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資料室のような社会科準備室に似つかわしくない、珈琲の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
準備室にあったありったけの砂糖とミルクを入れ、糖分の化物と姿を変えたインスタントコーヒー。西原先生と江川さんの信じられないと言った視線をものともせず、糖尿病まっしぐらな勢いでごくごくと飲み干した八神さんは幸せそうな顔で言った。
「いやぁ、ご迷惑おかけしてすみません」
「いえいえ。体調は大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか」
「八神さん! 体調が悪くなったら早めに言えっていつも言ってるじゃないですか!!」
「ごめんごめん。あ、このクッキー美味しい」
「本当だ。イケるね八神くん!」
大人二人が机に出されたクッキーを遠慮なくさくさくと頬張る。今回は倒れる前に休めたし、糖分も摂取出来たので調子は良さそうだ。いち早く食べ終えた八神さんは、西原先生にようやくお礼を述べた。
「西原先生、ありがとうございました。美味しいクッキーまで頂いてしまって」
「いいんですよ。貰い物で申し訳ないですが気に入っていただけたようで良かったです」
先生は安心したように笑った。
「ところで、教頭先生から西原先生はこの学校の卒業生だとお聞きしました。失礼ですがおいくつですか?」
「俺ですか? 今年二十四です。社会人二年目のぺーぺーですよ」
「じゃあ六年前の卒業生ですかぁ。当時のお友達とは今でも連絡を取ったりしてますか?」
「そうですね。全員じゃないですけど……何人かは」
「そのお友達の中に有名になった方はいませんか?」
「あの……」
西原先生の顔が困惑気味に歪む。
「すみません。まわりくどかったですね。実はあなたにお聞きしたいことがあるんです。あなたは若宮和臣と江川麻衣を知っていますね?」
「そりゃ……知ってますよ。高校の同級生です」
「ただの同級生ではありませんよね? 特に若宮さんとはかなり親しかったのでは?」
「ええ、友人ですけど」
「では、二人が交際していたことも当然ご存知ですよね?」
「あの……さっきから何なんですかこの質問」
さっきより不快感を色濃くした先生が言った。
「単刀直入に言いましょう。西原先生、あなたは若宮和臣の共犯者ですね?」
八神さんが青白い顔で告げると、先生はぐっと息を呑んだ。
「いや、事件でもないのに共犯者という言い方は不味かったな……申し訳ない。協力者に訂正します」
協力者って……西原先生が? 一体何を協力したっていうんだよ。皆の視線が八神さんに集まる。
「西原先生。あなたは若宮和臣さんから別れた彼女にプレゼントを送りたい、と相談を受けていたんじゃありませんか?」
ビクリと肩が上がった。答えはないが、その反応から見て分かる。
「僕はあの手紙を読んでずっと気になってたんですよ。和臣さんはどうやって麻衣さんへのプレゼントを隠したのかなって。だって、彼は海外に行ったきり日本に帰ってきていないんでしょう?」
言われてみれば確かにそうだ。日本にいない和臣さんはいつこの学校の音楽室にプレゼントを隠したんだろう。
「あー、実は日本を発つ前に隠してた、とかは?」
「手紙には〝こないだようやく完成した〟とあったので、日本を発つ前に手元にはなかったと思われます」
「ってことは公演先の国で買ったってこと?」
「おそらくね。そうなると海外にいる彼はこの音楽室には来られない。一時帰国したというような話も確認されてないしね。でも、彼は確かにここに隠したと言った。……そこで僕は、誰か他に協力者がいるんじゃないかと思ったんだ。それも、校内を自由に動き回れる人物。音楽室に入っても怪しまれない人物。つまり、学校関係者です」
西原先生は何も言わない。
