入り口から細い通路を抜けた先。俺たちは荘厳な扉の前に立つ。
「入ったときも思ったけど……、上級ダンジョンは、こんなに立派な場所になったりもするんだなぁ」
入り口付近こそ洞窟だったが、途中から王宮の室内みたいな道が続いていた。
今足をつけている場所も、立派な赤い絨毯の上である。まるで王族にでもなった気分で、ダンジョンの床だと分かってはいるけれど、ちょっとテンションが上がる。
「実際コレ。ある程度上質な布なんだよな……」
「じゃあこの布を持って帰ったら、高く売れたりするの?」
「いや、ダンジョンを構成している物質は、ほとんどが外気に触れると消滅するんだ。
持ち帰れるのは一部のアイテムと、時々モンスターを倒したときに残る、体の一部位くらいかなぁ」
「そうなんだぁ。じゃあ、モンスターが外に出ちゃってもすぐ消えちゃう?」
「なかなかそんなイレギュラーは起こらないみたいだけど……、過去に何件かあったらしいな」
そのときの報告では、モンスターは普通に動き回っていたそうだ。
まぁ魔物自体は野良のものもいたりするから、もしも混ざってしまってもなぁなぁになるのかもしれないけど。
「何にせよ生態系は不明だな」
ダンジョン自体の解析は進んでいるみたいだが、未だに不明瞭なことも多い。
城っぽいダンジョンでも何パターンかあるらしいから、魔王城を模したものというわけでもなさそうだし。
まぁ尤も、魔王城自体は滅んでしまっているからこそ、不明瞭なままなんだろうけど。
「とりあえずだ。
こういう、室内っぽいところで戦うのは初めてだろ? 気を付けていこうぜ」
各々の返事を聞き、俺は荘厳な扉に手をかけ――――開け放つ。
そこには……、とてつもなく大きな広間が展開されていた。
階段も何もなく、奥に小さな扉があるのみ。
天井は二十メートルくらいの高さで、壁には延々絵画が飾られている。そして天井部分に一つだけ、ぽつんと縮尺の小さいシャンデリアが設置されているのが見えた。
「……時々見る、カオスで不気味な夢の中みたいだ」
ルーチェの調べによると、この先には小部屋がいくつかあるだけだという。
そんな構造の城なんてあるわけがないし、本来ならここから更に、地下へと続いているはずなのだ。
「ロビーホールだけが立派な城なんて、普通はないからな……」
まぁこれも、ダンジョン探索の醍醐味と言えばそうか。あり得ない風景に直面できる。それは確かに面白くはある。
「ただ……、面白がってもいられないよな!」
ルーチェじゃなくても分かる。
周囲というか――――すでにこの場所に。
超大量のモンスター反応アリだ!
魔力感知を発動して、二秒で検知された。それくらいに、密集している。
「……来るぞ!」
「「「……!」」」
俺の声に、三人は臨戦態勢に入る。
それと同時。
ぐにゃりと、ぐにゃりぐにゃり、ぐにゃりと。
次々に空間が歪んでいき――――大小様々、大量のモンスターが発生した。
「……う、ぉ、」
言葉を失う。
これ……は、ダメだろ。
このクエストは、Aランクだったはずだ。
正直俺も知識だけでしか知らないけれど……、これは、Aランクの範疇を超えている……。
「A+を飛び越えて……、Sランク級じゃねぇか!?」
いや大事件すぎるわ!
教本でしか見たことの無いような頂上級の魔物が、三体、四体、……それ以上。
そしてそれらを囲むようにして、もう数えるのも無駄なくらいの魔物が、ホールに所狭しとひしめき合っていた。
殺意高すぎるぞこれ! 人当たりの良いお姉さんのことだから、わざとでは無いのだろうけれども!
「これは……、い、一時撤退、を……」
「ガオッ!」
「ひぇ!?」
顔の横の空間へ。
突如として、ベルが嚙みついた。
何事かと思ったが……瞭然。それは、矢だった。
金属で出来た小さな弓矢を、ベルは口牙で咥えてキャッチしてくれいていた。放っておいたら、そのまま俺の頭蓋を貫いていただろう。
「ぷっ……! ハハッ! ゴシュジンに手ェ出しやがって……!」
殺すと、歯をガチガチ鳴らして威嚇するベル。
矢を射たであろう弓持ちのスケルトンが、こちらを見てカカカと笑う。
その事実を目の当たりにし、あとの二人も魔力を上昇させた。
「おにいちゃん……、ダンジョンって、概念的に壊れないんだよね……」
「あ、あぁ……。そのはず、ですね……」
「じゃあ、いくら暴れても問題ありませんわね……!」
「そうだねルーチェちゃん。いっぱい殺そうね……」
……おぅ。
変なところに火を着けちまったみたいです……ね?
「旦那様には、光魔法を張っておきますわ」
「お、……サ、サンキュ……」
一瞬きらりと身体が光ったかと思えば、俺の身体の周りに、三重の透明魔力が現れる。
「わたくしが死なない限り、その防壁は絶対に砕かれませんわよ。ご安心を」
「そ……、そうなのです、か?」
いつものテンション高めの声ではなく、静かに響き渡る声でルーチェは言う。
やべぇ~……。みんな魔力――――というか、殺気が高まってやがる。
もしかすると。
こいつら、あのモンスター群にも勝てちまうんだろうか……。
「ま、待て待て。相手は下手すると、一体一体がS級レベルなんだぞ!? 俺、お前らとまだ別れたくないんだけど!」
「なんだよゴシュジン。照れるぞ」
「嬉しいこと言ってくださいますのね、旦那様」
ベルは中腰体制を。
ルーチェはツインテールをふぁさりとかき上げて。
言った。
「それでもベルたちが負けることは」
「絶ッ対ッ、あり得ませんわッッ!!」
言葉を言い終わると同時。
彼女らは地を蹴って。群れへと走り去って行った。
戦いが、始まってしまう。
「……おにいちゃん」
「ん……?
ヒ、ヒナ……。大丈夫か?」
穏やかに。けれどどこか低く響く声に、俺はおそるおそる声をかける。
目の前のモンスターたちよりも、今はお前らの殺気の方が怖い。
「私……、私も……、絶対おにいちゃんの役に……」
「え? な、何?」
何だろう。ヒナの様子が、少し変だ。
いや。一緒に居るようになってそんなに経っていないので、「どこが」と言われると言葉に詰まるんだけど……。
それでも何か。
危険な――――ひどく、脆い気が、する。
「ヒナ……?」
「行ってくるね、おにいちゃん」
言葉を遮るように、いつも通りの、明るい笑顔を向ける彼女。
俺の気にしすぎ……の、はずはないけれど。
でも、俺が気にかけてどうなる問題でもない、か……。
だったら、やれることは一つだな。
「お、おう。気を付けてな!」
「うん!」
俺は。
安心して送り出す。
自分の身の安全は、自力(とルーチェの加護)でどうにかする。それくらいだ。
そうやって、一陣の風は去っていき。
――――三極の戦いが、始まった。
炎を纏った褐色の人影は。
地を蹴り、壁を跳ね、空を舞い、着弾する。
小さな矮躯から、大きな羽と尻尾を生やし。
半竜半人の幼女、魔竜ベルアインは、火を吐き空を爆炎に染める。
「ハハハハァッッ! 楽しいぞ!!」
ぎょろりとした瞳は、燃え散っていく魔物たちの影を凝視する。
しかし、その愉しみを邪魔せんと、別の影が彼女へ迫る。
「――――ハハッ」
快楽は、また別の闘争へ。
本質的に、彼女は戦闘狂だ。
血沸き肉躍る己が身体の戦闘本能に、彼女は抗う理由が無い。
「シャァッ!」
迫る影――――亡霊騎士の剣を、竜化し、硬質化させた掌で受け止める。
鈍い金属音が響いたかと思ったときには、すでにその剣は砕け散っていた。
「へっ!」
影に怯みは無い。
が、そんなもの。魔竜には何の関係も無い。
敵とは、
攻撃をしてくるのが常で。
命を脅かしてくるのが常で。
そんな常識で生きてきたからこそ、彼女の戦闘思考に、『間が空く』という選択肢は用意されていない。
「止まってるぞ、オマエ」
もう片方の腕で、ぐしゃりと兜を握りつぶす。
アクロバティックな動きに対し、地面の方がついてこなかったのか。ぼこりと踏み込んだ足先の地面が窪んだ。
「次だ次ッ!」
笑う。
嗤う、幼女。その、何と狂気的なことか。
殺気を惜しげもなくさらし、瞳孔開いた眼は、迫る――――もしくは逃げる敵を、捕らえて離さない。
魔法の発射音のような音がしたかと思うと、ベルはその地面から、文字通り射出された。
羽による空気抵抗の何かなのか。それとも彼女自身の脚力か。
飛び出したベルは、魔物の大群の中へと、とてつもない威力をもって着弾した。
土埃の中。小さな矮躯が浮かび上がる。
両手ではすでに、魔物二体を貫いていて。
それでもまだ足りないと、体重移動もそこそこに、力づくで首を突き出した。
「がォッ!」
小さな口を、大きく開けて。
首をかじる。噛み砕く。食いちぎる。
ぺっと肉を吐き捨てて、両の手の死体が消え去ると同時、再び魔物へと襲い掛かった。
尽きることなき闘争心。
どこまでも『動』を貫く生物。
魔なる生物の、一種の頂点。
竜の膂力は。彼女の笑顔は。
今、全ての魔物を飲み込まんとしていた。
黄金の髪は、綺麗に流れる。
その、時間差。――――拳が爆ぜる。
「はぁぁッ!」
気迫の籠った声と共に、号砲にも似た打撃音が響き渡る。
大きさ五メートルを超える巨岩生物の群れへと真っ向から突っ込んでいった彼女は、その拳をもって、次々とその分厚い外壁を砕いていった。
「フンッ……!」
腰の入った重い拳は、衝撃波を伴い炸裂する。
ゴーレムは外皮と共に、根元から崩れ落ちる。その重心のよろめきへ、更に追撃が唸る。
小さな手からは考えられないような膂力を持ったその拳は、眼前へと落下してきたゴーレムの核へと深く突き刺さり――――周囲をもろとも吹き飛ばす。
