こうして客人による国司の蔵への侵入、宝物強奪事件は密やかに屋敷内を駆け巡った。
 追放処分というのは一見軽いように見えるが、何分海を越えなければ他の国には辿り着かないのだから、あまり軽いとも言えない。
 しかし今回の処分には国司の娘である夕花姫も同行ということで、屋敷内の人々も首を捻っていた。
 いくら屋敷から逃げ出そうとも、拾い物をしては周りを困らせようとも、娘をわざわざ追放なんてしないだろうと。
 これは追放処分という名の嫁取りだったのではないか。お見合いの末に娘が嫁入りするのだから宝物強奪事件という呼び名なのではないか。
 たったひと晩のことにもかかわらず、見事に噂には余分なものがついてしまい、真相がわからなくなってしまっていた。

「どっちにしても、麗しい男子《おのこ》がいなくなってしまいますね……」
「次にあれだけ花のある方がいらっしゃるのは、いつになるのか……」

 女房たちからしてみれば、都風の公達がいなくなることそのもののほうが重要であった。いくら一連の出来事が嫁取りの一環だったとしても、それに関与してない者たちからしてみれば、鑑賞物がいなくなることのほうが問題なのである。小国の娯楽はせいぜい、物語の写しのみ。噂話できるほどにも噂が転がっていないのだから、それまでは暇を持て余している。
 あちこちで女房たちの囁き合う声を耳にしながら、暁は至極憮然とした顔で、夕花姫の荷造りをしていた。浜辺での拾い物の貝殻やら、国司の贈り物の物語やら、あれこれと詰め込まれているが、船にそこまで載る訳もなく、厳選に厳選を重ねて、わずかばかりの荷となっていた。
 夕花姫も一応自分の荷物だからと手伝おうとするが、要領を得ずに結局は暁任せとなってしまっている。

「暁、父様がああ言っていたものの、まさか本当に着いてきてくれるなんて思わなかったわ……浜風のこと、許してくる?」

 本当なら国中の人々にお別れを言ってから舟に乗り込みたいものの、会えば別れがつらくなる。結局は夕花姫は持っている宝物の一部を、百姓や漁師に配るということで決着が付いた。貝殻はさちにあげるし、着ない袿や物語は女房たちに配り歩いてしまった。
 すっかり少なくなった手持ちのものを分別しながら、暁は淡々と夕花姫の問いに答える。

「許すもなにもありません。俺はあれのことをあまり好きではありませんが、あなたが許してしまった以上、俺がどうこうなんて言えないでしょう」
「まあ……あなた優しいところがあったのね」
「……この答えのどこが優しいのか、俺にはちっともわかりませんが」

 夕花姫も暁はよっぽどのことがない限りは、彼女の意向を最優先することに、いい加減気付けばいいものの。それは命がけの戦いのあとでも、あまり伝わってはいないようだった。
 夕花姫が博愛主義なのは、天女だからなのか、それとも彼女の性分なのかは暁も知らない。他に天女を知らないのだから、検証しようもないのである。
 暁は荷造りを終えると、その荷を担いで牛車に舟まで乗る。既に浜風が待っていたので、彼と夕花姫を乗せてから、最後に暁が乗ると、牛車は緩やかに歩きはじめた。
 浜風はまじまじと夕花姫を見る。それに彼女はきょとんと黒い目で見つめ返す。

「なにかしら」
「いやね、不思議に思って。私は結構なことを君にしたつもりだけれど? 恨まれる覚えこそあれど、まさかこんなにあっさりと許されるとは思ってもいなかったんだけどねえ」
「あら、海を越えるんだから、そこまであっさりとはいかないんじゃないかしら? まあ、私がいるから海もそこまで荒れないとは思うけれど」
「頼もしいねえ、さすが姫君……と、今もその呼び名でいいかな?」

 未だに国司の娘の呼び名ではあるが、彼女の字《あざな》の夕花と呼べばいいのか、姫君のままでいいのか。夕花姫はくすくすと笑う。
 笑い方も朗らかさも、その周りを明るくする華やかさも、記憶を取り戻す前となにひとつ変わらないが。不思議なことに彼女がいるだけで空気が清浄になるような気がする。それこそ腹の黒いと自覚のある浜風も、彼女に恋慕を募らせている暁も、なにもかもを見透かされそうな気まずさを覚えているのだが、肝心の夕花姫はそれにちっとも気付いていない……天女としての自分を取り戻したせいか、彼女の鈍感さには磨きがかかってしまっていた。

「いいわよ、私のことはどう呼んでも。むしろあなたの国に招かれるのが楽しみね。あなたの国はどういうところなの?」
「それならば、姫君で。そうですね……都のような煌びやかな場所ではありません。百姓も多く、田畑もなかなかままならないですが……でも米が美味いのは間違いないです」
「姫飯《ひめいい》がおいしいのはいいわね! 私、できれば真っ白なご飯が食べたいわ! 粟もひえも入っていないまっさらなご飯よ。食べられるかしら?」
「それは行ってみないとわかりませんね」
「ええ、ええ……! 期待しているわ!」

 相変わらずな様子で上機嫌な夕花姫を間に挟み、浜風と暁は顔を見合わせた。
 どうしても相反する相手ではあるが、長い付き合いになりそうだし、当面はこの天女に振り回されるのだろう。それも悪くないと互いに思っているのだから、重傷だ。

