4桁の数字の下にはスマホのパスワードと文字が書かれていた。もしかしたらこれから大道さんが言いたいことをスマホで伝えることがあるかもしれないと言う意味で私でも開けれるように教えてくれたのではないだろうか。
「このパスワード覚えて良いんですか?」
(うん)
「ちょっと自分のスマホにメモしますね。忘れたら大変だから」
私はポチポチと自分のスマホのメモアプリに『大道さんスマホ0818』と打ち込んだ。もしかしたらこの数字は誕生日だろうか。それならもうとっくに過ぎている。
「このパスワードって誕生日ですか?」
(うん)
「やっぱり…!す、すみません!私誕生日知らなくて…。えっと、誕生日おめでとうございます。そういえばこの日ってお見舞い来ましたよね?気づいてたら言えたのに…」
せっかくの誕生日を知らずに過ごしていた私に後悔する。プレゼントも用意してない。とりあえず今はおめでとうの言葉だけを大道さんに伝えた。嬉しそうに目尻を下げて喜ぶ大道さん。今日初めて私に向けた笑顔を見せてくれた。私はそれを見て釣られて笑うとパスワードの下に打ち込まれた文章を読んだ。
【わがままをきいてください。ななみちゃんにあいたいです】
全て変換されずにひらがなで書かれた言葉にはそう表示された。私に伝えたいことはまさか七海に会いたいということらしく、驚いて思わず大道さんの方を見てしまう。相変わらず眉を下げて笑う大道さん。その感じからこれは冗談ではなくて本気のようだ。
「七海に会いたいんですか?」
(うん)
「そしたら病気のことを知られちゃいますよ」
(うん)
大道さんのお願いなら叶えてあげたい気持ちもある。むしろ叶える気持ちの方が大きい。けれど相手が七海だ。私は返事に困ってしまう。距離を置き始めてから1ヶ月半は経ってしまった。その間は本当に全く喋らないし、会ったとしても極力目を合わせない。私から離れた距離がいつしかお互いに離れあって溝が深くなってしまった気がする。それに加え、七海の今の状況もわからないのに話しかけるのは勇気がいる。私も大道さんのように眉を下げて悩んでしまった。その時、救急車で大道さんが病院に運ばれた時にお母さんが言っていた言葉を思い出す。
『保那の場合、結構症状の進行が早いと先生は言っていました。もしかしたら…』
考えたくないことだけど、死が早く大道さんの首を掴んだら逃れられないことだ。だったら願いは叶えてあげたい。まだ運命が決まったわけではないけど、出来ることはやってあげよう。恋人として出来ることを。
私は思わず目が潤みそうになるけど大道さんの前で泣くわけにもいかないのでグッと耐えた。何回か瞬きをして私は大道さんの目を見る。
「いつが良いですか?やっぱり早いうちに会いたいですか?」
(うん)
「わかりました。七海に連絡取ってみます」
(ありがとう)
安心したように大道さんは私を見てくれて私もまた笑顔を見せる。その日は大道さんがなんだか疲れた様子だったのでスイーツ紹介は延期となった。きっと力の入らない身体でスマホをいじったのが気力的にも疲れてしまったのだろう。私は帰る時に大道さんの右手を一回握った後、病室を後にした。
帰り道、私は脳内で作戦会議を開催する。勇気が必要なのは重々承知の上でどうやって伝えるかを考えていた。きっと病気でALSだと言えば一発でOKだと思う。しかしそれを言って七海は来てくれるのか。以前なら迷わず来ていたはずだが、今は来てくれる確信は無い。そう考えていると頭の中で行き止まりに来てしまうけど『大道さんのお願い』と言うワードが行き止まりの壁を壊そうとする。ここ1ヶ月は大道さんを結びつければ何事でもやろうと思えるようになったと実感がある。それはもしかしたら病気に対する同情かもしれない。私はまだ、大道さんのことが好きという感覚は掴めなかった。ただ、何かしてあげたいと思ってしまうのはやはり同情が大きいはずだ。大道さんにこの事を言ったら絶対に傷ついてしまう。この話は私の中で収めておこう。
それにしても私は未だに解せないことがある。何故大道さんは私と付き合ったのかという事だった。薄々は感じていたけど、私が好きで付き合った訳ではなさそうに思える。話せる時は私に好きだと言ってくれることもあった。それに対して私は『好き』の言葉ではなく「私もです」と答えていた。そんなあやふやな言葉でも大道さんは喜んでくれる。そう考えると好きな気持ちは少しは存在してるかもしれない。でも私としては病気で動けなくなる前に思い出作りとしか考えられなかった。そう頭の中ではっきりと考えられているのに大道さんのお願いをなんでも聞こうとする私は都合のいい女と思われてる可能性もある。大道さんのイメージではそんな感じではないのだが。
七海への作戦からどんどんと脱線して行って私は結局自分の家に着くまで大道さんのことを考えていた。勿論この先の扉を開ければ廃墟のような部屋が待っているのだが、何故か今日は嫌な気分にはならなかった。私は壁にかけてあるカレンダーを見て次大学に行く日を確認する。すると明後日の2限から授業が入っていた。科目的に七海とは会える。運が良いのか悪いのかわからないけど、私は思わず肩に力が入ってしまった。
大学に行くのにここまで憂鬱なのは初めてだった。今までも面倒臭いなとか休もうかなとか思うことは何回もあったけど完全なる拒否ではなかったため結局は大学に足を運んでいた。今日は七海に会って、目を見て話す。簡単そうなコミュニケーションだけど私にとっては難しい。元々の人見知りと現在の状況でコミュ力がガタ落ちする。それでも最終的には大道さんのためと意気込んで家の扉を開けて大学に向かって歩き始めた。