「次ですわッ!」
きれいなウェーブのツインテールを優雅にかきあげる、しなやかな掌は。
しかして、次の瞬間には、破壊するための拳へと変わり果てる。
迫り来る第二、第三のモンスターたちを素早く打ち抜き、大ゴーレムへと立ち向かっていった。
「つぁっ!」
ルーチェの身体は大きく跳躍し、宙を舞う。
力強きそのバネをもってして、あっという間にゴーレムと同じ目線の高さへと到達した。
岩でできた肩へと、静かに優雅に着地する。それと同時。横薙ぎの蹴りが、あっさりと巨大な頭部を破砕……いや、切断する。
衝撃と共に頭部は地面へと落ちるが、ゴーレムの動きは止まらない。
「あらいやだ。読み間違えましたわ」
核は必ずしも頭部にあるわけではない。稀にではあるが、とても見つけにくいところへと、核が移動している可能性もあるのだ――――が、彼女の前ではそれも無意味なことで。
「では、削岩ですわね」
ちょこんと彼女は、可愛らしく飛び上がり。
頭部が無くなり、右肩から左肩部分までが平行になったその面へ。
直角になるように、かかと落としを炸裂させた。
「ハァァッッ!!」
ルーチェの身体が地面へと近づくたび、ゴーレムの巨体も中央から二つに割れていく。
首下部分から股下部分まで。
完全に真っ二つとなるのに、五秒もかからなかった。
「い~~~~きますわよぉ~ッ!」
二つになり。更に砕きやすくなったゴーレムに対し、無数の拳打だが注がれる。
岩は、
岩々となり。
粉々となり。
散り散りとなる。
「見つけましたわよッ!」
自身の体勢を戻す時間も煩わしいのか。
拳を振るい切った先に見つけた核目掛け……、彼女はその美しい額による頭突きを行った。
赤い宝玉が静かに砕け散る。
それは、魔法ルーチェリエルの、圧倒的な戦闘力を示す証となったのだった。
刃が、飛び交う。
中空に形成されていく幾多の魔剣は、次第に鋭い質量を帯びていき――――目標へと飛来する。
円を描き、旋回しながら魔剣は飛ぶ。
そしてその中央から、一層強力な膂力を帯びた存在が一人。
魔剣を携えた黒髪の幼女――――魔剣ヴァルヒナクトは、目にもとまらぬ速力で対象へと突撃し、その体を一刀両断した。
黒髪と眼鏡が揺れる。その奥の瞳は、次のターゲットを探しつつも、冷静に周囲の剣のコントロールも行っていた。
「――――『剣舞』」
指揮するかのように、ヒナが剣で対象方向を指す。すると旋回していた幾多の剣群は、指示された方向へと一斉に飛来し、対象を串刺しにした。
宙を舞っていた、大型の翼竜がばたりと地へと伏せ、霧散していく。
「まだ。足りない」
女の影は。
小さく呟き、両手に剣を再装填する。
そして己が操作している剣群とは別方向。剣舞から逃れたモンスターたちへと忍び寄った。
音も無く。
声も無く。
影も無く。
慈悲も無く。
逃げ延びた先には。
最後の門番である死神が、凶剣を構えて待っている。
「大斬」
すぱりと。
まるでハサミで紙を切るかのように、とても綺麗に胴と首は切断された。
正確無比なる双剣動作。
そして再び、音もなくその場から飛び去っていく。
普段見せている穏やかな笑顔とは違う、その眼鏡の奥で、はっきりと見開かれた瞳は。
いつまでもいつまでも、次の獲物を探し続けるのだった。
そして――――
ベルちゃんは。
強襲からおにいちゃんを助けた。
ルーチェちゃんは。
おにいちゃんと二人でクエストに行った。
私は、
おにいちゃんに隠し事をしちゃった。
魔力が切れそうだったのに。
無理して動こうとして、見抜かれちゃった。
ダメな子だ。
悪い魔剣だ。
こんなことでは、また封印されちゃう。
こんなことでは、また撃ち負けちゃう。
あの日から、ずっとずっと、ぬぐえない嘘。
『――――危険な剣でございますからな、魔王』
大丈夫だから。
『そのようだな。ではこの剣は、再び封印を施しておく』
おにいちゃんは私を嫌いにならないから。
『かしこまりました』
『魔王様! 勇者の軍勢が、すぐそこまで――――』
でも……、もし役に立たないと思われたら?
『うむ。では、こちらを抜剣する。我に続け』
持ち主に役に立たないと思われたら……、違う武器に代えられちゃうでしょ?
なら。
なら。
だったら。
私は。
私、魔剣ヴァルヒナクトは。
絶対に……、いつまでも。役に立たないといけないんだ。
「私は……」
私を拾ってくれた、救ってくれた貴方の。
――――いちばんになるから。
戦いは収束を向かえそうだった。
あんなにも居たモンスターは大きく数を減らし、フロアの壁が見えるくらいになってきている。
「数えようと思えば数えられるくらいには減ったな……」
我が目を疑う光景だった。
一体一体がA級~S級のモンスター。今まで俺が居たCランク相当のパーティであれば、Bランクのモンスター一体を倒すのにパーティ総出だ。それよりもはるかに高いレベルの魔物を……、一撃、一噛み、一斬で、屠っている。
「分かってはいたけれど……、」
人ならざる、力だ。
圧倒的なまでの戦力が、そこに渦を巻いていた。
「しかもまだ、俺からの魔力を回収してない状態だからな……」
いやはや恐れ入る。
魔力万全のこいつらの力って、どのくらいヤバいんだろうな。
「って、そうしてる間に……」
「最後の……一体ですわッ!」
元気に叫ぶルーチェの声と共に、一撃が放たれる。
それにより。フロアに残った最後のモンスターである巨大ゴーレムが、今、消滅した。
巨躯は魔力に代わり、俺の剣へと静かに吸収されていく。なんだか感覚的に、ちょっと剣が重い気がする。魔力をいっぱい吸っているせいだろうか。
「一応魔力感知……」
最後の検知を試みて……、少なくともこのフロアに、俺たち以外の魔力は無いことを確認し終えた。
「うん……。殲滅成功だ!
……いやぁ、信じられねぇ! すごいぞお前ら!」
普通の冒険者が見たら二秒で退散する――――もしくは、逃げる間もなく全滅するレベルのモンスターたちを、完全殲滅せしめていた。
「しかし俺、ホントにいらない子だったな……」
まぁ楽出来て良いんだけど。
というかこいつらが凄すぎるだけな気もする。いやでも、俺が居たところで役に立たないのは事実だしな……。
……いやだめだ。あまりの事実に、混乱してるな俺も。
「と、とにかくお疲れ様みんな!
魔力もたんまり溜まったし、とりあえず補給しよう」
俺はぶんぶんと剣を掲げ、笑顔の二人を迎えることにした。――――ん? 二人?
はたと違和感を覚え、もう一人の影を探す。
ベルは居る。
ルーチェは居る。
視界に……、いるべきもう一人が映らない。
「……ヒナ?」
あ……れ?
このフロアはだだっ広いだけで、遮蔽物などはほとんどない。ところどころに石柱が立ってはいるものの、ちょっと覗き込めば人ひとりくらいは容易に発見できる。
それが。
いない。
というよりも……、俺の視界に映ってないだけなのか――――
「ゴシュジン、上ッ!」
「え……」
「くっ……!」
順番としては。
ベルの声が聞こえて、俺の呼吸と共に、ルーチェが何かを受け止めた声と音がした。
場所は……、俺の顔の、十センチ手前。
「は……!?」
それは――――黒い剣だった。
ルーチェはそれを何とか受け止め、はじき返し、反動で俺の足元に勢いよく倒れこむ。
「ルーチェ!」
「だい、じょうぶですわ……。転んだだけです旦那様」
言いながら彼女は立ち上がり、臨戦態勢をとる。
見据えるは眼前。青黒い魔力を帯びた、一振りの剣だった。
「え……? なん、だ、アレ……」
荒々しい。
毒々しい。
禍々しくて――――神々しい。
それは所謂、一つの魔剣の完成形。
神から成る時代と人が造る時代の間に生まれた、転機となる一振りだと、唐突に理解できた。
「ヒ、ナ……?」
その名を、魔剣ヴァルヒナクト。
脳内へと次々に、彼女の情報が流れ込んでくる。
「――――ッ!?」
ゆるやかに二度寝へと落ちていくときのような。
ぴりぴりとした、意識を一瞬一瞬刈り取ってくるような感覚に襲われる。
おにいちゃんの役に立ちたい。
私が一番役に立ちたい。
おにいちゃんは私を戦闘に連れて行ってくれない。
私は剣なのに。
魔剣なのに。
強いのに。
役に立つのに。
使ってよ。
振るってよ。
私を便利に使いつぶして。
それでも、いつまでもいつまでも使い続けてよ。
おにいちゃん。
おにいちゃん。おにいちゃん。おにいちゃん。
私が。絶対。
あなたの。
あなたの刃に、なるから。
「なっ……!? ヒ……、ナっ……?」
頭を抑え、何とか意識を保つ。
なんだこれ……?
これは……、アイツの想いなのか……? 魔剣としての、きもち、なのか?
でも、どうして、今……! というか、この現象はいったい……?
「うく……」
「旦那様!」
よろめきをルーチェが支えてくれる。けれどその隙を狙ったのか、鋭き魔剣は飛来し、俺の眼前へと迫ってきた。
「ッ!!」
刃が鼻先に届く――――よりも先に。
「ゴシュジンに近づくなッッ!」
ベルの大ぶりな蹴りにより、魔剣は再び壁際へと離される。
「殺すッ!」
ルーチェと違い、ベルはかなり血気盛んだ。
こちらに留まることはせず、蹴り飛ばした魔剣の方へと跳躍する。
そして……、魔剣と魔竜は激突した。
「がるる……!」
らせん状に回転しながら、爪と剣はぶつかり合う。
ベルの目……。アレは、本気であの剣を破壊しようとしている目だ。
「待て、ベル……、ベル……!」
「旦那様、落ち着いてくださいませ!
