――二〇一七年、九月六日、水曜日。
 長野くんに連絡しよう。やっと決断できた。
 ご飯も食べてお風呂も入ったし、今日送るなら今が一番良い。まだ二十時にもなっていないので、長野くんが寝ていることもないだろう。
 連絡すると長野くんに迷惑がかかるかもしれない。そう思って初めて話した日からずっと迷っていたのだ。確かに長野くんは連絡を待っていると言ったけれど、もしかしたら私に気をつかって言っていくれただけかもしれない。でも本当に長野くんが待っていたら、連絡をしないことが逆に失礼だ。それに、私だって聞きたいこともある。数日間悩みに悩んだ結果、私が長野くんに送るべきメッセージが決まったのだ。
 二階にある自室で、メッセージアプリを開いた。
 慣れない手つきで、スマホにメッセージを入力していく。これから家族以外に、それも長野くんに送ると思うと変な汗が出てきた。打ち終わる頃には心臓がバクバクしていたが、意を決して送信を押す。

【こんばんは。連絡遅くなってごめんなさい。まず謝りたいことがあります。難病カードですが警察に届けておくべきでした。私がこっそり下駄箱に入れようとしたせいで、長野くんに余計な気をつかわせてしまいましたね。ごみんなさい】

 すぐに既読がつく。
 何気なく自分が書いた文章を読み返してみた。すると大変なことに気が付いてしまったのだ。
 どうしよう。打ち間違えてる。
 よりにもよって肝心な謝罪である「ごめんなさい」を「ごみんなさい」と打っていたのだ。これでは謝罪にならない。誤字を謝るためにメッセージを打とうとした時だ。

『長野桐人 オーディオ』

 突然、私のスマホの画面に表示された。さらにスマホは規則的に震えている。
 今、長野くんから電話が来ているのだ。
 もしかしたらあの誤字がふざけていると思われて、怒っているかもしれない。すぐに応答をタップし、声を裏返しながら言った。

「ご、ごめんなさい。スマホで文字打つのあんまり慣れてなくて、間違えてしまいました。ふざけているわけではなくて……」

「ん? 間違えた? ちょっと見てみる」

「は、はい」

 少しの間無言になると、長野くんの笑い声がスマホから聞こえてきた。まるでお笑い番組を見ているようだ。

「本当だ。ごみんなさいになってるね。ウケる」

「す、すみませんでした」

「いやいや。そもそも謝ることなんてなに一つしてないぞ? カード渡しに来てくれてありがとうな」

 長野くんは全く怒っておらず、下駄箱で話た時のような明るい声で言った。怒っていないなら、なぜ電話なんかしてきたのだろうか。別にメッセージのやり取りだけでも良いはずだ。長野くんに聞こうと思ったが、今の会話の流れならそれ以上に気になることが聞けると思い、そっちを聞くことにした。

「ありがとうございます。あの、カードについてなんですが……なんで丘に落ちてたんですか?」

 どんな病気なのかも心配で気になる。でも、そこを根掘り葉掘り聞くのは悪いので、私が聞けるのは難病カードが落ちていた理由までだ。

「おぉ? 気になるか?」

「気になります」

 長野くんはフフと笑い、いたずらを思いついた子供のような声で言った。

「教えてあげるよ。今度、会った時にね」

 下駄箱の時と同じように、長野くんがまたからかってきたのだ。今は本人の顔が見えないからだろうか。下駄箱の時とは違い、反射的に反撃の言葉が出てしまった。

「学校では話したくないって言ったじゃないですか」

「だったら学校の外で会えば良くない? オレは今からでも良いぞ?」

 長野くんの思いがけない言葉に思わず狼狽えた。本当に私が思いつきもしないことを言う人だ。

「い、今からですか?」

「まぁ無理なのはわかるから大丈夫だよ。言ってみただけ」

 難病カードに書かれていた長野くんの住所は、私の家からそこまで遠くない。だからと言って出歩くには少し遅い時間だ。長野くんだって冗談で言っただろうし、もちろん無理だと言うしかない。言うしかないはずだった。