いつも朝だと大学内の廊下はうるさくて耳を塞ぎたくなる。「黙れ!」なんて言いたいけど私なんかが言えるはずもないし、そもそも言う人なんているのだろうか。でも今日は違った。変な緊張で周りがシーンと静かに感じる。聞こえてくるのは私の心の声と速くなる心音。大道さんといる時とは全く違う心音で心地悪い。なんで私はここまでしなくてはいけないかと若干キレそうになるけど大道さんのためと言い聞かせれば落ち着いてくる。私からの同情は大道さんにとって余計なお世話だとはわかっているけど同情は日に日に大きくなっていった。
教室に入ると数人の生徒がまばらに座っている。いつもと同じ時間に来たから大体同じ生徒が着席しているのはわかりきっていた。だから私はいつもと違う席に真っ直ぐに歩いて行く。小さな身体は私よりも5センチ程差がある。そんな小柄な女の子の隣に私は座った。思った通り驚いた表情をして私を一瞬だけ見てからすぐに視線を下に逸らした。私は自分の鞄からルーズリーフの紙を出して小さくちぎったらそこに殴り書きするようにボコボコした鉛筆を走らせる。書き終えた私は隣にいる女の子にさっと渡した。不審がりながら手に取って読んだのを確認して私はテキストやらを机に置き始める。手紙の返事は返ってこなかったけど、ここまでは予想範囲内なので私は気にせずに授業を受け始めた。
お昼の時間、私は食堂には行かず売店に足を運んだ。2人分のパンを買って来た道を引き返す。七海は指定した場所に来てくれているだろうか。不安な気持ちなってしまうけど、道は引き返せても気持ちは引き返せない。もう手紙は渡してしまったのだから行くしか選択肢はない。例え来ない場合があっても呼び出したのは私だから。気合を入れながら私は外を出て大学内の体育館周辺にあるベンチへと向かった。途中で速度が遅くなってしまったけど私は体育館周辺へと着いた。後は七海を探すだけ。キョロキョロと頭を動かすけど見当たらない。他の生徒に紛れてしまったのではないかと目を凝らすがそれらしき人は私の目に映らなかった。私はどうしようかと買ったパンのビニール袋を見る。とりあえず待ってみようと後ろのベンチへ座ろうと振り向くと人が立っていた。
「ひっ!」
「あっごめん。今話しかけようとして…」
「こっちも驚いてごめん!ちょっとびっくりしちゃっただけ」
気配を感じ取れずに後ろを向いたら七海が私に手を伸ばしていて反射的に声が出る。久しぶりに向かい合って顔を合わせたからなんだか恥ずかしい。七海の顔は前よりも痩せていてご飯を食べてないのか心配になる。私と七海は何も言わずに日陰に隠れているベンチに座った。
「はい。これ」
「カレーパン?」
「半分でもいいから食べて。それともこっちのサラダサンドイッチがいい?」
「…ううん。これがいい」
七海は私が差し出したカレーパンを手に取ると袋を破り一口食べた。私もサラダサンドイッチの袋を開けて食べ始める。七海がよく食堂でカレーを食べていたから選んだカレーパン。もしかしたら今、やつれている七海には重いかもしれない。私は一口食べた後七海の顔を見る。かけようとした言葉が止まってしまった。
「七海…?」
「ごめ、ん。ちょっと、待って…」
ポロポロと大粒の涙が七海の頬を流れる。私は周りに人が居ないのを確認して七海の背中を優しく摩る。カレーパンを無理矢理食べさせて泣かしたなんて噂になったらきっと立ち直れない。それでもどうしていいかわからず私は「大丈夫?」としか声をかけられなかった。大道さんの時もそうだけど、自分の前で何か起こると慌てるだけで何もできない自分が嫌になる。大道さんが目の前で倒れた時にその感情は十分味わったはずなのに、それでも背中を摩り声しかかけられないのは全く経験を活かしきれてないと実感する。七海は少し涙を流すと少し落ち着いたのか私を赤くなった目で見た。
「美湖ちゃん、私、久しぶりに嬉しいって思っちゃって…」
「そう、なの?」
「美湖ちゃんが話したいって手紙くれたから来たけど最初に私の話を聞いてほしい」
「うん。勿論いいよ」
七海は一回下を向いて息をついて呼吸を整えるとまた少し赤く染まった目を私に向けて来た。私もそれに応えるように七海を見る。
「私、櫻ちゃんに振られたの。美湖ちゃんとちゃんと話したあの日の数日後に。もう私と居るのが疲れたって言われた。私その日からおかしくなっちゃって。…ううん。おかしかったのは前からだよね。美湖ちゃんが私と距離を置いた理由も今の私ならわかる気がする。今日までずっと1人だった。隣には誰も居なくて…。でも頭冷やせたんだ。最初はよくわからなくて暴れたりしてた。でも日が経つことにつれて自分がした行動や口から出した言葉は普通じゃなかったって思う。
だから、美湖ちゃん。本当にごめんなさい。美湖ちゃんにも沢山迷惑かけたし沢山傷つけた。謝っても美湖ちゃんは許さないかもしれないけど、今の私にはこれしか出来ないから。ごめんなさい」
私に向かって頭を下げる七海。また涙が出て来たのか肩が震えている。私は一旦目をギュッと瞑ってまた開けた。七海の下がった肩を掴んで無理矢理起こす。さっきよりも流れる涙の量は増えていて目ももっと赤くなっていた。私は一回微笑むと鞄に入ってる筆箱から鉛筆を取り出した。
「これ私の鉛筆。いつも使ってるから分かると思うけど、全体がボコボコしていて所々噛み跡見たいのがあるのがわかるよね?