大丈夫ですわ。おそらくあの二体、早々に決着はつきません」
「けど……!」
「今の状況……、把握しましてよ。説明をいたしますわ」
「え……、マジかルーチェ!?」
「えぇ。同じような存在ですので。何となくは、ですが」
ルーチェは戦いが行われている方を見つつ、説明を開始した。
「おそらく現在ヒナが陥っている状態は……、『闇抱き』だと思われますわ」
「ダーク、トランス……?」
聞いたこと無い単語だ。
高等な魔法用語なのだろうか。
「いえ。これはどちらかと言えば……、三人娘用の単語ですわね」
今ネーミングしましたしとルーチェはこぼし、続ける。
「今の彼女は……、『悪』の部分が色濃く出ている状態ですの。
我ら三体は、通常の生物ではありません。なので、人格が破綻することもあれば、闇堕ちすることだってある」
「そんな……。ヒナ……。ベル……」
中空を飛び続け、衝撃波を出す魔剣。それをなんとか掻い潜り、鋭い爪を振るう魔竜。
あの状態を……、止める術はないのかよ。
「まぁざっくり言えば、拗ねているだけですわ」
「す、拗ねている?」
「簡単に言えば、ですけれどね。勿論、拗ねているというにはあまりにも可愛げがなさすぎますわよねぇ」
ふぅと呆れるルーチェを掴み、俺は激しく質問をした。
「つまり、どうすれば良いんだ!? ヒナは、元に戻るのか!? なぁ!?」
「だ、大丈夫ですわ! 今は負の感情が強すぎて、あっち側に傾いているだけですから!」
「そうなのか!? じゃあ、はやく元に戻す方法を教えてくれ!!」
「落ち着いてくださいまし――――旦那様!」
ていっと足払いをされる。
俺はその場に尻もちをつかされそうになり……、その直前で体制を元に戻してもらった。
また直立に戻った俺は、「すまない」と頭を下げる。
「それだけ想っているということですわよね。大丈夫ですわ」
仕切り直し、ルーチェはその、元に戻す方法を口にした。
それはとても単純至極。
分かりやすい方法である。
「あの魔剣を……、倒せばいいだけですわ!」
「あぁくそ……。そうかよっ!」
なるほどなるほど。
誰が聞いても間違えようがない方法だ。
理屈は単純で。
成すことは、とても簡単にはいきそうもなかった。
神代の終わりに鍛造された魔剣。
ぼんやりとその単語だけが頭に入ってきただけで、正直それが何を示しているのかは分からない。
神の時代の剣なんて、おとぎ話存在だ。
勇者や魔王という単語ですらも、そこに足を突っ込みかけているというのに。それよりも更に、もっともっと昔の話。
その時代に、物質として、もしくは概念として生まれ落ちたのが、魔剣ヴァルヒナクトなのだ――――と仮定して。
「だから何だって話なんだが……?」
「まぁ、分かったからと言って、攻略の糸口にはなりませんわよねぇ……」
俺は頭を抱えつつ、ルーチェは臨戦態勢をとりつつ、そんな会話を交わす。
そしてそんな折、突如としてこちらへ、魔剣が一本飛来してきた。
「旦那様ッ!」
パン! と、軽くルーチェは腕で弾く。
ん……? 軽い動作で弾けた? ヒナを?
「いいえ……。本体ではありませんわ」
「本体って……、あ、アレは!」
剣が飛来してきた方向を見やると、そこには、人間のカタチをしたヒナが宙に浮いていた。
いつもと同じサイズの、小さな幼女の姿――――だが、決定的な違いがいくつもある。
一つは、今までと持っている剣のサイズが違う。
デザインはさほど変わっていないものの、自身の身長ほどの大きさまで膨らんだ大剣を、両の手に二本携えていた。
二つ目は、纏っている魔力。
これまでの戦いでは、静かな気配を発するのみだったはずだが――――今はベルもかくやと言わんばかりに、激しい闘気を纏っていて。
先ほどモンスターを殲滅せしめた時と同じく。
何本もの疑似魔剣が、ヒナの周囲をひゅんひゅんと旋回していた。
そして三つ目に。
俺を、俺たちを。
敵として見ている、闇の目だ。
眼鏡は無い。
俺たちの間を遮るものは何もなくて。
ただただ殺気に満ちた瞳が、俺を射貫いていた。
「――――ヒナ」
俺は。
俺はどうしたら……、
「何にせよ。戦況は三対一ですわ旦那様」
凛としたルーチェの声で、はたと我に帰る。
俺の顔をしっかりと見上げて、小さな幼女は続けた。
「我々二体と一人で、彼女、魔剣ヴァルヒナクトを鎮静化する。それが最大目標でかまいませんわよね?」
「……おう」
俺を物の数に入れないでくれと言いたいが、流石にこの状況で口にするのは憚られた。
今はどんな奴の力でも借りたいだろう。
居ないよりはマシくらいだろうけれど、やれることはやってやる。
俺の頷きを聞いて、ルーチェは「かしこまりましたわ」とつぶやいた、後。
神妙な顔つきで戦場を見て、言葉を続けた。
「ただ――――いざとなったら、逃げてくださいませ」
「いや、それは……」
「それが、我々の願いですわ。おそらく、ヒナも含めて」
「……」
俺に救われたと言ってきた、謎の概念幼女たち。
けれどその根底にあるのは、俺の役に立ちたいとか、そういうコトの更に先に――――今度は俺の命を救いたいというのがあるのだろう。
偶然とはいえ、俺はこいつらの命を救ったかたちとなる。だから。
最大限の恩返しのカタチとは、俺の命を救うコトなのだ。
自分たちの、
命に代えても。
「…………けど、俺は」
一旦言葉を区切ってから。
意を決して、彼女に言う。
「俺は……、そんな自己犠牲、頼んでないからな!」
「旦那様……」
お前らが死んでも俺のせいじゃない。……なんて、強いメンタルは持ち合わせていない。
この状況でそんなことを言えるヤツが居たら、感謝なんて受けて良い立場じゃねぇよ。
俺はそんな上等な人間じゃないけれど。
それでも、一度こいつらとパーティを組むと言ったんだ。
だったら、何もできなくても、何の役にも立たなくても。
――――見届けないと。
そして、救えるのなら救わないと。
「頼んだ、ルーチェ! ベルとヒナと、帰って来てくれ!」
「かしこまりましたわッ!」
そう勇ましく返事をしたルーチェは、ダンッと地面を蹴って戦いに加わった。
俺では彼女らの力になれない。
戦いを目で追うことすらも難しいかもしれない。
だからせめて……、
「ちゃんと……、見届けてやるからな……!」
俺は。
絶対にこの場所から逃げないと。
腹をくくった。
わたしの。
いやな ところ を しげき しない で。
「うらぁ! 止まれヒナッ!」
「――――、」
空気を割いて、ベルアインは飛んでくる。
私目掛けて一直線。
軌道も動作も丸わかり。――――だが、それを回避できる手段はない。
あまりにも力強く、素早い一撃を、私は何とか受け止めていなし返した。
「じゃま……、しないで」
おにいちゃんのところへ行かなければならないのだ。
私は。何としても。
あのひとのやくにたたなければならない。
「手荒くいきますわよッ!」
更に上から、今度はルーチェリエルの打撃だ。
全概念体重を乗せた、拳による物理の一撃。
とてつもない衝撃が、私の身体を襲った。
「ぎぃ……ッ!」
「この――――やろうですわぁぁッ!」
なんとか無理やり弾き返すも、今ので大剣の一本が砕けてしまった。
そしてその衝撃で地面へと叩きつけられる。
「ほん、と、に……、」
すごいなぁと。
私は思う。
こんなすごい力を、おにいちゃんのために使ってあげられる。
こんなすごい力を、あのひとに見せられる。
「いい……なぁ~…………」
わたし も べんり に。
つかって もらいたい なぁ。
「……ッ!」
瓦礫を乱雑に蹴とばしながら、私はターゲットを探した。
土煙で周囲が見えない。
気配はあっちの方だと分かるのに、繋がってるのは分かるのに。
目で見えないと、こんなにも不安だ。
「おにい、ちゃん……」
旋回している剣を、全て地上へと降らせた。
数を撃てば当たるかもしれない。
私は、こんなにも強いんだ。
こんなことも出来るんだ。
分かる?
分かってくれる、かな?
「ころしてみれば……、わかってくれるかな」
一本一本が、致命傷でしょ、ニンゲンにとっては。
だから。
だから、だから、だから。
あなたを殺すことのできる、私を褒めて――――
「ぐっ……、な、なに……」
右手を見ると。
砕けたのは剣だけではなく、私の腕部分もだった。
まるでニンゲンの身体のように、血を流していて。
「これ、が……、」
人間なのだろうか。
私は人間として、あの人の傍で生きるのだろうか。
生きて良いのだろうか。
「そんなの……、分かりませんわよ」
「そうだぞ、ヒナ」
煙が晴れて。
二体の姿が、そこにはあった。
彼女たちは。私と同じように。
肌は破れ、血を流し、身体を痛めて、そこに立っていた。
その姿はヒトで。
でも、ヒトじゃないかもしれなくて。
剣で、魔法で、竜で、おにいちゃんは、ヒトで。
「う……、あ、ぁ、ぁ、」
私は。迷ったから。
ベルちゃんとルーチェちゃんの顔を、見上げる。
自然と私の装備には。
眼鏡が戻っていたことに気づいた。
そうして。
つんざくような。
おにいちゃんの声が、きこえる。
大量の剣の一本は、俺の元へと飛来する。
ルーチェやベルにとって。それはなんのことも無い一本。
本気を出さずともはじき返すことのできる、ただの魔剣に過ぎないだろう。
けれど、俺にとっては、絶体絶命の一撃だ。
刺されば致命。
受ければ即死。
天より降り注ぐその凶刃は、確実に俺の生命を奪うだろう。
「だ、から……ッ!」
奪われないためには。
こちらも反撃をするしかない。
「うぉ、お、お、お、お……ッ!!」
お守り代わりに握りしめていた、剣を。
眼前へと掲げる。
敵モンスターの攻撃を受ける時と同じ動作。しかしながら、邪気を帯びた魔剣の前では、並みの剣では太刀打ちできないだろう。
砕かれ、
折れる。
そう―――普通ならば。
「おぉぉぉッ!!」
けれど今、このときに限っては。俺の剣は普通ではない。
アイツらに吸わせるだけの魔力が、このフロアに居た大量のモンスター分だけ、蓄えられている。
「あとは……!」
――――交点を、見誤るな。
流星にも似た軌道は止まらない。中空を滑るように、空気を切り裂きやってくる。
衝突まであと、一メートル、五十センチ、二十センチ、三センチ、そして、
「うっっっ…………らぁぁぁぁあああッッ!」
剣と魔剣はかち合う。
ビィン! と、金属ではないような音が響いた。
おそらく魔力同士がぶつかったからなのか、それとも魔剣だからなのか。何にせよ、俺の身体は弾き飛ばされず、飛来してきた魔剣だけを、何とかいなすことに成功した。
「うッ……、ぎ、」
けれど突如として、両腕に痺れアリ。
肘の下からじくじくと熱が上がってくる。
「いってぇぇぇぇぇッッッ!!」
時間差で、先ほどの魔剣の魔力が一気に襲い掛かってきた。……うお、めっちゃ痛いぞこれ。
「で、でも……、なんとか無事だった……な……」
腕どころか全身に伝わっていく痛みに顔をしかめつつも、俺はどうにかこうにか、この足で立っていることを確認する。
……いやマジで。絶体絶命の状況を終えたあとだから、自分が立っているのかどうかが分からなくなっていたのだ。
荒げた息は、しばらく収まりそうにない。
けれど――――無事である。
それは、今の一瞬で十分理解できた。
だから……だったら!
