大神先輩のお鎮め係


謎のつぶやきを最後に無言になった悠永は、やがて、ふぅ、と長めに息を吐く。

(あれ……? なんだか、大神先輩の熱が下がってるような……?)

制服の薄いシャツ越しに感じる体温に意識を集中させたことで、抱きしめられていることを余計に強く意識してしまい、紗里の頬に熱が上る。

これでは、顔を見られたときに、サカッてるだのなんだのと言われかねない。

霊力測定からの数々の嫌なことを思い出し、なんとか平常心を取り戻したころ、「よし、大丈夫な気がしてきた」と言って悠永は紗里をようやく解放したのだった。



(なんなんだろう、この状況……)

すっかり調子が良くなったらしい悠永に手を掴まれたまま、紗里はひたすらに困惑していた。
一方の悠永はといえば、面白そうに紗里を見ている。

「おまえ、本当になんともないのか?」
「先輩の方こそ、なんともないんですか?」
「治った」

先程まで四〇度くらいありそうな高熱だったのに、五分足らずでなんでこんなにケロッとしているのか。あやかしの力というのは計り知れない。

「んで、気分は」
「なんと言えばいいのか……びっくりしましたし、よくわからなくて、びっくりしてます」
「驚いてんのはとりあえずわかった」

軽く吹き出すように笑った悠永は、「けど……」と言いつつ、紗里の頬へと手を伸ばす。

些細な表情の変化も見逃すまいとしているのか、ぐっと顔を近づけ、目を真っ直ぐに見られるので、緊張からか心臓が大きく跳ねた。

「……まともそうだな」

すっかり濃灰色に戻った目が、面白そうに少し細められる。

『ほら、零力らしく酔ってサカってみろ』

不愉快な出来事を思い出して渋い顔になった紗里は、頬を掴んでいる手を押しやった。

「私、霊力がなくても、正気を失って迫ったりしません。馬鹿にしないでください」

睨むようにして言うが、悠永はまったく気にした様子はなく、「やっぱりおまえ、零力のやつだよな」と頷いた。

「……そうですけど」
「名前は?」
「白沢紗里です」
「しらさわさり……噛みそうな名前だな」

丁寧に名前をなぞり、悠永は柔らかく笑う。
ともすれば失礼な発言だが、馬鹿にされてるわけではないことはわかるので、不愉快ではなかった。

そういえば小さいころ、『しらしゃわ』や『しゃり』など噛んでしまう子も結構いたなぁと思い出して、紗里は少し懐かしくなる。

「なんでこんなとこにいたんだ?」
「静かで落ち着くので……。先輩こそ、なんでここに来たんですか?」
「旧校舎なら人気がねぇから、やり過ごせるかと思って。……俺のことはいい。おまえのこと。いっつもここにいんのか?」
「そうですね、割と。教室だと落ち着いて勉強できないですし、寮に引きこもるのもちょっと」
「ふぅん。じゃあな」
「えっ」

脈絡のない会話をしたかと思うと、悠永は気が済んだように、さっさと去っていく。

(本当に、なんだったんだろう……)

最初から最後まで意味がわからず、紗里は呆然とその背中を見送った。




◇◇◇


周囲を警戒しつつ旧校舎のエリアを出た悠永は、足取り軽く進んでいた。

(あれが、〝零力〟の白沢紗里か)



何か毒物──というより、症状からして媚薬の(たぐい)だろう。何かしらの強力な薬物を盛られたことに気づいた悠永は、症状が収まるまでどこかに潜んでやりすごそうと旧校舎裏へ向かった。

そこで彼女の姿を見た時は、薬を盛ったのはまさかこいつか?と思ったが、心配しか読み取れない表情を見て、すぐにそうではなさそうだと気づく。

しかし、同時に焦り出した。

(こいつ、確か、霊力がないって騒ぎになってた……?)

悠永とはまったく違う意味で一躍有名人になってしまった紗里。悠永も噂を耳にし、遠目にだが姿を見たことがあったので、顔くらいは知っていた。

(クソ、こいつが今の俺に近づいたら当てられる──!)