…私、七海に嘘ついたし隠していた。これは犬がやったんじゃないの。全部私が傷つけた」
鉛筆を私と七海の前に持ってきて見せながら話すと、驚いたように七海は鉛筆を見つめる。
「私は壊し癖があるの。高校生の時からずっと。何かあると壊したくなって噛んだり、引っ掻いたりする。それは鉛筆だけじゃなくて自分の部屋の家具にもした。だから今の私の部屋は廃墟みたいだけどね。こんな癖誰にも理解されないし、ましてや引かれて私から離れてしまう。だから今まで隠し通してきた。でも今日、七海は私に自分のことを伝えてくれたから…。あのね、私はきっとこの癖が始まった時から人の流れから外れてた。
七海、普通じゃないのは私も同じ。だからお揃い」
ニコッと笑ったつもりなのに私の頬にも温い水が伝う。鉛筆を持つ手は震えていたけど、私は七海に見せ続けた。
「美湖、ちゃん、も、同じ…?」
「うん、同じだよ」
七海は私の持つ鉛筆をギュッと握りしめた。そしてまた静かに涙を流す。私は鉛筆を握りしめる七海の手をそっと優しく握った。大学内のベンチに座り2人で泣いた。もし、こうなる前に私が癖の話をしたらどんな結末になっただろう。過ぎたことを考えるのは無駄なことだけど、また違った答えが見つかったのかもしれない。でも私達は今のタイミングが正解だった。お互いに外れ同士とわかった今なら、また隣で話すことが出来る。ひょっとして大道さんは仲直りさせるために七海に会いたいと言った可能性もある。そうだったら後でお礼を言わないと。勿論、友達の七海と2人で。
「そうだ、美湖ちゃん、」
「何?」
「さっきの手紙の返事…」
「えっ、ただ授業終わったらここに来てって書いただけだよ?もう返事貰ったようなものだけど」
「いいからもらって!」
七海は服のポケットからビリビリに破れた1枚の小さな紙を私に押し付けてきた。それを取って確認するとどうやら私が七海に渡した紙に何かを書き足したようだった。
【授業終わったら休育館前のベンチに来てほしい。 ↑体だよ 七海】
私は殴り書きしたとはいえ恥ずかしくて俯いてしまった。
お昼時間がとっくに過ぎた昼下がり。私達はそのままベンチに座ってパンを食べていた。隣からはカレーの香りが漂って私の鼻をくすぐる。一応、七海の食欲がカレーパンは重いと判断した時のためにサラダサンドイッチを買っておいたけど、美味しそうにカレーパンを頬張る七海を見てその必要はなかったと安心する。元々少食でなおかつ現在痩せ細ってる七海は半分くらいしか食べれないかなと思っていたけど今のところは全部食べれそうな勢いだ。私は七海をチラッと見た後自分のサンドイッチをまた食べ進めた。
「最近あまり食べてなかったから凄く美味しい」
「よかった。それで足りる?」
「十分だよ。ありがとう」
「夜もちゃんと食べなよ?痩せすぎだから」
「うん、わかった。食欲が元に戻ったらまた保那くん混ぜてスイーツ巡り行きたいね」
「あっ……」
七海の言葉に力が抜けてサンドイッチの具材として挟まれていたレタスが落ちてしまった。七海はそれを拾ってくれて私はパンが入っていたビニール袋を差し出す。本題がまだだったのを忘れそうになるくらい先程の会話が私にとって大きなことだった。せっかく話せるようになったのだから大道さんの事を正直に言わなくてはならない。勿論嘘をつくなんて事は絶対にしない。いずれ、七海にもその話が行き渡るのだから。
「あの、大道さんのことで話があるの」
「あ!もしかして付き合ったとか?」
「また泣かせちゃうかもしれないけど大道さんのお願いだから…」
「な、何?」
「大道さん、今病気にかかって入院している。ALSって言って筋肉の力が段々と落ちてきて動くのが困難になる病気に。その、大道さんのお母さんが言うにはその病気進行が予想以上に早いらしいの。だからもしかしたら、その……察してほしい」
「いつから…?」
「1ヶ月くらい前。前までは普通に喋れたんだけど今は喋るのも難しくなっている」
「保那くんが…」
「七海、お願い。大道さんに会ってくれない?七海に会いたがっていたから。私、一昨日大道さんにそう頼まれたの。今の大道さんを見るのは辛いかもしれないけど、お願い」
「うん、わかった。会うよ、会うけれどちょっと待って。整理が出来ない…」
いつの間にか食べ終わったカレーパンの袋を握りしめて戸惑う様子を七海は見せた。急にこんな話をされたら誰だってそうなってしまう。それに相手は大道さんだ。もしかしたら私以上に七海は仲が良いかもしれない。私は七海がちゃんと落ち着けるまで待っていた。手に持ったサンドイッチは後3口くらい残っていたけれど、食べる気にもならず袋に閉まった。
「美湖ちゃんはいつ行くの?」
「私はほとんど毎日行ってる」
「今日は?」
「一緒に行く?」
「行く」
七海の気持ちにも整理がついたようで私は立ち上がって鞄を肩にかける。七海もビニール袋を側にあったゴミ箱に捨てて私の隣に並んで歩き始めた。久しぶりに2人で歩くから妙に緊張してしまう。たった2ヶ月くらいの期間でも私達にとっては1年くらいの長さに感じた。私と七海は並んで大道さんが入院してる大学病院へと足を向けた。
「大道さん?起きてます?」
「保那くん…」
大学病院内の1室。私と七海は大道保那と書かれたプレートが壁にかけられた部屋の扉で顔を覗かせていた。大道さんは横になって寝ていて目線を私達がいる扉の方に向ける。
「七海、連れてきましたよ」
私がそう言って後ろにいた七海を前へ進めると大道さんの表情が晴れた。七海は恐る恐る大道さんの近くの椅子に座る。私も同じように七海の隣に座った。
