八神探偵の顔色は今日も青白い


 *


 灼熱の太陽がこれでもかと降り注ぐとある日の午後。俺と八神さんは彼らの待ち合わせ場所である駅前公園の噴水……付近のベンチにぐったりと座っていた。
 少し先にある噴水の前には、それなりにお洒落した姉と遠目でも目立つ金髪ヤンキーな真田さんが相手の到着を今か今かと待っている。

 今日はワークショップオフ会の当日だ。

 真田さんとはうちの喫茶店で何回か打ち合わせしたし、その間に姉とも結構仲良くなってたし、事前準備は万端だ。それに、ハンドメイドが好きな男の友人を連れて行くとツカサさんに伝えたところ、その作家に会えるのも楽しみだと返事が来たらしいので、もしかしたら真田さんも本当の事を打ち明けられるかもしれない。

「暑い……」

 戦いに破れて灰になりかけたボクサーのようにがっくりと項垂れた八神さんが呟く。俺だって出来ることならエアコンの効いた涼しい部屋で夏の全国高校野球大会をテレビ観戦してたかった。そんな文句を飲み込んで、俺は八神さんにお馴染みのマグボトルを手渡す。

「もうすぐ時間ですからもう少し頑張りましょう。ほら、水分補給して」

 受け取ると、八神さんは氷と共に入れてきたお茶をごくごくと飲んだ。日陰を選んで座っているとはいえ、地面から来る熱気に息が詰まりそうだ。


「ケンティーくん……あれ」


 今にも消えてしまいそうなか細い声を出して指を差す。八神さんの細長い指の先には、黒の半袖ジャケットにダークグレーのテーパードパンツを着こなした背の高い男性と、ストライプの入った爽やかな水色のワンピースがよく似合う可愛らしい女性。その二人組が噴水に向かってきょろきょろしながら歩いている。

 目印の金髪を見つけた二人は、姉と真田さんの元に駆け寄った。……おお。どうやらあのお洒落男子がツカサさんのようだ。

 真田さんは〝俺のイメージでは、ツカサさんは可愛いものが似合う系の人なんじゃないかなって思うんスよね。ほら、アイドルにもいるじゃないですか、ハートとかうさぎとか似合うあざとい系男子。大人っぽいデザインなのは本当はこうでありたいっていう理想なんじゃないかなぁって睨んでるんスよね〟なんて長々と語っていたが、ツカサさん普通にスタイリッシュなイケメンじゃねーか。

 無事合流したのを見届けると、灰になって今にも吹き飛ばされそうな八神さんを連れて南町ガーデン・ビルへと向かった。歩いて五分の場所で助かった。これ以上動いたら二人とも焼け死ぬ。

 受付を済ませ、一足先に会場の中に入った。室内は冷房がよく効いていて外に比べるとかなり涼しい。ああ、ここが天国か。

 会場の中にはもうすでに何人かが集まっていた。夏休みの宿題消化で来たのであろう親子連れ、仲の良い老夫婦、女子の友達同士で来た中学生。ワークショップには幅広い年齢の方々が参加するみたいだ。

 くっつけられた作業用の机が三つのブロックに分かれているので、俺たちは空いていた左側の席に座る。

「あー……ありますよね」
「そうなんですよ。俺も分からなくて」

 ぎこちない会話が聞こえて入口に目をやると、そこには案の定オフ会四人組の姿があった。まだ会って数分じゃあ、打ち解けられなくて当たり前だ。

 先頭で入ってきた姉ちゃんと目が合うと、何故かギロリと睨まれた。その後ろには不安そうな表情の真田さん、ツカサさんと妹さんが続く。姉は迷う事なく俺たちの座っているブロックに近付くと、「ここ空いてますか?」としらじらしく質問をし、返事をする前に俺の隣に座った。

「すみません、失礼します」

 言いながら、真田さんたちは向かい側の三つの席に座る。ぺこりと礼をした妹さんのスカートがふわりと揺れた。……ああ、なるほど。昨日俺が動きやすい服にしろって言ってこの服にしたけど、スカートでも良かったじゃないかっていう無言の訴えか。それなら最初から俺に意見を求めるなよ。やはり女心は分からない。

「お集まりの皆さん初めまして。講師の阿部(あべ)です。今日はお忙しい中参加して頂きありがとうございます」

 エプロンを付けた優しそうな女性が挨拶をし、今日の予定とスノードームについて説明を始める。

 スノードームとは、簡単に言うと観賞用のインテリア雑貨のことだ。作り方は簡単で、丸い瓶やドーム型の瓶に可愛いミニチュアフィギュア、ラメパウダーやビーズ等を入れ、グリセリン、水、液体のりと言った透明な液体を注いで接着剤で蓋をする。なんと、百均の材料でも出来てしまうという優れ物だ。
 瓶を動かすと液体の中のパウダーがゆっくりと動き、キラキラした雪のように見えることから日本ではスノードームと呼ばれお土産に人気の商品だ。

 一説には、十九世紀前半にペーパーウェイト、つまり文鎮として使われたのが始まりだと言われている。その後、一八八九年に行われたパリ万博でエッフェル塔をモチーフにしたスノードームを販売したところ話題になり、世界中に広まったという。

 以上、阿部さんの講義で知った情報だ。

「今回、皆さんには『夏』というテーマで作って頂こうと思います。分からないことがあったらどんどん聞いてくださいねー!」

 各自の席にはプラスチック製の透明な球と台座が一つずつ用意されている。組み立てると占い師がよく使う水晶玉のような形になるのだろう。ブロックごとの机には精製水、グリセリンと書かれた液体ボトルと接着剤、ビーズやパウダー、ホログラム、ドライフラワー、人や動物、建物のフィギュアが所狭しと並んでいた。

