忙しい。とにかく忙しい。
 思い返せば、学生の頃も忙しかった。学生というのは、中学生や高校生の時も含めて、野球漬けの学生生活は泥だらけの忙しい日々だった。しかし、医者になった今はその比ではない。

 午前中は、外来の診察をこなし(病院の午前中とは、概ね、13時を過ぎる)昼飯にありつければいい方で、時間が無ければウイダー片手に着替えをして、手術(オペ)室に向かう。
 手術が終わると病棟に呼ばれて、必要な処置をしてから書類やカルテをやっつける。
 泥だらけになることは無くなったけれど、太陽の光を浴びる健全な生活とは、無縁になってしまった。人の健康のためにそれを解き、治療をしているなんて詐欺かと思うときもある。

 そんな毎日の中で金曜日の午後は、医者になった頃の事を思い出して気持ちをリセットする時間を過ごせた。病院からの派遣医師として伯父の診療所を手伝いに行ける日。

 伯父に借りのある自分は手伝うことを条件に、モノでは返せないような恩への借りを返している。でもよく考えれば伯父のためというより、伯父が俺のために作ってくれている時間なのかもしれない。

 伯父の診療所は、祖父がやっていた街中の整形外科。子供の頃から好きだった、少しエタノールの匂いがする家付きの診療所。

 微かに覚えている祖父は、白衣を着ていつもゆったりと椅子に座り、笑顔で患者さんと話をしていた。その様子が子供の目にはとても楽しそうで、以後ごちの良い空気を感じていたのだと思う。
 普通は子供が苦手なはずの診察室が好きだった。ひじ掛けのある大きく見える祖父の椅子に、座りたかった。

 総合病院とは違い、患者さんの生活が身近な診療所の仕事は、ここの椅子に座りたいと思っていた頃の気持ちを思い出させる。

 忙しい毎日に、流されないように。
 自分の心を、見失わないように。
 俺に必要な暖かさを見つける時間が、持てるように。

 ここの空気は、俺の生活に必要なものになっていた。