潔癖男子荒矢田君は、今夜も華美さんの夢に魘される。


 誰もいない放課後の教室。西陽が差し込み、二人だけの影が伸びたロマンチックな教室で、僕は華美さんに愛の告白をしていた。
「華美さん、僕……ずっと華美さんのことが好きだったんだ」
 夕陽色に染まる僕の頬をそのまま鏡に写したように、華美さんの頬もポッと朱色に染まった。
 そして、華美さんは少し恥ずかしそうに微笑みながら、僕を見上げる。
「嬉しいです、荒矢田君。華美も荒矢田君のことが好きです。これからは恋人として仲良くしてほしいです」
「うん! もちろんだよ! これからは旧校舎のプールでお弁当を食べて、湿気の籠った風呂場で寝て、梅雨になったらたくさん増殖しよう!」
 心の中で、理性(潔癖症の僕)が叫ぶ。なんてことを口にしているんだ、と。

 これは、最高の悪夢だ。

「ううん……華美さん……うっ……黴臭……」
「――だ……矢田……荒矢田! おい、荒矢田ってば!」
「ううん……?」
 あれ、華美さんの顔が歪んでく……。
「起きろ!」
 耳元で爆発でも起きたかのような大きな声に飛び起きる。
「なにごと!?」
 視界の中は一面白。
「……あれ? 僕、もしかして死んだ!? ここってまさか、あの世!?」
 自分の置かれた状況が分からずパニックになっていると、突然ペチンという情けない音がした。同時に、額に小さな痛みが走る。
「バカタレ。ここはこの世だ」
 目の前には大きな骸骨……の目、というか穴。窓枠いっぱいに人体の骨があった。
「あれ……ほね先生……と、二度寝屋?」
 額を叩いたのは、僕たちの担任教師、餓者髑髏の毒島(どくじま)ほね先生の人差し指だった。ベッドの傍らには、二度寝屋もいる。
「ここどこだ?」
 たしか僕、華美さんとご飯食ってなかったっけ? もしかしてあれも夢だったとか?
「病院だ。お前、腐った飯食って倒れたんだよ。覚えてないのか?」
 窓の外で、ほね先生の虚空の目元が呆れ気味に歪んだ。
「うんうン。運ばれたトキ、俺の生前の最期みたいナ顔してたゾ」
 ……そういえばそうだった。二度寝屋の言葉に、見たことのない彼の包帯の下の顔を想像してゾッとする。

 よくよく部屋の中を見渡すと、そこはたしかにこの世の病院の一室。
 華美さんの謎のおかずを食べて倒れた僕は、近くの総合病院に運ばれていたらしい。
「ったくお前、ただの人間のくせに華美の飯食ってんじゃねぇよ」
 ほね先生は、カチャカチャと関節を鳴らしながら肩を竦めた。
「……すみません。つい、本能に負けて」
「本能に負けて死ぬ気か」
「……そんなヤバかったんです? 僕」
「食中毒でひどい脱水症状起こしてたらしいぞ」
 全身からサーッと血の気が引いていく。
「マジか。危ねぇ……」
 危うく二度寝屋と同じ末路を辿るところだった。
「とにかく一週間は入院だと。じゃ、思ったより元気そうだし、先生もう帰るから。二度寝屋はどうする? 帰るなら送ってくぞ?」
「大丈夫デス。俺ハもう少し残りまス」
「そうか。じゃあな、荒矢田。安静にしてるんだぞ」
「あ、はい。ありがとうございました」
 礼を言い終わらぬうちに、ほね先生は大きな身体を起こし、ちょっとした地震を起こしながら学校の方角へ消えていった。
 
 先生の影が見えなくなると、二度寝屋が苦笑を漏らしながら僕を見た。
「散々だったナ」
「あぁ……ひどい目に遭った」
 ただ好きな人の手料理を食べただけなのに、こんなことになろうとは。
「自業自得ダけどナ。でも彼女、すごク心配してたゾ」
「心配……か。そうだよね。迷惑かけちゃったなぁ」
 二度寝屋の一言に、僕は拳を握り込んだ。

 やっぱり……僕たちはダメなのだ。

「僕さ……今回の件でよく分かったよ」
「ン?」
「僕と華美さんは、この先なにがあっても結ばれない運命なんだって」
 二度寝屋は驚いたのか、少しの間固まったまま僕を見つめた。
「……なんだ。諦めルのカ? 華美さんのコト」
 二度寝屋は意外そうに訊ねてくる。
「……どの道、僕の潔癖症は治りそうにないし、これ以上はお互いに時間の無駄だと思うんだ」
「……残念ダ。お前がそんな簡単に諦めルなんテ、思わなかったゾ」
 二度寝屋の言葉には、少しだけ棘がある。
 僕はその棘と自分の心に気付かないふりをするように、二度寝屋から目を逸らした。