悠永の力はただでさえ強い。まして、今は薬の影響で力の制御がしきれていない状態だ。

力を抑える装飾具は身につけているものの、完璧ではない。

霊力が相当強い特別クラスの生徒やあやかしですらも、悠永の力が強く漏れ出ると影響を受けることがある。霊力がない彼女ではひとたまりもないはずだ。

「……っ、近づくな!」

怒鳴ると、くらっと目眩がした。
思わず膝をついた直後、「すみません、ちょっと失礼します」と、少し低めの涼やかな声が耳に届く。

離れろと言いたいが、もはや手遅れだろうか。

彼女の意思に関わらず、酩酊したように迫らせてしまうのかと思うと、薬を盛った犯人にも、気づかずにどこかで摂取してしまった自分にも、ますます腹立たしさが湧いてきた。

ところが……彼女に酩酊している様子はなく、心配そうな表情のままで額へと手を伸ばす。
さらには、ひんやりとした手が触れた途端に熱がすっと引いたので、悠永は驚きに目をみはった。

(……? なんだ、今のは……)

しかし、心地よい手はすぐに離れてしまう。

「待っててください、すぐ先生を呼んでくるので!」
「いや、いい」

反射的に、彼女の手を掴んでいた。

(ただ、少し体温が低くて気持ちいいだけじゃない。やっぱり……こいつに触れると、楽になる気がする)

試しに抱き寄せてみると、くらくらとしていた頭や身体から熱が徐々に抜けていくような心地がする。

楽になったことで余裕ができ、霊力を集中させて薬の影響を排除すると、悠永はほっと息をついた。



(霊力がないと普通は強い力に当てられるもんだが、あいつはゼロすぎて何も感じ取れないのか? でも、あの心地よさはなんだ)

紗里との会話や、その時々の様子を思い出すと、興味が尽きない。

背中に少しかかるきれいな黒髪。派手な美貌ではないが、優しく整った顔立ち。
白い撫子のような繊細で楚々とした雰囲気があるが、かといって弱々しい印象はなく、むしろ意思は強そうな印象を受けた。

「……紗里」

よろよろと旧校舎を支えに歩いていたときは、妙な薬を盛ってきた犯人を必ず突き止めて、二度と関われないようにしてやると怒りに燃えていたのに、今やすっかり悠永の関心は紗里へと移っていた。