俺にはまだ、やらなきゃいけないことが、あるだろう。
土埃の中。
アイツらは今、どうしているのだろうか。分からないけれど。
伝えなければならないことが、ある。
俺の気持ちを。
きちんと。
「……すぅ、」
息を大きく吸い込んで、ベルにもルーチェにも……そしてヒナにも聞こえるような大声で、
とても情けないことを。
叫ぶ。
「俺に重荷を背負わせるなぁぁぁぁッッ!!」
俺は。
そんなに心が丈夫じゃない。
いつ折れるか分からない。
だから――――
「だから――――、三人とも、生きて帰ってきやがれぇぇぇぇッッ!!」
広いフロアに。
情けないオッサンの声だけが、こだまする。
「ヒナぁぁぁぁ! 聞いてるかぁぁぁぁ!?」
徐々に晴れていく土埃の中。
小さな……吹けば飛ぶような、幼女のシルエットを確認する。
俺はそいつ目掛けて、大きな声で、思いを伝えることしかできない。
「お前の事、大事だぁぁぁッ! 一緒に居て楽しいから! だから、元に戻ってくれぇぇぇぇッ!!」
前に俺はこう言った。
俺たちはパーティを組むんだから。
いっぱいっぱい、迷惑をかけていい。
「俺が悪かったのかもしれない! そっちが悪かったのかもしれない! 正直今、俺には理由が見えてないから分からない!」
今日のことも。
今までのことも。
もしかしたら明日起こるかもしれない大事件だって。
いつの日か、笑い話にできる時がくる。……かもしれないから。
「だから、教えてくれ! お前の事、お前らの事!」
俺もアイツらのことを、知りたい。
パーティを組むんだから。ちゃんと知っておきたいんだ。
「だから――――」
土埃が晴れて、はたと目が合う。
そこには。黒い髪の、大きな眼鏡をかけた、
穏やかな空気を持った、一人の……小さな女の子が、涙ぐんでいた。
「帰って……、いっぱい話そう」
「おにい……ちゃぁん……!」
大粒の涙は、遠目から見ても、温かみを持っていると分かる。
傍らに立つ二人に支えられ、ヒナは元の意識を取り戻したのだ。
「わた、し……は……、」
泣きじゃくるヒナを、ベルとルーチェは笑顔で抱き留めていた。
なんとか……、なったのか、な……。
「しかしほんとに……、我ながら……」
呟きながら、腰をすとんと落とす。
はぁ、はぁ、と、息すらも整わない。
「なっさけねぇ~……」
大声を出しただけで息切れする。
このフロアに入って、何分だろう。まだ一時間も経ってないんじゃないか?
けれど。
もうこのオッサンはな。
精神的には満身創痍だし、大声出しただけで疲れるし、鍛えても鍛えても衰えていくしで、大変なんだ。
こんな男……、三人居ないと、守り切れないと思うぞ?
「苦労するぞ~……、あいつら……」
緊張感から解放され、肩の力が抜けていく。
大きくため息をついて――――俺は。
「支えてやんねぇと、な……」
いっそうアイツらと共に過ごすことを、胸に誓うのだった。
程なくして、俺はヒナたちの元へと駆け寄る。
三人はすっかり元のテンションに戻りつつあり、いつものようにこちらを見上がてくれていた。
「おにいちゃん、ありがとう」
「いやいやこっちこそ。……頑張ったな、ヒナ」
「……えへへ」
ヒナはぎこちなく笑いつつも、こちらへと歩み寄る。
眼鏡の奥と完全に目が合った瞬間、そういえばと唐突に思い出した。
「そういえば魔力与えておかないとだよな……。みんな、腹減っただろ?」
「あ、そうだね。そう言えば私たちは、それが目的だったんだっけ」
「そうだったな! 思い出したらお腹減ってきたぞ!」
「優雅に舐め取らせていただきましてよ?」
うん。……まぁルーチェのセリフはあまり意識しないようにしておこう。
そうして。いつものように、日常会話へと戻ろうとした――――直後だった。
ズズズ……! という、地鳴りにも似た振動が、フロア全体に響き渡る。
空気を伝い、周囲の魔力がとてつもなく膨れ上がっていくのを感じ取った。
三人娘も即警戒態勢にうつった。そのとき。
「ゴシュジン! なんだ、あれ!?」
「モンスターが出現しようとしている!?」
ベルの声がした方向を見ると、ここに入った時と同じように、どんどんとモンスターが発生していた。
しかしそれらは、全て同一個体だ。
顕現したかと思うと、それらは硬質化した翼をばたつかせ、ダンジョンの天井へと飛翔していく。不気味な眼を光らせ、一点にどこかを見据えていた。
「アレは……、ガーゴイルか!?」
翼を持つ石像のモンスターで、硬質化した爪と牙を持っている悪魔だ。
俺も見るのは初めてでは無いし、体長は一体百六十センチ~二メートルほどと、大型の魔獣と比べると大きくはない。……が、
「数があまりにも多すぎる……」
この部屋はとても広い。つまり、天上の面積もその分だけ広いということで。
そんな天井面が完全に見えなくなるくらいまでに、びっしりと敷き詰められていた。
そして奴らは、けたたましい鳴き声を一斉に発したかと思うと――――ダンジョンの天井をがんがんと叩き出した。
「な……!?」
本来ならあり得ない事態が、巻き起こる。
叩いた衝撃によるものなのか。はたまた違う要因なのかは分からないが……、ダンジョンの天井が、がらがらと崩れ去ったのだ。
前提として、ダンジョンは砕けない。破壊されない。
しかしこの場所は、イレギュラーだらけだ。
過去に何度かあったという、ダンジョン内のモンスターが外に出てしまったという事件。もしかしたらその事件も、こういう風に起こったのかもしれなくて。
「…………えっと」
赤い。
夕日が俺たちを包む。
そしてそれと同時。
ばさり、ばさりと。ガーゴイルの集団は、ダンジョンの外へと飛び去って行く。
「――――はっ、」
久方ぶりの外気が、あまりにもな光景を目の当たりにして呆けてしまった俺の思考を、元に戻す。
渡り鳥の群れが大移動をしているかのような光景で、それがどうやら良くないことであると、やや遅れて理解した。
「あ! まずい!」
外の状況を把握するのが遅れたが、あの方向はオフニーグルの街方面だと思う。いや、仮にそうでなくとも、外を行く一般人に被害が出てしまう可能性もある。
「追いかけねえと! ……でも」
どうやって!?
あのガーゴイルたちはそこまで速度は出ていないものの、走りでは流石に追い付けない。
「つーかイレギュラー続きすぎる……」
過去にも、ダンジョンの外にモンスターが漏れ出てしまったケースはあるらしい。
そのときは確か、散り散りになったモンスターを掃討するため、軍が動いたとかなんとか……。
俺にそんな働きが出来るとも思えないし――――
「旦那様! 追いかけますの!?」
「あ、あぁ。まずは追わないといけないな。だけど……」
手段が無いんだよ手段が。
ダンジョンはすでに、完全に消滅しかかっていて、元の草原地帯に戻りつつあった。
あたりを見回すも、都合よく馬車などは無い。そもそもここにたどり着くまで徒歩なのだし、旅の行商人でもいない限り、人より早く走れる生物なんていないだろう。
「大丈夫だ! ベルなら追いつけるぞ!」
「いやお前だけ追い付けても……、え?」
「おにいちゃん。あのね、試してみて欲しいことがあるんだけど」
「ですわよ旦那様! さぁ! 今こそパワーアップのとき!」
「え」
え。
――――え!?
そうして。
俺のプレートは、再びプラチナの輝きを見せることとなる。
空気は強く、冷たく、厳しい。
ドリー・イコンはこの日。
英雄となった。……のかもしれない。
「うぉ、ぉぉぉ、ぉぉぉぉ……ッッ!! は、はやい……! こわい……!!」
『大丈夫だぞゴシュジン! 振り落とされることは、絶対無いからな!』
「そうだとしても、こわ、い……!!」
あれから三分後。
現在俺は、夕暮れの空を舞っている。
舞っているというか――――超速飛行をしている。
「空気は痛くないけど、た、ただただ怖いぞこれ! お前いつもこんな風景を見てるのかよ!」
『慣れれば楽しいぞゴシュジン! あはは!』
『ヒナたちもついてるからね!』
『根性ですわ!』
「……ッ!!」
俺の今の状況を説明すると。
ドリー・イコンは今。
魔剣・ヴァルヒナクト、
魔竜・ベルアイン、
魔法・ルーチェリエルを、装備していたのであった。
以下、回想。
アンド、超絶テキトーな説明だ。
『ベルたちを……、装備する? 乗るだけじゃなくて?』
『そうだ! ガイネンとして、一体化しよう、ゴシュジン!』
『???』
『さっそく入ってみますわよ! ――――えい!』
言うとルーチェは、黄色い光の玉となり、俺の身体の中に入ってきた。
『おわぁ!? な、なんか……、ルーチェを俺の中に感じる……!?』
傍から聞くとヤバイやつの発言みたいだがともかく。
なんか、俺の中にもう一概念入っている感じがして……、とてもその、異物感がすごい。
『いいなあルーチェちゃん!