 そして、苦し紛れに反論を呟く。
「簡単じゃないよ……それに、僕に恋人ができるの阻止しようとしてた奴がなにを言うか」
「まぁナ。でモ、お前が華美さんを諦めることはナイト思ってタ。どんな二相性が悪くてモ、どんな障害があってモ、お前なラ必ず乗り越えると思ってタカラ」
「…………なに言ってんだよ。僕はずっと、彼女のこと諦めようとしてたじゃんか。だから告白だってしなかった」
「そうだったカ? 俺には夢を見る度に、ドンドン好きになっていってるように見えたゾ?」
「……そんなことない」

 そうだ。そんなことは絶対にない。
 だって、僕と彼女は天敵同士なのだから。

 僕はギュッと目を瞑り、未だ追いかけてくる想いを振り払うように首を振った。
 俯いた僕を慰めるように、二度寝屋が明るい声を発した。
「それナラ、今度俺主催の合コンに誘うヨ。失恋を癒すのは新しい恋ってヨク言うダロ?」
「合コンって……先週、恋人なら明日できるとか言ってなかったか?」
 そうかそうか、フラれたか。
「できたヨ」
 できたんかい。相変わらずちゃっかりしてんな、コイツ。
「でも、周りが見事に撃沈だったから、また頼まれてセッティングするノ。次も渾身のあやかしが集まるヨ。金魚のあやかしに口裂け女、(のみ)の付喪神に座敷童子(ざしきわらし)から件娘(くだんむすめ)まで、美人が勢揃いだゼ」
 相変わらず謎の人脈を持つ親友に、僕は苦笑混じりにツッコんだ。
「……人間はいないんだね」
「贅沢言うナ」
「はいはい。ま、気が向いたら顔出そうかな。今はあんまり気が乗らないし……」
「任せろ。お前が参加するなラ、可愛い子を用意スるよ。じゃ、俺モそろそろ帰ルね」
 二度寝屋が立ち上がる。ふと、その金ピカの面がフッと笑ったような気がした。
「……気を付けて帰れよ」
「オウ。なにかあったらメッセージしろヨ」
 そう言って、二度寝屋は軽い足取りで帰っていった。彼なりに失恋した僕を慰めようとしてくれているのだろう。相変わらずいい奴だ。
 
 ……とはいえ、
「……長かったなぁ……」
 彼女のことは一年半想い続けたが、結局実らなかった。
「最近は結構いい感じだと思ったんだけどなぁ……」
 涙が零れないよう上を向くけれど、不意に鳴った来客を知らせる病室の扉の音に、その強がりは呆気なく崩れていく。
 訝しく思いながらも目元を拭い、返事をする。
「……どうぞ」