 この中から好きなものを選び、自分だけのオリジナルスノードームを作るらしい。
「夏をテーマにするのかぁ。どれを選べばいいか迷っちゃうなぁ~」

 並べられたパーツを物珍しそうに見ながら八神さんは言った。涼しい環境のおかげでHPはなんとか回復したらしい。

「皆さんはこういうの作るの得意なんですか?」

 そのまま上手い具合に話を振る。

「え? ああ、えっと……そうですね。なんていうかその、はい」

 ツカサさんは切れ長の目でチラリと妹の方を見てからしどろもどろに答えた。まだ緊張しているのだろうか。

「そうなんですか。僕はこういった物を作るのは初めてでして。なんせ今日は()の宿題のために一緒に参加したんですよ。ね、ケントくん」

 みんなの視線が俺に集中する。下から上に目を動かすと、各々の頭に疑問符が浮かんだのが手に取るように分かった。小学生の自由研究なら分かるけど、この人高校生くらいだよね? と顔に書いてある。俺もそう思う。

 隣では姉ちゃんがぷるぷると震えながら必死に笑いを堪えていた。腹立たしい。くそ、八神さんめ!! 高校生の宿題と小学生の宿題を同レベルで考えるなよ!! もっと違う参加理由にしてくれ!!

「あ、申し遅れましたが僕は八神と言います。こっちは甥の賢斗」
「……どーぞよろしく」
「っ、そうなんですね。実は私たちハンドメイドが趣味なんです。いつもはネットでやり取りしてるんですけど、今日はみんなで作品を作りたくて参加したんですよ。私はサナと申します」
「樹ッス」
「ツカサです」
「ツカサの妹で、トオルといいます」

 身バレ防止のためか、みんな本名は明かしていないようだ。

「ハンドメイドが趣味なんですか? それは心強い。良かったら色々と教えてくださいね」
「いえいえ。俺たちで良ければ気軽に聞いて下さい」

 ツカサさんは人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。隣に座っている真田さんは緊張しているのか顔が強張(こわば)っている。見た目がヤンキー風なので、そんな顔をされると迫力が増すからやめてほしい。

「ハンドメイドって、普段はどんな物を作ってるんですか?」

 並べられたパーツを見ながら八神さんが言った。

「私はアクセサリーが多いですかね。可愛いものを作るのが好きなんです」

 事前に真田さんから聞いた情報をフルに活用して受け答えをする姉のコミュ力は接客業の賜物だろう。

「私たちが使ってるアプリでは作った物を販売出来るんですけど、ツカサさんって超人気の作家さんなんですよ! 私も作品のファンでずっと憧れてたんです! だから今日お会い出来るのがとっても楽しみで!」
「わぁ……ありがとうございます」

 姉ちゃんの前に座っていたトオルさんが頭を下げる。

「え?」
「あ、兄の! 兄の作品のファンって言ってくれて嬉しかったので……ありがとうございます」

 トオルさんは照れているのか、頬を赤くしながら言った。

「いえいえ。本当のことだもの。ね、ツカサさん!」

 ツカサさんは姉ちゃんの問いかけに答えず、ぼーっとした様子で姉の顔ばかり見ている。

「……ツカサさん?」
「えっ? あ、ハイ! いえ! 俺なんかのは大したことないですから! ていうか俺もサナさんのファンです!! ピアスが一番好きです!」
「えっと、ありがとうございます」

 姉は苦笑いを浮かべながら答えた。視界の端に物凄く嬉しくてニヤけそうなのを我慢して、とんでもなく破壊力のある顔になっている真田さんが映ったが無視しようと思う。

 俺はパーツが入ったケースから小さいスイカのフィギュアを手に取った。

 それにしても、ドッキリで騙す仕掛け人っていつもこんな気持ちなんだろうか。罪悪感からなのか、ものすごく居心地が悪い。

「あ、スイカも夏らしくていいですね」

 トオルさんが俺の手元を見ながら言った。

「え? ああ。なんとなく手に取ったんですけど、これ見た時思い出したんですよね。家族で海行ってスイカ割りしたなって。小さい頃に一回だけだけど」

 うちは喫茶店をやっているので、長期休暇中に家族で旅行や遊びに出掛けるなんてことはほぼなかった。だけど唯一、俺が小学生になったかならないかの時、家族で海に遊びに行ったことがある。家族……生きている母親と一緒に行った最初で最後の旅行だ。そこでやったスイカ割りは姉や俺の力では割れなくて、最終的に親父が割ったことをよく覚えている。

「そうやってぱっと頭に浮かんだもので作るのも楽しいと思います。すごく考えて作った物より、そっちの方が案外上手くいったりするし」
「なるほど」
「それに、思い出を形にするって素敵だと思いますよ」
「……ありがとう、ございます」

 なんだか照れくさくなってポリポリと頬をかいていると、隣から悩んだように唸り声を上げていた八神さんが口を挟んできた。

「うーん。夏って聞いてぱっと浮かんだのはエアコンの効いた部屋でサマーウォーズを読んでる自分の姿なんだけど……これじゃダメかな?」

 ダメに決まってんだろこの活字中毒。「あっ、時をかける少女もいいなぁ」いや、本の種類の問題じゃなくて。

「ええと、確かに二冊とも夏になると読みたくなりますよねぇ」

 苦笑いを浮かべながらも話を合わせてくれるトオルさんは心優しい。マイペースな八神さんは楽しそうにパーツを選び始めた。今の話の流れで彼がどんなスノードームを作るのかみんな興味がわいたらしく、八神さんが何を選ぶのか様子を伺っている。