いつものように放課後を旧校舎の裏庭で過ごしながら、紗里はぼんやりと花壇を眺めていた。

大神悠永とここで出会ったのは、つい一週間ほど前のこと。
しかし、当然と言えば当然なのだが、あれ以降悠永の姿は一度も見ていない。

あの出来事は白昼夢か何かだったのか……一つ思い当たりがあるとすれば、あの男子に嫌がらせで霊力をぶつけられたことだ。

あのせいで、何か変な幻でも見たのかもしれない。

「はぁ……勉強でもしよう」

近ごろ集中力を欠いていたので、しっかりしないとと自省し、紗里は課題を取り出した。

「……紗里」
「ひゃっ!?」

急に肩を叩かれ、紗里は飛び上がる。
笑いながら隣に座ってきたのは──。

「お、大神先輩……」

幻でなければ、二度目ましての悠永だった。

「元気だったか」
「はい、一応……」

相変わらず、ひどい言葉を投げかけられたり事実無根の噂をされたりはしているが、もはやそれは日常のようになっている。

気分が沈むこともあるけれど元気ではあるので、紗里は頷いた。

「そうか。ちょっとこれ触ってみろ」

悠永が鞄から取り出したのは、なんだか既視感がある水晶玉とメーターだった。
霊力測定器をぐっと簡素化したような見た目に、思わず紗里は渋い顔になって身を引く。

「なんですか? これ」
「開発中のやつを借りてきた。特性とか細かいことはわかんねぇけど、霊力だけ簡易的に測れる」

やはりそうかと、ますます紗里の眉間に皺が寄った。
測定器に触れ、高校生活が一変したあの日は、トラウマのようになっている。

「痛くねぇから、ほら」

促されて渋々水晶玉の部分に手を触れるが、メーターの針はピクリとも触れない。
わかりきっていた結果なのに、悠永は首を傾げる。

「本当に零力なのか」
「……そうみたいですね」
「でも、入学試験はパスできたんだろ。それに、この間の俺に近づいても平気だった」
「……なんで入学できたのかも、霊力がないのかも、私にはわかりません。入学の試霊石では本当に目眩なんてしなかったし、おじいさんの家に行く時も迷ったりしなかったし……霊力があるって思ってたのに……」

「おじいさんの家?」と聞かれ、紗里はかつての出来事を話した。

悠永は静かに話を聞き、腕組みをする。

「霊力が少ないと、普通は耐性もなくて、簡単に惑わされる。おまえの場合はなさすぎて逆に影響も受けないとか……? でも、それだけじゃない感じがするんだよな」

紗里が逃げないことを確かめるように、ゆっくりと伸びてきた悠永の手は、優しく頬に触れてから離れていった。



それからというもの、悠永は時々旧校舎の裏庭へやってくるようになった。

「よう、紗里」
「大神先輩」
「悠永でいいって言っただろ」
「それはちょっと……」

彼は、鋭い強面の美形に慣れてしまえば、割と親しみやすい性格をしている。
しかし、先輩男子を下の名前で呼び捨てにするのはさすがに抵抗があった。

「はぁ。俺がいいって言ってんのに」
「私はよくないです。もうちょっと段階とかあるかと……」
「おまえ、謙虚なのか図々しいのかよくわかんねぇよな」

面白そうに笑われる。

彼のツボはよくわからないし、こうやってよく笑われるけれど、いつだって馬鹿にするような意図がないことは伝わってくる。

純粋に楽しそうなので、紗里の方も、悠永が楽しいならまあいいやと思えた。

「そうだ、これやるよ」
「……ブレスレット、ですか?」

悠永がポケットから取り出したのは、スモーキークォーツのような色味をした石がついた、華奢なブレスレットだった。
紗里の手を捕まえた悠永は、手早くそれを手首につけてしまう。

「外すなよ。ま、外れねぇけど」
「えっ」

何かの冗談かと思って試しに外そうとするが、留め金はまったく動かず、サイズもぴったりなので、悠永の言葉どおり外すことができない。

「なんですか、これ……!」
「お守り?」

なぜ疑問形なのか。紗里が尋ねる前に、悠永は立ち上がっていた。

「今日はそれ渡しに来ただけだから、じゃあな」
「あ、ちょっと、大神先輩……!」

去っていく後ろ姿を、紗里は困惑しつつ見送った。

彼の言動は、いつもよくわからない。脈絡がないし、割と勝手で自由気ままだ。

でも──……。

「……綺麗」

左手首につけられたブレスレットを見ると、何故だか悪い気はしなかった。



──翌日。

朝一の授業でやってきた教師は、何かに驚いたように教室内を見回す。
そして、紗里に目を留めると、数秒固まったあと「授業を始めます」といつも通りの言葉を口にした。

(……? 何、今の……)

謎の反応はそれきりだったのであまり気にしていなかった紗里だったが、災難はいつも忘れたころにやってくる。



「あんた、ちょっと来なさい」

今日は雲行きが怪しいので、まっすぐ寮に戻ろうと思っていたある日──紗里は、三年生の特別クラスの女子数人に囲まれた。

間の悪いことに──というより、タイミングを見計らっていたのだろう。周囲に教師の姿はない。

……叫んだら、誰か助けてくれるだろうか。

しかし、紗里の記憶が正しければ、目の前にいる女子たちは揃いも揃ってかなりの名家のお嬢様だったはずだ。教師でも下手に触れられない相手なので、形式だけの注意で終わって見捨てられる可能性も捨てきれない。