 扉を開けてひょっこりと顔を出したのは、華美さんだった。
「えっ……」
 彼女はちょこちょことベッドサイドに来ると、僕の顔の横にしゃがみこんで視線を合わせてくる。そんな何気ない仕草にすら、僕の胸は容易く弾む。
「……わざわざ来てくれたの?」
 どうしよう、どんな顔すればいいのか。まずなにを言う? 謝ればいいのか? それともお礼?
 一人悩んでいると、華美さんは僕の手を取り頭を下げた。
「ごめんなさい。華美のせいで、荒矢田君死にかけたって先生が言ってました」
「華美さんのせいじゃないよ。もう元気だし、気にしないでよ」
 今にも泣き出しそうな顔をする華美さんに、僕は慌ててぶんぶんと首を振る。
「華美……あのお弁当だけは上手くできたから荒矢田君に食べてほしくて、勇気出してお昼誘いました……でも、結局荒矢田君に迷惑かけました。ごめんなさい」
 そう言って、華美さんは肩を落とす。
「違うよ、華美さんはなにも悪くないんだって。だから顔を上げて」
 僕が悪いのに。僕はいつも、彼女に謝らせてばかり。彼女に暗い顔ばかりさせている。
「ううん、華美のせいです。ごめんなさい」
 やはりこれ以上、彼女を悲しませるわけにはいかない。僕は、彼女の側にいてはいけないんだ。
 そう強く思い直し、意を決して口を開いた。
「……ねぇ華美さん。悪いんだけど、僕にはもうかかわらないでくれるかな」
「え?」
 彼女は泣きそうな顔で、僕を見上げる。その顔に、胸がギュッと絞られるように痛んだ。
「僕、実は潔癖症なんだ。いつもハイターとかアルコール持ってるし、昨日華美さんにプールに誘われたときも、君が家族だっていったプールの黴を落としたくてたまらなかった」
「え……」
「嫌でしょ? 華美さんだって、僕みたいな綺麗好きの男」
「そ、そんなことないです!」
 華美さんは慌てて否定するけれど、その肩は少し震えていた。
「無理しなくていいよ。……僕も正直、華美さんと一緒にいると苦しいんだ。これまでは自分を誤魔化してきたけど、今回のではっきり僕たちは相性が悪いんだって気付いた。だから……ごめん。もう僕のことは放っておいて」
 僕の言葉に、華美さんは俯いた。ベッドに置かれた手は、悲しげに震えている。
「そうでしたか……華美は……迷惑でしたか」
 華美さんの震える声が堪らず、僕は彼女から目を逸らした。
「……うん。ずっと迷惑だった」
 心にもないことを口にする。
「……そうでしたか……華美はずっと知らずに……ごめんなさい」
 その瞬間、華美さんは勢いよく立ち上がり、泣きながら病室を飛び出していった。
 遠くなっていく足音に、自分自身への嫌悪と彼女への罪悪感が溢れ出す。追いかけてしまいそうになる足を懸命に堪えながら、僕は唇を噛み締め、空を仰いだ。

 ……これでよかったんだ。そもそも僕たちじゃ、住む世界が違い過ぎたんだ。
「ごめん、華美さん……」
 華美さんは、僕がひどい言葉をぶつけたとき、どんな顔をしていたのだろう。泣いていたのだろうか。
 ふわふわな髪を揺らして病室を出ていった彼女の背中が、脳裏から離れない。
 
 聞き分けが良過ぎる彼女は、恨み言のひとつも言わずに僕の前からいなくなった。
 
 ひとりきり静かになった病室で、僕は枕に顔面を押し当て、感情を押し殺すように息を吐いた。
 約一年半。友達以上恋人未満のふわふわした関係は、僕の一言で呆気なく崩れ去った。
 ……それなのに。
「…………好きだ、華美さん」
 どうやら、僕の恋の病は治るどころかもっと重症化してしまったらしい。
 恋とは上手くいかないものだ。
 その日の夜。僕はいつものように華美さんの夢を見るつもりで瞼を閉じた。たとえこの想いは届かずとも、夢で会えるならそれでいい。夢の中なら、彼女を悲しませることもないだろうから。
 
 ――しかしその日、華美さんの夢を見ることはなかった。

 代わりに不思議な夢を見た。そこは覚えのない真っ白な空間。僕は、平安時代を連想させる和服を身にまとった小柄な少女と向き合っていた。

 この子、どこかで見たような……。
 ぼんやりとした意識の中で考えていると、その少女はおもむろに、僕を見下すように言った。
「哀れだな」
 見知らぬ少女が、いきなり僕を鼻で笑う。
「は?」

 真っ白な空間で少女は宙に浮き、僕は椅子に座っている。
「哀れだと言ったのだ。まるで死神のよう」
 少女の突然の物言いに苛立ち、僕は眉を寄せた。
「いきなり失礼な奴だな……」