おにいちゃん私も! 私も握って握って!』
ぽん! と可愛らしい音とは裏腹に、邪悪なオーラを纏った魔剣に変身するヒナ。
言われるがままに俺もそれを持つと、ただ持っただけではなく、この魔剣が俺の一部であるかのような概念が入り込んできた。
『な、なんだ、この感覚?』
『ゴシュジンはベルたちと繋がったって言っただろ? だから、こうやってベルたちを、支配下に置くことが出来るんだ!』
『支配下?』
『簡単に言えば、レーゾクだ。あれ? ドレイだっけ?』
『所有者でしてよベル』
『そうだよおにいちゃん! 別名せいどれ――――』
『ヒナさんそれ以上はいけない!』
以上。説明パート終わりだ。
「…………あれ!? 全然説明されてなくない!?」
俺が幼女に危険な単語を言わせないだけで終わってしまった。
その後も、竜に姿を変えたベルにまたがって、飛翔しただけだしな……。
「えー……、つまりまとめると。
今お前らは、俺の装備や能力、はたまた『概念として一体化』しているため、俺の意のままに動く……ってことでいいのかな?」
『おおまかにそんな感じだよ!』
『だいたい合ってますわ!』
『難しいことはよくわかんないぞ!』
「不安しか生まれなっったですね!!」
ただ、とにかくだ。
今は未知の力でも何でも良いから、使っていけるものは使って行こう。
ぶっちゃけ手段を選んでいる時間はないわけだし。
それに――――
「それに、お前らの事。信用してるからな」
『おにいちゃん?』
「何が何だかよくわかんないけど――――お前らが、俺の力になってくれるはずだから。
……だから、お前らの力を信じてる!」
凍てつく空気は。
決意に後押しをしてくれる。
「改めて三人とも、よろしく頼む。
あの街を守るため、力を貸してくれ」
『うん!』『おう!』『ええ!』
三者三様の返事を胸に、
魔竜を駆り、魔剣を携え、魔法を纏う。
俺は。
今から見るこれからの光景を、一生忘れることは無いだろう。
人生のターニングポイント。
もしくは、折り返し地点からのやり直し。
ドリー・イコンという人間が、この先どうなっていくかを決定づける、激戦が幕を開けた。
街に災いが降り注ごうとしていた。
鮮やかな夕暮れが迫る街の午後。
山間の向こうから、大量の石像モンスターが飛来する。
それを、街の人々は、どんな目で見ていたのだろうか。
当惑。竦み。怯え。――――恐怖。
混乱は狂騒を呼び、混濁の渦を巻き起こす。
けたたましく鳴くガーゴイルの声が、追いかける俺の耳にも届いた。
――――だから。
「『ルーチェリエル』ッ!」
左手に魔力を収束させ、一気に放出させる。
すると目の前の空間は、神聖なる光と共に、瞬間昼間かと見紛う明るさに見舞われた。
厳密に言えばルーチェリエルは最上位の防御魔法だ。今放ったこの魔法は、ルーチェの魔力を使って、魔力の塊を飛ばしただけに過ぎない。……のだが、それでこの威力は凄まじすぎる。
『イイ感じでしてよ、旦那様♪』
「お、おう! ……強い魔法使うのって、こんな感じなんだな」
器用貧乏タイプで生きてきたから、色んな種類の魔法を使えはすれど、大きな一撃を放ったことは無かった。
なんつーかこう……、毛穴が開いていくというか、血管が広がるというか……。
『デトックス効果というヤツですわね?』
「絶対違うと思う!」
最上位の光魔法を放つ健康法が、あってたまるか。
「とにかく……。よし、次に行くぞ!」
はじけ飛んで行くガーゴイルらの残滓を目で追いつつも、次の集団へと目をやりベルを駆る。
街の混乱は加速する。が、中には俺の姿を発見した奴らもちらほらいるようだ。
「なんだアレ!?」「人……、冒険者か?」「軍の人なんじゃないの!?」「いや、軍の人間はまだ出動していないだろう?」「アレもモンスターたちの親玉か?」「速くてよく見えないな」「ドラゴンじゃないのかあれ!?」「魔法打ってたぞ! 大丈夫なのか!?」
「……なんか、余計に混乱させている気がするが」
まぁ今は仕方ない。
説明や事態の理解は、この件が収束した後、存分に行おう。
「行くぞ! ……ベルアイン!」
『おう!』
駆る魔竜へと指示を送る。
ガーゴイルの集団の真ん中へと突っ込んで行ったかと思うと、ベルはその大きな口からたちどころに炎を吐き出し、凶悪な石像たちを燃やし尽くした。
『いくぞォォォ!!』
咆哮と共にがぱりと口を空ける。
一つ。また一つと、石像は粉々に噛み砕かれていき、ぱらぱらとその残滓は中空を舞った。
『大勝利だ、ゴシュジン!』
「よくやったぞ!」
首を曲げてこちらを振り向くベルに、俺は親指を立てて答える。
くるると心地よく喉を鳴らし、魔竜は次のターゲットへと視線を移した。
『ゴシュジン! アレ!』
「うお、まずい!」
現在ガーゴイルたちは、街の上空を漂っている状態だ。
だからまだ街の人たちに害は出ていないのだが……、ここだけは話は別だ。
周囲を見渡すための鐘付き塔だけは、他と比べて背が高い。
ギリギリまで見張っていたであろう軍の男性が一人残っていて、今にも石像の集団に襲われそうになっていた。
「――――間に合え!」
ベルに指示して空を駆ける。
しかしそれでも間に合わない。狂爪は、今にも彼の身体を引き裂こうとしていた。
魔法をぶっ放すと、鐘付き塔ごと吹き飛ばしてしまうからアウトだ。それに男性が無事だったとしても、残骸が街へと降り注いでしまうだろう。
『旦那様! 狙ってくださいまし!』
「狙う――――そうか!」
『コントロールはお任せを!』
今の俺と、そしてルーチェなら出来るはずだ。
意識を魔法に移し、大魔法『ルーチェリエル』を起動する。
先程の、広範囲殲滅の魔法ではなく、一点狙い。
超高威力の魔法を、細く、細く、練り上げるイメージ。
熱。波。うねり。そして、ルーチェのコントロールを信じる。
「『発射!」ですわ!』
一線。もしくは、一閃。
細い糸のように空を切る大魔法は、うねりを上げて鐘付き塔へと発射される。
街並みの屋根の旗を避け、塔の格子を避け、軍の男――――の、わずか数ミリ横を避け、その先にあるガーゴイルの腕を細く穿つ光の閃。
神聖なる魔法に触れたが最後。
その体を悶えさせながら、ガーゴイルは中空で灰と化して消えていった。
そして第二波を食い止めるため、ベルの炎をまき散らす。
鐘付き塔は無事守りきれたみたいだった。
「早く下に!」
「あ……、ありがとう! アンタ、冒険者か!?」
「おう。後でいっぱい報酬くれ! 無事でいろよ~!」
安心させるための軽口を叩きつつ、俺は引き続きオフニーグルの街を旋回する。
日は沈む。
夜になると夜目が効かないこちらが不利だ。なので、そろそろ決着をつけなければならない。
「――――ヒナ、いけるか?」
『うん。任せて、おにいちゃん』
いっぱい。
役に立つからね。と。
可愛らしくも頼もしい声が聞こえて。
魔剣の嘶きが。
聞こえる。
鮮やかな雲が、風と共に流れていく。
夕暮れを舞いながら俺は、周囲の魔力濃度が高まっていくのを感じていた。
『魔剣、始動。秩序封印、解除』
それは、魔力の暴風雨だった。
俺の周りにだけ、嵐が巻き起こっている。
『何があっても絶対振り落とさないからな、ゴシュジン!』
『防御はお任せあれですわ! 根性ッ!』
ベルとルーチェは飛行し、敵を少しずつ減らしていく。
俺とヒナは魔力を通わせて、ただひたすら集中していた。
『――――原点回帰。
形天海、不要。帯着土、否定。不確定凝固光、完全無効』
魔力は高鳴る。渦を巻く。
幻想的。もしくは蠱惑的なまでの魔力粒子が、俺たちの世界の全てだった。
『帰還域世観から、不帰還域世観へ。
密接世界域の膜を持ってして、全ての物質を無に帰さん』
かつて。
世界が歪みに満ちたとき、一つの剣が産み落とされたという。
それは世界を滅ぼし、時に世界を救い、混沌も秩序も、善も悪も超えたところに、概念として穿たれていた、至高にして究極の一振り。
「いしきが……」
流れ込んでくる。
神々。よりも、更に前の時代なのか。
断片的な魔剣の記憶が、俺の頭の中を駆け巡る。
魔王――――のような、ナニカが見える。
一振りで破滅。一閃で殲滅。
一刺しで消滅し、一夜にして壊滅を与える魔の剣が、そこにはあった。
「――――関係ないね」
過去に何があったのか。どんな扱いをされていたのか。また、どんな封印を迎えたのか。
そんなものは、すでに俺たちには関係が無い。
魔剣ヴァルヒナクトは新生され、
今はこうして、俺と共に面白おかしく生きている女の子だ。
こんなにも、あまりにも可愛らしい、幼女なのだから。
「その名は、魔剣・ヴァルヒナクト!」
『世界に陰りと混沌と、そして――――』
きらめきと共に。
彼女は高らかに、勝鬨を上げた。
『おにいちゃんに、勝利をもたらす希望の剣だ!!』
俺は。
魔力を纏い、竜の背中に悠々立って、
剣を構えた。
風景が。空間が。
とてもスローモーに見える。
迫り来る爪も。邪悪な翼も。
魔力の残滓も。遠くの風景さえ。
全部が等しく止まって見えたような気がした。
「おぉぉぉぉッ!!」
咆哮を上げる間さえも、時間は止まっているように思える。
自分の瞳孔が開きっぱなしなのが分かる。
体中の血液が沸騰したように熱く、その中で、内側で、更に何かが回る。
今までに感じたことの無い、魔力の昂り。魔力の流れ。魔力からの――――支配。
頭の先から爪の先まで、きっちりくっきりと神経が通っているみたいで。その神経すべてに、さらさらの魔力が流れているような、そんな感覚。
――――器用に。
小器用に。
いつものように、魔力を使い分ける。
罠解除の要領で、ルーチェに。初級攻撃魔法の要領で、ベルに。回復や解毒魔法の要領で、ヒナに。
鋭敏になった肌感覚と、日常的に使ってきた魔力が、親和性良く回り始める。
配分。使い分け。切り替え。
約四十年間使い続けてきた身体と思考の癖は、とてもありがたいことに、意識的と無意識的の間で、上手いことソレを実行してくれていた。
時間は――――まだ動かない。
鮮明なのは、意識だけ。
止まった時間の中で、感覚と意識だけが、光速で動き出しているのを感じる。
「オォォォッッッ!!」
もう何体目かも分からない、ガーゴイルを両断する。
しかしながら恐ろしい。一撃でも、一体でも切り損ねたら、即アウトになるゲームをしているようなものだ。
今沸き上がる熱量に名前をつけるなら、間違いなく『勇気』である。
それくらいに今俺は、危うい綱渡りをしていると自覚している。
「けれど――――」
ベルもルーチェも、勿論ヒナも。
俺の味方で、力になろうとしてくれている。
だから俺も、前だけを見据える。力を、行使し続ける。
「はぁぁぁぁッ!」
両手で握りしめる魔剣を振るう。
一撃一撃が途轍もない膂力。
一斬一斬が並外れた破壊力。
次々と襲い来る魔物たちを、それを上回る速度で動き、一刀の下に切り伏せていく。
すでにベルの速度は最大だ。
目まぐるしすぎて目が回る。
超高速戦闘の世界に、今、俺はその身を置いている。
ルーチェの魔法支援により、視野は異常なほど広がり、この広大なまでの空にいるのに、隅々まで情報が頭に入り込んできた。
とにかく、今の俺は強い。
人でありながら、ヒトではなくなったかのように。
こいつらが見ている世界。
ヒナが見ていた世界。
そしてこれから、俺が見ていくかもしれない世界だ。
「おっ、お、お、お、お、お、お………………ッッ!!」
のう の しょり が、
おいつか ない。
ヒトの身でありながら、ヒトではないモノの力を振るっているのだ。そりゃあ、のうも、からだも、だめになる――――
『ゴシュジンッ!』
『旦那様ッ!』
「……お前ら!?」
ヒナの力に押しつぶされそうになっていた俺の意識を、彼女らの声がせき止めた。
『おにいちゃん! 大丈夫だよ! 使って!』
「ヒナ……」
『何があっても、おにいちゃんを闇には引き込まないから!』
一瞬の後。
闇抱きが思い起こされる。
「……はは、大丈夫だ、ヒナ」
『おにいちゃん?』
「闇に染まろうがなんだろうが、俺はお前らと一緒にいるからな!」
――――あぁ、
元気は出た。
気力は戻った。
いいさ。やってやる。ここでやらなきゃリーダーじゃねえよ……!