 あー、これだから八神さんは……。俺は短く溜息をついた。
 中に入れるフィギュアが決まったら、水に強い接着剤で台座に固定させる。この台座はスポンジ、小さいサイズだとペットボトルの蓋でも代用出来るそうだ。ホント、夏休みの宿題にピッタリだなこれ。俺も小学生の時に知ってたらやったのになぁ。そしたら最終日の終わらない宿題地獄も少しは楽になってただろうに。あの地獄を味合わないためにも、夏休みの宿題は計画的に進めることを全国の小学生に進言したい。経験者は語る、だ。

 おっと、思考がすっかり逸れてしまった。ちゃんと姉ちゃんと真田さんのサポートに集中しないと。俺は慌てて周りの様子を確認する。

 液体に入れるラメパウダーやホログラムを真剣に選んでいる真田さんの隣には、彼の横顔をチラチラと盗み見るトオルさんの姿があった。……もしかして何か取りたい物があるけど真田さんが怖くて言い出せないのだろうか。トオルさん、百合の花が似合いそうな清楚系美人だもんなぁ。ヤンキーに話かけるのは怖いよなぁ。真田さんも話せば良い人なんだけど、損するタイプだ。

「あ、あの!!」

 ごちゃごちゃ考えているうちに、トオルさんが大きな声を出した。

「……は、い?」

 驚いた真田さんが気の抜けたような返事をする。キッと視線を合わせるように上を向いたトオルさんはそのまま続ける。

「そっ、そのピアス可愛いですね!!」
「えっ?」

 真田さんは自分の耳たぶを触る。

「あ、これッスか? これは俺……っじゃなくて! サ、サナさんに貰ったもので!」
「やっぱり!!」

 その答えに、トオルさんはパッと顔を輝かせた。

「デザインがサナさんっぽいなって思ったんです!! それレジンですよね?」
「そうッス。スクエアパーツに色付けたレジン液を入れて硬化させただけだから簡単……なんスよね? サナさん」
「ん? ああ、そうそうカンタンよ」
「さすがサナさん手先が器用です! グラデーションが綺麗ですねぇ」

 大きな目でじっと見られる事に照れたのか、真田さんはふいと顔を逸らした。

「……てか、トオルさんもサナさんのこと知ってたんスね」
「そ、そうです! ほら、お兄ちゃんがCreに登録してるから、私もよくそのサイト見てて。サナさんってすごく可愛いもの作るな好きだなーって思ってたんです!!」

 トオルさんは姉ちゃんを見ながら熱弁する。しかし、それは何やら難しい顔をしたツカサさんによって遮られた。

「ちょっといいですか樹さん。ピアスをサナさんに貰ったって事は……お二人はもしかしてそういう関係……?」
「ちょっとお兄ちゃん!?」
「いいえ! 違います!」

 姉ちゃんは全力で否定するが、ツカサさんの疑念は晴れない。

「そもそもお二人はどういった経緯で知り合ったんです?」
「それは……私の実家が喫茶店をやってるんですけど、彼はうちのお店の常連なんです。ハンドメイドに興味があるって聞いて仲良くなって」
「喫茶店? じゃあサナさんもそこで働いてるんですか?」
「はい。良かったら今度いらして下さいね」
「是非とも伺わせていただきます!!」

 ツカサさんの目が輝いた。……あれ、この感じ。もしかしてツカサさん、姉ちゃんに気があるんじゃないだろうか。ツカサさんは姉ちゃんがサナさんだと思ってるんだからその可能性は有り得るよな? ネットで仲良くしてたんだし。

 ……いや、ややこしくなりそうなのでこの問題は一旦置いておこう。

 隣では、八神さんが右手で口元を覆いながら何かを考えているようだった。ツカサさんとトオルさんを見比べ小さく首を捻るが、すぐさま何事もなかったかのように作業に戻る。え……なんだ今の意味深な行動。気になるけど、さすがに今聞くわけにはいかないので後で確認してみよう。
 プラスチック製の球体に、精製水とグリセリンを7:3ぐらいの割合で入れる。そこに好きなラメパウダーやホログラムを入れ軽く混ぜ、さっき作っていたフィギュア付きの台座を、球体にしっかりと付けて蓋をすればスノードームの完成だ。

 ちなみに、ラメが舞い落ちるスピードをゆっくりさせたい場合はグリセリンの量を多くしたり、逆に早くさせたい場合は水の量を足してみたりと、分量は自分好みに調整していいそうだ。俺は慣れてないので言われた通りにやるけれど。

「皆さん! そろそろ完成してきた頃でしょうか? 思い出の夏をしっかりスノードームに詰めて下さいね!」

 どうやら、参加者のほとんどが完成しているらしい。周りでは完成したスノードームの写真を撮ったり感想を言い合ったりと盛り上がっている。

 せっかく作ったので、机の上に並んだ六つのスノードームを紹介しよう。

 まず真田さん。真田さんは赤い金魚が入ったスノードームを作っていた。水色と緑のアクリルアイス、白いホログラムが涼しさを演出し、愛嬌のある赤い金魚が可愛らしい。
 金魚のフィギュアをあえて接着せず液体の中に浮かべることで、動かすと本当に金魚が水の中を泳いでいるみたいに見える。プラスチックの球体を金魚鉢に見立てたというアイデアはさすがだ。

 次にツカサさん。夏といえば肝試しが一番最初に浮かんだらしく、スノードームの真ん中には白いシーツを被ったような定番のお化けのフィギュアが一体。その隣には頭にリボンを付けたシーツお化けが一体。どうやらカップルらしい。動かすと、黒、金、銀のラメがゆっくりと舞い落ちる。