 そう呟きながら、立ち上がろうとする。しかし、なぜか体が思うように動かない。どうやらこの夢は、僕をこの場から逃がそうという気はないらしい。

「お前は華美が好きなのか?」
「……初対面の相手に聞く内容じゃないと思うんだけど」
 不快を露わにそう言うと、少女はニヤリと口角を上げた。
「そうか。好きなのか」
 その言い方は、まるで僕の気持ちを嘲るかのようで。
 カチンときた。
「誰もそんなこと言ってない」
「答えない時点で答えてるようなもの。だが、残念だったな。あの女はもう時期消えるのだ」
「は……?」
 眉を寄せ、僕はその少女を睨むように見た。
「ふふふ。聞いて驚け。我は神だ!」
「神? お前みたいなちんちくりんが? 座敷童子の間違いだろ」
 すると、自称神はムキーッと猿のように顔を真っ赤にして怒り出した。
「黙らっしゃい! 我は偉大なる疫病神(やくびょうがみ)であるぞ!」
 疫病神?
「それって……たしか、人々の間に良くないことをもたらす存在の神だとかいう?」
「フフハハハ。その通りだ!」
 知られていたことが嬉しかったのか、自称疫病神は嬉しそうに胸を張っている。
 僕は深いため息を零した。
「…………最悪だ。一番顔見知りになりたくない奴に絡まれた」
 容赦なく本音を漏らすと、
「なんだとコノヤロウ!」
 疫病神はまたも喧嘩を売ってきた。
「あん? やんのかコノヤロウ」
 負けじと僕も応戦する。いきなり飛びかかってきた疫病神に対し、チョップを落として攻撃を交わしてやった。
「ぎゃふっ!! ……なっ、なにをする!? 痛いではないか小僧!」
 半泣きで訴えてくる疫病神。
「いきなり飛びかかってきたのはそっちだろ」
 てか、弱っ。
「これ以上僕に近寄んな。不幸にされそうでなんかやだ」
「なにを今さら。叶わぬ恋をしている時点で既にお前は不幸ではないか。だから我が来たのだ。くっくっく。お前をからかうのは楽しそうだからな。さらに不幸のどん底に落としてやるぞ!」
 カチンときた。容赦なく疫病神の顔面にアルコールスプレーを吹きかける。※良い子は絶対に真似してはいけません。
「ぬわぁっ! なにをする! やめんか! 我は虫ではないぞ! 痛っ! 痛い痛い! 目、目に入ったってば! 痛い痛い!」
「クソ……細菌系じゃないからアルコールで消えないのか」
「うわぁん! 目がぁっ!」
 ……まぁ、物理的には効いてるようだけど。
「貴様……、よくも!」
「これに懲りたら二度と僕の夢に出てくるなよ」
「フフッ……そんな顔していられるのも今のうちだぞ」
「は?」
「我は週末、旧校舎全体に清掃業者が入るよう手配した。これで奴は終わりじゃ。残念だったな! お前の初恋は清掃業者に壊されるのだ! アーッハッハッ!」
 絶妙に癇に障る意地の悪い高笑いをしながら、疫病神が僕を見た。
「なっ……」
 そんなことされたら、華美さんの居場所がなくなってしまう。いや、生きていけなくなってしまう。
 僕は我慢ならず、疫病神に掴みかかる。
「なんだってそんなことを!」
「昔から腐れ縁の華美が大嫌いだからだ。同じ嫌われ者のはずなのに、いつもいつもアイツばっかりチヤホヤされて、我だけ除け者にされて気に食わん!」
「はぁ!? そんなつまんない嫉妬で華美さんを殺す気か!」
「つまらなくなどない! これまで我がどれだけ惨めな思いをしてきたか、分かるわけもあるまい! これで華美は不幸になるのだ! ケケケ」
 疫病神は風と共にさっと消えた。
「あっ……コラ待ちやがれっ!! おいっ!」

 ――ドカッ!!

「いてっ!!」
 ずるりとベッドから滑り落ち、目が覚める。
「…………って、夢? 華美さん出てこなかったな……」
 てか、別れを決めた初日に見る夢がこれって。
「目覚め悪過ぎんだろ……」
 僕の夢に出てきていいのは華美さんだけなのに……彼女以外立ち入り禁止の聖域に、見ず知らずのガキの侵入を許してしまうとは、不覚。
「……けど、もし今の夢のガキが本当に疫病神で、彼女を消そうとしているというのが本当なら……まずい」
 彼女の身に危険が迫っている。
「華美さんが危ない……!!」
 