「一滴残らず……、もっていきやがれぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」
最後の力を、全て魔剣へと注ぎ込む。
黒く。
黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く黒く……どこまでも黒色の魔力が唸り、膨大に膨れ上がったかと思うと。
それはまるで暴発するかのように魔力エネルギーを発して、全てのガーゴイルたちを消滅させた。
邪悪とも言えるどす黒い一筋の魔力光は、街の空を漂い、次第に霧散していく。
「………………あ、はは、は、やったの、か?」
あまりの威力に変な笑いが出てしまう。
その一瞬の後、手に残った熱が、任務達成への実感に変わっていった。
静かに空を舞いながら、俺はひと時、勝利の余韻に浸っていた――――
『あ、ヤバイぞゴシュジン』
「ん? 何が?」
ベルの言葉に俺が首を傾げると、後の二人も『あ、本当だ。まずいね』『そうですわね』と続いた。
『ベルたち……、今ので完全に力使い切ったみたい。この姿維持できなくなる』
「はい!?」
『もう……、無理だぞ~……』
疲労感のある声と共に、ぽんっという可愛らしい音がして――――三人の姿は、ニンゲン状態に戻った。
服は着ているな。あぁよかった。安心した。……などと思っている場合では無い。
ここは街よりはるか上空。
そう、空の上。
鐘付き塔よりも更に上へと上昇している高さなのである。
「………………は、」
人は……、この高さの落下から、耐えられるものではない。
だから。
「おにいちゃ――――」
「……大丈夫だ!」
俺は落下しながらも、冒険者バックから、みんなに上級者用アイテムを渡した。
「みんな! その石に魔力を通して、砕け!」
「うん――――!」
四つの音が、こだまする。
手に持った石が柔らかく砕けると同時。
俺たちの身体は淡い魔力に包まれ、ゆっくりと中空を舞っていた。
「わっ……! す、すごいですわ!」
「おぉ~……。翼で空を飛んでるときとは、また違う感覚だぞ」
「はは……。念のために、財産つぎ込んどいてよかったよ……」
それは。
飛翔の加護。
上級ダンジョンなどに発生する、飛行しなければたどり着けないような場所へ行くための、
――――とても高価なマジックアイテムである。
「最後の最後……、役に立ったな……」
苦い経験と共に、中空を舞う。
だんだんと降下しながらも、俺は隣を舞っているヒナと、手を繋いだ。
「ヒナ……」
「……えへへ」
彼女の脈動が伝わってくる。
眼鏡の奥の大きな瞳と、目が合った。
「ありがとう、おにいちゃん。信じてくれて」
「当たり前だろ、ヒナ。お前は俺の、仲間なんだから」
手は、重なる。
更に二つ重なって、四人になる。
魔剣と魔竜と魔法と、人間。
俺たちが救った街へと、
四人でゆっくり、着地した。
「さぁて……、なんて説明したもんか」
取り囲む喧騒。
向けられる視線。
降り注ぐ歓声。
帯びた熱。
ぼろぼろに薄汚れた身体で、しっかりと地面に立って。
俺は苦笑しながら、
前へと進んだ。
あのあと。
夕暮れと共に、俺たちは人々のざわめきに囲まれる。
「悪魔か!?」「反逆者だったのか!?」「いや、救ってくれたんだろ!?」「あれ冒険者のドリーだよな?」「まわりの幼女かわいくない?」「踏んで欲しい」「罵倒してほしい」「貢ぎたい」「匂いを嗅ぎたい」「孫の嫁にきてくれんかのう……」「あいつダンジョンで死んだとか言われてなかったっけ?」「いやレオス裏切って、一人だけ帰って来たんだろ?」「幼女の小さなおててはぁはぁ」「膝裏がえっちだよね」「軍の見解では、幼女は非常にえっちなのだと」「あぁ。幼女が三人そろってえっちなのは間違いない」「つまり幼女に囲まれてるドリーもえっちだということ?」「一縷の隙も無い完璧な理論ですね」「とりあえず通報しておこうぜ」「大丈夫だ通報しておいたぜ」
そんな調子で、ざわざわと言葉は踊っていく。
中には、魔法を操り、剣を振るい、竜を駆るその姿はが、まるで伝説にある竜騎士のようだったと言い出す奴も現れる始末で。
「いやそんなんじゃ無いから。なんだかんだ、高いところって怖いから」
「楽しそうだったぞゴシュジン」
「アレはハイになってただけというか何と言うか」
思い出しただけで胃のあたりがひゅっとなる。
概念的に落ちることは無かったとはいえ、万が一を考えると恐ろしい。
「――――で、何があったんですかね? ドリー・イコンさん」
「それは……、こっちが、聞きた……ぐぅ…………」
激闘を終えた後、ギルドへと報告に向かう。しかしながらその途中、俺は完全にダウンしてしまい、丸一日寝込んでしまった。
目覚めたのは次の日の夕方で。そこから夜に至るまでのこの六時間、ずっと喋りっぱなしだ。イレギュラーな事態を伝えていると、たちまちギルド側の顔色が変わっていき、糾弾は謝罪と補填に変わっていった。
「本当に申し訳ない。こちら側の調査が、あまりにも不完全でした……!」
「い、いやいや! 顔を上げて……!」
今回の騒動を紐解いてみれば。
結局落ち度は、ギルド側にあったようだった。
上級ダンジョンが発生したはいいものの、ランクが不確定なままに依頼書を登録。
本来ならば……数日前にギルドにてベルが倒してしまった、あのルーダス一味がこのダンジョンに挑む手はずとなっていたらしい。
……やっぱ落ち度は俺たち側にもあるじゃねーか!
まあただ、ベルに鎧を砕かれて瞬殺(殺してはいないが)されてしまったルーダスらが、あのダンジョンに足を踏み入れたとして、生きて帰ってこれたとも思えないので、そこは運が良かったとも言えるんだけど。
「とにかく…………………………あまりにもきつかった」
「ゴシュジンしなしなだな」
「フニャフニャですわね」
「かたくしてあげたいね」
「……言い方考えようね」
ともかく。
神経参ってるのです。
だから……、
「だからこんな封書に、目を通せる自信が無い……!」
部屋に帰ってみると、一通の手紙が届いていた。
それも表には、『出来るだけ早く見るように』という旨が書かれており、どうやら相当緊急のもののようである。
「仕方ないな……」
封を開けて見てみると、それは魔法屋からの呼び出しだった。
「魔法屋から……? 珍しいな。何だろ」
クエストに出る前、飛翔の加護含む、様々な高額アイテムを購入した。まさかその代金が足りなかったとかの督促だろうか。正直これ以上お金は払えないですよ、はい。
おそるおそる中を見てみるとそれは、遠隔対話魔法の連絡が入っているという知らせだった。
「おにいちゃん、遠隔対話魔法ってなあに?」
「あぁうん。離れたところにいても、特定の魔法波に乗せて、対象と話をすることができるんだ」
「魔法波?」
「俺も詳しい原理は分かってないんだけどな。とにかく……、街の魔法屋同士で話せたり、個人が持ってる魔法石に波を飛ばしたりと、色々方法はあるんだ。
まぁそのためには、別途、上級者用の高いアイテムを消費しなくちゃいけないんだけど――――」
説明しながらも書面を読み進めてみる。すると対話者は、誰あろう、元パーティリーダーのレオスだった。
「ん……? あ、やべ、マジか」
そういえばと思いたち、古い方の冒険者バッグの中を漁る。そこには、長年使っていなかった遠隔対話用の魔法石に、レオスからの呼び出し記録が残っていた。
「この間のダンジョンに行くときに、丸っと違うバッグに変更したからな……。前の荷物に置き去りにしちまってたかぁ」
しかも使う癖がついてなかったから、遠隔(略)石のことなんてすっかり忘れてた。
飛翔の加護とかと同じで高価だから、『使用する』という選択肢が頭から抜けていたのである。
「高級アイテムは持ってないと思ってたからなぁ。だからこそ、魔法屋で色々買い込んだんだけど」
……宝の持ち腐れとはまさにこのことだ。
まぁどのみち、アイツらの居るダンジョンとは離れているからな。魔法波が偶然キャッチ出来ただけで、取ってても対話は出来なかったと思うけど。
「なぁゴシュジン。
ゴシュジンの石の方に対話の意志を飛ばしても、意味ないんじゃないのか?」
「あぁいや……。同じダンジョン内くらいなら、相当階が離れたりしない限りは話せたりするんだよ」
あれから十日あまりが過ぎたくらいか。
レオスはまだ、俺が同じダンジョン内にいると思っていたのかもしれない。
けれど繋がらないものだから、街の魔法屋の方にかけて、呼び出しをしている……と。そんなところかな。
「魔法屋は、めちゃくちゃ強力な魔法石が設置されてあってさ。
ナグウェア地方全域で、遠隔対話が出来るんだ」
その分めちゃくちゃ石を消費するけどな。
一分対話するのに、通常の五倍くらいの量使うんじゃ無かったっけ。
「しかし……、そんなにまでして、俺に何の用だ?」
悲しいかな。俺の力なんて、もう必要ないと思うんだけど。
「というか、まだあのダンジョンにいるってことか?
あと三日か四日くらいで最奥だと思ったんだけどな」
まぁあくまで俺の目算だから、確かなことは言えないが。
しかし仮にそうなってくると、え~……、のべ十一日も同じダンジョンに居ることになる。そうなってくると精神的にきつそうだな……。
「仕方ない。面倒だけど行ってくるか」
「義理堅いですわねぇ旦那様は。自身もお疲れでしょうに」
「まぁ……そうも言ってられないしな」
ルーチェの言葉に、「それに」と付け足して俺は返す。
「別にレオスが心配なわけじゃないさ。ここの魔法屋には世話になってるからな。行ってやらないとさ。この案件でずっと起こしとくわけにもいかないだろ」
違う街には昼夜問わずやってる魔法屋もあるらしいけど。
うちの街の魔法屋は、夜はぐっすり眠るじいさんだ。この時間まで起こしておくのは、あまりに酷すぎる。
「てなわけで、ちょっと行って――――え、着いてくるの?」
「こんな夜更けに、旦那様を一人で向かわせられませんわよ」
「レオスって、前に酷いこと言っておにいちゃんを追い出した人でしょ?」
「何か言われたら、ベルが言い返してやるぞ。場合によっては殺す。遠隔でもどうにかして殺す」
「……大丈夫だよ」
あとベル、むやみやたらと殺そうとしない。
お前闇抱きしてねぇだろうな?