「私の家、長野くんの家からそこまで離れてないんです。親が良いって言ったら良いですよ」

「え? マジ?」

 顔が見えなくても、長野くんが驚いていることがわかる。一方、私は妙に落ち着いていて、よくわからないが胸がじんわりと温かくなっている感じがした。

「マジですよ。親に聞いてきますね。また連絡します」

「おう。またね」

 長野くんとの通話を切り、ベッドに転がる。
 一体、私はなにを言ってしまったのだろうか。長野くんは本気で言ったわけでもなさそうだし、断ったって問題なかったはずだ。いくら考えても答えは出ず、このままでは時間だけが過ぎてしまう気がした。
 早く、お母さんに聞きに行かなきゃ。
 ベッドから起き上がり部屋を出る。リビングまで降りると、ソファーに座ったお母さんがテレビを見ていた。常識的に考えてこの時間の外出を、親なら許さないだろう。それでも、自分から親に聞くと言ってしまったので言うしかなかった。

「ねぇ、お母さん」

「どうしたの、るーちゃん?」

 お母さんはテレビを見続けている。夜中に外出をしたいなど言い方を間違えると怒られてしまいそうなので、言葉を選びながら慎重に言った。

「同じ学校の子が今から私に会いたいって言っててさ。家は近いんだけどもう夜だし、さすがにダメだよね?」

 お母さんはテレビを消して私の方を向く。

「どんな子なの?」

 質問されると思わず焦ったためか、少しだけ耳が熱くなった。

「えっと……明るくて優しくてなんでもできる人気者かなぁ」

 病気のことが喉元まで出掛かったが、いくら親だとはいえ長野くんの一番プライベートな部分は言ってはいけないと思い引っ込めた。それでもなんだか一番肝心なところを隠すような、悪いことをした気分だ。罪悪感で目を逸らそうとしたが、お母さんはニッコリと笑いながら私の目を見ているので、私も逸らさずに向き合った。

「あんまり遅くならないでね」

「え? いいの?」

 驚く私にお母さんは優しく言った。

「本当は良いなんて言えないけど、せっかく学校で友達が出来たみたいだから今日は特別」

「ありがとう」

 すると、お母さんはニヤニヤと笑い始めた。なんだか嫌な予感がする。

「あれ? もしかして友達じゃなくて彼氏かな?」

「ち、違うから!」

 お母さんが変のことを言ったせいで、耳だけではなく顔全体が熱くなってきた。

「あら? そうなの?」

「そうだから! ちょっと連絡してくるね」

 恥ずかしくなってきたので、自分の部屋に逃げるように戻った。
 変なため息が漏れる。お母さんには申し訳ないが、私には彼氏どころか友達すらいない。長野くんは友達などではなく、ただ偶然話すようになった知り合いだ。
 そう思うとなぜかよくわからないが、ズンと沈むような気持ちになってきた。以前にもこんな気持ちになったことがある気がするけれど、思い出したいのか忘れていたいのかわからない。モヤモヤしたものに心が包まれそうになったが、ハッと我に帰った。
 いけない。長野くんにメッセージ送らないと。

