥料の性質を強化して、育てた作物の方はどんな感じ?」

手始めに素材を加えることなく、錬金術で性質を強化しただけの状態でどれくらい育つかという実験を行っている。

「やはり、イサギ様が帝国で作ったものに比べると、大きく劣ります。詳しい成育データはこちらの書類に纏めてあります」

口頭で端的な結果を聞きながら、渡された書類を確認する。

メルシアの言う通り、プルメニア村で生産されている既存の肥料では厳しいようだ。

俺が品種改良をした作物でこの成長率ならば、並の作物には微々たる効果しかないだろうな。

「……うん、やっぱり他の素材を掛け合わせた方がいいね」

今の肥料だけでは限界がある。根本的に材料を見直すか、大胆に素材を加える方がいいだろう。

「そうなると時間がかかりそうですかね?」

ゼロから作り上げるのであれば、何年単位での時間が必要となるが、俺は既に帝国式の肥料を完成させている。それらの経験とデータを元にすれば、以前のような莫大な時間はかからないはずだ。それに付け加え、今回は材料がいい。

「いや、そんなことはないよ。今回は良質な魔石がたんまりとあるし」

テーブルの上に取り出された魔石を手に取る。

メルシアが倒してくれたディアブルの魔石。今回の採取で一番良質な魔石だ。

「私にはわかりませんが、それほど良質なのですか?」

「帝国でこれを仕入れようものなら、これ一つで銀貨二十枚をかかるよ」

プルメニア村周辺に出没する魔物は強力な個体が多い。そのお陰か魔石も大変質が良いのだ。

「それほど高価なものなのですね。こちらでは街で売っても銀貨一枚程度にしかなりませんが……」

「帝国の宮廷錬金術師が知ったら発狂する言葉だね」

研究熱心な者なら、これだけで獣王国への移住を希望してしまいそうだ。

錬金術は素材なくして仕事はできない。皆が想像している以上に、良質な素材を仕入れるのが大変なのだ。

「この程度の魔石なら獣王国ではありふれてるってことかな?」

「国全体かまでは不明ですが、少なくともこの辺りに住んでいる者であれば、誰にでも手に入れることができます」

「誰でもって……魔石が良質な分、魔物も強かったと思うんだけど――あ、すみません。なんでもないです」

話している途中でメルシアが「そんなに強い魔物でしたっけ?」みたいな顔で首を傾げていたので切り上げる。苦戦していた俺が惨めになる。

メルシアの口調からして彼女が特別強いからって感じではなさそうだな。

となると、戦闘の心得がある村人なら余裕で退治できるのか。

改めて獣人族の戦闘力の高さに戦慄する思いだ。

そんな良質な魔石だが錬金術師がいないせいか、ここでは加工されることはなく近くの街で売られて生活費の足しにされている。

こんな良質な魔石を銀貨一枚に変換するなんて勿体ない。

それだったら思い切って肥料の材料にしてしまおう。

魔石の良質な魔力を元に、他の素材を掛け合わせて性質に変化、あるいは強化を加えれば、肥料は出来上がるはずだ。

「とりあえず、肥料に魔石を加えてみるよ。メルシアは実験用のプランターを用意してくれ」

「わかりました」

指示を出すと、メルシアはすぐに動き出した。

彼女が外からプランターを取ってくる間に、俺は自分の作業にとりかかる。

「まずは魔石の魔力を調整」

魔石には無秩序な魔力が内包されている。方向性のないエネルギーをそのまま利用するのは難しいので、まずは加工しやすいように魔力を平均化させる下処理が必要だ。

しかも、魔力の質や方向性は各魔石によって違うので、それを見極めながら平均化させなければいけない。

見習い錬金術師にとっては難しい作業だが、俺は元とはいえ宮廷錬金術師。このくらいの作業であれば、鼻歌を歌いながらでもできる。

ササッと魔力の質を確認すると、それに相応しい魔力処理を施していく。

魔力の平均化が終わると、次は魔力以外の不純物を抜く。

すると、手の平に乗っていた魔石が三回りほど小さくなり、澄んだ紫色の輝きを放ち始めた。

不純物が除去された証拠だ。

「加工された魔石は本当に綺麗です」

いつの間にプランターを取って戻ってきたのか、メルシアが隣でうっとりしたように呟いた。

「帝国の貴族には魔石を装飾品として身に着けていた人もいたしね」

膨大な魔力を秘めた魔石を敢えて利用せず、装飾品として身に着けるのがステータスになるらしい。貴族たちのそういった考えは理解できないけど、加工された魔石が美しいというのには同感だった。

「この魔石をどのように使われるのですか?」

「砕いて肥料に混ぜる」

加工した魔石を錬金術で砕いて肥料へと混ぜた。

「…………」

うっとりとしていたメルシアが言葉を失くしていた。

「……なんかごめんね?」

「いえ、魔石はあくまで素材なのでお気になさらず……」

と口では言っているものの耳と尻尾は垂れ下がっており、しょんぼりとしていることがわかった。

落ち着いたら、魔石を加工して彼女に装飾品でもプレゼントしてみようかな。

などと考えながら、混ぜ合わせた肥料に魔力を流して馴染ませる。

そこに繁殖力の強い因子を持った繁茂草、虫害に強い因子を持つテラリア、分解力を向上させる因子のあるゲンジダなどといった森で採取できた素材を掛け合わせる。

「よし、試作肥料の完成だ」

「早速、試してみましょう」

メルシアと一緒にプランターに土を入れ、そこに試作肥料を混ぜる。

そこに品種改良したルッコラの種を撒き、土を被せて水をかけた。

すると、ルッコラはすぐに芽を出した。

ルッコラの芽は葉っぱを茂らせてグングンと成長していく。

「おおっ!」

ルッコラはグングンと茎や葉っぱを肥大化させていく。

帝国式の肥料と同じ効果が現れたことに俺たちは喜んだが、異常な成長速度に徐々に顔を曇らせた。

「……イサギ様、さすがにこれは成長速度がおかしいのでは?」

「すごい成長力だよ!」

まさかここまでの成長力を見せるとは思わなかった。

一体、どこまで伸びていくんだろう?

「あ、あの、さすがにこれ以上は壁や天井が抜けてしまいますが、よろしいので?」

好奇心から呑気に成長を見守っていると、メルシアが冷静に言った。

その言葉に我に返った俺は急いでルッコラに近づいて、錬金術を発動。

ルッコラの構造を読み取って、因子を分解してやる。

すると、成長していたルッコラはピタリと成長を止めて朽ち果てた。

自分が錬金術で作ったものだ。

どこを乱してやれば、自壊するかは誰よりもわかっている。

「危なかった。好奇心で工房を潰すところだったよ」

「想像以上の成長率でしたね。繁茂草の因子が強かったのでしょうか?」

「それもあるし、良質な魔力による相乗効果もあったんだと思う。これからは魔石に内包されている魔力を抜く、あるいは適切な魔力を内包した魔石を選定した方が今後も作りやすいかもしれないね。やるべきことはたくさんあるよ」

既存の素材の掛け合わせだけでも無数にあるし、採取したけどまだ使っていない素材もたくさんある。ここからはそれをひとつひとつ試していき、もっとも効果と効率がいいものを選択しなければならない。

「根気のいる作業だけど頑張ろう」

「はい。微力ながらお手伝いさせていだたきます」

こうやって二人でひたすらに改良を重ねる作業は、帝城にあった狭苦しい工房での作業を思い出す。

少し懐かしく思う気持ちはあったが、自分の工房で作業する方が何倍も快適だな。