演奏会は大成功。アンコールが終わって、会場に照明が点いても、みんな席を立とうとしなかった。
拍手が鳴り止まない。私もコーヘイも精一杯手を叩いた。
でも、会場の誰より一番大きな音で、最後まで拍手し続けたのはユータだった。
「はーっ! 疲れたー!」
吹奏楽部が解散戻ってきたマユが、真っ先に向かったのはユータの隣。
私の「お疲れ様」や、コーヘイの「すごかった」よりも、ユータの「頑張ったな」に顔をほころばせる。
夕陽のオレンジに照らされたマユの笑顔は、演奏会を成功させた自信も加わって、きらきらと輝いて見えた。
「あたし、次の部長になったの。大変だし、ガラじゃないからって断ったんだけど、どうしてもって言われて。だから、これからもっと忙しくなっちゃうかも。ごめんね」
マユが顔の前で両手を合わせる。
ああ、なるほど。三枚の招待状の謎が解けた。きっと、部長という重責を引き受ける代わりに、と誰かから強奪したんだ。マユならそれくらいやりかねない。
ユータがマユの頭をくしゃりと撫でた。
「ま、今日の演奏に免じて、あと一年くらいなら辛抱してやるか。でも、連絡くらいはちゃんと返せよ」
「了解! じゃあ、今日の打ち上げはあのクレープ屋さんで」
「だめ。俺、甘いもん苦手だから」
「甘くないクレープもあるよ。ハムチーズとかツナマヨとか照り焼きチキンとか」
「え、マジ?」
「そうだよー、言ってくれたらよかったのに。クレープは甘いだけじゃないんだよ」
マユにからかわれたユータは唇を尖らせた。
「久々のデートだろ? だったら二人で行ってこいよ」
「えー、コーヘイ、つれないなぁ」
「マユ、お前ももう少しユータに気を使えよ」
でもぉ、と不満げなマユの後ろで、ユータが私たちに向かって「悪いな」と唇だけで言った。
「行こうぜ、マユ」
ユータがマユの手を取って、私たちに背中を向ける。
私たちは仲良し四人組――だったはずなのに。
マユはどこまで気付いていたんだろう。
ユータが自分に対して不満を抱えていること。
私がユータを好きなこと。
コーヘイが私を好きなこと。
誰かから強奪した三枚の招待状はきっと、決意表明と牽制と応援。
フルートの音色ひとつで、マユは私たちの間でぐるぐる渦巻いて滞留していたものを打ち砕いてしまった。
私とユータのキスが二回目を数えることは、きっともう、ない。
遠ざかる二人の背中を見つめていた私の手を、コーヘイが握った。
伝わってくる体温に、麻痺していた感覚が、じわん、と戻ってくる。
見上げると、コーヘイはまた、叱られた犬のような顔をしていた。
「俺、アカリのことが好きだよ」
二回目の告白。
ふっと胸が温かくなった。コーヘイの体温を探るように、指先でその手のひらをなぞった。
誰の目も気にしなくていいこの手は、触れることをためらわなくていいこの手は、こんなにも温かい。
コーヘイの隣なら、ずっとこんな気持ちでいられる。
「好き」という気持ちは、本当はこんなにも穏やかなものなのかもしれない。
ぎゅうっとコーヘイの手を握りしめると、コーヘイが驚いたように私を見た。それから、いつもの無表情が崩れて、ふにゃりと笑った。
六組の岡崎さんも四組の白川さんも、それに、私もマユもユータも知らなかったコーヘイの顔。
こうやって、知らなかったことを知って、想いを重ねていけば、私はコーヘイを「好き」になっていく――の?
私たちを照らす夕陽のオレンジは、こんなにも温かい色をしているのに、どうして指先が冷えていくんだろう。
「俺たちも行こうぜ」
コーヘイの手から私の手がするりと滑り落ちた。指先からコーヘイの体温が消える。
残ったのは私だけの体温。
「ごめん」
それはきっと――私が欲しいものじゃないから。
私は、もう小さくなってしまった背中に向かって走り出した。
コーヘイの声が聞こえた気がした。なんて言ってるんだろう。ユータの声なら、どんなに遠くにいても、どんなに小さくても、すべて聞き取ることができるのに。
いつか私が、もっともっと大人になったら、優しくて、温かくて、穏やかで、世界の全てが肯定してくれるようなコーヘイの気持ちを、愛おしく思うのかもしれない。
もしかしたら、いつか、この手を離したことを後悔するのかもしれない。
だけど、私はまだ子どもで、どうしようもなくバカで、欲張りだ。
誰かに見られちゃいけないと分かっていても、そばにいたいと思う。
触れることをためらう手だからこそ、触れたいと願う。
全身が張り裂けそうで、苦しくて、叫び出したいくらい不安で、私がいま手にしているすべてを失っても、他の誰が不幸になっても構わないから、それでも――っていう、この気持ちにしか「好き」という言葉が当てはまらない。
だから、私はあの日の約束を――仲良し四人組を守らなくちゃいけない。
ユータとマユとコーヘイと私は、ずっと、いつまでも変わらない友達。
――ねえ、そうでしょう?