【親に聞いたら大丈夫でした。会いましょう】

 長野くんからの返事はすぐに来た。私より長い文章なのに、打つスピードが圧倒的に速い。きっと日頃から連絡を取っている友達がたくさんいるのだろう。

【マジかよ! ビックリだ! それなら会っちゃおうぜ! あんまり遅くならないように、さっさと時間と場所決めちまおう!】

 その後、何通かのやりとりで詳細が決まった。
 一応、自分が会えると言ったのに、これから会うという実感が全くない。それでもパジャマのまま出かけるわけにはいかないので、とりあえず着替えることにした。クローゼットを開けても、古くなった服ばかりだ。普通の女の子みたいにファッションに興味があるわけでもないので、最後に服を買ったのがいつか思い出せない。
 比較的マシな服に着替えると、すぐに外へ出た。
 待ち合わせ時間より早く着いてしまうけれど、待たせてしまうと悪いので歩き始める。夜に外出したのは久しぶりだ。住宅地であるとはいえ人通りが少ないとちょっと心細い気がする。でも、よく考えると怖いことなんてなにもないのだ。
 変質者がいたとしても私みたいな可愛くない女の子は狙われない。なにも持たずに来てしまったので、お金を盗られる心配もない。幽霊が出てきても霊感がないので見えることもない。そう思うとなんだか気楽になってきた。それにしても、私は本当になんにもない人間だ。
 十五分ほどで、待ち合わせのコンビニが見えた。
 店の前で会う約束をしたが、長野くんの姿は見えない。店の前まで行って、先に待とうとした時だ。

「こんばんは」

 聞き覚えのある甘い声が、いきなり後ろから聞こえた。驚いてうまくリアクションできないまま振り向く。

「こ、こんばんは。長野くん」

 ジャージ姿の長野くんがいた。顔が綺麗なため、ラフな格好でも様になっている。こんなにかっこよくて可愛い人が夜道を歩いていたら、変な人に声をかけられてしまうのではと心配になってきた。

「随分、早いんだね。待ち合わせ時間前だよ?」

「それは長野くんだって同じじゃないですか」

 一度電話をしたからだろうか。初めて会った時よりも会話になっている気がする。

「まぁそうだな。とりあえずコンビニ行こうぜ」

「は、はい」

 長野くんと一緒に、店の中へと入る。
 財布すら持ってきていないので、私はなにも買えない。とりあえず長野くんについて行くと、飲み物が売っている冷蔵庫の前で立ち止まった。

「なんか飲みたいのある?」

「特にないです」

「そっか。それなら同じのでいいな」

 そういうと長野くんは冷蔵庫を開け、五〇〇ミリリットルのゼロカロリーコーラを二本取り出して閉じた。きっと一本は私のだろう。

「ちょ、ちょっと待ってください」

「ん? 炭酸苦手か?」

「いや、そうじゃなくて……」

 なにかに気がついたように小さく声を上げてから、長野くんは申し訳なさそうに言った。

「ごめんね。夜だからコーラはダメか」

「え?」

 なんのことかわからずキョトンとする私を見て、長野くんも同じくキョトンとし始める。

「コーラのカフェインで眠れなくなるから、飲みたくないってことかなと」

「コーラが嫌なわけじゃないんですよ。私、財布持ってきてなくて……」

 特に口にはしなかったが、コーラは嫌いどころか好きだ。誤解を解くと、長野くんは小さく笑った。

「なんだ。そんなことか。このくらいオレが奢るよ」

「いや、それは申し訳ないですよ」

「こんな時間に呼び出したの、オレだからさ」

「で、でも……」

 結局、買ってもらうことになった。
 お金は必ず返すと何度も言ったが、押し切られてしまったのだ。長野くんは二人分の会計を済ませる。

「外にあるゴミ箱の横あたりで話さない?」

「いいですよ」

 コーラを持ちコンビニから出ると、店の外にあるゴミ箱から少し離れたところに二人は立った。灰皿からも距離があり煙草を吸う人の邪魔にならなず、コンビニの前で話すならここが一番良さそうだ。
 長野くんがコーラを開ける音がしたので、私も開けた。一口飲むとゼロカロリーらしいスッキリとした甘さとピリピリした程よい炭酸が口に広がる。ゼロカロリーでは物足りないと言われたこともあるが、私は昔から普通のコーラよりも好きなのだ。