 僕は二度寝屋にメッセージを送った。

 その日の放課後、二度寝屋が病院へやってくると、早速本題に入った。
「二度寝屋、旧校舎のプールに清掃業者が入るって本当?」
「お? なんデ知ってるンダ? 来週末一斉清掃らしいヨ」
 二度寝屋は、無表情の面をかくりと傾げて僕を見つめた。
「頼む。それ、どうにかやめさせてよ!」
「は? なんでダヨ?」
「だって、そんなことしたら……華美さんがここにいられなくなるんだ」
 二度寝屋は怪訝そうに眉を寄せて僕を見ている。
「なにを言ってるンダ? とうとう頭にまで菌が回ったカ? そもそモ荒矢田があそこで倒れたカラ清掃業者が入ることになったんだヨ?」
「僕が倒れたから?」
「あそこハ黴だらけで健康ニモ悪いからな。お前が病院に運ばれたオカゲで、校長がようやく重い腰を上げたラシイヨ」
 なんてこった。
「頼む! 二度寝屋、なんとかして。このままじゃ華美さんが」
「なんとかシテって言われテモ。そもソもあそこは立ち入り禁止なんだヨ? そんな簡単に校長を説得できなイだロ。今さラ清掃業者をキャンセルするわけにモいかないだろウシ」
「クソ……アイツの居場所は分かんねえし、清掃業者を止める方が簡単だと思ったのに……」
 肩を落とした俺の様子に、
「どうしたンだ? らしくないゾ? そもそも旧校舎に清掃業者が入るなんて、なんで学校二来てナイお前が知ってたんだヨ?」
 そういえば、まだなにも話していなかった。
「僕がよく見る夢のこと、覚えてる?」
「ウン? 華美さんの悪夢のコトダナ?」
「そう。でも今回出てきたのは華美さんじゃなくて、疫病神だったんだ」
「疫病神ィ?」
「その夢の中で、疫病神が言ったんだ。気に入らないから彼女を追い出すって。彼女の住処のプールを清掃するって」
「なんダ、その夢。予知夢ってヤツ?」
「なぁ……二度寝屋。僕は、この恋を諦めるべきなんだと思う?」
 二度寝屋がその答えを知るはずがないとわかっていても、聞かずにはいられない。
「華美サンのこト?」
「……昨日、彼女を突き放して、これで良かったんだって思った。どうしたって僕たちは結ばれない運命なんだって思い知ったから。……でも今日、華美さんの夢を見れなかった。たったそれだけのことなのに、ずっと悩まされてきた夢のはずなのに、すごく……すごく寂しいんだ」
「……なぁ、荒矢田。俺が思う二、お前たちは結ばれない運命なんかじゃないと思ウ」
「だって僕たちは潔癖症と黴の付喪神だよ? しかも僕は彼女の居場所まで脅かしてるし、そもそも人間とあやかしだ。どう考えたって、相容れない存在同士だよ」
「そういウ問題でハない。要は心ノ問題だってコトだヨ。人間の中にモ、神やあやかしと結婚してる人間なんてたくさんいるゾ?」
「それはそうかもしれないけど……」
 二度寝屋は挑発するように続けた。
「お前はタダ覚悟がないダケだ。華美さんがあの居場所を失ったらどうなる? 彼女自身が消滅してしまう可能性だってアル。そうなってモいいノカ?」
「…………そんなの」
 いいわけない。でも、どうしたらいいのかもわからない。
「お前の気持ちはその程度だったのカ? このままそうやって、好きな子ヲ見殺しにするのカ?」
「…………でも、どうすれば」
 僕はただの人間だ。特殊能力を持った神やあやかしとは違う。
「疫病神はドンな容姿をしてイタ?」
「容姿は……そうだな。たしか、緑色の和服を着ていた。髪は高い位置でツインテールにしていて、髪色は黒。外見は幼めで中学生くらいに見えたかな」
「……フフフ。任せろ。俺に考えがアル」
 二度寝屋がニヤリと笑う。
「え?」
 僕は眉を寄せて二度寝屋を見つめた。

 ――――――

 そして、誰もいないなにもない真っ白な空間。二度寝屋と作戦会議をしてから眠りにつくと、やはり今日も同じ夢を見た。僕は例の疫病神の少女と向かい合っている。
「おう、荒矢田よ。もうすぐお前の愛しの彼女が消えるな」
 疫病神は勝ち誇ったように言った。
「疫病神といえど、お前も案外役に立つことがあるんだな。礼を言うよ」
 僕は柔らかな笑みを浮かべて、そう言った。
「……む? どういうことだ?」
 途端に疫病神の表情が険しくなる。
「助かったと言っているんだ」
「なぜだ……お前は彼女が好きなのだろう? お前は彼女を失いたくないはずだ。だから我はこんな手の込んだことを……」
「ハハッ。有り得ないよ。僕は潔癖症なんだ。それは君も知っているだろう?」
「それはそうだが……でも、好きなのではないのか?」
「君が彼女を消してくれるならむしろ助かるよ。実は僕、ずっと悩んでたんだ。彼女は可愛いけど、臭いしジメジメしてるし、潔癖症だと知っているにもかかわらず僕のところにすぐ近付いてくるしで困ってたんだ」
「なんだなんだ? そんなのはつまらん。我はお前を喜ばせたくて清掃業者を呼んだつもりはない。そういうことならば清掃業者は撤退させてやる!」
「そんな! そんなことは言わず、彼女を追い出してよ! 僕はもう限界なんだ!」
「ふん! せいぜい黴と恋心の狭間で苦しむがいいさ! では、我はドロンさせてもらう!」