「ちょっとハロウィンっぽくなっちゃったかな。テーマに合ってないよね」
「いやいや。夏は肝試しも定番ですし有りだと思うッス」
「本当? ありがとう」

 言いながら、真田さんはツカサさんの作品を凝視していた。憧れの人の作った物を目の前で見られるのが嬉しいんだろう。

 次はトオルさん。彼女のスノードームはとにかく美しかった。夜空に輝く満天の星空を切り取ったかのようにきらめくスノードーム。水に着色を施しているのか、全体が紺と紫を混ぜたような色をしている。金色のラメパウダーやグリッターがまるで天の川のようだ。しかも、星の形をした大きめのホログラムが入っていて、動かすとそれが流れ星に見えるのだから驚きだ。織姫と彦星を思わせる和服の男女のフィギュアが可愛らしい。

 ……いや、普通にすごくない? 素人とは思えない出来栄えなんですけど。真田さんもすごく気に入っているようで、さっきから「トオルさんのそれ良いッスね。マジで綺麗ッス、マジで」と大絶賛している。

 まぁ、俺と姉ちゃんのは本当に大したことないので軽く流そう。俺はスイカとバッド、姉はビーチパラソルと浮き輪のフィギュアを貼り付け、あとはカラフルなラメパウダーを散らした感じだ。二人とも家族で行った海をイメージして作ったのである。……はい、恥ずかしいから次に行こう。

 大トリはそう、八神さん。彼が何を作ったかはちょっと説明しにくいのだが、頑張って伝えようと思う。
 八神さんのスノードームには朝顔のフィギュアが入っている。青と紫色をしたキレイな朝顔だ。その前には、小さなリスのフィギュアとちょっと背の高いウサギのフィギュア。……ここで「ん?」と思った人も多いだろうが、最後まで言わせてほしい。さらにもう一体あるフィギュアは袴姿の女の子である。

 お分かり頂けただろうか。この男、スノードームの中でサマーウォーズを再現しやがったのだ。いや、確かに最初に頭に浮かんだって言ってたけども! 確かにあれは夏のイメージだけども! 俺も夏になると繰り返し映画見るけども! まさかアバターで揃えてくるとは思わなかった。

 しかも、液の中に全色のホログラムを入れそのキラキラをアバター代わりにし、OZ(オズ)の世界観まで出そうとするこだわりっぷりである。そこそこ上手いのが腹立たしい。もういい加減どっかから怒られろ!!

「トオルさんのこれ良いッスね。ロマンチックで女性に人気出そう」
「ありがとうございます。今度、このデザインを元に何か作ろうと思ってるんですよ」
「あ、いいッスねそれ。ならサイズ小さくしてピアスとかどうッスか?」
「それなら樹さんの金魚もピアスにしてみたらどうです? 私そのデザイン一目で気に入っちゃって。もしアクセサリーとして売ってたら迷わず買います。だって歩くたびに揺れる金魚とかめちゃくちゃ可愛いですもん!」

 真田さんとトオルさんが何やらハンドメイド談義で盛り上がっている。二人とも生き生きしていて、なんだか楽しそうだ。

 最後に参加者全員で記念撮影をし、およそ二時間のワークショップは無事終了となった。

 エアコンが効いて涼しかったビルを出ると、むせ返るような暑さが俺たちを襲う。もうすぐ夕方だというのに太陽はまだまだ元気そうだ。

 真田さんは憧れのツカサさんと、トオルさんは姉……もといサナさんと話し込んでいる。隣をチラリと見た俺は「あ、ヤバい」と焦りを覚えた。八神さんの顔色と死んだようなあの目、エネルギー切れ三分前の表情だ。用意してきたマグボトルの中身はもう空だし、何か食べ物を口にしないと非常にまずい。姉にアイコンタクトを送ると、異変を察知した彼女はすぐ動き出した。

「皆さんこの後ご予定ありますか? もしなかったらお茶でもしていきません?」
「いいですね!」
「せっかくだから行きましょう。八神さん達もご一緒に……って八神さん、顔色悪くありません!? 熱中症ですか!?」

 漂白剤で着け洗いしたタオルを凌駕する八神さんの顔色に、ツカサさんが驚いて駆け寄る。

「あー、()()()()は体調崩しやすいんです。何かお腹に入れて少し休めば元気になるんで心配しないで下さい」
「じゃあ急いで店に行きましょう!!」

 俺たちはビルから目と鼻の先にある大手コーヒーショップ店に入った。八神さんを先に座らせ注文を済ませる。とりあえずこの店で一番甘そうなチョコチップ入りホイップアイスココアを選んでおけば間違いないだろう。あとは野菜も気軽に取れるサンドウィッチでいいか。ケーキがいいって駄々をこねられるかもしれないけど、抑止力となる姉ちゃんがいるから大丈夫だろう。

 ご自由にお取りくださいと書かれたコンディメントコーナーからガムシロップを六個、心の中で謝罪しつつ頂いて席に持って行く。

「どうぞ八神さん」
「……ア、アリガト」

 八神さんは貰ってきたガムシロップを迷うことなく手に取ると、機械のように次々と入れていく。俺と姉ちゃん以外の三人はその奇行に目を丸くしていた。

 胸焼けしそうな茶色い液体をチューチューとストローで吸い始めたのを見て、胸を撫で下ろした。よし、一先(ひとま)ずこれで安心だろう。安堵する俺の頭の中にはスイカの皮にかぶりついて汁をすすっているカブトムシ虫が浮かんだ。
「あっ、このアイスカフェラテ美味しい。見た目も綺麗な二層になってるし、チェーン店も侮れないわね」
「サナさんの実家の喫茶店ってどの辺にあるんですか?」
「緑ヶ丘ですよ。ここからだと一駅ですかね。喫茶カサブランカっていう喫茶店です」

 姉ちゃんはとびきりの営業スマイルで答える。

「ツカサさんが好きそうなレトロで雰囲気のある喫茶店ッスよ。コーヒーも美味いし」
「わかりました! 今度絶対に伺いますね!」
「ふふっ、お待ちしてますね。八時まで営業してますから」
「じゃあ仕事の帰りも寄れますね! いやぁ、仕事帰りにサナさんの笑顔が見れたら疲れなんて吹っ飛んじゃうなぁ!」
「ツカサさんは何のお仕事されてるんでしたっけ?」
「…………」
「ツカサさん?」
「えっ!? あ、ああ。俺はしがない公務員ですよ。デスクワークだから肩ばっかり凝っちゃって」

 ツカサさんは苦笑いを浮かべて自分の左肩を揉んだ。……デスクワーク? あれ? 真田さんは彼の職業は保育士って言ってたはずだけど……もしかして事務員として働いているのだろうか?