「で、あの丘にカードが落ちてた理由だっけ?」

 いきなり話し始めたので、ビックリしてコーラを吹き出してしまいそうになった。落ち着いて飲んでから答える。

「はい」

「帰省した時にちょっと寄ったんだよね」

「き、帰省? 長野くん、あの辺の出身なんですか?」

 もし、今コーラを飲んでいたら確実に吹き出してしまっただろう。長野くんと育った町が近いなんて思わなかった。

「高一までは芽木戸町で暮らしてたよ。小四の途中から小六の途中までは別の町で暮らしてたんだけどね」

「え? 芽木戸ですか?」

 思ったよりもさらに近い。芽木戸町だったら、もし私がそのまま地元の中学に進学していたら同じ学校になっていただろう。驚く私を見て、長野くんはなぜか不思議そうだ。

「あれ? もしかして地元が近いの知らなかった?」

「し、知りませんよ」

 そんなこと当然、私が知っているわけがない。またからかわれたが、電話の時とは違いうまく返せなかった。長野くんは妙に明るい声で続ける。

「なんだぁ。残念。まぁとにかくオレはガキの頃あの丘によく行ってたんだ。で、帰省した時にちょっと寄ったんだよ」

 桜の木しかないあの丘に好んで行く子供が、私以外にいるとは思わなかった。長野くんもあの丘に行っていたということは、私と会っていたのもありえたかもしれない。でも、あそこではタクマくん以外の人に会ったことがないので、きっとすれ違い続けたのだろう。本来ならば人が来ること自体が珍しい場所なのだ。

「そこでカードを落としたんですね」

「まぁ、だいたいそんなとこだな」

「あそこにはあんまり人が来ないから、見つかって良かったです」

 ハハハと笑ってから、長野くんはコーラを一口飲んだ。釣られて私も飲む。笑い声が気になったのかコンビニに入る客がチラッとこっちを見たが、他人の目など長野くんは気にしていない様子だ。
 長野くんもあの丘に行っていたといことは、もしかしたらタクマくんに会ったことがあるのかもしれない。あれからタクマくんがどうなった気になるので、聞いてみることにした。

「あ……」

「そういえばあの丘に、なにしに行ったの?」

 声を発したのは私が先だったが、長野くんの声の方が大きかったので話を止めてしまった。

「えっと、長野くんと同じで私も昔あの辺に住んでいて懐かしくなって……」

 無気力な毎日に疲れて気分転換に行ったとは言えず言葉を濁してしまった。心なしか語尾が小さくなってしまった気がする。だが、長野くんはなぜか安心したような声で言った。

「そうか。それなら良かった」

「はい」

 一体、なになら良くないのかよくわからなかった。それにしても、長野くんは私にあんまり興味がないようだ。昔住んでいたところが近いのなら、もっと驚いても不思議ではない。現に私は驚いたけれど、長野くんのリアクションは薄くてちょっと寂しい。そんなことを考えている時だ。

「もう話すこと話したし、コーラ飲んだら帰るか」

 確かにもう夜も遅いし、さらに遅くなるとお母さんに心配をかけてしまう。お父さんが帰ってくるまでには帰りたい。

「そうですね。では、また学校で」

「待って」

「どうしました?」

「もう遅いから、家まで送る」

 思いもよらないことを言われて頭が混乱してしまい、つい口走ってしまった。

「ダ、ダメですよ。長野くんの帰りが遅くなって変な人に誘拐されちゃいますよ」

「ゆ、誘拐?」

 夜なので近所迷惑にならないか心配になるほど、長野くんは思いきり笑った。笑い声を聞きながら、相当変なことを言ってしまった自覚が芽生えて、恥ずかしさが込み上げてくる。変な人は間違いなく私だ。

「ご、ごめんなさい……私……」

「謝ることないよ。心配ありがとう。でもオレ、空手やってたから変質者が来てもなんとかするし、そもそも襲われないよ」

 確かに.細身でありながらがっしりとした筋肉質であることが、よく見るとわかる。健康そうなその身体は、難病であることを全く感じさせない。
 長野くんは得意げに空手の構えをした。これなら変質者が現れてもどうにか出来てしまいそうだ。だからと言って家まで送らせてしまうのは申し訳ない。

