――二〇一七年、十月三十日、月曜日。
 授業が終わるとすぐに病院に向かう。
 僅かな時間でも惜しく急いだため、桐人の病室に着く頃には息が上がっていた。それでも休むことはせず、扉を開く。

「ハルカちゃん!」

 桐人は笑顔で出迎えてくれた。ベッドで上半身だけを起こしており、両手は布団の中に入っている。

「今日も来てくれてありがとうね」

 ベッドの隣にある椅子に座っている愛さんも、笑顔で出迎えてくれた。私はあいさつもせずに口走った。

「桐人、ごめんね」

「ど、どうした?」

 なんのことか桐人は全くわかっていないようだ。

「私、色彩灰化で青系の色が見えなくなっているなんて知らなかった。それなのに空色のワンピース着たり、せっかくもらった財布も空色じゃないって言ったり……いっぱい傷つけてごめん」

「ちょっと待て。なんでその話、知ってるんだよ? まさか母さん……」

 桐人の不機嫌そうな顔は愛さんに向けらる。

「あらら……言う方が逆に不味かったかなぁ……」

 愛さんは気まずそうに笑っている。すると桐人が大きなため息を吐いた。

「あぁ、まぁしょうがねぇか。今回だけは許してやるよ」

「ごめんねぇ」

 桐人は愛さんを許すと、私の方を向いた。

「マジで傷ついてないから気にすんなって」

「で、でも……空色のワンピース初めて着た時、桐人泣いてたじゃん」

「あぁ……」

 ちらっと愛さんの方を見ると、観念したように話し始めた。

「あれはな、うれしかったんだ」

「うれしかった?」

「小学生の時に初めて会った時と同じ、青系のワンピース着ているってわかったからさ。色が見えていないとはいえ、その姿をまた見られてうれしかった。だからもし色彩灰化で青が見えないことがバレたら、もう着てくれなくなったり、変な気を使わせたりすると思ったんだ」

「ありがとう、桐人。そこまで私のこと考えてくれたんだね」

「そうだよ。まぁでも、空色のワンピース着たハルカちゃん見るより、親の前でこんなぶっちゃけた話する方がよっぽどダメージだけどな」

「あぁ。ごめん、ごめん」

 桐人が笑った。続けて愛さんも笑った。最終的には私も笑ってしまい、病室は笑顔で溢れたのだ。タイミングを見て、愛さんが言った。

「じゃ、私は先に出てるね。ハルカちゃん、今日も送ってあげるからよろしく」

「ありがとうございます」

 気を利かせて愛さんは病室から出て行った。二人だけになった病室はさっきまでとは違いなぜか異様に静かだ。すると、桐人は妙に明るく言った。

「両手がダメになっちまった。昨日はたくさん手を握って良かったよ」

「……私も桐人の手、握れて良かった」

 モヤモヤとした感情が霧のように心の中に漂っていた。だけど、桐人の手を握れて良かったと本心から思っている。桐人は私に優しく言った。

「母さんのこと悪く思わないでくれ。元はと言えばオレがちゃんと母さんに言っておけばいいだけの話だった」

「大丈夫だよ。桐人のお母さんのことも悪く思ってないし、桐人が悪いとも思ってないよ」

「ありがとうな。それにしてもさ……」

 少し間を置いて、桐人は寂しそうに言った。

「オレの青、どこに行ったんだろうな?」

 その言葉に胸が締め付けられた。桐人は灰になった身体のことよりも青に思いを馳せているようだった。桐人にとっては青は特別な色で、私にとっても特別な色だ。よりにもよってそれを奪うなんて、神様は残酷すぎる。
 なんて言葉をかけたらいいかわからなかった。それでも言葉で伝えられないことの伝え方を今の私は知っている。
 桐人に近づき、その身体を抱きしめた。
 今日も冷たいけれど、それなら私が温めるまでだ。桐人も私を抱きしめる。強い腕の力が私に伝わるけれど、もう手の力は伝わらない。それでも桐人は今あるもので、私を精一杯抱きしめてくれた。
 どちらからかわからないが、二人の身体が離れた。
 なにも言わずにただ見つめ合う。
 桐人が笑った。
 私も笑った。
 桐人の顔が、私の顔が、どんどん距離を距離を失っていく。
 心臓の鼓動がうるさいので、桐人よりも先に私が目を閉じた。
 私の唇と桐人の唇は完全に距離を無くす。
 このまま時間が止まってしまえばどんなに良かったことだろうか。だけど時間は流れていくし、砂時計のようにひっくり返すこともできない。ゆっくりと唇を離し、目を開ける。
 桐人は腕で目を擦っていたが、見なかったことにした。代わりにスマホで時間を見る。

「そろそろ、面会終わるね」

「そうだな。今日もありがとう」

 桐人は真っ赤な目で微笑んだ。