「お兄ちゃん!!」
「ん? どうした?」
「……なんでもない」

 トオルさんは何か言いたげな顔をしながらも口を閉ざした。

「あの、ちょっといいですか?」

 糖分の化物(シュガーモンスター)と化したアイスココアを飲み干し、すっかり復活を果たした八神さんが横からしゃしゃり出てきた。

「八神さん! 体調はもう大丈夫なんですか?」
「おかげさまでこの通り元気ですよ」

 八神さんは血の気のない顔で笑った。確実にこの通りの意味を間違えている。

 そのまま八神さんは真田さん、ツカサさん、トオルさんの順に顔を見回すと、申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「すみません。今から失礼なことを言うかもしれませんが、どうか怒らないでくださいね」
「え?」

 お、おいちょっと待て。先に宣言するくらい失礼なことって……何言う気だよこのもやしっ子は!?

「ツカサさん。トオルさん」

 名指しされた二人の表情が強張る。

「もしかして、あなたたち兄弟は()()()()なんじゃありませんか?」

 ハッと息を呑んだのは誰だったのか。やけに耳に響いた。

「つまり、本当の〝ツカサさん〟は()()()()()()()()()()()()()なんじゃないでしょうか」

 机の上で腕を組んだ八神さんが続ける。

「さっきのワークショップでは〝ツカサさん〟と名前を呼んでも振り向かないし、反応も悪かった。今のやり取りでも名前を呼んだとき不自然な間が空いてましたしね。それに正直、スノードームの出来栄えは妹さんとは歴然ですし、会話もハンドメイドに対してあまり興味ないようなものばかりでした。不審な点を挙げればきりがないですね」
「そ、それは!」
「何より今、お兄さんが言った職業。アプリのプロフィールには〝保育士〟と記載されていたはずなのに、お兄さんは公務員だが〝デスクワーク〟と答えていた。少なくとも保育士の仕事を説明する単語ではないと思うんですよね」

 指摘された二人は気まずげに俯いた。

「本当はお兄さんが『トオル』で、妹さんが『ツカサ』。そして、人気ハンドメイド作家は妹のツカサさん。あなたなんじゃないですか?」
「その……」
「ご、ごめんなさいっ!! 全部私のせいなんです!!」

 妹さんは大きな声で叫ぶと、俺たちに向かってがばりと頭を下げた。

「……八神さんの言う通りです。ハンドメイドが趣味なのもあのアプリに登録してるのもお兄ちゃんじゃない。全部私なんです」
「え、でもプロフィールには……」

 あれにはハッキリ男と書かれていたはずだ。

「アプリの性別は嘘なんです。私は若林(わかばやし)(つかさ)二十一歳、女。職業は保育士です」

 力なく笑った顔を見ながら、混乱している頭を整理する。ええとつまり、(おとこ)の名前がトオルで、(おんな)の名前がツカサ。アプリに登録していたツカサさんは男ではなく女で、その正体は目の前の妹さんだと。や、ややこしい。

「何年か前に偶然あのアプリを見つけて。自分の作った物が世間でどんな風に思われるのか興味がわいてすぐ登録しました。でも、最初は全然売れなくて。それどころか見てくれる人もほとんどいなかったんです。悔しかったなぁ」

 真田さんは目と口を開いたまま彼女の話を聞いていた。

「どうしたら人気が出るのか考えてたら、ユーザーの九割が女の人だってことに気付いたんです。だからこの中で男って名乗れば、それだけで無条件に目立つんじゃないかと思ってアカウントを作り直しました。ツカサは中性的な名前だから使っても女ってバレないだろうと思ってそのままユーザーネームにして……そしたら予想以上に人気が出たんです。コメントもたくさん届いて、その倍の数の注文も入るようになって。嬉しかったけど、嘘をついてるっていう罪悪感があって少し悩んでたんです」

 司さんは(サナ)を真っ直ぐに見つめる。

「そんな時、サナさんの作品と出会いました。シルバーのティアドロップにピンク色の小さなジルコンをあしらった、女性らしくて可愛いデザインのネックレス。仕上がりの美しさと細部にまで手を抜かないこだわり。私は一目見てサナさんのファンになりました」

 両手を合わせ、うっとりとした顔で語る彼女は本当にSANAさんのアクセサリーが好きなようだ。

「そのうちコメントで買ったアクセサリーの感想を言い合うようになって、DMで個人でやり取りするようになって。毎日が楽しかったんです。そしたらだんだん……こんな素敵な作品を作ってる人ってどんな人なんだろうって考えるようになって……直接会ってみたくなったんです。でも私は男だって嘘をついてるから簡単には会えないし。どうしようって悩んでたらお兄ちゃんが協力してくれて」
「妹のためと思って入れ替わりを提案したんですが……皆さんを騙すような真似をしてしまって申し訳ないです」
「お兄ちゃんは悪くないんです。全部私が……本当にごめんなさい」