地面を蹴るたびに、足に合わなくなったローファーが、消えない傷が付いたローファーが、私の足を締め付ける。
ずきん。ずきん。ずきん。ずきん。
それは、私の心の鼓動。
痛くて痛くてたまらない。だけど、止まったらきっと死んでしまう。だから、まだ新しい靴は履けない。
「待って! やっぱ一緒に行く!」
振り返ったマユとユータは少し困った顔をした。私は、それに気付かないフリをして、二人の間に飛び込んだ。
「コーヘイと二人でもいっかなって思ったんだけど、四人が揃うの久し振りだし。途中で帰ってあげるから、ちょっとだけお邪魔させてよ。ほら、コーヘイ。早くしないと置いてくよ!」
ずっと遠くにいるコーヘイに手招きする。
「……分かったよ!」
走り寄ってくるコーヘイは、いつもの無表情だ。消してしまったあの笑顔に、ごめんね、と心の中で謝っておく。
「さあ、四人そろったところで、しゅっぱーつ!」
ユータ、マユ、私、コーヘイ。横一列になって歩く。
長く伸びた四人の影が、オレンジ色に染まる並木道に縞模様を描き出す。いつまでも交わることのない、絶望的な模様。
それでも私はユータの隣にいたい。
友達の顔をして。好きという言葉を飲み込んで。痛みを鼓動にして。
「お前、バカだな」
コーヘイが私にだけ聞こえるように呟いた。
「うん。みーんなバカ。バカばっかり。それでいいじゃん」
私たちは仲良し四人組。
いつまでも、どこまでも、ずっと変わらないって信じているフリを続けていく。
「ね、じゃんけんしよっか。負けた人がみんなにおごるの」
「いーね。アカリ、ナイスアイディア」
「えー、今日の主役はあたしなのになー」
「じゃあ、マユが負けたらユータがおごりってことで」
「おい、アカリ。それマジかよ。俺、いま金欠なんですけど」
「いいじゃん、頑張れよ彼氏」
「じゃあいくよー」
「せーの」
「じゃんけん……」
「ぽんっ!」
四つの手が、思い思いのかたちを作った。
【了】
拍手が鳴り止まない。私もコーヘイも精一杯手を叩いた。
でも、会場の誰より一番大きな音で、最後まで拍手し続けたのはユータだった。
「はーっ! 疲れたー!」
吹奏楽部が解散戻ってきたマユが、真っ先に向かったのはユータの隣。
私の「お疲れ様」や、コーヘイの「すごかった」よりも、ユータの「頑張ったな」に顔をほころばせる。
夕陽のオレンジに照らされたマユの笑顔は、演奏会を成功させた自信も加わって、きらきらと輝いて見えた。
「あたし、次の部長になったの。大変だし、ガラじゃないからって断ったんだけど、どうしてもって言われて。だから、これからもっと忙しくなっちゃうかも。ごめんね」
マユが顔の前で両手を合わせる。
ああ、なるほど。三枚の招待状の謎が解けた。きっと、部長という重責を引き受ける代わりに、と誰かから強奪したんだ。マユならそれくらいやりかねない。
ユータがマユの頭をくしゃりと撫でた。
「ま、今日の演奏に免じて、あと一年くらいなら辛抱してやるか。でも、連絡くらいはちゃんと返せよ」
「了解! じゃあ、今日の打ち上げはあのクレープ屋さんで」
「だめ。俺、甘いもん苦手だから」
「甘くないクレープもあるよ。ハムチーズとかツナマヨとか照り焼きチキンとか」
「え、マジ?」
「そうだよー、言ってくれたらよかったのに。クレープは甘いだけじゃないんだよ」
マユにからかわれたユータは唇を尖らせた。
「久々のデートだろ? だったら二人で行ってこいよ」
「えー、コーヘイ、つれないなぁ」
「マユ、お前ももう少しユータに気を使えよ」
でもぉ、と不満げなマユの後ろで、ユータが私たちに向かって「悪いな」と唇だけで言った。
「行こうぜ、マユ」
ユータがマユの手を取って、私たちに背中を向ける。
私たちは仲良し四人組――だったはずなのに。
マユはどこまで気付いていたんだろう。
ユータが自分に対して不満を抱えていること。
私がユータを好きなこと。
コーヘイが私を好きなこと。
誰かから強奪した三枚の招待状はきっと、決意表明と牽制と応援。
フルートの音色ひとつで、マユは私たちの間でぐるぐる渦巻いて滞留していたものを打ち砕いてしまった。
私とユータのキスが二回目を数えることは、きっともう、ない。
遠ざかる二人の背中を見つめていた私の手を、コーヘイが握った。
伝わってくる体温に、麻痺していた感覚が、じわん、と戻ってくる。
見上げると、コーヘイはまた、叱られた犬のような顔をしていた。
「俺、アカリのことが好きだよ」
二回目の告白。
ふっと胸が温かくなった。コーヘイの体温を探るように、指先でその手のひらをなぞった。
誰の目も気にしなくていいこの手は、触れることをためらわなくていいこの手は、こんなにも温かい。
コーヘイの隣なら、ずっとこんな気持ちでいられる。
「好き」という気持ちは、本当はこんなにも穏やかなものなのかもしれない。
ぎゅうっとコーヘイの手を握りしめると、コーヘイが驚いたように私を見た。それから、いつもの無表情が崩れて、ふにゃりと笑った。
六組の岡崎さんも四組の白川さんも、それに、私もマユもユータも知らなかったコーヘイの顔。
こうやって、知らなかったことを知って、想いを重ねていけば、私はコーヘイを「好き」になっていく――の?