****

 ざざん、ざん、ざん。
 寄せては返す波の音。鼻を通っていく潮の香り。これがないところを目指しているというのは、不思議なものだった。
 牛車の御者に何度もお礼を言い、宝物から貝殻をあげると、御者は大泣きしてしまった。それを何度も何度も宥めてから、ようやく船に乗り込む。
 漕ぎ手が一斉に櫂を漕ぎはじめると、だんだんと小国が遠ざかってきた。
 漁師たちは沖に出て、今日も漁に出ているのだろう。子供たちは干物をつくったり、子守をしたりしているだろうし、百姓たちは今日も農作業に没頭している。国司は今日も国のために仕事をしているのだろう。
 今まで間近で見守ってきていたものが、徐々に小さくなっていくのに、夕花姫の鼻の奥がつんとなる。それと同時に、次はいったいどんなところに行くのだろうと興味も沸いてくる。

「寂しいですか?」

 ふいに隣には暁が寄ってきていた。それに夕花姫は頷いた。

「そりゃあね、初めて離れるのよ。そういうあなたは?」
「俺も、あの国しか知りませんでしたから。地続きになっていたら、よその国に出仕する未来もあったのかもしれませんが、あいにく四方を海に囲まれていましたから、他に選択肢がなかったんです」
「まあ、それ父様が聞いたら悲しむかもしれないわよ?」
「……でも、俺はあの国に出仕したからこそ、あなたに出会えたんです」

 そう言われて、夕花姫はドキリとする。彼は涼しげな顔で、彼女を見つめていた。しかし気のせいか、彼の耳朶はひどく赤い。
 夕花姫からしてみれば、彼にとって大切にしていた思い出をすっかりと忘れてしまっていたというのに、それでもなおその思い出を後生大事に持っていた彼に、少なからず申し訳なさを感じていた。
 そういえば……と思い出したことを言ってみる。

「でも暁、ひとつだけ聞いていい? あなた、いざとなったら私が記憶を取り戻さないように殺さないといけなかったんでしょう? 私が記憶を取り戻すとなったら、羽衣を手に入れたときなんだから。なのにどうして、浜風とやり合ったとき、自分が持っていればいいのに、わざわざ私に羽衣を渡したの? 思い出しちゃうじゃない」

 いくら国司が夕花姫に対して甘いとはいえど、暁はその国司に仕えていた身だ。それがわざわざ彼女が思い出すように仕向けたのはなんでだろうと、ついつい首を傾げてしまう。
 暁は耳朶を赤く染め上げたまま、波に視線を落とす。

「……俺は、あなたが斬られて記憶を失う場を見ています。本来なら、浜風と一緒にあなたを叩っ斬り、そのままなにもかもをうやむやにするのが一番だということはわかっていましたが……俺にはできませんでした。あなたに一度忘れられているんですよ、俺は。また忘れられることに、耐えられそうもありませんでした」

 それは普段からなにも語らない、小言ばかり言う彼からは思いもしないような告白であった。夕花姫はまたも目をパチパチと瞬かせて彼を見た。

「あなたって、結構私のことが好きだったのねえ……?」
「ああ、もう! あなたはどうなんですか!? 俺にこういうことばかり言わせて! 言うつもりなんて全く、微塵もなかったんですから……!!」

 とうとう顔まで真っ赤に染め上げて激高する暁に、何故か夕花姫は笑いが込み上げた。
 夕花姫は懐から短冊を取り出すと、それを暁に見せた。

「これは……」
「これ、浜風の返歌よ? すっかりと渡しそびれちゃったし、もう状況に合わないからどうしようかって思っているところ」
「……どうして、俺にそれを見せる気になったんですか……」
「あら、だって私。もう国司の娘じゃないし、貴族ですらないのよ?」

 その余りにも遠回しな言葉に、暁は思わず半眼にして彼女をねめつける。
 普段から猪突猛進過ぎる彼女が、こんな貴族的な遠回りなことを言ってくるなんて思わなかった。

【村雨が 止みしその日に 別れのち 再び遭いに 来られるように】

 あなたがいつか記憶を取り戻したときがお別れの日ですね。そのときまたお会いできたらいいですね。
 なんの捻りもない、浜風に対するお断りの歌だった。
 小国の姫君だと思っていた夕花姫は実は天女であり、越えなければいけないのは身分ではなく立場になってしまった。もう現状に全くそぐわない歌なのだ。
 つまり、この関係はなんの決着もついてはいない。

「……あなたって人は」
「あら、先のことなんて全然わからないわ。私、天からずっと国を見ていたけれど、海を越えることなんて初めてなんですもの。ご飯がおいしい場所って素敵ね。まっさらなご飯、楽しみだわ」

 そう言って、夕花姫は笑った。
 ざん、ざざん、ざん。
 波の音が聞こえる。海鳥がついーと飛んでいる。
 だんだん海の向こうが見えてきた。

「もうすぐ、私の国だね」

 浜風の言葉に、夕花姫は目を輝かせる。暁は半眼で浜風を睨みつつ、彼もまた近付いてくる陸に視線を送る。
 天女が降り立つ次の土地になにが待っているのか、またも騒動が起こるのかはわからない。
 ただ、愉快な日々が続くことだけは、間違いなさそうだ。

<了>