「身体起こしますか?」
(うん)
大道さんが小さく頷いたのを確認して私は電動式のベッドのボタンを操作して上半身を上げた。大道さんの変わり果てた姿に七海は既に泣きそうになっていて目を潤ませている。七海が最後に会った時よりも痩せているし、身体には管が何本も繋がっている状況だ。気を抜けば私も涙を流しそうになってしまう。それくらい弱々しくなっているのだ。
「保那、くん……」
「大道さん。3人揃いましたね」
(うん。ありがとう)
「…七海とやっと話せました。きっかけをありがとうございます」
(ううん。こちらこそ)
「今日は妹さん達は来られました?」
(ううん)
「それじゃあ来るまで疲れない程度に居ますね」
(うん)
七海は黙ってしまっていて会話は私と大道さんだけで繰り出される。涙は流してないものの、きっと何を話せばいいのか迷っているはずだ。私はそっと七海の背中を優しく摩った後、いつものようにタブレットを出してスイーツ紹介を始める。
「この前紹介出来なかったので、今日は少し多めにあります。でも何個かは前に話したものと似ていますけれど…。まず1つ目が…」
2人に見えるように画面を向けながら私が調べたスイーツを次々と紹介していくと俯いていた七海も見てくれるようになって少しずつ目を輝かせている。大道さんも同じようにジッと私の話を聞きながら見てくれて好みのものが出ると表情を緩ませてくれた。全てのスイーツが紹介し終わった頃には30分経っていて暗かった部屋の雰囲気も明るくなっていた。七海もいつも通りのコミュニケーション能力が戻ったのか途中途中に大道さんに「美味しそうだね!」と話しかけていて私も安心しながら見ていて、次は七海に話題でも振ろうかなと考えていると、病室の扉が横に開く。私と七海は後ろを向くと大道さんのお母さんと妹さんが荷物を持って立っていた。
「美湖さん、来ていたんですね」
「はい。30分くらい前に…」
「いつもお見舞いに来てくれて本当にありがとうございます。息子も影月さんが来ると凄く喜んでいるので」
そうなのかとチラッと大道さんを見ると照れたように私から視線を外した。なんだか私まで照れ臭くなってお母さん達の方に向き直る。
「そちらの方は別のお友達さんですか?」
「はい。私と同じ大学で大道さんとも仲のいい子です」
「はじめまして。小日向七海です。よろしくお願いします」
「はじめまして。保那の母です。隣にいるのは保那妹です」
私と大道さんを除いた3人はペコペコと頭を下げて挨拶をしていた。すると大道さんのお母さんが、思い出したように私の方を見る。
「あの影月さん、少し…」
「はい…?」
手招きされて私は椅子から立ち、お母さんの後ろをついて病室から出る。何気に初めて2人で話すので緊張して心音が不規律に動き始める。同じ階にある多目的スペースにお母さんの隣に並びながら行くと、先客がいて年配の方がお喋りをして病院内での数少ないコミュニケーションを取っていた。私達はそこから少し離れた窓際にある椅子に向かい合って座ると、真剣な表情をしたお母さんは私に向かってこう言った。
「保那のことで相談があるの」
「相談、ですか?」
嫌な予感しかしなくて冷や汗が身体から出るのがわかった。
「保那の病気のALSは完治は難しいのは前話しましたよね」
「はい。私の方でも色々と調べています」
「ありがとう。…最終的に、呼吸するための筋肉も動かなくなって呼吸不全に陥るそうです。先生からの話だと今の医学では延命治療しかできないらしくて。それに加えて保那は進行が他の人よりも凄く速い。今も私達の前では見せようとしませんが、とても辛そうにしていると看護師さんの方からよく聞きます」
「そう、なんですね」
「そこで影月さんに相談です。保那に人工呼吸器を付けるべきでしょうか?」
「えっ…」
「…言葉が足りてませんね。今はまだ付けてませんけど人工呼吸器を付けるか付けないか選べるんです。付ければ寿命は伸びます。しかし付けなければ…」
「勿論、付けます!でないと大道さんが…!」
「私も付けたいです。1秒でも長く保那の側に居たいから。でも、そうすると保那が辛くなる時間が増えてしまう。ALSになった人達の中にはこういう風に思うことがあるそうです。辛いから死にたいと」
テーブルを挟んで反対側にいるお母さんに向かって身を乗り出す。冷や汗が私の身体を伝った。耳を塞ぎたい話なのに塞ぐことすら忘れてしまう。耐えていた涙が一筋、私の頬を流れた。
流れた涙、1つがテーブルの上に落ちる。そしてまた次々とテーブルの上に点を作っていった。
「こんな話、聞きたくないですよね…。でも………影月さんに決めていただきたい」
お母さんは目に涙を溜まらせながら、それでも真剣に私を見つめて答えを待っていた。何故私に選択を委ねるのか理解できなくて頬に涙を流しながらお母さん目がけて声を荒げる。
「何で…私は部外者です!大道さんと血の繋がりだってありません!ただの、ただの友達です!」
失礼だとかうるさいだとか考えられなかった。言葉の語彙力が失っている中、私は必死にお母さんに主張した。理解できないしそんな大事な選択を任せれるような人ではない。例え大道さんと付き合っていたとしても…私は…
「影月さんは保那のこと好き?」
「えっ?」
「保那の事どう思ってる?」
「…わかりません」
「嘘。思ってること全部言って?私はそれが聞きたい」
お母さんだって泣きたいのに涙を流すことを耐えて、私に優しく問いかける。私の中で何かが切れたように涙が一斉に溢れ出した。