そうなると、助けを求めた紗里は余計にひどい目に遭いそうだ。

「早く」

凄まれて、紗里は渋々足を動かし始めた。


連れて行かれたのは、庭園の片隅にある目立たない場所だ。

そこにはさらに三人の男女がいて、紗里を虫でも見るような目で睨みつける。

リーダー的な存在は、待っていた方の女子らしい。彼女を中心にして取り巻きたちが紗里を囲み、逃げ場はなくなった。

「こんなところに呼び出して、なんのご用でしょうか」
「白々しい。私たちにはわかっているのよ。あなたが卑しくも、大神さまのものを盗んだことがね」

まったく身に覚えがないことを言われて、「へ」と間抜けな声が紗里の口から漏れた。

「何を言っているのかわかりません」
「嘘よ。あなたから大神さまの力の残滓を感じるもの」
「ええ。零力のあんたにはわからないでしょうけどね」

紗里を連れてきた女子が同調して言うと、彼らは一斉にクスクスと笑う。

「ほら、早く返しなさい。あなたなんかには、大神さまの髪の一筋だって分不相応よ」
「そんなこと言われても……。……あ」


悠永のものと聞いて一つだけ心当たりがあることに気づき、紗里はつい、左腕をぴくりと動かしてしまう。

それを見逃さず、取り巻きが紗里の腕を掴んで、制服の袖を強い力で引っ張った。
悠永から渡されたブレスレットがあらわになり、三年生の男女が気色ばむ。

「ありました!」
「やっぱりね。……零力が彼に近づくなんておこがましい」

リーダー格の女子が近づいてきて、紗里を睨めつける。

「あなた……おおかた、図々しくも近づいて、大神さまのお力に当てられて迫ったんでしょう? それで断られて盗んだってところね。ああ、汚らわしい」

言うや否や、パシッと乾いた音が響き、紗里の視界は一瞬白くなった。
平手打ちされたのだとわかったのは、頬がじんと熱を帯び、一瞬遅れて痛みだしてからだ。

「あらやだ。わたくしの手が汚れてしまったわ」

わざとらしく手を振った彼女に、取り巻きがハンカチを差し出す。
クスクスと笑いが広がり、頬はじくじくと痛み……紗里の中で、何かが爆発した。

「……あなたたちにそんなことを言われる理由なんて、私には何一つない!」

突然叫びだした紗里に、彼らは一瞬驚いた様子だったが、すぐにせせら笑いを浮かべる。

紗里は負けまいと、手のひらに爪が食い込むほどに拳を握り、彼らを睨んだ。

「私は……普通に試験を受けて、ちゃんと合格してここにいます。なのになんで霊力がなかったかなんて、私が一番知りたい! 霊力がなくても、私はあなたたちが言うみたいに、当てられて迫るとか、そんなことしてない! あなたたちとは違って、恥じるようなことは何一つしてません! 大神先輩のものも盗んだりしてない! これはただ、もらっただけです!」


「お前……」

紗里を平手打ちをした女子の目が、赤黒い光を帯びる。

──とてつもなく怒っている。このままだと危ない。

わかっているのに、紗里には言葉を止められなかった。

「いくら霊力があったって、すごいあやかしだって、勝手に決めつけて見下して暴力を振るってくるような人に侮辱される理由なんてない! いい加減にしてください!」
「……いい加減にするのは、お前の方よ!」

はっきりと、彼女の目に憎悪が宿った。
彼女が手を上げると、その手のひらに赤黒い炎が起こる。

「……鬼塚さま!」

取り巻きの一人が、流石にそれはまずいと思ったのか声をあげるが、彼女の怒りを表すように炎は強さを増し──手の動きに合わせて、ごうっと勢いよく紗里へと迫る。

「……っ!」

いくら人妖共学とはいえ、安全なはずの学内で、妖術で攻撃されるなんて。
妖術をまともに食らった人間は、怪我で済むのだろうか。それとも、ここで命を落とすのだろうか。

迫ってくる炎を前に、身体が動かない。なのに、感覚はやたらと研ぎ澄まされているのか、すべての景色がスローモーションのように見えた。

(ごめんなさい……)

