気がつくと猫になっていた。人間であった頃の記憶を丸ごと残して。


 人であった時の最後の記憶を辿れば、このような状況になったことに納得できないこともなかった。
 だけど、なぜ猫?

 猫を助けたから?

 それとも、昔に「猫になりたい」と口走ったから?


 理由はわからないが、ともかく、どうやら僕は見かけが一歳か二歳くらいの若い猫のようであり、明るい灰色に黒色の縞が入った、サバトラ模様の可愛げのある獣であった。


 猫となった僕がまずしたことは、知り合いの猫――自宅のマンションで飼っている猫のゴロネを訪ねることだった。


「なーご(へぇ、お前、わっぱなのか。昨日から帰ってこねーと思っていたけどよ、転生したんか? 知らんけど)」

「にゃあにゃ(まあ、そんなもんだよ、多分。知らんけど)」

 僕は出窓越しに答える。どうやら、僕は飼い猫にわっぱと呼ばれていたらしい。


「ぅなーご(前世の記憶が残った猫も稀にいるけどよ、まさか知っている人間、それもわっぱがオレ様たちの側になるとはな)」

 野太い声で鳴く猫の先輩、ゴロネ。長方形の肉の塊にちょこんと顔が引っ付いたように、でっぷりと太った白猫。今年で六歳となるおっさん猫である。いつも出窓から外を眺めているため、人間界の近所ではふてぶてしい表情のデブ猫がいると有名だ(後に猫として町を回ってみてわかったことだが、ゴロネは猫界の近所でもヤベェ強そうな巨漢猫として有名であった)。


「うー、なーご(けどよ、気をつけな。神様に人間であった頃の記憶があるってバレちまうと、確実に消されるぜ)」

「にゃあ?(消されるって、どういうこと?)」

「ぅなー、なー(さあ? とりあえず、バレた猫は二度と姿を見せないって話だぜ、知らんけど)」

 ゴロネが前足で顔をこすりながら答える。そこは「知らんけど」だと困るのだが。


「なーごぅ、なご(オレ様から言えるのは、神様に目をつけられたくなきゃ、猫らしくない行動は取らないほうがいいんじゃね、ってことだ。オレ様を見習ってな」

「……にゃあ(猫らしくない行動、ね)」

 猫を飼っていたので、猫の振る舞いはわかるほうである。これからは飼い猫が師匠となるわけだ。


「なーぅ、にゃーご、ぅなー(オレ様たち猫は神様に消されないように、猫らしく、欲望に忠実に生きているんだぜ。眠たいときに寝る。腹が減ったら、飯をねだる……ってな。オレ様だって、人間のために飯を取ってきてやろうかなって、たまには考えるけどよ、神様に消されたくないから、仕方なく、仕方なくオレ様は、何も仕事をしないんだぜ)」

「にゃー(へー、そうなんだ)」

 と僕は納得してみせる。オレ様は本気を出していないだけ、と言いたいのだろう。知らんけど。


「ぅなーご、にゃご(まあ、頑張れや、わっぱ。マダムにはオレ様がいるから、心配すんな。わっぱは自分のことだけを考えて、猫の世界を楽しめ。猫らしくな。知らんし、眠いけど)」

 ゴロネが大きく口を開けてあくびをした。

 マダムとは僕の母、渡辺今日子のことに違いない。半年前に母さんが父さんと離婚し、それからはこの1LDKのマンションの一階で、二人と一匹で暮らしている。


 母さんにはこんなことになってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいである。ゴロネは何も仕事をしないと言ったが、彼は母さんの心の癒しになってくれている。それでこそ、家族。充分すぎる、ありがたい仕事だ。