 言い逃げるように、疫病神は煙となって消えた。
 そして、清掃業者が入るその日。
 いつもより早く家を出て休日の学校へ向かうと、僕はまっすぐに教室ではなく旧校舎のプールへ向かった。
 その場所は相変わらず湿気が漂い、黴臭が充満している。
「……よかった」
 清掃業者は来ていないようだ。変わっていない風景に、僕はとりあえずホッとした。

 昨日、二度寝屋と作戦会議をした。
 二度寝屋は僕の夢に出てきたその疫病神の正体を、天邪鬼(あまのじゃく)だと言った。なんでも、合コンで一度顔を合わせたことがあるらしい。
 二度寝屋の話によると、天邪鬼は人の不幸が大好物で、特にいつまでも煮え切らない態度の男女の仲を強引に引き裂くのが趣味だという。
 つまり、人の嫌がることをするということ。
 僕が華美さんと離れたがっていると知れば、逆になにもしてこなくなるだろうという予想で、一芝居を打つことにした。

「二度寝屋の予想は当たったみたいだけど……」
 僕は華美さんを探して走り回った。
 本来いるはずの華美さんがいない。どこを探しても、どんなに黴臭い場所を覗いても。
「……華美さん?」
 じんわりと冷や汗が滲む。
「なんでいないんだよ……」
 もしかして、あのあやかしを騙せなかったのか?
 嫌な予感が脳裏を過る。
「華美さん! 華美さーん!」
 声の限り彼女を呼ぶ。

『あの女はもう時期消えるのだ』

 夢の中の天邪鬼の言葉が脳裏に蘇る。
 もう二度と会えないかと思うと、胸がはち切れそうに痛んだ。
 汗や黴で汚れていく体など気にもせず、ただひたすら旧校舎の中を走り回り、華美さんを探した。
「華美さんっ! どこ!?」

 最終的に辿り着いたのは、旧校舎の音楽室。
 しかし、この音楽室は未だに楽器が保管されているため、ここだけはしっかり清掃されていたはず。こんな綺麗な場所に華美さんがいるわけはないけれど、この場所以外はすべて探した。

 もしここにもいなかったら、彼女は本当に……。

「……華美さん?」
 音楽室には、規則正しいメトロノームの音が響いていた。
 グランドピアノが、ひとりでにポロロンとメロディとも言えない悲しげな音を奏でる。
 壁に飾られた肖像画の霊たちの視線を感じながら、僕は華美さんの姿を探した。
「……荒矢田君?」

 ――その声に振り向くと。
 彼女はグランドピアノの陰から現れた。どうやら、グランドピアノを鳴らしていたのは彼女だったらしい。
「華美さん……どうしてここに?」
「……荒矢田君こそ」
 問い返され、僕は目を泳がせる。
「……僕は、華美さんを探しに」
「華美を?」
 華美さんは、大きな瞳をさらに大きく見開いた。そして、ハッとしたように僕に駆け寄る。
「体調はもう大丈夫ですか?」
「うん……。もう元気だよ」
「……そうですか」
 彼女はホッとしたように頷いた。
 沈黙が流れ、メトロノームの音だけが二人の間に響く。

 居心地の悪い静けさに、僕は意を決して口を開いた。
「ごめん」
 華美さんは顔を上げ、僕を見つめた。
「……どうして謝るんですか?」
 いつもと違う気を使うようなひっそりとした彼女の声に、僕は喉を鳴らした。
「…………華美さんにひどいことを言ったから。傷付けて、ごめん」
 すると、華美さんはふるふると首を横に振った。
「……違います。荒矢田君はなにも悪くないです。華美が迷惑かけたからですよ」
「迷惑なんて思ってないよ!」
 強く否定すると、華美さんは悲しげに笑った。そして僕から目を逸らし、背中を向けて歩き出す。