 二人は姉ちゃんに向かって深々と頭を下げた。姉ちゃんはオロオロと戸惑ったように八神さんと真田さんを見る。その視線でハッと我に返った真田さんが「すいません!!」と大声を上げた。視線が真田さんに集中する。

「謝るのは俺の方なんス!! 実は俺も女だって嘘ついてアプリやってました! 本物のSANAは俺なんス! 本当にすいませんでした!!」
「……え? えっ?」

 突然のカミングアウトに、司さんは動揺を隠せず姉と真田さんをくるくると見比べる。
「……ごめんなさい。私はハンドメイド作家のSANAじゃないんです。私はSANAの代わりを頼まれたただのカフェ店員なの」

 姉ちゃんが申し訳なさそうに言った。テーブルにくっつきそうなほどの勢いで頭を下げていた真田さんはゆっくりと顔を上げる。

「……男でハンドメイドやってると周りから色々言われるんスよ。浮くし、引かれるし。だから女として活動してたんス。騙してたのは俺も同じで……」
「じ、じゃあ、あなたが本物のSANAさん……なんですか?」
「はい。えっと、SANAこと真田樹です」

 ぺこりと頭を下げると、司さんも同じように頭を下げた。

「改めてまして若林司です。こっちは兄の(とおる)
「若林透です。ええと、地方公務員をやってます。ところであの……彼らは?」

 透さんが遠慮がちに質問をする。そりゃそうだろう。今の俺たちはただの不審者だ。

「僕は八神碧。探偵です」
「た、探偵?」
「俺が頼んだんス。今回の事相談したら色々アドバイスしてくれて。他の人にSANA役を頼んで、俺はその付き添いとして参加すればツカサさんに会えるよってアドバイスくれたんス」
「佐藤賢斗です。高校生で、八神さんの世話係みたいな者です」
「佐藤萌加です。賢斗の姉で、喫茶店で働いてます。私こそ、皆さんを騙すような真似して本当にすみませんでした」
「三人は俺に協力してくれたんスよ。勇気の出せない、意気地なしの俺にね。……司さん」
「はい」

 真田さんは司さんにしっかりと向き合う。

「……俺、アプリで司さんのこと知った時、同じ男なのに俺と違って堂々としてるとこがカッコいいと思って、憧れてました」
「っ……貴方の理想を壊してしまってごめんなさい」
「いや、謝んないでください! 俺もSANAのイメージぶっ壊したと思うんで!!」
「でも……」
「俺……男だ女だって差別される偏見だらけの世の中が嫌でネットで女の振りしてたけど、もしかしたら偏見持ってたのは自分だったのかもって気付かされたんス。今の時代、男とか女とか関係なく楽しめるのに。昔のこと気にしすぎてバカだよなぁ」

 真田さんが今まで趣味の事でどんな風に言われてきたのかは分からないが、本人にとってツライことだったのだろう。

「俺、今日ずっと憧れてた司さんに会えて、みんなでスノードーム作って、自由に好きな物の話いっぱい出来て。俺、こんな楽しかったの初めてッス。司さん、ワークショップ誘ってくれてありがとうございました!!」
「こちらこそ……楽しかった。SANAさんが男の人だって知った時はびっくりしたけど、でも、私も、私も真田さんと話が出来てすごく楽しかった。来てくれてありがとう」

 どことなくスッキリとした表情の二人は、顔を見合わせて笑い声を上げた。その様子に、俺たちもほっと息をつく。

「……私、あのアプリやめますね」
「ええっ!?」

 司さんは真田さんを見上げたまま言った。おそらく最初から決めていたのだろう。迷いのない瞳だった。

「性別の偽りは規約違反ですし、ちゃんとケジメはつけなきゃ」

 眉間にシワを寄せた真田さんは何やら考え込むと、うん、と納得したように首を縦に動かした。

「じゃあ、俺もあのアプリやめます」
「ええっ!?」
「だって俺も規約違反してるし。それに、司さんがいないならアプリやる意味ないっつーか」
「えっ」

 カァーと司さんの頬が赤く染まった。それを見て真田さんの耳も赤く染まる。

「あっ、い、いや! その……ファンとして! 司さんの作品が買えなくなるのは寂しいってことで、けして変な意味ではなくてですね!!」
「わ、わかってます!!」

 二人の間になんとも言えない生温かい空気が漂う。あれ? これ俺たちめちゃくちゃ邪魔なんじゃないのか? 帰った方が良くない? あとは若い二人でどうぞ的な感じで。お見合いか。

 もじもじと悩んでいた真田さんが、頑張って口を開く。

「あ、の! よかったらまたこういうイベントに行きませんか? む、無理にとは言わないッスけど!」
「わっ、私で良ければよろこんで!」

 なんだよこの不良純情少年(ヤンキーピュアボーイ)の青い春。見てるこっちが恥ずかしくなるんですけど。あーあ。今年の夏は更に気温が上がりそうだなぁ。勘弁してくれ。

 *


「見て見てこれ。真田さんと司さんの新作アクセだって! こないだのデザインをアレンジしたやつ!」

 姉が嬉しそうにスマホの画面を見せる。そこには、小さな丸いガラスドームを泳ぐ金魚が印象的なピアスと、プラネタリウムのような美しい星空を彩った同じ形のピアスが写っていた。

「すっごく可愛いよねぇ。私さっそく注文しちゃった!」

 あれからしばらくして、二人は別のアプリに登録し、ハンドメイド雑貨の販売を再開したらしい。今度はもちろん、本当の自分の姿で。

「それにしても……まさかあっちも替え玉作戦だったとはなぁ」

 替え玉作戦と言っても、それは兄と妹の名前を交換するというちょっと変わったものだった。俺的にはそんな面倒な事はせず〝兄である透さんが勝手に司さんの名前を借りてアプリに登録してた〟って言えば筋の通った理由になったと思うんだけど。そうすれば、名前を呼ばれた時の反応とかで八神さんに怪しまれる可能性はぐっと減っただろうし。