「この学校の卒業生、二人の友人、現在は教師。これほど条件の揃う人物は他にいないと思うんですが、どうでしょうか西原先生」
数分、いや、数十秒の沈黙のあと、フッと表情を緩めた西原先生が口を開いた。
「お見事です」
はぁーと深く息を吐いた西原先生は肩の荷が降りたように笑った。
「八神さん、まるで推理小説に出てくる探偵みたいですねぇ。なんか俺、犯人みたいな気分でドキドキしましたよ」
「ええ、探偵ですから」
「え?」
八神さんは申し訳なさそうにネタばらしをする。
「すみません。芳賀さんの担当編集者というのは嘘なんです。僕は若宮和臣さんの隠したプレゼントを探しに来た正真正銘の探偵です」
「先生方を騙すような真似してすまんね。あ、私は本物の芳賀恭一郎だよ!! 取材に来たのは本当なんだ!」
芳賀さんが慌てて手元のノートを見せる。どうやら取材する気は本当にあったようで、中には何やらたくさんのメモが書かれていた。
「そうだったんですか……でも、八神さんはどうして二人のことを、いや、プレゼントのことを知ってるんですか?」
「それは、」
「先生ごめんなさい!」
ガタンと立ち上がると、江川さんは頭を下げた。
「私がお願いしたんです」
「君が……?」
「はい。二年四組江川奈々。……江川麻衣の妹です」
驚いたように丸くなった目で江川さんをじっと見る。
「歳の離れた妹がいるとは聞いてたけど……君がそうだったのか。言われてみれば目元が似てるなぁ~」
「ついでに白状すると、今この学校を騒がせている幽霊の正体は彼女です。音楽室でプレゼントを探す影を見られ、どんどん話が広まっていったようですね」
「そうか。実は俺もこの噂が出た時、もしかしたら麻衣ちゃんが探しに来てるんじゃないかって思ったんだよ。場所が旧校舎の音楽室だったしね」
「なるほど。それで先日の放課後、様子を見に行ってみたわけですか」
「そんな事まで分かってるんですか? 探偵ってすごいなぁ」
「これはたまたまですよ。ちょうど目撃者がいたんでね」
八神さんが俺たちの方を見ながら言った。その視線でようやく気付く。
「あっ! もしかしてあの時来たのって西原先生!?」
俺はホラー映画のような体験をした先日の出来事を思い出す。江川さんも同様だ。
「中に居たのは君たちだったのか。あの音楽室は普段鍵がかかってないのにかかってたから、誰かいるなと思って引き返して来たけど……そうか。君たちが探してたんだね」
「ごめんなさい勝手にこんなことして……でも私、どうしても見つけたかったんです。この校舎が取り壊されたら何もかもが終わってしまう気がして……」
「謝らなくていいよ。悪いのはいい歳してこんなこと考えた俺と和臣なんだから」
西原先生は軽く笑った。
「八神さんの言った通り、俺は和臣からこの件について相談を受けていました」
「はい」
「振られたけど、麻衣ちゃんのことを諦めきれなかった和臣は手元に置いていたプレゼントを見て一種の賭けに出た。二人の思い出の場所にプレゼントを隠し、それを見つけてくれたらもう一度告白する。見つけてくれなかったらきっぱり諦める、という賭けです。俺はその手伝いとして、和臣に言われた通り送られてきたプレゼントをこの学校の音楽室に隠しました」
「どこにあるんですか!? 教えて先生!!」
「それが……」
先生の表情が一気に曇る。
「隠した場所は分かるけど、取り出せないんだ」
「と、取り出せない……?」
「どういう事ですか!」
「ピアノの蓋の隙間、ですね?」
はっきりとした口調で告げた八神さんの言葉を、俺は繰り返す。
「ピアノの蓋の隙間?」
隙間ってことは、弦が張ってあるのが丸見えの広いところか? 着ぐるみの中の人的な部分。
「で、でもっ、ピアノの周りはもう何度も探しました!! 蓋の中だってちゃんと……!」
「ええと、蓋っていうのはたぶん奈々さんが思ってる場所じゃなくて……いや、話すより見た方が早いね。行きましょうか。旧校舎の音楽室へ」
珍しく機敏な動きで椅子から立ち上がると、八神さんは俺たちを促すように資料室を出た。