「大道さん、は、優しくて、紳士的で、考え方が大人で、こんな私を好きって言ってくれます。人見知りでぶっきらぼうで、言いたい事も言えずに逃げる私なんかを。そんな私を否定しないでいてくれる。だから私は、大道さんを、愛してます」
顔を覆うことさえ忘れて泣きながら話した。今まで思っていても全部見て見ぬふりをしていた想いが全て外に駆け出した。誰かと付き合っても愛してるなんて言えなかった。むしろ愛情なんて湧いたこともなかった。そんな私は今、大道さんを愛している。
もしかしたら大道さんは私とは同じ位置にある愛情ではない可能性もある。それでも私は大道さんのことを愛おしいと思う。私が思う好きな理由は愛する理由にならないかもしれない。それでもこんなにも胸が苦しくて熱くなるのはきっと、この世界の神様と私達を描くストーリーテラーの悪戯なのだろう。こんな悪戯要らなかった。私が運命を壊す力を持ちたかった。そうすればきっと私達はハッピーエンドを迎えられたはずだ。
壊す快感なんて覚えず、大学で七海と出会って大道さんを紹介されて、私と大道さんが惹かれあって結ばれて、七海も松本さんと仲良く過ごしていて、そんな世界を書きたかった。そんな世界になって欲しかった。
私は気持ちを言って泣くことしか出来ず、気づけば向かい合って座っていたお母さんに抱きしめられていた。私の頭をクシャクシャと撫でながら溜まった涙を流し、鼻を啜り泣いていた。多目的スペースに屯っていた老人達もいつの間にか居なくなっていて、きっと私が声を荒げてしまい退散したのだろう。しばらくの間。西日が差す多目的スペースで私達は泣いていた。
とある冬の日。保那くんは家族と友達に見守られながら旅立って行った。1番近くに美湖ちゃんが座って手を優しく握って愛おしそうな目で保那くんを見つめていた。向かい側には私と櫻ちゃんが座って「ありがとう」と言葉を口にしながら左手を握った。後ろには妹ちゃんや、お母さん、お父さんが涙ぐみながらも笑顔で保那くんを見ていた。そんな保那くんは最後まで美湖ちゃんから目線を外さないで、目を完全に閉じる時まで美湖ちゃんに気持ちを伝えるように見つめていた。私達の方も少しくらいは見て欲しかったのに、やっぱり妻の美湖ちゃんが良かったらしい。そんな事を美湖ちゃんと櫻ちゃんに話したら笑われてしまった。
美湖ちゃんの左手の薬指には指輪がはめられている。保那くんとお揃いの物で、現在、保那くんの指輪は美湖ちゃんがネックレスにして首にかけていた。保那くんが入院して1年経った頃2人は結婚した。籍は入れていないけど、結婚式場で車椅子に座った保那くんと純白のドレスを着た美湖ちゃんがお互いに指輪を交換し合った。勿論、私もその結婚式に参列して写真を色んな角度で撮りまくったし、主役の2人よりも涙を流した。婚約して2人で過ごせたのは半年間だったけど、美湖ちゃんは1日1日を大事にして保那くんに寄り添っていた。
美湖ちゃんは現在、大学4年生で就職活動を積極的にやっている。私も大学に行くと会う時があるけど色々と忙しそうだ。会った時は必ず、食堂で2人でご飯を食べる。美湖ちゃんはうどん。私はカレーを頼んで少量食べてもらう。このルーティンも気がつけば1年経っていて時が過ぎるのを早く感じる。1年経っていても私は普通盛りカレーを完食出来なかった。
そんな私は美湖ちゃんと同じ大学4年生だ。そしてこれから私は闘いに向かう。戦場は以前も来たことのあるパンケーキ屋だった。1番先に着いた私は迷わずテラス席に直行する。そういえば前回もこの席に座った気がする。
「あっ、先輩早いですね」
「櫻ちゃん!……と神奈月さん」
「なんで私は付け足しなの〜」
「別にそういう意味ではないよ」
「ふーん」
「話し合いの前に何か頼もうか。先輩はどれにする?」
「オレンジジュースとオススメパンケーキで」
「決めるの早くない?七海ここに来たことあるの?」
「うん。保那くんと美湖ちゃんとね」
「ああ、その2人って今日の話し合いのテーマの…」
「そうだよ。華さんは会ったことないと思うけど、今から作る物を渡す時にぜひ会って欲しいな」
「うん。楽しみ〜。よし!気合い入ってきた」
「今日は私達が奢るから。せっかく手伝って貰うから」
「そんなのいいのに。でもありがと!お言葉に甘えま〜す!」
待ち合わせしていたのは、ぬるぬるした喋り方は今も健在の神奈月華。そして元カノであり隙あらば私が復縁しようとしている人、松本櫻。今日は前から個人的に進めていた計画を手伝って貰うために2人を呼んだ。目の前の2人はメニューを決めて定員さんを呼び、パンケーキとドリンクを頼む。相変わらず櫻ちゃんはアイスコーヒーで、それを真似するように神奈月さんは同じ物を頼む。まるで私だけがお子様のように思えてしまうけど、私はただ苦い物に対して味覚が敏感なだけ。前に保那くんが私に言ってくれた言葉を頭の中で唱えて落ち着かせる。
「それでアルバムを作るんだよね」
「うん!美湖ちゃんと保那くんの結婚1周年を記念して今まで私が撮ってきた写真をギュッと本に詰めようと思って!保那くんが元気な時の写真もあるし、闘病してる時の写真も沢山私のスマホに入っているからそれを使って欲しいの!」
「なるほど。それでデザイン科の華さんを呼んだわけか」
「そういうこと!神奈月さんどうかな?出来る?」
「勿論。レイアウトとかデザイン関係は任せて」
「ありがとう!頼りにしてます!」
「よろしくお願いします。華さん」