 そして、ピアノの鍵盤を鳴らした。静かに澄んだ空間に、一音がまるで光の泡が弾けるように響いた。
「……華美は、荒矢田君が潔癖症だって知ってましたよ」
 ぽつりとした小さな告白に、僕の胸はドキンと弾んだ。
「え?」
「去年の入学式の日、誰よりも早く来てこっそりみんなの机をアルコールで拭いてたり、壁に黴がついていたらハイターで除菌してたでしょう?」
 僕は目を見張る。
「見てたの……?」
「はい。華美は入学する前から旧校舎のプールに住んでましたからね。あそこからは、ちょうど華美たちの教室が見えるのです」
「あ、そっか……」
「初めはただ、綺麗好きな人なんだなって思いました。だから、華美はちょっと苦手かもって。でも、荒矢田君は華美の机を消毒しませんでした。あ……もちろん、華美だけじゃなくて、それぞれのクラスメイトの個性を尊重したような掃除の仕方をしていて。まだオリエンテーションでしか顔を合わせていないはずなのに、もうみんなの特性を覚えてるんだって、驚きました」
「あれは……早く馴染めるようにって」
 よりによって華美さんに見られていたなんて恥ずかしい。顔を赤くする僕に、華美さんはにっこりと笑いかけてくる。
「華美は入学式より前に、荒矢田君のことが好きになりました」
「嘘……」
 華美さんの告白に、僕は瞳を見開いた。
「でも、華美の想いは届かないって分かってました。荒矢田君にとって、黴の付喪神である華美は天敵です」
「……そんなことは」
「それでもなんとか荒矢田君と仲良くなりたくて、でも話しかけられなくて……それで、友人に頼みました」
「友人?」
「二組のサキュバス・先場(さきば)蓮子(はすこ)に、荒矢田君の夢の中で華美の姿に化けてもらって、常識の範囲内で荒矢田君を誘惑してほしいって」
「は!?」
 華美さんは顔を真っ赤にして俯いている。
「…………あの悪夢はそういうことでしたか。なかなか大胆なことを……」
 しかも一年半もの間、毎日とは。
「でも、失敗でした。蓮子はイタズラ好きで、最後にはいつも荒矢田君が華美をトラウマになるようなオチをつけたと言っていましたし……あ、でも安心してください。荒矢田君に振られた日からは、蓮子にはもう夢を見せなくていいと言ってありますから」
 なるほど、だから先週から夢を見なくなったのか。僕が、彼女をフッたから……。
「……失敗じゃないよ」
 彼女が夢に出てこなくなったのは、たったの一週間だけ。
「え?」
 この一週間、毎日願った。夢でもいいから、華美さんに会いたいって。
「いつも、夜寝るのが楽しみだった。学校ではあんまり話せなくても、夢の中では華美さんに会えるから。最終的にはいつも悪夢になってたけど、それでも僕にとってはかけがえのない時間だったんだ……でも」
「でも?」
「この一週間、華美さんが出てこなくなって、すごく寂しくて……。どうせ僕たちは相容れない存在同士だから……華美さんにあんなひどいことを言っておいて、今さらって思うかもしれない。都合がいいって思われるかもしれないけど……」
 僕は唇を噛み締める。
「華美に会いたかったんですか?」
 華美さんは瞳を丸くして僕に駆け寄ってくる。
「まさか夢まで見なくなるとは思わなくて……学校では話せなくなっても、夢の中では変わらず毎日会えると思ってたから」
「おかしいです。荒矢田君は華美が嫌いなはずです」
 華美さんは混乱したように眉を下げ、目を泳がせる。僕は強く首を横に振った。
「……好きだよ。華美さんのことが好き。夢じゃやだ。やっぱり本物の君と……」
「華美と?」
「か、華美さんと……その」
 華美さんはまっすぐに僕を見ている。その熱視線に、途端に心臓が跳ね出した。

 ――バクバクバクバク。
 鼓動の音がメトロノームとメロディを奏で出す。

「荒矢田君?」
 僕は拳を握り、華美さんを見据える。
「華美さんが、好きです。僕は君と、恋人になりたい」

 その瞬間、華美さんは瞳に涙をいっぱい貯めて抱きついてきた。
「わっ!」
 受け止めると、小さな彼女の体はすっぽりと僕の腕の中に収まった。
「か、華美さんっ!?」
 ふわりと華美さんの髪が僕の頬をくすぐる。優しく撫でると、柔らかな香りが鼻を掠めた。
 華美さんが僕のジャケットをギュッと握る。
「……華美でいいんですか? 華美は黴の妖ですよ? 掃除嫌いだし、晴れの日嫌いだし、乾燥も嫌いだし」
 僕は彼女の手を優しく握り、目線を合わせた。コバルトブルーの瞳と視線が絡み合い、僕は口もとをほころばせた。
「……うん。知ってるよ。でも、君がいい。華美さんがいいんだ」
「荒矢田君……華美も荒矢田君のこと、大好きです! ずっとずっと、大好きでした!」
 華美さんのふわふわ綿菓子のような髪が頬をくすぐる。くすぐったさに身悶えながらも、僕は幸せを噛み締めたのだった。