私たちを照らす夕陽のオレンジは、こんなにも温かい色をしているのに、どうして指先が冷えていくんだろう。
「俺たちも行こうぜ」
コーヘイの手から私の手がするりと滑り落ちた。指先からコーヘイの体温が消える。
残ったのは私だけの体温。
「ごめん」
それはきっと――私が欲しいものじゃないから。
私は、もう小さくなってしまった背中に向かって走り出した。
コーヘイの声が聞こえた気がした。なんて言ってるんだろう。ユータの声なら、どんなに遠くにいても、どんなに小さくても、すべて聞き取ることができるのに。
いつか私が、もっともっと大人になったら、優しくて、温かくて、穏やかで、世界の全てが肯定してくれるようなコーヘイの気持ちを、愛おしく思うのかもしれない。
もしかしたら、いつか、この手を離したことを後悔するのかもしれない。
だけど、私はまだ子どもで、どうしようもなくバカで、欲張りだ。
誰かに見られちゃいけないと分かっていても、そばにいたいと思う。
触れることをためらう手だからこそ、触れたいと願う。
全身が張り裂けそうで、苦しくて、叫び出したいくらい不安で、私がいま手にしているすべてを失っても、他の誰が不幸になっても構わないから、それでも――っていう、この気持ちにしか「好き」という言葉が当てはまらない。
だから、私はあの日の約束を――仲良し四人組を守らなくちゃいけない。
ユータとマユとコーヘイと私は、ずっと、いつまでも変わらない友達。
――ねえ、そうでしょう?
地面を蹴るたびに、足に合わなくなったローファーが、消えない傷が付いたローファーが、私の足を締め付ける。
ずきん。ずきん。ずきん。ずきん。
それは、私の心の鼓動。
痛くて痛くてたまらない。だけど、止まったらきっと死んでしまう。だから、まだ新しい靴は履けない。
「待って! やっぱ一緒に行く!」
振り返ったマユとユータは少し困った顔をした。私は、それに気付かないフリをして、二人の間に飛び込んだ。
「コーヘイと二人でもいっかなって思ったんだけど、四人が揃うの久し振りだし。途中で帰ってあげるから、ちょっとだけお邪魔させてよ。ほら、コーヘイ。早くしないと置いてくよ!」
ずっと遠くにいるコーヘイに手招きする。
「……分かったよ!」
走り寄ってくるコーヘイは、いつもの無表情だ。消してしまったあの笑顔に、ごめんね、と心の中で謝っておく。
「さあ、四人そろったところで、しゅっぱーつ!」
ユータ、マユ、私、コーヘイ。横一列になって歩く。
長く伸びた四人の影が、オレンジ色に染まる並木道に縞模様を描き出す。いつまでも交わることのない、絶望的な模様。
それでも私はユータの隣にいたい。
友達の顔をして。好きという言葉を飲み込んで。痛みを鼓動にして。
「お前、バカだな」
コーヘイが私にだけ聞こえるように呟いた。
「うん。みーんなバカ。バカばっかり。それでいいじゃん」
私たちは仲良し四人組。
いつまでも、どこまでも、ずっと変わらないって信じているフリを続けていく。
「ね、じゃんけんしよっか。負けた人がみんなにおごるの」
「いーね。アカリ、ナイスアイディア」
「えー、今日の主役はあたしなのになー」
「じゃあ、マユが負けたらユータがおごりってことで」
「おい、アカリ。それマジかよ。俺、いま金欠なんですけど」
「いいじゃん、頑張れよ彼氏」
「じゃあいくよー」
「せーの」
「じゃんけん……」
「ぽんっ!」
四つの手が、思い思いのかたちを作った。
【了】