後2ヶ月程で美湖ちゃんと保那くんの結婚1周年が迫っていた。最初は何か贈ろうとしか考えて居なかったけど、コンビニスイーツを食べていたら「アルバムを作ってみよう!」と急にアイディアが降りてきてた。最初美湖ちゃんと保那くんを知っている櫻ちゃんに相談すると、デザインとかは本格的にしてみたら?とアドバイスを受けて早速ネットで調べて見る。しかしどれに頼めば良いのかもわからずに迷っているとたまたま同じ教室にいた神奈月華に調べていたスマホの画面を見られてしまった。すると、
「アルバム作るの〜?私がやろうか〜」
なんてぬるぬるした言葉で言われて思わず後退りしてしまう。神奈月華は元カノの櫻ちゃんの浮気相手だったため今まで警戒していたし、話しかけることなんてしなかった。たぶん、この人は私が櫻ちゃんの元カノとは知らずに話しかけたのだろう。目の前にいる今だって私と櫻ちゃんの昔の関係は知らないようだ。櫻ちゃんとは友達関係と思っているらしい。しかし私は浮気相手とわかっているので神奈月華に大事な仕事を頼みたくなかった。しかし次の瞬間に彼女から放たれるある言葉に気が変わってしまった。
「私、デザイン科だし結構成績いいよ?何件かバイトで依頼もやってるし。それに私と七海の仲だから代金要らないけど?」
「それ本当?」
「嘘つくわけないじゃん。どうする?私が担当していい?」
「……お願いします」
神奈月華は本気の時はいつものぬるぬるトークが無くなる。それは大学に入ってから気づいたことだった。本心からしたらお願いなんてしたくないけど、料金の問題が関わってくると華の提案に食い付いてしまう。お金関係で魚が餌を撒かれたときのように食べてしまったのは私の心が腐っているのか。せっかくならそれなりにちゃんとした物を贈ってあげたい。しかしバイトもしていない私は収入がないのだ。仕送りの生活で節約しながら過ごしている私にとってプロの仕事を頼むには出費が痛かった。腹を括って私は神奈月華にアルバムの作成の手伝いをお願いして現在に至る。
この場に櫻ちゃんを呼んでしまったのは間違いだった。神奈月華は私のことを何とも思ってないけど、私はついつい敵視してしまう。本来ならばここに櫻ちゃんが来ることは無かったはずなのに。
大学2年生の時、私は櫻ちゃんに依存していて精神的におかしくなっていた時があった。今考えるとゾッとするくらい恐ろしい。このおかしさは高校生の時から付き合っていた櫻ちゃんと別れる原因になって、しばらくの間私と櫻ちゃんは連絡も取ってなかった。近づかないことが私が出来る償いだと思っていたから。しかし、保那くんの事もあって今は緊急事態だから仕方ないと思い、美湖ちゃんと文章を相談しながら櫻ちゃんにメッセージを送った。もしかしたらメッセージアカウント自体ブロックされている恐れもあるし、美湖ちゃんも私のせいで櫻ちゃんの連絡先を消しちゃったから私が送ったメッセージに既読が付かなかったら終わりだった。しかしそんな焦る想いとは裏腹に1時間後くらいに櫻ちゃんメッセージの返信が来た。その時は安心して美湖ちゃんに思いっきり抱きついて物理的に苦しめた思い出がある。私は保那くんの話だけを櫻ちゃんにしてメッセージを送った2日後に病院に来てくれた。久しぶりに会った櫻ちゃんの顔は相変わらずキリッとした顔立ちでもしかしたら他の人ともう結ばれているかもしれないと内心恐れていた。櫻ちゃんは保那くんが結構危ない状況とわかったのかその日だけでなく1週間に1回のペースでお見舞いに来てくれていた。私と会った時は前の変わらず笑って接してくれて、私がこの笑顔を一時的でも奪ってしまったことに今さら後悔する。私と櫻ちゃんの関係は時間の保那くんが友達の状態まで戻してくれた。今ではちょくちょく連絡を取り合うくらいまで信頼を取り戻せてきている。
しかし私はここで終わりたくなかった。
『復縁』の文字が頭の中に浮かんでくるあたりきっと未練タラタラなのだろう。ただ、今告白したって戻れないのはわかっている。だから徐々に私への気持ちを向けてくれたらという作戦を練り上げた。まぁ、目の前にいる本人には私の熱烈な復縁願望さえ気づいて貰えてないみたいで少し鈍感な所は変わってないなと心の中で笑ってしまう。
「ねぇ七海、いくら何でも画像の枚数多くない?これ全部詰めるの?」
「そんなに多いかなぁ?これでも限界まで絞り切ったんだけど…」
「一体何枚あるんですか先輩」
2人は神奈月華が持ってきたパソコンに送った私が撮った写真を呆れたようにスクロールして見ている。同じ画面を見るので2人の距離が近くなってしまうのは仕方ない。このムカムカは櫻ちゃんを呼んだ私が悪いのだ。ただ会いたいという気持ちで連絡を送ってしまった私が悪い。神奈月華がアルバム制作担当するという文章を、会うと決定した時に送ったのも悪かった気がする。…でも神奈月華のことは浮気した櫻ちゃんが悪いと思う。根本的な原因は私だけど。
でも目の前にいる2人の心臓はバクバクしているのではないだろうか。元浮気相手を元カノが引き寄せたのだから。それを少し楽しんでしまっている私は性格が歪んでいると思う。
「似たような写真が固まってる部分がありますね」
「これ削除していい?」
「えっ、ダメだよ!どれも表情が違うじゃん!」
「私には同じように見えるけど…」
「私もです」
「私は違う」
「とりあえず、こんなにはアルバムに載せられない。全部載せたいならそれなりの代金払って」
「あっ、いや…」
多少揉めながら写真を見ていると定員さんが飲み物とパンケーキを運んでくれて私達は目をキラキラと子供のように輝かせる。ひとまずパンケーキを食べようと私達は机の物を片付けていると神奈月華が私に向かってパソコンを見せてきた。