「ただまぁ、そうだな。
俺とパーティ組んでるんだもんな、お前らは」
心配してくれるのは素直に嬉しい。
それじゃあ、護衛に着いてきてもらおうかな。
「よし行くか。終わったら軽くじいさんに紹介するよ」
言って俺は三人を連れ、もう一度外に出た。
街の灯りはまだ点いているとはいえ、どことなく夜が深いのが気になった。
「というわけで駆け付けました、ドリーです~」
クローズの看板がかかる魔法屋のドアを軽く叩くと、中から馴染みのじいさんが顔を出した。
マジックアイテムが散りばめられた売り場を抜け、奥の対話用の部屋へと通される。
俺用の椅子のほか、追加で椅子を更に三つ出してくれて、ロリ三人はそこにちょこんと座っていた。
意外なことに大人しい。まぁヒナは元から落ち着いているのと、ルーチェはこういう時には大人しくできるやつだからいいとして……。
「いやに大人しいなベル?」
「うん。出来るだけ穏やかにしてるんだ」
「ん? どうしてだ?」
「……いっぱい、食えそうなモノがあるから」
「あぁそういう……」
ドラゴンって、宝石とかも食えるって言ってたなそういえば。
マジックアイテムには、高価な宝石を組み込んでいるものも多数ある。なので、食おうと思えば食えちゃうのか。
「誘惑が多い……。心落ち着かせてるぞ……」
「おう、了解だ。……くれぐれも食うなよ」
弁償できないから。
「新しい嫁か? ドリー」
「違うし、そもそも俺に嫁が居たことはねぇよ……」
「ほっほ、そうじゃったかの」
相変わらずとぼけたじいさんである。
「そんじゃァ、わしは向こうにおるでの」と言い残し、遠隔対話用の魔法石を渡してくれる。
そこへ専用の魔法液を垂らすと――――懐かしの顔が中空に浮かび上がった。
『ッ!! ドリー……ッ!』
「お、おうレオス……。久しぶり、だな……?」
開口一番、レオスは俺をギラリと睨みつけた。
あれ? ……何だろう。とても殺気立っている。
目の下にも深い隈が出来ていて、髪もボサボサ、髭もまばらに生え散らかっていた。身だしなみには気を遣うヤツなんだが、どうやらそんな余裕はなさそうだ。
とてつもなく。
心中穏やかではなさそうで。
『ドリーてめぇ……、どっ、どこで、何して……やがるッ?』
「え? いや、こうして街に帰って来てるけど、」
『今すぐダンジョンに戻って来い……!』
「――――は?」
レオスは俺の言葉を待たず、怒気を強めて言った。
目を血走らせ、歯を食いしばり、懇願するような、それでいて攻め立てるような表情で、ヤツは魔法越しの俺を睨む。
『さっさとこのダンジョンに戻ってきやがれってンだッ!! おま、お前はッ、オレのパ、パ、パーティメンバーだろうがッ……!!』
「は、はぁ……?」
いやいや。意味が分からないんだが。
俺を追放したのはお前だろ……?
困惑しながらも俺がそう伝えると、歯ぎしりをしながら、そして音を詰まらせながら……、レオスは恫喝めいた口調で怒鳴り散らす。
『う、うるせぇ! 口答えしてんじゃねえぞドリーのくせに! いいからテメェは、さ、さっさと、ここに駆け付ければイイんだよッッ!
オレのいうコトに従え! オレの命令を聞け! 良いからオレを助け――――チッ……!』
吐き捨てるようにレオスは、最後の言葉を言い切らずに舌打ちをした。
……なるほど。プライドの高いヤツのことだ。
一度追放した俺に対して、『助けて』とは言いづらいよな。
「というか、何があったんだよレオス。そっちには俺以上の魔法剣士のユミナが居る。正直そのダンジョンの敵くらいなら、彼女一人居れば十分くらいじゃないか?」
『テメェ、何だその分析は? どうしてそんなことが分かる?』
「あぁいや……、別に」
ヒナたちの、あのダンジョンでの無双っぷりを見ていたから。なんというか、上限が分かれば、ある程度の分析が出来たというか。
ユミナのプレートは俺よりツーランク上の黒だ。
それがどれくらいなのかは分からないけれど……、軽く動き回ったヒナたちレベルの実力を持っているのならば、よっぽど特殊な環境に追い込まれでもしない限りは大丈夫だろうと思ったのだ。
ともかく。
「その……、俺なんかが居ても役には立たないだろ? 力ならガディが。回復はマルティが。遠距離攻撃はジューオがいるし、剣技でも俺はユミナどころか、お前にも及ばないし」
俺は先日、英雄視されるほどに大暴れをした。
けれどそれは、三人娘の力を借りてのことだ。俺自身の力ではない。
本来の俺の実力は、今述べた通り。万年Cランクで、イエロープレートの冒険者なのである。
言ってて悲しくなってくるが、事実だから仕方がない。
四十年近く生きてきて学んだことは――――、出来ることと出来ないことは、しっかりと線引きしなければならないということだ。
身の程を知る、ともいう。
俺自身は特別な人間じゃないから。
無理なものは無理だと、割り切る力が必要なのである。
『口答えするなドリーッ!』
「……怒るなよ。というか、お前も冒険者規定を知らないワケじゃないだろ?
安全面を考慮して、一度そのクエストを断念した者は、もう一度そのダンジョンに入るわけにはいかないんだよ」
パーティメンバー全員が帰還して、また同じメンツで、もしくは違うメンバーを募って再挑戦ということなら可能だ。
けれど今回の場合、レオスパーティの一人である俺は、単独でダンジョンを脱出してしまった。
これ自体に罰則はない。が、その代わり。そのときのパーティリーダーが帰還するまでは、同じダンジョンの敷居を跨ぐわけにはいかないというルールになっているのだ。
だから例えば、俺がレオスを助けるために、この三人娘を連れて駆け付けることは出来ない。
あのダンジョンに行ったことになっていない三人娘を向かわせようかと一瞬考えたが、途中で俺からの魔力が途絶える可能性もあるし、あまり俺からは離れられないのでそれも不可能だ。
「というか、何があったんだよ? 怒鳴ってばっかりじゃ、何も分からん」
『…………ッ!!』
「いや、睨まれてもさ……」
振り上げた手を降ろす場所が無いのだろう。
まったく、こんな夜に呼び出されて、一方的に怒声を浴びせられる俺の身にもなって欲しい。三人娘が大人しく座ってくれいているのが、奇跡に近いんだから。
ちらりと後ろを振り返ると、三人はレオスに対して色々と話しているようだった。
「ゴミみたいだねー」「ホントですわね」「きらいだぞ、アイツ」「閃光魔法で目を潰してさしあげましょうかしら」「それよりは呪いの方がいいんじゃないかな?」「この場にいたらかじり殺すんだけどな~」「そうだね~。私も斬っちゃうかなぁ」
……うん、怖いよ。
日常会話っぽく話さないでほしい。怖さが増すから。
げんなりしていると、魔法面の向こうで『代われ』と声が聞こえた。
ユミナの顔が映し出される。
……どうやらユミナも、今のレオスの態度に付き合わされていたのだろう。俺と同じように、顔がげんなりとしている。
『久しぶりだなドリー』
「お、おうユミナ。無事っぽくて何よりだ」
『……ん? きみ、何かあったのか? 何だか顔つきが……』
「お、そ、そうか? 特に何事もなく平和デスヨ……?」
『そうか? なら良いが……。おっと、』
「おいおい、ふらふらじゃないか。大丈夫かよ?」
精神的な疲れがきているのか、ユミナの声にも張りが無い。
それでも気位の高さを示すように、ふらつきながらも、表情だけは強くもって俺に向き合った。
『すまない。私は止めたのだが、レオスが聞かなくてな。
どうしても、きみの知恵を貸して欲しい』
「俺の知恵を……?」
『そうだ。勝手を言っているのは、重々承知している』
頼むと、深々と頭を下げるユミナ。
なるほど。知恵を貸す……か。
まぁそれくらいなら認められている範疇だ。前パーティのよしみだし、力になろう。
「いいよ、頭を上げてくれ」
『……すまないな、ドリー。ありがとう』
そしてユミナとレオスは、現状を説明し始めた。
ところどころ感情的になるレオスを抑えながらだったので、聞いているこっちもすげえ疲れたが。
「えっと、整理すると……」
現在レオスたちは、あのダンジョンの九階まで登っているらしい。
見立てでは全十階層だったので、それを信じるならばゴールは目と鼻の先だ。おそらくこの扉を抜けた先に、上階へと続く階段が見えてくるはずとのことだった。
が――――
「トラップ魔法が、大量に敷き詰められている……か」
微弱な魔力感知でも分かるくらいに、この先の通路にはトラップが敷き詰められているらしかった。状況を詳しく聞いてみると……確かに。Aランクレベルの難易度かもしれないな。
ただ、数は多いがトラップ一つ一つのランクは高くないみたいで。解いていく順番は複雑ではあるものの、罠解除の魔法で地道に一つずつ潰していけば、進める類の通路のようである。ただ……、
「罠解除の魔法を使えるヤツが、一人もいない、と……」
『あぁ』
『……ッ』
神妙な面持ちのユミナに、憤りを隠せないレオス。
他の面々は、そもそもこの空気が続いているせいか、ぐったりと生気を失くしている。
そりゃリーダーがこんなになってたら、パーティの空気も悪くなるよな。
「んーと……、ユミナは使えない、よな。そりゃあ」
『あぁ。私はきみみたいに、器用ではないのでな』
「器用っていうか、俺のはただの、昔取った何とやらなだけだよ。大したことじゃない」
でもまぁ、そうだよなぁ。普通の魔法剣士では、わざわざ罠解除を覚えるヤツの方が少ないか。
「う~ん……」
しかし弱ったな。レオスのパーティには純粋な魔法使いは居ないし、罠解除の魔法じゃなくても、技術や知識で解除できる斥候も居ない。となると、あとは迂回するくらいしかないんだけど……。
「迂回路は見当たらないときたか」
『あぁ。ダンジョンの呼吸などが起こっても、この扉まわりだけは変動しなかったんだ』
「魔力濃度の高いところは、変動の影響を受けにくかったり、反射するんだよ。最終階段の目前の通路とか部屋とかは、そういうこと多いぜ」
『そうなのか? 知らなかったな』
「まぁ……、そういうのに苦しめられた時もあったからな……」
長年やってきて蓄えた知識みたいなものだ。
強い奴らは普通に突破できちゃうから、あんまり意味のない知識だけど。
そんな話をしていると、憤りを隠そうともせず、荒々しい語気でレオスが割って入ってきた。