無理はするなと言った兄の声。心配そうだった両親の姿。

そして、「お守り?」と少し笑いつつブレスレットをくれた悠永のこと。

まるで走馬灯のように次々と記憶が蘇った、そのときだった。

紗里の肌を舐めかけた炎はふっとかき消え、鬼塚と呼ばれた女子が驚愕に目を見開く。

「……何をしている」

低く、怒気を孕んだ声が背後から響き、紗里はぎこちない動きで振り返った。


「大神先輩……」

小刻みに震える紗里をそっと抱き寄せた悠永は、同級生たちに黄金が混じり始めた目を向けた。

「何をしているのかと、俺は聞いた。聞こえなかったのか?」
「わ、わたくしたちは……その女がみっともなく貴方様に酔い迫るにあきたらず、ものまで盗んだようだったので咎めただけで……」
「みっともなく俺に酔う? 紗里が?」

嘲るように笑った悠永の目は、完全に黄金に染まっていた。装飾具などでは抑えきれない力が周囲を包み、鬼塚をはじめとする三年生たちは、震えながらうずくまる。

紗里には何が起きているのかよくわからなかったが、悠永の怒り具合はわかり、なんだかこのままではいけない気がして、彼の頬へとそっと手をのばした。

ぴくりと反応した悠永は、軽く息をつくと、灰色混じりになった目で紗里を見下ろす。

「ありがとな。ちょっとここでじっとしてろ」
「……うん」

少し怒りが鎮まったらしい悠永に少しほっとして、小さくうなずく。
彼はへたり込んだ鬼塚に近づき、意図的に目に力を込め、視線を合わせた。

「あ……」

口を半開きにした彼女は、まさしく酩酊している様子で、強い力に当てられるとああなってしまうのだと嫌でもわかる。

「この間のは、お前の仕業か」
「この、あいだ……」
「俺に毒を盛っただろう」
「毒だなんて、そんな……わたくしは、ただ……あなたさまに抱いてほしくて……」
「はっ、抱いてほしくてだと? 酔い迫ってきてるのは、紗里じゃなくてお前だろうが」

確認が取れたことで用済みになったのか、悠永はすっかり力を引っ込めて、紗里の方へと戻った。

と、何やら慌ただしい足音や声が近づいてくる。現れたのは校長を筆頭にした教師陣で、どうやら、騒動を察知して急ぎ駆けつけたらしかった。


悠永が事の次第を話し、紗里を呼び出した三年生たちはまとめて処罰を受けることに。

さらに鬼塚については、一般生徒への妖術使用と悠永への禁忌薬使用によって、校長権限で即刻退学処分が決定した。


騒動の余波でざわめく校内。
その喧騒を避けるように、二人は旧校舎の裏庭へ向かった。

「遅くなって悪かった。思ってたより位置が掴みづらかった……改良しないとだな」

よくわからないなりに、ブレスレットに何か仕掛けがあったのだろうと紗里も察していた。

「お守りって言ってたけど、なんなの?」
「俺の力を込めてるから、だいたいの場所を辿れる。それに、ある程度力が強いやつなら俺の気配に気づくから、牽制になると思ってたんだが……馬鹿の馬鹿さを舐めてた。……ごめん」

彼には珍しくしゅんとした様子で謝られ、紗里はううんと首を横に振る。

「来てくれて助かった。助けてくれてありがとう。本当に……」

また少し震える紗里を、悠永はなだめるように優しく撫でる。

「言われっぱなしもやられっぱなしも嫌になって、後先考えずにカッとなって……大神先輩が来てくれなかったら、死ぬところだった。馬鹿みたい、私」
「紗里は悪くない。それに、俺は大したことしてねぇよ。多勢に無勢、おまけにあやかしと零力のおまえなのに、一歩も引かずにやりあって頑張ったな。結構迫力あったぞ。子狼くらいに」
「ふふ、何それ」

笑ったことでようやく極度の緊張から脱することができて、紗里はベンチに深くもたれた。