「七海、なんか別の写真送られてきてない?」
「どれ?……あっ」
「何ですか?……えっ」
「……何で七海と櫻が近い距離で写ってる写真があるの?」
その言葉でパソコンの画面に顔面蒼白になる私と櫻ちゃんが反射で映った。運ばれてきた3つの飲み物に入っていた氷が同時に揺れる音が、黙った私達の空間にカランと響いていた。
「何気にさ、私達2人でお酒飲んだこと無かったよね。まぁ当たり前なんだけどさ。私はたま〜に飲むけど飲みすぎると脱ぎ出すらしいから止められてるの」
シュッと音が鳴って缶が開く。お酒の話をしたのに飲むのは炭酸ジュースだ。帰りのことを心配した結果ジュースにしようと考えた。私はもう一本、夫の分のジュースを開ける。シュッと開ける時に鳴る音はいつ聞いてもいい。私は目の前に缶ジュースを差し出した。
「今日は、和菓子にしてみた。最近就職活動で忙しくて暴食しまくったら太ってきたから。…笑ってないよね?」
鞄からここに着く前に寄った和菓子屋さんに並んでいた大福を2つ取り出して私と夫の前に置く。和菓子なら洋菓子よりはカロリーが少なそうという作戦だった。
「よし、それじゃ、私達の結婚1周年に乾杯」
缶同士をカチンとぶつけて私は一口ジュースを飲む。口の中で染み渡る感覚に幸せが走った。暑い中で飲む炭酸ジュースは格別だ。私は続けてもう一口飲んだ。
ここは大道家のお墓だった。この中に私の夫、大道保那が眠っている。ちょうど場所的に木陰ができる場所だったので保那もきっと暑さを凌げるだろう。私も木陰があることによって今日の暑い日差しを直接浴びなくて済んだ。しかし蚊は結構いると思う。一応虫除けスプレーはかけてきたけど、もしかしたら家に帰ってムヒを塗りたくるかもしれない。それはそれでしょうがないけど。
「あっ、保那見て。…七海と松本さんがアルバム作ってくれたの。七海の高校の同級生が色々とやってくれたんだって。凄いよね。私と保那だけが入った本だよ」
取り出したアルバムを私は優しく撫でる。七海達が今日の為に今まで撮った写真を詰め込んだ本を作ってくれた。先週、七海が私の家に来て手渡ししてくれた時は泣きそうになって思わず七海を抱きしめた。その光景を見たら保那は嫉妬してしまうかもしれない。これは私と七海の内緒だ。アルバムを貰って少し経ったけど私は開いていなかった。勿論、今日保那と一緒に見たかったから。気になって開いてしまいそうになってしまったけど、やっぱり保那と一緒に開きたかった。
私は向かい合っていた体勢からお墓に背を向けて保那にも一緒に見れるようにする。
「開けるよ?」
分厚い表紙を開くと
『大道美湖。大道保那。結婚1周年!』と大きな文字で書かれていた。
「いつもは影月って名乗ってるから大道美湖って呼ばれると照れるね」
次のページを開くと早速写真が載せられていた。写真の下には日付が付いていてきっと七海が毎回のように撮っていたスマホからの画像だろう。1番最初に載っていた写真は、入院し始めて1ヶ月半経った頃の私と保那のツーショットだった。
「ははっ、懐かしい〜。今より化粧しなかったから顔が違く見える」
寝転がり微笑む保那とピースをして笑う私。撮った記憶は全くないけど、懐かしく思える。この日から約2年経っているから当然かもしれない。色々と変わった2年だった。
ページを次々と捲ると保那だけの写真や私だけが写された写真も出てくる。時折、後ろを向いて「凄いね」と話しかけながら私達は見ていた。またページが変わると思いがけない写真も載っていた。
「え!これって初めて保那と会った時に食べたパンケーキだ!」
アルバムの中間に突入した所で元気に笑顔を見せる保那とカチカチな笑顔でパンケーキを見ている私が貼り付けてあった。パンケーキと保那。アイスコーヒーを飲む私。そしてパンケーキを取り分けている保那とお皿を持ってそれを手伝う私。
「ねぇ何でこんな写真まであるの……?」
久しぶり見た元気な姿の保那を見て目が潤んでいく。私の記憶にある保那は大半、入院中の顔だったから以前はこんな風に笑ってたなと思い出が蘇る。見開き2ページに掲載されている写真だけで涙が流れて落ちた。泣き顔を保那に見られたくなくて涙を拭いて私は側に置いてあった炭酸ジュースに口をつける。
「あっ、これ保那のだった」
気を取り直して私はまたアルバムに手を付けた。
次のページには写真の斜めに手書きで何かが書いてあった。
『美湖ちゃん初めて保那と呼ぶ!』
まるでアニメの題名かと思える1行は先程の涙を引っ込めそうなくらいにインパクトが凄かった。書いてある文字の通り、私はこの時から大道さん呼びをやめた。日付は詳しく覚えていないけどこの時は確か、私と七海と妹さんがお見舞いに来ていた。私のスイーツ紹介が恒例となって毎回七海と妹さんは楽しみにしていたからなるべく私が来る時間と合わせるように来ていた時だ。その時に私は「大道さんはこういうの好きですよね?」と言った瞬間七海が立ち上がって私に「何で苗字呼びなの?」と問いかけられた。それに乗せられて妹さんも「今から名前呼びで!」と悪ノリし始めて2人は「ほらほら〜」と急かすように私に言ってきた。
「ほ、保那……くん」
恥ずかしかったけど、七海達の勢いに負けて私がそういうと保那は顔を赤くして私から視線を外した。そんな光景に悪ノリ2人が騒がない訳がない。私が睨みつけるまで囃し立てていた。
「今となっては君付けなんてしなくても普通に呼べるようになったね。…いつか遠い未来で私の名前も呼んで欲しいな」
悪戯っ子な笑顔で私は保那の方を向く。それに応えるように辺りに涼しい風が吹いた。