『ゴ、ゴチャゴチャ喋ってんじゃねえぞドリー! 良いから突破するアイディアをよこせ!』
『レオス、きみ――――』
『分け前だ! 分け前をくれてやるッ! このダンジョンで得た宝の、三割だ! 三十ゼイルはくだらねぇ! 一ヵ月は働かなくて良いくらいの金だ! どうだ!?』
「いやその、俺は別に金は……」
『四割か!? 他にはなんだ、何か条件があるなら言えッ!』
「オイオイ……」
会話をしようという余裕さえ失っている。
『さぁドリー! さ、さッさと言えッッ! 打開策をオレに与え――――ぐォッ!?』
魔法面の向こうで。
ユミナがレオスを殴り飛ばしていた。
勿論本気ではないのだろうが……、それでも、彼女も我慢の限界だったようだ。
『きみな……、少し黙れ』
『……ぐッッ!!』
『ドリー、すまない。うちのリーダーが、失礼をした』
ユミナはもう一度頭を下げる。
まったくレオス……。何やってんだよ。
「いやいいよ……。大丈夫。
俺だってずっとそいつと一緒に居たんだ。理不尽な罵倒には慣れてるさ」
ここまでひどくはなかったけどな。
……まぁ、レオスがこういう状況だというのが、最後のピースだ。
俺はこれまでの話を総合して――――たった一つの選択肢を示すことにした。
「やれることは一つだけだよ、レオス」
俺の言葉に、ユミナも、レオスも、他のパーティメンバーも、後ろで怒りをなんとか我慢していた三人も、驚いていた。
『ドリー……、きみ……』
「扉の先には、罠がびっしりの通路。そこはどうやら、解除していかないと通ることが出来ない。迂回路もなく、地形の変化にも巻き込まれないため、そこを通る以外の選択肢は無い。けれど今、そっちに罠解除の魔法を使えるヤツはいない。……そうだな?」
俺は椅子に座る居住まいを正し、改めて魔法面に向き合って語り掛ける。
俺は俺の責任で。
声を発す。
このパーティに関わる、最後の役目として。
『ドリー、策があるというのか?』
うーん、策っていうか……だな。
「いやいや……。この状況で出来ることなんて、一つしかないだろうよ」
『な、何だと……? お前には分かるっていうのか!?』
レオスの怒号に、俺は静かに首を縦に振る。
そりゃもう。
……というかこんなの、分からない方がおかしいぞ。
「簡単だ。とてもな。
お前らは今、その先に進む手段が無い。そうだろ?」
『さっきからそう言ってるだろうがッ!』
「だったら答えは簡単だ。
――――先に進まなければ良い」
俺の言葉にシン……と静まり返る元パーティメンツ。
一瞬の静寂の後、レオスが首を傾げながら息を漏らした。
『…………は?』
「言ったとおりだよレオス。
そのダンジョンをこれ以上攻略するのは、諦めたほうが良い」
不可能だ。
進まなければ良いというより、進むことは無理だと言ったほうが良かったか。
そう俺が考えていると、魔法面の向こうから、殴られた頬を抑えるのも忘れたレオスが、目を血走らせながら怒声を浴びせてきた。
『ふ、ふ……、ふざけるなよッ!? 言うに事欠いて、あき、諦めるだとォッ!?』
いやだってさ……。
そういう答えになるだろうよ、この状況では。
「…………」
後ろからも、三人の息が漏れている。
幻滅させちまったかもしれないけど、これが俺の生き方だ。
生き方になった、が、正しいかもしれない。
――――オッサンと呼ばれる年齢まで生きて、これだけは学習できたということがある。
それは……、『上手い転び方』だ。
大した人生でもないし、これから先も、もしかしたら矮小なまま終わるのかもしれない。
そんな俺がこの四十年近く生きてきて学習したことは。
上手い転び方。
もしくは、最低限の怪我で、物事を終わらせることだ。
若いうちには気づけなかったが……、人生ってのは、『どうにもならないこと』ってのがある。
どうしようもない壁にぶち当たっても、気合いと根性、もしくは愛の力でどうにかできることもある――――のかもしれない。
けれどそれは、『まやかし』なときもある。
全否定はしないけどな。根性根性うるさい幼女も、後ろにいることだし。
まぁでも。
ともかく。
転びそうになったとき。
転ばないでいる方法もあれば――――、時には上手く転んで、怪我を最小限に抑えるというのも大事だ。
強くない者は、それなりのことをして……、どうにか生き延びなければいけないんだ。
でも、
生きてさえいれば、どうにでもなる。
新しいパーティメンバーを募って、再チャレンジすることだって、可能なんだ。
どれだけ力をつけても。
どれだけ気持ちが強くても。
理不尽は巻き起こる。それが、こんなオッサンが唯一知っている答えだ。
「今引き返せば……、時間が無駄になっただけで済む。まぁ他には、ここに来るまでの消費アイテムとか……かな?」
飛翔の加護をはじめ、おそらく俺を置いていった先でも、もしかしたら高価なアイテムを使っているかもしれない。それらは無駄にはなっちまうかもしれないけど……。
「でもとにかく、今なら生きて帰れるんだぞ、レオス」
『うるッさぁぁぁいッ! き、貴様……ッ、何様のつもりだ!
パーティメンバーでもなくなったくせに、口を出そうというのかッ!?』
「いやお前が意見を求めたんだろ……」
『や――――やかましいッ!
そ、そんな意見ッ! 却下だ却下!』
俺たちは進むんだと、激昂を繰り返す。
そんな彼を見て他のメンバーは……、呆れかえっていた。
最低限のリーダーシップは持ってる奴だと思っていたんだけどな。正直、俺もショックだ。
「レオス、悔しいのは分かるが……」
『うるさいッ……! リーダーはオレだ! 決めるのはオレだッ!』
駄々っ子のように、レオスはその場で地団太を踏む。
「……あぁ、」
――――魔物除けとか、はってるだろうか。
なんて。
とても気持ちが冷めていって、まるで他人事のようにしか、今のアイツらを見ることが出来なかった。
どこか地続きの世界ではないことのように。
同じ飯を食ってきた記憶すらも薄れていくように。
もう、違う世界の住人達。そう思えてしまう、熱の冷めを実感する。
「……いやいや」
でも俺は、なんだかんだでコイツに世話になった。
苦い思い出で終わってしまったが、楽しいことだっていっぱいあったはずだ。
だから。
だからこれが、最後の仕事だ。
あのパーティにおける、最年長である俺の。
最後の責務。
役目。
それは――――
「命の安全。その確保だ。
レオス……、引き返してくれ」
勝たなくて良い。
負けなければ、何度だってやり直せる。
次から次へと、繰り返し発生するダンジョンのように。
俺たちだって、何度も繰り返せるんだ。それを分かって欲しい。
「そのダンジョンをクリアしなければ、誰かが死ぬってことじゃ無いんだろう、レオス?
だったらせめて――――最後は」
言葉を区切って、俺は彼に伝える。
伝わるかどうかは、分からないけれど。
安全圏だからこそ言える、ただの上から目線の意見かもしれないけれど。
向上心の欠片もない、ただの敗北者からの言葉かもしれない……けれど!
俺は、伝えなければならない。
「最後は、お前がそのパーティを、導いてくれ」
どんな性格だろうと。
リーダーだろ、お前は。
『――――ぐっ……、』
『レオス……。行こう』
『あ……、あぁ……、あ……、』
へたりと。
力なく座り込むレオスを、俺はどんな目で見ていたのだろう。
俺を切り捨てた元リーダー。
俺を引っ張ってくれた頼りになる男。
今はもう、そのどちらの面影も、無い。
「……じゃあな、レオス」
俺はそう、誰にも聞こえないように。
虚空にそう呟いた。
僅かに揺らめく魔法面は、静かに俺を照らし続けていた。
そうして。
レオスとの対話魔法を切った後。
「…………」
俺が振り返ると、三人の幼女は、何とも言えない表情でこちらを見ていた。
視線が。
はたと、合う。
俺の方から口を開こうと思ったのは、何でだろうか。
ただ気づけば、思いを伝えていた。
「これが……俺だ。残念ながら、な」
救出に向かうことは出来ない。
立ち向かってやれる力はない。
無難にしか物事をこなせない。
それが、ドリー・イコンの精いっぱいだ。
「これがもしも……、もっと実績のある冒険者だったら、かっこいい感じに決まったんだろうけどな……」
こんな万年Cランクのオッサン冒険者が言っても、説得力に欠けるよなぁ。
実際問題として、俺がレオスよりも上のランクだったり、常にプラチナプレートだったりしたら、あそこまでの言い合いにはならなかったと思う。きっとレオスは、上級者からの言葉には耳を貸して、もう少しだけ冷静に話し合いを進めることが出来たはずだ。
「まぁ……、でもそれも。俺の実力ってことで」
なんだか、疲れた。
そんな。
力なく笑う俺へと、彼女らは小さな足取りで近づいてくる。
そして、見上げて、言った。
「――――すごいよ、おにいちゃん!」
「……へ?」
口火を切ったヒナに続き、ベルもルーチェも、目をきらきらさせながら続いた。
「戦わなくても生き残れる術があるんだね!」
「目から逆鱗だったぞ!」
「根性逃げ理論ですわね!」
「逆鱗じゃなくて鱗だし、根性の、逃げ……ツッコミが追い付かん!」
ともかく。
「お前ら……、さっきので、呆れてないのか?」
俺がそう聞くと、ヒナは「ううん」と首を横に振った。
「呆れないよおにいちゃん。
私たちは、『戦う』ことでしか生きられないと思っていた」
「けれど旦那様は、戦わなくとも生きていける道を、心の中に持っておりましたの」
「それってスゲーなって思ったぞ!」
そうか。
こいつらは、魔竜、魔剣、魔法だから。
戦いのために存在することが前提で、生きて来たんだ。
けれど、ニンゲンはそうじゃない。
戦わなくても生きて行けるし、戦わないで済む方法を考えることも出来る。
それらを持ったうえで、戦うという選択肢を選ぶということは、戦うしかないという状況に置かれている奴らとは、根本的な部分で違いが出るだろう。
「――――私たちは、おにいちゃんを誇りに思うよ!」
「お前ら……」
「だから、一緒にパーティを組めて、嬉しいな!」
三人は。
笑みを俺に向ける。
だから俺も……、負けじと笑った。
「そっか……! ありがとな!」
三人の頭をそれぞれ撫でて、俺は密かに決意をした。
この先何があっても、こいつらと一緒に生きて行こうと。
そして、こいつらに見合うように。
レオスに言ったような言葉に、説得力がつくように。
カッコイイ男に、なってやると。