 あとから司さんにそれとなく聞いてみると「テンパっててそういう簡単なことが思い付かなかったの」と恥ずかしそうに語っていた。たぶん会うことだけでいっぱいいっぱいだったのだろう。気持ちは分かる。

「本当にねぇ。驚いたよ」

 八神さんは通常の数十倍甘くしたエチオピアコーヒーに口を付ける。まったく。こんなに糖分を入れるなら初めからコーヒーじゃなくて甘い飲み物を注文すればいいのに。探偵はコーヒーを飲むべきだとかいう意味のわからないポリシーを持ちやがって。

「でも、和解出来て良かったね。夢を叶えるためお互い努力してるみたいだし」

 司さんはいつか自分のお店を出すことが夢らしい。もちろん、取り扱うのは自分で作った雑貨だ。真田さんもハンドメイドのスキルを上げようと、資格を取得するため通信講座で勉強を始めたそうだ。

 このまま二人の仲も進展すればいいのだが。まだ仲の良い友人関係を保っているようだ。二人の気持ちは明らかだっていうのに。じれったくて仕方ない。

 カランカラン。話をしていると、店のベルが鳴った。

「いらっしゃいま「萌加さん!!」

 決まりきった挨拶を遮って姉の名を叫んだのは、司さんの兄である若林透さんだった。今日は何故か、仕立ての良さそうなスーツをビシッと着込んでいる。

「透さん?」
「先日はどうも。うちの妹がご迷惑をおかけしました」

 ぺこりと頭を下げた透さんは爽やかな好青年そのものだった。あの時、確かに喫茶店(うち)に来るって話はしてたけど、あれは社交辞令ではなく本気だったようだ。でもなんだ? この妙に決めた服装は。

 透さんはテーブルに座っている俺たちには目もくれず、真っ直ぐ姉ちゃんの元に近付いくていく。

「萌加さん!」
「……は、はい?」

 大きな声で名前を呼ぶと、透さんはどこからか綺麗にラッピングされた一本のバラを取り出し、姉ちゃんの前に差し出した。


「好きです! 僕と結婚を前提にお付き合いしてください!」


 ガッチャーン!


 八神さんの手から、白いコーヒーカップが滑り落ちた。





第3話.了
 喫茶店のカウンターには、透明な花瓶に挿さった真っ赤なバラが一輪。その存在を主張するように鮮やかに咲き誇っている。

 さっきの出来事が夢じゃなかった証拠だ。





 八神さんの落としたカップは割れていなかった。幸い中身もそんなに入っておらず、備え付けの紙ナプキンでテーブルを拭けば問題ない。石像のように固まって動かなくなった八神さんの代わりに俺がテーブルを拭いていく。

「突然こんなこと言ってすみません。でも俺、あのワークショップの日、萌加さんに一目惚れしてしまったんです」

 透さんはそう言って、姉に一輪のバラを差し出した。当の本人は突然の告白に驚いて声も出ない様子である。

 確かに透さんは姉ちゃんに気があるような予感はしてたけど、まさかこんなにすぐアプローチしてくるとは。しかも結婚を前提にだなんて。行動力がハンパない。

「俺たちは出会ったばかりだし、こんなこと言っても迷惑なのは重々承知してます。でも、俺は自分の気持ちをあなたに知っていてほしかったんです。後悔だけはしたくないから。今すぐ付き合ってくれとは言いません。ですが、俺にチャンスを与えてくれないでしょうか?」
「チャンス……ですか?」

 ようやく出た姉ちゃんの声は掠れていた。

「ええ。俺のことをよく知ってもらって、それから判断してほしいんです」
「ええと、それは……」
「まずは友人として接していただければ! それだけで十分なんです! どうかお願いします!」

 透さんは必死に頭を下げる。

「……わかりました。じゃあ友人として仲良くしましょう」

 透さんの熱意に根負けした姉ちゃんが了承の返事をすると、彼の顔がパッと明るく輝いた。

「あ、ありがとうございます!! 俺頑張りますね! おっと、名残惜しいですが今日はこれで失礼します。またすぐ来ますから! では!」

 そう言って、透さんは慌ただしく店を出て行ったのだった。大型台風が去ったような気分である。





「ねぇちょっと、さっきのイケメン一体誰!? みんなの知ってる人!? 萌加めっちゃ告白されてたけどどうすんの!? えっ!? 付き合うの!?」

 とりあえず誰かこの空気の読めないクソ親父の口を今すぐ塞いでくれ。今すぐにだ。
 そんな俺の願いも虚しく、親父はさらに爆弾を投げ続ける。

「ていうか知ってる? バラの花言葉は本数によって異なっていてね、一本のバラの花言葉は〝一目惚れ〟っていうんだよ。彼、ずいぶんロマンチストだねぇ」

 もうやめて! 俺たちのライフはもうゼロよ!! 背中に変な汗が流れる。


「モカちゃん」


 八神さんの声に、姉ちゃんの肩は大袈裟なほどビクッと上下した。ギギギ、錆び付いたおもちゃのように鈍い動きで振り返る。

「ご馳走様。僕、明日のお昼はオムライスがいいなぁ。卵はもちろん砂糖多めでね。よろしく」

 八神さんはいつも通りの笑顔でそれだけ言うと、お金を支払って二階の事務所に戻って行った。何事もなかったかのような態度だ。

 姉ちゃんは嬉しいんだか悲しいんだかよく分からない、なんとも言えない表情で八神さんの出て行ったドアをじっと見つめる。

 ……あのワークショップの日、透さんと姉ちゃんは密かに連絡先を交換していたらしい。帰り際に透さんから聞かれたんだそうだ。それからちょくちょく連絡を取り合っていたみたいだが、まさかこんなことになるとは。