私達はそれからも手を止めずにアルバムを捲る。ちょくちょく飲んでいた炭酸ジュースは後4分の1くらいまで減ってた。一体何枚の写真を使ったのか。たまに似たような写真もあったけど、こんなに撮られているとは思わなかった。特に結婚式の写真は多くて、沢山の角度の写真が何枚も貼られていた。もしかしてこれ全部七海が取ったのだろうか?ストーカー並みの量に私は苦笑いしてしまう。それでも嬉しい気持ちは消えなかった。
「あっ次のページで最後かな?」
私がページを捲るとそこには長い文章が書かれていた。
『影月美湖さんへ
文字が打ちにくいので誤字脱字あったら見逃してください。きっとこれが見つかる頃には俺は貴方の側にいないでしょう。だから、俺の気持ちを全てこのスマホに残して置きます。
まず、いつもここに来てくれてありがとう。影月さんが来てくれると本当に嬉しくなります。沢山の話をする時間が1日の中で1番好きです。最近は七海ちゃんとも仲直りできて可愛い笑顔も増えて、俺も安心してます。俺の笑顔は見せることが難しいけど、影月さんが笑ってくれると俺も笑顔になれます。初めて会った時の固い笑顔とは違い、今は心から笑ってくれてる気がします。俺に心を許してくれていると思うと凄く嬉しくなる。本当にありがとう。
俺は、影月美湖さんの事が大好きです。
急にそんな事言われると混乱してしまうけど、気持ちを聞いて欲しいです。怒るかもしれないけど、付き合った時は好きという気持ちはわかりませんでした。今までも誰かと深入りしたことは無かったからドキドキなんて感情も理解できなかった。それでも影月さんに告白したのには単なる思い出作りとか、ふと思ったからとかそういうのではないです。当時の俺は影月さんの言葉に惹かれました。覚えてないかもしれないけど、最初で最後の恋愛をするならどんな人がいいと聞いたことがありました。何故こんな質問をしたのかはよくわかりません。この時点ではもしかしたら思い出作りという言葉があったかもしれない。そんな俺の質問に影月さんは時間をかけて真剣に悩んで答えを出そうとしてくれていたのは今でも思い出します。影月さんの答えは自分では覚えているかな?あの時、俺に影月さんは壊してくれる人が良いと言ってくれました。理由も何となくしか覚えていませんが、確か価値観や普通を壊して欲しいだった気がします。その言葉を聞いた時俺は死ぬまでに貴方に全てを壊して欲しいと思ってしまった。変な理由だけど、俺が告白したのはこの気持ちが出てしまったからです。
でも、影月さんは俺を壊せなかった。壊さなかったが正しいかな。影月さんは俺の身体も、心も、価値観も普通も、全部肯定してくれた。そんな影月さんを愛おしいと自覚したのは今やっとです。壊して欲しいという望みで付き合ったけど、いつしか壊して欲しくない、死になくないって思うようになってしまいました。でもきっと死ぬ運命は逃れられない。だから俺は死ぬまで貴方の顔を見ます。俺の姿のせいで貴方の素敵な笑顔を壊してしまうかもしれない。ハズレくじを引いてしまった俺はずっと貴方の側には居れない。それでも俺は貴方を愛しています。
俺が死んだら貴方は泣いて俺を忘れることはないでしょう。でももし、これから貴方に好きな人が出来たら俺のことは忘れてください。
最後に一言だけ。
例え影月さんが俺を忘れても、俺は貴方のことは忘れません。永遠に愛してます。
大道保那』
縦書きに綴られた文章は初めて読むものだった。途中から涙が止まらなくなって、何粒も水がアルバムに落ちた。手が震えてアルバムを握る力が無くなる。私はアルバムを置いて後ろを振り返って叫んだ。貴方に届くように。
「保那!保那聞こえる?私は保那が望んでいた壊すことができなかった。そもそも知らなかった。でも、私は保那のおかげて壊れていたものが復元出来たの!友達も、この傷ついた心も。
私はずっと物や関係を壊してきた。でもね?保那と付き合ったら徐々に壊すことが無くなったんだよ?それはきっと保那が私を愛してくれたから。言葉も行動も出来なかったけど、保那の優しい視線と表情が私の心を満たしてくれた。きっと保那が側にいなかったら私はずっと壊すことで情緒を保って、ずっと苦しんでた。
保那、私は貴方を忘れることは絶対にない。もう私の人生の1ページに大きく大道保那って刻まれているから。勿論その隣には大道美湖って書いてあるよ。この先の未来はどうなるかわからない。でも絶対に私は保那を忘れない。自分勝手でごめんね。…そんな私に愛を誓ってくれてありがとう」
髪を風で靡かせながら、保那に向かって私は今出来る精一杯の笑顔を見せた。保那が見てくれていると信じて。
私は保那を壊せず、保那は私を治してくれた。一気に頭の中に保那の沢山の表情が溢れ出してくる。
保那は1人でハズレくじを引いてしまったハズレ人間だ。
私は今まで物を壊し続けて普通が満たされなくなった外れ人間だ。
そんな外れ人間の私は今目の前に居る夫に誓おう。
次、くじを引く時は貴方の手に私の手を添えると。そうすれば一緒にハズレになるから。私は両手を合わせてお願いするように目を瞑った。
開いていたアルバムが風で捲られる。
手紙の次のページに白い紙が挟まっていた。
『この手紙は保那くんのスマホに残されたメッセージです。妹ちゃんが見つけました。最初は真っ先に見せようとしたのですが、別のメモ欄に書いてあった言葉の通りこのアルバムを開いた時に見せることにしました。
美湖ちゃんから保那くんの影が無くなった時に読ませて欲しいと打ち込まれていたよ。
七海より』