「で、でも……」

 コーラを奢ってもらった時と同じだ。結局、押しに負けてしまい、長野くんに送ってもらうことになった。

「はぁ。私って意志が弱い……」

「まぁ気にすんなって。とりあえず残ったコーラ飲みな。炭酸抜けるぞ?」

「すみません」

 コーラを飲み干して空になったペットボトルを、長野くんが受け取ってゴミ箱へ捨ててくれた。その時だ。なにか砂のようなものが、長野くんのジャージの袖から少しだけこぼれた気がした。一体なんだろうか。だが、気のせいかもしれないし特に聞くようなことでもないだろう。

「よし、帰ろうか」

「はい」

 二人は帰り道を歩き始める。
 行きの道はなんだか心細い気がしたが、今は長野くんが隣を歩いてくれている。それだけでとても心強い。男の子で歩幅が違うはずなのに、私のペースに合わせて車道側を歩いてくれていることもありがたかった。なんだか自分が女の子になったような気がする。生物学的には女で間違いないけれど、自分が女だという特別に意識したことはなかった。
 ありがたい気持ちはあるのだけれど、どんな話をしたらいいのかわからずただ無言で歩いている。こんな時、私がもっとちゃんとした女の子だったらなにか楽しい話の一つでもできるのだろう。だけど、この夜の闇のように暗い性格の私にはできない。そんな私を見かねてかどうか定かではないが、長野くんから話しかけてきた。

「そういえばさ、梶永医科大学の病院が近くにあるよね。入学してしばらくは地元から通学してたんだけど、そこに通院できることになってさ。そうしたら母さんがわざわざここまで引っ越してくれたんだ。そっちはなんで学校の近くに住んでるの? そもそもなんでうちの学校受けようと思ったの?」

 よく考えてみると、あの地域に住んでいたのにわざわざうちの学校を選ぶのは不思議な話だった。梶永医科大学の病院は確かに学校から近いし、難病ならそこに通うのも当然だ。うちの学校の生徒ですら殆ど入学出来ない日本最高峰の医科大学なので、きっと他の病院にはない治療ができるのだろう。
 一方、私がうちの学校を受験した理由は、もっとシンプルなものだった。

「お父さんがこの辺に転勤することが決まっていたんです。だから今住んでいるところから通える範囲で、一番偏差値が高い中学を受験しただけですよ」

「なるほどね。頑張ったんだな」

 確かにあの時は頑張った。でも、今の私はなんの努力もしていない。否定も肯定もせず、黙り込むことしか出来なかった。そんな私に気をつかってくれたのだろうか。長野くんはまた話題を振ってくれた。

「ねぇねぇ、話変わるけどさ。難病カードについてどんなこと知ってる?」

 難病カードについてほとんどなにも知らないに等しい。長野くんのプライバシーを覗くような気がして調べていないので、小学生の時に親友だった子から聞いた話をすることにした。

「難病の人がもらえて、確か色々割り引きになるって聞いたことがあります」

「知っているのはそれが全部?」

「はい。あんまり詳しくなくて……」

 長野くんの歩みが突然止まり、私も止める。

「どうしました?」

 ポカンとする私の前まで早足で回り込み、キラキラした満面の笑みを長野くんは浮かべた。

「実はあのカード、同伴者一名まで一緒に割り引きされるんだよ」

「し、知らなかったです」

 難病カードのさらなる特典を知らせるためだけにしては、あまりにも大袈裟すぎる笑顔だ。するとさらにとんでもないことを、長野くんは言ってきた。

「ねぇ、ハルカちゃん。せっかくだからこれ使って二人でどっか遊びに行こうよ。ハルカちゃんには病気のことバレちゃったから、思う存分このカード使えるし」

 私はなにを言われているのだろうか。突然の誘いに頭がパンクしてしまいそうだ。色々考えなければいけないはずなのに、頭の中が全く働かない。なにも言わない私に、長野くんは不安そうに言った。