「……姉ちゃん、どうすんの」
「……どうしようねぇ」
「その気がないならハッキリ断った方がいいと思うけど」
「うん。私もそう思う」

 とは言いつつ、あれだけ大々的にアプローチされちゃなぁ。しかも、今は姉にその気がないのを知っていて、それでも振り向いてもらおうと努力する、と宣言してきた相手だ。彼のことを何も知らないうちに断るのは、真剣に告白してきた彼に対して失礼かもしれない。透さん、普通に良い人だし。

 はぁ、と小さな溜息をついて、姉ちゃんはぐるぐるとコーヒーミルを回し始めた。

 *


「僕さぁ、一度でいいから献血ってしてみたかったんだよねぇ」

 文庫本を片手にぼんやりと遠くを見つめていた八神さんが、思い出したように呟いた。

「えっ?」
「ほら、道路とか歩いてるとさ、プラカード持った人が〝献血にご協力くださーい〟とか叫んでるじゃん。あれ見るたび、ああ、僕も協力出来ればなぁって思ってて」
「ええ……そんな事考えてたんですか?」
「そうだよ。こんな僕でも人の役に立てるってことを証明したくてね。そうだ、今どっかでやってないかな? 歩いてたら見つかると思う?」
「ち、ちょっと待って絶対無理だから! 早まらないで八神さん!!」

 ただでさえ血の気がない八神さんが献血なんてしたらとんだ自殺行為だ。まぁもし行っても事前検査の時点で(そく)断られるだろうけど。彼はどちらかと言うと分けてもらう側だし……。

「まぁそうだよねぇ。こんな不健康な血、誰もいらないよねぇ」

 呟くようにそう言って溜息をついた。……うん。見ての通り、八神さんの様子がいつも以上におかしい。原因はまぁ、分かりきっている。


 本日、透さんとうちの姉が仲良くデートに出掛けているからだ。


 事は、うちの店に透さんが来た時に起きた。

「萌加さん。同僚に映画のチケット貰ったんですけど、良かったら今度観に行きませんか?」
「ありがたいお誘いですけど、ちょっといつ休みが取れるかわからなくて」

 遠回しに断っていると何故か親父が張り切って出てきた。

「えー、いいじゃん! せっかくだからデートしてきなよ! たまには休んでいいよ。店は父さんに任せて! これでも父さんここの店主だから! 主人! マスターだからさ!」

 という姉ちゃんにとっては余計な、透さんにとっては嬉しい援護射撃が入り、二人はデートに行く事になったのだ。その時八神さんはいなかったが、後から親父が話したようで俺が教える前に知っていた。

 ……まぁ、様子がおかしいと言っても不機嫌になったり透さんに嫉妬してるとかそういう素振りは見当たらない。ぼーっと何かを考えていたり、時々さっきみたいな突拍子のない発言をする程度だ。

 八神さんが少なからず二人のことを気にしているのは確かなのだが、姉ちゃんの前ではいつも通り顔色の悪い笑顔で過ごしているのでイマイチ本心が掴めない。姉ちゃんは姉ちゃんで、そんな八神さんの態度にモヤモヤしているようで……めんどくせぇ。行ってほしくないならそう言えばいいし、止めてほしいなら行かなきゃいいのに。ったく、色々と拗らせた大人は面倒くさくて仕方ない。

「さてと。そろそろ僕は事務所に戻るね。お客さんが来てるかもしれないし」

 いや、それはいつも入口に「御入用の方は喫茶カサブランカまで」っていう貼り紙をしてるから心配ないだろうに。八神さんはアンティーク調のドアをカラン、と開ける。

「……あ」

 喫茶店から数メートル先に立っていたのは、デートを終えて帰ってきた透さんと姉ちゃんの姿だった。透さんはここまで送ってきてくれたのだろう。二人は何やら楽しそうに話をしている。姉ちゃんも、ケタケタと声をたてて笑っていた。

「あれっ? 八神さんに賢斗くん!」

 俺たちに気付いた透さんがひらひらと手を振り駆け寄ってくる。

「カサブランカに来てたんですか?」
「ええ。僕常連なんですよ。事務所がすぐ上にあるものでね」
「えっ、そうなんですか!? 探偵事務所に喫茶店って、なんか漫画みたいな立地条件で憧れますねぇ!」

 透さんは興奮したように言った。

「でしょ? 僕も気に入ってるんですよ。透さんはデートですか?」
「いやいや! 俺が無理に誘っただけなんでデートとかじゃないですよ! 萌加さんはただ付き合ってくれただけです」
「いえ、そんな……」
「あっ、もうこんな時間だ……じゃあ萌加さん。今日はありがとうございました。また今度お会いしましょうね!」
「こちらこそありがとうございました。……ええ、また」

 透さんがいなくなると、水を打ったような静けさに包まれた。

 ……き、気まずい。なんだこの空気。ここだけ二酸化炭素しかないんじゃないかってぐらい息苦しいんだが。

「おかえりモカちゃん」
「た、だいま」

 姉ちゃんは引きつったぎこちない笑顔で答えた。対する八神さんの笑顔はいつもと変わらない青白く穏やかなもの。

「今日は何して来たの?」
「……えっと、映画見てご飯食べました」
「楽しかった?」
「……ええ、まぁ」
「そっか。透さん良い人そうだし、よかったね」

 淡々と告げた八神さんはそのまま二階へと上がって行った。

 ……その時姉ちゃんがどんな顔をしていたのか、俺はとてもじゃないけど見る勇気が出なかった。