 こうして、晴れて恋人同士になった僕たちが教室へ行くと、二度寝屋と二組のサキュバス・先場蓮子、さらに例の疫病神――否、天邪鬼がいた。

「は!? なんでコイツが!?」
 僕は思わず華美さんを庇うように前に出た。
「いい反応をするなぁ」
 しかも、天邪鬼はあろうことか僕たちの学校の制服を着ている。

 そして気付く。なぜか、皆一様にニヤついて僕たちを見ていた。背後の華美さんは、なぜか恥ずかしそうに顔を赤らめながら俯いてモジモジとしている。

「……ん?」
 これは、どういうことだ?

 首を傾げていると、華美さんが言った。
「……実は、皆にお願いして一芝居打ってもらったのです」
「一芝居……? 先場さんのことは聞いたけど……」
「天邪鬼の夢のくだりも全部です」
「……は?」
 華美さんの言葉に、僕はまたも目を丸くする。
 天邪鬼のくだりも?
「……えへ」
 華美さんが茶目っ気たっぷりに舌を出した。
 天邪鬼に視線を移すと、彼女の襟には青色のバッジが光っている。
「我は三年一組の天野(あまの)鬼子(きこ)。幼馴染の華美と(すい)君に頼まれたら協力しないわけにはいかないだろう? とはいえ、騙すようなことをして悪かったな」
 天邪鬼、良い人やないかい。というかこの人今、『睡君』って言ったよな?
「ちょっと待って。睡君ってなんですか?」
 すると、二度寝屋はあからさまに嬉しそうに話し出した。
「あぁ、お前にハまだ言ってなかったナ。鬼子さんは最近できた俺の彼女なんダ」
「……はぁ!? 彼女!?」
「ウイ」
「じゃあ、二度寝屋もグルだったってこと?」
「ソ! ぜーんぶお前の気持チを炙り出すためにやった演技だったってことダ!」
「……じゃあ、清掃業者は?」
「そんなものが旧校舎に入る予定ハ、最初からないゾ」
 二度寝屋は肩を竦めながら言い、その隣で先場がやれやれと前髪をかきあげた。
「普通に考えたらわかるでしょ……。なんで普段使われてる本校舎に清掃業者が入らないで旧校舎に入るのよ」
「た、たしかに」
 言われてみればその通りだけど。
「あのときは必死過ぎて気が付かなかったんだよ」
 バツが悪く、目を逸らす。
「まぁ、一年半毎日華美の夢を見ておいて、それをただの悪夢だと思ってた時点でとんでもなく鈍い奴だとは思ってたけどね。とにかくこれで私が夢に出る必要もなくなったってことでよかったよ。二人とも、末永く仲良くね。おめでとう、華美」
 先場さんは呆れ気味に僕を一瞥すると、華美さんに向かって柔らかい笑みを浮かべてウインクをした。
「ありがとうございます、蓮子ちゃん」
 なんということだ。なにも知らなかったのは僕だけだなんて。
「な、なんか複雑……」
 思わず本音を漏らすと、華美さんがギュッと抱きついてきた。
「荒矢田君。華美はもう荒矢田君から離れませんよ。覚悟してください!」
「か、華美さん……」

 自分のものになったからだろうか。下から見上げてくる華美さんは、付き合う前よりもずっと可愛く見える。僕は呆気なくその笑顔に陥落し、苦笑した。

「……ま、いっか」
 
 僕たちはきっと、相性最悪の恋人同士だ。
 彼女が黴の付喪神であることは変わりないし、この先僕の潔癖症が治るかもわからない。
 
 でも、恋はするものじゃなく堕ちるもの。
 人が重力に逆らえないように、時の流れに逆らえないように……。
 人だとか、あやかしだとか神だとか、そんなことは関係ない。
 恋とは、この世に生きるものが避けては通れない試練のようなものだ。

 僕は華美さんを見つめ、ひとつ息を吐くと言った。
「これからよろしくね、華美さん」
「はい!」
 彼女は嬉しそうに頷く。その笑みに、僕もつられて笑顔になる。
 これからもきっと、僕はこの笑顔にまんまと騙されるんだろうな、なんて思いながら。
 
「恋は駆け引きが大事なのです」
 華美さんは僕の腕に抱きつきながら、満足そうに微笑んだのだった。

 

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