「もしかして、彼氏がいてダメとか……」

「い、いませんよ」

 お母さんに言われた時と同じように、こういう言葉は食い気味に出てくる。私と同じくらい、長野くんも食い気味で言った。

「やった! それならいいよね?」

 なんで私が誘われているのか理解が追いつかず、どうしたらいいのか全くわからない。そもそも私はなんでこんな夜に長野くんに会いに行ったのだろうか。
 その時、なぜか知里ちゃんのことを思い出した。
 唯一の親友であったが、小学生の時に喧嘩して縁を切ってしまった女の子だ。もう何年も会っていない。そういえば、知里ちゃんはいつも私を遊びに誘ってくれた。懐かしい電話の声が、心に響く。

『もしもし、知里だよ。ハルカっち、今暇? 遊ぼうよ』

 知里ちゃんはよく私の家に、いきなり電話をかけてきた。今日の長野くんは、まるで知里ちゃんのようだ。そう思った時、私はハッとした。
 私、知里ちゃんに誘われてうれしかった。今日も同じ。
 遊びに誘われたことがうれしくて、こんな夜遅いのに無理をして来てしまったのだ。驚いてばかりだったけど、なんだかんだ楽しんでいる私もいる。自分の考えをはっきり意識して答えを言った。

「私で良ければ、一緒に行きたいです」

「最高! ハルカちゃんノリいいね!」

 満面の笑みさえも超えた、この夜の闇を吹き飛ばす太陽のように長野くんは笑った。その姿が可愛くて、私も微笑んだ。私を見ていた長野くんは少し下を向くと、なにかを思い出したかのようにまた私を見た。

「あ、ごめん。いつまでも止まってたら帰れないよね」

「そうですね。行きましょうか」

 私達はまた歩き始めた。
 しばらくは無言で歩いていたけれど、おしゃべりが得意ではない私の代わりに、長野くんが特別選抜クラスの面白い話をしてくれた。私は相槌を打ちながら聞くだけだ。
 長野くんの話を聞いて改めて思った。うち学校には私が知らない輝いている人がたくさんいる。私の居場所なんて本来ならどこにもない。でも今だけは長野くんが隣いて、月のように輝けているような気がする。そうこうしているうちに、景色が見慣れたものになってきた。
 家の近くまで着いたのだ。

「もう、ここまでで大丈夫ですよ」

「そうか。今日は来てくれてありがとうな」

「こちらこそ。送ってくれてありがとうございます。コーラもありがとうございました」

「気にすんなって。また連絡するよ。おやすみ」

「おやすみなさい」

 一分もかからず家に着くと、お母さんがうれしそうにおかえりなさいと言ってくれた。私もただいまと言って、靴を脱ぎ家に入る。

「ちょっと心配だったけど、ちゃんと帰ってきてくれて良かった」

「今日はありがとう。もう夜から出かけないようにする」

「あんまり多くなかったら別にいいけどね」

 長野くんとのことは根掘り葉掘り聞かれず、もう少しだけ会話をするとお母さんはリビングへと戻った。
 私も部屋に戻って寝るかな。
 慣れないことをしたせいか、身体がすごく重い。引きずるように二階にある自室へ行くと、電気をつけてパジャマに着替えた。
 電気を消し、ベッドに寝っ転がり目を閉じる。
 すぐに眠りに落ちると思ったが、コンビニでの長野くんの姿が頭に浮かんでくる。絵に描いたような綺麗な顔は、何度も楽しそうに笑っていた。こんな私を遊びにも誘ってくれた。今日のことが夢のように感じる。
 こんなに疲れているのに眠れないのも、なんだかドキドキしてきたのも、きっとコーラに入っていたカフェインのせいだろう。